新刊紹介
ケインズのマルサス傳を
讀む
伊 藤 久 秋
ケ イ ン ズ ( J o h n I
¥ T a y n a r d K e y n e s ) は 其 著 E s s a y s i n B i o : r p h y ( L o n n o n 1 9 3 3 ) の 後 篇 に 於 て . 前 篇 の 政 治
家に射し'若干の経済塾者の俸記を取扱ってゐる︒其
人 々 は R o t a r t M a l t h u s , A l f r e d M a r s h a l l , F . Y . E d g e w
‑ o r t h , F . P . R a m s e y の 国 名 で あ る O 此 籍 は 特 に マ
‑ ワ 一 ヤ ル の 未 亡 人 ( M a r y P a
! e y M a r s h a l l ) に 猷 ぜ ら れ て ゐ る
︒
私は此本の中から侍にマルサスに持する部分を取出
して紹介する︒
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﹃ポ‑コン研究﹄第四相に小松芳喬氏により紹介されて
ゐるが私自身これにつき興味を感すること淀きため今
敢て元結を草する︒川 ケイン.スの此1宵に於ける目的は彼自身の云ふ所に
よると‑マルサスの人物を知るに最も璃tI叉特に彼
が成長した家庭及びケンブリツヂの如=講的雰同気を多
少詳説する男に︑最も適切なろ苛料を撰び出すにあっ
てー敢てマルサスの沌定的伸記を書き上けんとするも
のではない︒ケインズは此目的の席に'雑乗普涌毎マ
ル サ ス 停 ( す な は ち マ ル サ ス 著 P o l i t i c a l E c o n o m y 第 二 版 ・ 1 一 八 三 六 年 に ‑
‑ 附 せ ら れ た 友 人 O t t e r の マ ル サ ス
侍二八三七年一月のエデンバラ叫諭しにW.Empson
の 辛 け る 此 木 の 評 論 並 に ボ ナ I の F a l t h u s a n d h i s w o r k 2 . e d , 1 9 2 4 ) の 外 . 諸 著 を 渉 接 し て 材 料 を 集 め ︑
新たにマルサス樽記へ貢献する所も教個所に及ぶ︒尤
もケインズの書‑ものは叩牡なる博記ではな‑ーそこに
は主人公の撃説傾向の簡潔なる評情が加へられてゐ
る︒
努 頭 著 者 は M a l t h u s の 語 源 及 牽 音 を 語 る ー M a l t h u s は M a l t h o u s e よ り 出 づ 罪
尊 号 は 胃 m l t u s の 如 ‑ な る べ
くt hは殆ど響かざるを正しとするであら‑と︒次で
マルサス家の家系を辿り︑罫圃中産階級として叉田紳
としての確立を略叙し︑マルサスの父ダニエルに及ぶ︒
(1)本稿を印刷所に廻し1ころ後本音が雑誌変造て小泉信三)及Economic Journal,
Dec. 1933 (Schumpeter)に紹介されTころ存知つTこ.序に詣すo
商 業 と 経 済 グニエルに就て著者は.彼が若干の匿名物の筆者?あ ったと記し︑特心の白日
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の献謀者であったと註 する︒蕊に想起されることは.マルサスが父ダニエル
の死後間もなぐ︑︺
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西書の搬均一伴者であると云ふ記事や反駁したるものであ
る︒(拙者マルサス人口論の研究三九四頁)クインズは
今此マルサスの否定にも拘ら宇ダニエルを
ψ くとも右
の本の献謀者と断定したわけであって英主興味多合事 柄である︒クインズはこれを.マルサスの蔵書中にあ る該書の中の書込みによって知つにと附記してゐるか ら︐我々は今クインズの報遣をそのま
λ 受取る外はな
いであらう︒只不可解なるはマルサスのあの一尺駁一えと
な る わ け 氏
︒
︑ 次にクインズはダニエル・マルサスとルソ
l 及びヒ
ユ l ムとの交渉
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叙越する︒化叙述の数頁や一読むに及 1
んで私としては一一概の感慨に唱へないものがある
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が﹁マルサス人口論の研究﹄を書くに岱って︑父ダニエ
二 九
六
ルとルソ
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ムの関係を詳述する文献なきに苦
める時.間々円︒浪 } C C
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ごなる一本を出ニ円円台
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の図書館にて手にし.その中に於てダニエル
とルソ l 及びヒユ l ムの交渉が明にせられたるを見て
欣喜拍く能はざるものがあった﹂拙著公刊の時その一
部を英京にあるボナ l 氏に贈呈したるに︑邦文を一訳み
符ざる氏も拙者の此個所に注目せられたりと九え︑﹁グ
ニエルとルソ l
に 関 す る こ つ の 好 参 考 刊 に つ き 感 謝
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九年二月五日付私信)弐で其者﹁マルサスと彼の業績﹄
の日本認(堀終夫.士 n 問秀夫耐氏諜昭和五年後行)に於
てはボナ l 氏自ら吸個所の補筆を其偲記の部分に加へ
られに中に︑私による白を記して.前拐の
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の本
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m } O 口二ぜ拐け利用された︒(五五三頁)今︑復︑クイ
ンズの新刊書に主として此同じ材料によって︐グニエ
ルとルソ!の関係が説かれであるのを凡て︐私は少く
とも時間上の雪印 O 江戸可争有することに︑抑誇らしき
感じをもたざるぞ符ないのである︒この事を小松芳脊
氏が認められたのは感謝に拡へない︒(ポリコン研究第
四輯)
クインズも訪れ什が川く.ルソーは自家或は抗︑附廷
に減必せんことセ乞ふたダニエルの耕一請を斥けてダー ビ ー シ ャ l
の 巧
︒ と
o ロに抗︑住居を定めた︒(拙者三八
八一良以下参照片尽くはあ
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退屈はするし.叉淋しく
もあって.彼は二三辺川の中にヒュ 11
ム去の異常な
宇闘を践し出して仕舞つに﹄とナインズは一去ってゐる O
Q ・目︒︼)更に叉﹁若しジャンジャクがダニエル・マルサ
ス の
H 以も懇篤な招待に感じてさへゐにならば.最も有
名な此文人間の事件も起ら守して済んだであらうと忠
ふ︒何故ならばルソ l は浮き歓待を満喫し慰撫され世
話 さ れ た で あ ら う か ら で あ
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﹄ と ん 相 川 像 し て ゐ る
︒
クインズが報道する新事貨の一つはルソーがダニ
エルに貰却したる植物関係の書籍がダニエルの遺品と
して︑その中の二加ロけ︑ルソ!の名前在存して.マ
ルサス家に現存して ο ると云ふこ
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で あ る の ( 匂
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グニエル・マルサスがルソ l の ER53wOMO の E2 であつ
にと云ふ訟に封してクインズは﹁在りさうにない﹂と誠一
ケ イ シ ズ の マ ル サ ス 停 や 読 む
べ て ゐ る ひ
著者の筆は緩いてロバ!ト・マルサスのナンプリッ
ヂ港島一時代に及び.同じく﹃クンプリッヂ人﹂たる著者
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語り︑そ彼の所謂クンプリッヂ絞液製者の最初の人た
る我等の主人公マルサス守一説く︒
マルサスの名を不朽ならしめたる人口論第一版(一
七九八年)はクインズによれば.後前の鍔には五年後
の第二版よりも優れたる書物であって︑︑それは.一方
に於ては人牲の完令性在信ムダる人々や反駁し.他方
に於ては.一見反針に岡山はれるけれども︑建物主の方
法在是認する所の主としてロ
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常に方決に於てロ H U ユ
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であわ哲間的であるのみなら 1
宇論調に於て恋直であり雄賠であり指辞と情緒に於け
る多くの妙曲府戒する︒(匂・ご吋)マルサスの入口論は
天才の持作である︒著者は人類の窮以を一説く端絡を裳
見し符にと信じた︒人口論の重川女性は彼の事賓の耕新
さにあるのではなく此等の事官より生守る筒明なる
二 九
七
商 業 と 経 沼
結論身痛快に強調した所にある︒(匂・ご
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) 此本は思想
の護法に大いなる感化守奥へたる諸舎の中に加はり得
る ︒
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ゼ ク イ ン ズ は 一 円 阿 く 一 昨 促 し て ゐ る ︒
﹁ 此 冊 子 は そ れ 自 身 に 於 て
も重姿であるが︑叉︑マルサスが後年リカルドとの文
通に於て開反すべき宵際の経減問題を取扱ふ上の戎精一
の見方に既に傾いてゐたことを示すものとしてム重要
である││而し工此方法︑}そ私の段も同感し得る所で
あり︑叉私の考ふに所によれば.リカルドの採つにも
一つの方法よりも正しき結論に刑法するの望み多きも
︑ ︑
のである︒然るに勝を制したものはリカルドのより魅
惑的な符的構造であった︑リカルドは完全にマルサス
の思想に背中を向けて.満百年間も問題を人工的な消
の 中 に は め 込 ん で 仕 舞 っ た ︒ ﹄ ( ワ ‑HMω)ll マルサスは
此叶子に於て穀物使絡が何故に不作のみに原閃すると
忠はれざる品川間を演宇るか冶探究し︑その唯一の原因
は︑英闘の多くの部分に於て︑致問の合︑民救泌費が殺物
債は刊に比例して増加させられにる﹃)とにあらうと推論 二九入
せるものである︒ナインズはマルサスの数筒を引用し
て︑言鮮と思想は筒情なるも︑ここにゴ百
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に卦し一ーはクインズは寧ろ酷評を加
へてゐる︒で)れは人口論の原理の極端なる遁川であ
る﹄合︑民の銭に小屋を建て住宅難の宵和と失業︑救清を
鍔さうとする案に針して︑マルサスは.作宅難が筑和
さ れ た る 卜 . は ︑ 救 貧 汗 伏
︑ か 結 婚 丸 信 奨 附 す る 影 響 は 更 に 加
京し︑救骨法の人口増加的の影響は促進されると反封
するものである︒惟ふにマルサスは救貧刊の(急速と
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徐々にる)搬照を念願とする者であって︑
新一段雰が救貧法を更に強化せんとするに針し反針の設
を県けんとしたのであるが︑品同時の甚じき住宅難を却
て誠吹するが如き熊度は︑叶
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﹁の採るべき熊皮で
はないであらう︒クインズは日く﹁終源問一・は長しく危
険 な る 堕 問 で あ る
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クインズの叙述は
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後にマルサス.リカルドの
有名なーる現交の事に及び新たに愛見され・にるマルサス を書翰を利用してこれに一段の光明を投じてゐる︒率 向上の論敵としては終始筆陣を張って諜ら守.而も個
人的山税制に於ては親父念々孫らなかっ大.此一雨入の
稀有の交渉じっきではボナ!の編輯せる円♀
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5 一 子 が宇一而の消息を俸ふるにしても︑
リカルド側に残存すべきマルサスのす一日翰が後見され
宇︑僅に一通を見出し得したフォクスウェル教授をして︑
マルサス側の書翰の損亡は.他の一つの恩界
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る富岡論に針するデビッド・ヒュ l
ムの喪失につぐもの とも局され得ると喫ぜしめたるものであった︒然るに 今幸にも
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氏は此マルサス側の書翰を後見
し得て多年の渇望を四一州にじ得ることとなったと云ふ
のである︒我々は此新設凡の書翰渠の公刊される時ぞ 待望する次第であるが.クインズはその中の数過を紹
介して︑財人間の接的討議の経過を明ならしめてゐる︒
マルサスとリカルド止の女過はクインズの云ふ所に
よるに︑一八一一年六月に始まる︒(代鮎でポナーがこ
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八 一
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年二月とせることを訂正する肖深き相互 の傘敬に始まのお互の利識は極めて淡い親密さにかは
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併しそれは頭の件質が全
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建った二人の 間の友情であった﹂町リカルドは所謂均衡の欣態に於 ける財の分配の原時を求めんとするに封して︑彼の友
人は現官界に於ける牛.産量み決定する法則に興味をも
つに︒自ら取引所に出入して売を椅み得た資際入にる
リカルドが不思議にも現・買ル離れた一一般原理
hの探京 に興味をもち自ら堕窓にあわて剃へ数恩を好みたる
マルサスが却て現賓の世界をあ h りのま﹄に見つめるこ
とを料癖としに︒雨入の論雫の根本には此融和じ難い
者眼姑の相惑があった︒んツインズが拐︑ぐるマルサスの
手紙の中にも雨入の観勅
ω 相遣が筆者自身によぺて述
べられてゐる︒
﹃私は確に︑人吟著述を宵際 LL
枇舎に有盆ならしむる 唯一の方法として現宜のま
L の事責ぞ指摘する傾向が
屡々ある・・・:・:・私は昆に叶舎の進坊は不規則なる浮動
より成立つものであって八年或は十年の間に生産と
人口に大いなる刺戟叉は大いなる障時存奥ふる如︑ぎ原
囚み考慮せ.ざることは同家の台宗の原因を閑却するも
の︑結局経泌臨一・に於ける凡ての研究の大目的を閑却す
るものと考へる︒著者は勿論好みのま与の仮設をなす
二 九
九
Bonar , L e t t e r s o f Ricard t o Malthus , P r e f a c e VII I .
(1)
商 業 と 経 済
ことは出来る.併し若し笠際上全く呉貫ならざること
を想像するならば.それは彼の仮設から何等の吋際的
推論争引出さないことになるのである︒貴君の利潤に
関する論文に於て立花は持働の資質賃銀は不縫である
と想像してゐるが.これは貨物の債絡の締動につれて
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変動する(名義的には小慾であるが)ものであり︑現買
に於て利潤と同じく愛化性をもつものであるから︑貴
君の推論が百際 ω
事 官 に 砕 岡 山 欣 て 正 し い と 云 ふ 機 舎 は な
い わ
け で
あ る
︒ ﹂
¥ 包
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此手紙を引用し・米たるクインズは.嘆じて一式ふ.マ
ルサスの見方が山知ど全く抹殺され︑百年に亙ってリカ
ルドの見方が完全に支配した事は経泌阜の進歩に封す
る 一 災 難 で あ っ た ﹄ と ︒ ( 古
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勿論此クインズの見
解に針しては多くの反駁が出得 λ
であらう
3 否︑経
潰翠界はリカルド封マルサスの針す在今日に於ても︑
或は強められたる形に於てすら.もってゐると一式ひ得
るであらフ︒併 L 今日の多くの墜者が品川ど一致して稀
拐し得ることはマルサスに於ける動態周一向な見方の
蔚持であらう α 買にマルサスは此見地から.白然的制
和を信ホノゐ古典汲の主流よりは不可能なるべき恐慌問 三
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題への深き洞察
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錯すことが出来たのである︒リカル
ド︑セイの如含古典汲の人々の如く静態的なる研究に
湾政する限りに於ては恒常的なるものは均衡の姿で
あって︑恐慌の如き不調和の現象は二時的なる.直ち
に除かれ川べき呉常の現象としてしか仰絡はつけられ
ないコ然るにマルサスは現宮の前界をまともに見るこ
とに悦れ︑一枇舎の進歩が不規則なる運動ょのなること
を認識したるが匁に.恐慌或は経済界の一起一伏を
︑ ︑
より自由に解移し得る京場にあった︒マルサスの過剰
生産説は此自由なる立場からの産物である︒
クインズは一八一二年七月七日及び同年七月十六日
の 二 週 の 手 続
・ を 掲 け て . 過 度 の 貯 者 の 有 山 中 山 . 不 生 原 的
治捷の必要な力説するマルサスのす場ぞ鮮明にしに c
勿 論
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明 江
口 弘
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に 一
就
かるる所や反一位せるものであろが.度広間消宍の自然的
調 和 を 一 説 く 宜 ︑ 論 敵 を 前 に し て の . 此 の 論 惑 は 我 壮 一 寸 を 導
て此興味ある主戦の渦中に引入るるの感あって興趣特
に深い︒﹁若しリカルドの代りにマルサスが.十九世紀
経済践の後出進展した舟憾であっ・にならば︑今日世界
は 洛 に ・ 賢 明 な る . 裕 一 に 富 裕 な る 場 所 で あ つ に ら う
︒ ﹂
と
はクインズの殴嘆であゐ J 身自ら世外恐慌の嵐の中に
在て.その賢際的解決の匁にも少なからぬ努力身銭し
つ h あるクインズとしては誠にふさはしき嘆息ではな.
い ︑ 刀 ︒
近年︑特にマルクス凶一・試の流行の後に於て︑マルサ
ス の 京 一 山 女 性 は 池 訴 に 否 定 さ れ て ・ 米 に 傾 向 が め る ︒ 今 英
間 的 一
e w 介のド足クインズに於てマルサスの高き一詩情者を
見出し得た事は.百凶十年に及ばんとする長き諭弔の
跡を願る我等に︑少なからぬ感興を抱かしめる︒マル
サスは依然として偉大なる存在である︒
それにしても思ふ.本年は正にマルサス残後百年に
相蛍する︒(彼は一八三四年十二月二十九日に他界し
た)非常時の名に主川脱されたる我凶の阜界は︑知ら示︑
クインズの所謂ナンプリッヂ経一倒壊者の最初の入︑マ
ルサスの百年祭を詔一品するの徐裕冶もつや︒
ナイシメの
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