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(1)

田代隆教授の ﹁新地代論﹂について

1 1

マルクス地代論の具体化

l l

八 七 六 五 四 三 二 一

田代数授の問題提起

価値論の段階における差額地代

生産価格論の段階における差額地代

運輸された生産物への価値追加と差額地代

資本の回転期間と差額地代

団代教授によるマルクスの﹁重大な誤り﹂の指摘

地代の数字的例解

結語

田代教授の問題提起

前橋で田代教授の労作﹁旧地代論﹂をとりあげ︑

) " ¥   上 周

﹁﹄虚偽の社会的価値﹂についての教授の所説を検討させて頂いた

が︑本稿では教授の﹁新地代論﹂(司土地経済論﹄︑御茶の水書房︑

国代隆教授の﹁新地代論﹂について

一九

八O年二月︑以下本書からの引用はページ数のみを掲げ

四九

(2)

田代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

る)

を考

察し

よう

教授は従来のマルクスによって代表される地代理論を批判・検討し︑これまでの論争で未解決である地代の本質

(源泉﹀の究明と地代理論の深化をはかり︑従来の理解を踏み越えて︑新構想にもとづく理論を積極的に創造すること

が新しい地代論の目的であると述べ︑この日的を十分に果すためには︑たんに地代についてだけの新しい理論を展開

するのみでは不十分で︑従来の価値論︑さらに一披的生産価格論に対しても基本的な再検討を加え︑そのうえで︑新

しい価値論︑新しい生産価格論を生みだすことが必要であると次のように述べている︒

﹁﹃資本論﹄の全理論体系のもとでの地代論の位置づけを徹底的に反省し︑そこから正しい位置づけをみいだす必要

がある︒その必要性は理論的にはいうまでもないが︑長い間のあらゆる角度からの地代論争の終結のためにも︑さら

に︑現代的な土地(地代﹀問題解決のためにも呆さなければならないことである﹂(三ページ)︒そして︑たとえば︑現

実的な必要性の一例について述べてみよう︑としてきわめて単純な問題提起であるが︑現実の工場用地︑商業用地︑

あるいは宅地の高土地価格(高地代)形成に対して既存の地代論はいかに理論的に答え︑現実をどのようにして論証

することができるかと設問し︑一たしかにマルクスは﹃資本論﹄の中でつぎの通り述べている︒差額地代は︑

に地代の存在するところではどこでも現われ︑とこでも農業地代と同じ諸法則に従う︒自然力が独占され得るもので

あって︑それを充用する産業家に一の超過利潤を保証するところでは︑それが落流であると︑埋蔵豊寓な鉱山である

と︑魚類に富む河川湖沼︑好位置の建築場所であるとを問わず︑どこでも︑地球の一部分に対する彼の名義によっ

て︑これらの白然対象の所有者として押印された者が︑この超過利潤を機能資本から地代の形態で奪い取る︒﹄(﹃資本

論﹄

第一

一分

冊︑

岩波

文庫

︑二

O頁 ﹀

したがって︑この引用文か︑りすれば︑商業用地や工業用地あるいは宅地などに

(3)

も当然に差額地代が発生しなければならないことになる︒しかも︑その地代は農業生産のもとに生ずる差額地代と同

じ法則に従うと述べている︒ということであれば︑農産物が最劣等地(あるいは最劣等投資﹀の個別的生産価格によっ

て市場価格が調節されているのと間様に︑工業における諸商品の市場価格もまた︑最劣等地の立地における個別的生

産価格(運搬費常含めた)によって律せられるということにならなければならない︒すなわち︑農業︑林業︑鉱業生産

物はいうまでもないが︑工業生産物を含めたすべての商品が例外なく︑一般的︿平均的﹀生産価格によって律せられ

るの

では

なく

マルクスが指摘しているがごとく﹃﹄虚偽の社会的価値﹄がうちだされる偏街法則││﹃独占しうろ自

然力﹄に関する限りでは最劣等条件のもとでの個別的生産価格によって市場価格は律せられるという結論に遣しなけ

ればならないことになる︒この関係を商業用地について類推してみると︑商業的経済活動のもとにおける収益(利潤)

の基準となるべきところは︑ここでも同じく最劣等条件の立地に求めなければならないであろう︒この最劣等立地を

商業利潤(平均利潤)成立の限界とすれば︑それ以上の恵まれた立地のもとには超過利潤が発生し︑これが商業用地

の地代︿土地価格﹀を形成することになるQ前掲の﹃資本論﹄からの引用文をそのまま受けとめれば︑かように理解し

なければならないのではないか﹂(四l五ページ)といわれる︒そして以上のように︑商業用地や工業用地にも差額地代

が発生するならば︑価値論および生産価描論も従来のままでよいのかという疑問が起らざるを得ないとして︑

﹁そうだとすれば︑ただちにつぎの疑問が提起される︒それは︑どうして一般的(平均的)生産価格論が現実の市

場価格を調節する基準として原則的に措定されているかという問題提起である︒従来のわれわれの理解か︑りすればす

べての商品の価格(価値実現)は︑より基本的には価値通りに実現されるものであり︑資本の自由競争という具体的

条件(現実の資本制生産)のもとにおいては︑それが平均的三般的)生産価格によって律せられなければならないは

田代

謹教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

(4)

日代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

ずである︒そして︑特別に﹃独占しうる自然力﹄が生産要素の一つにはいり込む生産部門においては︑そこでの生産

価格法則は偏摘を受け︑﹃独占しうる自然力﹄に関すろ限り︑その最劣等条件のもとでの個別的生産価格によって市場

価格は律せられるものと考えられてきた︒すなわち︑すべての商品の市場価格は一般的には平均的価格によって調節

されるのが原則であるが︑資本の自由競争に対して﹃独占しうる自然力﹄が抵抗条件として作用するような例外的な

場合

には

一般的な生産価格論は偏碕を受け︑﹃独占しうる自然力﹄に関する限り︑その平均ではなく最劣等条件の

個別的生産価格によって市場価格は律せれらるという理解に立脚している︒とすればかような理解と︑前述のマルグ

スの引用文から求められた新見解とは明らかに矛盾する︒したがって︑いずれの見解が正しいかという点を明確にす

る必要性が︑従来の地代論のなかに内包されているのである﹂ハ五ページ﹀とのべ︑

そし

てじ

つは

このような重大な

課題が提起され︑解明されなければならないきっかけは︑現実における工業用地︑商業用地︑住宅地などの高土地価

格(高地代)について︑既存の地代論はいかに答え︑いかに論証することができるか︑というきわめて現実的な疑問

からであり︑この問題を若干ほりさげてみると︑たんに地代論についての理論を︑深めるということだけでは解決せ

ず ︑

一般的生産価格論ないしは市場価値論のもとで地代論をいかに正しく位置づけたらよいのか︑さらに︑商品の市

場価格を原則的に律するものは一般的(平均的)生産価格なのか︑あるいは︑﹁独占しうる自然力﹂に関する限りで

は最劣等地の生産条件の個別的生産価格によって律せられなければならないのか︑という問題点にぶつつかる︑との

べ﹁この偏侍法則こそ一般的に市場価格を律する法則と規定しなければならないことになるのであるが︑そこまで問

題を深め︑考案を発展させなければ︑さきに提起した単純でしかも現実的な疑問点さえも端的に答えることができな

いの

であ

る﹂

(六

ペー

ジ)

とい

われ

る︒

(5)

以上のように深刻な問題を提起された教授は︑理論的側面からさらにもう一つだけつけ加えておくとして︑それは

きわめて原則的なことであるが︑﹁商品の価値はいかに決定されているか﹂ということであるとして︑このことは余

りにも衆知のことであるから︑簡単に要約的に表現しておけば︑その社会における平均的生産諸条件のもとにおい

て︑それぞれの商品の中に対象化された社会的・平均的人間労働量一によって決定されると規定することができるとの

4

﹁この場合の社会的・平均的という意味は人間労働は社会的に有用なものであり︑社会的に評価されるものでな

ければならないし︑かっ︑労働の熟練および能率は社会的平均︑すなわち等一な人間労働としてはかられるものであ

るということになろう︒この点については何等の疑問をさしはさむ余地はないにただここであらためて問題としたい

点は︑商品価値を規定するもう一方の平均的生産諸条件についてであって︑この平均的生産諸条件のなかには自然的

詰条件︑なかんずく﹁独占しうる自然力﹂が関与しているか否かが問題であり︑この疑問に対しては︑明らかに関係

しているものと考えなければならない︒﹃資本論﹄においても︑この平均的生産諸条件の説明のところで︑その条件

の一つに自然的諸事情をとりあげているのだが︑にもかかわらず︑商品価値を規定する生産諸条件はあたりまえのご

とく︑もっぱら﹁平均的﹂な条件によって律せられるということで処理されているのであって︑とすれば︑﹃資本論﹄

における前述の引用文の中には自然的事情を含めていながら﹁独占しうる自然力しだけは捨象(無視)されていると

みなければならないのであるが︑はたして︑商品の価値規定において︑自然的諸事情をとりあげながら︑

﹁独

占し

る自然力﹂だけは捨象してもよいのか︑という疑問が当然に提起される必要があると根本的問題提起をされ﹁こんな

疑問を提起すれば︑おそらく気違い沙汰だと考える研究者が多いであろう︒抽象的な価値論の段階に︑どうして﹃独

占しうる自然力﹄のような︑﹃資本論﹄における理論展開では一般的生産価格論の後ででてくるような具体的な生産

回代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

(6)

田代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

五四

条件を考察しなければならない必要性があるのか︒すくなくともこれまでは︑何人も一笑に付し︑あるいは気が付か

ずに通り過ぎた問題であったのではなかろうか︒しかし実は︑ここに重大な問題点がかくされている︒そして︑この

問題点を正しく追求し︑解明しない限り︑後述するごとく地代の本質は解けないし︑全経済理論体系の中での地代理

論の正しい位置づけなどもできないのではないか﹂(七i

八ペ

ージ

)と

いわ

れる

︒ 価

値 論 の 段 階 に お け る 差 額 地 代

以上の論旨を明確にするため間代教授は単純商品生産のもとで米が生産されており︑すべての個別的生産において

労働の熟練︑強度はすべて同じであり︑また︑土地豊度以外の生産諸条件も等一なもとで第I11

表で

一示

す通

りの

量を実現したものと仮定(この場合に不変資本については捨象する)して以下のように説明する︒

A地から生産された米一トンの個別的価値は一五

O

労働

日︑

B地では一二

O

労働

目︑

C

地一

00

労働日となる︒

そして︑これら全体の平均価値は表に一不されているごとく一トン当り一二

O

労働日であって︑B地の個別的価値と一

致している︒これまでの見解によれば︑米の社会的価値は当然にこの平均価値である一トン当り一二

O

労働日

ι

ょっ

て決定されなければならない︒そして︑同じく一二

O

労働日の価値をもった他商品と交換されて米は自己白身の価値

を社

会的

に実

現す

る﹂

(ゴ

ヂ│

│井

上﹀

以上のように述べたあと教授はこのように米一トンの社会的価値が一二

O

労働日によって決定されるなら︑果して

一トン当り一五

O

労働日を投下しなければならないA地が耕作されるであろうか︑とのぺ︑A地を耕作している人は

(7)

超過剰余価 値(地代〕

第I一1表 収

=

rT

下 一 投 一 類 一 種 一 地 一 土 一

A B C  

450 

米を生産してその価値を実現する度に一トン当り三

O

労働日を損失することになるの

で︑いかに抽象的段階における考察であるといっても表に示されているごとくA地が

耕作されている限りにおいては︑米一トン当りの社会的価値は一五

O

労働日として評

価されなければならず︑価値論の段階においても﹃独占しうる自然力﹄の作用によっ

て生産条件(したがって生産力)に格差が生じている場合には︑すべてが平均的住産諸

条件ではなく︑その自然力に関する限り最劣等の生産条件における個別的価値によっ

て社会的価値は決定され︑したがって︑これを基準とすれば︑優等地より生産される

米の個別的価値は低く︑その差額が地代となるのであって︑その関係は第I│1表で

示しているごとく︑最劣等地A

の個別的価値によって社会的価値は決定され︑その

結果︑超過剰余価値としてB地から一五

O

労働

日︑

C地 か ら は

OO

労働日︑全体

として四五

O

労働日の地代が生ずるのであり︑﹁かょっに疑問を提起し︑考察を進め

てみると︑価値論の段階においてすでに地代が成立し︑その源泉(本質)は価値理論

る つ の

。。も と で 明 確 な る

、 ーと が わ か っ た

」ー

九ページゴデ││井上)と教授は結論され( 八l

( 1 )

このように団代教授はマルクス地代論に対する疑問点として価値論の段階から地代論

を問

題に

すべ

きだ

った

とさ

れて

おり

︑こ

のこ

とを

次の

よう

にも

述べ

てい

る︒

﹁もっとも抽象的な単純商品生産のもとにおける商品価値を考察する段階において︑そ

4‑

田代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

五五

(8)

田代隆教授の﹁新地代論﹂U

つい て

五六

こで価値を規定する生産諸条件は︑どうして平均的生産諸条件でなければならないのか︒これが第一に提起される問題点であ

る︒その疑問はこういう意味である@

もしも︑平均的な生産諸条件によって価値が律せられるという従来からの法則をそのまま全面的に受け入れる(是認する)

ならば︑その生産諸条件の中には﹃独占しうる自然力﹄は含まれていないことになる︒したがって︑価値論のもとでの生産諸

条件の中からは当然のごとく﹃独占しうる自然力﹄は捨象されているとみなければならない︒だから︑価値論のもとではそも

そも地代の存在(形成)の余地はないし︑商品価値の中には一かけらの地代も含まれていないことになる@このような前提の

もとで価値論は解明されてよいものであろうか︒さらに疑問を発展させるならば︑価値論の考察において﹃独占しうる自然

力﹄の存在を当然のごとくどうして捨象してよいのか︒ょいとすれば︑それはいかなる理由によるものであろうか@

ひるがえってみると︑いかに抽象的な単純商品生産のもとにおいても︑その生産諸条件の中には自然的条件がはいり込んで

いるべきであり︑﹃独占しうる自然力﹄も当然に一つの生産要因とならなければならないのではないか︒そうすれば︑﹃独占

しうる自然カ﹄の作用によって個別経営には優劣の差が現われ︑単純商品のもとにおいても︑それぞれの個別経営の生産力を

平準化することはできない︒この優劣差(固定的日独占しうる自然力の作用)をもった個別経営から生産されるそれぞれの商

品の個別的価値には当然に(固定的な)格差が生ずることになる︒そして︑そこでは﹃独占しうる自然力﹄の作用によって生

じた個別的価値の格差を律する社会的価値としての基準をどこに置くべきかという点が問題となり︑解決されなければならな

い︒この疑問点を積極的に考慮するならば︑すべての商品の社会的価値は平均的生産諸条件によって律せられるという︑従来

からの見解をいつまでも堅持しただけですずしい顔を続けることはできないのではないか︒単純商品生産のもとでも生産諸条

件の中に﹃独占しうる自然力﹄を導入し︑そのもとで商品の社会的価値を正しく規定し︑価値理論を確立することが大切なの

ではなかろうか己(一八1

九ペ

ージ

) 以 上 の 田 代 説 に 対 し て ま ず 第 一 に 指 摘 し な け れ ば な ら な い の は 教 授 が

﹁ こ れ ま で の 見 解 に よ れ ば

﹂ と し て

﹁ 米 の 社 会 的 価 値 は 当 然 そ の 平 均 価 値 で あ る 一 ト ン 当 り 一 二

O

労 働 日 に よ っ て 決 定 さ れ な け れ ば な ら な い

﹂ と し て い る 点 で あ る

︒ 土 地 的 条 件 が 不 可 決 の 生 産 手 段 と な る 農 業 で は

︑ 必 然 的 に 土 地 的 条 件 に つ い て は

﹁ 平 均 原 理

﹂ が 貫 徹 し な い こ と

(9)

は教授のよく知られるところであり︑

﹁これまでの見解﹂に教授も依拠されていないのである︒

( 2 )

マルクスが価値の大きさを規定する概念とてし使用した﹁社会的必要労働時間﹂の規定における﹁社会的標準生産諸条

件﹂のなかぷは﹁土地的条件﹂は含まれない︒その理由を再説すれば次の如くである︒

﹁一般に独占されえない自然的条件は新設企業がいつでも自由に無償で使用できるし︑このような自然力は︑資本(単純商

品の場合は個別的生産者)に包摂され︑資本の生産力として︑資本的条件そのものに付随する一要素であるが︑有限な土地的

条件はこれとは異なる@そして差額地代の考察において問題となるのは独占されうる有限な自然力たる土地的条件である@こ

の有限な独占的自然力に起因する例外的生産力により︑優等地の経営は同一時間内により多くの商品を生産し︑商品一個当り

の個別的価値を小さくする︒が農産物にあってもその価値は個別的価値ではなく社会的価値︑市場価値である︒そして農産物

の市場価値は最劣等地の生産物の平均的個別的価値により規定される︒なぜなら︑最劣等地の資本といえども︑それは社会的

・標準的生産諸条件をもっ平均資本の投下が前提とされており︑平均利潤を入手できなければ︑そこを引き上げるからであ

る︒との結呆︑優等地の商品の個別的価値はより大なる市場価値として成立し︑ここに両者の差額1超過利潤が生ずる︒地主

はこの超過利潤を地代として要求する︒競争は結局は資本家が平均利潤を入手し︑地主が超過利潤を入手する傾向を生み出

す@別言すれば︑土地条件によって発生した差額地代は資本の競争により一般化されえず︑平均利調の形成にも参加せず︑地

代となるQしかし﹃一定の生産部商における資本が何らかの理由で均等化の過程に絵きこれなくても︑何の変りもないであろ

う@その場合には平均利潤は︑社会資本のうち均等化過程に入りこむ部分に基づいて計算される﹄(関与C

曲 目 ・ 困

ω・呂田切訳@

N B

九i

w)

だけである︒かくして農業における超過利潤は商品の一般的生産価格のうちへ規定的に入りこむのではなく︑一

般的生産価椅を前提としており︑との利渦は常に︑独占された自然力を自由にしている個別資本の個別的生産価格と︑問題の

生産部門一般に投下された資本の一般的生産価格との差額から発生するのであるQ

独占的自然力が有限であり︑かつ経済的豊度および位置を異にしているため﹃土地経営の独占﹄が生まれ︑この結果独占的

農業経営が入手する差額地代部分が一般的利潤率の形成に参加しないということは︑農産物の市場価値が独占的自然力をその

自然的基礎として成立する超過利潤とは無関係に成立しているということである︒つまり資本的・経営的条件は社会的・標準

的であり︑土地的条件は相対的にゼロであるところの最劣等地で︑農産物の一般的生産価格が成立している︑ということであ

田代隆教授の﹁新地代論﹂について五七

(10)

団 代 隆 教 授 の

﹁ 新 地 代 論

﹂ に つ い て 五 八

る︒すなわち土地的条件1限界原理であり︑農産物の市場価値が土地的条件の相対的にゼロであるところで決定されることの

必然性は︑山田氏がレlニンに依拠して強調した︑土地の有限性をその自然的基礎とする土地経営の独占と︑土地豊度の不等

性および漸減性をその自然的基礎とする各経営資本の生産力の不等性および漸減性という﹃二重の特殊性﹄をもっ農業生産部

門で資本の競争が行われ︑市場価値法則が貫徹した結果なのであるQかくして土地的条件目限界原理の成立や︑最劣等地の標

準的経営の生産物による市場価値の決定という事態は︑司資本論﹄冒頭規定の貫徹の結果であって︑﹃資本論﹄冒頭の社会的

必要労働時間の規定は︑独占されうる土地的生産条件を除いた・資本の自由にしうる生産諸条件││つまり資本自体の創造し

うる生産諸条件か︑または自然のままで︑すべての資本の自由になる限りでの生産諸条件ーーが標準的であって︑しかもそこ

での生産の主体的要因たる労働力も平均労働であるとい︑7前提のもとで︑何らかの使用価値を生産するのに必要な労働時間な ので ある

Qしたがってマルクスのいう社会的・標準的生産諸条件とは︑いわゆる資本の自由にしうる生産条件のみを意味して

いるのである︒それゆえ﹃資本論﹄の冒頭の﹃社会的必要労働時間﹄の規定における﹃社会的・標準的生産諸条件﹄ゃ︑市場

価値決定の場合のいわゆる﹃組合せ﹄における中位の生産諸条件の中には︑当然有限な土地的条件は含まれない﹂(拙著﹃経

済学

i l

解説と研究││﹄文真堂︑三C

九 よ 三

0ページ)

なお差額地代論段階においては土地的条件に起因する農産物の個別的生産価格と市場生産価格の差額が︑差額地代であり︑

絶対地代論段階においては農産物の個別的価値と市場値価の差額が差額地代であることは︑﹃資本論﹄の上向的叙述によるも

のであり︑改めて説明する必要もないであろう︒

第二の問題点は回代教授が表

I 1

の例は価値論の段階においてすでに地代が成立している︑といわれている点で ある︒表

Ill

の例は︑勿論生産価格論ではなく価値論として展開されているのではあるが︑しかしそれは﹁独占し うる白然力﹂である土地を不可欠な生産条件としている農業生産を取り上げているためであり︑したがって差額地代

が問題となるのは自明のことがらである︒

﹁独占しうる自然力﹂が充用されているなら︑単純商品の場合も資本制高 品の場合もそして更に社会主義商品生産の場合でも差額地代が問題となる︒土地的条件が捨象されるなら︑その場合 には差額地代は問題にならない︒田代教授は︑しかし︑そもそも土地的条件は価値論の最初から捨象されるべきでは

(11)

なく︑したがって常に差額地代を考慮しておくべきであり︑産業的立地や商業地や建築地において当然差額地代は捨

象されてはならないと主張されているのである︒

生唾価格論の段階における差額地代

田代教授は更に問題となる点として価値論を基礎として発展する具体的な資本の自由競争下における生産価格論に

おいても︑同様の疑問が携起され︑同様の考察が進められなければならないことであるとされ︑一般的な生産価格の

理論を考察する場合にも同じく﹁独占しうる自然力﹂を捨象することはできないと主張される︒すなわち﹁ささにも

ちょっとふれておいた通り︑司独占しうる自然力﹄を採用しないで︑まったく資本の自由競争のもとにまかされてい

る商品生産がどこにあるのか︒資本の競争に対して抵抗条件として作用する﹃独占しうる自然力﹄を採用してすべて の資本制生産がおこなわれているのが現実ではないか︒したがって︑そこで全面的に地代理論が究明される必要があ

(3

ろう︒かような視角から従来の一般的生産価格論もまた基本的に考えなおさなければならない﹂(九ページ)といわれ

( 3 )

同様の論旨を教授は次のように述べている﹁従来の謬着した価値法則に対して十分な再検討がまず必要であるが︑後で問題提起をする一般的生産価格論についても反省しなければならない︒さらに工業用地や商業用地の土地価格をいかに地代理論

を基礎として論述するかという現実的な問題点に答えるためにも︑従来の価値論のもとで平均的生産諸条件を当然のごとく前提する立論は︑この際いさぎよく放棄しなければならないのではないか︒

理論的にも歴史的にも抽象化された単純商品生産のもとにおける商品価値の理論を追求するはじめから﹃独占しうる自然

日代隆教授の﹁新地代論﹂について

五 九

(12)

間代隆教授の﹁新地代論﹂について六O

力﹄を導入するならば︑価値法則のもとで特別(超過)剰余価値としての地代の存在を抽象的に規定することができる︒この

ことを呆すことは︑さきに指摘したごとく理論的にも現実的にも必要であることはいうまでもないが︑歴史的な観点からとらえても是非とも果さなければならないことのように考えられる@なぜならば︑地代の萌芽︑その発展︑さらに地代の顕現化は歴史的にみてきわめて早い時期であるとみなければならない︒恐らく︑商品の出現と共にその萌芽は現われるものとみてよい

であろう︒とするならば︑価値論がいかに抽象的な段階における理論であるとしても︑そこに一かけらの地代の存在も認めていないことは歴史的展開過程にも反する︒社会科学理論の方法論からみて︑かように歴史的対応と矛盾する理論は認めるわけ

にはいかないのではないか@そして︑そのことは歴史的な展開︑それへの対応と背離するだけではなく︑前にも述べた通り理論的な考察として間違いをおかしていると規定することができる﹂(一九

j二

0ページ︑ゴヂ

l !

井上)

しかし平均的生産諸条件は土地的条件においては貫徹せず資本的条件において貫徹しているのであって︑この論点は決して

﹁放 棄﹂ しで はな らな い︒

右の例解として教授は木炭生産をとりあげる︒

すなわち炭焼き自体の生産諸条件(資本的条件)は全く同一である と仮定しても︑里に近いところと山奥深いところとで木炭を生産する場合との両者を比較してみると︑里に近いとこ ろで木炭を焼く場合には︑その準備としての生産のための諸物資の運搬に要する費用(追加価値)は少なく︑

ま た 焼きあげた木炭商品を販売するための運搬に要する費用も少なくてすむ︒これに対して山奥︑深い木炭生産の場合に は︑焼く前の準備としての諸物資を運搬するための労力支出は多くかかり︑さらに︑生産したその商品を販売するに は道なき山奥から苦労して運搬しなければならない︒しかるに﹁これまでの価値法則においてはこれらの差異につい ては考慮されていない︒抽象的な単純商品生産のもとでは生産条件の一つとしての位置的条件を捨象することができ るのか︒すでにくわしく説明した通り捨象することはできないのである﹂

(一

一八

ペー

ジ)

︒ 捨象しなければ当然位置 の差による超過利潤は単純商品生産のもとにおける価値法則においても存在する︒教授はこれを具体的に例示する表

(13)

N‑l

表 木産炭す を生

るた

位 置 的木産炭するを生ための生産 生産場所におけ 生産場会所的におけ

超剰〈余地価代値〉過 めに直接産手で段運場 を 生 生 産 量 る 個 別 的 価 値 る社 価 値

条 件 に働要した 所主'  労 日 るに搬働要し

た 労 日 1俵 当 り │ 全 体 1俵 当 り │ 全 体

労働日 労働日 俵 労 働 日 労働日 労働日 労働日 労働日

A  100  20  100  1.2  120  1.8  180  60 

B  100  40  100  1.4  150  1.8  180  40 

C  100  60  100  1.6  160  1.8  180  20 

D  100  80  100  1.8  180  1.8  180 

団代隆教授の﹁新地代論﹂について

第N‑2表 生産された場所 I販売する

消費社市場におけ

位 置 的 における社会的ために消消費個市別場におけ る 会 的 価 値 超 過 剰〈余地価代値〉

条 件 搬1:'

した労

1俵 当 り │ 全 体 昔 日 11俵当り

l

全 体 1俵 当 り │ 全 体

労働日 労働日 労働日 労働日 労働日 労働日 労働日 労働日

A  1.8  180  10  1.9  190  2.2  220  30  B  1.8  180  20  2.0  200  2.2  220  20  C  1.8  180  30  2. 1  210  2.2  220  10 

D  1.8  180  40  2.2  220  2.2  220 

として第W│1表ならびに

W 2

表を示し以下のよ

うに

述べ

る︒

ま ず 第

Nl1

表 で あ る

が︑この表では生産場所と

しての位置的条件を異にす

るA

地 ︑

B

地 ︑

C地 ︑

D地

で木炭生産がおこなわれて

おり

その生産諸条件(し

たがって生産力)は位置的条

件以外は全く同等であると

されている︒そこで表に一不

すごとく木炭を生産するた

めに直接に要した労働日は

いず

れも

OO

労働

日で

同じ

く一

OO

俵の木炭生産

をおこなうことになる(こ

ノ、

(14)

回代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いで

ノ ¥

こで

は不

変資

本に

つい

ても

同一

と仮

定し

て捨

象さ

れて

いる

)︒

したがって︑木炭商品を直接生産する限りでは︑いずれの生産場所から生産された木炭もその価値は等しい︒とこ

ろが位置的条件が異なるため︑木山灰を生産するための種々の侭庫手段を生産現場まで運搬するに要した労働日には差

異が

生じ

A

地二

O

働日

B地四

C

労働

日︑

C地六

C

労働

日︑

D地八

O

労働日を必要とする(ここでも運搬手段につ

いては捨象されている﹀︒その結果︑それぞれの生産場所における木炭商品の個別的価値は差異が生じ一俵当りA

地で

は‑・ニ労働日︑B地一・凹労働日︑C地一・六労働日︑D地一・人労働日となる︒このように生産詰条件は全く同

一でありながら︑生産場所の位置的条件が異なるため︑木炭商品を生産した時点においてすでにそれらの個別的価値

には格差が生じている︒これらの木炭商品は︑生産が終った時点でいかなる社会的価値をもつものと評価きれるの

か︒最劣等の位置的条件のもとでのD地において木炭の単純商品生産が続けられており︑そのことによって当該商品

の社会的需要が満たされている限り︑D地の個別的価値一俵当一・人労働日に相当する価値によって社会的価値は決

定されることになる︒もし︑木炭商品の社会的価値がその水準以下に決定されるなら︑D地の個別的価値(その商品

に対象化された・一八労働日)は保証されないわけで︑当然そこでの木炭生産は停止される︒そうなれば︑社会におけ

る木炭商品の供給はそれだけ減少し︑そこでこの商品の社会的価値は上昇し︑結局において最劣等の位置的条件D地

のもとでの個別的価値水準によって社会的価値が決定(調節)されることになる︒その結果︑第

WI

ll

表に示されて

いるように超過剰余価値としての差額地代がD地よりも優等な位置条件をもっ木炭の生産場所に生ずる︒すなわち︑

A地からは六

O

労働

目︑

B地四

O

労働

日︑

C

地三

O

労働日に相当する価値(差額地代)がそれぞれの士地から生ずる︒

以上の論旨を展開したのち︑教授は﹁もちろん︑木炭商品の生産場所における社会的価値というのは仮定のもとでの

(15)

推論に過ぎない︒たんに説明を容易にするためのものである︒真の社会的価値は商品が交換される場(消費市場﹀に おいて確立するものである︒その実態を知るためにもっと説明を続けよう﹂三二0ページ)と補足されている︒この

補足は後述のように位置による差額地代を念頭においてのことである︒

田代教授はつぎに第百

12

表の考察に移る︒この表の場合も位置的条件以外のすべての生産詰条件(したがって生産

力)は同等であり︑商品を生産する場所の相違によって︑それぞれの商品の個別的価値が相違する︒前表と同様にこ

こでも各生産場所における木炭商品の社会的価値ハ暫定的﹀は一応全部が一俵当り一・八労働日︑全体としては一八

C

労働日に相当する価値によワて評価されている︒さてこのようにそれぞれに位置的条件を異にする生産場所で生産

を終ったこれらの木炭商品が真の価値を実現(販売)するに至るまでに︑どのような変化が起り︑それをどのように

理論的に整理すればよいのか︒前表の通りの各生産場所における統一した木炭高品の暫定的な社会的価値が︑販売市

場(消費地)においてもそのままの価値を実現すれば十分であり︑いずれの場所における木炭生産にとワても満足で

きるものであるかといえば︑そうではない︒なぜならそれぞれの生産場所(位置﹀から販売場所(消費市場)まで木炭

商品を運搬しなければその価値を実現することはできないからである︒すなわち位置的条件を異にしたA

地 ︑

B地 ︑

C地

D地から消費市場まで木炭商品を運搬するために要した費用ハ附加価値

ll

労働

lそしてここでも運搬手段に

ついては捨象されている﹀を表に示したごとくそれぞれ一

O

労働

日︑

O

労働目︑三

O

労働日︑問︒労働日とすれば︑

これらの木炭商品が消費市場に到着した時点における個別的価値はA地で生産された木炭商品は一俵当り一・九労働

目︑全体としては一九

O

労働

目︑

B地

二・

O

労働日︑全体で二

OO

労働

日︑

C地二・一労働目︑全体で二一

O

労働

日︑

D地二・一一労働目︑全体でニニ

O

労働

B

となるのである︒このように消費市場において異なった個別的価値をもって

田代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

一 』

(16)

田代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

六四

現われる木炭商品はいかなる水準の社会的価値によって規制されることになるのか︒最劣等地の位置的条件D地の生

産が続けられ︑そして︑その生産が社会の需要を満している限りD地の個別的価値一俵当り二・二労働日︑全体とし

て二

C

労働日に相当する価値が実現されればよい︒もしもそれ以下で社会的価値が決定されるとすれば︑D地にお

ける生産は停止され︑そのことによってその社会における木炭商品の供給は不足し︑商品交換の基準となる社合的価

値は高められ︑結局はD地の個別的価値水︑準に落着く︒ここに一不された木炭商品の価値こそ実際に商品交換がおこな

われる基準としての真の社会的価値なのである︒田代教授がささに生産した時点で暫定的あるいは仮定的といった意

味はこのことを考えての叙述である︒さて右の結果︑表のごとく超過剰余価値としての差額地代がA

地 一 ニ

O

働日

B地

O

労働

日︑

C地

O

労働日に相当する価値としてそれぞれに唄われる︒

以上のように位置差より生ずる差額地代を考察に入れてみると︑各生産場所で商品を生産した段階において︑各種

の生産手段の運搬のための附加価値の格差をめぐってすでに差額地代が生ずる原因が現われ︑さらに︑生産した商品

を消費市場まで運搬するための附加価値にも位置差が生じ︑そこでもまた差額地代が現われる︒そして︑その二つの

結果安田代教授は第N11表ならびに第

M 2

表に示したのである︒とすれば︑それぞれ位置を異にする生産場所か

らは

A地六

O

労働

日十

一ニ

O

働日

B地凶

O

労働日+二

O

労働

白︑

C地

O

労働

日十

O

労働Hの差額地代が生ずる

のである︒もちろん︑これらの表に示したごとく生産手段の運搬のための附加価値が最低のA地が︑生産した商品の

消費市場までの運搬のための附加価値もまた最低とは限らず︑最大または中程度であることもある︒また︑生産手段

の運披のための附加価値が最大であるD地において︑生産場所から消費市場までの荷品運搬に要した附加価値が最小

であったり中位にとどまることもある︒したがって︑位置差による差額地代はこの二つの運搬のための附加価値がか

(17)

第lV‑3表

労働日 100 

生産手段を生産場所i生産した商品を消費 まで運搬するために l市場まで運搬するた

要した労働日 │めに要した労働日

労働日│ 労筒日

20  I  30 

め働

た労

るた

すし

産要生に

を接 炭直

木に日

件条

' q d  

h霊位

40  40 

B  100 

10  60 

100  C 

80  20  100 

みあい︑加えられた合計の結果の格差によって生ずるものである︒

以上のように解説したのち教授は更に﹁参考のために前記二表とは異なる組み

合せのものを一つの表にまとめてみると第W13表に示す通りである﹂とし以下 のように説明される︒この3表は各生産場所から消費市場まで木炭商品を逼搬す

るために要した労働日をかえてみたものであるが︑その結果いろい・ろの点で変化

が生ずる︒各地で生産された木山氏商品の個別的価値はA地一・五労働白︑B

地一

‑八

労働

日︑

C地一・七労働日︑D

地一

一・

O

労働日となっている︒したがフて︑

表のごとくその社会的価値は最劣等の位置的条件D地の個別的価値一俵当り二・

O

労働日である︒さちに︑そこからでてくる差額地代はA地玉

O

労働

日︑

B地

︒労

働日

︑ C地三

O

労働日として現われ︑前述の二表の組み合せの結果とは異な

る︒なお田代教授は位置地代について若干のことをつけ加えておこうとして生産

手段の運搬に要した附加価値といっても︑生産手段の種相は多くしたがってそれ

らの購入市場は方々に分散しており︑また生産商品の販売市場も決して単一では

なく︑これらのことを考慮するならば︑生産するための生産手段ならびに生産し

た商品を運搬するための附加価値の合計の位置差によって生ずる差額地代といっ

(4

ても︑その内容は意外にこみいっているとのべている︒

( 4 )  

代教

授の

所説

は以

上で

ほぼ

知る

こと

がで

きた

が︑

教授

は﹁

独占

しう

る自

然カ

田代

後教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

ハ 五

(18)

800  400 

田代隆教授の﹁新地代論﹂について

第N ‑ 4表

量 !

個別的価値 │ 社 会 叫

F‑

1

トン当│会体

1 0

トン当│全体

e l

差額地代〉

トン│労働日

i

労働日│労働日│労働日│ 労働日

200;  1. 200:  400;  2. 400:  1.  1 2 d l

│ ' │ ‑ l

,200│a

7000│'

  V V V

300   ,1200:  400:  1.  11200!400!124  産

A  B 

C  3' 

第N‑5表

土 地 生産のたな量的ニ│

L::直 接 生 商 品

一 」 を運搬す生産

種 類

た 「 「 1ト ン 全 体 1ト ン 全 体 持

労働日投労働下日した 当 り 当 り

寸 1 7 1

A  6 1  2101  1. 2601  500 

B  51  2601  1.3001  500  C  41  3501  1,4001  500  D  3 1  5001  1. 5001  500 

六六

としての土地豊度を生産手段として直接に

その生産過程において積極的に利用しなけ

ればならない生産部門(単純商品生産)の

もとにおいては︑この笠度差から生ずる超

過剰余価値としての差額地代も併せて考察

しなければならない︑とし教授の完成され

た差額地代表に向けて以下のように説明を

展開されているQ

まず教授は第百14表を掲げて次のよう

に説明を繰り返されるQすなわち豊反を異 にしたA︑B︑

c

︑Dの四種の土地に等質

で等量の一︑二

00

労働日を投下しA地か

ら六トン︑B

地五 トン

C

地四 トン

D地

三トンの米を生産(ここでは不変資本につ

いては捨象きれている)したとするQ

この

結果それぞれの豊度をもった土地から生産

される米一トン当りの個別的価値はA

地ニ

00

労働 日︑ B地二四心労働日︑C地三OO

労働 目︑

D地四

OO

労働日の価値をもっ

たものとして現われる︒この場合にそれら

の米商品の社会的価値は最劣等地D地の個

別的価値一トン当り凶

OO

労働日によって

評価される︒したがってその結果︑表の通

(19)

り超過剰余価値としての差額地代が︑A地からは一︑二

OO

労働日︑B地八

OO

労働白︑C地図

OO 労働日とそれぞれ生ず

る︒そして︑それは最劣等地D地の生産諸条件(土地以外の生産諸条件は均等であり︑平均的なものと前提されている)が社

会的価値を形成する基準となるがために︑それ以上の優等地に投下された労働はD地よりも生産力が高く﹃強められた労働﹄

として作用し︑超過(特別)剰余価値を生みだす︒次で米商品の蒸額地代表は土地の豊度差に加えて位置差を併せて考慮しな

ければならない@位置差の方がより一般的な現象であり︑豊度差の方は農林業や鉱業などにみられる限定きれた現象だからで

ある@土地豊度差に加えて︑位置差によって生産手段ならびに生産商品を運搬するために必要な投下労働日に格差を挿入して

作製したのが第

H 5

表である︒但しここでも教授は運搬のために必要な運搬手段についてはこれを捨象し︑また︑位置的条

件も叢度条件もその優劣を同一の序列にしていろ@そうするとこの表以示した条件のもとでは位置ならびに豊度を異にした各

土地から生産される米商品の個別的価値はA地一トン当り一二O労働日︑B地二六O労働日︑C地三五O

労働

日︑

D地

00

労働日となり︑米商品の社会的価値は位置条件ならびに豊度条件を加えたものの最劣等地(ここではD地)の個別的価値一ト

ン当り五︒︒労働日で決定ハ調節)される︒その結果︑超過剰余価値としての差額地代が表に一示す通りA地か︑りは一︑七四︒

労働目︑B地一︑二

00

労働白︑C地六

OO

労働日が生ずる︒教授は以上のようにのべたのちこれが﹁価値法則のもとにおい

ても形成されなければならない超過剰余価値としての差額地代の実態なのである﹂(一二五ページ)とされる@そして図表N

ーーを掲げて更に以下のように解説されている@

﹁これらの差額地代を発生させる土地の位置的条件ならびに豊度的条件の組み合せの格差について︑これを総括的にどのよ

うにとらえたらよいか︑その広がりを模式図的に示せば第Ni1図のごとくなるであろう︒三角形ABCが利用されている土

地の広がりを示している@AB線上は最も位置的条件の優れたところである︒このAB線から遠ざかれば遠ざかる程位置的条

件は劣悪になり︑C地はその限界点である︒これに対してAC線上は量度的条件の最も高いところである︒同様にAC線上か

ら離れれば離れる程豊度は劣悪になり︑B点はその限界地である︒したがって︑A地点は位置的条件においても農度的条件か

らしでも最優等地であり︑前述のごとくB点は豊度的条件において限界地︿位置的条件は最も優れてはいるが)であり︑C点は

位置的条件の限界地(豊度的条件は最も佼れてはいるが)であって︑この二つの点を結ぶBC線上が二つの条件の合成された限

界地となっている︒すなわち︑BC線上の任意の点Eをとれば︑AB緑からの隔たりである

E Yの長さが位置的条件の劣悪さ

の程度を示しており︑AC線からの隔たりであるが

E Vが豊度的条件の程度を現わしている︒そして

EP

の位置的条件のもと

回代経教授の﹁新地代論﹂について

六七

(20)

では EV

の豊度的条件を持つところが土地利用の限界地であることを示している︒そ

して

BCCVの広がりは限界外の土地であり︑いまだ利用することの出来ない土地

であることを現わしている︒また︑土地利用閣を示している三角形ABC内の任意の点D

をと れば

︑ DU

が位律的条件の程度を示し︑

Dm

が豊度的条件を示すことになu

り︑ささの限界地E点と比較すれば︑かなり恵まれた条件のもとにある土地であるを

知ることができるであろう︒そして︑いうまでもなく最高に恵まれた地点はA

であ

る︒

もう一っこの図について説明して置く必要がある︒それは︑商品生'廷において土地

の位置的条件と豊度的条件とのニつが密接に関与し︑そのことによって個別経首相互

間に生雇力格差を示す場合には以上の説明の通りであるが︑むしろ多くの尚口山生産に

おいては︑すでに述べたごとく土地の豊度差はほとんど問題にならず︑伎町断的糸件の

優劣差のみが関係するのである︒この場合においては

A 線上のみで土地利用がおこC

なわ

れ︑

A点からC点に隔たるにしたがって位置の格差が生ずるとみればよい︒すな

わち︑豊度を一定(実は曲一一旦度差は無視することができる﹀として︑この線上では位置差のみをとらえることができるからであ

る@もちろん︑位置的条件と豊度的条件との三つの条件の組み合せをとりあげた場合には︑その土地利用の実態を面積として

示したにもかかわらず︑位置的条件のみが関与する場合には︑その土地利用の広がりを線としてとらえることに不合温(疑問)を感ずる人に対しては︑

A いうまでもなく︑位置的条件の最も優れた場所が立地すると考えてもらえばよいであろうQ の広がりのもとに生産APPBBという位置的条件の最も優れたところをべ!スとした四角形

A

J八ページ)線上がその限芥地となると考えればよいのである﹂(一一一六ppてその条件は劣るようになり B線上から遠さかるにしたがっ 間代隆教授の﹁新地代論﹂について A 

第百‑1

ノ、 /i

B' 

C  以

上 の よ う に 田 代 教 授 の

﹁ 新 地 代 論

﹂ は マ ル ク ス 理 論 の 上 に 立 ち な が ら 差 額 地 代 発 生 の 前 提 と し て の 豊 度 と 位 置 を

ると評価できよう︒ 統

合 し た 理 論 と し て 見 事 に 展 開 さ れ て お り

︑ そ の 意 味 で は 教 授 の 新 説 が

﹁ 新 地 代 論

﹂ と し て の 理 論 的 発 展 を さ れ て い

(21)

四 運 輸 さ れ た 生 産 物 へ の 価 値 追 加 と 差 額 地 代

教授はさらにいかなる商品生産においても︑その生産をおこなうにあたっては︑あらかじめ種々の生産手段と労働

力と会一定の生産場所に用意しなければならず︑そのためには︑それぞれの市場でこれらの生産手段を購入し︑その

購入した生産手段を生産場所まで運搬する必要があり︑との運搬のために投下した不変資本(運搬手段)と労働力は

運搬した生産手段に新しく価値を附加する︑としてこの点についての﹃資本論﹄の次の叙述を引用される︒

﹁逼

輪等

に投下された生産資本は︑運輸された生産物に価値を追加する︒

l i

一部は運輸手段からの価値移譲により︑

一部

運輸労働による価値追加によって︒この後にあげた価値追加は︑すべての資本制生産においてそうであると同様に︑

労賃の填補と剰余価値とに分かれる︒﹂Q

資本

論﹄

第五

分冊

︑岩

波文

庫︑

二三

O頁)そしてこのような運搬に要する価値

追加を考慮すると︑単純商品生産のもとで全く同じ生産諸条件のもとで商品生産をおこなった場合でも︑その生産場

所の位置的条件差いかんによって︑生産のために投下される生尿手段(その量と質とは同じであっても)の個別的価値

には商品生産を始める前から差異が生じ︑優れた位置的条件のもとにおける生産場所では︑運輸のための費用︿追加

価値)が少ないから︑商品生産のために投下した生産手段の個別的価値は低く︑反対に位置的条件の劣った生産場所

では︑生産手段を運輸するために要する追加価値は大きいので︑そこに投下される生産手段の個別的価値に高いこと

を指摘される︒そしてこれと同じ関係は生産過程を経過して新しい商品を生産した後にも起るとして︑位置(市場)

条件の優れた生産場所においては生産した商品を販売するための運搬費用︿そのための追加価値)は低く︑市場からの

団代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

ノ、

(22)

田代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

距離の遠い生産場所からの商品の運搬費用は高くなるのでいかなる商品生産においても︑その生産場所の位置的条件

の優劣差によって運搬費(そのための追加価値)支出をめぐって商品の個別的価値には二重の格差が生ずると指摘され

る︒運輸された生産物への価値追加と差額地代についての田代教授の右の所説も正当である︒

五 資 本 の 回 転 期 間 と 差 額 地 代

地代との関連において考慮すべき重要な点として教授は更に資本の回転期間(回転速度)についての考祭をあげる︒

資本の回転期聞は生産期間と流通期間の二つの過程からなるが︑教授はとくに流通期間を問題とされる︒その理由は

商品の生産期間においては︑それぞれの商品を牢産する場合に︑その段階における技術水準を一定とすれば同一生産

部門内の個別経営相互間には生産期間の格差が生ずることはなく︑平準化するからであるが︑これに対して︑主とし

て商業資本が担当する流還期間についてはそういうわけにはいかないからであるとされ︑このため従来の理論に対し

てもっと考祭を深め︑そこから生ずる差額地代について解明する必要があるとして︑位置的条件を異にするA︑B︑

c

︑D地において等量一の商業資本が同一の商品を販売して第百

!6

表に示す通りの結呆を得たと仮定し︑また説明を 簡単にするために︑この一

OO

万円の商業資本は全部を商品購入に充当し︑しかも︑その資本は一度の回転によって

すべてがその価値を移転するものとし︑かっその社会における平均利潤率を一一

O

パーセントとして以下の説明をされ

位置的条件(市場的条件)を異にするそれぞれの販売場所における年間回転数は表の通りA る

地一

六回

B地

八回

(23)

第百一B表

土地の位置 商業資本年回転間回数の利 潤 率f販国売価別格 一価(市般場的価販格売格〉年総利潤間超〈過地利代潤〉

問 %  万円 万円 万円 万円

A  16  201  101. 24  100  160  140 

B  8  201  102.5  110  80  60 

C  100  4  20  105  110  40  20 

D  100  2  20  110  110  20 

C地

四回

︑ D地二回である︒年率二

OM

の平均利潤を確保するためには︑これら の商品の個別的(それぞれの販売場所の﹀販売価格はA

地で

は一

O

一・

ニ五

万円

B地

O

ニ・

五万

円︑

C地

O

五万

円︑

D地

一一

O

万円であればよい︒だが一物

一価の法則の支配するもとではその市場価格(販売価格)は一定の水準によって

律せられる︒この一定水準の販売価格はいかに決定されるか︒最も位置的条件の

劣悪な︑したがって商業資本の回転期間の最も長いD地において︑そこでの商業

資本が資本としての機能を果している限り(平均利潤を実現している限りてその個

別的販売価格によって律せられる︒もしも︑その商品の市場価格がそれ以下で販

売されるとするならば︑D地における販売活動は停止せざるをえない︒その結

果︑それぞれの位置的条件のもとにおける商業資本の総利潤はA地一六

O

万円

B地

O

万円

C地四

O

万円

D地

O

万円となる︒これら総利潤から一

OO

円の商業資本に対する年平均利潤率三

O

パーセント(年利潤二O万円﹀を差引け ば︑超過利潤としての差額地代がA地一四

O

万円

B地

O

万円

C地

O

万円

となる︒これが商業資本のもとに︑そして商業活動において︑位置差にもとづく

流通期間(速度)の差異によって生ずる差額地代である︒

以上のような資本の回転期間と差額地代についての教授の解説もマルクスの理

論と矛盾しない正当な所説であろう︒

田代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

(24)

国代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

六 田 代 教 授 に よ る マ ル ク ス の

﹁ 重 大 な 誤 り

﹂ の 指 摘

田代教授の以上の所説はマルクスの差額地代論を正しく継承したうえで︑現実分析の有効な理論としての地代論を

確立するために︑より一層の理論的深化を意図されて発表されたものである︒教授の理論的展開の過程での若干の叙

述については︑すでにふれたように賛同し難い点はあるが︑教授の積極的な地代論の展開については評価すべきであ

ろう︒とはいえ︑﹁地代論に関しての理論的疑問の一つを価値論のもとで提起し︑以上の通り考察を進めてみると︑

まえに指摘しておいた現実的な問題点︑さらにそこから発展してつぎつぎと現われる疑問点と密接に結びついている

ことがよくわかるであろう︒そして︑これらの現実的ならびに理論的な疑問点を解決するためには︑それらは直接的

には地代理論にかかわる問題点ではあるが︑前述の簡単な説明からも︑たんに従来の地代論の簡囲あるいは︑これま

での地代論争の範囲で再検討するだけでは︑その全面的な解明は無理であることがはっきりしたであろう︒地代論か

ら生産価格論へ︑さらに基本的な価値論にまでたち至らなければ本格的な解決は望めないのである︒換一一一一一目すれば︑地

代理論における本質的な正しい理解のためには︑従来の価値論を再考し︑さらに生産価格論についても反省・検討し

てみる必要があるのである﹂(一0ページ﹀と教授が述べられている点はどうであろうか︒

教授はマルクスによって代表される従来の地代論では︑価値論や一般的(中軸的)生産価格などの商品の価値を律

する経済理論の一般的な論述のもとで︑まったく地代の存在を無視し︑﹁独占しうる自然力﹂を捨象して︑価値論や

一般的生産価格論を抽象的に展開し︑その後﹁独占しうる自然力﹂が導入され地代論がはじめられているのである

(25)

が︑その出発点は︑すべてが資本の自由競争下におかれている蒸気機関の利用による生産と落流利用による生産とが 併存している電気生産部門の考察から始まっているとし︑地代論をこのような一般法則から偏侍したハはずれたある

いはより具体化した)ところにおいて考察し︑位置づけるところに問題があるとされる︒そして教授はかかる基本問題

を別としても︑そして右の論述のもとで電気商品の市場価格を律する生産価格は蒸気機関の利用のみによる平均的生

産価格か︑落流の利用をも含めた総平均なのか︑あるいは別の観点に立つことができるのか︑また︑このような条件

のもとで落流から地代が発生する場合︑この地代の源泉をいかに把握すべきか︑などの疑問を提起される︒

さらに蒸気機関の利用による電気生産のもとでは︑すべてが資本の自由競争のもとにおかれ︑したがって︑

一般

生崖価格法則に従うことができるのか︑その企業の工業用地︑そこでの位置差はいかにとらえたらよいか︑工場用地

は﹁独占しうる自然力﹂であり︑当然に立地による格差が存在しているが︑とすれば︑これが地代論の対象として考

察されなければならないのではないか︑そして︑そのうえでさらに落流の地代が究明されるという順序で地代訟則は

整理される方が正しいのではないか︑と問題を提起し︑これらの疑問か︑りすれば﹁蒸気機関と落流との利用が併存し

ているもとで︑落流に生ずる地代の考察のみにとどまっていることは不十分であると指摘しなければならない︒何か

考察の出発点において重大な誤りをおかしているのではないか﹂(二一ページ)といわれる︒つまりマルグスの円資本

論﹄における地代理論の展開にたいして︑ここでは﹁重大な誤りをおかしている﹂と田代教授はされているのであ

この﹁重大な誤り﹂とは要するに﹁資本制経済のもとにおいては︑さらに広範に商品経済のもとにおいてはといっ

ても差支えないようであるが︑すべての商品生産において﹃独占しうる自然力﹄︑したがって︑それをもととしてうち

国代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

(26)

田代

隆教

授の

﹁新

地代

論﹂

につ

いて

だされる地代ないし土地価格を無視することはできない﹂ということであり︑﹁とすれば︑現実には資本の自由競争

が完全に貫徹していると前提できる条件はなく︑また︑いかに抽象的な単純商品生産のもとでも平均原理が貫かれて

いるという前提のもとに社会的価値を規定することには︑本来的に無理があるのではないか︒かかる視点以立脚すれ

ば︑商品の交換を規定する社会的価値が平均的生産諸条件によって決定されるとか︑あるいは︑資本の自由競争下に

おいて形成される平均的生産条件のもとにおける平均的生産価格によって商品の市場価格が調節されることが﹃一般﹄

法則であると立論することはできない︒すべての商品生産において︑それぞれの生産部門において︑その程度の差は

あっても﹃独占しうる自然力﹄はつねに作用している︒したがって︑資本の運動と共に形成される生産力の平準化傾

向の

もと

で︑

つねに﹃独占しうる自然力﹄が抵抗条件として作用し続けているのが経済現象における一般的姿容であ

るととらえるべきであろう︒現実的にはいうまでもないが理論的にもそうでなければならない︒だとすれば︑平均原

理のもとに立脚している価値法則︑さらに︑それが資本の自由競争のもとで具体化した従来の生産価格法則に対して

﹃一般的﹄な法則という座を与えるべきではない︒﹃独占しうる自然力﹄の作用によって生産力格差をもち︑したがっ

て地代の存在を是認したもとでの新しい価値法則︑あるいは︑地代論を内包したところの生産価格論(従来はこれを

偏侍法則と規定したのであるが)に対してこそ一般法則の座をあけ渡すべきではないか︒きらに︑かような視角に立脚

して経済学体系のもとでの地代論の正しい位置づけをすべきではないか﹂つ一一一

t

コ一

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ジ)

とい

うこ

とで

ある

右の田代教授の所説については次の点をここでも再び指摘しなくてはならない︒すなわち﹁平準化傾向﹂は資本的

条件において最初から最後まで貫徹しており︑土地的粂件のみが﹁間限界原理﹂的に規定されるということである︒そ

こで問題は土地的条件を田代教授のように価値論の最初から導入すべきかどうかということであろう︒教授は﹁現実

参照

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