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近代上海における石炭の移輸入と消費事情

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(1)

近代上海における石炭の移輸入と消費事情

その他のタイトル The Import of Coal and Its Consumption Circumstances in Modern Shanghai

著者 王 力

雑誌名 史泉

巻 103

ページ 18‑37

発行年 2006‑01‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/11718

(2)

中国における石炭の使用は極めて古く︑埋蔵量も豊富である︒考古

資料によると︑石炭は前漢時代にすでに錬鉄の燃料として用いられて

いる︒その後︑宋代には手工業と家庭で石炭が使われ︑明清時代にな

ると石炭の使用はさらに普及したが︑石炭鉱業は長らく民間での小規

(1 ) 

模な採掘に止まっていた︒アヘン戦争後︑石炭に対する需要が急増し

たが︑中国産の石炭はまだ充分に供給されていなかったため︑外国産

の輸入炭に対する依存が高まり︑アヘン戦争後から一九一0年代に至

(2 )

3

) 

るまで︑石炭は近代中国の重要な輸入品の一っであった︒

近代上海は輸入炭の最大の窓口となり︑石炭市場が形成された︒そ

の繁栄は︑欧米列強のアジアヘの進出と東方貿易の展開の結果と言え

る ︒

一九世紀になるとイギリスをはじめとする欧米列強が未開拓地で

あったアジアの争奪戦をはじめ︑その結果東アジアでの軍事活動が活

発化し︑軍艦用の燃料としての石炭を現地で随時補給する必要が高ま

った︒しかしアヘン戦争後になると中国貿易の展開に伴う蒸気船の増

加︑海運業の発達︑中国航路の拡大によって︑石炭はますます重要な

(4 ) 

ものとなっていった︒したがって東アジアで石炭を如何に確保するの

かが緊急の課題となった︒開港後の上海は︑その意味で東アジアにお

ける最も理想的な石炭補給港であった︒その後︑日清戦争と第一次世

界大戦を契機に︑上海の工業は著しく発展し︑特に紡績︑製糸︑電力

工場の石炭需要は伸び︑上海は巨大な石炭の消費地になった︒

近代における上海石炭市場については杉山伸二氏︑山下直登氏︑塚

( 5)  

瀬進氏の研究がある︒杉山伸也氏は一九世紀中葉の東アジア貿易拡大

に伴う船舶燃料炭としての石炭に対する需要が増大し︑そのため上海

に日本炭の輸入が増加したことを明らかにしている︒山下直登氏は三

井物産を中心とする日本炭の上海への輸出する構造について解明し

た︒塚瀬進氏は日清戦争より満洲事変に至る期間の上海石炭市場にお

ける日中石炭貿易を検討した︒これらの研究は優れた成果を挙げた

が︑いずれも日本炭の輸入を主題とする上海の石炭輸入に関するもの

であった︒近代における上海石炭の消費事情についてはほとんど注目

されていないと言える︒

そこで本稿は︑近代中国に駐在したイギリスと日本の領事館の領事

報告︑東亜同文会の調査報告などを資料として︑近代上海における外

国産の石炭輸入と中国産の石炭の移入状況︑炭種別の消費事情および

近代上海における石炭の移輸入と消費事情

‑18‑

(3)

一八六五年の在上海イギリス領事報告には︑一八五八年に外国炭 二万九千四百八十五トンの輸入という報告がある︑その内訳について は不明であるが︑報告内容から当時の上海石炭市場に輸入された石炭

(6 ) 

は英国炭︑米国炭︑濠州炭であった︒一八六五年から各種炭の輸入量 がわかり︑それを整理したものが表ーである︒上海市場に輸入された 石炭総量は九•一万トンで、英国炭は五•一万トン、米国炭は一・一 万トン、濠州炭は一―•九万トンであった。その内英国炭が五六•三パ ーセントで︑極めて重要な地位にあった︒その後︑﹁多種の炭と比 べ︑濠州炭の輸入量は大幅に拡大している︒そのため英国炭の輸入量

(7 ) 

は月毎二千トン位下がっている﹂とあるように︑大量の廉価な濠州炭 が輸入されるとともに︑英国炭の輸入量は漸次減少した︒このことか

一八五0年代から一八六0年代にかけて上海石炭市 場においては英国炭︑濠州炭︑米国炭を中心とした外国炭の天下であ ったということができるだろう︒

一八七0年代になると︑英国炭︑濠州炭に対し安価な日本炭がその 競争に加わり︑ついに上海石炭市場において英国炭︑濠州炭が駆逐さ れた︒一八八

0年代以降英国炭︑濠州炭は日本炭輸入量の三十分の一

に満たず︑輸入醤は極めて少量で︑特殊用途に使用されるのに止ま

り︑第一次世界大戦後︑上海市場においてはほとんど見られなくなっ らわかるように︑ (

南京条約により上海が開港されると同時に石炭が輸入されはじめ

一︑近代上海における石炭の移輸入状況

上海石炭市場の消費変遷について明らかにする︒

日本炭が上海市場に登場したのは一八六六年であり︑上海石炭市場 において新しい局面を切り開いたと言える︒表ーに見られるように︑

日本炭の輸入最は最初の数年間は少量で︑一八六六年には日本炭の輸 入量は0•

九万トンに過ぎず、輸入総量の六•七パーセントで、欧米 し︑﹁長崎付近の高島炭鉱の産出量は順調に伸び︑用途も日一日に拡

(8 ) 

張している︒輸入量の減少はカーディフ炭︑英国炭︑濠州炭であり︑

(9 ) 

逆に増加したのは日本炭と台湾炭である﹂とあるように︑日本炭輸入 の増加は英国炭︑濠州炭の輸入減少の主な原因であった︒

一八七0年

と一八七三年︑上海石炭市場において日本炭の輸入量はそれぞれ英国

( 10 )  

炭と濠州炭を凌駕し︑一八七四年には日本炭は輸入総量の五

0

ーセントに達し︑上海石炭市場における日本炭の優勢的地位を確立し た︒当時の在上海イギリス領事報告に次のように報告された︒

今年の石炭貿易に対して︑最も注意すべきことは︑日本炭が連年 大幅に増加したことであった︒日本炭の輸入量がこれほど拡大し たため︑他国の石炭が上海市場から駆逐されたのは当然だろう︒

今年英国炭︑米国炭︑濠州炭および台湾炭の輸入量はすべて著し

( 11 )  

く減少したのである︒

上海市場おいて日本炭輸入量の増加と市場シェアの拡大とともに︑

他国の石炭の輸入量がいずれも減少した︒一八七

0年代前半は︑上海

石炭市場において英国炭の優位から日本炭の優位に移行する過渡期と して特徴づけられ︑この期間に日本炭と英国炭︑濠州炭を中心とする

( 12 )  

欧米炭の間で激しい競合が行われた︒日本炭の輸入増加の背景には︑ 炭と比べ︑わずかであった︒

一八七0年代から日本炭の輸入が急増

こ °

(4)

日本炭の上海に輸入せられたるは極めて古くして︑二十年前すで に数十万噸を輸入し︑当時に於いて支那炭の輸入額僅に数万噸に 過ぎず︑当市場は全く日本炭の独占する所なり︒七︑八年前にあ りては︑上海輸入炭の八割以上は日本炭の占むる所にして︑支那 炭は僅に一割三分に過ぎざりしが︑四十一年以後開平炭の輸入非 常なる勢を以て増加し︑五年前の四十二年には日本炭は七割に減 少し︑反之支那炭は六割以下となり︑支那炭却つて三割以上を占 むるに至りたり:・将来に於て日本炭を上海に輸入すること不利と なるに至るべく︑日本内地の工業が現時の如く非常なる勢を以て

されている︒ て ︑ る ︒ 駆逐され︑上海石炭市場における日本炭の独占時代であったと言え し︑英国炭︑米国炭︑濠州炭は一0パーセント以下に過ぎず︑完全に セントを占め︑ ら一九一0年代に至る時期は︑日本炭が常に上海石炭市場の八0パー いシェアを保ちつづけていた︒表ーに見られるように︑

一九一0年代に入り︑中国国内炭の上海への移入量の増加にしたが って︑上海石炭市場に新しい変化が現れた︒この前後の変化につい 一九一五年七月二0日付の在上海日本領事報告に次のように報告

一八九0年には最高の九0パーセントを占めたのに対

一八七三年の日本坑法の発布により日本の石炭産業が軌道に乗り︑

3 ) ‑ 1  

八七0年代以降の生産量が極めて順調に増加していったか︑他方︑日 本国内で石炭を消費する産業が未発達であったため︑上海などの海外

市場へ輸出されたことがある︒

0年代に入ると︑上海での日本炭の輸入量は年々増加し︑高

0年か

発達しつつあるに於ては︑結局日本炭の全部内地にて消費せらる

( 14 )  

るに至るべき︑運命を有すること明なり︒

一九世紀後期の中国炭の上海への移入量は数万トンで

10パーセ

ントに止まり︑上海石炭市場では全く日本炭が独占し︑つねに上海輸

入炭の八0パーセントを占めていたが︑一九一0年代以降︑特に第一

世界大戦後︑日本国内における石炭需要が高まり︑一方一九一

0年代

から中国の炭鉱の発展に伴い中国炭の産出量が増加した︒その結果︑

上海における日本炭の輸入量が減少し︑上海石炭市場における日本炭 の占めるシェアが低下した︒上海石炭市場をめぐる中国炭と日本炭は 激しい競合を展開し︑ついに一九二0年代になると中国炭は日本炭を

凌駕する結果となった︒

総じて言えば︑上海開港後の一八五0から六0年代にかけて︑上海 における石炭の消費は英国炭︑濠州炭などが中心に多く用いられた

が︑一八七0

年代からこれらに変わって日本炭が優勢となり︑

0年代までの四十年間︑日本炭はつねに消費される石炭の八0パーセ ント前後を占め︑上海の近代化に大きな役割を果たした︒中国国内炭 が上海の消費市場において優勢を占めるのは︑

以降のことであった︒

上海は近代中国の貿易中核及び東アジアにおける石炭の補給港であ った︒そのため︑上海に輸入された石炭はすべて上海で消費されたわ けではなく︑その中の一部は外国へ再輸出され︑また国内へ再移出さ れた︒一八八七年の在上海日本領事報告に︑﹁三池石炭︑三月中の輸 入額モ亦夕皆約定ノ交付額二止マリ︑入倉貨ノ内一千六百余噸ハ新嘉 披へ輸送セシ﹂と報告されたように︑上海に輸入された石炭はシンガ

0年代即ち民国

‑20‑

(5)

1 上海石炭市場における移輸入炭別と割合(単位トン)

英国炭 米国炭 濠州炭 安南炭 日本炭 中国炭

合計

輸入贔 %  輸入量 %  輸入量 %  輸入量 %  輸入量 %  輸入量 % 

1865  51325  56.3  11217  12.3  28689  31.4  91231  1866  60705  43.7  10879  7.8  51861  37.3  9373  6.7  6190  4.5  139008  1870  17210  21.5  5705  7.1  27730  34.7  23009  28.8  5759  7.2  80013  1874  6590  5.6  2188  1.9  39006  33.2  59561  50.7  10156  8.6  117501  1875  10552  7.3  3450  2.4  34981  24.3  79127  55  15683  10.9  143793  1880  輸入量7406 (4.0%)  16651  9.1  148013  80.7  10944  6  183314  1885  6631  2.6  717  0.1  29532  11.5  126304  49  2132  0.1  257833  1890  2793  1.2  256  0.1  11680  4.7  222255  90  10474  4  247458  1895  4170  1.8  500  0.1  26634  5.9  340511  82  39324  10  413532  1900  輸入量89610 (15%)  450790  76  53781 

, 

594181  1905  49359 

゜゜

14867  0.9  5036  0.1  752070  82  94167  10  915499 

1910  22815  1.9 

゜゜

2650  0.1  21773  2 784281  70  294670  26  1126189  1915 

゜゜ ゜゜ ゜゜

65440  5 706143  57  475257  38  1246840 

1920  輸入量256691 (15 %)  554326  33  885258  52  1696275  1924  輸入量507541 (25%)  588369  28  977592  47  2073502 

出典: 1865、18661870、187418751880年は、杉山伸也「幕末明治初期の石炭輸出と上海石炭市場」205

1885、1890、18951900年は、 H本領事報告各号。 1905、1910、1915年、『第九期調究報告書

• 上海事情」 5 1920、1924年は、イギリス売件洋行の報告、『劉鴻生企業史料』上冊、上海人民

出版社、 1981 8頁より作成。

1: 1885年には92517トンの雑種炭が移輸入され、産地は不明である。

2: 19201924年の中国炭は開澳炭である。 1920年の輸入量256691トン(15%)1924年の輸人量507541

トン (25%)は英国炭、米国炭、濠朴I炭、安南炭のほか、開澳炭を除く中国炭も含む。

られる︒このことから一九一五年以降上海における石炭の消 費量がますます増加したことがうかがわれる︒その理由は上

海が近代中国最大の貿易港であり︑

日清戦争後に紡績︑製糸

国への再輸出率と国内への再移出率は年々減少する傾向が見 れた石炭量と考えられる︒

一九一五年から上海石炭市場の外

パーセントが上海市場の純輸入量で︑即ち上海地域に消費さ

+

四十パーセントであり︑すなわち輸入総量の五十

1

I八十

は常に輸入総量の十パーセント以下で︑国内への再移出は一︱ 輸入状況をまとめたものである︒この表から外国への再輸出

2

は一八九七年から一九一七年にかけて︑上海石炭の移

出最については︑資料による限りその全容の解明は難しい︒

以下は一八九七年から一九一七年にかけての十四年間の状況 近代上海石炭市場における外国への再輸出量︑国内への再移 ン﹂とあるように︑上海近くの江蘇省︑浙江省および長江沿

( 16 )  

岸地域へ再移出された︒

内への再移出量を除いたのが上海における石炭の消費数量で ある︒言い換えれば︑上海における石炭の消費数量である︒

上海石炭市場の石炭の輸入総量から外国への再輸出量と国 0トン︑芝来四00トン︑拙頭四00トン︑江陰七五0ト

一八九九年の在上海日本領事報告 に︑﹁最近四ヶ月︵一\四ー引用者注︶輸入日本炭ハ蘇州四 九一五トン︑杭州三ニニ九トン︑寧波六ニ︱トン︑鎮江一八

蕪湖一九0ニトン︑漢ロニ六七五トン︑宜昌︱︱

10

( 15 ) 

ポールヘ再輸出された︒

(6)

の使用は︑主に汽船︑鉄道︑工場︑家事に分けられる︒一般的に言え などの工場が上海に集中し︑

工業が発展したことと密接に関係してい

る︒これについては第三節で詳しく分析する︒

2 18971917年上海石炭の移輸人量および割合(千トン)

石炭は産地及び産層により炭質が異なり︑その質の相違によって石 炭の需要口と使い方を選択することが必要である︒近代における石炭

輸入総量 外国へ再輸出 国内へ再移出 純輸入量

1897  514  49  9%  181  35%  284  56% 

1898  668  64  10%  226  33%  378  57% 

1999  723  64  9%  252  35%  407  56% 

1900  594  58  10%  292  49%  244  41 %  1901  840  65  8%  340  40%  435  52% 

1903  957  57  6%  39  42%  502  52% 

1904  930  89  9%  387  42%  454  49% 

1905  960  102  9%  393  41 %  465  50% 

1906  1109  114  10%  398  36%  597  54% 

1907  1025  121  12%  406  40%  498  48% 

1908  1207  86  7%  496  41 %  625  52% 

1915  1277  49  4%  266  21 %  962  75% 

1916  1726  36  2%  319  18%  1371  80% 

1917  1820  36  2%  318  17%  1466  81 % 

出典: 18971901年 は 『 通 商 彙 纂 』 改 第57 39 1903‑05

年は『通商彙纂」 1906 年、第 63 号、 1~2 頁、 1906-08 年

は『通商彙纂』 1909年、第8 20 1915‑17年は、

『支那省別全誌』第15 904

る ︒ ( 1 ず︑火持ちが良く︑燃焼速度の遅い無煙炭︑半無煙炭などが用いられ あり︑硫黄分が少ない石炭が選ばれた︒家庭用石炭は煤煙を発生せ また火着きが速やかで︑且つ確実に燃焼して適当量の発揮分が必要で くない︒鉄道と工場などの蒸気機関に使用する石炭は発熱量が高く︑ い炭種がよいとされる︒その理想としては塊炭が良く︑粉炭は望まし であるため︑発熱量は大きく︑発揮分が少なく︑灰はできるだけ少な ば︑船舶用炭は︑船倉の容積に限りがあり︑また航海中の補充不可能

7 ) 

0

先に述べたように︑近代における上海市場の石炭は移輸入地域によ って英国炭︑米国炭︑濠州炭︑安南炭︑日本炭︑中国炭に大別され る︒石炭の種類によって炭価と需要口は大きく異なるが︑すべての炭 種の消費事情にわたって解明することは困難であるため︑便宜的に上

海市場に輸入された主要炭種についてのみ分析する︒

英国炭はカーディフ炭︑ウェールズ炭︑イングランド炭が輸入され

( 18 )  

たが︑中でも最も重要なのはイギリス︑ウェールズ南部のカーディフ 地区に産出するカーディフ炭である︒その品質は上等で︑主に軍艦や ヨーロッパ航路のような遠洋航路の汽船に供給された︒高価である

( 19 )  

が︑﹁軍艦其他欧州航路ノ如キ長航路﹂にとって有利であったのであ

0年代以降輸入量は減少し︑特に一八九八年︑石炭同盟ス

トライキ︑米西戦争によって︑カーディフ炭はトン当たり一一五両値上

( 20 )  

がたことがあり︑イギリス海軍および各国の軍艦にのみ使われた︒時 に英国炭の入手が困難で︑代わって日本炭が用いられた︒その炭質比

較と使用効果について次のような報告がある︒

英炭卜日本炭トノ優劣は︑殆ントニト一ノ比ニシテ︑本邦炭百噸

‑ 22 ‑

(7)

る ︒

一九00年代以降︑濠州炭の輸入は減少

一九00年の義和団事件によっ

ヲ要スル航路ヲ︑英炭五十噸ニテ足リ︑固ヨリ英炭︑日本炭ノ間 二価格ノ差異アリテ︑目下ノ相場本邦炭ハ︑英炭ノニ分︱ニモ及 ハサルノ状ナルモ︑軍艦其他欧州航路ノ如キ長航路ニアリテハ︑

専ラ少量ニシテ効力多キ英炭ヲ使用シ⁝近頃該国軍艦ハ本邦炭ヲ

( 21 )  

使用シ︑黒煙ヲ脹ラシテ航行シッツアル︒

このように︑英国炭と日本炭との優劣は︑おおむね二対一の比で︑

日本炭百トンを要する航路は英国炭五十トンで可能であったが︑日本 炭の炭価は英国炭の半額であった︒

て︑英国炭の入手が困難となったため︑英国炭に変わって日本炭が用 いられ︑そのため航行中の船舶から多くの黒煙が出ていたと言われ 濠州炭はシドニー炭が主で︑ニューカスル炭︑ウロンゴン炭も時々

( 22 )  

輸入された︒品質はカーディフ炭に劣り︑日本一等炭に匹敵した︒一 八六五年の在上海イギリス領事報告には︑﹁英国炭の値上がりのた

( 23 )  

め︑多くの汽船は濠州炭を用いている﹂とあり︑一八六八年の報告に は︑﹁濠州炭は主に鍛冶に用い︑他に練炭に使われて燃料炭として使

( 24 )  

用されるそうだ﹂とあるように︑濠州炭は汽船に供給されたほか︑エ 場︑家庭の燃料炭にも用いられた︒一八八七年五月の在上海日本領事 報告によれば︑シドニー炭︱0三0トンが上海にある江南製造局に売

( 25 )  

却されたという記録もある︒

し︑価格も高かったため︑﹁瓦斯用トシテ日本炭ヨリモ徳用ナリト云

( 26 )  

フ﹂とあるように︑主にガス会社において使用されたに止まった︒

米国炭は高値のため︑つとに上海石炭市場から排除されたため︑上 海石炭市場への輸入量が少なく︑且つ輸入時期が短かった︒

は無煙炭で︑家事に多く使われた︒

0八年に三井物産の されなくなってしまう︒炭輸入総量のニー︱︱︱パーセントを占める程度で︑上海石炭市場に特に影響はなかった︒安南炭は仏領インドシナ北部で産出するホンゲー炭が主である︒社﹂が設立され︑本格的に発展した︒

( 27 )  

トンが上海市場に輸入され︑ 一八九一二年にホンゲー炭三0

一八九九年︑香港に事務所を設置して香

( 28 )  

港および上海の方面市場を開拓した︒安南炭は無煙炭で︑家事にタタく

使

英国炭︑濠州炭︑安南炭の用途について︑

報告にも次のように述べている︒

英炭ハ重二英国東洋艦隊ノ焚料二使用セラルルモノニテ︑市場ニ 於テ余リ売買セラルルモノナシ︑濠州炭ハ時々輸入高二変動アル カ︑重二瓦斯会社二於テ使用セリ︑東京炭ハ侮年凡ソニ︱二万噸ノ

( 29 )  

輸入アリ︑重ニストーブ用トセラル︒

一九00年代︑英国炭は軍艦にのみ使われ︑濠州炭は契

( 30 )  

約ベースで上海ガス会社に長期給炭を行っていたと思われる︒安南炭

日本炭は一八七0

年代から上海石炭市場の主導権を握って多く輸入 された︒日本炭は産地によって多くの種類に分けられ︑一八九八年の 上海石炭輸入年報によると︑同年輸入された日本炭は三十種類があ

( 31 )  

り︑輸入時期によって︑高島炭︑三池炭︑唐津炭︑筑豊炭などに分け

( 32 )  

一八八八年にフランス資本による﹁トンキン石炭鉱会

一八九0年代から少呈の安南炭が輸入されたが︑上海石

年代には三パーセントを占めたが︑

一八九0年代以降はほとんど輸入

(8)

高島炭は日本炭の第一位を占め︑炭価も最も高値であった︒炭質は 均一で︑雑物はほとんどなく︑硫黄分及び灰分が少なく︑発熱量が多

( 33 )  

く︑船舶の燃料炭として適当なものである︒最高質の日本炭︱一五トン

を燃焼して得られるエネルギーは︑ウェールズ炭二

0トン分に相当す

( 34 )  

る︒一八七0年代︑新茶を積載して中国からロンドンに向かう快速蒸

気船に用いられ︑また

P&o

汽船会社やフランスの帝国郵船会社は︑

( 35 )  

高島炭を大々的に用いた︒カーディフ炭の人手が困難なときに軍艦用

として給炭されることもあった︒

三池炭は高島炭に次ぎ︑日本炭の中で第二等の良質炭であり︑炭質 は均一︑水部は少量︑灰分も少なかったが︑欠点は硫黄分の含有が多

( 36 )  

いため︑鍛冶︑紡績工場とガス製造用として多く輸入された︒またほ

かの石炭と混合して蒸気船の燃料にも用いられた︒一八九八年の時点 では︑三井物産から恰和洋行︑太古洋行︑マクベイン︑上海ガス会社

( 37 )  

に三池炭が売却されていた︒

唐津炭は九州炭の中で下等炭に位置し︑﹁唐津産ノ石炭中炭質頗ル

( 38 )  

粗悪ナルモノアルチ以テ︑気配愈悪シク︑市価次第低沈シ﹂とあるよ うに︑炭質は良くないと認識されていた︒しかし唐津炭は炭価が安 く︑炭鉱から港までの輸送距離が短いため︑輸出に便利で︑その販路

は広かった︒ただ船舶用炭には向いておらず︑工場に多く使われた︒

筑豊炭の輸入は一八九

0年代以降急増し︑産層により多くの種類に 分類された︒例えば︑大の浦炭︑目尾炭︑伊田炭︑下山田炭︑新手

( 39 )  

炭︑新目尾炭︑芳雄炭︑金田炭︑鯰田炭︑新手炭などである︒概して 硫黄分及び灰分を含有するため︑汽車︑汽船の燃料として用いられ

( 40 )  

た︒粉炭は工場用︑また家事用︑塩田などに多く供給された︒種別に

見ると︑筑豊炭は多く切込塊炭にして︑上等品なれば工業用として良 質のものであり︑その内の大の浦炭︑目尾炭はその品質の良さは工業

( 41 )  

界にすでに知られ︑伊田炭︑下山田炭︑新手炭︑新目尾炭など共に家

( 42 )  

事用炭として用いられた︒

総じて言えば︑日本炭は様々な分野に使われていた︒その需要

D

一八九九年五月二四日付の日本領事報告には次のように報告

本邦石炭ノ需要口従来当港二於ケル本邦炭ノ需要ロハ紡績︑製 糸︑綿繰︑織布︑製油︑造船︑製紙︑燐寸︑電燈︑瓦斯︑兵器製 造︑米利堅粉︑羽毛︑飲料水︑麦酒︑科学用酸︑製氷︑其他紡績 製糸等各種機械製造場ヨリ鉄道︑汽船︑小蒸気船等二至ル迄一々 枚挙スヘカラス︒右ノ外酒︑醤油製造用︑湯屋︑又ハ自家用石炭 トシテ消費セラルルモノ亦多量ニシテ︑当港輸入本邦炭中︑蘇 州︑杭州へ輸送セラルルモノ小額ヲ除キテハ︑悉ク此地ニテ重要

( 43 )  

セラルルモノナリ︒

上海石炭市場における日本炭の消費先は汽船や小蒸気船等︑紡績︑

製糸︑造船︑製紙︑燐寸︑電燈︑ガスなどの各種工場であり︑ほかに 酒︑醤油の製造︑お風呂屋︑家事などの雑用にも使用されたことがわ

中国炭は約十種あり︑即ち台湾炭︑漢口炭︑開澳炭︑撫順炭︑山東 炭︑罪郷炭︑山西炭︑河南炭などである︒以下台湾炭︑開平炭︑撫順

炭︑山東炭を中心に分析する︒

台湾炭は主に鶏籠炭であり︑一八六六年にはじめて上海市場に現れ

たが︑採鉱技術の低さと移出税の重さで︑上海市場への移入量が伸び

‑24‑

(9)

順炭の移入量はまだ少なかったが︑

上海市場に移入された︒

0年代撫

1

0年代に入ると︑輸入量は顕著に増加

( 49 )  

した︒その炭質は発熱量が多く︑灰分は

少なく︑硫黄分を含有する有煙炭である

( 50 )  

ため︑鉄道機関車︑船舶用に適した︒撫

3

入り︑統計上では一九〇八年にはじめて

石炭炭質の分析表

表 4

撫順炭は一九0七年に満鉄の経営下に

西︑西山から採掘されるものを指し︑そ

一八九二年以後はほとんど見られなくなった︒輸入初期の一八

0

年代︑英国炭高値のため︑台湾炭はたまに汽船に用いられ︑一八

( 46 )  

0

年代に濠州炭︑日本炭との混合で航運業に使われた︒そのほか台

( 47 )  

湾炭は契約ベースで江南製造局に給炭していたと思われる︒

開凍炭は近代中国炭鉱において重要な位置をしめ︑河北省北部の礫 県︑豊潤県一帯で産出された︒一八七八年︑開平炭は李鴻章の発議に

より採掘が始められたが︑義和団事件に際しての混乱などによって︑

一九︱二年

に開平炭鉱と凜州炭鉱を合併し︑開凍鉱

の品質は英国炭に劣るが︑中国のほかの

石炭に比較して優れ︑中国沿岸の港にて

使

(48) 

使

炭 種 発揮分 固定炭素 灰 分 硫 黄 発熱量

ホ ン ゲ ー 炭 6.91  88.86  3.13  0.56  8055 

高 島 二 子 炭 35.83  60.46  2.66  0.8  8200 

= 

46.75  43.16  8.98  2.58  7810 

唐 津 相 知 炭 42.5  45.25  10  1.19  7000 

筑 豊 芳 雄 炭 37.05  52.94  6.76  0.4  7320 

41.41  46.78  9.55  1.39  7010  26.15  51.05  22.4  3.01  7689 

撫順本渓湖炭 21.7  77.61  5.58  0.45  7360 

山 東 博 山 炭 17.09  77.78  4.66  1.94  8320 

出典:伊木貞雄『石炭及其試験法」、丸善出版会社、1950603

中英合弁で運営されていた︒

上海石炭市場における炭種別の価格(両)

( 44 )  

悩んでいた︒一八八四年の清仏戦争の打撃を受け︑台湾炭の輸入は減

と主要用途

炭 種 1866  1870  1875  1887  1890  1894  1902  1905  1910  主要用途

カーデイフ炭 10.5  8.52  8.71  7.75  12  15  13  12  17.5  軍艦、船舶

14.5  9.65  10.19  8.75 

, 

13  工場

I 9.25  6.89  6.96  5.85  8.5  10.5  12  14  船舶、工場

, 

家事

高島炭 7  4.77  4.31  4.1  5.75  67 ki.37.75 約定 軍艦、船舶、工場

三池炭 3.75  5.5  5.25  工場、船舶

底坑早典灰 工場、家事

3.25  67

唐津炭 3.25  4.25  工場

台湾炭 6  4.97  4.21  2.65  3.5  船舶、工場

開澳炭 5‑11  7.59.5  69 軍艦、船舶、工場、ガス

山東炭 軍艦、船舶、工場、家事

611

撫順炭 6.55.5 工場、船舶、ガス

出典: 1866—75 年の炭価は、在上海イギリス領事貿易報告各年より、 1887-1910 年、

作成。

主要用途は『支那省別全誌』第 15巻、江蘇省、東亜同文会、 1920 906頁より作成。

日本領事報告各年より

(10)

アヘン戦争後︑欧米諸国は早くから中国で鉱山を開発し︑開港場に

紡績工場を建設したいと望んでいたが︑中国はこれを許さなかった︒

0年代から洋務派により江南製造局(‑八六五年︶︑上海織布

局(‑八九0年︶が設立されたが︑当時上海の工場はまだ多くなかっ

たため︑石炭の需要は︑航運業に大きく依存し︑出入船舶の増減によ (

 

一九世紀後半上海における汽船を中心とする石炭消費 三︑近代上海における石炭の需要口別の消費 し︑また共存していた︒

0年代輸入量が多かった英国炭は︑遠

距離輸送の不利のため︑輸入量が徐々に減少していたが︑その品質が

上等であったため軍艦用炭として一定の量を保って輸入された︒同様

0年代以降日本炭の優勢が中国炭に奪われたが︑中国炭は

概して炭素分が少なく︑発揮分が多いので︑燃焼が容易であるという

特質が持っていた︒この炭質の違いによる火付きの善し悪しも︑

( 53 )  

量の日本炭が必要とされた要因の一っであった︒

( 51 )  

順炭のうち本渓湖炭は海運用︑家事用︑エ栗用として移入された︒

山東炭は維県︑泄川︵渾山︶︑博山︑淋州などの炭田から採掘さ

れ︑炭質は開涅炭に類し︑九州炭に当たる︑上質の渾山炭は開凜炭に

( 52 )  

勝ち︑カーディフ炭のように海軍用として用いられた︒

以上述べたように︑近代上海石炭市場に移輸入された石炭は英国

炭︑濠州炭︑米国炭︑安南炭︑日本炭と中国国内炭に大別され︑産地

と産層によって多くの種類に分けられる︒︵表3

4)

これらの多

種類の石炭は炭質︑炭価︑需要口によりそれぞれ異なり︑互いに競合 り左右された︒開港

セイロン・香港間の

定期航路を開き︑

上海まで延長した︒一八五三年︑

が中国沿岸航路を開き︑

一八六五年設立されたイギリスの太古洋行は一八七一年に上

海・漢

D航路を開き︑

漢口航路を開き︑ 一八七九年︑恰和洋行も上海・

( 54 )  

一八八一年に恰和輪船公司を設立した︒

このような多くの汽船会社が続々と設立され︑航路も一層拡大し︑

石炭が多く消費された︒

に次のように報告されている︒ 一八九四年七月二八日の在上海日本領事報告

上海二於ル消費高ハ凡ソ十六万噸ナルベシ︑而シテ当港二於テノ

消費ハ蒸気機関ヲ要スル製造業二使用スル分モアリト雖モ︑専ラ

船舶用ニスルトモナリ︑蓋シ毎年当港出入各国ノ船舶ハ漸次増加 に中国も招商局輪船公司を設立した︒ 一八七︱一年に太古輪船公司を設立した︒この年 一八六二年には中米合弁で旗昌輪船公司を設 八五0年にはこれを

5

p&o

汽船会社が 一八四四年に恰和洋行が香港・上海間の定期航路を開き︑翌 ます盛んになった︒ もに︑航運業もます 貿易が拡大するとと された上海では中国

上海における主要汽船会社の設立一覧表

アメリカのラッセル

(Russell)

汽船会社 国別 創立年 資本額

旗 昌 輪 船 公 司 米国 1862  100万両

中 日 輪 船 公 司 英国 1862  30万跨

上海天津輪運公司 1863 

中国商業輪船公司 英国 1865 

公 正 輪 船 公 司 英国 1867  17万両

北 清 輪 船 公 司 英国 1868  19万両

太 古 輪 船 公 司 英国 1872  36万銹

華 海 輪 船 公 司 英国 1873  33万両

揚 子 輪 船 公 司 英国 1879  30万両

恰 和 輪 船 公 司 英国 1881  45万銹

出典:『中国近代航運史資料』第一輯上冊、 727

‑ 2 6 ‑

表 1 上海石炭市場における移輸入炭別と割合(単位トン) 年 英国炭 米国炭 濠州炭 安南炭 日本炭 中国炭 合計 輸入贔 %  輸入量 %  輸入量 %  輸入量 %  輸入量 %  輸入量 %  1 8 6 5   51325  5 6
表 8 1 9 1 5 年上海石炭の消費先と消費量(千トン) 工場 紡 績 1 7 0  三新 20—20.5 、恰和 20 、上海紡績(三井) 20 、 内 外 綿 1 5 、公益 1 0 、日信 1 0 、裕源 580  1 0 、鴻源 8 、裕通 8 、老公茂 6 、瑞記 6 、曇龍 5‑6 、同昌 3 、その他約 1 0 製 糸 1 2 0  瑞 綸 4
表 1 0 上海電力公司の発電鼠と石炭消費贔状況 年 需要先の 発電量 石炭消費量 年 発電量 石炭消費量 年 発電塁 石炭消費塁 増加数 K W   トン K W   トン K W   トン 1 9 0 0   54  5 2 3 , 9 9 2  4 , 8 0 0  1 9 1 0   6 , 3 8 4 , 1 5 0  1 7 , 3 0 4  1 9 2 0   1 7 9 , 6 7 9 , 4 5 8  2 6 0 , 1 3 6  1 9 0 1   5 3   5 6 8 , 6 6 9

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