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19世紀末アメリカにおける高等科学教育に関する考察

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19世紀末アメリカにおける高等科学教育に関する考察

一1880年前後の物理教育を中心として一

座 野 義 英

      要     旨

 19世紀後半,特に南北戦争後のアメリカの教育は,それまでのヨーロッパの影響にアメリカ的 修正を加えてアメリカ独自の保守的・伝統的カリキュラムを形成する時期である。特に。1875年 頃から90年代にかけては,新興の自然科学的教科がカリキュラムに導入され始める時期である が,これは容易たことではたかった。

 伝統的カリキュラムは能力心理学に基づく知的訓練の思想によって形成されていた。高等教育 機関は,知的訓練の最後の段階であるため,保守的傾向は初等・中等教育機関におけるよりも一 層顕著であった。19世紀後半の自然科学,特に,物理学に代表される物質科学の進歩はめざまし

く,高等教育機関にあってもそうした内容の教科を取り上げないわけにはいかなくなってきた。

 自然科学的教科導入の際には,保守派の人々が納得する様な論理によらねばならたかった。そ れは,自然科学の教育的価値は保守的・伝統的教科のそれと同等であるというものである。すた わち,自然科学の教育的価値を知的訓練的教育観によって正当化しようとしたのである。

 知的訓練的教育観によって高等教育のカリキュラムに物理学を導入しようとした時,.どの様な 論理がとられたのであろうか。また,その場合,その目的はどの様に考えられていたgであろう

か。

 本研究においては,これらの諸点について考察する。

K皿Y WOR1)S

fa㎝lty psycho1ogy    能力心理学 higher physics educati㎝  高等物理教育

㎜entaI discip1ine 知的訓練

1.本研究の意図

 アメリカにおいて19世紀後半,特に南北戦争終了後から20世紀初頭にかけての期間の持つ意 味は重要である。それは様々な分野において,19世紀前半及び中葉のヨーロッパからの影響が 次第にアメリカ的性格に変っていく時代だからである。先行研究によれば1),1875〜1880年に あっては,アメリカにおける近代的カリキュラム改造運動が始まる時期であり,これ以降20世 紀初頭まで,伝統的教科は新教育運動の挑戦を受けることにたる。

 またこの時期における自然科学,技術の進歩はめざましく,アメリカ資本主義は独占を形成 し始め,社会の工業化は急速に進んだ。高等教育は時代の要請に応じることを迫られ,自然科 学的教科や実験を教育内容として導入しようとした。

 高等教育機関に新興の自然科学的教科や実験が導入されると,中等教育が影響を受け,次に

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初等教育が影響を受ける。この様なパターンは70年代に入ると顕著になり,この世紀の終りま で続いた。しかし,自然科学的教科や実験の教育内容への導入は決して容易なものではなく,

伝統的教科を支持する人達を納得さ芦る努力をしなければならなかった。

 本研究においては,自然科学的教科や実験の導入を主張する人達はどの様た論理によって自 分達の主張を正当化しようとしたのかを考察し,当時の物理教育の実態を考察する。尚,高等 教育機関を,1881年の合衆国の化学・物理教授に関する報告書2),1884年の物理教授の目的と 方法に一関する報告書3)の二つに基づき,師範学校(大学),女子のための高等教育機関,及び大 学とした。

2.南北戦争後から1880年頃までの高等教育の状況

 (1)学部段階

 この時期までのアメリカの高等教育は,ドイツ的性格ではたく,イギリスの古典的大学の典 型的なバターンであった。人口密度の希薄な都市に多くの大学は作られており,通学生を主体

とする大学は成立せず,全寮生の大学が多かった。一人前の立派たジェントルマンを養成する には退廃した都会を離れ田園地帯のめぐまれた環境の中に大学はなければたらたいというのも 理由の一つであった。

 この様た大学は若者の知的好奇心を満足させるようたものではなかった。心ある若者はドイ ツに留学した。だぜドイツだったのか。潮木守一によればrイギリスの大学は宗教上の理由か らアメリカ人学生の留学の対象ではたかった。フランスは大学の所在地が花の都であり,堕落 と誘惑の都であり,アメリカ人にとって留学する地ではたかった。一方,ドイツの大学は当時 既に世界的名声を得ていた。入学は容易で,学費は安く,宗教上の差別はなかった。この様た 理由から,多くのアメリカの青年が博士号をめざしてドイツに渡った4リのである。こうして

ドイツで学んだ人達が19世紀中葉から20世紀初頭にかけて自然科学的教科や実験の導入に貢献 することになる。

 所で,この世紀の前半から中葉にかけて設立された科学校は,この時期になっても,大学の 一部としてなかなか認められず,古典的・伝統的教科を支持する人達から根強い反対にあって いた。従って学部段階における自然科学的教科導入は容易なことではなかった。

 (2)大学院段階

 19世紀後半産業や工業が急速に進むと,人々の自然科学や技術に対する要求が次第に高くだ り,研究を目的とした大学,すたわち大学障犬学設置の動きが高まってきた。この運動は,ア メリカの若者がドイツでたく,自分の国で学位が取得できるようにしようという主張とも共鳴 した。こうした中で最初の「大学院大学」として誕生したのが1876年のショソズ・ホプキンス大 学である。教官はドイツ留学経験者を中心に構成された。ここでは,ドイツ流のゼミナール形 式による授業が多くとり入れられ,自然科学的教科や実験,実習が多く導入された。ジョンズ

・ホプキンス大学はスタンフォード大学やシカゴ大学などと共に新しい教科や新しい教授方法 を導入した進歩的な大学である5)。

 初代学長ギルマン(D.C・GiIman,1831−1908)はホワイト(A.D・White,1832−1918)やエリ オット(C.W.E1iot,1834{926)と共にアメリカの高等教育に新しい局面を開いた一人であ

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る6)。彼は自由た科学的精神を強調し,研究とそれを通じての教育を本質的た機能とする大学 を意図し,ドイツ的た大学の理念を志向していた7)。

 ジョンズ・ホプキンスの影響は大きく,あちこちに大学院が新設され,整備されてくると,

初めから大学の教師や研究者にたることを目的に大学院で訓練を受けた一種の職人が登場する こととなった。19世紀末葉から20世紀初頭にかけては,r幅広い円満たる教養人」とr職人的 た専門研究者」の対立・葛藤が生ずる様になり,新旧の世代の交代の時期となった。

3.新異自然科学的教科導入の過程

 (1)伝統的教科の性格

 アメリカの教育はその歴史を見てもわかる様にヨーロッパの教育の移植であった。移植され た教育はアメリカの風土の影響を受けたから,19世紀後半その形態を整えた。その時期は一般 には1875年から1880年頃とされている8)。こうして形態を整えたアメリカの伝統主義は,既に 60年代から新教育運動の挑戦を受けていた。それはシェルドンのrオスウィーゴー運動」であ る。やがてアメリカのr伝統的カリキュラムは1875年前後から1890年代にかけて重大た挑戦を 受け,あくまで伝統主義を守ろうとする保守派と,新教育の立場からこれを打破し革新しよう

とする進歩派との間に,激しいカリキュラム論争が展開されるのである9)。」

 伝統的教科の理論的支柱は,r(1)カルビニズムの教育理論,(2)能力心理学と精神訓練の理 論,(3)人文主義的古典主義の理論10)」によってその根拠を与えられていた。たかでも能力心理 学に依拠した知的訓練的教育観は19世紀アメリカの大学教育の基礎となっており,特に70年 代,80年代にあっては,r大学のカリキュラムに新しい実学主義教科を取り入れようとする動

きを封ずる防壁として利用された11)。」この様な知的訓練の思想はカルビニズムの教育理論とよ く調和し,強力な教育理論となっていた。

 この様た教育理論と人文主義的古典主義の理論からすれば,当然,ギリシャ語やラテン語の 古典,数学,哲学などが重視され,社会科学や自然科学などは軽視されたわけである。

 こうして,自然科学的教科を高等教育機関の教育内容として導入することは非常に困難であ ったが,この困難さを増すものに自然科学と宗教の問題がある。アガシ(L.Agassiz,1807−

1873)の比較動物学博物館の例に見られるような方法によって生物学は容易に導入できた。一 方物理学の導入は困難であった。立川明によれば,この時代の自然科学と宗教の対立は,実は

「二つの科学」の対決であった。r二つの科学」とはアガシの代表する博物史とMITの創設 者ロジャーズ(W.R Rogers,180←1882)によって推進された物理学であって,一方は危機に 瀕していた宗教的習慣の次の世代への伝達を科学の名のもとに保障し,他方はそうした伝達を一 間接的に,・しかし,決定的に阻止する働きをした12),というものである。

 この時代の物理学は,もはや,r自然の秩序と調和を説いて18世紀には信仰の友であった物 理学〔ではたく〕,世界は体系的かつ大規模に変革しうるとの実感を人々に与え(中略),今や 伝統的信仰の敵に変身13)」したのである。こうして,宗教関係者は物理学を始めとする物質科 学の唯物的・即物的傾向を批判した。人々はその様た自然科学的教科を教育内容として導入す

ることに非常に反対した。

 この様な状況のために,古典的・伝統的教科はその存在理由を一段と強固にしたのである。

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 (2)伝統的教科対新興自然科学自勺教科

 19世紀前半,自然科学,応用科学,工学,技術などを中心として設立された科学校は大学の 組織の申に組み入れられるには多くの困難があった。科学校を大学の一部として認め,新興の

自然科学的教科を教育内容として導入すれば,古典的・伝統的教科を縮少したり,廃止したり しなければならず,古典的・伝統的教科を担当する人達から猛烈な反対を受けた。彼らは,当 時の社会の道徳的退廃ぶりを自然科学や技術などによってもたらされたものと決めつけた。

 この様た反対論に対してとられた論理は為よそ次の様たものであった。

 自然科学こそが確実な思考を育てるのであり,r物質科学の究極の価値は,我々の内面に高 貴た理想を育てることであり,道徳的・精神的真理に関して,より広い真理に我々を導いてく れる〔のである〕。実験室活動は自然科学に妬いてばかりでたく,倫理や道徳においても役に立 つものである。それは実験室活動は真理探究の精神,自己統制,勤勉さを要求するからであ る。自然科学こそ精神を鍛え,空想的た思弁と理論への傾向を抑制できる教科である14)。」この 様に述べることによって,自然科学の教育的価値を主張したのである。

 もう一つの論理は,能力心理学に基づく知的訓練的教育観によるものである。すなわち,自 然科学も古典的・伝統的教科と同様た教育的価値を持ちうる,という主張である。

 この時代のアメリカの大学教育は知的訓練を行う道場と考えられていた。そのため,数学,

論理学,ラテン語やギリシャ語の古典だとが重視されていた。知的能力は肉体と同様訓練され 得るというものであり,訓練によって能力はひき出され伸長されると考えられていた。すたわ ち,自然科学的教科の学習や実験室活動を通して,観察力,推理力,表現力などが訓練・育成 され,知的・道徳的正確さが訓練されるというものである。こうした観点から,教育内容や実 験は,楽しく興味あるよりも,困難で不快15)で量の多いものが与えられることとたった。

4.1881年の合衆国の化学・物理教授に関する報告書

 (1)報告書のねらい

 こρ調査は,1878年末に合衆国の中等・高等教育における化学・物理教授の実態を調べるた めに以下の諸項目に関して行われた。

① 化学・物理の教授開始時期

②指導の手引き

③ 使用教科書

④実験室とその施設,設備,装置

⑤試験の種類

⑥独創的な研究の奨励

などであり,この調査の目的は現状を把握し,分析・考察するものである16)。

 この報告書は自然科学固有の教育的価値として,知的訓練の他,観察能力の訓練・未解決の 問題を解くための実験的方法の体得をあげている17)。また,自然科学的教科導入の際の困難点 として,資質の高い教師がいたいこと,実験のための器具,装置の高価なことを指摘してい

る18)。

 以下において,師範学校,女子のための高等教育機関,大学に分けて,物理教授の実態につ

(5)

 いて述べてみよう19)。

(2)師範学校卿。rma1Sch001s)

師範学校は物理の専門家を養成する所ではないが,将来教師にたった時困らないように,あ る程度の物理が教科書,講義,実験などよって教えられた。実験は,大抵の場合,機器や器具 の使用に慣れ,操作法を覚えることであり,簡単な実験器具や装置を作ったりした。これらの 自作の器具や装置は,教師にたった時使われた。

次にいくつかの師範学校における物理とその実験指導の実態を概括してみよう。

④ニュー・ヨーク州立師範・訓練学校(オスウィーゴ」)

簡単な実験装置の使用法を教え,それらを。自作させる。教科書:Tynda11の電気学,Mayer の光学だと。

 ⑤ニュー・ヨーク州立師範学校(コートランド)

 実験は1度に18人で行う。1日に1時間以上の暗唱は学生には課さたい。学生達の申には,

1目に1〜2時間ず一つ特別に実験室活動を行う者が多い。彼らは高等学校程度の実験室を管理 する能力はあるし,実験室活動を導入する能力もある。

 ⑥ 南イリノイ師範大学

 実験はまず教師が演示を行い,次に学生が可能なかぎり同じことをくりかえして行う。特別 に実験を行うこともできる。物理に関してはあまり教えられていない。吹管を用いた短期間の 鉱物学のコースがある。

 ⑥ ケンタッキー師範学校

 物理は必修である。学生達は簡単た装置を作り,それらを用いて自分自身の実験を行う。

 ⑨ツゾシナティ師範学校

 シ:/シ十ティ高校,シンシナティ大学の協力により,物理はある程度教えられている。一可能 なかぎり,学生実験が要求され,黒板を用いて図解による解説が要求される。説明は単純明解 で子どもにも十分理解できるようたたやすい言葉で行われることが求められる。

 ㊥ 国立師範学校

 物理は10週間以上で,毎日の暗唱と毎日1時間の実験室活動がある。

 ⑧ウィスコンシン州立師範学校(オシュコシュ)

 物理実験は学生も参加するが,学生達ぽ装置の組立てに従事する。

 ⑲ ミネソタ州立師範学校(ウィノナ)

 物理実験は教師と学生の両方によって行なわれる。

 (3).女子のだ峰の高等教育機関

 女子のための高等教育機関は大学の他に師範学校,セミナリー,アカデミーなどがあり,中 等,高等教育の中間的色彩のものが多く,科学者養成などの観点は全く見られず,日常生活に 直接役立つ物理の知識が教えられていた。

 この調査に回答のあった89の教育機関のうち16校で自然科学的教科,特に化学が教授されて おり,実験室活動が導入されていた。この16校の中で明らかに一物理を教えていると読みとれる のは,以下に述べる4校にすぎなかった。

 ⑧メーン・ウェスリアン・セミナリーr女子大学

 物理は2学期間,各々13週間ずつ。これは実験室活動を含むが,実験は教師の選択による。

 ⑤ブラッドフォード・アカデミー

(6)

 入門物理が教えられる。

 ⑥ホィートソ・セミナリー

 物理は化学担当の教師(女性)によって教えられる。

 ⑥マウント ホーリーオーク女子セミナリー

 物理はフランスのガノーが書いた教科書の英語版が用いられ,講義の他に学生実験があ飢  (4)大学・科学校

 この頃になって大学レベルの教育機関に実験物理学が導入される様にたるが,基礎研究は無 視される傾向にあった。この様な傾向は教科書の内容にも反映されて為り,自然科学の実用主 義的観点から,諸原理の日常生活や工業への応用がとりあげられていた。当時の代表的教科書 の一つであったヵヅヶソボスのNatura1Phi1osophy(1863)はこうした傾向をよく示してい

る20)。

 当時の物理学を考える際注意したければならない点は,物理学の定義の問題である。例え ば,天文学は独立した科目が,物理学の一部か,力学は物理学なのか,純粋数学なのカ㍉など が議論さており,この報告書を分析する際は注意したければならない。

 本研究においては,当時の事情を考慮に入れ,天文学も力学も物理学に含めることにする。

 ⑤ MIT

 ① 非物理学専攻

 物理学を専攻しない学生に対しては,機器や装置の操作法に習熟し,正確な観察と得られた 結果を考察できる様に訓練する。

 カリキュラムの概要は下の様になっている。

教 官 名 1年 2年 3年 4年

Cross,Ho1ma口,

genck

内容 物理の一般原掾C初等力学 機器の使用及び棊p,実習(50)

応用物理学(化 w,土木工学,

囃zだと)

教科書 ガノー(薯)アトLソソ:ノ(訳)帥)

・ヒカリソクの

ィ理操作法・1コジャーズの

ィ理実験

その他 講義,応用

 ⑪ 物理学専攻(学位候補者)

 1865年このコースを開設して以来,実験室は国内一級の設備を誇ってい孔既に多くの独創 的た研究が発表されている。

 カリキュラムの概要は次の通りである。

(7)

1年

・年 1 ・年 1 ・年

3年から各専門にわかれる里2〕

内容 物理学の基礎(代数, 物理学(講義) 高等物理学,物理科学

幾何,三角法,製図, の歴史,力学,光学, 物理科学の歴史,電気 w,力学,光学,音響

化学だと) 音響学,など 学,高等物理学,物理

学の化学への応用など

一 ■ 一 ■ I ■ 一 一 一   一 一 一 一 一 一 . 一 一 一 1 一 ■ ● 一 ■ 一 一 一 ● 一 一 一 一 一 ■    一 一  一 一 一 一 一 L o ■ 一 一 一 一 一 ■   一 .   一 一 一 一  . 1  一 I ■ I I 一 ■ 一 一 一 一 一 一  一 一  一 一 ■ l    I ■      一 一 一 一 一 I■I■1一一一 一一一■一一一一一 一一一一.一 一..1一

外国語の教科書による一般物理学

逐次刊行物の読書会

物理学上のオリジナル た研究

実 験

無 1 有 1

 ⑤ハーバード・カレッジ

 物理学のコースを選択するには初等物理学を履習しておくことが要求されてい乱1年生は 物理学が必修であり,更に次のいずれか一方を選択することにたっている。

 (1)力学,静水学,気力学,光学(週2回,担当ウィルソン)

 (2)一般物理学(担当ホッジス)

 2年以降のカリキュラムは次の様にたって栄り,物理学専攻の学生は,2,4,5のコース を履修することになっている。

番号 科     目    名

1週あたりの回数

担当者

1 天文学,光学,音響学 2〜3 ラバリソグ

2 実験室実習,力学,音響学,光学,電磁気学,電気学,電

C計測 3 ドローブリッジ

3 エネルギー保存(暗唱と講義) 2 ドローブリッジ

4 光の波動説,電気学と電磁気学 3 ラバリソグ

5 分光器とその応用,熱の応用を含んだ熱力学・熱学 3 ギヅブス 番号

1

大学院のための物理学のコース(担当ドローブリッジ)

実験物理学,実験:進んだ学生,週3回 物理数学(マックスウェルの電磁気学),週3回  ◎ ローレンス科学校

1847年にできたこの学校は80年前後にはハーバード大学内にあったが,まだカレッジとして ぼ認められていたかった。しかし,物理学の内容はカレッジと同等であった。

(8)

学年

■週あたりの回数

1 初等物理学(講義) 1・

2 初等物理学(講義) 1・

科目名(1週あたりの時間数又は回数)

3 物理学,実験室実習(ハーバードカレッジの番号3),フランス語の自然科学に関する U文(2回),鉱物学と岩石学(3回)

4

 ⑥ ブラウン大学

 2年生の後半,週5回の力学は必修である。これはペック(著)の力学教科書2冨)と演示実験 に基づき暗唱が行われる。

 3年生の前半,週5回の音,光,熱,電気の授業があり,暗唱,実験も課す。

 実験は2年生の後半に行われ,選択である。実験のコースでは,物理の測定,機器や装置の 使用法などの実験,実習を行う。

 実験室のとなりに工作室があり,旋盤,金属平けずり盤,金工の道具などがある。3年生の 前半,数学と物理学で優秀た成績をあげた学生に1000ドルが奨学金として贈られる。又,ハザ

ード父子により物理学の教授の地位が一つ寄贈されれ

◎ エール大学

 物理学は2年の3学期と3年で教えられ,必修である。1週間に3〜5回,講義と暗唱によ って行われる。これは4年の2〜3学期にも教えられるが選択である。講義や暗唱の他に,実 験室での実験,実習が行われる。2名の教授と1名の助教授が担当する。

 ㊥ シェフィールド科学校

 この科学校は工一ル大学内にあったが,学部としてはまだ認められていたい。

 物理学は学部と同程度に1年生全員に教えている。その後専門的内容を教える。成績優秀た 学生には賞が与えられる。

 ⑧ジョンズ・ホプキンス大学

 創設間もないこの大学は,アメリカに茄ける最初の研究を主目的とした大学であり,物理学 のカリキュラムもすぐれたものであった。この報告書では教官名とその担当科目が示されてい るのみであり,学年の指定はたい。

 教官と成績優秀た学生はローランド教授の下で研究に従事する。物理学実験室の設備はとて も整っており,高価た機器もそろっている。物理学の論文の読書会は年聞を通して毎週1回行 われる。担当教官と科目名は次のとおりである。

 ヘイスティングス;一般物理学,実験講義,通年の週1回の暗唱,望遠鏡の理論(天文学と 数学の学生向),進んだ学生のための物理実験(毎週土曜日,通年),数学

 ローランド;熱力学,暗唱,電磁気学,数学  クレイグ;熱力学,水力学,数学

 (5)考察

 以上述べたきた大学や科学校は報告書のごく一部であるが,それらから当時のアメリカの高 等物理教育の大体の姿は想像できると思う。化学については本研究ではふれなかったが,物理

(9)

字より広く深く教えられており,特に女子のための高等教育機関では化学が日常生活との関連 で広く採用されていた。物理学が教えられるようにたったのは化学より歴史が浅く,教科書は イギリス,フランス,ドイツのものがそのままの形で使われたり,翻訳されて使われたりし れ教科書も実験手引き書も,まだ不完全だったわけである。

 師範学校での物理学は少し程度が落ちている様に思われた。特に実験は機器の使用に慣れる こと,演示実験ができるようにたることが主目的になっており,簡単た器具を自作して実験を したりした。この様た自作の器具は教師になった時役に立ち,小学校での実験器具不足解消の 一助にもたった24)。

 この報告書は,最後に,大学と大学以前の教育機関のそれぞれρ間における物理教育に一貫 性のたいことを指摘している。

5. 1884年の物理教授の目的と方法に関する報告書

 (1)報告書のねらい

 この報告書は,1878年の調査に基づき,1881年に出された報告書の結果をもとユ883年再度調 査を行い,物理教授に焦点をあて出されたものである。この報告書は以下の諸点をねらいとし

ていた25)。

⑧ 物理教授の現状とあるべき姿(目的・方法)

⑤ 教師が参考にできる様た資料を提供すること

⑥ヨーロッパの主要国の物理教授の目的

① 初等・中等学校における物理教授

⑨大学入学資格としての物理学

① 実験室活動について

 調査は10項目から成り,回答が寄せられたのは,師範学校17校,大学21校からであった。調 査項目の概略は以下の様である。

 1.初等教育段階における物理(自然哲学)教育について 2. 中等教育段階における物理教育について

3. 中等物理教育において,演緯的指導と帰納的指導,知識と訓練,教科書の問題,実験室   とその設備や器具,数学の学力などについて

4.大学入学資格としての物理について

5.大学での物理学の指導と入学者の先行経験との関連について

 6.初等・中等教育段階における物理教育と高等教育段階における物理学の指導との関連に

  つし・て

71 高等教育段階における物理学の指導の開始時期,入門実験室活動と教科書,入門物理学   は大学において選択にするか必修にするかなどについて

8.大学入学資格として物理を必修とした時の利点と欠点(項目4に関連して)

9.大学以前の教育における物理教育の目的とその根拠(項目1と3に関連して)

10.上述の項目に含まれないもの,自由言己述  (2)回答に対する分析と考察

(10)

 報告書はさらに,前述の調査項目に対する回答を12のグループに分類して分析,考察してい るが,そのうちいくつかを取り上げて述べてみ乱

 ① 自然科学的教科の教育的価値

 この時代,自然科学的教科導入に反対する人達の中には,学習する教科の数が増すと学生は 混乱し,一能力が浪費され,注意力が散漫になると主張する者がいることをこの報告書は指摘し だから,自然に関する学習は人問の教育に必須であることが数世紀にわたって偉大な教育学者 達が主張してきている,と述べている。特に物理を学ぶ目的として次の諸点を列挙した。

◎観察力,探究能力を引き出し訓練する  ⑤比較カ,推理力を訓練する

 ⑥結論を導き出す能力,表現力を訓練する  ①他の科目の学習が容易にたる

 ⑨日常生活に役に立つ  ⑦知的訓練を与える

 こうして,思考力が形成され,判断力が身につくと考えられていた。この様に考えてくる と,初等・中等教育段階においても,物理を教えるべき結論にたると述べている。

 ② 教授方法と実験の意義

 教授方法に関しては,初めは帰納的に行うべきことを指摘してい乱帰納的訓練によって帰 納的に思考することができ,日常生活に役に立つというものである。帰納的思考によって真理 を探究することができ,真理を愛するようになり,結局,このことが教育の目的になると述べ ている。さらに演舞的方法は帰納的方法の応用であること,それらは密接な関係にあることを 述べ,観察と実験の重要性を指摘する。すなわち,科学的方法はまず現象の観察から始まると いうものである。こうした論理によって実験の重要性を強調する。

 実験はまず慣れることから始まる。それは,最初は教師の演示実験をくり返して学生がやっ てみる。次に簡単な実験を学生自ら行い,次々に難しいものへと発展していく。実験は定性的 なものから定量的なものへと発展する様に指導し,実験の結果から原理や法則を導き出す様に 指導しなくてはたらない。

 こうして,実験室活動によって,観察力,推理力,帰納的思考力,表現力などが育成される ことにたる。

 ③ 教師の資質の問題

 回答者の多くが指摘しているのは,どの段階の学校に妬いても有能た教師が不足していると いうことである。教師は教授方法,器具や装置の操作法や保守管理の能力において十分訓練を 受けている必要があり,簡単た器具は自作できる能力を持たなければならない。このことは,

特に師範学校において教育,訓練されなければたらない。

 実験の手引きや教師用書もドイツ語版,フランス語版だけでなく,近年,英語版のものも多 く出版される様にたっているので,指導の際の参考になるであろう。

 教師個人の自覚だけでなく,校長,指導主事,教育関係者だとが協力し,実験室や器具や装 置などを整え,カリキュラムを改善するよう努力しなければたらたい。

 以上の様に述べ,教師の資質向上と物理の指導のための環境づくりの必要性など,を訴えて

いる。

 (3)考察

(11)

 最後にこの報告書の結論を要約してみよう。

 くりかえし述べているのは,物理教育の目的は,正確な観察をし,精密で明解た推論をする 習慣を訓練すること,である。そして,他の教科と比較すると,知的訓練に関して,高い価値 を持つものであるから各段階の学校に一おいて教育内容として導入すべきである。初等段階にお いては,興味を引き起すことが大切であり,実物教授などにより,定性的に指導する必要があ

る。

 実験は帰納的に行うだけでたく,演緯的に行うことも重要である。演舞,帰納に関しては,

実験だけでなく,講義においても考慮しなければならない。

 この様に述べていることから考えて,能力心理学に基づく知的訓練的教育観を読み取ること ができる。しかし,所々で自然科学固有の教育的価値に関する関心の萌芽が感知されるのは,

物理学者の知的訓練的教育観に対する懐疑的態度のあらわれかもしれたい。

6.結     語

合輿的 伝統的教科の中に新興の自然科学的教科を導入することは多くの抵抗があった。特 に,物理学を筆頭とする物質科学の導入に関しては,宗教との関係もあって事態を一層困難な ものにした。こうした場合にとられた論理は,自然科学の教育的価値も古典的・伝統的教科の それと同じであるというもの,すたわち,知的訓練的教育観である。

 しかし,自然科学が進歩し,人々がその恩恵に浴して生活が一層快適にたり,社会が自然科 学的教科の教育内容への導入を要求する様になると,自然科学の持つ固有の教育的価値が認識 される様になってきた。そして,進歩主義の挑戦は80年代にたると一層盛んになるが,90年代 に入ると保守派の反撃がr全国委員会によるカリキュラム研究26)」という形で始まったのであ

る。

 19世紀の90年代は進歩主義の新教育と伝統主義の旧教育の対立が明確になってくる時代であ る。この対立を一つの理論に統一するのがデューイ(J.Dewey,1859〜1952)である27)。自然 科学固有の教育的価値が認められる様になるのは,20世紀に入ってからであり,本研究でとり あげた時代から更に20年以上もたってからである。その際どの様な論理によって高等教育にお いて物理学を教えたかについては今後の研究に委ねることにしたい。

弓1月文献及び注

1)倉沢 剛:米国カリキュラム研究史,肌95−96,p皿143−44,p.182など,昭和60年,風   間書房。

2) Circu1趾s of Infoエmation of the Bureau of Education(6),A report on the teaching of   che㎞stry and physics in the United States,1881,Govem㎜㎝t Printing0缶ice(以下GPO   (1881)と略称する。)・

3) Circulars o{Information of the B山eau of Education(7),Aims乱nd methods of the teach・

  ing of physics,1884,Govemment Pri皿ting0旺i㏄(以下GP0(1884)と略称する。).

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]9)

20〕

21)

潮木守一:教育学犬全集6,大学と社会,pp.3−7,昭和57年,第一法規。

一R.Hofstadter and W.Smith:American Higher Education(II),pp.596−597.1961,Univer・

sity of Chicago Press.

Ibid、,p.594.

高木英明1アメリカに菊ける大学院教育の制度化一その歴史的背景一,国立教育研究所 r特別研究,大学院の研究一その2」,1979,p147。

倉沢 剛(昭和60年)oP.cit.,pp.75−76.

Ibid ,p.71.

Ibid.,p.76.

Ibid.,p.82.

立川.明:19世紀アメリカの大学と科学1ニュー・イングランドのディレンマとロウレソ ス科学校の開設,大学史研究(第2号),1981,p.25.

Ibid.,p.24.

S.B.Bames=The entry of science and history in the co11ege curricu1um,1865_1964,His・

tory of Education Quarte]=1y,March1964,p.45.

倉沢 剛(昭和60年),op.cit。,p.85.

GPO(1881),op.cit.,p.9.

Ibid_,p.10.

Ibid.,pp.10−11.

いちいち引用はつけないが,GPO(188ユ)をまとめたものである。

以下の論文に詳述されている。

(i)中川保雄:QuackenbosのNat岨al Phi1osophyとその日本への影響,大阪府立中之島   図書館紀要(No.11),1975。

(ii)中川保雄:明治初期の物理教育の形成とアメリカ,イギリスの物理学教科書,科学史   研究II(16),1977。

(iii)中川保雄:19世紀後半の物理学教科書の「物性論」と産業革命期の技術教育内容との   関係について,科学史研究皿(16),1977.

A.Ganot:NaturaI phi1osophy for gereral readers and young persons;translated and cited by E.Atkinson,App1eton.

22)Hofstadter and Smith(1961),op,cit.,pp.637−639.,によれば①機械工学,②土木工学,③化   学,④地質学鉱山学,⑤建築学,⑥一般科学,の6コー又である。

23)W.G,Peck:Introductory c㎝rse of natura1phi1osophy.Edited from Ganot s Popu1ar phy−

  sics, Barnes.

24) この様な指摘は次の論文にも見ら九る。

  L.I.Kuslanl Science in the19t五Centuエy Norma1School,Science Education,March1956,

  pp.139−144.

25) いちいち引用はつけたいが,GP0(1884)をまとめたものである。

26)倉沢剛(昭和60年),op.cit.,p.143.

27)  Ibid.,p.145.

(13)

AStudyonHigherScienceEducationaroundtheEnd

       of the Nineteenth Century in the U.S.

一Focusing on Physics Education Circa1880一

Yoshiei NIwAN0

    The period between the end of tbe Civi1War and the begiming of the twentieth century in the U.S.is important. Because it is the period during which the European in且uence from before the Civi1War gradua11y molded American character.

    As modem science註nd techm1ogy great1y deveIoped in thさ1870 s and80 s,there were some peopIe who tried to introduce scienti丘。 sul〕jects and1aboratory work into secondary and higher sci㎝ce curriculums.When new1y deve1oped scien倣。 subjects were introduced into higher institutions,then secondaエy science education was iniuenced,and,next,elementary sci−

enCe eduCatiOn.

    In those days,most people who he王d to mental discip1ine opposed scienti丘。 subjects,those who tried to introduce scienti五。 subjects into the curricu1㎜コ■had to justify the ed{cational and discip1inaエy va1ues of science,and show that scientiic subjects had the same values as classical OneS.

    Aromd the end of1879,the Commissioner of Educ盆tion sent out a circu1ar containing questions on the teaching of chemistry and physics in the U.S.and the report was released.

In the fan of1883,the circular and inquiries were sent out again to examine the results of the エeport of1881,and the second report was pub1ished in1884.

    In this paper,the author examined the condition of higher physics education,and the aims and methods of the teaching of physics of the day、

参照

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