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こぺる No.001(1993)

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N0.1

f

こペる

jの再出発にあたって

『こペる』編集委員会 自E落のいまを考える① こベる刊行会

運動は人と人との関係を変えたか

一対話がとぎれる現状をみつめる一 藤田敬一 メディア・メディア① 表情というコトパ一日常のコミュニケーション 池村六郎 ひろば① 『特殊部落一千年史』への原題復帰を求めて

師岡佑行

(2)

﹁ こ ぺ る ﹄ の再出発にあたって 人はなぜ差別をするのか。この単純で素朴な疑問に答えようとして、どれほどの言葉が費やされてきたか、想 像もつきません。人間は差別するようにできているとの意見から、階級社会が存続するかぎり差別はなくならな いとする意見まで、さまざまな議論がくりひろげられ、差別解消のための取り組みも試行錯誤を重ねながら途絶 えることなく続けられてきました。差別にかかわって、いまや人権は現代を読み解くキ l ・ ワ l ドとさえいわれ て い ま す 。 しかし、表面上の賑わいにもかかわらず、情況はいよいよ混沌の度を深めているかにみえます。部落問題にか ぎっていっても、無関心と過剰反応が織りなす奇妙な光景を前に、戸惑い、困惑している人はけっして少なくな いというのが実情でしょう。使いなれた発想、理論、思想の枠組みを聞い直さなければならないところにきてい るのです。﹃こぺる﹂廃刊から一年、あらためて再出発する理由はここにあります。 新で﹂ぺる﹂は、個々人の思索と実践の中から生み出される問題意識をふまえ、部落差別を核心にすえつつ、 ﹁ 人 間 と 差 別 ﹂ を テ 1 マに、現代の文化情況にも踏み込んだ誌面づくりに努めるつもりです。書く人・作る人・ 読む人という分業を前提にしたやり方ではなく、読者の、読者による﹃こぺる﹄として、差別に関心を寄せる人 びと、差別をめぐる息苦しい情況に少しでも風穴をあけようとしている人びとと共に、聞かれた論議の場にして ゆきたいと思っております。みなさま方のお力添えをお願いする次第です。 一 九 九 三 年 四 月 ﹃ こ ぺ る ﹄ 編 集 委 員 会

(3)

ーる部 ① 落

ま を4 v考 え /

運動は人と入との関係を変えたか

||対話がとぎれる現状をみつめる||

藤田敬

ャ昨年は、全国水平杜創立七

O

周年にあたり、京都を始 め各地でさまざまな記念行事が行われた。困難な情況の もとで部落差別の撤廃を求めた先人たちの苦闘を追想す る と と も に 、 i 当面する課題を確認し、あらためて闘いの 決意をかためるというのがその趣旨なのであろう。各界 各層の出席者を迎え、盛大に記念式典が催されて悪かろ うはずがない。それは充分承知しているつもりだが、華’ やかな式典の模様をテレビで眺めているうちに、部落解 放運動が七

O

年も続いているということは喜ぶべきこと なのかパそれとも哀しむべきことなのかと思わずつぶや いてじまった。ひねくれ者の感慨と笑う人がいるかもし れない。しかし、部落問題をめぐる情況をみれば、部落 解放運動の七

O

年とは、いったいなんだったのかと問わ れているように思われてならないのである。 確かに、部落解放運動の前進と経済の高度成長を背景 に、同和対策事業が実施され、部落問題に対する社会的 一 九 五 八 年 関心が高まり、被差別部落も変容在遂げた。 の初夏、部落問題研究所を探しあて、常任理事の木村京 、太郎さんから、﹁部落問題を勉強するには、本を読むの もいいけれど、未解放部落へ行って、人びとの暮らしぶ 1

(4)

りにふれ、話を聞かせてもらうことが肝心﹂と教えられ、 名刺の裏に書かれた紹介状をたよりに、勤務評定反対闘 争を指導中の部落解放同盟京都府連委員長朝団善之助さ ん宅をおずおずと訪れたころから考えると、情況の変化 に闘世の感を抱く。ところが、♂被差別部落とそこに住む 人びとを悪しざまに罵り明る落書きが各地で発見されて いる。差別事象があ乞を絶たないのである。 /i

年 大 阪 府 議 A

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議 員 選 挙 オミ 中ド 秀

立 候 補 し た とき、﹁あなたがたの郡のように

λ

口の多いところで新 平民のほかに人物がいないのなら仕方がないが、なるべ 、くなら普通の人を推挙されたほうがよい。そうでないと 不利になる﹂といった意味の文書が出され、人びとを憤 慨させたことはよく知られているが、それからちょうど 百年たった一九九一年春の岐阜県議会議員選挙でも、 ﹁あれは同和の連中で、あんなものに県政をかきまわさ れては政治が汚れる﹂などといった憶を意図的に流すよ うな出来事が起こっている。 二年前、岐阜市内で、ある人が不動産業者に物件の仲 介を依頼したところ、被差別部落が青色のボールペンで・ くっきりと固まれた住宅地図を持ち出し、所在地を指で つつきながら、﹁ここは、いろいろとワケありで。仲介 せんこともないが、値が通らんよ﹂といわれだという。 ﹁まるで徳川時代とちっとも変わらん﹂というのが、そ の人の感想だった。そんなことがある一方で、道一本へ だてて建設中の建て売り住宅六戸は基礎工事の段階で完 売している。被差別部落内の土地価格が周辺より格段に 低いというのは従来から指摘されていて、なにも驚くこ とはないのかもしれないが、それにしても:・と思う。 また、啓発・教育が進み、人びとの意識が改善された というけれど、たとえば岐阜市のアンケート調査︵一九 f 八九年︶によれば、同和問題とは、 ①国民ひとりひとりの問題として考えるべきである ︵ 四 一 ・ 六 % ︶ 、 ②同和地区の人々の問題であるから、地区の人が努 力すべきである︵四 J 八 % ︶ ③あまりさわがず、そっとしておく、︹三九・六%︶ ④わからないごニ・八%︶ ⑤無回答︵一・こ%︶ . 2 」 ,

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となっていて、﹁そっとしておく﹂が四O%近くあり、 八四年の三七!七%を少しだがオーバーじている。四日 市市のアンケート調査︵一九八九年。三つ以内の複数選 択 V でも、今後の施策に関する市民の意識は、 ①生活環境をよくするこ九%︺ ②安定した仕事につけるようにする︵一二三%︶ ③教育水準を高める︵一六%︶ ④教育・啓発︵四五%︶ ⑤同和問題はほぼなくなっているので施策の必要は な い ︵ 一 一 一 一 % ︶ ⑥そっとしておけば自然になくなる︵五O%︶ ⑦分散して住む︵四一%︶ という具合になっている。いわゆる肯定的積極的意見と 否定的消極的意見が均衡じている。分散論が異様に高い のは複数選択のためと考えーられるが、自然解消論が根強 いことに注意

L

たい。同和対策審議会答申は理念にとど 干まり、自然解消論が人びとの意識の古層に沈殿している ホンネだといえなくもない。ノ ﹁ 解 放 令 ﹂ か ら 一 一 一 一 一 年 、 全 国 水 平 杜 創 立 か ら 七 一 年 、 同和対策事業特別措置法の施行からこ四年、部落問題を f めぐる情況になんの変化もなかった、先人たちの苦闘は 無意味だったといいたいわけでばもちろんない。そうで はなくで、部落解放運動は、部落問題の解決にむかつて 確かな歩みを続けできたのかどうか、自ら検証する必要 があるといいたいだけである。 る で な こ は け と 、 れ は 。 こ ば で の な き よ り ま う ’ ま せ な せ ん 深 ん 。 刻

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落 解 根 i放 絶 基 す 丹羽廉芳さん︵部落解放基本法制定要求国民運動実行 全国のあいつぐ差別 委員会会長︶は、﹃一九九三年版 事 件 ﹄ ︵ 一 九 九 二 年 、 解 放 出 版 社 ︶ 序 文 で こ う 書 い て い る 。 ー ﹁地対財特法﹂は五年間の延長となりましたが、差 別事件の実情を宜視したとき、今日、差別事件は多 発しているだけでなく、悪質化じてきていると言わ ﹁ 地 対 財 特 法 ﹂ 3

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本法﹂で提起されているような、啓発・規制及び差 別からの救済を可能とする法整備が求められます。 おりじも、本年は、全国水平社が創立されて七十周 年にあたります。いまなお部落差別に岬吟、苦しん でいる人々が多くおられることを思うとき、﹁部落 解放基本法﹂の一日も早い制定を実現しなければな り ま せ ん 。 / ノ 同書に採録されている事象の数々を、基本吉要求の理由 にしたいようだが、それらが七

O

年におよぶ部落解放運 動の歩みを問うていることにも目を向けるべきだった。 きびしい差別の現実をいうのなら、運動の成果はどう︶な J っているのかと疑問に思う人がいても不思議ではないか ら で あ る 。 このような疑問に対し、運動の考え方べ進め方は正し ︸いのだが、努力が足らなかったのだという人がいる。し かし、すべてを f努力不足のせいにするわけにはいかない。 事 態 は 、 f 努力不足だけでは説明がつかないところまでき ており、運動の方向そのものを検討しなければならない のである。残事業量を集計したり、啓発・教育の拡大充ー お 前 は ど ん な 視 占

用 意 L, て Uミ る, のi か と 問 . 4 実を求めるだけではどうしょうもない。検討の視点の転 換が求められている。 そ れ で は 、 わ れ る な ら 、 部落差別︵意識 V を媒介に した入と人との関係にどのように切り込もうとして これまでの取り組みは、 そしてどこまで切り込めたのか、もし切 り 込 め な か っ た と す れ ば 、 ー そ れ は な ぜ な の か 。 が、わ i たしの視点であると答えたい。部落差別とは、と どのつまり人と人との関係の問題にほかならず、 き た の か 、 部落解 放 と は 、 人と人との関係の変革に帰着するからである。 そうすると、これまでの運動や事業、啓発・教育につい て、おおよそ次のようにいえると思う。 第一に、一九五一年のオ l ル・ロマンス闘争以来、 ﹁差別事件を行政闘争に転化せよ﹂とのスローガンのも とに行政施策の拡充が追及されてきたけれども、事業、 施策はあくまでもモ

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や カ 、 不 で あ っ て 、 モ ノ ヤ カ ネ そ れ t ︸自体とじては、入と人との関係を変えられなかったとい うことである。一九五

0

年代末から六

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年代初頭におけ

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/る実情からすれば、住宅・環境の改善や生活保障を要求 するニとには根拠と説得ガがあった。あれから三十余年、 わたしが J 寄せてもらった京都や大阪の被差別部落も大き く 変 わ っ た 。 じ か

L

、事業、施策の拡充と生活実態の変容が、部落 ♂差別︵意識︶を媒介にした人と人との関係を変えたとい ーえるだろうか。ねたみは差別だとの批判はあつでも、羨 望や嫉妬の心を抱いでしまう人びととの関係がっくり変 えられたという話はめったに聞かない。仕事保障による 経済的自立が解放主体の形成に一つながり、部落解放じつ ながると素朴に信じられ、施策、 a 事業は手段で、完全解、 放が目的だともいわれてきた。手段と目的をつなぐもの こそ部落解放運動というわけだが、手段と目的の関連が まったく論証されないだけでなく、説得力のある論拠も 提示されないままにきている。それが事業や施策に対す る批判を生む原因の’一つじなっているとみて間違いない。 ︵こんなことでどうして人と人との関係が変わりえようひ 第二に、偏見を克服し、部落問題の解決のために努力 する人びとの輸をつくろうとして、広範に啓発・教育が 取り組まれてきたが、教える大と学ぶ人との分離が前提 とされている啓発恥教育は、具体的な人と人との関係を 変えるには自ずと限界があったということである。啓 発・ー教育の場はいわば非日常的な時間と空間であり‘そ れだげに正当・正統な知識の注入と、差別する側にいる 人びとの心の入れ替えが課題とされやすく、出席者も心 得違いのないようにと身構える結果、往々にしてタテマ 生きた人間の問題が抜け落ちて・もやむを えなかったのかもしれない。 化 が 進 行 し 、 ある中学校で話をさせてもらったあと、校長が﹁同和 地区の人びとは、みなさん立派な方ばかりです﹂と挨拶 した主きには聞いた口がふさがら−なかった 0 2 一 方 に こ わ い入たちが住んでいるという被差別部落像があれば、他 方に立派な人たちばかりが住んでいるという被差別部落 像 が あ る 。 こ の 校 長 は 、 いわゆる部落責任論だと受けと られないように気を配りプ偏見を正そうとして、勢い啓 蒙主義的な被差別部落像を語ってしまったのだろう。映 画にじても講演会にじても、大なり小なりこのような啓 蒙主義の尻尾をつけている。加えて同じ話が繰り返され ーー『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーlイ ヘ 、 J 5

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る。聞いている人がうんざりしても無理はなかろう。そ れだけに出ロも着地点もみえないままに、啓発・教育に 取り組む人ぴとの苦悩は深い。啓発・教育がまだまだ足 らないと批判する人は、この人びとの苦悩に心を寄せて いるのかどうか、苦悩を共有しているのかどうか、たず ねたくなることがある。啓発・教育の成果を否定するつ もりは会いが、過大評価するわけにもいかない。まして 一時間や二時間の講演や研修で人と人との関係が変わり うると考えるのは、あまりにも楽観的にすぎる。啓発・ 教育が、日常の生活感覚に切り込み、人と人との具体的 な 関 係 を し 変 え る 営 み と つ な が る こ と が 求 め ら れ て い る 。 第三に、人と人との関係を変えるという点では、被差 ー\別部落出身者と被差別部落外出身者が一堂に会し、共 通・共同の課題について論議し、その解決に向けて共に ,取り組む意味は大きいはずだが、共同闘争・国民運動な るものの空洞化・形骸化は目をおおうばかりで、 a 部落解 放運動における被差別部落の内と外との溝は基本的には 埋めることができなかったということである。疑う人は、 会議や集会に漂うあの重苦し一い雰囲気、署名活動の内実 \ を み て ほ し い 。 わたしは昨年二月、第二三回部落解放研究京都市集会一 第一分科会﹁部落問題

λ

門﹂に報告者として出席した。一 開始時点で約六百人の参加者があったのに、岐阜県制作一 の啓発映画﹁川をわたる風﹂が終わった段階で辛数、閉ー一 会時には四分の一以下に減っていた。ある企業からの参一 加者は﹁わたしがこの分科会に参加したことを会社に証一− 明するにはどうしたらよいですか﹂とたずねたという。一 動員といういやな言葉がそのままあてはまるような情況一 6 が進行しているのである。さすがに分科会担当者たちは 気落ちしていた。﹁二二

O

人あまりの人が残ってくださ っただけでもうれしいやないか﹂と励ましたものの、個 人の自由な意思にもとづかず、動員割り当てによって成 り立つ集会のあり方そのものを変えなければ、参加者の 途中退席はとめようがないとの感想を持った。やはり個 人と個人が出会わない場は、人と人と刀関係を変える場 にはならないのである。︷そのことに気づいている人はい ても、なかなか日には出せないようだ。 以上︶要するに、糾弾闘争もふくめ、しこれまでの取り

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組みは全体として人と人との関係じ切り込めず、その変 J草に成功してこなかったといえる。部落解放運動七

O

年 , のこの現実をどうみるか、これがすべての出発点である。 わたしが毎月発行しでいる﹁同和はこわい考通信﹄ヘー の読者からの便りに h こ ん な こ と が 書 か れ て い た 。 / 中学校に勤めていた私の友人はこの一学期末で教師 を辞めてふまいまじた。解放同盟の幹部の・お子さん が弁当を忘れて、お母さんが後から学校にいつも届 けに来られるそうです。すると教頭先生が走り出て ﹁ありがとうございます﹂と最敬礼を

L

て受けとる そうです。又九解放同盟の幹部の息子さんを﹁や l い 、 ア ト ピ l ﹂といってからかったある高校生はそ れだけで停学一週間の処分となり、その子の両親は 、﹁部落だけほさわりたくない﹂と言っています。両 側から越えるどころか、ますます溝ばかりが拡大し 〆 て く る よ う で 何 と な ぐ 不 気 味 で す 。 一読、不愉快な気分になる人もいよう。わたしもこれに 類する話を聞くたびに、なんともやりきれない気持にな ってしまう。やりき F れなさは、事象の表面だけがとりあ げられて、事象の背後にあるものが顔を出さないところ からきている。背後にあるものとは、被差別部落の内と 外との関係にほかならない。学校側と部落解放同盟幹部 の家族との特異な遇し方・遇され方に凝縮されている、 部落解放運動をめぐる人と人との関係といってもよい。 ﹁両側から越えるどころか、一ますます溝ばかりが拡大し てくるようで不気味﹂と便りにはある。ますます拡大し ているかどうかは別にじて、溝が埋らなかったことだけ は確かだろう。部落問題の現状と課題について聞かれた 論議がしにくく、対話がとぎれる情況が広範にみられる の は そ の た め で あ る 。 人物の指が四本だけ描かれたり写っているポスターや パ ン フ レ ッ ト が な ぜ 問 題 に な る の か 。 一 ﹃ ち び く ろ サ ン ボ ﹂ 絶版問題のような過剰反応がな喧起こるのか。

NHK

が セリフの片手落ちを片落ちと言いかえたのはなぜか。差 ' ' / 7

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、別問題にかかわっで人と人との関係のネジレ現象が広が 一度でも、こんな事象に遭遇

L

た こ とがある人なあ、右往左往の背後に﹁足を踏まれている 者の痛さは、踏まれている者にしかわからない﹂という て い る の で あ る 。 痛み論、﹁踏まれている入が痛いというかもしれない以 上、そんなことはやめた方がよい﹂という気づかい論、 ﹁主観的意図にかかわらず差別を拡大助長する可能性が ある﹂という拡大助長論が影を落としていることに気づ は ず だ 。 そのうえ、今日もなお﹁なにが差別なのかは、被差別 者が一番よくわかる﹂という議論がまかり通っているの である。部落解放同盟中央本部書記長の小森龍邦さんに よ れ ば 、 こ の 世 に は 、 な 治宝 ー 差 番 別 正 か じ に く つ 判 い

断て

で ー きF番 な 正 い し 者 く 判断できる被差別体験者と、 ︵被差別体験者以外の者︶とのご種類の人間がいるとい う。かりにこの世に差別された体験のある人と、差別さ れた体験がまったくない人がいると

L

ても、差別された 体験を持っているというだけではーその人の差別問題に ついての意見は必ず正しく説得力があり、道理にかなヲ’ j ていることを保障しない。ところが、被差別という立 場・資格を絶対化し、差別・被差別関係を固定化するこ のような意見が出されたとたん、かつてのわたしがそう い ぞ で め し る よ こ

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であったように、たいていの人は沈黙し、対話がとぎれ て し 宇 品 祈 つ O J J 他方、平由美知子さん︵広島県府中市教育委員会社会 教 育 課 ︶ は 、 差別者であるという認識に立った私たちは、まず何 によって自己を検証

L

ていくかというニとを考えま すと、砂やはり闘っておられる人々の実践と理論に学 ぶほかないと思うのです。その実践、理論がいかに 普遍的であるかということに思い至ったとき、 て自分自身のエネルギーとなり、 不合理、矛盾に立 ち向かっていけるのではないでしょうか。︷中略︶ ﹁ 自 己 と は な ん ぞ や ﹂ と 問 う て い 川 く と い ャ ナ こ と は バ とことん凡夫である自己に気づき、差別者である己 に気づいたとき、とても被差別者に何一つとしでの 8 初 め

(11)

一 三 号 、 一 九 九 d一 年 一 一 月 一 一 一 一 日 v と書︿。差別歩る側にいる者は差別者であり、差別者は ﹁被差別者に何一つとしてのぞめることのできない﹂存 在で、被差別者の実践と理論に学び、それがいかに普遍 的であるかに思いをいたすことによって不合理・矛盾に 立ち向かってゆけるエネルギ

f

を 、 汲 み 取 れ と い う の で あ る。最近では司被差別者の言動はすべて肯定されるべき だ﹂とまで主張している。被差別者とその運動・組織が 聖なるもの、不可侵とされる以上、﹁差別する者がいる か ら ︵ 差 別 が f ある﹂との常識的な差別論とも合体して、す べてが差別する側にいる者 H 差 別 者 を ど う す 、 る か と い う ことに収飲されてもおかしくはない。これでは、被差別 者以外の者は、被差別者に﹁こうしてほしい﹂と希望 i

. 、

請願・要請してはならず、直言・苦言・批判などはもっ てのほか、ただただ被差別者の前にひれ伏せというにひ と し い 。 部落差別の原因と責任を被差別部落民や部落解放運動 に押しつける部落責任論を批判することは必要だと、わ たしも思う。しか

L

、 ー そ れ だ け で は 被 差 別 部 落 の 内 と 外 との溝は埋まらないし、差別・被差別関係総体を止揚す P

る、つまり部落差別︵意識︶を媒介に

L

た人主人との関一 係を変革できないことは、今日ただいまの情況が示して一 いる。ところが小森さんや平田さんの意見に象徴される一 ように、部落解放運動は人と人との関係の、不ジレ現象に一 無関心で、関係を変えるという問題意識がそもそも欠落一 しているかにみえる O J 一 四 ﹃同和はこわい考﹄の刊行から六年、差別判断の資格一 と基準にかかわる命題は相変わらず健在である。対話が一 とぎれる仕組みにいささかの動揺もみられず、まわりに︸一 − Q d 漂う冴えない雰囲気はいっこうに収まる気配がない。こ ういうときは、しんどくても話をもとに戻

L

、部落差別 と は な に か 、 そ の 実 態 は ど う な っ て い る か 、 ど 、 チ す れ ぼ 部落解放が達成できるのかといった基本問題について、 自分の言葉で一から考えなおすほかはない l

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たとえば﹃同和はこわい考﹂に収録した往復書簡でパ わたしは次のように書いている。ト 、前川さんの﹁根っこのところで、私はまだ部落外出 身者ヘのうたがいを、晴らしていない﹂主い、

2

言 葉 に、やはり私は、とまどいを禁じえません。どうか、 そのつったがい﹂なるものを、、あからさまに出して いただけないでしょうか。そして、できれば﹁部落 外出身者﹂﹁差別する側に立つ者﹂﹁差別者﹂という、 二一つの言葉のイメージについて感じておられるとこ ろがあれば、ついでにふれていただければと思いま す。それにしても対話を成り立たせる条件とは何で

L

ょうね。私は言葉だけではないような気がするの です。明断な言語の世界ではとらえられないものと して﹁共同の営み﹂といろものを考えているのです が。しかし、その﹁共同の営み﹂の場にも、それぞ れの帰属する﹁立場﹂が消しがたく刻印されている としたら、いったい﹁両側から超える﹂ことは可能 なのかという気がします。 差別・被差別関係が固定化され、両側の対話がとぎれる 情況の根底には、人聞を被差別部落外出身者と被差別部 落出身者、差別する側に立つ者と差別される側広立つ者、 差別者と被差別者に分ける二項対立的思考方法があり、 ろ 別 祖 す う 者 父 れ か と 母 ば 。 断 部 定 祖 被 落 す 先 差 問 る が 別 題 の 被 部 に ’ は 差 落 無 、 別 に 関 あ 部 〆 生 心 ま 落 ま 1 で り 出 れ あ に 身 育 つ も 者 っ

た 乱 で た

り 暴 な わ な 1い け 被 議 と で 差 論 い な 別 で う く , 部 dは だ 落 『 な け に い で 住 だ 差 その克服なしには部落解放にむけた、人と人との新たな 関係はつくれないだろうとおぼろげながら考え、こうし た質問を前川む一さんにしたのだった。前川さんからは ま だ 返 事 は な い 。

L

かし、一返事がくるのを待っているわ けにはいかない。被差別部落出身でない者 H 差別する側 に立つ者は差別者であるという断定がなんの説明もなく なされ、被差別部落の出身でないととをもって、,わたし に差別者のレッテルを貼る人がいるからである。ならば 自分で思索するしかない。 わたしの理解するところでは、差別者とは、特定の集、 聞に属する人びとを蔑視や賎視の観念にもとづき忌避・ 排除することによって自らを支えている人を指す。だと 両親や 10

(13)

む人びとの思いと願いに鈍感な人は多い。だからといっ て被差別部落民、以外の者はすべて差別者だとはいえない o v それなのに﹁被差別部落 r の出身でないわたしは差別者で す﹂と語る人がいる。そのように自己を規定しているか いつまでたつでも対話の当事者になれないし、ま ぎ り 、 じて人と人との関係を変える主体になれるはずもない。 そこで、わたじは 1 う考える。﹁人の不幸はいくらで も辛抱ぞきる﹂﹁人の苦楽は壁一重﹂のことわざどおり、 他者の苦しみ、悲じみ、憂さ、辛さ、奴山り、嘆き、訴え に時として心を寄せ、共感・同感することはあっても、 それらと無関係に日々の生活を過ごせるかわたし μ が い ︵る。他者になりかわることのできないグわたし。がいる。 それは差別・被差別の資格よ v 場 を 超 え た 人 間 と い う も のの限界だろう。つまり〆取りかえのきかない︶ ぎりのかわたしの生 μ を、人間の限界をみすえつつ、い かにして他者との共感と連帯の世界に生きる H 生 ρ に す ﹃ るかという課題がかわたし d の前に差

L

出 さ れ て い る 。 この課題をどのように引き受けるかが、差別・被差別の 資格・立場を超えて問われている。ここに、差別・被差 一 回 か 別の両側から超えた共同の営みが成り主つ根拠があるの ら な ¥,,)

し わ た

は そ の

な 出 A ;z:;; Uミ と 対

で は な い か 。 おたがいに差異を認めつつ、一人の﹁丸ごと匙叩いっ ぱいの人間﹂として向きあい、民族や性別、生い立ちゃ 障害など個人の自由な意思で選択七たわけでなく、個人 の努力で変更できない事柄を理由に他者を忌避・排除す る差別に立ち向かう共同の営みを続けるとき、気がつけ ば両側を隔てていた溝が埋まり、壁が消え、差別・被差 別の二項対立ではない新たな人と人との関係が生まれて い る に ち が い な い 。 これが、﹃同和はこわい考﹄以降、わたしなりに思索 したあげく、たどりついた見通しである。そしで現に、 共同の営みを模索する人びとの輸が小さくとも確実に形 づくられてきている。自分以外の何者をも代表しないこ とを前提にした、個人と個人の出会いと対話から、新た な人と人との関係が生まれるかどうか、それはまだわか 望をつなぎたいと思っている。 11

(14)

メ デ ィ ア マ ・ メ ﹃ ア ィ ア ①

↓表

骨 情

2

ミしヨ

ニつ

ケ コ

ヨ ノ

t

池村六郎

われわれが他者と交わすコミュニケーションに言葉は 欠 か せ な い け れ ど も 、 一 言 葉 が な く て も 通 じ る よ う な コ ミ ュニケーションもある冶たとえば表情だけでも好き嫌い の 気 持 ち を 伝 え る こ と が で き る 。 険悪な表情だけで敵意を伝えることができる

L

、柔和 i な表情にはそれだけで心がな C むものだ。これらの表情 には﹁動物学的﹂根拠があるようで、人間である限りど こでもどの文化の人とでも通じる?もちろん、われわれ 人間には高度に発達した大脳皮質があって、言葉の﹁意 味﹂に反応するよすに条件づけられており、それを利用 して、虚偽の表情に虚偽の言葉を重ねてウソを付くのが 巧みな入もあらわれる。﹁ウゾを付くことができる﹄と J い う 点 ニ そ J 人間の言葉のなによりの特徴かもしれない。 このように、言葉に裏切られることもある﹁表情﹂で はあるけれども、日常生活のコミュニケーションでは言一 葉よりも比重が大きいようだ。その理由は簡単なニとで、一 家庭であれ学校であれ職場であれ日常生活で状況を共有一 しあう者どうじの﹁言葉﹂は、それが何かを指示・ある一 いは指図じている場合でも、その﹁何か﹂よりも﹁何故、一 何のために﹂砂方に究極の意味があるはずだからである。同 ﹁何故・何のために﹂とは結局、関係の維持・発展か]一 そ れ と も 解 消 か の こ つ で し か な い が 、 言 葉 は そ の こ と を 、 ’ 一 しかもまるで実況中継のように時事刻々の様子をたえず一 明 言

L

続けるだろうか。破綻の場においても、われわれ一 の日常生活は論理を交わす﹁法廷﹂とはならない。いわ一 ’ ゆ る ﹁ 話 し 言 葉 の 様 式 ﹂ で は 、 文 句 の 数 は 限 ら れ て お り 、 一 場面と気分に応じて﹁声の抑揚﹂つまりは﹁表情﹂の部一 分を変化、しかも微妙に変化させて間に合わせるのであ− る。もちろん、破綻の場では、顔の表情や身振りやスタ一 ジス、これらがより明確に意味を伝えるはずである。一 あるいは、日常生活において演説をする、つまりは首ノ一 尾の整った状況説明を始める

λ

がいるかも知れない。そ一 れが許容されるのはおそらく状況が関係の維持・発展の一 方向にある場合であろうし、そんな人はおそらく﹁誰々− 節﹂とでも名付けられるような、ある種﹁儀礼化﹂した− 12

(15)

語りをする人だろう。また言ってる、という感じで、付 一 き 合 い の 長 い 者 た ち に は 、 微 笑 が 浮 か ぶ に ち が い な い 。 ところで﹁儀礼化した語り﹂とはなんだろう。典型的 な例として︵卒業式の︶式辞を考えてみよう。式辞で語 , も ら れ る 言 葉 に 込 め ら れ た メ ッ セ ー ジ は 構 成 さ れ た も の だ 。 つまりは字句の辞書的な意味は一連の展開をへて結語に − い た る Q だから﹁書き言葉の様式﹂にあてはまるはずな の だ が 、 A 式辞で個人的な感慨を、私的に語る人はいない。 J 語るのは個人であって個人ではない。じつは、送辞も答 辞 も 、 ﹁ 在 校 生 一 ﹂ ? と ﹁ 卒 業 生 ﹂ と い う 地 位 の 聞 の ﹁ 挨 拶 ﹂ だし、来賓じ

ι

ても地位にもとづく﹁挨拶﹂をしている にすぎない。だがら、すべては儀礼化した挨拶である。 学校生活が持つはずの意味を濃縮した儀礼である。それ とも、もはやえらく時間のかかる﹁お辞儀﹂をしている だ け な の だ ろ う か 。 ﹁ 挨 拶 L とは言葉がコミュニケーションのためにある ということをこの上なく示してくれる行為であって、朝 夕 の 決 ま り 文 句 で の そ れ 、 f 時 に は 聞 を 、 つ め る た め の 天 気 の言及、これらからその場にふさわしい表情を剥ぎ取れ ば、あとには無残なコトパだけが残る。ところで、お辞 儀はたんなる挨拶ではない。服従の儀礼として始まった はずの﹁お辞儀﹂は、今では一瞬の時間差の有無と程度一 f を様々に演出しつつ社会的地位を確認するための儀礼で一ー ある。挨拶には必ず不可欠な要素として伴うはずの表情一 が、お辞儀にはないーというより、ペそれは、個人が行う− けれども個人に帰着しない非個人的な儀礼その

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のであ一 る。︹お辞儀にはジユスチヤ!としての機能も生じてい− る の だ が 、 こ こ で は 触 れ な い 。 ︶ 高校生の頃、冬

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寒い朝、まずは一札じてからオハヨ一 ウゴザイマスと挨拶をしたら校長は無表情に会釈をした。一 お辞儀をせずに、しかし微笑んで﹁おはようございま一 すいと声を掛けたら校長も無表情ではおれなかったろう。一 われわれの世代はイイ加減だからお辞儀﹁のような﹂一 身の動きとともに挨拶も済ませてしまう。だが、ある年一 代より上だと、上品な人か下心がある場合をのぞいて頭 F 一 の上下動にはかなりの、というよりも臆病なほどの考慮一 があるようだ。装われた無表情にはお辞儀が儀礼化する一 以前の初発の﹁表情﹂が隠れている。社会的下位性の承一 認・文明人的謙譲・文化的諮略、そうした﹁負の表情﹂一 だけでなく﹁個入の権利における表情﹂をも挨拶として一 交 わ し た い も の で あ る 。 一

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ひろば①

師同佑行

沖浦さん。昨年末ー岩波書店から高橋貞樹の﹃特殊部 落一千年史﹄が、書名を﹃被差別部落一干年史﹄と改め て 出 版 さ れ ま 干 し た O H このことを苦々しく思った私は、校 訂者であり、﹁解説﹂の筆者であるあなたに年賀状の添 え書きで異議があると伝え、くわしくは後便で、と記し ました。ところが、正月早々、病院暮しを余儀なくされ、 お約束を果せないまま今にいたりました。やっと回復し 退院しま心たので、おそくなりましたが、私の考えにつ い て お 手 紙 を 差 し 上 げ た く 存 じ ま す 。 なによりも遺憾なのは改題です。著者が付けた書名を 尊重するのは出版の原則ではありませんか。まして﹃特 殊部落一千年史﹄は、発行禁止処分という権力による弾 圧を受けており、その復権を示すためにも原題のままで 出版されるべきでしたーそのままでは出せないとい子つ判 断に達したのであれば公刊を断念して当然でした。この

への原題復帰を求めて

原則を無視して﹃被差別部落一千年史﹄と書名を変更し て出版したことは、岩波書店が自ら標務している﹁敬鹿 の態度﹂じ背くもので、倣慢のそしりを免れません。 書名変更の理由として、沖浦さんは﹁解説﹂のなかで ﹁依然として賎称語として陰微に語られている特殊部落 の文字を書物のタイトルとしては外すべきか、最後まで 苦慮したのであるが、・:ただ文庫本のように広く流布さ れる場合は、今日一般的に用いられている被差別部落と いす呼称の方が適当であろうと考えたからである﹂と 記されています。また今月発行の﹃部落解放﹄︵一九九 三年三月号︶の沖浦さんの文章に、﹁特殊部落﹂の言葉 について﹁もともとは﹃特種部落﹄の字を当て℃、部落 異民族説の意をこめで一九一

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年頃から官側が用い始め た政治的な造語で、水平社もやがて自らを規定するコト パとしては決定的に否定したことは周知の通りである﹂ とあるのは、これを補足するものと見受けられます。ニ 14

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れが、岩波書店との共通の認識であることは同編集部のー 平田賢一さんという方からの来書からも明らかです。 改題の理由として沖浦さんがあげられているところは、 いわばこの言葉についての通説を通俗化したものですね。 し か し 誤 り が 多 く 、 ︸ ﹁ 苦 慮 ﹂ し た と あ り ま す が 、 一 九 八

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年代に発表された部落についての歴史的呼称について の少なからぬ論文を参照せず、安易に通説に寄りかかっ ておられます。古典を扱うにはふさわしからぬ態度です。 沖 浦 さ ん は 、 ﹃ 特 殊 部 落 ﹂ と い う 一 言 葉 を 水 平 杜 が ﹁ 決 定的に否定﹂したと言いますが、一九三四年の第二二回 大会で﹁被圧迫部落民﹂に換えられたとはいえ、そうは いえません。戦後になっても部落解放全国委員会第三回 大会では議案書に運動の母体、主体をあらわすのに﹁特 、 殊 部 落 民 ﹂ の 言 葉 が 用 い ら れ て い る の で す か ら 。 ﹁特殊部落﹂の言葉が問題となったのは水平社の発足 のときからで、創立大会当日の夜に熱心に討議されてい ます。激論がかわされ、﹁実質が変化しなければ名称は 問題ではない﹂という青年たちの意見が多数を占めて、 ﹁今の世の中に賎称とされている﹃特殊部落﹄の名称を 反対に尊称たらしむるまでに不断の努力をすること﹂が 決議されたのです。当時、融和主義者はこの賎称の廃止、 をもとめ、また﹁特殊部落﹂の文字を公文書に記したこ とを動機として京都府下でおこった山科村長殺害事件に 驚いた内務省が、あわてで﹁細民部落﹂を公式に使用す ることにしたのでした。水平社を創立した青年たちは、 この時期に、この動きに抗して﹁特殊部落﹂の言葉を用. い る こ と を 決 定 し 、 、 ﹁ エ タ ﹂ で あ る こ と を 誇 り う る 主 宣 言したのでした。生活の﹁実質﹂こそが根源であつで、 呼称が問題ーはないとの主張は杉村楚人冠、喜田貞吉、 宮武外骨ら知識人の異撃な意見に裏付けられていました。 私は年若い水平社の創立者たちが﹁特殊部落﹂を差別 語という一元的なひからびた抽象としてでなく、賎視・ 侮辱をふくんでいることを肌身で深く感じ取っているに もかかわらず、そこに﹁誇りある名﹂をもとめ、この言 葉を両義性において捉えたことに感動させられます。言 葉 に た い す る 深 い 理 解 が う か が え ま す 。 一 水 平 杜 の こ れ ら の 言 葉 に た い す る 基 準 を 破 壊 し た の が 、 寸特殊部落﹂を﹁被圧迫部落﹂に改称するこ主をもとめ た 前 述 の 第 一 一 一 一 回 大 会 で し た 。 ﹁ 被 圧 迫 部 落 ﹂ が は じ め て見えるのは一九三三年末の日本共産党の﹁身分闘争に かんするテーゼ﹂においてで、その普遍化をはかったの がこの大会でした。沖浦さんの言葉を借りるならば、後 者もまた﹁政治的造語﹂だったのです。﹁未解放部落﹂

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I 、 h y 寸 被 差 別 部 落 ﹂ は こ の 系 列 に 属 し ま す 。 運動体が﹁特殊部落﹂を差別語と断定したのは、戦後 \でした。たとえば、部落解放同盟中央本部は一九六七年 作成の﹃糾弾要綱﹄のなかで﹁部落民に対する差別的言 辞 で あ る ﹂ と 述 べ 、 白 ﹁ 悪 の 集 約 的 表 現 ﹂ と 断 じ て い ま す 。 率直にいってタブト化じたのです。ここから原田伴彦さ んの円殺人的犯罪用語﹂という評価にま’でいたりまじた。 ところで、これを部落解放運動史のなかで検討するな らば、同盟は水平社創立の同人たちが敢えて拒否した融 和 運 動 家 の 主 張 に 立 つ こ と に な っ た と い 日 え ま す 。 d 一 種 、 の 転向です。水平社創立宣言は﹁殺人的犯罪用語﹂で始ま っていると言えるでしょうか。とても言えないのであっ て、歴史的評価に堪えられないことを意味しています。 いま、同盟では言葉そのものでなくそれがなにを表現し ているのかが問題なのだと言います。しかし、実際は言 葉がとりあげられ、出版界がオロオ回させられているの はご存知の通りです。その禍根は他でもなく同盟自身に あ り ま す 。 ﹁特殊部落﹂という言葉が解放運動の中で否定された のは上述の通りです。しかも、そのことをも τ っ て 沖 浦 さ んは改題の正当性を主張されていると読み取れるのです 、が、まさか沖浦さんが権威に寄りかかってよじとされる の で は な い で し ょ う ね 。 一 ﹃特殊部落一手年史﹂を﹃被差別部落一千年史﹄と改一 めたことは道義的にも歴史的にも誤りであることはおわ かげ頂けたと思います。批判に耳を傾けることなく岩波一 書店は二刷に入りまじた。こう心た強引なやりかたは速一 やかに中止し、原題にもどして発行されることをもとめー一 ます。いかがお考えでしょうか o v e 、 一 最後に﹁解説﹂ですが、気になることがあまりに多す一 ぎ ま す 。 ひ と つ は テ キ ス ト 巴 ・ ク リ テ ィ l クが不十分です。一 ﹃特殊部落一千年史﹄は即時発禁処分でなく、四版︵い一 まの四刷︶を重ね、かなり出回った後、その処分が出た− のでした。現にいま私の机のうえにもその一冊が載って一 います。また先行研究とこの著書との関係についても、一 参考にした程度をこえて引き写ししている箇所が多いこ一 とについても明記なさることが必要不可欠でした。すで一 に成沢栄寿さんが指摘し、沖浦さんも﹃部落問題事典﹂一 のこの本の項には記されております。これではひいきの一 ひき倒しです。率直に申し上げると、﹁解説﹂はぜひとー一 も 書 き 改 め ら れ ね ば な ら な い と 思 い ま す 。 − 一 九 九 三 年 二 月 二 五 日 師 岡 佑 行 中 甫 干 、 I 和光様 16

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鴨水記 マじっと目を凝らして見る と、冬枯れにも似た木肌の ところどころに小さな粒が 付いている。武骨に見える 花梨の枝にも早や芽吹きが はじまりました。淡色の可 憐 な 花 と 葉 が 楽 し み で す 。 マ ﹃ こ ぺ る ﹂ は 、 新 た な 出 発 を い た し ま し た 。 京都部落史研究所の所報 ﹁ こ ぺ る ﹄ を 支 え て 下 さ っ た 読者の聞から廃刊を惜しむ 声があがり、一口五千円の 基金が募られて、基金をお 寄せ下さった方々で﹃こぺ る﹄刊行会が発足いたしま した。第一号をお手元にお 届けいたします。今後、基 金と共に購読者の方々を募 らねばなりません。なにと ぞお力添え下さいますよう お願いいたします。お寄せ いただきました基金は、二 月 末 日 現 在 、 三 七 四 名 、 五 二 九 口 、 二 六 四 万 五 千 円 で す 。 あ り が と う ご ざ い ま し た 。 マ創刊第一号のメイン論文 は、藤田敬一さんにお願い しました。﹃同和はこわい 考﹄の著者としてすでに知 られておりますが、ご専攻 は中国近代史で、岐阜大学 にお勤めです。﹃メディ ア・メディア﹄ご執筆の池 村六郎さんは、コミュニ ケ ー シ ョ ン 論 を 専 攻 さ れ 、 大学の講師もしていらっし ゃいます。﹁ひろば﹂の師 岡佑行さんは、京都部落史 研究所の所長です。なお本 誌のデザインは、京都精華 大学の丸谷彰さんにお願い し ま し た 。 マ四月から、本誌の合評会 を 聞 き ま す 。 ご 参 加 下 さ い 。 ﹃ こ ペ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 四 月 二 四 日 ︵ 土 ︶ 午後二時より 京都部落史研究所 京都市北区小山下総町

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E O 七 五 l 四 一 五 1 一 O 一 ニ 一 一 編集・発行者 こべる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区寺町通今出川上ル四丁目鶴山町14阿件杜 Tel. 075 256 1364 Fax 075 211 4870 定価300円・年間購読料4000円 郵 便 振 替 京 都 1-6141 第1号 1993年4月25日発行

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者 か ら H それは差別ではない か ’ と か H 差別の拡大・助長につ ながる u と指摘されても平然とし、 H 差 別とはなにか、なぜこ れが差別になるのか H と議論をたたかわせられる人はめったに いない。まして w ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛 みを知 っ ている被差別者にしかわからない 勺 差 別する側に立 っ ている者に、被差別者の思いなどわかるはずがない H といわれ て、なおかつ対話を試みよ うとする 人はめずらしい﹂ 。 ︵ 本文よ り ︶ このような立場・資格が、差別 ・ 被差別の双方から固定化 ・ 絶対化されているとしかいいようがない現実は、実は、差別| 被差別の隔絶され た 関係の反映ともいえる 。 いま、大きく変貌を遂げつつある被差別部落の現実を直視し、 既成の理論や思想の枠組みそのものの検討 を 、 自 由な対話をと おして積み重ねられてこそ、この隔絶された関係の蘇生への道 が聞かれるのではな い だ ろ う か 。 つ

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− 内 容 ・ 執 筆 者 紹 介 部 落 膏 年 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ ー ︷ 座 談 会 ︺ 今 岡 順 二 + 中 島 久 恵 + 灘 本 昌 久 + 山 械 弘 敏 + 山 本 尚 友 常 織 の 再 検 討 部 落 H 貧 困 の 再 織 討 山 本 尚 友 不 利益 H 差 別 の 再 検 討 : : : ・ 渥 本 昌 久 現 在 を 考 え る 同 和 事 業 総 括 の 一 視 点 E ・ E ・ − − 山 本 尚 友 ﹁ 差 別 語 ﹂ と い か に 向 き あ う か ・ ・ ・ ・ ・ ・ 灘 本 昌 久 図 書 館 の 自 由 と 差 別 表 現 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 高 木 奈 保 子 今 日 の 実 態 的 差 別 と は 何 か ・ : : ・ 住 回 一 郎 差 別 と 言 葉 の 狭 間 宮 武 外 骨 と ﹁ 穣 多 ﹂ の 語 ・ ・ ・ ・師 岡 佑 行 差 別 と い う こ と ば − − − − − − 山 本 尚 友 そ し て i 被 差 別 部 落 民 の 内 面 ・ ・ : 往 回 一 郎 差 別 1 被 差 別 の 現 在 を 凝 彼 す る 直 属 図 敬 一 あ と が き − こ ぺ る 絹 集 祖 国 緬

− 四 六 判 ・ 並 製 ・ 三 O 四 賀

+ − 定 価 二 一 六 O 円 ︵ 本 体 一 変 七 円 ︸ 号 一 九九 三 年四月 二 十五日発行︵毎月 一 回二十五日発行﹀

同和は

藤 田 敬 一 著 定 価 八 二 四 円 発行以来すでに六年 。 その聞に多くの読者に支え ら れ 、 数 々 の 論 噌 帽 を 生 ん だ。そしで いまなお新たな読者 を 護 得 し て い る 。 部落解放運動の存在根拠 そ の ものを、差別・被 差 別 の 関係総体の中に聞い直した本書は、﹁共同の 営み﹂と しての運動の創出を強く訴 え る 。

同和は

こ ぺ る 編 集 部 編 定 価 一 七 二 O 円 ﹁ 批 判 の 拒 否 は 、 結局 の と こ ろ 自 ら が H 練の王様 H に なる道しか残されていないと確信する:・部落民でな い お 前 に 何 が わ か る か な ど と は 決 し で 言 う ま い ﹂ ︵ 本書 よ り ︶ 。 || 解 放運 動あるいは部落問題やさ ら に 諸 差 別 の 問 題 に か か わ り 、 そ の 主 体の有機を 深く考えよう とする人々によ っ て 論 損 さ れ た 様 々 な 織 論 を 収 録 。

|中世文化と部落問題 を 追 っ て | 横 井 清 著 定 価 二 三 六 O 円 ﹁ 現実の部落問題に つ い て はむろんのこと 、 部落史 そ のものについても、今後は多数の人前で自らの音声を つうじで絡ることも教えてしなければ、読者 に 活 字 を と お し て : ・ 告 げ る こ と も ま た ・ : ﹂ ︷ 本 書 ︶ 。 ひ た す ら に 内なる心音の伝え来る差別意議の波長に耳傾けできた 著 者 が 、 遂 に こ の 一 容に独り 伶み、自らの軌跡を問 う 。

阿件社

京 都 市 上 京 区 考 町 今 出 川 上 ル 四 丁 目 舗 山 町 十 四 TEL 申 書 l z 翼 l 一 三 富 F AX O 壷 l 三 一 1 突 き 定価 三百円 発 売 阿 昨 社/ 京都市上京区寺町通今出川上ル四了目鶴山町14Tel 075-256-1364 Fax 075引 1-4870

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