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(1)

1.はじめに

近年、防衛省・自衛隊において不祥事が集中して起こり、内閣官房に防衛省改革会 議(座長・南直弥東京電力株式会社顧問)が設置され、2008年

7

月に同会議の最終報 告書(1)が首相である福田康夫に提出された。この報告書で注目されたのが防衛省の組 織再編であり、シビリアン・コントロール(civilian control)の在り方である。例えば、

防衛大臣の補佐体制を内部部局(以下、内局)の局長らが兼務する防衛参事官制度を 廃止し、政治任用の防衛大臣補佐官を創設することや、部隊運用では統合幕僚長(以 下、統幕長)に権限を一元化することなどがある(2)。警察予備隊時代から続いてきた 文官(背広組)が自衛官(制服組)を「統制」してきたという「文官統制」から、政 治主導の「政治統制」へ変化するということが、この報告書の最大の特徴と言える。

冷戦時代の米ソ対立というわかりやすい情勢はすでに終わり、国際社会の行方は不透 明だと言える。かつてのように「自衛隊は存在することに意味があった」「存在そのも のが抑止力であり、実際に機能するのは二の次」という認識は、通用しなくなってき ており、実際、自衛隊の役割は拡大する一方である(3)。このような時代において、先 の報告書が提出され、その在り方が変化しようとしているが、シビリアン・コントロー ルにおける主要な担い手、つまり文官、制服、政治家、国民などについて注目される ことは少ない(4)。制度が優れたものであっても、そのアクターが適切に役割を果たさ なければ、機能しないばかりか、逆に日本の安全保障に悪影響を与える可能性がある。

本論文では、そのシビリアン・コントロール(5)の担い手について、その特徴や相互関 係、問題点などについて論じる。

2.文官

文官とは、事務次官や防衛参事官、内局に勤める防衛省職員のことであり、スーツ を着ているため、背広組と呼ばれることがある(6)。また、歴史的に防衛省は各省庁、

主に財務省(旧大蔵省)、警察庁からの出向者が幹部に就いているが、このこともこの

シビリアン・コントロールにおけるアクターについて

─ 日本におけるその在り方 ─ Actors in Civilian Control

─ The Way Each of Them Should Be in Japan ─

真田 尚剛 SANADA Naotaka

(2)

組織の特徴だと言える。

制服が軍事面から大臣を補佐することに対し、文官は一般的に政策面と行政面から 補佐することとされている。制服の傾向として一般社会をあまり知らないということ があるため、文官は社会常識や市民の感覚で考えながら、補佐することがシビリアン・

コントロールにおける最大の役割と言える。同時にまた、防衛政策の専門的立場では なく大局的な視野に立ち、政策決定者である大臣や首相に助言することが求められる。

政治家は選挙で選ばれるため、世論に左右されることがあり、国民が好戦的あるいは 熱狂的になった場合、それを無視することが出来ない。政治的に中立な官僚たる文官 が、かかる事態を回避させることが可能であると考えられる。

この政策的補佐の他に、文官には政治的な根回しを行なうことや、3自衛隊の意見 をまとめる役割がある。陸海空の自衛隊においては予算の獲得などで争う場合があり、

これを統合幕僚監部(以下、統幕)が解決出来れば良いが、少なくとも現在はそれが 困難なため、各幕僚監部とは別組織の内局が調整している。しかし、このこと自体は、

自衛隊に対して内局が強い立場であるため可能なことであり、「文官統制(調整)」(7)と も指摘出来る。これら文官の役割をまとめると、健全な常識に基づき、国内外、また 政軍双方の領域のことを考えながら、軍事専門家である制服の意見や感情に支配され やすい世論に引きずられないように、政策的助言を大臣へ行なうということである。

また、制服が対応することが難しい複雑な一般行政分野に対して、その主導力を発揮 することも大事となる。このようなことから、今後文官には、政策助言者として、ま た行政官としての役割が求められる(8)

また、これまで指摘してきたことから考えられる文官の

1

つの特徴として、現実的 思考という点がある。例えば、防衛参事官制度の現状維持などは、それを早急に変え ることで生じるであろう、政治的社会的問題を避けるためという理由があると指摘出 来る。政治の現場に接しているため、制服や学者、マスコミなどが主張する一種の「理 想論」ではなく、現実主義的な考えを行なう傾向がある。そして、目的を達成するた めには、政治や国民の現状を念頭に、納得しやすい理由を考え、実行する。文官は官 僚であるため、このように現実的な考え方で、政策を実行していくということは、当 然の現象と指摘出来る。

文官の在り方として、軍事的知識などを持っておくべきかどうかという議論がある が、この点については内局出身者でも意見が分かれる。シビリアン・コントロールを 確実なものにするために、政治家も文官も、軍事について深い知識と洞察力を持たな ければならないし、無知であってはいけないという意見がある(9)。一方、反対論とし て、政策面で大臣を補佐することに文官の役割があるわけであって、もし軍事的知識 を持とうとするならば、文官としての役割が出来なくなるという主張も存在する(10)。 これらの考えについて論じると、前者の方が適切な指摘だと言える。軍事の専門家は 制服であり、たとえ政治家や文官が軍事についての知識や洞察力を持とうとしても、

彼ら自衛官と同じレベルになることはない。それは、制服の日々の仕事が、装備など を使い作戦を考え、訓練することであり、通常政策面を担当している文官が、そのよ うな人々と同等になることは困難だと考えられるためである。よって、後者の考え方 のように、軍事的素養を持とうとすることで、文官が制服と同質化し、役割があいま

(3)

いになるということはない。むしろ、軍事に対し何も知らず、また知ろうとしない姿 勢は、制服から不信を買う可能性があり、一般に指摘されるような「背広組

vs

制服 組」という構図が固定化されてしまう上、軍事問題において大臣が制服へ引きずられ そうな場合に、適切に補佐することが出来ない。また、国防を担う官僚として、その ような知識をある程度持つことは、仕事上必要だと考えられる。例えば、インド洋へ のイージス艦派遣の論理や各自衛隊の予算調整などでは、軍事を知らずに出来ないだ ろう。文官は制服のことを、制服は文官のことを、知り、理解するように努力しなけ れば、「民主的な文民統制」や軍事的合理性の確保が難しいと指摘出来る。元防衛事務 次官である三輪良雄が指摘する通り、「同じ防衛庁にいても、文官と自衛官の考え方の 差が出てくるのは当然なのである。また、なければならないことなのである。その上 で双方が相補い相磨くことが必要」(11)だと言える。

最後に、文官の役割としてさらに指摘しておくべき点は、文官の助言や補佐、各自 衛隊に対する調整は、政治の指導下にあることが前提であり、また軍事的合理性を過 度に阻害してはならないということである(12)。国民から選ばれた政治家に最終的な決 定権があり、文官と制服は双方協力し合い、その決断をしやすいように補佐する努力 が求められる。

3.自衛官

制服(自衛官)の役割は、文官の役割を政策面等における首相や大臣の補佐とする ならば、軍事面での補佐がそれだと言える。社会が進歩し、軍事においても、制服と いう専門家以外では理解することが難しい分野が多くなった。そのため、軍事技術や 作戦指揮などに長けている制服が、政治家に対し助言する必要性は高まっている。統 幕長は、自衛隊の運用に関する軍事専門的観点から大臣を一元的に補佐することとな る。また、文官との関係においては、ポストの争奪などはあるだろうが、これは各省 庁においても見られる現象であり、現在、確執というものは減りつつあり、足の引っ 張り合いというものもほとんど存在しないと考えられる(13)。このように、自衛官を取 り巻く環境は変化し、かつてのように制服を「日陰者」として扱うことはなくなって きた。しかし、先に政治に対する助言の必要性について述べたが、例えば海外派遣に おいて、どのような事柄(派遣の有無、行動基準や武器使用基準、基本計画の決定、

撤退など)に対し、どのような行動(中立、推奨、主張など)を果たすべきかは難し い問題である(14)。当然ながら、最終的には政治家が決定するわけだが、そこに至るま での制服の関与は、バランスの問題と言えるだろう。制服は「政治は、自衛隊がどこ までやるべきかを決めてくれ。決められたことでベストを尽くす」とよく述べ、マス コミなどはそれを一種の美談のように伝えることがある。しかし、制服に必要なこと は、「やるのであれば、こういう編成と装備、基準でやるべきだ」と政治へ進言するこ とだと言える。「軍隊による安全」が求められ、「機能する自衛隊」(15)と変化し、より 活動範囲が広がっている現在、任務の危険度は増していくと考えられる。このような 時に、自衛隊幹部たちが適切に大臣へ助言などを行なわなければ、自衛官ばかりか日

(4)

本の安全保障に大きなダメージを与える可能性がある。

さて、軍人にはいくつかの特徴が存在する。それは、自らが命を懸けて国家を守る という職務についているため、自分たちこそが国家を最も考えている存在だと自負す ることである。また、これに関連して、自分たちを特別な団体とし、一般社会と違う ものとしようとする傾向がある。そして、コントロールしておかなければ政治へ介入 してくる性質も持っていると指摘出来る。このような傾向から、特に自衛官の場合は、

一般社会や政治をあまり知らないこと、理想論に傾きやすいことなどが考えられる。1 つ目の問題だが、軍隊は階級社会であるため、上官が命令すれば実行されるが、一般 の社会や政治の現場においてはそのようにならないため、そこでギャップが生じてし まう。このシビル・ミリタリー関係におけるギャップの問題は、米国において

TISS

(Triangle Institute for Security Studies)調査という、文民と軍人に対して行なわれる アンケート調査によって明らかにする試みがなされているが、日本においてはあまり 進んでいない(16)。だが、限られた調査から明らかにされることは、第

1

に軍人の方が 保守的であること、第

2

に幹部自衛官と文民エリートとのギャップは少なく、一般国 民とのギャップが大きいこと、第

3

に犠牲者受容度については軍人の方が忌避的であ ること、第

4

に幹部自衛官は積極的に政策形成過程に参加したいと考えているという ことである(17)。このようなギャップの現状について、すぐに「危機的」だと判断は出 来ない。しかしながら、諸外国と比べて自衛隊では社会との接点が少ないため、自衛 官が軍事という専門分野以外を理解しにくい環境にあるということは指摘出来る。そ のため、一般の考えを理解することが難しく、特に軍事と深い関係がある政治に対し ては、根回しや説得などが必要となるため、自衛官は苛立つ、またその現象を間違っ ている考える場合がある。軍人をはじめ、弁護士や医師などの専門技術を必要とする 職業の者が、一般社会や国民における共通の感覚(common sense)に疎いことはよく 指摘されているが、特に武力集団に所属する軍人はこの自身の問題を認識するととも に、出来るだけ社会を理解するよう努めなければならない。自衛隊と社会を隔絶する ことは、自衛官の国家観、社会観を歪めるものとなるだろう。

自衛官の独特の考え方を克服する方法として、自衛隊内で政治についての教育など を行なうことや、積極的に一般社会とコミュニケーションをとることなどが考えられ る(18)。また、幹部候補生学校と幹部学校において、政軍関係の授業を行なうことも、

重要であろう。主要な信条が士官学校内で形成され、文民と軍の複雑な関係は高級課 程で行なわれるが、そこでは現状における政軍関係を徹底的に理解させなければなら ない(19)。また、制服が国会の常任委員会などへ出席する必要性は長く指摘されてきた が、軍事に関連する問題について答弁することも、政治の現場を知り、また政治家も 自衛官や軍事についての知識を増すことになる

1

つの要因になりうる(20)。他方で、当 然ながら国会は法律論が多いこと、議員による厳しい質問が出ること、多くの議員が 軍事に疎いため軍事的専門性を含む質問が出ないことなどが予測されるため、自衛官 が出席する必要はないという指摘が、文官に限らず自衛官においてもある(21)。しかし、

今後自衛隊の活動範囲が広がり、軍事分野が複雑化専門化していくことは確かであり、

防衛分野についてのタブーもなくなりつつあるため、この制服の国会出席問題は検討 すべき課題であろう。さらに、防衛大学校(以下、防大)出身者により、統幕長(旧

(5)

統幕議長)と陸海空幕僚長の

4

幕僚長が全員、そして将官のほとんどが占められてい ることも、自衛官の視野が狭いという特徴に関連すると考えられる。この問題につい て、防大校長を歴任した猪木正道は、「少なくとも三幕僚長のうち一つか二つは、一般 大学の卒業生を任命しなきゃ嘘なんですよ。(中略)いまのままでいったら、また、旧 軍に近いような、非常に偏狭な考え方の持主が多くなるのではないかと思って心配し ている」(22)と述べているが、このような指摘は他にも存在する(23)

次の問題として、制服が理想論に傾きやすいということであるが、これは先の一般 社会をあまり知らないということと関係する。例えば、制服は、防衛参事官制度など を特に軍事的合理性から批判し、変更するべきだとする。しかし、そのためには政治 家や国民の反対が少ないような状況でなければならないが、そのような状態にならな いと、防衛問題にあまり関心がない、あるいはタブーとしている現状が間違っている と解釈してしまう。確かに、これらは「正論」であろうが、いくらその理想を唱えて も現状はなかなか変わらない。軍人は、将来起こり得る危機、戦争へ対処することが その仕事であるため、文官とは違い、目前の予算確保などの政治の現実、国民の「感 情」をあまり考慮しない傾向がある。確かに、制服が主張するように、将来の有事に 備えるために必要な装備などを確保しなければならないこと、一般社会が安全保障や 防衛問題について関心を持ち、議論がなされることを求めるのは、理想であり、防衛 参事官制度の変更も必要であろうが、重要な点は、社会の要請がそれに追いついてい るかどうかであり、納得が得られない急速な改革は反発を生む可能性が十分ある。事 務次官であった久保卓也は、自衛隊

OB

が外に向かって主張することを歓迎する一方 で、「その主張は世間から離れて防衛理想論にはしっているものが少なくないように思 う。(中略)今日の日本国民の多くは、防衛問題については一種の病人である。従って 病人には病人にふさわしい食事があるのであって、幾ら栄養価が高いからといってビ フテキを出したのでは、病人は食べないか下痢を起こしてしまう。今必要なのは『今 日の』防衛論であろう」(24)と述べているが、この指摘は正しいと言える。

このように考えると、サミュエル・P・ハンチントン(Samuel P. Huntington)が指 摘したように「軍人を軍人たらしめ、彼等を国家の道具たらしめること」(25)は、複雑 性が増し、政治と軍事の分野が入り交じっている今日において、理想的な制服の姿で はない。自衛隊に対するニーズは拡大し、任務は国土防衛から災害派遣、国際貢献な ど多様となり、軍事技術は進歩する中、専門的事柄のみを追求することでは、「民主的 な文民統制」を確保することは難しいと考えられる。

4.政治家

これまで文官と制服について論じてきたが、その

2

者が補佐すべき対象は、首相や 大臣という政治家である。「民主的な文民統制」では、国民から選ばれた政治家こそが 自衛隊をコントロールすべき主体であり、客体は文官と制服と考えられる。しかし、

歴史的に日本では、政治の「直接的コントロール」ではなく、官僚による「委任的コ ントロール」というかたちだった。1つの例として、かつて国会において、議員が政

(6)

府委員に対し、シビリアン・コントロールの実効性を問いただすことがあった。本来 ならば、国会自体がその一翼を担うのであり、このような質問は自らの役割を官僚へ 白紙委任するものと受け取られてもしかたがないことである。しかし、当時において は、このこと自体が怪しまれ疑われることはなかった(26)。国会議員は立法府の人間と して法律を作成することが仕事だが、大統領制である米国などと違い日本は議員内閣 制であり、内閣と国会は近い関係に位置し、実際にはほとんどの法律が官僚により書 かれており、国会における質疑に対する政府の答弁も官僚があらかじめ作成している。

これは防衛に限らずあらゆる分野で見られる現象だが、特に防衛問題において「委任 的コントロール」が目立つ原因について、防衛大学校准教授である彦谷貴子は

3

つあ ると指摘した(27)。まず、防衛分野が比較的専門性が高い分野であり、学ぶ意識やその 担当ポストに就かなければ、習得することが難しい領域ということがある。次に、政 治家にとって、防衛問題は「票とお金」にならないことが挙げられる。3点目は、国 民の間でナーバスな問題である防衛問題を政治家が取り上げることは、社会党が野党 の最大勢力だったということもあり、政治的リスクが高いということである。

しかしながら、時代とともに日本の国内外で変化があり、文官による「委任的コン トロール」から政治の「直接的コントロール」へと変わる必要が出てきた。日本を取 り巻く安全保障環境は厳しいものとなりつつあり、これまでの対称脅威とともに、テ ロなどの非対称脅威へも対応しなくてはならなくなった。また、国際貢献も求められ るようになり、自衛隊の任務は増大し多様化してきている。国内では、イデオロギー による対立が目立たなくなり、安全保障や防衛問題について議論することが可能とな り、関心を持つ政治家や国民が増えた。これらは、日本に対する脅威が感じられるよ うになったためであるとともに(28)、「政治主導」という名の下に、内閣機能や大臣を 支える体制の強化により、政治がより政策にコミットしていくようなかたちとなった ためだと考えられる。

さて、あらゆる民主主義国家において問われることであるが、政治家自身が自由や 民主主義という価値観を持つということが重要である。アドルフ・ヒトラー(Adolf

Hitler)やヨシフ・V・スターリン(Iosif V. Stalin)がいくらシビリアンであろうとも、

彼らの軍隊に対するコントロールを、「民主的な文民統制」あるいはシビリアン・コン トロールと呼ぶことは出来ないため、このことを前提としてこれからの議論を進める。

文官は政策面や行政面で、制服は軍事面から補佐するため、大臣はより大局的な視野 から判断し、自衛隊をコントロールしなければならない。そのため、まず政治家は、

基本的に軍事は政治の手段であるという大前提(29)を認識し、シビリアン・コントロー ルの原則を理解する必要がある。プロイセンの軍人であったカール・フォン・クラウ ゼヴィッツ(Carl von Clausewitz)は、古典的名著とされる『戦争論』において、「戦 争は、政治的行為であるばかりでなく、本来政策のための手段であり、政治的交渉の 継続であり、他の手段を持ってする政治的交渉の遂行である」(30)と論じ、政治が軍事 を支配することを説いた。また、第

1

次世界大戦においてドイツと対決したフランス の首相、ジョルジュ・B・クレマンソー(Georges B. Clemenceau)は「戦争は、将軍 どもに任せておくにはあまりに重要すぎる」という言葉を残している(31)

中国の古典『孫子』の冒頭には、「孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存

(7)

亡の道は、察せざる可からざるなり」(32)とあるように、政治家は文官と同様に、軍事 についての知識や洞察力が必要だと考えられる。複雑性が増した今日において、政治 は軍事に対し関心を持たなければならず、それを知らずに現実的な防衛政策を決定す ることや有事への対処は困難である。衆参両院における安全保障分野の常任委員会な どの議論が徐々に深くなってきていることも確かだが、日本の政治家が軍事に疎いと いうことは、今日でも指摘されている(33)。未来学者であるアルビン・トフラー(Alvin

Tof fler)が、先のクレマンソーの言葉を踏まえ、「今は、あまりにも重大であるがゆえ

に無知な人びと─軍服を着ていようがいまいが─に任せきるわけにはいかない」(34)と 指摘している通り、コントロールの主体である政治家は、軍事を知る努力を怠っては ならない。

以上、主に政治家という

1

つのアクターについてのみ論じてきたが、次に文官及び 自衛官との関係において、どのようなことが求められるかを述べる。それは、政治が シビリアン・コントロールの主体であるため、客体との関係が重要であり、またより 大きい責任や役割があると考えるためである。そこで大事なものはバランスという要 素であり、ジョン・

F

・ケネディ(

John F. Kennedy

)から優れた国防長官の資質を問 われた元国防長官であるロバート・A・ロヴェット(Robert A. Lovett)は、「健全な懐 疑主義、まともな価値観、優先順位についての感覚の三つである」と答えた(35)。この 指摘は抽象的であるが、重要なことであり、諸外国の国防担当大臣に言える資質であ ろう。さて、その求められる文官と自衛官の距離やコミュニケーションであるが、こ れは非常に難しい問題だと言わなければならない。それは、米国などの主要国におい ても当てはまることであり、悪例として、ベトナム戦争における軍部と政治の関係が ある(36)。参戦を決意した後、文民指導者である政治家は、軍首脳部との白熱した議論 を避け、大統領や国防長官などがベトナム問題について話し合う火曜日の昼食会へ統 合参謀本部議長が呼ばれたのは、1965年

2

7

日の北爆開始から

2

年半以上経った、

1967

10

月になってからであった。

この問題における日本の場合だが、その適切な関係を保つための前提が、やや好ま しくない状況にあると考えられる。具体的に指摘すると、官僚と自衛官に対する政治 家のスタンスである。1990年代半ばに中央省庁で発生した不祥事などが原因で、いわ ゆる「官僚バッシング」というものが起こったが、そこではただ官僚を叩けばよいと いう風潮が国民ばかりか政治家においても見られ、現在においてもそういう傾向があ ると指摘出来る。過度に政治家が官僚へ引きずられることや、官僚が政治家の代わり に理念を提示することは好ましくないが、無意味にバッシングするのではなく、政治 家にとって重要なことは彼ら官僚をいかに使うかである。官僚は、極めて多様で異質 な機能を果たしている集団であり(37)、政治家は政策過程における官僚との機能分担を 考えるべきであろう。制服に対する政治の問題から指摘出来ることは、自衛官の位置 向上を進め、より良い政軍関係を保つべきということである。昭和期から比べ自衛官 の立場は徐々に改善されてきているが、諸外国と比べ不十分であり(38)、多くの国民は 自衛隊の存在を認めた上で、その活躍を知っており、政治はそれに適切に対応すべき であろう。いわば「名誉」に関係するこのような点をなおざりにすることによって、

自衛隊内で「役割だけが多くなった上、危険になったが、その功績を適切に判断して

(8)

くれない」という不満が起こる可能性があり、信頼が揺らぎ政軍関係に悪影響を及ぼ しかねない。

このことを前提とし、次に論じるべきことは、実際に首相や大臣といった政府首脳 が自衛隊をコントロールする際に、文官や制服の幹部とどのような関係であるべきか という問題である。このことについては、うまく機能した例として、1999年

3

月の能 登半島沖不審船事案における防衛庁の対応がある(39)。この事案では、海上自衛隊史上 初の海上警備行動(以下、海警行動)が発令されたが、この数日前に防衛庁首脳部の 勉強会(40)においてテーマとなったのがこの海警行動であったことから、比較的うまく 対応出来たとされている。このような訓練を行なっておくことで、有事や準有事の際 に、大臣はどのように決定すべきかを、文官と制服はそれぞれの観点からどのように 補佐すべきかを知ることが出来るだろう。こうした場では、議論になることを避けて はならず、首相や大臣が文官や制服に対し質問することが必要である。ジョンズ・ホ プキンス大学教授のエリオット・A・コーエン(Eliot A. Cohen)が指摘するように、

政治家は、行政に伴う権限と同様に、軍事についても完璧に掌握し、その意見は軍に 対し支配的でなければならず、政軍における協議は結果や方針だけではなく、方法や 手段も取り上げるべきであろう(41)

5.国民

前章で論じたように、シビリアン・コントロールにおいて主体となり、より重要な アクターは政治家であるが、その彼らを選出するのは国民である。そのため、国民と いう存在についても論じる必要があろう。また、自衛隊という集団が一般国民と無関 係であってはならず、そして現実的に無関係ではいられない。ここで国民について論 じる主な点は、その時々の空気に流されやすいこと、安全保障や防衛問題があまり議 論されないことの

2

点である。それは、これらが長く指摘され続けた問題であるとと もに、日本においては国民が主権(sovereignty)を持っており、自国の安全保障やシ ビリアン・コントロールへ大きな影響を与えるためである。政治家、文官、制服の

3

者が好戦的ではなくても、国民が国際政治や安全保障に無知であり、その場の熱狂的 な空気に乗せられた場合、回避出来るはずの戦争へ国が向かってしまう可能性や、クー デタを誘発する要因になり得る。このような事態を避け、よりシビリアン・コントロー ルを確実なものとするため、このアクターについて論じる。

まず、その時々の空気と国民についてであるが、流されやすいという傾向は日本に 限らず、諸外国も同様だと指摘出来る。近年では、9・11テロからイラク戦争に至る までの米国の世論が、その代表例であろう。日本においては、1941年の真珠湾攻撃前 後における世論などは、熱狂的だった。その当時、国民は政府よりも好戦的であり、

首相であった東条英機の自宅には、多くの手紙やはがきを寄せられたという。それら の内容は主に

2

つであり、1つは「米英撃滅」「鬼畜米英を倒せ」という戦争を迫るも の、もう

1

つは「弱虫東条」「いくじなしはヤメロ」といった批判であり、これらは東 条が首相になり開戦するまでの

50

日あまりの間に

3,000

通以上来た(42)。この当時の世

(9)

論については、昭和天皇自身も危険だと感じており、『昭和天皇独白録』では「私が主 戦論を抑えたならば、陸海に多年練磨の精鋭なる軍を持ちながら、むざむざ米国に屈 服するというので、国内の世論は必ず沸騰し、クーデタが起こったであろう」(43)と述 べている。このような事例を見ると、一般国民の世論というものが、対外政策へ大き な影響力を持っていることがわかる。あらゆる場面において、世論が流動的というこ とは確かであり、現実的にそれを完全に克服することは困難だと言わざるを得ない。

次に、防衛問題についてあまり論じられてこなかったという点であるが、これは先 に述べたことと関係する。それは、このような問題について多くの国民が関心を持ち、

議論することが、冷静な判断へ近づく方法だと考えられるためである。世論調査によ ると、「自衛隊や防衛問題に対する関心」は

50%後半から 60%後半の間を推移してお

り、「国を守るという気持ちの教育の必要性」は右肩上がりであり、最新の調査では賛

成が

66%、反対が 22%となっている

(44)。これらを見ると、戦後しばらく存在したあ

る種のタブーというものは、なくなりつつあると考えられる。しかし、先の世論調査 による防衛問題等への関心度では、40%から

30%の国民が無関心と答えていることも

事実であり、実際に議論し、それが活発になるかどうかは不明である。イデオロギー についてではなく、防衛や自衛隊を現実問題として語ることは、歴史的に関心が薄い と言える日本国民にとって、難しい問題だと考えられる。この歴史的背景とは、1つ に先の大戦における「後遺症」のことであり、多くの国民が亡くなったことから、軍 事や防衛を考えたくないというものがある(45)。また、律令国家時代における徴兵制度 消滅から

1000

年間にわたり、武士階級を除く日本人が軍事に無関心であり、それが現 在の安全保障感覚の原点になったとも考えられる(46)。他に、戦後日本においては、石 油危機のような食糧や天然資源による平時の危機の方が、国民にとってより身近であっ たため、戦争という有事のことはあまり関心がないという指摘もある(47)。いずれにし ても、日本国民が防衛問題についてあまり論じたがらない、あるいは論じる必要性が ないと考えていることに変わりはない。教育の場においてはいまだにタブーさえ存在 し、近年ではイラクへ派遣された自衛官による大学での講演会を巡る問題が報道され た(48)。また、安全保障論や平和学を講義する大学はあるが、戦争学や軍事学について の授業は、防衛大学校などの特殊な大学を除きほとんど存在しない(49)

多くの国民に軍事や防衛問題について日頃から関心を持つように求めることは難し いが、大学や大学院という高等教育機関においては取り上げるようにし、せめて社会 における一定層は知識がある状況にしておくべきである。また、財政的問題がある が、奨学金が充実している米国の予備役将校訓練団(Reserve Officers Training Corps:

ROTC)のような制度を作り、軍事知識を身に付け、予備役を拡充することも検討すべ

き課題の

1

つと言える。統合参謀本部議長などを歴任したコリン・L・パウエル(Colin

L. Powell)もこの ROTC

の出身であり、米国においては士官を養成する制度として存

在し、現在将官の多くが、士官学校卒ではなくこの制度を出た者である(50)。このよう に、軍の士官を広く募集出来るため、人材が偏らないという利点もある。

(10)

6.結語

シビリアン・コントロールや政軍関係は、各国の政治制度だけではなく、歴史や文 化により違いがあるため、そのことを考慮しながら、論じる必要がある。日本では、

戦前と戦後における歴史的事情から、欧米と比べ特殊な文民統制、つまり「文官統制」

となっていることは否定出来ず(51)、また「軍隊からの安全」と「軍隊による安全」の 両立を図らなければならないが、「軍隊からの安全」のみに注視してきたと言える(52)。 本論文の冒頭で述べたように、実際、「文官統制」から政治による「民主的な文民統制」

へと変化しつつある。だが、それをどのように変えていくかについて、制度面は当然 であるが、その担い手についても真剣に議論しなければならない。シビリアン・コン トロールを適切に機能させるためには、防衛省と自衛隊におけるアクター、つまり文 官や制服だけではなく、その主体である政治家、そしてその政治家を選ぶ国民が重要 な存在であり、その在り方が問われるのである。自衛隊が「『つくる時代』から『働く 時代』へと移行しつつある」(53)現在、文官や制服はもちろん、政治家や国民もこの問 題に無関心ではいられないだろう。これまで日本においては、シビリアン・コントロー ルについて様々な誤解があり、現在もそうだと言える。それは、「文官統制」を「民主 的な文民統制」と認識することや、「軍隊からの安全」のみを重要としてきたことであ る。また、防衛省・自衛隊を起こった「事件」に対して、マスコミ等がシビリアン・

コントロールを誤用し、批判することもある(54)。「民主的な文民統制」の定義も含め、

その制度や担い手について考えなければならない。

■註

(1)首相官邸ホームページ「防衛省改革会議」。2008921日アクセス。

(2)防衛省は、これらを09、10年度に実施することを088月に決定している。

(3)防衛省『平成19年度 日本の防衛』ぎょうせい、2007年、131頁。「図表Ⅱ-3-1-1 拡大す る防衛省・自衛隊の活躍など」。

(4)最終報告書においてもアクターの役割などに言及している箇所は少ない。

(5)本論文におけるシビリアン・コントロールは「民主的な文民統制」とする。それは、軍に 対する政治の統制と民主的な統制の両方があってこそ、シビリアン・コントロールと呼ぶ ことが出来るためである。ルイス・スミス(佐上武弘訳)『軍事力と民主主義』法政大学出 版局、1954年、42-43頁。

(6)ユニフォームを着た制服組(自衛官)と比較する際に、よく背広組という表現が使われる。

尚、文官は、自衛官ではないが、自衛隊員である。

(7)西川吉光「戦後日本の文民統制(下)」『阪大法学』第52巻第2号、2002年、290-292頁。

廣瀬克哉『官僚と軍人』岩波書店、1989年、247-263頁。

(8)同論文、295頁。

(9)秋山昌廣『日米の戦略対話が始まった』亜紀書房、2002年、179-180頁。

(10) 藤島正之『防衛にかけたロマン』ジャパン・ミリタリー・レビュー、2001年、74頁。

(11) 三輪良雄「内局論」『国民講座・日本の安全保障8 自衛隊論』原書房、1969年、38頁。

(12) 西川、前掲論文、294頁。

(13) 秋山昌廣「それでも残された国防のための『課題』とは?」『日本の防衛 7つの論点』宝島社、

2005年、94-95頁。

(11)

(14) ここでの例えは、以下のものを参考とした。彦谷貴子「第5章 日本にシビル・ミリタリー・

ギャップは存在するか?」『安全保障のフロンティアⅡ リスク社会の危機管理』明石書店、

2007年、106-108頁。

(15) 防衛庁長官や防衛大臣を歴任した石破茂は、就任時からこの言葉を頻繁に使っている。例

えば、2003910日に行なわれた自衛隊高級幹部合同での訓示。「朝雲新聞」2003 101日号。

(16) 河野仁、彦谷貴子「冷戦後の自衛隊と社会─自衛官・文民エリート意識調査の分析」『防衛

大学校 社会科学分冊』20063月号、49-51頁。

(17) 彦谷、前掲論文、108-109頁。

(18) 幹部自衛官が、一般企業や他省庁へ出向することはある。

(19) エリオット・コーエン(中野勝郎訳)「近代民主主義社会と政軍関係」『季刊アステイオン』

20、1991年、59頁。

(20) 制服組幹部の国会出席は、1959128日の参議院内閣委員会へ航空幕僚長であった源

田実が出て以来、今日までない。「読売新聞」1998330日朝刊。

(21)「朝日新聞」20071027日朝刊。

(22) 猪木正道「政治は軍事を、自衛隊は政治を」『季刊アステイオン』№21、1991年、66頁。

この発言の前後において猪木は、「日本は、防大一期生が三幕僚長になったと喜んでいるの で、『どうかしている』と思うんだな。そんなことをしたら、防大が駄目になりますよ」「やっ ぱり、たくさんの違った学校で勉強した人が集まって日本の自衛隊をつくっていく」必要 があると述べている。

(23) 秦郁彦『現代史の争点』文藝春秋、1998年、186-187頁。

(24) 久保卓也「自衛隊のあり方」『久保卓也 遺稿・追悼集』、1981年、132-133頁。

(25) サミュエル・ハンチントン(市川良一訳)『軍人と国家(上)』原書房、1978年、83頁。

(26) 長尾雄一郎「内政の変動と政軍関係についての一考察」『新防衛論集』第24巻第1号、1996年、

67頁。

(27) 彦谷貴子「シビリアン・コントロールの将来」『国際安全保障』第32巻第1号、2004年、

29-30頁。

(28) 同論文、36頁。

(29) 西川吉光『国際政治と軍事力』北樹出版、1989年、255頁。

(30) カール・フォン・クラウゼヴィッツ(日本クラウゼヴィッツ学会訳)『レクラム版 戦争論』

芙蓉書房出版、2001年、44頁。

(31) エリオット・コーエン(中谷和男訳)『戦争と政治のリーダーシップ』アスペクト、2003年、

83頁。

(32) 浅野裕一注釈『孫子』講談社学術文庫、1997年、19頁。現代語訳では、「孫子は言う。軍事とは、

国家の命運を決する重大事である。軍の死生を分ける戦場や、国家の存亡を分ける進路の 選択は、慎重に明察しなければならない」となる。同書、17頁。

(33) 半田滋『戦えない軍隊』講談社+α新書、2005年、54-55頁。

(34) アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー(徳山二郎訳)『戦争と平和』フジテレビ出版、1993年、

18-19頁。

(35) デイヴィッド・ハルバースタム(浅野輔訳)『ベスト・ブライテスト(上)』朝日文庫、1999年、

27-28頁。

(36) コーエン、前掲書、267頁。

(37) 佐々木毅『政治学講義』東京大学出版会、1999年、216頁。

(38) 福地建夫「第4章 社会基盤」『日本戦略研究フォーラム政策提言10 新たな国軍のあるべ

き姿』、2005年、35頁。岡芳輝『平成の自衛隊』産経新聞社、1998年、14-15頁。

(12)

(39) 勝股秀通「第3章 『政治による軍の統制』」『日本戦略研究フォーラム政策提言10 新たな 国軍のあるべき姿』、2005年、30頁。

(40) この勉強会は、19991月に臨時に庁内で設置された「重要事態対応会議」のことであり、

長官が主宰となり月に1度開かれた。メンバーは、次官と各局長、統幕議長、陸海空の幕 僚長である。

(41) コーエン、前掲書、306頁。

(42) 田原総一郎『日本の戦争』小学館、2000年、486頁。

(43) 寺崎英成『昭和天皇独白録』文春文庫、1995年、84-85頁。わかりやすいように口語訳に

した。また、ジョン・ガンサーの『マッカーサーの謎』でも、この内容と照合する一節が ある。ジョン・ガンサー(木下秀夫、安保長春訳)『マッカーサーの謎』時事通信社、1951 年、183頁。

(44) 防衛省編『平成20年度版 日本の防衛』ぎょうせい、2008年、393-395頁。

(45) 櫻田淳『国家への意志』中公叢書、2000年、34-35頁。

(46) 林吉永「日本の職業軍人意識」『戦史研究年報』第8号、2005年、参照。

(47) 佐藤英夫『対外政策』東京大学出版会、1989年、166-167頁。

(48)「産経新聞」20041130日、同年1220日、2005120日。

(49) 愛知文教大学の一般教養科目においては、自衛官OBが担当する「国際軍事学」が存在する。

私立大学1校が設置する博士後期課程については、拓殖大学大学院国際協力研究科安全保 障学専攻がそれである。

(50) 兵頭二十八「兵役など不要─危険を顧みない武侠市民精神の涵養こそが国防である」『日本

の論点2004』文藝春秋、2003年、194頁。このROTCとは、第1次大戦後に出来たもので、

一般大学生が在学中に志願をして、夏期などに訓練を受け、最終的に予備将校の資格を得 るものである。

(51) 防衛省改革会議の最終報告書においても、このような状態であったことを指摘している。

同報告書、5頁。

(52) 彦谷貴子「『二つの安全』の両立を」『論座』20086月号、114-119頁。

(53) 1999715日に行なわれた自衛隊高級幹部合同での小渕恵三首相の訓示。「朝雲新聞」

1999722日号。

(54) 西岡朗「第四部 シビリアン・コントロールのケース・スタディ」『現代のシビリアン・コ

ントロール』知識社、1988年、261-297頁、参照。

■参考文献

秋山昌廣『日米の戦略対話が始まった』亜紀書房、2002年。

浅野裕一注釈『孫子』講談社学術文庫、1997年。

アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー(徳山二郎)『戦争と平和』フジテレビ出版、1993年。

猪木正道「政治家は軍事を、自衛隊は政治を」『季刊アステイオン』№21、1991年。

エリオット・A・コーエン(中野勝郎訳)「近代民主主義と政軍関係」『季刊アステイオン』№21、

1991年。

エリオット・A・コーエン(中谷和男訳)『戦争と政治とリーダーシップ』アスペクト、2003年。

岡芳輝『平成の自衛隊』産経新聞社、1998年。

カール・フォン・クラウゼヴィッツ(日本クラウゼヴィッツ学会訳)『レクラム版 戦争論』芙 蓉書房出版、2001年。

河野仁、彦谷貴子「冷戦後の自衛隊と社会」『防衛大学校・社会科学分冊』第92号、2006年。

『久保卓也 遺稿・追悼集』久保卓也遺稿・追悼集刊行会、1981年。

黒井文太郎編『日本の防衛 7つの論点』宝島社、2005年。

(13)

国民講座・日本の安全保障編集委員会編『国民講座・日本の安全保障8 自衛隊論』原書房、

1969年。

櫻田淳『国家への意志』中公叢書、2000年。

佐々木毅『政治学講義』東京大学出版会、1999年。

佐藤英夫『対外政策』東京大学出版会、1989年。

サミュエル・ハンチントン(市川良一訳)『軍人と国家(上)』原書房、1978年。

ジョン・ガンサー(木下秀夫、安保長春訳)『マッカーサーの謎』時事通信社、1951年。

田原総一郎『日本の戦争』小学館、2000年。

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西川吉光『国際政治と軍事力』北樹出版、1989年。

西川吉光「戦後日本の文民統制(上)」『阪大法学』第52巻第1号、2002年。

西川吉光「戦後日本の文民統制(下)」『阪大法学』第52巻第2号、2002年。

日本戦略研究フォーラム『政策提言研究10報告書 新たな国軍のあるべき姿』、2005年。

秦郁彦『現代史の争点』文藝春秋、1998年。

林吉永「日本の職業軍人意識」『戦史研究年報』第8号、2005年。

半田滋『闘えない軍隊』講談社+α新書、2005年。

彦谷貴子「シビリアン・コントロールの将来」『国際安全保障』第32巻第1号、2004年。

彦谷貴子「『二つの安全』の両立を」『論座』20086月号。

兵頭二十八「兵役など不要─危険を顧みない武侠市民精神の涵養こそが国防である」『日本の論 2004』文藝春秋、2003年。

廣瀬克哉『官僚と軍人』岩波書店、1989年。

藤島正之『防衛にかけたロマン』ジャパン・ミリタリー・レビュー、2001年。

村井友秀、真山全編『安全保障のフロンティアⅡ リスク社会の危機管理』明石書店、2007年。

ルイス・スミス(佐上武弘訳)『軍事力と民主主義』法政大学出版局、1954年。

首相官邸ホームページ「防衛省改革会議」。

防衛白書、各年版。

「朝日新聞」

「産経新聞」

「日本経済新聞」

「毎日新聞」

「読売新聞」

「朝雲新聞」

参照

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