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国際調査ジャーナリスト協会(ICIJ) 『世界の「水

」が支配される!』

著者 阿部 望

雑誌名 PRIME = プライム

号 23

ページ 81‑87

発行年 2006‑03

URL http://hdl.handle.net/10723/614

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本書の主張〜 「グローバル水企業の恐るべき 実態」 〜

著者の国際調査ジャーナリスト協会 (ICIJ)

「世界の水が支配される!」 というタイトルを 持ち、 また 「グローバル水企業の恐るべき実態」

というサブタイトルを持つ本書はきわめて論争的 である。 それゆえ著者がいかなる人であり、 また いかなる立場を取るのかが明示されなければなら ない。 本書の著者である国際調査ジャーナリスト 協会 (ICIJ) とは、 本書の紹介によると、 「……

1997年に設立された。 ICIJ は、 公共の利益に関 わる分野における<監視型ジャーナリズム>を、

グローバルな規模で展開する調査ジャーナリズム のネットワークであり、 現在48カ国の92名が参加

している」 とされ、 また 「……この精鋭集団は、

知られざる事実を知らせ、 美辞麗句に隠された事 実を暴き、 調査ジャーナリズムの目的〜苦しむも のを癒し、 快楽に身をゆだねるものを苦しめる〜

を追求することに情熱を燃やす、 という共通点で 結ばれている。」 このような ICIJ がまとめたレポー トが本書である。 それゆえ本書の著者の特徴とし て、 正義感にあふれる集団であることの他に、

「調査報告に共同作業という手法を取り入れてい ること」 を指摘すべきである。 ただし本書の著者 は ICIJ というグループであるが、 各章の基本執 筆者については、 「まえがき」 の中で個人名が示 唆されている点を付記しておきたい。

なお評者は水問題や環境問題の専門家でもなけ れば、 発展途上国の開発問題の専門家でもない。

主として先進工業国の持続可能な発展に興味を持 つ一研究者に過ぎない。 その意味ではこれは一つ の異分野への 「領空侵犯」 に当る。 ではなぜ本書 を取り上げるのかといえば、 それは評者が、 水は 非常に貴重な資源でかつ人々の生活に不可欠であ ることを自覚し、 その適切な管理に大きな関心を 寄せているからに他ならない。 こうした観点から、

以下で本書を読んで行きたい。

本書の主張の要約〜 「グローバル水企業の恐るべ き実態」 〜

本書はいったい何を主張したいのか。 これに対 する回答は、 本書執筆の基本的な動機となった以

国際調査ジャーナリスト協会 (ICIJ) 世界の<水>が支配される!

阿 部 望 (国際平和研究所所員)

佐久間智子訳 2004年 作品社

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下のような疑問に潜んでいるように思われる。

「もし、 水が市場で売買される商品であったとし たら?巨大な多国籍企業が各地の水道事業を経営 し、 水道料金や、 この貴重な生命の源泉である水 を誰が得るべきかについて決定する権限を握って いたとしたら?水の供給が利潤追求の手段とされ ていたら、 誰が金持ちになっていただろうか?」

(「まえがき」 より)

この疑問に対する回答こそが、 本書のサブタイ トルとして用いられている 「グローバル水企業の 恐るべき実態」 であろう。 つまり、 本書はグロー バル水企業の罪悪告発の書である。

ではグローバル水企業 (G 水企業と略記) とは 何か。 本書によれば G 水企業はメジャー・リー グとマイナー・リーグとに分けることができ、 前 者の方がその事業規模は格段に大きく、 世界規模 で寡占体制が構築されているそうだ。 メジャー・

リーグに属する企業としては、 フランスのスエズ 社とヴィヴェンディ社、 そしてドイツの RWE 社 の所有するイギリス本拠のテームズ・ウォーター 社の三大水企業が上げられる。 マイナー・リーグ には、 フランスの SAUR 社、 およびアメリカの ベクテル社と提携するイギリスのユナイテッド・

ユーティリティー社が属する。 それではこれらの G 水企業はいったいいかなる 「罪状」 を突きつけ られているのか。 本書の主張は次の4点に要約さ れるであろう (「はじめに」 の要約)。

①G 水企業は、 「水は希少かつ貴重な物資であ り、 市場性のある商品である」 ことを主張し、

水にお金を支払わない人々を糾弾することに より、 結果として、 貧しい人々から水を奪い 去り、 場合によってはコレラなどの疫病の蔓 延を引き起こしている。

②G 水企業は、 「やってきて、 カネを稼いで、

運営が難しくなるとさっさと引き上げてしま う」、 つまり長期的かつ住民の視点から経営 を行う意欲に欠ける。

③G 水企業は、 守れない約束をしばしば行い (これは 「誇大広告」 戦術と呼ばれる)、 それ によって契約を勝ち取り、 しかる後によりよ い契約条件を求めて再交渉を行う。

④G 水企業が、 自己のビジネスを拡大する目的 で、 国際機関や国や地方自治体の政策策定プ ロセスに多大な影響力を行使する強い傾向を 有し、 その結果 「政治家に不法な選挙資金の 提供を行ったり、 賄賂や詐欺行為を働」 くよ うな行動を引き起こす可能性が大きい。

以上が ICIJ の指摘する G 水企業の主要な罪状 であるが、 ICIJ は G 水企業がこれほどまでに勢 力を拡大した大きな要因として、 世界銀行などの 国際機関の果たしている重要な役割を指摘し、 そ れを糾弾している。 というのは、 G 水企業がその 業務を拡大するには、 水事業を民営化することが 前提条件となるが、 少なくとも貧困国に関しては、

世界銀行は融資供与と引き換えに水道民営化を義 務付けているからである。 世界銀行などの国際機 関の求める融資条件としての民営化の推進こそが G 水企業に大きな機会を与え、 その結果上述の①

〜④のような問題を引き起こしているというのが ICIJ の主張なのである。 その意味で、 ICIJ の批 判の矛先は、 G 水企業のみならず、 世界銀行など の国際金融機関にも向けられることとなる。

本書の構成

以上は、 本書の 「はじめに」 に書かれている内 容の評者による要約であるが、 そのことが本文の 各章で詳細に説明されるという構成を本書はとっ ている。 本書は全部で9つの章を含んでいるが、

それは基本的には2つの部分に分かれる。

第1章はいわば本書のメッセージを要約したも ので、 G 水企業の本質としての 「汚職」 体質が、

フランスを舞台とした現実の出来事を追うことで、

強調されている。

次の第2章から第6章は発展途上国のケースを 国際調査ジャーナリスト協会 (ICIJ) 世界の<水>が支配される!

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扱っている。 まず第2章では、 南アフリカのケー スが報告され、 そこでは 「死をもたらすプリペイ ド・カード」 が告発される。 第3章は、 アルゼン チンのブエノスアイレスのケースを取り上げ、

「民営化でひと儲け」 をしたフランス企業などを 指弾する。 第4章は、 マニラ首都圏の水道民営化 を取り上げる。 この第4章については、 以下で詳 述する。 第5章はインドネシアのケースを扱い、

「スハルト政権末期の政治と水」 が語られる。 そ して第6章ではコロンビアのケースが取り上げら れ、 民営化を実施し、 その後 「契約違反や透明性 の欠如といった疑惑や問題が次々に持ち上がるよ うにな」 ったカルタヘナと、 「世界銀行の勧告に 背き、 民営化ではなく、 市営上下水道会社」 にテ コ入れをすることによって高い評価を得たボゴタ の 「二都物語」 が語られる。

後の第7章から第9章は先進工業国のケースを 扱っている。 第7章では、 アメリカを舞台に、

「米国市場に喰い込む<巨大水企業>」 が報告さ れる。 第8章では、 カナダが取り上げられ、 「民 営化の苦い経験」 を通して 「手ごわい市場」 とし てのカナダのケースが報告される。 最後の第9章 では、 「オーストラリアの悪臭騒動」 が語られ、

それが民営化された企業連合において 「すべてに おいて儲けが優先された」 ことの結果として生じ たことが明らかにされる。

発展途上国と先進工業国において、 水道民営化 は多くの共通点を有するとはいえ、 基本的な相違 もいくつか観察される。 評者は以下の2つが重要 な差異であると考える。 一つは、 発展途上国にお いては、 インフラへの投資資金の不足から、 国際 金融機関への資金依存が不可欠となることが多く、

それゆえ国際金融機関が民営化を推奨する場合、

それを拒否することは困難であること (もちろん 不可能というわけではない) である。 このような 国際機関からの制約は先進工業国の場合には基本 的には該当しない。 もう一つは、 発展途上国の場

合、 上下水道インフラの整備は、 貧困層に対する 社会的支援策の面をしばしば持ち、 それゆえその 効果は経済的側面だけでは評価することはできな いが、 先進工業国の場合はその限りではないこと である。

以下では、 事態がより深刻であると考えられる 発展途上国のケースのうち、 マニラ首都圏のケー ス (本書第4章) を取り上げ、 その問題点を整理 してみよう。

マニラ首都圏の水道民営化のケース 本書の分析

本書の第4章は、 マニラ首都圏のケースを取り 上げて、 分析している。 マニラ首都圏において19 97年に上下水道事業のコンセッショ契約が2つの 民間企業によって締結されたが、 これは当時にお いて史上最も大きな民営化 (PPP= 「官民パート ナーシップ」) 事業であったとされる。 この2社 はいずれも G 水企業の影響力が著しく強い企業 であった。 すなわち首都圏の東側の経営を引き受 けたマニラ・ウォーター社は、 フィリピンの代表 的な複合企業アヤラ・コープが60%出資し、 イギ リスの G 水企業であるユナイテッド・ユーティ リティーズとアメリカのベクテルが参加する合弁 会社であるし、 西側の経営を引き受けたマニラッ ド社は、 フランス系の G 水企業スエズの子会社 オンデオ社と地元マニラのロペス家により所有さ れていたのである。 本書はこれら2社、 とりわけ そのうちの1社 (マニラッド社) の経営失敗を検 証し、 それを 「<現世利益>が残した禍根」 とし て総括している。 さてこのケースは実に多様な側 面を包含しており、 それを単純な形で要約するこ とは非常に困難であるが、 その内容を評者なりの 観点から、 以下において簡潔に (あるいは強引に) 整理してみよう。

まずなぜマニラ首都圏は水道の民営化をしなけ ればならなかったのであろうか。 いくつかの理由

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が挙げられているが、 その最大の理由は、 首都圏 上下水道システム (MWSS) が抱える 「巨額の 債務」 という問題であった。 それと関連したもう 一つの理由としては、 水道管の汚染とそれに伴う 感染症の蔓延や忍び寄る水不足の危機に対して、

MWSS が危機打開の展望を示すことができなかっ た点があげられる。 その結果、 マニラ首都圏では、

1997年に水道が民営化され、 首都圏の東側をマニ ラ・ウォーター社が、 そして西側をマニラッド社 が経営することとなった。

それでは民営化の結果、 何が変化したのであろ うか。 民営化は確かに成果をもたらした。 特に民 営化の最初の4年間 (1997年〜2000年) について は特にそうである。 具体的には、 この間の水道接 続が新規に200万世帯に実施されたのである。 こ のうち100万世帯は貧困層であった。 ただし、 こ の成果の面については、 慎重な検討が必要である。

というのは確かに新規に200万世帯が水道に接続 されたというが、 それは当初計画された接続目標 数と比べて多かったのか少なかったのかという問 題である。 明らかに評価はその目標値と比べなけ ればならない。 しかしこの作業は容易ではない。

というのも目標値に含まれた水道普及率の定義が 必ずしも明確とはなっていないからである。

他方、 時間の経過とともに民営化の欠陥ともい うべきものが表面化してきた。 まず、 水道コスト の上昇である。 本書によれば、 2001年段階で、 水 道料金は民営化当初 (1997年) と比べて3倍に上 昇した。 そして2003年には前年比で、 マニラッド 社では81%、 MW 社では36%の上昇が見られた (もっともこの点についても注意が必要である。

というのも、 民営化の直前に、 「民営化による料 金引き下げを魅力的に見せることで民営化の評判 を浴するための演出」 として、 いったん水道料金 が値上げされていたからである。 このことは、 民 営化の初期時点での水道料金の適切さに大きな疑 念を引き起こす)。 さらに、 「無収水」 と呼ばれる

コスト要因のシェアが増大した点が指摘される。

無収水は 「漏水」 と 「盗水」 の和として定義され るが、 これは水道会社にとっては明確なコスト要 因であり、 経営上はこの比率を減少させることが 重要な課題となる。 本書によれば、 1997年に64%

のシェアであった無収水のシェアの目標値は、

2000年時点で31%に設定されていたが、 実際には 66%に上昇したのである。

以上を総合すると、 結局のところ民営化は成功 したのであろうか、 それとも失敗したのであろう か。 この点に関する本書の結論は、 「入り混じる 成功と失敗」 である。 換言すると、 「民営化は半 分しか成功しなかった (マーク・デュモル)」 と いうことである。 このことは、 2000年に実施され た住民に対するアンケート調査の結果 (民営化後 の水道サービスについての評価:改善した (33%)、

変化なし (55%)、 悪化した (12%)) と調和する。

もっともアンケート調査の結果は、 それ以降、 た とえば2003年に実施されていたならば、 もっと否 定的なものとなっていたと考えられるが。

しかしこの 「入り混じる成功と失敗」 は、 総合 的に見て民営化は成功の側面と失敗の側面とを併 せ持つということだけではなく、 実はもう一つの 重大な側面を持つ。 つまり、 民営化で登場した2 つの企業のうち、 一方の会社は成功し、 他方の会 社は失敗した (「民営化は、 マニラ・ウォーター が担当していた東地域では成功したが、 マニラッ ドが担当する西地域では失敗した」) のである。

その結果、 マニラッドは2002年12月に水道事業か らの撤退を表明し、 翌2003年の3月に撤退を公式 に発表した。

それではマニラッドはなぜ失敗したのであろう か。 本書によれば、 その理由は以下の3つに集約 される。

第一に、 これはマニラッドの主張している理由 であるが、 民営化当初にアジアの金融危機が発生 したこと。 この金融危機により1ドルが26ペソか 国際調査ジャーナリスト協会 (ICIJ) 世界の<水>が支配される!

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ら50ペソへと減価した。 その結果、 マニラッドの ドル建ての債務返済額はペソ換算で約2倍に増大 することとなった。 しかし、 この第一の理由の重 要性について、 本書はかなり懐疑的である。 とい うのもマニラッド社はこれらの債務を必ずしも実 際に支払うようには要請されていなかったし、 ま た支払ってはいないというのである。

第二の理由は、 これもマニラッドの主張してい る理由であるが、 マニラッドが民営化の際に負っ た債務負担が多すぎたことである。 そして第三の 理由は、 これは本書の主張であるが、 マニラッド の 「非効率な運営と、 おそらくは管理ミス」 であ る。 というのも、 マニラ・ウォーター社と比べて、

マニラッド社の運営費は格段に高かったからであ る。

以上がマニラ首都圏での水道民営化の実態とそ の背景に対する本書の説明を、 評者なりに最小限 に要約したものである。 以下では、 このような本 書の分析がどの程度説得的であるか検討してみよ う。

本書の分析はどの程度説得的か?

まずマニラ首都圏における民営化の理由につい て検討しよう。 本書が主張するように、 民営化の 最大の理由が首都圏上下水道システム (MWSS) の抱える 「巨額の債務」 という問題であったとす れば、 このときマニラ首都圏の政策責任者にとっ て、 どのような選択肢がありえたであろうか。 こ れは困難な問いであるが、 本書が指摘するように、

「資金を出せるのは国際金融機関しかなかった」

ことを考慮し、 同時に MWSS の長期ローンの支 配的債権者である世界銀行やアジア開発銀行など の国際金融機関が 「公共ユーティリティー部門を 民間セクターに委譲するよう要求し」 ていたこと を考慮すると、 MWSS の民営化は唯一の、 とは 言わないまでもかなり不可避な選択肢であったこ とは認めざるを得ないのではないであろうか。

それでは、 仮に民営化自体がやむを得ざる選択 肢であったとしたとき、 それでその後の民営化の 失敗は不可避であったのであろうか。 そして、 そ もそもマニラ首都圏における民営化自体失敗であっ たのであろうか。 これは非常に重要であると同時 に答えるのに困難な問題である。 本書自身も述べ ているように、 マニラ首都圏での水道民営化は、

成功とも失敗とも判断がつかないというのが、 現 状での公正な判定であろう。 評者としてここで特 に指摘しておきたい点は、 第一に、 民営化プロジェ クトの評価の基準が必ずしも明確になっていない ように思われること、 そして第二に、 その基本と なる各種指標の定義が不鮮明であり、 またそのた めのデータが必ずしも全て公開されているわけで はないこと、 である。 こうした状況の下では、 プ ロジェクトの評価を客観的に下すことは困難であ る。

ただし明確なことがあって、 それはマニラッド 社の経営は破綻したのに対し、 マニラ・ウォーター 社のそれは相対的には成功している点である。 こ の点は上記の質問に対する一つの回答を提供する。

つまり、 民営化された2つのうちの一つの G 水 企業では少なくとも失敗はしていないことに注目 すれば、 民営化の失敗は不可避ではないという結 論が導かれる。 それではなぜマニラッド社は失敗 したのに対し、 マニラ・ウォーター社は 「成功」

しているのか。 この問題に対しては、 残念ながら 本書では半分しか検討していない。 つまりマニラッ ド社の失敗の原因のみが指摘されているのである。

しかしながら評者の立場からすれば、 マニラ・

ウォーター社の 「成功」 の理由も、 マニラッド社 の失敗のケースと同様、 非常に興味深い研究テー マである。 その意味では、 少なくとも評者の観点 からは、 本書の記述が不十分なのは残念である。

そこで本書の断片的な記述をのみを基にして、

マニラッド社とマニラ・ウォーター社はどこが相 違したのかを整理してみよう。

(7)

はじめに両社の経営結果に関して。

①マニラ首都圏の水道民営化推進の中心人物で あったフィリッピン政府高官であるマーク・

デュモルの証言: 「民営化は、 マニラ・ウォー ターが担当していた東地域では成功したが、

マニラッドが担当する西地域では失敗した。」

②監査済みの財務諸表によれば、 マニラ・ウォー ターはある程度の利益を上げているが、 マニ ラッドは外注先への支払いさえ滞っている (首都圏上下水道システム (MWSS) の証言) 次いで、 両社の経営管理上の相違に関して。

①コンセッション契約時の料金引き下げの約束:

マニラ・ウォーター社は74%、 マニラッド社 は44%

②コンセッション契約時に、 MWSS から引き 継いだ債務:マニラ・ウォーター社は10%、

マニラッド社は90%

③MWSS の規制委員会が無収水を削減してい ないことを契約違反と認定し、 二社に懲罰を 課すことを決定したが、 これに対しマニラッ ド社は上告し、 マニラ・ウォーター社は決定 に従った。

④マニラ・ウォーター社に比べ、 マニラッド社 の運営費は格段に高く、 2001年のそれは料金 を徴収できた水道水1立方メートル当りで、

マニラ・ウォーター社の2倍以上であった (MWSS のコンサルタントの作成した報告書)。

⑤ 「マニラッドの水道接続数と従業員数で割っ た<自動車コスト (どういう意味か不明―評 者注>」 が、 マニラ・ウォーター社の同コス トの約2倍であった (MWSS のコンサルタ ントの作成した報告書)。

⑥マニラッド社の購入したコンピュータの台数 が、 従業員当りでマニラ・ウォーター社と比 べて80%も多い ((MWSS のコンサルタント の作成した報告書)。

以上が、 本書から判明する限りでの両社の経営

管理上の相違点であるが、 これらが、 その内容が 多少不明確であるとはいえ示唆しているのは、 マ ニラ・ウォーター社の経営は成功したのに対し、

マニラッド社のそれは失敗したこと、 そして経営 管理の面でマニラッド社に相対的に多くの無駄や 非効率性があった可能性が存在すること、 である。

もしもこの無駄や非効率性がマニラッド社の失敗 のかなりの部分を説明しうるとすれば、 このこと は民営化のそれ自体の失敗を主張するものではな いことは明白となる。

以上を要約すれば、 第4章において、 「グロー バル水企業の恐るべき実態」 はどの程度明らかに されたのであろうか。 確かにマニラッド社の経営 破綻の分析を通して、 そこにはいくつかの経営管 理上の失敗を見ることができる。 そしてその限り では、 G 水企業の一員としてのマニラッド社の

「経営管理上の無駄」 と 「すばやい撤退」 とが確 認されたといえるであろう。 このことは、 本稿の 最初に整理した G 水企業の3つの罪状のうちの

②と③が確認されたといえるかもしれない。 しか し、 これは G 水企業のうちの1社についてのみ いえることであって、 もう一つのマニラ・ウォー ター社については必ずしも該当しないのである。

それゆえ上記の事態が G 水企業の 「恐るべき 実態」 という表現に適切に該当するか否かは、 評 者にとっては定かではない。 つまりマニラ・ウォー ター社のケースを考慮すれば、 G 水企業の実態は、

必ずしも 「恐るべき」 とはいえないかもしれない。

またマニラッド社のケースのみを考えるとしても、

その経営失敗の責任を100%マニラッド社に帰す のは少々無理があるのではないだろうか。 つまり、

そこには他の関係者、 より具体的にはマニラ首都 圏の規制機関 (MWSS) と世界銀行やアジア開 発銀行を中心とした国際金融機関の責任もあわせ て議論されなければならないであろう。 このよう に考えてくると、 本書の目的の陰に隠されている と考えられる、 水資源の適切な管理の方法とは何 国際調査ジャーナリスト協会 (ICIJ) 世界の<水>が支配される!

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かというより重要な問題に行きつくのである。

結論

それでは本書の分析を通して、 評者にとっての 最大の関心事である、 発展途上国の今後の水事業 の経営形態についていかなる示唆が得られたであ ろうか。 この設問こそが、 実は世界の水問題の究 極的関心事の一つであり、 また本書の隠された基 本テーマとも理解しうると評者は考える (さらに 本書の 「訳者解説」 を読む限り、 訳者 (佐久間智 子) もまたこのような関心を共有しているように 思われる)。

まず量的・質的に低水準の上下水道インフラを 前提とし、 また資金の不足を前提とする場合、 発 展途上国における事態の改善のためには、 民営化 (あるいは PPP= 「官民パートナーシップ」) を 検討することはある意味では必然的な選択肢の一 つかもしれない。 しかし重要なことは、 まず何よ りも水事業の優れた統治形態を模索することであ る。 その場合の選択肢としては、 既存の公共当局 の統治能力の改善と公共当局に変わる別の統治体 の導入があげられ、 後者はまた民営化と第三者機 関 (NPO など) への経営委託が選択肢として考 えうるであろう。 こうした中で、 水事業に責任を 負う規制当局と経営を請け負う主体とのコミュニ ケーションをどのように円滑かつ効果的にしてい くかという問題が生じる。 この点で、 マニラ首都 圏のケースは不十分であったように見受けられる。

さらに、 インフラ整備のために国際金融機関から

の融資を受けざるを得ない発展途上国の場合、 も ちろん国際機関のスタンスも重要な意味を帯びて くる。 それは少なくとも、 すべてのケースにおい て民営化を前提とするような硬直的なものであっ てはならないであろう。 (実はこのように問題を 具体的に整理していくと、 本書の訳者が 「訳者解 説」 の1節で説明している内容が、 われわれにとっ て非常に貴重でかつ具体的な選択肢を提供してい ることに気づく。)

このように議論を進めていくと、 本書の意義が 鮮明となる。 すなわちそれは、 現在水事業に関し て民営化が主要な流れとなっているが、 それが万 能の解決策ではなく、 しばしば多くの害をなす可 能性を秘めていることを示唆している点である。

このような可能性を示し、 他の代替的な選択肢に ついて真剣に考えることをわれわれに要求してい る点こそ本書の最大の貢献であると評者は考える。

その限りで、 本書はこの分野に関心のある多くの 人々に読まれるべきであると確信するしだいであ る。

本書は、 世界銀行の行動に対しきわめて批判的で あるが、 マニラ首都圏の水事業に対する研究所・レ ポートについて、 世界銀行のウェブサイト (http://

rru.worldbank.org/PapersLinks/GlobalResults.aspx) では、 全部で11のドキュメントが紹介されている。

本書とは異なる観点から (も) この問題を考えたい 読者は是非参照していただきたい。

参照

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