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ハンガリーの信用構造とその特質

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第一次世界大戦前のオーストリア・

ハンガリーの信用構造とその特質

佐  藤  勝  則

1. はじめに       おきたいと思う。

そこで具体的には次の順序で考察を進めていく 本稿は第一次大戦前のオーストリア・ハンガリー  ことにしたい。まず最初に,三月革命以前のいわ の信用構造の特徴を,当該資本主義の推転過程全  ゆる三月前期から第一次大戦に至る時期のオース

体との係わりにおいて明らかにせんとするもので  トリア・ハンガリー信用構造の展開を,当該資本ある〔3)かかる課題を設定する理由1ま,繍よそ以 蟻の再生産髄儂業.土地所有を槍めた)

下の如くである。即ちまず第一に,当該資本主義  の段階的推転との密接な関連において歴史的に考 の構造的類型的特質を把握せんとする場合,まず  察する。次に,第一次大戦前のオーストリア・ハ 何よりもこれを再生産=信用構造として,最終的  ンガリー信用構造の全体像を,銀行諸類型毎の営 には国家財政をも含めて総括的に把握することが  業の実態をトータルに把握することによって明ら 必要であると思われるこ麗また第二に,当該資 かにじ1桐時にその特質を把握していくこととし 本主義を帝国主義段階の世界市場編成の中に位置  たいと思う。

づけようとする場合には,金融市場連関をも含め   (1)欧米のオーストリア銀行史研究では周知のガーシェ てこれを考察する必要があり,その場合対外金融   ンクロン・テーゼを端緒として(AGerschenkro恥 関連の接点となる当該国の信用構造の把握はまず   Ecoπom d%曲ωαr伽εSS π研8εoδCαZPθrspeぴ 第一の前提となると思われること。以上二つの理    伽名London 1962),経済成長史学の圧倒的影響下 由からである。       に,工業化に果す銀行資本の役割をめぐってガーシェ 従って古典的な場合のように,価値;素材補填    クロン(んGerschenkro馬.肋Eeoηom c助肱r の再生産構造乃至は貿易構造の分析をもって(1}い   跣α詔α Ze41.ecture twq The economic bac』

わば再生産=貿易構造としてのみ一国資本主義の   wardness of Austr虹Princeton 1977.)メルツ 編成と世界市場連関を問題とするだけでは不充分    (E.Marz,(玉εerre cん scんe 1η血s尻←ωηd であり,ことに国際的な金融連関の中で資本輸出   魚漉po伽ん己η4εr Z碗 .Frαη2 Jbsθp誌 が決定的意義をもつ当該段階では,信用構造の分    4αmB2 sp嗣der尾んδs孟errθ c傭疏θη(}←

析が不可欠となってくるからである(ll我々はすで  醐・・励妙伽d。Z認(弛ω。晩wi。n に,国際金本位制編入後の当該資本主義の問題に   1968.)とルドルフ(R.LRudo1画」磁η規πg ついて何度か言及してきたが,その際信用構造そ   α几d』π伽s厩α伽α琵oη πA配s師α一1血ηgαr)〜

のものについては,幾つかの仮説的整理に依拠し   肪εRoZε0ゾ翫漉ε η漉e 1η伽8醒α廉αεめπ

て繍を働てきた鉢稿ではこの点1・ついて厳  鋤・α麟α_」απぬ、8御9、4C。mb。レ

密に実証的な考察を加えて,先の立論を補強して   dge 1976.)との間に論争がくりひろげられてきた。

(2)

前者はオーストリアの工業化における動産銀行の株    の貿易構造を世界市場編成のうちに位置づけた名和 式引受・発行業務の決定的役割を強調するのに対し    統一氏のいわゆる貿易三環節論(同『日本紡績業と てルドルフはオーストリア・ハンガリー銀行業の当    原棉問題研究』1937年)の方法と再生産=信用構造 座勘定業務を中心とした短期信用の役割を重視し,    論(吉岡氏)の方法との継承発展関係に注目すべき 動産銀行機能の決定的役割を否定する。この点で,    である。

方法的視座は異なるが,このガーシェンクロン=メ   (4》国際金融連関を単なるマネーフローとして把握す ルツ・ルドルフ論争は,日本のドイツ金融資本成立    る国際金融論ではなく,特定の構造をもつ各国資本 史研究における大野英二,斉藤晴造,戸原四郎各氏    主義の再生産冨信用構造を前提とし,それらが相互 の株式保有と当座勘定業務の役割をめぐる論争と一    に国家の政策や中央銀行政策を媒介として織りなす 定の関連をもっ(大野rドイツ金融資本成立史論』    歴史・具体的な国際金融市場連関がここでは問題な 1956年,『ドイッ資本主義論』1965年,戸原『ドイ    のである。中央銀行政策については,藤瀬浩司「ラ ツ金融資本の成立過程』1963年,斉藤『ドイッ銀行    イヒスバンクと国際金融市場一『銀行アンケート』

史の研究』1977年)。ガーシェンクロン・テーゼに    (1908年)の分析一」『社会科学研究』第37巻第4 批判的なハンガリーのべレンドやラーンキも銀行史    号,1985年所収を,資本輸出政策論については吉岡 の叙述ではメルツに近く(1.TBerend md G R癌     昭彦「資本輸出=海外支配論覚書  H.フェイス

Ungarns Wirtschaftliche Entwicklung 184&    の著作を中心として一」r土地制度史学』第104 1918,in:D6eπαb8わω㎎・e7moπαrc痂¢ Bd.1,    号,1984年所収をそれぞれ参照されたい。

Wien 197a)マチス(且Matis,伝εθrre cんs   (5)拙報告「国際金本位制とオーストリァ・ハンガリー W r scんq幽1848−1913,κo厚ωπ勉ωθZie Dッπαm漉    帝国主義の史的展開一特にオーストリア・ハンガ 鵬dgε8eizεc飯沸Z cんerΨγαηde∫Lm Z2ε蝕琵er    リー金本位制展開の歴史的諸条件に即して一」

Frαη2 Jo8epんs兀Berlin 1971)も前者の立場     r西洋史研究』新輯第15号,1986年所収を参照。

に立つのに対して,グッド(D(楓.AηEcひ   ㈲ 銀行業務の実態に即した金融資本研究の実証的方 πomεcR s20ノ疏e Hαbsbα㎎・E〃LPかe/750−1914,    法については,石坂昭雄「ベルギー金融資本の成立

London 1984)はルドルフの立場に立つ。       と発展(1),(皿)一ソシエテ。ジェネラルと

② 日本の銀行史研究は一般に金融資本成立史研究と    ブリュッセル銀行  」『北海道大学・経済学研究』

して,主として産業独占と銀行独占の融合,癒着の    第19巻第3号,第20巻第1号,1969年,1970年が参 構造(その媒介契機)の解明に力点を置いてきたた    照されるべきである。

め,再生産構造との関連において,いわば再生産=

信用構造としてこれを問題にする視角が弱かったと

       H.オーストリア・ハンガリー資本主義発達史思われる。オーストリア金融資本研究に関する熊谷

一男rドイツ帝国主義論』1973年,第2部第3章   と信用構造の展開

「ドィッ金融資本とオーストリア・ハンガリー」も   三月前期から第一次大戦前までのオーストリア・

当該資本主義に内在した考察を後学の課題としてい  ハンガリー資本主義発達史を大きく時期区分する る。「再生産=信用構造」の概念については,吉岡  と1,三月前期(1848年革命以前)2,市民革命 昭彦「帝国主義成立期における再生産=信用構造の  期(1848−49年)3,産業革命期(1849−73年)

諸類型とポンド体制のi編成」r資本と土地所有』  4,大不況期(1873−96年)5,独占資本主義期 1979年所収を参照されたい。      (1896−1913年)の5つの時期に分けて考えるこ

③戦前日本資本主義の基本構造=対抗・展望を明ら  とができる。このような資本主義発達史の時期区 かにせんとした山田盛太郎氏の再生産構造分析(同  分に照応して信用構造がどのような展開をとげて r日本資本主義分析』1934年),戦前日本資本主義  いったのか,その結果第一次大戦前の信用構造へ

(3)

佐藤:第一次大戦前のオーストリア。ハンガリーの信用構造とその特質       63

      ●

ニ帰結するのか,まず最初にこの点を素描してみ  銀行第二特殊状1841年一銀行経営は財政当局の ることにしよう。       承認を必要とすることを規定一)。その結果,

三月前期の国立銀行業務の中心は,一級手形の割 1.三月前期  「早期産業革命」期の個人金融  引や短期の担保貸付に置かれ,商工業信用需要一 業者の支配と機械制大工場の創業〜       般を充足するものではなく,ウィーン体制という この時期は,イギリス産業革命の側圧を受けな  国際的な反動体制を維持するための国家財政支出 がら繊維工業を中心として,貴族=大商人連合に  を支えることを主たる目的とするものだった。従っ よる工場または官営工場が設立されていく時期で  てこの時期の個人金融業者の支配的地位の下では,

ある。マリア・テレジア以来の重商主義政策と関  伝統的社会経済構造全体を変革しうるような信用 連した特権マニュファクチャー(繊維工業,軍需  構造の役割というものは期待しうべくもなかった 品工業,奢修品工業)を中心としたいわば「早期  のである。

産業革命」の延長線上に機械制大工業の創業が行

なわれていくのがこの時期の特徴であっだ乙}その  2.市民革命期〜三月革命期の金融問題と銀党 場合,工場制工業の創業資本は主として貴族の封  換停止一

建的富乃至は大商人の前期的富さらには国家財政   この時期はオーストリアにおける市民革命とそ 資金に依存するものであって,「上から」の営業  の挫折の時期であるが,経済史上は「上から」の の自由の導入の下,独立小商品生産者層の「下か  妥協的な農民解放政策の実施を起点として農民解 ら」の自由な資本蓄積の可能性は,公債と近代的  放補償金の収奪や労働力市場の形成をはじめとす 租税制度の発展による収奪のために低くおさえ込  る原蓄の基礎過程が一挙に軌道づけられる時期で まれていた。ウィーン体制時代の封建的賦役経済  あった響三月革命期には,個人金融業者の商工業 下のオーストリアでは,商工業信用需要一般は著  信用充足に対する消極的姿勢,またその信用供与 しく低い水準にとどまっており,個人金融業者に  の高利貸的性格,さらにメッテルニヒの国債大量 よる高利貸信用が一般的であり,ロートシルド,  発行政策への便乗と国家財政への一方的吸着の姿 ガイミュラーGeymUller,ジナSina,シュタメッ  勢が深刻な批判の対象とされた。オーストリアの ツ=マイヤーStarnetz・Mayer等のウィーンのユ  生成途上の初期産業ブルジョアジーは,国立銀行 ダヤ人金融業者は,主として政府への貸付業務  の対国家信用への著しい傾斜が商工業信用一般を

(公債発行業務)や貴族への貸付を中心に業務を  狭隣化させ,商工業の窮状をもたらしていると訴

展開していたのである{習       え調人金融業者自体も財政の大嚇字,靴と

1816年に設立されたヨーロッパ最初の発券集中  戦争の継続の下で国債の償還に不安を感じ始め,

の中央銀行としての特権オーストリア国立銀行  直接的には国債価格の暴落を契機にメッテルニヒ        o ●

j.K. privilegierte Osterreichische NatL  の財政運営にみきりをっけていくことになった雪)

nalbankは従って,専ら有力個人金融業者の信用   さらに三月革命の混乱は,通貨・信用制度を決 需要を充足し,また何よりもオーストリア国家財  定的に撹乱した。オーストリア帝国全土では貯蓄 政の信用需要の充足を目的とする機関として出発  金庫をはじめとして預金の取付騒ぎが起り,中央 した。国立銀行設立の趣旨としては「国家財政の  銀行に対しては銀兇換請求が殺到するとともに国 介入から独立した通貨制度,通貨政策創造の要と  家の側からの塩坑証券を担保とする正貨貸付要求

して発券集中の国立銀行を位置づけること」がう  が増大したため,遂に国立銀行は銀党換停止を余 たわれてはいたが,その実態は発券特権のみ返り  儀なくされたのであった。かくてマリアーテレジ として大蔵省の強力な国家監督権が存在しており,  ア以来の銀本位に基づく通貨制度は動揺を開始す 国家的利害に従属するものでしかなかった〔3)(国立  る。以後1878年に銀価惨落の結果,打歩が消滅す

(4)

るまでオーストリア通貨は強制通用力を付与され,  な個人金融業者の資金力の限界を超えるものであっ 銀に対して打歩を生じる銀打歩Silberagio時  たから,それ自体株式会社形態をとった銀行の設 代が始まることになっだ91      立が必要とされたのである。英仏資本のオースト

こうした通貨・信用制度の動揺を三月革命後の  リア鉄道業への積極的投資と関連して強まったぺ ウィーン政府は,各種国家紙幣(3%利付大蔵省  レール兄弟による動産銀行設立の企図は,ウィー 証券,ハンガリー州庫証券,帝国国庫証券,無利  ン。ロートシルド家が中心になり,解放補償金を 子国家紙幣,塩坑証券)に対して強制通用力を与  手にした貴族や大商人の資金を集中したオースト え,これを流通過程に投入することによって通貨  リア商工信用銀行の設立(1855年)によって阻止 需要を充足し,増税・財政改革と通貨改革の早急  された。以後オーストリア商工信用銀行は,国家 な実施によって収拾していこうとした。しかし,  の利子保証によって支えられた鉄道事業に積極的 信用構造そのものの変革を意図する金融改革はオー  に参加する他,鉄道関連重工業の幾つかの設立・

ストリアの場合実施されず,個人金融業者の支配  発起活動にもたずさわった。商工業への短期信用 が1850年代末まで基本的に維持されていくことに  供与を目的に設立された下部オーストリア割引銀 なった。なお農村の高利貸に対しては,三月前期  行やトリエスト商業銀行(1853年設立)と並んで,

を通して高利禁止の措置が(1803年,1806年法)  こうした設立・発起活動を行なう株式銀行制度の 必要とされ続け,信用構造の前近代的=高利貸的  普及は,個人金融業者の力を後景に退けるに至る。

性格が基本的に維持されていったのである〔乙)    1857年恐慌時におけるアルンシュタイン・エスケ

ルスArnstein&Eskelsの没落はその象徴的 3。産業革命期一鉄道建設ブーム下の株式大銀  事件であり,レンメルLeopold Lammel家もその 行と投機的創業活動一       資本を商工信用銀行の中に結合していくことになっ

この時期は農民解放事業の実施,営業の自由の  た〔3

完全導入(1857年)を背景とし,また鉄道建設ブー   1848年革命以来の銀打歩の増減という通貨価値 ムを挺子として農業関連工業や重工業を中心に本  の撹乱は,一方での増税による財政均衡への努力,

来的な産業革命の過程が進行する時期である。オー  二度にわたる通貨改革一大蔵大臣ブルックとプ ストリアの鉄道建設は,べ一メンへの塩の輸送を  レーナーの改革  と他方での相次ぐ戦争(1854 目的とした1832年のLinz−Budweiβ間の馬車鉄道  年クリミア戦争,1859年イタリア戦争,1866年普 を起点とし,国有鉄道原則の下で建設が開始され  填戦争)に伴なう軍事費増大,財政赤字拡大とが た。しかし早くも三月革命後1854年には,クリミ  織りなす重大な産業革命過程撹乱要因であった。

ア戦争準備のための財政赤字の大幅膨張によって  この作用はことに打歩の増大期には,輸出奨励,

(1854年度財政赤字157M α =歳出  輸入抑制効果をもつところから短期的には幼弱産 の31%),遂に赤字解消策の一つとして国有鉄道  業にとって保護育成機能を強化する意味をもちえ の民間企業への売却が決定されるに至った。これ  たが,外国産輸入原料に依存する綿業(棉花),

によって以後大不況期の再国有化まで(1877年),  製鉄業(コークス用石炭)にとっては,生産費高 国家の建設認可監督権と利子保証給付に支えられ  騰の要因となり,対独自由貿易体制下のオースト っっ(1862−66年10Mα),民間主導の鉄  リア産業資本の対独競争力を減退させた。銀打歩 道建設が進展す魂        増大の輸出奨励効果を最も大きく享受したのは,

こうした鉄道建設は外国資本も引きつけたが,  伝統的な農林業の利害と(オーストリアの木材輸 国内的には莫大な遊休資金の動員,集中を可能と  出,ハンガリーの穀物輸出),また国内産原料依 する株式銀行の設立を促進した。ことに民間鉄道  存の輸出産業(チェコ地方の砂糖工業典型)利害 建設ブーム期の莫大な資金需要は,もはや伝統的  とであり,これらの部門がオーストリア経済の枢

(5)

佐藤:第一次大戦前のオーストリァ・ハンガリーの信用構造とその特質       65

軸を構成していくことになっ建忽         の点で1873年恐慌が過剰生産恐慌として当該資本 主義確立の一指標たる性格をもちつつも,激成的

な現実資本の編成替えと生産力の発展の側面は弱

§

く,まず何よりもウィーン証券取引所を中心とす

る過剰信用,過剰投機の崩壊の様相を呈したこと

詔゜。F

o § が留意されなくてはならない。この時期のウィー

ンを中心とする株式大銀行制度の成立は,当該資

戻騨陶蹴伺 遙鯉斑 竃鶏一 ミ§一 §霞 §9 §お §專 §專 羅紹 §ぎ3 慣     本主義の性格を,何よりも産業資本の現実的資本

d     蓄積の推転によってではなく,擬制資本の運動の p  展開・いわば証券資本蟻Eff・kt・nkapitali評

累顛帽 担くK栢

§ ◎D §一 .    ことになったのである。

瘁@  次に信騰造の地帯別編成に着目して,チェコ

肱    地方やハンガリーにおける信用構造の展開につい

縦F臓 .望

縣に 課駅 課鰹 鼎ヨ 禁蟹 課ミ1ト、

≦    てみておこう。まずチェコ地方では農民解放後,

諱@   三圃制からビートの作付を媒介とした集約的輪作

H 議 転 承    制への移行を前提に大土地所有貴族経営や富農の 経営を中心に籏生する砂糖工場は,銀打歩時代に 対英輸出産品として国家の輸出奨励金給付の下で 急速に成長し,原産の原料に依存するチェコ地方 こうした通貨撹乱要素は普填戦争後のアウスグ  の自生的産業革命展開の枢軸部門として発展して ライヒの財政改革(オーストリア財政とハンガリー  いく。この展開と関連してプラハやブルノにはウィ 財政の分離眼目)と増税(地租,家賃税,所得税  一ンの株式大銀行の支店がまず設置され一商工 引上げ)とによって除去された。その結果,固まっ  信用銀行プラハ支店開設(1857年)一, 次い たオーストリア・ハンガリー二重帝国体制は以後  でウィーンの株式銀行の資本参与の下で短期信用 1873年のウィーン取引所の崩壊に至るまでの間,  業務を行なう商業銀行が相次いで設立されていっ 鉄道建設ブームを挺子とする未曽有の創立熱狂時  た一下部オーストリア割引銀行の資本参与の下 代を現出させた。この時期,株式会社形態をとっ  で,メーレン割引銀行Mahrische Eskompte た各種企業の設立・発起活動が盛んに行なわれた。  Bank(1862年),ベーメン割引銀行B6hmische オーストリアでは,外国資本と連繋した英懊銀行  Eskompte Bank(1863年)がそれぞれ設立一。

(1864年イギリス資本),オーストリア土地信用  また注目すべきは,大土地所有貴族の農場内の砂 銀行(1863年フランス資本),ウィーン銀行連合  糖工業の発展を支えていくためウィーン政府は,

(1869年ドイツ資本)が設立されたが,ことにウィ  フランスのクレディ・アグリコルCr6dit Agr}

一ン銀行連合は設立・発起の先頭に立った。ここ  coleにならった農業信用銀行の設立を奨励し,1867 ではこの時期の創業活動が同時にウィーン取引所  年にはドイツ人貴族とチェコ人貴族との資本参与 を舞台とする証券投機の時代でもあったことに注  と同盟の下で,チェコ農業信用銀行Hospoda蚤ska       》

レしておきたい。第1表にみられるように,国家  uverni banka pro Cechyが設立されていったこ 的な監督,認可の下にあった鉄道業を除くと設立・  とである11)

発起の対象となりながら実際に現実資本の回転が   ところでチェコ地方ではすでに三月前期からチェ 開始されているものが極あて少なかったこと,こ  コ人富農層の預金を集める貯蓄金庫の設立が始め

(6)

られていた。ことに農民解放後,1850年代末には  である。ハンガリー土地信用銀行Magyar F61(L 多数の貯蓄金庫が設立されたが,その資金源泉は  hitel Int6tet(1863年設立)やフランス資本が チェコ人富農層の営む集約的農業と砂糖工業に  参与したハンガリー総合土地信用銀行Magyar あった。しかしこうした自生的なチェコ民族資本  Altalan6s F61dhitel(1871年設立)は,マジャ に依拠して籏生したチェコ人貯蓄金庫に対しては,  一ル人のマグナーテン向けの農業信用需要の充足 中央銀行たるオーストリア国立銀行プラハ支店  を目的として設立されていた。ウィーン・ロート

(1847年開設)は,差別的な手形割引政策をとっ  シルド家や商工信用銀行の資本参与の下で成立し てその発展を抑え込もうとした。ウィーン政府の  たハンガリー総合信用銀行Magyar云1talanos

こうした政策に対してチェコ人は1867年に,チェ  Hitelbankも同じくマグナーテン向けの農業信用      》コ・モラヴィア営業銀行Zivnostenska banka  需要供与を目的としたが,他に短期の商業信用供

pro Cechy a Moravu(以下ジヴノステンスカー・  与や設立・発起の業務をも兼ね備えた銀行であっ バンカと略す)を設立して対抗した。即ちこの銀  た野

行は,チェコ人貯蓄金庫手形の割引を行なう短期   さらに二重帝国の周辺に視野を広げてみるなら 信用供与の機i関であると同時に,預金銀行機能と  ば,後進農業諸州にとっての最大の問題は,1848 設立・発起機能とを結合した銀行として,チェコ  年革命期の農民解放政策が前近代的,半封建的な 民族資本による商工業の自由な発展を保証する機  土地所有関係を残存せしめ,農民層の全般的な零 関としての使命を与えられた。しかしこのジヴノ  細化を惹起していった結果,それに照応した農業 ステンスカー・バンカの設立・発起活動に対して  信用構造が著しく前近代的,高利貸的な性格を帯 はウィーン政府の干渉が加えられ,ドイツ人の参  びざるをえなかったことにあった。ウィーン政府 加なしではその業務を行なうことが禁止されてい  の自由主義的経済政策が,この時期零細農民の没 た。そのため同行は,ドイツ人資本とチェコ人資  落の最後の歯止めとなってきていた高利禁止法を

本の合同銀行であるチェコ総合銀行V§eobencna  廃止するに至った(1868年)ことは,農村高利貸ゾCeska banka(1869年設立)を通してのみ,設立・  に対する営業の自由を一方では与えるものであっ

発起活動を行なうことを余儀なくされていたので  た。しかしこれは同時にウィーン政府の民族差別

あ611       的な中央銀行政策への介入を背景としたときには

ハンガリーでもすでに三月前期に貯蓄金庫一   他方で,資本不足の周辺諸州を中心として,前近 ペスト第一祖国貯蓄金庫Pesti Hazai Els6  代的な信用構造の蔓延を容認することをも意味し Takar6kp6nzt6r1836年一や商業短期信用業務  たのであった蟹

を中心とする銀行一ペスト・ハンガリー商業銀

行Pesti Magyar Kereskedelmi Bank  18  4.大不況期一ハンガリーの工業化政策とハン 41年の設立が行なわれていたが,ここでもウィー  ガリー銀行業の従属的発展〜

ン政府の干渉が存在した。三月革命後,産業革命   この時期は1873年恐慌に続く農業不況を随伴し 期のハンガリーの信用構造の展開の中で最も注目  た大不況の時代である。アウスグライヒの後も統 すべきは,オーストリアやチェコ地方を中心とし  一的中央銀行体制を維持した(国立銀行はオース た産業革命の展開に照応して,共通関税体制下に  トリア・ハンガリー銀行に改組)オーストリア・

置かれたハンガリーでは前者の地帯との農工分化  ハンガリーの信用構造の展開の全体的な特徴は次 の分業体制の下で,マグナーテン主導の土地整理  の二点に要約しうる。一つは,オーストリアやチェ 事業と穀物輸出を主軸に据えたラティフンディウ  コ地方の株式大銀行の業務の中心が設立・発起活 ム農業が躍進していくが,これとの関連で農業不  動を離れ,正規の銀行業務に移り,営業活動の中 動産抵当信用銀行が相次いで設立されていくこと  心は国債の引受発行に置かれたこと。もう一っは,

(7)

佐藤:第一次大戦前のオーストリア・ハンガリーの信用構造とその特質       67

オーストリアやチェコ地方では,例えば英填銀行  ダーバンクL蝕derbankとフランスのユニオン・

のプラハ支店の開設を例外として銀行の新創設が  ジェネラールUnion G6n6raleは1879年にハンガリ なくなったのに対して,ハンガリーではハンガリー  一国民銀行Magyar Orszagosbankの設立に協同で 政府の工業化政策の採用に照応して,外国資本の  参加した他,ベルギー,フランス資本(Soci6t6 ハンガリー銀行業への資本参与を伴なう進出が顕  G6n6raleとBanque de Paris)はオーストリ 著となり,商工業信用機関が相次いで設立された  ア資本(Unionbank)と協同で,ペスト・ハンガ り,増資が行なわれていくこと,これである。   リー商業銀行Pesti Magyar Kereskedelmi まず第一の点。1873年恐慌以降の大不況に伴な  Bank,ハンガリー割引・為替銀行Magyar Leszami一 う民間資本の鉄道投資の減退,私有鉄道の経営不  tel66s Penzvalt6bank,さらにハンガリー不 振はオーストリア。ハンガリーの鉄道輸送体系を  動産銀行Magyar Jelzaloghitelbankの増資を行なっ 危機に追いやった。そこでオーストリア・ハンガ  た。さらに1890年には独填銀行資本(ドイツ銀行

リー国家は,1877年鉄道国有化原則への復帰の下  とウィーン銀行連合)の協同の下で,ハンガリ で民間鉄道網の買収に乗り出したが,これを契機  一商工銀行Magyar Ipari 6s Kereskedelmi に大量の国債が発行され,株式大銀行の証券業務  Bankが設立されていたのであった禦

の中心はこれに集中されていったのである。また   ところで大不況期は同時に深刻な農業不況期で 当然のことながら株式の引受・発行業務はこの時  もあり,オーストリア・ハンガリーではことに帝 期著しく後退し,株式大銀行の通常の業務の中心  国内の後進農業諸州における農業危機激化の出発 は正規の銀行業務に置かれることになった。なお,  点をなす時期でもあった。ことに南スラヴ諸州や この時期の国債形態での外国資本輸入には金・銀  ガリツィアでは,アメリカ産,ロシア産穀物の大 比価の激動を経て始まる金打歩Goldagio時代  量流入に対応して設定された1882年の農工連帯の

(1879−91年)の制約があり,「ヨーロッパ最後  高率保護関税体制下で確立されたハンガリー穀物 の銀の島」としてのオーストリア・ハンガリーに  による二重帝国市場独占の体制は深刻な意味をもっ

とっては国際金融市場との結合関係にはなお一定  た。こうした農業危機に対応して周辺諸州の中か          11励

フ制約が存在していた。      らオーストリア・ハンガリーの信用構造を特徴づ 次に第二の点。そうした制約にもかかわらず,  ける別の銀行類型が登場してくる。それはガリツィ ハンガリーでは共通関税体制下での自律的な保護  ア州立銀行Galizische Landesbankを典型と 関税制度欠如の欠陥を補うべくハンガリー政府が  する州立銀行類型であった。この銀行は1883年に 積極的な工業化政策を行なっていく。1881年の新  ガリツィアのポーランド人民族自治政策の経済的 設企業課税免除法,1890年の製造工業無利子貸付  条件創出を目的に設立された総合銀行であり,そ 制度の導入等がそれで,他に官営工場の設立(ディ  の業務内容は特殊ドイツ的銀行型として整理され オースジェール官営製鉄所典型)によって,オー  ているドイツの総合銀行Universalbankよりも ストリアやチェコ地方の工業独占に対抗する手段  はるかに多くの内容をもち,ガリツィア州内の を講じていった。この工業化政策は,ハンガリー  「中央銀行」機能の遂行さえ期待される広範囲な 国債の大量発行と積極的な外国資本導入政策によっ  ものであっだ『

て支えられていたから,これに伴なってドイツ,

フランスそしてオーストリアからの証券投資はも  5.独占資本主義期一国際金本位制編入下での とより直接投資も積極的に推し進められていった。  公共事業投資,軍需ブームと金融寡頭制の成立一一 ことにこの時期のハンガリーの信用構造の展開を   この時期は国際金本位制への編入(1892年)の 特徴づけていたことは,外国資本のハンガリー銀  下でオーストリア・ハンガリーの国際金融市場と 行業への積極的な進出であった。ウィーンのレン  の安定的な結合の体制が完成し,これを背景に産

(8)

業独占形成なかんつく銀行独占,金融的支配網の  が課せられており,株式会社の設立・発起に対し 形成が強力に推し進められていく時期である。ク  ては新興の電機・化学工業についても創業活動は ローネン国債を脈管とする外国資本導入によって  消極的であり,これらの部門は主としてドイツか 支えられた第一次大戦前のケルバーの公共事業投  らの直接投資にたよった。それ故大不況を生きの 資(地方鉄道網整備,第ニトリエスト鉄道建設計  びた既存優良企業への吸着手段としての当座勘定 画)や軍需ブームが挺子となり,1907年恐慌によ  業務がまず先行し,設立・発起活動は当座勘定信 る中断をはさんでこの時期には,73年恐慌前の創  用の長期化のネックを解消する一手段としてこれ 立熱狂に続く創業活動の隆盛の時代が現出する。  に続くものとなっていたのである讐

それではいったいこの時期の創立熱狂は,いかな   ごうして設立・発起活動は,産業企業の資本集 る信用構造の展開によって支えられていたか。こ  中を促進していくが,オーストリア・ハンガリー の点を簡潔に要約するならば以下のようである。  における独占形成の主導性は銀行資本にあった。

大不況期には株式大銀行の銀行業務は,正規の  というのは当座勘定の設定はオーストリア・ハン 銀行業務を中心としており,証券発行を通しての  ガリーの場合,商品委託販売契約と連動させられ 営業活動は鉄道国有化政策と関連した国公債の引  ており,銀行資本は流通過程をも承握するのが普 受発行に置かれていた。ところが金本位制の採用  通であり,産業企業のカルテルやトラストの中枢 と大不況からの脱却は,銀行資本の蓄積条件を大  的機能は,株式大銀行の商品取引部によって担わ きく変えていく。まず金本位制の採用は,フラン  れていたからである。「当座勘定業務による企業 ス及びドイツを中心とする国際金融市場からの短  経理の熟知監視一商品委託販売業務による流通過 期,長期の資本輸入の条件を整備したため,外国  程の支配一設立・発起活動と株式保有」,これら からの低利で安定的な「クローネン国債」形態で  の三位一体的結合は,株式大銀行による産業独占 の資本輸入が可能となり,国内の株式大銀行の国  の金融寡頭制的支配を可能とする。当座勘定業務 債発行業務のうまみを失なわせるに至る。そこで  をめぐる株式銀行相互間の競争(預金金利引上げ,

次には,この株式大銀行は主として当座勘定業務  貸出金利引下げ)排除をねらいとする1907年の全 の拡大によって,大不況から脱却しつつあった産  帝国規模での銀行カルテル(①預金金利3%以上 業へ吸着手を伸ばし始める。かくして独占資本主  引上げ禁止②銀行手数料協定③手形割引金利公定 義段階の株式大銀行の業務の中心は当座勘定業務  歩合1%上乗せ)の結成並びにツィスライタニア に置かれることになる。そして今度はこの当座勘  側でのカルテル監督の中央機関たるオーストリア 定業務の長期化に伴なう銀行資本の流動性低下を  統制銀行Kontrollbank(1914年)の設立がそ 解消する手段として,貸付企業の株式会社形態へ  の指標であった響

の改組や新会社の設立・発起が行なわれていく。   以上の概観からも明らかなように,オーストリ 第一次大戦前の創立熱狂時代というのは,こうし  ア・ハンガリーの信用構造の展開は,「工業化過 た事実諸関連の下で惹起されてきた現象だったの  程における国家の役割かあるいは銀行の役割か」

であ魂       といった限られた視座からの単純な類型化論を許

従って,独占段階におけるオーストリアの銀行一  すようなものではなく,当該資本主義の全機構的 産業関係の特徴は,株式大銀行が既存の優良企業  推転と密接な関連をもつものに他ならなかった。

を選択し,これに吸着する手段として当座勘定契  こうした歴史的過程を経て,第一次大戦前に独自 約が締結され,銀行はこの業務から収益を引き出  の姿態をとるに至るところのオーストリア・ハン していく点にあったのである。オーストリア・ハ  ガリー信用構造の全体像を次に各銀行諸類型毎の ンガリーでは73年恐慌に帰結した証券投機・過剰  銀行業務の実態に即して明らかにしていくことと 信用に対する警戒から株式大企業に対しては重税  しよう。

(9)

1

佐藤:第一次大戦前のオーストリア・ハンガリーの信用構造とその特質       69

(1)拙稿「オーストリア・ハンガリー産業革命把握の    Gεgeπωα鵡Wien 1913,&7a

基礎視角一後進資本主義国の編成替え把握をめぐっ   (1④ Marz,αα.α, S鼠367−375;Rudolph, Qp.

て」 『東欧史研究』第2号,1979年所収を参照。     c肱,pμ8〔ト88, p.10a

(2)Rudolph, oμc肱,p.68.       α窃 Rudolph, op。 d乙,μ8&

(3}Nationlbankは,株式会社形態の私的銀行とし   佗① 1b鳳;K湿ek,ααα, Sa 40−41, S.9a ての体裁をもつが,国家より発券集中の特権を付与さ

れた見返りとして総裁の勅任に象徴されるような国

       皿.第一次大戦前のオーストリァ・ハンガリー家への従属が顕著であり,財政援助を最重要業務と

したので国立銀行と訳しておく。VgL R Kami払   銀行諸類型と信用構造 Die dsterreichische Geld−und WahrungsPolitik. (1)銀行諸類型と銀行業務

von 1848 bis 1948, in:Eωπde撹」励reδ8 ←   以下ではまずオーストリア・ハンガリーの信用 rrθεc鳩c加r%7εsc1麟e撹ω 醐ω畷herg, von 構造の軸心たる中央銀行を,またその中枢たる個 H.Mayer, Wien 1949, S.12&        人金融業者,株式大銀行をそれぞれおさえ,次い ω拙稿「三月革命期のオーストリァにおける農民解  で「信用の第ニセクター」たる貯蓄金庫,郵便貯

放とその帰結(上)」r茨城大学人文学部紀要(人  金局を,さらに信用構造の周辺たる州立銀行をそ 文学科論集)』第13号,1980年所収を参照。     れそれ順次とりあげ整理していくこととしたい。

       一

D拙稿「オーストリァ立憲帝国議会宛請願書目録分  言うまでもなくこうした重層的な信用構造の最底 析」r西洋史研究』新輯第12号,1983年所収を参照。  辺を構成するのはオーストリア・ハンガリーの場

(6)Kamitz, a a.0.,SS 128−22軌        合,「資本不足」の窮乏する農村を背景とした農

(7)H.R. von Schullern, Die Beseitigung des  村高利貸や雇役制に代表される半封建的な搾取関 Bestiftungszwanges und der Wuchergesetz, in: 係であった。

Gescん c玩θderδs errθ 醐scんeπLαπ盛u雇  A.オーストリア。ハンガリー銀行(中央銀行)

.Fors ωεrおchψ膿d晒rθ1認鵬痂eπ1848−1898,  この銀行は1816年設立の株式会社形態をとった Wien 1899, Bd. L,SS.345−350.        特権オーストリア国立銀行がその定款改正(1878

〔8)Matis,α仏α, SS.101−109.        年)に伴ない上記の名称へと変更されたものであ

〔9)Ebe屈α, S鼠109−117;Rudolph, op. c菰, る。オーストリア・ハンガリー二重帝国の通貨・

p.69.       信用制度の軸心として,二重帝国体制の経済的統

⑩Vgl, Kamitz, a. aα,SS 129−140,      一性維持の究極的な拠所をなす機関であった。一

(111Rudolph, oμc ム, pp 70−71;よPurぎ, 般的にはこの銀行は, a.発券銀行b.銀行の銀 The Industrial Revolution in the Czech  行c.国家の銀行d.内外通貨・信用制度の軸心 Lands, i n:11 8師cα∬, Praha 1960, pμ219・−2兇  として中央銀行政策を遂行する機関であり,他の 112Rudolph, oμc菰, p.7a      諸国の中央銀行と同様の機能をもつ。しかし,この

(13Berend und Ranki, a a.α, S鼠427−423.   銀行は特殊的には,当該資本主義発達史との関連に       {1}

ツSchullern, a aα, SS.345≒35α       おいて次のような独自の特徴をもつものであった。

⑬Matis,砿αα, Sa 291−298;Kamitz, a a   まず第一に,オーストリア・ハンガリーではc.

α,SS 145−147.      国家の銀行としての機能が第一義的に重視されて

{1㊥Berend und%nki, a. a.α,SS.475−4π    きたため,三月革命後の慢性的財政赤字の時期に

(mRStefczyk, Die wirtschaftliche und sozi一 は国家紙幣,大蔵省証券,国庫証券の引受強制に ale Tatigkeit des galizischen Landtages, in: よってa.発券銀行機能の主体性を確立しえぬま

W尻scゐψ伽漉Z鵬伽de GαZ勧θπs πdθr  まに,通貨・信用制度の撹乱(銀打歩,金打歩の

(10)

増減)を許してきたこと。その点でオーストリア・

ハンガリーの通貨改革の目標は常に,国家財政か 轤フ中央銀行の独立を最大の課題としなくてはな

薦箪 難§蕪cq cq 卜  o◎ ㍍遡

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らなかったのであった(1850年代のブルック,ま o◎ oつ o◎ oつ cづ oつ c◎ c◎ oつ o◎

た1860年代のプレーナー両大蔵大臣の通貨改革)。

@また第二に,b.銀行の銀行としての機能は伝 搏Iに未成熟であり,この点はとくに手形の再割

畿習申

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舘8雲蕊5触翰σ≧◎≧「喚cq  Lo cq 』ゆ o繋9①9σ

引業務が選択的でかつ限定的な性格をもち続けた

点に表われていたこと。三月前期には,個人金融 G◎ く◎ r卜 ◎D O

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業者や大商人の一級手形の割引に業務が限定され

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ていたことはもとより,20世紀初頭になってもチェ

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コ人貯蓄金庫の手形割引拒否の例にみられるよう曾

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@また第三に,a.発券銀行機能は,1878年の定じ

シ改正により,ほぼドイツのライヒス・・ンクと同腰様の間醗券制限方式(限外発行2・・M・G・の華直接発券制限から,流通銀行券の40%を金属準備姻       にで保証し,銀行券流通高が600M. G.を超えた囁

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場合,超過分に5%の発券超過税を課す方式へ) よ

ェ採用されているが,d.中央銀行政策上はオー黄       

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ストリア・ハンガリーの場合,外国為替政策が第7

鼡̀的に追求されていく点最大の特徴をなすこと。 卜       5

Iーストリア・ハンガリーでは中央銀行設立当初ム 謔闡ホ内均衡破壊防止のためにフランス銀そテにな〒

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轤チた低公定歩合政策が志向されてきたが,金本 ハ制採用後の当該期には独仏二大金融市場からの餐 タ定的な資本輸入条件確保を前提とした外国為替壌 ュ策が,クローネン為替相場の安定,金流出防止,

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オーストリア・ハンガリー金本位制維持のための 謌鼡̀的手段として採用されていく。この点に着

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ンガリー中央銀行外国為替政策の先駆性,模範的 eg u◎ o  c◎ い●

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 さて第一次大戦直前期の中央銀行貸借対照表の 剥?レの比重と推移は,国際金本位制編入下での

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オーストリア・ハンガリー金本位制乃至は中央銀 Fo閏

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行政策の機能と特徴を集約的に明示している(第 o  層一1 、一● 一  一 o  円  一 一  一

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2表を参照)。まず資産の①金属準備及び負債の

③銀行券流通は中央銀行の発券機能を示すが,こ

(11)

佐藤:第一次大戦前のオーストリア・ハンガリーの信用構造とその特質       71

こでは①金属準備の中に銀が含まれていることが  家に代表されるように,個人金融業者しての独自 オーストリア・ハンガリー金本位制の駿行性を,  の機能と性格を保持しながら,株式大銀行経営へ また同じ金属準備の中に金為替Golddevisenと  も参加することによって近代的衣裳をまといつけ

してマルクとポンドが含まれていることは,金為  る形で頑強にその地位を維持していくものもあっ 替本位制的性格をそれぞれ示していることに注目  た。

しておきたい。資産の④国家への貸付は「国家の   ことにこのウィーン・ロートシルド家は単に金 銀行」としての性格の名残りである。また資産の  融界にとどまらず様々な分野に進出し,第二次大

②割引手形(倉荷証券)③動産担保貸付は「銀行  戦期までオーストリア経済の中で枢要な地位を占 の銀行」としての機能を示す。資産⑤の不動産抵  め続けた個人金融業者の代表的存在であった。例 当貸付は,オーストリア・ハンガリー中央銀行機  えば同家は下部オーストリア地方に3万ha規模 能の大きな特徴をなすとともに,当該資本主義に  の山林を所有,経営し,オーストリア貴族に列せ

占める大土地所有貴族の抜き難い地位を示すもの  られたマグナーテンであった他,オーストリア・

である。中央銀行不動産抵当信用部からの資金の  ハンガリーの五大鉱山・製鉄所のうちの一つであ 貸出先は,ハンガリーのマグナーテン,次いでガ  るヴィトコヴィッツWitkowitz製鉄所の所有者

リッィアのポーランド貴族に対するものであったよ21 にして経営者でもあった。またオーストリア最大 資産⑧その他の資産の項は,中央銀行外国為替政  の株式銀行,オーストリア商工信用銀行の創業以 策発動の源泉となる外国為替ストックを示すもの  来の大株主として経営にも参加するとともに,金 であり,イギリスやドイツのように公定歩合政策  本位制採用時の「4%利付金国債」の発行や,金 をもってその金準備を防衛しえた中心帝国主義国  本位制採用後の「4%利付クローネン国債」の発 と異なるβ型帝国主義国オーストリア・ハンガリー  行の際には,個人金融業者の資格でいわゆるロー の国際金本位制下の世界市場に占める特異な地位  トシルドークレジット・アンシュタルトグループ を示すものであった点に注目しておきたい。    という独占的な国債引受発行シンジケートの中心 B.個人金融業者       的地位を占め続けた。さらに金本位制採用後は,

個人金融業者の営業の実態については,これを  関税の金徴収や郵便,電信料金等の国際的決済に 客観的に知る手掛りがない。そこでここでは個人  際して国庫に流入する金の出納管理を独占的に引 金融業者の典型であるウィーン・ロートシルド家  き受け,金投機を行なって莫大な利益を享受して        (4}Sに,記述史料の教えるところを整理してお  いた。従ってウィーン・ロートシルド家は単に金

くこととしよう轡       融の分野にとどまらぬ前期的結合経営としての性 個人金融業者の資本蓄積の基盤は,すでに三月  格をもち,その意味で信用構造はもとよりオース 前期において公債と近代的租税制度の発展を前提  トリア・ハンガリー経済全体に対して独特の性格

とした絶対主義国家への貸付;国債の引受・発行  を付与する存在となっていたのである。

並びに土地貴族への直接的な貸付に置かれていた。  C.株式大銀行

この点で個人金融業者は前期的富の代表であった。   この銀行類型はオーストリア・ハンガリーでは 王侯貴族の土地所有に基づく富が集中したウィー  金融貴族と土地貴族との富の結合によって成立し

ンに蝟集した個人金融業者のうちのあるものは,  ており,チェコ地方の民族銀行資本を除き,ウィー 三月革命後の資本主義の発展に対応しえず没落す  ンやブダペストの株式銀行の多くは外国資本との る。またあるものはその富を農民解放補償金を手  連繋関係(仏,独,英等の外国銀行からの資本参 にした土地貴族の富と結合させ,株式大銀行へと  与関係)を特徴としていたぎ5株式銀行の経営内容 移し変えていく。しかしオーストリアの場合には  に即して整理してみるならば,この銀行類型の中

ドイツなどとは異なり,ウィーン・ロートシルド  にはさらに次の三つのタイプが存在している。

(12)

〔総合銀行類型〕オーストリア商工信用銀行を 陛〜田母8般α≧qα≧

典型とする総合銀行のタイプが第一のものであり, K◎ 專專゜°

これらは正規の銀行業務と設立。発起業務とを結

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合している。このタイプに属しているものには他 ノ英填銀行,ウィーン銀行連合,レンダーバンク,

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ハンガリー総合信用銀行,チェコ総合銀行などが

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あった。 b

 〔短期商業銀行類型〕下部オーストリア割引銀 sを典型とする,いわば短期商業信用銀行で,手

̀割引を中心的業務とする銀行のタイプである。

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他にトリエスト商業銀行,ベーメンとメーレンの ‡(甑セ興

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〔不競抵当信用銀行鯉〕オーストリア土地嚢

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信用銀行を典型とするマグナーテン向けの農業不把

ョ産抵当信用銀行の馳これには他にハンガリ婆       Il

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土地信用銀行やチェコ農業信用銀行が属する。

Iーストリア.ハンガリーの信騰造を云々すミ ゜°@ コ 專i∋8i奪

る場合にはこうし煙類型全体を含めて株式銀行食       ヤ       ことに不動産抵

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霊◎ α〜晩(ηq◎D o  cq o の性格が検討されるべきであり,       勢       )

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連をもつ点で特に注目を要する。因みにハンガリー帽       薫では不動産抵当信用銀行のもつ意義は,第一次大

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戦直醐にも信用供与纐中約5割を不動産鞘髪信用業務が占め続けていたことからも分かるよう個

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@第3表は,ハンガリーを除いたオーストリアの。。

@      籔ツィスライタニア側の株式銀行全体の貸借対照表

ナある。この表から株式大銀行の営業内容につい ト注目すべきは以下の諸点である。まず第一に,

博ョ大銀行全体でみた場合に,その業務の中心が,

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産の項⑧当座貸越の圧倒的比重また負債の項④

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金簿預金の低額に対しての⑤当座預金の比重の きさにみられるように,当座勘定業務が最重要の n位を占め,次いで③手形割引といった短期信用 ニ務が続き,総じて正規の銀行業務が中心である アと。これに対して第二に,資産の項⑤の不動

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いること。ことに後の事実は,銀行資産の運用

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