タウン提案再考
その他のタイトル The Towne's Proposal Reflected
著者 廣瀬 幹好
雑誌名 關西大學商學論集
巻 34
号 1
ページ 47‑71
発行年 1989‑04‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00020540
関西大学商学論集第3
4
巻第1
号( 1 9 8 9
年4
月) (4 7 ) 4 7
タ ウ ン 提 案 再 考
目 次 は じ め に
I
クウン提案とASME
] I ASMEの対応をめぐる諸見解
(1)i l l ASMEの対応をめぐる諸見解
(2)w
タウン提案再考 お わ り には じ め に
廣 瀬 幹 好
アメリカ経営管理論成立史の主要舞台についての内外の認識, とりわけ
『アメリカ機械技師協会(アメリカ機械学会)』(以下では
ASME
と略記)に対する認識に,筆者はかなりの不備を感じている。
数十年の時間軸をすえた時, 「管理部会
(Management D i v i s i o n )
は,ASME内に設けられている 3 0
をこえる専門部会のどれよりもASMEの多
(1)
くの会員の注意をひいている部会である」といわれるように,
ASMEは管
理問題に大きな関心を払ってきた。だからこそ,『ASME管理部会史1886年1980
年』なる書物も編まれたのであろう。それは次のようにのべる。「
ASMEの歴代会長ならびに彼らの管理の領域との関わりを簡単にふりかえって
みるならば,科学的管理と特別な関係のある会長の数は比較的少ない(約10彩)と(1) C h a r l e s M. M e r r i c k ( e d . ) , ASME Management D i v i s i o n H i s t o r y 1 8 8 6
1 9 8 0 . New York: The American S o c i e t y o f M e c h a n i c a l E n g i n e e r s , 1 9 8 4 ,
p . v .
4 8 ( 4 8 )
第3 4
巻 第1
号いうことが理解される。リーダーシップの大半は産業(所有者,最高経営役員や技 術担当経営役員など)から生じ,そして,教育者やコンサルタントの多くが経営責 任を有する人々だったという事実は,管理の領域での
ASME
の活動が,それを支 持する雰囲気の中で行なえる情況を保証した。以上のことは会長に限らなかった。つまり, 多くの会員にとって, 管理の技法
( a r t )への関心は,彼らの最も関心あ
る技術的専門領域( t e c h n i c a ls p e c i a l i t y )
を除けば,何物にも劣らなかった。このような奨励的雰囲気の中で管理部会は活発化し,
ASMEは科学的な管理の
(2)
原理と実践について議論する主要な活動のセンターとなってきた。」
ところで,
ASME
とりわけ1 9 2 0
年 以 後 は 管 理 部 会 が た え ず 関 心 を 払 っ て きた「管理」とはいかなるものを意味したのか。1 9 2 0
年の管理部会の設置は,ASME
が と り 扱 う 「 管 理 」 の 内 容 を 明 確 化 した。それは,ASME
に と っ て 「 管 理 」 と は 何 か , を 公 的 に 自 ら 初 め て 示 し た の で あ る 。 で は , 管 理 部 会 の い う 「 管 理 」 と は 何 か , こ の 部 会 の 課 題 は 何 で あ っ た の か 。 こ の 点 に つ き , し ば ら く 『L . P . Alford
と 近 代 工 業 管 理 の進化』の著者のいうところを聞くことにしよう。・「これらの問題の完全な実硯〔産業上ないし経済上の諸問題に
ASMEが本格的に
とりくむべきだとするタウン提案の実硯ーー筆者〕が19 2 0
年1
月24
日に生じた,と いうことを今記すのは適切である。ASMEの書記の C . E . D a v i sの個人ファイル
によれば, この時,ASMEの評議会は,目的および組織委員会の最終報告を承認
し採択した。この委員会の議長はL .C . Marburgであった。 だが, ASMEの権
威ある地位にある多くの人々によれば,そこにはこの委員会で「影響力ある人物」L . P . A l f o r dがいた。そして委員会は, ASMEの1 9 1 9
年の春の会合に予備報告を 提出していた。ここで採択された勧告の一つは以下のようになっていた。…・・・産業工学
( I n d u s t r i a l
Engineering) は協会 (ASME-—筆者〕が考慮すべ(3)
き主題であり,あらゆる重要な技術的諸課題と同等におかれるべきである。」
また『管理部会史』によると,
1 9 2 0
年 の 「 管 理 」 の 定 義 は つ ぎ の と お り で ある。「管理
(management)は,人間のために自然力を制御し自然の材料を利用できる (2) I b i d . , p p . 3839.
(3) W i l l i a m J . J a f f e , L . P . Alford and t h e E v o l u t i o n of Modern I n d u s t r i a l
Management. New York: New York U n i v e r s i t y P r e s s , 1 9 5 7 , p p . 3132.
クウン提案再考(廣瀬)
( 4 9 ) 4 9
ように, 人間努力を準備し組織し指揮する技法( a r t )
であり科学( s c i e n c e )
であ認 l
以上から,
1 9 2 0
年にASME
が管理問題を技術的問題と同等に位置づけた(5)
こと,またそこでいう「管理」が
I E
であることがほぼ了解されるだろう。あえていえば, 「管理」の意味するところは生産管理, とりわけ生産管理へ の工学的アプローチ,つまり工学の一分野としての管理の構想であった。
ASME
は,1 9 2 0
年の管理部会の設置により,自らの管理研究への姿勢を,既述のごときものとして初めて明確にした。それ以前はどうであったのか。
この点につき簡単に研究史的にふりかえっておきたい。
ASME
の管理研究のフォーラムとしての地位の変遷を, その創設初期に は主要フォーラムだったが漸次その地位を低下させてゆき,1907 8
年項に(6)
は放棄したと説得物に説明するすぐれた研究がある。
そこでは, 「
ASME
=管理研究のフォーラム」との等式を安易に前提する ことなく,その前提をまず疑い,一歩立ち入っての検討が加えられている。(4) M e r r i c k ( e d . ) , ASME Managem
⑰t D i v i s i o n H i s t o r y , p . 4 .
(5)
管理(management)
とI E
との関連を論じるのはやっかいであり,この点に ついての考察は別の機会に行ないたい。さしあたり.E n c y c l o p e d i aAmericana
の「IE
」の項目や次の文献を参照されたい。藤田彰久「生産管理とその問題点 及び対策(二l
一特にインダストリアル・エンジニアリングを中心として一」村 本福松編「経営管理における問題と対策」大阪府立産業能率研究所,1 9 6 1
年。さ らに1 9 2 0
年代前半の「IE
」について認識をえるには,次の二つの文献が有益であ る。J a f f e ,
L.P . A l f o r d and t h e E v o l u t i o n of Modern I n d u s t r i a l Manage‑
m
伍t , p p . 2 8 89 2 .
L.P . A l f o r d , "Ten Y e a r s ' P r o g r e s s i n Management,"
T r a n s a c t i o n s of t h e Americ
畑S o c i e t yof Mecha
成c a lE
加e e r s , V o l . 4 4 , 1 9 2 2 , p p . 1 2 5 65 7 .
(6)
中村瑞穂「「管理科学促進協会」(「テイラー協会」)の成立(上)(中)(下)」「武 蔵大学論集」第11巻第5
号,1 9 6 3
年1 2
月,第1 2
巻1
号,1 9 6 4
年5
月,第1 2
巻第3
号,1 9 6 4
年10月。MonteA . C a l v e r t , The M e c h a n i c a l Engi
加e ri n America
18301910: P r o f e s s i o n a l C u l t u r e s i n C o n f l i c t . . B a l t i m o r e : The J o h n s
H o p k i n s P r e s s , 1 9 6 7 .
古川順一「米国における管理研究の形成と展開一ー米国 機械技師協会の運動を中心として一ー」「国際商科大学論叢(商学部絹)」第3 1
号.1 9 8 5
年3
月。5 0 ( 5 0 )
第3 4
巻 第1
号そして, そのことにより「
ASME
と管理研究」というテーマ設定を可能に した。 「ASME
=管理研究のフォーラム」との等式を前提すれば, 「ASME
. . .
と管理研究」なるテーマの設定は行ないえず,したがって「
ASME
におけ(7)
る管理研究」に関心が集中せざるをえないだろう。どちらが先かはいえない
. . . .
が,「
ASME
における管理研究」と「ASME
と管理研究」両者の検討は相 互依存の関係にあろう。本稿は,これら研究の到達点をふまえ,「
ASME i : ̲
管理研究」というテー マの追究を問題意識に持っている。だが,具体的には,クウン提案とそれに 対するASME
の対応の分析をとおして,その限りで上記テーマに迫ること を課題としているにすぎない。I
タウン提案とASME
1 .
タウンの提案「この論文によって,アメリカ経営学はまさしく狐々の声をあげたといって決して 過言ではない。まった<歴史的文書というにふさわしい内容をもっている。
この論文は, アメリカ機械技師協会において, 当時その副会長だった
H . R .
タ ウン( Y a l e & Towne M a n u f a c t u r i n g Companyの社長1 8 4 4 ‑ 1 9 2 4 )が,その協
会の本来的な仕事ではないが「工場管理」に関する部会をe c o n o m i cs e c t i o nとし
て設定し,それを中心として経営管理の問題を研究・討議していこうではないかと いう提案をしているのである。これが契機となって,アメリカ機械技師協会を中心 として,アメリカの経営管理学は成立•発展していったのである。まさに,打ちお(8)
ろされた最初の鍬であった。」
(7)
従来,このような前提が暗黙のうちに広く受け入れられていたように思われる。(8)
三戸公「アメリカ経営思想批判J
未来社,1 9 6 6
年,3 3 9
ページ。これに続けて,三戸氏は, タウン論文の内容それ自体を「アメリカ経営管理学の真髄を物語っ て,あますところがない。」と高く評価する。
以下のタウン論文の訳は, 原則として三戸訳にしたがったが一部修正してい る。また,原文それ自身,
s h o pmanagementなる用語の使用法が厳密でなく理
解しづらいが,本稿で筆者が用いる「工場管理」という言葉は,原則としてタウ ンのいう,s h o pmanagement • s h o p a c c o u n t i n g • s h o p f o r m s and b l a n k sを
総合したものを意味する。タウン提案再考(廣瀬)
( 5 1 ) 5 1
それでは,機械技師の集団たるASME
に対して, タウンは,何故管理研 究の主体たれとの提案を行なったのか。彼の説明はこうである。「彼ら
C
機械技師一一筆者〕の職能が,他の場合よりもしばしば,工場の諸作業を 組織し監督する執行的業務をふくみ,かつ自らの組織された努力が作業の成果を生(9)
み出すその職人たちの労働を指揮する執行的義務を含むからなのである。」
ごのように,機械技師は,工場において物と人の管理という職能(=「執 行的義務」)を担っていた。つまり,「機械の運動方向を決定しその組織化を
( 1 0 )
行なうところの機械の原理の規制者
( r e g u l a t o r )
であるところの機械技師」は,技術学的原理に基づいて工場の管理という「執行的義務」を遂行してい た。それゆえにタウンは先の提案を機械技師に向かって行なったのである。
だが, 「最善の成果を確保するためには……単.に十分な執行的能力がある ことや,生産される商品およびそれに採用されている工程について熟練機械
( 1 1 )
工や技師として実際的に精通しているだけ」ではだめである。本当の意味で 最高の業績を達成すべく工場を管理するためには,技術学的原理に基づくだ けではだめである。これに加えて経済原理,つまり「賃金や設備工具費や費 用勘定,その他生産経済や製品の費用に入り込み影響を与えるすべてのもの に関連ある不可欠の諸要因をいかに観察し,記録し,分析比較するかの実践
( 1 2 )
的な知識」を必要とする。工場管理の成功のためには,この二つの原理を結 合することが不可欠の条件であり,そしてこの課題の担い手は機械技師であ
る。工場管理者たりうる者は機械技師の他にいない。
ところで,工場管理の技法に関する個々の経験は尤大に蓄積されているも のの,それが記録されることもなく広く一般の利用に供しえない。またこれ ら経験を交流する媒体も存在していない。このような状態は改善されなけれ'
ばならない。そして,この工場管理の改善の問題を
ASME
がまず最初にと りあげ推進すべきである。このようにタウンはのべた後,次の具体的提案を(9)
三戸公「アメリカ経営思想批判」,341
ページ。( 1 0 )
山本純一「科学的管理の体系と本質(増補版)」森山書店,1 9 6 4
年,1 3
ページ。( 1 1 ) ( 1 2 )
三戸公「アメリカ経営思想批判」,3 4 1
ページ。5 2 ( 5 2 )
第34
巻 第1
号 行なった。長いが重要なので引用しておこう。「このように概略をのべられたこの問題は,当
ASME
の本来的な諸機能と別個の ものであるが,それにもかかわらず,会員のすべてとはいわぬまでもほとんどの人 たちにとって,密接な関係がある。このことが認められたとき,当協会の機能がこ の新しい有益な分野を包含するように,なぜ拡大してはならないのであろうか。も しそういうことになれば, その仕事は当協会のこ・れまでの仕事から分離・独立さ せ,新しい部門(「経済部門」E c o n o m i cS e c t i o n
と名づけたい)として組織するこ とが望ましい。そして,その新しい部門の取り扱う範囲は,ここで私がのべた議題 に関するすべての論文や議論を包括する。この部門の会合は,協会の定期会合とは 別にかあるいはその直後に開かれるのが望ましく,その報告集は定期年報の附録と して出版されることが望ましい。このようにすれば,協会の本来的なそして主要な 業務にかかわるすべての障害は除かれるであろうし,この新しい部門の会合の出席 者はこの問題について関心をもった人たちに自然とおちつき,その問題を中心とし( 1 3 )
て会合は組織されるであろう。」
「最後に次のことを申しのべたい。もしここに提案された計画がこの会合に出席さ れている会員の皆さんに結構であると思われたなら,この問題は,この計画を注意 深く検討しうる人たちによる特別委員会をつくって,これに付託するのがもっとも 望ましいと思われる。そして,選ばれた委員の方々によって,もしこの計画を進展
•させるのが当をえていると思われるなら, すべての問題を組織だった方法で仕上 げをし,書式化し,そうすることによって当
ASME
がこの問題について,賢明に 行動し,その委員会によってつくられた勧告を採択すべきかどうかを決定できるよ( 1 4 )
うにすることが,望ましいと思われる。」
( 1 5 )
2 . ASME
の対応クウンの論文は,
1 8 8 6
年5 月 25 28
日 に か け て シ カ ゴ で お こ な わ れ たASME
の第1 3
回会合第2
日目の午後に読まれた。 この時,同種の主題ー一Shop Management
とShop
Account—に関する二つの論文も報告され,( 1 3 )
同書,3 4 4
ページ。( 1 4 )
同書,3 4 6
ページ。( 1 5 )
ここでの記述は,次の文献に多くを負っている。古川順一「米国における管理 研究の形成と展開」,27 28
ページ。クウン提案再考(廣瀬)
( 5 3 ) 5 3
( 1 6 )
これらは一括して討論に付された。以下クウン提案への反応を詳しく見てゆ こう。
( 1 7 )
討論参加者は1
1
名。 テ イ ラ ー( F r e d e r i c kW. Taylor)
もその一人だっ たが, 彼はクウンの報告には触れていない。討論内容の中心は,Henry Metcalfeの TheShop Order System o f Accountsであったが, 6
人がクウン報告に直接言及している。その主なところを紹介しておきたい。
W. E . P a r t r i d g e
.彼は,タウンが次のようにのぺたことに対して,「製造( 1 8 )
業者がふつう見落としている重要な点」の指摘だとして評価している。つま り,
「さきに例示した企業の場合には,特殊な請負制と出来高制が約
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 1 5 .
年間とられてき. . . .
たが,従業員の所得をおかすことなく一定製品についての労務費を切り下げること
( 1 9 )
において,まった<驚くべき結果をあげたのであった。」(傍点一一筆者)
C.H. F i t c h .
彼もまたこの点に触れ, 「当協会の経済部門(Economic S e c t i o n )
は, 機械労働の状態や, 機械労働がそれによってより満足ゆく報( 2 0 )
酬を受けるような手段に配慮すべきである。」とのべている。
Hawkins.
彼は,「私はクウン氏がこの課題を考える委員会(committee)
の設置を提案したことに全く賛成である。」, とのべたうえで, 「だが,もし 委員会が任命されたとしても,ここで報告された論文が取り扱った課題に厳 密に限定することのないようにしてほしい。」と注文した。彼の関心は,「労 働者に製品に対する関心を持たせる」ということであり,彼によれば,この( 1 6 ) 2
編の論文は次のものである。C a p a i nHenry M e t c a l f e , "The S h o p O r d e r
S y s t e m o f A c c o u r i t s . " O b e r l i n S m i t h , " I n v e n t o r y V a l u a t i o n o f Machi~ery P l a n t . "
( 1 7 )
ささいなことだが,議事録には討論参加者は9
名と記されているが,会報には 11名が参加している。( 1 8 ) " D i s c u s s i o n , " T r a n s a c t i o n s o f t h e A m e r i c a n S o c i e t y o f M e c h a n i c a l E n g i n e e r s , V o l . 7 , 1 8 8 6 , p . 4 6 9 .
( 1 9 )
三戸公「アメリカ経営思想批判J,346
ページ。( 2 0 ) " D i s c u s s i o n , " p . 4 7 1 .
5 4 ( 5 4 )
第3 4
巻 第1
号( 2 1 )
課題は「機械工場の経済性の問題には属さない。」
W. F . Durfee.
「この課題は,これまで当協会の注意を引いてきた課題の中で最も重要なものの一 つである,と私は思う。私は,その課題が最高の考慮に値するものだというクウン 氏の意見に全く賛成である。だが他方で,その目的のために独立の部門
( s e p a r a t e s e c t i o n )
:を設置することの適否に関しては幾分疑問である。工場の管理に関心を持っている,あるいは持つであろう当協会のあらゆる技師が,その部門のメンバーで あるだろうことを私は全く確倍している。われわれは「全体委員会」
( c o m m i t t e e o f t h e w h o l e )
でその課題を考えればよい。私は, その課題を一まとまりとして の協会に持ちこむのが全く適切だと考えるし,その討論が協会のわれわれすべての( 2 2 )
興味を引くことが証明されるだろうと思っている。」
「
D u r f e e
氏と同様,私は,当協会内に経済的課題( e c o n o m i cs u b j e c t s )
を考える( 2 3 )
ための独立の部門を設置することには若干疑問を感じる。」
このように切りだした
OberlinSmithは,次のように続ける。
自分はエ 場管理の問題を考える必要があると心から思っている。協会もやがてはその 規模が非常に大きくなり,会員たちも協会内に複数の部門を設けようということになるだろう。だが,今がその時期かどうか自分にはわからない。独立 の部門が設置されるか否かにかかわらず,工場管理の問題は将来の会合で熱 心に議論されるだろうし,協会はこの問題を正しく認識する方向に進んでい
( 2 4 )
るだろう。
William Kent
.彼は簡単ながら重要な指摘を行なった。つまり,クウン の提案の取り扱いをめぐる問題は唐突に議論したからといって十分な解決が えられるものではない。様々な点で意見の大きなちがいがある。そこで,委 員会を作ってこの問題の扱いをこれに委ね,次回会合で報告を受けることに した方がよいと思う。自分としては,経済部門ではなく,今日の報告者たち のように製造企業で責任ある地位についている会員たちからなる常設の委員 (21)I b i d . , p . 4 8 4 .
ここでいう「機械工場の経済性の問題」とは, タウンのいうエ場管理の問題と同義である。
( 2 2 ) I b i d . , p p . 4 7 67 7 .
( 2 3 ) ( 2 4 ) I b i d . , p . 4 7 9 .
タウン提案再考(廣瀬)
( 2 5 )
会を設けてはどうか,と考えている。
( 5 5 ) 5 5
議事録によれば,討論をおえるにあたり,工場管理という話題に対する関 心が一般的だということから,これらの課題については,協会の一般的な会 期の中で
( i nthe general s e s s i o n s of the S o c i e t y )
討論を行なおうとの( 2 6 )
提議がなされたのである。
さらに,
1 8 8 6
年1 1
月2 9
日〜1 2
月3
日にかけてニューヨークで行なわれたASME
の第14回会合(第7
回年次会合)第4日目の最後に,
タウンは,会 長代行であったが,数ヶ月前の自らの提案に対するASMEの対応について
圭 ,
n
口った。「私がのべるもう一つの問題は,シカゴで私が読んだ論文〔「経済家としての技師」
—筆者]によって注目を集めた問題である。その中で,私は,当協会が討論に別 の課題を付加する,つまり産業上ないし経済上の諸問題を取り入れてはどうかとい
. . . . . .
う提案を控え目ながら行なった。当時そのような提案は,副次的な課題として,つ まりその問題に関心を抱いている会員たちが付加部門〔経済部門ー一筆者]に出席 することによって促進されるような課題として以外に受け入れられるとは思ってい なかった。 その提案は, ある意味では快く受け入れられ, 他の意味では反対され た。われわれの討論にその課題を持ちこむという考えは受け入れられた。その課題 を付加部門に付託するという考えはきっぱりと否定された。そして,をら森直ら紳
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
ちこまれるべきであり,われわれの正規の活動の一部をなすべきだ,ということが
. . . . . . . .
投票で決められた。
われわれは現在の会合での以上の方針について,これまでいくらかの検討を行な ってきた。協会がその課題についての誤論を取りあげることが全く正当である,と
( 2 7 )
いうのが会員一般の気持ちだと思われる。」(傍点ー一筆者)
( 2 5 ) I b i d . , p . ̲ 4 8 2 .
( 2 6 ) " P r o c e e d i n g s o f t h e C h i c a g o Meeting ( X I I I t h ) o f t h e American S o c i e t y o f M e c h a n i c a l E n g i n e e r s , " T r a n s a c t i o n s of t h e ASME, V o l . 7 , 1 8 8 6 , p . 4 1 7 .
( 2 7 ) " P r o c e e d i n g s o f t h e S e v e n t h Ann~al Meeting o f t h e American S o c i e t y
o f M e c h a n i c a l E n g i n e e r s (XIV t h ) , " T r a n s a c t i o n s of t h e ASME, V o l . 8 ,
1 8 8 6 , p p . 2728.
5 6 ( 5 6 )
第3 4
巻 第1
号( 2 8 )
タウン自身は
ASME
の対応が好意的であったと感じているようである。I I ASME
の対応をめぐる諸見解( 1 )
1. 中村瑞穂氏の見解
. . . . . . . . . . . .
「彼〔クウン一一筆者]のさきのごとき提案がきわめて不満足な形でしか受入れら れなかったのはなぜであろうか。……タウンが静態的にとらえた
ASME
の会員構 成を動態的な変化の過程においてとらえなおすことにより,その理由を明らかにし( 2 9 )
・うるものと考える。」(傍点一一筆者)
以上のように中村氏は,クウンの提案が「きわめて不満足な形でしか受入 れられなかった」と断定する。そしてそれは,
ASME
の対応の消極性の指 摘を意味する。中村氏は,ASME
の対応の消極性の根拠を,技師類型の漸 次的変化に求める。つまり,ASME
の会員構成に関するクウンの指摘から,①専門家的技師,③経営者・管理者としての技師,⑧技師ー企業家の3類 型 を 抽 出 す る 。 そ し て こ の3類型の技師の管理問題への関心の相遣に着目し て, クウン提案への •ASME の対応を説明するのである。 そればこうであ る。
( 2 8 ) 1 9 2 4
年にASME
が発表した「故人略歴」の一部を紹介しておく。「1 8 8 6
年5.
月,協会のシカゴ会合で,クウン氏は経済家としての技師と題する論文を発表し た。この議題は非常に珍らしかったため,多くの会員は,それが工学関係の聴衆 に対する発表として不適切だと考えがちだった。「科学的管理」「能率」「数量生 産」やこれから発展したものが工学にとり本質的なものだと考えられている今 日,この時代を画する論文が使用した言葉は幾分陳腐に思われるかもしれない。
だが,以下のくだりがほぼ
5 0
年も前に書かれたことを思いおこす時,それらを喚 起した大胆さはより十分に高く評価されるだろう。……1 8 8 9
年の協会のエリー会合において,クウン氏は利益分配の課題に関する論文 を提出した。この二つの論文は,この5 0
年間の産業工学(IE)の発展の中で,今 最も重要だと認識されているものの嘴矢である。」( " N e c r o l o g y ," T r a n s a c t i o n s of t h e ASME, V o l . 4 6 , 1 9 2 4 4 , p . 1 3 2 6 .
また,ASME
の4 0
周年記念祭でのクウンの発言も参照されたい。
Remarksby R e p r e s e n t a t i v e o f t h e Four Founder
S o c i e t y , " M e c h a n i c a l E n g i n e e r i n g , V o l . 4 2 , December 1 9 2 0 , p . 7 1 2 .
( 2 9 )
中村瑞穂「「管理科学促進協会」(「テイラー協会」)の成立(中)」,7 8
ページ。タウン提案再考(廣瀕)
( 5 7 ) 5 7
.
.
「
1 9
世紀末葉における技師層は,その大半が専門職化〔類型①専門家的技師_筆者〕に向かって,またその一部が経営者化〔類型③経営者・管理者としての技師
. .
ー 筆 者
J
に向かって,そして最後に一部が資本家〔類型⑧技師ー企業家一一筆 者J
としてとどまる状態において,急速に分化をとげつつあったものと考えられる のであり……ASMEの会員構成もこのような変化に対して例外ではありえなかっ たはずである。タウンの提案がなされたのは,まさに技師層が三分化をとげつつあり,それにと もなって
ASMEの性格がしだいに変化していく途上だったのであって,その提案
の処理も,その時点における各集団の勢力関係を反映する形でしかおこなわれえな いはずである。……そのころ急速に増加しつつあった「職業的技師」たち〔類型① 専門家的技師,純粋な技師のこと一一筆者〕はASMEが管理に関する問題をとり
あげることに対して批判的であったが,しかもなお彼らの発言力がASMEの過半
を制するにいたっていなかったために,ASMEの活動領域を管理問題にまで拡張
することを全面的に拒否することはできず,結局は管理問題を総会における論題と してはとりあげうるものとするという譲歩をおこなうことによって,少なくとも部 会設置という形での制度化だけは拒否しえたのである。…•••その後,技師のうちに しめる職業的技師の比重はますます高まり,2 0
世紀に入ってその地位は動かしがた いものとなる。そのような動きを反映して,ASMEの主導権もほぼ彼らの掌握す
るところとなり,その活動の対象は19 0 7
年ごろを境にして,ほとんど完全に純然た( 3 0 )
る工学技術に限定されるようになるのである。」
以上のように中村氏は, タウン提案への
ASMEの態度の分析を通じて,
. . .
一般に当時の
ASMEの管理研究への取り組みの態度を描く。その際,タウ
ン提案に対するASMEの態度は,その背後にある技師たちの管理問題への
関心の相遮の反映であるとの認識が示されている。 ここに「ASMEと管理 研究」なるテーマ設定がはっきりと行なわれていることを知るのである。中村氏は,この方法を用いて,つまり管理問題への関心の程度が異なる技 師たちの勢力関係の分析によって,さらにタウン提案以後の
ASMEの管理
( 3 1 )
研究への態度をも描く。
( 3 0 )
同論文,82 83
ページ。( 3 1 )
中村氏は,2 0
世紀に入って特に19 0 7
年頃以後のASMEと管理研究との関係に
ついて論じている。先の引用の最後の部分がそうだが,この点は別途厳密に検討 すべき重要課題である。1 9 2 0
年に設置されたASME
の「管理部会」(ManagementD i v i s i o n )の位置づけの問題と密に関わっている。それ故,本稿の守備範囲では
ない。5 8 ( 5 8 )
第3 4
巻 第1
号ASME
と管理研究の関連についての中村氏のこの認識は, 硯在の時点に おいても優れたものである。ましてや四半世紀前の業績としては特筆に値す るものであろう。しかしながら,現在からふり返れば不満足な点も見うけら れる。それが黙過しえぬものだけに,検討せねばならない。2 .
中村見解の検討中村氏は, クウン提案当時の
ASME
の会員構成について,それ自体を分 析することなく,19
世紀末葉における技師層一般の分析から会員構成を推測 する。ひとまずその方法の不備を問わぬまでも,ASME
は当該期の技師層 の構成を反映していたのだろうか。1880 90
年の間に,ASME
の会員は約100名から1,000
名へ,1890 1900
( 3 2 )
年の
10
年間には約1,000名から2,000
名へと増加した。一方,技術学校の卒業 生は,1890
年まではきわめて少なかったが,1890 1900
年の間には数千名に 増加した。ところが,1907
年においても技術学校の卒業生はASME
会員中( 3 3 )
にほとんどいなかったようである。
19
世紀末葉の技師層は,技術学校卒業生の急増によって,中村氏のいわれ るように専門家的技師の数の優勢を漸次的に見るに至るが,この傾向が当該( 3 4 )
期
ASME
の会員構成にそのまま反映していると考えるのは正しくない。タウン提案当時,
ASME
の支配的勢力は専門家的技師ではなく,類型③( 3 5 )
および⑧,特に類型⑧の技師ー企業家であった。この状態は
ASME
の設立( 3 2 )
ちなみに概数でみれば,1 9 1 0
年4, 0 0 0
名,1 9 1 5
年6 , 0 0 0
名,1 9 2 0
年12 , 0 0 0
名,1 9 2 5
年18 , 0 0 0
名となる。とりわけ第一次大戦後の増加が著しい。( 3 3 ) ( 3 4 ) C a l v e r t , The M e c h a n i c a l E n g i n e e r i n America 1 8 3 01 9 1 0 , pp.114 15.
( 3 5 )
朦瀬幹好「「アメリカ機械技師協会」設立のリーダーシップ」「高知論叢(社会 科学)」第26
号,1 9 8 6
年7
月,5 7
ページ。参考までに,AmericanM a c h i n i s t
誌1 8 8 0
年9月18
日号に掲載されたASME
の全会員の名簿を,主要地城別に分類し なおしておこう。正会員( 1 6 1
名)について。大西洋沿岸中部諸州(NY, PA, N J ) 9 6
名(59.6%
),ニューイングランド諸州(MA, C T , R I , . VT, NH) 3 0
名( 1 8 . 6
彩)。両方で12 6
名( 7 8 . 3
彩)。NY
とPAだけで8 2
名( 5 0 . 9
彩)に達した(それぞれ5
6
名,2 6
名)。その他に,準会員が17
名,ジュニア会員が9
名いた。クウン提案再考(廣瀬)
当時から
2 0
世紀初頭まで一貫して持続している。( 5 9 ) 5 9
F . R . Huttonは
,1907
年夏現在のASME
会員2,957名(全会員3,152名 中外国人等を除いた数)を17グループに分類している。その中で,m
「製図・設計者」,
n
「地区管理者」, 0 「工場経営者」, P 「製造業者」の4
グル( 3 6 )
ープを, 「機械技師の経済的重要性」
( t h e economic s i g n i f i c a n c e o f the mechanical engineer)
を示すグループとよぴ,これは1,572
名(53.6%)
にのぽる。技術学校卒業生のための主たる職業だといわれる「製図・設計者」を専門家的技師とみなしても,これを除く
1,457
名(49.3%)
は,明らかにグループ名 人数 彩
a The u n c l a s s i f i e d … . . . . ● ● ● ● •• •••……• •306···10.3 b The army and navy •··· 1 1 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 0 . 4
and m a r i n e ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 8 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 0 . 6 c The h y d r a u l i c ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 2 ・ ・ ・ ̲ ‑ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 0 . 4 d Patents••··· 2 5 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 0 . 8 e J o u r n a l i s t s • • •· • • • • • • • • • ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ • ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 3 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ' . ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 . 0 f M i n i n g and Metallurgy••··· 3 1 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 . 0 g E n g i n e e r i n g c o n t r a c t o r • ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ • 4 8 ・ • • • • • • • • • • •· • • • • • • • • 1 . 6 h T e s t i n g and i n s p e c t i n g ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 9 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 . 6 i O p e r a t i n g e n g i n e e r ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 5 5 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 . 8 j L o c o m o t i v e and railway• ……...…• •57··· 1 . 9 k E l e c t r i c a l e n g i n e e r ' . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
65 ・・・・・・・・・・...…•• 2 . 2 l P r o f e s s o r and teacher••···l85· ••• ● ● ● •……... 6 . 3 m D r a f t s m a n and designer•••••• …… •••115 ……… ...4.0
: :::cl:ra言~:elre:err i i ; l 1572 :> 53.6
合 計
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 9 5 7・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 0 0 . 0
出所:
F r e d e r i c kR . H u t t o n , A H i s t o r y of t h e Americ
畑S o c i e t yo f M e c h a n i c a l E n g i n e e r s : from 1 8 8 0 t o 1 9 1 5 . New York C i t y : The American S o c i e t y o f M e c h a n i c a l E n g i n e e r s , 1 9 1 5 , p p . 3 2 32 6 . ( 3 6 ) H u t t o n , A H i $ l o r y o f t•ke Americ
畑S o c i e t yo f M e c h a n i c a l E
加e e r s ,
p . 3 2 5 .
6 0 ( 6 0 )
第34
巻 第1
号 既述の類型②および⑧の技師である。一方類型①に属するのは,
b
•C•f•h•i•j•k•l の 8 グループ465
名( 1 5 .7%)
にすぎない。これに先の「製図・設計者」を加えても580
名(19.6%
)である。一言説明を加えておこう。数の多いa
「分類不能」306
名(10.3%
)は,退職者や名簿登録をしているにすぎない者等である。またq
「実践家」493
名(16.5%
)に分類されている者は, いわば「その他」で あり,製造業の規模の増大につれ, Il•O•P に分類されてゆくグループだ( 3 7 )
とされている。
タウン提案がなされた当時,「
ASME
の性格がしだいに変化していく途上 だった」,「20世紀に入って… •••ASME の主導権もほぼ彼ら〔専門家的技師 一筆者]の掌握するところとな」ったとの指摘は,技師層一般には妥当す るとしても,ことASME
に関しては当てはまらないことは以上の説明で明 らかだろう。タウン提案当時,
ASME
の性格は変化の途上にはなく,ASME
は類型③( 3 8 )
および③の技師たちのリーダーシップ下にあったものと解される。
さて,中村氏の論理展開には次のことが暗黙に前提されている。つまり,
類型③およぴ③の技師たちはタウン提案の承認に積極的であった,というこ
( 3 7 ) I b i d . , p p . 3 2 32 6 .
( 3 8 )
クウン提案はASME設立の 6
年後である。わずか6
年でリーダーシップの所 在が変化するとは考えにくい。L o u i sN . Rowley
は,「歴代協会会長と管理への 貢献」という論文の中で,四半世紀ごとにASMEの歴史を区切り,そのリーダ
ーシップの所在を以下のようにまとめている。
①
1 8 8 0
年〜19 0 5
年。会長の多くが企業家的基盤( e n t r e p r e n e u r i a lb a c k g r o u n d s )
を持っていた。③19 0 5
年〜30
年。幾分リーダーシップの性格に変化が生じた。ニ 人を除いて企業家( e n t r e p r e n e u r s )
はいなくなり,技師一経営者( e n g i n e e r ―
e x e c u t i v e s )と教育者 ( e d u c a t o r s )
が大きなグループとなった。③19 3 0
年〜55
年。 企業経営者( i n d u s t r i a le x e c u t i v e s )
, 特に最高経営者( c h i e fe x e c u t i v e s )
が リーダーシップを握った。④19 5 5
年〜80
年。教育および研究( e d u c a t i o n and
r e s e a r c h )畑からの会長が一番多く,技術系経営者 ( e n g i n e e r i n ge x e c u t i v e s )
がこれについだ。Merrick ( e d . ) , ASME Management D i v i s i o n H i s t o r y ,
pp.3739.
クウン提案再考(廣瀬)
( 6 1 ) 6 1
とである。 類型①の技師が「ASME
が管理に関する問題をとりあげること に対して批判的であった」と理解すれば,類型③および③の技師たちが管理 問題をとりあげることに対して積極的でなければ,クウンの提案が取入れら れる筈もなく完全に拒否されざるをえない。管理問題のとり扱いをめぐる類 型①の技師と類型③および③の技師たちとの対抗という図式を軸に,中村氏 の論理は組み立てられている。この図式は大枠では妥当であろう。両者の管 理問題に対する関心は相遮しているであろうから。だが,今少し厳密な枠組 設定が必要である。つまり,確認したように,ASME
のリーダーシップを 握っていたのは類型③および⑧の技師たちだった。したがって,タウン提案 に対するASME
の対応の検討は,まず類型③および③の技師たちのクウン 提案への対応の検討からなされることが大切であろう。既述のように,中村 氏は彼らの積極性を自明であるかのように前提したが,何らの検討をも加え( 3 9 )
ておられないからである。
はたして類型③および⑧の技師たちは,
ASME
が管理問題に取り組むこ とに積極的に賛成したのか。また,基本的にそうであったとしても彼らの抱 く管理問題はいかなる内容だったのか。今少しの吟味を要しよう。皿
ASME
の 対 応 を め ぐ る 諸 見 解( 2 )
( 4 0 )
L Calvert の ASME
観Calvertは
,ASME
の管理研究への取り組みの姿勢をきわめて低く評価 する。( 4 1 )
「機械技師が作業場
(works h o p )の合理的で科学的な管理 ( S c i e n t i f i cM a n a g e ‑ ‑ m e n t )に最初に関心を濤つようになったのは, 彼らのビジネスマンとしての役割 ( 3 9 )
なお一言すれば,類型①の技師の管理問題に対する関心の分析も行なわれていない。これも重要な課題である。
( 4 0 )
廣瀬幹好「「アメリカ機械技師協会」設立のリーダーシップ」,48 52
ページ。( 4 1 ) C a l v e r tにとって, S c i e n t i f i c Managementという言葉はテイラーシステム
と同義ではなく,もっと広い。そこで「科学的な管理」と訳しておいた。6 2 ( 6 2 )
第34
巻 第1
号においてであった。・・・・・・
1 8 8 0
年のASME
の形成は,そうする〔産業を合理化する—筆者〕方法と手段について議論することのできるフォーラムを提供した。そし
( 4 2 )
て機械技師はさっそくそれを利用した。」 .
だが,
ASME
は,管理研究を完全に拒否してはいなかったけれど,「1 9 0 6 8
年までには,ASME
は管理問題のための主要フォーラムであることを やめていた。管理問題を議論するセンクーは他へ移りつつあった( 0 4 3 ] ASME
設立当初からそうなる必然性はあった。つまり,タウンの,経済部門設立による管理の科学の推進という提案に対して, 「すべての人がこの提案に賛成
( 4 4 )
したのではな」<, 特に, 「科学的な管理のイデオロギーと実践がショップ
( 4 5 )
文化の理想に対して与える深い対立と挑戦が存在した。」つまり, 「
ASME
を支配していたショップ文化の過度の企業家的偏見によ って,ASME
は, 管理工学(managemente n g i n e e r i n g )
の完全で広範な発展の主要フォーラ ムであり続けることができなかった。この要求を満たすべくT a y l o rS o c i e t y
( 4 6 )
のような組織がつくられた。」
以上のように
C a l v e r t
は,1 9 0 6 , ̲ ; 8
年頃までASME
は管理研究に消極 的ながら取り組んだが, その後管理研究に取り組まなくなったと考えてい る。この限りでは中村氏の見解と一致する。しかしながら,中村氏の場合,この事態を進めた動因は類型①の専門家的技師の管理問題に関する意識であ り
,
C a l v e r t
の場合, それは類型③およぴ⑧の技師たちの意識であった。両者の事実認識はほぼ同一ながら,説明の論理は全く遣う。
C a l v e r t
によれば,純粋技師(=専門家的技師)とビジネスマンとしての 技師を区別し前者の重要性を主張する技師は少数だった。大半の技師は,機 械工学がビジネスであり機械技師がビジネスマンでなければならないと考えていた。
( 4 2 ) C a l v e r t , T h e M e c h a n i c a l E n g i n e e r i n A m e r i c a 1 8 3 01 9 1 0 , p . 2 3 5 . ( 4 3 ) I b i d . , p . 2 4 2 .
( 4 4 ) I b i d . , p . 2 3 6 .
( 4 5 ) I b i d . , p . 2
町.( 4 6 ) I b i d . , p . 2 4 1 .
タウン提案再考(廣瀕)
( 6 3 ) 6 3
「どちらの側が機械技師を教育し社会化するのに最適かという点ではぶつかる学校 文化とショップ文化も,共に,機械技師が損益という用語を心に留めないならば彼
( 4 7 )
は技師でないということでは一致した。」
「どのような工学であれ,あらゆるタイプの技師は,工学が第一にビジネスだとい
( 4 8 )
うことをほとんど満場一致で承認した。」
「工学教育者もショップ文化も,共に,ビジネスに関する訓練が技師として実際に
( 4 9 )
成功するためには必要だという点では一致した。」
ASME
のリーダーたちは, ビジネスマンとしての技師の役割の重要性を 認識し,ていた。彼ら,すなわち小規模企業の所有者・管理者にとって,1 9
世 紀末葉から2 0
世紀初頭は大規模化の時代,大企業体制の形成期であり,ビジ ネス感覚(=経済的能率)を重視せざるをえなくなっていた。このような時 代 的 要 請 が タ ウ ン の 「 経 済 家 と し て の 技 師 」 を 先 見 的 に 登 場 さ せ た の で ある。
だが他方,
C a l v e r t
は,「すべての人がこの提案に賛成したのではな」<, 特にASME
のリーダーたちはこれに強く反対したとものべる。反対は,彼らの「企業家的偏見」が原因だった。
「
ASMEの会員の側で,
その考え〔タウン提案ー一筆者〕への関心が欠如してい た理由の一部は,彼らが原則としていかなる種類の部門( s e c t i o n so f any k i n d )
をつくることにも反対したことに帰することができる。しかしながら,科学的な管 理のイ デオロギーと実践がショップ文化の理想にもたらす深い対立と挑戦が存在し箆 」
「企業家的偏見」とは,科学的な管理のイデオロギーと実践を,小規模企 業の破壊者として,技師ー企業家的世界の破捩者としてみなす「偏見」であ
る。
「小規模で,人間的で,多様性と機会を持つ物が,大規模で,非人間的で,単調さ
( 4 7 ) I b i d . , p . 2 2 5 .
( 4 8 ) I b i d . , pp. 22627.
( 4 9 ) I b i d . , p . 2 3 2 .
( 5 0 ) I b i d . , p . 2 3 7 .
6 4 ( 6 4 )
第34
巻 第1
号( 5 1 )
と専制的システムによって特徴づけられる物によって脅かされていた。」
この「企業家的偏見」から,
American M a c h i n i s t
誌は, タウン提案に 対してもそうだったが, 「1 8 9 0
年代を通じて, 出来高に基づくどのようなシ ステム〔この場合は科学的な管理を意味する一~筆者]に対しても強力な反( 5 2 )
対の立場をとった。」
以上のように,
C a l v e r t
は,一方でASME
にはタウンの提案を受け入れ る必要性が,機械技師の当時担っていた職業上の役割それ自体からして存在 していたが,他方でそれにもまして「企業家的偏見」故に,タウンの提案を 拒否せねばならなかったと説明する。この傾向が1906 8
年頃以後にはっきりするという。
2 . C a l v e r t
見解の検討既に見たように, 中村氏とは遮って
C a l v e r t
は, 「1906 8
年頃までにASME
が管理問題のための主要フォーラムであることをやめ」た原因を,類型③および③の技師たちの「企業家的偏見」に帰した。
彼は,
ASME
を設立当初から「企業家的偏見」に満ちたものだと理解し( 5 3 )
ていた。 この理解に立つなら,
ASME
は設立当初から管理問題を取りあげ ることに好意的ではなかった,もっといえば敵対的だった,との解釈が当然 可能となろう。だが,タウン提案に対する
ASME
の対応を紹介した本稿I l
節で見たよう に,このような解釈は早計にすぎる。 またC a l v e r t
自身が, 機械技師がピ ジネスマンとしての役割において管理問題に取り組む必要性を感じておりま た実践した,とのべてもいた。このことからすれば,
C a l v e r t
のいうように,1906 8
年頃までにASME
が管理問題の主要フォーラムであることをやめており,そのフォーラムが他( 5 1 ) ( 5 2 ) I b i d . , p . 2 3 8 .
( 5 3 )
「ショップ文化エリートの,エリートによる,エリートのための組織」( I b i d . ,
p . 1 2 0 . )
タウン提案再考(廣瀕)
( 6 5 ) 6 5
へ移りつつあったのは, 「企業家的偏見」が原因であったのだろうか。再考 を要するように思われる。ASME
は,疑いなく一定期間, 管理問題の唯一主要なフォーラムであっ た。そして一定の時期以後も主要なフォーラムであり続けたが,その一つに( 5 4 )
なった。唯一主要なフォーラムであり続けることはできなかった。
もし
ASME
のリーダーたちに「企業家的偏見」がなかったなら,ASME
は,管理問題の唯一主要なフォーラムとしての栄光に浴し続けえることが可 能であっただろうか。否である。w タウン提案再考
1 .
タウン提案の含意タウン提案についてはすでに
1 I
節で紹介した。そこでは筆者は,タウンの 提案を彼にしたがって忠実に再現した。タウンの主観的意図の正確な叙述に 意を注いだ。ここでは, タウン提案を彼の意図から相対化して,その客観的意義を把握 しようと思う。それに先立ち,以下の議論の前提として,筆者が「タウン提 案」なる表現に込めた意味について少し説明を加えておこう。
「タウン提案」は二つの要素から成っている。一つは,工場管理の科学化 を機械技師がまず進めるべきだという「理念」の提案のレヴェル。もう一つ は,その「理念」実現のために経済部門を設立すべきだという「手段」の提 案のレヴェル。そして,タウンの提案する「手段」は, タウン自身にとって みれば「理念」と一体のものであったかもしれないが,客観的に見れば「理 念」実現の唯一の「手段」ではない。すなわち,管理の科学化は,経済部門 の設置によってしか進められないわけではない。その意味で,「理念」と「手