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<第三部 地域産業活性化策の体系、歴史的展開、構成要素、 成功要因等>

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<第三部   地域産業活性化策の体系、歴史的展開、構成要素、 

成功要因等> 

第三部においては、まず第9章にて地域産業活性化策の体系と歴史的展開を論じる。 

地域産業活性化策の体系(9.1)について、地域産業活性化策の歴史的展開(9.2)に ついて、それぞれ論じ、最後に第9章のまとめ(9.3)を行うこととする。 

第10章では地域産業活性化策の構成要素について論じる。 

地域産業の管理過程(10.1)について、地域産業の主たる経営資源、インフラ(10.

2)について、それぞれ論じ、最後に第10章のまとめ(10.3)を行うこととする。   

第11章では国内外の活力ある工業集積地域事例とその成功要因等について論じる。

 

海外の活力ある工業集積地域事例とその成功要因等(11.1)について、国内の活力ある 工業集積地域事例とその成功要因等(11.2)について、地域産業活性化に向けた取り組み 事例(11.3)について、それぞれ論じ、最後に第11章のまとめ(11.4)を行うことと する。

 

第9章  地域産業活性化策の体系と歴史的展開 

  本章においては、9.1項にて地域産業活性化策の体系について、9.2項にて地域産 業活性化策の歴史的展開について、それぞれ論じ、9.3項にてまとめを行うこととする。 

 

9.1 地域産業活性化策の体系 

地域産業活性化とは、「地域産業がさらに活力を持つ状況に転ずること」であると第1章 にて定義した。地域産業が活力を持つ状況は、1)既存地域産業が一層の活力を備える場合、

2)新しい活力ある地域産業が生まれる場合、の二通りに分類される。

本研究において「地域産業活性化」とは、上記1)、2)のいずれか、あるいは両方のパター ンを通じて地域産業が活力を持ち、自律的発展状況に到達することに他ならない。

ここでは、地域産業活性化策とは、地域産業が自律的発展状況に至るメカニズムを機能 させるための政策とする。

本項では、地域範囲の視点に基づく地域産業活性化策の体系(9.1.1)、政策分野の視 点に基づく地域産業活性化策の体系(9.1.2)について論じることとする。

9.1.1 地域範囲の視点に基づく地域産業活性化策の体系

ある地域範囲内の産業をいかに発展させるかという視点に基づくなら、地域産業活性化 策を、1)外発的政策、2)内発的政策、に大別する識者が多い。

これらの二つの語句には曖昧さが含まれており、明確化が必要である。

外発的政策という語句を耳にすると、多くの人は企業誘致を連想する。

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我が国における地方自治体による企業誘致は、大手企業が分工場を増設する際に、それ を工業団地に受け入れるというパターンが多い。

東京都内に本社があり、研究所やマザー工場が都下等にあり、分工場が国内の地方や海 外にある。こうした企業内資源配分が、少なくとも1980年代までは大手製造業におい て一般的であった。大手企業の分工場誘致は、雇用面で即効性があり税収への貢献も大き いが、需要搬入機能は全面的に地域外にある本社部門に依存するというものであった。

経営ノウハウ、企画能力、コア技術、資本等は大手企業側が用意し、工業団地造成等の 基盤整備を自治体が行い、主として製造技能系の人材は地域の労働市場から企業が調達し た。つまり、企業家活動の結果確保された需要、さらにはその保有する高度な経営資源を 地域に搬入し、地域経済、地域雇用に貢献するという構図であった。

地域にとっては、住民が定住しつつ地元で職を得る機会が多いことが望ましいのは言う までもない。

その他、中小ベンチャー企業の成長を受け止めるタイプの企業誘致もある。

大手企業の場合と同様に、分工場による拡張事例もあるが、マザー工場としての移転事 例、企業の本社ぐるみの移転事例も見受けられる。

最近では、各自治体の分譲する工業団地の売れ行きが悪く、誘致するどころか、逆に大 手企業の生産拠点が閉鎖するといった事態すら生じている。企業撤退が決定されると「寝 耳に水」の事態とあわてる自治体は多い。自治体の企業誘致担当部署は、誘致が終わった ら仕事が終わりではない。誘致前のトップセールスにつなげる営業体制に加えて、誘致後 の立地企業満足度を向上させるコミュニケーションシステムの構築が必要である。

外資系企業誘致、中小ベンチャー企業誘致を目指す自治体、インセンティブを検討中の 自治体も増えている。しかし、そうした企業群は、ドライに撤退する可能性があったり経 営基盤が脆弱であったりする。かつての高度成長期における大手企業分工場の誘致に比べ て、リスクマネジメントがより必要となる。

その他、外発的政策には、大学・公的研究機関の誘致、企業の研究所・開発部門の誘致 といった地域外経営資源等の搬入政策が挙げられる。

本研究においては、外発的政策とは、「企業や諸機関の誘致を通じて、地域外の需要と経 営資源の取り込みを志向する政策」を指すこととする。

本研究では、図9−1に示されている通り、企業誘致について、1)企業家誘致、2)機能誘 致、3)現場誘致、に三分類する。

企業家誘致とは「企業家あるいは企業家活動を本社ぐるみで誘致すること」であり、機 能誘致とは「企画、研究開発等の上流管理機能等の誘致」であり、現場誘致とは「製造等 の現場におけるオペレーションに限定した誘致」である。こうした企業誘致を通じて、地 域外の需要と経営資源が搬入される。

機能誘致には、研究所・開発部門等の単独誘致、既存分工場をマザー工場化するための 企画部門・開発部門等の誘致、企画部門・研究開発部門等・製造等の現場部門のワンセッ

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ト誘致という三パターンがある。

一般的な工場誘致は 3)の現場誘致である。一方、誘致を通じて「地域に埋め込まれた

(embedded)企業」を増加させるには、1)あるいは2)の方法が望ましい。

諸機関の誘致とは、大学、公的研究機関、その他諸機関が地域内に立地するよう仕向け ることである。大学等の諸機関誘致については、1)新設、2)増設、3)移設の方法がある。

新設とは、一例として、全く新規に研究大学院大学を立ち上げるといった手法である。

増設とは、一例として、既存大学に新研究所を増設するといった手法である。増設には、

地域外機関の増設部分を誘致する方法、地域内機関の増設部分を誘致する方法がある。

移設とは、一例として、他地域から大学を移設するといった手法である。移設には、全 面移設と部分移設がある。

ただ、大学や公的研究機関等の誘致は、どの地域にとっても魅力的なものである。

オースチンモデル(第11章)に見られるように、高度な研究型大学と公的研究機関を活用 した産学官連携を重視する傾向が強まっている。そのため、こうした諸機関の誘致につい ては地域間競争となりがちであり、企業誘致に比し政治的なウェートも高い。

     図9−1 外発的政策と内発的政策の相互関係 次に内発的政策について考えてみよう。

企業誘致

諸機関誘致 1)企業家誘致 2)機能誘致 3)現場誘致

1)新設 2)増設 3)移設

<外発的政策>

イノベーションの 創出と増幅

<内発的政策>

地域外の需要と 経営資源の搬入

地域のブランド イメージ確立

1)創業前の支援 2)創業後の支援 3)既存企業支援

共通基盤整備政策

経営資源、インフラの量的・質的向上 地域内の需要と 経営資源の循環

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本研究においては、内発的政策とは「地域内におけるイノベーション創出、イノベーシ ョン増幅を志向する政策」であると定義する。Schumpeter,J.A.(1926)によれば、新結合を 遂行することがイノベーションであり、イノベーションは企業家活動の中から創出される。

イノベーションには、1)新製品開発、2)新生産技術開発、3)新市場開発、4)新原材料確保、

5)新組織開発、の5つのタイプがある。

内発的政策は、こうしたイノベーションを引き起こす存在である企業家、企業家候補者、

技術シーズ保有者等に焦点を合わせたものとなる。

スタートアップ企業増加を目指した1)創業前支援、社歴の浅い企業向けの2)創業後支援、

社歴の長い企業向けの3)既存企業支援、に内発的政策は分類される。

これらについては、第15章において詳細に論じることとするが、ここでは、内発的政 策と外発的政策の相互関係について述べておくこととする。

通常、企業誘致等の外発的政策が上手くいかないので内発的政策に力を入れるといった 具合に、内発的政策と外発的政策は対立概念と認識される場合が多い。

しかし、図9−1に示されている通り、外発的政策により地域に需要や経営資源が搬入 されたなら、イノベーションの機会、地域内の経営資源循環が加速し、内発的政策の余地 が広がる。また、内発的政策により、例えば大学発ベンチャー育成に成功したなら、地域 のブランドイメージが向上し、外発的政策の余地が広がる。外発的政策と内発的政策は独 立のものではなく、相互依存している部分があることを理解する必要がある。

また、図9−1に示されている通り、外発的政策と内発的政策の共通基盤として、経営 資源とインフラの量的・質的向上が重要な政策要素である。本研究においては、これを「共 通基盤整備政策」と呼ぶことにする。

経営資源と、インフラについては、地域産業活性化策の重要な構成要素として、第10 章にて体系的に論じることとする。

経営資源に関して、最も重要性が高いのは人材である。高度な情報・ノウハウ・技術等 を保有する人材を増やし能力を高めていくことがカギとなる。

また、インフラについては、第10章で体系化しているように、産業集積に関連するイ ンフラ、産業基盤に関連するインフラ、QOL(生活の質)に関連するインフラに分類される。

例えば、外国人研究者を要する大学や外資系企業を誘致する場合、一例として、インター ナショナルスクール、住居、教会、文化施設といったQOLインフラ、類似した人種等の 社会的集積が重視される。高学歴な日本人研究者は、高度な私立の教育機関を好む。

地元の研究型大学を卒業する学生が「地域の高度な研究機関に一旦勤務し、その後スピ ンオフ創業する」といったパターンは、受け皿となる研究機関がなければ、卒業と同時に 学生が他地域に移出してしまうので実現されない。

IPOを目指すベンチャー企業を育成するには、有能な弁護士、会計士、弁理士といっ た専門化やVCに代表される産業集積インフラが重要となる。

大規模製造工場を誘致するには、広い道路、港湾等の産業基盤インフラ、機械金属系製

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造技術の集積といった産業集積インフラが要求される。

外発的政策であれ、内発的政策であれ、共通基盤整備政策はその基礎となる。

本研究においては、地域範囲の視点に基づく地域産業活性化策の体系として、1)外発的政 策、2)内発的政策、3)共通基盤整備政策、の三つを政策的な構成要素とする。

9.1.2 政策分野の視点に基づく地域産業活性化策の体系

  地域産業活性化策の現場においては、図9−2に示される通り、国の政策と自治体の政 策が交錯する。国の政策とは、国が予算面で主導的な役割を果たす政策であり、自治体の 政策とは、地方自治体が独自の財源で主導的に行う政策である。

各自治体の政策面における独自性は、自治体独自の政策をいかに打ち出すか、国の政策 を活用する際にいかに運用面の工夫をするか、の二点により発揮される。

現実には、財政規模の大きい自治体ほど自前の施策を打ち出し、小さい自治体ほど国の 政策に準拠する傾向がある。

国の予算が付かなければ何も自前では政策立案しないという自治体も多い。

     

 

図9−2 国と自治体の地域産業活性化策とその推移           

図9−2に示されているように、高度成長期およびその後のしばらくの期間、地域産業 活性化策の流れは、産業基盤整備、すなわちハードウェアの整備に重点が置かれていた。

さらには過度の集中の問題、衰退産業立地地域の問題、大都市の過密化と中山間地域過 疎化の問題等を重視した地域間格差への対策、伝統的な中小企業政策に見られる企業間格 差への対策等に、政策的なニーズがあった。

国の政策

●産業立地政策系統

●企業家支援政策系統

●産業、市場等に関する諸政策系統

自治体の政策

●国の制度活用

●自治体独自の政策

外発的政策

地域外部の企業家活動、

経営資源の取り込み

内発的政策

地域内の企業家活動の 増幅

地域産業振興政策

従来の政策

(1)産業基盤整備

(2)地域間格差への対策

(3)企業間格差への対策等

最近の政策

(1)国際競争力強化

(2)産学官連携強化

(3)意欲的企業家への総合 支援体制強化等

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最近は、クラスター政策に見られるように、国際競争力強化、産学官連携強化、に政策 的関心が集まっている。

さらに、地域プラットフォーム、ベンチャー支援センターの整備に見られるような、新 中小企業基本法の精神に基づく、意欲的企業家への総合支援体制強化等、地域産業活性化 のためのソフトウェア整備が重視されつつある。

地域プラットフォームやベンチャー支援センターは、成長意欲のある企業をワンストッ プ支援しようと言う思想に基づくものである。

  地域産業活性化に関連する国の政策の体系は、1)産業、市場等に関する諸政策系統、2) 産業立地政策系統、3)企業家支援政策系統、に分類される。

  1)の産業、市場等に関する諸政策系統は、国全体のマクロな視点、あるいは、個別の産業、

個別の市場等のミニマクロな視点から活力ある産業を実現しようとするものである。

国全体のマクロな視点に基づく政策とは、一例として、貿易、規制、税制等に関する政 策である。貿易については、輸入規制、関税等によるコスト競争力を喪失した産業の保護、

貿易摩擦時の輸出自主規制・多国間協議、直接投資への介入等の政策が挙げられる。

ミニマクロな視点に基づく政策とは、個別産業・発展産業の育成、衰退産業の転換支援 等、あるいは人材、原材料、技術等の経営資源市場、製品市場における寡占・独占への対 応、個別産業組織における取引慣行の不具合への対応等である。

すなわち、個別産業、個別市場、個別産業組織への政策的介入である。市場や組織に対 する各政策的介入は、直接的あるいは間接的な影響を地域産業に及ぼし得る。

  2)の産業立地政策系統とは、産業集積・クラスター、産業基盤整備・インフラ整備、国土

計画・都市計画等の諸要素を含むものである。

  産業集積・クラスターに関する政策(産業集積系)は、地場産業政策、集積活性化政策、地 域クラスター政策等の特定地域における産業集積の強化策、新産業集積の創出策である。

産業基盤整備・インフラ整備に関する政策(インフラ整備系政策)とは、産業支援施設・産 業支援機関、工業団地、交通網、上下水道・エネルギー、情報通信網、QOLインフラ等 の整備策である。

国土計画・都市計画に関する政策(国土整備系政策)とは、一例として、テクノポリスに代 表される高度技術集積地域の創出策、国土全体の総合計画における工業再配置政策や都市 計画における住工混在への対処策等が挙げられる。

  3)の企業家支援政策系統には、企業家に対する各種金銭的支援策、非金銭的支援策があり、

中小ベンチャー企業政策、産学官連携・コーディネート等のソフトな政策等が含まれてい る。金銭的支援とは、補助金交付、公的金融機関の間接金融支援、直接金融支援、債務保 証、税制面の優遇、設備貸与等であり、非金銭的支援とは、コンサルティング、紹介斡旋、

技術指導、情報提供等を指す。

これらの手法を通じて企業家支援がなされるが、経済の活力、雇用創出の源泉である意 欲的中小ベンチャー企業が政策ターゲットとなる。

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成長意欲の高い中小ベンチャー企業には外部経営資源の活用が不可欠であり、近年は、

産学官連携やコーディネート等のソフトな支援手法が重視されるようになりつつある。

本研究における、政策分野の視点に基づく地域産業活性化策は、これら 1)−3)の各政策 系統からなる。9.2項においては、この体系に従い、地域産業活性化策の歴史的展開に ついて論じることとする。

 

9.2 地域産業活性化策の歴史的展開 

  本項においては、政策分野の視点に基づく地域産業活性化策の分類に基づき、産業、市 場等に関する諸政策(9.2.1)、産業立地政策(9.2.2)、企業家支援政策(9.2.3) について、各歴史的展開を論じることとする。

 

9.2.1 産業、市場等に関する諸政策の歴史的展開 

9.1項にて述べた通り、産業、市場等に関する諸政策は、国全体のマクロな視点、あ るいは、個別の産業、個別の市場等のミニマクロな視点から活力ある産業を実現しようと するものであり、具体的には、個別産業、個別市場、個別産業組織への政策的介入である。

伊藤元重ら(1988)は、産業政策を、「産業間の資源配分と特定産業内の産業組織に介入す ることを通じて、その国の経済厚生に影響を与えようとする政策」と定義している。

産業政策は、市場の失敗、即ち市場原理に委ねることによる経済厚生上の不都合がある 場合、政府の失敗が起きにくい場合に合理性を持つ。

小宮隆太郎(1984)は、市場の失敗に対処する際に問題となるのは、a)どの様な状況を市場 の失敗と認めるか、b)市場の失敗の様々な類型に対してどの様な政策措置が要請されるか、

c)政策当局も失敗する可能性があるので、その点についてどの様に判断するか、d)政策のメ リットと各種のコストの秤量についてどう考えるか、という4つの問題を指摘している。

今井賢一(1984)は、小宮の市場の失敗に関する見解に対し、下記のコメントを寄せている。

  市場が失敗する場合に政府の出番となるが、資源配分の方法は計画ということになる。

市場か計画かという古典的な問題となり、両者の失敗の程度を比較することとなるが、

戦後の経験からすると、計画の失敗は市場の失敗を遙かに越えるものである。

また、市場の失敗に対処するための代替的方法がどの程度成功しうるのかは全く未知数 であるとしている。

結局のところ、各著名な経済学者達も、どの様に市場の失敗を是正し、政府の失敗を小 さくするのかという個別具体論の世界には踏み込んで来ない傾向がある。

地域産業活性化策は、地域産業に焦点を絞った産業政策であるが、個別の市場や組織に 対する各政策的介入を通じて、地域産業に対する負の作用を減じ、正の作用を生み出す際 の具体性が求められる。

  伊藤元重(1988)は、市場も失敗するが政府もまたしばしば失敗すると述べている。

  政府がそうした障害を除去し経済厚生を改善するための条件を伊藤は、1)政府は経済のど

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の部分にいかなる理由でどの程度の機能障害を起こしているかに関して正確な情報を持た ねばならない、2)政府は確認された個々の機能障害に対して効果的かつ効率的処置を加える だけの行政的権限を持っていなくてはならない、3)政府は採用した処置が経済の他の部分や 経済の将来に及ぼす副次的効果を考慮に入れて政策決定を行うため、政策の直接的・即時 的な効果を越えて、その間接的・長期的な影響を正しく見抜く能力を備えている必要があ る、とまとめている。

  1)については私的情報の把握、2)については経済的自由や独占禁止法等への抵触について

の予見、3)については精緻かつ複雑な因果関係を見抜き不確実に閉ざされた未来を見抜く能

力、がそれぞれ重要となる。

  全知全能はあり得ないが、伊藤が指摘する 1)―3)は、地域産業活性化策を立案する上で 重要な視点である。

  香西泰(1984)は、我が国の復興期(1945年−1960年)の統制から競争への政策的転 換期について整理している。

1946年−1948年には、有沢広巳らが提唱した傾斜生産方式により、石炭増産、

鉄鋼産業への石炭の優先供給、鉄鋼の石炭産業への優先配分、両産業への金融面の支援措 置がなされた。戦時中に資源輸入が絶たれ、その状況が戦後も続いていたのを打開するた めの政策であった。

1949年のドッジライン、1951年の朝鮮戦争の後には、輸出競争力の妨げとなっ ていた鉄鋼、石炭等の高価格を合理化する政策を打ち出す。

租税特別措置、財政投融資、海運利子補給等がその手段であった。

合理化政策、新産業育成、不況カルテルの認可等が1950年代前半を代表する政策で あり、高度成長期に入りつつあった1950年代後半には、高成長化、完全雇用が目標と なった。

新産業育成政策としては、1953年に合成繊維産業の育成計画、1955年に石油化 学産業の育成計画、1956年に機械工業振興臨時措置法、1957年に電子工業振興臨 時措置法、が打ち出された。旧軍施設の払い下げ、開銀融資、減税措置、設備の短期償却、

外交技術の導入認可といった措置が執られた。

機械工業振興臨時措置法は、機械工業が中小企業の多い産業であるため、二重構造を解 消し、中小企業を中堅企業へと成長させる支援策としての側面も持っていた。

香西は、復興期の産業政策について、成長があったからといって必ずしも政策が有効で あったという証にはならないと述べている。香西は、その一方で、公的金融が新規産業に 回り成長を容易にさせたという点を指摘している。

鶴田俊政(1984)は、我が国の高度成長期(1960年代)の産業政策について整理している。

高度成長期は、クリーピングインフレが見られたものの、技術革新と供給能力拡大によ り、インフレ率も安定した水準で推移した。

この時期に、中堅企業の台頭、スーパーマーケットの急成長等、産業組織の多元化も進

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展し貿易黒字も定着した。貿易と対内投資が自由化された。

その反面、新産業秩序形成、すなわち企業の集中、合併、共同を促進し、市場に政府が 介入して秩序を保持するという政策が提唱された。

日本の産業組織は過当競争にあるという認識に基づき、設備投資調整への官民協調方式 も打ち出された。鶴田が指摘しているように、この時代の政策は成長力を過小評価してい た。また、官僚統制に対する企業家セクターの反発も強くなった。

1960年代は政府による強い介入が志向されたものの、そうした政策は必ずしも成果 につながらなかった。

橋本寿朗(1991)は、高度成長期の産業政策について、特に1950年代に業種別振興政策 が採用されていた点を重視している。橋本によれば、我が国では、1950年代に製造業 に大企業化するチャンスがあり、1960年代には小売業に同様のチャンスがあったと分 析している。特に1950年代は製造業の育成政策が花盛りであった。

1956年に施行された機械工業振興臨時措置法について、共通部品、基礎機械を振興 対象としながら、実際には自動車部品、自動車向け需要が大きい工作機械、リーディング インダストリーである自動車産業の育成政策であったと例示している。

橋本は、日本の産業集積に関する政策は、社会政策(衰退産業分野・地域問題解決)、と地 域産業振興政策に分かれると指摘している。

1978年の旧城下町法、1983年の新城下町法、1986年の特定地域法は、石油 ショックや円高から一定のタイムラグの後成立している。橋本は、地域産業振興政策につ いて、歴史ある産業集積を現代風に洗練させ、既存企業や新規企業の革新的展開により創 業や再創業を誘い、産業集積を再構築することが課題としている。

その他、橋本は、公設試験場を活用し、産学官の地域内外のネットワークを構築すべき だという提案を行っている。

植草益(1984)は、第一次石油ショック(1973年)以降の産業政策について論じている。

1970年代の産業政策ビジョンは、成長追求型から成長活用型への転換、市場機構の 最大限の活用、知識集約型産業の形成を三本柱としていた。80年代ビジョンでは、創造 的知識集約型産業構造を提唱しており、70年代ビジョンを基盤としている。

1970年代から1980年代にかけて、製造業に関する保護的な規制は撤廃されてい き、逆に輸出自主規制が必要となる事態まで生じた。

70年代ビジョンでは、国民所得の上昇に応じて需要が増大する産業(所得弾力性基準)、

生産性が高く国際的比較優位が実現できる産業(生産性上昇率基準)、過密・公害問題の解決 尾および資源エネルギーの効率化に貢献する産業(過密・環境基準)、良好な勤労の場をより 多く提供しうる産業(勤労内容基準)、を知的集約産業として選択するとしている。

1978年には、構造不況業種(アルミ、化学繊維、化学肥料、合金鉄、紙、板紙、石油 化学)に対する調整政策として、特定不況産業安定臨時措置法が成立する。設備廃棄の際に 必要となる銀行融資の信用保証基金創設、独禁法の適用除外を認めている。一方、特安法

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はカルテルを誘発し、産業内部の合理化を阻害するとの批判を受けている。

我が国の戦後産業政策史は、限られた資源を社会としてどの様に活用すべきか、通商産 業省(現、経済産業省)はどこまで介入すべきか、迅速に海外先進国にキャッチアップするに はどうすべきか、という試行錯誤が1970年代までは続いていた。

1980年代以降は、競争優位性を持つに至った一部の輸出産業分野については、キャ ッチアップの次のフェーズを模索することとなった。

一方、依然としてアメリカ等の後塵を拝している領域、すなわちハイテクベンチャー企 業の輩出、大学の知を活用したイノベーション創出、21世紀型高付加価値産業の育成に ついては、我が国の政策はいまだにキャッチアップ過程にある。9.2.2項、9.2.

3項にて、それら諸政策の日本における展開について論じることとする。

また、今後は、高度成長期以降は雇用状況が良好であった我が国にも地域における雇用 確保という視点の政策が重要となってくる。

先進国病に我が国より早く陥ったイギリスでは、Armstrong,H. & Taylor,J.(1985)が論じ ているように、失業率に関する地域間格差が政策の根幹にある。

イギリスの地域経済政策は、1920年代の後半に輸出産業が競争力を失い、そうした 産業の立地する地域に溢れた失業者を他地域に移動させようとする政策に起源を持つ。

  その後、軽視の時期を経て、1960年代に大ロンドン都市圏への過度の集中が懸念さ れたので、再配置のロジックも加わったものとなった。

  イギリスの地域経済政策は、地域の失業率緩和に加えて、ロンドン地区の過密緩和、バ ランスのとれた産業の地理的分布、防衛等の目的の産業分散というロジックで推進された。

  後進国では重点投資地域を優先するため、失業率が高い地域を重視する政策は、成熟期 を迎えた先進国特有のものである。イギリスでは、地域経済政策のメニューとして、1)労働 の再配置、2)資本の再配置、3)税、規制緩和、その他優遇措置等の中央との調整を挙げてい る。労働再配置政策には、教育訓練、移動等が含まれ、資本再配置政策には、投資や技術 支援、輸出支援、債務保証やVC供給等が含まれる。

  我が国の多くの産業が、Vernon,R(1966)のプロダクトサイクル理論に基づくなら、成熟 期に入っている。外部経済を必要とする産業は大都市中心地域に立地するが、輸送費や労 務費のウェートの高い産業は周辺地域にシフトし、成熟製品、標準化製品は国内の地方都 市から海外にシフトしていく。

  我が国は、戦前戦中の負の遺産を払拭し、輸入代替産業育成、輸出産業育成に成功した。

  各地域産業集積の多くがこの過程で力を蓄えていった。

  戦後混乱期の対処、成長企業への金融等の資源配分面では政策面の有効性が認められる。

  高度成長期には、潜在成長力を低く見積もり、統制色を強めようとする政府による失敗 があった。その後は、産業政策の中心的存在である通商産業省(経済産業省)は、市場による 調整機能を重視し、公害問題・エネルギー問題への対処に加えて、統制官庁から政策官庁 への脱皮を目指している。

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  地域産業活性化策については、現在は新産業育成面でアメリカにキャッチアップ中であ り、敗者となった産業からのスムーズな経営資源シフト、高失業地域における新事業創出 といった側面が今後は強まっていく局面と言うことが出来よう。

  1986年に特定業種関連地域中小企業対策臨時措置法が成立したが、不況地域対策は 全国的に企業城下町等で長期化している。

また、地方自治体と国の財政的配分方法の改革は遅れており、地域産業活性化策に関す る中央集権構造は未だに存在している。しかし、徐々に、国内先進的地域の自前の政策を 包摂するようになりつつあり、意欲的地域に優先的な予算配分を行う政策が増えつつあり、

変化の兆しは見られる。 

 

9.2.2 産業立地政策の歴史的展開 

9.1項にて述べた通り、産業立地政策とは、国土計画系政策、産業集積系政策、イン フラ整備系政策等の諸要素を含むものである。

  本項では、まず、国土計画系政策を中心に、(1)にて産業立地政策全般の流れを概観する。

そして、(2)にて産業集積系政策、(3)にてインフラ整備系政策、をそれぞれ概観する

( 1 ) 産業立地政策全般の流れ

  新事業創出促進法検討時に通商産業省環境立地局により整理された「産業立地政策の系 譜」に基づきここでは論を進める。

戦後復興期には、四大工業地帯の復興と太平洋ベルト地帯の発展が進展し、四大工業地 帯へ重化学コンビナートが集中した。

  1960年代には臨海部の基盤整備が進んだ。

1950年に国土総合開発法が制定されたが、高度成長初期に生じた都市の過大化、地 域間所得格差拡大の問題を解決するため、全国的な計画が必要とされた。

  1962年に閣議決定された第一次の全国総合計画は、1960年から1970年を計 画期間とするものであった。1962年の新産業都市建設促進法、1964年の工業整備 特別地域整備促進法に基づき、15地域が工場誘致による工業集積創出を目指した新産業 都市に指定し、一定の工業集積が見られる地域の産業基盤整備を目指した工業整備特別地 域として6地域が指定された。

四大工業地帯以外の臨海部における基盤整備が進展した。

  全国総合開発計画は、太平洋ベルト地帯に人口と工業が集中する流れを抑制するものだ ったが、真継隆(1986)が指摘しているように、実際には計画期間中に集中が進んだ。

  1968年には、大正時代以来の都市計画法が定められた。

  都市の過密問題に対処し、市街化区域と市街化調整区域を定め、必要な社会資本の整備 を促進することにした。

  都市部では住工混在、スプロール開発、公園の不足が進み、新興住宅地ではゴミ処理と

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小中学校の建設が課題となっていた。その一方で、中山間地域等では過疎が生じ、196 5年に山村振興法、1970年に過疎地域対策緊急措置法(旧過疎法)、1980年に過疎地 域振興特別措置法(新過疎法)が制定される。旧過疎法ではシビルミニマム、新過疎法では地 場産業振興や福祉の観点が加わった。

  一方、橋本徹/大森彌(1994)が論じているように、従来の過疎対策は、過疎地域での定住 を可能とするナショナルミニマムを求めた条件整備であり、大都市への人口集中の対策で はなかった。橋本らは過疎対策について、公共型、外来型、地場型、交流型、住民型とい う5つの類型を示し、高付加価値農業、グリーンツーリズム、テレワーク、農村型コミュ ニティビジネス等を新しい過疎地域産業として挙げている。関満博ら(2003)は、中山間地域 は、命懸けのプロデューサーが存在し、市場に鍛えられる必要性があると述べている。 

  1969年に閣議決定された第二次の新全国総合開発計画は、1985年を目標年次と する第一次計画の拡大版であった。

  1970年代は、地域間格差の拡大と公害問題の激化への対処が求められる時代であっ た。1972年に日本列島改造論が浮上し、1970年には、本格的な研究所集積を目指 した筑波学園都市建設法、1972年には工業の地方への移転・分散を目指した工業再配 置促進法、1973年には緑地を確保した工場立地促進を目指した工業立地法が制定され る。1974年には地域振興整備公団が成立する。

その後、想定していなかった石油ショックを経て、1977年に第三次全国総合開発計 画が閣議決定された。公害問題の反省もあり、「自然と調和のとれた安定感のある健康で文 化的居住空間」が強調され、大都市、地方都市、農山漁村に居住空間を区分し、定住構想 が打ち出されている。

1980年代には、高付加価値化の推進、経済のソフト化、サービス化への対応が求め られた。1983年にはテクノポリス法が定められている。テクノポリスについては別途 後述するが、地方圏のハイテク製造業立地促進を目指したものと言えた。

  1987年に第四次の全国総合開発計画が策定された。多極分散型国土の構築、交流ネ ットワーク構想が掲げられていた。

  この時期は、バブル経済の初期に当たり、1986年に民活法、1987年にリゾート 法、1988年にソフトウェア等産業支援サービス産業の立地促進を目指す頭脳立地法が、

バブル崩壊直後の1992年に地方圏のオフィス機能の立地促進を目指した地方拠点都市 法が成立している。

  1995年以降は、国際的な立地競争力強化、産業空洞化や大競争への対処が求められ る時代となった。経済構造改革を推進し、地域経済の自立的発展の支援という観点から、

1997年に地域産業集積活性化法が成立する。これは空洞化への対処と既存集積地域の 活性化を目指したものであった。1998年には中心市街地の商業活性化を推進するため の中心市街地活性化法が成立する。

  第五次の全国総合開発計画は、1998年に閣議決定された。経済的豊かさとともに、

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精神的豊かさを重視し、多軸型国土構造に転換することを目指すとしている。

中枢・依存関係からより水平的な都市のネットワークの形成、自然環境の保全、回復や 新しい文化と生活様式の創造、地球時代に相応しい国際交流機能の構築が掲げられている。

  同じ1998年には、テクノポリス法、頭脳立地法により形成された産業集積等を活用 するための新事業創出促進法が成立する。新事業創出のための地域プラットフォームとい う総合支援体制が整備され、インキュベーションが重視された。

( 2 ) 産業集積系政策

  産業集積系政策について、地場産業政策、集積活性化政策、地域クラスター政策を本項 では取り扱い、特定地域における産業集積の強化策、新産業集積の創出策についてまとめ ることとする。

  地場産業について清成忠男(1997)は、「通常は、産地を形成し、全国市場、外国市場に消 費財を供給する産業」と概念を述べている。

地場産業の類型は、立地基準で大都市型、地方都市・農村型に、製品の等級基準で普及 品、高級品の産地に、技能・技術基準で技能依存型、資本集約型に、内需・輸出依存基準 で輸出特化型、内需をベースに輸出に乗り出すタイプ、内需に依存するタイプに、それぞ れ分類される。下平尾勲(1996)は、原料立地型・資源活用型(有田の陶磁器等)、技術立地型 (浜松の楽器等)、市場立地型(京都の西陣織等)に分類している。

地場産業は、アジア諸国との価格競争に敗れたり、資本集約化により独自性を失ったり、

製品開発力が弱いといった課題を克服できずに、そこに円高が加わり、苦境に立つ事例が 増えてきた。コストの高い大都市に立地している大都市型地場産業の方が、情報指向、デ ザイン指向が強く、適応力が強いと清成は指摘している。

清成は、地場産業は国民生活の質的向上に寄与する生活産業を目指し、個性化・多様化 に対応する独自技術を確立し、関連産業をシステム化し、地場産業としての多様性を確保 し、地域経済の自立につなげるべきだと提言している。

各地場産業は、1971年のニクソンショック、スミソニアン協定によるドル切り下げ、

1973年の変動相場制への移行、石油ショック、プラザ合意後の円高といった試練によ り淘汰が進んでいる。特に輸出型は1990年代に落ち込みが顕著となっている。

1997年に地域産業集積活性化法が成立するが、この政策は先に述べた通り、地場産 地や企業城下町等の既存集積地域の活性化を目指したものであった。

この政策は、基盤的産業集積(A集積)、すなわち部品・金型・試作品等を製造する製造業 の集積と、特定中小企業集積(B集積)、すなわち産地・企業城下町等の製造業を中心とする 中小企業の集積を対象としている。地域指定を受けると、自治体は産業インフラ等の整備、

ソフト支援事業、道路の整備が実施できる。企業・組合等は新製品開発の支援、低利融資・

税制上の優遇措置が受けられる。

A集積地域については、製造業の将来を支える基盤的技術の水準向上や適用の拡大等の

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高度化を図る行為を支援する。B集積地域では中小企業の新分野進出等の行為を支援する。

集積活性化計画については製造品等出荷額を目標値として設定している。

この目標設定は自治体には必ずしも制御可能ではなく、目標未達成地域が多数を占めて おり、制御可能な指標を自己管理すべきと言えるだろう。

また、中小企業向けの支援については他の政策スキームとの類似性が指摘されている。

一方、最近は、ベンチャー支援、産学官連携支援に重点が移っているが、こうした既存 の中小企業集積地域を支援する手段を充実して欲しいという意見も産地では聞かれる。

地域の自立という側面を重視すると、政策における新事業創出、雇用創出といった観点 が強くなり、産業立地政策と中小ベンチャー企業支援政策の境界線が薄くなってくる。

産学官連携、コーディネートといった各種中小企業政策と産業立地政策の境界線も総合 支援体制を目指すと必然的に薄くなってくる。一例として、経済産業省系統の地域プラッ トフォームと中小企業庁系統のベンチャー支援センターの間に類似性があるため、各自治 体の現場ではシームレスな運用が求められている。

地域クラスター政策については、2001年より経済産業省の産業クラスター政策が、

2002年より文部科学省の知的クラスター政策が、それぞれスタートしている。

       図9−3 地域クラスター政策の系統と主なアプローチ

図9−3に示される通り、経済産業省の産業クラスター政策は、地域経済を支え世界に 通用する新事業を創出しようとするものである。

地域クラスター政策

●産業クラスター政策   (経済産業省)

●知的クラスター政策   (文部科学省)

政策 の 系統

●産業クラスター政策   (経済産業省)

●知的クラスター政策   (文部科学省)

政策 の 系統

●既存集積地の再生、高度化

●技術主導の新産業創出

主 な

アプローチ

●既存集積地の再生、高度化

●技術主導の新産業創出

主 な

アプローチ

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既存集積地の再生、高度化を、広域ネットワークを通じて実現しようとする視点が強い 政策である。各経済産業局を結節点として、広域ネットワークを形成し、技術開発やイン キュベーションを一層推進するとしている。

文部科学省の知的クラスター政策は、自治体の主体性を重視し、大学等を活用して、研 究開発型企業等が集積する拠点を形成しようとするものである。

自治体が指定する財団等の中核的機関に知的クラスター本部を置き、自治体が主体的に 事業計画を策定し、知識・産業が高度に集積する地域を目指すという方式である。

大学の技術主導の新産業創出という色彩が強く、共同研究を推進し、目利きやアドバイ ザーを活用し知財化を促進するとしている。

経済産業省は既存の集積活性化政策の延長上に、文部科学省は既存の産学官連携政策の 延長上に地域クラスター政策を位置づけ、平成15年度は両省合計で400億円以上の予 算規模となっている。産業クラスター政策と知的クラスター政策は、地域クラスター推進 協議会を設置し、合同成果発表会を開催する等、連携を深めることになっている。

一方、我が国は地域クラスター形成分野においては後発である。

アメリカの場合、最強の産業といわれる大学から、あるいは産学官連携を通じてスピン オフベンチャー企業が次々と創業する。そして、VCがそこに投資し、専門家が支援する という仕組みが自然と形成されている。

スピンオフベンチャーの成功例が極端に少ない我が国においては、クラスター政策を通 じて、そうした状況にキャッチアップすることが求められている。

我が国と同様にアメリカを追い上げているドイツの地域クラスター政策については、前 田昇(2002)による調査を通じて明らかとなっている。

日本と似た立場のドイツは、ノイエマルクト市場の1997年の設立以来、IPO数が 急増し、大学発ベンチャー数が米国の2.5倍に達している。

ドイツの個性は、レギオ方式(1995以来)、マッチングファンド方式(1995)、国立 研究所の任期付き研究者採用(1980年代末頃から)、州政府によるアン・インスティチ ュート(大学近接研究所)の開設・援助に見られる。

1995年開始のバイオクラスター構築のビオレギオ(BioRegio)、97年開始の産官学ネ ットワーク構築の EXIST、99年開始の旧東ドイツにおける技術復興によるイノベーショ ンネットワーク構築のイノレギオ(InnoRegio)は、ドイツの得意分野であるバイオ産業強化、

さらには大学発ベンチャー創出、旧東ドイツの復興を狙ったものである。

  ビオレギオは、プロポーザルを練り上げる十分な準備期間が与えられ、発表から最終 的な地域選考まで18ヶ月をかけた。数ヶ月の準備期間を与えて、予選通過した10−1 5地域には数千万円のビジネスプラン作成費用を与えるのである。

我が国の知的クラスター制度とはこのあたり思想が異なっている。

ビオレギオ3地域は、ミュンヘン地域、ケルン地域、ハイデルベルグ地域が選ばれ、エ グジスト5地域は、カールスルーエ、シュトゥットガルト、ドレスデン、ウッパータル、

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イルメナラが選ばれた。

ビオレギオは1996年−2001年の5年間毎年5000万マルク(約25億円)、エグ ジストは1998年−2003年の5年間毎年200万マルク(約1億円)が交付される。

ミュンヘン地域は、連邦政府のVC同額マッチングに加えて、ババリア州も同額マッチ ングするという独特の方式を採用している。

ビオレギオは、海外に流出しているバイオの頭脳をくい止め、欧州一のバイオ産業国に なることを目指している。

我が国の地域クラスター制度の弱点は、スピンオフベンチャーの創出力が弱いことであ るが、ドイツでは任期付きの研究員を採用し、不景気で彼らの再就職が難しい状況から創 業意欲に結びつけようとしている。

また、1995年、BTUプログラムを導入した。

Tbg(公的技術投資会社)が半分以下を投資し、リードインベスターは20%の保証料を 支払い、ベンチャー倒産時には投資額の50%まで(旧東ドイツでは70%まで)をTbgが 保証する協調出資型スキームが特徴的である。

こうした政策が呼び水となり、ドイツのベンチャーキャピタルは急激に増えた。

  また、アン・インスティチュートとは、大学(インスティチュート)の近く(アン)に教授が 研究所を設置し、大学院生を使って企業と共同研究する施設で、州政府が約半分を補助し、

残りを企業からの委託研究、共同研究でまかなう仕組みであり、新規創業も出てくる。

Watts,H.D.(1987)によれば、初期段階のR&Dは、新製品開発と関係し、生産地点に必 ずしも結びつかないとしている。 

Abernathy,W. & Utterback,J.(1978)は、新製品が登場した当初は不確実性が大きく、プ ロダクトイノベーションに重点が置かれる点を指摘している。 

プロダクトイノベーションには、大学や公的研究機関、ベンチャーキャピタルや専門サー ビスの利用可能性が影響する。 

まさに、「大学の近く」にこうした諸構成要素が集積し、連携していることが地域クラス ター形成には不可欠であると言えよう。 

我が国においては、高原一隆(1999)が指摘するように、大手企業の本社は東京周辺に集中 し、研究所立地も東京都内と都下、周辺3県に集中し、工場は海外進出が増加している。

大学を起点とした政策を考える場合、地方圏の世界に通用する研究型大学は東北大学、

大阪大学等の旧帝国大学に限られている。旧帝国大学が立地する地域については、大阪圏、

名古屋圏を除くと、産業集積に課題がある場合が多い。

札幌バレーのようにソフト開発分野集積であれば、必ずしも製造業の高度な集積は要求 されないかもしれないが、製造業との相互関係で開発されるソフトウェアについてはクラ スターの強みを発揮できない。

地方圏において地域クラスター政策を打ち出していく際には、そうしたハンディキャッ プをカバーする戦略性を持つ必要がある。

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( 3 ) インフラ整備系政策

  インフラ整備系政策について、本項では、リサーチパークの整備政策と代表的な産業支 援施設であるインキュベータの整備政策を中心にまとめることとする。

  リサーチパーク整備政策は、我が国では工業団地整備政策の延長上に発展してきた。

  川端基夫(1998)は、我が国における工業団地は、住宅公団により整備された1957年の 最初の団地以降、1970年代前半、1980年代後半に特に開発が進んだとしている。

前者は1960年代の高度成長期に計画されたもので、後者は1983年のテクノポリ ス構想以降のハイテク誘致ブームであるとする。

  新産業都市建設法(1962)、工業再配置計画(1977)、テクノポリス法(1983)、頭脳立地法 (1988)、地方拠点都市法(1992)の存在にもかかわらず、工業立地の地域格差は是正されてい ないというのが川端の見解である。

  百瀬恵夫(1979)が指摘しているように、我が国の中小工業団地は、近代化・高度化という 中小企業政策を反映したものであり、共同化、協業化を必須とするものであった。

工業団地の経済性は、優れた立地やレイアウト、安価な工業用地、諸施設にあり、大規 模な異業種団地の場合は規模の外部経済も期待できる。日本の工業団地に入居する中小企 業にとり最も大きなメリットは、国及び地方自治体からの資金助成やそれに関連した指導 を受けられることである。

高度化資金助成による工業団地の場合は、特定資産の買い換え特例等、税制上の特典も 設けられ、市街化調整区域内の開発許可を受けることが出来た。

イギリスでは工業団地整備は、不況地域の失業問題と関連する政策となった。さらに、

産業集中の抑制、人口集中の抑制の考えが、田園都市(Garden Cities)の思想に基づくニュー タウン計画、産業配置政策につながり、日本の三全総に影響を与えている。

一方、Mumford,L.(1938)は、Howard,E.による田園都市という概念は、1904年に初 の田園都市事例が生まれ、アメリカにも影響を与えたが、産業集中化のメリットを上回る ことが出来ずに運動が停滞していったと述べている。

  アメリカでは1950年代に工業団地が、急速な工業発展に応じて多数造成された。

  民間のデベロッパーが主体となっているところがアメリカの工業団地の特徴である。

  スタンフォードインダストリアルパーク(SIP)は、私立大学であるスタンフォード大学 によるものであり、1950年代に大学を核としたリサーチパークがスタートしている。

  我が国のリサーチパーク政策のはしりが技術立国を目指したテクノポリス法であり、大 平首相の政策研究グループによる田園都市構想にその原点があるといわれている。

  テクノポリスのモデルは、スタンフォード大学の立地するシリコンバレーである。

  産学官連携型のリサーチパーク政策のはずであったが、全国に19カ所の指定がなされ、

工業団地造成面積が過大なものとなった。先端産業や研究所の立地は地域外からの誘致に 依存しているという脆弱なものであった。しかも指定された地域は、首都圏を外し、西日

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本を中心としていた。

  アメリカには、スタンフォード大学に代表される企業的なセンスを有する研究型私立大 学、研究型州立大学がある。私立大学は自ら企業育成のためのインフラを整備し、州立大 学は地域貢献という観点を有している。

  我が国では、私立大学は、技術系の研究開発より、採算性の良い文化系のマスプロ教育 に重点を置く傾向がある。県立大学は自治体の予算規模の問題もあり規模的に小さい場合 が多い。我が国で最も大きな研究開発予算を受け入れている国立大学は、文部科学省立大 学と揶揄されることもあるように自由度が少なく、地域貢献意識は乏しい。最近は少なく なったが、マルクス経済学的色彩の強い文化系学部を有する大学では、産学連携などとん でもないという意見を持つ教官もいる。一旦国立大学の教官となった後は、かつては兼業 が認められず、職を辞しての創業も皆無であった。

  その結果、テクノポリス法や頭脳立地法に基づくリサーチパークは、SIPとは質的に 異なる日本的なものとなった。

また、自治体の財政を圧迫する問題、計画段階で情報が漏洩すると土地の買い占めが起 こるため、議会における議論を経ないで国と自治体の政策立案担当者間のやりとりで多く が決まるという問題も指摘されている。

  伊東維年ら(1995)が述べているとおり、テクノポリスは地域の資金で自主的に開発する部 分が多い国にとって安上がりな政策であった。また、通商産業省(現、経済産業省)の認可を 受けるために東京のシンクタンクに計画立案を依頼した地域が多く、結果的に画一的なも のとなった。実際には、1980年代後半の好景気により工業立地は増えたが、東京から 遠隔地のテクノポリスほど先端産業の集積は実現せず、通常の工業団地の延長上にあった。

  テクノポリス財団の債務保証事業については、伊東らの調査によれば、手続きが煩雑、

信用保証協会の機能との重複、研究開発型企業が少ないといった問題がある。市中金利の 低下により、低利融資制度も必ずしも魅力的とは言えなくなった。 

  伊東が指摘する様に、財政力を越えた過剰な公共投資を行っても、先端産業は誘致でき ないという点について各自治体は気が付きはじめている。 

  テクノポリスはソフト重視であるということも言われるが、実際にはハードが大きなウ ェートを占めていた。自治体の財政や民間活力を活用する政策手法として、研究開発型ベ ンチャー企業育成のためのリサーチコア整備事業等もその後続いたが、傾向としてはテク ノポリス事業と同様であった。 

  浜松に代表されるように、やる気のあるビジネスコーディネータが、意欲的な中小企業、

意欲的な研究者を目利きして集め、ネットワークを構築するという手法が、時間はかかる ものの現実的なアプローチとなっている。 

  最近では、北九州のエコタウンに見られるような、PPP(公民パートナーシップ)に基 づくビジョナリーな環境コンビナートに注目が集まっている。 

  福岡大学工学部の花嶋正孝教授というビジョンを持ったリーダー、北九州市と新日鐵八

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幡製鐵所の意欲が結びついてエコタウンは実現した。全国で環境循環型を目指した工業団 地の整備等の計画は多数出ているが、本格的なものは北九州以外に出ていない。 

  花嶋教授は昔から研究室にゴミを集めて実験を続けてきた。そうした泥臭いノウハウの 蓄積に企業が多数引き寄せられるようになった。 

  エコタウンは、そうした学を中心とした人脈、人家から離れた臨海部に広大な土地を持 つ大企業、公害被害体験を持つ政令指定都市から醸成されたものである。中核施設である エコタウンセンター、中小企業リサイクル団地、実証研究センターが整備されている。 

  最新鋭の実証設備がこの地域の企業には揃っている。市立北九州大学、早稲田大学、九 州工業大学の新設、増設を受け入れ、産学官連携体制も強化されて、エコタウンはリサー チパーク化しつつあると言えよう。 

  リサーチパーク内の産業支援施設としては、インキュベータに新事業創出促進法の制定 以来、我が国では注目が集まっている。 

インキュベータの概念自体は決して新しいものではない。 

  Smilor,R.W. & Gill,Jr,M.D.(1986)は、いち早くアメリカのインキュベータについて調査 分析を行った。インキュベータについては、VC以前のアントレプレヌールを支援するメ カニズムの一種という考え方が示されている。

  80年代初頭のアメリカのインキュベータには、二つの戦略があった。

一つは、学校や倉庫、工場といった古い建物や使用されていない建物を改修し、比較的 安い料金でスペースを貸すこと、もう一つは、経営資源面の支援をすることだった。テナ ント企業への出資も見られた。

近年は、人材、技術、資本とのマッチングが徐々に重要になってきている。

  テナント企業が入居するメリットは、信頼性の増強、学習期間の短縮、問題解決の迅速 化、ビジネスネットワークへのアクセスの提供、であるとしている。

  立地面では大半のインキュベータが都市部にあり、築後の年数が古い。90%以上のイ ンキュベータが、オフィスと工場を、55%が研究スペースを提供している。

アメリカではスタンフォード大学が、ヒューレットパッカードに研究スペースを提供し 多額の収入を得た。これが他大学を刺激し、大学敷地内にテクノロジーパークやインキュ ベータが必要であるという認識が広がった。

ニューヨーク州北部のレンセラー工科大学が1980年にインキュベータをはじめ、ジ ョージア州でも、シリコンバレー、ルート128、ノースカロライナのリサーチトライア ングルを調査し知事のトップダウンでジョージア工科大学に1980年インキュベータが 設置された。

荒廃したスラム街であるシカゴのキンジー地区に設立されたフルトンキャロル産業セン ターは、非営利団体により古い工場を改修して設立された。その他、企業による支援ビジ ネスとしてのインキュベータ、投資ビジネスとしてのインキュベータもある。

Rothwell,R. & Zegveld,W.(1982)によれば、イギリスでは1980年に空洞化が進んでい

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る11の地域で、企業団地を設置し、新規小企業を育成する政策を掲げた。

関満博ら(1993)は、社会全体の仕組みとしての「地域インキュベータ」という語句を用い ている。大田区や坂城、東大阪等で中小企業からスピンオフした技能工が自宅の一角や家 賃の安い工場からスタートを切っていくというイメージである。

しかし、この傾向は大都市圏では住工混在問題を引き起こす。

関満博ら(1997)は、分譲工場アパートである協同組合三鷹ハイテクセンター、富山ハイテ ク・ミニ企業団地を大都市と地方の工業系中小企業創出のためのユニークな仕組みとして いる。三鷹は住宅地化する中での工業立地、富山は取引企業の推薦を入居条件とする工業 系インキュベータであり、研究施設と、成功した後の施設も用意する特徴を有している。

経済地理学者の間では、元々、インキュベータとは地域が孵卵器となる概念で語られて いた。アメリカやイギリスの経済的荒廃地域においては、雇用創出のために既存の未利用 施設を改修してインキュベーションを行う方法が一般的となった。

我が国では1989年のKSPオープン以来、大きな投資を伴うインキュベータという 概念が定着し、言葉は悪いが経済産業省系統の新たな公共工事としての側面も併せ持つこ ととなった。

日本新事業支援機関協議会(2001)の調査によれば、97.1%の回答率のアンケート調査 を実施した結果によれば、調査時点のインキュベータ数は全国で203カ所であった。

そのうちソフト支援機能を有する機関が97カ所であり、インキュベーションマネージ ャーが配置されている機関は36カ所であった。

同機関の将来ビジョンによれば、15万人の雇用を創出し、インキュベーションマネー ジャーが配置されソフト機能を有するインキュベータを400カ所にするとしている。

総額約650億円を投じたKSPは、運営会社である(株)ケイエスピーの資本金を神 奈川県、川崎市、日本開発銀行、民間企業から出資45億円を集めて設立された。

民活法のリサーチコア事業の第一号指定を受け、研究者を中心に約4000人の人材が 集まる日本最大のインキュベーション機能を有するサイエンスパークとなった。

企業の研究開発支援、特許の流通等を手掛ける(財)神奈川高度技術支援財団(KTF)、

研究ラボ、教育研究、交流を担当する(財)神奈川科学技術アカデミー(KAST)、(株)

ケイエスピーが三本柱となりKSPは構成されている。

KSPからは、(株)インクス、(株)サキコーポレーション等の一定の実力を備えるハ イテク企業が輩出しているが、インキュベート事業としての成立には至っていない。

バブル崩壊後、不動産賃貸収入が落ち、収入の多角化やコスト削減を進めている。

KSPより10年先行した新竹科学工業園区からは元気なベンチャー企業が多数生まれ ているのに比べると、まだ本領発揮していないと創業時の中心人物である元神奈川県副知 事の久保孝雄(2001)は語っている。

成功率は30%だが、その成功スケールが小さい。これは川崎という製造業集積地に立 地していることもあり、IT系ではなく製造業系企業の入居が多いことも影響している。

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久保は、最初は技術評価に頼りすぎ、試行プロジェクトは10年後に成功0となったと 正直に語っている。その後、創業カウンセリング、ビジネスプラン立案後にシェアードオ フィスに一年間入居してもらい、正式に入居してもらう方式に変更した。

投資事業組合も設立した。技術者というより経営者としての資質の高い人を育てるため、

1992年にKSP新事業マネージメントスクールを発足し入居者に受講を義務づけた。

その他、国内で規模が大きいインキュベータ事例としては、大阪ガス(株)100%出 資会社である京都リサーチパーク(株)、すなわちKRPが挙げられる。KRPには、会計 監査法人、特許事務所、コンサルタント、VC、ビジネスコンビニ等の民間支援機能、京 都府や京都市の技術支援機関、中小ベンチャー支援機関が集積している。

京都市のプラットフォーム事業の中核的支援機関は(財)京都高度技術研究所(ASTE M)であり、12のプラットフォーム参加機関中、ASTEMを含めて7機関がKRP内に 立地している。PPPの事例と言えるだろう。関西TLOも設立された。

その他、ユニークなインキュベータとしては、岐阜県にて1994年に設立された(財)

ソフトピアジャパンが挙げられる。

ソフトピアジャパンはマルチメディアに特化し、グローバルネットワークを掲げるイン キュベータである。こうした変化の激しいIT分野における公的セクター関与型地方イン キュベータの試金石的存在と言える。

1999年に設立された(株)さがみはら産業創造センターは、相模原市、相模原商工 会議所、地域振興整備公団が出資する第三セクター企業でありながら、トップにアルプス 技研(株)の松井利夫会長を据えてビジョンのある経営を行っている。

一方、我が国のインキュベータは、先導役とも言えるKSPを含めて、成果を評価する 段階には至っていないのが実状である。

高い理想を掲げスタートし、先行者がベンチャー創出、雇用創出、IPO事例創出等の 目標に向かい試行錯誤を続けてノウハウが蓄積されてきている段階であろう。

Feeser,H.R. & Willard,G.E.(1989)は、インキュベータを活用して急成長する企業の創業 者は、社会の公器と言えるような大きい利益追求型企業出身である場合が多く、インキュ ベータの技術や市場の傾向と類似していると指摘している。

こうした知見を蓄積しつつあるのが我が国インキュベータの現状である。

アレンマイナー氏率いる本格的ベンチャーハビタット、(株)サンブリッジもビジョン、

知見は素晴らしいが、ITベンチャーバブル崩壊時期に船出が重なっており、成功モデル を確立するには、今しばし時間が必要である。

Mian,S.Z.(1997)は、大学における技術系インキュベータ(UTBI)について、UTBI プログラムと、大学、企業家、コミュニティ、その他利害関係者の間の相互関係に基づく 構造モデルから評価する方法を提案しているが、我が国ではUTBI、キャンパスインキ ュベータの整備そのものが遅れている。 

早稲田大学が本庄並びに早稲田実業跡地にインキュベータを設立したが、医学部とビジ

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