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情報機器の在り方についての提案

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Academic year: 2021

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情報機器の在り方についての提案

吉村 季織

はじめに

 近年パーソナルコンピュータ(PC)や携帯電 話(MP)、スマートフォン(SP)などの情報機 器の普及、そしてそれらをつなぐインターネット などの情報通信網の整備により、これまで個人が 到底処理することができなかったほどの大量の データや信号を扱うことができるようになった。

また、以前では出会う可能性がほとんどなかった 人たちとの出会いの機会を生むことにもなった。

 例えば、2011年3月11日に発生した東北地方太 平洋沖地震の際には、Twitterなどで時々刻々と 状況が報告され、行動の判断材料とした人も多い ようである。また、発生率が低くあまり一般に知 られていない難病の患者は孤立してしまう場合が あるが、インターネットを通して同じ病気を持つ 者同士が出合い、世間に認知される活動も多く行 われてきている。その他、子育てや障がい者支援、

介護など様々な面で「分かち合い」の道具として 有意に利用されており、今後も発展していくもの と思われる。

 しかし一方で、情報機器はトラブルのもとでも ある。インターネット上のデータはその正確性が 確認されることなく、時には虚偽の内容が膨らみ ながら広まってしまうことも少なくない。東北地 方太平洋沖地震の折には、震災当日にチェーン メールが広まっており、善意も悪意も区別なく広 まってしまう恐ろしさがある。また、個々の事例 を挙げることは避けるが、自殺や殺人につながる ことや、悪戯でインターネット上の掲示板に書き 込んだ内容が社会の混乱を招いたこともある。イ ンターネットを介してPCに感染するコンピュー タウィルスは数多くあり、その対策は必須となっ ているだけでなく、最近ではSPに感染するコン

ピュータウィルスが出現してきている。SPがコ ンピュータウィルスに感染すると、その多機能性 のために様々な方法で悪用されてしまう可能性が 懸念されている。

 そして、実生活との関わりをみてみると、家族 や友人と連絡が取りやすくなるなどの利点の一方 で、メールにとらわれてしまい息苦しいとか、仕 事に追われてしまうなど生活にゆとりがなくなる 一因になってしまっている場合がある。電車の中 で、多くの人が音楽を聴きながらMPやSPを操作 しているのを見ると、果たしてそれがそんなに重 要なことなのか疑問を抱かざるを得ない。

 とくに、携帯音楽プレーヤーで音楽を聴きなが ら(耳をふさぎ周りの音をよく聞こえない状況を 自身で作り上げて)救急車の目の前を横切ってい く人、SPに集中して(視界を制限する状況を自 身で作り上げて)白杖を持つ方に衝突する人、こ ういった人々を見るにつけ現在情報機器と言われ ている電子機器は、“本当に情報機器と呼ばれる にふさわしい使われ方をしているのだろうか”、

今自分が置かれている状況を察知・判断できない のであれば、“情報機器ではなく「情報遮断機器」

となってはいないだろうか”、と思う。

 このような情報機器に関する歪みの原因の一つ は、「情報」が何であるかが捉えられていないた めではないだろうか。教育課程においても情報処 理や、情報リテラシー、要するに“「情報」をど う扱うか”について学ぶが“「情報」が何であるか”

を示していない。そのため、極論を言うなら何で もかんでもが「情報」と認識され、「情報機器を 扱う」ことが「情報処理」をすることになってい るように思われる。そして、自身の五感を以って 直接得ることができる「情報」よりも、「情報機器」

白梅学園大学・短期大学情報教育研究     2012,No.15,30-34.

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からもたらされる「情報」を重要視するようになっ てはいないだろうか?

 このようなことを受け、本稿ではまず広く一般 に解釈されている「情報」や「情報処理」に疑問 を投げかけ、「情報・情報処理とは何か」という ことについて改めて考えてみたい。そのうえで、

「情報機器の望ましい在り方」について考察する。

「情報」・「情報処理」の定義

 「情報とは何か?」という問いに対して明確な 答えを示すことは非常に難しい。昨今では「情報」

という言葉が非常に広義で使われているため、「情 報」という言葉自体が漠然としていて、何を以っ て「情報」と呼ぶのかが明確でない。「画像情報」、

「音声情報」や「情報提供」といった言葉がある ように、現在「情報」という言葉が意味する範囲 は広く、極論すれば何でも「情報」になりうると 言える。極端な事例を除けば、広義の「情報」と してこれらの使い方に異議はない。「情報」を広 辞苑1)で調べてみると「①あることがらについて のしらせ。②判断を下したり行動を起こしたりす るために必要な、種々の媒体を介しての知識。」

と書かれており、「情報処理」については、「数 字・文字・物理量などによって表された情報につ いて、コンピューターにより計算・分類・照合そ の他の処理を行うこと。」となっている。

 しかし情報処理を行うという意思を持った主体 は人間であり、コンピュータはただデータや信号 の演算処理を行っているのであって、そのデータ や信号が情報であるという認識は持っていない。

そして長谷川2)

身近に存在する動物が、生きて繁殖していく ためには、どんなにたくさんの情報処理をし ていかねばならないか

と述べているように、本来生物が行っている生存 のための行動決定こそが情報処理そのものである と考えられる。そこで、本稿では「情報」を認識 でき、「情報処理」を行うことができるのは生物

であるという立場をとることにする。ここではこ の立場に立ったうえで、上記の内容を整理して「情 報」と「情報処理」の広義の定義を以下とする。

情報:「生物の行動の決定や結論の導出のため に必要な事物・事象」

情報処理:「情報を基にした行動の決定や結論 導出の過程」

ただし、行動しないのも行動の一つであるから、

行動しないという決定も情報処理と考える。また、

1つの情報で1つの結論が導かれる必要はなく、

1つの結論導出の一過程であったり、逆に複数の 結論が導かれる場合も許容する。これらの情報処 理にかかわることがなかった事物・事象は情報で はないとする。梅棹忠夫3)

 人間は、ある情報をえることによって、つ ぎにとるべき行動を決める。情報が行動に影 響を与えるのである。

 世の中には、行動上の利益をもたらす情報 もあるが、そのような利益をもたらさない無 意味情報がある。じつは大部分が無意味情報 であるとみることはできないだろうか。情報 にはかなりの程度、こんにゃくに似た点があ る。情報をえたからといって、ほとんどなん の得もない。感覚器官で受け止められ、脳内 を通過するだけである。しかしこれによって、

感覚器官および脳神経系をおおいに緊張し活 動する。それはそれで生物学的には意味があっ たのである。

と述べているが、上記定義はこれとほぼ同意であ るといってよい。これらの広義の「情報」とは、

外部からもたらされるものといえる。しかし、私 は常に「情報」とは「本当に外部から得られるも のであろうか?」という疑問を抱いている。

 例えば、リンゴがあったとする。リンゴを食す る生物には、視覚がとらえた赤い物体は可食物で あると認識され、食べるという行動に結び付けら れであろう。一方リンゴを食しない生物にとって

(3)

は、可食物ではないと認識される、もしくはまっ たく意識されないかもしれない。赤い物体がある という「事実」は両者にとって同等である。しか し、そこから導かれる認識はまったく異なったも のになる。この生物内部での「認識」こそが情報 ではないのだろうかと考えている。ドラッカーは

『経営論』4)

情報とは、データに意味と目的を加えたもの である。データを情報に転換するには、知識 が必要である。

と述べている。これに沿って考えれば、上述の例 は、リンゴを見た生物が遺伝的に持っている、も しくはこれまでの生活で得た知識によって、“赤 い物体”という「知覚」を“可食物か否”かとい う「情報」に転換したということになる。また西 垣通5)

情報の意味は解釈者によって異なる

と述べているが、例の2種類の生物の間でリンゴ に対する認識が異なることと同意である。どの ような認識がなされようとも、そしてたとえそ こに生物が存在しなくても、そこにリンゴがある ということは不変の「事実」である。前述した ように、情報処理を行うのは生物であるとしたこ とから、「事実」そのものは「情報」ではないと いえる。つまり、「事実」や「事象」「事物」が生 物の外部にある時点では、それらは「情報」では ないということになる。言い換えると「情報」と は生物の外部ではなく、生物の内部で構築される ものであると結論付けられる。これは、英単語の

「information」 が「in: 内 」 と「formation: 形 成」からなっていることからも支持することがで きる。

 これらのことを考慮して、広義に対する狭義の

「情報」と「情報処理」を定義しておく。

情報:「生物の感覚器を通して得られた事実、事 物、事象に対して、生物内部で形成される認識」

情報処理:「情報を基にした、生物内部におけ る行動の決定や結論導出の過程」

 「情報」や「情報処理」の定義だけでなく、考 察しておくべき重要な事柄として「情報」の形成 や「情報処理」を行う“目的”がある。生物にとっ て、それは「生存」であると言えよう。

情報機器の望ましい姿

 ここまで述べてきたように、狭義の「情報」と は我々の外から得るものではなく、内に創りあげ るものである。そして、「情報」を基に「情報処理」

を行い、どのように行動するかはその個体が決め ることである。そのため「情報処理」を行うのが 人間の場合、「情報機器」は「情報処理」そのも のを行うのではなく、その高速化、効率化のため の補助を行っていると考えなくてはならない。「情 報機器」が発展し大量のデータを高速に扱うこと ができるようになっても、情報を処理することの 目的、どう行動するか、そしてその結果がもたら すものに対し、演算を命令通りに行った「情報機 器」ではなく、演算を行わせた本人が十分に考慮 し、責任を持たなくてはならない。

 生物が「情報」を形成したり「情報処理」を行っ たりする目的として、「生存」を挙げた。生物は 時に食料を入手し、時に敵から逃れ、そして子孫 を残すために感覚器官を最大限に生かして、周囲 の状況を察知し行動している。自ら目をふさいだ り、耳をふさいだりする生物はいない。「情報機 器」が人の視界を奪い、聴覚を制限しているので あれば、本来最も注意すべき周囲の状況を察知で きないようにしていると言わざるを得ない。そし て、これは他の生物からは、「生存」を放棄して いると見えていてもおかしくない。

 人類にとっても「生存」は重要な目的の一つで ある。他の生物と同じように、そして時にはそれ 以上に、他者(敵)を排除することに力を注いで しまう。最初期のコンピュータの一つといわれ る“ENIAC”は弾道計算のために開発がはじめ

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られたという。また、敵を排除するためではない が、インターネットは戦争やテロなどで一部の通 信中継所が破壊されても、全体としての通信機能 が停止しないように考えられたものであるといわ れている。これらは「生存」を目的とする生物と しての人類の性(さが)ということもできる。し かし、人類は他の生物とは異なり、「幸福」や「平 和」を人類全体で「分かち合う」という大きな目 的を持つことができる。そのため、人類は「情報」

や「情報処理」の目的を「幸福」「平和」、そして それらの「分かち合い」まで広げるべきである。「情 報機器」はこれらの目的に役立つものでなくては ならない。

 もともとは戦争などを意識して開発された「情 報技術」ではあるが、「人を傷つける技術」として 使われることは望ましい形とは言えない。ここで アイザック・アシモフの示したロボット三原則6)

を「情報機器」にも適用してみたい。

ロボット三原則

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはな らない。また、その危険を看過することによっ て、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条:ロボットは人間に与えられた命令に 服従しなければならない。ただし、与えられ た命令が、第一条に反する場合は、この限り ではない。

第三条:ロボットは、前掲第一条および第二 条に反するおそれのない限り、自己を守らな ければならない。

 「ロボット」を「情報機器」に置き換えればよ いわけであるが、今後様々な分野でロボットの導 入が期待され、その「ロボット」に「情報機器」

が組み込まれ、「情報機器」が「ロボット」の一 部であり、制御する中枢となることを考えれば、

「ロボット三原則」は、「情報機器三原則」といっ てよいだろう。

 では現在の「情報機器」はこれらを満たしてい ると言えるだろうか。前述したように「情報機

器」を使うことで、視覚や聴覚を奪ってしまうの であれば、操作者の安全を守ることができていな い。人を傷つけるような発言を看過するようであ れば、他者を守ることができていない。コンピュー タウィルスに感染してしまうようならば、自己を 守ることができていないだけでなく、やはり操作 者や他者を危険にさらすことにもなってしまう。

 技術開発によってこれらを解決することも可能 になるであろう。しかし、現在の問題が解決して も、また新たな問題が次々と“人の手によって”

出現してくるのは目に見えている。技術開発だけ でなく、ひとりひとりが「情報」や「情報機器」

とのかかわり方を考え、「人を孤立させ、他者を 傷つける」道具ではなく、人類の英知を持って

「人と人を結びつける新しい絆の一つとなり、

人類が「幸福」になること、そして「分かち合う」

ことを助ける、“人のための道具”」

というのが「情報機器」の望ましい姿ということ ができるだろう。

おわりに

 「情報機器」を作るのも使うのも人間自身であ る。上記のような問題点も、その本質は「情報機器」

にあるのではなく、それを扱う人間の側にあると 言える。例えば、自分が持つ重要なデータをどの ように管理するのか、「情報機器」に頼るのでは なく、最終的には自身の判断が最も重要になって くる。高度に発達した「情報機器」が自身の手の 中にあるという状況に対し、それをどう扱ってい くか、それこそが一人ひとりが考えていかねばな らない「情報機器」にまつわる最大の「情報処理」

なのかもしれない。

参考文献等

1.新村出編,広辞苑第六版,岩波書店(2008)

2.長谷川眞理子,動物の行動と生態,放送大学 教育振興会(2004)

3.梅棹忠夫,情報の文明学,中央公論社 (1988)

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4.P・F・ドラッカー,経営論,ダイヤモンド 社 (2006)

5.西垣通,基礎情報学,NTT出版(2004)

6.アイザック・アシモフ,小尾芙佐訳,われは ロボット,早川書房

(よしむら のりお

東京農工大学研究員 大学・短期大学非常勤講師)

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