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鐵心

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Academic year: 2021

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(1)
(2)

小川良平物語

(3)

丹精こめて作り上げた、カムグを手にしたとき、充実した気分 になります。

加工面を指先でゆっくり滑らしながら、面精度はどうか、研削 時のドレッシングは適正か、鉄の色、艶はどうか、など思いは尽 きません。小僧の時から鉄を扱ってきましたが、鉄の重み、輝き、

(4)

平成五年五月二十六日、株式会社三共製作所の創業者小川良平会長は逝去されました 。享 年七 十 三歳は、高齢 化の進む長寿国日本ではあまりにも早 く 、惜しまれる死であり ま し た 。 一世一代で今日の株式会社三共製作所を築き上げるまでの生涯は、まさに波乱万丈、 思 え ば 、 刻苦勉励、とても筆舌では言い表わせるものではありませんが、生前、故人の薫陶を受けました 私どもは、追慕の情やみ難きものがあり、追悼集 ﹃ 小川良平伝 ﹄の 刊行を企画致しました 。 生前、故人とご交誼をたまわりました多くの方々からお寄せ頂きました﹁小川良平 L の人とな り、不撰不屈の精神、仕事ひと筋の努力精進、加えて情細やかなエピソード等 々 を改めて思い知 らされる時、私どもは、故人が創業以来、常に時代を先取りし、革新性をも っ て追求してまいり その夢をさらに次の世代へ引き継いでいかなければならな ました企業理念、経営哲学を糧とし、 いとの思いを新たにしております。 この追悼集の刊行に際しましてご協力をたまわりました多くの方々に心からの感謝を申し上げ ますと共に、どうか生前故人にお寄せ頂きましたご厚情を、引き続き私ども株式会社三共製作所 にたまわりますようお願い申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。 株式会社 三 共製作所代表取締役社長

小川贋海

(5)

幼年の炎と汗

大震災 2 災 難 3 没 落 4 才能の発掘 6 丁稚奉公 8 父の死に誓う 機 械 狂 い ロ 自 立 日

戦争の影

終戦 国 亀田ナカとの出会い 見 合 い 加 1

1

0

15 18

(6)

新 婚 旅 行 幻 仕事への情熱 招集令状

M

夫 婦 の 紳 お

焼け野原

躍 動 す る 街 お 再会と 出 発 却 技 術 者 魂 担 焼け野原に建つ新築の家

新しい時代の菅

田 端 の 家 初 機 械 へ の 情 熱 犯 時 代 の 始 ま り 刊

死別の参道担

親 孝 行 犯 お 寺 参 り 叫 オレは鍛治屋さん n x u a n τ 23 27

五 、

母と車

4

6

33 35

(7)

経営者の資質 母アキの 他 界 50 49

機械の師匠

後 ろ 姿 で 導 く 人 弘 機 械 と 寝 た ら 日 高 品 質 の 土 壌 町 一流を目指して日 従業員思い臼 子 供 の 接 日 市 川 工 場 始 動 的

歯車の革命

通 電 加 工 の 開 発 侃 開 発 に 賭 け る 叩 ローラギヤカムの誕生

η

志士たちの羽ばたき

目 ざ ま し い 躍 進 河 インデックスドライブ登場花 インデックス事業の日の出初

(8)

カムの三北ハ但 海 外 へ の 雄 飛 幻 米 国 へ の 旅 立 ち 回 技 術 提 携 約

ユートピアの工場

品 質 こ そ 命 位 未 来 へ の 一 歩 幻 榛葉町長との出会い 良平失綜事件 奇抜なプラン 98 96 虹 に 包 ま れ 工 場 完 成 四 社 員 へ の 贈 り 物 山 静岡第二工場への挑戦 開拓精神 雨ふって地固まる 社 夢 長 に 胸 近 像 づ に く 託 110 109 す 山 精 神 心で語る

9

1

95 ρ ι H U A H H V 唱 E E A , n “ . l l

(9)

良平の片腕たち

良 き 片 腕 山 若 手 抜 擢 山 本多作 三 山 人 材 哲 学 問 若き営業マン山 手作り本社ビル

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社長交代

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値 切 り 上 手 間

仲良い橋

雨 の ち 虹 印 神 仏 へ の 崇 拝 悶 サマージャンボリー

m

心 の 花 火 凶 宮 城 進 出 回

者の死

金 婚 式 川 旅 行 好 き 問 n ,a l l

(10)

司~

幼舎の灸ヒ仔

遠い日の光の中で、 赤い炎の舌が街を焼き尽くしている ひとりの少年が廃境の中で、 焼け落ちる我が家を凝視している 恐怖に満ちた瞳をしっかりと聞き、 唇を噛み締めて炎を見つめている

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生前の小川良平が幼時を回想する時、大正一三年の関東大震災の恐怖を語るのが常だった。当 時、三歳だった良平にその時の記憶が明確に残っているはずがない。それにもかかわらず、良平 は地震の目撃者かのように、炎に呑まれていく街や逃げ惑う人々の姿を口にした。こういう一種、 神想り的な現象はおそらく、人生も半ばを過ぎて一定の社会的地位を得た人が、自分の歩んだ道 を振り返り、成功や失敗の原因をあれこれと詮索した結果、特に重要な事件に思い当たり、それ をあれこれと想像で補填して薄れた記憶を脚色することから生じるのだろう。小 川 た関東大震災はそれほど良平にとっては、重大な出来事だったのだ。 震度七の強震が関東地方を襲った時、父の勝右衛門は不在で、男手のない屋敷は火に包まれた。 家財道具ひとつ運び出せないまま、母のアキは子供たちをせきたてて安全な場所へ避難させた。 良平は崩れ落ちた門を出たところで、街のあちこちに火が上がっているのを見た。土塀や家が 倒れ、叫び声や泣き声が聞こえてくる。走ろうとした時、良平の足もとがまた揺れた。 ずっと後になって、良平はこれが歴史に残る関東大震災だったと知った。本所、深川一帯は特 に被害がひどく、小川家は完全に消失した。家財道具はもちろん、仏壇の位牌も衣服も残らなか っ た 。 そのうえ父の勝右衛門の営んでいた横川町のゴム工場も崩壊し、操業不可能になった。良平が 遭遇した最初の悲劇である。

(12)

幼年の炎と汗

勝右衛門は住み慣れた横川町には工場を再建せずに、荒川区日暮里に土地を購入して新しい住 居と工場を建築することにした。一から出直そうと考えたのだ。東都の復興が急ピッチで進む中、 日暮里の小川家も翌年には完成した。 不自由な仮住まいを続けてきた勝右衛門は一日も早く家族を新居に住まわせたかった。周囲の 人々は、寸彼岸を過ぎてから引っ越した方がいい﹂と忠告したが、思い立ったら実行に移す勝右衛 門は耳を貸さなかった。 引っ越しは三月一六日に行われた。陽光が降りそそぐにもかかわらず、春先の風が冷たい日で、 3 良平は荷車の上にちょこんと乗って揺られていた。子供心にも新しい家に落ち着けるのが嬉しか った。地震で崩壊した街に、次々と新しい家が建って行く様子に目を見張った。 新しい家に到着すると、良平は兄弟と一緒に屋敷の中をあちこちと歩いてみる。部屋の一つひ とつに足を踏み入れ、好奇心に満ちた視線を、畳から壁、天井へと移動させてみる。縁側に立つ。 門から荷物を運び入れている人夫たちが見える。台所からは女中たちの話声が聞こえてくる。震 災前の活気が小川家に戻っていた。 その夜、引っ越し祝いの宴会が庭に面した広間で聞かれた。良平たち兄弟が床に着いた後も、 大人たちは杯を交わしている。三味線の音色が意識の中で遠のいていき、良平はやがて眠りに落 ち た 。

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それからどのくらいの時聞が流れたのか良平は知らない。広聞からの叫び声に眠りを覚まされ た。異様な空気を直感して、良平が起き上がった時、襖が聞いて雇人が慌ただしく入ってきた。 閣の中に赤い舌のような炎が見える。すでに屋敷に火が移っている。 雇人は良平たち兄弟をせき立てた。煙がうねるように屋敷に充満する。勝右衛門が駆け込んで 来て両腕に良平と兄の信雄を抱えあげる。父の腕にすがって庭に降りる時、良平は母のアキが煙 の中に駆け込むのを見た。子供を庭に残し、勝右衛門もアキを追って引き返した。 良平は路地に立って、新築したばかりの家が焼け落ちる光景を見た。火の粉が夜空に舞い上が り、風に煽られた巨大な炎の反射が、放心した母親の顔を照らしていた。

没落

良平たち一家は引き払ったばかりの仮住まいに戻らざるを得なかった。勝右衛門は不機嫌にな り、徐々に酒浸りするようになった。二度目の災難にゴム工場の経営不振が追い打ちをかけ、暗 い未来しか見えなかった。家の没落は、勝右衛門に重くのしかかり、彼の精神ばかりか肉体をも 蝕んでいった。それでも工場を立て直そうと奔走したが、経営は一向に上向かず焦りばかりが募 っ た。こんな悪循環の繰り返しの中で、幼い良平は家の没落をおぽろげに理解した。 良平は両親の会話を盗み聞きすることがあ っ た 。 子供心にも小川家が遭遇している不幸を悲し

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幼年の炎と汗 んだ。すでに女中たちにも暇をだしていたので、台所から話し声 も聞こえない。 勝右衛門が腎臓病で床に就くことが多くなると、 一家を取り仕 切るのはアキだった。震災前は人力車に乗って社交界に出入りし て い た 婦 人 の 、 こんな境遇の変化は傍目にも痛々しい。 良平に当時の母親の姿がどんなふうに映っていたのか、証言は 残っていない。しかし、晩年にいたるまで異常なまでの愛情を母 親にもち続けたことから察すると、当時の良平にとって母親の存 在は計り知れないほどの大ききであったに違いない。勝右衛門に 代わ って、女手ひとつで 小川家を支えた裏には、誰にも語 られる ことなく埋もれてしまった苦労や悲しみがあった。そんな境遇を 敏感な良平少年が暗黙のうちに感じ取っていたとすれば、良平の 母親への慕情が形成された家庭の事情をおよそ推測することがで きる。不幸や失敗の中からはい上がり、新しいものに挑戦してい く良平の精神は、母親から受け継いだと言っても過言ではない。 また、他人を気遣って自分の怒りや悲しみを隠す性質も、母親か ら受け継いだものなのかも知れない。 ゴム工場を営む良平の生家 (前列右から三番目の子供が良平)

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才能発掘

その後、小 川 家はアキの親戚を頼って安い貸家に移り住むことになる。しかし、この家も良平 が尋常小学校を卒業する年に隣の映画館からの出火で全焼している。さすがのアキも一時は沈み こんで無口になりがちだった。憂欝な表情で考えごとをしている自分に気づき 、 意識的に子供た ちの前で温かみのある表情を表わすことが間々あった。良平たち兄弟にとっていま母親だけが、 唯一の希望の光だった。それはちょうど深い雪に立ち込められた北国の人々が、雲 現れる陽光を待ちわびる気持ちに似ている。 日暮里の貸家に移り住んでしばらくたった夜、勝右衛門は尋常高等小学校に入学したばかりの 良平を呼びつけた。良平は勝右衛門の血色の悪い顔を見ると、病気の父を改めて意識した。酒で 腎臓を悪くして仕事ができず、家庭を背負うアキの負担が重くなっていたが、﹁父親﹂という言葉 の 前 に 、 良平は全てを許せるような気がした。 父は息子の顔を覗き込んでいる。雨あがりの後の心地よい微風が、庭の木々の聞を擦り抜けて いく。青白い月あかりが父親のやつれた顔を照らす。 勝右衛門は良平に丁稚奉公の話を持ちかけた。 ﹁向島で機械工具を作っている工場がある。鍛冶屋だ L 丁稚奉公に出るとなると、学校を退学しなくてはな ら な い 。 小学校へ入学した時か ら 良平は勉強のできる生徒で、校長か ら も可愛がられていた

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幼年の炎と汗 優等生で中学まで進学しており、尋常高等小学校を卒業すれば自分も上級の学校へ進むつもりで いた。そんな時に父から突然に宣言された言葉だった。 寸お前、機械が好きなんだろう﹂ 勝右衛門は、機械関係の仕事なら良平も喜んで奉公するだろうという見通しがあったのだろう。 天災と人災の波の中で身も心も蝕まれていった勝右衛門も、良平の手先が器用だということは誰 よりも先に見抜いていた。我が子の能力を発見して、苦境の中でもそれを伸ばそうとした勝右衛 門の先見性も、驚くべきものがある。奉公なら職種を問わないという考えではなかった。あくま で良平の能力を見越した上での計算に基づいている。 こういう優れた先見性を、良平は父親から受け継いだ。実際、戦後になって三共製作所が成長 していく過程で、確実な計算と計画が会社経営の方針として打ち出されていくことになる。 良平は勝右衛門の申し出を承知した。当時の社会では父親の命令は絶対的な権限があったが、 奉公が苦痛というわけでもなかった。鍛冶匡で働けることが嬉しかった。 7 良平は機械類に異常な関心を示し、作動している機械を目にすると近づいて飽きずに何時まで も観察していることがよくあった。また、手先が器用で小万で竹トンボを作ったり、独楽を自分 で修理したりした。鍛冶屋の前を通りハンマーが鉄を打つ音が聞こえて来ると、足を止めて自分 もいつかは鍛冶屋になりたいと思うこともあった。 アキは良平に同情した。兄や姉と同じように上級の学校を卒業させてやりたいと思った。しか し、良平は一三歳で早くも一流の職人になるという人生の目標を設定したのであった。それが結

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果的にアキを助け、没落した家を立て直す道だと思った。 震災前の小 川 家の繁栄を、良平は祖母の口からよく聞かされたものだった。民話でも語るかの ように、祖母はよく人力車で街を走った昔のことを良平たち兄弟に話したので、貧乏な暮らしの 中でも良平は内 心 に誇りを秘めていた。アキのためにも真面目に奉公して、少しでも生活を助け たいと思った。

丁稚奉公

昭和八年、小 川 良平は東京向島で機械工具を作っていたエスエ

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工業という会社で働き始めて い ヲ h v

いわゆる鍛冶屋である。しかし、良平は身体が小さいので工場内に入れてもらえず、社長 夫婦の雑用に因された。鉄を打つ音を聞きながら、赤ん坊の子守りをしたり、ご飯の煮炊きをす ることもあった。 表の通りを同年代の生徒が通ると、良平は自分の境遇を意識したが、自分が不幸だとは思わな かった。これは良平の楽天的な一面が影響しているというよりも、鍛冶屋の仕事そのものに関心 があったからだ。鉄を打つ音を聞くたびに、良平は早く工場で仕事ができる身分になりたいと思 った。鉄の響が生き物の声のように聞こえ、生命が宿っているような予感すらした。人間と同じ ように鉄も生きていると考えると、良平は感激して、時折り工場に忍び込んで作業を盗み見た。

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幼年の炎と汗 奉公に出てからの良平は、両親はもとより兄弟と会う機会もめったになかった。 一度、丸の内 の全購連に勤めていた姉の花子が訪ねてきて、当時としては珍しかったアコーディオンを買って くれたことがあった 。 良平は音楽が大好きで、レコード鑑賞を趣味としていたし、ハーモニカを吹くのが得意だった。 音楽の中ではタンゴが最も好きだったから、 ア コ ー ディオンはうってつけの楽器だった。 手先の器用な良平は見ょうみまねで演奏を覚えると、暇を見つけては音色を楽しんだ。それが 唯一の娯楽といえば娯楽だ っ た 。 奉公先の夫婦はそんな良平を頼もしく思った。特に奥さんは良平のポケットにそっと小遣いを 忍ばせてくれることがたびたびあった。 9 良平は夕方になると工場の中に忍び込み、 工員たちのやっている作業を観察する。 それが日課 となる。もはやそれを告める者はいない。 こうして工場での仕事の仕方を盗み取るのが、良平の技術者への第一歩だった。この少年が、 戦後にな っ て 世界的なカム ・ メ ー カ ー を設立することになると予測した人はいない。もし、 そう いう予感を抱いていた人物があるとすれば、 おそらく勝右衛門一人だったに違いない。 戦後、良平が会社を設立した時、 工員に技術を教える方法として、作業を詳しく観察すること を工員たちに教えた。これはおそらく自らの体験を通して確信した、技術指導の原理ではないか と思われる。非常に原始的な方法だが、理にかなっている。 いずれにしても感受性の豊かな一三歳の少年がエスエ 1 工業で身につけたものは大きい。実践

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の中で技術を身につけていったことが、 その後の良平の人生に大きな影響を及ぽすことになる。

父親の死に誓う

丁稚奉公に休みなどというものはなく、唯一の楽しみといえば、盆と正月の里帰りだった。 盆休みで実家へ帰った時、父の勝右衛門は庭に面した部屋で横になっていた。衰えが急速に進ん で い た 。 開け放した縁側の戸から、微風が吹き込んできて風鈴を鳴 らす。良平が襖を開けて入って行く と、勝右衛門は仰向けになったまま両眼を良平に据えた。額に汗が棲んでいる。良平はどんなふ うに父に接すべきなのか 心の準備ができていない。 良平は畳の上にあぐらをかいて座り、勝右衛門を観察した。寝巻の解けた胸元から青白い胸が のぞいている。頬は落ち込み血色が悪い。 良平は奉公先の様子を父親に話して聞かせる。仕事に追われる日々は、機械が好きだとはいえ、 時には苦しいことや、休みたいこともあったが、良平は楽しそうに奉公生活を語るのだった。勝 右衛門の死期が近いことを直感すると、 どんな心配もかけるべきではないと思った。酒浸りで身 を持ち崩した勝右衛門だったが、良平は無条件に父親が恋しかった。 アキがお盆に砂糖水が入った湯呑み茶碗をひとつ乗せて入ってきた。

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幼年の炎と汗 ﹁こんなものしか無くて悪いねえ﹂ アキは湯呑み茶碗を良平へ手渡した。良平はそれを唇へ近づけた。甘みが舌に伝わる。嬉しき と悲しさが同時に込み上げた。良平は鳴咽をこらえる。 奉公に出たころアキが家計の中から、僅かな金をはたき、良平のために白いズボンを買ってく れたことがあった。良平はそれをはくのが惜しくて、柳ごうりの中に蔵っているうちに身体の方 が大きくなってはけなくなってしまった。両親の善意に対して、自分はまだなにひとつ思を返し ていない。早く一人前の職人になって両親に楽をさせたい。金を儲けて、大きな病院に勝右衛門 を入院させることが出来れば、少しでも寿命を延ばすことができる。良平の脳裏に勝右衛門の死 顔が想像される。悲しみが込み上げる。どんなに不機嫌な時でも、良平にだけは優しい父だった。 11 寸お父さん、今に会社を起こして見せますよ L 良平は肱いた。勝右衛門は目頭を押さえた。父親が泣く姿を見るのは良平には初めてだった。 死期が近いと良平は思った。 関東大震災のあと、相次ぐ災難や事業の不振などから心労が重なったのだろう。昭和一

O

年 一 一 月 六 日 、小川勝右衛門は五 二 才の若さで家族に看取られて息を引き取った 。

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機械狂い

幼児期の小川良平にとって、両親の存在は人並み以上に大きな意味をもっていた。困難に負け ずに時代を生きて行く力を母親から受け継ぎ、優れた先見性を父親から受け継いだと推測しても 恐らく大きな誤りはないだろう。どんな分野の第一人者であれ、幼児期の体験がその後の人生に 大きな影響力を与えていることは、万人が認める。良平に関しても幼児期に両親から受けた影響 の大きさは計り知れない。小川良平という人聞を分析すれば、今は亡き勝右衛門とアキの一面も おのずから空想できる。 戦後日本の産業界の階段を駆け登った人物の経歴はさまざまだが、幼時に十分な学校教育を受 けないまま、実社会の中で技術や経営哲学を学んだ人物は決して少なくない。貧しきゆえに学校 へ行けずに、奉公に出る。そこで技術と商才を磨き経済界のトップにまで躍り出る。こういう人々 は、貧しさを克服して他人を見返すことを目標に社会の荒波を乗り越えて来た場合が多いのだが、 小川良平の場合は全く当てはまらない 。 例外的な存在である 。 良平が死ぬまでか機械狂い。だったことはナカ夫人をはじめ、回りの人々が証言するところだ が、機械への異常な執着が鍛冶屋の奉公時代からすでに顕れていたと言われている。機械が好き だから後年に工場を起こしたのであって、他人を見返すことが目的ではなかった。もっとも世間 の思惑や評価を全く気にせずに機械だけに熱中したといえば、誇張になり人間としてかえって不 自然な感を催すかもしれないが、事業への情熱が機械への興味から発せられていたことは疑いな

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幼年の炎と汗 ぃ。良平にとって財産を蓄えることは、あくまで新しい機械を買うための資金稼ぎの意味合いが 大 き い 。

父親の死後は兄の金次が小川家の働き手として、母アキの面倒をみたのは勿論、弟の広司や妹 の真代を学校へ行かせた。金次は二男だったが、長男の森が生まれてすぐに亡くなっているため、 実質的には長男として育てられ、 一家の大黒柱であった。 13 エ ス エ

1

工業での良平は、最初のうちこそ子守りや飯炊きの雑用に過ぎなかったが、生来の器 用さに加えて 、 感のよさ、研究熱心さ、負けず嫌いの性格が幸いして、何年としないうちに、誰 にも負けないトップの技術者になっていた。 し か し 、 いつまでも人に使われている気持ちはなく、 いつかは父親のように立派な会社を作ろ うと考えていた。そこで、父の死を機会にエスエ

l

工業を辞める決意をした。 寸父の死後、兄たちが次々と出征してゴムの仕事を続ける人がいなくなりました。戦争に出た兄 に代わって自分がやらなければならないので辞めさせてください﹂ と 、 良平は社長に申し出た。 し か し 、 エ ス エ

1

工業では、今やトップ技術者に成長した良平に辞められては、会社が傾いて

(23)

しまうと危慎して、良平の退職願いを容易に認めてくれなかった。それでも良平は家の事情をよ

く説明し約五年間世話になったエスエ

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(24)

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司~

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お か あ さ ん 、 戦争が終わったら 今までだれもつくったことのない会社を 創立してみせます 社員が生きがいをもって働ける会社を ひとつの家族のような会社を

(25)

昭 和 二 二 年 、 一八歳の小川良平は奉公先の鍛冶屋を退職して、兄の政雄と一緒に小川製作所を

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工業を辞めた当初は兄がやっているゴム関係の仕事を手伝っていたが、機械 設 立 し た 。 が大好きな良平は、 どうしても機械関係の仕事をしたかった。そこで、ゴムの商売で儲けて大金 を手にしていた政雄に頼み、機械類を購入してもらった。機械の知識も経験もない政雄に会社の 代表にな ってもらい 、仕事そのものは良平が中心となり、国の軍需産業である航空部品を製造し た 。 その前の年に櫨溝橋事件が発生したのに続いて、日独伊防共協定、 そして国家総動員法の公布 など、日本は軍事色が日に日に濃くなり始めていた。そしてついに昭和一六年一二月八日、ラジ オは日本軍による真珠湾の奇襲攻撃を報じた。太平洋戦争に突入したのである。言論が統制され、 軍部が幅をきかすようになっていった。 小川製作所は国の軍 需品である航空部品を製造して景気の波にのり 、 二

O

人ぐらいの工員を使 うまでに成長した。当時、軍需産業の仕事をもらえることは名誉なことであった。 工員たちに機械の使い方、仕事の段取りを熱 指導した。しかし、仕事の売上金はそっくり社長の政雄に渡し、自分は小遣をもらう程度だった。 一

O

代の若さで体得したこの会社経営が、戦後に設立することになる三共製作所の飛躍的 良平はいつ自分が招集されてもいいように、 主 -A V 3 、 ナ h ' 刀 成長の土台になったに違いない。

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戦争の影 その上、何よりも機械と向き合えることが良平には嬉しか っ た 。 機械の音に浸 っ ていると、親 友と対話しているような気がした。自分をこの世界に誘ってくれた勝右衛門がすでにこの世には いないことだけが、悲しかった。 工場の中で機械の火花を目にすると、良平は死んだ父親が借家の庭で見せてくれた閣の中の花 火を思い出した。火花の柔らかな輝きが勝右衛門のやさしさに重複してくる。兄と一緒に設立し た 工 場 や 、 そこで働く従業員たちの姿を父に見せてやりたかった。 ある時、良平はアキと小川家の墓に参拝した。線香に火を点けて良平は墓前で合掌する。 ﹁ お 父 さ ん 、 やっと工場が軌道に乗りました﹂ 墓地からの帰り道は春の柔らかな日差しが降り注いでいた。二人は公園の中に入り頭上に張り 17 出した桜並木の下を歩いて行く。風が吹くと緑の枝葉が触れ合い、雪のように桜が散った。 ﹁おかあさん、この道はお父さんとよく来ましたよ L 良平はアキをうかがう 。 それから故意に歩みを遅らせて、前を行くアキの背中を眺めた。肩が 以前に比べて一回り小さくなったような気がした。前方から陸軍の軍帽をかぶった男性と着物姿 の女性が、春の景色を楽しむかのようにゆっくりした歩みで近づいて来て、良平たちとすれ違つ た。夫が出征していく前に入籍する男女は戦況が悪化するにつれて増えていた。 蝶のように花の舞う中を遠ざかって行く男女の姿を良平は振り返った。春の華やいだ光景をこ の世でふたたび見ることはないかも知れない。戦争による死の予感が良平を襲う。桜の花道を歩 む今の瞬間が光を放って燃えている花火だとすれば、 一寸先は死という暗い測が待っているかも

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しれない。やる瀬なさが良平の胸に込みあげた。軌道に乗ったばかりの工場や機械の音が心に蘇 っ て く る 。 ﹁おかあさん、戦争が終わったら、今までだれもつくったことのない会社を創立してみたいよ。 社員が生きがいをもてる会社を。だって、楽しい生活をするためにみんな働くのだろ。会社をひ とつの家族のようにしてみんなで助け合っていけば、 き っ とそんな会社が出来ると思う﹂ アキは不意に足を止めた。それからぽつりと良平に言った。 ﹁ そ の 斗 別 に 、 お前もそろそろ嫁を貰わなくてはいげないなあ﹂ 良平は顔を赤らめる。良平にとって女性とは遠くから眺める近寄りがたい存在だ 寸 結 婚 し て も 、 オレが戦死したら嫁さんが可哀想だろう L ﹁死ぬなんて考える奴がいるか。人間、 どんな時にも生きぬくんだよ。逆境を生き抜けないよう では、会社経営も出来ないだろ L 良平とアキの頭と肩に桜の花びらが降りかかった。

亀田ナカとの出会い

アキは良平の嫁探しに取り掛か っ た 。 アキは日暮里の貸家に住んでいたのだが、

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戦争の影 田家の祖母と懇意にしており、神社やお寺参りに誘いあって出掛ける仲だった。その山田家に亀 田ナカという親類の娘がいて家事を手伝っていた。 ナカは気立てのよい働き者で、山田家の人々に気に入られていた。 アキもまたナカのことを気 に 入 り 、 ﹁こういう娘さんが良平の嫁に来てくれたら﹂ と、考えていた。 ナカは良平より一年早い大正八年三月二

O

日 、 八人兄妹の長女として生まれた。父親は市川駅 近くで風呂桶の商売をしたが、事業に失敗して市川 ・ 国府台に移り住んだ。 ナカは二二歳で船橋の議員宅に奉公に出たが、二年後に父方の親類の山田家から懇願され、日 19 暮里の山田家に移った。山田家は日暮里に家作を所有し、大家として裕福な生活を送っていた。 その貸家の一軒に没落した小川一家が住んでいた。山田家のおばあちゃんという人がなかなか厳 し い 人 で 、 ナカはこの人のもとで行儀作法から料理、裁縫などを仕込まれた。 一種の花嫁修業だ った。ナカはこのおばあちゃんによく 仕えたから気に入られたのも当然で、山田家の子供たちか らも﹁大きいおねえちゃん﹂と呼ばれて慕われていた。

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見合い

良平はこのナカと見合いをする手筈となった。しかし、良平は当日になって見合い場所に定めら れた料亭へ姿を見せなかった。アキは慌てた。破談にならないように先方に対して感動叫に謝罪した。 アキが戸惑っているころ、良平は工場で機械と向き合って作業に没頭していた。日本軍の東南 アジアへの進撃が続く状況下で、良平の軍需工場はますます忙しくなっていた。人並みに結婚し たい気持ちも心のどこかに潜んでいたが、良平の生きがいは工場の中で油にまみれ、機械の音が 響く中で働くことだった。 良平にとって縁談は厄介な荷物だった。工場こそ良平の青春だった。それ以外のなにもいらな 、 A 、 ノ ' - カ て 大 良平が結婚を重荷に感じた原因として推測できるもうひとつの要素として、心のどこかに戦争 という暗い時代が蔭を落としていたのではないかと思われる。幼時から人一倍に他人の気持ちを 思いやる性質を身につけていた良平にとって、自分の死が親しい人々に与える悲しみを思うと、 軽々しく結婚に踏み切る気持ちにもなれなかったのだろう。 着物姿のアキが工場に入って来たのに気づいて、良平は機械の前を離れた。手が油で真っ黒に 汚れている。アキは工員たちの前にもかかわらず、見合いをすっぽかした良平を激しくなじった。 アキがこれほど激怒した姿を良平は見たことがなかった。言い訳が喉につかえた。良平は初め てアキが心から良平の結婚を希望していることを知った 。 自分が結婚しないことによってアキが

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戦争の影 悲しむという考えを捨てよう 。 これ以上、縁談を断るとアキを苦しめることになる 。 家族をもっ ことで自らを、戦死できない境遇に追い詰める勇気も必要ではないか. 。 良平は結婚を決意した 。

新婚旅行

良平とナカの結婚式は、昭和一八年三月二五日に鴬谷の料亭で身内の者だけで行われた。﹁欲し がりません、勝つまでは L をスローガンとした戦時下で賛沢は許されなかった。 21 それでも、華やいだ宴会の後、良平は新婦とともに伊東温泉へ二泊の新婚旅行へ旅立った。戦 争中のことで、汽車の切符を手に入れるのが大変で、知り合いに頼んでやっと入手するありさま だった。この日は良平の二三回目の誕生日でもあった。 東京駅で友人、知人に祝福され派手に見送られて新婚の旅へという時代ではなかった。むしろ、 新婚夫婦と見えることさえはばかられるような雰囲気の中での旅立ちだった。 一三歳で奉公に 出て以来、仕事ひと筋に 暮らしてきた良平は、女性とのつきあいは全く経験し ていなかったから、東海道線の車中でもナカと口をきくことはほとんどなかった。 長いながい道中だった。退屈したナカは、 口にこそ出さなかったが、

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﹁なんてつまらない新婚旅行だろう﹂ と 、 思 っ た 。 伊東の旅館についてからも新婚らしさはなかった。釣りの好きな良平は、 ナカを連れて釣り舟 を頼んで沖へ出たが、海も船も体験したことのなかったナカは船酔いに襲われて苦しんだ。 良平といえば、こんな新婦の苦しさも知らぬ気で釣りに熱中している。ナカにとっては惨々た る新婚旅行だった。 二人の結婚が見合いから一年も延びたのは、良平が重い肺炎を患ったからだった。連日の膨大 な量の仕事が良平の身体を蝕んだのだ。 微熱と頭痛をこらえて工場に出る日々が重なった後、良平は激しい目肱と高熱を訴え病床につ いた。肺炎による高熱は何日も続いた。 アキは薬草を煎じて良平の枕もとへ運んだ。意識が腰膿 として、夢の世界を佑僅っているような錯覚に陥った。良平は夢の中で機械の音を聞き、機械を 操 作 し た 。 ある時、良平は眠りから覚めて、何気なく開け放した襖の向こう側に視線を向けた。仏壇に向 かつて祈っているアキの後ろ姿があった。その時、時計が午後の四時をつげた。 アキが念悌を唱 えている声が聞こえる。良平の目頭が熱くなった。どんなことがあっても病気に勝って生き抜こ う と 思 っ た 。

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戦争の影

仕事への情熱

新婚当時を振り返ってナカ夫人は回想する。 ﹁自分の方が一つ上だから結婚はだめだと考えたこともありましたげれど、主人の兄と母に勧め られ﹃どうしても私を息子の嫁に﹄と言われて結婚しました。主人はまだ若かったし、結婚する 気はなかったようです。 ですから押しかけ女房みたいな感じで。しかし、後になって ﹃ グ チや不 平一つこぽさず、僕について来てくれた 。 本当に感謝している ﹄ なんて言ってましたが。見合い してから一年間、顔を見ていなかったので、結婚式の時はどの人が自分の旦那さんになる人か分 かりませんでした。また、新婚生活といっても特別になにも変わったこともありませんでした。 23 主人は仕事ばかりで話もろくにしませんでしたから﹂ 感情を内に秘めるのが男の美徳とされた時代だから、新婦に対する良平の態度を取り立てて言 うには値しない。それにも拘わらず 、 ナカ夫人は良平の仕事への情熱を﹁異常な熱中﹂という言 葉で形容する。夫婦の会話がなかったというのも、 ひとつには裏を返せば良平が工場で一日の大 部分を過ごし、家を寝ぐら以上には考えなかったからである。それほど良平は仕事に精力を傾け ご内 J J -

+ J 月眠中/

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招集令状

結婚四カ月後に小川良平のもとに赤紙が舞い込んだ。覚悟していたとはいえ短い新婚生活だっ た。ラジオから流れるニュースは日本軍の進撃と敵地の陥落を報じるものばかりだったが、東京 にたびたび空襲警報が出されるようになった。正確な戦況は把握のしょうもなく、人々は不安に 陥 っ て い た 。 アキが招集令状が来たことを工場の良平に伝えた。良平はすぐに帰宅して慌ただしく出征の準 備に取り掛かったが、不安は隠せなかった。入隊するまでの数日間に、良平が何を考えたのかを 示す記録も知人の証言も残っていないが、 工場に全身全霊を捧げてきた人聞が自分の死を覚悟し た時に施す処置はおよそ見当がつく。 良平は後に残る兄や従業員に祈る気持ちで工場を託した。空襲で工場が焼けないことを願った。 工場が現存して平和な時代が来れば、 また工場は成長を続けるだろう。それまで良平は生き延び なければならない。 空襲警報が鳴り始めた。良平は通りに立って西の空を仰ぐ。かすかな残光が閣の中に血を流し たように惨んでいる。空襲警報には馴れていたので、避難する人影も見当たらない。消灯により

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戦争の影 暗闇と化した路地に立って上空を仰ぐと、爆撃機の編隊の代わりに星の群れが見えた。

夫婦の紳

七月一五日、良平は身内の者や近所の人々に付き添われて招集兵の集合場所に指定された炎天 下の東京駅前の広場に向かった。しかし、 どこに配属されるのかは秘密でだれも知らない。丸ピ ル前の広場は出征兵士と、 それを見送る人々でごった返していた。集合がかかると良平は笑みを 湛えてアキやナカたちに別れを告げた。 良平がまず配属されたのは、横浜の海兵団であった。ここで一週間滞在してから、本格的な新 兵教育を受げるために次の任地へ移動することになった。 25 この情報を聞きつけたナカは兄嫁と一緒に東京駅に駆けつけた。たくさんの兵士が集合してい たが良平がどこにいるのかは見当すらつかない。ナカは人をかき分け必死の思いで良平の姿を探 し 始 め た 。 駅のホ

l

ムを国民服に身を包んだ一団が行進してきた。それは見送る人々に﹁死への行進 L を 連想させる重苦しきが漂っていた。どの顔も一様に若く、 一様に強ばっている。その中にナカは 良平の顔を探そうとした。視線を慌ただしく移動させていると、ナカの目に良平の姿が飛び込ん できた。他の出征兵士と同様に良平の顔も緊張で青白くなり、しっかりと唇を結んでいる。

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﹁これが最後の別れになるかも知れない L と、ナカは思った。今まで特別に感じなかった夫婦の紳が意識される。 ナカは人込みをかき分けて前へ出ると、良平に手を差し出した。良平もナカに気づいた。唇が 動 き か け て 、 また堅く結ぼれた。良平はそっと右手を差し出す。機械を扱ってきた良平の手の握 力がナカに伝わる。二人は堅く手と手を握り締め、無言のまま別れを告げた。 ナカの頬を涙が伝った。手の平で涙を拭ぐった後から、 また涙があふれで遠ざかっていく新兵 の一団が穆んで見えた。希望も喜びも良平と一緒に彼方へ去っていくような気がした。

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娩け好

4 a

閣の彼方から光がさしてきた その光はまだ淡い 廃虚の中で男たちが立ち尽くしている 生きている喜びを噛み締めながら 瓦醸の下から新生日本が発芽しようとしていた まもなく夜明が近づいていた

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躍動する街

昭和二

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年八月一五日、 日本の全面降伏で第二次世界大戦は終結した。真夏の太陽のもと、荒 廃した街角の土壌から、新生日本が発芽しようとしていた。近代日本を動かしていく男たちの時 代が近づいていた。 東京は焼け野原と化していた。三重の海軍鈴鹿航空隊で終戦を迎えた小川良平は、鮪詰めの夜 行列車に乗って東京へ復員する途上だった。閣が乳色の朝日に溶け始めると、良平の視線は客車 の窓の外に広がる荒廃した光景に釘づけになる。見知らぬ国の荒野の中を縦断しているような錯 覚にとらわれる。もしや自分は既に死後の世界の住人となっているのではないだろうか。が、焼 け残った電柱、煤けたブロック塀や橋の欄干などが在りし日の東京の街の面影をとどめている。 良平は、列車の通路にうずくまったり寝そべったりしている疎開帰りの人々や、復員兵を見回 した。話し声は聞こえない。車輪の規則正しい音が良平の鼓膜に響いている。 もう一度、窓の外に視線を向けたとき、良平は廃櫨と化した街にリヤカーを引いていく男と、 それを後ろから押していく少年の影を認めた。それは輝き始めたばかりの陽光に照らされて映画 の一酌のように見えた。 ﹁もう街が動いているぞ L 良平の目に涙が溢れてくる。鼻を畷り、節くれだった指で目頭を押さえる。それから再び、親 子の人影を追ったが焼け残りのビルに遮ぎられて見えなくなった。その代わり他界した父親の姿

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焼け野原 が、良平の脳裏に廃壇を背によみがえった。 新橋駅に到着すると良平は、駅前に幾つもはられたテントやバラックに群がって、湯気の中で 豚汁を畷っている復員兵たちの群れを抜けて歩き始めた。日暮里の実家が空襲で焼けたことや、 小川家の人々が茨城県筑波郡谷和原村に疎開していることは、 ナカが手紙で知らせていたが、良 平の足は自然に東京の焼け野原に向かった。これから自分が登場する舞台の姿をしっかりと記憶 しておこうと思った。

再会と出発

29 良平はアキの実家に帰りっき、 そこからアキたちの疎開先へ向かった。 軍服にゲートルを巻いた良平が茨城県の疎開先の借家に姿を見せた時、庭先でアキは洗濯物を 竹の竿に干していた。顎に髭が伸び日焼けしていたのでアキは一瞬、通りがかりの浮浪者が田舎 の一軒家に立ち寄ったのかと思った。良平は予想外に元気そうな母親の顔に視線を据える。アキ の口元が微かに引きつる。良平は懐かしい声が自分の名前を呼ぶのを聞いた。波紋のように復員 兵士の顔に笑みが広がった。良平らしい静かな再会だった。 兄弟たちが次々に復員してきて疎開先の借家は大世帯となっていた。借家といっても蚕小屋を 改造したもので、畳すらない。母のアキや兄の政雄、勇たち三、四人が一階、良平の家族三人は

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二階で寝泊まりした。二階には昇り降りする階段も普通のはしごで 、 しかも暗いランプしかなく 足を踏み外して転落しそうになることもしばしばだった。 ナカはアキや義理の妹の真代と 力 を合わ せ て炊事や洗濯の家事に追われた。大世帯なので 料を調達するにも洗濯をするにも女たちの苦労は大変だった。米が不足していたので まいもを主食代わりにする。水が悪いので衣服を洗っても黄色く変色してしまう。 ん洗った洗濯物を入れた簡をもって、近くの 川 まで濯ぎに行かなくてはならなかった。 家族との再会の興奮がさめると、良平は再び東京の焼け野原へ戻っていった。孤児の姿がやた らと自についた。米兵に腕をからませている女を見るたびに、良平は人間の浅ましきを痛感した。 い時代が波のように 押 し寄せてくるに違いない。 ついこの間まで悪魔と思われていた米国人と腕を組んで歩いている。これから予想もしない新し 焼け跡に立てられたバラック小屋で豚汁を畷ってから良平は歩 き始めた。何か商売になりそうなものを探す必要があった。 新橋の闇市に足を運ぶと、壊まみれのテントやバラック小屋が あちこちに建てられ、商人たちの声が響いている。復員兵や大き な荷物を背負った行商人たちが行き交っている道路の傍らに立つ て、良平は彼らの表情を注意してみる。どの顔も一様に険しい。 獣のような目だ。すると自分の顔も 他 人からすれば険しく見える のではないかという気がしてくる。

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焼け野原 良平は小川製作所 の 工場があ っ た場所に行 っ てみたが完全に焼け落ちていた 。 機械はそのまま の形をとどめていたがすでに使いものにはな ら ない。良平は焼け跡に立 っ て四方を見渡す 。 す で に空襲から何カ月もの月日が経過しているのに、未だに煙りがあたりに立ち込めているような気 がした 。

技術者魂

戦後に全盛を極めた闇屋はリスクを伴う商売である。それだけに巧に 警 察の監視の目をかわせ ば大きな利益を得ることが出来る。 31 一種の賭けである。この賭けに勝って成り上がった人物の数 は多いが、良平の人生哲学は基本的には賭けでは芯くて、確実な計算に基づいていた 。 それは商 人と技術者の性質の違いともいえる。良平は一貫した技術者であ っ た 。 小 川 良平が戦後はじめて製造販売した製品、 キセルのアイデアは、新橋の闇市の人込みの中で 寸モク拾い﹂をしている老人の姿を見た時に思いついたと言われている。﹁モク拾い﹂とは長い棒 の先に釘をつけ、煙草の吸い殻を拾い集めて歩くことをいう。吸い殻をばらし、煙草の葉つばを インデアンペ

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パで巻いて吸う当時の流行に、良平は目をつけたのである。 東京中を歩き回って改造出来そうな工作機械を入手すると、良平は東京から茨城の疎開先へ運 び、自転車で五 、 六分の所にある藍染屋の離れに設置した。もともと手先が非常に器用で、機械

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が好きだったから、 いろんな形のキセルや雁首や吸い口を作り出した。 良平が作ったキセルは予想どおり飛ぶように売れた。ナカが作ったおにぎりを持つと自転車で 売りに出掛ける。取引の可能性があると列車で遠くまで行商に出る。しかし、 キセル屋になるつ も り は な く 、 キセルは家を再興する計画を実現するための資金かせぎだった。街から街を歩きな がらも、良平の頭は機械関係の仕事への夢に溢れていた。 ある日、上空に雲が広がり、午後から白いものが舞い始め、 やがて吹雪になった。キセルを売 り終えた良平は自転車を押しながら、雪に覆われた田舎道を我が家の方へ進んでいく。顔に吹き 付ける寒風にもかかわらず目が熱を帯びてほてる。唾を飲み込むと喉が痛んだ。遠くが霧で閉ざ されたように煙っていて、上空で風が舞う音が時々笛のように鳴っている。こんな激しい吹雪に 遭遇したことはなかった。良平は路傍の松の木の影で立ち止まり息をつく。それから再び歩き始 める。良平が家路につくころには道が雪で覆われ、全くわからなくなってしまった。田舎のこと だから目印になるようなものもない。良平は家族の待つ我が家を死にもの狂いになって探したが 見つからない。体は寒さで凍えてくるし、疲れてくる。気があせるばかりで何時間も雪の中を初 僅 っ た 。 ようやく家にたどり着いた時、良平はぐったりして布団に横たわった。まもなく規則正しい寝 息をたて始める。 ナカは夫の寝顔を見つめていたが、指で目頭を押さえた。 翌日は雪も止んで雲の切れ目から晴れ聞が広がった。良平が行商の支度に取りかかると、 が心配してもう一日、床で休むようにさとした。良平は顔に笑みを浮かべると、

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焼け野原 ﹁ 心 配 す る な ﹂ と 、 言 っ て 、 ぬかるんだ道路に自転車を乗り入れた。ナカの視界から外れると、良平は喉に絡 んだ疾を道端の雪の上に吐き捨てた。と、赤いものが雪の上に一点散った。良平は以前に重症の 肺炎を患い死線を訪僅った時のことを思いだす。家に引き返そうかと思ったが、 ナカの気遣いを 思うと可哀想になった。それに取引先にどうしても配達しなければならないキセルがあった。売 り込み先との信頼関係は失いたくない。良平は再び自転車のペダルを踏み始める。冬の風が熱を 帯びた顔にかえって心地好かった。 33

焼け野原に建つ新築の家

働きずくめの生活の中で良平たちにとって唯一の楽しみは、蓄音機で浪花節を聞くことだっ た。何の娯楽もない時代だった。近所の人が集まってくると、 レコードを掛けて話し込んだりし た。そんな時、良平は明るい気持ちになった。これから少しずつ未来が開けてくるような気がし た 。 良平はお金が少したまると材木屋で柱や板を少しずつ買い求めた。そして、家一軒分の建材が 集まる と 、 すぐに兄 ・ 信雄の義父、大工の志村さんに、農家の庭先を借りて材木を刻んでもらっ た。あとは、組み立てればいい状態にしてもらったのだ。その建材を田端へ運び、木造平屋の一

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戸建てを作ったわけだが、組み立てるだけだからトントン拍子に進み、昭和二二年三月二三日に

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~ID

僕に青春と呼べるものがあるとすれば 機械しかないだろう それは僕にとって何よりも大切なもの だって、それは世界を変革していく武器だから だって、それは無限の可能性を秘めた頭脳だから だって 、 それは僕を導く師匠だから

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田端の家

昭和二二年三月一七日、 ナカは実家で長男 ・ 贋海を出産した。良平は男の子の父親となった。 出産の日が近づくにつれて、良平は新居の完成を急いだ。我が子とともに新たな一歩を踏みだ そうとひそかに考えていたのであった。 親のありがた味を十分に感じとって育った良平である。 かつて自分が与えてもらった愛情を、 今度は自分が与える番だと考えても不思議はない。 十分な金がなかったので、 田端の家の屋根はベニア板より薄いキョウギを張り合わせただけの 簡単なものだった。疎開先からわずかばかりの家財道具を運び、 ささやかな酒盛りを身内で開い て、新しい家の門出を祝った。良平は一刻もはやくアキの実家からナカと贋海を呼び寄せたかっ た 。 その年は、台風の当たり年で、葺きかえても葺きかえても台風のたびに屋根が飛んでしまった。 たまりかねた良平は瓦屋に頼み、毎月の月賦で瓦屋根に葺きかえてもらった。 田端に落ち着くと良平は家の片隅に二坪程の仕事場を設けた。兄の金次は、 ひと足先に疎開先 タイヤ売買の仕事が成功して有り余る程の金を手にしていた。引き出しに はあふれるほどの札束が詰まっていて、﹁ネズミが札束を引いて行く L とさえ言われた。 良平は新しい事業を始めるための資金を貸してもらえないかと、金次に相談を持ちかけた。し から日暮里にもどり、 かし、インフレが急に進んでおり、金がすべての世の中だ っ た か ら 、兄弟とはいえ金次は﹁うん﹂

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新しい時代の膏 とは言わなかった。 打ちのめされた気持ちで金次の家を後にして、良平はあてもなく街を歩く。兄だけは自分の味 方になってくれると思っていた。が、冷静に考えれば、兄も自分の家族を養い生きることで精一 杯なのだ。自分が兄と逆の立場になればやはり同じ態度を取るかも知れない。人に頼ろうとする 自分が悪いのかも知れない。 良平は重苦しい気持ちで歩いていく。公園の中に入ると、雑巾のようにぼろぼろになった国民 服を身にまとった裸足の孤児たちがたむろしていた。 どの顔も頬が落ち込み、視線だけが異常に光ってみえる。親が戦死した子供だと考えると、良 平は同情した。列車で復員した時、窓から眺めた明け方の廃櫨の街を前に、 心 に 誓った再生への 決意が崩れそうになっている。機械の歯車が回転しながら自分から遠のいていくような気がする。 37 それが何よりも苦痛だった。 すると、今度は勝右衛門の顔が良平の脳裏に現れた。小学校へ入学する前、 たしか良平はこの 同じ公園を父親の肩に乗せてもら って散歩したことがあった。その時、母や兄弟が一緒だったか どうか記憶はないが、父親は奮を膨らまして開花の準備をしている頭上の桜を見上げて、 ﹁ 良 平 よ 、春になると 曹が開いてこのあたり一帯が花で埋まるんだよ﹂ と、咳いたことがあった。 良平は公園を出る。自分で事業の資金を作ろうと思った。決心が固まると、良平はゴム商売に 精通している仲の良い兄、信雄からゴム関係の仕事を教えてもらい、商売のやりかたを学んだ。

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信雄は自転車のタイヤを仕入れて裁断し、 それを底にした雪駄作りの作業方法や、商売の仕方 それに現監査役の亀田利雄の三人で取り掛 ナ カ 、 を良平に教えてくれた 。 この事業には、良平、 か っ て い る 。 良平が古タイヤを仕入れ、 それをナカが四斗樽で洗って乾す。良いタイヤと悪いタイヤを仕分 けてから半分に切る。それから、小判型のプレスで型を抜き裁断する。古タイヤでも切った時に 丸くなったままのものと、帯状になるものとがあり、輪になっているものは特別な釘を打ち付け て、値段の安い雪駄の底に使った。帯状のものは高級な雪駄の底に使った。 作業は毎日のように深夜の一一時や二一時にまで及び、翌朝目を覚ますと良平は製品を自転車 に積み、朝食もとらずに浅草の花 川 町や金町まで売りに行くのが日課だった。 ﹁お母さん、儲かったよ﹂ と、言って、良平は帰宅してから朝食を取り、休む暇もなく弁当を持って古タイヤの買い出し に出掛ける。多いときには自転車に積み切れないほど仕入れて帰って来た。そんな毎日が続いた。 休日はなかった。

機械への情熱

ナカ夫人は当時を回想する。

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新しい時代の奮 「それこそ馬車馬のように働きましたよ。今の人がいう 『 大変 』 とは意味が違った。 その内容が 比べものにならない。自宅と仕事場が一緒だったから食事をしていながら頭の中は仕事、仕事。 ゆっくりしているのがもったいなくて、何かしていないと気がすまないといった状態でした」 ナカ夫人によれば良平をこれほど仕事に駆り立てたものは、機械への熱い情熱だった。どんな に身を擦り減らして働いても、良平の場合 、 金儲けそのものが目的ではなかった。 工場を再建し て技術者として生きるための資金作りが目的だった。金持ちになることに無関心でありながら、 死に物狂いで働いた背景には、良平の機械への思いがいかに強烈だったかを物語っている。苦し くなると機械のことを考え自分を励ました。こんな良平の生き方に、 ナカは言葉では表現できな い感動を覚えていた。ナカは仕事の事に関しては、良平をただ黙って見守る以外になすすべを知 らなかった。身体を壊すのではないかと気遣って忠告しても、 39 それを聞き入れる良平ではなかっ た。 もちろん、機械への思い以外に、長男の誕生が良平の心の支えになっていたことも否定できな 玉、、 ao しカ 今日では技術者はスポンサ ー を探して製品開発に取り組む場合が多い。当時の学歴のない技術 者は研究 ・ 開発の資金を自分で稼ぎ出す以外に方法はなかった。もし、小川良平が母親アキにみ られるような困難に打ち勝つ力を身につけていなければ 、 厳しい仕事の中で夢を捨てて平凡な老 人として一生を終えていたかも知れない。

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時代の始まり

戦後の混乱期もようやく落ち着きはじめていた。闇屋が衰えをみせはじめ東京の街に落ち着き が戻ってきた。物が不足していたのでどんな品物でもよく売れ、良平の商売は順調だった。 資金ができるにつれて、良平の内部に工場再建への希望が膨らんでいった。 ある日、行商の帰りに、良平は列車の窓から見える街並みの向こう側に筆えている煙突から、 煙りが太い一本の帯びになって曇り空に昇っていく光景に遭遇した。知らないうちに鉄筋コンク リートの建物がそ こかしこに建っている。終戦直後の焼け野原の東京を思い出して、良平は時 の推移の早さを痛感する。目前の街が荒野の中に生えて来た茸の群れのような気がした。それか らキセルや雪駄作りに 明け 暮れた日々を振り返る。 ﹁新しい時代へ打って出る潮時だ L 良平は焦りに似た感情に襲われた。これからの時代には新しい機械が次々に生み出されてくる に違いない。可能性は無限に広がっている。新しい時代は新しい機械を必要とするだろう。それ によって人々の生活も飛躍的に豊かになるだろう。 良平は新たな意欲が沸き上がるのを感じた。

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え初の多送

良平は脚に力を入れる。立ち上がりかけて、アキの身の軽さに驚 いた。まるで赤ん坊をおんぶするかのように何の抵抗もなく両足 で立った。悲しみが突き上げた。良平はアキに背負われてお寺参 りをした遠い幼い日を、母の着物の香といっしょに思い出した。 石段を上り始めると涙が溢れた。

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親孝行

昭和二五年七月、良平は母のアキが兄 ・ 勇の家で倒れたという知らせを受けて、仕事場から作 業服のまま駆けつげた。医者の高杉はすでに帰った後で、アキは奥の間で床に着いて寝息を立て ていた。敏だらけの顔が蒼白に変貌し、良平は母親が死線を訪僅っていることを知った。 脳卒中であった。 良平は高杉医院を訪ねると、詳しくアキの病状を聞き出し毎日二回、往診してくれるように懇 願した。それからアキを自分の家に連れ戻したいと相談した。 ﹁今は動かしてはいけません。安静が第一ですし 良平は高杉医師から今後の治療の方針を聞いてから、医院を後にする。工場へ戻るとタイヤを 洗っていた亀田が、 アキの急病を知ったナカが勇の家へ駆げつけたことを知らせてくれた。 良平はナカが義母のことを実母のように心配してくれていることが嬉しかった。本格的に会社 を設立する計画を温め始めていたので、良平の心は重苦しかったに違いない。 良平は不安を隠そうとしたが、敏感なナカは夫の内心を感じとった。ナカにしてみれば、 を出来る限り看護することが良平への最大の力添えであると思った。 当時の良平の母親への愛情についてナカ夫人は、 ﹁本当にお母さんを大事にする人でした。米すら十分に手に入らなかった時代でも、お母さんの 食膳には必ず白米が上がりました。お母さんの死後も、生前の思い出にふけるだけで涙を流すほ

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死別の参道 どでした L あ ん た ん 最愛の母が倒れた時の良平の気持ちは、暗漕としていたに違いない。 小川良平が生涯に渡ってアキに慕情を抱き続けた背景には、幼児期の不幸な生活の中で、母親 の存在が唯一の希望の光として映っていたことに原因していることはすでに述べたが、 アキの闘 病中に、もしナカの援助がなければ、仕事も手に付かなかったのではないかと思われる。 アキがようやく体を動かせるようになると、良平はアキを田端の家に引き取った。良平は、表 通りに面した家の中の一番明るい部屋を母にあてがった。転がり落ちそうになるくらい厚く綿の 入った布団に、母を寝起きさせた。 クーラーの無かった時代である。医者から扇風機の風は病人に良くないと言われると、暑い夏 43 の日に良平は氷を買いに行き、 たらい桶の中に氷柱を立て、母の枕元に置いた。 良平は妻と一緒に母アキを風呂に入れ、動かなくなった足や握ったままになっている手の指を 一本いっぽん広げて洗った。生活が苦しく、現在のように飽食の時代ではなかった。初物、珍し いものが手に入ると、良平は必ず最初にアキに食べてもらった。着る物もまず第一にアキに新し い物を買って着せて、 子供や妻はそれからというのが良平の考えであった。 また、自分の三人の子供に与えるのと同じように、良平は母アキにもおやつを半紙にくるんで 渡すようにしていた。 アキはそのおやつを自分が座っている座布団の下に入れては食べた。 ﹁おばあちゃんは三人の子供におやつを盗られないように、 いい所に隠しているなあ﹂ 良平は座布団の下からペチャンコになったキャラメルや、あんこのはみ出たドラヤキ、形をと

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どめないミカンなどを見つけては優しいまなざしで母を見るのであった。 ナカも率先してアキの世話をした。良平は体のマヒが治るように、 ナカと末娘の真代をお伴に つけ、何回となく下部温泉へ湯治に行かせた。老人とはいえ大人を背負って、温泉場の坂道を上 り下りするのは重労働だった。ナカも温泉から帰ってくると、背中や足腰の筋肉の痛みを訴える こ と も あ っ た 。 また、薬草を田舎に住んでいる親戚から取り寄せて、 アキに飲ませた。病床でアキの身体をふ いてやるのもナカの仕事だった。 熱心な介護のかいあって、 アキは次第に体調を回復させていった。

お寺参り

アキは午前中にお経をあげるのを日課としていた。正月やお盆に良平が、 ﹁子供は僕一人じゃないんだから、たまには兄貴のところにも行ってゆっくりしておいでよ﹂ と、勧めても、あまり気が進まないようだつた。たまに五男 ・ 信雄の家へ行っても、夕方近く

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死別の参道 ヲ ﹂ ふ 品 、 ﹄ ﹄ ﹁ 迎 え に 来 て ほ し い ﹂ と、良平に電話をかけてくる始末だった。アキにとって良平の家庭は質素な生活をしていても、 よほど居心地がよかった。嫁のナカは着るものも、食べるものも、 ﹁何でもおばあちゃんが一番先よ﹂ と、言ってアキの世話を優先していたし、弘子、鹿海、隆司の子供たちにもその教えを買い た アキはもともと信心深い性質で、生まれた時に体が弱かった良平のため、上野の弁天様や日本 橋の水天宮様、柴又の帝釈天様を守り神として信仰していた 。 その影響を受けたのか、良平にも 信心深い一面があり、苦境に陥ると自分を守ってくれる見えない力の存在を想像した 。 それは時 45 として神仏であり、時として死んだ父親であった 。 アキがお寺参りに出掛ける時も、良平とナカが付き添った。足の不自由なアキのために、草履 にゴムを付けて脱げないように工夫したのはナカであった。 そ の 日 も 、 アキのお寺参りにナカと良平が夫婦で同伴することになった。瓦屋根の上に大木の 枝葉が張り出した本堂に通じる長い石段に来ると、良平は腰をかがめて、体が曲がらなくなった アキが背中に体を寄せるのを待った。両腕を後ろに回しアキの太ももに手を当てたとき、枯木の ように痩せた母親の体の感触が伝わってきた。 良平は脚に力を入れる。立ち上がりかけて良平は身の軽さに驚いた。まるで赤ん坊をおんぶす

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るかのように何の抵抗もなく両足でたった。悲しみが突き上げた。良平はアキに背負われてお寺 参りをした遠い幼い日を、母の着物の香と一緒に思い出した。石段を昇り始めると涙が溢れた。 良平たちはお寺近くの茶屈に立ち寄った。和菓子とお茶が運ばれてくる。秋の柔らかい日差し と、微風の中でアキの灰色のほつれ髪が揺れているのを良平は眺めた。 寸 疲 れ ま せ ん か 、 お 婆 ち ゃ ん ﹂ ナカが言った。アキの顔がほころんだ。 寸今日は天気が良いから、気持ちいいわ。わたしもこんな身体になってしまい、あんたには世話 ばかりかけてるなあ﹂ ﹁何をおっしゃるのですか。同じ家族でしょう﹂ 姑と妻の会話を聞きながら、良平はアキが他界する前に小 川 製作所の社旗が風に翻る光景を見 せてやりたいと思った。単に機械への情熱だけで工場を本格的に拡張するのではなく、アキに自 分の手で打ちたてた立派な工場を見せてやりたいという思いに駆られた。

オレは鍛冶屋さん

母親が倒れた翌年、小川良平は田端に工場を立てて、社名も小川製作所から有限会社三共製作 所と改称している。社名変更に際して占い師に頼んだところ、

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死別の参道 寸三共という社名にすれば、 きっとこの会社は発展し、成功します。そして、奥さんは主人を決 してつぶすようなことをしてはいけません。 いつも主人を立て、何でも主人のお陰で有りがたい と感謝の気持ちを忘れないように L と、助言した。 事業の拡張に乗り出した背景に母親の病気が原因していたのか、たまたま拡張の潮時に達して いたのか、良平が他界した今となっては明確なことは分からないが、おそらく両方の要因が絡み 合っていたのではないかと思われる。 ナカ夫人によると、当初、社員は良平夫婦、 ナカの弟 ・ 利雄、勝山、それに良平の妹 ・ 真代の 五人であった。社員たちは良平のことを、﹁親父さん﹂と呼び、良平も他の社員と同じように油に 47 まみれて働いた。 貯金があるわけではなく、借金で会社経営に乗り出したわけだから、勤めている社員よりも経 営者の方が給料が少ないことも珍しくなかった。良平は・自分自身を﹁鍛治屋さん﹂と呼んでいた まうに、あくまでも技術を売り物にしていた。 一日の仕事が終わると、良平はよく近くの飯屋で従業員たちに夕食を御馳走した。彼らが満足 そうに飯を頬ばっている姿を見ると、良平は心の安らぎをおぼえた。これでアキの病気が全快し てくれればと思った。 近代設備もなく、古い機械を使いながら、いかにいい製品を早く取引先へ納入するかに良平は 苦慮した。このころ三共製作所は、自動車部品や家庭用電化製品の部品製造に着手するようにな

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