台湾における信託法の制定経緯に関する一考察―生 前財産を外国の信託会社に設定する事例―
著者 黄 瑞宜
雑誌名 明治学院大学法律科学研究所年報 = Annual Report of Institute for Legal Research
巻 26
ページ 149‑156
発行年 2010‑07‑31
URL http://hdl.handle.net/10723/2234
台湾における信託法の制定経緯に関する一考察
―生前財産を外国の信託会社に設定する事例―
黄 瑞 宜
Ⅰ 台湾における信託法制の成立
1)早期の信託の概念について
民国10(1921)年に、信託事業の発展にともない、信託会社が次から次へ設立されてきた。し かし、それらはいずれも証券取引所において株の売買および抵当に集中していた。その後、取引 所が次から次へ倒産されるにともない、わずか、「中央」、と「易通」2社しか生き残らなかった。
民国20(1931)年に、国民政府が銀行法を制定公布したとき、旧銀行法第29条から第32条にお いて、銀行が信託業務の兼営およびそれに関する経営の規範が設けられた。しかし、それらはい ずれも銀行が信託業務を取り扱う際の許可、資本の独立、受け取った信託資金を分別に保存する ことと信託報酬を受け取ること等の一般的な規定であった。
民国36(1947)年9月1日に、初めて銀行法の修正が行われた。今回の修正は、旧銀行法第6 章を信託会社の一章として設けられており、その主な修正内容について、信託の方法を以って、
資金の運用あるいは金銭および財産を取り扱う場合には、信託会社とすると明文規定がなされて いた。
そして、民国39(1950)年において、銀行法の2回目の修正が行われたが、単に信託会社に関 する罰金を一万元から千元に減少する修正だけであった。
しかしながら、上記の銀行法上に基づく信託会社が台湾の社会においては、一度も現れていな かった。
これに対して、台湾が日本の植民地となった時期において、すでに地方金融とする民族色彩を 帯びる信託業が設けられた。1920年においてピークを迎え、合計24社の信託会社が存在していた。
しかしながら、当局により抑制されたこともあって、それに加えて資本と経営上の弱みによって 倒産や解散あるいは経営体制の改正に追い込まれた。1944年に、日本が台湾で「信託業法」を実 施すると同時に、「大東」、「屏東」および「台湾興業」3社が信託会社として強制的に合併させ られ、「台湾信託株式会社」という名に改められた。第2次世界大戦後、国民政府がそれを信託 部として設け「華南銀行」に組み入れた。
その後、台湾社会経済の発展にともない、財政部は民国59(1970)年に「信託投資会社管理辦法」
を発表した。その全文は合計24カ条からなっており、その中の第12条の規定では、信託投資会社 により経営の業務が、行政院より認定される『信託投資会社の設立申請審査原則』に規定される 業務範囲内において、踰越しないことに従うべきであるとした。その規定された主な業務として は、第1に、信託資金を取り扱う業務、第2に、証券を取り扱う業務という2項目の業務であった。
また、民国62(1973)年に、財政部はさらに信託投資事業の発展を促進させるため、専門家の 意見を聞き入れ、斟酌したうえ、「信託投資会社管理規則」を改めて定めた。この管理規則が民 国64(1975)年に新銀行法が公布施行される前に、信託投資会社の設立と管理を規範するための 主要な依拠となった。しかして、民国64(1975)年に、新銀行法が公布施行された後、銀行法は 信託投資会社の規定に対する条文が限られたため、信託投資会社管理規則の重要性はむしろ銀行 法に劣らないことが分かった。
また、それを規範する重要性が具有するようになってきたため、先後合計16回の修正が行われ た。最終的に修正が行われたのは、民国90(2001)年11月21日であった。
2)信託法が制定されるまでの信託に関する概念
台湾における信託法がまだ制定されていなかったとき、信託制度の基本的な内容に関しては、
主に、司法判例、判決およびその他の法令により位置づけられるようになってきた。
民国59(1970)年に、政府は、経済の発展を図るため、信託投資会社の設立を認めるようになり、
それに伴い信託法を制定すべきであると呼び掛けた。民国62(1973)年に、財政部(大蔵省に相 当する)は信託投資会社を規範するための「信託投資会社管理規則」を制定すると同時に、信託 投資会社の発展を図るため、民国64(1975)年に銀行法の修正を行い、新しい銀行法の中に「信 託投資会社」が1章として追加された。それは実社会のニーズに応じるようにするためであった。
その後、証券市場の発展に寄与するため、行政院により民国72(1983)年に「証券投資信託事 業管理規則」が制定公布された。同年において、財政部もまた証券投資会社に対する管理を強化 させるため、「証券投資信託基金管理辦法」という法令を公布した。
ただし、上記の法令において、いずれも信託の基本的な法律関係を規範するだけであって信託 法ではなかった。したがって、信託に関する法律概念については、ほとんど司法判例、判決の積 み重ねにより任せられる一方である。
台湾においては、信託法が制定されるまでに、最高法院により信託に関する判決が出されたこ とがある。すなわち、裁判官により法律が作られるという方法で、「信託行為」、「信託関係」、「信 託契約」および「消極信託」等についての法律概念が創設されるようになり、それらが、台湾に おける信託制度の基盤を整えるようになったといえよう。
以下では、台湾最高法院より創設された信託制度の法律概念について紹介する。
1 信託行為について
最高法院59(1970)年度台上字3870号の判決によれば、信託行為は通謀虚偽の意思表示ではな くて、本当の効果の意思がなされた表示である。当事者の通謀により、その法律行為の効果の発 生は阻止することができないとしている。
すなわち、(最高法院59年度台上字3870号)民事判決では「信託行為と通謀虚偽表示は、似た ようなものであるが、実に両者は異なるものである。前者は真正な効果意思をなす表示であり、
後者の場合には、当事者の通謀により、法律行為の効果の発生を阻止するものである」としてい
る。その後、最高法院62年度台上字2996号民事判決では、さらに信託行為の意義について明らか にするようにしている。すなわち「わが民法では、信託行為に関する規定が設けられていない。
また信託法の制定もなされていない。通常の信託行為とは、信託者は財産の所有権を受託者に移 転し、受託者を権利者とさせ、当事者間が一定の目的の法律行為に達せさせるようにすることを 指している。受託者は法律上の所有権者であって、受託財産に基づいて行われた一切の処分行為 は完全に有効である。たとえ、その処分行為が信託の内部の約束に違反されたとしても、信託者 が単に約束に違反したことにより受けた損害に対して、受託者に賠償を請求することができるに 過ぎない。受託者がまだ財産を信託者に移転返還されていないうちは、当該財産は信託者が所有 するとはいえない」としている。
注意すべきは、民国91(2002)年10月15日に、最高法院91年度第13次民事庭会議により、この 判例(最高法院62年度台上字2996号民事判決)を援用しないことにしたと決議している。その援 用しない理由は、民国85(1996)年1月26日に、信託法がすでに公布施行されたものである。
2 信託関係について
最高法院73(1984)年台上字2388号民事判決によれば、「信託関係の発生とは、信託者と受託 者との間に、信託契約を結ぶことにより、成立されたものと認めている。次に、信託関係の終了 につき、信託関係の受託者は、その権利義務が本人に属しており、契約により別途の受託事務の 性質によって終了することができないと定められるのを除き、信託関係は、受託者の死亡により、
終了するものとされている。また委託者はいつでも信託を終了させることができる」としている
(最高法院66(1977)年度台再字42号民事判決)。
なお、民国91年10月1日に、最高法院91年度第12次民事庭会議により、この判例(最高法院66 年度台上字42号民事判決)を援用しないことにしたと決議している。その援用しない理由は、民 国85(1996)年1月26日に、信託法がすでに公布施行されたものである。
3 信託契約について
信託契約について、最高法院72(1983)年度台上字1036号民事判決によれば、「信託契約とは、
信託者と受託者との間に、信託契約の合意として、それを成立要件とする」としている。
なお、信託契約の性質について、最高法院70(1981)年度台上字1984号民事判決によれば、「信 託契約の性質と委任契約の性質とは同様でないが、近似している。したがって、民法第549条1 項の規定を類推適用することによって、当事者の一方が、いつでも信託契約を終了することがで きる」としている。
または、最高法院71(1982)年度台上字2669号民事判決によれば、「信託契約は、人に対する 信頼関係を重視することであって、信託者は受託者の同意を得ない限り、信託契約により生じた 権利義務を他人に譲渡することができない」としている。
4 消極信託について
消極信託について、最高法院71(1982)年度台上字第2052号民事判決、および最高法院79(1990)
年度台上字第2757号の民事判決によれば「信託の受託者は、信託財産につき、権利者の名義とし て受けるだけでなく、信託契約に定められた内容により積極的に管理、あるいは処分をしなけれ ばならない。もし、委託者が単にその財産を名義上として受託者に移転するだけであれば、受託 者は、はじめから管理あるいは処分の義務を負わない。財産の管理、使用あるいは処分について、
いちいち委託者自ら行うのは、消極信託であって、確実に正当な原因があることを除き、通常の 場合において、通謀によりなされた虚偽の意思表示に属し、脱法行為を助長させるため、その行 為の合法性につき認め難いのである」としている。
Ⅱ 現行信託法の制定
以上、概観してきたように、最高法院は信託法が制定されるまでに、信託行為の有効を認めな がら、判決において、信託法律関係の意義を解釈しようと試みたが、それをもって、信託法制が 完備されているとはいえない。
したがって、財政部は民国74(1985)年に信託法研究チームを結成し、計24回にわだって慎重 に会議を積み重ねたうえ、民国75(1986)年に信託法草案を完成することになった。ただし、信 託法は性質上、民法の特別法であるため、民国75(1986)年7月14日に、財政部より法務部に移 された。法務部は、これを受けて民国77(1988)年2月20日に信託法研究制定委員会を発足させ、
かつ学者と専門家を招聘し、信託法の制定に参与させた。計77回の会議を経て、信託法草案を策 定し、民国82(1993)年2月に行政院の審査受けた後、民国83(1994)年2月26日に立法院に審 議送付した。民国84(1995)年12月29日に立法院で3読を通過した。
また、信託業務の発展を促進させるため、民国89(2000)年7月19日に、信託業法を制定公布 した。これに基づき、信託業の設立と変更、業務の範囲、経営の規範、監督、組織および罰則に ついての規定が設けられた。
そして、民国90(2001)年5月29日に、信託法および信託業法の施行に応じるように、よりよ い合理的な信託税制を完備させるため、所得税法、遺産および贈与税法、土地税法、家屋税条例 等の信託に相関する税法の修正が行われた。
なお、台湾では、資産の流動化・資産化を推し進めるため、民国91(2002)年7月24日に「金 融資産証券化条例」が制定公布されると同時に、民国92年7月23日に、不動産投資信託および不 動産資産信託を導入し、不動産の証券化条例を制定公布した。
しかしながら、1996年1月26日に制定公布された信託法へ前述した最高法院の判例および判決 を適用することに関しては、当該信託法の規範を基準にすべきとの学者の見解がある。
信託という法制度は、コモン・ロー・エクイティという二重法規範を基にしていたイギリス独 自のものであるにもかかわらず、13年前に制定公布されたばかりの台湾の信託法は、主に日本と 韓国の信託法を手本とし、英米の信託法原則を参考にしただけであった。大陸法を継受した現代 の台湾では、商事信託を中心にする信託制度がかなり普及してきているが、今後は、台湾独自の信 託法が、日本法を参考にしつつ、判例や実務の積み重ねにより発展していくことになるであろう。
現に、台湾における信託法は、13年前に制定公布されたものであるが、社会経済の変遷にとも
ない、法改正の必要性があると実感されるようになってきたため、昨年より、中国信託商業銀行 により日本信託法の立法例を参考しつつ、信託法改正草案の策定に着手している。
Ⅲ 生前財産を外国の信託会社に設定する国内における諸問題
【事実の概要】
第1審:
台湾で大変有名な実業家である台塑プラスティックグループの創始者でもあり、「経営の神」
とも称された故王永慶(ワン ユウンチイン)は、2008年10月15日にアメリカのニュージャージー 州の本社を視察した後、自宅で睡眠中に、痰が喉に絡まり、窒息死したといわれている。
彼は生前に多額の遺産を、すべて海外にある数カ国の信託会社に、公益の目的で信託設定して いた。これを受けて、故王永慶の遺産をめぐって、第三夫人側は、ニュージャージー州地方裁判 所に提訴し、第二夫人の息子である王文洋(ワン ウンイアン)を相続人から除外するように請 求した。しかし、同法廷は、2009年8月13日にその請求を棄却した。王文洋が第一夫人から遺産 管理に関する委任を受けていることが、決め手となったからである。
王文洋は、ニュージャージー州地方裁判所に自身を遺産管理人とするよう請求したが、これに 対して、第三夫人側が、異議を申し立て、訴訟を起こした。ニュージャージー州地方裁判所では、
第一夫人以外の配偶者の相続権を認めていない。
故王永慶には、3人の夫人と9人の子女があり、台湾では、全員に相続権があるため、王文洋 はあえて米法廷に遺産の管理を求めた。王文洋によると、異母兄弟らがケイマン諸島やスイス銀 行に隠した遺産を含めると、遺産総額は4600億元(約1兆4千億円)に上るとしている。
しかし、故王永慶の第三夫人側はニュージャージー州地方裁判所の判決に不服を申し立て再び 訴訟を提起した。
第2審:
第2審においては、台湾プラスチックグループの創立者故王永慶の海外にある遺産をめぐる裁 判に新しい進展が見られた。審理担当のアメリカニュージャージー州地方裁判所では、2009年9 月1日に、故王永慶の海外にある遺産についての王文洋の調査請求を却下するように第三夫人側 が提出した請求を却下することを決定した。つまり、王永慶の海外にある遺産を調査するとの王 文洋の請求が認められたのである。
ニュージャージー地方裁判所の判決書には2つのポイントが示されている。その一つは、第三 夫人側の請求を却下したことである。これにより、王文洋はニュージャージー州にある故王永慶 の遺産について調査を続けることができるようになった。もう一つのポイントは、王文洋には、
故王永慶の戸籍上の配偶者である王郭月蘭の代理人として、同女史の権益を守る資格があると決 定されたことである。
ニュージャージー地方裁判所の裁判官はさらに、アメリカにある台湾プラスチック会社の責任
者は、故王永慶の遺産に関する文書やニュージャージー州にある台湾プラスチックグループの資 産に関する資料の提供に協力しなければならないとの判決を言い渡した。つまり、アメリカにあ る故王永慶の資産は公開する必要があると認定したわけである。
ニュージャージー州地方裁判所は今年の8月13日、すでに第三夫人側の請求を一度却下してい る。 9月1日は二度目の却下決定となった。
しかしながら、第三夫人側は、ニュージャージー州地方裁判所で、再び王文洋の調査請求を却 下するよう自身が提出した請求が却下されたことを受け、10月21日に台湾で「承継権存在の確認」
の訴えを裁判所に提起した。すなわち、合法な配偶者および継承権についての確認訴訟である。
これに対して、王文洋は、一夫一妻一制度が現行民法の規定であり、第三夫人側が訴訟を通し て、配偶者としての身分を確認することは、社会秩序および法律の規定に違反するものであって、
まして戸籍上における合法な配偶者である第一夫人の王郭月蘭にとって、不公平であると遺憾の 念を示した。
【問題の提起】
故王永慶が生前に多額の遺産を、海外にある数カ国の信託会社に、公益の目的として信託を設 定したことが公開されたのは、それらの信託基金の管理人に、長男の王文洋の名前が載っていな いことを契機として、故王永慶の海外にある遺産の調査を請求する権限を有するように、彼は、
ニュージャージー州裁判所に提訴したのである。前述したように、ニュージャージー州裁判所は 王文洋の請求を認めた。
故王永慶は生前に、家族がいずれ遺産の課題に臨むと予測したため、早々に「七人決策小組(七 人共同統治体制)」を設置し、公私分明を図り、遺産の課題が企業経営になんらかの影響を与え ないように配慮していた。
しかし、故王永慶が海外で設定した信託財産について、台湾国内においても、遺産税あるいは 贈与税が生じるか否かが問題視されている。それに関して、遺産問題の研究に詳しい蘇家宏弁護 士によれば、故王永慶の海外にある財産は生前に公益の目的として設定されたものであって、故 王永慶の本人名義の下におかれたものではないため、遺産税の問題は生じない。かつ、それらの 信託は、いずれも受益者を指定していないと述べている。
これに対して、複数の会計士は、故王永慶が海外で成立した信託財産は贈与税の課税対象とな り、その税総額はおよそ500億元(16億米ドル)にも上り、遺産税より重いものだ。ただし、最 終的には、その信託契約の内容にしたがうことと、国税局の査定によって、それほど重い税金を 課せられずにすむであろうとの見解を示している。
そして、国税局は、こうした先例をみない海外で設定した信託基金事案について、いったい自 益信託(自益の場合には、遺産税の課税問題となる)か、他益信託(他益の場合には、贈与税の課 税問題となる)か、あるいは公益信託のいずれかに属するものかとして、相続人には、それらの 契約書に関する書類の提供、および現地の法律内容の適用について協力する義務があると述べた。
また、財政部では、法律の視点からいえば、現地と同時に台湾の法律を適用するには、バミュー
ダ(Bemuda)諸島の法律の規定によって、信託が成立された時点において、故王永慶の財産は、
いったい本人に属したものか、それとも国内から海外へ財産を移転したものか、として判断すべ きである;かくして、それに基づき、台湾の法律および解釈法令によって判断すべきである。も しも、故王永慶が事前にその財産を信託基金会に寄付した後、国内から海外へ移転したのであれ ば、課税問題は生じないとしている。
【検討】
前述したように、故王永慶の遺産すべてが台湾国内から海外へ移転されたというわけではなく、
すべて海外にある財産が外国の信託会社に信託設定されただけのことである。 しかるに、台湾 信託法第72条1項の規定によれば「公益信託は目的事業主管機関により監督するものとする」と している。したがって、故王永慶が生前に、その財産を海外へ移転するには、目的事業主管機関 である国税局の許可を得なければならないので、故王永慶は、いままで、外国へ財産を移転した ことは、一度もなかったと考えられる。
しかしながら、故王永慶はなぜ、海外にある財産を外国の信託会社に設定し、台湾国内の信託 会社に設定しなかったのか − 考えられることの一つに、台湾国内では高額の税金を支払わな ければならないことにある。かような現行遺産税および贈与税法に関する規定を見直さなければ、
政府に遺産税と贈与税という高額な税金を納付するよりも、むしろ海外にある信託会社に公益の 目的として信託設定する企業が今後、相次いで出てくるであろう。
なお、故王永慶が、海外にある財産を外国の信託会社に設定した信託契約の具体的な内容はい まだに公表されていない。 また第二夫人の長男である王文洋は、近い将来、七人共同統治体制 に入ることが予測されていたといわれている。 これまで、ニュージャージー州裁判所では、王 文洋だけを故王永慶の海外にある遺産の管理人としてしか認めていないことから、将来的に海外 で設定された信託財産の関与について、彼がなお、重要なカギを持っているはずである。
最後に、台湾政府は、財政収入源を確保するように、上記といったような事例の再発を防止す るため、現行遺産税および贈与税法に関する規定を見直し、修正に着手した。
参考文献:
*方嘉麟・信託法之理論与実務・元照出版社・2003年
*王志誠・信託法・五南図書出版社・2006年
*最高法院59(1970)年度台上字3870号民事判決
*最高法院66(1977)年度台再字42号民事判決
*最高法院70(1981)年度台上字1984号民事判決
*最高法院71(1982)年度台上字第2052号民事判決
*最高法院71(1982)年度台上字2669号民事判決
*最高法院72(1983)年度台上字1036号民事判決
*最高法院73(1984)年台上字2388号民事判決
*最高法院79(1990)年度台上字第2757号民事判決
*王志誠・月旦法学第11期・3月・129頁
*中国時報・2009年8月14日
*自由時報2009年10月22日
*今日新聞2009年10月22日
*台湾醒報・2009年6月6日
*中時電子時報・2009年6月7日