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大 正 ・昭和 初 期 の 学 芸 会 にみ る熊 本 ・山鹿 の劇 場 の役 割

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熊 本 大 学 教 育 学 部 紀 要 第66号,163‑173,2017

大 正 ・昭和 初 期 の 学 芸 会 にみ る熊 本 ・山鹿 の劇 場 の役 割

山﨑 浩 隆

The  function  of  the  theater  of Kumamoto  and  Yamaga  seen  in  the Taisho  and  early  Showa  school  play

Hirotaka  Yamasaki {Received  September29,2017}

1.問 題 の 所 在

学校 と劇場 は地域 にお け る文 化形 成 の核 で あ る, 学校 はそ こで学 習 す る子 ど もを対 象 と してお り,劇 場 は地域 住 民 を対 象 と して い る.

現在,劇 場 で は多 くの 公 演が 行 わ れ る と と もに平 成 25年 に 文 化 庁 よ り告 示 さ れ た 「劇 場,音 楽 堂 等 の 事 業 の 活性 化 の ため の取 組 に関す る指針 」 に よ って学 校 をは じめ,福 祉 機 関,医 療機 関等 と連 携 ・協 力 して芸 術 と触 れ る機 会 の 拡 充 に努 め て い る。 学 校 と劇 場 は, 連 携 して地 域文 化 の 形成 に関 わ って い るの であ る.そ

の 一 つ と して劇 場 が 主 体 と な り演 奏 家 に よ るア ウ ト リーチ活 動 や ワー ク シ ョ ップ等 が 行 わ れて い る.

劇 場側 が 学校 と連 携す る こ とにつ い て,中 村 は 「ア ウ トリーチ を通 した コ ンサ ー トの観 客養 成 であ り,地 域 の音 楽文 化 環境 に持続 的 な刺 激 を与 え るこ とで音 楽

ホ ー ルの存 在 意義 を強化 して い こ う とす る とこ ろにあ る」 且)として い る.逆 に学 校 側 が劇 場 と連携 す るこ と につ い て,壬 生 は 「邦 楽器 をは じめ と した学 習 指導 要 領 の指導 内容 の拡 大 は,学 校外 の教 育 力の 活用 や協 力 を前 提 と した もの で あ る」2)と 指摘 してい る.学 校 で 触 れ る こ との で きない芸 術 ・文化 に直接 的 に触 れ る体 験 が で きる こ とを学 校 が 求 め て い る とい うの で あ る, 学校 と劇場 とが連 携 す る こ とに よって 地域 文化 を形 成 し,そ れ を拡 充 す る こ とが 求 め られて い るの であ る.

これ は現在 の こ とだけ で な く,明 治期 に学校 と劇 場 が 建設 され て以 来,両 者 は連携 してい たの で は ない だ ろ うか.特 に,明 治期 は西 洋 文化 を盛 ん に取 り入 れ て いた 時期 で あ る。 学校 で は,西 洋音 楽 を もとに制作 し た唱歌 を教材 と して活 用 して きた.民 間 の劇場 で も西 洋 文化 を敷術 しよ う とす る政 策 に抗 う こ とな く,学 校 と連携 して それ を遂 行 しよ うと したの で は ない か,そ こで,明 治期 にお け る学校 と劇場 の関 係 を見 る こ とに

した.そ の 中か ら今 後,学 校 と劇場 が 連携 を進 め る上

で 参考 とな る もの 見 い だ し,地 域 文化 の拡充 に寄 与 で きるので は ないか と考 えた.

熊本 県 山鹿市 には 明治 時代 の 末 に建 て られた歌 舞伎 (式)劇 場 「八千 代 座 」 が あ る.建 設 当 時 の場 所 に平 成13年 に改 築 され,現 在 も歌 舞伎 を は じめ 映画 や 演 劇 等,い ろい ろ な公演 が 行 われ てい る.

そ の一 つ と して,山 鹿 小学 校6年 生 が年 に一 度,演 劇 の発 表 をこの八 千代 座 を舞 台 と して行 ってい る.こ れ は,平 成の改 築 後 に始 まっ た もの で あ るが,改 築 前 の大正 ・昭和初 期 に もこ う した劇 や 合 唱の発 表 の舞 台 となっ てい た こ とが推 察 され る.劇 や 合唱 の発 表会 と 言 えば 「学芸 会」 とい うこ とにな る.現 在,そ の名 称 が 「学習発 表 会」 や 「校 内音 楽 会」 等 と様 々 な ものに なって い るが,学 校 と劇 場 とをつ ない で いた ので は「学 芸会 」 では ない か と考 え た.

本稿 では,こ の 「学 芸 会 」 を中心 に学校 と劇 場 との 関係 を山鹿市 の八 千 代座 と山鹿 小学 校,そ して熊本 市 内 の劇場 と小 学校 とを中心 に考 察 し,地 域 文化 の形 成 に劇 場が 学校 と どの よ うに連携 して いた のか,ど の よ うな機能 を もって いた のか を明 らか に してい く.

なお,本 稿 にお け る 「劇 場 」 は,明 治 時代 末期 か ら 昭和 初期 にか けて建 設 された映 画,演 劇,音 楽等 の公 演 が行 われ て いた施 設 とす る.

2.先 行 研 究

学 芸会 をは じめ と した学 校 行事 に着 目 した研 究 と し て,山 本 と今 野 は天 皇 制 を敷 術す るため の儀式 が学 校 行 事 で あ っ た こ と を明 らか に して い る3).そ の 中 で,

「運 動会 と学 芸 会 は二 大 行事 」 とい われ,学 校 行事 の 二 大花形 で あ った と述 べ てい る,そ の根拠 として三つ の 学校 の記 念誌 に記 され た昭和10年 代初 期 の 「学 芸 会 の思 い 出」 の中 か ら以下 の記 述 を示 してい る.

(1)「学芸 会 は2月 の初 め,今 の ア イ デ ン会社 の所 に昔 あっ た友楽 座 と言 う劇 場 を一 日借 り切 り下 の桝 席

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