特集 政治 ・ 文化からみた新たな中米関係
│││││││││││││││││││││││││││││││││││
中国現代文学の研究および教学
──中 ・ 米 ・ 日における現状と行方──
中国現代文学研究の第一線では︑現在何が起こっているのか︒
日本︑中国︑米国を代表する三人の研究者に︑
研究対象の概念︑研究手法の変化︑大学の現況︑そしてそれぞれの研究テーマについて語っていただいた︒
藤井省三
︿東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授﹀×陳 平原
︿北京大学中文系教授・香港中文大学講座教授﹀×王 徳威
︿ハーバード大学東アジア言語文明学科・比較文学学科教授﹀二〇一三年八月︑愛知大学にて
「分裂 の物語・分裂する物語
」と題した国際シ ンポジウムが開催され︑一九四〇年代と いう
「分裂の時代
」における東アジアの問 題が大いに討論された︒この機会を利用 して鼎談の席を設け︑三人の先生に現在 の研究状況について語っていただいた︒
テ ー マ は 黄 英 哲 先 生︵ 愛 知 大 学 ︶︑ 小 笠 原 淳 先 生︵ 熊 本 学 園 大 学 ︶︑ そ し て 濱 田麻矢 ︵神戸大学︶ の三人が予め用意し︑ 事前にディスカッサントにお送りしてお いたものである︒中国現代文学研究の現 況を知るための貴重な記録となった︒ 鼎談トピック
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・れているのでしょうか︒この三つの言葉 在どのようなイメージで語られ︑研究さ
1││
「中国
」「現代
」「文学
」とは︑現 きたいと思います︒ が持っている課題についてお教えいただ とともに︑これからの中国現代文学研究 この三つの言葉について語っていただく はないかと思います︒三人の先生方に︑ ら大きくその意味内容を変えているので は︑おそらく先生方が研究を始めた頃か
まで以上に非テクストメディア︵映画︑
2││特に
「文学
」研究においては︑今
演 劇︑ テ レ ビ︑ 音 楽︑ イ ン タ ー ネ ッ ト︑ 漫 画︑ ポ ス タ ー 等 ︶ 研 究 に 比 重 が 置 か れ る ようになってきました︒ このような
「文字 +α
」研究によって︑ 文学研究の可能性が 広がったのは確かですが︑テクストの精 読という従来の研究方式が軽視されつつ あ る こ と も ま た 否 め ま せ ん︒ そ こ に は︑ 今 や 多 く の 資 料 を︑ 原 紙 で は な く ネ ッ ト 上で気軽に閲覧できるようになったこと も影響しているかと思われます︒この辺 りの︑文字/非文字︑紙媒体/電子媒体 のバランスをどうお考えになりますか︒
い人は一定数育っているでしょうか︑ま か︒中国現代文学を勉強しようとする若 のような位置を占めていると思われます 育現場において︑中国現代文学教育はど
3││それぞれ在籍していらっしゃる教 に つ い て も 教 え て い た だ け る と 幸 い で す ︒ れますか︒ 陳先生には︑ 香港と北京の違い 教育に︑どのような工夫が必要だと思わ に︑院生ではない学部生向けの中国文学 テーマが選ばれているでしょうか︒さら た修士論文/博士論文には︑どのような
でしょうか︒ ご意見を伺えれば幸いです︒ で し ょ う か︑ 良 好 な 関 係 に あ る と お 考 え ば︑両者の関係はバランスが取れている 関係をどのように分析されますか︒例え すが︑現代における文学批評と作家との 域で少なからぬ影響力を持っておられま た︑先生方はいずれも現代中国文学の領 プ ラ ン が あ れ ば お 聞 か せ く だ さ い︒ ま り組んでいかれるご予定ですか︒新しい 目し︑どのような切り口で文学研究に取
4││今後先生方はどのような対象に注
1
──
「中国
」「現代
」「文学
」の定義
藤井 一つ目の質問ですが︑日本の研究 者である私にとって︑近現代の日中関係 は最大の関心事です︒その次に︑中国大 陸と台湾︑香港︑シンガポール︑南洋︑ 韓国︑北朝鮮︑東南アジアなどの国家と 地域︑つまり東アジアとの関係です︒そ れから欧米の華人︑中国と欧米︑このい く つ か の 問 題 は 私 に と っ て ど れ も 重 要 で︑たいへん興味を持っています︒それ か ら︑
「現 代
」と は 何 で し ょ う か︵ 中 国 語の
「現代
」は日本語の
「現代
」と重な る部分もあるが︑必ずしも同じ意味では なく︑日本語の
「近代
」と似た意味も有 する︒中国大陸では一九一九年の五四新 文化運動からを
「現代
」とすることが多 い が︑ 詳 し く は 後 述 ︶︒ 一 般 的 に 東 ア ジ アでは︑一九世紀半ば以来の工業革命以 後の社会が
「現代
」とされています︒こ の
「現代
」はすなわち国民国家の時代を 指します︒しかし国民国家︑すなわち民 族 国 家︑
national stateは︑ 必 ず し も 最 も 理想的な社会ではなく︑一種の過渡期に ある社会です︒一九二〇年代から三〇年 代にかけて現代社会は成熟期を迎えます が︑ や が て 八 〇 年 代 に 至 る と 新 た な 社 会︑いわゆる 後
ポストモダン現代 社会へと移り変わっ て行きます︒これが私の
「現代
」という 概念を推論する際のイメージです︒文学 については︑文学は我々の国民国家がポ ストモダン社会に移り変わっていく過渡
期︑我々のコスモポリタンとしての感情 と論理を表現していることから︑依然と してたいへん偉大なものです︒文学は感 情と論理を表現する道具であり︑現在も 非常に重要な意義を有しています︒私か らは以上です︒
中国大陸における
“現代
”陳 中 国 大 陸 の 学 者 に と っ て︑
「中 国 現 代文学
」の中の
「中国
」をいかに理解す るかは︑実は変化の過程を経てきたもの です︒一九五〇〜七〇年代には︑それが 中国大陸を指すことに疑問の余地はあり ませんでした︒改革開放後︑我々は視野 を 台 湾︑ 香 港︑ マ カ オ に ま で 広 げ ま し た︒マカオにはほとんど文学が存在しな い の で 基 本 的 に は 見 過 ご さ れ て い ま す が︒この考え方は現在まで続いていて︑ 我々の学科の編成に影響しています︒そ して
「中国
」を論じる方法については︑
「内外兼修
」︵内外を兼修する︶となって います︒ここで言う
「外
」とは︑初期に は文学的接触︑交流に注目することを指 していました︒例えば魯迅︵一八八一
−
一九三六︶とゴーゴリ︵一八〇九
−一八
五 二 ︶︑ 魯 迅 と 夏 目 漱 石︵ 一 八 六 七
−一
九 一 六 ︶ な ど の ト ピ ッ ク で す︒ そ れ か ら︑中国文学とフランス文学︑中国文学 とロシア・ソビエト文学︑中国文学と日 本 文 学 な ど︑ 総 合 的 な 議 論 あ る い は 作 家・ 作 品 研 究 で す︒ こ れ は か な り の 程 度︑一九八〇年代中国で沸き起こった比 較文学思潮の影響を受けています︒しか しこの二十年である変化がありました︒
「比 較
」の 立 場 を 超 え︑ 外 国 文 学 と 中 国 文 学 を 混 和 さ せ︑ 学 科 の 境 界 を 打 ち 破 り︑問題を中心に据えるようになったの で す︒ 東 ア ジ ア に 立 脚 し 世 界 と 向 き 合 う︑あるいは世界文学の潮流の角度に立 ち︑別の方向から中国文学を見つめる︒ ここには欧米の中国学研究者の努力があ り︑また︑例えば中国社会科学院外国文 学研究所から文学所所長に転任した陸建 徳︵一九五八
−︑中国社会科学院文学所
所長兼文学系主任︶など︑中国国内でも ともと外国文学を研究していた専門家た ちが清末文学あるいは左翼文学などに目 を 転 ず る よ う に な っ た こ と も 含 ま れ ま す︒また︑鍵となったのは国際学術交流 の増加により︑若い世代の学者が各種の 新思潮に接触する機会ができ︑文学研究 を進めるとき︑かつてのように自分の領 域に縛られ
「中国の問題
」を議論するだ けにとどまるということがなくなったこ とです︒ 第 二 に︑
「中 国 現 代 文 学
」の 中 の
「現 代
」とは何かということは︑中国大陸の 学 者 に と っ て も 同 様 に 手 を 焼 く 問 題 で す︒まず︑我々がどのように取り組んで きたかをお話ししましょう︒新中国成立 後︑最初に
「新文学
」あるいは
「現代文 学
」を議論しはじめたとき︑その線引き は非常にはっきりとしていました︒すな わち︑一九一七年から一九四九年で︑こ れ は 毛 沢 東 の
『新 民 主 主 義 論
』︵ 一 九 四 〇 年 ︶ を 根 拠 と し て い ま す︒ 一 九 八 五 年︑銭理群︵一九三九
−︑北京大学中文
系 名 誉 教 授 ︶︑ 黄 子 平︵ 一 九 四 九
代
」とは同時代という概念を表し︑中国 し︑ い わ ゆ る 近 代︑ 現 代︑ 当 代︵
「当 で
「二 十 世 紀 中 国 文 学
」の 概 念 を 提 起 国人民大学文学院講座教授︶と私が共同 −︑ 中
大陸では一般に人民共和国成立の一九四 九年以降を指す︶を一続きにしました︒ この概念は多くの論争を呼びましたが︑ 現 在 で は 基 本 的 に 受 け 入 れ ら れ て い ま す︒多くの大学の中文系︵中国の大学に おける
「系
」は日本の大学
「学部
」にあ たる︶が
「二十世紀中国文学
」というカ リキュラムを開設しています︒この課程 が線引きする境界線は実のところ︑仮に 設けたものに過ぎず︑いつでも︑どこで も︑それを越えてしまっていいのです︒ 具体的には︑それぞれの研究者は自らの 学術的立場と理論の所与するところに基 づいて︑境界線を前後に動かして全く構 わないのです︒一八九五年から語り始め てもいいし︑一八六〇年が起点だと考え ても問題ありません︒一九一七年を固守 することも︑今まで同様に尊重されるべ きです︒固定的で動かすことのできない
「起 点
」が 無 く な っ た こ と︑ こ れ は 非 常 に大きな変化です︒視野に変化の訪れた 今︑
「中 国 現 代 文 学
」が ど こ か ら 始 ま っ たか︑あるいはどの作品が時代を線引き するものであるかは︑自分で決めること ができるのです︒その線引きが正しいか ど う か は︑ 論 者 の 実 力 に よ る で し ょ う ね︒理論で納得させることができれば最 も理想的ですが︑どうしても無理でも︑ せめてつじつまを合わせる必要はあるで しょう︒ 問題なのは︑教育省による学科の設置 と︑そこに潜む
「全国統一
」への願望で す︒日本や米国の状況とはやや異なり︑ 中国には国家規格の学科コードがありま す︒現在︑学術界はとうに一体化してい ますが︑学科の設立制度となると︑中国 近代文学︑中国現代文学︑中国当代文学 は そ れ ぞ れ 切 り 離 さ れ て し ま っ て い ま す︒しかも近代文学は古代文学の方に区 分されています︒かつて北京大学が夏暁 虹︵一九五三
−︑北京大学中文系教授︶
を 東 京 大 学 で の 在 外 教 育 に 派 遣 し た と き︑藤井さんはとても不思議に思われま したよね︑東大が必要としたのは古典文 学の教授なのに︑どうして夏暁虹を派遣 してきたのだろう︑と︒これは︑彼女が 教えるのは近代文学なので︑学科の設立 制度上は
「中国古代文学
」に属するため だったのです︒このような学科の境界線 によって学者の探索の歩みが遮られるこ とはありませんが︑大学院生にとっては 頭の痛い問題です︒例えば︑修士︑ある いは博士課程を受験したいとして︑最初 に近代文学︑現代文学︑当代文学のいず れ を 受 験 す る の か 確 定 せ ね ば な り ま せ ん︒試験問題を作成し︑採点する教師が 異なるので︑一旦申し込むと︑もう変更 することはできないのです︒もちろん︑ 合格してからは︑自分の好きなように研 究を進められますが︒公的な体制の硬直 化と学者の立場の柔軟性︑この二つがと ても大きな張力を作りだしています︒ 統一教科書は必要か
このような学術上での
「全国統一
」と
「喧 々 諤 々
」と の 対 立 の 最 近 の 一 つ の 例 は︑全国統一の教科書を編纂するか否か の議論でしょう︒これについて︑中国共 産党宣伝部は大変積極的で︑多額の資金 を 投 入 し︑
「馬 工 程
」︵ マ・ プ ロ ジ ェ ク ト︶すなわちマルクス主義理論研究・建 設プロジェクトを進めています︒すべて
シンポジウム
「分裂の物語・分裂する物語」
左から王徳威教授、藤井省三教 授、濱田准教授、陳平原教授、
陳国球教授(香港教育学院)
の 主 要 基 礎 科 目︑ 例 え ば
「文 学 理 論
」「中国古代文学
」「中国現代文学
」などに 競争入札方式を取り入れ︑チームを引っ 張って来て︑資金をふんだんに出す一方 で︑マルクス主義の立場に基づき教科書 を編纂するよう要求するわけです︒しか も︑一章ごと︑一節ごと︑一段ごとに審 査を行い︑基準となる教科書をつくり出 し︑完成後は全国の各高等教育機関での 統一使用を目指す︑というわけです︒資 金援助額がかなり大きいことから︑多く の学者が獲得を目指し積極的に動きまし たが︑審査が厳しすぎるので︑獲得後は 非常に苦しんでいます︒これは明らかに 一九六〇年代︑周揚︵一九〇八
−一九八
九︑文芸評論家︶が中心となって進めた 文系学科の教材編纂を模倣しています︒ しかし︑今日この路線を押し通すのはか なり難しいことです︒教科書は編纂でき るでしょうが︑おそらく普及はさせられ ないでしょう︒今は指導者の一声で全国 の人民がその本を読むような時代ではな いのです︒この数年︑政府はかなり積極 的 に︑ そ し て か な り 強 気 に︑
「思 想 的 に 正確
」な教科書あるいは著作を推し出し ています︒しかし学術界内部はバラバラ で︑基本的には︑それぞれがそれぞれの 道を進んでいます︒
“現代文学
”の柔軟性
「
大 統 一
」に 抵 抗 す る こ と で は︑ 多 く の学者の立場は一致していますが︑具体 的に何が
「現代文学
」なのかとなると︑ 見識ある学者たちの間でも大きな見解の 違 い が 存 在 し ま す︒
「中 国 現 代 文 学
」に 関しては︑主流となる考え方では︑絶え ず境界線を拡大し︑台湾文学︑香港文学 にも必ず目を配り︑通俗小説︑旧体詩も 取り込み︑また︑映画の脚本および今も 舞台に残る伝統戯曲も見落とすべきでは ないとされています︒しかし︑魯迅研究 出身の王富仁︵一九四一
−︑汕頭大学文
学院終身教授︶のように︑これに反対す る学者もいます︒このように様々なもの をひとつに収めるのは︑五四新文化運動 に関わった人たちの立場を消し去ってし ま う に 等 し い と い う の が 理 由 で す︒
「新 文学
」は
「旧文学
」の打倒を旗印にして
いました︒それを褒めても貶してもかま いませんが︑新旧を一緒くたにする必要 はありません︒表面的な博識で立場の動 揺を覆い隠したとしても︑独自の道を歩 むことができないというのは︑実のとこ ろは︑自分の観点が無いからなのです︒ 文学史の研究者は︑時勢に流されて研究 を 進 め て は な り ま せ ん︒
「新 文 化
」の 立 場を固守するこれらの学者に私はあまり 賛同できないものの︑たいへん敬服して います︒彼らの指摘はとても重要です︒ 学者は必ず自らの価値基準を持つべきで あ り︑
「網 に か か っ た も の は み な 魚
」と ばかり︑二〇世紀に産み出された文化製 品のすべてを同等に扱うのは︑学者の取 るべき態度ではありません︒
新文学をやりたい人は新文学に︑旧体 詩や詞︑通俗小説を研究したい人はその ジャンルに打ち込み︑互いの立場をはっ きりさせて競い合うのは︑目下たいへん 流行している
「何でもかんでも受け入れ る
」よりは良いでしょう︒こうした
「意 地 の 張 り 合 い
」は︑ 実 は 最 近 二 十 年 の
「伝 統 へ の 回 帰
」と い う 大 き な 流 れ に 対 抗する意味をはらんでいます︒中国経済 が勃興したことにより︑政府も民間もま すます自信を持つようになり︑批判の声 に耳を貸さなくなっています︒魯迅や胡 適らの憤りの言葉等ももう受け付けなく なっているのです︒多くの人々は︑現在 の中国の
「モラルハザード
」すら︑五四 新文化人が伝統に反対したこと︑および 儒 家 を 批 判 し た こ と に よ る と し て い ま す︒まるで孔子に毛沢東をつけ加えるの が︑中国の未来であるかのように︒この 問題では︑イデオロギーによって歴史的 な 論 述 が 歪 め ら れ て お り︑
「五 四
」は ほ と んど怪物にされています︒私は従来
「半 部の
『論語
』をもって天下を治む
」︵宋︑ 羅大経
『鶴林玉露
』による︒儒家の経典 を 読 む こ と の 重 要 性 を 強 調 し た 言 い 回 し︶という類のでたらめを信じていませ ん︒もちろん︑五四新文化人たちの過激 さや頑さ︑そして知識の欠如等は反省さ れるべきだと思いますが︑しかし彼らの 抗う姿勢および反逆の立場には︑私は肯 定する態度をとりたいと思います︒ある 意味において︑中国は強大になればなる ほど魯迅や胡適のように自己を反省し︑ 批判することが必要であると思います︒ 中 国 の
「現 代 文 学 研 究
」を 論 じ る に は︑避けられない難しい状況に直面せざ る を 得 ま せ ん︒ こ の 分 野 の 潜 在 能 力 と は︑一体どれくらいあるのか︑という問 題です︒ 文学の成果ではなく︑それが活躍でき る空間について考えてみましょう︒三十 年では短すぎるでしょう︒もし百年に広 げたとしてもそれほど余裕があるとは言 えません︒なぜなら︑我々の博士教育は 凄まじい速さで拡大しており︑現在︑毎 年︑およそ一五〇〇人の文学博士を養成 しています︒ 研究トピックの動向 藤 井 一 五 〇 〇 人 の 博 士 課 程 の 学 生 の 中で中国現代文学専攻はどのくらいいま すか︒ 陳 今手元には二〇一〇年に博士学位を 授与された数字しかありませんが︑全部 で 一 二 五 〇 名︑ そ の う ち 文 芸 学 一 七 二 名︑中国古代文学二二九名︑中国現当代
文学一六七名︑比較文学および世界文学 が一〇〇名︑中国文学批評史が一〇名で す︒彼ら文学博士の大部分は高等教育機 関に入り︑研究や教育に従事します︒し かし︑これは︑国家の学術人口のほんの 一 部 に 過 ぎ ま せ ん︒ 想 像 し て み て 下 さ い︒こんなに多くの学者が︑狭いアカデ ミ ッ ク フ ィ ー ル ド に 集 中 し て い る の で す︒かつ︑学術審査のため︑皆成果を出 さなければなりません︒そこで︑学者は あの手この手を使って︑中心のトピック は言うまでもなく︑周縁のトピックです ら何度も焼き直すことになるのです︒ま さにこのため︑この分野の研究者の多く が︑自分の得意分野にとどまらず︑次第 に視野を古代中国に広げたり︑もしくは 思想︑教育︑文化等の分野に手を伸ばし たりしていくのです︒例えば︑前者では 趙園︵一九四五
−︑中国社会科学院文学
研究所研究員︶が執筆した
『明清期の士 大 夫 研 究
』︵ 原 題
『明 清 之 際 士 大 夫 研 究
』北 京 大 学 出 版 社︑ 一 九 九 九 年 ︶︑ 後 者では銭理群の
『毛沢東と中国││ある 知 識 人 に よ る 中 華 人 民 共 和 国 史
』︵ 阿 部 幹 雄・ 鈴 木 将 久・ 羽 根 次 郎・ 丸 川 哲 史 訳︑青土社︑二〇一二年︒原題
『毛澤東 時代和後毛澤東時代
』上・下︑台北聯 経出版︑二〇一二年︶があります︒ この他に︑もう一つ問題があります︒ この分野の研究者は︑五四新文化運動の 知 識 人 の 習 慣 を 命 と し て 受 け 継 い で お り︑大学における研究に限らず︑社会に 介入し改革することを望んでいます︒こ の点については︑八〇年代が最も顕著で しょう︒九〇年代以後︑私たちは︑次第 に大学へ戻ってきたようです︒この十年 間︑多くの人がこの問題を意識していま したが︑しかしもはやどうすることもで きなくなってしまっていました︒中国全 体の社会の変化に応じて︑社会科学の声 がますます大きくなり︑人文学の学者た ちは隅へと追いやられたのです︒例を挙 げてみましょう︒中央政治局が講義を依 頼するのは︑法律︑経済︑軍事︑都市管 理︑衛生についてで︑いまだに文学や哲 学 の 専 門 家 に 依 頼 し た こ と は あ り ま せ ん︒これは毛沢東時代と大きな違いを生 み出しました︒毛沢東は︑専門家と詩学 や哲学の問題を討論することを好みまし た が︑ 鄧 小 平 か ら 江 沢 民︑ そ し て 胡 錦 濤︑さらに現在政治を担う習近平に至っ ては︑私は彼らにはそうした修養も雅趣 もないと思っています︒国を治めるとい うことについて︑人文学は確かに
「当面 の 急 務
」で は あ り ま せ ん︒
「帝 王 の 師
」にならない人文学の学者が︑現在の社会 を注視する義務と熱情をまだ持つでしょ う か︒ 少 な か ら ぬ 文 学 者 が 自 分 を
「有 用
」に見せるため︑積極的に金融︑生態 系︑国境︑民族等の問題の討論に参加し ているのも現状です︒しかし︑大部分の 人文学の学者は自分の陣地を守るでしょ う︒彼らは中国の錯綜する複雑な社会問 題に
「関心
」は示しても
「介入
」する力 を持たないでしょう︒現在の中国では︑ 経済学者は自信満々で︑分かっていよう が分かっていなかろうが何についても発 言します︒教育︑文化︑芸術︑宗教︑考 古学︑旅行など︑すべてについて経済学 の 視 点 か ら 思 考 し︑ 切 っ て み せ る の で す︒経済学者が得意顔の
「独壇場
」の一 方で︑人文学者は言いたいことを口に出
せない
「失語
」状態にあり︑この二つが 今日の中国の思想界の奇妙な情景を作り 上げているのです︒
人文学者に出来ること
新世紀に入って以後︑私たちはずっと 問うてきました︒文学とはまだ力がある の か︑ と︒ こ の 問 い に は︑
「現 代 文 学
」研究に従事する専門家が︑魯迅の伝統を 継承したいと思うのか︑もしくはできる のかということも含まれています︒いわ ゆる五四新文化運動の知識人は︑学術の 場を守るだけでなく︑肝要な時には︑そ こから飛び出て社会に向けて発言してき ました︒現在の北京大学中文系にはいま だにこの
「末裔
」がいます︒特に現当代 文学を専門にする教授の中には︑社会に 介入したり︑世論に影響を与えたりする 人がまだいます︒しかし一方では︑マス メディアの影響を受け︑その独立性と批 評精神とがある程度ねじ曲げられていま す︒毎回こういうことにいきあたると︑
「一 兎 を 追 う も の は 二 兎 を 得 ず
」と い う ことになります︒学者たちに国家の大事 に関心を持つよう期待しておきながら︑ 同時に
「度を過ぎる
」ことがないように 要求するというのは非常に難しいことで す︒北京大学の教授が
「むちゃくちゃな 話
」をして民衆の怒りを買い︑どうして 首にしないのかと北京大学が責を問われ ることがありますが︑大学側の態度はい つも非常におとなしいのです︒それは︑ その損得をわかっているからです︒中文 系を例にすれば
「問題がある
」のは︑大 体近現代文学を専門とする教授で︑言語 学や古典文献︑もしくは古代文学研究の 教授は︑普通そういうことをしません︒ しかし︑私は学校側が石橋を叩いて壊す な ど と い う こ と が な い よ う に︑
「専 門 性
」によって現当代文学研究者の
「社会 に対する関心
」を扼殺してしまうことが ないように願っています︒ 王 まずテーマから外れたことをお話し します︒私は銭理群教授を非常に尊敬し ていまして︑彼が右派だとは全く認識し ておりません︒ 陳 我々の右派は皆さんにとって左派な んですよね⁝⁝︵会場笑︶ ︒
“中国
”とは何か
王 今日︑壇上にいる左翼の皆さんにつ いては︑特別に安全だということがわか りました︒特別に
「社会的に安定
」して いて︑特別に右派である︒これが︑私が 観察して得た実感ある結論です︒
それはさておき︑私も一つ目の問題︑ つまり
「中国
」︑
「現代
」︑ それに
「文学
」に つ い て お 話 し し ま し ょ う︒ 私 に と っ て︑
「中 国
」と い う 言 葉 に つ い て 語 る と なると︑まずは表象の問題と関係してき ます︒ここでの表象とは二つの意味があ り ま す︒ 英 語 を 用 い れ ば
representで︑ いかに提示し︑いかに再現するのかとい うことですね︒二つ目は原理の上で︑い かに表象させるのかということです︒要 するに︑我々が
「中国文学
」を語るとい うのは︑中華人民共和国の文学のことな のか︑それとも中華民国なのか︑あるい はどの王朝のことなのか︑清末以前のも の な の か︑ と い う こ と で す︒ そ れ に︑
「中 国
」と
「中 国 文 学
」を 必 然 的 に 連 続 させる必要もありませんよね︒これが一
つ目の問題でして︑我々はこのことを問 題 化 す べ き で は な い で し ょ う か︒ つ ま り︑ 読 者 や 批 評 家 の 立 場 か ら は︑
「中 国
」とはアイデンティティの問題となる ということです︒たとえ政治地理上の位 置や論述を表象しているとしても︑ある いは一連の文学表現であるとしても︑閲 読 者︑ 観 察 者︑ 歴 史 学 者 と し て の 我 々 が︑ い か に
「中 国
」と 対 峙 し︑
「中 国
」を 認 識 す る の か は ま た 別 の 問 題 で す よ ね︒私は今後十数年︑二十年の間に︑こ の 両 極 の 間 に お け る 対 話 を︑ さ ら に 思 考︑展開すべきであると考えています︒
ところで︑最近︑復旦大学の葛兆光教 授︵一九五〇
−︑復旦大学文史研究院院
長 ︶ が
『宅 茲 中 国
』︵ 中 華 書 局︑ 二 〇 一 一年︶を出版したのですが︑私個人たい へん啓発を受けました︒これは非常に控 えめな︑語句としての︑歴史概念として の︑ ま た 現 代 の 政 治 地 理 言 説 と し て の
「中 国
」の 系 譜 学 的 研 究 と な っ て お り ま して︑周王朝以来の
「何が中国なのか
」という議論に言及するものです︒もちろ ん彼は結論において︑政治地理が絶えず 変化し続けていると認識しています︒し かしながら︑少なくとも文化的な伝承の 上 で は︑
「中 国
」は 一 つ の 語 彙 と し て︑
「断
」と
「続
」︑我々の言う
「断絶
」と
「連 続
」の間にありました︒つまり︑
「中国
」は一貫して一個の論述であり︑どの時代 の中国知識人をも取り巻いてきた話題︑ 焦点であり続けていたわけです︒それは ともかく︑私個人としては︑葛兆光教授 の別の論点がとりわけ素晴らしいと感じ ました︒ それは︑
「宅茲中国
」の他に︑
「中 国
」が周縁から見出されるという点を示 していることです︵葛兆光著︑辻康吾監 修︑ 永 田 小 絵 訳
『中 国 再 考 ││ そ の 領 域・民族・文化
』岩波現代文庫︑二〇一 四年︶ ︒周縁はいかに
「中国
」を見ている の か︒ こ れ も 陳 さ ん が 先 ほ ど 触 れ た︑
「中 国
」と い う 言 葉 の 捉 え ど こ ろ の な さ に関連しており︑実際に一貫して︑外在 的な観点を必要としてきました︒広く知 れ渡った言い回しを使うなら︑
「他者
」の 観点から見るということです︒したがっ て︑現在
「中国
」という言葉に触れると するならば︑それをより広い文脈の中に 置くべきでしょう︒つまり︑東アジアの 文脈や台湾海峡の文脈︑両岸四地︵台湾 海峡の両岸および中国大陸︑香港︑マカ オ︑台湾を表す︶の文脈︑それに世界文 学の文脈において︑この言葉と対峙する 必 要 が あ る と い う こ と で す︒ し た が っ て︑いかにして
「中国
」を再び問題化す る か に つ い て は︑ 文 学 研 究 者 と し て の 我々の本能にかかっていると私は思うの です︒用語であれ概念であれ︑また論述 であれ︑我々の責任は︑簡単な問題を複 雑化させることにあります︒いかにして
「簡 潔 を 複 雑 へ 変 化 さ せ
」︑ 事 態 を 簡 単 に︑ある特定の論述のパターンに落とし こまないようにするのか︒これが我々の 思考しうる方向ではないでしょうか︒ 例 え ば︑ 最 近 の 七︑ 八 年 に 米 国 で 起 こ っ た
「華 語 語 系︵
Sinophone︶ 文 学
」について││後ほど︑この問題について 議論を行うかもしれません││︑やや極 端な見方︑つまり中国を外に排除した上 での漢語︑華語での文学創作に限るのだ という議論がありますね︒もちろん
「中 国
」「中 国 文 学
」も 華 語 語 系 の 一 要 素 だ
と強調する立場もありますが︑こうした 一連の込み入ったことがみな︑我々が関 心を抱いているものなのです︒
世界の 現
モダニティ代性 と中国の現代
い ま 一 度︑ 中 国 の
「現 代
」に 戻 り ま し ょ う︒
「現 代
」も 実 に 大 き な 言 葉 で あ るため︑今日ここで詳しく説明すること はできません︒しかしながら︑少なくと も 先 ほ ど の お 二 人 が お っ し ゃ っ た よ う に︑文学史における伝統的な定義では︑ 現在も毛沢東による一九四〇年の
「新民 主主義論
」の延長線上にあります︒時間 的 な 区 分 と し て の 近 代︑ 現 代︑ 当 代 と い っ た 区 分 が 当 時 の 毛 沢 東 の 政 治 的 ア ピールに必要であり︑建国後もこの論述 には必然性があったということですね︒ し か し な が ら︑ 私 は こ の 問 題 に つ い て は︑すでに瓦解が進んでいると考えてい ま す︒ こ れ が 私 の
「現 代
」へ の 認 識 で す︒とはいえ︑議題を一つ提出しておき ましょう︒それは︑たとえ
「新民主主義 論
」が自明と見なされていようが︑この 種の
「現代
」をさらに広義の︑いわゆる
「世 界 の 現
モダニティ代 性
」の 追 求 の 中 に 置 い て︑ 我々の対峙する多種多様な問題について 考えるべきではないかということです︒ 西 洋 に お け る ││ も ち ろ ん 今 日︑
「西 洋
」という二文字に対しては︑厳しい批 判と検討が加えられるべきですが││一 九世紀産業革命以降の現代化の追求と︑ 現
モダニティ代性 への二種類の極端な反応││一つ は堕落した文明の象徴︑もう一つは人類 が追求すべき目標と考えるもの││︑こ れ ら を み な 中 国 の
「現 代
」︑ あ る い は
「現
モダニティ代 性
」の 議 論 へ と 引 き 込 ま な く て は なりません︒そして︑これらを真面目な 思考対象とするならば︑言うまでもなく
「中 国 現 代 文 学
」も 複 雑 な 問 題 と な り︑ 文字表現︑文字描写︑審美の問題にとど まることはなくなるでしょう︒ これまで私は二点についてお話ししま し た が︑ 第 三 点 は よ り 基 礎 的 な も の で す︒ つ ま り︑
「現
モダニティ代 性
」と は 実 は 時 間 的 概念で︑時間の流れの中で︑一瞬で過ぎ 去ってしまう瞬間︑いまここにある概念 を強調するものです︒しかしながら︑何 とも皮肉なことに︑我々には目下
「現代 文学
」という学科があり︑我々がそれを 定義しようとすると︑永久不変の対象へ と 物 体 化 さ せ て し ま う の で す︒ い か に
「現 代
」を 定 義 す る か と い う こ と は︑ す でに二つ述べましたので︑これについて は後で再び議論してもいいでしょう︒ 伝統から
“文学
”を再考する
最後に
「文学
」についてですが︑この 言葉には︑実に多くの論争︑議論があり ました︒学科という点については︑ここ に い ら っ し ゃ る 陳 国 球 教 授︵ 一 九 五 六
−︑香港教育学院人文学院院長︑中国文
学講座教授︶や陳平原さんが︑このテー マの系譜についてすでに整理を行ってい ら っ し ゃ い ま す︒ 二 〇 世 紀 初 年 か ら︑
「文 学
」は 学 科 と し て︑ つ ま り 系 統 的 な 制 度 と し て 始 ま っ た の で し た ね︒
「中 国 現代文学
」という言葉の生命も︑ようや く百年を過ぎた程度で︑現代の発明と言 えます︒しかしながら︑もし我々が
「現 代文学
」の
「文学
」をさらに広げるとす るならばどうでしょう⁝⁝︒実のところ あまり熟していない方法ですが︑皆さん
のご参考のために提出いたしましょう︒ 西 洋 の 観 点 で は︑
「文 学
」と は 一 八 世 紀 以来の西洋ロマン主義の後における︑審 美運動の重要な表現方法であり生産品で して︑こうした審美性はここ数十年の間 に厳しい批判にさらされてきました︒つ まり審美を軸とする文学観ということで す ね︒ 特 に 左 翼 の 皆 さ ん が 強 調 す る の は︑これが西洋における拡張主義の萌芽 であり︑資本主義や中産階級の始まった ときに
「文芸運動
」の追求によって生ま れた理念であったということです︒これ にはイデオロギー的な基礎と制限がある ため︑我々はその批判の強度とともに︑ そのイデオロギーの限界について認識す べきでしょう︒しかしながら︑中国の文 学 伝 統 を 振 り 返 る と︑
「文 学
」と は︑
「文
」の 学 で あ り︑ 文 章 の 学 に 他 な り ま せん︒今日この時この場所では︑特に後 で触れる二つ目の問題と呼応するのです が︑この
「文
」の概念││再び英語をひ け ら か す と︑
manifestationと な り ま す ││ が 表 し て い る の は︑
「文
」と は 一 種 の筋道︑脈絡であり︑形式︑構造である と い う こ と︑ そ し て 多 種 多 様 な 記 号 に よって打ち立てて世界を認識し︑意味付 けるシステムだということです︒この概 念 か ら 言 え ば︑ 我 々 の 伝 統 文 学 の 定 義 は︑時代遅れではないばかりか︑かえっ て再び
「何が文学なのか
」という観点に ついて考える機会をもたらしてくれるわ けです︒もしかして︑これが契機となっ て︑我々が
「文学
」そのものを提起する ときに︑また取り上げることになるかも しれません︒ さ て︑
「中 国 現 代 文 学
」を︑ 我 々 は い かに教え︑いかに学び︑いかに定義する のかについては︑もちろん議論紛糾する 点でしょうが︑先ほどの王富仁式︑銭理 群式︑藤井式︑平原式の観点を私も受け 入れます︒しかし︑喧々諤々の議論を山 ほど行った後でも︑歴史の限界を認めな くてはなりません︒また本日︑我々は第 三の場所︑つまり日本という環境にいる からこそ︑言いたいことを言えて︑議論 を行ったのかもしれませんが︑この歴史 的な表象にも実際のところ限界があるも の で す︒ で は︑ い か に そ の 限 界 を 発 掘 し︑いかに限界の中からさらなる可能性 を探し当てるのか? これについて私は 潜在的な可能性があると思いますよ︒ つまりですね︑結局
「文学
」が役に立 つのかどうかですが︑もちろん役に立つ と思います! 文学部の教授として我々 は学生に伝えるべきですよ︒もちろん役 に立つってね! じゃなかったら︑我々 はここで何を話しているのでしょう︑そ う思いませんか?︵会場笑︶それに私に は 全 く も っ て 確 信 の あ る こ と が あ り ま す︒それは︑我々は虚構性︑想像性︑論 述性など多くのことについて語っていま すが︑最も基本的なことは簡単なものを 複雑にすること︑つまり︑虚構の形式で 回顧︑検討︑想像し︑さらには歴史が及 ばない姿を発明することなのです︒これ こそ文学者の想像力が︑社会へなしうる 最大の貢献に他なりません︒ 文学者は社会といかに関わるか
最後の問題を用いて││これは鼎談で すので︑我々はテーマの交換をすべきで しょう││︑陳さんにさらなる説明をお
シンポジウムの聴衆席
願いしたく思います︒というのは︑あな たが先ほど取り上げたテーマについてで すが︑まだお考えが完全に展開していな いと思ったのです︒あなたは一方で︑現 代文学の研究者として我々は社会を意識 するべきであり︑また我々の意識を社会 に普及させるべきであり︑さらに広義の 政治社会の問題にも我々は発言するべき 立場を有すると強調されていたようです ね︒ し か し な が ら︑ あ な た は そ の 一 方 で︑経済学部やその他の学部の同僚を取 り上げて︑彼らは越境︑横断しているた めに︑彼らの語ったものは我々には必ず しも合理的︑当然のものには見えないと い う よ う に︑ 異 な る 言 い 方 を さ れ ま し た︒ 特 に︑ 私 は い ま 国 外 に い る の で す が︑文学部の同僚の多くは︑そもそも文 学をやっていません︒我々の伝統が定義 してきたもの︑特に日本のアカデミズム が下したような標準的な定義の
「文学
」をやっていないのです︒私は米国にいま す が ││ 中 国 に い る と き も あ り ま す が ││文学領域の同僚は︑本当に不思議な こ と に︑
「文 学
」を や る 人 は 少 な く て︑ 文化政治︑ロボット︑チベット問題など をやっているのです︒これもあなたが言 うところの︑文学者が関心を抱く国家経 済や社会の一部分でしょうか? あるい は︑別の角度から言えば︑あなたはこれ らの同僚は人の褌で相撲を取っていると 思われるのでしょうか? あなたの疑問 には未解決な部分があるようなので︑私 はもっと詳しく知りたいと思います︒ 陳 理論上は︑文学研究者には自身の専 門領域から飛び出して︑経済・政治・軍 事などの話題を論じる権利があります︒ ひるがえって言えば︑経済学者もまた︑ 文学・芸術・宗教などについて発言する 権利を持っています︒私が目下の中国の
「経 済 学 帝 国 主 義
」に 同 意 し か ね る の は︑彼らが過度に自信を持ち︑民衆もそ れに盲従しているからです︒人文学者と して︑私たちは時に自分の専門を越え︑ ある種の公共の話題について発言するこ ともあるでしょうが︑まずおおむね自省 の能力を持っており︑さらには事前に予 習もするでしょうから︑あまりにも素人 の意見を述べるということにはならない
でしょう︒社会に対する関心は持ち続け たいと思っています︒でも一旦専門的な 問題に抵触し︑自分に判断する能力がな ければ︑いい加減に話をするべきではあ り ま せ ん︒ 私 の 場 合 は 両 面 作 戦 で す︒
「井 の 中 の 蛙
」に も 反 対 で す が︑ 毎 日 メ ディアでベラベラ話すのも良しとしませ ん︒もし毎日話をすることになれば︑か ならずや知っていることも︑知らないこ とも話さねばならなくなるでしょう︒私 もたまにメディアで発言することがあり ますが︑自分が比較的詳しい領域に限っ ています︒度胸があるかないかの問題で はなく︑専門家の旗印を掲げる以上︑知 識の準備がないならみだりに話すべきで はないのです︒二︑三年前︑河南省で曹 操の墓が発掘され︑考古学者が認定した とき︑一人の文学畑の教授が出てきて疑 義を唱え︑一席ぶちましたが︑一目見て 素人とわかりました︒その道の基礎訓練 がなく︑地層も知らず︑器物も知らず︑ 陵園建築や墓地の配置も知らずにただ文 字資料に依拠して考古学の問題を語るな ど と い う の は︑ し て は な ら な い こ と で す︒言い換えれば︑自身の専門を持つと 同時に社会への関心も保ち続ける︑これ こそアカデミシャンの理想に近い状態と いえるでしょう︒ 外から見る
“中国
”藤 井 中 国 に と っ て は︑ 私 は 外 国 人 で す︒外国の中国文学研究者︑とりわけ現 代︑当代の中国文学研究者は︑中国の︑ あるいは華人の感情やロジックを日本に 紹介するのが最大の任務です︒ですから 社会についての発言は︑日本の国民に中 国︑台湾︑香港をより理解してもらうた めに行うわけです︒そこで社会に対する 関心についても︑やはりお二人とは立場 が異なります︒私たちはあなたがたの活 動 の 後 か ら 着 い て 行 き︵ 笑 ︶︑ あ な た が たの示す社会への関心に︑私たちも関心 を持つのです︒ 王 それはとても中国式の︑儒家主義的 な︑
「士 は 以 て 弘 毅 な ら ざ る べ か ら ず︑ 任重くして道遠し
」︵
『論語・泰伯
』曾子 の語︒士とはひろい包容力とつよい意志 をもつ責任があり義務がある︑何となれ ばその任務は重く︑その人生行路は遥か であるからだ︒吉川幸次郎訳による︶で はありませんか? いや︑私は実際のと ころ同意しているんですけどね︒社会へ の関心が重要な議題であることに同意し ます︒とくに現在の中国のような状況で は││もちろん私たちの立場は異なりま す︒私は台湾出身で︑しかもアメリカで 教えています︒したがって私の事情は藤 井さんと同様で︑私の専門的役割とは国 外の︑中国のバックグラウンドを持たな い 学 生 に︑ 有 効 な 方 法 を 用 い て 中 国 と は︑広義の中国とは何かを理解させるこ とです︒もちろん中国への関心について 言えば︑時にはとても分裂したものにな ります︒時には客観的に︑時には自身の 台湾の立場から︑そして時にはまた異な る理念の立場から発言します︒ しかし先ほど私が一言申し上げたかっ たのは︑つまり││これは陳さんに賛成 しているのですが││現在の二〇一三年 において︑これは倫理の問題となるので す︒もちろん公民社会や公共の知識人に 対しては︑もうこれ以上語ることができ
ないほど語ってきました︒しかし文学に も基本的な︑文学の倫理の問題がありま す︒最近台湾やマレーシアでパクリ問題 が取り沙汰されてきましたが︑このよう な
『文 心 雕 龍
』︵ 五 世 紀 末︑ 南 朝 梁 の 劉 勰が著した文学理論書︶でいう
「文心
」の 問 題︵
『文 心 雕 龍
』序 志 は
「文 心 と は 文 を つ く る の に 心 を く だ く こ と
」と す る︒興膳宏訳による︶について話すと︑ いかにも渺茫として深遠で︑とりとめの ない問題のように聞こえますね︒しかし ここで言う
「倫理
」は
「道徳
」ではあり ませんし︑この両者を混同することはで きません︒あなたが先ほど述べた物事の 是非や取捨といったことは︑壮大な︑迂 遠な考え方に聞こえますが︑今このとき にはその必要性があるのです︒例えば︑ 形勢がすばらしく見えるにつれ︑ますま す皆が夢を見るようになっているとき︑ どんな夢を見られるか︑どんな夢を見な い の か︑ 夢 を 見 る こ と を 望 む の か︑ と いった問題は︑最後には微妙な︑判断の 問題となりますが︑これこそ私の言う文 学の倫理性なのです︒
2