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翻刻・解題洛東遺芳館本「源平軍論」

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翻刻・解題洛東遺芳館本「源平軍論」

著者 山田 和人

雑誌名 同志社国文学

号 25

ページ 76‑96

発行年 1984‑12

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000005002

(2)

七六

一翻刻・解題一 洛東遺芳 官食 本﹁源平軍

論﹂

山  田 和  人

は じ めに

 昭和五十八年六月から︑洛東遺芳館︵京都市東山区問屋町通五条

下ル三丁目西橘町四七二︶に所蔵されている演劇関係の板本を︑同

館長香川聖一氏の御好意により調査する機会を得︑同志杜大学の向

井芳樹先生を中心に︑その書誌調査を行った︒その際︑発見された

古浄瑠璃の新出資料の一つが本書であった︒

 従来︑﹃源平軍論﹄の正本としては︑国立国会図書館に所蔵され

ている江戸板の正本だけが世に知られており︑﹃国書総目録﹄にも

その一本だげが紹介されている︒この国会図書館本については︑

﹃古浄瑠璃正本集﹄第六に翻刻・紹介がたされている︒今回発見さ

れた洛東遺芳館本は︑大坂の書璋西沢太丘ハ衛より刊行された上方板

の正本であり︑その本文は国会図書館本よりも古態性をとどめてい る貴重た一本である︒その位置づげについては︑昭和五十八年度の日本近世文学会秋季大会の報告に譲る︒ なお︑本書の翻刻に際し︑資料の閲覧および翻刻・紹介を御快諾下さいました洛東遺芳館館長の香川聖一氏に重ねて感謝申しあげます︒また︑翻刻にあたり︑阪口弘之氏︑富井康夫氏︑山根為雄氏には貴重な御示教を賜りました︒資料の調査の折には︑向井芳樹先生をはじめ︑小川嘉昭氏︑鈴木一夫氏︑友田博氏︑山崎睦也氏の協力を得ました︒記して感謝申し上げます︒所蔵

装噴

 解  題

洛東遺芳館︵京都市東山区問屋町通五条下ル三丁目西橘町四七二︶

半紙本︒縦二一・六糎︑横一五・三糎︒

(3)

表紙匡郭

題籏 元表紙︒見返し都分が剥れており︑そこに右から︑

﹁片山村﹂と墨書されている︒

重郭︒縦一八・一糎︑横=一・八糎︒

元題籔︒重郭︒縦一八・八糎︑横五・五糎︒ ﹁甚五郎﹂

正 之

本 回つし  げんへいいくさろん 源 平 軍 論

かまたひやうゑてうのつかひの事

新 板 正本屋

太丘一衛

内題

段数丁数

行数

板心 源平軍論︒六段︒各段の冒頭に次のように記す︒ 源平軍論    初段 源平いくさろん  二たんめ 源平軍論     三段目 源平軍論    四段目 源平軍論    五段目 源平軍論     六段目初段のみ︑二行分で記す︒

一八丁︒ニハ行︒字数は一行あたり︑五〇字前後から七〇字前後︒

上方に﹁軍﹂﹁イクサ﹂﹁イクサロソ﹂﹁軍ロソ﹂﹁いくさろ

  洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄ 所属挿絵 ん﹂﹁げん平﹂とあり︑その下に﹁一﹂から﹁十八﹂までの丁付を記す︒未詳︒ニハ頁分︵見開七︑片面二︶ 一ウ・ニオ︑三ウ・四オ︑五ウ・六オ︑七ウ・八オ︑九オ︑ 十ウ・十一オ︑十ニォ︑十三ウ・十四オ︑十六ウ・十七オ︒各図に次のような説明がついている︒

第丁二図︵一ウ・ニオ︶H右︺﹁ごとう丘ハヘ﹂﹁さ上きげ

 んざう﹂﹁はたげ山庄司﹂﹁みうらの大すけ﹂﹁いさはの六

 郎﹂﹁かまたひやうへ﹂﹁あら二郎よしすみ﹂︹左︺﹁大将よ

 しとも﹂﹁すきもと太郎﹂﹁くまかへの二郎﹂﹁平山むしや

 ところ﹂﹁同二郎すへしけ﹂﹁いのまたの小平六﹂

 第三・四図︵三ウ・四オ︶︹右︺﹁平家大将きよもり﹂﹁ち

 くこのかみ家さた﹂︹左︺﹁へいげのくんせいにくる所﹂

 ﹁みすみの源二﹂﹁しろの兵さんくにいる﹂

 第五・六図︵五ウ・六オ︶︹右︺﹁みうらの大介﹂﹁かまた

 ひやうへ﹂﹁ことうひやうへ﹂﹁はたげ山庄司﹂﹁大将よし

 とも﹂﹁平山のすへはる﹂︹左︺﹁ひら山のすへしげ﹂﹁くま

 かへの二郎﹂﹁くりはまかくひ﹂﹁みうらのあら二郎﹂﹁す

 きもと太郎﹂﹁よししげかくひ﹂﹁いのまた小平六﹂

      七七

(4)

 洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄

第七・八図︵七ウ・八オ︶ ︹右︺﹁平きよもり引かへす﹂

.﹁平山すへしげかげよる﹂︹左︺﹁しやきやうすゑはる﹂﹁い

からの藤太さいこ﹂﹁しやうの丙一兵﹂

第九図︵九オ︶﹁すき本太郎﹂﹁あら二郎﹂﹁小平六﹂﹁かま

た兵へ﹂﹁平山すゑはる﹂﹁大将よしもと﹂﹁すゑしけかげ

出る﹂﹁くまかへの二郎﹂

第一〇・一一図︵十ウ・十一オ︶ ︹右︺﹁すきもと太郎﹂

﹁いゑさたすきもと二ろんノ所﹂﹁よしの﹂﹁花月のまへ﹂

﹁四ばんつくり物﹂﹁三ぱんノつくり物﹂コ一ぱんノつくり

物﹂︹左︺﹁一番ノつくり物﹂﹁たつたのまゑ﹂﹁き上やうの

まへ﹂﹁げんじさた本﹂﹁平のきよもり﹂

第一二図︵十ニオ︶﹁すき本太郎﹂﹁てきノ物いげ取﹂﹁す

へしげ﹂﹁くまかゑの二郎﹂﹁いの又ノ小平六﹂﹁あら二郎﹂

第二ニニ四図︵十三ウ・十四オ︶︹右︺﹁すき本太郎大刀

おるふ﹂﹁みすみのげんし﹂﹁あら二郎くひとる﹂﹁うすい

の彩部﹂︹左︺﹁くまかへの二郎﹂﹁きとうくむ所﹂﹁平山む

しや所すへしげ﹂﹁あらいしたげらる二﹂﹁こんへいろく﹂

﹁いるまのすくねみつあきら﹂

第一五・ニハ図︵十六ウ・十七オ︶︹右︺﹁すきもと太郎﹂

﹁いかのはんくわん一﹁とをくみのくわん者一﹁かまた兵 節譜刊記

︑︑

︑        七八  へ﹂﹁さまのかみよしとも﹂﹁の二むら兵こ﹂﹁さ大しん﹂  ﹁くわんはく﹂︹左︺﹁とはのいん﹂﹁源平のそでう﹂﹁う大へ  んもくろくよみ給ふ﹂﹁ひらの上九郎はくでうす﹂﹁きよも  り﹂﹁ちくこのかみ﹂﹁げんしさたもと﹂﹁きくち﹂﹁はらた﹂ ﹁三重﹂が︑初段にのみ二箇所付されている︒句切れは・点︒ なお︑句切点が行の左に付される場合もある︒ 終丁︑本文末にある︒   じ  ごんりや<せずしやう億んをもつてこれをひらくものなり ﹁右一字=言不略以正本開之者也﹂︑下に重郭で﹁明暦 四仲秋吉旦柾屋太兵衛﹂とある︒

  翻 刻 凡 例

仮名遣・濁点・句切点・繰り返しはすべて原本に−従った︒漢字は現行の通行字体に改めた︒特殊な略体・草体たどもおおむね現行の字体に改めた︒ ハ・︑・・←は・み︑右←より︑但し︑廿︑升および斗はそのま まとした︒原本の文字が損傷などにより判読不能の場合は□としたが︑推定判読した文字は□に入れた︒明らかた誤りも原本通りとし︑行間に□ママ﹈を付し︑疑間箇所には行問に□−カ﹈と付した︒

改行は原本に従わず︑適宜設げた︒

(5)

     翻刻本文

      源  平  軍  論       初段

さてもその上ち︑天下いっとうちやうきうに︑かわらぬまっのわか

みどり︑ のどかにめぐるはるのひの︑うごかぬくにこそめてたけ      ︹ママ︺れ︑その比四かいの国王ぱ︑人王七十たいとぱのいんとこうし奉る︑

御せいとくよもにみち︑たみをなてさせ給ふこと︑ぶもせきしをあ       ︹ママ︺いするにことならず︑され共天ちのしいとうは︑いくとしてさたま

らず︑国に一人あく人あれは︑はんみんをなやますとかや︑

ころはくわんとくくわん年正月六目︑しやしよくの者一人しもくち

に1相っめ︑うったへ申けるやうは︑是はしなの上くに︑すわ大明神

のしんにんにて侯︑然にゑちごしたの二大将︑みすみのはんくわん

国しげ︑すわのやしろの御ちうもつのよろいかふとをむたいにぱい

し︑あまつさへふけのたから是にすきし︑しよれう五千丁のきしん

にかへ申おろさんと︑はやりふしんにおよび侯問︑かんぬしう京の

しん罷出︑是はたうしや明神むくりたいちのとき召れたる︑御物の

くとして︑たい一の御しんもつなれぼ︑まつひらこめんなるべし

と︑たつて申侯へはしゆこたる者の心にまかせぬきっくわい也と︑

たうざにかんぬしをせつかい有︑しやたんにちをあやし︑もの二く

をうばい取給い侯たん︑たくいなきふるまい︑とかくちよくさいを

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄ あふき奉ると︑大いきっいてそうしげる︑みかとゑいふんましくて︑誠に申とをりならぱ︑あくきやくはなはたかきりなし︑然共一はうを聞ていか上也︑国しげを召上せ︑くわしきたんをた二さん︑とくくとのせんしにて︑六ゐの何かしはや馬にうちのり三重しなのをさしてそ︑いそきげるしなのになれは︑あんないこふて内に入︑国しげにたいめんしせんしのおもむき相のぶる︑国しげ聞もあへす︑さては右のあらましゑいふんにたつし︑召のちよくしたるへし︑此上はのかる二に所なし︑しやいっまてとちょくしのくひ︑あへなくきっておとせしは︑すは明神の御はつをあたるしるし也︑されはにや国しげは︑ほくろくたう七か国に︑一もんその数みちくたれは︑のこらすやかたにはせあっまり︑かん主せっかいのたん︑すこふる大事也と︑ないき︵一オ︶        挿絵第一図︵一ウ︶        挿絵第二図︵ニオ︶      ︹ママ︺ひやうてうする土に︑此由を聞︑今はせんきもよしなしと︑くにしげかまへに出︑此上は一もんげらいの者まても︑とうさいほとんとまぬかれし︑とてもきへんすっゆのみ︑天かのせいを引うげ︑なをこうたいにのこしおき給へと︑す二むれは︑国しげゑっきかきりな

く︑たの芒く︑きはうたちの一めいを︑はうしんにうくる吉

       七九

(6)

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄

外たしたしと︑ひたくと思い立︑れんはんの侍︑三百志ん一み

とうしんに︑じんついをのみ︑つかうさうへうかげて六万よき︑う

へた山をしやうくわくとさため︑うつてのせいを三重今やくと侍

いたり此こと都に︑かくれなく︑みかとげきりんかきりなく︑源平の両大

将へちよくしたつ︑然共ためよしは︑ひやうきゆヘヘ︑いげの大将

きよもり斗あからる上︑よつてかさねてちよくしたち︑めうたいと

して︑ちやくしよしともさんたい有︑みかとゑいふんましくて︑

かくのたんのしさい也︑是いこくのげつちうにも︑十はいしたるあ

く人︑よつてしげいにさたむる︑かの国しけは一るいひろき者なれ

は︑よりきのともからおほからん︑かたく両はたにてはつかうし

げいはついたすへし︑両方のちよくしとして︑六てうの中将さたも

とをそへらる二︑何れもちよくせんかうむり︑いさいに及すちよく

てう申罷立︑たかいにやうい有へしと︑やかたくにかへらる二︑

去程によしとも︑みたちにかへらせ給いげんし︑十たいの御きせた

か︑げんだかうぶぎぬ︑同げのかふとのを工しめ︑きんのさいをお

つ取︑よはのていより出させ給へは︑御めのとこ︑かまた二郎まさ

きよ︑みうらの大介よしあきら︑すとうきやうふとしみち︑こたう

兵へさねもと︑はたの上二郎のぶかげ︑はたげ山のせうし二郎しげ

よし︑さ上きのげんさうひてよし︑いさわの六郎道のぶ︑かぶとの        八○ほしのいらかをたらへなみいたり︑さてめての御かたには︑とう国より今のほりのわか︑侍︑平山のむしや所すへはる︑二たん平山の二郎すへしけ︑いのまたのこん平六のりつな︑くまかへの二郎なをさね︑すきもと太郎よしかと︑しやていあら二郎よしすみ︑以上六き思いくのよろいをき︑御まへにしかうす︑よしとも御らんし六人のわかむしやが︑こしさしは︑人にかはりてやう有げ成者哉︑まつさきのひら山のむしや所すへはるか︑かたをなみとかきたるさしものには︑さためて心有らん︑すへはる承︑さん候︑きいの国︑わかのうらと申所には︑どっ ︵ニウ︶ と打なみ斗にて引なみさらに侯はす︑さるによつてかたほなみとたつげて︑めい所のかすにこしんもよみ置給ふ打て引事たきはぶしののそみ︑何ことか是にまさり申へき︑か二るはたをさすたらは︑おくひやうしこくのしんていも︑はたのもんにはちひくへき所をも相さ上へ︑ふりよのりうんもやとそんし︑さてこそさして侯︑よしとも聞召︑あつはれふかき心かげ︑さすか平山のむしや所ほと有げるよ︑さてそのつきの平山の二郎か︑かめのかしらのさし物︑是にもさためてらいれき有へし︑すへしげ承︑さん侯それかしか相すみ侯ひかしにあたつて︑まんこうかいげと申て︑いか成かんはつにも水たへさるいげ候か︑それかし十三才と申はるのくれに︑川の

水をた二き上させ︑せつしやう仕侯所に︑川にひたりし老を一人︑

(7)

何とは存せすみなそこへひっこみ侯間︑是はとそんしっっと入︑か      ︹ママ︺の者とひつくみ︑つ二げさまに三力さし︑かしらと思ふ所をおつ取︑

引上侯へは︑二丈余のかめ︑くたんのおのこをはんふんのみなから︑

あげに也てあかり候︑それよりきっげうとそんし︑たへせすもんに

あらわし侯︑よしとも聞召おとろきいったるはたらき︑はしめてき

くこそほいなげれ︑

さてそのつきのいのまたかさし物は︑せんそのことくしらぢに︑し

ゆを以て︑一はんといふもしをかき︑上に三つくひをさすべきに︑

さもなきことはたんちいまたしやくねんなれは︑しつねん仕て有か︑

のりつな承︑いかてしつ念仕らん︑こそんしのことく︑それかしか

家のはたは︑八まん太郎よし家公︑あへのさたとうむね一と一うついは

っの時︑おやにて侯いのまたのせうし︑まっさきにくりや川のしや

うにはせさんし︑しかは︑こゑつきあさからす︑ 一はんと有御か

き付を給り︑そのた二かいにふん取しよにんにすくれ︑うち敢所の

くひしるしのうへにさし︑そのちを以て一はんとはたのもんにあら

はし侯︑然共それかしは︑ちを引はをたにいまたふますして︑いか

に家のゆつりたれはとて︑おやのことくに候はんな︑しよ人のあさ

げりはつかしく存︑わさとひかへ侯︑もし今度のた上かいに︑命な

からへかいちんいたし侯は二︑むかしのことくはたのもんあらはす︑

よもはんへらんと︑へんせつきよく申せしは︑けにゆ上しくそきこ

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄ へげる︑よしとも聞召︑申所しこくせり︑そのっきのくまのさしもののしさいは ︵三オ︶        挿絵第三図︵三ウ︶        挿絵第四図︵四オ︶いかに︑なをさね承︑さん侯過っるゑいおうのころ︑われくか︑ちうしよのへんに︑いづく共たく大くまあらはれちうやに人をとりくらい侯問︑ぽんみんおそれ︑かよいもすでにたへ侯間︑その時はそれかし︑生年十一才︑こ心にもげた物になやまされ︑わうらいとまることむねんにそんし︑は工にしのひ罷出︑一むらず二きのもとにてかのくまとひっくみ︑ふゑのねを只一刀にさしとをし︑たげ七ひろの大くまをそくしに打とめ侯それよりしてそれかしかあざたを︑くまとうじとしよ人よひ侯︑その二ちたをあらため︑す次はちくまがへの二郎なをさねとたのり︑はたのもんにも困丙亙し侯︑よしとも聞召︑げにも此あらましは︑せんねんつぶさにき上ぬれ共︑思いわすれて有けるに︑いくたびきくもいさぎょし︑さて五ぱんめのいのし二のさしものは︑みうらの大介かちやくたん︑すきもと太郎な︑わとのは家につたはるなかしろをこそさすへきに︑さもなきことはいかに︑よしひろ承り︑さん候おそれたから︑いのし上と申げた物は︑おのれとぎしんそたはり︑いさみをむねと仕︑人にことぱをかけられては︑すまんのたかやいぱげんげきをもおそれす       八一

(8)

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄

かげ入︑たげき所の心ねぶしたる者はあやかりてもなをあやかるへ

きはいのし二也︑さるによって存所にて︑さてこそさして候︑

よしとも聞召︑あつはれす父しきしんてい︑かんたんするに余有︑

さてそのっぎはしやていあら二郎よしすみ︑な︑上んぢは大介かこ

とはいへと︑はくふあくら三郎か家をっぎ︑七っぢやうちんのさし

ものたるへきに︑一つぢやうちんさすことは︑何ゆへそ︑よしすみ

ひざをしなおし︑さん侯やうふにて侯しあくら三郎は︑大くま川の

かつせんに︑こん五郎かげまさと︑たかいにさきをあらそい︑くび

七つ取︑それより七つでうちんをさし侯と承︑さ程な高きさし物を︑

それかしぢやくねんのぶんとして︑たましいにすいさん仕︑家のな

を下さんこと︑いか二とそんし︑さてこそりやくして侯︑.此たひの

かせんに︑所存のとをりのはたらき︑いたし侯は二︑つたはる所の

七つてうちん︑さしたて上らく仕らんと︑さもいさきよく申せしを︑

ほ珍ぬ者こそなかりげり︑

よしともきゑつあさからす︑たのもししく︑げにかたくかしん

ていにては︑めに立ほまれ一でう以ていたすへし︑此たびはげんへ

いあいならんでぶりやくをあらそふいくさ也︑申まてはなけれ共︑

おくれを取なめんく︑ぬげかげかうめう一四ウ一だい一也︑千

に一も︑きよもりにしをくれなはすは八まんもせうらんあれ二たび

たち︒のつかをにきるまし︑われかやうに思い定るうへは︑何れもほ       八二つする所存有へし︑さきへは一足もす二む共︑うしろへは一そくも引へからす︑む二む三のかたてぎり︑めいをみぢんになげうって︑はげめやくかたくと︑しきりにげぢをし給いげる︑︑かのよしとものしんてい︑あつはれぶんふ二だうのめい将と︑ほめぬ者こそな︑かりげれ

      源平いくさろん   二たんめ

去程に国しげは︑一もん家の子をちかつげ︑そくぢにじやうへ取かげさせてはかなふまじ︑ではりをして相まてと︑しやていみすみ︒の源次よししげ︑二万よき相そへ︑こむろのはら︒にきどさかもきをひつかげ︑やぐらかいだて打ならへ︑ぐんはうせいくはりい上を下へとかへしげる︑去程にていとより︑うってのせいよをひにっいで打程に︑はやしんしうにつきしかは︑先むかいぢんを取給ふげんしかたのせんぢんは︑かまだ二郎まさきよ︑平家かたのせんぢんは︑ちくこのかみいゑさだ︑さて両犬将︑同げんし︑ゆぱくをひかせ︑しゆひつ物見をさうに置︑ぐんぜいのかけ引︑かうをくをしるさる上︑誠にざしきのまへのはれいくさ︑たれかおくれを取へきと︑両ぢんたがいに入みたれ︑おふつまくりつひはたをちらしてた上かいげる︑へいげはげんしをぬげんとし︑げんじはへいげにまげじと︑

たがいにさきをあらそふて︑源平の両大将ざいのしっまるひまもな

(9)

し︑しきつてげぢをし給いげる︑

然所に︑平ぢの侍大将ちくこのかみ家さた︑ひたの三郎かげ家︑げ

んじをく父って一かせんと心かげ︑二人か馬しるしをさうにたて︑

ちかくとつめかけ差︑しろの大将みすみの源次︑此由をみるよ

りも︑只今よせたるはへいげかたのぐん丘ハとみへたり︑心にくきこ

となし︑あれかけちらせ︑承り侯と︑馬むしやかち︑たち二千よき︑

一どにっいてぞ出にげる︑只このはのちるかことく也︑家のはた馬

しるしをみな打すてにげ上れは︑しろのせい共はた馬しるしぱい取︑

本ぢんへ引かへし︑きどさかもぎを上したて︑いてをやくらにひっ

しとならべ︑大将よししげ大おん上︑此しるしはへいげかたのと覚

へたり︑家のもんをかたきに1ば上れしは︑かうめうかちしょくか︑

いかにくとよは二りげる︑きよもり大きにいかりをなし︑やあみ

かたのぐん兵共 ︵五オ︶

        挿絵第五図︵五ウ︶

        挿絵第六図︵六オ︶

あれげちらしてしるしを取かへせかしこまり侯と︑はせこまんとは

しげれ共︑やくらと下よりさし合て︑はたすやにうわうざわういた1

てられ︑かげ入てはさつと引︑又かげ入ては取てかへす︑みくるし

かりげるしたい也︑きよもりしきつてもたへ︑か二れくげぢすれ

共しとろに也てす二みへす︑

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄ よしともみ給い︑始より源平両はたにてはよせすして︑なましい成ことをふるまい︑みかたにおくれ付しふかくさよ︑たれか有くとの給へは︑れいの六きのわかむしや︑是に侯と︑いれ共きれ共もちいす︑只一すちにそかげこみげる︑大せいのてきをなんほくにかげちらし︑ぶんとりかう名︑しよぞんのま之しっくと立出る︑先

一はんはひら山のむしや所すへはる︑生年十九才︑打取所のくひは

ちさん申に及はす︑此はたは︑へいげのせんちん︑ちくこのかみ家

さたのもん也︑たしかにへんしんいたさん︑二はんは︑しやてい平

山の二郎すへしげ︑つもる年は十八才︑此はたも同く︑平げのしる

し也︑みかたのちしよくと思い︑ほねをくたきてはいかへしたり︑

かうなんをはれ給へと︑あげにそまりてかげ出るは︑あつはれきり

やうのいきはいと︑げんへい一とにほめにげる︑三はんはみうらの

大介かちやくなん︑すきもと太郎よしひろ︑今年十九才打敢所のく

ひは︑てはりの大将みすみの源次よししげかくひ也︑そのほかのは

たらきは︑ひろう申に及すと︑さもおうやう成ていたらくげにもみ

うらの大将やとばんみんふかくかんしげる︑四はんは︑いのまたの

小平六のりつた︑生年十七才︑家につたはる三つくひのしるし︑今

こそあらわし侯と︑打取所のくひはたのうへにつらぬき︑につこと

わ︒らい立出る︑五はんはくまかへの二郎なをさね︑此くひはほくろ

くたう七か国にそのたをあらはす︑くりはま大さうかくひ也︑しる

      八三

(10)

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄

しのうへにさしたるは︑ゑちこしたのりやうこくにて︑四人のはせ

うのたっ←やとよはれたる︑うへ山源太まっひろ︑へい狂いかくひ

也と︑・ゆんてにいたてられたる二すちのやを︑おりかげちしほにそ

まり︑さ毒うくとひかへしは︑只きしんのしよいにこと奮す︑

しかれば︑みうらのあら二郎よしすみ︑せんそよりったはる︑七っ

てうちんのさし物︑思いのま二にいたしたりと︑打取所のくひしる

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      源平軍論  三段目

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(11)

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        挿絵第七図︵七ウ︶

        挿絵第八図︵八オ︶

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     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹂

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      八五

(12)

洛東遺芳館本↓源平軍論﹄

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        挿絵第九図︵九オ︶

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(13)

      源 平 軍 論       四段目

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        挿絵第十図︵十ウ︶

        挿絵第十一図︵十一オ︶

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(14)

     洛東遺芳館本﹃源平軍論−

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(15)

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     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄ し︑げめうじつめうこゑくになのりげる︑中に圭人のわかむしやはむねとの者共五き三きで︑いげ取︑ひつさげく立かへる︑し二ふんぢんのいきをいは︑天ちにあまりてみへにげり︑へいげはたせいたれ共︑一せんにもおよはす︑にげゆくげんしはぶせいなれとも︑くいつめてきのしろまてとりにけり︑あつはれうんでいぱんりのちがいやと︑天下のさたにそおよひげる︑よしとものくんはうしそっのはたらき︑たぐいまれなること共とみな︑かんせぬ者こそたかりけれ ︵十ニウ︶

     源 平 軍 論       五段目

さてもその二ち︑こむろかはらのではりやぶれぬれは︑国しげ大きにどうてんし︑にはかにしやうじんげっさいし︑はういちぢやうのゆかをいわせ︑天暮かつてかこつやう︑そもくちとて候し︑みすみの入道くわいじっは︑月くの七よまちおこたらす︑し畦うしんに日月の二天をふかくねんし奉りぬ︑又それかしかよにも︑それほどにこそなげれ共︑たつとみ申ことはたはたし︑然に一せのこと︑此たひ也︑ねかはくは力を合︑かたきを千りの外にしりぞげ︑かつことをいやくのうちにゑさしめ給へと︑かんたんくだきいのりげる︑時にふしぎや︑天女一人こっぜんとげんじ給い︑玉のてぱこを国しげかまへに置︑みすがたを引かへ︑こくうにあがらせ給いげ       八九

(16)

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄

り︑︑国しげてぱこをおしいた£き︑一もん家のこよびあっめ︑三ど

はいしふたをひらきてみてあれは︑一しゆのうた有︑かぎり有︑秋

のぐさぱのかれゆくに︑何いのるらん心つくしにとかきて有︑国し

けいろを引かへ︑かれゆく草をたすげてこそ︑天のじひとはいふへ

き︑げに只今のは︑日天にも月天にもあらす︑あくまげたうの天ぐ

のしよいと覚たり︑あましぬるこそ口をしげれと︑こくうをはたと

にらんで立たりしは︑よにものくるはしくそみへにげる︑

や二有てこむろかはらへさしむげし︑侍大将︑みしほの伝内としは

るをちかつげ︑此たびこむろがはらのではりを︑そくじにせめやぶ

られしは︑しそつのおくびやうゆへか︑又かたくかぐんはうあし

きゆへか︑しさいはいかにと︑おもてをいら上げ尋げる︑としはる

承︑さん侯よせてはたせい︑みかたはぶせいと申せ共︑はげむ所つ

よきゆへ︑平げのせいをはそくしに打ちらし︑すでにかうよと存所

にげんじの大将よしともに︑ふりよにはかられ︑ふかくを取て侯︑.

そめうへげんげの侍共は︑おや打れ子打るれ共︑かへヶみすハのり

こへく︑うて共きれ共ひ婁ず︑ヒとには言ら兄弟︑︒くまかへ

平山いのまた︑かれら五人のわかむしや共がはたらきは︑ひとへに

きじんのことくにて︑むかふてきをは打ちらし︑はせよつてくまん

とすれはうま人共に取てなげ︑ぢうわうむげにふるまい侯間︑いか

にいさむ者共も︑たまりかた︒く候︑只いかにもしてかれちを︑づた        九〇んはかりことこそあらまほしく候と︑大いきっいて申げる︑時に︵十三オ︶        挿絵第十三図︵十三ウ︶︒        挿絵第十四図︵十四オ︶国しげかをい︑いるまのすくねみつあきらとてそのたげ六尺五寸もろ・﹂しのしはうがじゆ同一を︑たな心にをしにぎり︑弓や打物取てのたっしや︑同一ぞく︑うすいぎやうぶた上っね︑みすみの源次ざへもんかっさた︑何れもそのたげ六尺に余︑まなこざしつらたましい︑ぱんにんにかはり︑ひとへにやしや共いひつへし︑たらびにきだうあらいしとて︑ほんらいはでわの国はくろさんにすみげるが︑じやくねんのむかしより︑はやはさうでだて︑あくそうのなを取︑っいにはしゆぜうさいどのじひにんにくの衣をぬぎ︑じやげんしゆらのちまたにみをよせ︑今みすみの家のゆふしとして︑ぱうじやくぶじんにおごりげる︑かれら五人︑みきのあらまし聞よりも︑ひさをしなをし︑何しやつぱらがゆふりき︑何︒とはげむと申共︑わづか十七や八にて︑いまた力もさたまるまし︑何程のことの侯はんかれら五人をは︑われく一人つ上うげ取︑しやくびねぢきつてすて      ︹こ脱カ︺んこと︑たた心のうち也とともなげに申せは︑国しげき二て︑あらたのもしく︑犬将よしともをは︒それがしにまかせよ︑人tゆ1づ

かい軍だて︑よしともわれにいかてか及ん︑心やすく思ふへtと

(17)

じよせいをいさめげぢをなし︑よするかたきを待いたり︑

去程に︑いさみにいさむげんしのせい︑何かはゆうよいたすへき︑

じこくをうっさず取かげ︑時のこゑをぞ上にげり︑時のこゑもしっ

まれは︑五人の者共︑ゑ物くをひつさげ︑よせてのせんぢん三千

よきにてさ上へたる︑まん中へ︑八もんしにわつて入︑とうざいな

んぽく︑ひしきつげてそとをりげる︑もとより力人にこへ︑打物取       1︹ママ︺てのたっしや︑さすがにたけきげんけの侍も︑四面丁八方へかげち

らされ︑す︑みかねてそみへにげる︑こ二に五人のわかむしや共は︑

せんとのいくさをはげまんと︑一所にひかへいたりしか︑此由をみ

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ふたるほうしむしや︑のそむ所とかげ出る五人の者共みるよりも︑

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(18)

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄

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(19)

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     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄       ︹ママ︺ためにくらからす︑かるかゆへにめいくんのとくは四かいに大まね      ︹ママ︺し︑そもく砦び︑源平両大将として︑ほくてきげいばつのせんしをかうむり侯所に︑よしともたのいあらんことをそねみ︑げんしのげぢにしたかはすして︑きよもりにばんたんしめし合︑ぎもなく︑くんぱうにそむき︑よ打ぬげかげ︑かへつてみかたのよはみを仕出し︑かせんすてにあやうく侯を︑それかしちんへいちやうりやうかはかりことを相まもり︑ふりよのせうりと罷成を︑よしともいよ

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(20)

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄

∴      挿絵第十五図︵十六ウ︶

        挿絵第十六図︵十七オ︶       ︹ご脱カ︺こつにくのよしみふかく︑よしともにはゑつとへたて︑けんしよ

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(21)

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(22)

     洛東遺芳館本﹃源平軍論﹄

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右一字;冒不略以正本開之者也 旦粗屋太兵衛 明暦四仲秋吉

参照

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