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9 No の事業に入りました 手洗い は 水で洗い清めることですから 清流に通じるものがあります そのころの液体石けんの主原料は植物油だったそうですが それ以後も石油系油脂を使わず 植物系にこだわられたのは やはり環境への思いからなんですね 更家企業として扱う衛生と 熊野の清流

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Academic year: 2021

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時代は 「きれいごと」 を求めてい ると提唱する、環境ブランド日本一 のサラヤ株式会社は、創業から継承 する 「清流の感覚」 を企業風土とし、 一貫して、 環境に配慮した製品開発、 経営を貫いている。同社の代表取締 役 社 長 更 家 悠 介 氏 に そ の「 清 流 」 経営についてうかがった。

―今回の特集テーマは「ディープエ シカル」ですが、エシカルは、最終 的には個人一人ひとりが、消費や暮 らしのなかで実践することが重要で す。御社は、多くの消費者の方から 「環境に優しい」と支持されていま す。その経営の原点は、創業者、更 家章太氏の、故郷三重県熊野地方に 流れる「清流」への思いであるとお 聞きしました。 更家悠介氏   わたしは、そこに 2歳 までいたのですが、父の生家は林業 を営んでいまして、山奥の清流では 鮎や鰻が獲れ、豊かな自然のなかで 育ったので、父は環境に対する思い が強かったのだと思います。      ―自然との共生を体感されていたの ですね。大阪に出ていらしたのは、 どのような経緯が? 更 家   父 は、 「 予 備 士 官 学 校 」 で 終 戦となり熊野へ帰ったのですが、そ のままくすぶっているのもいやだと 思ったようです。   最初は滋養強壮薬(※ 1)を売ろ うと、サラヤの前身「三恵薬糧」を 始めました。それがあまり売れず、 紡績工場で「殺菌消毒できる石けん 液と、それを入れる容器があれば」 と言われたそうです。父は学校で応 用科学を勉強していたので、石けん 作りなら得意でした。 ― そ れ が 石 け ん へ の 道 筋 な ん で す ね。 更家   植物油から石けんを作り、安 全性が高い殺菌剤を入れて「パール パーム」という薬用石けん液を作り ました。1952年ですが、当時は 赤痢が多く、ニーズが多かったので 普及して、 これがきっかけで「衛生」

更家

悠介

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の事業に入りました。 ― 「手洗い」 は、 水で洗い清めるこ とですから、 清流に通じるものがあ り ま す。 そ の こ ろ の 液 体 石 け ん の 主 原 料 は 植 物 油 だ っ た そ う で す が、 それ以後も石油系油脂を使わず、 植 物系にこだわられたのは、 やはり環 境への思いからなんですね。 更家   企業として扱う衛生と、 熊野 の 清 流 で 育 っ た 自 然 観 か ら く る 環 境への思いが、 会社経営のキーワー ドになりました。 ― そ の お 父 様 の 背 中 を 見 な が ら 成 長なさった。 更家   昔なので工場と家が近く、 母 が昼飯を作り、 職工さんといっしょ に食べたりしていました。 ―ところが大学を出ると、 アメリカ へ留学。 一気にカルチャーが変わり ますね。 更 家   こ の ま ま 就 職 す る と 大 阪 漬 けになってしまうので (笑) 、 どこ かへ行きたいけれど、 行くなら海外 がいいと。 ― カ リ フ ォ ル ニ ア 大 学 バ ー ク レ ー 校でしたね、 どのような留学生活で したか? 更家   ちょうど1975年で、 ベト ナム戦争の終結の年でした。 サンフ ラ ン シ ス コ の ベ イ ブ リ ッ ジ を 渡 っ た 向 か い 側 に バ ー ク レ ー が あ り ま すが、 ユニオンスクエアなどには、 ま だ ヒ ッ ピ ー が た く さ ん い た 時 代 です。 みんながブレークスルーなイ メージを持っていて、 既成の価値観 に と ら わ れ な い 気 運 が あ り ま し た。 スタンフォード大学も、 サンフラン シ ス コ の 南 60キ ロ の パ ロ ア ル ト に あり、 カルチャーとして、 いまのI T 系 の 進 歩 と 繁 栄 に 続 い て い る と 思います。   当時の、 自由で、 物事にとらわれ ない雰囲気や空気が形を変え、 産業 で あ れ ば 従 来 の 枠 を 外 れ て 新 し い ものにチャレンジする。 あるいは、 そ う い う 人 を 応 援 す る ベ ン チ ャ ー キ ャ ピ タ ル が で き る よ う に な っ た。 そ の ベ ー ス と な る 雰 囲 気 が あ り ま し た か ら、 自 分 に と っ て も プ ラ ス だったと思いますね。 ―いい環境に、ご自分を置かれたん ですね。その後、卒業されてから、 呼び戻されて会社に入られた訳です が、その自由な雰囲気は、更家さん に 大 き な 影 響 を 与 え た の で し ょ う ね 。

―創業から自然派で、環境に配慮し た経営を一貫して守られてきた御社 ですが、ボルネオ島の環境問題に関 するテレビ番組「素敵な宇宙船地球 号」(2004年)で、企業として インタビューを受けられたことが一 つの転機になられたとか。 更家   「環境に優しいといっている けれど、実は環境に悪いんじゃない んですか。ヤシノミ洗剤に使うパー ム油をとるためにアブラヤシのプラ ンテーションが拡大し、それによっ て追われた野生生物が、生存の危機 にあります。それをどう思われます か」とインタビューされました。 ディープエシカルのすすめ

特集

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どの企業も、五年、十年経つ グ リ ー ン コ リ ド ー( 緑 の 回 た 自 然 と 融 和 す る 意 味 で グ テーションの多いサバ州に「ボルネ オ保全トラスト(BCT)」ができ ました。日本では、翌年に、特定非 営 利 活 動 法 人 ボ ル ネ オ 保 全 ト ラ ス ト・ジャパン(BCTJ)が発足し ました。 ―更家さんはその理事になられて、 ヤシノミ洗剤の売り上げ1%を寄付 する活動を始められたのですね。 更家   BCTJには、天王寺動物園 の園長さんはじめ、動物園協会の方 7、8人が参加し、リーダーシップ をとっているのは、旭山動物園の坂 東先生です。市民も参加する「オラ ンウータンのための橋」を作る活動 な ど を、 イ ニ シ ア テ ィ ブ を と っ て やっています。企業が前に出るより も、NPOがやったほうが賛同を得 やすいことがあります。 ―NPOとの協働で、視界が広がり ますね。商品に関するパーム油の問 題からはじまって、ボルネオの生物 多様性保全まで、一気に舞台が広が りました。

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更家   その舞台が面白いと思いまし た。時代の流れといいますか、ここ にわたしたちの働ける場があると感 じたのです。 ―商品だけの部分最適で終わるので はなく、全体最適、ホリスティック に捉え始めた、ということですね。 更家   環境政策や環境改善は、価値 観や目的がいろいろあるけれど、基 本的には、ホリスティックにオーガ ナイズできる、ホリスティックアプ ローチが重要です。 ―わたくしどもは、子どもの寄付の 教育をやっていますが、心理学の先 生に教えていただいたことに「共視 体験」があります。お互いが見つめ 合っているときの関係はまだ浅く、 同じ方向を一緒に見る、目指すとい う関係が共視体験で、お互いの関係 性も深まると。 更家   その意味で、わたしたちがし ているのは、消費者の方と、サプラ イチェーン上流の野生生物保護、ボ ルネオの方々との共視です。パーム 油を使う洗剤などの1%の寄付も、 お客様に買っていただいて、その思 いをオーガナイズすること。売って 1%というのではなく、お客様と一 緒 に ボ ル ネ オ と 生 物 を 大 事 に し ま しょうという感覚です。 ―企業のそういう動きが、お客様個 人としての行動につながるドライブ になればと願います。更家さんご自 身も、さきほどの理事や、特定非営 利活動法人ゼリ・ジャパン(※3) の理事長など、NPO活動も積極的 になさっています。 更家   私は、こだわらないほうで、 アドバイスはしますが、あまり口を 出さないんですよ。事業目的でいえ ば、企業は収益がひとつの目的です が、NPOは収益よりも社会的な関 係が強いので、一緒にやることで複 眼的になります。そこが面白いと思 います。 ―NPOにコミットするトップの方 が少ないと思うのですが、更家さん は、気負わずに参加されているので すね。 更家   さらさらと、ですね(笑)。

―環境への配慮を、先駆的に行って いる御社では、社員の方への教育や 研修はあるのですか? 更家   一過性でやっても意味がない と思っています。会社としてはIS Oや会社の経営目標のプロセスがあ るので、環境については、いくつか の切り口でやっています。折に触れ て発信するなかで、参画しやすい仕 組みやインセンティブを。例えば、 大和川・石川クリーン作戦は、工場 でオーガナイズして、 30人程で家族 の方も来られて、ゴミ拾いをやりま す。強制はしていません。自主的な 気持ちがあればいいなと思っていま す。 ―ボルネオでの活動などへの理解は どうですか? 更家   理解がないと、「どうしてボ ル ネ オ に 金 を 出 す の か、 そ れ な ら ディープエシカルのすすめ

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も、「なにかあったら言ってくださ いね」と言っています。お客様の声 や、現場を社員が見たときの声、社 員の声は、ドライビングフォースや 技術開発力になります。これらを経 営にどのように活かすのかが、大切 だと思います。 ―風通しのよさがあるのですね。そ こから清流の文化が生まれているの でしょうね。更家さんご自身もさっ ぱりとした性格で、その雰囲気を楽 しんでおられる。 更家   わたし自身がさらさらの理論 なんです(笑)。なにごとも物を持 つと物欲が生まれます。もちろん、 だれにも物欲はありますけど、あま りこだわらずにやっていけばいいの ではと思います。 ―では最後に、これからの課題を教 えてください。 更家   世の中がどんどん変わってい くので、変わっている世の中に、ビ ジネスとして対応していかなければ いけません。日本も高齢社会に突入 していきますが、子どもさんのマー ケットもあれば、高齢のマーケット もあります。変化の多いときにはた くさんの戦略があるので、そういっ たものを、一つの考え方、フィラン ソロピックな道筋でできるといいと 思います。 ―いまや、洗浄という衛生の分野か ら、健康食品や医療機器まで多角的 に商品開発をしていらっしゃるし、 アフリカ・ウガンダでの「100万 人の手洗いプロジェクト(※ 4)」 をはじめ、それに続くBOPジネス (※ 5)など、海外に事業を広げて いらっしゃいます。そのなかにあっ て、清流の精神はブレない軸なので すね。 更家   それが大事だと思います。海 外ですが、メコン川沿いにタイ・マ レーシア・ベトナム・カンボジアと 事業を広げ、現在ミャンマーで組織 づくりをしていますが、やりたいと 手をあげた社員が、現地に足を運ん でいます。フロンティアが広がって いて面白いですね。

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―御社では、ビジネスだけでなく、 地域の人たちと一緒に課題にも取り 組もうという夢を共有することで、 新たなビジネスも生まれ、課題解決 への道筋も見えてきますね。 更家   ややもすれば軸がブレやすい ので、それを社員と共有できて、お 客 様 を は じ め 多 様 な ス テ ー ク ホ ル ダーの方とも共有できるといいと思 います。 ―清濁飲み込む大河ではなく、あく までも谷間を自在に、自浄作用を宿 しながら流れる清流の経営。この清 流経営で牽引していただき、より多 くの人の意識が、 「いのちをつなぐ」 方向にいってほしいと思います。今 日はありがとうございました。 ※ 1   練薬「ねこいし」 熊 野 の 近 く 新 宮 で 古 く か ら 伝 わ る 健 康 薬 のこと、 「大力」 という商品名で売った。 ※ 2   持続可能なパーム油のための円卓会議 RS PO ( Ro un dt abl e on S us ta in abl e Palm Oil ) 世 界 的 に 信 頼 さ れ る 認 証 基 準 の 策 定 と ス テークホルダー (関係者) の参加を通じ、 持 続 可 能 な パ ー ム 油 の 生 産 と 利 用 を 促 進 す る た め の、 関 係 国 や 地 域 の NGO 、 農 園 経 営 者、 企 業 経 営 者 な ど で 運 営 さ れ る 非営利組織。 ※ 3   特定非営利活動法人 ゼリ・ジャパン ZERI ( Zero Emission Research and Initiative ) 資 源 と エ ネ ル ギ ー を 循 環 再 利 用 し、 廃 棄 物 を 0 に 近 づ け る ゼ ロ・ エ ミ ッ シ ョ ン 構 想 を 出 発 点 と し て、 日 本 に お け る 環 境 教 育の啓発と実践、 産業クラスター 〈連環〉 の 構 築、 会 員 企 業 へ の 情 報 提 供 や 技 術 指 導 な ど を 行 い、 循 環 型 社 会 を 実 現 す る た めに2001年に設立されたNPO法人 ※ 4   100万人の手洗いプロジェクト 2 0 1 0 年 に ス タ ー ト。 対 象 と な る 衛 生 商品の売り上げの 1% を寄付し、アフリ カ・ ウ ガ ン ダ で 展 開 す る ユ ニ セ フ 手 洗 い 促進活動を支援する。 ※ 5   BOPビジネス 東 ア フ リ カ で の 院 内 感 染 を な く す た め に、 ウ ガ ン ダ で、 ア ル コ ー ル 手 指 消 毒 剤 の 現 地 生 産、 医 療 従 事 者 へ の 教 育、 普 及 活 動 を 進 め て い る。 ま た、 カ ン ボ ジ ア で も準備調査事業をスタートした。 インタビュー   公益社団法人日本 フィランソロピ ー 協会 理事長   髙橋陽子 【 2 0 1 7 年 5 月 15日   サ ラ ヤ 株 式 会社大阪本社にて】 ディープエシカルのすすめ

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No.380 さらや・ゆうすけ 1951 年生まれ。1974 年大阪大学工学部卒業。1975 年カリフォルニア大学バークレー校工学部 衛生工学科修士課程修了。1976 年サラヤ株式会社入社。1998 年、代表取締役社長に就任。 その間 1986 年に大阪青年会議所の会頭、1989 年に日本青年会議所会頭を務める。2014 年、渋 沢栄一賞受賞。その他、特定非営利活動法人ゼリ・ジャパン理事長、特定非営利活動法人ボルネオ保 全トラスト・ジャパン理事、特定非営利活動法人エコデザインネットワーク副理事長、ボルネオ保全 トラスト(BCT ) 副理事長などを兼任。 2015 年、BCT と共に社員もキナバタンガン川沿いで植林を実施。

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