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地域社会の文化遺産から探るイスラーム陶器の文化 的変遷

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地域社会の文化遺産から探るイスラーム陶器の文化 的変遷

著者 佐々木 達夫, 佐々木 花江

雑誌名 平成19年度科学研究費補助金 基盤研究(B) 研究成 果報告書

2004‑2007

ページ 71p.

発行年 2008‑03‑01

URL http://doi.org/10.24517/00034722

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

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アにおける中国や韓国、日本の陶磁器研究と同様に重要な研究分野であり、比較研究によってアジ ア物質文化史の理解が深まる。佐々木は1980年代前半に中国陶磁器の研究で文学博士を取得し、そ の後は西アジアと東アジアの物による文化交流の歴史を探る研究を進めた。今回のイスラーム陶器 研究は、東アジアと西アジアでそれぞれに展開してきた遺跡発掘とその出土品の包括的研究の主要

な部分を占め、ペルシア湾岸遺跡出士品の包括的研究プロジェクトとなる。

従 来 の 研 究 経 過 ・ 研 究 成 果 、 準 備 状 況 等

本研究課題を達成するための基礎となった関連助成研究は次のようである。

今回の研究目的を達成するための基礎となる関連した研究課題を次に挙げる。

科学研究費海外学術調査、1980.1982.1984年、「エジプト・フスタート遺跡の発掘調査」(研究 代表者・早稲田大学文学部教授・桜井清彦)の研究分担者。イスラーム都市遺跡を発掘すること、

出土した中国陶磁器とイスラーム陶器を資料として海上交通を通した東西文明交流史が課題であっ た。遺跡発掘の結果、大量の陶磁器が出土し、それらは中国陶磁器の年代から9〜14世紀と判断で きた。イスラーム陶器はエジプト陶器が9割を占めて、ペルシア湾からの輸入は少なかった。

科学研究費国際学術調査、1987.1988・1989年、「アラビア海における中国陶磁貿易の考古学調査」

(研究代表者・佐々木達夫)。研究経費計17,500千円。ペルシア湾を含めたアラビア海沿岸の遺跡か ら出土する中国陶磁器を収集・研究すること、併せて同じ遺跡から出土するイスラーム陶器と関連 を探ることが目的であった。今回プロジェクトの基礎となる研究であった。インド・モルディブ、

スリランカ・バハレン・アラブ首長国連邦・オマーン・イエメンのイスラーム遺跡を踏査し、アラ ブ首長国連邦ジュルファール遺跡、バハレン国アーリ遺跡でそれぞれ2回ずつ発掘調査を実施した。

出土した中国陶磁器とイスラーム陶器の組み合わせ実態を研究する資料が蓄積した。

科学研究費国際学術調査、1993.1994.1995年、「アラブ首長国連邦ジユルフアール遺跡の発掘」

(研究代表者・佐々木達夫)。研究経費計15,000千円。アラブ首長国連邦の中世都市遺跡ジュルフ ァール遺跡を発掘調査し、海上交通史を考える。7層の生活層に伴う住居跡、それに対応する多数 の陶磁器片を入手し、中世ペルシア湾貿易史の具体的様相を明らかにした。発掘面積は広くないが、

研究成果の点では世界トップクラスの発掘と評価されている。イスラーム陶器研究の資料も増加し、

ジ ュ ル フ ァ ー ル 遺 跡 は 世 界 的 に 見 て も イ ス ラ ー ム 陶 器 研 究 の 最 適 地 の 一 つ と な っ た 。

文部科学省科学研究費基盤研究(B)(2)海外学術調査、2000.2001.2002.2003年、「ペルシア湾 と紅海の都市遺跡比較から見る古代海上貿易史研究」(研究代表者・佐々木達夫)。研究経費計15,200 千円。古代中世の都市遺跡を比較することによって、地域間の海上貿易による交流を探る。都市遺 跡の平面的特徴と建築素材比較、出土した陶磁器の組み合わせを中心に、海上貿易の果たした役害'l を具体的に究明した。ペルシア湾と紅海を結ぶオマーン湾岸の都市遺跡の発掘調査も数カ所で実施

し、交流を示す陶磁器を資料化している。この調査でもイスラーム陶器の蓄積がかなり進展した。

今回の研究は佐々木が以前に発掘した陶磁器や踏査で採集した陶磁器が研究資料の核となる。イ スラーム陶器研究で欧米人研究者と異なり、遺跡出土品を核にするという研究方法は、アラビア半 島各国政府や現地博物館に期待され、研究成果のみならず文化財の保存修復や展示公開にたいする 国際的協力でも成果を挙げた。

中近東文化センター・出光美術館によるエジプト都市遺跡発掘に分担者として参加。1985年「フ スタート遺跡の発掘調査」(代表・三上次男)、1986年「ツール遺跡の発掘調査」(代表・三上次男)。

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佐々木達夫、ウマイア・アツバス朝のアラビア湾岸住居『住の考古学』同成社,244‑257,1997 佐々木達夫、湾岸の交易都市『第4回西アジア発掘調査報告会」古代オリエント博物館36‑37,1997 佐々木達夫、湾岸の交易都市遺跡の調査(1995年)『平成7年度西アジア史研究のデータベー

ス化に関する総合的研究』クバプロ,45‑52,1997

佐々木達夫,佐々木花江、1995ExcavationsatJaziratal‑Hulayla,Rasal‑Khaimah,Bulletinof

Archaeology,TheUniversityofKanazawa,23:37‑178,1996

佐々木達夫,大瀧敏夫,波頭桂、UmayyadandAbbasidfindsfromthel994ExcavationsatJazirat al‑Hulayla,TheUniversityofKanazawa,23:179‑222,1996

佐々木達夫,大瀧敏夫,波頭桂、サマラの陶器(3)『金沢大学考古学紀要」23:223‑247,1996 佐々木達夫、ラツスルハイマ・ハレイラ遺跡の発掘調査『UAE」22:19‑21,1996

佐々木達夫、湾岸の交易都市遺跡の調査‑1994年一『平成6年度西アジア史研究のデータベー ス化に関する総合的研究」クバプロ,52‑58,1996

Sasaki,T.,TechnicalstudiesontheceramicsfromthearchaeologicalsitesinWestAsia, Shanghairesearchsocietyofscienceandtechnologyofancientceramics,267‑273,1995 佐々木達夫、物が語るインド洋の交流『文明と環境10巻海と文明」朝倉書店,109‑130,1995 佐々木達夫,佐々木花江、1994ExcavationsatJaziratal‑Hulayla,TheUniversityofKanazawa,

22:1‑74,1995

佐々木達夫、1911‑1913年発掘のサマラ出土陶磁器分類『金沢大学考古学紀要』22:75‑165,1995 佐々木達夫,山崎一雄,二宮修治,佐々木花江、タイ・ラムポー出土陶磁器の産地研究『金沢大学考古

学紀要』22:166‑185,1995

佐々木達夫,佐々木花江、イエメン・ヘィリッジ出土陶磁器の科学的研究『金沢大学考古学紀要」

22:186‑200,1995

佐々木達夫,大瀧敏夫,波頭桂、サマラの陶器(2)『金沢大学考古学紀要』22:201‑236,1995 佐々木達夫、海の道『アジアの古代文明を探る−歴史と水の流れ一』クバプロ,96‑107,1995 佐々木花江、佐々木達夫、ペルシア湾岸出土の中国銭『出土銭貨』9:112‑116,1998

シ ン ジ ョ ン ・ シ ン プ ソ ン

St.JohnSimpson(大英博物館中近東部長)

6FromMesopotamiatoMerv:reconstructingpatternsofconsumptioninSasanianhousehold3,C"伽γe

/〃o"gルO〃ecrs.・4"cie"/NeαγEqs〃〃S"αjesi""ひ"o"γQMR.S.Moo7ey(Potts,T.,RoafM.&Stein,

,.,eds),347‑75,Oxfbrd:Griffithlnstitute、2003.

6Sasanianbeads:theevidenceofart,textsandarchaeology',0Jwαme"応/加加/ルePQsr.・Beαα醜"iesq/ie"

Beck(GIover,I.C,Hughes‑Brock,H.&Henderson,J.,eds),59‑78,London/Bangkok:TheBeadStudy

Trust,2003.

6Otherrecordedsite3,44"cie"/Se"/e碗e"/加r/ieZammq"Regio".・Excqvα加"shyrルeB""s〃

〃c〃αeo/ogicα/EXpec//肋〃/Oかα9伽//ieSα〃ロ加Dα碗Sα/vQgePrq/ec/,"85‑86,J'b/"碗eO"e(Ball,W、,

ed.),pp.170‑179,Oxfbrd:BARInternationalSerieslO96,2003.

Q"ee"qjS/ie6q:乃e"res伽"'α"cie"rYemen(Simpson,StJ.,ed.),London:BMP2002.

サ バ ・ ヤ シ ム

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れ、一方でイランの各地から集められた陶器がヨーロッパの博物館に収められて研究資料となった。

2 0 世 紀 後 半 に イ ギ リ ス 人 に よ り イ ス ラ ー ム 陶 器 概 説 本 が 書 か れ 、 現 在 ま で 定 説 と な っ て い る 。 し か し、遺跡出土品にはさまざまなものがあり、考古学の研究成果を使用したイスラーム陶器の論文と 実態に基づく概説本が必要である。

こ う し た 研 究 状 況 を 背 景 に 、 今 年 度 は 地 域 社 会 の な か で 遺 跡 出 士 の イ ス ラ ー ム 陶 器 を 研 究 す る こ とを目的に、フジェイラ町跡とコールファッカン町跡の2カ所の発掘を実施した。フジェイラ町跡 は18〜19世紀のイスラーム陶器が出土し、地方農村のイスラーム陶器の使用状況と出土品の実態を 明らかにできた。コールフアッカンは14〜15世紀の港町跡を発掘し、中国陶磁器や東南アジアの陶 磁 器 と と も に 出 士 す る イ ス ラ ー ム 陶 器 を 資 料 化 し た 。

以 前 に 発 掘 し た ジ ュ ル フ ァ ー ル 遺 跡 の 性 格 を 港 町 と し て と ら え る 研 究 を 行 い 、 大 量 に 出 土 し た 1 4 1 5 世 紀 の イ ス ラ ー ム 陶 器 の 整 理 を 継 続 し て い る 。 白 濁 釉 陶 器 に つ い て は 整 理 が 完 了 し た 。 ル リ ー ヤ砦出土のイスラーム陶器については、13世紀末の基準資料となることを提示した。これらの研究 成果は学会発表を中心に公表しているが、それらは西アジア考古学会誌に掲載する予定で、投稿中 の 論 文 も い く つ か あ る 。

(平成17年度)研究実績概要

平成17年度に実施した研究は、平成16年度の継続が中心である。とくに今年度は佐々木がす でに発掘調査した遺跡出土イスラーム陶器のうち、シャルジャ国立博物館、フジェイラ国立博物館 に保管されたものを重点的に研究した。研究方法は博物館倉庫内に積み上げた資料から今回の研究 に使う陶器を抽出し、それらを撮影、実測、記述し、さらに関連資料について、他の博物館の調査 を行った。博物館内での作業が中心となったが、新たな遺跡踏査も現地情報を得ながら実施した。

9世紀から18世紀に至るイスラーム陶器の変遷資料をコンピュータ内に並べ、これまで継続して きた科学的分析や文様研究も日本国内で併せて実施した。こうした資料をもとに型式分類による第 1次仮説的編年表の仮作成が進んでいる。同時に細部にわたる小さな問題点を取り上げた論文をい くつか作成した。年代研究は同時出土の中国陶磁器との比較研究に依るところが大きく、中国国内 の竜泉窯跡出土品の調査も実施した。イスラーム陶器の年代と産地研究が進んでいる。欧米博物館 に保管されている関連陶器資料の調査も実施した。

(平成18年度)研究実績概要

平成18年度の研究は平成17年度に実施した研究の継続が中心である。国外ではマサフイ砦、

デイバ町跡、コールファッカン町跡を発掘した。第5次調査となるコールファッカン港町遺跡では イスラーム陶器と中国・ミャンマー陶磁器が建物室内及び水タンクから出土し、イスラーム陶器の 編年研究に良好な資料を提供した。

国内研究会でいくつかの成果を発表した。「ヘレニズム〜イスラーム考古学研究会」ではハレイラ 島出土の青釉陶器の編年的問題を提起し、ササン・ウマイア朝時代の陶器編年を検討した。「オリエ ント学会」ではアッバース朝と唐代の陶磁器の技術的交流の実態を具体的な陶器を示して提起した。

「西アジア考古学会」ではマサフイ砦から出土した近世陶磁器の世界的な広がりを紹介した。それ らの資料を含めて愛知県陶磁資料館「ペルシアのやきもの展」で開催したシンポジウムで、イスラ

ー ム 陶 器 の 問 題 点 と 研 究 成 果 を ま と め た 。

今年度に論文となった成果。「オマーン湾岸北部地域の遺跡出土陶磁器」(「金沢大学文学部論集史 学・考古学・地理学篇』27,203‑282)は、これまで調査した遺跡出土の陶磁器のうち、オマーン湾 岸の資料を整理し報告した。「西アジアに輸出された14〜15世紀の東南アジア陶磁器」(『地域の多

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イスラーム陶器の文化。技術的変遷

佐 々 木 達 夫

1.西アジアの陶磁とは

西 ア ジ ア や 中 央 ア ジ ア 、 北 ア フ リ カ も 、 焼 き 物 の 歴 史 は 長 い 。 世 界 最 初 の 施 釉 陶 器 誕 生 地 は 北 ア フ リ カ あ る い は 西 ア ジ ア と い わ れ 、 西 ア ジ ア で 施 釉 陶 器 は 発 展 を 遂 げ た 。 青 釉 と 多 彩 釉 の ア ル カ リ 釉 で 、 軟 質 素 地 の 陶 器 が 西 ア ジ ア の 特 徴 で あ る 。

地 域 名 を と っ て ペ ル シ ア 陶 器 、 シ リ ア 陶 器 、 ト ル コ 陶 器 、 エ ジ プ ト 陶 器 、 あ る い は 王 朝 名 や 時 代 名 を と っ て ア ッ バ ー ス 朝 陶 器 、 セ ル ジ ュ ー ク 朝 陶 器 、 ビ ザ ン ツ 陶 器 な ど と 呼 ば れ る 。 日 本 で は ペ ル シ ア 陶 器 あ る い は イ ス ラ ー ム 陶 器 、 欧 米 で も イ ス ラ ー ム 陶 器 と 呼 ば れ 、 色 鮮 や か な 文 様 に 富 む 陶 器 で 美 術 的 な 評 価 が 高 い 。 西 ア ジ ア 地 域 を 中 心 に 発 展 し た 陶 磁 器 の 時 代 的 な 特 徴 や 地 域 的 な 違 い 、 他 世 界 と の 技 術 や 文 様 の 交 流 、 器 形 の 模 倣 な ど か ら 、 人 々 の 生 活 、 地 域 間 の 交 流 を 探 る 考 古 学 資 料 と

しても重要である。

地 域 伝 統 と 周 辺 地 域 の 交 流 の な か か ら 、 8 〜 9 世 紀 に 新 た な 種 類 の 施 釉 陶 器 が メ ソ ポ タ ミ ア で 生 ま れ 、 以 後 西 ア ジ ア 全 体 に 広 が り 、 イ ス ラ ー ム 陶 器 と 総 称 さ れ る 。 そ れ ら は 東 ア ジ ア 陶 磁 全 体 と 対 比 で き る 陶 器 で あ る 。 時 代 に よ る 装 飾 技 法 の 変 遷 も み ご と だ が 、 細 か く 見 れ ば 、 各 地 独 自 の 色 合 い や文様に特色がある。東アジアや周辺地域との盛んな交流で器形や文様が変化することにも興味を 惹かれる。

豊 富 な 色 彩 、 多 彩 な デ ザ イ ン 、 巧 み な 文 様 の 組 み 合 わ せ は 、 他 の 地 域 の 陶 器 に は 類 を み な い ほ ど で あ る 。 西 ア ジ ア と 東 ア ジ ア で は 素 材 と な る 素 地 の 粘 土 ( 坏 土 ) が 違 う 。 西 ア ジ ア の 粘 土 は ナ ト リ

ウム、カリウム、マグネシウムなどを多く含む。そのため、高火度に耐えられず、釉も低火度釉と な る 。 低 火 度 釉 は 金 属 酸 化 物 に よ る 呈 色 が し や す く 、 鮮 や か な 色 彩 に 発 色 す る 。

こうした自然的・技術的な制約の下に、王侯貴族や富裕都市民に保護され、イスラーム陶器は発 達した。宗教的用途の器には人物・動物文が禁じられ、許された範囲内で変化を求めたことが、色 彩 と デ ザ イ ン の 華 や か さ を 生 む こ と に も な っ た 。

陶工は宮廷のパトロンに呼ばれ、また材料のある場所を求め、繁栄する都市に移動し、技術者と 技術の移動が盛んだった。長距離を移動する隊商貿易で運ばれる陶器は各地で模倣され、広いイス ラーム世界に類似性と統一性さえ生み出すこととなった。イスラーム陶器は西アジアで花開いた豊 富な色彩と文様に飾られた生活に根ざした工芸美術である。

2 西 ア ジ ア 陶 器 ・ イ ス ラ ー ム 陶 器 の 歴 史 概 観

イスラーム陶器とは、七世紀以降に西アジア、中央アジア、エジプト、北アフリカを中心とする イスラーム圏(主に西アジアや中近東と呼ばれる地域)で焼かれた陶器をさす。

オリエントは、世界最古の施釉陶器が発達した地域である。エジプトで前四千年紀末に青色のア ルカリ釉をかけた小さな陶製品が生まれた。前二千年紀中頃に、青釉下に黒褐色でナイルの蓮と烏 をあしらった皿等の彩画陶器が作られた。エジプトの施釉技術はシリア、メソポタミアを経て東方 の地域に伝えられ、前一千年紀にイラン高原でも施釉陶器が作られる。レザイエ湖南のジヴイエで 発見された大量の彩釉陶器は、紀元前九世紀から八世紀の作品例を示す。青釉の地に黄釉で彩文し

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イ ス ラ ー ム 多 彩 釉 刻 線 文 陶 器 の 技 法 を イ タ リ ア に 伝 え る 役 割 を 果 た し た 。 一 三 世 紀 か ら 一 四 世 紀 の 陶器工房跡がギリシア北部のセレスで発見され、多彩釉刻線文陶器の廃品や棒状ツク等の窯道具が 出土した。

エジプトでも九世紀後半のトウールーン朝に、コプト・ビザンツの伝統を継ぐ緑釉・褐釉陶器、

多 彩 釉 陶 器 と 、 メ ソ ポ タ ミ ア の 影 響 を 受 け た 白 釉 陶 器 や ラ ス タ ー 彩 陶 器 が 作 ら れ た 。 多 彩 釉 の フ ァ イユーム陶器、中国の青磁や白磁の関連もみられるファーティマ朝陶器やアイユーブ朝陶器、鉛釉 多彩釉刻線文のマムルーク朝陶器も独特の器形の陶器を作る。金属器写しの器形も多い。

セルジューク朝陶器

11世紀後半から12世紀前半に栄えたセルジュック朝時代は製陶技術が飛躍的に進歩し、素地 や釉、器形や装飾技法、デザインに大きな変化が現れる。素地は耐火度と可塑性の強い白系統の複 合土が用いられるようになる。それまでは素地から離れやすかったアルカリ釉も複合土素地には恩│|

染み、絵付のイスラーム陶器釉も以前の鉛釉のように流れることもなく、白下地も不要となった。

器形も複雑になり、成形も巧みで端正な形となる。デザインはパルメットやアーカンサス、葡萄の ような植物文が連続したイスラーム文(唐草やアラベスク)になる。動物文、植物文、幾何文も併 用 さ れ 、 偶 像 禁 止 の イ ス ラ ー ム 教 義 の た め に 少 な か っ た 人 物 文 も 、 宗 教 的 な 用 途 以 外 に は 盛 ん に 用 いられた。

カーシャーン、レイなどが陶器の中心地で、一○色もの色彩を用いた色絵陶器には、繊細な筆致 で叙事詩や叙情詩に歌われた物語絵を描く。ほかにも、中国宋青磁や白磁の輸入と関連する碧青釉 や藍釉、白釉の陶器をはじめとして、七宝的な手法のラカピ陶器、影絵のような青釉掻落文陶器、

きらめくラスター彩陶器、白地に藍・青釉で文様を描いた白釉藍・青彩陶器も作られた。

な お 、 マ ザ ン デ ラ ン 地 方 の ア ー モ ル で は 白 地 彩 画 陶 器 や 緑 彩 刻 線 文 陶 器 、 ク ル デ ィ ス タ ー ン の ガ ルス地方では掻き落とし文陶器(ガブリ手)、カスピ海西南のアグカンドでは鉛釉の彩画刻線文陶器 が 作 ら れ た と い わ れ 、 ま だ ア ッ バ ー ス 朝 陶 器 の 伝 統 が 生 き 続 け る 。

イ ル ハ ー ン 朝 陶 器

13世紀中頃、イスラーム世界の都市は蒙古によって荒廃したが、イル汗国建設後は中国陶磁の 影響を受け、再び陶器生産が盛んになる。色絵陶器はミナイ手から青藍地色絵陶器(ラジュバルデ ィナ手)に変わり、生地は青藍釉が好まれ、色彩は紅朱・白・黒・金彩と減少する。青釉や白釉の 彩画陶器はなお作り続けられ、黒彩上を青緑釉や碧青釉で覆う釉下彩画陶器がスルタナバードなど で生まれる。さらに白釉上を藍彩と黄緑色の細線で描く白釉彩画陶器、白土のデザイン上を黒・藍、

黄緑で描き、淡青釉か青白釉をかける青釉白盛上文陶器など、多彩な種類がみられる。

テ ィ ム ー ル 朝 陶 器

15世紀に中央アジア、イラン、イラクを支配したテイムール朝はイルハーン朝の伝統を継ぎ、

中国染付文様の影響を受け、施釉タイル建築も壮麗をきわめた。一四世紀後半に工芸技術者をダマ スカスからサマルカンドに呼び、陶器生産の中心にし、ニーシヤープール、マシュハド、タブリー ズ等の大都市も生産拠点となった。中国明代染付の影響を受け、白色ストンペイスト素地上に藍色 で彩画し、透明釉をかけた透明釉下藍彩陶器が流行する。この時代の釉は透明釉と青釉が主となる。

ストンペイスト素地の他に黄色素地も用いた。透明釉下藍彩陶器のほかに透明釉下藍黒彩陶器、透

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す る 文 様 が 描 か れ 、 ラ ス タ ー も 描 か れ る 。 イ ス ラ ー ム 陶 器 の 基 本 釉 に な る 白 釉 は 、 前 時 代 の 伝 統 を 引 き 継 い で い た の か 、 中 国 の 白 磁 の 影 響 で 生 ま れ た の か 。 白 釉 は 酸 化 錫 に よ る 発 色 に 限 ら れ る の か、他の材料もあったのか。地域的な違いがあったか。生まれた年代はいつか。青彩、緑彩は地域 の伝統や中国に系譜がたどれるか、否か。あるいは中国に影響を与えたか。こうしたことが問題に なる。

佐 々 木 説 。 地 域 の 伝 統 の 中 か ら 不 透 明 白 釉 は 発 展 し た 。 中 国 の 白 磁 の 影 響 で 、 9 世 紀 前 半 に 白 釉 陶器は器形を変えた。初めは厚く不透明釉をかけたものが多い。一部の碗にコバルト彩が施される が、同時に太い線で粗くコバルト彩と類似した文様を描いたラスターもわずかにある。10世紀に白 釉はしだいに透明感のある釉に変化し、美術書によく載るラスターが登場する。主要な産地はメソ ポタミア南部である。

種 類 ク リ ー ム 黄 色 素 地 が 多 い が 、 砂 混 じ り 素 地 、 さ ら に 粗 雑 な 素 地 も 少 し あ る 。 産 地 が い く つ か あ る こ と を 示 し て い る 。

器 形 碗 が 多 い 。 壺 、 瓶 。

サ マ ラ 出 土 品 の 実 測 図 は 金 沢 大 学 考 古 学 紀 要 に 掲 載 し た 。 産 地

ホ ワ イ ト ハ ウ ス の 考 え 。 佐 々 木 の 考 え 。 メ ソ ポ タ ミ ア で あ る 。 メ イ ソ ン の 考 え 、 い い も の は バ ス ラで、簡単なものはその他の地域でも作られる。

素地と釉の化学Chemical分析、岩石分類Petrographic分析

白 釉 は 鉛 釉 で 発 色 は 錫 か 、 す な わ ち 錫 釉 か 。 ホ ワ イ ト ハ ウ ス は 錫 釉 と そ う で な い も の が あ る と い ,(Whitehouse,D.,1978)。山崎一雄の分析では錫釉と錫のない釉がある。Fabricandglazesofsome sherdswereanalizedandreportedbyFrederickMatson(Matson,F.1943),RobertB.Mason (Mason,R.B.andKeall,E.J.1988),andJessica

Rawson(Rawson,J.,Tite,M.andHughes,M.J.,1987・88).

イ ラ ク の 白 釉 は 錫 釉 が 主 体 と な る が 、 イ ラ ン の 白 釉 は 錫 釉 が 少 な い の で は な い か 。 イ ラ ク は 9 − 1 0 世紀が主となり、イランは13‑14世紀か。ただし、9−10世紀にも、イランなどでイラクの模倣品 が 作 ら れ た ろ う 。 錫 は メ ソ ポ タ ミ ア に な い か ら 、 シ リ ア か ら 運 ん だ と い わ れ る 。 ま た 、 中 近 東 に は 錫鉱床がないから、ビルマやマレーシアから運んだとJ.W.Allanは1991年刊の概説に書いている。

ま た 、 鉛 の 含 ま れ る も の と 、 含 ま れ な い 釉 が あ る 。

鉛釉は、鉛だけなら透明になるが、錫が入ると白濁する。白濁していて錫が発見されない白釉と は何か。この点に関して、キールとメイソンは、岩石分類分析から、石英と長石の粒、および釉中 の泡によって釉が白濁したものがあるという(Iran,1991の52頁)。また、この効果はパルテイア や サ サ ン の 白 釉 陶 器 に も 見 ら れ る と い う 。

低 温 度 焼 成 で あ る こ と が 大 き な 理 由 に な る の で あ ろ う 。 そ の た め 、 釉 内 に 溶 け き ら な い 石 英 と 長 石の粒が比較的多く残り、泡も釉内に閉じこもる状態になり、白濁するのだろう。佐々木が10世 紀と推定する新しくなる白釉陶器は、透明性が増しているが、これは焼成温度が高くなり、石英や 長 石 が 溶 け て ガ ラ ス 質 に な る か ら で あ ろ う 。

技 術

地 域 の 伝 統 、 変 化 の 段 階

中国陶磁器の影響(形、文様、細部の特徴)。口縁部を円弧状にコバルトで塗った文様は、同じ時 期に輸入された中国長沙窯の碗の文様に類似している。中国では碗底部を手に持って釉掛けしたが、

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に半円形に石を並べ、内部に三角形に小石を置く。半円形はミヒラブの代わり、三角形はマッカ方 角目印のキブラと思われ、砦内の礼拝所と推定される。礼拝所に接する斜面下方に多くの穴が岩盤 に穿たれる。数個が並んで組になるものがあり、柱穴跡である。砦内の狭い範囲が異なる目的の施 設に使用された状態がわかる。

出土品の種類とイスラーム陶器出土比率

1994年、1997年採集品は今回の検討から省く。2000年の第1次発掘調査時に砦が築かれた小丘 急斜面の岩面上で徹底した遺物採集を行い、陶磁器片、石製品、ガラス片、その他の少量であるが さ ま ざ ま な 物 が 発 見 さ れ た 。 無 釉 の 土 器 片 が 細 か に 割 れ て 地 表 面 に 落 ち て お り 、 破 片 の 総 量 は 338.7kgであった。土器に次いで数が多い表面採集品は施釉陶磁器で、多くはイランから運ばれた がイエメン陶器も見られた。重量のある石製品は播石と回転播石の2種類があり、点数は十数点ほ どである。中国陶磁器も発見された。ガラス容器片やガラス・バングル、及び小さな装飾品等も採 集できた。魚骨、烏骨、動物骨、貝殼もかなりの量を採集し、種類鑑定もした。これらの採集品の 年代と砦の使用年代は、採集された中国陶磁器から推定できる。青磁と白磁は13世紀後半ないし末 から14世紀初頭という限られた時期に属し、大部分が13世紀第4四半期に生産されたものである。

採集品は居住した人々の食生活や日常生活等を復元する資料となる。第1.2次発掘調査の発掘区 画内から出士した遺物は、砦斜面表面採集品の約半分ほどの量で少ない。出土品の種類や組み合わ せ傾向は表面採集品とほぼ同じである。堆積土の上層から下層まで、どの地点でも魚骨、動物骨、

烏骨、貝殼が出土する。土器片もどの層からも出土する。施釉陶器は土器よりも少ない。ガラス・

バ ン グ ル も 各 地 点 か ら 発 見 さ れ る 。 し か し 、 ビ ー ズ な ど は 発 見 さ れ る 点 数 は 少 な い 。 出 土 状 況 は 階 段上部の石段面を例に挙げると、面上にlOcmから15cmほど堆積土があり、石段面に緑釉陶器碗や 中 国 青 磁 蓮 弁 文 碗 、 コ バ ル ト 青 色 ガ ラ ス ・ バ ン グ ル 、 蛤 、 帆 立 な ど の 貝 殻 、 魚 や 動 物 の 骨 が 発 見 さ れた。どの地点でも同様に遺物が堆積土中から出土している。

施釉陶磁器は釉の種類、素地、装飾によって分類した。出土量はイスラーム青釉陶器及び緑釉陶 器が最多である。青釉陶器のいくつかは釉下に黒色の装飾が描かれる。黄釉陶器及び黄釉下黒彩文 陶 器 は 青 ・ 緑 釉 陶 器 に 次 い で 多 い 。 中 国 陶 磁 器 の 数 量 は イ ス ラ ー ム 陶 器 よ り か な り 少 な い が 、 希 な ものでもない。土器あるいは無釉土器は廃棄量がもっとも多い。陶磁器は種類と素地ごとに分類し、

器種ごとに口縁部、胴部、底部に分け、それらの項目ごとの破片数と重さを計測し、表1に示した。

中 国 陶 磁 器

本稿の研究目的はイスラーム陶器であるが、その年代決定は中国陶磁器に依拠しているので概略 を述べる。本稿で図写真を掲載するスペースはないが、第1次発掘で出土した中国陶磁器の一部は 発表している[Sasaki2001,佐々木&佐々木2000]・中国陶磁器は出土した陶磁器のなかで重量が 0.41%を占める。土器を除いた施釉陶磁器のなかでは中国陶磁器が占める重量割合は5.44%である。

染付や色絵はなく、青磁、白磁、褐釉の3種類である。青磁は碗鉢、白磁は合子が主で碗瓶もあり、

褐釉は壺のみである。青磁は13世紀後半から14世紀前半、とくに13世紀末14世紀初の生産年代 が推定できる碗と鉢が大半を占める。外面に鎬蓮弁文が施される破片が多い。多くが貿易品として 世界各地で出土する種類の竜泉窯製品である。他に年代不明であった他産地の灰色青磁(灰釉陶器)

があり、遺跡から共に出土した竜泉窯青磁から年代推定が可能となった。青磁は碗が1194g、盤が 254gであり、碗が盤の数十倍の個数であったことがわかる。青磁は白磁の約7倍の量が出土してい

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のなかで0.03%ときわめて珍しいものである。数少ない珍奇な品、美しい色彩の品である。色絵陶 器は白色素地であり、コバルト青色、褐色、黒色の上絵装飾がある。

補修孔のある施釉陶器片(図9)もある。黄釉陶器、黄釉刻線文陶器、緑釉陶器の3片のみを示 したが、いずれも孔に鉄を通して割れた破片を固定している。当時の補修技術を示している。

イスラーム施釉陶器で轆轤成形の際の痕跡が見えるものは、いずれも成形が轆轤左回転である。

底部の高台削り痕が見えるものは、いずれも轆轤左回転で高台を作りだしている。

イ ス ラ ー ム 無 釉 土 器

土 器 の 出 土 量 は も っ と も 多 い が 、 本 稿 に 図 写 真 を 掲 載 す る ス ペ ー ス は な い 。 施 釉 し な い 土 器 は 多 くが壺や瓶であり、砦外の斜面上で採集された。表面採集土器の重さは324.9kgである。そのうち、

胴部片は229.65kgであり、これには彩文のある胴部片1.35kgを含む。底部片は48.0kgである。把 手部分の破片は31.20kgで、彩文のある破片0.15kgを含む。口縁部片は16.05kgであり、これには 彩文のある破片0.05kgを含む。陶磁器全体のなかで92.05%の重量を占める。型製土器は黄色素地 で 瓶 が あ る 。 刻 線 文 土 器 は 黄 色 素 地 、 細 質 紅 色 素 地 、 細 質 紅 赤 色 素 地 が あ る 。 表 面 白 色 で 細 質 紅 赤 色素地の刻線文土器もある。赤色彩文土器には表面白色スリップで粗質赤/黒色素地、表面黒色で粗 質赤色素地がある。土器の多くは淡紅色素地、淡紅赤色素地、紅色素地、粗質赤色素地、粗質赤/

灰色素地、粗質赤/黒色素地、黄色素地、粗質黄色素地、粗質緑黄色素地、黄白色素地などである。

黄白色素地の土器はフィルター付瓶のみであり、他の土器と異なる産地と推定できる。

出土したイスラーム陶器の特徴

イスラーム陶器の年代研究は遺跡との関係及び同じ層位出土品の組み合わせが重要であり[佐々木 2002a]、遺跡出土品は貿易を考える資料でもある[佐々木2002b]・ルリーヤ砦は短期間に1軒の家に居住 した家族の使用品と推定できるため、年代研究の資料として価値がある。出土した中国陶磁器の年代が13 世紀末から14世紀初にほぼ収まることから、同時に出土したイスラーム陶器の年代も同じ頃と推定できる。こ の時期のイスラーム陶器年代研究に寄与すると同時に、砦内で生活用品として使用した産地の異なるイスラ ーム陶器の組合せ、及び遠隔地貿易品の占める割合等が研究成果と評価できる。筆者はアラビア半島の 当該地域で海上貿易研究を目的としてハレイラ遺跡やジュルファール遺跡等を発掘調査し、周辺の遺跡調 査も加えると5世紀から19世紀にかけての研究資料を得ていたが、ll世紀から14世紀初にかけての適切 な遺跡と資料は少なかった。そこで研究資料を追加するためにルリーヤ砦発掘を行い、当該期のイスラーム 陶器の地域的実態の一端を明らかにした。

中国陶磁器の出土割合と青磁、白磁、褐釉の組合せ、及び器種構成はこの時代の貿易品に一般的なも のであり、遠距離貿易が広範囲な地域に同質の文化をもたらした例の一つと解釈できる。東南アジアの陶磁 器は出土せず、14世紀後半のジュルファール遺跡出土品と比較しても、この地域はまだ中国陶磁器の独壇 場であった時代とわかる。中国陶磁器のなかでは14世紀中頃から増加する染付が見られず、13世紀末から

14世紀初の特徴をよく示す組合せの出土品である。

イスラーム施釉陶器は中国陶磁器の18倍の重量が出土し、生活用飲食陶磁器の95%を占めている。施 釉陶器で最多は8害'lを占める吉・緑釉陶器である。黄釉陶器は青釉陶器の1/4ほどである。いずれ も 碗 鉢 が 多 く 、 盤 瓶 を 含 め れ ば 大 多 数 と な る 。 一 部 に 装 飾 付 き 製 品 も あ る が 、 実 質 的 な 無 装 飾 の 実 用 品 が 大 部 分 で あ り 、 装 飾 豊 か な 陶 磁 器 が 砦 内 に 保 管 さ れ た の は 同 時 期 に 1 個 体 程 度 で あ っ た と 想 像できる。黄釉及び緑釉の白化粧士上刻線文陶器、透明釉下に藍彩、緑彩、青・緑彩で装飾した透

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廃 れ た 産 地 も 多 か っ た 。 首 都 サ マ ル カ ン ド で 生 ま れ た 陶 器 ス タ イ ル は 広 範 囲 の 他 産 地 に 影 響 を 及 ぼ し た よ う で あ る 。 遠 く 離 れ た 地 域 の 陶 器 ス タ イ ル が 類 似 す る 場 合 に 、 影 響 を 与 え た 中 心 的 な 産 地 の 存在を考盧することが必要である。エジプトでも中国染付と類似する透明釉下コバルト青彩陶器が 生 産 さ れ 、 フ ス タ ー ト 遺 跡 か ら 大 量 に 出 土 し た 。 こ の 場 合 は 中 央 ア ジ ア や イ ラ ン の 影 響 で な く 、 運 ばれた中国染付を直接に模倣したと考えるべきである。

イ ス ラ ー ム 陶 器 の 分 類 で 八 ・ 九 世 紀 の ア ッ バ ス 朝 を 前 期 と し 、 十 三 世 紀 か ら 十 五 世 紀 を 後 期 と す る考えがある。イスラーム染付の登場はイスラーム陶器の終焉であり、その後はイスラーム陶器独 自の見るべきものがないという。この背景には人々の生活と文化の実体を捉える歴史的視点が欠け て い る 。 陶 器 は 日 常 生 活 用 品 で あ り 、 美 術 品 や 高 価 な 装 飾 品 で な い が 、 人 々 の 生 活 レ ベ ル で の 他 地 域との交流を知ることができる資料である。他地域の文様の模倣は染付を例にとっても、日本、中 国、あるいはヨーロッパなど、世界各地でおこった流行であるが、染付模倣はその規模において前 代を超え、文化史の興味深いテーマである。

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layer4decreaseintosamelevel.Thepercentageofclay+stonepastefabricisratherlargein layers7and6,andfromlayers5to2decreasewhileinlayersland7increaSeinthesamelevel again.ThereasonfOrthechangeofthepercentageinlayerlistheincreaseofblue‑green glazedwarewithunderglazeblackdecorationcontainedinclay+stonepastefabric・Themost amountedtypeineachlayeristransparentwhitishglazedwarewithunderglazeblackand greendecoration(clay+stonepastefabric)inlayer7;Transparentwhitishglazedwarewith underglazegreendecoration(clay+stonepastefabric)inlayer6;transparentwhitishglazed warewithunderglazegreendecorationinlayer5and4.Inlayers3and2,blue‑greenglazed warewithunderglazeblackdecoration(stonepastefabric)isthelargestinamountand transparentwhitishglazedwarewithunderglazebluedecorationcomesnext.Inlayerl, blue‑greenglazedwarewithunderglazeblackdecoration(clay+stonepastefabric)isthelargest inamountandtransparentwhitishglazedwarewithunderglazeblueandblackdecoration

coInesnext.

ByusingtheanalysisofthedatafiPomartifactsfromthisarchaeologicalsite,thewriter proposedtherelationshipbetweenthefabric,paintanddecorationofthel4thtol6thlslamic blUe‑and‑white,andalsothechangeofthequantityofeachtype.

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表ジユルフアル遺跡出土のイスラーム施釉彩画陶器層位別出土重量(9)

施 釉 陶 器 の 種 類 素 地 L . 1 L . 2 L . 2 ‑ L . 3 L . 4 L . 5 L . 6 L . 7 そ の 他

L.2‑3

Stonepaste

透明釉下青彩WhiteDense 透明釉下青彩White

透明釉下青彩GrayishWhite 透明釉下青・紫彩White 透明釉下青・黒彩WhiteDense 透明釉下青・黒彩White 透明釉下緑彩WhiteDense 透明釉下緑彩White

透明釉下緑彩CreamyWhitel 透明釉下緑彩CreamyWhite2 透明釉下緑彩PinkishWhite 透明釉下緑彩paleGreenishWhite 透明釉下緑彩GrayishWhite 透明釉下黒・緑彩WhiteDense 透明釉下黒・緑彩CreamyWhitel 透明釉下黒・緑彩CreamyWhite2 透明釉下黒・緑彩PinkishWhite 透明釉下緑・白彩paleGreenishWhite 透明釉下黒彩YellowishWhite 透明白釉WhiteDense

透明白釉White

透明白釉CreamyWhite2 透明白釉paleGreenishWhite 青緑釉下黒彩WhiteDense 青緑釉下黒彩White

青緑釉下黒彩CeramyWhitel 青緑釉下黒彩CreamyWhite2 青緑釉下黒彩PinkishWhite 青緑釉下黒彩paleGreenishWhite 青緑?釉下黒彩WhiteDense 青緑?釉下黒彩White

青緑?釉下黒彩CreamyWhite2 青緑?釉下黒彩PinkishWhite 青緑?釉下黒彩paleGreenishWhite 青緑釉陶器White

青緑釉陶器CreamyWhitel 青緑釉陶器CreamyWhite2 青緑釉陶器YellowishWhite 青緑釉陶器PinkishWhite 青緑釉陶器paleGreenishWhite

9.5 25.3

21 47 59 21 49

43414

19.4 32.2 23.0 7.0

'8.0

,.,

l.4

13.3

5344813331 387576

8.3 126.3

8.5 65.2 4.2

67.6

4.4 33.4

ll.0 15.4

16.0

5.6 6.9 8.3

17.1 13.4 4.0 5.5

49●●53

18.0 4.1 36.4

57.2 15.2

3.5

277312 4331

2.3

2.0 4.4

14.6

5.0 5.3

2.2 62.5 13.1

6.7

10.5 l.4 8.0

5.8

3.2 49.2

1108◆●●●6232

3.6 5.9 1.6

60.6

4.9 4.8

33 lll 116 161 29

76045

4.5 54.2

6.6 18.6 29.8

4.1 3.0 18.3 13.5

35.1 94.4

63.9 41.8 4.0

3.0 22.0 18.5

10.3

5.5 30 ●●● 28

550●●◆675

22.5

8.6 2.3

3.1

983

9.9 l.4

65332

23.7 5.3 13.8 5.2

3.l 32.4

10.7 56.8

57.5 ll.1

Clay+Stonepaste

透明釉下青彩WhitishYellow 52.2 透明釉下青彩palePinkishYellow 10.7

透明釉下青彩lightYellow 25.9

透明釉下緑彩WhitishYellow 22.l 透明釉下緑彩palePinkishYellow

透明釉下緑彩lightYelow 透明釉下黒・緑彩WhitishYellow

透明釉下黒・緑彩palePinkishYellow.

透明釉下黒・緑彩lightYellow 12.2 透明釉下緑・白彩WhitishYellow

透明釉下白彩WhitishYellow 43.4 透明釉下黒彩WhitishYellow

透明釉下黒彩lightYellow

透明白釉WhitishYellow 12.6

透明白釉lightYellow

青緑釉下黒彩WhitishYellow 26.8 青緑釉下黒彩lightYellow 301.1 青緑?釉下黒彩WhitishYellow 2.8 青緑?釉下黒彩palePinkishYellow

青緑?釉下黒彩lightYellow 8.8

青緑釉陶器WhitishYellow 2.7

青緑釉陶器palePinkishYellow 3.9

青緑釉陶器lightYellow 29.7

12.5 2.0 154.3 135.8 4.8 57.2 105.7

6504721 03123 677831733513 8167853 20266 111

12.4

10.9 3.1 26.5

4.5 6.9

35.1 248.2 104

1 52

567

4 . 3 5 . 4 41.3

41.6 1.4

422●●●●082

53

34.9 l.2 5

1

33.1 3.2 17.0 28.8

0.9 24 43022182 ●●●●●●●●●●● 78921666

15480161●●●●●●◆●●●●4274901634351

73062627●●●Ce●●●●●●5638322253931

5008●●●●●●●●●●●66607

00●●35

71216 66888671 91242

8866034

7.4 81 325 157 7295510101 6911753 0557

2.6 3.3 1.4

6.7

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透 明 釉 下 緑 彩 陶 器 2 . 9 2 . 3 1 . 4 1 . 8 1 0 . 0 4 . 9 2 4 . 7 1 2 . 1 透 明 釉 下 緑 ・ 白 彩 陶 器 0 . 0 0 . 2 0 . 0 0 . 8 0 . 0 0 . 0 0 . 1 0 . 2 透 明 釉 下 白 彩 陶 器 5 . 7 0 . 0 1 . 0 4 . 3 3 . 9 0 . 0 0 . 0 0 . 0 透 明 釉 下 黒 ・ 緑 彩 陶 器 1 . 6 2 . 0 5 . 6 1 0 . 6 9 . 5 0 . 0 1 7 . 5 3 6 . 1 透 明 釉 下 黒 彩 陶 器 0 . 0 0 . 0 0 . 2 0 . 8 0 . 1 0 . 0 0 . 7 0 . 0 青 緑 釉 下 黒 彩 陶 器 4 3 . 0 1 0 . 9 1 3 . 0 2 1 . 9 1 9 . 7 0 . 0 6 . 6 0 . 9 青 緑 ? 釉 下 黒 彩 陶 器 l . 5 0 . 0 1 1 . 7 4 . 0 1 2 . 7 2 1 . 1 1 6 . 8 1 4 . 2

黄色or赤褐色粘士素地 不 透 明 白 釉 下 青 彩 陶 器 不 透 明 白 釉 下 緑 彩 陶 器 不透明白釉下緑・黒彩陶器 不 透 明 白 釉 下 黒 彩 陶 器 不 透 明 白 釉 陶 器 青 緑 釉 陶 器 緑 釉 陶 器 褐 釉 陶 器

イスラーム染付は,透明釉下青彩陶器(フリット),透明釉下青彩陶器(粘士十フリット),及び不透明白釉下 陶 器 ( 粘 士 素 地 ) を 指 す が , 釉 下 彩 画 陶 器 と い う 分 類 で は 緑 彩 陶 器 や 黒 彩 陶 器 , 及 び 多 彩 陶 器 等 も い わ ゆ る イ ー ム 染 付 の 類 品 で あ る 。 単 色 釉 陶 器 は 彩 画 陶 器 と の 比 較 の た め 表 に 掲 げ た 。

遺構からの出土量は各レベルに含まれる。BL.lはL.1,BBL.1はL.2,L.3C,BL.3,BL.3BはL.3,L.4?は L.6A,L.6B,L.6CはL.6に含まれる。その他には,Surface,Cleaning,およびL.2.3,L.2.以外の複合レベル まれる。

表 ジ ュ ル フ ァ ル 遺 跡 出 土 イ ス ラ ー ム 施 釉 彩 画 陶 器 素 地 , 層 位 別 出 土 重 量 ( g )

素 地 の 種 類 L . 1 L . 2 L . 2 ‑ L . 3 L . 4 L . 5 L . 6 L . 7 そ の 他

L.2‑3 Stonepaste

WhiteDense 1 4 0 . 2 8 6 . 8 1 6 . 1 3 4 . 8 1 1 9 . 1 1 6 . 0 1 9 . 9 2 1 . 7 6 9 . 2 White 6 7 . 0 6 8 . 4 1 1 2 . 4 3 9 . 2 1 6 . 7 0 . 0 0 . 0 0 . 0 8 . 5 C e r a m y W h i t e l , 2 1 3 . 5 1 3 . 8 2 2 7 . 6 7 6 . 8 6 7 . 5 9 7 . 7 4 8 . 0 8 7 . 6 3 6 . 7 YellowishWhite O 、 0 0 . 0 0 . 0 0 . 0 6 . 1 0 . 0 0 . 0 0 . 0 0 . 0 PinkishWhite 3 5 . 1 1 0 0 . 2 1 6 1 . 4 2 2 . 5 8 . 3 0 . 0 6 . 5 2 7 . 3 0 . 0 p a l e G r e e n i s h W h i t e O . 0 6 3 . 9 2 9 . 5 2 2 . 0 2 7 . 1 0 . 0 1 3 . 0 9 4 . 9 4 . 0 Stonepaste

GrayishWhite 0 . 0 5 9 . 4 3 5 . 8 2 3 . 0 0 . 0 0 . 0 1 3 . 3 0 . 0 4 . 4 WhitishYellow 1 4 7 . 3 2 3 . 3 3 7 . 2 8 7 . 2 2 4 8 . 9 9 . 6 3 4 6 . 8 3 4 6 . 5 1 5 4 . 8 palePinkishYellow 1 0 . 7 0 . 0 3 3 . 5 0 . 0 1 0 . 9 0 . 0 1 0 . 0 5 1 . 1 1 . 6 lightYellow 3 4 8 . 0 6 4 . 0 1 5 7 . 7 8 5 . 5 2 3 6 . 6 3 0 . 5 3 4 4 . 7 1 7 4 . 3 9 9 . 5

卜),透明釉下青彩陶器(粘士十フリット),及び不透明白釉下青彩 う 類 で は 緑 彩 陶 器 や 黒 彩 陶 器 , 及 び 多 彩 陶 器 等 も い わ ゆ る イ ス ラ ヮ比較のため表に掲げた。

[L.1,BBL.1はL.2,L、3C,BL.3,BL.3BはL、3,L.4?はL.4, E,Surface,Cleaning,およびL.2.3,L.2.以外の複合レベルが含

ジ ュ ル フ ァ ル 遺 跡 出 土 の イ ス ラ ー ム 施 釉 陶 器 一 覧 , 及 び 層 位 別 出 士 重 量 ( g )

素 地 施 釉 L . 1 L . 2 L . 2 . L . 3 L . 4 L . 5 L . 6 L . 7 そ の 他 L.2‑3

陶 器 の 種 類 Stonepaste

透 明 釉 下 青 彩 陶 器 透 明 釉 下 青 ・ 紫 彩 陶 器 透 明 釉 下 青 ・ 黒 彩 陶 器 透 明 釉 下 緑 彩 陶 器 透 明 釉 下 黒 ・ 緑 彩 陶 器 透 明 釉 下 緑 ・ 白 彩 陶 器 透 明 釉 下 黒 彩 陶 器 透 明 白 釉 陶 器 青 緑 釉 下 黒 彩 陶 器 青 緑 ? 釉 下 黒 彩 陶 器 青 釉 陶 器

青 緑 釉 陶 器 Clay+Stonepaste

透 明 釉 下 青 彩 陶 器 透 明 釉 下 緑 彩 陶 器 透 明 釉 下 黒 ・ 緑 彩 陶 器 透 明 釉 下 白 彩 陶 器 透 明 釉 下 緑 ・ 白 彩 陶 器 透 明 釉 下 黒 彩 陶 器 透 明 白 釉 陶 器 青 緑 釉 下 黒 彩 陶 器 青 緑 ? 釉 下 黒 彩 陶 器 青 緑 釉 陶 器

︒△△△△ ○+△△ ○+

△+◎△ △十○△△ +○△△

○○△

○△ △++

+十○△ ○+ +△△ +△+

+○△

○ ◎ ◎

○○○◎

○○△△△

+ + △ ○ △◎︒◎

○○○△

△△△十

△△+ △◎+△△+++○△+

+++○︒◎

++○+△

++◎△十 +△◎○○

△︒△△ △○++ △+◎○

△+

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参照

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