『ノーサンガー僧院』の換喩的構造 −ゴシック小 説のパロディとして読むことの誤謬について−
著者 門田 守
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 62
号 1
ページ 143‑158
発行年 2013‑11‑30
その他のタイトル The Metonymic Structure of Northanger Abbey : On the Fallacy of Reading the Novel as a
Gothic Parody
URL http://hdl.handle.net/10105/9804
キーワード: オースティン,『ノーサンガー僧院』,ゴシッ ク,構造,換喩
Key Words: Austen, Northanger Abbey, Gothicism, structure, metonymy
『ノーサンガー僧院』の換喩的構造
―ゴシック小説のパロディとして読むことの誤謬について―
門 田 守
英語教育講座(英米文学)(平成25年 5 月 7 日受理)
The Metonymic Structure of Northanger Abbey : On the Fallacy of Reading the Novel as a Gothic Parody
Mamoru KADOTA
(Department of English, Nara University of Education) (Received May 7, 2013)
Abstract
Jane Austen’s Northanger Abbey has been considered as a Gothic parody with a special connection with Mrs Ann Radcliffe’s The Mysteries of Udolpho. This essay calls into question this conventional view and explores the possibility that Northanger Abbey may have a metonymic structure as regards Catherine Morland’s psychological process of overcoming her obsession with Gothicism. Owing to Henry Tilney’s therapeutic treatment at the abbey, the heroine realises that her fancy for Gothic elements has been denying her an accurate understanding of others. Lifting the veil of Gothicism allows her to have a clear view of the world, and this simile of veil-lifting can be applied to the whole process of her growth.
On her journey to Blaize Castle, for example, Catherine willingly lifts this psychological veil as seen in her conclusion that morality takes precedence over personal pleasure. The heroine has been trying to break the spell of Gothicism until its completion at the abbey, and her disillusionment there makes her realise that an economic nexus is binding the people around her and she herself is trapped in it. The abbey scene represents the whole process of the heroine’s psychological struggle to liberate herself from Gothicism and functions as a metonymy of the whole story.
1 .はじめに
ジェイン・オースティン(Jane Austen)の『ノーサンガー 僧院』(Northanger Abbey, begun in 1798 & published in 1818)は、通常の解釈としてゴシック小説のパロディで あると考えられている。( 1 )それは確かに間違いではある まい。ヒロインのキャサリン・モーランド(Catherine Morland)はラドクリフ夫人(Mrs Ann Radcliffe)の『ユー ドルフォ城の怪奇』(Mysteries of Udolpho, 1794)を始 めとするゴシック小説のマニアであり、彼女がそのゴ シック愛好症から解放されることによって人間的成長を 遂げることには間違いがないのだから。( 2 )
ただ、この小説をゴシック小説のパロディとしてのみ 片付けてしまうことには、何かしら腑に落ちない点があ る。実際、小説を動かしている力はゴシックの要素では けっしてないのだ。むしろ、キャサリンがバース(Bath)
で出会うジョン(John)とイザベラ(Isabella)のソー
プ(Thorpe)兄妹や、同地でノーサンガー僧院への招
待話を持ち出すティルニー将軍(General Tilney)といっ た登場人物たちが織りなす経済的諸関係こそが、小説の 動きを、そしてキャサリン自身の身の振り方を決定して いるように思われる。小説中、ヒロインの将来を大きく 左右するのは、彼女がフラトン(Fullerton)の実家に 追い払われて以降の事態の転換である。心が深く傷つい
た彼女を救いに、恋人のヘンリー・ティルニー(Henry
Tilney)が実家までやって来てくれるのだ。このヘンリー
の到来という重要な事件に、ゴシックの要素は直接的に は何も関係していない。関係しているのは、父ティルニー 将軍の損得勘定だけである。そうであるならば、ゴシッ クのパロディという要素は、キャサリンの成長の典型的 なパターンを、換喩(metonymy)( 3 )という形式で提示 する機能を果たすに留まると考えるべきではないであろ うか。
『ノーサンガー僧院』において、ノーサンガー僧院は すぐには姿を現さない。小説の 3 分の 2 を過ぎてから、
やっと当の僧院の描写が始まり、小説の最後では再びそ の姿が消えてしまう。いわば、この僧院に関わる部分は、
キャサリンの人間的成長をパターン的に表す換喩的機能 を果たしていると言えるのだ。
この論考は『ノーサンガー僧院』をゴシック小説のパ ロディとする従来の解釈を完全に否定するものではな い。ただし、その立場に固執するならば、何か大事なも のを見逃してしまう可能性―いわば、誤謬に陥ってしま う危険性―を指摘したいのである。そして、ノーサンガー 僧院でキャサリンが体験するゴシックの克服は、小説中 で見られる別の要素-社会における人間関係の実相を学 ぶという行為-の換喩として機能していると主張したい のである。
2 .キャサリンをめぐる日常的世界
僧院に関わる部分が現れるまでは、キャサリンをめぐ る錯綜した人間的諸関係が描写されている。その人間的 諸関係を扱うに当たり、オースティンは故意に非日常的 要素を取り去り、当たり前の家庭生活を描き出そうとし ている。この傾向は小説の始まりにおいて特に顕著であ る。モーランド家は10人の子沢山で、キャサリンは 4 番 目に産まれた長女である。さして器量が良いわけでも、
知能が優れているわけでもなく、ごく普通に育った17歳 の少女である。小説の最初では、彼女をめぐるごく当た り前の日常的世界が現れている。( 4 )
キャサリンが18世紀の歓楽地バースに出かけるきっか けも、特に何の変哲もない事情にすぎない。( 5 )モーラン ド家の人々が住むウィルトシャー(Wiltshire)のフラト ン村の大地主に、アレン氏(Mr Allen)という人物がいる。
アレン氏はモーランド家の人々と懇意につき合う仲であ る。このアレン氏が持病の痛風を治療するためにバース への転地を医師に勧められ、この旅行にキャサリンが同 行したのである。日常性の強調はアレン夫人が上流地主 階級にありがちなように、衣装に大変に興味があり、キャ サリンをどのようにバースの社交界にデビューさせたら よかろうかと思案する様子にも窺うことができる。( 6 )そ
して、せっかく舞踏会に出ても、キャサリンは何の反響 も生むことができない、若い男たちは誰一人として何の 関心も彼女に寄せない。オースティンは明らかにキャサ リンを日常性の世界に閉じ込めようとしているのだ。
やがて恋人となるヘンリーとの出会いは、キャサリン をして自らが住んでいるのは堅牢なる日常の世界である こと認識させる。出会いの場面は18世紀のごく普通の男 女に相応しく「舞踏会」に設定されている。具体的に言 えば、バースのテラス・ウォーク(Terrace Walk)に面 した、社交会場ローワー・ルーム(the Lower Rooms) がその場面であった。キャサリンはポンプ・ルーム(the
Pump Room)と呼ばれる高級社交室では話し相手もな
く寂しい思いをし、舞踏会でも誰一人踊り相手が現れず 虚しさを味わっていたのである。付き添いのアレン夫人 は服飾にしか興味がなく、あまり彼女の役に立ってくれ る人物ではなかった。舞踏会の司会者がヘンリーを紹介 してくれたので、ようやく彼と踊ることができた。彼は 年の頃なら24-25歳くらいで、人当たりは良かったが容 姿端麗というわけではなく、特別な魅力に溢れた青年と は言いがたかった。つまり、彼らはごくありふれた出会 いをしたにすぎなかったのである。
彼らの会話から浮かび上がってくるのは、ヘンリーの 率直な性格である。話は女性の手紙を書く能力に及び、
キャサリンは一般に女性が男性よりも手紙を書く能力に 秀でているという俗説に疑問を呈する。そのときのヘン リーの返答は興味深い。彼が言うには、女性は通常の場 合、三つの点を除いて完全無欠な手紙を書く能力に恵ま れているらしい。彼らの遣り取りを見てみよう。
“I have sometimes thought,” said Catherine, doubtingly, “whether ladies do write so much better letters than gentlemen! That is ― I should not think the superiority was always on our side.”
“As far as I have had opportunity of judging, it appears to me that the usual style of letter-writing among women is faultless, except in three particulars.”
“And what are they?”
“A general deficiency of subject, a total inattention to stops, and a very frequent ignorance of grammar.”(13)( 7 ) ヘンリーが挙げた三つの点とは「一般に主題が貧困な こと、句読点にまったく無頓着であること、あまりにし ばしば文法に無知であること」であった。これらの点を 除いて、女性は申し分のない手紙を書くことができるら しい。しかし、これでは女性は実際上、まったくまとも な手紙を書くことができなくなってしまう。これは女性 の怒りを買うことになりかねない発言である。ただし、
ヘンリーはキャサリンの怒りを買うことをまったく意識 していない。それほど、彼は率直であけすけな性格なの である。
これに対し、キャサリンはどんな返事をするのであろ うか。彼女は同じように率直に、自分についての事情を こう説明するのである。
“Upon my word! I need not have been afraid of disclaiming the compliment. You do not think too highly of us in that way.”(13)
面白いのは、彼女が相手の返事を「お世辞」と表現して いることである。ヘンリーはけっして自分の主張を「お 世辞」として発言しているわけではないので、キャサリ ンのこの発言はアイロニーを含んでいる。ただし、キャ サリン自身が女性の手紙を書く能力にもともと疑念を呈 していたので、いわばヘンリーは彼女の疑念を分析して 示したことになる。その分析に怒りも当惑もせず、彼女 はアイロニーで受け流す感性の鋭さを持っていたのであ る。
キャサリンがヘンリーの返事を、アイロニカルな意味 での「お世辞」として受け流すことには、別の解釈も成 り立つであろう。彼の返事がお世辞になることを心配す る必要がなかったということは、次のように考える余地 を残す。つまり、キャサリンは自分が何を言おうと、ど うせ彼は女性の手紙を書く能力を買いかぶって返事をす るだろうと考えていたのではないであろうか。世の習わ しのとおり、男女間の軋轢を避けるために、女性は優れ ていますとあっさり言われるのが落ちだろうと、彼女は 考えていたのではないであろうか。これは丁寧な対応で あろうが、「虚偽」と言わざるを得ない。虚飾に満ちて いるはずのバースの社交界で、隠し立てのない、心の誠 から出た回答を得られたので、キャサリンは満足感を得 られたのではないであろうか。
ヘンリーの発言はまことに論理的で教育的でさえあっ た。彼の女性の能力に関する説明はこのように続く。
“… Every body allows that the talent of writing agreeable letters is peculiarly female. Nature may have done something, but I am sure it must be essentially assisted by the practice of keeping a journal.”(13)
“I should no more lay it down as a general rule that women write better letters than men, than that they sing better duets, or draw better landscapes. In every power, of which taste is the foundation, excellence is pretty fairly divided between the sexes.”(13-14)
キャサリンが日記を付けていないことを告白し、女性は 世間で考えられているほど手紙を書くのがうまくないと 思うと発言していることを、ここで考え合わせてみよう。
そうすれば、ヘンリーの発言には日記を付けて手紙がう まくなることをキャサリンに勧めるという教育的要素が 含まれていることがわかる。( 8 )また、男女間における優 秀さの均等性を主張することも、キャサリンにやる気を
起こさせる根拠になるはずである。
ヘンリーはキャサリンに日常性の世界に安住すること の価値を教える役割を担っている。彼はアレン夫人のく だらない服飾に関する話にもつき合う忍耐心も持って いる。彼は社会的に期待されている義務をしっかりと 果たすのだ。そうした態度に惹かれてか、キャサリン はもう一度彼と踊ることに同意し、彼に徐々に“a strong inclination for continuing the acquaintance”(15)を感じ始 める。ヒロインの抱く愛情の深化には教育的側面が含ま れているのである。
3 .ソープ兄妹との出会いとゴシックへの方向性
キャサリンがソープ兄妹と出会うことと、彼女がゴ シックへの傾倒を示すことは巧みにリンクしている。そ して、ゴシック的感性とは取りも直さず、現実の人間関 係から目を逸らし、憶測や先入観を助長する想像力の世 界に逃避することをもたらす。ゴシック的感性はただ ノーサンガー僧院の場面でのみ働いているわけではな い。僧院内でのキャサリンの愚行は―そのはっきりとし た醜態にもかかわらず―基本的には自身に恥をもたらす だけのことである。しかしながら、僧院に赴くまでのソー プ兄妹との関わりで示されるゴシックへの愛着は、ヒロ インにもっと大きな罪-基本的な人間関係の蹂躙-をも たらしかねないのだ。
アレン夫人とソープ夫人は旧知の間柄であり、そのた めにキャサリンはジョンとイザベラのソープ兄妹と昵懇 の仲になる。興味深いことに、オースティンはソープ兄 妹と対称的にヘンリーとエリナー(Eleanor)のティル ニー兄妹を配している。前者はヒロインのゴシック的感 性を助長し、後者は彼女を日常的世界に連れ戻す役割 を果たす。こうした関係にキャサリンの兄ジェイムズ
(James)、ヘンリーの兄フレデリック(Frederic)、ティ ルニー将軍たちが絡み、小説自体がゴシック小説のよ うな迷路的複雑性を増していく。( 9 )また、ジェイムズと ジョンはオックスフォード大学で友人同士であり、登場 人物たちの緊密な繋がりは、キャサリンを否応なく人間 関係の網目の中に捕らえ込んでいく。
最初、キャサリンはソープ兄妹の影響の下に置かれる ことになる。4歳だけ年上のイザベラの一挙手一投足に キャサリンはうっとりとし、このように憧れの眼差しを 向ける。
Catherine then ran directly up stairs, and watched Miss Thorpe’s progress down the street from the drawing- room window; admired the graceful spirit of her walk, the fashionable air of her figure and dress, and felt grateful, as well she might, for the chance which had procured her such a friend.(18-19)
運悪く、クレセント(the Crescent)と呼ばれる三日月 形の集合住宅街でも、社交会場のアッパー・ルーム(the Upper Rooms)やローワー・ルームでも、キャサリンは ヘンリーの姿を見つけることができない。アレン夫人と ソープ夫人が始終一緒にいるものだから、キャサリンは 逆らいようもなくイザベラとの友情を深めてしまう。そ して、イザベラとの交流の中でこそヒロインのゴシック 小説への偏愛が深まりを見せるのである。
実際、『ユードルフォ城の怪奇』への言及が初めて小説 中で為されるのは彼女たちの会話においてであった。(10)
交流を始めてから 8 - 9 日目の朝、ポンプ・ルームに おいてイザベラはふとキャサリンに“Have you gone on
with Udolpho?”(23)と声をかける。キャサリンは目が
覚めてからずっとこの小説を読み耽っていたのであり、
ちょうど黒いヴェールのところまで読み進んでいた。そ こで、彼女は友人にこう返答している。
“…Oh! I am delighted with the book! I should like to spend my whole life in reading it. I assure you, if it had not been to meet you, I would not have come away from it for all the world.”(23)
これに対し、イザベラは彼女のゴシック熱を煽るような 台詞で答える。彼女たちの遣り取りを見てみよう。
“Dear creature! how much I am obliged to you; and when you have finished Udolpho, we will read the Italian together; and I have made out a list of ten or twelve more of the same kind for you.”
“Have you, indeed! How glad I am! ― What are they all?”
“I will read you their names directly; here they are, in my pocketbook. Castle of Wolfenbach, Clermont, Mysterious Warnings, Necromancer of the Black Forest, Midnight Bell, Orphan of the Rhine, and Horrid Mysteries. Those will last us some time.”(23-24)
ラドクリフ夫人の『ユードルフォ城の怪奇』が済んだら 同じ著者の『イタリアの惨劇』(The Italian, 1797)へ、
その後は実際にあるのかどうかわからないような別の小 説群へと、イザベラのゴシックへの誘惑は続く。そして、
その働きかけが結果するのは、ヘンリーと会わなくても ゴシック小説があればいいという、キャサリンの次のよ うな発言であった。
“… I do not pretend to say that I was not very much pleased with him [Henry Tilney]; but while I have Udolpho to read, I feel as if nobody could make me miserable. Oh! the dreadful black veil! My dear Isabella, I am sure there must be Laurentina’s skeleton behind it.”(25)
ゴシックへの関心は、キャサリンをして彼女をめぐる 人間関係に対し迷妄状態に陥らせる。ゴシックへの偏愛
は、人間への正しい理解の目を曇らせるのである。『ユー ドルフォ城の怪奇』のことが頭にこびりついて離れない キャサリンは、ジョン・ソープにまでこの作品について どう思うのか訊いてしまう。ゴシック-あるいは小説一 般-に関心の薄いジョンは、ラドクリフ夫人がこれを書 いたことさえ知らない。訊く相手を間違えたキャサリン は、彼に恥をかかせないよう、その場を取り繕うことに 四苦八苦する。ジョンはさらに小説について言葉を重ね、
ファニー・バーニー(Fanny Burney)の『カミラ』(Camilla, 1796)は第一巻を斜め読みしただけで、もう内容は駄 目だとわかったと断言する。小説に興味のあるキャサリ ンにはこの評価は合点がいかない。すぐに物事を判断し、
曖昧な根拠に基づいて結論を下すジョンは信用のならな い人物である。さらに、彼は母親の帽子を見て、こんな 失礼な口の利き方をする。
“… where did you get that quiz of a hat, it makes you look like an old witch?”(32)
さらに、彼の妹たちへ口の利き方はこんなふうなのだ。
… he asked each of them how they did, and observed that both looked very ugly.(33)
普通に解釈して、彼は失礼極まりない人物であり、交際 していく上で気をつけなければならない相手であると感 づくのが望ましい。キャサリンはこんな彼をあまり愉快 な人物とは思わないが、あっさりと彼と交際を続けるこ とに同意してしまう。その理由はイザベラの存在ではな いであろうか。イザベラというゴシックを通じて親密な 間柄となった女のゆえにこそ、キャサリンはジョンへの 警戒心をなくしていくのではないであろうか。
イザベラはキャサリンのゴシックへの関心を掻き立て てくれる、彼女にとって是非とも交際を続けていきたい 女性である。そしてイザベラの兄であるのならば、ジョ ンとの交際も、当然ながら断りがたくなってしまう。ゴ シックで繋がったイザベラとの交流によって、キャサリ ンの日常的判断力は徐々に鈍くなっていく。彼女の判断 力の後退は、以下の場面において明快であろう。
… he [John Thorpe] was James’s friend and Isabella’s brother; and her judgment was further bought off by Isabella’s assuring her, when they withdrew to see the new hat, that John thought her the most charming girl in the world, and by John’s engaging her before they parted to dance with him that evening.(33)
貴方は「世界一美人の女の子」なのよという、見え透い たお世辞を真に受け、ダンスの約束に心を許すとは実 に愚かな反応であると言わねばならない。ジョンは兄 ジェイムズと学友である。そのことも手伝って、キャサ リンは兄にジョンのことを、うっかりと“I like him very much; he seems very agreeable.”と言ってしまうのであ る。
彼女の判断力の喪失は、もう一つ大きな事態を見落と したことにも、明確に見て取ることができる。つまり、
兄とイザベラの並外れた関係を察知し損ねたことであ る。
キャサリンが特にイザベラを名指ししつつ、ソープ 家の人々が大好きだとうっかり“Very, very much indeed:
Isabella particularly.”(33)と言ってしまった後で、ジェ イムズは怒濤のようにイザベラを誉めそやす言葉を洩ら し始める。
“I am very glad to hear you say so; she is just the kind of young woman I could wish to see you attached to; she has so much good sense, and is so thoroughly unaffected and amiable; I always wanted you to know her; and she seems very fond of you. She said the highest things in your praise that could possibly be;
and the praise of such a girl as Miss Thorpe even you, Catherine,” taking her hand with affection, “may be proud of.”(33)
これだけの褒め言葉を並べられたら、兄とイザベラの仲 を疑うのが当然ではないであろうか。しかしながら、彼 女はそれに気づかない。そして、キャサリンの知らない ところで、財産のほとんどないイザベラはジェイムズの 懐具合を探っているのである。そうであれば、ジョンが 自分に接近してくる理由にも、愛情以外のものが絡んで いても不思議ではない。ソープ兄妹の急速で危険な接近 について、その理由を考えるべきときに―すなわち舞踏 会の前に―キャサリンがやってしまうことはゴシック小 説の世界にのめり込むことであった。(11)彼女はこんなふ うに自己陶酔の世界に落ち込んでしまう。
Catherine was then left to the luxury of a raised, restless, and frightened imagination over the pages of Udolpho, lost from all worldly concerns of dressing and dinner…(34)
自らを思考停止状態のように、想像力の暴走に身を委 ねてしまうこと、これこそがゴシックがもたらす害悪の 本質であった。
『ノーサンガー僧院』をゴシックのパロディと解釈す ることは、ヒロインの愚行を僧院内でのそれに集約して しまう恐れをもたらす。実際には、ゴシックの要素は彼 女が僧院に至る前の段階で既に機能しているのであり、
彼女が僧院に至る前のゴシックの要素の方が彼女をめぐ る人間関係を破壊してしまう点でより危険性が高いので ある。
4 .馬車による遠出をめぐる人間関係
キャサリンに対するゴシックの影響力は、彼女がノー サンガー僧院に出発する前に既に始まっている。有り体
に言って、僧院に出発する前にバースにおいてこそ、ゴ シックは大きな影響力を彼女に揮うのだ。バースにおい てこそ、ゴシックは彼女の成長に大きく影響しているの である。
もちろん、この小説をゴシックのパロディとして読ま せる最大の要素は、ノーサンガー僧院内での彼女の愚行 である。だが、この愚行は後に見るように、あまりにも 子供じみた冒険的行為にすぎない。それはゴシック小説 における恐怖の実態を暴く、コミック的な戯画とも読め る。(12)
バースにおけるゴシックは潜在的であるように見える が、僧院におけるそれよりも甚大な力を持ちうる理由は こうである。バースにおいてゴシックの魅力に溺れる過 ちは、ティルニー家とソープ家の面々との人倫的関係に おいて、キャサリンを窮地に陥れる可能性がある。(13)そ れに対し、僧院においてゴシックの影響力に身を委ねる ことは、彼女自身の愚かさを示すだけの所行に終始する。
以下、キャサリンをめぐる 3 度の馬車による遠出の意味 を交えて、バースにおいてゴシックがどのような力を彼 女に揮っているのか考察してみよう。
バースにおける描写の特徴は、キャサリンの行動が ティルニー家とソープ家の影響力によって決定されてい る点にある。両家の面々があたかも綱引きのように、ヒ ロインを自らの影響圏内に引きずり込もうとしているの である。オースティンはこの相対峙する影響力に教育的 意味を込めているに違いない。(14)というのは、ヒロイン がティルニー家の動きに従うと倫理的方向に思考力が向 き、ソープ家の誘惑に従うと社会的ルールを犯すという ことになってしまうのだから。
最初、キャサリンはヘンリー・ティルニーの妹エリナー と親しくなり、彼女の姿形の美しさ、品の良い振る舞い、
飾り気のない人柄に惹かれる。それに比べ、イザベラの 振る舞いは何かしら胡散臭い。一時はヘンリーに興味 津々だったイザベラは、徐々に彼に興味をなくしてしま う。これは彼があまりに謹厳実直な人柄なのを見て取り、
遊び相手としては自分に相応しくないと見て取ったから であろう。それに加えて、彼が次男であり、当時の長子 相続(primogeniture)または限嗣相続(entail)と呼ば れる制度の原則に照らして、遺産相続上不利な立場にあ ることを彼女は掴んでいたのかもしれない。(15)長子相続 制度に従えば、ほぼすべての一家の財産はただ一人、長 男だけが相続することになっていた。ジェイムズは、実 入りは少ないとはいえ、モーランド家の長男なのである。
彼の父親は年400ポンドの聖職禄とその他の財産を長男 に与える権利を有していた。イザベラは舞踏会の会場で キャサリンの腕を引っ掴み、ティルニー家の面々との交 流の場から無理矢理に彼女を引き剥がしてしまう。彼女 はこの17歳の乙女を自分の意のままにしたかったのであ
る。ジェイムズに接近するためには、当然ながら妹のキャ サリンと親交を深める必要があった。実は、兄のジョン はキャサリンを結婚相手に狙っているのである。その企 てを手助けする意味も、イザベラが強引にキャサリンを 連れ回すことにはあったのであろう。
しかしながら、キャサリンはエリナーと交際したいと ずっと願っている。この意思は舞踏会の翌朝になっても 変わらない。そして、またもこの意思を砕くのはイザベ ラである。彼女はこのように馬車による遠出へとキャサ リンを誘う。
“Going to? why, you have not forgot our engagement!
Did not we agree together to take a drive this morning?
What a head you have! We are going up Claverton Down.”(43)
実のところ、小説中でイザベラがこんな計画を持ち出し た形跡は認められない。舞踏会の喧騒の中、二人の間で どこかに行く話が行われたのかもしれないが、この遠出 はイザベラによる押しつけの可能性が高い。クラヴァト ン丘陵への遠出にはゴシック的要素は認められない。し かしながら、オースティンは重要な別の要素をこの遠出 に込めている。それはジョンによるキャサリンの誘惑で ある。
ジョンの腹黒さとねじ曲がった性格をこそ、クラヴァ トン丘陵への遠出は描出している。実は、ジョンはアレ ン氏の財産を狙っているようなのだ。このことは、馬車 の中でジョンとキャサリンが交わす会話において確認す ることができる。
A silence of several minutes succeeded their first short dialogue; ― it was broken by Thorpe’s saying very abruptly, “Old Allen is as rich as a Jew ― is not he?”
Catherine did not understand him ― and he repeated his question, adding in explanation, “Old Allen, the man you are with.”
“Oh! Mr. Allen, you mean. Yes, I believe, he is very rich.”
“And no children at all?”
“No ― not any.”
“A famous thing for his next heirs. He is your godfather, is not he?”
“My godfather! ― no.”
“But you are always very much with them.”
“Yes, very much.”
“Aye, that is what I meant. He seems a good kind of old fellow enough, and has lived very well in his time, I dare say; he is not gouty for nothing. Does he drink his bottle a-day now?”(44-45)
ジョンはアレン氏が大金持ちであることを確認し、深酒 のために老い先が短いことを期待しているのだ。アレン
氏がフラトンの大地主であり、キャサリンを大いに可愛 がり、彼女を連れてバースに養生に来ていることは周知 のことである。ジョンはアレン氏がキャサリンの名付け 親ではないかと訊いている。これは、この老人の彼女に 対する愛情の深さを確かめたいがゆえの発言である。ア レン氏は自分の死後、可愛いキャサリンにいくらかでも 財産を分与するのではあるまいか―それをジョンは期待 しているに違いない。アレン氏からの財産分与の分け前 に与るために、ジョンがするべきことは明らかである。
それはキャサリンと結婚することである。妹のイザベラ がジェイムズを狙っているのだから、ソープ兄妹は二人 揃ってモーランド家の遺産、さらにはアレン氏の財産の 一部をせしめようとしているのだ。
このジョンはいかにもねじ曲がった性格をしている。
何でも自分の都合の良いように解釈して、それを譲らな いのである。彼は自分の馬車、その装具、馬の逞しさを 英国では最高クラスに属するものと自慢する。自分自身 を誰にも負けない馭者であると吹聴する。そのついでに 一緒に走っているジェイムズの馬車をがらくた呼ばわり して、こんなふうにこき下ろす。
“Break down! Oh! lord! Did you ever see such a little tittuppy thing in your life! There is not a sound piece of iron about it. The wheels have been fairly worn out these ten years at least ― and as for the body! Upon my soul, you might shake it to pieces yourself with a touch. It is the most devilish little rickety business I ever beheld! ― Thank God! we have got a better.
I would not be bound to go two miles in it for fifty thousand pounds.”(46)
この発言を真に受けたキャサリンは、兄はそんな馬車に 乗っていては危険だからすぐに止まるよう言ってくれと ジョンに頼む。ところが、ジョンは先ほどの発言をまっ たく違うことを叫び始めるのだ。
“Unsafe! Oh, lord! what is there in that? they will only get a roll if it does break down; and there is plenty of dirt; it will be excellent falling. Oh, curse it! the carriage is safe enough, if a man knows how to drive it;
a thing of that sort in good hands will last above twenty years after it is fairly worn out. Lord bless you! I would undertake for five pounds to drive it to York and back again, without losing a nail.”(47)
あの馬車でなら「 5 万ポンドくれても 2 マイル走るの だっていやだ」と言っておきながら、その舌の根も乾か ぬうちに「 5 ポンドくれたら、釘 1 本落とさずにヨーク まで往復してみせる」と法螺を吹くとは、明らかにジョ ンは矛盾だらけの信用できない男である。この頭のおか しくなりそうな発言でも十分なのに、ジョンはわずかの 金で買った馬を高く売りつけて儲かったとか、競馬で
ばっちり勝ち馬を当ててやったとか、仲間と狩猟に行っ て―自分は一発も当てなかったのに―誰よりも多くの鳥 を分捕った話などを矢継ぎ早にまくし立てる。男性とつ き合うことも少ない田舎娘のキャサリンではあるが、彼 女はジョンが注意すべき人物であることを悟るのであ る。
ソープ兄妹は経済的原理に基づいて行動している。し かし経済的勘に関しては、妹の方が上である。兄はむし ろ愚鈍で、馬車自慢の件でも窺えたように見栄っ張りな 面がある。イザベラは既にエリナーの家族状況に探りを 入れており、知人のヒューズ夫人(Mrs Hughes)とい う人物から一定の情報を仕入れている。それによれば、
エリナーの母親は元ドラモンド嬢(Miss Drummond) という名前であり、結婚した際には父親から 2 万ポンド の持参金と婚礼の衣装代に500ポンドをもらったらしい。
残念ながら、この母親は既に他界しており、エリナーが 形見の品として豪華な一揃いの真珠を譲られているとい う話までイザベラは聞き及んでいた。ヘンリーが堅物で ない限りは、口説き落としたいところだが、イザベラは 慎重に彼が一人息子かどうか探りを入れている。
こういった状況下で、馬車での遠乗りが 3 回行われる のだが、それぞれに意味がある。第 1 回目の遠出は、ソー プ兄妹の実体―とりわけ兄の無軌道ぶり―をキャサリン に知らしめる意味があった。第 2 回目はまさに、ソープ 兄妹がゴシックの力を借りてキャサリンを誘惑する意味 を持つ。実は第 2 回目の遠出の前日に、キャサリンは ティルニー兄妹と翌日、田舎道を散歩する約束をしてい た。12時に兄妹が、キャサリンの宿泊しているパルト ニー通り(Pulteney-street)まで来てくれることになっ たのである。ここでキャサリンはこの約束を裏切らされ る羽目に陥ってしまう。翌日の午前中はあいにく雨降り であった。12時を少し回って、ようやく小降りになって きた。散歩を楽しみにしていたキャサリンは諦めきれず、
まだティルニー兄妹を待っている。その場に、ソープ兄 妹とジェイムズを乗せた 2 台の無蓋馬車が押しかけてく るのである。イザベラは大急ぎでブリストル(Bristol) まで行こうとキャサリンをせきたてる。もちろん、キャ サリンは先約があるからとその誘いを断るのであるが、
なかなかイザベラが後に引こうとしない。ソープ兄妹 は当日の朝食の席でふっとこの遠出を思いついたらし い。ブリストルの近郊地クリフトン(Clifton)まで行き、
そこで食事を摂り、時間があればキングスウェストン
(Kingsweston)まで脚を伸ばすという計画だった。キ ングスウェストンはブリストルの北西にある街である。
ジョンはふとブレイズ城(Blaize Castle)にだって行け ると豪語する。その地名を聞いただけで、キャサリンの 態度が一瞬で変わってしまうのである。
キャサリンはブレイズ城が見たくてしょうがなくな
る。ただ単に城と聞いただけで、彼女のゴシック様式の 建造物に憧れる想像力に火が付いてしまう。そして、実 際にブレイズ城は1766年建築のゴシック様式の城なので ある-このことは彼女には知るよしもなかったであろう が。彼女のゴシックへの熱情はこのように燃え上がる。
“Blaize Castle!” cried Catherine; “What is that?”
“The finest place in England ― worth going fifty miles at any time to see.”
“What, is it really a castle, an old castle?”
“The oldest in the kingdom.”
“But is it like what one reads of?”
“Exactly ― the very same.”
“But now really ― are there towers and long galleries?”
“By dozens.”
“Then I should like to see it; but I cannot ― I cannot go.”(63)
キャサリンの会話の相手はジョンであるが、すぐに彼の 返事がいい加減であることがわかる。ブレイズ城が英国 で最古の城であるわけがない。ウィンザー城(Windsor Castle)やロンドン塔(the Tower of London)を思い浮 かべれば、すぐにわかるであろう。また、ゴシック小説 でさえまともに読んだことのないジョンが、その様式が 小説で書かれているものと同じなどと言えるわけがな い。塔や回廊をダース単位で数える城など、ほとんどあ り得ない。ドーヴァー城(Dover Castle)でさえ、塔と 名づけられた建築物はやっと 1 ダースほどである。こん なおかしな返答に対しても、キャサリンはまともに考え ているらしい。彼女はティルニー兄妹と約束しているか ら、行けないと真剣になって断っている。
しかし、とうとうキャサリンはゴシックの魅力に屈し てしまう。理性的に考えればジョンの返答がおかしいこ とが明確でも、彼女はそれに気づかない。ゴシックの城 が見たくてしょうがないからであろう。ジョンは自分の 悪辣さを証明するかのように、ティルニー兄妹が馬車に 乗って、ブロード通り(Broad-street)からランズダウ
ン道路(the Lansdown Road)の方へ曲がっていくのを
見たと嘘をつく。ジョンはヘンリーの馬車は覚えている し、彼の隣にはエリナーとおぼしき、可愛らしい女の子 が座っていたとも言う。イザベラもそれに加勢して、キャ サリンの説得工作に乗り出すと、彼女はあっさり参って こんなことを言ってしまう。
“I should like to see the castle; but may we go all over it? may we go up every staircase, and into every suite of rooms?”(64)
イザベラはこの問いかけに面倒くさそうに、城のすべて を見学できると請け負うが、さして関心はなさそうであ る。ブレイズ城はキャサリンを連れ出すための口実にす
ぎないからであろう。
キャサリンの心中では葛藤が渦巻いている。ティル ニー兄妹に自分が蔑まれるようになってはならないとい う倫理感と、ゴシックの城を見てみたいという欲望の間 の葛藤である。
To feel herself slighted by them [Henry and Eleanor Tilney] was very painful. On the other hand, the delight of exploring an edifice like Udolpho, as her fancy represented Blaize Castle to be, was such a counterpoise of good, as might console her for almost anything.(65)
ユードルフォ城を現実のブレイズ城に重ねて見ようとす るとは、まことに子供じみた試みであると言わねばなら ない。ブレイズ城への遠出の一件において大事なこと は、キャサリンがゴシック的な想像力の世界よりも、現 実の社会道徳の世界が優先すると悟ることである。(16)い わば、17歳の少女が自分も大人の愛や恋の対象にもなり うるし、経済優先の婚姻関係の対象にもなりうることを、
経験を通じて知るプロセスこそが『ノーサンガー僧院』
の主眼点なのである。ゴシック熱が引き起こした騒動を 読者に楽しませることだけが、オースティンが狙ったこ の小説のモチーフではあるまい。
キャサリンは自らのゴシック熱を満足させることは人 倫に悖る行為であると理解する。彼女は馬車の上からち らりとティルニー兄妹の姿を認め、ソープ兄妹が自分を 騙していたことを知る。ただし、どんなに馬車を止めて くれと懇願しても、ジョンは馬車を止めてくれない。あ たかも拉致されるように、彼女はゴシックの方向へと連 れ去られるのだ。彼女は怒り心頭に発し、我を忘れて、
このようにジョンに怒鳴り散らす。
“How could you deceive me so, Mr. Thorpe? ― How could you say, that you saw them driving up the Lansdown-road? ― I would not have had it happen so for the world. ― They must think it so strange; so rude of me! to go by them, too, without saying a word! You do not know how vexed I am ― I shall have no pleasure at Clifton, nor in anything else. I had rather, ten thousand times rather get out now, and walk back to them. How could you say, you saw them driving out in a phaeton?”
(65-66)
クリフトンだろうが、ブレイズ城だろうが、キャサリン にとって、心が通い合った友人たちを裏切ることと比べ て何の価値もなかった。ブレイズ城は慰めにはなろうが、
友情の代わりにはなり得ないと、キャサリンは自覚して いる。そして、ゴシック小説を読むことによって頭の中 に詰め込んだ種々の古城の要素―城壁、家具、地下道、
格子戸、ランプなど―は友情を守るためなら喜んで捨て てもいいと、彼女は結論するのである。
Blaize Castle remained her only comfort; towards that, she still looked at intervals with pleasure; though rather than be disappointed of the promised walk, and especially rather than be thought ill of by the Tilneys, she would willingly have given up all the happiness which its walls could supply ― the happiness of a progress through a long suite of lofty rooms, exhibiting the remains of magnificent furniture, though now for many years deserted ― the happiness of being stopped in their way along narrow, winding vaults, by a low, grated door; or even of having their lamp, their only lamp, extinguished by a sudden gust of wind, and of being left in total darkness.(66)
ゴシックが人間との接触を断ちきり、非現実的かつ超越 的な闇の要素との交流を楽しむ心理傾向であるのなら ば、確かにキャサリンは彼女の読んだ小説の中ではなく、
現実に現れたゴシックの要素との出会いを楽しみにして いる。しかしながら、ゴシックは一時的に心を震わせる 刺激にはなり得ても、永続的に心に満足を与えてくれる ものではない。キャサリンが「間を置いて」ブレイズ城 との出会いを楽しみにしているのは、彼女の心にわだか まりがあるからに相違ない。つまり、ゴシックなどは友 情が永続的に与えてくれる心の満足感に比べれば、ごく わずかの喜びしか与えてくれないのだ。ティルニー兄妹 との友情を暖める機会を逸し、彼らを裏切ってしまうこ とは何としても避けねばならない。友情を捨て、道徳を 無視する愚行から逃れるためならば、ゴシックが与える 一時的な快楽など諦めても構わない。そういった倫理性 を徐々にキャサリンは獲得していくのである。
ヒロインがゴシック的快楽から逃れて、道徳性へと向 かうというプロット展開を、オースティンはちゃんと用 意していた。しかも、その展開は「偶然」という要素の 介入によって実現されるのである。午前中の雨降りの影 響であまりにも出発時刻が遅くなったために、その日の うちに目的地で遊楽に耽った後に、戻ってくるには時間 が足りないようなのだ。これにはジェイムズの馬車の調 子が悪く、思ったように速度が上がらないことも影響し ていた。ジョンはえらく不機嫌に陥るが、遠出の中止に 同意せざるを得なかった。結局、小旅行は 2 時間程度で 終わってしまう。もともとジョンの馬車の古さは小説中 で言及されていたので、この「偶然」はさほど読者に違 和感をもたらすことはないであろう。強制的に特定の事 情を導入して馬車の進行を止めさせてしまえば、オース ティンは教条的にヒロインに道徳性を教え込むというパ ターンに陥ってしまっていたかもしれない。その謗りを 免れるために、あり得そうな「偶然」を持ち出すことは 有効に機能している。
キャサリンはティルニー兄妹に約束を反故にしたこと
を謝りに行くのだが、その際にもオースティンは前者が 後者に一方的に謝罪するわけではなく、同時にお互いの 関係が深まるようプロット展開に工夫している。翌朝、
アレン夫人の許可を得た上で、キャサリンはティルニー 家が宿泊しているミルソム通り(Milsom-street)へと出 かける。同家の宿所に到着してエリナーとの面会を求め ると、しばらくして出てきた使用人が言うには、お嬢様 は留守にされているとのことだった。しかし、通りの端 まで歩いて偶然に振り返ったキャサリンの目に、戸口か ら父親と一緒に外出しようとするエリナーの姿が留ま る。明らかに居留守を使われたことをキャサリンは察知 する。しかし、これは前日の自分の無礼に対する仕返し なのだろうか、自分の無礼はこのような仕打ちを受ける ほど悪質なものなのだろうか、一体自分の無礼は社会の 常識に照らしてどの程度の酷さに当たるのだろうか―こ んなことをキャサリンは考え続ける。これは明らかに、
自らを社会の常識に順応させる、あるいは自ら「社会化」
の道をたどるプロセスだと言ってよい。エリナーの側に も、何か自分の行動を弁明せねばならない事情が生じた ようである。この際、ヘンリーはどのような立場を取る べきなのであろうか。三者三様に立場があり、それぞれ の立場を取ることによって三人の関係は深まっていく。
キャサリンが謝罪にやって来た騒動は、意外な副産物 を生むように思われる。それはヘンリーがキャサリンに 好意を持ち始めることである。晩方、芝居を見にアレン 夫人と劇場を訪れたキャサリンは、向こう桟敷にヘン リーと父親の姿を認める。彼女は劇どころではなく、ずっ とヘンリーの姿を見守るばかりである。彼はようやく彼 女と視線が合い、軽く会釈をしてくれる。劇の幕が下り た後、彼は自ら進んで彼女の席まで来てくれた。キャサ リンは無我夢中になって、約束を破ったことを謝罪する。
“Oh! Mr. Tilney, I have been quite wild to speak to you, and make my apologies. You must have thought me so rude; but indeed it was not my own fault, ― was it, Mrs. Allen? Did not they tell me that Mr. Tilney and his sister were gone out in a phaeton together? and then what could I do? But I had ten thousand times rather have been with you; now had not I, Mrs. Allen?”(71)
身振り手振りを交えつつ、あまりに熱心に謝るので、彼 女は隣のアレン夫人のガウンをくしゃくしゃにしてし まったことにも気づかない。この素直さに強くヘンリー は惹かれたようだ。彼は愛想の良い、自然な微笑みを顔 に浮かべつつ、妹がキャサリンの義理堅さを信じていた ことと告げる。
With a yet sweeter smile, he said everything that need be said of his sister’s concern, regret, and dependence on Catherine’s honour.(71)
確かにヘンリーは彼女に好感を抱き始めていると言える
であろう。
しかし同じ劇場で、キャサリンがまったく予期してい ない事態が始まっていた。彼女とヘンリーの誠実な関係 が進行する裏側で、ジョン・ソープがティルニー将軍に キャサリンが大資産家の娘であると耳打ちしたらしいの だ。腹黒いが、愚鈍なところのあるジョンは、妹が資産 家の息子ジェイムズ・モーランドと婚約しそうだと告げ る。虚言癖のあるジョンは大した根拠もなしに、ジェイ ムズは大変な遺産を相続しそうだと吹聴しまくる。妹に 資産が転がり込んできて、自分もそのおこぼれに与れる ことを自慢したくてしょうがなかったのであろう。財産 を殖やすことしか頭にないティルニー将軍は、それなら ば次男のヘンリーとキャサリンを結婚させれば、いくら かでもモーランド家の遺産を手に入れられるであろうと 算段するのである。
このような経済至上主義の連中がバースの社交界で蠢 く中で、無垢で誠実なヒロインがまさに無垢で誠実であ るからこそ、種々の苦難を潜り向けて幸福を手にするこ とになる―そういった純粋さの称讃こそを、第 3 回目の 遠出は表している。ソープ兄妹にしては、金蔓のモーラ ンド家の兄妹と是非とも親交を深めることを望んでい る。ところが、キャサリンがティルニー兄妹と散歩に出 かける約束の日の前日になって、ソープ兄妹は彼女にま たもやクリフトン行きを持ちかけてくる。クリフトンか らブレイズ城までは 3 マイルほどであり、馬車で行けば さほど遠くはない。今回は、キャサリンは自分の行いは 正しいという信念を曲げず、親友のエリナーを裏切るこ とはできないので、クリフトンには行けないと断言する。
しかし、兄ジェイムズでさえ敵側に回り、キャサリンを 強情な娘だと責め立てる。イザベラは泣きそうになって いる。しばらく席を外していたジョンは帰ってくるなり、
エリナーに面会してキャサリンとの散歩の約束を取り消 し、先方は納得して散歩の延期を受け入れたと告げる。
キャサリンの意思とは違う、まことに強引な行動をジョ ンは取ったのだ。 2 回も約束を違えることは、社会性を 身につけてきたキャサリンには耐えがたいことであっ た。彼女は自らエリナーに面会し、ジョンが取り消した 約束を元に戻してくるのだ。ブレイズ城の見学などはど うでもよいことであるし、自分にはジョンの側に立つ連 中に逆らう正当な理由があると思えたのである。
She had not been withstanding them on selfish principles alone, she had not consulted merely her own gratification; that might have been ensured in some degree by the excursion itself, by seeing Blaize Castle;
no, she had attended to what was due to others, and to her own character in their opinion.(78)
「他者に対して適切なこと」を行い、「他者の心に自分が どう映るか」に注意を払うことは、正しい社会性の獲得
に繋がるであろう。 3 回目の遠出には、キャサリンは参 加していない。無垢で誠実であることは、ヒロインに正 しい人たちと交際し、誤った交際を続けることを避けさ せたのである。
3 回の馬車旅行のうち、特に 2 回目のものにはゴシッ クの要素が多く含まれている。ブレイズ城に本当に行く 可能性があったのは、 2 回目のものである。キャサリン はいまだに現実のゴシック的風景に出会っていない。そ うではあっても、彼女は非常に大切な体験をしている。
ゴシックを追い求めれば、利己的な悦びの世界に惑溺す る傾向を醸成し、自分にはけっしてためにならない。そ れに対し、ゴシックを諦めれば、正しい友人関係を構築 することに繋がる。ノーサンガー僧院に至る前の、ゴ シックを選択するか否かの問題には、人倫の道を選ぶか 否かの主題が関わっている。それゆえ、僧院におけるゴ シックよりも僧院に到達する前のゴシックの方に、我々 はもっと関心を寄せるべきなのである。
5 .ノーサンガー僧院におけるゴシック
ノーサンガー僧院へとキャサリンを招待するのは、も ちろん当主のティルニー将軍である。キャサリンを資産 家の娘と誤解し、彼女と次男ヘンリーを結びつけようと する意図が将軍にはあった。経済的要因がヒロインの与 り知らぬところでプロット展開を導いており、彼女は否 応なく生きた「動産」として扱われてしまう。しかしな がら、個々の登場人物たちの経済的思惑の絡み合った糸 を解きほぐすことが、この小説の主題ではない。
この小説の主題は、あくまでもヒロインであるキャサ リンの人間的成長を措いて他にはない。そこでゴシック は彼女の成長を促す、越えられるべき壁、あるいは捨て られるべき価値観のごとき役割を果たす。この小説をゴ シックのパロディとして読み解くことは、この教育的主 題を見落とすことに繋がってしまうのである。(17)
ノーサンガー僧院においてキャサリンが行う愚行は、
ゴシック小説にあるヒロインの行動をそのまま実行する だけのことである。これは画に描いたような愚行であ り、あまりにあけすけなゴシックのパロディそのもので ある。そして、あまりにも画に描いたような愚行である がゆえに、そのまま笑いとばしてもさしたる影響はない ように思える。僧院におけるキャサリンの愚行において、
唯一悪質に思えるのは、ティルニー将軍を妻の殺害者で はなかろうかと疑うことであろう。ただ、これにしても あまりにも根拠が薄弱な推測にすぎず、一笑に付されう るような憶測の域を出ない。
『ノーサンガー僧院』のプロットを動かす経済的要因 と、僧院内でのゴシック的要素とヒロインの不品行は直 接何の関係もない。僧院内での事件を経験した後、キャ
サリンが僧院内とフラトンでの日常生活に戻っても、彼 女の内的変化を除いては何の変化も小説中起こらない。
僧院でのキャサリンの醜態を経た後で、読者に明確に示 されるのは、ティルニー将軍の経済至上主義、彼の長男 フレデリック(Frederick)の享楽主義、ソープ兄妹の 金銭欲などである。これらはキャサリンが僧院に到達す る前においても部分的に展開されているために、小説の 終盤部と論理的に辻褄が合うように構成されている。
以上のようであるために、ノーサンガー僧院内でのゴ シック的要素とヒロインの愚行は、端的に言って小説中 では「浮いてしまう」ように思えてならない。キャサリ ンの動きは、ゴシックに取り憑かれた女性が示す行動を 戯画化しているのである。『ノーサンガー僧院』という 小説において―タイトルが僧院名自体であることも手 伝って―ノーサンガー僧院での一件は、小説全体を換喩 的に表すような機能を帯びている。したがって、僧院内 での事件はヒロインが行う種々の行動の背後にある心理 を、それ自体が「代表例」となって表した換喩である。
小説がヒロインの行動を追っているだけに、僧院内での 彼女の行動の典型的パターンが小説全体の換喩として機 能しているのだ。僧院内での事件はゴシックのパロディ というよりも、ゴシックの換喩と呼んだ方が正しいので ある。
一つ見落としてはならない点がある。それはキャサリ ンをゴシック的愚行に導いたことに大いに貢献したの は、実はヘンリーが彼女のゴシック熱を煽ったことなの だという点である。バースを後にして、グロスターシャー
(Gloucestershire)にあるノーサンガー僧院に向かう二
頭立て馬車の中で、ヘンリーとキャサリンは親密に会話 を重ねる。ゴシック小説にも精通した多読家のヘンリー は、おそらくキャサリンを楽しませるために、僧院内の 様子をゴシックの常套手段を使って長々と描写してみせ る。
“… Will not your mind misgive you, when you find yourself in this gloomy chamber ― too lofty and extensive for you, with only the feeble rays of a single lamp to take in its size ― its walls hung with tapestry exhibiting figures as large as life, and the bed, of dark green stuff or purple velvet, presenting even a funereal appearance? Will not your heart sink within you?”(124- 25)
薄暗く、陰気で、誰かそこで亡くなったような雰囲気の 部屋は、間違いなくキャサリンのゴシックを求める感性 を刺激するであろう。ヘンリーが可愛いキャサリンを怖 がらせたい思い―おそらくは悪戯心―は留まるところを 知らない。ご丁寧なことに家政婦のドロシー(Dorothy) という人物を登場させて、彼は部屋の細々した様子まで 描写し続ける。
“How fearfully will you examine the furniture of your apartment! ― And what will you discern? ― Not tables, toilettes, wardrobes, or drawers, but on one side perhaps the remains of a broken lute, on the other a ponderous chest which no efforts can open, and over the fireplace the portrait of some handsome warrior, whose features will so incomprehensibly strike you, that you will not be able to withdraw your eyes from it.
Dorothy, meanwhile, no less struck by your appearance, gazes on you in great agitation, and drops a few unintelligible hints. To raise your spirits, moreover, she gives you reason to suppose that the part of the abbey you inhabit is undoubtedly haunted, and informs you that you will not have a single domestic within call. …”
(125)
中世の吟遊詩人を連想させるような「リュート」、何が 入っているのかわからない「重厚な箱」、不可解な表情 を浮かべた「騎士の肖像画」、そして召使いの幽霊話、
…ヘンリーが意図的にゴシックのお膳立てを並べ立てて いることは明らかであろう。ヘンリーのゴシック的雰囲 気の捏造は冗談の域を超えて、さらなる具体性を帯びて、
延々と続いていく。嵐の夜の描写を細かくした後、彼は キャサリンがつづれ織りの裏にある仕切り戸を開け、丸 天井の部屋への階段を上がっていくのだという。丸天井 の部屋で彼女が見つけるものは、恐ろしいことに短剣と 床に残った血痕と拷問道具の数々だった。恐怖に打たれ て彼女は自室に戻るが、途中で古風な黒檀と黄金ででき た飾り箪笥が目に留まる。否応なくその箪笥に引きつけ られ、次々にその引き出しを開ける。ダイヤモンドがどっ さり見つかるが、秘密のバネに手が触れ、仕切り板から 巻物が現れる。巻物にはいろんなことが書いてあるが、
薄暗くてよく読めない。そうした宝物を持って、彼女は 自室に戻ろうとするが、運悪くランプの灯がふっと消え てしまい、漆黒の闇に包まれてしまう、…こういう嘘話 をヘンリーは17歳のゴシックかぶれの少女に語って聞か せるのだ。怖いものを求める彼女の心が燃え立たないわ けがなかろう。
キャサリンが僧院内でゴシックを求める愚行を犯して しまうことには、ヘンリーが彼女の心の奥底にたゆたっ ていたゴシックへの憧れに火を付けたという側面があ る。責任の一端はヘンリーにあるのだ。ただし、キャサ リンの愚かな振る舞いには、彼女に良いことをもたらし たという側面もある。ゴシックへの熱情を燃え立たせ、
僧院内をうろつき回ることによって、彼女はゴシックの 実体とはただの空想上の虚像にすぎないことを悟る。彼 女の心に残っていたゴシックの残滓は燃え尽きてしま う。つまり、ヘンリーの語りにはヒロインのゴシック祓 いに手を貸したという側面があるのだ。(18)
ところで、ノーサンガー僧院にはゴシック的雰囲気は ほとんど何も認められなかった。僧院は予想したよりも 背が低い建物で、馬車が番所の門をくぐって構内に入っ ても、古風な煙突一つ見当たらない。門から建物への道 も平坦で小砂利を敷いた道で、回りに厳めしい建物一つ ない。門自体が近代的なものだった。僧院内部はいっそ う近代的であった。キャサリンは自分が僧院内に入って いることを疑うほどだった。家具は近代的で優美であり、
煖炉はこぢんまりとして、装飾物は陶器が上に置いてあ るだけであった。よくよく探せば、ゴシック式のものは ないことはなかった。窓は確かにゴシック式だが、窓ガ ラスは大きくて煌々と日が差し込んでいる。重々しい石 造りの仕切りもない。実に機能的で快適な様子だった。
つまり、ノーサンガー僧院にはゴシックはほぼ不在であ ると言ってよい。
僧院に滞在中に、キャサリンは不在のゴシックを実在 するものと考え始めるのだから、彼女のゴシック熱はた だ想像力が生み出したものにすぎないことがわかる。お あつらえ向きに夜は嵐になり、彼女の泊まる部屋には怪 しげな箪笥がある。ヘンリーの語りと同じ展開である。
おそらく、彼は彼女の泊まる部屋に古い箪笥があること に気づいていたのであろう。思わず、彼女は箪笥の引き 出しを探し回り、古い書類の束を発見する。蝋燭の灯が 消えてしまったので、翌朝になってそれを調べてみると、
馬鹿馬鹿しいことに洗濯物の目録にすぎないことがわか る。こんなゴシックに対する熱情は、他者に害を及ぼす ことはない。単純にヒロインの愚かさの証明になるだけ のことである。(19)しかも、今回は誰にもこの愚かさは露 呈していない。早朝、煖炉に薪をくべに来た女中が床に 落ちた目録の一部に気づいたかもしれないが、これは後 になっても特に何の影響もなかった。誰にも気づかれな いうちに、ヒロインはゴシック熱から解放されていれば よかったのだが、実はそううまくことは運ばなかった。
キャサリンが本当に恥をかく前に、オースティンは ノーサンガー僧院がゴシックからほど遠いものであるこ とをさらに強調する。ティルニー将軍に連れられてキャ サリンとエリナーは屋敷を散策するが、菜園はアレン氏 のものよりも二倍は大きく、温室は一つの村に匹敵する ほどの巨大さであった。ここでは何でも近代的かつ合理 的に運営されていたのである。将軍は情緒的なところが なく、何でも実益第一に運営することを好んだのである。
父親とは違って、エリナーは豊かな情緒性を持った娘で あった。彼女はキャサリンの感受性の深さを理解でき、
父親が勧める果樹園の整理された道を外れて、老木の密 生した曲がりくねった小道を進んで行く。その道こそエ リナーが母親と一緒に歩くのを好んだ道であった。しか し、将軍はこの道が嫌いらしい。エリナーが言うには、
亡くなった夫人の肖像画さえ、将軍は応接間に掛けさせ
ないらしい。将軍は急逝した妻のことを思い出したくな いから、妻のことを思い出させるものを避けていると考 えるのが普通ではないであろうか。彼は再婚もしていな いのだ。しかし、キャサリンは将軍が資産家の実家から 嫁いだ妻を殺したのではないかと疑い始める。僧院に何 のゴシック性もないのに、彼女は勝手にゴシック的要素 を創り出すのである。彼女は明らかに迷いの目で僧院を 見つめているのである。
キャサリンの注意力はティルニー夫人が亡くなった部 屋に集中する。将軍は使用人たちの家事用の部屋こそ、
その利便性のゆえに自慢の種であったが、そんなことは キャサリンにはどうでもよいことであった。 9 年前から 夫人の居室には何の変化も加えていない。そのこと自体 が、将軍が妻の記憶を大切にしている証ではないであろ うか。この禁断の部屋を見学する機会を逸したキャサリ ンは、この上もなく愚かなことに、ティルニー夫人はま だ生きていて、あの部屋に監禁され、夫の手からわずか な食物を与えられているのだと勝手に思い込んでしま う。ゴシック的感性はキャサリンの合理的判断力を麻痺 させてしまう。夫人が急逝したとき、息子たちも娘も不 在だったらしい。将軍は夜も眠らず仕事をするらしい。
彼には眠りにつけない理由があるのだろう。そんなこと を考えているうちに、夫人の監禁説をキャサリンは勝手 にでっち上げてしまうのだ。しかし、その原因はなんで あろうか。彼女の考えでは、それは将軍のこんな性格で あった。
Its origin ― jealousy perhaps, or wanton cruelty ― was yet to be unravelled.(151)
「嫉妬」か「理不尽な残虐性」かもしれないが、そんな ことは後から考えればよいではないか-これは実にいい 加減な推論である。実際、推論にさえなっていない。そ うしたいい加減さで、ヒロインは夫人の部屋こそすべて の謎を解く鍵であると思い込んでしまう。
ゴシック的謎を勝手に創り上げ、キャサリンはその謎 を解く鍵である夫人の部屋に許可も得ず入ろうとする。
これは訪問客の守るべき規範を逸脱する行為である。そ して、規範を逸脱するからこそ、そうした違反行為を正 す教育的主題が前景化してくる。ゴシックの魅力を追求 したヒロインを待ち受けていたものは、恋人による教育 であった。このことはゴシック熱を焚きつけたのも、そ の熱を鎮めたのもヘンリーであるという事実によって確 認できる。ノーサンガー僧院での騒動は、その起こりと 終焉をヘンリーが取り仕切っているがために、ヒロイン の成長を促す教育的側面を強く持っていると言えよう。
誰にも見られないよう廊下を抜け、キャサリンは夫人 の部屋に近づき、音を立てないようゆっくりと戸を開け る。禁断の部屋ならば、戸が施錠されていないことさえ おかしい。しかも、誰も使っていないにもかかわらず、
実にしなやかに音も立てず戸は開いてくれる。キャサリ ンの目に飛び込んできたのは、こんな光景であった。
She saw a large, well ― proportioned apartment, an handsome dimity bed, arranged as unoccupied with an housemaid’s care, a bright Bath stove, mahogany wardrobes, and neatly-painted chairs, on which the warm beams of a western sun gaily poured through two sash windows!(155)
部屋は女中によって常に整理整頓され、家具調度品も ちゃんと整備されており、西日が燦々と降り注いでいた。
部屋には誰もおらず、何の謎めいたところもなかった。
瀕死の夫人がベッドに横たわっているわけでもなかっ た。ごく普通のお屋敷の快適な一室であった。ちょうど その瞬間、階段から廊下に誰かがさっと上がってきた。
庭から自室に向かおうとするヘンリーの姿がキャサリン の目に映る。万事休すのヒロインは自分がいかに愚かで あり、恥ずかしい行為をし、蔑むに足る存在であるかと 痛感するのである。
しかしながら、ヘンリーの態度は教育者のそれであっ た。彼は彼女の罪悪や愚鈍さを追求するのではなく、実 に丁寧に次のような説諭を行ってくれる。
“If I understand you rightly, you had formed a surmise of such horror as I have hardly words to ― Dear Miss Morland, consider the dreadful nature of the suspicions you have entertained. What have you been judging from? Remember the country and the age in which we live. Remember that we are English, that we are Christians. Consult your own understanding, your own sense of the probable, your own observation of what is passing around you. ― Does our education prepare us for such atrocities? …”(159)
ここはゴシック小説の舞台ではなく、ただのイギリスの 片田舎である。悟性、推理力、観察力を働かせれば、キャ サリンが思い描くような、残虐な事件など滅多にあるも のではないことはすぐにわかるはずだ。ヘンリーはキャ サリンにゴシック的感受性を抑制し、日常的倫理の世界 に目覚めるよう教えているのだ。(20)
いったんロマンスの幻影が去れば、キャサリンは簡単 に現実に目覚めてしまう。自分の空想の途方もなさを自 覚し、彼女はこんな結論に至る。
Charming as were all Mrs. Radcliffe’s works, and charming even as were the works of all her imitators, it was not in them perhaps that human nature, at least in the midland counties of England, was to be looked for.
(160)
これ以降、ゴシックの魔力はキャサリンを惑わすことは ない。アルプスやピレネーの山岳地帯が見せる荒々しい 地形、さらにはイタリア、スイス、フランス南部に広が