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祭りを通して見る人の繋がりと横須賀の独自性

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Academic year: 2021

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著者 内田 良佑

雑誌名 掛川市・大須賀地区. ‑ (フィールドワーク実習調 査報告書 ; 平成28年度)

ページ 70‑77

発行年 2016‑12

出版者 静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コース

URL http://hdl.handle.net/10297/9962

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祭りを通して見る人の繋がりと横須賀の独自性

内田良佑

1 はじめに

2 祭りに関心が強い地域の人の繋がり 2.1 助っ人の定義

2.2 助っ人の歴史と、受け入れられ方 3 祭りに関心が弱い地域の人の繋がり

3.1 汐見ヶ丘での祭りの捉えられ方 3.2 関心が弱い地域内での人の繋がり 3.3 両地域の今後の展望

4 考察:他地域と比較しての提案 5 おわりに

1 はじめに

実習に先立って横須賀について文献等で調査すると、三熊野神社大祭という祭り(以下、

三社祭)についての資料が多くあり、その中でも私は同地域の祭りが非常に歴史が古いこ とに注目した。鎌倉時代末期には、修正会の田遊びが行われていたという資料が残ってお り、その後中世の修正会系統の芸能が江戸期風流系の芸能を囲みつつ今日の祭りの原型が 形成されたといわれている(静岡県大須賀町教育委員会 1991: 17)。修正会とは国家安穏、

五穀豊穣の祈願のために行われてきたもので、日本古来の習俗と、悔過に滅罪の功徳があ ると説く仏教思想が結び付き、神仏習合色の強い諸行事が行われる(佐々木ほか編 1998:

263)。江戸時代と今日では当然環境が大きく異なる。私は横須賀の祭りがどのように受け 継がれ、またどのように変化していったのかに興味を持った。

三社祭について、昔のものと今日行われているものの違いとして、以前は各地域の人で 事足りていたものの、今日では地域外の人が参加するようになったということがわかった。

また調査を経て、三社祭に関して関心が弱い地域が存在するということもわかった。

本稿では、以上の点を踏まえて、なぜ地域外の人が三社祭に参加するようになったのか、

地域内外人びとの繋がりはあるのか、また、大須賀地区や横須賀の中でも三社祭に対して 関心が相対的に弱い地域は三社祭をどう捉えているのかという問いから、地域の人の語り を中心に考え、横須賀を中心とした広範囲の人の繋がりについて見ていく。そして他県の

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行事維持活動の研究と比較することで、横須賀の独自性を述べる。また横須賀の祭りをよ り一層円滑に運営していく上で必要な要素について他の研究と比較し考察する。

2 関心が強い地域の人の繋がり

三社祭に関心が強い地域について記すにあたり、その地域の概要を確認する必要がある。

横須賀地区には現在13の字町がある。これは行政的区分ではないものの、日ごろから字町 での区分を意識する人が多い。三社祭ではこれらの字町が祢里(ねり)を出す(写真1)。

写真1 祢里の様子(内田撮影)

各字町で祢里の形状が微妙に異なり、各字町の人が自分の字町の祢里について強いこだ わりを持っている。今日では各字町の出身者以外も祭りに参加している。本節では、字町 に住む人と他地域から祭りに参加する人の繋がりについて記述する。なお第 3 節で祭りに 関心が弱い地域について扱うため、便宜上本稿では字町を関心が強い地域と呼ぶこととす る。

2.1 助っ人の定義

上記のように、三社祭で祢里を曳く際には各地域出身者以外の人も参加する。彼らのこ とを横須賀では助っ人と呼ぶ。稽古場を兼ねている公民館には各係の名簿があるが、そこ には助っ人の名前も記載されており、各字町の構成員として認可された存在といえる。助 っ人は近隣の大渕、山崎地区出身者が多く、青年会に限れば各字町を平均したときに全体 の3割程度が助っ人で賄われていると萩原由巳氏(男性、60代)は語る。横須賀には小祢 里(ちいねり)と呼ばれる小学校1年生から中学校3年生までが主体となって祢里を曳く

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催しがあり、それに呼ばれて参加した縁から助っ人になることが多い。各字町での世帯数 は、今日では20~30程度のところもあれば200程あるところもあり各町で世帯数が大きく 異なる。

表1 各字町の世帯数

字町名 世帯数(平成2年当時)

河原町 157

十六件町 27

新屋町 48

東本町 31

軍全町 62

西田町 93

東田町 35

大工町 64

西大渕 143

出典:静岡県大須賀町教育委員会(1991: 92 表4)をもとに内田作成

上の表はやや古い情報であり、各字町の世帯数の大小関係が今日も見受けられるかは定 かではないが、少なくとも各字町の区分が世帯数を平等にしようとして区切られたもので ないことは見て取れる。世帯数の多い字町でも助っ人制度は採用されており、例外は西大 渕地区だけである。これは西大渕地区の人口が多く、神事を担当する地域で従来の手法を 固持する傾向があることに由来すると鶴見典章氏(男性、40代)は説明する。

2.2 助っ人の歴史と、受け入れられ方

第1節で触れた通り、元々はほぼ各字町の人のみでも祢里の曳き廻しが成立していたが、

笛吹きだけは大渕など祢里を出さない地区から呼んでいた。これは地元の人が単純に祢里 を曳きたいからだと鶴見氏は語っている。竹内誠人氏(男性、60 代)は助っ人が登場する ようになったのは十数年前からと語っており、萩原氏は助っ人の誕生について横須賀の地 場産業の少なさに起因する少子高齢化を挙げている。元々6クラスあった小学校のクラスは 現在 2 クラスしかないという萩原氏の証言からも、横須賀では深刻な少子化が起きている といえ、祢里を曳く人員を確保するために助っ人を呼んだことは確実である。鶴見氏の参 加する「か組」では助っ人制度を採用する際に、助っ人を取ることに主に年長者から反対 の声も上がったそうである。しかし結果的に人員不足に悩むことを考えると、参加させて おいて正解だったと鶴見氏は語っている。上述のように助っ人は十数年前から児童が参加 しており当時は小祢里に参加していた。その当時は小祢里に参加していたが、今日では年 齢を重ねて祢里係や幹事といった役職に就いている助っ人もいる。

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字町出身者同士は祭り以外の平時でも地理的な近さから関わりが深いことは容易に想像 できるが、字町出身者と助っ人の間にも平時から関わりがある。井田直哉氏(男性、43歳)

が所属する「せ組」には「友の会」と呼ばれる私団体が存在し、そこで企画される日帰り 旅行や飲み会などには助っ人も参加する。また竹内氏は助っ人を「町の子どもみたいなも の」「家族みたいなもの」と表現しており、竹内氏の所属する「あ組」では七夕などの年中 行事にも助っ人が参加する。ただし井田氏は「せ組」では助っ人は字町の行事には参加し ないと語っており、助っ人との関わり方は各字町で微妙に異なるといえる。

一方で竹内氏は「あ組」の助っ人に対して「一歩引いている」と語ったり、萩原氏が「助 っ人の祢里係の人が地元の若い人に遠慮しているように見える」と語ったりと、助っ人の 発言力が弱いととれる証言もあった。更に萩原氏はこの状況について、地元の人と助っ人 で、日常生活を共にしない分、認識レベルが異なるという問題があり、各町で助っ人の人 にどうやって活躍してもらうかを考える必要があると語った。特に上記のように助っ人が 祢里係のような重要な役職に就く場合は、遠慮があったり認識レベルが異なったりすると 祭りの運営にも支障をきたすと考えられる。

ここから字町の人は字町出身者同士では勿論のこと、家族のように深い関わりを持つ助 っ人も加わって、複雑で親密な人間関係が形成されているといえる。しかし日常的な関わ りの深さでは字町出身者同士には及ばず、そこから遠慮が生まれ祭りの運営にも影響を与 える可能性があると考えられる。

3 関心が薄い地域の人の繋がり

調査を進める中で、祭りに関して精力的に活動しているのは字町出身者と助っ人のみに 限られ、字町を離れると横須賀の中でも関心が薄い地域が存在することがわかった。関心 が弱いとされている地域は汐見ヶ丘、柏平という分譲住宅や団地が多い地域である。本節 では主に汐見ヶ丘について、そこでの三社祭の捉え方や人との繋がりについて記述する。

3.1 汐見ヶ丘での祭りの捉えられ方

汐見ヶ丘には元々企業の社員寮があり、その名残で分譲住宅や団地のような形態が多い と考えられる。汐見ヶ丘には県外から来た人も横須賀内で移り住んだ人もいる。次男以降 が結婚し一軒家を持つため、或いは一旦横須賀を出た人が戻ってくるための受け皿の役目 を担っているために人口は上昇傾向にある。

汐見ヶ丘内の祭りの関わり方について日沢真紀氏(女性、52 歳)に話を聞いた。日沢氏 は 4 歳ごろに横須賀に引っ越し、数年祭りがない地域で特別に「か組」のメンバーとして 参加した。その後汐見ヶ丘に移って今日に至る。

日沢氏は汐見ヶ丘で祭りに関心がある人は2、3割程度だとしており、横須賀内における 祭りに対する大きな意識差を指摘する。そのため汐見ヶ丘の人は祭りの際は家から出なか

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ったり遠くに出かけたりする人が多い。

日沢氏は区長会長という横須賀全体を統括する役職に就いており、必要に迫られてでは あるものの祭りとの関わりを持つようになった。そこで祭りを通して皆で夢中になれるこ とがあることを羨ましく思い、何十年か損したなと感じたと語った。

日沢氏のように祭りに関わるようになることで考え方が変わる人もいるものの、汐見ヶ 丘全体として祭りについて関心が薄いといえる。また日沢氏は例外であるが、汐見ヶ丘の 人はあまり字町の人との関わりはないとのことだった。

3.2 関心が弱い地域内での人の繋がり

前項で汐見ヶ丘の人は字町の人と関わりが薄いことを記した。だが、汐見ヶ丘の人の人 間関係が薄いのはあくまでも字町の人との間に限った話であり、当然汐見ヶ丘の人同士で の関わりは濃い。日沢氏によると、7月の七夕、10月の月見、初詣や新年会、6月と8月 の合同の掃除など、定期的に行われる行事での繋がりがあるとのことだった。またそのよ うな行事に頼らずとも、住んでいる場所が近いのであれば関わりが濃くなるのは自明であ る。

以上のことから、汐見ヶ丘の人同士では日常的な関わりがあることがわかった。

3.3 両地域の今後の展望

以上のように横須賀では三社祭に対して関心が強い字町のような地域と、汐見ヶ丘のよ うに祭りに対する関心が相対的に弱い地域があり、また、それぞれの地域間の関わりは日 常的に薄いことがわかった。しかしそれぞれの地域で、自分の周りだけではなく広く横須 賀内での交流を持とうという動きが見える。

まず、汐見ヶ丘等での取り組みについて述べる。日沢氏は2016(平成28)年に設立され たまちづくり協議会で、秋ごろに何か広い範囲で催しがしたいと語った。日沢氏は上述の ように祭りについての魅力を感じた人物であるため、今後祭りに関する催しも開かれ、汐 見ヶ丘等関心が弱いとされている地域でも祭りに対する考え方を変える人が増えるのでは ないかと考えられる。

次に字町での取り組みについて述べる。第2節2項で取り上げたように、各字町は少子 化による祭りの構成員不足が課題となっており、そもそも助っ人の誕生の由来が人員不足 の解消である。そのため近隣地域以外からも広く人員を募集するべきだと考える人もいる。

たとえば鈴木武史氏(男性、50 代)は祭りに参加する人は広く募集しても問題が無く、参 加条件は祭りが好きなことと準備に参加することと語った。準備を蔑ろにしない点に、祭 りに関わる人の熱い思いがうかがえる。

また西本町に拠点を置く「い組」では、町外在住者祭典申込書という書類を提出するこ とで祭りに参加が出来る。助っ人のように人からの紹介がなくとも、「い組」のメンバーと して祭りに参加できる制度が整っているということである。

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4 考察:他地域と比較しての提案

ここまで、祭りについて関心が強いとされている地域と弱いとされている地域の人の繋 がりについて述べてきた。本節では考察として、自分の考えと横須賀の特徴を記述する。

祭りに関心が強い字町の殆どで助っ人が祭りに参加し、字町の人は各町を超えた人間関 係を構築している。それに対し汐見ヶ丘等の祭りに関心が薄い地域では汐見ヶ丘の中では 当然人間関係が構築されるが、同じ横須賀であるにもかかわらず字町の人との関わりはあ まりない点で閉鎖的といえる。祭りに関心が強い地域は弱い地域と比べ人間関係が複雑で 多様である、ということができる。しかしこのことは祭りに関心が強い地域の人が人間関 係が開放的であり、その意味で高いレベルにあるということではない。人間関係が複雑と いうことはそれだけ交渉の余地があるということであり、そこで複雑性で優劣をつけるべ きではないと私は考える。ただし字町では古くから祭りに力を入れており、その結果助っ 人と関わりが生まれたという点で、人との繋がりは地域の特徴をもって形成されるといえ る。

以上を背景とし、ここからは他地域と比較したうえで横須賀の独自性について明らかに する。今日の日本において、横須賀のように祭りの人員不足に悩む地域は少なくない。日 比野らは福岡市博多部で鎌倉期から続いている祭りである博多祇園山笠を調査した。この 祭りも例にもれず1970(昭和45)年から人員不足が問題となり、人づてや当人の申し込み 等で博多以外の人も参加して祭りが続いてきた。また一度参加した外部の人がまた参加で きるような仕組みもあり、「流」と呼ばれる神輿を作る集団の中には、地元外の参加者が 8 割を超えるものもあるということがわかった。(日比野・杉万 2011)。

横須賀の祭りと博多祇園山笠では接点が多い。地理的要因から共同体を形成して一つの 対象、即ち横須賀で言うところの祢里であり博多部で言うところの山を持つことが一つで ある。もう一つはそれぞれ人員不足に悩んでおり、地元出身者を超えて人員を確保しよう としている点である。しかし博多部と比べると横須賀は外部からの人員確保にそこまで積 極的ではないと感じる。たとえば第 2 節で述べたように助っ人を採用することに反対して いた人がいることも根拠となる。以上のことから、横須賀では半分近い人員を外部から呼 び寄せなくてもまだ祭りが開催できる一方で、外部への人員募集がうまくいっていないと もとれる。ここから横須賀の、祭の存続のために人員を確保したいという思いと身内志向 の強さとの葛藤がうかがえる。

乳深らの研究チームは、滋賀県甲良町北落集落内の活動が、集団を社会状況に合わせて 柔軟に変化させることで、集落内諸集団のみでの運営を可能となっていることを明らかに した。それらを類型化すると(1)組織新設型(2)従来組織引継型(3)組織新設活動サポ ート型(4)組織構成員変化型(5)組織不変型の5つになる(乳深ら 2003: 237)。

この中の(4)組織構成員変化型とは、文字通り組織の構成員を変化させながら活動を継

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続させていくものである(乳深ら 2003: 239)。北落集落は集落内諸集団で活動していく点 で、横須賀の例や博多祇園山笠の例のように広く人員を募ろうとする点とは微妙に異なる が、構成員を変化させていくことで集団の運営を維持していこうとする点で一致している。

以上の類型の中で、私は(3)組織新設活動サポート型が、今日の横須賀の祭りをより一 層円滑に運営していく上で必要な要素だと考える。(4)組織構成員変化型と、恒常的に運 営を行いながら活動が維持されてきた(5)組織不変型を除く3つの組織は、祭りの運営に 関わる制度が強固に確立されている横須賀の例にはそぐわない。しかし(3)組織新設活動 サポート型は、その名の通りある組織が担ってきた活動をサポートするものである(乳深

ら 2003: 239)。いままで特に専門な機関が無かった、助っ人や地域外の人の参加について

管轄する組織が新設されれば、助っ人が感じるとされている遠慮や、身内思考の強さによ る地域外の人の参加しづらさが解消されるのではないだろうか。

5 おわりに

事前調査の段階で、三社祭が完全に地元の人だけで成立している訳ではないということ は調べられたが、本調査を通して助っ人という制度や相対的に関心が薄い地域の存在を知 った。そこから人間関係と横須賀の独自性が見受けられた。

横須賀の独自性として、第 5 節で祭りの存続のために人員を確保したいという思いと身 内志向の強さとの葛藤を挙げた。たとえば、身内志向が強いと結果として地域外に祭りを 知ってもらう機会が減ってしまうと予想される。しかし機会は多くないが、1994(平成6)

年に京都八坂神社丸山公園で行われた祭に東本町、河原町の祢里が参加したり、1996(平

成8)年に東京で行われた神田祭で新屋町、西本町の祢里が参加したりといった背景がある

(静岡県小笠郡大須賀町三社祭祭礼囃子保存会 2000: 43)。鈴木氏は、これら外部への祭り の参加を経て横須賀の人の祭り観が変わり自信を持つようになったと語る。つまり、三社 祭に対する自信になることを積み重ねることで、少しずつ外部へ開かれるようになってい るということである。祭りそのものが長い年月を経て少しずつ形が変わっていったように、

参加する人、また地元の人以外の祭りへの関わり方も変わっていくように感じる。

参照文献

静岡県小笠郡大須賀町三社祭祭礼囃子保存会

2000 『伝統から芸能、そしてお祭り文化の開花 熱き者たちの50年』。

佐々木宏幹・宮田登・山折哲雄

1998 『日本民俗宗教辞典』東京堂出版。

乳深真美・千賀裕太郎・中島正裕

2003 「農村集落における集落内諸集団と集落活動の持続性に関する基礎的研究 -滋

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賀県甲良町北落集落を事例として―」『農村計画学会誌』22: 235-240(2016年 5月16日取得、

https://www.jstage.jst.go.jp/article/arp1982/22/22-suppl/22_22-suppl_235/_ar ticle/-char/ja/)。

日比野愛子・杉万俊夫

2011 「祭を支える人々 ―博多祇園山笠の事例-」『集団力学』28: 42-65(2016年6

月12日取得、

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjgd/28/0/28_42/_article/-char/ja/)。

静岡県大須賀町教育委員会

1991 『三熊野神社の地固め舞と田遊び』。

参照

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