主要病害からマイナー病害へ―イネ白葉枯病の盛衰― ― 67 ― 292 1961 年,私は農業高校の 2 年生であった。腰を曲げ, 手で田植えが行われていた時代である。地元紙新潟日報 地域面に「田植えが終わり活着,分けつを始めたイネ株 の葉が萎凋し,やがて枯死するものが多く発生して,植 え替えが必要になっている」という記事が載った。なぜ かこの記事が長く記憶に残っていた。 1966 年,大学を卒業し北陸農業試験場(現中央農業 総合研究センター北陸研究センター)に配属された。室 長は吉村彰治博士。脇本哲,田上義也両博士と「バクテ リオフアージの利用によるイネ白葉枯病発生生態に関す る研究」で日本農学賞を受賞されていた。室長の話から 記憶に残っていた株枯死は白葉枯病菌が根の傷口から侵 入・増殖して起きた急性萎凋症(クレセック)であるこ とを知った。田植えに使う苗を苗代から引き抜くときに 生ずる断根が侵入場所になったのである。出穂期近くに なると激発田がいたるところで見られ,平坦地では 100%近い水田で発生していた。全国的な大病害であり, 大畑貫一博士の著書「稲の病害」には1965 年の発生面 積は40 万 ha と記されている。 このように大発生する病害であったので,本病の克服 は稲作の重要課題であった。戦前は公立試験場,戦後は 農林省の試験研究機関を中心にして広範な研究が実施さ れた。発生生態,抵抗性品種の育成などで多くの成果が 得られ,これに立脚した防除技術の実践が推奨された。 また,農薬会社では新剤開発が精力的に進められた。し かし,農家が満足できる技術の開発までにはさらに年数 が必要だろうと私には思えた。 猛威をふるっていた本病の減少は思わぬところから始 まった。それは河川改修事業および土地改良,基盤整備 事業の推進である。これによって浸冠水する水田は大幅 に減少し,水媒伝染性である病原菌の感染機会が少なく なった。また,1970 年ころより始まった機械移植栽培 の急速な普及で,育苗は冠水しない場所で行われるよう になったことも減少の原因になった。本病の発生からみ れば,これらの事業は理にかなった防除手段になったと いえよう。また,抵抗性品種の栽培面積増加も減少に寄 与している。コシヒカリは「抵抗性やや強」で,同品種 とこれを交配親に持つ品種が栽培面積の大半を占めるよ うになった。 ちなみに,2013 年の全国発生面積は 1.3 万 ha と報告 されている(農水省植物防疫課資料)。このことだけで, 今後大発生する恐れが全くなくなったとは言い難い。そ れを実証したのが平成の米飢饉と称された1991 年の九 州地域における大発生である。記録的な長雨が原因にな った。イネ科雑草サヤヌカグサの根,根圏土壌が病原細 菌の越冬源であり,沼地や上流域の小河川,畦畔には依 然として手つかずの状態で感染源が残されているからで ある。 本病以外に農林省の指定試験事業で実施された病害の うちで著しく発生が減少した病害に黄化萎縮病,小粒菌 核病がある。前者には特効薬ともいうべき防除効果の高 い薬剤があるが,白葉枯病と同様に浸冠水水田の減少に よるところが大きいと考えられる。後者は戦後の肥料不 足の時代に多発生したが肥料事情(とくにカリ肥料)の 好転によって減少し,いまや幻の病害になった感がある。
主要病害からマイナー病害へ―イネ白葉枯病の盛衰―
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