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利口者と馬鹿と奴隷 ~魯迅・散文詩集『野草』~蔭山達弥

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中国のほんの話(86)

利口者と馬鹿と奴隷 ~魯迅・散文詩集『野草』~

蔭山達弥

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研究者と図書館

 「利口者と馬鹿と奴隷」(聪明人和傻子和奴 才)は魯迅が1925年に創作した散文詩の一篇で あり、散文詩集『野草』(1927年初版)に収め られた。

 奴隷はいつも相手をさがして愚痴をこぼす。

…ある日、かれは利口者に出会った。「先生!」

かれは悲しそうにいった。涙がひとすじにつな がって、目の縁から流れ落ちた。「あなたはご 存知です。わたしの暮らしはまったく人間の生 活ではありません。食べものは一日一度あるか なしで、その一度にしても、高梁の皮ばかりで す。…」「それはまったくお気の毒だ。」利口者 は痛ましげにいった。…

 しかし、何日も経たないうちに、かれはまた 不平が起こり、れいによって相手をさがして愚 痴をこぼした。「先生!」かれは涙を流していっ た。「あなたはご存知です。わたしの住まいは まったく豚小屋よりひどいんです。…「あほん だら!」その男が大声でどなったので、かれは びっくりした。その男は馬鹿であった。…

 馬鹿は奴隷といっしょにかれの小屋まで行く と、さっそくその土壁をこわしにかかった。「先 生!なんてことをするんです?」かれは仰天し ていった。「おれは窓をあけてやってるんだ。」

「そりゃいけません!主人に叱られます!」「か まわん!」かれはこわしつづけた。…(片山智 行訳、『魯迅「野草」全釈』、平凡社東洋文庫 541所収)

 「利口者と馬鹿と奴隷」は三種類の人間が登 場し、それぞれが現実社会の人間の典型を示し ている。利口者は奴隷が愚痴をこぼすと、「そ れはまったくお気の毒だ。」と少なくとも表面 上は親身になって同情する。利口者に同情され、

慰めてもらった奴隷は気分がよくなるのであ る。世の中の人間の大半はこの利口者に属する。

しかし利口者は口先だけで慰めるだけで、奴隷 のために何かしてやるわけではない。奴隷が馬 鹿を追っ払って、主人に褒められた時、利口者 は自分までうれしいといった様子で、「そうだ とも」と奴隷を賞賛するのだ。利口者は偽善者 にすぎず、支配者側に手を貸しているのだ。

 世の中では、真実を述べると角が立ち、適当 に「ははは…」とごまかしていると、平穏に毎 日を過ごしていくことができる。魯迅は執筆当 時、中国社会にしっかりと根を下ろして、人び との間に深く浸透していた病根、すなわち利口 者のような日和見的処世哲学の克服をくりかえ し指摘した。

 利口者と正反対の立場にいるのが馬鹿であ る。奴隷が自分の家に窓がないと愚痴をこぼす と馬鹿はただちに奴隷の家に行って、家の土壁 をこわしにかかる。馬鹿は好き嫌いがはっきり していて、悪人や悪事を敵のように憎む。馬鹿 は不屈の闘争精神を持った、反抗者の姿である。

実際に行動する馬鹿がいない限り、世の中は変 わらない。魯迅は馬鹿を積極的に支持している。

当時、批判を覚悟の上で、民族のために度々発 言していた魯迅自身も馬鹿の一人なのだから。

 奴隷は苦難に耐え、抑圧され、搾取されても、

少しも自覚がない労働者の姿である。奴隷は主 人からきつく搾取され、豚や犬同様の悲惨な生 活を送っている。しかし、奴隷は全身に奴隷根 性が染みついており、反抗精神もない。苦しみ を受け、感覚を失っても、愚かに搾取者、圧迫 者に忠実であろうとする。

 過日、実施された参議院選挙では、投票年齢 が18歳に引き下げられたにもかかわらず、投票 率は戦後二番目の低さであり、特に若者の投票 率の低さが目立っている。10月から実施予定の 消費税率引き上げに反対だし、先行きの見えな い将来に不安を抱えているにもかかわらず、現 状を消極的に容認してしまった私たち一人一人 は、利口者或いは奴隷のいずれかであり、少な くとも馬鹿ではないことだけは確かである。

 かげやま たつや(非常勤講師・中国文学)

中国のほんの話 8 6

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