~ それぞれの年代において輝いた昭和歌謡界の三人娘 ~
世代別
三 人 娘 の 聴 き 比 べ
第65回 音を楽しむ会 第一部 Web バージョン
それでは第一部の「世代別・三人娘の聴き比べ」を始めさせていただきます。
何とか三人娘とは、主に若手の同世代の女性歌手3人の総称、もしくはその3人によるユニット 活動です。 が、
当初からグループ活動を意図して結成されたものではなく、後から所属芸能事務所・レコード 会社・マスコミなどにより付けられた「三人をグループ的に扱うためのキャッチコピー」として の意味合いが強いモノです。
歌手以外では、初代三人娘、NHK三人娘、七光り三人娘、日活三人娘、、フジの三人娘、ガーナ3 人娘、最近ではUQモバイル3人娘があるかと思います。
002 花房 勤
はじめに
この作品は、第65回 音を楽しむ会 第一部で発表した資料を基 にWebサイトの掲示板にて視聴できるように再編集(動画のURLを 提示)したものです。
動画
*を視聴するには、赤字で表示した URL をクリックすると インターネット上の該当する動画に接続されますので、所望する動 作モードでお楽しみください。
尚、曲目は黄色で表示したものです。
注意! CMの注文表示などは無視(スキップ)してください。
*動画は、必ずしも例会当日と同一ではありませんので、予めお含みおきください。
世代別 三人の歌手とは・・・
三人娘
1955年~美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ
スパーク三人娘
1960年代中頃~中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり
新三人娘
1971年小柳ルミ子・南沙織・天地真理
花の中三トリオ
1973年森昌子、桜田淳子、山口百恵
今回選んだ四組のキャッチコピーと各三人の歌手は、ここに示している通り「三人娘」「スパーク三人 娘」「新三人娘」「花の中三トリオ」です。
今回、選んだ以外では、「東芝三人娘」、「フレッシュ3人娘」がありますが、割愛させていただきました。
又、私の好きな「島倉千代子」や「ちあきなおみ」、「弘田三枝子」、「相良直美」そして「倍賞千恵子」な どは出てきませんが、また機会があるときにでも聞きたいと思っています。
「花の中三トリオ」 から
「元祖三人娘」 へと遡りながら・・・
ネーミング的には、古い順番に発表する方が通りがよいのですが、
今回は、若い方の「花の中三トリオ」から「元祖三人娘」へとさかのぼって聞いてゆきたいと思います。
花の中三トリオ
山口百恵
1959年1月17日 – 東京都渋谷区 出身
(横浜・横須賀市)
森 昌子
1958年10月13日 – 栃木県宇都宮市出身
桜田淳子
1958年4月14日 – 秋田県秋田市出身
オーディション番組「スター誕生!」(日テレ系)から歌謡界にデビューした同世代
4
:
14 https://www.youtube.com/watch?v=9B68iyetMwU初恋時代 青春時代
最初は1972,3年にかけて、オーディション番組「スター誕生!」(日テレ系)から歌謡界にデビューした同世 代の「花の中三トリオ」です。 山口百恵、森 昌子、桜田淳子の三人です。
山口百恵は、1959年1月生まれ、東京都出身、
森 昌子は、1958年10月生まれ、栃木県出身 桜田淳子は、1958年4月生まれ、秋田県出身 で、同学年ですね・・・。
それぞれの歌を聴く前に、高校生になった三人が同じステージでメドレーで歌っているのを見てみま しょう。
森 昌子
1972(S47)年
せんせい 作詞:阿久 悠 作曲:遠藤 実 で 歌手デビュー
《主なヒット・ソング》 *NHK紅白歌合戦には1973年から連続13回出場。
1973(S48)年 中学三年生 阿久 悠 遠藤 実 第24回NHK紅白歌合戦に出演(当時女性最年少の15歳)
1974(S49)年 おかあさん 神坂 薫 遠藤 実 翌年3月、春の選抜高校野球甲子園大会の入場行進曲
1981(S56)年 哀しみ本線日本海 荒木とよひさ 浜 圭介
1983(S58)年
越冬つばめ
石原信一 篠原義彦 *第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞5
:
25 https://www.youtube.com/watch?v=bTUuzOu5iiwトップバッターは、森昌子です。彼女は、1971(S46)年10月開始の日本テレビ『スター誕生!』に13歳で出場 して、初代グランドチャンピオンになりました。
美空ひばりに大変可愛がられていたようです。ひばりがテレビ局に共演を持ちかけ、彼女を楽屋に呼ん だことが最初の対面であり、そのときひばりの歌を歌って気に入られ、自宅に招かれて、直接歌を習っ たりすることもたびたびあったとのことです。又、南沙織、あべ静江、小柳ルミ子の歌マネは絶品で当 時売れてる本職のモノマネ芸人よりも完成度が高く、声だけ聴いていたら当人と聴き分けが困難なほ ど上手い物真似で、清水ミチコやコロッケも脱帽したとのこと。
デビュー曲の「せんせい」も聞いてみたいのですが、 今回は、第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受 賞の「越冬つばめ」を聴いてみましょう。
桜田淳子
1973(S48)年
天使も夢みる 作詞:阿久悠 作曲:中村泰士 で デビュー
《主なデビュー当初のヒット・ソング》
1973年
「わたしの青い鳥」
阿久悠 中村泰士 *第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞1973年 「花物語」 阿久悠 中村泰士
1974年 「三色すみれ」 阿久悠 森田公一
1974年 「はじめての出来事」 阿久悠 森田公一
1983年小椋佳作曲のシングル「眉月夜」を最後に歌手活動を停止、
完全に女優業へ転向した。その後は数多くのテレビドラマ、舞台、
映画で活躍、芸術選奨新人賞(大衆芸能部門 文部大臣新人賞)
や菊田一夫演劇賞(演劇賞)を始め数多くの賞を受賞。
0
:
51 https://www.youtube.com/watch?v=h57fi2FODLM続いては、桜田淳子です。
彼女は、この花の中三トリオの中で唯一の大学卒(聖トマス大)ですね。
1973年に「天使も夢見る」で歌手デビューしましたが、3枚目のシングル、「私の青い鳥」のヒットで第15 回日本レコード大賞の最優秀新人賞に輝いています。
彼女は、歌手よりも女優としての方が実績を残しており、舞台女優にも挑戦し、1980年のミュージカル
「アニーよ銃をとれ」で大きく開花し、その年の芸術祭大衆芸能部門で優秀賞を当時史上最年少で受賞 しています。
それでは、レコード大賞の最優秀新人賞を受賞受賞した時に唄った「私の青い鳥」を聴いてみましょう。
山口百恵
1973年4月、映画 『
としごろ 』 に出演し、5月に同名の曲で歌手としてもデビュー
夫は俳優の三浦友和(1980年11月19日結婚)。
長男はシンガーソングライター・俳優・歌手の三浦 祐太朗。次男は俳優の三浦貴大。
第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジ。そして、
1974年の「ひと夏の経験(作詞:千家和也 作曲: 都倉俊一)」の大ヒットで大きく花咲く 1976年 横須賀ストーリー 阿木燿子 宇崎竜童
1977年 秋桜 さだまさし
1978年 プレイバックPart2 阿木燿子 宇崎竜童
いい日旅立ち
谷村新司 など4
:
18 https://www.youtube.com/watch?v=nAxI6Y201m8山口百恵は、1972年12月オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝。
同番組で、審査員の阿久悠から「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」と 言われていたそうです。が、ご存じのように歌手としても俳優としても大変活躍しています。
1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』で紅組トリを務ています。白組の沢田研二と共にポップス歌手のトリ は番組初のことで、10代の歌手が紅白のトリとなったのも彼女が初で、未だに最年少記録は破られてい ません。1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートでの最後の歌唱曲となった
「さよならの向う側」では、堪えきれずに涙の絶唱となりました。歌唱終了後、ファンに深々と一礼をし、
マイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩みながら去ったシーンは記憶に残っている のではと思います。 それでは、1978年の24枚目のシングル「いい日旅立ち」を聴いてみましょう。
新 三 人 娘
小柳ルミ子
1952年7月2日 – 福岡県福岡市 出身
南 沙織
1954年7月2日 –
沖縄県嘉手納町 出身
天地真理
1951年11月5日 – 埼玉県大宮市 出身
1971年の同時期にレコード・デビューをした女性アイドル歌手
10
:
24 https://www.youtube.com/watch?v=0tJ-iWF9PBoロッテ歌のアルバム
虹を渡って 瀬戸の花嫁 純潔
17才 水色の恋
わたしの城下町 恋のしずく 何も言わないで 可愛いベイビ スパーク三人娘の歌
次は、新三人娘です。
1955年の三人娘に対して1971年の同時期にデビューしたアイドル歌手、
天地真理 ・ 小柳ルミ子 ・ 南 沙織 の三人を指して新三人娘と称しています。
それでは先ず、それぞれの持ち歌に曲づつと、
スパーク三人娘の持ち歌をメドレーで歌っている映像を見てみましょう。
新三人娘の各歌手の歌を聴く前に
同世代における男性歌手の三人組
「新御三家」は ?
新・御三家 西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎
郷ひろみ(1955年10月18日~)
「男の子女の子」でデビュー
(1972年8月1日発売)
《フォーリーブスの弟》
「GOLDFINGER ‘99」など
西城秀樹 (1955年4月13日~
2018年5月16日)
「恋する季節」でデビュー
(1972年3月25日発売)
《ワイルドな17歳》
「傷だらけのローラ」など
野口五郎(1956年2月23日~ )
「博多みれん」でデビュー
(1971年5月1日発売)
《かわいらしい演歌ホープ》
「私鉄沿線」はど
新御三家は、男性歌手の呼称で1970年代にトップ男性アイドル歌手として人気を得て活躍した、
西城秀樹 ・ 郷ひろみ ・ 野口五郎 の3人(ビッグスリー)を指す総称です。
それ以前に、橋幸夫 ・ 舟木一夫 ・ 西郷輝彦 が 『御三家』 と呼ばれていたことに倣った名称です。
彼らは同学年で、デビューも1971年から1972とほぼ同時期のライバル同士でした。
私は、三人とも、特に好みの歌手ではないのですが、記憶に残っているのは、西城秀樹です。
会社の文化行事の折に開催されていた、よみうりランドでのステージで、アイドル歌手からの脱皮を図る 狙いがあったのでしょうか、ヒットした持ち歌は一曲も歌わず、これから歌っていこうとしている、なじみ のない歌で通したことです。会場はなんだか白けた雰囲気でした。
彼は残念ながら一昨年、63才の若さで亡くなりました。
天地真理
1971年10月1日
水色の恋 作詞:田上えり 作曲:田上みどり で デビュー
《 1970年代前半のヒット・ソング 》
「ちいさな恋」 安井かずみ 浜口庫之助
「ひとりじゃないの」 小谷夏 森田公一
「虹をわたって」 山上路夫 森田公一
「若葉のささやき」 山上路夫 森田公一
「恋する夏の日」 山上路夫 森田公一
「虹をわたって」は、1973年3月、
春の選抜高校野球甲子園大会の入場行進曲
3
:
02 https://www.youtube.com/watch?v=4u_HTL0AgoIさて、 新三人娘の トップバッター は、天地真理です。
彼女は、1971年秋、TBS系テレビドラマ『時間ですよ』の レギュラー役オーディションを受けて、最終審査 には落選したものの、女優・森光子の提案により「隣のマリちゃん」役で出演しました。劇中でも歌ってい ましたが、程なく「水色の恋」でレコード・デビューを果たしました。 彼女は、1970年代前半に天真爛漫な 笑顔で国民的アイドルとなって、後に続くアイドル歌手の基本スタイルを確立した歌手だったようです。
1973年、第45回選抜高等学校野球大会の入場行進曲に「虹をわたって」が使われました。ちなみにこの 時の優勝校は永川-沢木のバッテリだった「横浜」で、準優勝校は、畑-達川の「広島商」でした。
余談ですが、彼女は、中学生のころに、今私が住んでいる神奈川県座間市に住んでいたとか・・・。
それでは、彼女のデビュー曲「水色の恋」を聴いてみましょう。
南 沙織
1971年6月1日
17才 作詞:有馬三恵子 作曲:筒美京平 でデビュー
《 1970年代前半のヒット・ソング 》
「潮風のメロディ」
「純潔」
「哀愁のページ」
「傷つく世代」
「色づく街」
*作詞作曲はすべて同じ人
南国風ではっきりとした顔立ちとその存在感については、後に南の 夫となる写真家の篠山紀信が「彼女の登場は、返還が目前とされ た沖縄のイメージ・アップの為の国策歌手かと思ったほど印象が良 かった」と感想。
1
:
41 https://www.youtube.com/watch?v=AQnx_FM9pz0二番目は、南沙織です。
彼女は1971年春に、まだパスポートが必要とされていた本土復帰前の沖縄から初上京して6月に「17 才」でデビューしています。 そして、同世代層の聴衆が感情移入できるタイプの楽曲を、最初に歌った アイドル歌手だと云われることがありました。
また、南国風で、はっきりとした顔立ちとその存在感は、後に彼女の夫となる写真家の篠山紀信が、
「彼女の登場は、返還が目前とされた沖縄のイメージ・アップの為の国策歌手か、と思ったほど印象が良 かった」 と、感想を述べていたそうです。
それでは、数々のヒット曲の中から、有馬美恵子作詞、筒美京平作曲の9枚目のシングル、
1973年8月21日発売の「色づく街」を聴いてみましょう。
小柳ルミ子
1971年4月25日
わたしの城下町 作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 でデビュー
《 1970年代前半のヒット・ソング 》
「お祭りの夜」 安井かずみ 平尾昌晃
「瀬戸の花嫁」 山上路夫 平尾昌晃
「京のにわか雨」
なかにし礼 平尾昌晃「漁火恋唄」 山上路夫 平尾昌晃
「冬の駅」 なかにし礼 加瀬邦彦
3
:
29デビューの1971年から1988年まで、NHK紅白歌合戦 に18年連続出場。女優としても活躍し、1983年に日本 アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。また、アルゼ ンチン代表メッシに魅了されて以来、筋金入りのサッ カーファンである。
https://www.youtube.com/watch?v=k_cg04nVBPg
小柳ルミ子は、1970年春に宝塚音楽学校を首席で卒業後、NHKの連続テレビ小説『虹』で女優デビュー。
翌年4月に3人の先陣を切り、「わたしの城下町」でレコード・デビューをしています。
1972年4月に発売された「瀬戸の花嫁」は、JR四国、特に香川県の多くの駅の発車を知らせるメロディと して使われています。また、結婚披露宴のお祝いの言葉の後、花嫁側のグループがよくこの歌を歌って いました。 その後はアイドルというジャンルを卒業。
1970年代後半~1980年代前半に入って、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として「冬の駅」「逢い たくて北国へ」「お久しぶりね」など、数々のヒット曲を飛ばしました。
更に女優としても活躍し、1983年に『白蛇抄』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しています。
それでは1972年リリース、なかにし礼;作詞、平尾昌晃;作曲の 「京のにわか雨」を聴いてみましょう。
スパーク3人娘
園まり
1944年4月12日 – 神奈川県横浜市 出身
中尾ミエ
1946年6月6日 – 福岡県小倉市 出身
伊東ゆかり
1947年4月6日 – 東京都品川区 出身
ワン・ボーイ ネイビー・ブルー 恋の片道キップ デイ・トリッパー
3
:
06 https://www.youtube.com/watch?v=4vTCM6anEVYスパーク3人娘は、
当時渡辺プロダクションに所属していた中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりの3人の総称で、
1960年代中頃に名付けられたものです。
先ず、三人がメドレーで、当時はやっていたポップス曲を歌うステージをご覧ください。
スパーク三人娘の各歌手の歌を聴く前に
同世代における男性歌手の三人組
「御三家」は ?
昭和歌謡の 元祖「御三家」 橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦
昭和歌謡の元祖『御三家』とは、当時の雑誌が作ったキャッチコピー。三者三葉に迷惑たったかもしれないが、
お互い刺激しあっての良い関係か(永遠のライバル)。三人寄った時は、西郷輝彦が最年少で「はいはい」と気 楽に従属する振りしていた様子。
橋 幸夫
(1943年 5月 3日~)東京都荒川区出身
1960年「潮来笠」でデビュー
「いつでも夢を」「霧氷」「恋をするなら」
「子連れ狼」など
舟木一夫
(1944年12月12日~)愛知県一宮市出身
1963年「高校三年生」でデビュー
「銭形平次」「絶唱」「夕笛」「初恋」など
西郷輝彦
(1947年 2月 5日~ ) 鹿児島県鹿児島市出身1964年「君だけを」でデビュー
「真夏のあらし」「情熱」、「略奪」、
「愛したいなら今」など
歌手
舟 俳優 木 一 夫
西 郷 輝 彦 橋
幸 夫
ご三方とも歌手・俳優を生業としていますが、橋 幸夫は歌手+α、舟木一夫は両方、西郷輝彦は俳優業 の印象ではないかと思っています。
ちなみに、家内がデビュー当時ファンだったこともあって、舟木一夫は映画もコンサートもよく行きました。
中尾ミエ
1962年4月(16歳)リリースした
『可愛いベイビー』 が大ヒット
*コニー・フランシスのカバー曲
バイ・バイ・バーディー(アン・マーグレット)、アイドルを探せ (シルヴィ・ヴァルタン)、夢みるシャンソン 人形 (フランス・ギャル) など、ポップス系のカバー曲が多く、オリジナルのヒット曲には恵まれなかっ たようである。
2
:
30 https://www.youtube.com/watch?v=7aAKRP8xx98中尾ミエは、1961年渡辺プロと契約、スパーク3人娘として結成。
ザ・ピーナッツの後継として期待され、クレージーキャッツ主演の 『シャボン玉ホリデー』 などに出演し、
一時代を築き、確かな歌唱力で、人気を博し、アメリカンポップス系を得意とした歌手です。
1962年4月、16才でリリースした『可愛いベイビー』が大ヒットして一躍スターの座につきました。 が、
ポップス系のカバー曲が多く、オリジナルのヒット曲には恵まれなかったようです。
しかし、彼女は堅実な人生を歩んでいるようで、20歳の若さで都内に一軒家を購入して両親へプレゼン トしました。その後、両親の家の隣へ、彼女の自宅を建てて、現在もその場所で生活しています。後に、自 宅の隣には自己所有のアパートを建てて、経営している大家でもあります。
それでは、コニー・フランシスのカバー曲 「可愛いベイビー」 を聴いてみましょう。
伊東ゆかり
1967年
“小指の想い出” 爆発的ヒット 日本レコード大賞・歌唱賞受賞
11歳のとき(1958年6月)「かたみの十字 架/クワイ河マーチ(映画『戦場にかける 橋』テーマソング」)でキングレコードより 本格デビュー。
1968年 “恋のしずく”“朝の口づけ” “知らなかったの”
1969年 NHK紅白歌合戦・赤組司会を担当
2003年 第45回日本レコード大賞功労賞を受賞
2005年 1月 中尾ミエ、園まりと40年ぶりに “3人娘”を再結成 12月 第49回 日本レコード大賞 企画賞」を受賞
2
:
31 https://www.youtube.com/watch?v=klafInH5Tbw伊東ゆかりは、11才の時にキングレコードから本格的にデビューしていて、1960年代から1970年代に掛け て一世を風靡した和製ポップス歌手の一人。 現在も現役歌手として音楽番組への出演やコンサート活 動のほか、女優としても活躍中です。
1967(S42)年、作詞:有馬三恵子、作曲:鈴木淳の「小指の思い出」は爆発的な大ヒットとなり、同年の第9 回日本レコード大賞」歌唱賞を受賞しました。
その後も立て続けに、「恋のしずく」「朝のくちづけ」「知らなかったの」とヒット曲を飛ばしています。
1969年には、22歳で第20回NHK紅白歌合戦・赤組司会を担当しています。
彼女は、声質もいい歌のうまい歌手だと思っています。
それでは、爆発的ヒットを飛ばした「小指の思い出」を聴いてみましょう
園まり
1961年4月渡辺プロ入社。洋楽の日本語カバー「マッシュ・ポテト・タイム」「太陽はひとりぼっち」
「女王蜂」「花はどこへ行った」がヒットした。
囁くように語りかける独特の歌唱で
1966年1月5日
「逢いたくて逢いたくて」
1966年6月5日 「何も云わないで」
1966年9月5日 「夢は夜ひらく」
などミリオンセールスを記録
*マルベル堂・ブロマイド・女性歌手売り上げでは2年 連続1位。その後ドラマ・CM・バラエティ・舞台とマル チタレントぶりを発揮。
93年に匿名で歌ったハウス食品「六甲のおいしい水」
のCM曲が話題になった。
2
:
25 https://www.youtube.com/watch?v=XZakAGOvMNw園 まり。私と同学年、同い年です。
彼女は、元々はクラシックの歌手を目指していましたが、1960年11月にNET『あなたをスターに』で優勝し て、翌年の1961年4月には渡辺プロダクションに入社しています。 当初は、洋楽の日本語カバー曲の
「マッシュ・ポテト・タイム」「太陽はひとりぼっち」「女王蜂」「花はどこへ行った」等がヒットしていました が、1964年「何も云わないで」が、NHK “ きょうのうた ” で放送され、歌謡曲の初ヒットとなりました。
その後、「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何んでもないわ」「愛は惜しみなく」 等のヒットを 記録。彼女の囁くように語りかける独特の『園まり節』と呼ばれる歌唱法でヒットを飛ばしました。
NHKの紅白歌合戦には1963年から6年連続出場。
それでは、「逢いたくて逢いたくて」園まり節をお聞きください。
三人娘(ジャンケン娘)
美空ひばり
1937(S12)年5月29日 –
1989(H元)年6月24日
江利チエミ
1937(S12)年1月11日 –
1982(S57)年2月13日
雪村いずみ
1937(S12)年3月20日 –
3人とも1937年生まれ
4
:
16 https://www.youtube.com/watch?v=xvZA_nPoMU8青いカナリア テネシーワルツ リンゴ追分
最後の三人娘は、元祖となったジャンケン娘です。
「元祖三人娘」と呼ばれるようになったのは、その後 今までご紹介したようにいくつもの「三人娘」が 登場したために 「初代三人娘」 「元祖三人娘」 などの通称が生まれたようです。
「ジャンケン娘」は、三人が初めて共演した映画の表題から呼ばれたようです。
江利チエミ、雪村いずみ、美空ひばり と三人とも1937年生まれですが、学年では、美空ひばりが 1 年 年下ですね。 存命ならまだ83才なのですが、江利は45才、ひばりは、52才と若くしてなくなりました。
雪村いずみは、少なくとも80歳ころまでは歌っているようです。
それでは先ず、雪村、江利と美空のそれぞれの持ち歌「青いカナリア」「テネシーワルツ」及び「リンゴ 追分」を歌っている映像ご覧ください。
三人娘の各歌手の歌を聴く前に
同時代に活躍していた男性歌手の三人組
「華の三人衆」は ?
華の三人衆 三橋美智也 春日八郎 村田英雄
共に同年代で同時期に活躍し、昭和の歌謡界をリードした男三人衆。ライバルとして、友として切磋琢磨。
晩年の1988年には静岡県の熱海にて「三人の会」を結成、低迷した演歌の活性化に力を注いでいた。
三橋美智也
(1930年11月10日~1996年1月 8日 )
北海道北斗市出身
「酒の苦さよ〜新相馬節〜」で
デビュー (1954年)
「おんな船頭唄」「あの娘が泣いてる波止 場」「リンゴ村から」「哀愁列車」「母恋吹 雪」「おさらば東京」「夕焼けとんび」「古 城」「達者でナ」「星屑の町」など。
春日八郎
(1924年10月 9日~1991年10月22日)
福島県河沼郡会津坂下町出身
「赤いランプの終列車」が大ヒット
(1952年)
「お富さん」「別れの一本杉」「あん時ゃど しゃ降り」等、デビュー後に吹き込んだ楽 曲は通算千数百曲、レコードの総売上は 7000万枚を超す。
村田英雄
(1929年1月17日~2002年6月13日)
福岡県うきは市出身
「無法松の一生」でデビュー
(1958年11月発売)
「王将」がミリオンセラー
(1961年11月発売)
「皆の衆」「人生劇場」「人生峠」「夫婦酒」
「夫婦春秋」など。
元祖・三人娘に対して「華の三人衆」と呼ばれていた男性歌手三人が、三橋美智也、春日八郎、村田英雄。
私は、小学生の頃ですが、ラジオ放送で三橋美智也の「哀愁列車」「古城」などよく聞いていました。 が、
姉が結婚した相手;義理の兄が春日八郎の「お富さん」を歌いながら家の周りの塀を黒く塗っていた時から 次第に春日八郎の歌を聴くようになりました。特に「赤いランプの終列車」は、義理の兄が、国鉄で機関士 をしていたこともあって好きでした。村田英雄は、王将が大ヒットしましたが、むしろトンチンカンな言動や 行動をネタにするギャグの方で人気があったようです。
雪村いづみ
1953(S28)年4月『想い出のワルツ』でデビュー *20万枚の大ヒットを記録
1953年 『はるかなる山の呼び声』
1954年 『青いカナリヤ』
1954年 『オウ・マイ・パパ』
1955年 『マンボ・イタリアノ』
1955年 『チャチャチャは素晴らしい』
1971年
『涙』
歌手、女優の他画家でもあり1982年(昭和57年)以来、
二科展には連続18回入選する腕前を持つ 一般社団法人日本歌手協会相談役も
1998(H10)年に紫綬褒章
2004年にはレコード大賞「功労賞」を受賞 2007(H19)年には旭日小綬章を受章
3
:
54 https://www.youtube.com/watch?v=e4ieYwaEDc8雪村いずみは、歌手であり、女優でもあり、画家でもあるのですね。二科展には、1982(S57)年から連続 18回入選しているとのことです。
彼女の歌は、私が小学生のころに、『はるかなる山の呼び声』『青いカナリヤ』『オウ・マイ・パパ』『マンボ・
イタリアノ』『チャチャチャは素晴らしい』など、あこがれのアメリカ、明るい軽快な歌で、戦後の日本に復 興の兆しが見えてきていた時代にマッチしていたのでしょうか。
今日は、そのころの歌ではなくて、私もこの発表の機会にネット情報で知った「涙」という曲を聴いてみ たいと思います。
この曲は、合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル(日本歌謡祭)'70でグランプリと第1回東京国際歌謡音 楽祭(世界歌謡祭)で歌唱グランプリを受賞しています。
江利チエミ
NHK紅白歌合戦には、1953年(昭和28年)/第4回~1968年(昭和43年)/第19回まで連続16回出場。
1952(S27)年1月23日
テネシーワルツ でレコードデビュー(15歳)
《シングル盤100曲の一部》
ウスクダラ (1954年8月)
黒田節 (1959年3月)
新妻に捧げる歌
(1964年3月)酒場にて (1974年9月) などなど
シングル曲の伴奏は、原信夫とシャープス・アンド・
フラッツ、見砂直照と東京キューバン・ボーイズなど が担当。特にシャープス・アンド・フラッツは、チエミ のコンサートでの伴奏を1960年代前半まで一手に担 当し、リーダーの原信夫とも、終始親交が深かった。
3
:
45 https://www.youtube.com/watch?v=-jEP5xoFUb8江利 チエミは、この三人娘の中では一番好きな歌手です。
雪村いずみは小さい頃、美空ひばりはずうっと通して万遍なく、江利チエミは小さいころから亡くなる までといったところです。TVドラマの「サザエさん」もよく見ていました。
私が、江利チエミを好みなのは、高校生の時にブレンダ・リーのレコードを持って山陽放送に行って「家 にプレーヤが無いので、ここで聞かせてください」といって、スタジオで聞かせてもらった折に、担当の 方が、「日本の歌手では、江利チエミに似たちょっとハスキーな声の歌手ですね」と言ってくれたこと が心に残っていたのかもしれません。
それでは、64年にリリースした「新妻に捧げる歌」を聴いてみましょう。
美空ひばり
1964年 柔 - 190万枚 ※第7回日本レコード大賞受賞曲
1989年
川の流れのように
- 150万枚※第31回日本レコード大賞 特別栄誉歌手賞受賞曲 1966年 悲しい酒 - 145万枚
昭和の歌謡界を代表する歌手であり、
女性として史上初の国民栄誉賞を受 賞した。
歌う映像 4:57
https://www.youtube.com/watch?v=yn4TOmyVs_E https://www.youtube.com/watch?v=6LcYFDpP3Vw
風景と歌詞 5:12
さて、最後の歌手は、12歳でデビューして 「天才少女歌手」 と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで 活躍し自他共に「歌謡界の女王」と認める存在、昭和の歌謡界を代表する歌手:美空ひばりです。
私は、’49の「悲しき口笛」や‘50の「東京キッド」もラジオ放送で聞いた記憶がありますが、心に残ってい るのは「笛にうかれて 逆立ちすれば 山が見えます ふるさとの・・・」歌う’51の「越後獅子」です。当 時よく、悪いことをすると、『角兵獅子に売り飛ばすぞ!』と親から怒られていたからかもしれません。
美空ひばりは、映画やTVではよく見ていたが、ライブは見たことが無く、一度は生のステージを観に行 こう、と思っていたのですが、かないませんでした。
それでは、最後の曲になります
1989年1月発売の 「川の流れのように」 彼女が生前、最後に歌い上げた歌です。
「歌謡界の女王」
1949年 河童ブギウギ でデビュー(12才)