1 課題設定
1.1 問題の所在 データは少し古くなるが,1999 年に日本教育大学協会が実施した本格的な「教育系大学院の 在り方に関する調査結果」によると,現職教員が大学院で望む第一位の項目は「教育に関する研究能力と実践的力量」
であった(76% n = 547)1)。この結果は,現実の教育課題への直接対応力には実践の研究能力が伴っていなければ限 界がある,という現場の実態を反映していると見てよいであろう。この現場の実態は肝心の教育学がこの要請にどれ だけ応えられるのかという問題をも提起している。
いま教育方法学会機関誌『教育方法学研究』に目を転じると,そこでは,確かに,現場の課題に理論研究から応じ ようとする傾向は読み取れる。例えば,一斉授業と授業規律に従わせる規範主義に対して主体−主体という相互行為 の転換を意図したシンボリック相互行為論研究2),さらにコミュニケーション理論に着目した研究3),なかでも J. ハー バーマスのコミュニケーション的行為理論の適用が最近とくに注目されている4)。
以上の研究で共通する点は,実践場面における相互行為の展開を意図しているが,その論究から得られたシェーマ
(説明理論図式)が実践場面の多面的な局面を説明でき,かつ実践場面の質的な転換を統制するところまで及んでい ない点にある。そのこと自体が研究者にとってジレンマであろうが,そのジレンマ自体を当の研究者が対象化するこ とが冒頭の問題提起に応じる第一歩となるものであろう。
そのジレンマは実践場面を研究対象とすることの方法論的難しさに起因している。上掲の研究でも具体的な授業場 面が理論説明の資料とされている。その際にいかなる理由からその授業場面がここで取り上げられたのかという問い が出されるかもしれないが,問題はそこに留まらない。実践場面(授業や問題行動)の特性をどのように理解してい るのかという根本的な認識についての合意が予め試みられていない点にこそ問題が潜んでいる。
1.2 研究課題 この点について,的場正美が,私の論究5)を「教育実践とりわけ授業は「個性的」で「一回的」
あるという基本的前提がある」という表現で量的研究と対比しながら紹介している6)。私はこの基本的前提を踏まえ た研究法としてGTA(Gounded Theory Approach)が学校での実践場面に最適な質的研究法であると認識しており7),
GTA(Grounded Theory Approach)における フォーマル理論の可能性
増 井 三 夫
*
(平成20年9月30日受付:平成20年11月13日受理)
要 旨
本稿は実践研究に適合的な GTA の開発研究の一環として取り組まれている。今回は,生成された具体理論の一般性を,
フォーマル理論の可能性を射程にいれて,実践研究でどの程度まで拡大する必要があるのか,さらに現実にどこまで可能な のかを概括的に検討する。検討にさいしては,Glaser と Strauss の「死のアウェアネス理論」にもとづき,高校生の信頼感 生起の研究を例にとって,具体理論の一般性の意義とその拡大の可能性について論じた。検討の結果は以下の通りである。
第1に,高等学校における教師に対する生徒の信頼感は,質的研究(GTA)と量的研究ではカテゴリーと因子に共通性が 認められる。第2に,カテゴリー間及び因子間の構造と変化については,GTA が現実との適応力と説明力に適している。
第3に,具体理論の一般性は生成された具体理論の実践場面への適用可能性によって担保され,さらに様々な実践場面での 適用可能性という意味での一般化の拡大については他の具体理論との比較分析が有効である。
KEY WORDS
グランデッド・セオリー・アプローチ grounded theory approach 具体理論 substantive theory 一般化 generating of theory フォーマル理論 formal theory
現在,より実践場面の分析に適した研究法の改善を試みている8)。GTA から生成される Gounded Theory 理論仮説(モ デル)は,限定された実践場面における具体理論(Substantive Theory)である。実は,他ならぬ,この具体理論が 一般性を欠いているという量的研究者からの批判のターゲットになっている。
本論は,そこで,教師に対する生徒の信頼感生起に関わる具体理論(GT)と量的研究(統計的研究)の結果を例 に取り上げて,実践場面における具体理論の有効性,更に GTA にける一般理論(フォーマル理論)化の可能性につ いて概括的な検討を試みる。
2 教育実践現場における「信頼感」生起の研究
2.1 教育心理学の研究 天貝由美子は,高校生1- 3年生(n = 805)を対象として,信頼感を「自分あるいは 人に対して抱く信頼できるという気持ち」と設定し,信頼感を構成する因子として「自分への信頼」,「他人への信頼」,
「不信」を抽出し9),この3因子に影響を及ぼす経験要因として「受容要因」,「承認経験」,「親との密接な関わり経験」,
「対人的傷つき経験」の4因子を抽出している10)。天貝は,4因子が3因子に対する影響を,重回帰分析によって,
次のように分析している。「他人への信頼」には「受容経験」を中心に「承認経験」と「対人的傷つき経験」が影響 する11)。
教師 - 生徒関係における信頼感生起の研究については,八木恵美は,高校生1- 3年生(n = 339)を対象に,教師 への信頼感生起に及ぼす経験因子として「受容経験」,「承認経験」,「尊敬経験」,「傷つき経験」,「達成経験」を抽出 し,この5因子が信頼感を構成する因子「教師信頼」,「教師不信」,「自己信頼」に対する影響を次のように分析して いる。「教師信頼」には,5経験因子が有効な影響を及ぼしているが,「尊敬経験」が中心となっている12)。
佐竹圭介は,高校生1- 2年生(n = 141)と大学生(n = 110)が過去に体験した信頼感から,「被尊重感」,「好感」,
「安心感」,「被受容感」の体験因子が教師に対する信頼感を構成していると分析している13)。
以上の研究から,高校生における信頼感には,「受容経験」に「承認経験」が関与しており,教師に対する信頼感 になると「尊敬経験」が中心となり,これに「受容経験」,「承認経験」と「好感」「安心感」の経験が加わる。
2.2 GTA の研究 關塚高史は,佐竹のデータ収集方法を参照して,高等学校 A,B,C における3年生の教師との 過去経験を GTA によって分析し,教師に対する信頼感を構成する因子(カテゴリー:傍点は中核となるカテゴリー)
と理論仮説を生成している。就職希望者の多い A 校の生徒(n = 34,回収率 100%)の信頼感を構成するカテゴリー は「特に部活における受容的対応」,「部活における承認行為」,「学習指導,部活技術の専門性に優れ,人として尊敬 できる」であり,とくに「部活動における受容的対応」が中核にあり,「主に部活動の場面において,家族的な親密 関係と生徒個人に対する受容的対応が行われ,それによって信頼感が生起する。」14)
次に多くの生徒が「難関」大学への進学を希望している B 校の生徒 41 名(n = 41,回収率 100%)の信頼感を構 成するカテゴリーは「特に進路,受験用の学力,部活についての受容的対応」,「学習,部活,進路に関わる承認行為」,
「受験に関わる学習,部活,進路指導,相談者の専門性に優れ,人として尊敬できる」であり,「学習,進路,部活,
とりわけ学習場面においては高い専門性に基づく適切な援助,進路相談場面においては受容的対応が行われ,それに より信頼感が生起する。」15)
A 校と B 校の中間に位置し,専門学校,短期大学,4年生学に進学する C 校の生徒(n = 41,回収率 100%)の 信頼感を構成するカテゴリーは「特に進路,部活についての受容的対応」,「対人に関わる承認行為」,「進路,学習指 導の専門性に優れ,人として尊敬できる」であり,「進路と部活に関係する場面,とりわけ進路相談場面において,
生徒の視点に立った理解や親身な対応,進路に関する専門的な知識とそれに裏付けられた適切な対応が行われ,それ により信頼感が生起する。」16)
關塚は,3校に共通するカテゴリーとして「受容的対応」,「承認行為」,「優れている」をあげ,とくに「受容的対 応」と「優れている」が「互いに強く関係しあって」信頼感が生起している,と分析している17)。この共通カテゴリー のうち「優れている」は部活・進路・学習指導の専門性に優れていることに対する尊敬体験であるので,本稿では「専 門性に帰属する尊敬経験」の命名を採りたい。
2.3 量的研究と GTA の研究の結果比較 關塚は以上の結果を上掲の量的研究の結果との比較を試みている。
表1からうかがえるように,關塚の「受容的対応」は,天貝と八木の「受容経験」,佐竹の「受容性因子」に対応し ている。そして「承認行為」と「尊敬経験」についても同様である。しかし因子間の関係になると關塚,天貝と他で は差異が認められる。すなわち關塚と天貝では「受容経験」が中核となっているが,八木では「尊敬経験」となって
いる。
表1 高校生の信頼感を構成する因子・カテゴリー18)
研究者 因子・カテゴリー(下線は中核となる因子・カテゴリー)
天貝 受容経験,承認経験,親との密接な関わり経験,対人的傷つき経験 八木 受容経験,承認経験,尊敬経験,傷付き経験
佐竹 尊重因子,肯定的特質因子,安定性因子,受容性因子,明朗性因子,親密性因子 關塚 受容的対応,承認行為,専門性に帰属する尊敬経験
いまひとつ留意しておきたい因子は,天貝の「親との密接な関わり経験」と佐竹の「親密性因子」,そして A 校に おける「主に部活動の場面において,家族的な親密関係」(關塚ではこれは「受容的対応」の特性となっている19)) である。A 校のように部活動の実際場面で信頼感が生起している場合では,「親との密接な関わり経験」に類似した「家 族的な親密関係」が「受容的因子」とともに信頼感生起に強く関与している。關塚はこの点を他2校と比較しながら,
「A 高等学校は,家族的な親密関係の中で,真剣で親身な対応や,気持ち,状況を理解する姿勢から信頼感が生起し ているのが特徴である」と理解している20)。
2.4 まとめ 量的研究(統計的方法)と質的研究(ケースタディ)の優劣をめぐる論争は,量的研究法に対抗 して開発された質的研究法の歴史に由来している。しかしこの論争も 1927 年に終止符が打たれた。質的研究の学派(シ カゴ学派)を形成するシカゴ大学社会学科で,統計法擁護派のストゥファーは 1927 年に 238 人のシカゴ大学学生を 被験者として,禁酒法に対する態度について2つの研究法の比較を試みた。その結果,「量的分析と質的分析との一 致度が高い」ことが示された21)。
關塚の研究では,カテゴリーは量的研究の因子と同じ結果となっている。しかし中核カテゴリとカテゴリー間の関 係では,量的研究内でもまだ一致はみていないが,關塚の研究では,「受容的対応」と「専門性に帰属する尊敬経験」
が中核となって信頼感が生起する。これが具体理論となる。この具体理論のリアリティ感をめぐって關塚は3校の教 師とカンファレンスを実施し,各教師から肯定的評価を得ている。問題は,その關塚の具体理論の一般性が,そもそ もそれを議論ずる観点を含めて,どの程度言えるのかということである。
3 具体理論における一般性の拡大
3.1 理論の現実への適合性 GTA から生成された具体理論の特性を再確認してこう。具体理論が,①フィール ドの特徴によく適合しており(fit),②そのフィールドに関係する実践者(教師)に理解可能であり(understandable),
③そのフィールドの多様な現実に適用できる一般性があり(general),④この理論の使用者がフィールドをコントロー ルできる(controllable)ことである22)。この4点のうち①が他の3点の基本となる。その意味についてもいま一度 確認しておきたい23)。
理論はそれが応用される具体的領域に当てはまるものでなくてはならないということは,理論に必要な4特性の 中でも最も基本的なことである。「具体理論」はデータと密接に符号しなくてはならないというのは当たり前のよ うに思われるかもしれないが,現実にはそうでない場合が非常に多い。
3.2 理解可能性(understanding possibility) この3校において生徒の教師に対する信頼感は,「受容的対応」
と「専門性に帰属する尊敬経験」によって生起する。關塚はこの仮説について3校の教師とそれぞれにカンファレン スを実施し,その理解可能性と適用可能性について検証している。理解可能性に関して3校のカンファレンスの結果 箇所を転載しておこう。カンファレンスは,3校共に,具体理論にもとづく「現状の振り返り」が「中心」となった。
A 校では「違和感なく現実を振り返り,語ることができた」,「その要因として,この分析結果が現場教師にとっ て現実感あるものであったことを挙げることができる24)。」 B 校ではこれに加えて「現場教師が日頃感じている」「大 きな問題点」がこの理論とデータを「提示することにより,より自覚化され,それに加えて今まで気付いていなかっ た現状への気付きを得ていった。それらの問題点に対する改善策の方向性が,(カテゴリー)関連図からより明確に なり,そのことがカンファレンスの内容を改善策に容易にシフトさせていった」(カッコ内は引用者の補足)25)。C
校では,「日頃抱いていた問題点がより自覚化,明確化され,改善策の方向性が…より明らかになっていった26)。」
理解可能性は具体理論の現実との適合感が基本となっていることに加えて,現場教師が「自らの経験に照らしなが ら,問題の所在を豊かにイメージ化できる」ことも意味している27)。B 校でのカンファレンス結果はこの意味4 4を理 想的に語っている。
3.3 一般性(generality) 具体理論の一般性は上掲したように「フィールドの多様な現実に適用できる一般性」
の意味であることに留意しておきたい28)。關塚の研究では,A を中心として,B 校と C 校が比較の対象校となって いる。一般性は,具体理論(「信頼感は「受容的対応」と「専門性に帰属する尊敬経験」によって生起する」)が3校 の「多種多様」な現場でも,「一般的ガイドになるところまで」「抽象化」されていなくてはならないことを意味して いる29)。この「抽象化」の正確な理解は欠かせない。Glaser と Strauss の次の説明30)を銘記しておく必要がある。
私たちの理論は,多種多様に変化する状況に即して理解していけるだけの柔軟性を獲得すると同時に,理解が有 効に活用できないときには,必要に応じてその場で容易に理論を修正できるための柔軟性をも持ちうる。具体理論 は,その一般性によって現場でより発展する可能性を具えていることにより,その理論としての有効性を自ら立証 することになる。
3.4 コントロール可能性(control possibility) もちろんこの可能性と有効性の立証は,具体理論で現場の問題 状況を理解し,その改善の方向性を議論する過程でなされる。具体理論は常にそうした議論の存在を想定している。
その議論がカンファレンスである。B 校と C 校のカンファレンスは,具体理論の適合感に加えて,問題点に対する 改善策の方向性を明らかする議論へ発展していった。
その議論をふまえて關塚は現場教師の立場から次のような改善策を用意している。その一部を以下に紹介しておこ う31)。
A 高等学校においては,(生徒が)いかに部活動以外の学習,進路相談場面で信頼関係を生起する行為を増やし ていくかが課題であると言える。すなわち,いかに教師が部活だけでなく学習においても生徒の状況に合った教科 指導に関する高い専門性を作り上げていけるか,進路についても生徒の状況に合った専門的で受容的な対応をいか に行っていくかが重要になってくる。また,A 高等学校においては,部活での家族的な親密関係が生徒にとって 教師への信頼感,受容的な関係を作り出す大きな契機となっている。このことから B 高等学校,C 高等学校にお いて学習の場面で信頼感が得られなかった場合には,部活の中で家族的な親密関係が作られていけば生徒たちはそ こで癒やされ,学校での居場所を見つけることが出来ると考えられる。
いま,關塚が,例えば A 校で,学習,進路相談場面でも専門性が発揮できるように,この場面を生徒が受容され ていると実感できる,或いは受容感が喚起されるようにコントロールしたとする。ところがこのコントロールだけで は受容性は期待したように生起しないかもしれない。そこで,部活動で見られたように,家族的な親密性が学習,進 路相談場面でも生起されるようにその場をコントロールすると,受容性が喚起され,教師の学習,進路相談に関わる 専門性が発揮され,教師に対する尊敬体験が生徒に刻印される。
もしそのようなコントロールが A 校でので学習,進路相談場面に信頼関係を生起させたとすると,このコントロー ルは具体理論の修正による一般性の拡大を意味する。
3.5 一般性の拡大 実践研究で一般性の拡大はどの程度求められるのだろうか。それはデータに密着したフォー マル理論まで射程に入れる必要があるのだろうか。データに密着したフォーマル理論とは例えば H.Becker の『アウ トサイダーズ』(1963)の逸脱理論である。では本稿で参照している Glaser と Strauss の『死のアウェアネス理論と 看護』(1965)の「認識文脈32)」(awareness context)はどうであろうか。日本を代表する GTA 研究者で本書の訳 者である木下康仁は,本書が「死と死にゆくことについての古典として不動の評価を受けている」と述べている33)。 まず「認識文脈」の説明をしておこう。これについては上掲書の該当箇所34)を引用した方が,如何なる説明より も正確な伝え方になる。
患者が蘇生不能の昏睡状態で病院に運ばれてきて,瀕死と診断されたとき,この患者がその診断を知ることはあ りえない。この患者の状態把握が看護婦と医師で食い違う可能性をもった状態で運ばれてきて,死にかかっている
のか否かはっきりしないときには,当然,患者本人と医療スタッフの判断が鋭く対立したり,スタッフの間でも見 解の相違がみられるだろう。
私たちが「認識文脈」と呼ぶ概念は,相互作用に関与する一人一人が患者の医学的病状判定について何を知って いるか,そして彼が知っていることを他の人々はどこまで知っていると彼自身思っているのか,ということを意味 する。(…)「認識文脈」は患者の病状判定を知りつつ,こうした人々が相互作用を行う文脈をさす。
Glaser と Strauss の「認識文脈」は,1960 年に実施された 11 ヶ月間の予備調査を経て,3年間以上にわたって実 施された調査データ―サンフランシスコ湾岸の幾つかの病院のさまざまな部門におけるさまざまに異なった集団の比 較分析―から生成された。「認識文脈」は,このような様々な集団の比較分析を経ていることによって,死にゆく状 況だけに限定された理論ではなく,社会的相互作用全般にわたって有効であると指摘されている35)。
比較分析については Glaser が別の著書でも提言されているが,そこでは具体理論を他の「諸領域」(areas)のデー タに密着した具体理論との比較分析によって一般性が拡大されると強調されている36)。
3.6 フォーマル理論の可能性 そもそもデータに密着した具体理論の生成には比較が必要である。關塚で見れ ば,それぞれに異なった高等学校3校の比較である。關塚の具体理論の一般性を拡大するためには,さらに,例えば 進学校である B 校とは異なった学校との比較が必要である。すなわち,B 校では補習,進路指導を行う特徴をもっ ているが,同じ市内の伝統校では生徒の自主性,自律性を尊重し,補習,進路指導をほとんど行わない。その比較は,
關塚が認めているように,具体理論生成前のコーディングの段階で実施される必要があった。
この比較分析は,高等学校における生徒と教師の信頼感生起についての具体理論の一般化を拡大することに寄与で きる。実は,この点の理解が大切である。すなわち,実践研究で求められているのは,実践への適応力の拡がりであ り,日常的状況で「起きている事柄」を十分に説明できる一般性である。社会学等のすでに構築されている Grand Theory であるフォーマル理論を深めることが GTA における比較分析の意図ではない。
では,GTA にもとづく研究はデータに密着したフォーマル理論の構築が常に求められるのか。実践研究では繰り 返すが理論の現実への適合性が基本となる。そしてその適合性に信頼を担保するのが一般性である。もちろん,デー タに密着したフォーマル理論の構築は GTA を試みる分析者の心理に常に潜む目標であろう。
關塚の具体理論が一般性を拡大していく上でさらに必要な分析は学校種まで領域を拡げることである。例えば中学 校における生徒と教師の信頼感生起が關塚の具体理論で説明できるかどうか,できなければ何を修正する必要がある のか,という検討が必要である。しかしこの作業は言うほどに易しくはない。研究室で,あるいは研究チームを編成 して,データを収集・分析する体制がなければ無理である。そこで Glaser が提言した,関連する具体理論の比較分 析が有効となる。その分析結果は,具体理論の考察のスペースで言及され,具体理論の一般性の拡大,あるいは具体 理論の一般性の信頼を高めることに寄与できる。
3.7 まとめ Glaser と Strauss は,データに密着したフォーマル理論に「挑もうとする社会学者はまずいない」
と断言しているが37),この指摘は実践研究でもそのまま当てはまる。そのさいに実践研究ではその特性―これは同 時に GTA の特性であり,実践研究では特別に意味を持つものである―にもっと注意が向けられる必要がある。その 特性とは,上掲3.1④の,「この理論の使用者がフィールドをコントロールできる(controllable)ことである」。
教育実践とりわけ授業は「個性的」で「一回的」あるという基本的前提がある。実践研究ではこの実践場面への具 体理論の適合性が求められる。具体理論の適合性は,まさしくその理論が「時とともに変化していく日常生活状況の 構造と展開」に適合できる一般性を有し,その理論を用いた実践者がその状況を「部分的にせよコントロール」でき るかどうかの信頼性に関わっている。これが実践研究の特性である。
実践研究では,したがって,実践場面における適合性と関わっているために,様々な実践場面に適合できる具体理 論の一般性を拡大していくことが必要である。
4 一般化のための具体理論の比較分析
4.1 中学校における具体理論 実践研究で具体理論の比較分析ができるにはその継続した研究が不可欠である。
私の研究室では幸いなことに小・中・高等学校の現職派遣院生が在籍し,GTA による実践研究を行っている。中田 秀樹は,關塚に続いて,中学校の教師 - 生徒間の信頼感生起の具体理論を構築している38)。この理論と關塚の具体理 論の比較分析は可能であろうか。
中田は2種類のデータをとっている。一つは,2007 年2月に実施したインタビュー調査である。被調査者は,中 田が在籍した K 校での実践経験をもとに,授業忌避層,対極層,そして中間層の生徒である。いま一つは,關塚が 用いたアンケート項目を中学生用に改良したアンケート調査で収集した過去経験のデータである。調査は 2008 年 11 月に K 中学校3学年4学級の生徒 113 名に対して実施され(回収率 100%),教師に対して信頼を感じた過去経験が あると答えた生徒は 109 名であった。
中田は,過去経験のデータから,生徒の信頼感は,教師の「受容的な生徒理解」(「教師が生徒の視点に立ち,受容 的な対応で働きかける」)と「授業の指導力」(「毅然とした指導と正当な評価を伴った,わかりやすい授業を行う指 導力」)に対する「肯定的な教師像の形成」(「親近感や明朗さを感じさせる教師のパーソナリティを生徒が肯定的に 感じる」)によって,「自己肯定感の自覚」ができたときに生起する,という具体理論を生成した(「 」はカテゴリー,
( )内の「 」は説明)39)。
この具体理論によると,授業忌避層の生徒は「自己肯定感の自覚」を「自己の行動の変化」と捉え,一方対極層の 生徒はそれを授業や教師に対する前向きのイメージ変化と捉えている40)。興味深い説明である。
次にインタビューのデータから,授業忌避層は授業理解の欲求を充たす「わかりやすい学習指導」と親密な関係が 期待できるような「親密性のある教室」が感得されると,教室での自分の「居場所が保証」されていると理解し,教 師への信頼感が生起する,という具体理論が産出された(「 」はカテゴリー)41)。
対極層の生徒では,「親密性のある教室」が感得され,教師が「毅然とした学習指導」を行うときに(「授業ってちゃ んとやるべきもんやし」「先生には授業はしっかりやってもらわんと思っとる」)信頼感が生起する(「 」はカテゴリー,
( )内の「 」はローデータ)42)。そして中間層の生徒では,「親密性のある教室」で教師の指導に「フレンドリー な教師像」が作り上げられると信頼感が生起する(「 」はカテゴリー)43)。
4.2 具体理論の比較分析 中学生と高校生における教師に対する信頼感の生起には共通の特性が見いだされる。
受容性が信頼関係の軸になっており,同時に時間的な前提条件になっている。図1は,受容性が A 校と授業忌避層 に近づくと,生徒はメタ的に自分の今を認識する傾向をもつ。
A 校では,「家族的な親密関係の中で,真剣で親身な対応や,気持ち,状況を理解する姿勢から信頼感が生起して いるのが特徴である」という關塚の具体理論が想起される。K 中学校では,授業忌避層が「オレらって,授業はさみ しいのよ。」「うるさく言われるとやる気がなくなってまって,教室にいるのがイヤになってまった。」44)というローデー タに見られるように,フレンドリー感に加えて「ちょっとプライベートな話してくれると好きになる」45)プライベー ト感を濃密に感得できる親密性への渇望が,居場所感の保証と自己存在の承認欲求と対になっている。
一方,受容性が B 校と授業忌避層の対極層に近づくと,教師との関係性は専門性に媒介され,それによって教師 に対する肯定的なイメージの体験が信頼感を生起させている。B 校では,すでに見たように,「学習,進路,部活,
とりわけ学習場面におては高い専門性に基づく適切な援助,進路相談場面においては受容的対応が行われ,それによ り信頼感が生起する。」K 中学校では,教師の「毅然とした学習指導」が肯定的なイメージを高め,信頼感を生起さ せている。
4.3 まとめ 高等学校と中学校において,教師に対する生徒の信頼感が生起するカテゴリーの構造と変化には 共通の傾向が認められる。生徒が教師による受容性体験を,自己との関係において感じ取るか(自己の居場所・親密 圏が保証されているか),それとも専門家としての教師との関係で感じ取れるか(教師の専門性に対する尊敬体験)
によって,信頼感の生起に差異が生じるようである。
この比較から,教師に対する生徒の信頼感は,受容性体験を自己又は教師の特性との関係で感じ取ることによって 専門性への尊敬が高まっていく
自己との関係性 居場所の保証
授業忌避層
A校
親密感への渇望が強まっていく
受容性
中間層
C校
教師との関係性 授業の保証
対極層
B校
図1 中学生と高校生における教師に対する信頼感生起の比較
生起する,という示唆が得られる。
もちろんこの示唆は限定的である。中田の具体理論は K 中学校のデータにのみもとづいており,さらにその K 中 学校では,授業忌避層,対極層,中間層ともに「親密性のある教室」であることが共通に認識されている。しかしこ の点が K 中学校の特性かどうかは比較されていない。また高等学校とは異なる。この差異をどのように考えるかも 新たな課題となる。
5 総 括
教育実践が「個性的」で「一回的」あるという基本的前提に立って実践研究を行う方法として GTA は,質的研究 の中でも,方法論が確立している点と特に看護学研究における研究の蓄積46)からみても,有効性が高い。さらに『教 育心理学研究』で掲載された GTA の研究論文もこの有効性を支持している47)。
さて生成された具体理論の一般性は,実践研究において,どの程度まで拡大する必要があるのか,さらに現実にど こまで可能なのか。私はこの課題について,過去に,「実践研究の場合には領域密着理論(具体理論)の生成に留ま るであろう」と曖昧に指摘していた48)。
本稿では,Glaser と Strauss の「死のアウェアネス理論」にもとづき,具体理論の一般性の意義とその拡大の可能 性について,信頼感生起を例に取りながら,概括的に検討した。検討の結果は以下の通りである。第1に,高等学校 における教師に対する生徒の信頼感は,質的研究(GTA)と量的研究ではカテゴリーと因子に共通性が認められる。
第2に,カテゴリー間及び因子間の構造と変化については,GTA が現実との適応力と説明力に適している。第3に,
具体理論の一般性は生成された具体理論の実践場面への適用可能性によって担保され,さらに様々な実践場面での適 用可能性という意味での一般化の拡大については他の具体理論との比較分析が有効であるという示唆を得た。具体理 論の読み手を読む,これは,いまだ曖昧な表現ではあるが,実践研究の一般性を論議するさいの重要な観点となるで あろう。
註
1)日本教育大学協会『教育系大学院の在り方に関する調査報告書』2000 年,6頁。
2)田代高章「シンボリック相互作用としての教育的行為に関する一考察」日本教育方法学会紀要『教育方法学研究』第 20 巻,1994 年を参照。
3)阿部好策「ドイツ教授学のパラダイム転換―授業とコミュニケーションの理論を追って―」日本教育方法学会紀要『教 育方法学研究』第 20 巻,1994 年を参照。
4)助川晃洋「戦後ドイツにおける「教育的関係」の変容―「教育的関係」から「教育的相互関係」へのみちすじ」日本教 育方法学会紀要『教育方法学研究』第 20 巻,1994 年,太田明「ハーバーマスの「言語論的転換」は教育学に何をもた らすか?―予備的考察―」『東京大学教育学部紀要』第 28 巻,1988 年,久保田敏彦「主体−主体」関係の研究(Ⅰ)
―コミュニケーション論における相互主体性を中心として―」『大阪教育大学紀要』第 43 集第1号,1994 年,同(Ⅱ)
第 43 号第2号,1995 年,平野慎二「現代における人間形成と「美的なもの」―〈ポストモダン〉と〈未完の近代〉の 間―」教育哲学会『教育哲学研究』第 76 号,1997 年,西野真由美「ハーバーマスの討議倫理学における道徳的観点の 検討」教育哲学会『教育哲学研究』第 77 号,1998 年を参照。
5)拙稿「学校教育実践学の立場から―教育実践「学」構築論議の観点―」兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科『教 育実践学の構築』の「Ⅱ教育実践学構築の歩み」所収,東京書籍,2006 年。
6)的場正美氏の同上書の図書紹介「2 教育実践学構築の観点と研究方法のモデル」日本教育学会『教育学研究』第 75 巻第1号,2008 年,122 頁。
7)酒井朗も,酒井朗・金田祐子・村瀬公胤「教師のビリーフと教授行為との関連からみた授業の教育臨床学―小・中学校 における理科の授業の比較分析にもとづいて―」『お茶の水女子大学人文科学紀要』第 55 集,168 頁で同じ認識を示し ている。
8)増井三夫「実践研究における Grounded Theory Approach の意義と可能性」日本教育実践学会『教育実践学研究』第 9巻2号。
9)天貝由美子「高校生の自我同一性に及ぼす信頼感の影響」日本教育心理学会『教育心理学研究』第 43 巻,1995 年,
366 頁。
10)天貝由美子「一般高校生と非行少年の信頼感に影響を及ぼす経験要因」日本教育心理学会『教育心理学研究』第 47 巻
第2号,1999 年,230-233 頁。なお,対象者は公立普通高等学校2校と公立職業高等学校1校の生徒1- 3年生(n = 456)である。
11)同上 235 頁。
12)八木恵美「中学生・高校生と教師の信頼感に関する一研究」『佛教大学教育学部教育学会紀要』第2号,2003 年,
305-331 頁。
13)佐竹圭介「教育現場における教師に対する生徒の信頼感の研究」『九州大学心理学研究』第4巻,2003 年,195-201 頁。
14)關塚高史『高等学校教育現場における教師に対する生徒の信頼感の生起に関する研究―具体的な行為状況における生徒 の過去経験の分析を通して―』上越教育大学修士論文,2007 年,24-43 頁。なおデータの収集については,佐竹(2003)
が信頼感を生起した過去経験を収集したアンケート方法を参考とし,上越教育大学学部生1,2年生を対象に予備的調 査を行い,質問項目を精選している。過去経験は自由記述で収集された。調査は A 校では 2006 年7月,B 校,C 校で は9月に実施された。
15)同上 44-59 頁。
16)同上 63-78 頁。
17)同上 86 頁。
18)同上 82 頁より作成。
19)同上 32 頁。
20)同上 84 頁。
21)中野正大・室月誠編『シカゴ学派の社会学』世界思想社,2005 年(第2刷),325-326 頁。
22)同上 321 頁。
23)B. G. Glaser, A. L. Strauss, Awareness of Dying, 1965. 木下康仁訳『死のアウエアネス理論と看護死の認識と終末期ケア』
医学書院,2003 年(9刷),268 頁。
24)關塚前掲修士論文 43 頁。
25)同上 62 頁 26)同上 81 頁。
27)B. G. Glaser, A. L. Strauss(1965)前掲訳書 270 頁。
28)Barney G. Glaser, Basics of Grounded Theory Analysis, Sociology Press, 1992, p. 117 も参照。
29)同上 271 頁。
30)同上 271-272 頁。
31)關塚前掲修士論文 85 頁。
32) awareness の訳語について訳者の解説を示しておく。「認識」と邦語を当てたのは,それが「情報を中心とした意識 的行為であること,他者との相互作用で相手の手のうちを読んだりかけひきしたりという側面のあること,ある程度の 時間の長さを前提にしていること,したがって人間が行動するときの認識,判断といった高度の知的営為を指している。」
(B.G.Glaser, A.L.Strauss(1965)前掲訳書 303 頁。)
33)B. G. Glaser, A. L. Strauss(1965)前掲訳書 301 頁。
34)同上9-10 頁。
35)同上 283 頁。
36)Barney G. Glaser, Advances in the Methodology of Grounded Theory Theoretical Sensitivity, Sociology Press, 1978, p.
144.
37)B. G. Glaser, A. L. Strauss(1965)前掲訳書 287 頁。
38)中田秀樹『授業における教師 - 生徒間の信頼関係生起の意識構造―授業忌避の生徒を事例として―』上越教育大学大学 院修士論文,2008 年。
39)同上 54-55 頁。なお,本稿では,「生徒理解」は「受容的生徒理解」,「教師像の形成」は「肯定的な教師像の形成」と 修正している。
40)同上 55 頁。
41)同上 76 頁。
42)同上 77 頁。
43)同上 78 頁。
44)同上 77 頁。
45)同上 78 頁。
46)最近の研究例として,村井嘉子「救急初療下における心臓・血管系に障害をもつ患者の体験の構造」『日本看護教育学 会誌』Vol. 18, No. 1, 2008 年を参照。
47)水野将樹「青年は信頼できる友人との関係をどのように捉えているのか―グランデッド・セオリー・アプローチによる 仮説モデルの生成―」日本教育心理学会『教育心理学研究』第 52 巻第2号,2004 年。水野は友人関係を扱った先行研 究の問題点の一つを次のように指摘している。「アイデンティティ理論などの既存の理論に基づき,良好な友人関係の 構築が有意義だということを前提としたトップダウン的な研究が多いということがまず挙げられる。これら既存の理論 は繰り返し確認された有効な枠組みである反面,現象を捉える切り口としては固定したものになりやすく,主体として の青年が実際に友人関係をどう捉えているかは明らかにされていない。」(同上 171 頁)
48)増井「実践研究における Grounded Theory Approach の意義と可能性」13 頁。
[付記]
本稿は,W. サイード『パレスチナとは何か』島弘之訳,岩波現代文庫,2007 年(第2刷)の読了とともに脱稿された。
Possibility of Formal Theory in GTA(Grounded Theory Approach)
Mitsuo M
ASUI * ABSTRACT
This research is a part of the development research of suited GTA for practice research. This time, we outline the meaning and the expansion of the generality of the generated substantive theory . The result of the examination is as follows.
First, as for student's reliance on the teacher in the high school, commonality is admitted in the category(in qualitative research)and the factor(in quantitative research). Secondarily, as for the structure and the change between categories and between factors, GTA is suitable for the adaptability and interpretability of the reality. Thirdly, the generality of a substantive theory is mortgaged by the possible application to the practice scene of the generated substantive theory, and, in addition, can obtain a limited suggestion about the expansion of generalization in the meaning of possible application in a variety of practice scenes through the comparison analysis with other substantive theories.
KEY WORDS
Grounded Theory Approach(GTA) Substantive Theory Formal Theory Generating of Theory
* School Education