ロールズの正義論とコミュニタリアンの批判(上) :
「負荷のない自己」と格差原理をめぐって (政治行 政学科創立二十周年記念号)
著者名(日) 山本 啓
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 68
ページ 307‑362
発行年 2011‑11‑10
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000541/
論
ロ
説ー ル ズ の 正 議 論 と コ ミ ュ ニ タ リ ア ン の 批 判 ︵ 上 ︶
││
﹁負 荷の ない 自己
﹂と 格差 原理 をめ ぐっ て│
│
山 本 啓
目 次 はじ めに 一 コミ ュニ ティ の共 通善 と﹁ 位置 づけ られ た自 己﹂ 二
﹁原 初状 態﹂ と﹁ 負荷 のな い自 己﹂ とい う論 理 三
﹁無 知の ヴェ ール
﹂と いう 導出 の論 理と
﹁内 省的
︵反 照的
︶均 衡﹂ 四 分配 的正 義と 格差 原理 五 社会 連合 と分 配の 複合 性
― 307 ―
はじ めに コミ
ュニ タリ アン たち
︑な かで もマ イケ ル・ サン デル は︑ 現代 リベ ラリ ズム のも っと も代 表的 な論 者で ある ジョ ン・ ロー ルズ を一 貫し て批 判の 対象 にし てき た︒ ブー ムに なっ てい るサ ンデ ルの 白熱 教室 はい ささ か過 熱気 味だ が︑ その もと にな った
﹃正 義: おこ なう べき 正し いこ とと は何 なの か﹄
︵邦 訳名
﹃こ れか らの
﹁正 義﹂ の話 をし よう
﹄︶ でも
︑﹁ いち ども 実在 した こと のな い契 約か ら︑ 正義 の原 理を 導き だす こと は可 能な のだ ろう か﹂
︵Sandel2009:
︶︑ と三
〇年 来つ づけ てき たロ ール ズの 正義 論に たい する 批判 を︑ あい かわ らず の語 り口 でく りか えし
142/訳:186
てい る︒ スパ イス の効 かせ 方が 少し ばか り違 って きて いる とは いえ
︑﹃ リベ ラリ ズム と正 義の 限界
﹄︵ 19 82 /1 99 8︶ 以来
︑こ れま で出 版さ れた 著作 の構 成も
︑内 容も ほと んど おな じも ので ある
︒ほ ぼ三
〇年 間も おな じこ とを いい つ づけ ると いう のは
︑き わめ て特 異な こと だと いわ ざる をえ ない
︒け れど も︑ サン デル の執 念と もい うべ き批 判を 誘 って いく 原因 の一 端は
︑ロ ール ズの 側に も︑ たし かに あっ たわ けで ある
︒ 本稿 では
︑﹁ 共通 善﹂
︵c om mo ng oo d︶ を共 有す る成 員か らな るコ ミュ ニテ ィと いう
︑コ ミュ ニタ リア ンが 依拠 する 理論 的な 共通 了解 を確 認し たう えで
︑サ ンデ ルが ロー ルズ 批判 の拒 否点 にす える
﹁自 己﹂ 概念 をめ ぐる 議論 に つい て検 討し てい く︒ ロー ルズ は︑ タブ ラ・ ラサ の状 態の なか で無 規定 な自 己と して の諸 個人 のあ いだ でお こな わ れる 社会 契約 によ って
︑善 にた いす る正 義の 優位 を基 礎づ けよ うと して いる
︑と いう のが サン デル の批 判の 核心 で ある
︒こ こで は︑ その サン デル の批 判の 舞台 まわ しそ のも のが
︑ア ポリ アに 陥っ てい るこ とを 解き 明か して いく
︒
― 308 ―
さら に︑ サン デル の批 判を 誘う 原因 にな って いる
︑ロ ール ズの 正義 を導 出し てい く方 法論 もま た︑ ボト ルネ ック を くぐ り抜 ける きわ どさ を秘 めた もの であ るこ とを あき らか にし てい く︒ おな じく
︑マ イケ ル・ ウォ ルツ ァー もま た︑ コミ ュニ タリ アン の立 場か ら︑ ロー ルズ の正 議論 を批 判す る一 人で ある
︒彼 は︑ ロー ルズ のよ うに 分配 原理 を一 元的 なも のと とら える のは あや まり であ り︑ それ ぞれ の社 会財 にお う じた 複合 的な 分配 原理 があ りう ると する 拒否 点を 提示 して いる
︒こ の初 期ウ ォル ツァ ーの ロー ルズ 批判 につ いて も︑ ここ での 吟味 の対 象と する こと にし よう
︒ ロー ルズ の﹃ 正議 論﹄
︵
( )
19 71 /1 99 9︶ は︑ 一九 世紀 前半 にジ ェレ ミー
・ベ ンサ ムら 功利 主義 が唱 えた
﹁最 大多 数の
最大 幸福
﹂と いう 発想 が︑ 効用 の最 大化 を求 めて 各人 がお こな う合 理的 選択 の数 的な 総和 につ いて 語っ てい るだ け であ り︑ これ を社 会全 体に 広げ ただ けに すぎ ない とし て批 判の 目を むけ る︒ だが
︑功 利主 義を 批判 する にし ても
︑ マッ クス
・ウ ェー バー のよ うに
︑個 人の 合理 性に もと づい た方 法論 的個 人主 義を 採用 する わけ には いか ない
︒そ こ で︑ 古典 的な 社会 契約 論に 回帰 して
︑カ ント の構 成主 義に もと づい て再 構成 する こと によ り︑ 正義 の原 理の 導出 を おこ なっ てい くの であ る︒ 初期 ロー ルズ にお ける キー
・タ ーム は︑
﹁公 正と して の正 義﹂
︑そ して
﹁格 差原 理﹂ に代 表さ れる 正義 の二 つの 原理 であ る︒ ここ では
︑﹁ 自己
﹂の 概念 につ づい て︑ この 導出 の手 続き が吟 味の 対象 とな る︒ けれ ども
︑こ の形 而上 学的 な普 遍主 義に よる 基礎 づけ 主義 をめ ぐっ ては
︑後 期ロ ール ズみ ずか らが 訂正 をお こな い︑ 正義 の原 理は
︑さ まざ まな 政治 的な 価値 と関 係づ ける こと によ って 正当 化さ れて いく とす る政 治的 な構 想へ と 転換 され てい くこ とに なる
︒そ こで
︑本 稿の 後半 部分 では
︑後 期ロ ール ズに おけ るパ ラダ イム
・シ フト を直 接反 映 した
﹁重 なり あう 合意
﹂︵ ov er la pp in gc on se ns us
︶と
﹁公 共的 理由
﹂︵ pu bl ic re as on
︶と いう 二つ の概 念が
︑吟 味の
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中心 とな る︒ した がっ て︑
﹃政 治的 リベ ラリ ズム
﹄︵ 19 93 /1 99 6︶
︑﹃ 万民 の法
﹄︵ 一九 九九
︶︑
﹃公 正と して の正 義 再 説﹄
︵2 00 1︶ が︑ その ため の主 な素 材に なる
︒ま た︑ ロー ルズ の遺 稿を トマ ス・ ネー ゲル が編 集し た﹃ 罪と 忠誠 の 意味 につ いて の若 干の 考察
﹄︵ 20 09
︶に つい ては
︑必 要な かぎ りに おい て言 及す るに とど める こと にし たい
︒ 本稿 は︑ 現在 準備 中の 著作
﹃公 共圏 とガ バナ ンス の政 治学
﹄の 一部 をな すも ので あり
︑ま た︑ 第一 節が 既出 の拙 論と 重複 する 部分 があ るこ とを お断 りし てお く︒ 一
コミ ュニ ティ の共 通善 と﹁ 位置 づけ られ た自 己﹂ コミ
ュニ タリ アン のコ ミュ ニテ ィに つい ての 位置 づけ は︑ アラ スデ ィア
・マ ッキ ンタ イア のよ うに 小規 模で 自己 充足 的な 小宇 宙と して のロ ーカ ル・ コミ ュニ ティ に限 定す るも のか ら︑ アミ タイ
・エ ツィ オー ニの よう に国 民国 家 どこ ろか
︑グ ロー バル 社会 にま でコ ミュ ニテ ィの スケ ール を拡 大し てい く考 え方 まで
︑き わめ て多 様で ある
︒け れ ども
︑コ ミュ ニテ ィが
﹁共 通善
﹂を 共有 する 成員 によ って 形成 され
︑そ の成 員す べて が共 通善 を保 持し
︑実 現し て いく こと を目 的と する 集合 体で ある とい う点 では
︑一 致し てい ると いっ てい い︒ ウォ ルツ ァー は︑
﹁政 治的 コミ ュニ ティ の成 員の ここ ろに もっ とも よく 思い 浮か びが ちな 問い は︑ あれ これ と普 遍化 がお こな われ てい く状 況の なか で︑ 理性 的な 諸個 人が 何を 選択 する だろ うか とい うこ とで はな く︑ われ われ が そう であ るよ うに
︑位 置づ けら れた
︵s it ua te d︶
﹇存 在﹈ であ り︑ 一つ の文 化を 共有 し︑ その 文化 を共 有し つづ け てい くこ とを ここ ろに 決め てい る諸 個人 は︑ 何を 選択 する のだ ろう かと いう こと であ る﹂ と述 べて いる
︵Walzer
― 310 ―
訳文 を変 更し
︑﹇
﹈を 補っ
︶た
︒彼 もま た︑ コミ ュニ タリ アン の一 人と して
︑文 化を 共有 して いる
1983:5/訳:22.
コミ ュニ ティ から 出発 し︑ 諸個 人が 既存 のコ ミュ ニテ ィの 文化 によ って 位置 づけ られ た存 在で あり
︑コ ミュ ニテ ィ にお いて 共有 され てい る文 化に 存在 拘束 され てい ると いう 考え 方を 前提 にし てい るこ とが わか る︒ しか しな がら
︑ ロー カル
・コ ミュ ニテ ィか ら国 民国 家に いた るま で︑ それ ぞれ のレ ベル にお いて
︑あ るい はす べて を包 括す るか た ちで
︑共 通善 が発 現す る場 とみ なし
︑そ れを 目的 論的 に追 求し てい くコ ミュ ニタ リア ンの 立場 を︑ その まま のか た ちで 受け 入れ てい くこ とは でき ない
︒し たが って
︑脱 構築 をお こな わな けれ ばな らな いと いう こと にな る︒ いっ ぽう
︑サ ンデ ルは
︑﹁ コミ ュニ ティ が示 して くれ るの は︑ 仲間 の市 民と して
︑何 をも ちあ わせ てい るの かだ けで なく
︑何 者な のか とい うこ とで もあ り︑
︵自 発的 なア ソシ エー ショ ンの よう な︶ 選び とる 関係 性な ので はな く︑ 発見 する 愛着 なの だと いう こと であ り︑ 単な る属 性で はな く︑ 自分 たち のア イデ ンテ ィテ ィを かた ちづ くっ てく れ るも のだ とい うこ とで ある
﹂と 述べ てい る︵
訳文 は変 更し
︶た
︒彼 はま た︑ コミ ュニ テ
Sandel1998:150/訳:172.
ィを
︑参 加者 が共 有す る自 己理 解か ら構 成さ れる もの であ って
︑参 加者 が生 活プ ラン を立 てる 際の 属性 なの では な く︑ 制度 的な 配置 とし て体 現さ れる もの でな けれ ばな らな いと もい う︵
︶︒ この よう に︑
Sandel1998:172/訳:198
コミ ュニ ティ とは
︑ア ソシ エー ショ ン︵ 連合 体︑ 結社
︶の よう に人 為的 にか たち づく られ てい くも ので はな く︑ 愛 着の 総体 であ り︑ アイ デン ティ ティ をか たち づく って くれ るも のだ とい うの が︑ コミ ュニ タリ アン のコ ミュ ニテ ィ をめ ぐる 一つ 目の 定義 づけ であ る︒ それ にた いし て︑ 二つ 目の 定義 づけ は︑ エツ ィオ ーニ に代 表さ れる もの であ る︒ 彼は
︑コ ミュ ニテ ィと は︑ 具体 的な 場所 のこ とで はな く︑ 属性 の集 合の こと であ ると 考え る︵
︶︒ エツ ィオ ーニ は︑ 社会
Etzioni,1996:6/訳:21
― 311 ―
的な 実体 があ りさ えす れば
︑村 や小 さな 町︑ 国家 や各 国民 まで もコ ミュ ニテ ィで ある とす る多 層な コミ ュニ ティ の 概念 を提 起す る︒ コミ ュニ ティ とは
︑愛 情の 絆に よっ て結 ばれ た﹁ 拡大 され た家 族﹂
︵e xt en de df am il y︶ とし ての 社会 集団 であ り︑ 共有 する 道徳 の枠 組み とし ての 道徳 文化 を再 定式 化し なが ら世 代か ら世 代へ と引 き継 がれ てい く もの であ り︑ 地域 や国 民国 家を も越 えて 広が って いき
︑つ いに はグ ロー バル
・コ ミュ ニテ ィへ と行 きつ くも のだ と いう ので ある
︒エ ツィ オー ニに とっ ては
︑身 近な エス ニッ ク・ グル ープ とい うコ ミュ ニテ ィに たい する 忠誠 から
︑ 国民 ない しは 国家 全体
︑す なわ ち﹁ 諸コ ミュ ニテ ィか らな るコ ミュ ニテ ィ﹂
︵t he co mm un it yo fc om mu ni ti es
︶に たい する 忠誠 まで
︑他 者を 手段 とし てで はな く︑ 目的 とし てあ つか うも のが
︑コ ミュ ニテ ィの 属性 なの であ る
︵
︶︒
Etzioni2001a:2,5-6,98-99/訳:22,29,164-165
さら に︑ エツ ィオ ーニ は︑
﹁コ ミュ ニタ リア ンは
︑グ ロー バル
・コ ミュ ニテ ィが 存在 しな くと も︑ グロ ーバ ル・ ガバ ナン スが 可能 かど うか を問 いか けな けれ ばな らな い﹂ とも 述べ てい る︵
︶︒ グロ ーバ ル社 会
Etzioni2004b:5
には
︑﹁ 拡大 され た家 族﹂ とし て忠 誠を 提供 する 対象 とな る国 民国 家と その 政府 に相 当す るも のは 存在 して いな い︒ そこ で︑ コミ ュニ タリ アン のあ いだ でグ ロー バル
・ネ ット ワー クを つく りあ げて いく こと がで きる なら ば︑ それ を グロ ーバ ル・ コミ ュニ ティ の代 役を はた すも のと とら える こと がで きる
︒そ うな れば
︑そ れを 基盤 にし てグ ロー バ ル・ ガバ ナン スを 実現 して いく こと がで きる ので はな いか とい う期 待可 能性 が︑ ここ で表 明さ れて いる ので ある
︒ エツ ィオ ーニ は︑
﹁ト ラン スナ ショ ナル
・コ ミュ ニタ リア ン団 体﹂
︵T CB s: tr an sn at io na lc om mu ni ta ri an bo di es
︶ を形 成し て︑ トラ ンス ナシ ョナ ルな 道徳 的対 話を おこ ない
︑コ ミュ ニタ リア ンど うし の絆 を深 める こと によ って
︑ さま ざま な国 の人 びと が同 意で きる 財団
︑た とえ ばチ ャイ ルド
・ポ ルノ グラ フィ ーの 氾濫 を抑 制し てい くよ うな 活
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