中 国 の 国 内事 情 へ の一 考 察25
中国の 国内事 情 へ の一考 察
大 谷 立 美
は じめ に
1949年 中華 人 民 共 和 国 が 建 国 され て以 来,中 国 の外 交 政 策 は 東 西 冷 戦 にお け る反 米,ソ 連 の修 正 主 義 を批 判 した 反 ソ,そ して ソ連 崩 壊 後 は共 産 主 義 の イ デ オ ロギ ー と中 国 共 産 党 の正 統 性 を維 持 す る た め,反 日へ と方 向転 換 した。 特 にそ れ を 決 定 付 け た の が1989年6月4日 に起 きた 「天 安 門 事 件 」 だ っ た 。 そ れ は 民 主化 を求 め た 数千 人 の大 学 生 を,人 民 解 放 軍 が 武 力 で鎮 圧 し,多 数 の 死 傷 者 をだ した事 件 で あ る 。 この と き国 内 的 に も国 際 的 に も中 国共 産 党 へ の信 頼 は 失 墜 した 。 そ れ を取 り戻 す た め に,共 産党 は 「愛 国教 育 」 を始 め た。 そ れ は 江 沢 民 政 権 で本 格 化 し た。 大 学 の新 入 生 に は軍 事 教 練 が 義 務 付 け られ,中 学, 高校 で は歴 史教 育 が 重視 され た 。特 に近 代 史,現 代 史 に力 が 入 れ られ,中 国が 帝 国 主 義 列 強 や 日本 の 軍 国 主 義 に侵 略 さ れ た 屈 辱 の歴 史 が 強 調 され る よ う に な っ た 。事 実 上,「 反 日教 育 」 の 開 始 で あ る。
2012年,民 主 党 政 権 に よ る尖 閣 諸 島 の 国 有 化 を き っか け に,中 国全 土 で 反 日の 嵐 が 吹 き荒 れ た 。 日系 企 業 が標 的 とさ れ,暴 徒 化 した民 衆 に略 奪,破 壊 さ れ た 。 そ の と き私 は,テ レ ビや新 聞 の ニ ュ ー ス を念 入 りに分 析 しなが ら,あ る 疑 問 を もっ た 。 そ れ は デ モ して い る 人 々 が,本 当 に尖 閣諸 島 の 国有 化 で 日本 に 対 して 怒 り狂 っ て い る の だ ろ うか 。 デ モ 隊 の 中 に は毛 沢 東 の 肖像 画 を高 く掲 げ て い る人 が何 人 もい る 。 反 日デ モ で,な ぜ 毛 沢 東 が賛 美 さ れ る のか 。 日本 車 を
見 つ け て は そ れ を破 壊 す る若 者 を見 て,反 日 とい う よ り も,何 か 日頃 馨 積 した 不 満 を,暴 力 で表 して い る よ う に思 えた 。「彼 らは何 に怒 って い るの だ ろ うか ⊥
「中 国の 国 内 で 何 が 今 起 こ って い るの だ ろ うか 」,こ う した疑 問 を私 は持 つ よ う にな り,中 国 の 国 内事 情 を調 べ 始 め た。本稿 は そ の 調査 の 最初 の 報 告書 で あ る 。
所 得 格 差 の 増 大 と 農 民 工
中 国 国 家 統 計 局 は,2013年 の ジ ニ係 数 を発 表 した 。2000年 以 来,13年 ぶ り の こ とで あ る。 ジニ係 数 とは所 得 格 差 を示 す ッ ー ル と して使 わ れ,イ タ リアの 統 計 学 者 コ ッ ラ ド ・ジ ニが 考 案 した もので あ る。そ の 数 値 の 基 準 は0か ら1で,
0は 国民 が 同 じ所 得 を得 て お り,社 会 が 完 全 に平 等 で あ る こ と を示 す 。 一 方, 1に 近 くな れ ば な る ほ ど格 差 が 増 大 し,一 般 的 に,0.4以 上 に な る と社 会 が 不 安 定 とな り,貧 困者 が暴 動 を起 こす 危 険水 域 とい わ れ る。
中 国 国家 統 計 局 は2000年,ジ ム 係 数 を推 計0.412と 発 表 した 。 しか し世 界 銀 行 は2008年,中 国 の ジニ係 数 を,推 計O.47と 見 積 も って い る。 そ して今 回 は, 国家 統 計 局 は2012年 ジニ係 数 を0474と 公 表 した。 明 らか に 警 戒 ラ イ ン を超 え て い る。 これ は中 国 政府 が正 式 に 国 内 の所 得 格 差 が増 大 して い る こ とを認 め た こ と に な る。 ち なみ に ジニ 係 数 日本 の場 合 は0.395(2010年),ア メ リ カ は0.378 (2011年)で あ る。1)
こ の 「所 得 格 差 ⊥ 「貧 富 の格 差 」 の 増 大 を,産 経新 聞 の 河 崎真 澄 上 海支 局長 は次 に よ う に報 告 して い る。 支 局 長 に よ る と,北 京 大 学 中 国社 会 科 学調 査 セ ン タ ー の発 表 で は,世 帯所 得 上位5%の 富 裕 層 と下 位5%の 貧 困層 の 年 収 格 差 が, 2012年 の全 国 平均 で234倍 に達 した とい う。2010年 の調 査 で は こ れが129倍 だ っ
た。 わず か2年 あ ま りで,頂 上 の 富 裕 者 と どん 底 の 貧 困 者 の格 差 比 率 が,2倍 近 く拡 大 した こ とに な る。 さ らに河 崎 支 局 長 に よれ ば,北 京 大 学 の 「中 国家 庭
追跡 調 査 」 と題 す る こ の報 告 書 で,富 裕 者 トップ5%が,全 国 民 の所 得 収 入 の 23.4%を 得 て い る と い う。 また 所 得 上 位25%の 世 帯 が,年 収 全 体 の59.0%を 占
め て い る。 一 方 で,下 位25%の 世帯 年収 は,3.9%し か な らな い とい う。2) で は そ の富 裕 者 とは どん な人 た ちか 。 彼 らは なぜ そ こ まで お 金 持 ち に なれ た
中国の国内事情へ の一考察27 の か 。 一 方,人 口 の大 多 数 を 占 め る貧 困者 と誰 か。 彼 らの貧 しさ は永 遠 に続 く の か 。
まず 貧 困者 の多 くが 農民 で あ り,ま た農 村 か ら都 市 に 出稼 ぎに来 て い る
「農 民 工 」 とよ ばれ る人 た ちで あ る。 実 は中 国 で は,住 民 が都 市 と農村 で は 戸 籍 が 異 な る。 都 市 の 住 民 は 「城 鎮 戸 籍 」,農 村 は 「農 業 戸 籍 」 と呼 ば れ る 。
この 制 度 を作 っ た の は建 国 の父,毛 沢 東 で あ る。 彼 は農 業 の重 要 性 を考 え,農 民 をそ の 土 地 に 固 定 した 。 農 民 が 都 市 に 流 入 す る こ と を未 然 に防 こ う と した 。
こ う して そ の 人 が,た また ま農村 に 生 まれ る と,原 則 と して一 生 農 民 と して生 き る こ と とな る 。 生 まれ た子 供 は 母 親 の戸 籍 に入 る。 母 親 が農 民 で あ れ ば,た と え父 親 が都 市 戸 籍 で あ っ て も,こ ど もは 農業 戸 籍 とな る。3)
この 中 国 特 有 の 戸 籍 制 度(中 国語 で は 「戸 口制 度 」 と呼 ぶ)は,1958年 に 『中 華 人 民 共 和 国 戸 口登 記 条 例』 が 施 行 され,食 料 の 配給 制 度 が始 ま っ た。 こ れ は 都 市 住 民 だ け を対 象 に,「 糧 票(リ ア ンピ ア オ)」 とい わ れ る 配給 切 符 と交 換 に 食 糧 を得 る制 度 で あ る。 した が っ て都 市住 民 で あ る こ とを確 認 す る必 要 性 が生 じる。 そ の 判 別 の た め に戸 籍 制 度 が で きあ が り,都 市戸 籍 を持 つ者 だ け が,都 市 が 提 供 す る各 種 サ ー ビス を受 け られ る シス テ ム が で きあ が っ た の で あ る 。4)
「都 市 の ス ラム化 を 防 ぐた め,農 民 の流 入 を 阻止 す る⊥ そ の た め に 「農民 を 農 村 に 固定 す る」,こ れが こ の戸 籍 制 度 の 目的 で あ る。 しか し1979年,都 小 平 が 「改 革 ・開放 政 策 」 を始 め た こ と に よ って,こ の 戸 籍 制 度 は 大 き く揺 ら ぐ こ とに な る。 この 「改 革 ・開 放 政 策 」 と は,社 会 主 義 国 家 の 膠 着 した 計 画 経 済 を
「改 革 」 し,経 済発 展 の た め に海 外 か らの 投 資 を 受 け 入 れ る よ う に 「開放 」 す る と い う も の で あ る 。1979年 か ら80年 に か け て,郵 小 平 は,広 東 省 の 深 釧, 珠 海 な ど沿 岸 に あ る都 市 を 「経 済 特 別 区(経 済 特 区)」 を作 り,積 極 的 に 欧 米 企 業 を誘 致 した。 進 出 した 企 業 に は所 得 税 を軽 減 し,外 資100%の 企 業 を 認 め る な ど,さ ま ざ ま な優 遇 政 策 を実 施 した 。 そ の た め 閉 鎖 的 な中 国 で,自 由 な 経 済 活 動 が で きる とい う こ とで,海 外 か らた くさん の 企 業 が や って きた 。 当 然 の こ となが ら,そ れ らの外 国企 業 は非 常 に高 給 で,国 内 の 労 働 者 は職 を求 め て殺 到 した。 もち ろ ん 内 陸農 村 部 か ら も,自 分 の 畑 を捨 て,都 市 に職 を求 め る者 が
急 増 す る。 こ う して 「農 民工 」 の誕 生 とな る。
農 民 工 と は,農 村 の戸 籍 を もち な が ら,都 市 で働 く労 働 者 で あ る。 特 に貧 困 地 域 で あ る内 陸 部 か ら沿岸 部 を中心 とす る都 市 に流 入 し,単 純 労 働 者 と して主 に建 設 業,採 鉱 業,第 三 次 産 業 な どに従 事 す る 。 そ の 人 口 は,2012年 の 時 点 で, お よ そ2億6,300万 人 と推 定 さ れ る。 彼 ら は経 済 発 展 に よ っ て もた ら され る社 会福 祉 を受 け る こ とが で きず,非 雇 用 者 の 中 で,最 低 の賃 金,最 低 の 労働 条件, 最低 の 労働 環境 の な か で働 い て い る。
そ もそ も農民 が都 市 に 出稼 ぎに 来 て も,簡 単 に就 職 で きな い。 なぜ な ら多 く の 工場 労働 者 は世 襲 制 だ か らで あ る。 特 に 国有 企 業 が そ うで あ る。 父 親 が 勤 め て い た ら,そ の 息子 もそ の 国有 企 業 に就 職 す る。 そ こ に は農 民 戸 籍 の 人 間が 入 る隙 間 は な い 。厳 しい雇 用 状 況 の な か必 死 で職 を求 め働 く もの の,彼 らの 生 活 は い っ こ うに楽 に な らな い。 しか も彼 らは,医 療,住 宅,教 育 な どの 公 共 サ ー ビス を受 け る こ とが むず か しい。 た とえ ば住 居 は,農 民 工 は一 時 的 な居 住 権 し か得 られ な い。 また 自治 体 に よっ て は,居 住 権 利 を取 得 す る際 多 額 の 支 払 い
を要 求 す る場 合 が あ る。 農 民 工 の不 利 な状 況 は,教 育 で も顕 著 で あ る。 農 民 工 の子 供 は都 市 戸 籍 の子 供 と同 じ学 校 に行 け な い。 か わ りに学 費 を払 って 「私 立 学 校 」 に行 く。 「私 立 学 校 」 とい っ て も粗 末 な校 舎 で,ま と もに教 科 書 もな い。
都 市 戸 籍 の子 供 が通 う学 校 に比 べ て教 育 水 準 が 著 し く劣 る。とて も 「私 立 学 校 」 と呼べ る もの で は な い。 一 方,農 民 工 の多 くが 家 族 を地 元 に残 して い る。 現 在 お よそ5,800万 人 の留 守 児 童 が い る と推 測 され て い る。当 然 都 市 に出 稼 ぎ に行 っ た 夫 の 妻,そ の親 「留 守 老 人 」 の介 護 問 題 もあ る。 こ う して 農 工 民 は,中 国 の社 会 主 義 市 場 経 済 に お い て,そ の 底 辺 で経 済 を支 え る存 在 で あ る と 同時 に, 家 族 を含 め た社 会 に多 大 な影 響 を及 ぼ してい る。5)
富 裕 層 の 海 外 移 民
今 中 国 で,大 規 模 な移 民 ブー ムが 起 こ って い る。 これ は中 国 現 代 史 上3回 目 の 「移 民 潮(ブ ー ム)」で あ る。 評 論 家 の 石 平 氏 に よれ ば,今 回 の移 民 ブ ー ム は, 前 回 の2回 に比 べ,ま っ た く異 質 で あ る。 そ れ は移 民 の 中 心 が,富 裕 層 と企 業
中国の国内事情への一考察29 家 だ か らだ 。2013年1月 に発 表 され た 「中 国国 際 移 民 報 告 書2012年 」に よれ ば,
1千 万 人 民 元(約1億6千 万 円)以 上 の 資 産 を もつ 中 国 国 民 の6割 は,す で に 海 外 に移 民 して い る か,あ る い は 近 く移 民 を検 討 して い る とい う。 さ らに個 人 資 産1億 人 民 元 以 上 の 富裕 企 業家 で は27%が す で に移 民 済 み で,47%が 移 民 を 検 討 中 で あ る 。6)
中 国 は歴 史 的 に,海 外 に移 民 す る伝 統 が あ る。 そ の人 た ち の子 孫 が 日本 を含 め 世 界 各 地 に住 む 華 僑 で あ る。 しか しそ れ らの 華 僑 の 大 半 は,貧 困 層 出 身 で あ っ た。彼 らは飢 謹 や 災 害 か ら逃 れ るた め,祖 国 をす て海 外 に新 天 地 を求 め た。
しか し現 在 の移 民 は かつ て とは ま っ た く違 う金 持 ち ばか りで あ る。 なぜ か 。 そ れ は彼 らの 自 己 の財 産 に対 す る不 安 で あ る。 共 産 党 一 党独 裁 の 中 国 で は,な ん らか の事 情 が 起 き て,党 の命 令 で 全 財 産 が 没 収 され る と い うこ とが あ りう る。
しか し個 人 の財 産 を守 る法 律 が 整 備 され てい る ア メ リ カや カナ ダ な どの 国 々 で あ れ ば そ の心 配 は な い。
中 国 人 富 裕 層 に とっ て 移 民 先 の 国 と して 最 も人 気 が 高 い の が ア メ リ カで あ る。 ア メ リカ に はEB‑5プ ロ グ ラム とい う移 民 法 に基 づ い た 制 度 が あ る。 こ れ は50万USド ル,も し くは100万USド ル を投 資 す れ ば,ア メ リ カ の永 住 権 と 資 産 運 用 に よ る 配 当 金 を 得 ら れ る シス テ ム で あ る。 そ の 永 住 権 は 申 請 者 の 本 人,配 偶 者,21歳 以 下 の 子 供 も対 象 とな る。 そ して5年 後 に は,ア メ リ カ市 民権 の 申請 が 可 能 だ とい う。
ア メ リ カ移 民 局 の デ ー タ に よ る と,2007年 に ア メ リ カへ の投 資 移 民 を 申請 し た 中 国 人 は270名 。 そ の う ち161名 が 受 理 され た とい う。2011年 に な る と, 申請 者 は10倍 以 上 とな り,そ の 過 半 数 が 受 理 され た 。1億 円 以 上 の 資 産 を所 有 す る富 裕 層 の うち,ア メ リ カへ の移 民 を考 え て い る 人 が40%以 上 を 占 め て い る。 ア メ リ カ移 民 局 発 表 の統 計 に よ れ ば ,2013年 の投 資 移 民 の4分 の3が 中 国 人 だ とい う。7)
オ ー ス トラ リア で も同様 の 「高 額 投 資 ビザ 」 制 度 が,2011年ll月 か ら始 まっ た。 この ビザ の 発 給 要 件 は,「(当 事 者 に)犯 罪 歴 が な い こ と⊥ 「500万オ ー ス トラ リ ア ドル(約4億5千 万 円 を 同 国 の 国債 や 企 業 に4年 以 上 投 資 す る こ と)
の み を条件 と し,英 語 力 は 求 め られず,年 齢 制 限 もな い。 ま た オ ース トラ リア 国 内 で の起 業 も義 務 付 け られ て い な い 。 「高 額 の投 資 を して さ え くれ れ ば 移 民 と して 受 け入 れ る」 とい う きわ め て 寛容 な 政 策 で あ る。 この制 度 が 開始 さ れ
て以 来545人 が 申 請 し,う ち91%が 中 国 人 で あ っ た とい う。
一 方,逆 の 動 き もあ る 。 カナ ダは 長年 この 「投 資移 民 」制 度 を維 持 して きた 。 そ れ は80万 カナ ダ ドル(約7,500万 円)を 所 定 の 要件 に5年 間投 資 す れ ば,移 民 権 を認 め る とい う もの だ っ た 。 この 制 度 を利 用 して,1997年 香 港 の 英 国 か
ら中 国へ の返 還 時 に は,多 数 の香 港 富 裕 層 が 大 挙 して カナ ダ に移 住 した 。 そ の 後 は投 資金 額 が 他 国 に比 べ て安 い こ と も あ っ て,中 国人 が この 制 度 を利 用 して カ ナ ダに移 民 した。 しか しこの 数 年,カ ナ ダへ の 中 国 人移 民 数 は減 少 して い る。
具体 的 に は2007年 は2万4千 人 だ っ たが,2011年 は1万5千 人 と36%減 と な っ て い る 。 そ の 原 因 と して 考 え られ る の が,カ ナ ダ政 府 が 申請 者 に課 して い る英 語 能 力 の 基 準 で あ る。 全 体 で12級 あ る うち,4級 以 上 で あ る こ とが 条 件 だ が, そ の レベ ル を満 た して い な い 中 国 人 が多 い とい うこ とを,こ の事 実 は示 す 。
中 国 ウ オ ッチ ャー と して 著 名 な 評 論 家 の 長 谷 川 慶 一 郎 氏 は,こ う した 富 裕 層,特 に共 産 党 幹 部 の 外 国 へ の 遁 走,資 産 逃 避 の現 象 は,彼 ら 自身 の 地位 が 高 け れ ば 高 い ほ ど,「中 国 共 産 党 の 一 党 独 裁体 制 が,未 来 永 劫,継 続 す る こ と は な い」 と考 えて い るか らだ と指 摘 す る。 した が っ て彼 らは今 まで 蓄 え た 資 産 の 一 部 を海 外 に移 転 し なれ ば と,あ りとあ らゆ る手段 で 法 の 制 約 を く ぐっ て 資 産 逃 避iを繰 りえ して い る。そ の 象 徴 が 「裸 官 」で あ る。「裸 官 」とは,い ざ とい う と き の た め に妻 子 と不 正 蓄 財 した財 産 を 海 外 逃 が し,自 分 は 国 内 に残 り,汚 職 に よ っ て不 当 なお 金 を得 続 け る共 産 党 や 国 有 企 業 の 幹 部 を指 す 。 中 国 の 政 府系 シ ンク タ ン クが 発 表 した統 計 に よ る と,1990年 以 降 そ う した 「裸 官 」 の 人 数 は, お よそ8ρ00人 か ら1万6,000人 。 持 ち出 され た資 産 は8,000億 元(約12兆8,000 億 円 に も及 ぶ とい う。8)一 方2011年 の 中 国社 会 科 学 院 の 調 査 に よ れ ば,1990 年 半 ば か ら海外 に逃 亡 した 汚 職 官 僚 は1万8,000人,持 ち 出 さ れ た 資 産 は前 述
と 同 じ8,000億 元 と報 告 して い る。 しか し実 際 に は100〜400兆 円 に も達 す る とい う指 摘 もあ る。さ らに 長谷 川氏 に よれ ば,2013年 以 降 中 国 の空 港 で は,そ れ
中国の国内事情へ の一考察31 が北 京 で あ れ上 海 で あ れ,出 国す る外 国人 旅 行 者 に対 して,税 関 当 局 が 財 布 の 中 身 を厳 し くチ ェ ックす る よ うに な っ た とい う。 も ち ろ ん財 布 の 中身 を旅 行 者 自身 が 自分 の 国 か ら持 ち込 ん だ お金 で あ るが,そ れ に加 えて 中国 人 の 金 持 ち に 依 頼 さ れ て,外 国へ 彼 らの 資産 を逃 避 させ る協 力 者 と疑 って い るの で あ る。9)
史 上 最 悪 の 大 卒 就 職 難
2014年7月7日 香 港 の英 字 紙 「サ ウス チ ャ イ ナ ・モ ー ニ ン グ ・ポ ス ト」 は,
「大 卒 の 就 業 が 最 も困 難iな1年 」 と題 した 記 事 を掲 載 し,今 年727万 人 とい う 史上 最 多 の大 学 卒 業 生 が 奔 走 す る 中 国本 土 の 就 職 戦 線 の 現 状 を報 じた 。 中 国 本 土 の 大 卒 就 職 希 望 者 は昨 年 よ り18万 人 増 え て727万 人 。 大 卒 の 失 業 率 は2010 年 が12%。2011年 が17.5%で あ り,今 まで 最 多 の大 卒 者 が で る今 年 は,こ の 失 業 率 は ます ます 悪 化 す る と予 測 さ れ る。 こ の大 学 新 卒 者 の 失 業 者 増 加 は なぜ な
の だ ろ うか。 ま た そ れ は 中 国社 会 に何 を も た らす の だ ろ うか 。10)
中 国 で は社 会 的 に 出世 す る た め の数 少 ない 手段 が 大 学 を卒 業 す る こ とで あ っ た。 学 士 号 は働 き甲斐 の あ る仕 事 と生 活 の 安 定 を保 証 した 。 また そ れ は本 人 の 名 声 とな り,家 族 の名 誉 と も な る。 そ の ため 大 学 進 学 希 望 者 が 急 増 した 。 学校 数 も1998年 の 約1,000校 か ら,2011年 に は約1,800校 以 上 と な っ た。 必 然 的 に 大 学 の 定 員 が 飛 躍 的 に拡 大 した 。1998年10&4万 人 だ っ た大 学 定 員 は,2011年
に は681.5万 人 と約7倍 まで 増 え た。 年 平 均 で50万 人 増 えた 情 況 で あ る。 こ れ だ け の大 学 生 が 毎 年6月 卒 業 し雇 用 を求 め る。
大 卒 就 職 難 に はい くつ か の 原 因 が 指摘 され て い る。 ひ とつ に は新 卒 の多 くが 第 三 次 産 業 に就 職 を希 望 す るか らで あ る。 事 実,経 済 の発 展 と と もに,中 国 の 産 業 構 造 は急 速 に変 化 しつ つ あ る 。2012年 の 国 内 総 生 産 の 内 訳 を 見 る と,第 一 産 業 が10.1%,第 二 次 産 業 が45.3%,第 三 次 産 業 が44.6%と な っ て い た。 し か し 中 国 統 計 局 は2014年1月,2013年,第 三 次 産 業 がGDPに 占 め る比 率 が 46.1%と な り,つ い に第 二 次 産 業 を超 え た と報 告 した 。 サ ー ビス 産 業 を発 展 さ せ,経 済 構 造 の転 換 を推 進 す る こ と は,経 済 政 策 の 大 きな 目標 で あ っ た。 しか した とえ第 三 次 産 業 が 一 次,二 次 を抜 い て トッ プ に な った と して も,そ れ が 中
国 の 経 済 構 造 が 進 展 した と い う こ とに は な らな い 。 なぜ な ら ば 中 国 が い ま だ
「世 界 の下 請 工 場 」 で あ り,本 社 機 能 が脆 弱 の た め に独 自の 知 的 集 約 的 サ ー ビ ス が育 っ て い な い のが 現 状 だか らで あ る。 特 に法律,会 計,保 険 金 融分 析 等 の業 務 に 関す る分 野 に 限定 され てい る。 結 果,新 卒 者 が 第 三 次 産 業 を希 望 して も雇 用 全 体 の規 模 が 小 さ く,し か も専 門性 にお け る能 力 の 不 備 が 雇 用 を妨 げ て い る 。
さ らに雇 用 を求 め る者 が 就 職 先 の所 在 地 と して 大都 市 や 東 部 沿 岸 地 区 の都 市 に こだ わ る傾 向 が あ る。 彼 らは比 較 的求 人 が あ る に もか か わ らず 内 陸 部 の 地 方 都 市 に は あ ま り興 味 を示 さ な い。 なぜ な ら地 域 経 済 の 格 差 が 広 が って い るか ら で あ る。 中 国経 済 は過 去30年 間 毎 年10%以 上 の発 展 を遂 げ て きた が,一 人 当 た りの 可処 分 所 得 が3万 元 を超 え る北 京 や 上 海 な ど の大 都 市 が あ る一 方,内 陸 部 に 行 く とそ の 半分 以 下 の地 域 が多 い。 必 然 的 に就 職 希 望 者 は よ り高 額 の 賃 金 を求 め て都 市 に 集 中 す る こ とに な る 。
中 国 で は数 年 前 に 「蟻 族 」 とい う新 語 が 生 まれ た。 こ の こ と ば の起 源 は 『蟻 族:大 学 卒 業 生 が 集 ま り住 む村 の 実録 』 とい う本 が きっ か け で あ る。 こ れ は北 京 大 学 の"中 国与 世 界 中心(中 国 と世 界研 究 セ ン ター)"の 当 時博 士 研 究 員 だ っ た廉 思 とい う人 物 が 研 究 チ ー ム を組 織 し,1年 半 に 及 ぶ 実 態 調 査 を ま とめ て 2009年 に 出 版 した もの で あ る。 これ 以 来,"蟻 族"と い う こ と ば は,大 学 を卒 業 して も就 職 で きず,都 市 で 放 浪 す る若 き大 卒 卒 業 者 の こ とを 呼 ぶ専 門用 語 と
して 定 着 した。 年 齢 的 に は ほ ぼ22〜29歳 。 大 部 分 が 大 学 を 卒 業 して3年 位 。 平 均 月 収 は2,000元(約2万6,000円)未 満 で,家 賃 が 安 く,居 住 面 積 が狭 く, 衛 生 条 件 が 悪 い賃 貸 住 宅 で,自 炊 し なが らか ろ う じて 生 活 して い る。 北 京 の 郊 外 に は 今,約10万 人 以 上 の こ う した蟻 族 が い る とい う。 も ち ろ ん 北 京 だ け で は な く,全 国各 都 市 で も大 勢 の 蟻 族 が い る。 今 後 中 国 経 済 が 行 き詰 ま り不 況 と な れ ば,大 卒 失 業 者 で あ る蟻 族 が ます ます 増 え て い く こ とに な ろ う。11)
少 数 民 族 問 題:激 増 す る ウ イ グ ル 族 の 暴 動 と 政 府 に よ る 弾 圧
2012年 の発 表 に よれ ば 中 国 の 人 ロ はお よそ13億6,000万 人 。 そ の うち漢 民 族
中国の国内事情への一考察33 は 全 体 の92%,残 り8%が 少 数 民 族 で あ る。2014年 現 在 の 人 口 を お よそ14億 人 と見 積 もる と,約1億2,000万 人 が 少 数 民 族 とな り,そ れ は 日本 の 人 口 に 匹 敵 す る 。 地 理 的 に は北 東 部 や 内 陸部,西 南 部 に55の 少 数 民 族 が 居 住 して い る 。 そ の うち 一 番 人 口 が 多 い のが チ ワ ン族 で1,800万 人 以 上 を超 え る。 チ ワ ン族 を 含 め人 口が100万 人 以 上 い る民 族 が18。100万 か ら10万 人 の 民 族 が15あ る。 中 国政 府 は こ う した少 数 民 族 が 集 中 して居 住 す る地 域,自 治 区,自 治 州,自 治 県 と して 区別 して い る。 なか で も広 西 チ ワ ン,寧 夏 回族 内 モ ン ゴル,新 彊 ウ イ グ ル,チ ベ ッ トの5つ の 自治 区 は省 ・直 轄 市 と並 ぶ 一 級 行 政 地 区 の 扱 い と な っ て い る 。 ま た この5つ の 自治 区 の 総 面積 は,中 国 国 土 の 約60%に も及 ぶ 。 し か し 「自治 区」 と名 前 が つ い て い て も,完 全 な 自治 や 民 族 自決 権 が 認 め られ て い る わ け で は な い 。 一 定 の 財 産 管 理 権 や 単 行 法 規 の 制 定 が 許 さ れ て い る だ け で,基 本 的 な政 策 はす べ て 政 府 の 主 導 で 決 定 され る。
これ らの 少 数 民 族 に対 して 政 府 は 「優 遇 策 」 と 「強 固 策 」 の 両 面 で 政 策 を進 め て い る。 まず優 遇 策 で は,そ の 民 族 の 言 語 や 文 化 を教 え る 学校 を作 り,そ の 居 住 地 に公 共 投 資 を行 って きた 。 大 学 の 入 学 試験 で も特 別 な 配慮 が な され て い る。漢 民族 と結 婚 した 際 は,一 人 っ子 政 策 の適 用 外 と され2人 の 子 供 が もて る。
また 一 定 の 比 率 で 自治 政 府 の 幹 部 に も雇用 され て い る 。 しか しそ れ は ほ とん ど ナ ンバ ー2の 役 職 まで に 留 ま り,自 治 区 党書 記 の トップ の ポ ス トに は漢 民 族 が 就 い て い る 。 一 方,少 数 民族 を あ ま りに優 遇 しす ぎる と,今 度 は漢 民 族 の方 に 不 平 等 感 と不 信 感 が 高 ま る。 「二 流 市 民 」,「被 支 配 者 」 とい う意 識 が欝 積 す る 少 数民 族 と 「支 配者 」 と して の漢 民 族,こ の両 者 を上 手 にバ ラ ンス と と る こ と が 中央 政府 に とっ て非 常 に大 切 とな る。12)
少 数民 族 問題 の な か で最 も深 刻 な のが,新 彊 ウ イ グ ル 自治 区で あ る。 そ の 地 域 は 中 国 北 西 部 に位 置 し,面 積 は165万 平 方 キ ロ メ ー トル と中 国 の6分 の1を
占 め る 。 中 国 の 省 ・自治 区 で は 最 大 の 広 さで,日 本 の 面 積 の4〜5倍 は あ る。
人 口 は約2,200万 人 で,そ の うち の45%が イ ス ラ ム教 徒 の ウ イ グ ル族 と,40%
の漢 民 族 が住 む 。 ウ イ グル 自治 区 は西 と北 が800キ ロ以 上 隣 国 の カ ザ フス タ ン と国境 を共 有 して い る。 カザ フス タ ン に も ウ イ グル 族 は住 ん で い る。 した が っ
て 国境 とい っ て も大 草 原 地 帯 だ け に そ れ は な い の に等 し く,ウ イ グ ル族 同士 自 由 に行 き来 す る こ とが可 能 で あ る。 事 実,ウ イ グ ル族 の独 立 運 動 を支 援 す る た め に 多 くの 武器 や 資金 が,こ の 国境 を越 え て流 れ込 ん で くる。 もち ろ ん政 府 は 人 民解 放 軍 に よっ て この 国境 を監 視 させ て い る。 しか し国境 線 は あ ま りに も長 く,た とえ鉄 条網 を張 っ て遮 断 した と して も次 は そ の維 持,補 修 が 必 要 と な る。
ま た遊 牧 民 の 移 動 もあ り,国 境 線 の 管 理 は ほ ぼ不 可 能 に近 い 。13)政府 は1955 年 に この 地 域 を 自治 区 と して 中 国 に組 み 込 ん で以 来,約250万 人 とさ れ る 漢民 族 中心 の 「新 彊 生 産 建 設 集 団 」 を駐屯 させ,農 地 を開 墾 させ な が ら国境 警備 の 任 務 も課 して きた 。 同 時 に彼 らは ウ イ グル 族 の独 立 を押 さ え込 む役 割 を担 っ て きた。 こ う した漢 民 族 と協 調 し,民 族 的 に も同 化 し,経 済 的 繁 栄 の 恩 恵 を受 け て い る ウ イグ ル族 も少 な くない 。 一 方 漢 民 族 の 支 配 を嫌 い,経 済 発 展 に取 り残 され る ウ イグ ル族 もい る。 結 果 と して ウ イ グ ル族 内 で の 貧 富 の 差 が 拡 大 し,不 満 が 高 まっ て い る。 ウ イグ ル 人 の 「東 トル キス タ ン共 和 国」 は歴 史 的 に第 二 次 世界 大 戦前 の1933年 に 一 度独 立 して い る 。
しか し人 民 共和 国 とな っ て か らは政 府 の激 しい弾 圧 に よっ て そ の指 導 者 た ち は トル コ な どの イ ス ラ ム諸 国やEU,北 米 と逃 れ て い る。 亡 命 ウ イ グル 人 組 織 で あ る 「世界 ウ イグ ル会 議 」は,
国内 にお け る ウ イ グ ル族 に対 す る人 権 侵 害 を 国際 的 に告 発 して い る。 ウ イ グ ル族 が 政 府 に激 し く反 発 し抗 議 す る の に は さ ま ざ ま な理 由が あ る。 た とえ ば ウ イ グ ル族 は死 者 に対 して土 葬 の伝 統 を持 つ 。 そ の た め 自治 区 内 に は 土 葬 の墓 地 が,限 りな く存 在 す る。 しか し地 方 政 府 は,そ の 墓 地 を強 権 的 に没 収 し,高 層 住 宅 を建 設 す る。 掘 り起 こ され ミ
中国の国内事情 への一考察35 イ ラ化 した死 体 は,強 制 的 に 別 の場 所 に移 さ れ埋 め な お さ れ る。 こ う した こ と は ウ イ グル 族 に とっ て 漢 族 が 自分 た ち の 文化 や伝 統 を,完 全 に無 視 す る行 為 で あ る と受 け 止 め る。 そ の他 に イ ス ラム教 徒 と して宗 教 上 避 妊,中 絶 が で きな い ウ イ グル 女 性 が,一 人 っ 子 政 策 維 持 の 目に 中 絶 を 強 要 され る な ど,漢 族 に よ る 過 酷 な差 別 政 策 が 行 わ れ て い る 。 そ れ が ウ イグ ル 人 に よる 過激 な 反政 府 運 動 を 引 き起 こ して い る。2014年7月28日,新 彊 ウ イ グ ル 自治 区 南 西 部 の カ シ ュ ガ ル 地 区 ヤ ル カ ン ド県 で,ウ イ グ ル 族 と見 られ る容 疑 者 グ ル ー プが 住 民37人 を 殺 害 し,反 撃 した警 察 当 局 が容 疑 者59人 を射 殺 した。死 者 の 合 計 は96人 と な り, この 事 件 は2009年7月 に197人 が 死 亡 した 区都 ウル ム チ の 大暴 動 以 来,最 大 規 模 の 衝 突 と な った 。2014年 に入 りこ う した 襲 撃 事 件 や暴 動 が続 発 して い る 。
2009〜2014年8月 ま で の ウ イ グ ル 人 に よ る暴 動 ・テ ロ事 件 2009年7月 新 彊 ウ イ グ ル 自治 区 ウル ムチ で 大 規 模 暴 動 。
当局 の 発 表 で死 者197年
2013年3月 同 自治 区 コ ル ラで ウ イ グ ル族 と漢 族 が 衝 突 し、4人 が 死 亡 、8人 が 負 傷
6月 同 自治 区 トル フ ァ ン地 区 ル クチ ェ ンで 武 装 集 団が 警 察 な ど襲 撃 して35人 が 死 亡
10月 北 京 の天 安 門前 に車 が 突 入 ・炎 上 し、40人 以 上 が 死 傷
2014年1月 同 自治 区 ア ク スス 地 区 で爆 発 事 件 の 捜 査 を行 っ て い た 警 察 官 に暴 徒 が 爆 発 物 を投 げ て襲 撃 。 暴 徒6人 が 射 殺 さ れ、 別 の6人 が 自爆
3月 雲南 省 昆 明 の 駅 構 内武 装 集 団8人 が 刃 物 で駅 利 用 者 を 襲 撃 し、29人 が 死 亡 、143人 が負 傷
4月 ウ ル ム チ 南 駅 で暴 徒 が刃 物 で駅 利 用 者 を 襲 い、3人 が死 亡 、79人 が 負 傷
5月 ウル ム チ の 朝 市 に2台 の 車 が 突 っ 込 み 、爆 発 物 を爆 発 させ 、31人 が 死 亡 、 79人 が 負傷
7月 同 自治 区 カ シ ュ ガ ル 地 区 ヤ ル カ ドで 大 規 模 な衝 突 が 発 生 し、 ウ イ グ ル人 とみ られ る 容 疑 者 グ ル ー プ が住 民37人 を殺 害 し、警 察 当局 が 容 疑 者59人 を射 殺 。死 者 、合 計96人
(読売 新 聞2014年8月4日)
ウ イグ ル族 に よる こ う した テ ロ事 件 や暴 動 に た い して政 府 は徹 底 的 に弾 圧 し て い る 。 なぜ な ら新 彊 ウ イグ ル 自治 区 は人 民 共 和 国 に と っ て決 定 的 に重 要 な地 域 だ か らで あ る。 この 自治 区 は 中 国 に とっ て 最 大 のエ ネ ル ギ ー 供 給 源 で あ る 。 天 然 ガ ス は80%,原 油 で60%を 占 め る 。 天 然 ガ ス は4,300キ ロ のパ イ プ ラ イ ン で 上 海 まで 送 られ,そ れ が 上 海 の 発 電 能 力 の40%を 支 え て い る。 も し ウ イ グ ル 族 が 反 乱 をお こ し この パ イ プ ライ ンを破 壊 す れ ば,中 国経 済 は大 きな ダ メ ー ジ を受 け る。 そ の た め 政 府 は ウ イグ ル族 の独 立 な ど決 して 認 め ず,ま す ます 強 権 的 に この 自治 区 を支 配 して い くで あ ろ う。14)
失 わ れ る チ ベ ッ ト族 の 宗 教 と 文 化
チ ベ ッ ト族 は 「世 界 の 屋 根 」 と呼 ばれ る標 高4,000か ら6,000メ ー トル に も及 ぶ 高 原 の 「ウ ・ツ ァ ン」,「カ ム 」,「ア サ ド」 とい っ た地 域 に居 住 して い る。 こ の うち の 「ウ ・ツ ァ ン」 が 「チ ベ ッ ト自治 区」 で あ る。 チベ ッ ト族 は 中 国全 土 に628万 人 い る とい わ れ,こ の う ちチ ベ ッ ト自治 区 に住 ん で い るの が272万 人 で あ る 。 チ ベ ッ ト族 は歴 史 的 に 長 い 間,独 自の宗 教 と文 化 を育 ん で きた。 ブ ッ
ダに よっ て 生 まれ た仏 教 は そ の後 イ ン ドを通 して紀 元4世 紀 に チベ ッ トに も伝 播 し,チ ベ ッ ト土 着 の 宗教 で あ る ボ ン教 と混 交 して,独 自の チベ ッ ト仏 教 が 形 成 され た 。 人 々 は そ れ を深 く信 仰 して きた 。
チ ベ ッ トは清 朝 ・中 華 民 国 時代 ま で,独 立 を保 持 して き た。 しか し1949年 に毛 沢 東 に よっ て 中 華 人 民 共和 国 が誕 生 す る と,状 況 が一 変 した。 当時 人 民 解 放 軍 は 国 民 党 軍 と内 戦 を続 け て い た 。 そ の な か で毛 沢 東 は 中 国全 土 の解 放 を 目 指 して い た 。 そ して そ れ に は チ ベ ッ トも含 ま れ て い た。 多 くの寺 院が あ り,僧 侶 が 社 会 を支 配 す るチ ベ ッ トは,中 国 共 産 党 にす れ ば 遅 れ た 封 建 社 会 で あ り, 毛 沢 東 は 「(チベ ッ トの)人 民 は 抑 圧 に苦 しん で い る 」 と考 え た。1950年1月
1日,彼 は 「人 民 解 放 軍 は チ ベ ッ トを解 放 す る 」 と宣言 した。 こ の と きか ら共 産 党 に よる チ ベ ッ ト族 へ の 弾 圧 と迫 害 が 始 ま っ た 。1950年10月,人 民 解 放 軍 4万 人 の 部 隊 が 長 江 を 渡 りチ ベ ッ トの東 部 に侵 攻 した。 チベ ッ トの軍 隊 は抵 抗 す る もの の圧 倒 的 な 兵士 数 の解 放 軍 に な すす べ な く,3週 間 で 降伏 。 こ の戦 闘
中国の 国内事情への一考察37 で8,000人 の チ ベ ッ ト兵 が 戦 死 した 。 そ の後 政 府 は チ ベ ッ トに 人 民 解 放 軍 を駐 屯 させ,土 地 を収 奪 し国 有化 した 。 一 方 「宗 教 は麻 薬 」,「宗 教 は共 産 主 義 国 に と って は悪 」 とい う毛 沢東 の号 令 の も と,僧 侶 は容 赦 な く弾 圧 さ れ,反 抗す る もの は次 々 に処 刑 され た 。1959年3月,チ ベ ッ トに 駐 留 す る人 民 解 放 軍 が , 精 神 的最 高 指 導 者 で あ る ダ ラ イ ・ラマ を拉 致 す る動 き を見 せ た 。 す る と ダ ラ イ ・ラマ が滞 在 して い る首 都 ラサ の ノ ル ブ リ ンカ離 宮 の 前 に は3万 人 もの 群 衆 が 集 ま り,ダ ラ イ ・ラマ を守 ろ う と した。 そ の 混 乱 の 中,ダ ラ イ ・ラマ は 人 々 と人 民 解 放 軍 の衝 突 を避 け るた め イ ン ドへ 亡 命 した 。 これ を知 り激 怒 した 政 府 は,人 民 解 放 軍 に対 して 民 衆 を武 力 で 鎮 圧 す る よ う に命 じた 。 結 果,そ こに い た3万 人 もの チ ベ ッ ト人 か ら多 数 の 死 者 が で た 。 さ らに 引 き続 きポ タラ宮 殿 や 聖 地 ジ ョカ ン寺 を攻 撃 し,そ こで も数 千 人 の死 者 を 出 した 。 こ の と き最 終 的 に 僧 侶 ら を 中心 に8万7千 人 の犠 牲 者 が で た とい わ れ る。 ダ ラ イ ・ラマ が い な く な る と人民 解 放 軍 は チ ベ ッ ト政 府 関係 者 や僧 侶 を次 々 に刑 務 所 や 労 働 改 造 所 に 送 り込 む な ど激 し く弾 圧 した。15)
2008年3月10日,ち ょ う ど北 京 オ リ ンピ ック が 開催 され る3ヶ 月前 ,自 治 区最 大 の都 市 ラサ で チベ ッ ト族 に よ る大 規 模 なデ モ が 発 生 した 。 この デ モ は チ ベ ッ ト仏 教 の僧 侶 た ちが 信 教 の 自 由 を束 縛 す る政 府 の 宗 教 政 策 に反 対 して起 こ した デモ だ っ た。 この 動 き に乗 じて,日 頃 か ら民 族 的 差 別 や 経 済格 差 で 苦 しむ チ ベ ッ ト人 が 加 わ った こ と に よ って 大 規模 な 騒 動 に発 展 した 。 また これ は ラ サ 市 に留 ま らず,自 治 区 周 辺 の 青 海 省,四 川省,甘 粛 省 な どの チ ベ ッ ト族 居 住 地 まで 広 が っ た。 暴 動 発 生 の 経 緯 に は 諸 説 が あ るが,チ ベ ッ ト亡 命 政 権 は3月 20日,一 連 の暴 動 事 件 に お け る チ ベ ッ ト人 の 死 者 は99人 と発 表 した。 一 方 政 府 は,ラ サ 市 の死 者 は13人,そ れ も暴 動 鎮 圧 の た め 出 動 した警 察 に よ る もの で は な く 「暴 徒 に よ る殺 害 」 と し,「 警 察 側 が 暴 徒 に威 嚇 射 撃 を して も暴 力 行 為 を や め なか っ た」 と説 明,発 砲 の正 当性 を強 調 した。16)こ う した チ ベ ッ ト 族 に よ る反 政 府,独 立 運 動 は終 わ る こ とが ない 。
2008年 北 京 オ リ ン ピ ッ ク の 暴 動 以 降 こ の数 年 は,チ ベ ッ ト自治 区ばか りで な く,青 海 省 や 四 川 省 な どの チ ベ ッ ト族居 住 地域 で,僧 侶 を中心 と した チ ベ ッ
共 産 中国 下 のチ ベ ッ ト(1949年 以降)
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天祝 チベ ット族 自治県
=1950年 甘粛省 併合
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ハ ベ ット族族 自治州
=1955年 四 川省併 合
瀟 鮪 ・1撫 賦 判
チベ ッ ト自治 区 ・1965年 併 答=(翼 魏 攣 曳)
1欄欄 腱 鍵 ̲鞭 撫
1・ブ ー タ ン=1967年 雲 南省 併合(!ベ ット名=ミ リ) (チベ ット名=鷺5謹 ・
雲 南 省 イ ン ド
P琿蹴L口L馴 ㎜ 禽蓼 聯 幽匝画鰍 聯乱蜘 繍 襲 轍
(出典:ダ ライ ・ラ マ 法 王 日本 代 表 事 務 所 ホ ー ム ペ ー ジ よ り)
ト人 の 焼 身 自殺 が 相 次 い で い る。 ラ ジ オ ・フ リー ・ア ジ ア に よれ ば2009年 以 降2014年5月 現 在,合 計136人 のチ ベ ッ ト人(中 国 国 内 の ほ か,イ ン ド,ネ パ ー ル在 住 を含 む)が 焼 身 自殺 を試 み,そ の うち113人 が 死 亡 した と伝 え て い
る。 そ の僧 侶 の 中 に は尼 僧 もお り,ま た 一 般 の 青 年 もい る。17)彼らは 「チ ベ ッ トに 自由 と独 立 を!」 「ダ ラ イ ・ラ マ法 王 の 帰 還 を!」 と叫 び つ つ 自 らに 火 を つ け る。 チ ベ ッ ト人 へ 弾 圧,チ ベ ッ ト仏 教 を抹 殺 しよ う とす る中 国 当 局 に 対 す る 「死 の抗 議 」で あ る。これ に対 して政 府 は,「焼 身 自殺 は仏 教 の教 え に反 す る」
「焼 身 自殺 す る もの は テ ロ リス トだ1」 「ダ ラ イ ・ラマ が 僧 侶 な ど を煽 動 して 焼 身 自殺 を させ て い る1」 との 見 解 をそ の つ ど発 表 して い る。 しか しチ ベ ッ ト族 が いか な る手 段 で 抵 抗 して も,中 国 はチ ベ ッ トに独 立 を認 め る こ と は絶 対 にな い だ ろ う。 なぜ な らばチ ベ ッ トは豊 富 な天 然 資 源 に恵 まれ て い るか らだ 。 た と え ば ウ ラ ンの埋 蔵 量 は世 界 一 とい わ れ る。 核 軍 拡 を進 め る中 国 に とっ て,そ の 材 料 と な る ウ ラ ンが た くさ ん あ る とい う こ とは,国 家 の 軍 事 開発 に と っ て チ
中国の国内事情への一考察39 ベ ッ トは必 要 不 可 欠 な地 域 と な る。 ウ ラ ン に続 き リチ ウム,ク ロム 鉄 鉱,ホ ウ 砂,鉄 な ど も世 界 有 数 の 埋 蔵 量 が 期 待 され て い る。 また 石 油 もア ム ド油 田 で は 年 間100万 ト ンの 原 油 が 産 出 され て い る。 これ らの 資 源 の 中 で最 も注 目 され て い る の が水 資 源 で あ る。 歴 史 的 に中 国 は,水 資源 の確 保 が 深 刻 な 問 題 だ っ た。
中 国 は2,000余 年 前 の 漢 の 時 代 か ら人 口 の ほ とん どが 黄 河 南 北 両 岸 に集 中 して きた が,こ れ は 川 の 近 くで な い と水 が確 保 で きな か っ た か らで あ る 。特 に 人民 共 和 国 誕 生 後 は,人 口 の 増 加 に と もな い,水 資 源 の枯 渇 が深 刻 な 問題 とな っ て きた 。 そ れ だ け に 「チ ベ ッ トの水 」 が 国 家 に とっ て ます ます重 要 に な る 。 こ う して チ ベ ッ トの 資 源 は,い ろ い ろ な 意 味 で 国家 を支 え る基 盤 とな りつ つ あ る。
こ う した 状 況 を踏 ま えた と き,中 国 共 産 党 が チ ベ ッ トを手 放 す こ とは あ りえ な い だ ろ う。
中 国 社 会 に 組 み 込 ま れ た 汚 職 腐 敗
1979年 郡 小 平 は 「貧 しい こ と は社 会 主 義 で は ない 」 と宣 言 し,「 豊 か な社 会 主 義 」 を 目指 し,経 済 の 「改 革 ・開 放 」 を 本格 的 に 始動 させ た 。 こ れ は社 会 主 義 国 家 の計 画 経 済 を廃 止 し,資 本 主 義 の 市 場 経 済 を導 入 す る こ とを 意 味 した 。
こ う して 中 国 は,政 治 体 制 は 共 産 党 一 党 に よる独 裁 国家,一 方経 済 シ ス テ ム は 資 本 主 義 国 家 とな った 。 この 共 産 主 義 と資 本 主 義 の抱 き合 わせ が,中 国社 会 に さ ま ざ ま な矛 盾 を引 き起 こす こ とに な る 。 なぜ な ら,そ の 資本 主義 が 中 国共 産 党 の 政 治 力 に支 配 され て い る か らだ 。 そ の た め 「自由経 済 」 の 「自 由」が な く, む しろ 「国 家 資 本 主 義 」 とか 「縁 故 資 本 主 義 」 と呼 ぶ の が ふ さわ しい。 ま た そ れ は 政 治 権 力 を持 つ もの が 経 済 を支 配 す る こ とに な り,そ こ に 中 国独 自の 資本 主 義 が 出 現 す る 。
そ の特 徴 の ひ とつ が 中 国 社 会 に 蔓 延 す る 汚 職 腐 敗 で あ る。 伝 統 的 に 中 国 で は,政 治 的権 力 を もつ 官僚 が,そ の役 職 に つ い て い る期 間,自 分 が 持 っ て い る 許 認 可権 を利 用 して 国家 の財 産 を横 領,収 賄 を お こ な う。 今 の共 産 党 幹 部 や 政 府 官 僚 は,清 時 代 ま で の 前 近 代 的王 朝 の 士 大 夫 と な ん ら変 わ らな い とい わ れ る 。18)習 近 平 は2012年 国 家 主 席 に な る と,す ぐに こ の汚 職 腐 敗 の 問 題 を と り
あ げ た。 「トラ も蝿 もた た くと1」 と宣 言 し,「 大 物 で あ ろ うが,小 物 で あ ろ う が,汚 職 を して い る もの は 全 部 告 発 す る」 とい っ た綱 紀 粛 正 政 策 を 開始 した。
そ の キ ャ ンペ ー ンの1つ と して 「習 八 項 」 とい う共 産 党 員 向 けの 規 律 を設 定 し た 。 そ の8と は 「役 人が 視 察 す る と きに レ ッ ドカ ーペ ッ トを ひか ない ⊥ 「テー ブ ル の上 に花 を置 く よ うな華 美 な対 応 は しな い」,「視 察 を応 対 す る側 は宴 会 を しな い 」,「外 国訪 問 の 際 は随 行 員 の数 を減 らす 」,「飛 行 機 利 用 の場 合,フ ァー ス トク ラ ス はや め る」,「外 国 訪 問 で現 地 の 中 国 企 業 や 留 学 生 に接 待 を させ な い 」,「会 議 を効 率 良 く進 め る」,「文 書 や報 告 書 を簡 潔 にす る」,「個 人 的 著 作 の 出 版 は 禁 止 」,「お祝 い状 や祝 電 は だ さな い」 な ど きわ め て細 か い規 定 で,逆 に 見 る と中 央 の 共 産 党 員 は そ うい っ た華 美 な慣 例 や無 駄 な形 式 主 義 に どっぷ り漬 か って きた とい え る。19)
2014年7月30日 習 近 平 は,政 権 の 最 高 指 導 部 で あ る 共 産 党 政 治 局 元 常 務 委 員 で 序 列9位 にい た 周 永康(ジ ョー ヨ ン カ ン)を 「重 大 な規 律 違 反 」 が あ っ た と して逮 捕 した 。 「トラ も蝿 もた た く」 の ス ロー ガ ンで,ま さ に 「トラ」 に相 当す る 「大 物 」 で あ る。 そ れ は また 共 産 党 政 治 常務 委 員経 験 者 は,た とえ不 正 が あ っ た と して も党 の 分 裂 回避 や 威 信 維 持 の 観 点 か ら,不 正 は摘 発 され な い と
い う不 文律 を覆 す もの だ った 。 周 永 康 は1960年 代 後 半 か ら85年 ま で 中 国東 北 部 の 大 油 田 で あ る 「大 慶 油 田 」 な どに 勤 務 した 石 油 畑 出 身 者 で あ る。 エ ネ ル ギ ー大 手 国有 会 社 の社 長 を務 め た あ と 国土 資 源 相 や 四 川 省 の 党 委 員 会 書 記 を歴 任 した。 江 沢 民 政 権 で は公 安 相 に抜 擢 され,石 油 閥 と公 安 を支 配 す る実 力 者 と な っ た。 そ の権 力,特 に 「石 油 閥」 の利 権 を拡 大 し,腐 敗 に まみ れ て い った と さ れ る。 周 氏 の腐 敗 の具 体 的 な 内容 は2014年9月 の 時 点 で は発 表 され て い な い。 逮 捕 時,香 港 の フ ェ ニ ック ス テ レビ は,周 氏 が 石 油,不 動 産,金 融,観 光, 水 力 発 電 の 分 野 で 事 業 を展 開 し,巨 額 の 富 を 築 い た,と 報 道 した 。 一 方 ロ イ
ター通 信 は,周 氏 一 家 と親 族 石 油 業界 な どの 関係 者 か ら900億 元(約1兆5,000 億 円)相 当 の財 産 を没 収 した と伝 え た。 こ れ ほ ど まで の 巨額 な不 正 蓄 財 が 可 能
とな る,そ して見 過 ご さ れ る,そ れ 自体 が 現 代 中 国 の政 治 的,経 済 的 シス テ ム の 重大 な 欠 陥 と判 断せ ざ る を得 な い。20)
中国の国内事情へ の一考 察41 汚 職 腐 敗 撲 滅 運 動 の 裏 側 に 壮 絶 な 権 力 闘 争 が 展 開
周 永 康 が拘 束 され た の は 「トラ も蝿 もた た く」 の 「トラ」 で あ る こ と は間 違 い な い が,習 近 平 が 大 胆 な反 腐 敗 運 動 を展 開す る こ と に よ って ,政 敵 を排除す る権 力 闘争 の一 環 で あ る とす る見 方 が チ ャ イナ ・ウ オ ッチ ャー の 問 で は 一 般 的 で あ る。1989年 の 天 安 門事 件 以 降,中 国 の 権 力 政 治 は主 に3つ の グ ル ー プ の 闘争 で あ っ た。1つ は革 命 を担 った 元 老 た ちの 子 弟 で,主 に人 民解 放 軍 を基 盤 とす る 「太 子 党 」,習 近 平 は こ の グ ル ー プ に入 る。2番 目が 中 国 共 産 党 の青 年 組 織 で あ る 中国 共 産 主 義 青 年 団(共 青 団)の 出 身 者 で,前 主席 の 胡錦 濤 率 い る
「団 派」。 ナ ンバ ー ツー で あ る季 克 強 首相 は,生 粋 の 団 派 育 ち で あ る 。 そ して最 後 が 上 海 出 身 者,上 海 で 勤 務 経験 の あ る 政 治 家,そ の 中心 に い る江 沢 民 率 い る
「上 海 閥 」 で あ る。 しか し人 に よ っ て は,上 海 閥 で あ りな が ら太 子 党 に も属 す る とい う もの もい る 。 習 近 平 の場 合,太 子 党 で あ りな が ら2007年 以 降 上 海 閥 に属 して い た 。 天 安 門事 件 以 降,当 時 の最 高実 力 者 で あ っ た郡 小 平 は江 沢 民 を 国家 主席 に 指 名 した 。 同 時 に そ の あ との後 継 者 に胡 錦 濤 も指 名 した。 結 果,江 沢民 は 自分 の あ との トップ を 自 ら選 ぶ こ とが で きなか っ た。 そ の ため 胡 錦 濤 が 国家 主席 に な る と,北 京(胡 錦 濤 と共 青 団)と 上 海 閥(江 沢 民 派)と の 熾 烈 な 権 力 闘争 が行 わ れ た。 ポ ス ト胡 錦 濤 に は江 沢 民 が 習 近 平 を支 持 し,胡 錦 濤 が 共 青 団 の李 克 強 を推 薦 して両 者 争 っ たが,結 局 習 近 平 が 勝 利 した 。 しか し共 青 団 もが ん ば り李 克 強 を首 相 に させ,ナ ンバ ー ツー の ポ ジ シ ョン を確 保 した 。21)
2011年11月,晴 れ て 国 家 の 最 高 権 力 者 に な る と,習 近 平 は 突 然 変 わ り身 を 見 せ た。 江 沢 民 と上 海 閥 の 庇 護 と助 力 で 主 席 に なれ た に もか か わ らず,今 度 は 彼 らに叛 旗 を翻 した の で あ る。 上 海 閥 は石 油 利 権 や 鉄 道 利権 を握 っ て お り,そ の 権 力 で い つ 習 近 平 を脅 か す か わ か らな い 。 そ の た め 一気 呵 成 に江 沢 民 と上 海 閥 の 叩 き潰 し を始 め た 。 そ の 手段 が 汚 職腐 敗撲 滅,す な わ ち 「トラ も蝿 もた た く」 運 動 の 「トラ(上 海 閥 の 大 物)探 し」 で あ る 。 しか しそ の最 初 の標 的 は上 海 閥 で は な く,同 じ太 子 党 の仲 間 で あ っ た薄 煕 来(ボ ー ・シー ラ イ)で あ る。
父 親 は薄 一 波 で 革 命 初 期 国 務 院 副 総 理 を務 め た 。彼 は重 慶 市 の トップ と して積 極 的 な外 資 導 入 に よる 経 済発 展,マ フ ィア撲 滅 運 動,貧 富 の格 差 が 小 さか っ た
毛 沢 東 時代 を懐 か しむ革 命 歌 の 唱 和 運 動 に よっ て,全 国 的 に注 目 され て い た 。 そ う し た薄 煕 来 が 自分 の 存 在 を 脅 か す 危 険 人 物 だ と習 近 平 は考 え た 。2012年 2月,側 近 で 重 慶 市 副 市 長 だ った 王 立 軍 が ア メ リ カへ の 亡 命 目的 で 成都 市 の ア メ リカ総 領 事 館 に駆 け込 む事 件 が 発 生 した 。 これ を機 に,妻 で あ る 谷 開 来 に よ る英 国 人 実 業 家 殺 害 事 件,マ フ ィア 撲 滅 運 動 に よ る拷 問 問 題 一 家 に よ る60 億 ドル(4,800億 円)も の不 正 蓄 財 が 白 日の 下 に さ ら され た。 逮 捕 され 公 開裁 判 で晒 し者 され た彼 は,無 期 懲 役 の 判 決 を受 け 完 全 に政 治 生 命 を絶 た れ た 。22)
世 界 第2の 経 済 大 国 に と って,エ ネ ル ギ ー 源 の確 保 は死 活 問題 で あ る 。事 実 1993年 以 降 中 国 は エ ネ ル ギ ー 輸 入 国 で あ り,そ の 需 給 率 は5割 を割 っ て い る。
しか し主 要 なエ ネル ギ ー とな る 石 油 は,江 沢 民 を頂 点 とす る上 海 閥 の面 々 が そ の 利 権 を牛 耳 っ て い る。 今 回逮 捕 され た 周 永 康 は そ の 大 番 頭 の よ うな存 在 だ 。 上 海 閥 か ら石 油 利 権 を略 奪 す る こ とは,自 己 の 政 治権 力 を 強化 し,長 期 政権 を 築 くた め に絶 対 にや らな け れ ば な らな い こ と と,習 近平 は 考 え て い る 。 そ の権 力 闘 争 の 手段 と して,綱 紀 粛 正,汚 職腐 敗 撲 滅 運動 を利 用 した。 もち ろ ん周 永 康 の 不 正 は想 像 を絶 す るほ どの 規模 で あ り,そ れ を看 過 す る こ とは 国民 の共 産 党 に対 す る信 頼 を大 き く逸 す る こ とに な る こ とは 間違 い な い 。 しか し実 際 は腐 敗 撲 滅 と権 力 闘 争 が 表 裏 一体 とな っ て い る 。 こ れ で は そ の 闘 争 に勝 利 す る特 定 の 権 力 者 の 汚 職 不 正 は,け っ して 告発 され る こ とは な い だ ろ う。
ま と め と し て
「万 人 が 等 し く平 等 」 とい っ た 中華 人民 共和 国建 国 の理 念 は,い っ た い どこ へ 行 って しま った の か 。 所 得格 差 の急 激 な拡 大,農 民 工,若 者 の貧 困,ウ イグ ル族 を 中心 とす る少 数 民 族 の 暴 動 や テ ロ事件 の 続発,共 産 党 幹 部 や 政府 高官 の 汚 職 の 蔓 延 。 国 家 資 産 の 海 外 へ の 流 出 。 中 国 で は現 在,こ う した こ とに対 す る 人 々の 不 満 と怒 りが 渦 巻 い て い る 。 政府,共 産 党 は そ の対 応 を 一歩 誤 れ ば 国 内 は大 混 乱 に 陥 る だ ろ う。 国 家 存 亡 の 危 機 に瀕 す る か も しれ な い。 だ か ら と い って 強 権 を もっ て 国 民 を統 制 し,政 府,共 産党 に反 対 す る 人 々 を弾 圧 した と して も,そ れ は 解 決 策 とは な らな い 。 中 国 は今,社 会 の悪 矛 盾 を な くす た め
中 国 の 国 内事 情 へ の 一考 察43 に,政 治,経 済 体 制 の 変 革 こ そ が 求 め ら れ て い る 。
【注 釈 】
1)ジ ニ 係 数:中 国 に つ い て は 富 士 通 総 合 研 究 所 主 任 研 究 員 珂 隆 氏 日 本 は 「平 成23年 度 国 民 生 活 基 礎 調 査 」 厚 生 労 働 省(2012年7月) ア メ リ カ はOECDDatabase"lncomedistribution‑lnequality2012"
2)産 経 新 聞2013年9月13日
3)池 上 彰,『 そ う だ っ た の か!中 国 』,pp.138‑155,集 英 社,2007年 4)岡 田 茂 人,『 不 平 等 国 家 中 国 』,pp!79‑108,中 公 新 書,2008年 5)長 谷 川 慶 太 郎,『 破 綻 す る 中 国,繁 栄 す る 日本 』,実 業 之 日本 社,2014年 6)石 平,『 な ぜ 中 国 に は も う1%も 未 来 が な い の か 』,pp.121‑123,徳 間 書 店2014年 7)石 平,『 中 国 ・崩 壊 と暴 走 の シ ナ リ オ 』pp.89‑94,幸 福 の 科 学 出 版,2013年 8)長 谷 川 慶 太 郎,『 中 国 崩 壊 前 夜 』,p.68,東 洋 経 済 新 報 社,2014年
9)同 上,p.70 10)同 上
11)石 平,『 中 国 崩 壊 カ ウ ン ト ダ ウ ン』,pp.196‑200,宝 島 社,2014年 12)丹 羽 宇 一 郎,『 申 国 の 大 問 題 』,pp.112‑114,PHP新 書,2014年 13)前 掲 書,長 谷 川 慶 太 郎,『 中 国 崩 壊 前 夜 』,pp.196‑198 14)前 掲 書,同 上
15)前 掲 書,池 上 彰,pp!74‑91 16)読 売 新 聞2008年3月21日
17)「 ラ ジ オ ・フ リ ー ・ア ジ ア(英 語 名:RadioFreeAsia,略 称:RFA)と は,1994 年 に ア メ リ カ 議 会 立 法 し た 「国 際 放 送 法(lnternationalBroadcastingAct)に 基 づ き,1996年 米 国 議 会 の 出 資 に よ っ て 設 立 さ れ た 短 波 ラ ジ オ 放 送 局 。 自 由 ア ジ ア 放 送 と も 呼 ば れ る 。
18)澁 谷 司,『 中 国 高 官 が 祖 国 を 捨 て る 日 』,pp.27‑33,経 済 界 新 書,2013年 19)前 掲 書,丹 羽 宇 一 郎,『 中 国 の 大 問 題 』,pp.32‑35
20)読 売 新 聞2014年7月30日
21)近 藤 大 介,『 日 中 再 逆 転 』,pp.193‑198,講 談 社,2013年 22)前 掲 書,丹 羽 宇 一 郎,『 中 国 の 大 問 題 』,pp27‑35
【参 考 文 献 】
池 上 彰 著 『そ うだ っ た の か1中 国』 集 英 社2007年 岡 田 茂 人 著 『不 平 等 国家 中 国』 中公 新 書2008年
長 谷 川 慶 太 郎 著 『破 綻 す る 中 国,繁 栄 す る 日本 』 実 業 の 日本 社2014年 長 谷 川 慶 太 郎 著 『中 国崩 壊 前 夜 』 東 洋 経 済 新 報 社2014年10月25日 石 平 著 『なぜ 中 国 に は も う1%も 未 来 が ない の か 』
石 平 著 『中 国 ・崩 壊 と暴 走 の シ ナ リオ』 幸 福 の科 学 出版2013年 石 平 著 『中 国 崩壊 カ ウ ン トダ ウ ン』 宝 島社2014年
丹 羽 宇 一 朗 著 『中 国 の 大 問題 』PHP新 書2014年10月25日 澁 谷 司 著 『中 国 高 官 が祖 国 を捨 て る 日』 経 済界 新 書2013年 近 藤 大 介 著 『日中 再逆 転 』 講談 社2013年