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Sons and Lovers 研究(2)

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Sons and Lovers 研究(2)

巫 写実的手法

 描写方法の観点から分析するとき,80π∫伽4Loりθγ3の表現は二種類に大別できよう。

:Lawrenceが描写の対象に目的的に意味を帯びさせるために使用した, key−wordとな る中心的imageryが発見できる描写とそれが発見されない描写である。その敦れがよく 文学を達成しているかの疑問と評価はここでは兎も角として,この区別は可能である。前 者には,例えば, ash・tree the Trent flowers collar などを核にした描写が 属している。これは暫定的に象徴的手法による表現と呼んでもよい。後者には,作品の冒 頭やMr. More1とMrs・More1の結婚生活を扱った,過ぎ去ったものの事実描写乃至 記述が含まれる。これは写実的手法による表現といってもよい。象徴的手法は:Lawrence が自己実現の作家の視点に発して芸術家として終るところに凝集され,写実的手法は自己 実現の作家としての位置とは無関係に,過去を過去として手操れるdetachmentσ)をも

った作家のものの中で出合える。

[A]時間的構成

 M.Spilkaは80窺α煽Lo⑳εγ∫は「外見上のみ伝統的」(2)であるといっているし,ま た,次のようにも書いている。

 One of the most deceptive aspects of the book, for example, is its appar.

ent use of the class structure of the mining community as the realistic frame・

work for the nove1. This is in strict accord with nineteenth−century

tradition.(3}

most deceptive などといった発想は80η∫醐4 Lo研sが19世紀英国小説の伝統の流れ を汲んだ最後の作品であるともいわれ,また,20世紀最初の小説であるとも評価される,(4)

その批評の聞の架橋にあるbM・Spilkaの言が立証されるのは,作品の第1部と第2部と を綜合的に.比較するときであり,それは,また,A・BennettやJ・Galsworthyがそれぞ

(1)detachmentという文学用語も19世紀までの伝統的小説においては有効な文学の尺度であった  が,20世紀の小説からは次第に疎遠になっていくようである。しかし,丁勿Rσ勿δ伽や〃b〃¢θη  初Lo θ以外の小説にいる自己実現の作家というときのLawrenceとは決して無縁ではない。

(2) The bo・k is only・utwafdly c・nventi・na1; (ThθLo θE酌ゴ。げD.∬. L劒7召πoθ

 by M:ark Spilka, p.62.)

(3)丁丁,P.87.しかし,次作丁加Rα3勿。ωは50ηs伽4五〇 〃3とは全く異なる新しい表現方  法を採っているにもかかわらず,その骨子はBrangwen家三代の年代記的時間構造に従ってい  る。この構造はThomas MannのD2ρβ%44θ幼700々s(1901)の影響からであるとよく言及される。

(4) ...it was the first significant work of one of the twentieth century,s most  important authors. And it was something else:the last novel of the nineteenth

 century. (丁加しがθαη4アro娩s(ゾD. H.加解召%oθby H. T. Moore, P.95.)

(2)

れ描いた:the Five Townsの申流下層階級やForsyte家を申心とする中流上層階級の 枠に匹敵する枠と,80駕侃4Loりθγ∫の第2部にみられる象徴的手法による描写の豊富さ とを比較するときでもある。また,Mrs・More1の根強い階級意識と8月の夜空にかかる 月と white phlox の匂いとがMrs. More1に交錯するあの眩めくばかりの場面とを 並列させても,彼の言は明瞭となってくる。A・Bennettは人生のあるがままを客観的事 実として叙述したし,概して,Lawrenceは第1部では人間関係の諸相に価値批判すること

もなく,客観的態度を保っている。また,19世紀小説を naturalistic で概括できるとすれ ば,80π5伽4五〇τ6γ∫の出来事の原因は外部事象一例えば,More1家の経済事情や階級の三 一に求められている。Morel夫妻の相剋もcharacterizationの上に成立している。われ われはまさにこの作品に英国小説のconventionと現代作家による小説作法の混渚をみる のである。この混清にこそ,Lawrenceの10篇の小説の申では稀少の we11−made nove1

にSoπs伽4 Loのθ7εが挙げられる秘密があるともいえる。しかし,この混晶といい, most deceptive といい,写実的手法と象徴的手法といい,雑り難いものの混在に空隙が感ぜら れないのは,作品全体を支え,作品の基調となっている「リズム」があるからにほかならない。

 The pattern of 80π∫απ4 Lo⑳θ73 could, excessively simplified, be reduced to arhythm of birth, sex, and death−in other words, to the three simplest and most fundamental denominations of animal and human experience.(1)と 卓越した洞察力を示しているのはVan Ghentである。 「生,性,死」を基調として 80π∫伽4Lo研∫が進展しているところに,混在する二つの要素間の空隙を抹殺する所以 がある。(2)ひいては,二藍.Rα鋤。⑳でLawrenceの文学の完成をみることとなる。この

「生,性,死」のリズムは微視的にはもっと細かな波に還元できる。この細かな波は人物の 心理の揺れで,丁劾R伽う。ωのAnnaとWi11との結婚生活の当初で執拗に反覆される 愛憎の葛藤におけるように,他の作品にもひたひたと打っているLawrenceの重要なパ

タンである。その細かな波自体もリズムとして反覆されて,より大きなリズムを形成する。

それは悲喜,愛憎,哀歓,反発と同情といった相拮抗する人間感情の神秘が交互に積み重 ねられてつくる現実である。その反覆が「生,性,死」のリズムを構成し,生活という歳 月となる。More1夫i妻の結婚生活における人間関係の失敗も新婚の幻滅に始まる違和感 から一気に終局へとつつ走りはしない。夫婦の関係が破局に向う動機が準備されて,失敗 への道は作られながらも,小康が続き,憎悪・軽蔑が再燃したかと思うと,調和にも似た 小春日和の時期がおとずれる。引返しのきかない失敗の終点に来たと思えても,やはり夫 と妻であることを残しているMore1夫婦である。夫婦関係を描いて,それが現実という ものであろう。

 この倦むことをしらないように反覆される愛憎の葛藤の申に,第1部のChapter I The

(1) TぬθE%91げs〃エVo θ♂by D. V. Ghent, P.457.

(2)但し,Louis Fraiber9の The book is st「uctu「ally flawed because the failu「e is  always for the same reason and the action is therefore too repetitive for any  forward movement to take place.,(The Unattainable Self in D. H.五αω7召π02απ4  ・So%ε伽4五〇 θ73 edited by E. W. Tedlock, P.222.)という評は,作品の本質的長所を  除外し,小説構造の純粋に美学的見地からのものであれば,受け入れることができよう。

(3)

So%3απ4五〇%z3研究(2)(鉄村)

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Early Married Life of the Morels, Chapter II The Birth of Paul, and Anoth・

er Battle, Chapter III The Casting off of Morel−The Taking on of William,

Chapter IV The Young Life of Pau1, Chapter V Paul Launches into Life,

Chapter VI Death in the Familyと年月の経過を示すMore1家の出来事が嵌め込ま れる。ここにはLawrenceの時間の認識の仕方がある。相対立する感情の執拗な反覆の 叙述という点から現実の模写ということを考える場合,時間の推移の申に「生,性,死」

一人間の成長・変化一をみようとしているのだというより,むしろ,人間の成長・変化や 人間関係の調和・破綻の申に時間が認識されるといったほうが正確であろう。だが,いえ ることは第1部のLawrenceは時間の処理に意識的であったということである。第2部 の各章題:Lad−and−Girl Love, Strife in Love, Defeat of Miriam, Clara, The Test on Miriam・Passion・Baxter Dawes・The Release, Derelictと第1部のそれ を比較すれば,そのことは瞭然とする。第1部の平平はMore1家の年代記的変遷をその まま伝えており,第2部は物理的な時間の経過を押しのけるPaulの精神と肉体の成長と いう内的現実の変化に従った題をもっている。Naturalismの作晶では,人間と出来事の 関係が原因と結果で強調されて描かれ,それに時計の針がついて廻っている。そんなRe−

alismやNaturalismの要素を第1部がもっているのに対して,第2部では,Lawrence は全く別の意図に忠実になっている。

 本論に入って,80窩伽4Lo雅∫の写実的手法の伝統的一側面である,形式上の構造

「時」を考察する。

 30ηε伽4Loのθ7εの第1部は,主入公PaulがOedipal loveに苦・記する準備段階を扱 う自伝的要素として,写実主義のconventionから逸れない素朴(1》な年代記的構造をも っている。(2)Dαψ∫4Coρρθげ弼4や7!加研αyo!1望〃F!θ誘などがもつ年代記的秩序は 第1部では著しく周到であり,:Lawrenceは時間の処理による写実への接近は意識的で

ある。

 時と主要な出来事の列挙を第1章に求めると,次のようである。

 Charlesl[(1660−85)時代……炭住Hell Rowのある英国二部地方の炭坑地帯で,

  幾つかの炭坑はこの時代に始まった。

 60年前(物語の主要部の時を起点として)……前近代的露天掘りの作業はCarston,

  Waite, and Co.の大資本による大規模な近代炭坑経営にとって代られ,鉄道敷設の   輪は六つの炭坑を繋いだ。Hell Rowは取り殿され, the Bottomsが建てられた。

 7月(物語の主要部が導入された時点)……建築後12年目のthe BottomsにMore1   夫婦引越す。結婚後8年経過。Mrs・More131才,9月には3度目の出産予定。

 月曜日(引越回避3週目)……長男William 7才,長女, Annie 5才。

  朝食後…・・Williamお祭に出か1ナる。

(1) ...電he chronicler sees it(σo ゴ。%)as human accident against transcendental law,

 both expressing one reality・but moving on different planes, (italics mine)  (:7、乃6

 S 7%o魏7θげ漉θ1Vo 6Z by E・Muir・P・112.)のような厳格な規定を受けるものではない,

 という意味での「素朴な」。

(2)小説の基本を _in a novel there is always a clock. (∠4吻。 s(ゾ痂θ1>吻θ1 by E.

 M・Forster・P・31・)というE・M・Forsterの story に置いて,こう考えた。

(4)

  12時30分……William戻る。

  1時5分……2ペンスの小遣を貰ったWi11iam再びいそいそとお祭に出かける。

  4時30分頃……Annieにせがまれてお祭に出かけたMrs. Morel,途申で出合った    Williamと別れて帰宅。

  6時30分頃……William戻る。

  11時30分……Mr・More1酔払って帰宅。Mrs・More1夫の愚かな饒舌に堪えられず就寝。

 12年前……19才のMiss GertrudeはJohn Fieldと恋仲である。

  9月のある日曜日の午後…GertrudeはJohnと将来を語り合う。

 11年前……Gertrudeは健康を害してSheernessを去る。 JohnはNorwoodに教

  師として赴任。

 9年前……Johnが富有な未亡人と結婚したことをGertrude知る。

 8年前のクリスマス……23才のGertrude舞i踏会で27才のMorelと出合う。10才の   ときから炭坑で働いている生粋の坑夫More1の生気ある肉体と卒直さは彼女には新   鮮な魅力である。

 7年前のクリスマス……GertrudeとMore1結婚。

 結婚後3箇月……Mrs・MoreI完全に(perfectly)幸福。

 結婚後6箇月……Mrs・More1非常に(very)幸福。

 結婚後7箇月目……Mrs・More1夫の上衣のポケットに末支払いの家具請求書を発見。

 翌日……義母に談判に行ったMrs・More1,夫が経済的にだらしない男であることを知る。

 10月……クリスマスに長子の出産予定。Mrs・More1,隣…人から,夫の昔の艶聞や,絶対禁   酒主義者の誓である水色のリボンが夫の偽善の印であるらしいことなどを暗示される。

  妻の夫に対する不信は度を加える。

 クリスマス……Willialn誕生。夫婦の聞に闘争が開始される。

 1年後の日曜日の朝・・…・Mrs・More1自慢の, Williamの金色の巻き毛をMore1が   羊のように短かく刈る。Mrs・More1夫に憎悪を燃やす。

  More1は公然と泥酔して帰宅するようになる。

 火曜日(8月)……月曜日に続いたお祭の休日。

  午前6時30分……休日で上機嫌のMore1口笛を吹いている。Mrs. Morelお産が近い。

  9時……庭で大工仕事をしていたMore1上機嫌で台所に戻る。

  9時30分……More1の親友で,Mrs・More1の大嫌いなJerry Purdyが迎えに来て,

   More1はNottinghamに遠出する。

  午後7時……子供吊床に就く。

  7時20分……More1とPurdy汽車で帰路につく.。

  10時……二人は酒を飲んでいる。酔って帰宅したMorelとMrs・Morelとの問に劇   的な喧嘩が行なわれる。

 以上が第1章の扱っているMore1家の出来事と歳月の概略である。この綿密な時間の 枠はPau1が誕生する第2章以下Williamの棺がMorel家に持ち込まれる第1部の終 章まで続き,Williamと母親や恋人との複雑な感情生活を中心としたMore1家の叙述 は第2章以下では更に細分されて時間の枠に詰め込まれている。従って,Lawrenceの丹 念な作業のもとに,Morel家の葛藤の歴史は年,季節,月,日,時刻の里程標で測るこ

(5)

∫o%sα〃4Lo麗zs研究(2)(鉄村) 15

とができる。

 W・J・Harveyが一章をつくって分析しているように,(玉}G・Eliotの1猛4α〃z 8θ48は 人間関係の纏をいわば天文学的緻密さで時間の上から処理していることで顕著である。そ

ういった緻密さで80π∫磁4Lo拶θγεの時間が物語の進展と関係しているとはいえないに しても,G. Eliotと:Lawrenceに共通した時間の扱い方への執着は小説の内容を正確 に把握し,それを支配しようとすることから生じているといえる。事実をより事実らしく 定着させようとするこの方法は,Pau1のMrs. More1へのOedipus complexが物語 の申核を占め始めると,変動し,作者自身が人物関係を客観的にみるよりも,診断的とな

り,Paulが経験する生活の価値を気にしすぎるようになる。!蛋伽勉Bθ4θでは, G・Eliot が自然と季節のリズムを強調していることがそのまま彼女の人生の基本的ヴィジョンを表 わしていて,それは入生・季節の最小単位である日や時刻の精密な配列に繋がっている。

われわれは,今,G. EliotのLawrenceへの影響を論じているのではなく,小説構造を 写実主義の一側面として両作家の比較をしているまでであるが,小説の申で時間が肉付け する対象としているものがG.Eliotの場合は人生への基本的ヴィジョンであり,:Law−

renceの場合,彼自身のため(2)の主観的ヴィジョンの基礎となっている。これが, G・

Eliotは作品を通してomniscient authorshipを守り, Lawrenceは第1部で守って いたその立場を第2部では大幅に崩している差となっている。例えば,・44α祝Bθ伽の物語 が過去に折り返せるのはMartill Poyserのような老人の記憶が軸となるからであり,

30π∫伽4五〇ψθγεの第1部では人間関係の申でのMrs・Morelの苦悩が軸となっている。

Poyserの機能は物語の進行や出来事の動機を説明するための逆行に貢献することであり,

その意味ではPoyserは作者から公平な取扱いを受けている。息子達のOedipus com−

pIexの関係において, Mrs・Morelは牽かれながらも離れようとする子供達の努力の源 であるだけに,その位置での彼女の苦悩は彼女自身と子供達の判断の基準となる。従って,

Mrs. Morelが物語の申心となっている第1部から,母親との病める関係が眺められて Pau1の内的生活に焦点が合わされる第2部に小説が移行するとき,第2部は逆行した時 点から叙述が始まったりすることになる。

 具体的に時間の処理方法から作品を観察してみる。8伽5M αγπθ7でSilas Marnerが Raveloeにやって来てからの時の経過は lt was fifteen years since Silas Marner had first corne to Raveloe. (3)と説明されるし,また,時間的空白は It was a bright

autumn Sunday, sixteen years after Silas Marner had found his new treasure on the hearth. (4)と直前な記述で埋められる。物語の進展で直面したある段 階を,いってみれば,必然的な無造作で転換できる立場にG・Eliotはいる。このフラッ

シュバックの手法は無造作に利用されて,単純に記述されても,それはそれで8伽5 Mα7ηθγの機能を阻害することはない。上述した:Lawrenceの時間処理も単純で直線的であ

(1)5.Structure II. George Eliot,s Treatment of Time ill T加!17 げGω㎎1θE伽 by  W.J. Harvey.

(2)Cf. It seems scarcely accidenta1, then, that a man is born at the end of 50ηs

 α%4Lo θ73; (丁勿五〇 θ.E砺。げD.π. Lα解伽06 by M. Spilka, P.31.)

(3) S疹1α∫漁㍑θ7by George Eliot, P.5.

(4) 16♂4.,p.183.

(6)

るように思える。しかし,因果関係を効果的に強調するために使用された二度のフラッシ ュバックの手法は複雑で微妙であることに気づく。Charles皿の時代からMrs. More1 31才,William 7才, Annie 5才のお祭の月曜日までわれわれは一挙に運ばれて,時間 の流れは明快である。月曜日の12年前から以降7年間の回想されたMrs. Morelの歴史 も明快な時間の申に嵌め込まれている。そして火曜日の朝となる2度のフラッシュバック 手法の間に多くとも7時間の経過がしのばせてあることに気づくべきである。第1回のフ ラッシュバックは, Iwait, and what I wait for can never come. (1)とMrs.

Morelの満たされざる真実の人生への哀しみに拠っている。第2回目は, lf he earned forty shillings he kept ten;from thirty・five he kept five;from thirty・two he kept four;from twenty−eight he kept three;from twenty−four he kept two;from twenty he kept one−and−six;from eighteen he kept a shilling;

from sixteen he kept sixpence... (2)と,Mr. More1の独裁的な生活とMrs. More1 の経済的な欠乏感の対比,夫婦間の旧位をi数字の機械的な羅列で表わすことに始まってい

る。

 以上のように,Mrs. Morelが心の危機的瞬間に立つときに時を転換させる時間処理は Lawrenceを物語の展開でのomniscient authorとしての位置に充分に堅めさせ,わ れわれはMore1夫婦の関係という創造された世界と緊密に且つ明瞭に結び付けられる。

従って,われわれはこの第1部では19世紀小説のconventionの堅さの申に安らげるの である・時間の枠の申で整然と運ばれる物語の展開に沿って,ある動機が結果として何を 惹起するかという期待と興味は,例えば,More1夫妻の関係の抑揚を通して, Williamや Pau1の感情の混乱や統一への努力とか,彼らとMrs. More1との絆の在り方などに繋が

っていく。時間の厳格な枠はそれ自体を目的とするものではなく,それを越え,convention を離れても,作品の主題に貢献すべきなのであるから,第1部の時間の枠は母親への息子 達のOedipus complexという主題が客観化されるための基礎として捉らえられねばな らない。作品の主題をいわば外部から定着させようとする縦の時聞の枠で,Morel家の営 みの緊迫や弛緩は描かれている。この営みという申身が繰り返されて,先述のリズムとな

る。この人間関係の模様の凹凸や人間関係の申での心理の波の反覆は,縦の物理的時間と 対照すれば,心理的時間といえる。John Fieldと別れてGertrudeのリズムは下降し,

More1との出合いから結婚で上昇し,やがて,性格と階級の較差が夫婦問に違和感を生む とき,リズムは再び下降する。夫に注がれるべくしてWilliamに注がれたMrs. More1 の愛情が彼の成長と社会的成功で濃くなると,リズムは再び昇る。だが,彼の死ととも に急転直下する。Williamの死と等価値であるPaulの大病がPau1をWilliamの後

継者にすると,リズムは上昇し始める。以下,Mrs. Morel, Pau1, Miriam, Claraの 間のリズムは第2部で繰り返される。

[B] 視 点

PαπZ乃40γθZwill be a novel−not a florid prose poem, or a decorated idyll

(1) Soπ3σ%4 Lo 〃rs, P.6.

(2) 1∂げ4.,P.18.

(7)

Soπs伽4五〇麗zε研究(2)(鉄村) 17

running to seed in realism:but a restrained, somewhat impersonal nove1.

(1)というLawrenceの地味な野心の告白は丁加州肋θPθαoo罐と丁加判γθε餌∬6γへ の自己反省を反映するものであろう。殊に,丁加 乃漉P6α606んでは,:Lawrenceが属

していた労働者階級の生活がCyri1の申流階級の生活に移植されて描かれていることに作 晶の現実性を稀薄にし,Lawrenceの他の作品より劣らせる原因がある,とは夙に批評家 が指摘して,一定の評価となっていることである。未経験の世界を創造しようとして堕し た丁加研海 θPθαoo罐の描写力の弱さや曖昧さを克服するために,80η∫伽4五〇り6γ3では,

Lawrenceは,幼児から親しく経験し,熟知している炭坑町の生活や炭坑夫の家庭を労 働者階級のものとして辿り,写実的に描こうとした。Arcadiaを夢想するのでなく,現 実を凝視しようとした。従って,「官事の散文詩や,リアリズムの装飾された貧弱な牧歌」

く2)ではなく,「抑制された,幾分非個人的な」 realism となる。 impersonal Lawrenceがいうとき,われわれは作者の視点を問題にすることができよう。そして,否 定的な発想から論ずる方が,「視点」がより正確に理解できるように思える。即ち,伝統 的な小説作法が陥りやすい欠点を指摘することにより,Lawrenceの写実性を説明す

る。

 感受性の鋭敏な少年Lawrenceには革命的な恐怖であったであろう両親の喧嘩,その 申での母親への防禦的な愛,父親に対する好戦的な憎しみ,そういった愛憎での親子関係 への彼の参加,こんな家庭生活の現実は(3)丁加豆偏θP6α60漉では回避されている。丁加 丁γθsρα∬θγでも,中流階級の生活は綻びた仮面を被って現れている。皮肉にも,Lawrence は,最も熟知し,最も個人的な事柄を書くことによって最も客観的(impersonal)な作 品を残したのである。

THE BOTTOMS succeeded to Hell Row の冒頭の一文は第1部における 作者の視点を包括的に暗示している。即ち,第1に,Hell Rowから始まってGreenhill Laneに,続いてcountrysideに,更にNottinghamshireやDerbyshireへと拡が

る空間の遠近法による写実描写は,S・JohnsonがAbyssiniaの谷間の宮殿のたたずま いを叙述して発揮したパノラマ式の純粋な写実描写を思い出させる。第2に,この空間と 並行して,炭坑地帯の歴史的変遷を叙す写実描写がある。300年も昔から続けられている 露天掘りの古い炭坑では,労力といえば坑夫の手と騰馬の廻す起重機にすぎなかった。こ

の露天掘りも60年前から大資本によって「押しのけられ」(elbowed aside)た。丁加 R伽ろozoのXII章Shameで始まり,以降の小説でLawrenceが辛辣な筆で描いた現代 の機械産業主義への直接の批判はここではなされていない。「榛の木の下を流れる小川は その周辺の小さな炭坑にほとんど濁されずにいた」というHell Row時代の自然の描写 も事実の記述であり,「押しのけられる」にも現代機械産業主義という怪物の擬人化も意 病的になされたものではない。Hell Row時代からthe Bottoms時代までのBestwood 村周辺の地理的説明と物理的時間の流れに沿った歴史の変遷の記述とが終ると,焦点は再

(1)丁勿Co11θo飽4五観873げエ).π. L伽76η08 vo1.1edited by H・T・Moore・PP・66−67・

(2) 「D・H:・Pレンスの手紙」 (上)伊藤整・永松定共訳,18頁。

(3)1950年代の初期までに出版された,Lawrenceに関する数多くの文献は殆んど人間Lawrence  を扱っているので,彼の生活は容易に,正しく知れる。

(8)

びthe Bottomsに絞られる。 the Bottomsが立っている地勢の傭轍図や家屋の構造の 紹介の申に,やがて小説の申心となる,その端の家に住むMore1一家の導入が準備され ている。以上の描写は,産業と自然とを並置させながら,侵し侵されるものの対立を前景 に押し出すこともなく,客観的である。坑夫の家庭に育って,坑夫の家庭を去った作者が 坑夫の息子として描く階級的偏見もなく,坑夫の息子であったという懐古趣味もなく,炭 坑とその周辺を見る眼はまさに impersona1 な表現をとっている。

 次に,the Bottomsに7月に引越して来て3週目になるMore1家の模様が劇化され る。丁度お祭で,月曜日のことである。お祭の陽気な浮かれ気分も母親とは切り離しては 楽しめないWilliamとMrs. More1との感情の交流が, Dickens的な,あるいは少女 時代のMaggieを描いたG. Eliotのユーモアとペイソスで描かれる。その日もMr・

Morelの饒舌で終ると,作者はわれわれにMrs. Morelの家系や初恋を語る。彼女の初恋 の青年は将来牧師になる夢を抱いているのであるが,家業の商売を継がせようとする親の 意志に屈服し,夢を諦めている。勝気なGertrudeにはそんな態度が我慢ならず, 「男

じゃないですか」と青年を責める。彼の返答は Being a man isn t everything・ とi無 気力である。ここで,:Lawrenceはcharacterizationも行なっている。そして,青年 のその言葉が真実であることが,酒に溺れる夫とthe Bottomsでその日その日の生活に 追われているMrs. More1には理解できるのである。12年という歳月の流れがあるから である。一瞬現時点に立ち戻った作者の視点は再び11年前の過去に湖る。そして,その2 年後には彼女の初恋は失敗していることを語る。ついで,

 And stiU Mrs. Morel preserved John Field s Bible. She did not now be・

1ieve him to be−We11, she understood pretty well what he might or might not have been. So she preserved his Bible, and kept his memory intact in her heart, for her own sake. To her dying day, for thirty−five years, she did not speak of him.

 When she was twenty−three years old, she met at a Christmas party, a youllg man from the Erewash Valley.(ユ)

Being a man isn t everything. の意昧や青年が贈った聖書が蝶番となって,物語 は過去と物語の進行時とを往復する。このような,物語の過去と現時点とを交錯させて,

人物の経歴,性格,人物関係を述べる方法は小説の常套であり,既に述べた通り,一つの 写実主義の視点による方法である。描写はすべて外側からなされ,事実は事実として処理 されている。従って,事実を直視するのみで,批判も価値判断も下されていない。このよ うに物語を写実の叙述で進め,storytellerの立場を守っていく:Lawrenceであるが,

次に,storytellerの陥り勝ちな陥穽が彼を待っている。その陥穽とはstorytellerの素 顔の露:出である。上記引用文中の 一We11 である。

LWe11 は,恐らく,:Lawrenceが見せた無意識の素顔であろう。この無意識の素顔は 自意識のそれと対比されると興味深い。再び,G・Eliotを例にとろう。・44α〃z Bθ4θの第

17章はIN WHICH THE STORY PAUSES A:LITTLEと題されている。この題名 はG・Eliotが読者の存在に過度の注意を払ったために現れた彼女の自意識の余剰を示し

(1) Sωz3α%4五〇zノθ欝, PP.8・一一9.

(9)

S伽∫伽4Lo循7s研究(2)(鉄村)

19

ている。これは,また,時間の厳格な秩序の申に組み立てられている作品の forln を著

.しく阻害している。即ち,作品の芸術性の疵となっている。G・Eliotは彼女に先行した Romanticismの作風とは対臆的な創作態度をとり,ぞ」れをこの第17章で公表している。

それは写実主義の立場であって,三門たる想像力の世界に馳せるのではなく,平凡な人生 の真実を忠実に描写し,表現することであった。

 ...my strongest effort is to avoid any such arbitrary picture, and to give afaithful account of men and things as they have mirrored themselves in my mind. The mirror is doubtless defective;the outlines will sometimes be disturbed, the reflection faint or confused;but I feel as much bound to tell you as precisely・as I can what that reflection is, as if I were in the wit・

ness−box narrating my experience on oath.(1)

 .4伽〃zBθ4θは, narrationの観点からは, H. Fieldingに始まる the Dramatic Nove1 (2)の小説作法の伝統に拠っている。更に,S. Richardsonに始まった,小説の心理 的手法の伝統をも併記している。G. Eliotの小説全般に普遍していえば,彼女の小説はこ れらの二つの伝統を踏まえてはいるものの, picaresque の要素が後退し, rarrative の面が強くなっている。この現象は,G. Eliotが人物の性格や行動に註釈や傍白を多用

し,ひいては,哲学的傍白や道徳的説教を公然と述べることのできるornniscient story・

tellerの地位を確立していることを意味する。反面,この姿勢はG・Eliotを複雑で困 難な立場に自ら追詰めることともなる。G・Eliotは,人事を彼女の mind の鏡に屈折

させて,「物語」を一定の秩序やPlotに構成し,物語を進展させるstorytellerに期待 されるその技術への自信と,註釈や傍白がもつ判断及びその判断の表現と,その両者の間 に芸術的均整乃至 form を保たねばならないのである。その均整が崩れるとき,作品の 全体美は損われる。

 G.Eliotは,

The only effect I ardently long to prodllce by my writings is, that those who read them should be better able to加α8∫πθand to∫θθZ the pains and the joys of those who differ from themselves in everything but the broad fact of being strug91ing, erring, human creatures・{3)と,読者に人物の内的生活 への参加を望んでいる。読者による人物の内的生活への参加を円滑にするために,その内 的生活の倫理的指標として,G・Eliotは傍白や註釈を試みている。彼女が知的な作家だと いわれる理由もそこにあるのであろうが,実は,その註釈や傍白の挿入が不調和に行なわれ ている。作者が,道徳的ヴィジョンに読者を誘う方法が物語の展開の途上で露に強引にな ったり,読者の人物への共感度に不安である余り物語の展開の限界を越えて啓蒙に走るか

(1) Adα〃¢」B6づθby G. Eliot, p.171.

(2)  ...both (アブrσ〃3θzσoフr々6〃z46乃απz6げθ7rs)are inseparably knit together。,(italics mine)

 (丁勿5 7%o吻76(ゾ焼62Vo 6Z by E. Muir, P.41.)の意味における the Dramatic NoveP  である。       .

(3)Gεo㎎2E120≠ s しが8σ5名21㈱4げπ加7 Zβ≠紛sσπ4力%吻σ1s e ited by J. W.℃ross, vol.

 II, P.118, quoted in Oω㎎召E1ゴ。∫by J. Be∬nett, P.96.

(10)

らである。omniscient narratorは人物の行為の動機,過程,他の人物への影響,更に はそれらの価値をも知悉している。だが,小説が言語によって表現された客観的世界とし て読者の前にあって,G・Eliotの意図のように,その世界に確実に読者を生活させると いう点では,omniscient narratorにもその活動範囲に自つから限界がある。 G. Eliot は!戯話〃zBθ4θの申でomniscient narratorの立場をとっていながらも,その限界を 越えて作品の美的均衡を損ねている。第17章の題名もそれを端的に明かにしていて,人物 やその性格,行動についての,読者に対するomniscient narratorとしての説得力の不 信を裏書きしている。

 Lawrenceは,物語の,上記80η∫伽4工。⑳θγ∫引用の段階まで, omniscient narrator の機能に拠って写実的手法を続けてきた。ところが,LWe11 において,彼が行使して

きた機能をあからさまにしすぎた結果,omlliscient narratorの文学的位置を一一瞬退い た。それまで統一していた視点を崩したのである。OmlliSCient narratOrとは本来蔭の 人であるべきである。Mrs. Morelが生きている虚構の世界と創作者のLawrenceの世 界との境界が交錯することは写実主義小説の流れの申に位置づけられるべきこの小説の消 極的な証である。

 以上,omniscient narratorのLawrenceが陥った空間上の視点の混同を考察した が,次に,時間上の,視点の粗雑な扱いにおけるornniscient authorshipを考察する。

Mrs. More1が初恋の思い出として大切にしている聖書に言及して, To her dying day, for thirty−five years・she did:not speak of him・ と既に引用した。 ...in a novel there is always a clock・ はE・M・Forsterの言葉であったが,彼の比喩を 借りれば,:Lawrenceはわれわれに二種類の時計を同時にみせた。 E・Bront6は π訪・

θ沸gHθ∫9檎で彼女の時計を隠そうとしたとか,:L・SterneはTγ∫∫ γα z 8加π4yで彼の 時計を逆さにした, とForsterがいう意味での時間意識や時処理の厳格さに関しては,

[A]時間的構成で概説した。しかし,この引用における「時計」とは,作者が物語を統 制できる有利な位置にあって,小説という文学的有機体の中で最も単純な story {1}を 活用する作者の時計といった基礎的で本質的なものを指している。第2部においてPau1 の精神と情緒の生活の申に心理的時間として消化されている厳格な時間の統一を第1部が

もっているという事実を考慮するとき,Lawrenceが2種類の時計を取り出したことは 時間処理における小説技術の一種の高貴な力を犠牲にしたことになる。高貴な力とはサス ペンスともいえる。:Lawrenceは物語の進行年時点と35年後を同時に跨ぐ。この貧欲な 性急さはLawrenceが写実の手法を踏まえているから可能な犠牲といえる。 To her

dying day, she did not speak of him・ She rerロembered the scene all her life,... (2)や She kept it to her dying day・... (3)といった曖昧な時間の示唆まで

が精々omniscient narratorが写実に忠実であれる限界であろう。

 次に,80螂伽4五〇研5の自伝的小説という性格から予測されて当然のように,人物や

(1) And now the story can be defined・It is a narrative of events arranged in their  time sequence.・(,Asヵ80,s 6ゾ飾8 No θ♂by E. Ml. Fofster, p.29.)

(2) 50%sαπ4Lo 87s, P。16.

(3) 16言4.,P.82.

(11)

Soηsαη4 Lo θ7s研究(2)(鉄村) 21

出来事に対する作者の共鳴とそれらの描写における文学的真実との関係が問われる。第3 の問題として,作者と人物や出来事の心理的距離から,写実的手法を考察する。

 第4章は,そのエピソードと:Lawrenceの実生活とを重ね合わせ,自伝的小説の角度 から捉らえるとき,最も鮮烈なきらめきをもっている。この第4章では,炭坑と坑夫Mr・

Morelの暗さが持ち込まれて起こる家庭の不和・争いや,それが醸す暗轡な気分は描写 の背後に押しやられている。第4章の出来事は,Lawrenceには, E・T・などから苦い 注文を受けることのない,純粋な回想として回想できる事柄であったであろう。金曜日に 父親の代理で給金を受け取りに行った少年Pau1が,精算:所で大人の厚顔,皮肉,嘲笑 の渦に巻き込まれて経験する苦痛,屈辱,恐慌の描写は少年の過敏な感受性を烈しく映し ている。また,Mrs. More1が,その給料日の夕方,瀬戸物屋から5ペンスの皿一枚を買う のは躊躇と決断の微妙な心の起伏の後である。買物を終えて得意になって帰って来た母親

とPaulとの間に交わされる,矢車草の模様のついた皿についての意見と批評の楽しい交 換,街灯の周辺で白黒の映像で捉らえられた子供達の遊戯と喧曄の描写。:Londonからク

リスマスで初めて帰省するWilliamの,家をあげての歓迎準備の興奮,駅に出迎えた弟 妹の幻滅と歓喜,眼を見張らせる見事な土産物。家庭生活の日常を形成する平凡な出来 事にrealisticな,明るい平和が現れていて, Lawrenceは体験の復元に著しく伝統的な 文学性をみせている。自己実現の作家というレッテルを持たない,omniscient narrator

としての脱線を犯していないLawrenceの良さが現れて, detachmentをもって経験の

描写に成功している。(1)

 Pau1自身についても,彼の生活の中で第4章が扱っている部分が最も少年らしい自由と 幸福な時期に当るといえる。Paulの幸福な時期を描く作者がそこに己れの過去を発見し なかったと仮定すれば,第4章の最後の Everybody was mad with hapPiness in the family. Home was home, and they loved it with a passion of love, whatever the sufferin,g had been. (2)は,そして,殊に Home was home... はLawrellce 以外の誰の感慨であろうか。Lawrenceの過去乃至少年時代の家庭への感懐の流露とい

う点で,omniscient authorの心理,感情の揺れをみるのである。

The pity was, she was too much his opPosite・ (3)に関しても同様である。作 者はPaulと:Lawrenceの間を揺れる。この表現には感情による判断があり,自伝的作 者が過去の事実を客観的に伝えようとしてなお且つ客観性に歪が生じているのが読みとれ

る。(4)Lawrenceは彼自身の心情を the pity に任せて,いいすぎた。 Lawrenceは,

(1)但し,Lawrenceの場合,このことが彼の文学の中で文学的に最も成功しているとすることは  できない。

(2) Soπsσ多z4エρz/3グ3, P.82.

(3) 1∂げ6」.,P.16.

(4)E.Vivasは酔払ったMr・MorelとMrs・More1との喧嘩の場面について, Lawrence

 here is Ilot merely presenting a quarrel but is doing more, he is probably justify・

 ing a private grudge of his own. (1). H. Lαz伽2%c3:丁加∫α露z578α%4彦加∫γJz伽ψh(ゾ

 α7オ,P.192.)とLawrenceの倫理を指摘している。その他, Mrs. More1に対する好意をもって  描いた場面や,Miriamの取り扱いに彼の偏見があると一般にいわれる場面など,モデルと創造  された人物との関係に及ぶ描写や叙述は,この小論の主旨に照らして,論究の対象から除外する。

(12)

Mr. More1の性格がMrs. More1の oPPosite でなかったらよいのにと願っているので あろうか,それとも,Mrs. More1がMr. Morelの opposite の性格でなかったらよ いのにと願っているのであろうか。作品の申でのMrs. More1とMr. Morelとの実際 の扱いとは別に,二人の人聞関係の破綻の原因をLawrenceは妥当性をもって追求する には如何にすべきかに当惑している。晩年,Lawrenceは80郷伽4 Lo研∫で父の処理 に妥当性を欠いだことを悔いたのであるが,J. M. Murryが, The father was almost the pure allima1, in the good and bad senses of the phrase:warmg quick・

careless, irresponsible,1iving in the moment, and a liar. The mother was responsible, and heroic. In 80πεαπ4 Looθγ∫Lawrence makes a great effort to hold the balance fairly between them. Not being God, he found the task impossible. σ)と書いている,その「神ならぬ身」の一面が,そこに,浮き出ている。

(1)D.H.五αω紹%oθ:Soη(〜ズπo翅αηby J. M. Murry, P.24.

参照

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