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連想照応における時間の役割

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(1)

原  著

連想照応における時間の役割 出 口 優 木

1. はじめに

 本稿では、今までほとんど指摘されることのなかった 「時間」 の概念が、フランス語の連想照応に おいて、その照応の可否に影響を与えていることを指摘する。ここで言う 「時間」 とは、先行詞を含 む文が表す出来事と照応詞を含む文が表す出来事の間に、時間的経過が存在するか否かという点であ る。そして、時間的経過の存在が、連想照応の可能性に影響を与えていることを明らかにする。フラ ンス語の連想照応は、「全体・部分」 という意味論的な制約に加え、今回指摘する文脈における時間 的経過の制約を加味することで、例外を作らず統一的に理解できることを明らかにしたい。

1.1. 先行研究における「時間」の扱い

 まず、連想照応(l’anaphore associative)とは、先行研究を総合的にまとめると、照応表現が文脈 上間接的な指示対象を採る現象であり、先行する表現の指示対象を介して新たな指示対象を導入する ことと定義される。

⑴ Il s’abrita sous un vieux tilleul. Le tronc était tout craquelé.1

Fradin (1984)

 先行詞

tilleul

の対象を介して、部分である

tronc

の対象が、定冠詞

le

を用いて導入されると理解さ

れる(この定冠詞

le

の定性は、それがこの文において特定の

tronc

を指示しているから得られている というのではなく、先行詞の

tilleul

から得られているということである)。例⑴は典型的な連想照応 の例文であるが、時制を見ると、先行文が単純過去、後続文が半過去である。以下、先行研究でよく 用いられているタイプの例文を挙げる。

 ⑵ Nous entrâmes dans un village. L’église était située sur une butte.

Kleiber (2001)

 ⑶ Je suis entré dans la pièce. Les chandeliers brillaient vivement.

Kleiber (2001)

 ⑷ Jean est allé se promener dans l’après-midi. Le parc était magnifique.

Kleiber (2001)

 

 このように例文の多くにおいて後続文は半過去型を採っている。実際、連想照応の先行研究として、

それまでの先行文献を広く網羅している

Kleiber(2001)において連想照応とされている例文約 90 の

内、約 7 割がこのタイプである2。 照応詞を含む後続文において半過去型を用いることで、後続文は

(2)

先行文の内容を補う説明となり、先行文が表すイベント内における状況を描写する機能を担っている と考えられる。そこにおいては、先行文で導入された時間がそのまま進行することなく受け継がれて いる形を採る。先行文が導入する 「全体(性)」 から、後続文の照応詞が表す 「部分(性)」 に視点 が代えられるだけで、談話内の時間は進行していないことが見て取れる。しかしながら、連想照応の 先行研究において、このような動詞の時制や、文脈上の時間経過に関しては、ほとんど指摘されるこ とがなかった点である。後続文が半過去系を採らず、時間的経過が感じられる例も存在するが、その 数は少ない。

 ⑸ Nous entrâmes dans un restaurant. Le garcon refusa de nous servir le menu.

Kleiber (2001)

 ⑹ La voiture dérapa et s’écrasa contre un platane. Le conducteur fut éjecté.

Kleiber (2001)

 ⑺ Paul a réparé une vieille voiture. Il a dû changer le volant.

Kleiber (1999)

 さらに、これらの例においても先行文が表す出来事と、後続文が表す出来事を見比べてみると、概 ね後者は前者の出来事の中に包摂される関係にある(レストランでの食事、交通事故など)。このこ とから連想照応においては、出来事が一つしか存在しないこと、つまり時間的経過が感じられないこ とが、その成立の可否に影響を与えているのではないかと考えられる。本稿では、時間的経過が存在 しないことが一つの制約に成り得るという立場に立って、フランス語における連想照応を再考してみ たい。

1.2. フレームの概念に関して

 まず、はじめに断っておきたいことは、連想照応を説明する中心概念であるフレーム3に関しての 曖昧性である。多くの先行研究において使用されているにも関わらず、必ずしも統一的な定義が得ら れている状況ではない。おおよその理解としては、「全体・部分」関係を基本とした包摂関係と言え る。しかし、その包摂範囲に関して、大きく二つの立場4があり、一つ目の立場は、複数の要素(語 彙的要素、社会(時代)的要素、個人差の要素、そして文脈、話し手の意図)から成るという広い定 義をとり、二つ目の立場は、包摂とは知識の集合というイメージ、先行研究

Azoulay (1978)におけ

る 「stéréotypeは

a priori

なものである」 という主張から来る、定まった語彙的な集合である狭い定義 をとる。本稿の立場としては、基本的にはフレームとは意味論的なステレオタイプを中心とするもの であり、後者の立場に近い。ただし、以下に見るように純粋に意味的、語彙的な集合だけで決定でき るものではなく、文脈、背景も考慮に入れるものである。

⑻ a. Paul est entré dans une pièce. Le mur était tout taché.

b. Paul est entré dans une pièce. La table était complètemment cassée.

c. Paul est entré dans une pièce. L’horloge ne marchait pas.

d. Paul est entré dans une pièce. ?Le vase était complètemment cassé.

(3)

 例⑻のように、先行詞

une pièce

に必ず存在する

Le mur

が良いのは妥当として、存在することが

多い

La table

も非常に容認度が高く、存在しないことも多い

L’horloge

も容認される。しかしながら、

存在してもおかしくはない

Le vase

は容認されない結果となる。ここから、「部屋にあるべきもの」

だけでなく「部屋にあっておかしくないもの」もフレームを介して理解されることが解るが、「部屋 にあっておかしくないもの」すべてにフレームが機能するわけではないことが見て取れる。フレーム 内に存在する要素は論理的にその範囲を限定することが難しく、一つのフレームの厳密な構成要素の 記述というのは不可能であると本稿は考える。つまり、一つの単語、概念に対して、常に定まった知 識の集合と捕らえるのは間違っており、文脈や背景に応じてフレーム内の構成要素が変化する可能性 を考慮する。つまり、単語のもつ語彙のレベルにおいてフレームの範囲は決まるのではなく、その単 語を取り巻く文脈・背景を合わせ考えることでフレームがその当該の文(そしてその文が持つ談話世 界)において決定されると考える。

2. 一般的な連想照応と時間の制約

 まず始めに、「全体・部分」 関係を伴う一般的な連想照応を見てみたい。このタイプには、大きく 分けて、1、自動車とそのハンドルのような物理的に 「全体・部分」 を持つものと、2、「パンを切 る」 行為とナイフのような照応詞が先行文の動詞の項となるもの、3、教会とその司祭のように役割 的な 「全体・部分」 関係を持つものが存在する5。一般的に、一番目と二番目のタイプはフレームと して、社会(時代)的要素、個人差の要素による認識の差が少なく、結果として文脈、話し手の意図 などにあまり左右されることなく連想照応する6。一方、役割を表す関係に関しては、容認度に差が でることも多い。そのことと時間の制約がどう関係するか以下に見て行きたい。

2.1. 物理的な 「全体・部分」 関係と時間

 このタイプは先行詞と照応詞の間に 「全体・部分」 関係があることが明白であり、基本的には、時 間的経過の如何にかかわらず連想照応が可能と思われる。

 ⑺ Paul a réparé une vieille voiture. Il a dû changer le volant.

 ⑼ J’ai acheté un stylo, mais j’ai déjà tordu la plume.

Fradin (1984)

 ⑽ Les policiers inspectèrent la voiture. Les roues étaiet pleines de boue.

Kleiber (2001)

 先行研究でもよく見られる例⑼で明らかなように、時間的経過が存在していても連想照応が容認さ れる。先行詞と照応詞が正しく全体・部分の包摂関係であるならば、時間の経過ということは問題に ならない。本稿としては、時間の制約は、フレームに対して社会的・個人的差が出難い(主に言語外 世界における事実に基づく関係など)場合にはその有無は問題にならないと考える。つまり、時間的 な制約を掛けなくともフレームとして機能する。このように確実に機能するフレームを、強いフレー ムと表現したい。時間の制約とは、そこに現れているフレームだけでは連想照応の可否が分かれる場

(4)

合に、それを補完するものとして、その存在が問われるものと考える。第一に連想照応を成り立たせ ている原理はフレームであり、フレームだけでは連想照応の事実が説明できない例に関して、時間の 制約を架すことが必要であることを明らかにしたい。

2.2. 動詞の項を照応詞としてとる関係

 これらの関係も、社会的・個人的な認識の差が出難いフレームをもつものであり、基本的に時間的 経過があっても照応する。

⑾ Pierre a coupé du pain, puis il a rangé le couteau.

Kleiber (2001)

⑿ Paul a été égorgé. Le couteau a été retrouvé à côté de corps.

Kleiber (2001)

⒀ Il lit depuis trois heures, mais ? le roman ne lui plaît pas.

Kleiber (2001)

Kleiber

の中では?だが、容認可の人もいる

⒁ Paul n’a pas creusé longtemps. La pelle s’est cassé tout de suite.

Kleiber (2001)

 ここで問われるのは、動詞の述語内容とそれに対する適切な項の関係であり、それが全体・部分の 関係を満たせば、すなわちフレームとして十分に機能するため、時間の制約は影響を与えないと考え る。

2.3. 役割的な 「全体・部分」 関係

 今までの例に比べて、先行詞の対象と照応詞の対象における結びつきがより社会性や文脈に左右さ れ、フレームの持つ語彙的な情報だけではその関係性が一義的に確認できないと思われるのが役割的 な連想照応である。この照応においては、照応詞の対象に関して先行詞の対象との間により強い結び つきが求められる。なぜならば、物理的な関係や、動詞の項の関係とは違い、照応詞が表す対象はフ レームによってのみ先行詞との関係が保たれ、何らかのつながりを他に見出すことが困難であるから である。これらに関しては、時間の経過の有無が連想照応の可否に関係してくる。

⒂ a. Il arriva une voiture devant le magasin. Le conducteur était né de Bretagne.

b. Il arriva une voiture devant le magasin.? Le conducteur descendit de la voiture.

 例⒂

a

においては、時間の経過が伴わないことで、後続文で導入された

Le conducteur

は、先行文 が導入する時間

t

1 内に存在する対象への言及と理解され易く、車とその運転手として連想照応が可 能である。容認されない例⒂

b

においては、車が止まった先行文の時間 t 1 と運転手が下りた後続文 の時間 t 2 が存在する。時間の経過が存在することで、先行文で導入された

une voiture

は一旦、意識 において背景化され、新たな時間 t 2 で導入された

le conducteur

を理解する時、すなわち定冠詞

le

の 照応の源泉を探すときに直ちには結び付き難くなる。文の並び以外に直接的に先行文と後続文を結

(5)

びつける理由は、車と運転手というフレームであるが、想定される場面(談話世界)において車は顕 在的に示された

une voiture

に限らず潜在的に何台か存在していても不自然ではなく、同じように

une

voiture

以外の運転手が存在している可能性も蓋然的である状況においては、異なる時間

t 1、t 2 にお

かれた車と運転手は一般的な 「車・運転手」 というフレームだけでは、即時に関連付けられない可能 性が出てくるということである。よって、このようなフレームに対しては、時間を共有すること、先 行文と後続文の間に時間的経過が存在していないことが必要となってくる。あるひとつの時間 t を共 有しているということが、フレームを補強するもう一つの枠組みとして機能している。後続文で導入

された

Le conducteur

は、先行文の

une voiture

と時間を共有していないため、時間 t 2 における他の

潜在的な車の存在によって、必ずしも一対一の対応が必然ということではなくなり、連想照応の可能 性が低くなる。つまり時間の経過が伴うことで、焦点が

une voiture

から離れ、意識される場面から 車の存在が一時的に消えることとなり、車と運転手の関係性が希薄になる結果、連想照応が困難にな ると考えられる。

⒃ a. Ils passaient par une église. Le curé était bien connu dans cette région.

b. Ils passaient par une église. Justement ? le curé sortait de l’église.

 同様に例⒃

a

b

を比べた場合、全く時間的経過のない⒃

a

に関しては、連想照応の成立に問題な いが、副詞

Justement

を伴い、「ちょうどその時、司祭が出てきた」 という文脈⒃

b

では照応できな くなる。ここにおいて、先行文の状況から場面が進展したという意味で、時制は半過去ながらも談話 内の時間が経過したと考えられる。ここにおいても、時間の経過によって潜在的な対象(他の司祭の 存在)が考慮される余地が発生することで連想照応が難しくなる。物理的に全体・部分関係をもって いるもの違い、役割においては一目みたら判る特徴があるというよりは、社会的に両者に関連がある と理解するものである。単純に時制が半過去かどうかという問題ではなく、正確には文脈の進展がな いことが重要である。言い換えるならば、場面が固定されて、先行文の内容と後続文の内容が同じ一 つの場面において、同時に認識されることが必要であると思われる。フレームの強さに関して考えな ければならない例が、以下に見る役割的な全体・部分関係を有する連想照応に関する容認度の違いで ある。

⒄ a. Ils passaient par une ville. Le maire était bien connu dans cette région.

b. Ils passaient par une ville. Justement le maire sortait de la mairie.

⒅ Nous entrâmes dans un village et demandâmes à voir le marie.

 村や街とその市長(村長)という関係においては、時間の経過が伴う文脈でも連想照応が可能となっ ている。これは、運転手や司祭の例と比べた場合、その自治体の長というものは、自治体一つに対し て、ある時点においては必ず一人と決まっており、司祭や運転手に対するよりも強いフレームを作っ

(6)

ているからと考えられる(より広い時間の単位 「その時代」 などで、時間の枠組み、制約が既に架かっ ていると考えることも可能かもしれない)。

⒂ b.Il arriva une voiture devant le magasin.? Le conducteur descendit de la voiture.

⒆ Il arriva un train au quai. Le conducteur descendit du train.

 例⒆における

Le conducteur

は、語彙こそ⒂ b の 「車と運転手」 の場合と同じであるが、社会的な 役割からして、ある駅に止まった電車に対して、ほぼ明確に 「電車と運転手」 は一対一対応するもの として認識され得る。電車、プラットフォーム、駅、運転手というより広い意味で 「駅」や 「鉄道」

といったフレームが強く意識されることで、時間の制約は必要なくなると考える。

つまり、時間の概念が影響を与えるのは、フレームからは一対一の対応が保証されていない時であり、

時間の経過を止めることにより、ある時間tにおける関係性に限定することで連想しやすくなり、フ レームを補う役割を果たしていると考える。

⑹ La voiture dérapa et s’écrasa contre un platane. Le conducteur fut éjecté.

⒇ Un beau mariage a eu lieu hier à Pfaffenheim. Le prêtre a fait en grand sermon.

 これらの例は時制が単純過去、複合過去の繰り返しであり、時間的経過が存在するように見える例 である。しかしながら、先行文で起こっている時点

t 1 において、後続文で言及される出来事が、す

でに含まれているとも考えられる。例⑹において、運転手は車が木に衝突する時点で同時に投げ出さ れており、例⒇ではより明確に示されているが、司祭が説教をしたのは、その行われた結婚式の中で ある。これらの例においては、後続文において新たな時間の経過がないものと見做しうる。

 以上のことをまとめると、フレームが先行詞と照応詞のそれぞれの対象の関係性を保証すれば、そ れだけで基本的には連想照応は可能であり、それが難しい時に、時間的経過が存在しないという「時 間の制約」が必要であると本稿では考える。このことは、連想照応の例文の多くが、後続文に半過去 形の時制をとっていることの説明ともなる。なぜならば、時間的経過が存在しないことは、見てきた ように先行詞と照応詞の関係性を強めることに一役買っており、極めて連想照応と親和性が高いから である。

3.0. 身体部位の連想照応と時の制約

 一般にフランス語においては、身体部位は連想照応しない7。このことは、身体の一部を人間の全 体性から切り離して認識することができないからとされる。つまり、身体部位は、物理的には全体・

部分の関係を成しているように見えるが、実は部分として独立存在できないので、人間の全体性との 間に 「全体・部分」 関係が存在しておらず、連想照応できないと考える。しかしながら、いくつかの

(7)

条件の下で連想照応している例文も存在し、そこに今回の時間の制約が働くことを示したい。

3.1. 医学的文脈における身体部位の連想照応

 先行研究

Julien(1983)が指摘するように、医学的文脈の場合は容認される。これは人間を検体と

してモノ8扱いしており、一般の 「全体・部分」 関係が感じられる為であると説明される。

Jacques est tombé du deuxième étage. Le pied est cassé.

Azoulay (1978)

Le malade est livide. Les yeux sont hors de leur orbites.

Julien (1983)

 一般には、人間は個人として人格をもった特別な存在としてみなされ、そこ(人間の体全体)から、

手足や目といった部分を、「その人の手足」 や 「その人の目」 ということを抜きには考えられない。よっ て、身体の部位というものは常に既に全体の一部ではあるが、それだけを部分として取り出せないた めに連想照応できない。しかしながら、医学的文脈では、人間はある個人ではなくモノとして、手術 により切りわけられ得る存在となり、車と部品のように全体・部分関係として捉えられることになる。

時間の経過の制約に関して言えば、例からも明らかなように、ここでは物理的な全体・部分関係を 有しているものと同様に問題とならない。

3.2 描写性を伴う身体部位の連想照応

 医学的文脈以外にも身体部位が連想照応する場合があることを、以前の論文9にて指摘したが、そ の時の用語を使うと 「描写性」 を伴う場合においてである。描写性とは、「照応詞を含む文の述部が、

動作、状態または属性に関わらず、照応詞の指示対象を含む場面を記述し、聞き手(読み手)にその 場景を、場面と共に視覚的イメージとして提供する力」 と、その論文では定義した。その描写性と今 回の時間の制約に関して見てみたい。

Autour de la table les joueurs s’épiaient. Les mains étaient crispées sur les revolvers. Fradin (1984) a. Elle jouait du piano dans le salon. Les doigts glissaient sur les touches.

b. Elle jouait du piano dans le salon. ? Les doigts étaient fins.

 例

ab

から、身体部位の連想照応では一般的な連想照応に比べ、描写的でない文の容認度は著し く下がる傾向にある。

b

の例文は、後続文の述語内容が恒常的性質を表しており、ある場面におけ る瞬間を切り取るという描写性に乏しいために、全体・部分の関係を持たない身体部位はフレームを 利用することができず、連想照応できないと説明してきた。ここにおいては、今までの連想照応とは 逆に、まず描写性があることが連想照応の可否を決めることになる。この描写性と時間の制約を考え 合わせると、描写性という場面を瞬間的に切り取る枠組みは、時間の経過を伴わない一時的に止まっ た場面を設定することであり、時間の制約こそが描写性の大きな要素となっているといえる。ただし、

(8)

描写性においては、時間がある一時点で止まっていることが重要であり、今まで見てきた時間の経過 が存在しないという時間の制約(つまり、進まないだけで遡ることは自由であった)よりも強い制約 が描写性には掛かっている。身体部位以外の例では可能であった

b

のような恒常的性質を表す述語 は、これらの例においては連想照応することができない。言い換えれば、身体部位以外の連想照応に おいては、全体・部分関係に拠るフレームが存在したため、描写されたある瞬間という枠を超えても、

先行詞と照応詞の間には一定の関係性が保証されていた。しかし、身体部位の例においては、そもそ もフレームが存在せず、代わりに時間を止めることで生まれた場面そのものが全体となり、その中に 存在する要素が部分と見なされる状況が作られる。このことは、人間の身体という基本的に時間に関 係なく個人として認識される

individual

レベル10の存在を、時間を止めることで、ある時間にその存 在を限定する

stage

レベルのものへと認識を変化させることによって、初めて連想照応が可能になる というプロセスがある。人間の

individual

レベルを捨象することで、人間・身体部位をモノとして見 なすことができ、医学的文脈と同じ効果を得ていると考える。

a Paul nageait dans la piscine. Les muscles s’agitaient admirablement sous la surface de l’eau.

b Paul nageait dans la piscine. Les jambes s’agitaient admirablement sous la surface de l’eau.

c Paul s’exerce à la natation. Les muscles sont très développés.

d Paul s’exerce à la natation. Les jambes sont très musclées.

e Paul s’exerce à la natation. ? Les yeux sont rouges.

容認度

a

b

c

d

e 

 Les jambes(脚)という日常的な語彙よりも

Les muscles(筋肉)という専門的にも使用する語彙の

方が若干ではあるが連想照応として自然であり、また描写性の高い文ほど容認度が上がることから、

この二つの要素、描写性、医学的な文脈は、共に個体としての人間を、その個体性から解放する方向 で、同じようにまた同時に機能する。

3.3 補足として、属性を表す連想照応

 身体部位とともに連想照応詞ないことが知られているのが属性を表す表現である。しかしながら、

以下のように、時間の制約を考慮することで連想照応可能になる例がある。

a. Ils entrèrent dans un quartier central. ? Ils apprécièrent beaucoup le calme.

b. Ils entrèrent dans un quartier central. Le calme les enveloppaient.

 例

b

のように、時間的経過を感じさせない文脈にすることで連想照応が可能になる。この連想照 応の可能性に関して、重要なのは 「中心街と静けさ」 の間にフレームがあるかということではなく、

ある一時点、その場において描写的な表現として理解されることであると言える。

(9)

 以上のように、身体部位、属性など先行研究では連想照応が不可とされたものにおいてそれを可能 ならしめているのは、既に指摘した描写性であり、その描写性を支える大きな原理の一つが、今回の 時間的経過が存在しないという時間の制約である。時間の制約は、一般的な連想照応にも広く影響を 与えていることを考え合わせると、連想照応を考える上で重要な概念であると本稿は考える。

4.0 今後の課題、周辺領域に関して

今回指摘した時間の制約には、直後の受け直しのパラドックス(Paradoxe de la reprise immédiate)

の問題との間に強い関連性が感じられる。

Une femme entra dans la pièce. J’avais vu ? la femme chez un ami.

Corblin (1983)

Un homme descendit du train. L’homme avait une valise.

春木 (1986)

a. Un homme entra dans le bar. ? L’homme s’accouda au bar.

b. Un homme entra dans le bar. L’homme portait des vêtements frippés et salis.

Gaiffe,Reboul&Romary (1997)

 例のように、一般には不定名詞句 un N で導入した指示対象は、直後の文では Le 定名詞句では 受け直せない。しかし、小説の冒頭とすればのように照応可能であり、また例

ab

から、本稿が 指摘した時間の制約が機能しているように思われる。他にも、連想照応の可否と直後の受けなおしの 可否には関連があると思われる現象が存在する。このことから、連想照応の枠組みに留まらず Le 定 名詞句一般の照応に関して、今回指摘した時間という要素がどうのように関連してくるか今後の研究 課題としたい。

1 斜字が先行詞、太字が照応詞。?は非常に不自然もしくは容認不可。特になにも付いていない場合は、少 なくとも一人以上が容認できると判断し、容認不可がいなかった。

2 連想照応とされる例文は約 90 文。そのうち単純過去&半過去の例は 2、複合過去&半過去が 16、半過去&

半過去 13、後続文が現在型で状況を表す例が 8。それ以外が、21(ただし、数え方に関して個人差がある と思われるので厳密ではない)。

3 Fillemore

1982

を参照。一般的に「村」のフレームならば、「村」というものが潜在的に持ちうる要素 の集合の知識を指し、例えば 「教会」 や「郵便局」などの構成要素を持つ。

4 前者は

Charolles

1999

などの

Discursivo-cognitive(談話認知的)な立場、後者は Kleiber, (2001)

に代表

される

Lexico-stéréotypique(語彙ステレオタイプ的)な立場である。連想照応の 「何が照応詞の指示対象

を先行詞の指示対象に結びつけるのか」 という問題に関わる。

5 les méronymiques,les actancieles, les fonctionelles:大まかな分類として

Kleiber (2001)

に拠る。その本ではよ り厳密に分類されているが、特に本稿では必要ないので割愛する。

6 正確には連想照応する可能性がある。現実には文脈に不適当な場面において連想照応が使われることは殆 どないと考える。ただし、何かしらの効果を狙って、文学的表現において使用されることは十分考えられ

(10)

得る。

7 一般にフランス語文法において譲渡不可能所有(aliénabilité)と説明される。譲渡不可能所有には、la

jambe de Pierre

など身体部位表現とともに

les pieds de la table

という無生物の部分・全体関係も含まれる。

しかし、連想照応においては無生物の 「全体・部分」 関係をなすものに関しては、モノとして扱いその照 応が容認される。分離不可能性と訳されることも多い。

8 本稿で使用した 「モノ」 の用語は、生物・非生物の区別において、非生物の特徴を持っているということ を表す。

9 『神戸女子大学教育諸学研究』第 25 巻(2011) p.127-138。「連想照応と描写性」

10 Carlson(1977)より。指示対象の存在のあり方における分類。時間に関係のない存在(individual level)と、

時間に束縛された存在(stage level)に分けることで、言語現象における振る舞いの違いを明らかにする概念。

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(11)

Le présent article a pour but de démontrer l’importance de le role du temps de la phrase comprenant l’anaphore associative. Comprendre la différence de la acceptabilité de la anaphore associative comme dans “Il arriva une voiture devant le magasin. Le conducteur étaiet né de Bretagne./?Le conducteur descendit de la voiture.” nécessite non seulement le lien instrinseque entre l’antécédent et l’anaphore, mais l’absence du cours du temps. Cette restriction du temps joue un rôle important. La restriction du temps, c’est que le cours du temps n’existe pas entre la phrase antérieur et anaphore. Dans l’exemple précédent, ce qui garantit principalement le succès de l’anaphore associative, c’est moins le lien instrinque que la restriction du temps.

キーワード:連想照応(anaphore associative)、時間の制約(restriction du temps)、フレーム(cadre,frame)、

      内在的関係性(lien intrinsèque)、文脈(discours)

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