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障害者スポーツ概念とその史的展開

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はじめに

本研究は, 障害者スポーツの概念についてその歴史を辿りながら現状認識を明確化し, 今後 の展望を検討したものである。 今日, 障害者スポーツは, ノーマライゼーション, インテグレー ション, インクルージョン, バリアフリー, 共生社会等々の語やスローガン, 意義の多様化, 種目・参加者数の急増とともに社会的関心が高くなっている。 しかし, それは特定の一つの目 標に向かって収斂している姿というよりも, 細分化, 多様化, 拡散化, 商業化しているように もみえる。 そのため, 障害者スポーツの全体像を概観しておく必要性が感じられる。

こうした現況の下, 本プロジェクトの総括段階にあった2004年6月, 岩波書店から岩波新書 の一冊として大阪市障害者福祉・スポーツ協会在勤者の手により 障害者とスポーツ と題す る著作が発行された (高橋, 2004)。 障害者スポーツの全体像を窺う今日的必要性の証の一つ でもあろう。 その新聞広告は 「今年, パラリンピックを見ることから始めよう」 「パラリンピッ クなど競技スポーツとしての醍醐味から, 日常的な楽しみ方まで, 障害者のスポーツの世界を 長年の指導経験から紹介する」 であった。 同書は極めてコンパクトに障害者スポーツを概観し たものであり, 本プロジェクトで得られた成果と同様な叙述が随所にみられ, プロジェクト研 究の目標の妥当性を支持する心強い援軍になった。

同書が, 障害者スポーツを野球で言えばベンチあるいはネット裏, 関係者の視点からまとめ られたものとすれば, 本研究は観客として外野席あるいはテレビ, スポーツ新聞等から眺め全 体像に迫ろうとするものである。 「 「障害者スポーツ」 という語をめぐって」, 「障害者スポー ツの捉え方」, 「パラリンピックについて」 から構成した。

1. 「障害者スポーツ」 という語をめぐって

「名は体を表す」 といわれることから, まず 「障害者スポーツ」 という語について少しこだ わってみたい。 今日でこそ福祉系の辞典のいくつかには, 障害者スポーツの用語解説がなされ ている。 そのもっとも単純明解な定義は 「障害者が参加するスポーツをいう」 (京極, 2000) である。 管見できた限りでの詳しい解説は, 社会福祉辞典 (一番ケ瀬他, 2002) にあり,

*Concept of Sports Games for the Challenged: A Historical Perspective

**Hazime MIZOGUCHI, 立正大学社会福祉学部社会福祉学科

キーワード:障害者スポーツ, パラリンピック, リハビリテーションスポーツ, 障害者福祉

障害者スポーツ概念とその史的展開

溝 口 元**

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「今日における障害者スポーツは, 1. 障害の軽減・克服, 健康増進を目的とした治療的スポー ツ, 2. 余暇を楽しみ充実させるための遊技的スポーツ, 3. 成長・発達や主体形成の教育的 スポーツ, 4. 技や運動能力を競う競技的スポーツなどの側面から把握することができる」 で ある。 しかし, 障害者スポーツについての記述はあっても, これらのように定義されているも のは, 必ずしも多くない。 たとえば, 「日本における障害者スポーツは, パラリンピック東京 大会 (1964) の翌年から開催された, 全国身体障害者スポーツ大会を契機として, 地方レベル の大会にも広がりをみせてきた。 ……障害者を特別視しないノーマライゼーションのひろがり とともに, 障害者のスポーツが注目されるようになってきたが, まだイベントが中心で障害者 が日常的にスポーツを楽しむまでには至っていないのが現状である」 (庄司他, 1995) と述べ られているものがある。 一応, 「障害者が日常的にスポーツを楽しむ」 ものと理解できるが, 具体的に何を指すものが明示されていない。

すなわち, 障害者スポーツは具体的, 固定的に何と定義され, それが引き継がれてきたわけ ではなかった。 それも一因であろう, 社会福祉用語辞典 (山県・柏女, 2001) には 「パラリ ンピック・スポーツ」 の説明は記載されていても障害者スポーツは載っていない。 障害を冠し た語が35種類説明され, 「身体障害者スポーツ大会」 や 「フェスピック」 (第5回極東・南大平 洋身体障害者スポーツ大会) は記されているのにも関わらずにである。 この辞典は, 2004年に 刊行された第4版にも用語として障害者スポーツの記述がみられない。

同様に, 改訂 社会福祉用語辞典 (厚生省社会・援護局児童家庭局, 1994) でも52種類の

「障害」 を冠した用語解説がなされているが, 「障害者スポーツ」 は見当たらない。 それどころ か 「パラリンピック・スポーツ」 や 「身体障害者スポーツ大会」, 「フェスピック」 すら記され ていない。 比較的近いと感じられる用語としては 「身体障害者スポーツ指導員研修事業」 が載 せられているのみである。

パラリンピックは後述のように1964年10月の 「東京オリンピック (第18回オリンピック競技 大会 (東京))」 開催の時に日本で命名され, 「わが国で積極的に障害者スポーツがおこなわれ るようになったのは, 昭和39年に東京で開催された東京パラリンピック以降であった」 (障害 者スポーツに関する懇談会, 1998) と述べられているように, それを機に障害者スポーツが一 般に普及していった印象をもつ。 しかし, 福祉系の辞典においては, その語の用語は広く採択 されていたとはいえず, 説明されているにしても一様な記述がみられるわけでもなかったので ある。

一方, 社会福祉士の国家試験科目 「障害者福祉論」 のテキストとしてしばしば用いられてい 改訂社会福祉士養成講座3 障害者福祉論 (中央法規) の1992年版では, 「3章 障害者 福祉施設等のあらまし」 の 「2 社会参加促進を主とするもの」 に 「

身体障害者スポーツ の振興」 が述べられている。 「身体障害者にとってスポーツは, 機能回復や健康増進に役立つ のみならず, 積極性や協調性を養うにもの効果的であり, レクリエーションとしての意義も大 きい」 と解説され, 東京パラリンピックから1988年の国際身体障害者スポーツ大会 (ソウル)

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までの経緯が, 9行にわたって述べられている。 同書の2004年版からは, 障害者福祉の 「隣接 分野」 の一つとして4頁ほど解説が記されるようになった。

また, 新版・社会福祉学習双書 第3巻 障害者福祉論 (全国社会福祉協議会) の2002年 版には, 「第4章 障害者福祉サービスの体系」 の中で, 「身体障害者福祉法に明確に定められ ていないが予算措置により実施されている主な施策」 の一つとして 「

障害者スポーツの振 興」 が次のように記載されている。 「今日, 障害者スポーツは, 身体障害者の体力維持やレク リエーション, 機能回復の一環という側面だけではなく, シドニーパラリンピックでみられた ように, 障害者の自己実現を可能とし, 自立と社会参加の意味においても重要な位置を占めて いる」 である。

これらのテキストは, 福祉系の学生や障害者福祉を本格的に学ぼうとする人たち以外には読 まれることが少ないと思われるので, 障害者スポーツはマスメディアを通じて見聞する機会が ある割にはその実態や全体像を把握しにくいのが実情と考えられる。

つぎに, 障害者スポーツと身体障害者スポーツの語を問題にしたい。 これまでみたきたよう に, 両者は混在して使われている。 そこで, 時期的には早くから登場した身体障害者スポーツ から 「身体」 が外れ, 障害者スポーツとなる様子を窺い, 障害者スポーツなる語は, いつ頃か ら福祉の世界に普及・定着するようになったのか探ってみる。 「障害者スポーツ年表」 (三村, 2002) を中心に他の文献と合わせ関連事項を時系列的に並べると次のようである。

1961年 身体障害者スポーツ 刊行 身体障害者スポーツ振興会結成 身体障害者体育大会 (大分) 開催 1963年 「身体障害者スポーツの振興について」

1964年 パラリンピック東京大会

1965年 財団法人日本身体障害者スポーツ協会設立 1965年 第1回全国身体障害者スポーツ大会 (岐阜県) 1974年 大阪市身体障害者スポーツセンター開設

1984年 第1回全国身体障害者スポーツセンター協議会開催 1985年 公認日本身体障害者スポーツ競技団体協議会開催 1998年 障害者スポーツに関する懇談会

障害者スポーツ支援基金設置

1999年 財団法人日本身体障害者スポーツ協会を財団法人日本障害者スポーツ協会に名称変

以下に解説を述べていきたい。 最初に掲げた1961年の事項は, 障害者スポーツに対する海外 視察を実際に行ない, パラリンピック東京大会開催への足固めと関連したものである。

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1963年の 「身体障害者スポーツの振興について」 は, 翌年10月のパラリンピック東京大会の 開催に際し, 前年5月20日, 当時の厚生省社会局長が都道府県知事・指定都市市長宛に通知 (社発37号) したものである。 障害者スポーツに関する最初期のものに相当する。 そこには,

「身体障害者がその適性及び健康状態に応じてスポーツに親しむことができる諸条件の整備」

や 「身体障害者の体力の維持, 増強, 残存能力の向上」 などから 「身体障害者の厚生援護」 の 実施を謳っている。 しかし, 用語としては, 「障害者スポーツ」 ではなく, 「身体障害者スポー ツ」 であった。

「パラリンピック東京大会がわが国の国民に大きな感動と深い感銘を与え, その後全国身体 障害者スポーツ大会の開催や

日本身体障害者スポーツ協会の設立に発展し, 障害者のスポー ツの普及に貢献した」 (速水, 1997) という。 文中の財団法人日本身体障害者スポーツ協会は, 1965年春に設立された身体障害者のスポーツ振興を目的とするわが国初の全国団体である。

また, 全国身体障害者スポーツ大会 (後に, 愛称として身障者国体) は同年秋に第1回大会 が岐阜県において国民体育大会の後に開催された。 スローガンは 「明るく強く」 であった。 な お, 世界の障害者スポーツを統括する団体として 「国際パラリンピック委員会」 が組織された のは1989年のことである (三村, 1996)。 さらに, 1970年代は, わが国で種目別の大会が開催 されるようになった時期でもあった。 1972年の第1回全国身体障害者スキー大会や1973年の第 1回全国身体障害者アーチェリー選手権大会等である。 他には障害者の語は含まれていないが, 1971年の第1回日本車椅子バスケットボール選手権大会や1979年第1回日本チェアスキー大会 なども催されている。

1974年5月, 日本初の身体障害者スポーツセンターが大阪市に開設された。 その目的は 「障 害のある人がスポーツを通じて健康の増進, 機能の回復や向上を図るほか, 精神的にも自信と 勇気を養い, 社会参加の機会を増やし, 豊かな日常生活を送ってもらうこと」 (高橋, 2004) であった。 これ以降, 関東では群馬, 埼玉, 東京, 神奈川に, 関西では京都, 兵庫に, 他にも 愛知, 広島, 福岡などの都府県に名称は若干異なるが障害者を対象としたスポーツセンターが 設立されるようになった。 1984年にはこれらの代表が集って協議会が開かれた。

翌年, 公認日本身体障害者スポーツ指導者制度が制定された。 これは, 1973年10月, 身体障 害者スポーツ指導員研修事業として当時の厚生省が財団法人日本身体障害者スポーツ協会に委 託し実施されたもの (昭48社更153) が発端である。 身体障害者のスポーツの振興, 推進を図 るため, 身体障害者スポーツ指導員等の養成を行ない, 身体障害者の機能回復及び健康の増進 に資することを目的としたものであった。 なお, 同年, 第1回身体障害者スポーツ競技団体協 議会が開催されている。

身体障害者スポーツから障害者スポーツへの用語の転機と感じられるのが1998年4月, 厚生 事務次官の私的懇談会として開催された 「障害者スポーツに関する懇談会」 である。 その報告 書が同年6月 障害者スポーツに関する懇談会報告 としてまとめられている。 パラリンピッ ク出場選手, マスコミ関係者, 経済界人, 日本オリンピック委員会役員, 日本障害者スポーツ

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委員会役員, 学識経験者など11名が名を連ねている。 この中に 「これからは, 知的障害者を含 む障害者全体のスポーツという観点で, 障害者スポーツの振興を図る必要がある。 このために は, これまで身体障害者スポーツの振興の役割を担ってきた

日本身体障害者スポーツ協会の 基盤を活用し, 関係団体の協力のもと, 指導者の養成や, 大会の開催等について, その充実を 図ることが最も有効である」 としている。 そして, これに呼応して翌年, 財団法人日本身体障 害者スポーツ協会が財団法人日本障害者スポーツ協会と名称を変更したのであった。 それ以降, 身体障害者スポーツの名が減少すると同時に障害者スポーツの呼称が一般化してきたのであっ た。

これらから察せられることは, 1998年の障害者スポーツに関する懇談会や翌年の財団法人日 本身体障害者スポーツ協会が財団法人日本障害者スポーツ協会に名称変更したことを機に福祉 の世界に 「障害者スポーツ」 の呼称が普及・定着し, 21世紀の変わり目頃から福祉系の辞典や 福祉士の国家試験用のテキストにも取り上げられるようになったということになろう。

2. 障害者スポーツの捉え方

それでは, 障害者スポーツはどのように捉えられるのだろうか。 ここではそれについて検討 していきたい。 まず, 障害者スポーツを上述の辞書の定義を参考に 「障害者と呼ばれる人たち が行なうスポーツのこと」 としよう。 その場合, 障害者とは, 差し当たり1993年の 「障害者基 本法」 における定義, すなわち 「身体障害, 知的障害叉は精神障害があるため, 長期にわたり 日常生活叉は社会生活に相当な制限を受ける者」 とする。 それでは, スポーツとは何だろうか。

Sport の綴りは現代の英語, ドイツ語, フランス語, イタリア語等でも同様である。 そして, その原義は, 義務的な活動から離れて楽しむ, 気晴らす, 休みなどである (Davies, 1977)。

そうであれば, 障害者スポーツを障害者, スポーツの語を用いずに言い換えると 「長期にわた り日常生活叉は社会生活に相当な制限を受ける者がその事態から気を晴らす, あるいはそれを 忘れて楽しむということ」 になると思う。 これが言葉上の原義・原型であると捉えておきたい。

一方, 福祉関係の法律で障害者スポーツに関した条文を探してみると 「社会福祉法」 や 「身 体障害者福祉法」 には見当たらない。 指摘するとすれば, 上述の 「障害者基本法」 の第25条と 感じられる。 これは, 1970年代この法律の前身である 「心身障害者対策基本法」 で定められた もので, 「国及び地方公共団体は, 障害者の文化的意欲を満たし, 若しくは障害者に文化的意 欲を起こさせ, 又は障害者が自主的かつ積極的にレクリエーションの活動をし, 若しくはスポー ツを行うことができるようにするため, 施設, 設備その他の諸条件の整備, 文化, スポーツ等 に関する活動の助成その他必要な施策を講じなければならない」 と謳っている。 文中の 「障害 者が自主的かつ積極的にレクリエーションの活動をし, 若しくはスポーツを行うこと」 から, 障害者のレクリエーションの意味に近い活動としてスポーツを挙げていることが窺える。

ところが, 障害者スポーツの概念を論じた文献を調査するとそれとは趣きが異なることに気 づく。 以下にその実例をみていきたい。 まず, 指摘できるのは 「リハビリテーション」 として

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のものであり, 次のようである。 身体障害者スポーツは 「「リハの一環として行なわれるべき ものであり, 1つのサイエンス」 として位置けられる活動分野」 (伊藤, 1987) としている。

じつは, この論文が発表された1987年には 「臨時教育審議会」 の最終答申がなされ, 生涯学習 社会への移行が謳われた。 それに呼応するように登場したのが 「生涯スポーツ」 としてのもの であった。 これは 「この生涯学習体系の整備との関係で 「生涯スポーツの推進」 が打ち出され たのがきっかけ」 という。 「競技力の向上だけに狭めてしまっては挫折者を増やすばかりでな く, スポーツを楽しもうとする障害者の門戸を閉ざすことになりかねない」 (速水, 1997) と 論じている。

一方, 障害区分に応じた捉え方もある。 1980年に世界保健機構 (WHO) が, 国際障害者年 行 動 計 画 の 指 摘 を 受 け て 発 表 し た 「 国 際 障 害 分 類 (International Classification of Impairment, Disabilities, and Handicaps: ICIDH」 を考慮したものである。 すなわち, 機能 的形態障害には 「運動療法」 があり, 運動を利用した機能回復である。 能力障害には 「医療ス ポーツ」 が相当し, 狭義のリハビリテーションである。 社会的不利は 「自己実現としてのスポー ツ」 であり, 競技スポーツと生涯スポーツが含まれる (犬飼, 2000)。

競技としてのスポーツの視点を含めているものも多い。 キー・ワードに 「身体障害者」 「ス ポーツ・レクリエーション」 「競技スポーツ」 の3語を挙げている論考は, レクリエーション と競技の2つに分けて論じている (三村, 1996)。 「リハビリテーションの手段, 健康増進・社 会参加意欲の助長, 障害・障害者に対する国民理解の促進, 生活の中で楽しむスポーツ, 競技 としてのスポーツとし, 今後の基本的な推進方策として生活の中で楽しむスポーツ, 競技とし てのスポーツ」 があるとした論文 (障害者スポーツに関する懇談会, 1998) も同様であろう。

近未来の障害者のスポーツ環境として, 「生涯スポーツ」 の傘の下に, リハビリテーション の手段 (自発性・自主性の育成:依存型のスポーツ) 並びにノーマライゼーションと生活の質 の充足・充実 (共同性・自律性精神の育成:創造型のスポーツ) が位置付けられる (中川, 1987)。

これまでみてきたように, 障害者スポーツの捉え方は, 論者により異なり, その意味は固定 的ではない。 障害者福祉に対する社会的理解, 施策の進展, 参加者の多様化などに連れて内容 が変化していると思われる。 これらを含め, 文献調査の結果から勘案すると 「障害者スポーツ」

なる用語は, 少なくとも以下の4つの意味と内容・問題点から使われているように思われる。

・リハビリテーションとして:身体活動・機能の回復・改善

・競技スポーツとして:専門コーチ・施設, 大会参加費用の必要性

・社会参加として:社会復帰の促進, 健康の維持・フィットネスや楽しみ

・生涯スポーツとして:健常者との共生

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3. パラリンピックについて

障害者スポーツの中で国際的かつ最大規模を誇るものが 「パラリンピック」 である。 逆に言 えば, パラリンピックを検討することは, 障害者スポーツの全体像が概観でき, また種々の問 題点を浮き彫りすることが可能と考えられる。

ところで, 障害者スポーツの起源を何に求めればよいのか, これを調べていくと論者によっ て極めて多様であることがわかりそれ自体興味深い。 「身障者スポーツの歴史は古い。 ヒポク ラテス (紀元前300年) の時代から, すでにエラジスツレエトなどが医療の目的でスポーツを 行なった記録がある」 (国際身体障害者スポーツ競技会, 1964) とか, 「運動療法の起源はギリ シャの神殿医学で行なわれた 「治療のための体操」 であった」 という記述がみられる一方,

「身体障害者スポーツの歴史は, 世界的に見ても, やっと100年になるかならないかのところで ある」 (中川, 1987) という見解もある。

とはいえ, 出発点は医療的な観点から行なわれたと解釈されるものであり, さらに科学的な 立場からということであれば, 近代以降の話になろう。 実際に, 17世紀頃フランスやドイツに は 「医療体操師」 と呼ばれる職種があり, 身体障害者に対して, 機能回復のためのスポーツを 導入していたといわれる (国際身体障害者スポーツ競技会, 1964)。 これが運動療法として次 第に広っていった。

それ以降の歩みも論者によってまちまちである。 「1845年, ウェルナー (J.Werner) によっ て著された Medizinishen Gymnastik (医療体操) が, 現在の身体障害者に対するスポー ツの起源だとされている」 (伊藤, 1987), 「障害者の競技スポーツは, 1880年ロンドンにおい て, イギリスで片下肢切断の2人が両手に杖を持ち, 国王の前で競争を行なったのが始まりと する記録がある」 (犬飼, 2000) などである。 もっともこれには, 「下肢切断者が木製義肢をつ けて, 最初の身障者スポーツ大会をひらいた」 (国際身体障害者スポーツ競技会, 1964) とい う記述もみられる。

そして, 1888年には, 世界初の身体障害者スポーツクラブがベルリンに設けられた。 聴覚障 害者のためのもので, これが1910年には 「ドイツ聴覚障害者スポーツ協会 (Deutschen Gehorlson Sportverband)」 へ発展し (中川, 1987), 1924年には 「国際聴覚障害者スポーツ 委員会 (Comite International des Sports des Sourds)」 が設立された。 世界初の国際的な障

害者スポーツ組織という。 同年, パリにおいて世界初の国際障害者スポーツ大会である 「世界 ろう者競技大会 (World Games for the Deaf)」 が9ケ国, 133名の参加者の下に開催された (犬飼, 2000)。

こうしてみると, 19世紀の半ばまでには, 医療的な観点から障害者にスポーツの導入が試み られ, 世紀末の頃にはスポーツ大会と呼べそうな催しも行われていたということであろう。 し かし, 古代ギリシャ時代から19世紀末までの歩みは, いわば障害者スポーツの前史ないし源流 と捉えるべきものと思われる。

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さて, 兵器の近代化が急速に進んだ第二次世界大戦は, 一方で多くの戦傷者を生み出す契機 ともなった。 今日イメージするリハビリテーション活動の開始であり, その中から 「リハビリ テーション医学」 が誕生した。 一方, 1930年代のポリオの大流行に対応すべく, アメリカでは 筋力低下の測定法が考案され, さらにそれに基づいた筋力増強訓練としての運動療法 (治療的 訓練, therapeutic exercise) の原理が確立された。 リハビリテーション医学と運動療法は, 1940年代に入り統合の気運が生まれ, この年代末にそれが実現したのであった (上田, 1983)。

こうした経緯を背景に, 直接パラリンピックにつながる動きがみられようなった。 それがイ ギリス・ロンドン郊外に所在するのストーク・マンデビル (Stoke Mandevil) 病院国立脊髄 損傷センター (1944年設立) の神経専門医グットマン (Ludwig Guttman, 1889−1980) の 活躍であった。 彼は, 脊髄損傷者に対する最も有効な治療法は, 外科手術よりもスポーツであ ると主張し, スポーツを中心としたリハビリテーションを治療方針に据えた人物である。 1948 年に, 彼の指導の下で両下肢麻痺者のスポーツ大会が開催された。 これが, 1952年一般に知ら れオランダなどから参加者が加わり国際大会となった。 第二次大戦後初の障害別国際競技団体 である 「ストーク・マンデビル競技連盟 (International Stoke Mandevil Game Federation)」

の誕生である。 当初は, 脊髄損傷により車椅子を使用する人たちのための大会であった。 そし て, この病院に隣接する 「ストーク・マンデビル競技場」 で陸上競技や車椅子バスケットボー ル, 水泳などが行なわれるようになったのである。

さて, この大会は1952年から毎年7月にロンドン郊外の上述の競技場で開催されていたので あるが, 1960年のローマ・オリンピックを機にオリンピック開催の年にはオリンピックが行な われた直後に, オリンピックと同じ場所で開かれることになった。 第9回ストーク・マンデビ ル競技大会がそれである。 「国際ストーク・マンデビル競技委員会規約」 の第三部に 「国際ス トーク・マンデビル競技会を毎年継続して開催することを確保すること, 若し可能ならば四年 毎にオリンピック競技会が開催される当事国において, 本競技会を開催するものとする」 と謳 われていることからも窺われる (国際身体障害者スポーツ競技会, 1964)。 なお, 1960年は

「世界歴戦者同盟 (World Veterans Federation)」 の身体障害者のための作業部会として 「国 際障害者スポーツ組織 (International Sports Organization for the Disabled)」 が設けられ た年でもあった。 このローマ・オリンピックの次の大会の開催地が, 1964年の東京である。 こ こから国際的な障害者スポーツ大会の開催と日本との関係が本格化するようになったのであっ た。

それでは, わが国の事情をみてみよう。 日本では, 1925年に開催された 「関西盲学生体育大 会」 が身体障害者の初期の組織的活動という (中川, 1987)。 戦時中, わが国でも数多くの戦 傷者が発生した。 戦時中の傷痍軍人への援護内容として, 1939年の 「傷痍軍人ニ介護要具支給 ノ件」 で介護要具に 「手動車椅子」 が, 1943年の 「人工補装装置取扱規則」 には 「傷用三輪車」

の語がみえる。 傷痍軍人箱根療養所において, 室内では傷痍軍人自らが車椅子を操作し, 屋外 では介助者が押して移動させていたが他の医療機関には波及しなかった。 そもそも, 歩行不可

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能な戦傷者を移動させたり, 動かせたりする必要性を感じなかったからだと言われる (溝口, 1997)。 この観点からは, 障害者とスポーツの接点を窺うことは困難であろう。 結局, この問 題は敗戦後に持ち越されたのであった。

「わが国においては増田弥太郎氏, 内藤三郎氏, 中村裕氏によってリハビリテーションにお けるスポーツの効用が実証され, 障害者スポーツの振興に積極的な活動がなされてきた」 (三 村, 1996) といわれることからこの3名の活躍をみておこう。 1951年, 増田弥太郎は身体障害 者にプールを使って水泳を開始した。 運動療法の導入である。 また, 内藤三郎は, 1957年に身 体障害者のリハビリテーションにおけるスポーツの重要性に関する文献の翻訳と紹介をしてい る。 そして, 1960年, 当時の厚生省は国立別府病院整形外科部の中村裕に海外視察を命じた。

彼はロンドンに赴き, グットマンに出会い影響を受けたのである。 この頃, グットマンも東京 オリンピックの後, 同地で国際的な障害者スポーツが開催されることを望んでいたという (国 際身体障害者スポーツ競技会, 1964)。

1961年, 上述の 「世界歴戦者同盟」 の日本理事沖野亦男は同盟の本部から身体障害者スポー ツに関する資料の提供を受けた。 そして, 身体障害者スポーツ と題する冊子を刊行し, 関 係者へ配付することからその関心を高めたのであった。 さらに, 彼は1960年の第9回ストーク・

マンデビル競技大会 (通称:ローマ・パラリンピック) に唯一日本人の観客として参加してい た渡辺華子と海外の障害者スポーツ事情を 「身体障害者更正指導研究会」 で紹介した。 この会 には, 厚生省社会局長も参加しており, 経費が問題ではあったが, 参加者達はストーク・マン デビル競技大会の日本開催を望む声が強かった。 その後, 沖野は1961年5月の世界歴戦者同盟 総会においてグットマンと面会し, 開催へ向かっての打ち合わせをした (国際身体障害者スポー ツ競技会, 1964)。 ここから, 国内の団体の整備と受け入れ体制の確立をめざす方向へと進ん だ。 1961年8月の身体障害者スポーツ振興会の結成や同年10月の身体障害者体育大会 (大分) 開催がその間の出来事である。

具体的な開催への動きは, 1962年3月の国際ライオンズ協会や朝日新聞厚生文化事業団の会 合から本格化する。 そこでは, 国内におけるスポーツ振興を進め, その様子をみて国際大会を 引き受けるのではなく, 国際大会を 「引き受けるという線を強く打ち出して国内態勢をつくり あげる方が早道」 であると考えられた。 そして, ストーク・マンデビル競技大会は車椅子を使 う下半身麻痺者が主体のスポーツ大会だが, それに留まらず 「肢体不自由, 盲, ろうあの人た ちのスポーツも同時に行なうこと」 などを決定している。 これを基に, 厚生省に準備委員会結 成への協力を要請し, 同省も全面的な賛意を示した。 この国際身体障害者スポーツ大会の準備 委員会の世話人に朝日新聞厚生文化事業団の寺田宗義と NHK 厚生文化事業団の石島治志が選 出され活動を開始した。 準備委員会の初会合は1962年5月10日に朝日新聞社内で行なわれた (国際身体障害者スポーツ競技会, 1964)。

さて, 1964年11月8日から14日までの1週間, 東京オリンピックと同じ東京・代々木の会場 で開催された国際スポーツ競技大会は2つに分かれていた。 第1部 (8日から12日) は第13回

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ストーク・マンデビル競技大会 (本拠地以外では, ローマに続く第2回大会) であり, 車椅子 バスケットボール, フェンシング, 水泳, 投てき, アーチェリー, 卓球など14種類の大会であ る。 競技委員会委員長は上述のグットマンであった。 第2部 (13日, 14日) は, 日本人選手だ けの身体障害の区分に応じた競技会であった (朝日新聞, 1964年9月25日付)。 第1部には22 ケ国から390名, 第2部には国内から586名が参加した。

ところで, この様子を報じた新聞記事の見出しは 「パラリンピック」 の語を含めたものが多 い。 そこで, この言葉についてみておきたい。 パラリンピック (Paralympic) は, 脊髄損傷 などから下半身不随を意味するパラプレジア (Paraplegia) のパラ (Para) とオリンピック (Olympic) 中のリンピック (lympic) との合成語である。 第13回ストーク・マンデビル競技 大会で使われた語で, 通称 「東京パラリンピック」 あるいは 「パラリンピック東京大会」 と呼 ばれる。 命名者は特定されず, メディア関係者の造語ではないかといわれている (高橋, 2004)。

パラリンピックは 「日本ではじめてうち出された愛称で, 下半身マヒばかりでなく身障者全体 の国際スポーツ競技会を, 多くの人々に認識させる適切な表現」 (国際身体障害者スポーツ競 技会, 1964) とされるが, この呼称が直ちに定着したわけではなかった。

1984年の第7回大会はニューヨークと本拠地のストーク・マンデビルに分かれて開催された が, 開催中の会議において次回から 「パラリンピック」 の呼称を用いることが提案され, 1988 年の第8回大会 (ソウル) からパラリンピックが正式名称になったのである。 その意味は,

「パラ」 をもう一つのという意味のパラレル (Parellell) とオリンピック中のリンピック (lympic) を合わせたものと理解され, 「もう一つのオリンピック」 の意味が込められた。 東 京大会から24年を経ており, その間, 下半身不随による車椅子使用者だけの大会でなく, 視覚 障害者や肢体切断, 機能障害, 脳性麻痺などを抱える人たちも参加できる大会に成長していた ことが呼称変更の背景と考えられている (高橋, 2004)。

なお, 東京パラリンピックからは, いわば副産物も生まれた。 当時の新聞報道をみると,

「車イスで日本入り 羽田に続々 パラリンピック」 (朝日新聞1964年11月5日付), 「車イスで 花やかに行進 パラリンピック開会式」 (朝日新聞1964年11月8日付), 「明るい車イスの列 行進曲は 「上を向いて」」 (読売新聞1964年11月8日付) というように見出しに車椅子の語を入 れ, 写真の大半に車椅子を使った選手の姿が写っていた。 来日した欧米の障害者の車椅子を使っ た生き生きとした姿やその機能性には目を見張るものがあったのである。 日本の障害者や関係 者がこれに強い印象を受け, このパラリンピックの開催を契機として, 国内でも車椅子の生産 の気運が高まったのであった。 実際に, 車椅子の製造メーカーは, 1964年以前は2社であった が, 1965年から74年の間に10社に増えている (溝口, 1997)。 もう一つ。 大会経費は, 当初9000 万円が見込まれた。 しかし, 予想以上の寄付金が集まり, 余剰金が出た。 これを基に1965年に 設立されたのが財団法人日本身体障害者スポーツ協会であった。

その後のパラリンピックの動向を, 2000年のシドニー, 2004年のアテネで開催された大会を 解説した福祉系の雑誌からみていきたい。 「戸山サンライズ」 (編集:全国身体障害者総合福祉

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センター, 発行:日本障害者リハビリテーション協会) の第177号 (2000年12月発行) は, 「座 談会:シドニーパラリンピックを振り返って―今後の課題について語る―」 と題した特集を組 んでいる。 馬術, シッティングバレー, ヨットに出場した選手を囲み, 障害者スポーツ協会の 役員が司会をしたものである。 シドニー大会は123国から3843名が参加していた。

そこには, 問題点と感想が述べられている。 まず, 馬術参加者は 「非常に余裕をもって楽し んで競技ができた」 というが, 時間と金銭的な問題から 「乗馬療法からスポーツ馬術へ発展さ せていくのが非常に難しい状況になっている」。 そして, レベルアップのための専門コーチ, 乗馬クラブで馬を借りることの時間的, 経費的困難さを訴えていた。 シッティングバレーでは,

「あまり競技性を意識せずに, バレーボールをみんなで楽しんで続けて行こうという感じでやっ ていた」 が, 世界選手権に出場し, みじめな結果を得た後 「やはり競技性を意識」 したという。

これによりメンバーの意識が変ったもののシドニー大会では予選が通過できなかった。 感想と して 「悔しかったけれど対等に闘えて嬉しかった」 と述べている。 ヨット参加者は, そもそも ヨットは 「健常者の世界選手権で3分の1が障害者」 であり, 「障害のハンディがあるんです けれども, 一般の方と本当に競争し合えるというヨットの魅力と楽しさ」 があるという。

全体を通じた問題点として選手, 場所, 経費, 戦術, 指導者等を指摘している。 たとえば, 乗馬だけであればレクリーションの範囲だが, 競技になると種々苦しさをともなう。 苦しみを 乗り越えて喜びがあるのだが, その苦しい世界に自ら進んで入り込んでいける人がいないと障 害者馬術の人口が増えないという。 まさに, リハビリテーションと競技スポーツの間のジレン マを吐露してように感じられる。 この記事からは, パラリンピック出場選手であっても, 必ず しも競技性一辺倒ではなくリハビリ的な側面や楽しさの受容も感じられた。

なお, 「戸山サンライズ」 (176号, 2000) に掲載されている 「シドニーパラリンピック競技 大会優秀成績者等厚生大臣表彰受賞者名簿」 の金メダリスト12名の障害区分をみると, 脳性麻 痺3名, 視覚障害6名, 脊髄損傷2名, 下肢機能障害1名。 銀メダル10名では, 脳性麻痺1名, 視覚障害4名, 脊髄損傷3名, 下肢機能障害1名, 知的障害1名。 銅メダル21名では, 視覚障 害3名, 脊髄損傷13名, 下肢機能障害2名, 上肢切断1名, 下肢機能障害1名, 下肢切断1名。

である。

これらをみると, 脊髄損傷者が多くパラリンピックの起源であるストーク・マンデビル競技 大会以来の歴史と伝統を感じさせる。 しかし, その反面, 障害者スポーツとはいえ, 内実は身 体障害者が主体となっている印象も持つ。

これから4年後の2004年, 「ピーヴォ」 (編集・発行:NHK 厚生文化事業団) の29巻 (2004 年6月発行) でも, 「感動の舞台―アテネ・パラリンピック―」 と題した特集を組んでいる。

2004年アテネパラリンピック競技大会は, 2004年9月17日から28日の12日間にわたって開催さ れた。 約140ケ国から約6000名 (選手4000名, 役員2000名), その内, 日本選手は271名 (選手 163名, 役員108名) が参加し, 19種類の競技 (日本は16競技に参加) が行なわれた。

日本パラリンピック委員会運営委員で冬季パラリンピック・アルペンスキーのメダリスト大

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日方邦子は, 「障害者のリハビリから競技大会へ」 を寄稿している。 パラリンピックの歴史を 簡単に触れた後に, 「選手の競技レベルが上がることで, 障害のある選手の能力の高さ, 挑戦 精神を示すことができる。 しかし, 「競技用の車いすや義足などの用具開発が勝負を決める面 もあり, 先進国と途上国との格差が生まれやすい問題も含んでい」 ると指摘していた。

財団法人日本障害者スポーツ協会常務理事の中島武範は, 「もうすぐパラリンピック」 と題 した記事の中で, 日本でのパラリンピックの語が多くの人から認知されるようになったのは, 1998年の長野パラリンピック (冬季) がテレビ放映され, 「オリンピックとはまた違った感動 を与えたことが大きかった」 ことであったと述べている。 なお, 冬季にパラリンピックが始まっ たのは, 1976年のエルニスケルドスヴィング大会 (スウェーデン) からであり, 長野パラリン ピックは第7回大会となる。 パラリンピック冬季大会における日本人の参加は, 1976年に個人 の資格で2名が参加し, メダルの受賞は1992年のアルベールビル大会 (フランス) からであっ た (高橋, 2004)。

また, 「最近は企業やクラブ等に所属し, 練習する環境を与えられる選手が出てきたことは, パラリンピックに対する日本社会の理解が広まりつつある表れだ」 としている。 回を重ねるご とに競技性が強まっているパラリンピックの現状からの発言であろう。 障害者スポーツに企業 が関心をもつのは, 企業の障害者への配慮や社会貢献 (フィランソロピー) などを通じてイメー ジアップに繋がる可能性からことが背景にあると思われる。

「試練を乗り越えアテネ」 と題したインタビュー記事も載せられている。 大学在学中に骨肉 腫を発病し, 右ひざ下を切断したが陸上競技への参加が決まった女性選手に対して行なわれた ものである。 「パラリンピックというのは最高峰の大会なので, 自分にはまだまだ手が届かな い目標, 「夢」 の舞台だと思っていました」 という。 そして, 参加への努力は 「同じように病 気と闘う仲間の存在や 「復帰したい」 という強い気持が心の支え」 になった。 しかし, 「せっ かくだから楽しんでやらないと」 という感想も述べている。 記事には義足を装着し, 競技に挑 んでいる著者の写真が挿入されていた。

なお, 「2004年アテネパラリンピック競技大会の成果」 (「戸山サンライズ」 第215号, 2004年 10月発行) にも, 「厚生労働大臣表彰」 に関する記事が載せられているが, それにはシドニー パラリンピックのように受賞者個々人の障害区分が記されておらず, 「労働大臣表彰」 のみ肢 体不自由 (水泳1名) 及び視覚障害と (水泳1名, 柔道1名) が記されている。

2000年のシドニー・パラリンピックから2004年アテネパラリンピックの間にこれまでみてき た福祉系雑誌からも, 競技性が強まっていることが感じられる。 さらに, パラリンピックを典 型例に 「障害者スポーツ大会でも急速に 「プロ化」 が進み, スポンサー獲得やメダルの報奨金 を狙い, 競技力アップのためにドーピング行為に手を染めるケースも目立ち始めている」 とい う。 1992年のバロセロナ・パラリンピックの際に初めてドーピング違反が発見され, 2000年の シドニー大会ではそれが11件を数えた。 そこで, 日本障害者スポーツ協会がパラリンピック代 表候補179名にドーピングの書類審査をしたところ3割を超える選手が禁止薬を使用している

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ことが判明したのである。 もっとも, 障害者の治療に用いている薬物がドーピング反応を示す 場合があり, 検査が厳しくなると治療薬の変更が迫られることになる (朝日新聞, 2004年7月 20日付) ことも考えられるという。

また, アテネ・パラリンピックの陸上競技5000メートルと長野パラリンピックのアイススレッ ジスピードレースで日本人で初めて冬, 夏両パラリンピックにおいて金メダルを受賞した土田 和歌子は, 2004年 「朝日スポーツ賞」 も授与された。 その新聞記事には彼女が 「東京都教育庁 を辞め, 01年にプロ宣言し, 8社のスポンサーを持つ」 と紹介されている (朝日新聞, 2005年 1月4日付)。 障害者スポーツが競技スポーツを越え 「プロスポーツ」 に進む予兆のようにみ える。 プロであれば, 経済的な自立も可能であろう。 しかし, 「プロ化」 が進むとスポンサー 獲得やメダル報奨金を狙い, 競技力アップのためにドーピング行為に手を染めるケースも目立 ち始めているという (朝日新聞, 2005年1月4日付)。 もっとも, 健常者主体のオリンピック で活躍した選手の 「商品価値」 も話題に上っている。 トランポリンのようなマイナーなイメー ジがある競技では実業団のバックアップが皆無に近い (朝日新聞, 2005年1月6日付) という。

パラリンピックの動向を中心に障害者スポーツをみていくと, それは出発点のストークス・

マンデビル競技大会以来の身体障害者が中心であることが感じられる。 いわゆる三障害の身体 障害以外の知的, 精神障害者に対するスポーツの歩みとの不揃いは歴然である。 知的障害者の スポーツが本格化するのは, 「国際連合・障害者の10年」 (1983−1992) の最終年の1992年から 開始された 「第1回ゆうあいピック全国大会」 の開催や同年のマドリッド・パラリンピックへ の参加が契機となり 「社会的にも認知され始めたと受け止めている」 とされる (藤村, 1997)。

それ以前は, 特殊学級, 養護学校, 一部の入所施設において断片的に体育行事として行なわれ ていたに過ぎなかった。

このように知的障害者スポーツが遅れた要因は, 社会的に知的障害者への理解, 認識が浅く 関心が乏しかったこと, 家庭や関係者にスポーツに対する可能性やニーズの理解が不十分であっ たこと, 知的障害者にスポーツはなじめないと思われたこと, 療育や就労が優先されたこと等 が指摘されている (藤村, 1996)。 さらに, 身体障害者スポーツの場合と同様に物的 (運動施 設, 設備, 用具等), 人的 (指導者, 同行者等), 経済的 (用具費, 交通費, 参加費の諸経費) 環境が不備であった (藤村, 1997)。 結局, 全国身体障害者スポーツ大会とゆうあいピックが 統合実施されたのは, 上述の1998年に行なわれた厚生事務次官の私的懇談会である 「障害者ス ポーツに関する懇談会」 において提言されたように21世紀最初の年である2001年のことであっ た。

精神障害者スポーツになると知的障害スポーツよりさらに立ち後れた状態である。 そもそも, 精神障害の場合, 身体障害者スポーツの萌芽期の19世紀前半は, 医学的観点からリハビリテー ションを行なうという考えはなく, 「道徳療法」 が試みられた時期である。 すなわち, 「集団レ ベルでの社会正義を確立することと, 個人的レベルで間違いを犯した人を辱めずに 「道徳意識 を励ます」 ことにより治療的雰囲気を創造すること」 にあった (加藤編, 2001)。

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また, 身体障害者へのリハビリテーションとしての運動療法が具体化した19世紀後半には, イギリスのダーウィン (Charles Robert Darwin, 1809−1882) の生物進化論, なかでも 「適 者生存」 「自然選択」 の考えや彼のいとこのゴルトン (Francis Galton, 1822−1911) が提唱 した優生学 (Eugenics) の思想から, 精神障害者は社会的に排除し 「社会防衛」 すべきであ るという風潮が生まれていた。 そこから, 精神障害者に対しては, 他者に危害が及ばないよう に強制器具が使用された頃でもあった。 20世紀に入ってからも, 第二次世界大戦前の精神障害 者への対応は, スポーツよりもたとえば小動物の世話を任せるような 「動物介在療法」 を行な い 「社会的に優しい感情」 を喚起することを期待した程度であった (溝口, 2000)。 21世紀の 今日でも, 精神障害者のスポーツは, 全国規模の障害者スポーツ大会では 「オープン競技」 と して, バレーボールが設けられている程度である。

まとめ

これまでみてきたように, 障害者スポーツは元来19世紀以降, 医学的なリハビリテーション の文脈で身体障害者に対して行なわれてきたものであった。 また, そのリハビリテーションも

「何はともあれまず職業につかせようという意図が先にあり, その目的のために医学的訓練が 必要となった」 (精神保健福祉士養成セミナー編集委員会, 2001) ものであり, その一つにス ポーツが利用されたに過ぎないものであった。 身体障害者が中心であったことは, 1980年代末 までは障害者スポーツとはいわず, 身体障害者スポーツと呼んでいたことからも窺える。

ところで, 統計によれば, 知的障害者約33万人, 身体障害者325万人, 受診中の精神障害者 約204万人である (厚生統計協会編, 2003)。 障害者の中でも, 最多の身体障害者で18歳以上の 在宅者の内訳をみると, 肢体不自由者 (53.9%), 内部障害者 (26.2%), 聴覚言語障害者 (10.7

%), 視覚障害者 (9.3%) という (高橋, 2004)。 ここから, 実数上最多の障害者数を占める 身体障害者でかつ肢体不自由者からスポーツが取り入れられるようになったことが窺われる。

それが, 「「障害者」 とは, 身体障害, 知的障害叉は精神障害があるため, 長期にわたり日常 生活叉は社会生活に相当な制限を受ける者」 と定義された1993年の 「障害者基本法」 制定の頃, いわゆる身体, 知的, 精神の三障害者に適応範囲が拡がり, 「身体」 に限定せず障害者スポー ツと呼ばれるようになった。 そしてその意味するところも, 内容も多様になった, あるいは必 然的に多様にならざるを得なかったということになろう。 文献からまとめると, 障害者スポー ツの捉え方として, リハビリテーション, 競技スポーツ, 社会参加, 生涯スポーツの大きく4 つに分けられると思われる。

また, 障害者スポーツの社会的関心は1964年の東京オリンピックの直後に開催されたパラリ ンピックが発端となり, 1998年の長野パラリンピック (冬季) の様子が放映されたことから急 速に高まったといわれる。 それは, また障害者スポーツが競技スポーツとしての色彩を強める 契機ともなった。

そこで新たな課題として, 試合の公平性や多くの障害者に参加への途を開くための障害のク

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ラス分けをどのような合理的な基準から行なえば妥当かなどの問題が生じてきている。 そもそ も障害のある人は障害のない人以上に運動不足になりやすいといわれる。 そして, 障害者の中 で日常的にスポーツに取り組んでいる割合がせいぜい5%程度であることなどが浮上している というのが実態である (犬飼, 2000)。 それが障害者スポーツで, 強さ, スピード, 激しさを 追求すればするほど相対的に重度の障害のある人は競技スポーツから排除されざるを得ないの である (藤田, 2000)。 しかし, ここから障害があるスポーツ選手の 「商品価値」 が生まれ, 企業のバックアップやプロ化への道が拡がるのである。

一方, 障害者スポーツが競技スポーツへ向かう動きが顕著とはいえ, 障害者のスポーツセン ターの利用目的は, 機能訓練のため (29%), 健康の維持・増進のため (25%), 文化活動や話 し相手を求めて (22%), レクリエーションとして (17%) であり, レクリエーションとして 楽しむためが増加しているという。 スポーツに上達するためを目的とするは7%程である (高 橋, 2004)。 このことはパラリンピック出場とまでいわなくとも全国障害者スポーツ大会参加 でも多くの障害者とは自身に身近なものではないことを示すものであろう。 健常者にとっての オリンピックや国民体育大会への出場と同様である。

さらに, 競技スポーツでは競技用具の性能に勝敗・記録が依存してしまうことがしばしばで あることが, 指摘されている。 そうであれば, 科学技術が進展している先進工業国と発展途上 国, あるいはこのような用具を製造しているメーカーとタイアップしている者とそうでない者 とは競技を始める前から 「勝負」 がついているともいえる。 これが好ましい状態とは思えない が, 障害者スポーツが真に当事者の意向をどこまで反映しているのか 「両刃の剣」 の感がある。

しかし, それは障害者スポーツが社会的存在を確保するための一側面であるとも思われる。

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参照

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