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104 「本の中と本の外の世界」

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Academic year: 2021

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 横浜から京都に来て大学に通い始めた頃、自 分が周りの学生に比べて本を読んでいないこと に気付いた。そう、私は読書が好きでもないのに、

文学部に入ってしまったのである。

 周りにいたのは、現実の世界より本の中の世 界を愛しているような人間ばかりであった。私 は心の奥で、彼らを少し軽蔑していた。大学の 最初の二年間、読書も勉強もほとんどせず、サッ カーや楽器の演奏に明け暮れた。私の居場所は 図書館でなく、鴨川の岸辺であった(学生諸君 は決して真似をしないように!)。

 大学三年生になると、新たなことに挑戦しよ うとフランスに留学した。普段の生活では、一 人で過ごす時間が多くなった。せっかくだから と、書店でサルトルとカミュを買った。日本語 で読書をしないくせに、フランス語で難解な作 品を読もうとしたのだ!当然、この挑戦の結果 は散々なものであった。

 だがフランスでも、図書館に通うことはなかっ た。私は、コーヒーと覚えたての煙草と共に、

家で一人、本と対面することを好んだ。帰国時、

家を引き渡す際に、オーナーから一言。だいぶ 煙草のにおいが染みついていますから、カー ペットと壁紙の交換の費用をあとで請求します ね……。

 帰国後、大学の専門課程が始まった。私が選 んだのは、イタリア語イタリア文学専修である。

授業では、ダンテ、ベンボ、タッソ、ガリレオ・

ガリレイ、ウンベルト・エーコを読んだ。だが、

生活の大半を読書に費やすようになってからも、

図書館に行く機会はあまりなかった。私の居場 所は、エスプレッソメーカーが完備されたイタ リア文学研究室であった。

 大学四年生になると、私は卒業論文のための 研究を開始した。研究対象となった人物の名前 はベネデット・クローチェ。十九世紀末から

二十世紀中葉まで活躍したイタリアの大哲学者 である。研究を行うとなると、さすがに図書館 に通う必要が出てきた。クローチェの著書を調 査するため、文学部図書館の書庫に入る。する と大変驚いた。棚一つまるごとクローチェの本 ばかりだったのだ!

 私はそこで、あることに気付いた。図書館には、

まだ誰も読んだことがない本がたくさん眠って いるのだ!私が手にしたクローチェの作品の多 くは、袋綴じが未開封のままであった。つまり 私は、それらの本の最初の読者だったのである

(ひょっとすると最後の読者になるかもしれない

……)。何十年も前から図書館に眠っていた作品 の最初の読者になるというのは、とても刺激的 な出来事であった。

 その一方で、図書館の蔵書を通じて過去の読 者との刺激的な出会いが生じることもあった。

ふと手に取ったクローチェの関連本の最初の ページをめくると、そこに直筆の献辞があった。

「親愛なるジュンイチへ。エウジェニオ・ガレン より」。二十世紀後半のイタリアを代表する大哲 学者ガレンが、京都大学イタリア文学専修の教 授清水純一に献呈した本だったのである。

 最近も、新たな出会いがあった。あるクロー チェ作品のドイツ語訳が、同じ図書館の田辺文 庫にあった。田辺文庫とは、京都学派の哲人、

田辺元の蔵書が収められた棚のことである。と どのつまり、田辺元はクローチェを読んでいた のだ!その本に見られる無数の下線やドイツ語 のメモ……まるで田辺元の読書を追体験してい るようであった。

 本の世界は、本の中のみにあらず。図書館が、

本の中の世界と本の外の世界をつないでいるの だ。

くにし こうすけ(専任講師 西洋思想、西洋文学)

学生時代と図書館 104

「本の中と本の外の世界」

國司航佑

4

研究者と図書館

参照

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