五島列島のカトリック集落に関する研究 −中通島・大水集落を対象として− [ PDF
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(2) などは妻が出ており、そこに男女の別はない。また、結婚. 形成)をするための仕組みである。本来は開拓を行いつつ. 式の後のカオミセや葬式の時などのヨバレ、タチイエやヤ. 分家をするための仕組みであったが、開墾をしなくなった. ネヒキなど、集落内の相互扶助の慣習があった。カオミセ. 現在も行われているのは、その均分相続を行うといった原. の時などは子供から隠居まで集落全員を呼ぶ。そこに集落. 則を重視しているためだと考えられる。この原則に則った. 全体の結びつきがみられる。. 分家形成の仕組みをここではイエワカレ慣行と呼ぶことに. 2-2 婚姻関係. する。長男世帯をオヤカタ、隠居の世話をする末子世帯を. 集落形成期のキリシタンの頃は周辺の居付集落と、カト. オヤカイと大水では呼んでいる。. リックに復帰してからはカトリック集落のみと婚姻関係に. 3 明治期の集落像. あった。成長期の大水はすべてのイエが従兄弟同士にあた. 3-1 教会資料から社会構造を読み解く. り、曽祖父母に同一人物がいないことを確認しなければ結. 洗礼台帳によると、台帳が作成された明治 14(1881)年当. 婚出来なかった当時のカトリックの状況では、お互いに結. 時大水には 12 戸存在し、うち 2 戸は隠居であったと思われ. 婚することはなかった。発展期になると三代調べが行われ. る。直後に他出した 1 戸を除くケンヤ 9 戸は従兄弟関係に. るようになり、村内婚が増えた。. あたり、集落形成期は強い血縁関係により結びついていた. 2-3 血縁関係. と考えられる。また明治 41(1908)年に書かれた家族台帳に. ヒアリングで現在の大水は最初に居付いた世代から数え. よると、18 戸に世帯が増えている。長男夫婦世帯と、親と. て第五世代にあたると聞かれた。また三代前からの集落内. 残りの子女の世帯が分けて書かれた事例が 5 つ、また末子. の血縁関係をほとんどすべて答えられる人もいた。教会資. と親が同居している事例も見られることから、当時からイ. 料から作成した系図と符合してみると正確に一致した。し. エワカレ慣行が行われていたことが分かる(図 5)。教会資. かし、集落内の全戸が姻戚関係になるということは知って. 料と戸籍を比べると、名前の漢字や生年月日が異なる例が. いても、第二世代がすべて従兄弟にあたり、現在の家系が. 多いが、住民の話からは教会資料の方がより正確である。. すべて血縁関係に当たるということを把握している人はい. 3-2 地籍集成図から空間構成を読み解く. なかった。現在は 4 つの家系があると認識されている。. 近世期、大水は網上郷の所有地で、海を挟んで遠く離れ. 2-4 イエワカレ慣行の継続. ていたため、地下集落の近くに居付いた他の集落に比べ、. 大水では、ヒアリングによると隠居分家が古くから一般. 隠れて信仰を守りながら生活を送るのに都合がよかった。. 的に行われている。これは兄弟が平等にイエワカレ(分家. その後、明治 20 年の裁判(網上騒動)により大水の土地とな 1820. 0m. 1830. 1840. 1850. Y家. 1870. 1880. 1890. 1900. 1910. 10. 3. アカミチ. 1860. Y1家. Y2家 17. コウチ(川). Y3家. 50m. 10. 0m 100m. Yh家. Yh1家. 18 9. 2. T家. 50m. T1家 *. 1. 150m. T11家 13. 7. 100m. T2家. 8. T3家. 6. T4家. 30. 150m. 5. 200m. T5家 4. M家 200m. 002 001. M家. M1家. 5. 2. 003 250m. 1. N家 295. N1家. 4. 12. 11 21. 17 035. フチンコウチ. 12. S家. 155 07 19. 285. 28. 27. S1家 16. 11 24. 15. Tm家 22. 8. 08. 215. 6. 10. Th家. 14. Th1家. 7. K家 墓地. 教会. 水道が引かれる(1958年)以前の水利用情況 カワ(湧水)を示す 0. 20. 50. 100m. *. 9 12. 1820. 家を示す. それぞれのイエの水利用を示す. 男性 女性 大水にいたか 不明な者. 300m. 図4 カワの利用と屋敷の配置. 11-2. 1830. 1840. 1850. 1860. 1870. 1880. 1890. 1900. 1910. ヤスゴロウ夫婦 とその子供 1881年に書かれた洗礼台帳に 1908年に書かれた家族台帳に 従兄弟 記載されている家族。数字は台帳に書 記載されている家族。分家が起き18戸 キゾウ夫婦 かれている順番を表す。12戸存在した。 に増えた。消滅した家系も存在する。 とその子供. 図 5 洗礼台帳・家族台帳にみる家族形態.
(3) り、青方村から北魚目村に編入され、その際に地番が付け. 中期以降は飛び地型の開発が行われている。各自の所有す. 直された。その時点で開発されていた土地は個人の所有と. る山林に対して開発を行ったために、分散した飛び地型の. なり、未開の土地は共有地となったと考えられる。. 開発になった(図 7)。. 地籍集成図の地番に枝番号が振られているものは、後に. 4 イエワカレ慣行の実態. 分筆が行われたものと考えられ、一筆として復元すると当. 4-1 イエワカレ慣行の事例. 時の土地の利用状況がそこから見えてくる(図 6)。現在ま. またヒアリングにより判明したイエワカレの事例を時系. で一筆のところは、当時既に分筆が行われており集落形成. 列に沿って並べたものが、図 8 である。ほとんどの事例が. 期から開発が進められていたところである。ここに位置す. 隠居分家を行い、最後に隠居を行っている。また、そうで. る屋敷は当時から屋敷として利用されていたと考えること. ない事例もそれぞれのイエの事情に合わせた形で均分相続. が出来る。その数は 11 で、教会資料に見える当時の戸数と. の原理に則りイエワカレを行っている。大水ではイエワカ. ほぼ同数である。他出したイエの屋敷とみなされる場所も. レ慣行が継続されていると言える。. 引き続き屋敷として利用されたと考えられる。また、現在. 4-2 イエワカレ慣行と空間. の畑の形状と比較してみると、同じ形の土地がいくつかあ. 次にそのイエワカレ慣行が空間的にはどのように行われ. り、土地を相続する際に畑一枚単位で均分相続されていた. たかを時代別に見ていく。. ことがうかがえる。. 成長期(図9):どの事例も大きく移動をしてイエワカレをし. また、網上騒動の後、共有地であった各小字の山林を、そ. ている。この時期は耕地からの生産が生活を支えていたた. れぞれ各イエ毎に平等に分けた。そのため、それぞれのイ. めに新たに作られた屋敷は自営できる程度の耕地が必要と. エは集落内に数ヶ所の山林を所有することになった。明治. された。形成期に開発された土地の外側か、新しく所有す. 中期以降この場所に開発が行われた。明治初期の開発が形. ることになった山林に開発を行ったため、大きく移動をす. 成期に開発された土地に連続する拡張型であるのに対し、 ることになった。 飽和期(図 10):集落内の開発が進み、新たなイエを作り養 うだけの耕地を確保することが難しくなった頃、福岡県新 田原地方への移住が始まる。大水を捨てて他出するイエ. 37:K家か→T家. と、子の世帯を残し隠居分家を行うかたちで他出するイエ. 33:T家 38:S家. があった。他出した後、隠居の際に大水に戻ってきた事例 1860. 地籍集成図に書かれた地番(***-*)の 最初の数字(***)が同じ土地を一筆で 囲い明治20年の状況を復元した。 一筆は青方村から北魚目村に編入した 明治20年の段階で一人の人物が所有し ていた土地、もしくは集落共有の山。. 1900. 1920. Y1. 003:Tm家か→T1家. Y2. 1960. 1980. №11. 隠居分家. Y211 Y221. №39.40辺り. Y31. Y31 Y315 Y316 Y32 Y323. 035:Ty家か. Y32 Y3. 28:Th家 24. 明治15年に建設 された旧教会. 明治初期に開発 後に分筆が起きた土地。当時 開発されてはいたが、相続は まだなされていなかったが、 後に分筆して相続された。. Yh T. 215:Y家. T11. 墓地の場所. T12. 立花. №34→№30. T112 T113 T11. 10:Y1家. 明治中期以降の開発. №10. Yh1 T1. T123 T12 T141 T14. 100m. 図6 地籍集成図の地番からみる空間構成. T13. T131 T13. №20. №10 №31. T21 T2 T22. T3. №29. №24 №07 №05. 37. 39. №06 №22 №23. 分家. №135. なんらかの理由がある場合の み分家をしている。基本的に は、慣行に従い隠居分家を行 おうとする。. №07辺り. №32. 移動. №155. T31. T4. 33. №002. T321 T32. T42 T43. 32. T4 T5 M. M1. T51. M2. M11. M111 M11. 002. M3. 001 003. 295. 21. M31 M3 N11. Th. Th1. 215. 10. Th11 Th12 Th121 Th122. Th12. №28 №13. Th15 Th1. Th15.1 Th15. Th121 №035 Th1211 №03 Th1221 №01 Th122 №02 Th1513 №08 Th151 Th1511. 12. Th14. 135. (Th2) K 0 20 50. 100m. 図7 土地開発の時期と地域. 11-3. 隠居分家. 隠居分家. Th111 Th112 №285→№13. 08. 形成期. 家は解体されることが多い。 次の居住者は新たに建設する。. №38. 新田原へ他出. 立串へ. 移動:集落内で屋敷を移動。 他出:集落外に転出する。 消滅:隠居は死亡すると解体。. 隠居分家. Y111(母:S3). Th11. 24 22. №12 №21. (S2). 07. 19. №13. №13. 155. 27. №14. S1 S. Tm. 17 035. 28. 明治20年の時点では、まだ開発 が起こっておらず、山のままで あった地域。平等に分配した為 山の所有が飛び地的であったこ とにより、その後の開発も飛び 地的に起きた。. N1. №255. Ty1 養子. 285. 明治中後期開発地域. N Ty S. №26. …. 明治初期開発地域 分筆が起きた土地だけで形成さ れている地域。古くからの屋敷 が存在しない。 集落形成当初から開発されてい た地域に接する形で広がってい る。. №25. M1111 M1112 M111. 養子. 小瀬良へ. №27. №001. M11. 他出. №18. 消滅. T431 T432 T433 T43. 34. 30. №19. (T322). №295. 38. 36 35. 末子が結婚した後、親が隠居 を行う。大水では隠居を建て 別会計別竃で隠居世帯を営む。 隠居を行う前に死亡をしない 限り隠居を行っている。. №003(他出後はT3の隠居). T32 T3 40. 隠居. №30. T14 T1 T2. 本家に結婚した子夫婦を残し、 親の方が残りの子女を連れ、 分家すること。大水ではイエ ワカレの際、多くはこの形態 をとる。. №11. T1211 T1214 T1215 T121 T122 T1224. T122 0 20 50. №16. T1122. №36. T121. 大水上. №17. T1125 T112. №35. 13:N家. 当時、共有の山だった土地。 各小字の山をそれぞれ各イエ 小字 毎に平等分配。そのため飛び 地的に開発することになる。. 現在. №10 №215. Y3. 大水. 後に分筆が起きていない土地 。 当時、既に均分相続がなされ ており、ここに位置する屋敷 は、当時から屋敷として利用 。. 1940. Y11 Y12 Y1 Y21 Y22 Y2. 001. 立花迫. 集落形成当初から開発 ↑ 家. 1880. Y. 草鞋畑. 成長期. №30辺り. №09. 隠居 長男から順に末子に至るまで 隠居分家を行い、最後に末子 の傍に隠居をする。兄弟全員 に家を建て、耕地や山を平等 に分配するといったイエワカ レの慣行が継続されている。 成長期のイエワカレ. №04. 飽和期のイエワカレ. №29辺り. 飽和期. 収縮期. 収縮期のイエワカレ. 図 8 イエワカレの事例:時系列.
(4) 1928年T21が 初めて新田原に移住。 その屋敷の跡に T3が隠居する。 集落の成長が止まり 飽和状態になり始める。. 40. 37. 39. めに、分家をする際にそれまでの耕地の外側に連続するよ うに開墾を行った。その際、全戸が血縁関係にあたるため. 33 32. 34. 集落形成期は集落内の土地の所有者が決まっていないた. 38. に、必ずしも本家に連続するかたちでの開発ではなかっ 36 35. 30. た。その後、大水の土地が自らのものになった時に、未開 002 001. 集落成長期のイエワカレ どの事例も隠居分家の際に大きく 移動している。この時期は耕地か らの生産が生活を支えていたので 各イエが自営できるだけの耕地が 必要としていた。それまで飛び地 で所有していた山の部分の開墾を 始めたことと、他出した後の屋敷 に隠居分家したことにより、この ような大きな移動の隠居分家が起 きている。. の土地を平等に分配した。そのため、その後の開発は自ら. 003. の飛び地的に所有していた山に行うようになった。このよ. 295 21. 035. 17. うにして、連続的に開発された土地と、飛び地的に開発さ. 155 07. 19 24. 28. 255. 27. れた土地が点在する景観が形成された。また均分相続が繰. 11 08. 215. 10. り返された上に、母系的な継承も起きたため、複雑な所有. 分家. 12. 関係が起きている。. 隠居 移動 0. 20. 50. 100m. 図 9 イエワカレの空間プロット:集落成長期 Th14新田原に他出。 T112が継承。. このように、各時代を通して、形態としては同じイエワ カレ慣行を行っているが、空間的にはその時期に合わせる かたちでイエワカレを行っている。平等性を保ちながら、. 37 40. 39. 1965年頃、小瀬良との間に 現在よりも細い車道が通る。 1970年頃には、草鞋畑の方 まで車道が完成する。 33 34. その社会状況に合わせたかたちで運用したことにより、空 間構成は大きく変容し、現在の景観を生み出した。. 38. 36 35. 4-3 隠居の役割. 30. 001. 集落飽和期のイエワカレ 新天地・新田原への移住始まる。 耕地として切り拓くことが出来る 場所をほとんど開墾してしまった ために、新たにイエ一軒分の耕地 を確保することが出来ない状態に なったためである。一家毎移住す る世帯や、隠居分家の形で大水に 子世帯を残していく世帯などがあ った。一家毎移住をする際には屋 敷を父系、母系を問わず叔父、甥 に引き継ぐことが多かった。この ため、父系で土地所有を見た場合 、土地所有が入り乱れている状態 になっている。. 本来、隠居をするということは郷仕事から解放され、自. 002 003. らの家のため労働ができるようになることであった。大水. 295. T14、T 141 冷水に他出。 T141が継承。 21. 17. 035. 02. 05. において、隠居が継続しているということは、それだけ郷. 155 19 285. 24. 27. 28. 仕事が大変なものであったといえる。. 07 22. 11 08. 215 10. T13 とT131が大浦 に他出した屋敷 の跡にT14とT1 が 移動。 後に隣にT14 隠居. 隠居は子供の面倒もみた。現在でも、両親が働きに出て いるために夏休みの昼間などは隠居が子供の世話をしてい. 12 135. Th11は独立していない子を すべて連れて新田原へ他出。 最初に新田原に移住した 後に戻ってきて隠居。 兄のT 21を頼りT 22 他出。 M が継承。. る。逆に子供が隠居の水汲みをしたりなど身の回りの世話. Y12 新田原に他出。 T321が継承。. 111. 0. 20. 50. 100m. 図 10 イエワカレの空間プロット:集落飽和期. をしていた。隠居はさまざまな伝承を担っていた。集落の. 鯛ノ浦に他出. 子供達を集め、信仰を教えたり、先祖が居付いた当時の話. 冷水に他出. を聞かせたりしていた。先に述べた結婚時の三台調べやこ. 現在、草鞋畑は消滅 耕作者がいなくなった 耕地はすでに山に戻っている 40. 大浦に他出. うした伝承により先祖との繋がりを正確に把握しており、. 39 38. 34. 長崎に他出. 立串に他出 36 35. 31 30 29. また、生涯単身だった者や障害者が隠居として生活をし 001. 集落収縮期のイエワカレ ほとんどの隠居分家が、すぐ傍で 起きるようになる。これは耕地に 対する期待が下がったために、耕 地の屋敷化が起きたためである。 こうして建て詰まりが起きた。ま た新設された車道からの距離が遠 い場所(草鞋畑など)は、他出して しまい屋敷・耕地共に消滅した。 他出するイエが増え、人口は激減 したが、戸数は増加した。. 002. ていた事例が時代を通して見られる。甥の中でオヤカイで. 家が消えると共に 耕地も消滅 現在は山に戻っている. 295. 17. 21. 20 19. 28. 27. 26. はないものがその隠居のオヤカイとして面倒をみていた。. 01 035. 16 14. 18. こういった隠居はオシエカタ(子供に公教要理を教える)を. 04. 255 25 24 23. 05 06 07. 02 03. 15 285. それを大切にしている人が多いのだろう。. 11 22. (1971年19戸145人−2001年30戸88人). 08 10. することが多く、集落の中で役割を持って生活を送ってい. 09. た。このような福祉的な意味合いも持っていた。. 13 12. イエワカレ慣行は継続されたが、 集落空間構成は大きく変化した。. 135. 5 まとめ. 立串に他出 0. 20. 50. 100m. 図 11 イエワカレの空間プロット:集落収縮期. 大水は血縁集落であったために、その平等性が強く現. もある。他出した後の屋敷は父系、母系を問わず叔父や甥. れ、イエの領域を持続するのではなく分解する方向に進ん. に継承された。このため、土地所有が複雑になった。. だ。大水にみられる隠居分家により平等にイエワカレを行. 収縮期( 図 1 1 ):高度成長期以降、車道が集落内の上方に. う慣行は五島列島のカトリック集落に共通するものであ. 通った。車道から遠い家々(草鞋畑等)は大水を捨てて五島. る。財産を平等に分配する隠居分家慣行はかつて西日本の. 内に他出した。人がいなくなった土地は山に戻った。また、 集落に広く存在したものである。キリシタンはその平等性 生活様式が変化し耕地に対する期待が下がった。そのため. からこの隠居分家慣行を採用し、行い続けた。社会から隔. 耕地の宅地化が起こり、イエワカレは近傍で行われるよう. 絶された五島のカトリック集落に、奇しくもその仕組みが. になった。こうして屋敷の建て詰まりが起きた。. 残ったと言える。 11-4.
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