論 文
戦時下における武井武雄の作品制作
―「赤ノッポ青ノッポ」の制作動機とその表現について―
遠 藤 知恵子
はじめに 問題の所在
武井武雄(1894-1983 年)の「赤ノッポ青ノッポ」は、1934 年の『東京朝日新聞』
および『大阪朝日新聞』の連載漫画である。これは昔話の「桃太郎」の後日談とし て制作されたコメディで(註 1)、武井はこの作品の単行本化や続編の執筆を通じて、
絵の描き直しや、新しいエピソードの挿入、各話の順序の入れ替え、エピソードの 削除といった形で繰り返し手を加え、1982 年まで計 7 回、発表している。
「赤ノッポ青ノッポ」の変遷を追うと、新しいエピソードの制作を含む大きな変 更は 1944 年刊行分まで、ストーリー構成に関わる部分的な変更は 1955 年刊行分ま で、確認できる(第 3 章で後述)。ストーリーの骨格は満州事変(1931 年)から日 中戦争(1937-1945 年)へ、そしてアジア太平洋戦争(1941-1945 年)へと突き進ん でいく時代に形成され、終戦後も作品の骨子を保ちつつ、部分的な改変を経て出版 されていた。「赤ノッポ青ノッポ」は戦中・戦後も読者に受け入れられ続けてきたが、
武井は 1934 年より、この作品を制作した背景には、侵略戦争への批判やアジアの 諸外国との文化的な提携・同化を表現するという意図があったことを著者の言葉と して繰り返し発信し続けてきた。この作品の制作意図と密接な関わりのある、当時 の日本による同化政策は大きな禍根を残すもので、ごく常識的に考えるならば、私 たちは武井の主張に同意することはできない。後年の武井自身もやはり、「赤ノッ ポ青ノッポ」を過去の時代に成立した作品として、現在(戦後)の時代情況とは切 り離して扱っているのである。
「赤ノッポ青ノッポ」は、戦時期の武井の創作活動や実践を明らかにする過程で、
批判的に検討しなければならない作品の一つである。
本論第 1 章で後述するとおり、元来、武井は、戦争に対して否定的な立場を取る 人物である。「赤ノッポ青ノッポ」も、武力の行使に反対する意図をもって制作さ れた作品である。武井が「桃太郎」をパロディ化した背景には、主人公を正義とみ なし、鬼を悪と決めつけて成敗する、単純な勧善懲悪の物語に対する抵抗感がある。
近代日本において、戦争における武力行使を正当化する際に、敵国を悪とみなし、
敵国の国民に鬼というイメージを重ねることはけっして珍しいことではない。だが、
武井は鬼を敵国の国民ではなく、西洋文明の外に生きる人々のイメージとして描く ことで、武力による制圧を否定しようとした。このような、武力行使に反対すると いう動機のもとで作り上げられた鬼のイメージが、「赤ノッポ青ノッポ」において、
結果的に植民地支配を正当化する表現を生み出している。こうしたねじれを、私た ちは真摯に受け止める必要があるのではないか。本論文の問題意識は、ここにある。
本論文は、まず、武井が画家になるため東京美術学校進学という進路を選んだ 旧制中学の頃の日本の情況と、それに対する武井の反応を検討する(第 1 章)。次 に、武井が東京美術学校在籍中(1919 年 4 月頃か)から出版の準備を始めていた『花 の伝説』(1926 年)の序文、そして、この本の構成を検討する(第 2 章)。武井は この本で、歴史の一部として語られる神話と文学作品(作者不詳のものも、作者が 明らかなものも含む)をすべて「人間の創作」として、平等に扱っている。歴史/
物語の区別に対するラディカルな姿勢を反映した構成は、考古学的な調査結果とと もに『古事記』『日本書紀』の記述が組み込まれ、当時の日本の植民地政策を正当 化する言説の一つとなっていた「日鮮同祖論」とは対立するものである。だが、第 3 章で後述するように、人間の社会に鬼が留学するというストーリーの「赤ノッポ 青ノッポ」では、植民地に対する同化政策をむしろ肯定しているように見える。
鬼という存在が人間社会に置かれ、この社会に順応していくことにより、鬼は 人間を理解し、その内面を人間へと近付けていく。この「赤ノッポ青ノッポ」にお いて、「人間」は『花の伝説』のときと同様、キーワードである。だが、これらの 二つの作品で「人間」は、植民地政策という一つの事柄に対し、正反対の意味合い を持つことになる。
一方では同時代の情況に対する抗いの表現をし、もう一方では同時代の情況に 沿った表現をする。こうした武井の二面性は、同じ「人間」を起点として見られる ものである。本論文では、武井の表現に見られるこうしたねじれ4 4 4を明らかにしてい きたい。というのも、このねじれを明らかにすることで、特定の時代情況のもとで 表現者が社会のさまざまな人々と関わり合いを保ちつつ行う表現活動について、表 現されたものにとどまらず、表現をめぐる環境も含めた、より開けた議論が可能に なると考えるからである。
1 武井武雄にとっての戦争と植民地支配
武井の旧制中学時代のノートの 1 ページには、将来への漠然とした希望や不安が
見て取れる書きなぐりがある[図版 1]。表紙には「一憂草」と、このノートの名 前らしいものが記されているのだが、ノートに書かれた内容は数学の問題の解答や 落款の練習など雑多で、雑記帳のようなものだと思われる。このノートのなかの、[図 版 1]に示したページに、「日韓合邦問題」という文字が唐突に記されている。罫 線は横なのだが、上部、右ページには青いインクの縦書きで「東京美術學校」、左 ページには「Artist」「藝術家」「美術學校」「美術新報」「美術學校第一學年」「陸 軍士官學校」「新進画家」といった名詞や、「南薫造」「柳敬助」「藤島武二」「湯浅一」
(阜偏があるので湯浅一郎か)「武井武雄」などの人名、「洋画科」といった言葉が 記されている。この青い文字の群れの下側には、ノートを反時計回りに 90 度回転 させた状態で、黒い文字が主に縦書きで書かれている。まず、右ページの下から 5 行目の位置に「行為―習慣―徳―品性(人ガラ、人トナリ)」とあり、3 行あけて「自 殺。」、次の行に「発狂。誤解。宿迫ママ。」とある。さらに反時計回りに 90 度回転させて、
「智 intellect」「情 Emotion」「意 will」「品性 Character」「人格 Personality」「本能 Instinct」「Sound mind and sound body」と、日本語の単語と英単語が併記されて いる。左ページ上部の文字の下側には「武井武雄」と書かれており、「星蹄」「星てい」
「上絛民弥」「上絛行雄」「日韓合邦」「日韓合邦問題」「合邦問題」「武井武雄」など と書かれた言葉の隙間を埋めるように、落款の柄が描き込まれ、二か所に「1910」
という数字が記されている。さらに、ペンで描かれた人間の顔が二つと鉛筆で描か れた顔が一つ、目と鼻と口のみの輪郭のない顔が一つ描かれている。
両ページの上部にまたがって書き込まれた言葉の群れからは、東京美術学校に 進学したい、芸術家になりたい、南薫造ほか有名画家と並び称される画家になりた いという願望が見て取れる。また、「行為―習慣―徳―品性(人ガラ、人トナリ)」
といった一行や、「自殺。」という言葉、また、英単語と対に書き込まれた言葉から は、一人の人間としてどうしたら善く生きていくことができるだろうかということ や、自分が目指そうとしている芸術というものが何であるかということに対し、武 井なりの哲学的な考えをめぐらせていたことが読み取れる。「星蹄」は武井の雅号 であるが、「上絛民弥」「上絛行雄」の二人の人物が誰であるかは未確認である。そ して、「日韓合邦」という同時代の出来事と、それが起きた 1910 年という年、武井 の名が記されている。
上述のとおり、私はここで、ノートに記されたことを、ノートを反時計回りに 回転させたときの順序で(書かれたものを目で追っていく順序はノートの回転とは 逆の、時計回りになる)読んでいるが、武井がいつ、どのような順番でこれらを書 き込んでいったかは分からない。ただ、このページを埋め終わったときの武井が、
自身の思考の痕跡として、これらの言葉や絵が混然一体となったものを眺めていた
ことは間違いないだろう。そして、この痕跡のなかには、武井少年が憧れている画 家や、想像していた芸術家像、進路の問題に混じって、「日韓合邦」がある。びっ しりと描き込まれた落款の模様は、武井が中学校の友人とともに作成していた回覧 雑誌によく見られたものだ。武井は 1909 年に友人とともに洋画研究を目的とした
「椰子の実会」というグループを結成し、水彩画などの作品制作や美術雑誌を共同 で購入して読むなどの活動を始めていた。武井以外の友人にとっては椰子の実会の 活動は余暇の愉しみであり、武井自身にとっても友人との遊びを通じた学びという 面があった。だが、これは、東京美術学校への進学を意識した第一歩である。
武井は、自分が画家になるための学びを開始したのとほぼ同時期に起きた日韓 併合を、将来の夢や不安とともに書き込んでいる。その日韓併合は、「日韓併合ニ 関スル条約」(1910 年 8 月 29 日公布・施行)に基づいて行われた、日本による韓 国領有である。現在に至るまで日韓関係に大きな傷を残している出来事であるが、
当時の武井少年に強い印象を残したと見られる。その印象がどのようなものだった かを確かめる方法はまだ、みつけていない。だが、「武井武雄」という、「武」の二 つ重なる自分の名前を繰り返し書き込んでいるノートからは、戦争と自分との間に 何らかの因縁があるという意識を持っているのではないかと考えられる。ほかの言 葉が繰り返し書き込まれているのに対し一度しか書かれなかった「陸軍士官學校」
は、このページの上で異彩を放っている。
当時の日本の政策について、武井が直接的に言及する資料は確認できていない。
しかし、武井が置かれていた環境や当時の武井の心情を読み取ることができ、この 画家が抱いていた、戦争に対する抵抗感を推測する根拠となりうる事実や資料はあ る。たとえば、歴史的事実として、武井家は旧高島藩の藩士という家柄だったし、
武井が生まれた年は日清戦争開戦の年(1894 年)だった。また、次男照武(1923- 1938 年)の命名に際し、名前のなかの「武」の字に武井は抵抗感(註2)を示している。
ただし、それらはあくまでも、武井の関心がそこにあったことを示す情況的な証拠、
または感情の表現にとどまるものだ。次に検討する『花の伝説』(1926 年)もまた、
表現の領域に属している。とはいえ、そうした表現が置かれた情況や、表現の方法 に関する示唆を与えてくれる。
2 『花の伝説』(1926 年)に見られる武井の態度
東京美術学校を卒業後、同校の研究科に在籍していた武井は、1919 年 12 月 11 日の両親宛ての書簡に、本を出版する準備を始めたことを報告している。
小生も人々の勧めにより 花の伝説に関する本を出版することと致し 材料蒐 集に努めるなり 目下は英仏における著書を翻訳しその中より適否採捨いたし 居り(註 3)
「花の伝説に関する本」の「材料」は、図書館から借りてくる洋書を訳し、その なかから選び取られている。引用箇所は、上京中の武井が、図書館との貸し出しの 関係があるため岡谷への帰省の時期が遅くなることを両親に説明するくだりからひ いてきたものである。
出版が実現するのはこの手紙が書かれてから 7 年後になる。この手紙を書く前年 に、武井は、のちに妻となる中村梅を、従姉から結婚を前提に紹介されている。結 婚までの間に武井と梅は手紙を交換し合っていたが、梅宛ての手紙には「水仙の押 し花にナルシスのお話を添えたもの」があったとされる(註 4)。『花の伝説』出版準 備は、作品発表を目的としつつ、恋人との私的な交流を助けるという役割も果たし ている。
この本に収録された作品は、次のとおりである。
表 1 花の伝説収録作品
一部(東洋) 二部(西洋)
No.
タイトル 花の種類 話の由来/国No.
タイトル 花の種類 話の由来/国1
小太郎の梅 梅 陸む つ奥の松島35
アイオの悲しみ 野の菫 ギリシャ神話2
侍と白梅の精 白梅 信州下川路村開善寺
36
ヒヤシンスの花 ヒヤシンス ギリシャ神話3
阿安紅梅 紅梅 鎌倉37
哀れなナルシッサス 黄水仙 ギリシャ神話4
青梅の種 梅の実 上か ず さ総の大竹村38
アドニスの花 薔薇・アネモネ ギリシャ神話
5
妹山と背山の桜 桜 大和39
向日葵の花 向日葵 ギリシャ神話6
十六夜桜 桜 伊予の龍りゅうおんじ穏寺40
銀河と白百合 白百合 ギリシャ神話7
御前桜 桜 岩代の国赤津村41
虹イリスの使い あやめ [不明]8
盲杖の桜 桜 播州明石の人麻呂神社
42
愛の天使 三パ ン ジ イ色菫 [不明]9
鳶とび色の小窓 紫れ ん げ そ う雲英草 羽前の国の片田舎の村
43
ゼラニウムの花 銭葵 イスラム教説話10
血潮の躑つ つ じ躅 躑躅 信州、山口村44
赤い薔薇のはじめ 薔薇 ベツレヘム11
哀れを語る躑躅ケ丘 躑躅 上州館林
45
芥子と矢車草 芥子・矢車草Papava 12
藤の奇蹟 藤 新羅-
但馬之国46
レオナルドの地 鈴蘭 サセックス13
朝顔の秘密 朝顔 [不明]47 F
フォアゲット・ミイ・ナットOGET-ME-NOT
勿忘草 ドイツ14
夕顔の死 夕顔 『源氏物語』48
勿忘草と魔法の杖 勿忘草 イルゼンシュタ イン15
怪しい石 撫子(石竹)東国49
勿忘草と天使の話 勿忘草 ペルシャ16
佐渡の島に咲く姫名草 姫名草 佐渡の北海岸
50
四 葉 の ク ロ ーバー クローバー[不明]
17
秋の七草の創はじめ 秋の七草 丹波51
雛菊の花 雛菊 カレドニアのモ ルヴェン18
女郎花と男郎花 女 郎 花・ 男郎花 山城の八幡52
撫子の花束 撫子 フランス19
萩の大木 萩 陸奥の大鰐53
ラウエンベルクの夜の百合 白百合 ドイツ
20
藤袴 藤袴 『古今和歌集』か54
牧場の時計 蒲公英 [不明]21
蜻蛉が寄や ど り ぎ生木になる 寄生木 武蔵の秋津村
55
沼に咲く太陽の娘 睡蓮 アメリカ
22
鶏頭豆の由来 鶏頭豆 出雲の矢上村56
黄色い夢 睡蓮 [不明]23
弟切草の話 小これんぎょう連翹 『和漢三才図会』57
含はにかみそう羞草の話 含羞草 [不明]24
山く ち な し梔子 山梔子 九重58
イヴとスノードロップ スノード
ロップ キリスト教説話
25
霧の中の女神 福寿草 蝦夷59
薔薇を食べる啞娘 薔薇 トルコ26
カムイの舟 クローバー 蝦夷60
ミリオと鸚鵡 アマリリス・白百合 スペイン
27
鮭の精 桜 函館28
真紅の鈴蘭 鈴蘭 銭亀澤29
富ぶ っ し ゅ そ う美貴草の哀話 富美貴草 石狩街道
30
躑躅と仔羊の話 躑躅 支那31
菊の奇蹟 菊 支那の順天32
牡丹の奇蹟 牡丹 支那の洛陽33
水 草 支那の楚の桃花一帯
34
虞美人草 虞美人草 江東塗山の澤(秦)全 60 話(東洋編 34 話・西洋編 26 話)のうち、通し番号 14 の「夕顔の死」は『源 氏物語』(紫式部 973 頃 -1014 年頃)から、33 の「水 草」は清代の怪異小説集『聊 斎志異』(蒲松齢 1640-1715 年)から採ったもので、それぞれに作者がある。物語 が由来する地域や説話の出典を特定できず、[不明]としたものもあるが、大多数 の残りのものは、それぞれの地域ごとに口碑に伝えられた物語だと考えられる。
東洋編は、主に日本国内の伝説を「陸奥の松島」(小太郎の梅)、「信州下川路村 開善寺」(侍と白梅の精)といったように、いくつかの例外を除けば、古い地名に よって地域を記している。25「霧の中の女神」と 26「カムイの舟」は蝦夷の伝説、
27「鮭の精」・28「真紅の鈴蘭」・29「富美貴草の哀話」は北海道のアイヌ民族に伝
※ 表中、「話の由来/国」は、それぞれの 伝説が含まれる説話の種類や、その話 が由来する国または地域を示した。こ の項目の表記は、武井による記述に拠っ ている。由来や地名が本文に明記され ていない場合などは、必要に応じて筆 者が補った。
※ 花の名前の表記方法は、本文に準拠し た。
すいぼうそう
わる伝説というように、大和朝廷の支配する領域の外部に由来する伝説も採録して いる。異質な文化圏に由来する伝説が、分類されつつ、ともに収められている。
西洋編も東洋編と同様、異なる地域・異なる文化的基盤によって生み出された伝 説が、ともに収められている。そのうち、42「愛の天使」は国名(地域名)が記さ れていないため[不明]としている。天使はユダヤ教・イスラム教・キリスト教の いずれの説話にも登場しうるものである。42 前後の物語の配列を見ても、ギリシャ 神話に由来する「銀河と白百合」と、イスラム教の指導者ムハンマドが登場する「ゼ ラニウムの花」の間という、いずれの宗教の圏内に入ってもおかしくはない位置付 けをしている。複数の可能性が考えられる物語に対しては、相応の配置をしている ものと考えられる。
武井は、この本での伝説の扱い方について、次のように述べている。
花は なを見みて描ゑ がいた人に ん げ ん間の夢ゆ めにせよ、又ま た史し じ つ実を空く う そ う想の絲い とによつて花は なに結む すび付つけたもの にせよ、伝で ん せ つ説は人に ん げ ん間の創そ う さ く作であり、又ま たそれがいつも作さ く し や者不ふ し や う詳を以も つて特と く し つ質としてゐ る。従したがつて作さ く ひ ん品として扱あつかはれずに、多お ほくは口こ う ひ碑に依よつて伝つ たへられるので、一ひ とつの 物ものがたり
語の筋す ぢも次つ ぎから次つ ぎへと変かはつて来きたり複ふ く ざ つ雑になつたりする。(註 5)
武井は、この序文のなかで、花を見た人間が空想してできた伝説も、史実と花 を結び付ける連想によってできた伝説も、「人間の創作」、また、「作者不詳を以て 特質としてゐる」と、言い切っている。『花の伝説』収録作品には作者のある物語 作品が含まれているにもかかわらず、ここに収めた作品の無名性を強調し、「口碑 に依つて伝へられる」作品の移ろいやすさを指摘している。武井はここで、口伝え に伝えられる物語は時代を経て変化して当然のものであるという考え方を示してい るのである。
そうした考え方を示した上で、武井は、読者に向けて、次のように呼びかけて いる。
伝で ん せ つ説はほんの一 行ぎやう か二 行ぎやう のあら筋0 0 0 だけを聞きくのが一いちばんじやうしゆぶか
番情緒深いものである。云い ふまでもなくヒントだけをつかんで想さ う ざ う像の自じ い う由な余よ地が多ち た ぶ ん分に残の こされてゐるから であらう。[中略]そこで読ど く し や者にお願ね がひするのは、この小ち ひさな話はなしのヒントをもと0 0 で0として、どんな大お ほきな空く う さ う想の楼ろ う か く閣をでも、勝か つ て き ま ゝ
手気侭に築き づいて戴いたゞき度たいことであ る。(註6)
武井は、伝説はできるかぎり簡素に語られるべきとする。そうすることで、その
話を聞く者が自分なりの想像力を働かせて、もっと大きな空想の世界を築き上げ、
物語を創造する悦びを得ることができる。武井は先ほどの引用箇所で、口碑によっ て語り伝えられる物語が、語る者の創意工夫によって変化していくことを肯定的に 捉えていたが、さらに、現代の読者にも、かつての物語の語り部がしていたような 創意工夫を求めているのである。
韓国併合という出来事に際して武井がどのような表現を行っていたかを問う、本 論文の主題に関わってくるのは、先の表で示した 12「藤の奇蹟」である。新羅と 但馬之国を舞台とする藤にまつわる伝説に、紀記に記される神功皇后の新羅征伐の エピソードが挿入されている。これは、虹によって妊娠した新羅の国の女が産んだ 赤玉が美しい阿あ か る ひ め加留姫となり、王子天あ ま の ひ ぼ こ
之日槍の妃となるという、空想に富んだもの である。のちに阿加留姫は祖国へ帰ると夫に告げて、船に乗って東へと向かい、難 波にたどり着く。天之日槍は妻を追い、危険な航海を経て日本の浜に降り立つが、
そこで阿加留姫の死を知る。天之日槍は亡き妻の面影を追って但馬之国まで行き、
阿加留姫を偲ばせる乙女を娶って日本に帰化する。この二人の娘が伊い づ し お と め の か み
豆志袁登売神 であり、武井が語ろうとする「藤の奇蹟」は、美しい伊豆志袁登売神をめぐる恋の 物語である。
武井は、新羅から日本へと舞台を移した物語のなかで、「阿あ か る ひ め加留姫に次つ いで 王わ う じ あ ま の ひ ぼ こ
子天之日槍の去さつた新し ら ぎ羅の国く には、どうした訳わ けか日ひ一日に ちと衰す ゐ う ん運に向む かひ、程ほ ど経へて東と う ほ う方 から神じ ん ぐ う こ う ご う
功皇后の征せ い た う ぐ ん
討軍がすさまじい勢いきほひで乗のり込こんで来きたのであります」(註 7)と記し た上で、日本を「戦せ ん せ ふ捷の国く に」(註 8)と呼んで「衰す ゐ う ん運に向む か」う新羅と対比している。
『古事記』には、天之日槍の帰化と新羅の衰運という二つの出来事を直接的に関 連付けるような記述は見られない。だが、神功皇后が日本に帰化した天之日槍の子 孫にあたることは記されている。一方、武井は神功皇后が天之日槍の子孫であるこ とは示さず、天之日槍の帰化と新羅の衰運を「どうした訳わ けか」という言葉でつなぐ ことで、この二つの出来事に因果関係はないとしつつも、何らかの関連があること を想像させる書きぶりをしている。武井は、『古事記』に歴史として記されている 出来事を古い方から順に語り起こし、そうして順序立てて話の筋を追うことによ り、原典では直接的に関連付けられていない事柄どうしの関連性を暗示しているの である。
武井のこうした語り方から、二つの否定がうかがえる。先ほど引用した『花の 伝説』序文における「人間の創作」という武井の主張は、『古事記』という歴史物 語が持つ権威を何よりもまず否定している。さらに、史実として記された出来事を 順序立てて語ることによって浮かび上がってくる、出来事相互の関連性もまた、「人 間の創作」として語られることにより、その権威を否定されているのである。
武井が『古事記』に対するときの権威の否定の仕方は、日韓併合の学問的根拠 の一つとされていた日鮮同祖論とは相いれないものである。日本と朝鮮半島の人々 の祖先が同じであるとするこの説は、両方の地域の人々が再び一つの国家になるこ とが自然であるという論理を導き出し、この政策を正当化する言説へと組み込まれ ていった。
本論では、イデオロギー形成に記録や物的な証拠が組み込まれていく過程を明 らかにしている点で、藤尾慎一郎「弥生文化と日鮮同祖論」(2002 年)を参考とし ている。これは、弥生文化の起源を明らかにしようとする考古学研究の成果が日鮮 同祖論の展開に果たした役割を論じる論文である。藤尾がまとめているところによ れば、同祖論の起源は、『古事記』『日本書紀』に記された神々の物語を人間の現実 の世の出来事として理解した新井白石(1657-1725 年)の記紀解釈にまで遡ること ができる。18 世紀の国学者の間では、天皇家の祖先は朝鮮半島からやってきたと 考えられていた。明治期には、ダーウィンの進化論と従来の国学の流れとが結び付 き、さらに、星野恒(1839-1917 年)や久米邦武(1839-1931 年)らが日鮮同祖論を 展開していく(註 9)。
武井が「藤の奇蹟」で扱った神功皇后の新羅征伐は、「朝鮮半島は神代および神 功皇后の時代には日本の支配下にあり、日韓が一国であったという天皇家朝鮮半島
起源説」(註 10)に基づく星野の同祖論を支えるものである。武井の『花の伝説』序文は、
こうした言説を、歴史物語の権威を否定することによって、結果的に否定している。
『花の伝説』に見られる、武井の歴史/物語の線引きに関する基本的な考え方に は、同時代の時代情況に流されず表現活動を行うために必要な、表現の自律性があ るように思われる。それは、「人間の表現」という言葉のもとに、民衆の間で口伝 えに伝えられてきた伝説も、一人の作者が書いた名作とされる文学作品も、権威あ る歴史物語も、すべて平等に扱うという態度に表れている。序文における武井は、
そうして平等に扱われた作品が、現代の読者の想像力によって変化させられていく ことを望んでいる。特定の言説を権威付けるために利用されることもある歴史物語 だが、本を手に取る読者の想像力が物語を解体し、組み直していくのである。
武井は明言していないものの、『花の伝説』の構成の仕方には、同時代の情況に 抗うことのできるポテンシャリティーがある。ただ、武井が「人間の表現」という とき、「人間」を定義していないことを特に記しておきたい。ここにおける「人間」
は、この本を読む者がどのような視点を持つかによって変化する。たとえば、本章 で日鮮同祖論との関わりから論じたときのように、歴史物語の権威を否定するとい う文脈から見れば、ここでの「人間」は権力を持たない民衆を意味することになる だろう。また、日本の伝説を紹介する際に地域ごとの旧国名を使用していることに
着目するならば、ここでいう「人間」は、旧い地域社会に根差した口碑に伝わる物 語を追体験することにより、近代化以前の伝統的な精神生活を受け継ぐ人々という ことになる。また、西洋編の 42「愛の天使」が地域や説話の出典を特定できなかっ たように、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三つの宗教が同じ「天使」を共有 していることに着目するならば、それは、宗派の違いはあれ根本的には同じ神を信 じ、同じ神の子どもである、宗教的な兄弟姉妹としての人々を意味することになる。
武井が言う「人間」とは、序文で見たとおり、文学作品がストーリーを固定され、
硬直化することを防ぐことのできる、想像力を持った「人間」なのである。この「人間」
は物語作品を語るごとに新たな生命を吹き込み、物語を生き生きと楽しむことがで きるが、あくまでも想像力の領域にとどまり、概念的な定義付けを留保された「人 間」であることによって、文学をめぐる環境に対し、現在とは別の視座をもたらす ことが可能なのである。
日韓併合を支える論理的基盤に対し、『花の伝説』は作品構成を通じて対抗しえ ている。それは、物語をあくまでも「人間の創作」として扱っていくことにより可 能だった。しかし、『花の伝説』のこうした潜在力は、「赤ノッポ青ノッポ」には活 かされてはいない。次章では、「赤ノッポ青ノッポ」の制作動機や、年代を追って 変容していくこの漫画の表現内容を検討する。その検討の過程では、武井が描き続 けた「鬼」の姿に着目する。そうして「鬼」を『花の伝説』に見た「人間」と対置 することで、両者の違いをより深く見ていきたいからである。
3 「赤ノッポ青ノッポ」の制作動機と表現内容の変化
「はじめに」で述べたとおり、「赤ノッポ青ノッポ」は、1934 年に『東京朝日新聞』
と『大阪朝日新聞』に連載された。武井は単行本化や続編の執筆の過程で、絵の描 き直しや、新しいエピソードの挿入または削除、各話の順序の入れ替えといった形 で繰り返し手を加え、1982 年まで計 7 回、発表している。新しいエピソードの創 作は 1944 年刊行分まで、作品の変更は 1955 年刊行分まで、確認できる。ここでは、
「くるみ太郎」(『読売サンデー漫画』1932 年 1 月 24 日-4 月 3 日、全 6 話)を「赤ノッ ポ青ノッポ」の前身として考える。
ストーリーの内容に関わる変更は下記のとおりである(このほか、刊本作品友 の会会員に向けて頒布したものがあるが、こちらは一般に発表されたものではない ので扱わない)。
(1)『読売サンデー漫画』(1932 年)掲載の「くるみ太郎」。
(2)『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』(1934 年)全 50 回連載分と、新聞連載分か ら第 36 話((4)の大日本雄弁会講談社版で再び採用される)を除いたものを 三色刷にし、コマの配置を変更し単行本化した鈴木仁成堂版『赤ノッポ青ノッ ポ』(1934 年)。
(3)(2)の続編である『日本少国民文庫』(1935-1937 年)連載分および『改訂日本 少国民文庫』(1942-1944 年)連載分。
(4)(2)と(3)のエピソードを合わせて全面的に絵を描き直し、部分的に削除し た大日本雄弁会講談社版『赤ノッポ青ノッポ』(1948 年)。
(5) 小学館の幼年文庫版『赤ノッポ青ノッポ』(1955 年)と集英社版『赤ノッポ青 ノッポ』(1982 年)。(4)のエピソードを部分的に削除。四色刷になるが絵柄 はそのまま。
(1)から(5)について、詳細は 65-67 ページ、[表 2「赤ノッポ青ノッポ」照合 表]に示した。まず、(1)『読売サンデー漫画』(1932 年)の「くるみ太郎」は、
桃太郎の子孫が鬼を現代(当時)の日本へ呼び寄せることが発端となる。赤鬼と青 鬼が人間たちの偏見によって引き起こされる事件を経てくるみ太郎に助けられ、最 後には小学校に入学するという内容で、「赤ノッポ青ノッポ」の前編にあたる。6 場面で一話完結する。
次の「赤ノッポ青ノッポ」とタイトルを変更した 1934 年の新聞連載版および鈴 木仁成堂版(2)では、鬼ヶ島の村長である赤鬼と青鬼が日本の小学校に入学し、
滑稽な事件を引き起こしながら日本国内で人間社会を学んでいくという物語の骨格 ができあがる。小学校の生活に適応し、級長になった鬼たちが言葉遣いにいっそう 気を付けようと決意をしたあと、角が取れて人間になるという結末である。
だが、(3)『日本少国民文庫』版と『改訂日本少国民文庫』版(1935-1937 年、
1942-1944 年)は、人間になった鬼たちが、再び鬼の姿で登場し、中学生生活を送 る中学生編である。(2)の小学生編(1934 年)では 4 場面で一話完結だったものが、
12 場面で一話完結と、長くなっている。『日本少国民文庫』の刊行順は巻号の順と は一致しておらず、それぞれのエピソードの間に前後関係はない。『改訂日本少国 民文庫』で新たに書き加えられたエピソードは「慰問袋」の一つで、それ以外は『日 本少国民文庫』の再録である(タイトルの変更は次の二つ。「日食観測」→「日食」、
「ハイキング」→「登山」)。
大日本雄弁会講談社版(1948 年)の(4)は、(2)をベースにして、戦時中まで の時代情況を色濃く反映したエピソード((2)の 6「国語の授業」: 第 4 期国語読
本からの引用が含まれる、19「鬼将軍」: 鬼将軍というあだ名の軍人が登場する、
20「勅語の練習」: 戦後に廃止された教育課程)や子どもの遊びに鬼たちが本物の
「鬼」役として登場するエピソード(同じく(2)の 26「鬼退治」: 桃太郎ごっこ、
35「アルバイト(2)」:目隠し鬼)が削除され、兵隊のために寄付をするというエ ピソードが共同募金への寄付に変更される((2)の 39「寄付」が(4)の 39「共同 募金」となる)。代わりに『日本少国民文庫』から 11 話分が挿入される。さらに、
級長になった鬼たちの頭から角が取れて人間になるという新聞連載時からの結末が 削除され、鬼たちはただ、言葉遣いに気を付けようと決意し合うだけである。
最終版の(5)小学館の幼年文庫版(1955 年)および集英社版(1982 年)になると、
(4)の講談社版(1948 年)ではまだ残っていた子どもたちのいたずらや、鬼たち の素朴さを笑いの種にしたエピソード(14「靴のいたずら」および 16・17「落し物」)
が削除されている。また、新聞記事に自分たちの漫画を発見した鬼たちが、言葉遣 いに気を付けようと決意するエピソード(23「新聞」)が削除される。23 の変更は、
エピソードの重複を防ぐ、物語構成上の配慮であると考えられる。
絵の描き方に関しては、「くるみ太郎」の時点では[図版 2]の面長と丸顔の顔 貌で区別されていた鬼たちが、1934 年の新聞連載分と鈴木仁成堂版で読者に挨拶 をする場面の[図版 3]では、さらに、眉が細く目の小さな青鬼(左)と眉が太く つぶらで大きな目の赤鬼(右)というように、それぞれの顔貌に個性が与えられて いる。1948 年の講談社版ではお辞儀をしてうつむいた姿勢となっているため分か らないが[図版 4 左]、正面を向いたときの赤鬼の目に光を表す白い部分が描き込 まれ、生き生きとした表情を描こうとしていることが分かる[図版 4 右]。また、
強い力を持つ鬼の体の大きさも、1934 年時点[図版 5]と 1948 年時点[図版 6]
とでは、年代が新しくなると、より小さな衣服によって強調されている。
鬼たちの外見の個性化と物語上の役割の大きさとは正比例している。「くるみ太 郎」では来日した鬼たちが動物園に入れられて見世物にされているところを、桃太 郎の子孫であるくるみ太郎に助けられるという筋書きがあり、鬼たちは迫害され、
助けを求める弱者として描かれる。だが、新聞連載漫画として改めて鬼たちに主役 の地位が与えられ、さらに、修正・加筆によって新たに生み出され続けていくなか で、鬼たちの姿もより生き生きと特徴的に描かれていくのである。
表 2 「赤ノッポ青ノッポ」照合表
小学生編
/ 中学生編
回
数⑴読売サンデー 漫画(1932)回
数 ⑵東京朝日新聞 (1934) 巻
号 ⑶日本少国民 文庫
(1935-1937)
巻
号 ⑶ 改訂日本 少国民文庫
(1942-1944)
場
面 ⑷講談社
(1948) 場
面 ⑸小学館
(1955)
入学前 1 くるみ太郎の手紙
2 鬼ケ島出航
3 動物園送り(1)
4 動物園送り(2)
5 動物園の檻
6 救出と小学校入学
小学生編 1 入学の日(1) 1 入学の日(1) 1 入学の日(1)
2 入学の日(2) 2 入学の日(2) 2 入学の日(2)
3 入学の日(3) 3 入学の日(3) 3 入学の日(3)
4 おやつ 4 おやつ 4 おやつ
5 体格検査 5 体格検査 5 体格検査
6 国語の授業
7 遠足前日 6 遠足前日 6 遠足前日
8 遠足(1) 7 遠足(1) 7 遠足(1)
9 遠足(2) 8 遠足(2) 8 遠足(2)
10 遠足(3) 9 遠足(3) 9 遠足(3)
11 花見客 10 花見客 10 花見客
12 風呂焚き 11 風呂焚き 11 風呂焚き
13 銭湯 12 銭湯 12 銭湯
14 算数の授業 13 算数の授業 13 算数
15 靴のいたずら 14 靴のいたずら
16 郵便ポスト 15 郵便ポスト 14 郵便ポスト
17 落し物(1) 16 落し物(1)
18 落し物(2) 17 落し物(2)
19 鬼将軍 20 勅語の練習
18 野球(1) 15 野球(1)
19 野球(2) 16 野球(2)
20 野球(3) 17 野球(3)
21 人形芝居 21 人形芝居 18 人形芝居
22 相撲 22 相撲 19 相撲
23 新聞 23 新聞
24 縁日 24 縁日 20 縁日
25 鯉幟 25 鯉幟 21 鯉幟
26 鬼退治
26 魚釣り 22 魚釣り
27 ピアノ 27 ピアノ 23 ピアノ
28 運動会(1) 28 運動会(1) 24 運動会(1)
29 運動会(2) 29 運動会(2) 25 運動会(2)
30 運動会(3) 30 運動会(3) 26 運動会(3)
31 運動会(4) 31 運動会(4) 27 運動会(4)
32 山登り 28 山登り 32 大掃除(1) 33 大掃除(1) 29 大掃除(1)
33 大掃除(2) 34 大掃除(2) 30 大掃除(2)
34 アルバイト(1) 35 アルバイト(1)31 アルバイト(1)
35 アルバイト(2) 36 アルバイト(3)32 アルバイト(3)
36 アルバイト(3) 37 アルバイト(4)33 アルバイト(4)
37 アルバイト(4) 38 アルバイト(5)34 アルバイト(5)
38 アルバイト(5) 39 共同募金 35 共同募金
39 寄付 40 鬼の行列 36 鬼の行列
40 掃除の礼(1) 41 掃除の礼(1)37 掃除の礼(1)
41 掃除の礼(2) 42 掃除の礼(2)38 掃除の礼(2)
42 鬼の行列 43 スキー 39 スキー
44 クリスマス(1)40 クリスマス(1)
45 クリスマス(2)41 クリスマス(2)
46 クリスマス(3)42 クリスマス(3)
47 記念撮影(1)43 記念撮影(1)
48 記念撮影(2)44 記念撮影(2)
49 かたつむり 45 かたつむり
43 かたつむり 50 帰郷(1) 46 帰郷(1)
44 帰郷(1) 51 帰郷(2) 47 帰郷(2)
45 帰郷(2) 52 帰郷(3) 48 帰郷(3)
46 帰郷(3) 53 帰郷(4) 49 帰郷(4)
47 帰郷(4) 54 子鬼の留学(1)50 子鬼の留学(1)
48 子鬼の留学 55 子鬼の留学(2)51 子鬼の留学(2)
(参考:松井一恵「日本少国民文庫」(大阪国際児童文学館編『日本児童文学大事典』
第 3 巻、大日本図書、1993 年、67-70 ページ)※部分的に加筆修正している。)
※遠藤知恵子「武井武雄の創作活動と『童画』の成立」(2015 年)内の表(176-179 ページ)を一部修正、デザインを変更して引用。
※エピソードの通し番号は、それぞれの版ごとに付しているが、『日本少国民文庫』
および『改訂日本少国民文庫』は、通し番号の代わりに巻号を記した。
※『日本少国民文庫』および『改訂日本少国民文庫』では、各エピソードのタイト ルは、発表時のタイトルによる。そのほかは、筆者が本論文の必要上、便宜的に 付けたものである。
また、表現媒体の変化によっても、鬼たちの活躍は広がっていく。というのも、
「赤ノッポ青ノッポ」が新聞の連載漫画として描かれていた時期と違い、『日本少国 民文庫』および『改訂日本少国民文庫』では、エピソードの一つ一つを総合して統 一した作品に仕上げる必要がない。むしろ、一巻につき一話ずつ収録される、個々 のエピソードの独立性が重要だっただろう。教育的な配慮に基づき作品が集められ、
編集されていくシリーズのなかでは、「赤ノッポ青ノッポ」において武井が真面目
49 級長 56 級長 52 級長
50 角がとれる
中学生編 12 野球 1 魚釣り
9 クリスマス 5 記念撮影
14 スキー 9 音楽部
7 記念撮影 2 剣道
10 音楽部 11 水泳
4 日食観測 12 登山
16 ハイキング 6 日食
11 水泳 4 養鶏
1 魚釣り 3 演習
3 演習 8 慰問袋
15 年賀状 13[掲載なし]
8 日記
6 新年
2 剣道
13 航空部
5 養鶏
に抱いていた制作意図は後方に退き、中学生生活を謳歌する鬼たちの姿が描き出さ れる。1948 年刊行分以降、戦前から戦時中にかけての情況を反映した箇所が削除 されたあとには、この中学生編のエピソードから戦時色の感じられないものが選ば れて挿入され、一話分が数回に分割されたり、部分的に活用されたりして、戦後の
「赤ノッポ青ノッポ」が構成されていく。
「赤ノッポ青ノッポ」の約半世紀にわたる作品構成上の変更や絵柄のこうした変 化に加え、武井による著者の辞も変化していく。
赤ノッポ青ノッポは鬼を後進民族と想定し、これを誘導して文化に浴せしめ、自 ら同化して福祉を頒つ処に聊か桃太郎への補足的意図を有するものである。(註 11)
1934 年鈴木仁成堂版では、武井は、鬼を日本人から見た「後進民族」とみなし ている。武井は同じく作者の辞として、桃太郎の昔話を「鬼は人を喰ふものとの想 定により懲悪の正義感に基くとしても、話の筋は侵略征服に力点が置かれてゐて 所マ封詮建時代の所産である」と述べている。桃太郎を素朴な勧善懲悪の昔話と捉え、マ 現在を生きる私たちの考え方によってこの昔話に裁断を下すことに対して牽制しつ つ、武力によって鬼たちを制圧するところに封建時代の弊害を見ている。
ここに見られる「後進民族」という言葉が何を示すのかに関して、武井は特定 の地名を書かないが、鬼の故郷として、椰子に似た植物の生えた南方の島を描いて いる[図版 7]。鬼たちは飛行機を見たことがなく、これを烏と勘違いし、弓矢で 撃退しようとしている。鬼は、文明と接点がない生活を営む人々として描かれてい る。著者の辞からは武井が文明と文化をどの程度区別していたかは読み取れないが、
日本の文化を体験するよう、鬼を誘導し、彼らを迎え入れ、日本人と同じ「福祉」、
すなわち、公的配慮を受け安定した生活環境を分け与えることを「桃太郎」の「侵 略征服」に補足するという意図がある。
戦後、1948 年講談社版では、鬼を後進民族とする記述や、「誘導」や「同化」と いう言葉が消える。
この話は武力征服をした桃太郎の子孫が鬼を招いて留学させ、今度は文化的に啓 蒙同和させようとした点にその発端がある。(註 12)
征服者が被征服者に教育を施すという考え方は変わっていないものの、露骨な 表現が修正され、絵柄の上でも[図版 8]のように、鬼の持つ太鼓がより楽器らし さを強調して描かれている。小学館の幼年文庫版(1955 年)および集英社版(1982 年)
では、さらに「啓蒙同和」が「啓発同和」に変化している(註 13)。こうして見るように、
言葉を言い換えることで差別的な印象を減らそうとしているものの、人間とは異な る存在である鬼を人間の側の尺度に基づき教化しようとしている点は変化していな い。
武井は集英社版を「四色刷で改訂版の定本」(註 14)と述べており、時代とともに 変容を繰り返していた作品に執筆の終わりを宣言しており、1955 年の小学館の幼 年文庫版のときから、作品の前置きとして、「赤おには 四十五さい、青おには 四十六さいで、どちらも おにがしまの そんちょうさんでした。」「ふたりが 日 本へ きたのは しょうわ九ねんの ことで、その としの 四月一日に しょう がっこうの 一ねんに にゅうがくしました。」(註 15)と、具体的な日付を付し、鬼 たちの来日当時の年齢や職業を記して、この作品を過去の記録として扱っている。
作者自身がこのような扱いをすることにより、同時代の情況に合わせて変更を加え られ、同時代の情況に合わせて作り替えられる「赤ノッポ青ノッポ」は、作品とし ての生命に終わりを宣告されているのである。
鬼たちが物語の主役になることで超人的な力を発揮し、活躍していくのに対し、
作者であり人間である武井は、人間が征服者という立場から鬼に教育を施すという、
当初の制作意図を超え出ようとしなかった。『花の伝説』には「人間」というキーワー ドを提示することにより、現実の社会を動かしている論理的な基盤に疑義を呈する 可能性があったが、「赤ノッポ青ノッポ」では、鬼を異質な存在として捉える眼差 しを持った人間たる武井が、その可能性を閉ざしていたのである。
ここで、私たちは『花の伝説』における「人間」と、「赤ノッポ青ノッポ」にお ける「鬼」との共通点に気が付かなければならない。いずれも、歴史物語という権 威あるものや、文明を持ち支配者としてふるまうものたちとは異なる存在として、
その存在に対する意味付けを留保された、非合理的なものとして登場する。だから、
武井が「赤ノッポ青ノッポ」という作品を時代の遺物として封じ込めることを通じ て殺したものは、鬼ではない。むしろ、鬼を鬼たらしめている、人間の方なのだ。
おわりに
戦時期の武井の創作活動や実践は、批判的に検証されなければならない。だが、
そこに至るまでの過程や動機を論じるとき、武井の作品や行動を批判するだけでは 済まされない両義性がある。それは、武井が侵略戦争や武力の行使に対しては反対 の立場を取っている点にある。そして、はじめのうちは戦時期の日本が取っていた