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そもそも 映 画 は1890 年 代 のエジソンによるキネスコープの 発 明 により 制 作 が 可 能 になった はじめのうちはまだ 大 衆 化 がなされておらず19 世 紀 にはまだ 単 なる 機 械 だと 思 われていたようだが 20 世 紀 に 入 ると 徐 々に 映 画 の 娯 楽 性 が

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Academic year: 2021

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アメリカンニューシネマが社会に与えた影響とその時代背景

所属:文化・芸術系ゼミ 1年1組40番 吉田 清人

第1章 はじめに

第1節 テーマ設定の理由

映画は誕生以来戦争など様々な困難を経験しつつ、昔から莫大な富を生み出し世界 中の人に愛されている。特にアメリカは映画大国として多くの映画が作られてきた。 自分も好きでよく見るのだが昔のアメリカ映画を見ると今のそれとは大きな差がある ことが分かる。それは主に内容や映像技術の点においてであるが、その大きなターニ ングポイントになったのはいつなのかを考えてみると、それが主に 1960 年代の「ニュ ーシネマ」と呼ばれる時代であることが分かった。そこで今回はテーマをアメリカ映 画に搾って、そのなかでも大きな役割を果たした「アメリカンニューシネマ」と呼ば れるこの時代について映画の歴史をふまえつつ、調べてみることにした。

第2節 研究のねらい

アメリカ映画史の中で変革期となったこの時代を知ることにより、映画についての 理解を深め、また歴史と大衆文化のつながりについて考える。

第3節 研究内容と方法

第1項 研究の内容 ① 20世紀の映画の歴史。 ② アメリカンニューシネマについて具体的な説明。 ③ ニューシネマ時代の主要な作品の解説、人物紹介。 ④ 1960年代アメリカの歴史。 第2項 研究の方法 キネマ旬報をはじめとする映画雑誌、インターネット、また個人での関連映画鑑賞。

第2章 研究の展開

第1節 20世紀映画史

アメリカンニューシネマは主に1960年代の風潮であるがその時代だけを見るの ではなかなかその本質が見えにくい。そこでまずその前後関係をみるために、その誕 生から現在まで、映画の歴史を簡単に振り返ってみる。 1 創設期(1890~1920年代)

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2 そもそも映画は1890年代のエジソンによるキネスコープの発明により制作が可 能になった。はじめのうちはまだ大衆化がなされておらず19世紀にはまだ単なる機 械だと思われていたようだが、20世紀に入ると徐々に映画の娯楽性が高まっていっ た。このころの映画はまだサイレントで音がない。そのため会話はすべて字幕であら わされるのだが、それだけに役者の演技力が問われる。こ の時代は喜劇などのように活動的な作品が多く、全体とし てどこか大げさな感じがする。音がない分それだけ映像と してのわかりやすさが求められたのだ。その後1927年 の「ジャズ・シンガー」により映画は一気にトーキーの時 代に突入するが、その変わり目には苦労した人も多かった ようだ。サイレント時代を代表する喜劇王チャールズ・チ ャップリンもその一人で、トーキー映画が一般的になった 後でもサイレントに固執し、彼が映画内ではじめて声を発 したのはずいぶん後になってからだった。 その後もアメリカには多くの映画人たちが集まるように なり、特にアメリカ西海岸には多くの映画会社が設立され 映画都市ハリウッドが形成されるなど映画の存在は徐々に 大きくなっていった。 代表作「大列車強盗」(1903エドウィン・S・ポーター) 「黄金狂時代」(1925チャールズ・チャップリン) 「ジャズ・シンガー」(1927アラン・クロスランド) 2 黄金期(1930~第二次世界大戦) 1929年にアメリカでアカデミー賞が、1934年にイタリアでヴェネツイア国 際映画祭が始まると世界各地で本格的に映画の量産化が始まった。中でもアメリカは そのトップに君臨していたため、1930~40年代は「アメリカ映画の黄金期」「ハ リウッドの全盛期」と呼ばれている。1930年代に入るとようやくトーキー映画の 芸術性が認められるようになり、音楽を用いたミュージカ ルや効果音を生かしたギャング映画などが映画の主流とな った。1937年に世界初のフルカラー長編アニメーショ ン「白雪姫」がディズニーカンパニーにより公開される な どアニメ映画の製作も進んでいった。そんな中アメリカで は映画の社会に与える影響を憂慮する声が高まり、193 4年「ヘイズ・コード」と呼ばれる映画製作倫理規定が作 られた。そのため、以後過激な暴力シーンや性的シーンは 影をひそめることになったがそのことによって映像表現の 自由が奪われ60年代のニューシネマにも影響を与えた。 また当時クラーク・ゲーブルやジーン・ハーローなどい わゆる映画スターが出現したのもこのころで、世の人々 のあこがれの的となった。しかしナチスドイツなどの台頭により世界にファシズムの Kobal/UNITEDARTISTS/ TheKobalCollection/WireI mage.com MGM/Photofest/MediaVa stJapan

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3 雲が広がり始めると、映画製作は中断を余儀なくされるようになる。 代表作「暗黒街の顔役」(1932ハワード・ホークス) 「或る夜の出来事」(1934フランク・キャプラ) 「風と共に去りぬ」(1939ヴィクター・フレミング) 「白雪姫」(1937デイヴィット・ハンド) 「駅馬車」(1939ジョン・フォード) 「市民ケーン」(1941オーソン・ウェルズ) 「カサブランカ」(1942マイケル・カーティス) 3 大戦後(大戦後~1950年代) 1945年第二次世界大戦が終結すると映画製作は再び 活発になり始めた。1946年にはフランスで「カンヌ国 際映画祭」が始まり、1951年にはドイツで「ベルリン 国際映画祭」が始まった。アメリカでは大戦の影響により、 英国のアルフレッド・ヒッチコック等多くの才能ある映画 人が世界中から亡命してきており世界中から監督や作家が 集められた。 1950年代に入るとアメリカではロシアとの冷戦の中、 国内の共産党員およびそのシンパを公職から追放する「赤 狩り」の風潮が強まり、多くの映画人がハリウッドから追 放された。またテレビの普及による観客動員数の減少や 独占禁止法などの施行によりハリウッドの黄金時代は終焉 を迎えた。 代表作「巴里のアメリカ人」(1951ヴィンセント・ミネリ) 「雨に唄えば」(1952ジーン・ケリー) 「ローマの休日」(1953ウィリアム・ワイラー) 「エデンの東」(1955エリア・カザン) 「七年目の浮気」(1955ビリー・ワイルダー) 「サウンド・オブ・ミュージック」(1959リチャード・ロジャース) 4 改革期(1960~70年代) 1950年代末期から1960年代初頭にかけてフランスで これまでの映画の常識 を打ち破る「ヌーベルバーグ」と呼ばれる運動が始まるとそれに触発され、アメリカ でも「ニューシネマ」が始まる。この運動はそれ以降1970年代の終わりまで映画 製作の中心的な考えになる。(以下後述) 代表作「サイコ」(1960アルフレッド・ヒッチコック) 「ウエスト・サイド物語」(1961ロバート・ワイズ) 「アラビアのロレンス」(1962デヴィット・リーン) 「2001年宇宙の旅」(1968スタンリー・キューブリック) 「ゴッド・ファーザー」(1972フランシス・フォード・コッポラ) ParamountPictures/Phot ofest/MediaVastJapan

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4 「ジョーズ」(1975スティーブン・スピルバーグ) 「ロッキー」(1976ジョン・G・アヴィルドセン) 「スターウォーズ」(1977ジョージ・ルーカス) その他ニューシネマ(後述) 5 技術革新期(1980~現在) 1980年以降は映画に自由化がもたらされ、一口にどんな時代かを決めるのは難 しいが、あえて言うならば技術革新の時代であろう。スティーブン・スピルバーグ等 巨額の予算を投じたアクション映画などもはやり、観客は映画にさらなる迫力や臨場 感を求められるようになった。1990年代にはCG(コンピューター・グラフィッ クス)の発展により映画製作の低予算化が可能になり1995年には 世界初のフルC Gアニメ映画「トイ・ストーリー」が公開された。またCGを用いた実写映画の大作 も数多く作られ以後CGは映画界になくてはならないものになっ た。 近年では立体(3D)映画の製作も広まり映像技術はさらなる発展の兆しを見せて いる。

第2節 ニューシネマとは

1 アメリカの時代とその終焉 1950年代アメリカは最もアメリカらしい時代を迎えていた。戦後の好景気によ りアメリカの世界的地位は上昇し、人々はこれまでにない豊かな生活を手に入れた。 音楽はエルヴィス・プレスリーを発端とするロックンロールが流行り、 文化的にはマ リリン・モンロー等アメリカのシンボル的なスターも現れるなど、当時のアメリカは 若者たちにとってまさに夢の国だったといえるだろう。そのため当時の映画も観客に 夢と希望を与えることに重点が置かれ、ヒーローの活躍話やハッピー・エンドのラブ ストーリーなどが主流であった。しかしそれは単に表の話で実際には冷戦や赤狩りな ど人々の反感を買うような出来事も数多くおこっていたのである。 そんな時代もある日唐突に終わりを告げる。1963年11月22日、一発の弾丸 がある人物の命を奪った。ジョン・F・ケネディー、第35代アメリカ合衆国大統領 ParamountPictures/Photofest/ MediaVastJapan UnitedArtists/Photofest/ MediaVastJapan

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5 である。彼の暗殺によりアメリカの時代は終わったといわれている。ケネディーはま だ若く経験が浅かったが実力は確かで、強く新しい大統領としてアメリカのヒーロー であった。そんな彼の死はアメリカだけでなく世界中に波紋をもたらした。 その後アメリカでは多くの若者が当時の体制に疑問を抱くようになり、そのことは さまざまな形をとって社会にあらわれるようになった。特に当時軍事介入が始まって いたベトナム戦争や民族への迫害に関しては反対する声が多く、各地で激しい反対運 動も勃発していた。 アメリカンニューシネマもこんな時代背景の中生まれた。映画界も当時ヘイズ・コ ードなど政府の弾圧を少なからず受けており表現の自由化はなされていなかった。1 967年「俺たちに明日はない」が公開されると、これまでの映画の常識を打ち破る 映画として特に若者に大反響を受けタイム誌にはこの新しい米国映画の動向が大々的 にレポートされた。映画「俺たちに明日はない」は1967年に製作された大恐慌時 代の実際の銀行強盗であるボニーとクライドの出会いと死に至るまでを描いた犯罪映 画であるが、映画の配給会社は初めこの映画を単なるB級映画としか考えておらずあ まり大規模での公開は考えていなかった。しかし公開されるや否やその斬新な内容が 批評家たちに絶賛され、最終的には大ヒット作となり後にアメリカンニューシネマの 先駆的な役割を果たすことになった。これを機に反体制的な若者を描いた映画が、ベ トナム戦争が終結し「ニュー・アメリカン・ドリーム」というサクセスストーリー的 な風潮が始まった1975年くらいまでの約15年の間に数多く作られるようになる。 2 特徴 先述したようにアメリカンニューシネマの背景となる社会的な出来事は大きく「ケ ネディー暗殺」と「ベトナム戦争」にあることが分かる。どちらにも暗示されている のは「夢の国アメリカ」の消滅でありそれに伴う将来への不安であった。そのような 人々の不安をまえにしてはそれまで夢を売っていたはずの映画も何ら役には立たなか った。ニューシネマは彼らのそんな鬱憤を晴らすのにはもってこいだった。ニューシ ネマは大きく二つの部類に分類される。「アウトロー」型と「アンチヒーロー」型だ。 「アウトロー」型とは銀行強盗や殺人者など法に背いたものたちの人生を描いたもの でたいていの場合その最期はけたたましい銃声とともにむかえられる。このパタ ーン での時代設定は比較的多様でありその時代だけを描いたものばかりではなかった。一 方「アンチヒーロー」型はこれまでの映画では信じられないようなさえない男や不幸 のどん底にいる人物の人生が描かれておりこちらはどちらかといえば時代設定が当時 だけに限られている。どちらにせよ当時としては革新的であったことに違いはない。 ニューシネマはどちらのタイプにせよ深刻なテーマをコメディータッチで描いたも のが多く、一見笑ってしまうようなコメディー映画のようであるもののそこにはメッ セージ性があり見た後に何かを考えさせられてしまう。 これはニューシネマ特有であ る。またこの時代にはこれまで表現の自由を奪っていた「ヘイズコード」がなくなっ たことにより表現に自由化がもたらされた。そのためこれまではタブーとされていた 暴力シーンや性的シーンも多々見られる。そのせいもあってか、あくまで私が見た物 の中で判断したところでは、それまでの映画やその後の映画と比べ、ハズレが少ない

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6 のも確かであるように思う。映画の中には正直つまらない物や、なんだこれと思うよ うな物も多いがニューシネマはどれをとってみても内容に一工夫あり、見ごたえがあ る。そういった意味でもニューシネマはほかの時代とは一線を画していたといえるだ ろう。

第3節 作品紹介

ここではニューシネマの代表的な作品を紹介し、自分が見たことのあるものに限っ ては解説を入れる。 1 「俺たちに明日はない」 1967年 ワーナーブラザーズ 監督 アーサー・ペン 主演 フェイ・ダナウェイ ウォーレン・ベイティー 解説 1930年代に実在した銀行強盗 「ボニーとクライド」の実話をも とにしたストーリー。映画では二 人の出会いから死までを描いてい る。特に印象的なのはラストの二 人が警官隊によって射殺されるシーンで、主人公が惨殺されるというこれま でにはありえなかった絶望的な展開が新しい時代の幕開けを暗示している。 2 「卒業」 1967年 ユニヴァーサルスタジオ 監督 マイク・ニコルズ 主演 ダスティン・ホフマン キャサリン・ロス 解説 アンチヒーローものの代表作品。主演は低身長でとてもオールアメリカンハ ンサムボーイとは言えないが万人受けし、誰にでも共感を持たれるニューシ ネマの俊英ダスティン・ホフマン。彼扮するベンジャミンは大学で優秀な成 績を修め卒業を機に帰郷する。友人親戚はそんな彼の将来に希望を託すも、 彼自身はそれを素直に喜ぶことができず、ある日年上の婦人ミセス・ロビン ソンと関係を持ってしまう。しかし彼は徐々にその娘で幼馴染でもあるエレ ーンに恋心を抱くようになり・・・ この作品は若者特有の何とも言えない不安がコメディータッチで絶妙に描か れており、劇中のサイモン&ガーファンクルの歌も非常に印象的である。「卒 業」と言えば何といっても式場から花嫁を奪うラストシーンが有名であるが それが表わすのは成功への一歩ではなくこれから待つであろう試練の始まり だ。アンハッピーエンドなラブストーリーであるこの作品は若者の精神的葛 藤と自立が見事に表現されており、今なおハリウッド映画屈指の名作として 名を知らしめている作品である。 WarnerBros./Photofest/MediaVast Japan

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7 3 「イージーライダー」 1969年 監督 デニス・ホッパー 主演 ピーター・フォンダ デニス・ホッパー 4 「明日に向って撃て!」 1969年 20世紀フォックス 監督 ジョージ・ロイ・ヒル 主演 ポール・ニューマン ロバート・レッドフォード キャサリン・ロス 解説 19世紀末から20世紀の初頭にかけて アメリカ西部で実際に活躍した銀行強盗 ブッチ・キャシディとサンダース・キッ ドの物語。二人は列車、銀行強盗を繰り 返し、ついに最強の刺客を送り込まれて しまう。二人は命からがら逃げ果て、や がてキッドの恋人エッタとともに南米ボリビアへと逃走する。 実在の銀行強盗の逃走劇という事で「俺たちに明日はない」と構成的には似 ているがキャストの豪華さなどの点においてやはりこちらのほうがより映画 として成長した感じがある。ラストシーンのストップモーションや色使いな ど革新的な撮影技術も見どころの一つだ。 5 「真夜中のカーボーイ」 1969年 ユナイテッド・アーティスツ 監督 ジョン・シュレンジャー 主演 ジョン・ヴォイト ダスティン・ホフマン 解説 こちらもダスティンホフマン主演のアンチヒーロ ーもの。今度は「卒業」のベン役とは打って変わ り、ニューヨークの底辺を生きるイタリア系ホー ムレスを演じた。ヴォイト扮するジョーは一獲千 金を狙ってテキサスからニューヨークへ繰り出す が失敗し、ある日スラム街に住むラッツォという びっこの小男に出会い、共同生活を始める。二人の間に芽生える奇妙な友情。 しかしラッツォの身は病魔に侵されていた。ジョーは彼を連れてあこがれの 地フロリダを目指すもラッツォはその道中息絶える・・・ どん底の生活の中芽生える友情、またラストシーンでラッツォがみじめに死 んでいく姿には誰もが心を動かされるであろう。ニューシネマという位置づ けではありながらも友情の美しさや命のはかなさを物語る刹那的作品。 7 「ダーティー・ハリー」 1971年 Kobal/20THCENTURYFOX/T heKobalCollection/WireImage .com UnitedArtists/Photofest/ ゲッティイメージズ

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8 監督 リチャード・C・サラフィアン 主演 クリント・イーストウッド アンディー・ロビンソン 8 「スケアクロウ」 1973年 監督 ジェリー・シャッツバーグ 主演 ジーン・ハックマン アル・パチーノ 9 「ロング・グッドバイ」 1973年 MGM 監督 ロバート・アルトマン 主演 エリオット・グールド 解説 ミステリー作家レイモンド・チャンドラーの同名小説の映画化。内容は原作 と大きくかけ離れてはいるものの、チャンドラー作品の特徴であるハードボ イルドな感じは出ていたと思う。主役の探偵フィリップ・マーロウも現代風 にカスタマイズされていて面白かった。 10 「カッコーの巣の上で」 1975年 監督 ミロス・フォアマン 主演 ジャック・ニコルソン ルイーズ・フレッチャー

第2章 感想 まとめ

「アメリカン・ニュー・シネマ」は結果的に映画史のなかで大きな役割を果たした といえるだろう。ニューシネマがなければ現在もたらされている、映像表現の自由は なかったかもしれないし第一にその時代に生まれた素晴らしい映画群を目にすること もできなかっただろう。繰り返すようだがニューシネマは歴史的な役割を果たしただ けではなく、黄金期の作品にも負けず劣らず本当に見て面白いと思える映画なのだ。 個人的にニューシネマのベスト3を挙げると3位に「明日に向って撃て!」2位に「真 夜中のカーボーイ」1位に「卒業」が入るがその他の作品も負けず劣らずといったと ころだ。近年テレビの発達などにより映画業界は衰退しているような印象を受けるが それは単に人々の生活の変化だけが原因ではないだろう。個人的な意見では最近の映 画は映像技術にこだわるあまり、その内容や役者の演技が薄っぺらくなっているよう に思う。もちろん最近の映画であってもよい映画だと感じるものも多いが昔のように 内容で攻めてくる感じがなく何となく寂しい感じがするのも確かである。 少なくとも 何かをふと考えさせてくれるような作品は本当に珍しくなってしまったように感じる。 これは単に古い映画好きの私の偏見なのかもしれないがとにかく映画が衰退しつつあ る今、ふたたび映画界に黄金の時代を呼び起こすためにはやはりこのような「革命」 が必要であると思う。 私は幼いころから映画に深い関心があり、多くの映画を観賞してきた。だから今回

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9 このような形で映画について深く研究する機会に恵まれ、非常にうれしく思っている。 最近の若者は昔と比べ映画を見ないといわれるがこれは悪しき傾向だと思う。 若い人 間にとって人生について映画が教えてくれることは大きい。 映画は見るたびに人間と しての厚さを増してくれる。特にアメリカ映画黄金期からニューシネマが終わり、技 術革新の時代がやってくるまでの作品は見ておいて損はないと思う。こんな時代に昔 の映画を見たって何の役にも立たないと思われる方もいらっしゃるかもしれないがこ んな時代だからこそ昔のかつて「夢の国」とよばれたアメリカを見ておくべきではな いだろうか。あの時代のアメリカには現代が失ってしまった何かが、輝かしい何かが あったように思うのだ。 世の中には数々の芸術と呼ばれる表現形式が存在するが、映画はその中で最も新し い物であるといえるだろう。しかしほんの一世紀余りの間にこんな にも成長した映画 には大きなパワーが備わっている。映像の中に音楽や美術や文学的要素をもたらした 映画の持つ可能性は無限大であり、それは社会を変えることもできるのだ。

第3章 参考文献

映画史上ベスト200シリーズ 「アメリカ映画200」(キネマ旬報増刊) 「世界映画人名事典 監督(外国編)」(キネマ旬報増刊) 「MOVIE/BOX 映画がひらく夢の扉」(パオロ・メレゲッティ/SEIGENSHA) 「映像文学にみるアメリカ」(日本マラマッド協会) 世界の映画作家(キネマ旬報編集部) 23春の号 「ディレクターカンパニーの三人」 24夏の号 「アメリカンニューシネマの俊英たち」 33冬の号 「ルビッチュとワイルダーとアメリカ喜劇」 ブック・シネマテーク(フィルムアート社) 2 「ヒッチコックを読む やっぱりサスペンスの神様」 3 「銀幕のいけにえたち ハリウッド☆不滅のボディ&ソウル」

LIFE STORY「チャップリン アメリカと闘った天才道化師」(MEDIA FACTORY INK)

参照

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