1
ソクラテスから(それとも、こういう場合は、プラトンからと言うべきなのだ ろうか?)始めよう。
アテナイを離れて、グラウコンとともにペイライエウスという町までおもむい たソクラテスは、女神に祈りを捧げ、その地で初めて催される祭りを見物すると いう当初の二つの目的を果たした後、何事もなく帰途につこうとしていた。する とそのとき、というふうにソクラテスは語り始める――いうまでもなく、あのプ ラトンの長大な対話篇『国家』の冒頭の場面である――。そのときソクラテスの 身に起きた事柄は、何も異常な出来事ではない。ひとりの子供に上着をつかまれ て、自分の主人がまもなく追いつくはずなので待ってくれるようにと頼まれたの だ。もちろん、この申し出を断る特別の理由を持たないソクラテスはこれを聞き 入れて、その主人であるポレマルコスの到着を待つことにした。しばらくして数 名の友人を従えたポレマルコスがやってきて、ソクラテスと言葉を交わすのだが、
それをソクラテスは次のように語っている。
ポレマルコスが言った、
「ソクラテス、お見うけしたところ、どうやらあなた方はここを引きあげる おつもりで、都まちのほうへ向かいはじめたようですね」
「そう、お察しのとおり」とぼくは答えた。
「われわれがここに総勢何人ひかえているか、あなたの目に入っているので すか?」と彼が言った。
「むろん」
『国家』の余白に
――ブランショ、レヴィナス、エリック・ヴェイユ――
谷 口 博 史
「それならあなた方は」と彼は言った、「ここにいるわれわれよりも強くなる か、それができなければここに留まるか、二つに一つですよ」
「もう一つの途
みち
が残されていはしなかね」とぼくは答えた、「つまり、われわ れを放免すべきだということを、君たちに説得すればよいわけだろう?」
「その説得の言葉を
........
」と彼は言った、「われわれのほうがぜんぜん聞こうとし
.................
なかったら
.....
? それでも説得できますか
...........
?」
「それはできないよ」とグラウコンが言った。
「では、われわれのほうとしては聞くつもりはありませんから、そのように 心を決めてください(1)」(強調は引用者による)
つまり、ソクラテスとグラウコンはポレマルコスによって脅迫されるのだ。た だし、この個所の続きを見るかぎり、これは必ずしも敵意を内にふくんだ脅迫で はない。なぜなら、ポレマルコスの連れのアデイマントスが、「馬乗りの松明競 争」が催されることを教え、さらに夜の祭りも一見の価値があると言って、ソク ラテスとグラウコンの二人を引きとどめようと誘うからである。一瞬あらわにな ったかに思えた暴力は、友好的な誘惑に転じるのである。とにかく二人はこうし た申し入れを受け入れて、アテナイに戻ることを中断し、ポレマルコスの家へと 向かうことになった。かくして、『国家』のあの膨大な対話が開始されるのであ る。
繰り返すが、ここには何も異常なことは書かれてはいない。それどころか、日 常の様々な場所で、様々な場面で幾度となく繰り返されているごくありふれた事 柄であろう。言葉の無力が露呈する状況はおそらく陳腐なものでしかない。「そ の説得の言葉をわれわれのほうがぜんぜん聞こうとしなかったら? それでも説 得できますか?」というポレマルコスの挑戦的な言葉は、いろいろな口調で日常 的に口にされているはずだ。けれども、この言葉には深刻な問題が含まれている。
それをもっと明らかにするために、『国家』のこの冒頭の場面にある意味ではき わめて酷似したものだが、それよりもいっそう暴力的で、悲劇的な結末をもたら した歴史上の場面を引き合いに出しておくことにする。1932年の5月15日 に起きた事件である。ここには、ポレマルコスの言葉が、その陳腐なありふれた 装いを拭い去って、むきだしの暴力として反復されているのである。
5・15事件、海軍の青年将校を中心とする30数名の兇徒らによって企てら れたこの事件はクーデターとしては未遂に終わったものの、日本の短い政党政治 の終焉を告げ、軍部による政権掌握へと道を開くものであった。だが、ここでは その歴史的意味に着目したいのではない。兇徒たちの銃弾によって命を落とした 当時の首相犬養毅と、首相官邸に乱入した叛徒たちとのあいだには次のようなや り取りがなされたという(ここでは、松本清張の『昭和史発掘』の記述を借りる ことにする)。
犬養は落ちついた態度で、
「靴ぐらい脱いだらどうか」
と抑えたような声でいった。
(……)
「騒がんでも話をすれば分かる」
と首相はおだやかにいった。(……)
三上中尉は犬養に差向けていた拳銃をいったん下ろして話をきくような態 度をとっていたが、突然、山岸中尉が、
「話をききにきたのではない。問答無用。射て射て」
と叫んだ(2)。
こうして、首相の命を奪う銃弾は発射された。
「話をすれば分かる」に対する「問答無用」という、あまりにも有名なこの応 答――あるいはむしろ応答の拒否――は、やはり言葉の無力をこれ以上なく露呈 させる言葉
..
であった。だが、この言葉はかろうじて言葉であるにすぎず、すでに 銃弾の発射と等しいものでもあったのだ。ここにもまた、ポレマルコスの不吉な 言葉――「その説得の言葉をわれわれのほうがぜんぜん聞こうとしなかったら?
それでも説得できますか?」――が、間違いなく反響しているのである。
さて、なぜ『国家』の冒頭の場面を引用したかといえば、これが最良の入口と なるからである。テクストのなかには無論無数の入口が開いているのだから、テ クストのなかに分け入っていくことは決してむずかしくはない。ただ困難がある とすれば適切な入口を見つけ出すことだ。そういう意味で、この『国家』の冒頭
の場面は、ある三つの思想の営みに私たちをすぐさま導いてくれる入口であり、
さらには指針でもある。というのも、今世紀の初めに生まれた三人の思想家が、
あるいはむしろふたりの哲学者とひとりの作家と言うべきかもしれないが、その 場面について――もしくはこれと似た場面について――それぞれ独自の印象的な 仕方で語っているからである。したがって、この場面を手がかりにして、それぞ れの思想家の語るところに耳を傾けてみたいと思うのである。言いかえるなら、
『国家』の余白に書きこまれた命令と拒絶と決断を読んでみたいと思うのである。
2
エマニュエル・レヴィナスとモーリス・ブランショ、この二人の思想の関係は 複雑に絡み合っており、反発しながら惹かれる、と言うべきなのか、それとも、
惹かれながら反発すると言うべきなのかすら判明ではない。
ストラスブールの学生時代に親交を結んだ二人の交際に関しては、ナチスドイ ツによる占領時代に、ブランショがレヴィナスの夫人と娘をゲシュタポの手から 守るために匿ったということを除けば(3)、人目を引くような事件はほとんど何も ない。そして二人は終生たがいに尊敬に満ちた敬愛の言葉を交し合った。そこに は、サルトルとメルロ=ポンティやカミュのあいだに、あるいはブランショとジ ャン・ポーランとのあいだに起きたような決裂もなければ、波乱もない。デリダ はレヴィナスを追悼する際に、こう語っている。
おそらく私たちのうちの多くのものにとって、確実に私にとって、モーリ ス・ブランショとエマニュエル・レヴィナスとのあいだの絶対的誠実さ、思 想の模範的な友愛、二人の友愛はひとつの恩寵でした。二人の友愛
..
はこの時 代の祝別のごときものとしてありつづけています(4)。
さて、二人のテクストに目を向けてみるなら、幾つかのことをただちに指摘す ることができる。
第一に、ブランショはレヴィナスから多くのものを受取ったということだ。こ
こでは簡単に済ませたいが、50年代の受動的な....
文学理論を構築するために、ブ ランショはレヴィナスから多くの観念を受け入れて、それを独自に展開させたの である。たとえば、特に50年代のブランショが愛用する「潮の干満」といった 表現まで含めて、ブランショのテクストを彩る独特の概念や用語のほとんどが4 0年代のレヴィナスの論考のなかに見出されるのである。ブランショは、ずっと 後年になって「あるil y aはレヴィナスの最も魅惑的な命題のひとつである(5)」と 語っていることからも分かるとおり、レヴィナスの――無をうめ尽くすざわめき としての――「ある」に魅了されてしまった。「中性的なものの絶えざる執拗さ」
としての「ある」に向けて、50年代のブランショの文学論のすべてが組織され ると言っても過言ではないだろう。ただし、これを一方的な影響関係だと見るの は必ずしも正しくはない。たしかにブランショは、レヴィナスの『実存から実存 者へ』『時間と他者』という2冊の書物、それから「現実とその影」という論考 から、その後のブランショの思考にとって本質的な事柄とさえ言ってよいものを 受け取ったのだが、しかしそれでも、ここには、レヴィナスからブランショへと いう単一のヴェクトルだけが存在しているわけではないのだ。というのも、レヴ ィナスは40年代の論考のなかで、「ある」というこの異常な事態を記述するさ いに、ブランショがそれ以前に発表した小説『謎の男トマ』『アミナダブ』を例 証として引用しているからである(6)。奇妙なことではあるが、ブランショの理論 的言説(30年代の政治論文および文学的書評も含めて)は、彼自身が書いた虚 構作品の言葉にはるかに遅れていて、ようやく50年代になってそれに追いつい たとでも言いうるような様相を呈しているのである。
第二に、似たような仕方でヘーゲルを批判し、やはり似たような仕方でハイデ ガーを批判しながら、弁証法にも存在論にも還元不可能な出来事を何とかして言 語化しようと努める二人ではあるが、その両者の主張が相反する地点は思いのほ か数多く存在している。そもそもブランショが魅了された「ある」にしても、そ れはレヴィナスにとっては「存在すること」の別名であって、ブランショの場合 のように「ある」の魅惑に向けてレヴィナスの言説が組み立てられることはなく、
むしろ――たしかにそこから逃れようとしてもいつまでもまとわりつき回帰して くるものではあるが――「ある」から脱して、他者の身代わりとしての自己の唯
一性へとレヴィナスの思考は進んでいく。また、「中性的neutre」という概念の 捉え方に関しても、両者は際立った対照を示している。レヴィナスにとって「中 性的」とは存在論の顔なき非人称性、つまり非人間性を表す概念であったのに対 し、ブランショにとっては、権能の不在という、その思考のなかで最も重要な位 置を占める概念だと言ってもよい(7)。
この相違に関しては、あと一点だけ触れておく。
『存在するとは別のしかたで』のなかでレヴィナスは、詩の言語、語られたこ と(le dit)および存在の相関について次のように語っている。
たしかに<語られたこと>はコミュニケーションにも、存在の間主観的表 象にも先立つものとして理解されうる。人間のものではない沈黙した言語の なかで、沈黙の声によって――Geläut der Stilleのなかで(……)喚起され るものとして、存在はすでに意味作用を有し――言いかえるならみずからを 顕出しているのかもしれない(AQE, p.211)。
こう述べた後、レヴィナスは、この「人間のものではない沈黙した言語」を
「詩が人間の言葉にもたらす」と言う。さらに「詩のなかで存在の喚起を反響さ せること、この喚起こそが詩を可能にするものであるが、それは<語られたこ と>を反響させることであろう」(p.212)とレヴィナスは書いている。つまり、詩 の言葉は、レヴィナスの考えでは、存在の反響でしかなく、<語られたこと>に 絶対的に先立っている責任の別名たる<語ること>の次元には達し得ないのだ。
Geläut der Stille という表現からも分かるとおり、ここでレヴィナスが念頭にお
いているのは、まちがいなくハイデガーの詩論であるが、この一節が持つ射程は ブランショの文学論にまで届いていることは否定できないだろう。たとえば、あ る個所でブランショは詩人に関してこう書いている。
何よりも彼は、あらゆる真なる言葉のなかに、むさぼり尽くすリズムと野 性的な抑揚とによって、つねに語られているが決して聞き取られないあの言 葉を感じ取らせねばならない。その言葉は、(……)先行するこだまとして、
風のざわめきとして、性急なつぶやきとして真なる言葉を裏打ちしているの
だ(LV, p,128)。
こうしてみると、おそらくレヴィナスであったならば、ブランショに対して超 越が欠けていると指摘することもできたであろう。
さて、以上、レヴィナスとブランショの複雑な関係のごく単純な見取り図をと りあえずの前置きとして描いてみたが、本論の目的はこの見取り図を練り上げて より厳密な対照表のごときものを作成することにあるのではない。両者の関係に おいて、本質的な――少なくとも筆者には本質的と思える――差異を問題にして みたい。そこで、問いは次のようなものとなる。レヴィナスの思想のなかでブラ ンショが無視あるいは忌避したものとは何か。この問いに答えるための手がかり が、先に引用した『国家』の冒頭の場面のなかに隠されているのだ。そして、そ の途上で、私たちは第三の人物エリック・ヴェイユに出会うはずである。
3
レヴィナスの思想にとって『国家』の冒頭の場面は非常に重要な位置を占めて いる。レヴィナスにとって、これは西欧哲学の限界をあらわす象徴的な場面なの だ。それをプラトンというギリシャ人が語っているということ、さらには西欧哲 学の源流のひとつである『国家』という巨大な書物が語っているということ、こ の点は決して偶然ではない。プラトンは、ここに重要な問題があることにおそら く気づきながら、それを暗示しつつも看過してしまったのだ。かくしてレヴィナ スはギリシャにおいて誕生した哲学的言説の、その手前に、哲学的言説によって は語ることのできないひとつの問題を発見するのである。
レヴィナスが最初にこの場面について言及しているのは、1953年に発表さ れた「自由と命令」という論考においてである。自律と他律という問題をめぐり ながら、非暴力的な他律の可能性を模索するこの論考のなかで、レヴィナスはと りあえず人間を自由な存在者、つまり純粋な能動性として規定することから始め ている。自由な存在者の自由が堕落しないために、また暴君が発生して自由が圧 殺されないために、この自由は逆説的なことに自らを守るために法という外在的
で非人称的な理性を必要とする。つまり、自由が自由であり続けるためには、理 性的な法への自発的な服従が必要となるのだ。しかし、自発的な服従などという ものがいかにして可能となるのか。
自由にもとづく個人的行為がみずから決断して非人称的理性を選び取るの だが、個人的行為そのものは非人称的理性から生じたわけではない。実際、
他者を強制して、書かれたものとしての非人称的理性を受け入れさせようと 望むものなど誰もいはしない。圧制によるのでなければ、そのようなことは 不可能であろう。さらに、説得によって受け入れさせようとしても、説得は すでに、非人称的理性が前もって受け入れられていることを前提としてい る。
『国家』の冒頭、それも文字どおりの冒頭では、開始に先立って、「聞く ことを望まぬ人々を、あなたは納得させることができますか」と言われてい るではないか(LC, pp.35-36)。
レヴィナスは自由な意志と、法という形で外在化した理性とのあいだのアポリ アについて問う。自発的な意志と非人称的理性は決して融合して一体となること はありえない。両者を何らかの形で結合させるためには、レヴィナスは二つの方 法しかないととりあえず指摘する。つまり説得するか、暴力的に強制するかのど ちらかである。ところが、前者の場合、そもそも自由な意志が――言いかえるな ら、他からの働きかけをいっさい受けつけないはずの純粋能動性としての自由が
――、どうして他者の説得に、たとえその説得が完全に理性的なものであったと しても、耳を傾けるのか。完全に理性的な体系が仮にあったとしても、いかにし て自由な意志はそれを選択し受諾するのか。言説によってそれを選び取るように 誰かが説得することは問題にならない。なぜなら、説得の言葉を聞き入れる、い やそれどころか説得する声を聞くためにはすでに、自由な意志が理性を受け入れ ていることが前提条件となるからだ。
ここにレヴィナスは、ギリシャに端を発する西欧哲学が少なくとも明示的に問 わなかった問題を発見する。
たとえば、それは<…に話しかけること>の次元の忘却と言い換えてもよい。
哲学の中心的な関心事は<…について話すこと>だった。これは、さらに思考な いし理性の優位と言い換えてもよい。というのも思考においては<…について>
という対象化・主題化の次元が何よりも優先するからである。そもそも考えると いう動詞の文法は<…を>を要求するのであって、<…に>は許容されることさ えない。かろうじて目的論的に<…を目指して>が許されるだけだ。したがって、
ハイデガーが存在神論によって把握された神に対しては祈ることができないと言 うとき、それはある意味では当然の事柄なのである。哲学は神について
....
を問うの であって、神へ
.
、神に向けて
....
を問うことはないからだ。祈ると考えるは、その文 法からして別の次元に属する事柄なのである。こうして<…について思考するこ と>が暗黙のうちに当然のこととして優先する場合には、<…に話しかけるこ と>は二次的ないし副次的な位置へと自動的におとしめられる。それは説得術の 問題でしかないのだ。
さて、レヴィナスはこの<…に話しかける>という次元が、理性に先立つ説得 の可能性の問題として『国家』の冒頭で暗示されていると指摘する。たしかに理 性的な言説を洗練させ、より完全なものにしていく試みは必要であろうし重要な ことであろう。しかし、それに先立つ問題があるはずだというのがレヴィナスの、
『国家』の冒頭を起点とした問題提起である。すなわち自由に対して先行する説 得の問題である。「おそらくかかる説得、つまり理性に先立つ理性こそが、整合 的言説や非人称的理性を人間的なものたらしめるのである」(LC, p.223)。さら にレヴィナスは「言説に先立つ言説、理性的法の制定に先立つ個別者から個別者 への関係、暴力的に強制することなく誰かをわれわれの言説に参加させようとす る試み」(LC, p.224)とも言う。
これとまったく同じような問いをレヴィナスは1967年に発表された「言葉 と近さ」という論考のなかでも繰り返している。「思考と真理は<他人>を私の 言説のなかに入るように、対話者となるように強制することができるだろうか」
(HH, p.235)。もちろんこれは修辞疑問であって、当然レヴィナスがこれに与え る回答は否である。つまり、思考と真理に先立って強制する何か
..
があるはずであ り、それを問わずに理性や思考について語ることはできないというのがレヴィナ スの確信なのだ。そしてその何か..
を問うことが説得の問題なのである。しかし、
注意しなければならないのは、レヴィナス自身がこのような形――つまり、私が
他者を強制するという形――で問いをたててはいても、レヴィナスがそこから導 き出して展開する思考は少しばかり違った方向を向いているということだ。レヴ ィナスにとっては、私が他者を説得することが第一の問題なのではない。そうで はなく、いかにして私が説得されるか、いかにして私は他者の対話者となるのか が、解明すべき緊急の問題なのだ。この点はあとでもう一度触れるつもりだが、
レヴィナスにとって説得は――多くの場合――能動的な形ではなく、受動的な形 で問われるのである。
ともかく、こうしてレヴィナスは理性的言説の次元に先立つ領域、説得の領域 を解き放つ。
これは先行性の問題でもある。存在論に先立つ倫理、正義に先立つ慈愛、<語 られたこと>に先立つ<語ること>、このようにレヴィナスはつねに先行性を問 う。もちろんここにあるのは並列する二つの秩序間の優先順位の問題ではない(8)。 対象化する思考、あるいは、あらゆるものが同一平面状に存在するかのように上 空から俯瞰する視線によっては捉えることができず、さらにそれらに先立ってい るはずの事柄を掘り起こそうとしているのである。レヴィナスの思想にとって本 質的な、こうした一連の先行性の構造と、言うまでもなく『国家』の冒頭を起点 とする説得の問題は重なり合う。そして、説得とは自由に先立つ命令の聴取の問 題、しかも「暴力的に強制すること」のない命令の問題なのである。これがレヴ ィナスの言う他律である。
1961年に刊行された『全体性と無限』のなかでも、やはりレヴィナスはこ の『国家』の冒頭に由来する問題に触れている。
ソクラテスの言説は言説に向けて決断した存在者たち、したがって言説の 規則をすでに受け入れた存在者たちをあらかじめ前提にしている。それに対 して、教えは、修辞も追従も誘惑も欠いた、言いかえれば暴力を欠いた言説 へと導くのであり、その際、これを受け入れるものの内面性を維持している (TI, p.155)。
顔は原初の言説を開く。この言説の最初の語(le premier mot)とは義務で あり、いかなる 内面性 であってもこれを回避しえない。これこそ、言説
に入るように義務づける言説であり、合理主義が切に欲する言説の始まりで あり、「聞くことを望まぬ人々」をさえ納得させ、かくして理性の真の普遍 性を基礎付ける「力」である(TI, p.175)。
この2番目の引用個所が明確に示しているとおり、「言説に入るように義務づけ る」のは決して私ではない。私が他者を説得することが問題であるのではないの だ。たしかに経験の場では、そういうこともありうるだろう。だが、それはすで に言説の規則を受け入れた者たちのあいだで生じる出来事でしかない。レヴィナ スの考えでは、最初に言説に入るように説得するのは他者の顔なのだ。言いかえ るなら、理性的言説の次元、思考の次元、超越論的自我による意味付与の次元、
存在の開示の次元、こうしたすべてに先立って、私は他者に対する対話者として 他者によってすでに召喚されている。つまり何かを考え始めるよりも先に、何か を意識のうちに表象するよりも先に、私は他者の顔と対面し、他者に対して責任 を負う。私は、他者の顔をとおして、「言説に入るように義務づける言説」であ り「言説の始まり」である「汝殺すなかれ」という命令を聞き取るのである。た だし、私はこの命令を受け取って、それからその意味と価値を吟味した後、命令 に従うのではない。もしもそうであるなら、この命令は「言説の規則をすでに受 け入れた存在者たちをあらかじめ前提にしている」ことになってしまう。「言説 の始まり」たる命令は熟慮するための時間を許さない。それどころか、命令を聞 き取ることよりも、その命令に服することが先立っているのだ。だからこそ、か かる命令は理性的な言説に先行しうるのであり、単なる強制とは異なる形で作用 しうるのであるとレヴィナスは言う。たとえば、レヴィナスは、この命令が力に よる強制ではないことを次のように説明している。
指令としての命令を熟慮するよりも前に、それに隷従することによって、
無限の権威はこう言ってよければ測られ証しされる。しかもこの権威は強制 を最後まで拒否し、力で強いることを拒否する非暴力の謂いである。超越が まさに後退することによって、超越のまったき無限性によって、力が拒まれ るのだ!(EN, p.194)
あらゆるものに先立つ命令への隷従、能動と受動の対立には回収されない受動 性、レヴィナスの言説はこうした次元を切り開いていく。そしてレヴィナスの思 想のこうした側面を最も鮮明に表しているのは、『存在するとは別の仕方で』
(1974)以降の論考において繰り広げられる<語ることdire>という観念であろ う。
レヴィナスは<語ること>と<語られたことdit>という対の観念を設置す る。<語られたこと>はあらゆるものを、ほとんどすべてのものを含みこむ。現 象学の言説であれ、存在論の言説であれ、ともかく何ごとかを陳述する言説は例 外なくそこに包含される。それだけではない。<語られたこと>とは、何ものか が現出する際の地平であり、その現出を保証する現在という時間そのものでさえ あるのだ。それに対して、<語ること>の方も単なる発語行為にとどまるもので はない。<語ること>とは他者との近さだとレヴィナスと言う。つまり、それは 単にメッセージを伝えるという行為ではないのだ。
最初の語(le premier mot)は語ることそのものを語る。その語はいまだ存 在者を指し示すこともなく、主題を定めることもなく、何ものをも同一化し ようとはしない。そうでなければ、コミュニケーションや近さは言語の論理 的機能に舞い戻ることになり、ふたたびコミュニケーションを前提とするこ とになってしまうだろう(AQE, p.236)。
ここでもやはりレヴィナスは『国家』の冒頭が投げかける問いに答えようとし ていると言ってよい。レヴィナスの倫理にとって重要なのは、「最初の語」とは 何かということなのだ。現象学や存在論の整合的な言説は――<語られたもの>
に属する以上は――絶対にこの「最初の語」を響かせることはできない。それど ころか、いかなる哲学であっても、この「最初の語」の残響のなかで、さらには その残響が消えた後にようやく開始されるのである。言うまでもなく『存在する とは別の仕方で』におけるレヴィナスが操る言語もこのアポリアから逃れている わけではない。だが、少なくとも、レヴィナスはその点を自覚しながら、あたか も一歩退いて自分の背なかを見つめようとするかのごとき不可能な試みに専念し ているのである。
ところで、『全体性と無限』では、先に引用したとおり、「最初の語」は「義務」
だと言われていた。「言語と近さ」という論考では「語ることそのもの」だと言 われる。もちろんレヴィナスは異なることを言っているわけではない。なぜな ら、<語ること>とは、他者に対して自己を贈与するという徴そのものの贈与で あって、レヴィナスはこれを他者のための身代わりにまで至る受動性だと考える からである。「最初の語」とは責任に他ならないのだ。
このようにレヴィナスは『国家』の冒頭から引き出した説得の問題を起点にし て、理性的言説に先立つ命令を聞き取ろうとしているのである。しかし――先に も触れたとおり――この命令は非常に逆説的な性格を有している。たとえばそれ は上官が部下に、主人が奴隷に下すような命令ではない。なぜならこの言説を開 始させる命令はいかなる権威も、いかなる力も背景にはしていないからである。
さらに、この命令は内容のあることを告げてはならない。なぜなら内容を含んだ 命令であるなら、いかに普遍的な命令であろうとも、必ずや経験的な状況にまき こまれ、党派性や様々な利害関係を不可避的に生み出してしまうからである。か ろうじて「汝殺すなかれ」という否定命令だけが、この最初の命令たりうるの だ。
このときレヴィナスは、命令(=戒律commandement)という形で、哲学の なかに宗教を持ち込んだと言ってよいかもしれない。もちろん哲学と宗教は理性 と信仰として区別されるのではない。フッサールをもちだすまでもなく、信じる ということは宗教に特権的に属する行為ではないからだ。むしろ宗教の根底をな しているのは、あえて信ということに執着していうなら、信じることではなくて、
信じさせることなのである。言いかえるなら、「聞くことを望まぬ人々」をいか にして説得するかが宗教にとっての最大の問題であり、また死活問題であった。
布教の重要性はそこに由来している。信奉者が――その著者を除いて――ひとり もいない哲学というものは存在しうるが、信者がひとりもいない、あるいはいな かった宗教など語義矛盾以外の何ものでもない。まず宗教は何よりも先に人に聞 いてもらわねばならないのだ。そしてその人を説得しなければならない。だから、
本当の意味での「聞くことを望まぬ人々」は当然のことながら哲学者プラトンの 対話篇のなかには登場しなかった。彼らはむしろ『聖書』の登場人物である。
「聞くことを望まぬ人々」に何とかして聞かせようとすること、彼らの耳を傾か
せること、これがたとえばモーセや、数々の預言者たちの物語が報告する事柄だ ったのだ。だからこそ、17世紀のあの説得のスペシャリストはこう言いえたので ある。「プラトンがごくわずかの教養のある選ばれた人たちに対してさえ説得で きなかった事柄を、ある秘められた力はわずかな言葉によって千万もの無知な 人々に説得する。(9)」こうした意味での宗教の本質を、もちろん意識的に――哲 学に欠けたものとして――レヴィナスは哲学のなかに持ちこんだと言うことがで きる。ただし、これは特定の宗教の教義や信仰を持ちこんだという意味ではない。
あるいは見方を変えるなら、ここでのレヴィナスは信仰なき宗教について語って いると言ってもよいだろう。信仰は、それに先立つ何らかの対象、信仰すべき教 義を必要とする。つまり、いかなる信仰でも、それは<語られたこと>に対する 信仰でしかない。したがってレヴィナスは宗教性を信仰からいったん切り離そう とするのだ。宗教は何も語ってはならない。同じことだが、最初にある命令は内 実を含んではいけない。それは空虚なものでなければならないのだ。「私は全く しっかりと、或る宗教を心に描くことが出来る。しかしその宗教とは、そこに教 義がなく、したがってそこでは何も語られないものである(10)」とヴィトゲンシュ タインは述べたとされているが、おそらくレヴィナスが――少なくとも責任を起 点にして――考える宗教もそこから遠いものではない。
したがって、レヴィナスが語る命令は――レヴィナスがなんと言おうとも――
神による命令ですらないと考えるべきであろう。決して神は、命令を保証する権 威として――ということはつまり信仰の対象として――、レヴィナスの哲学的言 説のなかには登場しないと言ってもいいかもしれない。レヴィナスにとって、神 は少なくとも理論的には起点ではない。だからこそレヴィナスはこう言うのだ。
「おそらく健全な哲学においては、未知なるなる神を起点として人間の権利を思 考するなどということは決して許されないであろう。しかし、他者との関係のな かで顕出する絶対的なものから出発して神の観念に近づくことは許されているの だ」(EN, p.237)。神は、他者の顔の命令のうちに観念として到来するとレヴィ ナスは言う。あるいは、他者への責任をとおして神は――ただ痕跡として――語 られるのである。
しかし、レヴィナスもつねに、宗教に対するこうした禁欲を守っていたわけで はない。もう一箇所だけレヴィナスが『国家』の冒頭に言及したテクストがある
のだが、そこでのレヴィナスの言葉はここまで取上げてきた個所とはちがって、
宗教、それも教義と信仰を兼ね備えた制度あるいは体系としての宗教の方へ大き く傾いている。そのテクストとは、『全体性と無限』の刊行の2年前に行われた、
「一神教と言語」と題された講演である。おそらくユダヤ人学生連盟における講 演という状況が、これまで見てきたようなレヴィナスの言葉とは少し違った色合 いをそこに与えているのだと推測される。ともかく、レヴィナスはこう述べてい る。
『国家』の冒頭でプラトンは、他人を強制して言説のなかに入らせることは 誰にもできないだろうと私たちに語っています。(……)一神教、<一なる 神>の言葉はまさしく、人が聞かぬことのできぬ言葉、応答しないことので きない言葉です。それは言説のなかに入るように義務づける言葉なのです。
一神教を信奉する人々が<一なる神>の言葉を世界に聞かせたからこそ、ギ リシャの普遍主義は人類のなかで機能しうるのであり、人類を徐々に結合へ と導くことができるのです(DL, p.250)。
「一神教を信奉する人々monothéistes」とレヴィナスが言っているのは、ユダ ヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒を指している。ここでレヴィナスは、ある 意味では非常に無責任な言葉を吐いているとも言える。これまで見てきたような 命令ないし説得の先行性を、いかなる事実の検証も省略して、レヴィナスはここ では実際に起こったことだと見なしている。つまり原理的思考をそのまま現実の 歴史の場に移し変えているのだ。さらに、この命令の言葉をレヴィナスはここで は神の言葉と見なしているが、もちろん、それは<語られたこと>としての教義 に対する信仰以外のよりどころを持たない。なぜなら、人間は、どれほどそれが 正しい言葉であっても、それを語ったのは神だと判断する基準を持ちえないから だ。「まるで神のようだ」と言えるだけである。そしてもっとも重要な点は、こ こでは説得が受動性としてではなく、完全に能動性として問題にされているとい う点だ。「それ
..
[一神教]は言説のなかに入るようにと他者を義務づけ
....................
、その言
...
説が他者を私に合流させることになるのです....................
」(DL, p.249)とわざわざ強調して レヴィナスは述べているのだが、ここでは私はもはや義務を負うものではない。
逆に他者に対して義務を負わせるものなのだ。あるいは、もっと正確に、他者に 義務を負わせるという義務を負う者と言うべきかもしれないが、この場合誰に対 する義務なのか、とてつもなく曖昧である。ともかく、ここでは神の言葉を聞い た私と、それに関してはまったく無知な他者が対置されているのである。言うま でもなく、典型的な布教の構図であろう。これが、多くの場合、侵略であり、植 民地化を正当化する論理でもあったことは言うまでもない。むろんレヴィナスが 侵略を容認していると言いたいわけではない。ただ、ユダヤ人学生という「同朋」
を目の前にしたとき、哲学的エクリチュールの場面であれだけ強調された自己と 他者の非対称性が簡単に逆転してしまうという事態に注目しておきたいのであ る。
したがって、もしもレヴィナスに触発されて根源的な命令について語ろうとす るなら、その命令に対して決して内実を補填してはならない。場合によってはレ ヴィナスに逆らっても、その無内容な性格を守り通す必要があるのだ。
さて、以上が、『国家』の冒頭の場面からレヴィナスが展開した問題の概略で ある。もちろん、ある一つの視点から巨大な思想を覗いて見ただけであって、決 してレヴィナスの全体像を描き出したわけではないのだが、それでも少なくとも
『国家』の冒頭の場面が、レヴィナスの思想にとっていかに重要な役割を果たし ているかは明らかにしえたのではないかと思う。
4
では、ブランショはどうか。
最初にぜひとも触れておかねばならないが、かつて、1930年代のブランシ ョは本論の冒頭で引用した5・15事件の青年将校たちと同じように、焦燥や憂 慮や憤激を、決然とした態度を示しえない自国の政府に対して感じ取っていた。
「暴力」は当時のブランショが心の底から熱望したものであったのだ。第三共和 政という腐敗したフランスを打倒し、さらには歴史の連続性を断ち切るために―
―精神的革命を成就するために――、何よりも「暴力」が要請されていたのであ る(11)。当時の政治的状況は当然日本とフランスではまったく異なっているけれど
も、青年ブランショが人民戦線政府の首相レオン・ブリュムに対するテロを国民 を救う唯一の手段だと提唱したのは、5・15事件の4年後1936年のことで あった(12)。
ここではブランショの戦前から戦後への変貌について論じるつもりはないが、
「暴力」という問題にかんしてはレヴィナスとブランショは微妙に異なる態度で 接するということは指摘しておきたい。レヴィナスが他者に対する自我の暴力を 告発し、暴力なき関係を模索しながら、何とかして暴力を制限
..
しようとするのに 対して、同じように――戦後の――ブランショもまた、多くの場合、「権能 pouvoir」という語を用いて、自我の暴力を告発する。ブランショの言う「中性 的なもの」は、権能の不在、暴力の不在として構想されている。しかし、その一 方で、「書くこととは(……)もっとも大きな暴力である。なぜなら、この暴力 は<法>を、あらゆる法とともにそれ自身の法をも侵犯するからである」(EI, p.
viii)という『終わりなき対話』(1969)の一節が示すとおり、少なくとも暴力と いう概念に依拠することもブランショはためらわない。
それでは、ブランショは『国家』の冒頭の場面に何を見たのであろうか。あら かじめ言っておくが、レヴィナスが見た光景とはまったく異なったものをブラン ショはそこに見出したのだ。
ブランショがこの場面に言及しているのは、1963年に『NRF』誌に発表さ れた「痕跡」というタイトルの論考においてである。この論考には、それぞれ独 立した三つの短い時評が併置されており、そのうちの二番目の論評「対話」のな かでブランショは、マルクスが「プレイアッド」叢書に収録されて古典的作家に 列せられたことの意味について論じている(13)。したがってこの論考はマルクスの テクストそのものを対象にしているわけではない。むしろブランショの関心は、
当時コレージュ・ド・フランスの教授であった政治経済学者フランソワ・ペルー によって書かれた序文の方へ向けられている。ペルーのこの序文はマルクスの可 能性に目をつぶり、それを過小評価することだけをめざして書かれたと思えるほ ど不思議なものなのだが、ペルーはマルクスの「歴史の弁証法」に、ギリシャを 起源とする「精神の弁証法、あるいは対話の弁証法(14)」を対置させ、現代におけ る後者の重要性を際立たせようとする。そしてその際ペルーは対話を「自由な言 葉の交換、自由な行為((15))」と規定している。『呪われた部分』にも登場するこの
経済学者の序文に対してブランショは「これは奇妙な印象を引き起こす。まるで 本を間違えてしまったかのようだ、まるで(……)エマニュエル・ムーニエの思 想およびその作品への序言を読んでいるようだ」と書いたうえで、さらに次のよ うな批判の言葉を記している。ここにおいてブランショは『国家』の冒頭の場面 を引き合いに出すのである。
というのも、言葉なき暴力に対置される対話の純粋な言葉それ自体が(……)
つねにすでに暴力的であるということもありうるからだ。話すこと、しゃべ らせること、拷問はここに由来している。(……)対話のなかにはいつでも 少しばかりの拷問が含まれている。ペルー氏はギリシャ人を引き合いに出し ている。よろしい。だが、私が思い出すのは、ギリシャ人たち、まさしく、
対話という哲学的形式の創始者たるプラトンが、ひとは誰かを対話のなかに 入るように説得しえないだろうと語っていたことだ(「聞くことを拒否する
.........
人々をあなたは説得できますか
..............
?」「いや
..
、絶対にできない
.......
」)。ここから帰 結されるのは、そのような人々を対話へと強制しなければならない、いかな る言説も権力による決定ぬきでは始まらないということだ。話せ、わたしは おまえにしゃべらせよう、聞け、わたしはおまえに聞くことを強制しよう。
これがいかなる最初の言葉(première parole)にも含まれている。したが って、何よりもまず、問わねばならぬのは、いかにして言葉が権力の顕示と なることなく、力なき顕出、権威を欠いた、そしていわば権能を欠いた表出 なりうるかということであり、また、権能なき弱い言葉がいつか対話という コミュニケーションの通常の条件と両立しうるかということなのだ(強調は 引用者による)(16)。
ここでブランショは出典を明記してはいないが、引用文中の括弧にくくられた 個所――「聞くことを拒否する人々をあなたは説得できますか?」「いや、絶対 にできない」というやり取り――は、まちがいなく『国家』の冒頭の場面――ポ レマルコスの問いかけとグラウコンの答え――である。そして、ブランショがこ こから引き出す問題は、レヴィナスとはまったく違って、すべての言葉には強制 が、権力が含まれているということなのだ。たしかにレヴィナスにとっても、こ
の場面から引き出された問題は、強制に関わる問題であった。しかし、それは暴 力を伴わない強制がいかにして可能かという問題として捉えなおされる。すでに 見たとおり、レヴィナスの関心はそこを起点として、理性的言説に先立ちながら 決して理性的言説には還元されない非暴力的な命令へと向かっていくのだ。そこ にレヴィナスは倫理という別の次元を垣間見たのである。この強制という同じ問 題をブランショは、まったく別の方向へと展開していく。この点をもっとも明瞭 にあらわしているのは、引用文中の「しゃべらせることfaire parler」という表現 であろう。つまり、ブランショは言葉を強要することの暴力、拷問へと思考を展 開していくのだ。しかしブランショのこの一節の射程を十全に把握するためには、
そこに三つの――ブランショの読者にとってはおなじみの――モチーフが集中し ていることに注意しなければならない。
第一のモチーフは、言葉と暴力の関係である。フランソワ・ペルーが無邪気に も言葉を暴力の反意語であるかのように考えていることに対して、ブランショは 異を唱えているわけだが(「言葉なき暴力に対置される対話の純粋な言葉それ自 体が(……)つねにすでに暴力的であるということもありうる」)、言葉と暴力は 決して無縁なものではない、それどころか両者のあいだには本質的な連関が存在 するというのがブランショの基本的な考え方である。たとえばブランショはこう 言う。「この世界のなかでは言葉はこの上ない権能である。話す者は権力を有し 暴力を振るう者なのだ。名づけることとは暴力であって、この暴力は名づけられ たものを遠ざけ、それを名前という便利な形態のもとに所持するのである」(LV, p.50)。これは『来たるべき書物』のなかの一節であるが、実際ブランショの書 物のなかには、言語を暴力の行使として論じる個所は枚挙の暇がないほど頻出す る。たとえば別の個所でブランショは次のようにも言う。
わたしが話すとき、つねにわたしは権力の関係を行使している。わたしは、
自分に対して断言される権力に抗して戦いながらも、わたしがその点に気づ いているかどうかに関わりなく、自分が用いる諸々の権能の網のなかに所属 しているのだ。すべての言葉は暴力である。この暴力は、それが秘められた ものであり、かつ暴力の秘められた核心であるがゆえに、いっそう恐ろしい ものとなる。この暴力は語が名づけるもののうえに(……)すでに行使され
ている(EI, p.60)。
コジェーヴを介してヘーゲルに遡り、のちのデリダへと受け継がれる命名の暴 力はブランショにとって重要な論点であるのだが、先に引用した論考「痕跡」の なかの一節にはそれとはまた別の事柄――暴力と言語の別の結びつき――も含ま れていることに注意する必要がある。ともかく、改めて指摘する必要もないであ ろうが、ブランショは言葉の暴力性について考えつづけた作家であった。
次に着目しなければならないのは、この論考のタイトルにもなっている対話と いうモチーフである。現在でも様々な場所で対話の必要性が声高に唱えられてい る。だが、対話する者の一方が対話だと思いこんでいたものが、じつは洗練され た強要や仮面をかぶった脅迫でしかなかったり、変装した誘惑であったという例 は数多く存在するにちがいない。もちろん、これは対話者の意志にのみかかわる 問題ではない。すでに対話者が無意識のうちに担う文化的背景が対話を別のもの に変えてしまうことだってあるのだ。たとえば、かつてゲルショム・ショーレム はユダヤ人とドイツ人とのあいだには一度も対話が存在したことはないと激しい 口調で主張したことがあった(17)。また、フランソワ・ペルーが「自由な言葉の交 換、自由な行為」と美化するギリシャの伝統にしても、奴隷性社会という基盤の 上に成り立つものであったことは言うまでもないだろう。だからこそ、ブランシ ョは、フランソワ・ペルーの理想化された対話の概念を強く否定するのである。
ブランショはそこに巧妙な欺瞞を嗅ぎ取るのだ。そして、この対話という主題を ブランショが取り上げたのは、何もこの「痕跡」という論考が初めてのことでは なかった点にも注意する必要がある。すでに1956年に発表された「対話の苦 しみ」という論考のなかで、「対話とは稀なものだ。そして対話を容易で幸福な ものと思うべきではない」(LV, p.230)とブランショは書き、カフカやデュラス を論じながら、弁証法的ではない対話のかたちを模索していたのである。したが ってブランショはペルーの対話概念を退けているとはいえ、決して対話という営 みそのものを否定しようとしているわけではない。逆に「対話のなかにはいつで も少しばかりの拷問が含まれている」と述べつつも、拷問とは無縁な対話の姿を 描き出そうとしていたのである。そして、ブランショは、「痕跡」とほぼ同じ時 期に発表された「思考の賭け」という論考(18)のなかで、そうした対話――つまり
ソクラテス的な意味での、またヘーゲル的な意味での弁証法とも無縁な対話――
のあり方の稀有な実現をバタイユのなかに見ることになる(Cf, EI, p.316)。 最後に着目しなければならないのは拷問のモチーフである。先に引用した個所 ではいささか唐突に拷問に関する言及がなされるのだが、もちろん、ここでブラ ンショがなぜ拷問について触れているのかという点に関しては、時代背景をぬき にしては理解できない。当時のフランスにおいては「拷問」という問題は特別の 意味合いを有していた。つまりそれは決して抽象的な問題ではなかったのだ。拷 問は、アルジェリア戦争が当時のフランス国民に投げかけた重い問いかけのひと つだったのである。しかも単に拷問という行為のもつ残酷さや非人間性だけが取 り沙汰されたのではない。この特別な意味合いに関して最良の証言を与えてくれ るのは、おそらくサルトルの「沈黙の共和国」(1944)と「ある勝利」(1958)
という二つの論考であろう。両者を読み比べてみればその落差は一目瞭然である。
ナチスドイツの占領下にあって過酷な拷問に抵抗したフランス国民の沈黙した連 帯のうちに自由の顕現をみた有名な「沈黙の共和国」においては、拷問に対して フランス国民は受動的な立場を占めており、それに耐えぬいたことはいわば栄光 の徴であった。しかしその15年後には、今度はフランスの軍隊がアルジェリア の人々に対して過酷な拷問を加え始めたとサルトルは指摘する((19))。かつての犠 牲者が死刑執行人の役割を担うという、この歴史の逆説にサルトルは恥辱を感じ ていた。拷問は、かつての栄光ある被害者が加害者に逆転し転落してしまったこ とを示す象徴的な出来事だったのである。
もちろん、このような逆説を指摘したのは何もサルトルだけではない。たとえ ば、ブランショも深く関わった『アルジェリア戦争における不服従の権利に関す る宣言』(1960)、いわゆる『121人宣言』においても、拷問という行為をめぐ る状況の逆転には触れられている。
ヒトラーの秩序による破壊の15年後に、フランスの軍隊がかかる戦争の 要請に従って拷問を復活させ、ヨーロッパに再び拷問の制度を設立するに至 ったのだということをわざわざ指摘する必要があるだろうか(20)。
「痕跡」という論考が発表されたのは、アルジェリア戦争が終結した1年後で
はあるが、おそらく、そこには拷問という問題をめぐる当時の様々な状況が影を 落としていたことはまちがいないだろう。そして、この論考の1年前に発表され た「人類」という、ロベール・アンテルムを論じた論考のなかでも、ブランショ は拷問に関して次のように述べていたのである。
死刑執行人とその犠牲者との関係は(……)単に弁証法的な関係にとどま るものではない。そして、死刑執行人の支配に限界を与えるのは、まず彼が、
たとえ拷問するためでしかなくとも、拷問する相手を必要とするということ ではなく、それはむしろ、<他人>の現前として<他者>の現前を、面と向 かってただし果てしなく出現させる、あの権能なき関係なのだ。この点に尋 問者のたけり狂った運動は由来する。尋問者は力によって言葉の断片を獲得 し、そしてすべての言葉を力の水準へと引き下げようと欲する。つまり尋問 者が望むのは、しゃべらせること、それもまさしく拷問によって表現を権能 の言語に還元することであり、この言語をとおして、話すものは再び権力に 対して手がかりを与えてしまうのだ。――そして、拷問される者は話すこと を拒絶する。それは、強奪された言葉をとおして、敵対する暴力の作用のな かに入らないためであると同時に、また、真の言葉を保護するためでもある。
真の言葉がこの瞬間にあっては彼の沈黙した現前と混じりあっていることを 彼は知っている。その現前とは、彼のうちなる他人の現前そのものなのだ。
いかなる権能であっても、たとえとてつもない権能であっても、消滅させる ことなくこの現前を手に入れることはできない(EI, pp.194-195)。
ブランショが考える拷問の本質は、暴力を振るうことによって知りたい情報を 手に入れることなのではない。それは、むしろ「すべての言葉を力の水準へと引 き下げ」ること、「表現を権能の言語に還元すること」なのである。あるいは言 葉を暴力によって汚染することと言ってもいいかもしれない。しかし、ブランシ ョによれば、言葉と力(force)、権能(pouvoir)、権力(puissance)、暴力
(violence)は外在的な関係によって偶然的に結びつくのではないのだ。そこにあ るのは本質的かつ必然的な関係である。だからこそ、ブランショは「すべての言 葉は暴力である」と断定する。そして、――レヴィナスと同じく――ブランショ