[研究ノート] 関税公債の発行に関する一考察
その他のタイトル [Note] Some Questions on Japan Customs Loan Issue in 1870
著者 戒田 郁夫
雑誌名 關西大學經済論集
巻 47
号 2
ページ 201‑239
発行年 1997‑08‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/13668
201
研究ノート
関税公債の発行に関する一考察
戒 田 郁 夫
I. はしがき
英国の近代公債の起源は1689年の名誉革命にもとめられているが,近代的 公債制度の導入と確立には,①公信用の成立 ②貨幣資本の蓄積 ③有価証 券市場の生成,等の経済的諸要因が必要であった。
一方,英国より約180年遅れてわが国に西欧の公債制度が導入された時,こ のような3つの経済的要因は未だ国内に存在しなかっただけでなく,すぐれ て西欧的である公債制度そのものに対するわが国人民の拒否反応があった。
借金などという経済行為は密かに行うべきものであって,政府が公然と町人 から貨幣を借り上げ,しかもその借用証書を白昼堂々と売買する彼ら公債購 入者の商行為を公認するなどはわが国の風土に馴染まない。とりわけ長年に わたって厳しく実行されていた幕藩体制国家の鎖国政策のもとで培われた強 固な攘夷思想に縛られていた大多数の日本人にとって,夷秋から借金するな どは自らの存在を否定するに等しい。それゆえ,旧体制から明治新政府の継 承した巨額の外債はできるだけ早急に償還すべきであって,況んや新たに外 債を発行するなどは,「売国」行為であると,国民から見なされていた。
わが国の社会・経済近代化の口火を切った鉄道に関する研究には多くの蓄 積があるけれども,この鉄道建設に要する資金の調達のために, 1870年4月 23日(明治3年3月23日),日本政府の意図に反して英国で公募発行されたわ 73
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が国最初の外債I)である関税公債(わが国での通称は鉄道公債)について,同 公債の発行経緯の不透明性とそれの仲介者H.N. レー2)に対する関係者の嫌 悪感から,わが国のこれまでの研究は事実の究明と正確な評価に欠けていた ことは否めないであろう。関税公債の公募を外資移入という視点から考察す れば,発行経緯に問題があったとしても,同公債の発行はわが国の国際金融 市場への参加という点で画期的であった。最近,日本とロンドン資本市場と の関係を対象とする実証的研究書が公刊 されたので,これまで未開拓であ ったこの分野の研究の更なる進捗が期待される。
筆者の関心は,わが国の最初の外債が英国の資本市場でどのように評価さ れたかを,当時の英国の新聞・雑誌を通じて検討することにあるが,本ノー トでは手始めに同公債の公募公告の時期の確定と,それを掲載した新聞及び 雑誌に関する情報を整理し,末尾に「関税公債発行の経緯」(年表)を補足し た。
II. 公募公告日
「日本帝国政府海関税抵当公債」ImperialGovernment of Japan Customs Loan. For£1,000,000. Sterlingの公募公告日について,わが国では長い間
「明治3年4月 (1870年4月)」と誤っていい伝えられてきた。誤伝の発祥資 料は多分,大蔵省編『国債沿革略全』 (1891年12月印刷) 4)の「第12章 九 分利附外国旧公債(初出は『官報』第1879号, 1889年10月2日刊)」の「明治 三年四月(西暦1870年4月)英国倫敦二於テ東洋銀行二委嘱シ英国人民ヨリ 募集」 (99ページ). という記述であろう。 1911年9月に出版された東洋経済 新報社編纂『明治財政史綱』にも同様の記述 (91ページ)がある。これは日 本政府の公的記録としての明治財政史編纂会編纂『明治財政史 第 8巻』(丸 善書店, 1927年)に継承され,レーは「巴里ナル エマイル,ヱルランヂエ ル 商会ヲシテ之ヲ引受ケシメ其支配人在倫敦 ヂヱイ,ヘンリー,シュレ ーデル 会社ヲ取扱人トシ英国普通ノ方法二依リテ西暦千八七十年(明治三
関税公債の発行に関する一考察(戒田) 203
年)四月二十三日付ヲ以テ募集広告ヲ公ニシタリ」 (611ページ)と書かれて いる。 1870(明治3)年4月23日が関税公債の公募公告日として独歩したの である。
その誤りに気ずいたのが田中時彦氏であった。労作『明治維新の政局と鉄 道建設』(吉川弘文館, 1963年,再版1969年)において,「従来,日本側の多 くの文献は,レイがロンドンで公債を募集した日付を,明治3年4月23日で あるとなしている。しかし,これは完全に誤謬である。……洋暦・ 邦暦に関 する史料操作上の不注意が,邦暦では,明治3年3月23日にほかならぬ日付 を洋暦のまま 3年4月23日としてしまった」 (225ページ註3)。したがって,
公募公告は「1870年4月23日,すなわち明治3年3月23日」付のタイムズ紙 上においてなされた (218ページ)と同氏は指摘した。その後に公刊された代 表的な日本鉄道研究書は氏の訂正を受け入れている。例えば,
①日本国有鉄道『日本国有鉄道百年史 1』(1969年)
「1870年4月23日(明治3年3月23日)レイはロンドンで日本政府の借 款を公告した」 (67ページ)
②星野誉夫「創業期の鉄道」(野田正穂他編『日本の鉄道』日本経済評論社,
1986年)
レーが鉄道公債を公募の形で資金調達しようとしていることを,日本 政府は「タイムズ紙に掲載 (1870年4月23日)された公告によって知 った」 (20ページ).
田中氏が正した公募公告日 (1870年4月23日)は,しかしながら,立脇和 夫氏が指摘するように5)ロンドン証券取引所において「日本帝国政府海関税 抵当公債」の発行目論見書の発表された日である。 23日は土曜であった。そ してこの日の夕方のシティー情報として,日本が世界の金融取引の中心地ロ ンドンの証券取引所に新規参入したことを報道したのは4月25日(月曜日)
発行の The Times6>であった。同紙に関税公債の公募公告が掲載されたのも 25日号であり, 23日号でもなければ, 24日号でもなかった。ここでも調査に 75
204 闊西大学『経済論集』第47巻第2号 (1997年8月) もとずかない誤った情報が独歩している。
III. 公募公告掲載紙
1870年4月23日,ロンドン証券取引所において日本政府の全権委員com‑
missioner for the government of Japanを自称 する H.N.レーと共に,発 行引受人エルランジェ商会の代理人シュレーダー商会Messrs. J. Henry Schroder & Co. は日本政府公債発行目論見書 (prospectus) 5>を発表した。
公債の正式の名称は,発行目的は「鉄道建設資金の調達」,発行条件は以下の 通りである。
1. 総 額 2. 発行価格 3. 政府手取額 4. 利 率
5. 抵当財源 6. 償還方法
7. 償還期間 8. 証 券
英貨100万ポンド(メキシコ銀450ドル)
100ポンドにつき98ポンド 100ポンドにつき91ポンド
年9%, 1870年8月1日より利子を付け,年2回(2 月1日及び8月1日)支払い
関税収入と鉄道純益
3年据え置き後, 1873(明治3)年8月より1882(明 治15)年8月までの10年間に年10万ポンドずつ均等 償還
12年
1000ポンド券 (200枚), 500ポンド券 (400枚), 100 ポンド券 (6, 000枚)
目論見書には建設予定の鉄道路線図9)(後掲)が添付されていた。
この目論見書付きの公募公告と解説記事を最初に掲載したイギリスの新聞 は4月24日(和暦明治 3年 3月24日 ) 発 行 の ロ ン ド ン の 日 曜 紙The Observer10>であった。
急速な進歩に就いて沢山の驚くべき証拠が毎日本紙の記事に寄せられてい
関税公債の発行に関する一考察(戒田) 205 る。そのような状況のなかで,日本政府の公式文書によって提供される記事 は少しも奇異ではない。マルコポーロが初めてこの国の存在を世界に知らし めた時代からザヴィエルの創設した教道団が追放の憂き目にあった年まで,
少数のオランダ商人が日本の沿岸を時たま訪れた以外,この国は完全に鎖国 状態であった。何世紀ものあいだ存続したこの国の排外的性格を最初に打破 したのは, 1854年に日本との条約締結に成功したアメリカであった。ロシア がそれに続き,次いでフランスとオーストリア,そして最後にわが女王陛下 と天皇の間で和平条約が1858年に江戸で締結された。以後12年経過したが,
その間,日本の進歩は非常に目覚ましかった。領事フラワーズ氏は1868年4 月15日,長崎からハリー・パ‑クス卿にあてた報告書11)のなかで次のように記 している。
豊かで肥沃なこの国の資源がもっと開発され,そして人民との交流のな かでより大きな利便が提供されるようになると,その時には必ず交易が急速 に増大するであろう。新たな開港は大いなる変化を生み出し,そして日本の 歴史に新紀元を画するであろう。
日本人は明らかに外国人との交易と商品交換に大変熱意をもっており,彼 らに欠けているものはそれらについての機会の供与だけである。彼らは既に 諸外国との交流の価値を認識し始めている。思うに,彼らが間もなく近代文 明のあらゆる用具を移入するようになることをわれわれは知るであろう。彼 らは学ぶことに極めて熱心である。入港する汽船がたった一隻であろうと,
彼らは必ず訪問して,彼らの見たあらあゆる事物の精密なコピーを作り上げ る。彼らは機械類に関して急速な進歩を遂げたので,彼らの購入したすべて の汽船を自らの手で動かすことができる。日本人は機敏で頭がよく,また読 み書きのできない人に出会うのは稀である。
フラワーズ氏の先見は見事に立証された。外国交易は着実に増大している。
そして既に日本人の船乗りと士官の操舵する汽船が中国の港と日本の港の間 を定期的に運行している。しかし天皇と人民が外国人について抱いているあ 77
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208 闊西大学『経清論集』第47巻第2号 (1997年8月)
る種の感情や偏見をすべて無くそうとしていることや,それ以上に彼らが真 剣にこの国を繁栄に向けて前進させようとしていることを最もよく示す証 は,彼らが鉄道制度を日本へ導入しょうと熱望している点である。日本政府 は300哩に及ぶ支線を含む鉄路の建設を提案しているようである。この路線は 人口200万以上の住民の都市江戸の終着駅と,人口100万で住民の大部分が商 業と工業活動に従事している大坂とを結ぶが,途中,古の聖都で今は帝国の 商業活動の中心地である京都を通る予定である。江戸と横浜との間は支線で 結ばれるが,後者はこの国の絹生産地に通じる天然の大販路である。 2番目 の支線では大坂と敦賀が結ばれる。敦賀は西部の沿岸と京都・大坂の間を繋 ぐー大交通拠点である。最後に指定された支線については,大米作地の豊か な穀物が人口祠密な江戸と大坂に届く範囲内に,敷設が予定されている。こ の鉄道は,レー氏の任命したイギリスの技師の助言をうけながら,日本政府 が建設することになっている。ジャパン・メール紙によると,この鉄道建設 は火急に決められたものでなく,天皇と大臣等が時間をかけて慎重審議の末 に決定されたものである。彼らは,西洋文明の諸用具がこの国にとってそれ ほど急いで富や知識を増やすのに無くてはならないものであるのかを,一つ 一つ詳細に調べ上げ,納得して決めたものある。現在の政府は,天皇の無欠 の権威を確立した重要な政治上の変化を経て後,中央集権化に成功したよう である。そして政府は今やこの国の安全の維持と産業の促進の重要性を十分 認識している。
現代の偉大な文明の利器であり進歩の要因である鉄道の導入によって日本 の得る物的便益は,政治的・社会的・商業的諸利益にとって極めて重要であ るので,評価しすぎするということはない。鉄道建設によって日本国と政府 並びに人民は1世紀早く先進諸国の仲間入りするであろう。また資源を同じ 目的のために鉄道以外のものに使うことができるとしても,それ以上に鉄道 建設は明らかにこの国の掌中にある莫大な資源の開発に役立つであろう。同 時に,このような事業は,世界の他の諸国民に対するのと同じく,ィングラ
関税公債の発行に関する一考察(戒田) 209
ンドに巨大な生産力と,イギリス内外の工業生産物の大消費地という確実で 大きな利益を与える。日本は,中国と異なり,明らかに自分達よりも優位な 外国を過度に警戒することもなく,また他の諸国民との交流にも閉鎖的でな い。われわれは日本政府にこの重要な措置をとらせるように誘導してきたレ ー氏に心から祝意を表するものである。
公募公告は TheObserverや TheTimesだけでなく,他のロンドンの各紙 にも掲載された。スッコトランドではグラスゴーの新聞にそれが掲載されて いる。そして主要紙への掲載数は2回にわたっている。いま公募公告の掲載 紙12)のリストを示めせば次の通りである。
1870年4月25日発行
The Times (1788年1月1日創刊,ロンドン) p.12, column a.
The Morning Advertiser (1794年2月8日創刊,ロンドン) p.l, column a.
The Morning Post (1803年1月1日創刊,ロンドン) p.1, column a. The Daily News (1846年1月21日創刊,ロンドン) p.l, column c. The Daily Telgraph (1855年6月29日創刊,ロンドン) p.1, column e. The Standard (1857年6月29日創刊,ロンドン) p.1, column b. The Financier (1870年3月創刊,ロンドン) p.2. 全面.
The Evening Standard (1860年6月11日創刊, ロンドンタ刊紙) p.7, column b.
The Pall Mall Gazett (1865年2月7日創刊,ロンドンタ刊紙) p.l, column c.
The Echo (1868年12月8日創刊,ロンドンタ刊紙) p.8, column c. The Manchester Daily Examiner & Times (1855年6月18日創刊) p.
210 闊西大学『経清論集』第47巻第2号 (1997年8月)
1, column b.
The Birmingham Daily Post (1857年12月4日創刊) p.l, column b. The North British Daily Mail (1851年7月14日創刊,グラスゴー) p. 1, column d.
The Glasgow Herald (1859年創刊) p.6.column d.
上記の新聞の概数から,レーが如何に公募公告にちからを注いでいたかを 知ることができる。募集費は145,180円(29,750ポンド)で,うち原版及び広 告費が11.8%を占めている13)0
IV. 関税公債に関する情報を伝えた新聞・雑誌
世界の金融の中心地ロンドンの資本市場へ偶然参入した極東の小さな島国 に英国の投資家たちが大きな関心を寄せていたことは,下記のような各地方 の有力新聞の金融情報欄に関税公債の動向が報じられていることからも推察 できる。新参者日本の公信用は疑いの目でみられながら,国際資本市場での 第一歩を踏み出したのである。
1870年4月25日
The Birmingham Daily Gazette. 「Monetary& Commercial」 The Daily Post. Liverpool. 「Monetaryand Commercial」
The Liverpool Journal of Commerce and Daily Shipping and Mercan‑ tile Advertiser. 「Monetaryand Commercial」
The Newcastle Daily Chronicle. 「Moneyand Share Market」
The Sun, Monday Evening.
「TheMoney Market and Commercial Intelligence」
同 26日
Daily Bristol Times and Mirror. 「Commercialand Market Intelli‑
関税公債の発行に関する一考察(戒田)
gence」
同 27日
The Sheffield & Rotherham Independent. 「MoneyMarket」
同 30日
The Money Market Review.
* June 25. (pp.656‑7)
The Bullionist. 「MoneyMarket and City Intelligence」
* June 4. 「ForeignLoan」(pp.559‑560)
211
October 29. 「TheForeign Loans and English Interest」(pp.1028‑ 9)
The Economist. 「TheSerious Danger of Rash Foreign Loans」(pp. 529‑530)
The Railway News and Joint Stock Journal. 「Railwayin Japan」(p. 486)
注.
1)維新政府の最初の外資借款は,旧幕府が横浜及び横須賀の製鉄所を抵当として仏国人 より借り入れた洋銀50万弗の償還のため,明治元年7月(1868年9月)に横浜の英国東 洋銀行から借り入れた洋銀50万弗であった。借入条件は償還期限1年,年利率15%で, 抵当財源は横浜港の関税収入であった。工藤重義『国債史<帝国百科全書第196編〉』(東 京博文館, 1909年5月), 112‑3ページ参照。
2)レーの身分は,関税公債の英文目論見書に'SpecialCommissioner of the Government of Japan'と記載されている。なお,レーの再評価については拙稿「明治前期財政史を 彩ったイギリス外交官(1)」(関西大学『経済論集』第44巻第2号, 1994年6月), 65‑79 ページ参照。
3) Suzuki, Toshio., Japanese Government Loan Issues on the London Capital Market 1870‑1913. Athlone.London, 1994. & Sir Newall, Paul., Japan and the City of London. Athlone.London, 1996.
前者はIanNish教授がTheJapan Society Proceedings 124 (Autumn 1994)の書 評欄で,最近開示された外債発行関係のマーチャント・バンクの内部資料を使い, 1870 年代の「不信用の借手」から日露戦争後の信用のある借手に移行した日本の歴史を解明
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