Bull.Fac.Educ.HirosakiUniv.94:105‑116(Oct.2005)
「 教員養成学」の可能性 と課題
‑ 「学」 としての独 自性の視点か らの‑試論‑
ThePo s s i bi l i t i e sa ndPr o bl e mso ft he" Sc i e nc eo fTe a c he r Educ a t i o n' ':Fr o m t heVi e wpo i nto ft he Ac a de mi c Or i gi na l i t y
遠 藤 孝 夫*
TakaoENDO■
【論文要 旨】
弘前大学教育学部が提 唱 している 「教員養成学」 とは何かについて,特 にこの新 たな学問領域の 「学」 と しての独 自性 を明 らかにす ることか ら,「教員養成学」が教員養成 とその研 究の在 り方 に切 り開 くことがで きる可能性 と課題 を検討 した。「教員養成学」 は研究 目的,研 究領域 ・課題及 び研 究方法の点で従来の研究 とは異 なる独 自性があるが,それは大学が教員養成‑ の 「責任」 を自覚 したことを根底 とす る ものであ り, また 「教員養成学」の構築 を通 して,教員養成学部の 自律性 と自己変革のための理論的基盤が形成 されるこ とが確認 された。
キーワー ド :教員養成学,教員養成学部,責任の 自覚,臨床の知,協働的なアプローチ
1.は じめに
弘前大学教育学部は,質の高い教員の養成 とい う喫緊の課題 に応 えるために,新 たな学問領域 と して 「教員養成学」 の構築 を提 唱 してい る。「教 員養成学」 とは,教員養成学部における教育 と研 究の総体 を不断に検証す ることを通 して,その教 員養成活動の質的改善に資す ることを目的 とした 学問である。 弘前大学教育学部では, この 「教員 養成学」の構築 と連動 して,学部の教員養成 カリ キュラム及 び組織 の改革 に踏み出 している。 平成 15年10月に学部内措置 として発足 した 「教員養成 学研 究 開発 セ ンター」 は,平成17年4月か らは, 文部科学省 による予算措置 を受 け,専任教員2名 を配置 した学部附属施設 として本格的な活動 を開 始 した ところである。
しか し, これ までにも教員養成 (教 師教育) に 関す る数多 くの研究や実践が行 われて きた事実 を 考慮すれば,い ま敢 えて 「教員養成学」 とい う新 たな学問領域 を構築す る意味 と必要性が厳 しく問 われな くてはな らないだろ う。 と りわけ,「教員 養成学」 を構築す ることが,教員養成 とその研究 の在 り方 に如何 なる新たな地平 を切 り開 く (可能 性)があるのか, またそ うした 「教員養成学」の
可能性 を現実の もの としてい く上での (課題) は 何であるのか, とい う問いに答 えることが求め ら れている。 この こ とは同時 に,「教員養成学」 の 研究対象 と研究方法 とが これ までの教員養成 (教 師教育) に関す る研究 との比較で どの ように異 な るの ものなのか,つ ま り 「教員養成学」 の 「学」
としての独 自性 を明 らかにす ることと表裏一体の 関係 にあることは言 うまで もない1)。
そ こで,以下,本稿 では,新 たな学問領域 とし ての 「教員養成学」が秘めている可能性 と課題 と を,「教員養成学」の 「学」としての独 自性 を分析 ・ 検討す ることを通 して,明 らかにす ることを課題
とす る。 もとよ り,「方法 は,研 究の前提 であ る と同時に産物 であ り,研究の道具であると同時に 結果である」 (ヴイゴツキー)2)。だ とすれば,「教 員養成学」の 「学」としての方法論 (在 り方)は, 今後の 「教員養成学」 による具体 的な研究成果 と
も関連づ け られなが ら,その都度何 度で も練 り上 げ られるべ きものであるだろ う。 その意味で,「教 員養成学」の 「学」 としての独 自性及 びそれを基 盤 とす る 「教員養成学」の可能性 と課題 に関す る 本稿 は,現時点での‑試論の域 を出るものではな
い 。
*弘前大学教育学部学校教育講座教育学分野
DepartmentofSchoolEducation(EducationalScience),FacultyofEducation,HirosakiUniversity
2.「教 員養成学」の根底 にあるもの 一 大学 が 教員養成に 「責任」を持つ との 自覚‑
(1)大学 が教 員養成 に 「責任」を持つ との 自覚 と 宮城教育大学の改革
「教員養成学」 とい う新 たな学 問の構築 を促す 原動力, この新たな学問の根底 にある最 も基本的 な理念,そ して これ までの教員養成 (教 師教育) に関する研究の在 り方 との大 きな差異,それは大 学 (学部)が教員養成 に 「責任」 を持つ とい う明 確 な自覚の存在である。 これまでの研究において ち,個 々の研究者 (特 に教育学者)が教員養成 に 強い情熱や高い課題意識 を有 して研究 して きたこ とは事実であろうが,多 くの場合 はそれは個 々の 研 究者個人の研 究 とい う枠 に限定 されてお り, 従 ってその研究者が所属する大学 (学部) におけ る教員養成の在 り方 を全体 として改革することに 結びつ くことは皆無 に近かった と言 えるだろう。 大学 (学部) における4年 間の教員養成 カリキュ ラムを想起 してみるだけで,教職科 目か ら教科教 育科 目,教科専 門科 目さらには教育実習 と,そこ には実 に多様 な内容 と形態の授業科 目が存在 し, しか も教員養成学部 (教員養成単科大学 を含む。
以下同様 とす る)の場合 には少 な くとも100人前 後 の大学教員がそ こに関わ ってい るこ とが知 れ る。 このことか らだけで も,質の高い教員 を養成 するための改革を現実的に行 うことが,少 な くと
も一つの教員養成学部 としての組織的な取 り組み な しには不可能であることは明白であろう。 その 際に不可欠なものは,一つの組織体 としての教員 養成学部が教員養成 に対 して 「責任」 を持つ こと を明確 にすること,この 「責任」の 自覚が大学 (学 部)全体の中で共有 されていることなのである。
これ までの我 が国の教 員養 成 とその研 究 の中 で, このような意味で大学 (学部)が教員養成 に
「責任」 を持つ との 自覚 は皆無 に近かった と言わ ざるを得 ない。そ うした中で,希有 な事例 として, 1970年代 の宮城教育大学 を指摘 す る ことがで き る。 東北大学の教員養成課程 を分離 ・独立 させ る 形で,1965年 (昭和40年) に設立 された宮城教育 大学 において,全国的に注 目されるような大学改 革 に乗 り出すのは,林竹二が第3代 目学長 として 就任 した1969年以降の ことである3)。 この宮城教 育大学 の一連の教員養成改革 を通底 していたの は, まさに大学が教員養成 に 「責任」 を持つ とい う自覚であった。 この ことは当時の林学長の言葉
として再三にわたって言明 されていた。例 えば, 林は戦後の教員養成の原則の一つである 「大学に おける教員養成」の意味に関連 して次の ように述 べている。
「それは (引用者注 :大学で教員 を養成す ると い うこと),い ま一瞥 した ように,学問 と教育の 自由が保証 された,長い伝統 をもつ大学 において, 大学の責任 において教員 を養成するとい うことで あ ります。大学の責任 において とい うのは,いろ いろな基準 とか制度や法規 とい う制約 を無視 し て, とい うのではない。そ うい う制約の下でなさ れる仕事であるにもかかわ らず,その教育 に対 し て大学が最終的な責任 をもつ とい うことです。そ れであっては じめて大学がその責任 において,教 員養成 をするとい うことが言えるわけです。大学 が本気で教員養成の仕事 にとりくむ責任の意識 と 計画 をもたず,その意志 と能力 を欠 くとい う事実 があっては,国家が直接 に教員養成 にたい して責 任 をとるとい う形が出て来て も, これを批判する 我 々の立場 は よわい もので しかあ りえないので す。」 4)
ここには,「大学 における教員養成」の原則 は, ただ単に大学で教員養成が行われているとい う制 度があるだけでは不十分であ り,大学が教員養成 を担 うとい う 「責任の意識 と計画」が必要 とされ ることが確認 されている。 同様 に,林 は自らが学 長 を務める宮城教育大学で進行 中の改革に関連 し て,それは 「本当にささやかなもの」にす ぎない と謙遜 しつつ も,「それで も大学 とは一体何 なの か,特 に教員養成 に対 して責任 をもつためには大 学はどうしなければな らないか とい うことを考 え なが ら,及ばずなが ら改革の努力 は重ねて きたわ けです」 5)とも述べていた。
「教員養成学」 は, この宮城教育大学の大胆 な 教員養成教育改革の指導理念 とも言 うべ き,大学 が教員養成に 「責任」 を持つ とい う自覚 を継承す る学問なのである。 しか し, この ような認識が, 弘前大学教育学部において 自覚 されるまでには, い くつかの契機が必要であった。
(2)弘前大学教育学部 にお ける 「教 員養成学」構 想の成立過程
1970年代の宮城教育大学の改革以降,大学 (学 部) として教員養成 に 「責任」 を持つ との明確 な
自覚 に基づ く改革 は殆 ど見 られ ない状 況が続 い た。 しか し,1991年 (平成3)の大学設置基準大 綱化 に始 ま り,国立大学の法人化へ と至 る我が国 の大学政策の一大転換, さらに2001年 (平成13)
のいわゆる 「在 り方懇」報告書 は,教員養成 に対 する大学 (学部)の認識の変化 を促す契機 とな り,
「教員養成学」構想へ と向かわせ る外的要因 となっ た。
まず,1991年 (平成3年)の 「大学設置基準」(文 部省令)改正 は,同基準が1956年 (昭和31年)に 制定 されて以来の大幅な改正 となった,改正のポ イン トは次の2点であった6)。第1に,一般教育や 専門教育 といった授業科 目区分が廃止 され,基本 的には大学 (学部,学科)の教育 目標 に応 じて必 要な授業科 目を開設することがで きることとされ たことである (設置基準 の大綱化)。それ に伴 い 各大学 においては,学校教育法 に定める大学の 目 的をより具体化 した教育 目標 を検討 し,「体系的に 教育課程 を編成する」 (第19条)ことが求めらるこ ととなった。第2に,大学はその 目的や社会的使命 を達成す るために, 自らの 「教育研究活動等の状 況 について 自ら点検及び評価活動 を行 うことに努 めなければならない。」 (第2条) と規定 され,努力 要請なが らも,大学 における自己点検 ・自己評価 の実施が初めて法制上明記 されたことである7)。
この大学設置基準改正以降,一般の大学 (学部) においては, 自らの教育 目標やそれに即 したカリ キュラムの見直 しや 自己点検 ・評価の報告書の刊 行が開始 された。それ と比べ ると,大方の教員養 成学部の場合 には,1991年の基準改正への対応 (特 にカ リキュラムの見直 し) は極 めて鈍 い もので あった。その最大の要因 としては,教員養成学部 の場合 には 「国の計画養成」 とい う庇護の下で, 教育職員免許法の適用 を受け,教員養成 カリキュ ラムも基本的にはその法律の枠組みを踏襲すれば 事足 りて しまう事情があった と考えられる。 事態 は1998年 (平成10)の教育職員免許法改正 におい て も基本的に変化はなかった。
それだけに,2001年 (平成13)11月に提 出され た 「国立の教員養成系大学 ・学部の在 り方 に関す る懇談会」報告書 (以下,「在 り方懇」報告書 と 略記)は,大 きな衝撃 として教員養成学部 に受け 止め られた。「在 り方懇」報告書 は,「これまでの 国立の教員養成学部は,1都道府県1教員養成学部 とい う配置の下,各学部 ともほぼ等質的な体制で 教育研究が行 われて きた」 と現状診断 し,「これ
までの横並び的な教員養成の在 り方か ら脱却 し, それぞれの学部が, 自らの専 門的立場 に立脚 した 見識により,社会の変化や子 どもたちを取 り巻 く 環境の変化 を的確 にとらえた教員養成 カリキュラ ムを編成 し,教員 としての専 門性の育成 と発展 に 不断に努力 してい くことが求め られる。」 と指摘 した。さらに,教員養成学部が如何 なる教育 目的・
理念 の下で如何 なるカ リキュラムで教育養成 を 行 ってい くのかに関 して,「各教員の コンセ ンサ スが不十分であ り,そのことが教員養成学部 とし ての専 門的な立場 を明確 に し,教育全体のまとま りと特性 を発揮 してい く上で大 きな障害 となって い る」,との指摘 もな された。 この 「在 り方懇」
報告書の内容は,先の林竹二の言葉 を借 りるなら ば,教員養成学部には何 よ りも 「本気で教員養成 の仕事 にとりくむ責任の意識 と計画」が欠如 して きた こ とを端 的 に指摘す る ものであ ったのであ る。
では次 に,以上のような教員養成学部 を取 り巻 く状況の中での弘前大学教育学部の対応 とそこで の 「教員養成学」構想の展 開を確認 してみ よう。
弘前大学教育学部 は,前述 の大学設置基準改正
(1991年) を受 け,やや遅 れて1994年 (平成6)3
月に,初めての 自己点検 ・自己評価の報告書 を纏 めている。 その中では, まだ 「教員養成学」 とい う用語 は使用 していない まで も,それ までの免許 法 を安易 に踏襲す るカリキュラム編成 を反省 し,
「教員養成大学 ・学部 における教育 を体系 的に編 成す るための実証的 ・理論的研究」の必要性が指 摘 されてお り, このことは後の 「教員養成学」構 想の萌芽の表明 として重要である8)。2000年 (平 成12)年3月の 「弘前大学教育学部が 目指す基本 的方向に関する提言」 (学部将来計画委員会作成) においては,初めて 「教員養成学」 とい う用語が 使用 され9), さ らに2002年 (平成14)3月刊 行 の 第2回 目の 自己評価報告書10)では,
「
『教員養成学』 の創造 ・構築 に,教育学部 を構成する教官全員が 協力 して取 り組む」ことが課題 として指摘 された。ただ し, この段 階での 「教員養成学」の構想 は, あ くまで も教育学部が取 り組むべ き課題の確認 と い う次元 に止 まり,そのことが具体的な行動 を導
くものではなかった。
弘前大学教育学部が,本格 的 に 「教員養成学」
の構想及びそれ と連動 した教員養成の質的改善に 向けた具体 的な行動へ の照準 を定めるのは,「在 り方懇」報告書 に端 を発す る北東北地 区3教員養
成系学部の再編 ・統合論議の渦中においてのこと であった。北東北3大学教員養成系学部長懇談会 (以下,「3大学懇談会」と略) は,2001年 (平成
13)12月に第1回 日が開催 され,以後翌年 にかけ て断続的に継続 された。 この論議の過程で,弘前 大学教育学部は教員養成に関わるの 自らの在 り方 を厳 しく自問することを強い られ,いわば自らの (存在証明) とも言 うべ き文書 として,「教員養成 系学部の再編 ・統合 に関する構想試案」 (以下,「構 想試案」 と略) を練 り上げていった。「構想試案」
は,「3大学懇談会」において,弘前大学教育学部 の基本方針 を表明するために学部基本構想委員会 が作成 した文書であ り,改訂 される毎に学部教授 会にも報告 され, また再編 ・統合問題に関する学 部の基本方針 として対外的にも公表 された もので ある。
その中で も,2002年 (平成14)5月9日付の 「構 想試案」 (同月の学部教授会で報告) は,特筆す べ き文書である。 何故なら, この文書では,弘前 大学教育学部が,再編 ・統合後の 「教員養成担当 大学の学部 とな り,北東北3県の教員養成 と教育 の諸問題 に対 し,責任 を全 うす ることをめ ざす」
と記 され,「責任」とい う言葉 を使用 して,弘前 大学教育学部が教員養成 を担 当す る明確 な意志 と その重 い使命 の 自覚 が表明 されていたか らであ る。 これ以後, この教員養成 に対する 「責任」の 自覚の深化 と相侯 って,「教員養成学」の構想 は 次第に具体的で現実的な姿 を現す ことになる。 す なわち,同年7月10日付 け 「構想試案」では,5月 の 「構想試案」をさらに発展 させて,「『教員養成 担当大学の学部』 にふ さわ しい弘前大学教育学部 再編案の構想」の一つ として,「教員養成学研究 開発 セ ンター」を新 設す るこ とが言明 されるに 至った11)。弘前大学教育学部が教員養成 に「責任」
を持つ こと,そのためには新 たな学問領域 として の 「教員養成学」が不可欠であること, さらにそ の推進組織 としての 「教員養成学研 究 開発 セ ン ター」を設置す ること, これ らの 「構想試案」の 方向性 は,最終的には同年11月の学部教授会 にお いて も承認 された12)。
一方,教員養成学部 の再編 ・統合 論議 は,翌
2003年 (平成15)に入 ると,平成16年度か らの国 立大学法人化の動 きや地元 自治体の反発等 に基因 した と推定 される文部科学省の方針転換 に伴い, 急速に頓挫 をきたす こととなった。だが,一旦, 教員養成に 「責任」を持つ との 自覚 に立脚 してか
らの弘前大学教育学部は,そ うした外的状況の変 化には作用 されることな く,先に決定 した基本方 針に沿 う学部改革 を推進 していった。すなわち,
2003年10月には,「教員養成学」構想 に基づ き, 弘前大学教育学部における教員養成の質的改善の ための推進組織 として 「教員養成学研究開発セ ン ター」が設置 され,同セ ンターは文部科学省への 概算要求 を経て,前述 の通 り2005年4月か らは専 任教員2名 を配置 した学部附属組織へ と発展 して いったのである。
3.「教員養成学」の 「学」としての独 自性 市川によれば,「少な くとも研究 目的,対象領域, 研究方法,理論体系 などの うち一つ くらいは他 と
は異 なるところがなければ,独立 した学問 とは認 め られない」13)とい う。 では,「教員養成学」の 場合はどうであろうか。 ここでは,研究 目的,研 究領域 ・研究課題,研究方法の点に注 目して,「教 員養成学」の 「学」としての独 自性 を検討 してみ たい。上述 した 「教員養成学」の根本理念,すな わち (教員養成に責任 を持つ との 自覚)が,何 よ りも 「教員養成学」の教育 目的,研究領域,研究 方法の在 り方 をも規定 していると考えられるか ら である。
(1)研究 目的の独 自性
「教員養成学」は,「教員養成」に関す る 「学」
であるが,それは一般論 として,あるいはまった く客観的な分析対象 としての 「教員養成」の在 り 方を研究す ることを目的 とす るものではない。そ れはあ くまで も研究者 自らが帰属す る教員養成学 部における 「教員養成」の在 り方 を研究 し,その 総体 としての質的改善に資することを究極的な目 的 とするものである。 このことは,既 に佐藤が「教 員養成学」の学問的性格 を論 じた論文において,
「個別性」とい う言葉で説明 していた「教育養成学」
の特 質で もあ る。佐藤 に よれば,「教員養成学」
は 「一般論的な教員養成のための カリキュラム開 発や教員養成学部の在 り方」のための学問である べ きではな く,あ くまで も 「それぞれの教員養成 学部の教員養成活動」を研究対象 とする学問なの である14)。「教員養成学」の研究 として,仮 に我 が国の教員養成政策を分析 した り,教員養成制度 の歴史的研究 を行 った り,あるいは諸外 国の教員 養成の在 り方 を検討することも当然あるであろう が,そ うした場合で も,それ らの分析 ・検討が,
最終的にはその研究者 自身の帰属する教員養成学 部の教員養成教育の給体の質的改善に寄与するも のであることが常 に自覚 されて行 われること, こ の点に 「教員養成学」の研究 目的の独 自性がある
と言えるだろう。
こうした「教員養成学」の研究 目的の独 自性 は, 従来の教員養成 (教師教育)に関する研究及びそ の教員養成学部 との関係 に対する真筆な反省 に根 ざしている。 すなわち,これまでにも教員養成 (教 師教育)に関する膨大 な研究の蓄積が存在 し,そ の中には個 々の教員養成学部における教員養成教 育の具体的な問題 にまで踏み込んだ研究 も数多 く 執筆 ・発表 されている。 また, 日本教育学会 も, 学会 を挙げての重要な取 り組みの一つ として教員 養成 (教師教育) を位置づけ,1983年にはこれま での ところ最 も包括的な教員養成 に関する研究成 果 と目される 『教師教育の課題 ‑す ぐれた教師 を育てるために‑』 (日本教育学会教 師教育 に関 す る研究委員会編 ・長尾十三二代表) も刊行 され ている。 さらに,1991年設立の 日本教師教育学会 (初代会長 :長尾十三二)か らも,全3巻か ら成 る
『講座教師教育学』 (学文社,2002年)が刊行 され ている。にもかかわ らず, こうした一見盛んな研 究活動の一方で,前述 の ように,「在 り方懇」報 告書 において,教員養成学部の在 り方に関 して,
「ほぼ等質的な体制で教育研 究が行 われて きた」
ことや,教員養成学部 としての 「目的 ・理念」お よび教員養成 カリキュラムに関する 「各教員の コ ンセ ンサスが不十分であ り,そのことが教員養成 学部 としての専 門的な立場 を明確 に,教育全体の まとま りと特性 を発揮 してい く上での大 きな障害 となっている」 15)との,痛烈 な批判が浴 びせ ら れている現状がある。 ここには,教員養成 (教師 教育)に関す る数多の研究はあって も,その研究 が個 々の教員養成学部における教員養成の在 り方 を根底か ら支 え,それぞれの教員養成学部の独 自 性や個性 を発揮するための理論的基盤 とな り,質 の高い教員 を養成するとい う結果 を導 くとい う機 能を果た してこなかった とい う問題がある。 端的 には,教員養成 に関する研究 と個々の教員養成学 部 との間には,大 きな溝が横 たわっていると言わ ざるを得 ないのである。
では, こうした教員養成 に関す る学問研究 と教 員養成の現実 との断絶 を架橋するためには,何が 求め られるだろ うか。それは,「大学の責任 にお いて教員 を養成するとい うこと」 (林竹二), この
「責任」 とい う明確 な 自覚の下で教員養成 に関す る研究 を推進すること以外 にないであろう。 すな わち,教員養成に関する研究が,研究者 自らがそ の 「責任」の一旦 を担 い,従 って主体的に関与す る必要のある教員養成学部における教員養成の在 り方の質的改革に寄与す ることを目的 としてなさ れることなのである。「教員養成学」 はこうした 極 めて実践性 の高 い研 究 目的 を掲 げる学 問であ り,教員養成に対する 「責任」の 自覚 こそが こう した独 自の研究 目的の設定 を生み出 した言えるの である。
(2)研究領域 ・研究課題の独 自性
1)主たる研究領域 としての (大学 における教員 養成)
改めて確認す るまで もな く,教員 (教師) とし ての資質 ・能力 (専 門的力量)は,大学 (大学院 を含めて)における養成段 階か ら,採用段 階, さ らに現職研修段 階の全 ての‑貢 した過程 を通 し て,つ ま り生涯 を通 して育成 される必要がある。
こうした養成か ら現職研修 までの一貫 した過程の 中で教員の資質 ・能力の育成 を捉 えるとい う認識 と研究動向は1980年代以降の大勢 とな り,それに 伴いそれまで主たる用語であった 「教員養成」な い し 「教 師養成」 に代 わ り,「教 師教育」が使用 され るようになった。1991年8月に創設 された 日 本教 師教育学会の 「入会の ご案内」では,「教 師 教育」 とい う概念 に関 して,「教 師」 とは 「学校 の教職員はもとより,社会教育や福祉 ・医療 ・矯 正教育などに携わるさまざまな分野の教育関係者 を含 めて」の広い概念 であ り, またその 「教育」
とは 「大学の教員養成だけではな く,教職員やそ れをめざす人たちの 自己教育を含め,教育者の養 成 ・免許 ・採用 ・研修 などの力量形成の給体」 を 意味す るものであると定義 されている。
これに対 して,「教員養成学」 は,以上の よう な経緯 を十分に認識 しつつ も,敢 えて主たる研究 領域 を 「教員の養成段 階」 とし,大学 (大学院を 含 む)における教員養成の側面に焦点づけて研究 を推進 しようとするものである。 その場合の 「教 員」 は,基本的には,学校教育法第1条で規定 さ れる 「学校の教員」 を指 している。 確かに,その 場合であって も,学校の教員 と関連 させて,その 他の 「教育関係者」 を考察の対象 とすることはあ るだろうし, また採用段 階及び現職研修段 階 との 緊密 な関連構造の中で大学での養成段 階の在 り方
を検討することが必要 とされることも,極めて当 然のことではある。 しか し,いたず らに研究領域 が拡散することを回避 して,大学 における教員養 成の在 り方 に焦点 を合 わせて,教員 としての生涯 にわたる職能成長 を可能にす る基盤形成のために 大学がなすべ きことは何 なのか とい う問題 に, ま ずは全力 を傾注 しようとする点に,「教員養成学」
の独 自性がある。そ して,こうした 「教員養成学」
における研究領域の 自己限定 という在 り方は,何 よりも大学が教員養成 に 「責任」を負 うことを自 覚 し,大学の 「責任」 においてなすべ きことは何 かを真筆に反省 したことの必然的な帰結なのであ る。
2)研究課題 一教員養成 カリキュラム研究 と学 部組織研究の同時進行‑
では,「教員養成学」の主たる研究領域 を大学 における教員養成 に焦点づけるものであるとした 場合 に, よ り具体的には どの ような研究対象 ・研 究課題が想定 され,それはまた従来の教員養成 (教 師教育)研究 と比べ如何 なる独 自性が見 られるで あろ うか。「教員養成学」の主たる研 究課題 につ いては,既 に佐藤の論文 「『教員養成学』 の学 問 的性格」や拙稿16)において も, また横須賀 によ る 「教員養成学」の提言的発言 も含めて.若干の 検討が行われて きている。 それ らの先行研究や こ れまでの教員養成学研究開発セ ンターの活動実績 なども踏 まえると,現時点では以下の ような 「教 員養成学」の研究課題が想定 される。
(A)教員養成 カリキュラム研究分野
①体系的な教員養成 カリキュラムの研究 (特 に 小学校教員養成 カリキュラムの在 り方にも十 分留意 した研究)
②教職科 目 ・教科専 門 ・教科教育法の有機的連 関及び個 々の内容 に関す る研究
③教育の実践 (体験) と理論 (研究)の統合の 在 り方に関する研究 (特 に教育体験の省察の 方法論に関する研究)
④効果的な教育実習の内容 ・形態に関する研究
⑤大学院におけ教員養成の在 り方に関す る研究 (学部 との連続性,現職研修 を含む) (B)教員養成学部組織研究分野
①教員養成学部の構成原理に関する研究
②教員養成教育の効果検証及びその方法論 に関 する研究
③教員養成学部教員に必要 な資質 と教員組織 に 関する研究
④地域社会のニーズ と子 どもの実態 を踏 まえた
「望 ましい教員像」の研究
⑤学部 と附属学校の連携 ・協働の在 り方に関す る研究
以上の ような 「教員養成学」の研究課題の設定 に見 られる独 自性 として, ここでは最 も重要な点 として次の2つの ことを指摘 してお きたい。
まず第1に,教員養成 カリキュラム研 究 と同時 並行的に,教員養成学部組織研究が研究課題 とし て措定 されていることである。教育実習の内容 ・ 形態,教科専 門と教科教育の連関などを含めた教 員養成カリキュラムに関する研究は,「体系的」な カリキュラム編成 を除けば. これ までにも比較的 多 く研究 されて きた研究課題である。「在 り方懇」
報告書 と日本教育大学協会による 「モデル・コア・
カリキュラム」発表以降は,教育職員免許法 に準 拠 した安易 なカリキュラムではな く,教員 として の資質 ・能力を如何 なる全体的 ・体系的な教員養 成 カリキュラム構造の中で育成す るのか という基 本的課題 も, ようや く検討 される気運が生 じて き ている。「教員養成学」において も,まさにこの意 味での 「"教師の資質"形成のみちす じ」 17)を明 確 にした体系的な教員養成 カリキュラムの編成が 重要な研究課題 となることは言 うまで もない。
しか し,同時に, こうした教員養成 カリキュラ ムを根底で支え,かつ円滑 に実施 してい くための 教員養成学部の組織体制の在 り方の研究が推進 さ れ,かつ具体化 なれるのでなければ,体系的な教 員養成 カリキュラム も (砂上の楼閣) と化 して し
まう。 日本の大学人は 「自らを 『研究者』 として 自己規定 し 『教師』 としての使命 と役割 をないが しろにして きた現実がある」18)とすれば,教員個々 人の 「学問 とその教授の 自由」 を保障 しつつ,体 系的な教員養成 カリキュラム等の教員養成学部 と
しての教育 目標の実現 に向けて,学部を構成する 全ての教員が如何 にして協力する体制を整備する ことがで きるのか, という問題 に真剣 に取 り組 ま な くてほな らないだろ う19)。「教員養成学」 は, こうした実態 を踏 まえて,大学が真 に教員養成 に
「責任」 を果た してい くために,「教員養成学部組 織研究」 を,教員養成 カリキュラムに関する研究 と同時並行的に行 っていこうとしている点に,大 きな独 自性 を有 している。
第2に,教員養成教育の効果検証及 びその方法 論の研究 を重要な研究課題 として設定 しているこ とである。 このことの重要性 を豊嶋秋彦は端的に 次の ように指摘 している。「カリキュラム改革は, 単なる教育論議 に発する制度作 りで終わるわけに はいかない。 カリキュラム も教育それ 自体 もその 成否は学生に生 じた変化,すなわち 『効果』の, 実証的把握 によってのみ検証で きる。 教員養成学 は効果研究 を必須 とす るのである。」 20)
この教員養成教育の効果検証は, これまでの教 員養成 (教師教育)に関す る研究においてほぼ等 閑視 されて きた ものである。「教員養成学」が真 に教員養成に対する 「責任」の 自覚 を根底 に有 し て行われる以上.個 々の教員養成学部で構想 され, 実施 されている教員養成教育が,学生の教員 とし ての資質 ・能力 の育成 に とって如何 なる効果が あったのかを検証することは欠かせない。 この教 育効果検証な しには,教員養成教育の意味ある改 善は期待で きないか らである。 但 し, この教員養 成教育の効果検証は,一般の教育のそれ と同様 に, 何 を 「効果」 と考 え,かつそれ を如何 に 「検証」
するのか,つ ま り教育効果の検証の方法論 を定め ることは極めて困難な課題で もある。 従 って,「教 員養成学」においては,教員養成教育の効果検証 とともに,その検証の方法論の研究が重要な課題 とされている。 この検証の方法論の研究 において は,豊嶋が試行的に行 っている心理統計的手法 と 同時に,稲垣忠彦 らが試みたことがある 「ライフ コース研 究」の方法論21)も参照 され ることが必 要だろう。
(3)研究方法の独 自性
‑
「臨床 の知」と 「協働 的なアプローチ」‑さて,上述の ように,教員養成に対する 「責任」
の 自覚 を根底 に据 えて,研究者 自らが帰属する教 員養成学部 における教員養成活動の総体の検証及 びその改善 を行 う学問が 「教員養成学」であると すれば,それを推進す るための研究方法 には, こ れまでの教員養成 (教師教育) に関す るそれ とは 異 なる方法原理が必要 となるだろう。 もとより,
「教員養成学」において も,これまでの教員養成 (教 師教育)に関する研究で も見 られた方法論,代表 的には政策 ・制度的研究,教育方法的研究,比較 的研究,歴史的研究,思想的研究,実証的研究 (社 会学的研究 と統計的研究)等が,基本的には今後 も有効 な研究方法 (アプローチ) として継承 され
るべ きことは言 うまで もない。その意味では,「教 員養成学」の研究方法は多様 な在 り方が考えられ,
「教員養成学」の 「学」 としての独 自性 は見 られ ない とも言えるか も知れない。 しか し,従来の よ うな多様 な研 究方法 に よって対象 に迫 る場合 で あって も,「教員養成学」 としての研 究 を行 う際 には,以下のような二つの独 自な基本原理 (方法 原理)が求め られることになる。
まず,第一点は,「教員養成学」が依拠する 「知」
の基本的在 り方 として,伝統的な 「科学の知」に 対 して,「臨床の知」 (中村雄二郎)が重視 される ことになることである。 何故な ら, これまでの研 究 においては,基本 的には教員養成 (教 師教育) を研究者か らは一定の距離 を保つ ことがで きる, いわば (客観的)な分析対象 として措定すること がで きたの対 して,「教員養成学」 においては, 研究者 自らが (日常的)かつ (主体的)に関与 し ている 「責任」を負 うべ き教員養成教育の在 り方 を研究対象 とし, しか もその研究成果 に基づいて 教員養成教育の実践 を行 うことが求め られるか ら である。 そこでは,近代科学 (学問)の方法原理 である研究者 (主体) と研究対象 (客体)の分離 を保つ ことは不可能 とな り,む しろ研究対象 との 密接 な関係の中で,研究者が 自らの教育実践 を持 続的に相対化 しつつ 「知」 を導出するとい う方法 原理が必要 となる。 この新たな「知」の在 り方は, 一般 に 「臨床の知」 として知 られるものであ り, 近年多 くの学問の方法論 として援用 されつつある ものである。「臨床の知」 とは,周知の ように,「普 遍性」 と 「論理性」 と 「客観性」を構成原理 とす る近代科学 (学問)の偉大 な成果 と同時にその限 界 も指摘 される状況の中で, この近代科学の方法 に対するオルターナティブとして提起 された方法 原理である。「臨床の知」は 「コスモロジー」(固 有世界),「シンボ リズム」 (事物 の多義性),「パ フォーマ ンス」 (身体性 をそなえた行為) を構成 原理 とするものであ り.それは端的に 「個 々の場 所や時間のなかで,対象の多義性 を十分考慮 に入 れなが ら,それ との交流のなかで事象 を捉 える方 法」 22)と規定 されるものである。 この 「臨床の知」
の方法原理 に即せば,「教員養成学」 は,一つの 有機的秩序 を有する個 々の教員養成学部 とその教 員養 成教 育 を フ ィー ル ドと し,研 究 者 が そ の フィール ドに 「身体 をそなえた主体」 として関与 し,「受動 ‑受苦 にさらされるとい うこと」,つ ま り 「各人が身を以てする決断 と選択 を通 して,隠
された現実 の諸相 を引 き出す こと」 23)を,基本 的な方法原理 としているもの と言えるだろう。
「教員養成学」の研 究方法 における独 自性 とし て, もう一点指摘すべ きことは,「協働 的なアプ ローチ」 とい う側面である。「教員養成学」が上 述の ような研究 目的 と研究対象 ・課題 を自らに課 している以上,その研究は, これまでの多 くの研 究の ように,研究者の個人 としての課題意識 (研 究意図)に基づ くもの というよ りは,む しろ教員 養成 に 「責任」 を負 うことを自覚 した教員養成学 部の決意 と方針 に基づ くもの とな り,教員養成学 部に所属する教員で構成 される一つの「研究組織」
(弘前大学 の場合 には教 員養 成学研 究 開発 セ ン ターを設置)の形態で推進 されることが必要 とな るだろ う。 そ して,「教員養成学」 を推進す るこ の研究組織 においては,教科専門か ら教職専 門ま で多様 な学問 (専 門)の大学人が,それぞれの専 門 (学問)の垣根 を超 えて,智恵 と経験 との交換 と持続的な対話の中で,つ まり 「協働的に」 (col‑ laborative),研究対象の本質へ とアプローチ して い く研究活動が展開されることになる。 これ まで にも, 日本教育学会や 日本教育大学協会の内部に 教員養成に関す る研究プロジェク トが組織 されて いるが,「教員養成学」の研究の場合 は,「各人が 身を以てする決断 と選択 を通 して」関与 している 自ら自身の教員養成教育の有 り様 を,当該大学 (学 部)の教員集団自身の 「協働」によって検証 して い く点に特質があると言える。
しか も,この教員集団による「協働的なアプロー チ」 は,「臨床 の知」が ともす る と陥 りやすい独 善や批判性の欠如 とい う危険性 を回避する上で も 重要である。 河合 によれば,「臨床」 に傾斜 した アプローチが 「近代科学の要請す る 『客観性』を む しろ積極的に放棄 してゆ くと,下手 をす ると, とんで もない失敗 をした り,独善的になって しま た りする危険性」があ り,それを防止するために は 「自分 自身が積極的に主観的にかかわっていっ た現象 を, どこかの地点で客観化 した り,そ こか ら得 られた知見 を体系化 して,他 に示 して批判 を 仰 ぐことな どを しな くて はな らない。」 24)「教員 養成学」が当該大学 (学部)の教員集団による 「協 働的なアプローチ」を重視 しているのは,それぞ れの教員の専 門 とする学問研究で鍛 えられた批判 的分析の 目で,教員養成の実践 とその意味を相互 批判的に検証することを意図 しているか らなので ある。
4.「教員養成学」の可能性 と課題 (1
)
「教員養成学」の可能性それでは,以上の ような 「学」 としての独 自性 を持つ と考えられる 「教員養成学」は,教員養成 とその研究の在 り方 に如何 なる新 たな地平 を切 り 開 く可能性 を内包 しているのだろ うか。以下,3 点にまとめて指摘 してみ よう。
1)教員養成学部の 「統合の軸」の形成
まず,第1に指摘すべ きことは,「教員養成学」
の創 出によって,教員養成学部 とそ こでの教育活 動全体 を貫徹する 「統合の軸」が形成 され,教員 養成学部が 「教員養成」 に関する結束力のある専 門学部 となることがで きるとい うことである。か って,林竹二学長の下で宮城教育大学が教員養成 改革を遂行 していた時,横須賀薫 は,それまでの
「なわぼ り無責任論」や 「予定調和論」 を越 える ためには,教員養成教育における 「統合の軸」が 必要であるとして,その任 を担 うべ きもの として
「教授学」を提唱 し実践 したことがある25)。この「統 合の軸」 とい う発想は極めて重要な指摘ではあっ たが,その際の 「統合」 はあ くまで も教員養成の カリキュラムの側面 に傾斜 し,教科専 門と教科教 育及び教職専門 とを架橋するもの として「教授学」
が位置づけ られていた。
これに対 して,「教員養成学」 は,教員養成 カ リキュラムのみな らず,そのカリキュラムを支え る教員養成学部の組織体制をも研究開発の対象 と し, しか もその対象 に当該学部の教員集団自身が
「臨床」 と 「協働」の視点でアプローチ してい く 学問であ り,その点で 「教授学」構想 を継承 しつ つ, よ り本格的に教員養成学部における 「統合の 軸」の形成 を志向するもの と言 える。 そ して,教 員養成学部は, この学部全体で取 り組 む課題 とし ての 「教員養成学」 とい う 「統合の軸」 を持つ と きに,初めて教員養成に 「責任」 を持つ 自律的な 専門学部 として再生することが可能 となるのであ る。
2)教員養成教育の実践 と学問研究の有機 的連関 の実現
第2に指摘で きることは,「教員養成学」の研究 を通 して,教員養成教育の実践 とその学問研究 と の有機的連関を実現す る地平が開かれるとい うこ とである。従来の教員養成 (教師教育)に関する