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ケルト人たちの時代(20)

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(1)

  第 11 章  (本誌「年報」第 15 号、2010 年、

   P.81 ─ 86)

 上 1: [終章]現今へ→現代へ

 上 2:実直な→君たち実直な 上 2 ─ 4:あ なたがた、……としても→君たちがたとえどこ にいるにせよ 上 4:どうか私に→立止まった ままでどうか私に 上 5:あなた方の……たち が→君たちの金髪の息子や娘たちが 上 6:何 千人となく→何千人もの人数で

 上 8:移住者→移住者たち 上 9:[激動の

……詩]

[激的な物語詩]

 下 20:中世が過ぎると→中世の過程で   ケルト人の王国は、→生き残りのケルト人王国 たちは、 下 20 ─ 19:一国また一国と→次々に  下 19 ─ 18:強大な……に帰属した。→強大 な隣国――つまりはイングランド、なお詳しく はブレトーネ[ブルターニュ]人たちはフラン ス――の手に帰した。 下 17:おおむね滅亡

→広範囲に破壊 下 16 ─ 15:いくつかの……

追いやった。→その上そのケルト語たちを抹消 の縁

ふち

に立たせた。 下 15 ─ 14:時代に……し た結果→時代におけるイングランドによるコー ンウォール併合の結果 下 11 ─ 8:破滅は……

ことになった。→粉砕はローマ化によるガリア 諸社会の崩壊と同様な結果をもたらした。 下 8 ─ 6:旧い生活……瓦壊した。→古くからの

レ ー ン

土の絆が弛緩しだし、かくてますます経済的

並びに社会的秩序が崩壊した。 下 6:とロー マのあいだには→とローマには 下 5:いくつ か……認められる。→明らかな類似点がいくつ か認められる。 下 4 ─ 3:に反抗した……排 除され、→に逆らった古くからの貴

アーデル

族たちは退 けられ、 下 3:好意的な……同化された。→

好意的な貴

ノーベルス

族たちは吸収同化された。 下 2 ─ 上 2:ハイランド住民……することによって→

ハイランド住民たちを大ブリテン帝国軍の勤務 につけ、彼らのもつ危険な軍事的エネルギーを 外国の戦争で遠い国境に投入したことによって

 (P.81,右)

 上 3:なした→とった 上 3 ─ 4:まねていた。

→まねた。 上 5 ─ 11:産業革命……に駆りた てたのであった。→かかる社会的・経済的基礎 的変化が一般的大変革の産業革命と結びつき、

居つづけるケルト人たちを、最大で最後のケル ト人の民族移動となって大ブリテン新興工業諸 都市へ、さらに諸大洋を超えてとくにアメリカ へと大量脱出に駆りたてた。 上 12 ─ 15:し かし、これほど……させる原因にもなった。→

しかし、これほど多くのケルト人の亡命はまた ケルト人の過去の再覚醒をも引き起し、ついに はケルト人国家を求める叫びにまでなる独立感 情の高揚をも引き起した。

 中世および近代初期のヨーロッパ のケルト人たち

 下 16 ─ 15:色とりどりの……しているが→多 色斑点の、とりわけ縞模様の衣服を普段に用いて いるが、 下 13:長い厚手の生地→チェックの肩 掛け 下 10:写した→模写した  好む。→より 好む。 下 9:彼らが……のようだ。→彼らが人 に気付かれずにいるためのようだ。 下 8 ─ 6:

であった[……]、が剣か……者も若干いた。→で あった、[……]しかし若干の者たちは剣かまたは 長い柄のまさかりを携帯していた。

 (P.82, 左)

 上 7 ─ 9:しかし……ことはなかった。→が、

彼らはアイルランド社会をかつてのキリスト教

サイモン・ジェムス 

ケルト人たちの時代(20)

鍋澤 幸雄 訳 訳文の諸訂正(7)──第11章<終章>と補完的諸コラム(その一)

(2)

と同様に脅かさなかった。 上 9:すなわち伝 道者……にもかかわらず、→すなわち、伝道師 たちの福音布教の熱意にもかかわらず 上 10 ─ 12:アイルランドは、……を保った。→アイル ランドはゲール語を話す支配者[王]たち、戦 士たち、吟唱詩人たちや学者たちとともにその 旧来の姿をかなり保った。 上 13:商人となっ て、→商人として定住し、 上 14:最初のアイ ルランド諸都市→アイルランドの最初の諸都市  上 15 - 16:クロンタルフ→クロンターフ  上 16:破った→負かした 上 17:彼らを→バ イキングたちを

 上 17 ─ 18:置こう→入れよう 上 18:以降 は→以降には 上 21:大邸宅→城

カースル

館 上 21 ─ 24:すでにノルマン人たち……ほとんどなかっ た。→すでにもうノルマン人たちがそうであっ たと同様にそれ程大きな諸変化は引き起こさ なかった。 上 24 ─ 25:ゲール化し、→ゲー ル人化し、 上 25 ─ 29:自らの進取の気性……

主張しようとしたが、→進取の気性に富んだ王 の直

バーロン

臣たちにつづいてアイリッシュ海を渡った イングランド王たちは、ゲール人の 族

ハオプトリンゲ

長 たち やノルマン人の郷

ロード

たちに対して等しくその権 利[王権]を主張しようと試みたが、 上 30 ─ 31:確保されない地域に限られた。→安定しな い地域に限られたままであった。

 下 10:王権の→国王の権威の 下 8 ─ 6:そ の領土を……として占有したのである。→彼ら の領地をもはや彼ら自身の権利からではなく、

イングランドの君主たちの封

レ ー ン

土として保有した。

 下 6:この両者の紛争は→この議論は 下 5:

激化され、→先鋭化され、 下 5 4:その結果 今や→その後 下 2:蜂起→反乱 下 1 ─上 1:

結局……攻撃を行ったのが、→古くからの諸特 権を維持するために結局のところ最後の試みに 出たのが、

 (P.82、右)

 上 2 ─ 3:と主張していた……であった。→

と主張した[北アイルランド西部の同名大州の]

テ イ ロ ー ン 伯 爵、  ヒ ュ ー・ オ ニ ー ル Hugh OʼNeill であった[1561 年]。 上 4 5:彼の アルスター……は没収され、→アルスターの彼

の広大な田畑森林は敵産没収にされて、 上 6:

スコットランド人や→スコットランド人と 上 9 - 10:の土地を収用……戦略の一部→の土地 を没収するというばく然とした長期の戦略の一 部

 上 11 15:ゲール語やイングランド語……

という事態が生じた。→土地を没収されたゲー ル語を話すアイルランド人やイングランド語を 話すアイルランド人たちの 1641 年の本気の反 乱の際に、事態はプロテスタントに対する残虐 行為となり、 上 15 ─ 19:これに対し、……つ のるばかりとなった。→イングランド支配に 対するアイルランド人の憎しみがつのっただけ の、クロムウェルの出征による報復的凶行

[最 後の降伏兵 300 人の虐殺- 1649 年]

となった。 

上 21:イギリス連合王国→連合王国 上 22:

発端は→発端とされたのは 上 23:ロンドン デリーを→ロンドンデリー

[城壁のある入植都市]

を 上 24:会戦で→会戦では  1690 年に→

[翌]1690 年の 上 26:に打ち破られ→にも打 ち負かされ 上 27:収用→没収 上 32 33:

1798 年の反乱→ 1798 年の反乱[W

ウ ル フ・

olf T

ト ー ン

one ら の] 上 34:グレートブリテンに統合された。

[1707 年のイングランドとスコットランドとの合同 によって成っていた]

グレートブリテンに合同さ せられた。

 下 8:内縁の妻たち→第二の夫人たち

 下 7:内縁の妻が……きたあと→第二の夫人が 家にはいったとき 下 5 ─ 4:内縁の妻は→第二 の夫人は

 (S.83、左)

 上 2:奇妙な→風変りの 上 4:程度について→

ほど

などについて 上 5:内縁の妻→第二の夫人  上 6:第一夫人は→妻たる者は 上 6 ─ 7:それ に従う……のである。→これを黙認する必要はな かった。 上 7:中世においては、→中世におい ても 上 8:「先祖の母たち」→「昔の母たち」

 ウェールズ

 下 26 23:その戦闘が……のときだった。

→その戦いは、13 世紀の 70 年代におけるエド

(3)

ワード 1 世[1273 ─ 1307]によるグウィネズ侯 国(Fürstentum Gwynedd, the Principality of Gwynedd)の破壊[1277 年]をもってクライ マックスに達した。 下 23:先頭に立って→

先頭を切って 下 22:オワァイン……ドウル

→オワイン・グリンドゥル(Owain Glyn Dw

r、

O

オーウェン・グレンダゥアー

wen Glendower)

下 19 - 18:雲散霧消する→消えてなくなる  下 18:来る男として→来る人として 下 11 ─ 9:しかしこのアーサー王は……にして死亡し、

→しかしこのアーサー王子はいまだ若齢にして 死亡し、 下 9:どこまでも→完全に 下 8:ヘ ンリー 8 世が→ヘンリー 8 世[1509 - 47]が  下 7:このテューダー王朝の下で→この[ウ エールズ人ルーツの]テューダー王家の下で  下 7 - 6:1536 年と……政治的に→ 1536 年か ら 1543 年の間の諸

パ ー ラ メ ン ト

議会決議

[ウエールズの代表不 在のイングランド議会での]

によって政略的に 下 5:に統合→と併合

 下 4:16 世紀における……没落し、→ウエー ルズ法の廃止とともに 16 世紀に没落したし、 

下 3 -上 1:ゆっくりとではあるが……わけで はなかった。→イングランド語がウエールズ語 と徐々に交代した。しかしとうてい完全に交代 したというわけではなかった。

(P.83、右)

上 2:高地人たち→スコットランド高地人たち

 上 3 - 4:スコトランド……地方とその島々

→スコットランド北部の高地とその島々 上 4:彼ら固有の掟→彼ら独特のおきて 上 5:

生活方法→生活の仕方 上 6 ─ 10:1688 年の

……むなしかった。→スコットランド諸王は、

1688 年のジェームス 2 世の追放によるステュ アート王朝の廃位にいたるまで彼らをコント ロールしようと努めたがむなしかった。 上 10 ─ 13:多数のハイランド人たちが……フィル ド外に等しかった。→多数のハイランド人たち はこの亡命王家に断固として忠誠をもちつづけ たかにみえるが、ジャコバイト事件へのこの政 治的関与は結局は忠誠には入れられなかった。

[英文:多数のハイランド人たちはこの亡命家にすさま じく忠実でありつづけたが、最終的には彼らの没落を

も引き起したジャコバイト運動へのかかる[すさまじ い]かコ ミ ッ ト メ ン ト

かわりあいが、それであった。]

 下 22 ─ 16:1707 年のイングランドとの……

打ち砕かれることになった。→ 1707 年のイン グランドとの合同の後にもいくつかの暴動がつ づき、それらは、1745 年のボニー・プリンス・

チャーリー[1720 ─ 85]下の有名な反乱で頂点 に達すると同時に、以後ハイランドが決定的に 軍事占領され、クラン支配も粉々に壊されると いう結果をともなった。下 16 ─ 15:「45 年の反 乱」後……へと進展した。しかしさらに→いわ ゆる「45 年の反乱」後事態は血なまぐさい双 方の報復行為となったが、さらに 下 14:効 果を……したのは→効果があったのは 下 13:

伝統的生活方法→伝統的な生活の仕方  その 中の→そのなかで 下 12:の禁止→の禁止令  下 11:クラン族長→クランの族長たち 下 10 ─ 9:が一つになって、その中で→が相まっ て一つになり、そのなかで 下 9:こわれた。

→崩壊した。  独裁的考えの→独裁的思考の  下 6:成人の……何人となく→何千人もの成 人の男たちが 下 5:連隊に→諸連隊に 下 4:

くじかれた。→破砕された。

  世界の果てまでも:新たな民族大 移動

 (P.84、左)

 上 22:運び→送り 上 24:自由の権利→自 由 上 25:大洋→大[西]洋

 下 13:

スコットランド……人口減少→スコッ トランド:ハイランドの過疎化

 下 12 ─ 11:旧ハイランド社会……兆候は、

→旧ハイランド社会の崩壊にいたる恐ろしい病

やまい

は 下 11:部族→一族  諸峡谷→山峡たち

 下 10:威信の→威信などの 下 8 ─ 3:土着

の……にまかせた。→土着の大地主たちや流入

したイングランド人大土地所有者たちは大部分

のハイランド住民たちの財産を没収すると共に

追放し、その土地を収益の可能性の高い羊の群

れたちにゆだねた。 下 1:スラム街に……だ

(4)

のだ。→スラム街行きとなった。

 (P.84、右)

 上 1

:アイルランド……移住→アイルランド:

飢餓と国外移住

 上 2:潰滅→倒壊 上 2 ─ 4:大勢の……追い 詰めた。→ゲール語を話すアイルランドの一般 大衆をますます深刻な貧苦に追い立てた。 上 4 ─ 6:支配的諸階層が……たからである。→支 配層たちがイングランドの支配層たちよりも無 情でかつ無能だったからである。 上 8 ─ 11:

膨大な人口増加――その……悪化された。→膨 大な人口――大部分はおおむねジャガイモを食 べて生活していた赤貧の家族たち――の増大 によっても悪化された。 上 11 ─ 12:さらに

……が訪れた。→その他に 1845 年から 1847 年 までは大災害になった。 上 12 ─ 13:つまり

→すなわち 上 13:ジャガイモ腐敗→ジャガ イモ腐敗であり  一種の……病気→ある種 の葉枯れ病 上 14 ─ 16:農業的性質……経済 的性格のことがら→農業的というよりはむしろ 経済的性質のことがら 上 16:凶作→不作  上 17:だけだったから→だけを襲ったから  上 17 ─ 21:だからアイルランドは……餓死し ていたというのに。→そのときアイルランド は、その他の多数の食品をその後も引き続き輸 出したので、あまりにも貧しくてこれを奮発し て買うことのできなかったような人は元気のな いまま餓死した。 上 21 ─ 23:犠牲者の数は

……移住した。→犠牲になった死者の数は 100 万人、さらに 100 万人が外国へ移住したと見積 られた。 上 24 ─ 25:1940 までに……移住し た。→ 1940 年までにアメリカにだけでもおよ そ 500 万人のアイルランド人たちが移住してい た。 上 25 ─ 29:その他のアイルランド人た ち――そのほか……へ向った。→その他のアイ ルランド人たちは――並行してウエールズ人や スコットランド人たちも――カナダやアジアや オーストラリアに行ったかあるいは生成するグ レードブリテン[連合王国]の産業中心地たち へと渡った。 上 29:それで→だから

  ケルト人……現今→ケルト人たち の現代

 下 9 ─ 1:1921 年から……現今でもいいう る。→ 1921 年以来独立のケルト人国家[南部 26 州]、アイルランド共和国[自由国]が再び 存在してきたが、この国ではケルト語の使用が 極めて大きな文化的ならびに政治的意義をもっ ている。ちなみにこのことは、その大部分の人 が今は強力な隣国の言語を話しているとしても、

多くのスコットランド人やウエールズ人やブル ターニュ人たちに今もなお妥当する。

(P.85、左)

 上 1 ─ 3:たとえば汎ケルト人……与えている。

→たとえば汎ケルト的フェイスティバルの人気 などは、これらの言語への生き残りの新たな期 待を表している。

 上 4 ─ 6:今日では……しているが、→今日 は近代史のなかで以前にもまして多くの人々 がある種のケルト人的同一性を主張している が、 上 6 ─ 7:たいていの場合……に向った→

たいていの場合は……へ向った 上 7 ─ 8:た ちのことなのだ。→たちである。 上 10 ─ 11:

たとえばアルゼンチン……パタゴニアの→たと えば[アルゼンチン南部の]パタゴニア台地で  上 13:いるし、カナダ→いるし、またカナ ダ 上 15:には→では 

 上 19 ─ 20:たしかにケルト語の……かもし れないが→たしかにケルト語の口頭での使用は もしかするといまだになお減少しているかもし れないが、 上 22 ─ 23:そしてまた→さらにま た 上 24 ─ 25:ケルト語を話す諸民族を自分 たちの……ゆるがないのである。→ケルト語を 話す人々を自分たちの先祖の一つに入れてよい としていることも確実である。

 下 14:

ケルト人の「あのときもし……ならば」

→ケルト人の「もしあのとき……であったら」

 下 11:しかし……そうだったろうか。→し かしこの破壊は本当に不可避だったろうか。 

下 9:事のなりゆきが→事が 下 9 ─ 8:異なっ

(5)

ていたら→異なって進んでいたら 下 8:別の 推移を→別の経過を

 下 6 ─ 5:無条件で……ケルト族の掌中にあっ た。→無条件で「野蛮な」ケルト人たちのセ ノネー族の掌中にあった。 下 4 ─ 3:昔仮に

……としよう。すると彼らは→われわれがその とき彼らが身代金を受け取ったり、撤退したり しなかったと仮想してみれば、彼らは 下 3 ─ 2:

破壊し、その住民を→破壊し、かつその住民を

 (P.85、右)

 上 2:そのあとすぐ→そのあとすぐに 上 8:

いたかもしれない→いた 上 11:いるのだろ うか。→いたろうか。

 (P.86)

 

図表 1 <ケルト諸語>

 上 4:「P」ケルト語又はブルタニア語→「P」ケル ト語又はブリタニア語(Britannisch)[別名ブリトン語

(Brithonic] 上 5:ブルターニュ語→ブルターニュ語

(Bretonisch)[別名ブルトン語(Breton)]

 

図表 2 <ケルト人関連年表>

 上1段目:ローマ時代→古代ローマ人たち(ROMANS)

上 3,4 段目:「首領諸国」→「諸侯国」

〔以下では、 「主 領」も含めて「候」に証明する。〕

 

図表 3 <前 200 年頃のケルト語を話す社会の最大拡 張期の地図>

 ケルト語優位圏はまとまった平坦色とし、ケルト語 と他の言語とが話された混合圏は細縞線色で示される。

 [上記ケルト語を話した人々を左(西)から掲けると]

 アイルランド人、 ケルト・イベリア人、 ブ リタニア人、 ガリア人[ゴール人]、 ガリア 人[ゴール人]、 ガラティア人、 ガラティア 人となる。

   若干の補遺

……(その 1)→

補完的 諸コラム

――補説並びに資料的図面・写 真などの解説(その 1)

  第 1 章分

 (P.87、左)

 [S.8]

は独・英両語の本著作の該当ページを表す。

 <理想像としてのケルト人と,こま割 り漫画>

 上 6:「われらが先祖、ケルト人」→「われらが 先祖、ガリア人[ゴール人]たち」  知らされて いる→聞いて知っている 上 8:蜂起の→組織的 武装抵抗の 上 11:彼を思い出させている→彼の ことを思い出させている。 上 12 ─ 14:この立像 は表している。→この立像は 19 世紀のロマンチッ クなイメージのケルト人たちを、高貴な未開人の 英雄として表している。

 上 17 ─ 19:小さなガリア人……の 1 つである。

→小さなガリア人の漫画のキャラクター、アステ リックスがフランスで収めた大成功の主要な原因 の一つであった。 上 21 ─ 23:アステリックス は……おしゃべりしている。→アステリックスは、

ケルト語で意気投合して、ドルイドのゲタフィッ クスとおしゃべりしている。

[S.9]

 <秋の昼夜平分時[秋分]の祭>

 下 12 ─ 11:プリムローズ・ヒル……を祝う[写 真]。→プリムローズヒル[regent's park の北方 の丘]にて秋分を祝う儀式を挙行している[写真]。

  <「ケルト人」幻想……の事例>→<幻 想の「ケルト人」:ロマンチックなハイラン ド人事例>

 下 4 ─上 1:その際いわゆる……されてしまった。

→その際いわゆる古代や近代生れのケルト人たち は、例えば現代のドルイド教団が具現しているよ うなすごいロマンチックな人物像に変えられてし まった。

(6)

 (P.87、右)

 上 4 ─ 7:古き時代の現実と……たどりうるので ある。→古き時代の現実と何の共通点もないキル ト[男性用スカート]姿のゲール語を話すハイラ ンド人イメージの成立は、最も正確に過去にさか のぼってたどることができる。 上 8:インバー ゲリィ[グレード……]で→インヴァガリー[ネ ス湖の南方の町]で 上 13 ─ 14:ひだのあるショー ルまたはプレイド→ひだのある肩掛けか膝掛け  上 16:ロウリンソンは→トーマス・ローリンソン は 上 17:縫い合わせた→縫い合わさせた。 上 19:キルトの普及が……たのは→キルトが最初に 普及をみたのは 上 20:の蜂起のあと、→の組織 的武装抵抗のあとで、 上 27:貴族たちだった(裕 富な……いたのだった)。→貴族たちだった。(富 裕なハイランド人たちは細身の格子縞のズボンを はいていた。)

 下 14 ─ 11:またスコットランドのケルト人……

がある。→スコットランドケルト人なる新発明の なかで最も有名な諸エピソードに属するのが「オ シアン[後 3 世紀に生きていたという伝説的なアイル ランドおよびスコットランド高地の勇士兼詩人]・シ リーズ」のいわゆる発見である。 下 11 ─ 9:こ の紀元後 3 世紀……偽造されていた。→この自称 紀元後 3 世紀のハイランド・吟唱詩人の作品は始 めから終りまで改ざんされていた。 下 9 ─ 6:と いうのは……でこれを書いた。→なぜならこの著 述家ジェムズ・マクファーソン[1736 ─ 96]はア イルランド語の資料によりながら、1760 年頃に大 いなる空想でこの作品を書いたからである。 下 6 ─ 5:彼はすべての……を欺く。→彼は一世代全 体を騙した。 下 3 ─上 2:ロマン派によって……

さまたげている。→ロマン主義によって創出され て、サー・ウォルター・スコット[1771 ─ 1832]

の長編諸小説のせいでいまもなお広く普及してい るハイランド人イメージは、スコットランド史の 真の理解を妨げている。 上 3:ロマン派の新諸 創作は→ロマン主義的新創作品たちは

 (P.88、左)

 [S.10]

 <ケルト人たちの有名な曲線芸術のすばらし

い 2 例[青銅鏡]>

 上 11:そのような人工物……の制作→そのよう な人工遺物――ごく稀にしかこんなにすばらしく はないが――の製作、

 <ヒスパーノ・ケルト語のブロンズ板>

 上 18:ヒルパーノ・ケルト語→ヒルパーノ・ケ ルト語[ケルト・イベリア語]

 [原文では前掲図表 1 は 1 ページ横組でここ に入る]

 [S.11]

 <発見の瞬間>→<発見物の要

モメント

因>

 下 17:首輪→首飾り 下 16:遮蔽装置→秘蔵  下 13:数箇の内の 1 つ→数箇の秘蔵の内の一つ  下 12:話題→新聞の大見出し 下 10:鮮明な印象

→鮮明な足跡 下 7:柱の台→家の角材の土台

 <ケルト人たちについて記す古典時代の 歴史家たち>

 下 1:ポリビウス(前 200 頃……)→ポリビウス(前 200 年頃

前 118 年以降)

 (P.88、右)

 上 2:ハンニバル→ハンニバルの時代  終末 と→最期と 上 2 ─ 3:ポリビウスの……であった

→ポリビウス自身のローマへの国外追放の前触れ だった 上 5:への発展に→への興隆に 上:7 論 じている→扱っている。

 上 8:ポセイドニオス(前約 135

前 50)→ポ セイドニオス(前 135 頃

前 50) 上 9 ─ 10:キケ ロの師。 西地中海圏の→キケロの師で、彼は西 地中海沿岸地域の 上 12 ─ 13:「歴史書」は……

失われているが、この断片が前 100 年後の→「歴 史書」はわずかの断片たちを除いて失われたが、

この断片たちが前 100 年直後の 上 14:を含んで いた。→を含む。 上 16:(ときどき彼に……も なく)→(ときどき彼に触れないで) 上 18:た とえば→なぜならたとえば 上 19 ─ 20:の作品は

……ている。→の作品が今も残されているからで ある。

(7)

 下 19:ディオドルス・シクルス 下 16 ─ 15:か ら 30 年→から前 30 年 下 15:今も……残る→そ の大部分が残る 下 14 ─ 13:で扱われている→で 論じられる。

 [S.13]

 下 12:ストラボン 下 10:歴史家→歴史年代記 編集者 下 8:(現存する)→(保存される) 下 7:

第 4 巻が→第 4 巻は  を扱っている。→と取り 組むが、

 下 4:

カエサル

 (P.89、左)

 上 1

2:それは……の次に来たのは→なぜな らこの共和制のあとに来たのが 上 4 ─ 6:彼が軍 事上……のおかげだった。→彼はローマにおける 権力の掌握のために必要な軍事上の名声や兵士た ちや富を彼のガリア征服(前 58

前 52)に負うて いた。 上 7、10、12:「解説」→「回顧録」 上 10:これらの→この 上 11:偏った→偏見をもっ

 上 14:<カンヌ(水差し)上の……の顔>

→<カンヌ[ポット]表面上のケルト人の典型 的な口ひげ顔の飾りたち>(左から右へ)

 ヴァルダルゲシュハイム

ビンゲン・アム・ラ イン西方]出土、前 350 年頃(ドイツ)

 バス・ユッツ[Yutz 近郊]出土、前 400 年頃(フ ランス)

 デュルンベルク[ハラインの南方]出土、前 400 年- 350 年(オーストリア)

 [S.14]

 <ハルシュタットでのヨハン・ゲォルク・

ラムザゥアーの若干の発掘物とその水彩記 録>

 下 13:かかる墓穴……たちのあざやかな→こ れらの墓たちや若干の出土品たちのあざやかな  下 10:諸発掘物……に関して→諸出土品(1846 ─

1863)は当時を基準とすれば 下 9:詳細に→正 確に

 

<有史的諸文明[社会]と[先史]考古 学的諸文化>〔全文改訂〕

 学問的考古学は、他の学問分野で通常行われる 分析や分類の方法を初めて過去の研究にも適用し ようと試みられた 19 世紀に生じた。 進化とい う概念に類アナログ似して、学者たちは「[旧・中・新の]

三つの石器時代」、青銅器時代および鉄器時代を経 て有史的諸文明の成立までの人類の技術的進歩と いう構想を展開した。 その後考古学者たちはか つての諸民族の諸遺産を更に進んで、道具の諸類 型、建築の諸方法、特徴的な陶器たち、埋葬の諸 儀式および芸術表現の諸様式のようにこれらのも つ共通の諸特徴をもって考古学的諸文化に類別し た。 もちろん、これらの考古学的諸文化は直接 民族的諸集団と一致することはめったになく、ケ ルト人たちもその点で決して例外ではない。 す べてのケルト人たちが、本質的に「ケルト人の」

特徴のある芸術様式も、それと別の証拠資料から ケルト語が話されていたほとんどの地域で見つか るラ・テーヌの物質文化をも引継いだとすること は、一つの魅惑的考えではあるが、必ずしもすべ てのケルト人たちにおいてではなかった。 それ ゆえ、少なくとも非常に堂々たるケルト系人口構 成を保持していたスペインには実際にラ・テーヌ 出土品たちは全く存在しないのである。 全く同 様にラ・テーヌ文化は唯一ケルト語を話す人々に 限られていたわけではなかった。 というのはラ・

テーヌ文化の諸局面は、たとえばダキア、ゲルマ ニア、トラキアおよびローマ帝国のような他の諸

[民族]文化の中にも見つかるからである。

 [S .15]

 <ラ・テーヌ[スイスのヌシャーテル湖北部]

の空撮と発掘図>

 上段:ラ・テーヌの地理的位置

 下段:20 世紀はじめのポール・ヴーガ Paul- Vouga によるラ・テーヌ発掘図の一部:すなわ ち水路[Thiele 川]を渡る「[厚]板敷き橋」の、

平面図[橋は図中程のほぼ直線の破線?]と断面 図[水と泥をかぶった橋の立杭たち]。 しかもそ

(8)

の周囲には数多くの出土品たちの一部の所在地ま でも書き留められていて、それらのなかには武器 たちや人間の最後の残り物たちもある。

[なお最終章後の前掲図表 2 と 3 は原文ではこ こに入るべきものである]

参照

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