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創立60周年に寄せて 「経済学部、彦根、そしてこの地での40年」

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Academic year: 2021

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経済学部、彦根、

そしてこの地での40年

経済学部教授 

神山 進

21 20 学生運動時の経済学部封鎖(「陵水新聞」より) 学生時代の彦根駅(卒業アルバムより)  1981年春、滋賀大学教育学部に入学した。本学の 卒業生の恩師から祝いのメッセージが届いた。石山 キャンパスは桜で一杯だった。木造の校舎は張り紙で 汚く、大学紛争の名残があった。大学行きのバスはひどく 渋滞した。授業はとてつもなく退屈だった。サッカー部 に入部した。日航機墜落、大韓航空機撃墜、ホテル ニュージャパン火災、グリコ事件、と世の中は騒々しい 出来事があった。植村直己の妻が遭難直後に「冒険家 として、だらしがない」と強情に言い放った。こんな時代 に大学生活を送った。ただ、時間だけは余りあるほど あった。優等生とはほど遠い生活をし、夜になると、本や 雑誌を読み漁った。青年期特有の悶々とした日々を 過ごした。  1995年春、母校に赴任した。石山キャンパスは桜で 一杯だった。校舎の入口で、サッカー部の学生が声を かけてくれた。研究室にいると、女子学生がコーヒーを 持ってきてくれた。ダンディーな先生だと想像していた が、期待はずれだった。教授会で、何人もの先生を思い 出した。学生の頃の像と全く違う先生の姿に驚き、ひとり 悦に入った。平日は教育、研究に、土日はサッカー部の 顧問として忙しくしてきたが、体調を崩したこともあり、 出来る範囲の仕事をやらせていただいている。沢木 耕太郎の深夜特急を読み、一息ついている。どうやら、 曲がり角に立っていると自覚している。  滋賀大学で約20年間、学生として教員として過ご した。小学校、中学校でも本学卒業生の先生にお世話 になった。現在、わが子も本学卒業生の先生にお世話に なっている。こうしてみると、僕の人生のほとんどに滋賀 大学が関わっていることに気づかされる。本当に感謝の思い でいっぱいである。あと20年ほど勤務できる。滋賀大学の 発展に少しでも尽力できるよう努めたい。滋賀大学の学生 として教員としての誇りを持って、その覚悟は決めている。

滋賀大学の誇りを持って

教育学部准教授 

奥田 援史

 本学が創立60周年を迎え、回想を掲載することになった。 60年というと、私は今年で満61歳を迎えるので、誕生して1 歳にならない頃に、それまでの彦根高商を母体に新制大学 として創立されたことになる。私は昭和43年(1968年)に本 学経済学部の学生となり、その後の大学院の一時期を除い て、本学の助手として昭和49年に採用されてから今日に至る まで、ほぼ40年の時間を経済学部および彦根の地で過ごし たことになる。  私の学生の時期は、学生運動が最も激しかった時期であっ た。本学においても、大学封鎖、デモ、機動隊とのにらみ合い などが頻繁に発生した。大学で授業ができず、近くの寺院や 教会などで授業を受け、そこに投石を経験したこともあった。 私は学生運動に直接関わることはなく、傍観者としてのノン ポリ的存在であった。しかし、どこに向かうという方向性はわ からなかったが、自分と同時期の人間の強力なエネルギーの ようなものは感じることができた。大学が封鎖されて休講に なると、大学裏門近く のマージャン屋や食 堂でたむろした事もし ばしばであった。  私の教員(かつては 教官)として出発は、 昭和49年の8月、本学 に併設されていた経 済短期大学部の助手 からであった。それ以 降、平成5年の短期大学部の廃止まで、3年制の夜間学生の 指導と教育に従事した。授業は夕方の5時30分より8時40分 までの2時限で、夜中から朝方にかけて研究する私の夜型生 活にうまく適合していた。授業が終わって帰路に着く彦根城 近辺の景色では、桜の夜景、お堀の水鳥、城に生息する野鳥 の合唱、うだる暑さ、紅葉の城内、豪雪の夜道、雪に埋まる彦 根駅など、今でも記憶に鮮明なものが多い。経済短期大学部 の教育理念は、その後、経済学部・夜間主コースに受け継が れている。当時より今日に至るまで、有職者や一般社会人の 再教育・生涯学習の場として、また経済的理由より昼間に働 かねばならない若者への学習機会の場として重要な役割を 果たし続けており、そうした学生の問題意識や学習意欲は旺 盛である。ただその一方で、定員確保などの理由のために、 必ずしも目的に適っているとはいえない学生も抱え込むこと になり、夜間教育の重要性との間で板ばさみを経験し続けて いる。  平成5年より、経済学部教員としての生活が始まった。近年 の経済学部の変化、特に私の学生時代からの大きな変化 は、女子学生の増加である。私が経済学部生の頃は、もちろ ん現在との定員数も異なるが、女子はわずかに数える程度 の数名に過ぎなかった。しかし現在では、一学年500名を越 える定員の中で、女子の数が200名に迫っている。いずれか の近い時期に、女子の数が半数の5割になることも予想され る。このような男女構成比率の変化の中で、男子中心の硬派 的学風から男女がともに学ぶソフトな学風の経済学部に変 化しつつある。スポーツや文化活動に関わる各種クラブ・同 好会・サークルに活躍する女子、就職活動において男子以上 に活発な女子、などもこのような変化の一環である。従来の 男性的視点に、ソフトな女性的視点を融合させた新しい経 済学部が生まれつつある。  以上、とりとめのない話になってしまった。創立60周年を 迎えて、滋賀大学経済学部が、彦根を中心にした地域に根ざ した大学であり続けてほしいと願っている。決して規模を追 求するのではなく、これまで世に送り出してきた数多くの人材 を宝にして、特色ある教育と研究、それに特色ある情報を発 信し続ける大学であり続けてほしいものである。 Anniversary 創 立 特 集 周 年 に 寄 せ て 春の石山キャンパス 平津ケ丘寮を望む 生物地学研究所

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