• 検索結果がありません。

日韓の新公開外交文書に見る日韓会談とアメリカ︵二︶︱︱

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "日韓の新公開外交文書に見る日韓会談とアメリカ︵二︶︱︱"

Copied!
32
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

日 韓 の 新 公 開 外 交 文 書 に 見 る 日 韓 会 談 と ア メ リ カ

︵ 二

︱︱ 朴正 熙軍 事政 権の 成立 から

﹁大 平・ 金メ モ﹂ まで

︱︱

鍾 元

使

政治 決着 を急 ぐ韓 国軍 事政 権 朴正 熙軍 事政 権は

、そ の成 立直 後か ら、 日韓 会談 の妥 結を 急い だ。 工業 化の 面で 北朝 鮮に 大き く遅 れを とり

、低 迷し てい た韓 国経 済の 立て 直し は、 軍部 クー デタ ーを 正当 化す る大 義名 分の 一つ でも あっ た。

﹁絶 望と 飢餓 線上 に

(2)

喘ぐ 民生 苦の 解決 と国 家自 主経 済の 再建

﹂が

﹁革 命公 約﹂ の一 つと して 掲げ られ

、ク ーデ ター から 約二 か月 後の 七 月二 二日 には

、﹁ 経済 再建 五か 年計 画案

﹂が 発表 され た。 日韓 国交 正常 化と

、そ れに 伴う 請求 権資 金の 導入 は、 朴 正熙 軍事 政権 の命 運が かか った 緊急 課題 であ った

。日 本か らの 経済 協力 資金 の導 入を 急ぐ あま り、 対日 請求 権の 名 目や 総額 で、 譲歩 と妥 協を くり 返し た朴 正熙 軍事 政権 の姿 勢は

、﹁ 対日 屈辱 外交

﹂と して

、当 時か ら韓 国国 内で 批 判の 的と なっ た。 公開 され た日 韓の 外交 文書 には

、朴 正熙 政権 がい かに 日韓 会談 の妥 結を 急い だの か、 その

﹁拙 速 振り

﹂の 実態 が如 実に 表れ てい る。 米国 政府 の後 押し を得 れば

、﹁ 年内 妥結

﹂も 現実 的に 可能 であ ると いう 認識 が、 少な くと も朴 正熙 軍事 政権 の初 期に は、 あっ たよ うで ある

。日 韓妥 結に 賭け る軍 事政 権の 意気 込み とと もに

、そ の 切迫 さを 物語 るも のと いえ よう

。 近年 の研 究が 指摘 する よう に、 軍事 政権 の一 角に は、 経済 政策 の方 向性 をめ ぐっ て、 対米

・対 日の 依存 構造 を脱 却し

、国 内資 本の 動員 によ る経 済自 立路 線を 追求 すべ きと する 経済 ナシ ョナ リズ ムの 志向 が存 在

( )

した

。ま た、 外資

64

の導 入先 をめ ぐっ ても

、﹁ 日本 派﹂ と﹁ ヨー ロッ パ派

﹂の 対立 が噂 さ

( )

れた

。﹁ ヨー ロッ パ派

﹂と は、 経済 開発 計画 に

65

必要 な資 金を 日本 のみ に依 存す るこ との 危険 性を 強調 し、 西ド イツ など 西欧 諸国 から の借 款導 入を 力説 した グル ー プで あっ た。 日本 政府 も、 当初

、朴 正熙 軍事 政権 の方 向性 につ いて

、鋭 意注 目し てい たよ うで ある

。外 務省 アジ ア 局の 文書 には

、駐 日オ ラン ダ大 使か ら寄 せら れた 情報 とし て、

﹁軍 事政 権内 には 将官 連中 と Co lo ne lの グル ープ と の二 派が あり

、前 者は 自由 陣営 との 連繋 の要 を認 める 等、 穏健 派で ある が、 後者 の態 度は 極端

、強 硬で あり

、 dr as ti cな 施策 を進 める 主導 力で ある

。二 週間 前に は後 者の 勢力 が勝 利を 収め つつ ある やに 判断 され

、暗 い見 通し をも たざ るを えな かっ たが

、そ の後

、情 勢は 多少 好転 し、 現在 はこ の両 勢力 の力 関係 がバ ラン スし てい るも のと み られ る。 例え ば、 経済 関係 の大 臣に 民間 人を 入れ たり

、顧 問な どに も専 門家 を採 用し てい るの は好 まし い傾 向で あ る。 軍事 政権 の将 来は いず れに しろ

、こ の両 勢力 のど ちら が主 導権 を握 るか によ って 左右 され るも のと 判断 する

(3)

とし

、対 日政 策に つい ては

、﹁ 将官 のグ ルー プに は親 日家 が多 いの に対 し、 佐官 のグ ルー プは 親日 では なく

、対 日 関係 につ き、 軍事 政権 内に 意見 の対 立が ある

﹂と いう 見方 が報 告さ れて

( )

いる

66

しか し、 公開 され た日 韓の 外交 文書 を見 る限 り、 こう した 軍事 政権 内部 の対 立が 対日 政策 の展 開に 何ら かの 影響 を及 ぼし た形 跡は ほと んど 見ら れな い。 日韓 交渉 の妥 結を 急ぐ 姿勢 は、 軍事 政権 の初 期か らほ ぼ一 貫し てい ると い って よい

。後 述す るよ うに

、﹁ 急進 的な 佐官 グル ープ

﹂の 代表 格と いえ る金 鍾泌 は、 日韓 交渉 の政 治妥 結過 程で 中 心的 な役 割を 担う こと にな る。 軍事 政権 の一 角に 存在 した ある 種の ナシ ョナ リズ ムの 志向 性が

、対 日関 係改 善と い う政 策方 向性 にど のよ うな 影響 を与 えた のか につ いて は、 さら なる 検証 が必 要だ が、 ここ では

、米 国の 援助 が削 減 され てい く中

、外 資の 導入 先が 限ら れる とい う現 実の 制約 に加 えて

、朴 正熙 とい う指 導者 の判 断が 大き な比 重を 占 めて いた 点を 指摘 して おき たい

。韓 国側 の外 交文 書か らは

、日 韓交 渉に 関す る一 連の 重要 な決 定に 朴正 熙自 らが 終 始深 くか かわ った こと が確 認で きる

。 日韓 交渉 の再 開を めざ す軍 事政 権の 動き は素 早か った

。ク ーデ ター から 一週 間も 経た ない 五月 二二 日、 軍事 政権 の金 弘壱 外務 部長 官は

、記 者会 見で

、対 日政 策に 変化 はな く、 日韓 会談 の早 期再 開を 進め る方 針で ある こと を明 ら かに

( )

した

。七 月五 日に は、 駐ベ トナ ム大 使の 崔徳 新

を 団長 とす る親 善使

67

節団 が訪 日し

、軍 事ク ーデ ター の正 当性 を説 明す ると とも に、 日韓 国交 交渉 の早 期打 開を 要望 した

。朴 正熙 国家 再 建最 高会 議議 長の 池田 首相 宛て の親 書を 携え た崔 徳新 特使 は、 池田 首相

、西 村防 衛庁 長官 ら日 本政 府の 要人 に加 え、 自民 党日 韓問 題懇 談会 メン バー や日 韓経 済協 会メ ンバ ーな どと 精力 的に 会談 し、 対日 積極 姿勢 をア ピー ル

( )

した

。小 坂外 務大 臣が 訪欧 中で あっ たた め、 外交 的に は、 武内 龍次 外務 次官 との 会談 が主 な場 とな った

。そ こで 崔 徳 68

新特 使は

、﹁ 軍事 革命 後の 新政 府が 過去 の如 何な る政 府よ りも

、日 韓国 交の 早期 打開 に誠 意を もっ て、 積極 的に 努力 する 決意 を有 して いる

﹂と 強調 し、 その 論拠 の一 つと して

、﹁ 日韓 国交 を速 やか に正 常化 する こと は国 際共 産

(4)

党の 侵略 を防 ぎ、 両国 の繁 栄を 図り 得る 途で ある

﹂こ とを 力説

( )

した

。﹁ もし 韓国 が共 産党 の侵 入を うけ れば

、日 本

69

も直 ちに その 影響 をう ける べき こと は明 らか

﹂で あり

、﹁ 韓国 が多 大の 犠牲 を払 い、 国連 軍も 直接 こ れに 参加 した のは

、単 に韓 国を 守る ため ばか りで なく

、自 由陣 営全 体を 守る ため のも ので あっ た﹂ とい う崔 徳新 の 言葉 は、 李承 晩政 権以 来、 繰り 返さ れた 冷戦 論理 の延 長線 上に ある もの

( )

だが

、朴 正熙 軍事 政権 の場 合、 日韓 関係 を

70

冷戦 の文 脈に 位置 づけ る姿 勢は 一層 際立

( )

った

71

同日

、外 交ル ート でも

、日 韓会 談の 再開 を求 める 韓国 政府 の意 向が 正式 に伝 えら れた

。韓 国駐 日代 表部 の文 哲淳 参事 官は

、伊 関佑 二郎 アジ ア局 長に 対し て、

﹁韓 国政 府は 日韓 会談 を早 急に 開始 した い意 向で あり

、近 く駐 日大 使 を任 命す るの で、 新大 使の 着任 後、 会談 をい つか ら始 める のか 等の 具体 的な 相談 をし たい

﹂と いう

﹁本 国政 府の 訓 令﹂ を伝 えた

。ま た、 文参 事官 は、

﹁日 本か らの 経済 協力 の問 題に つい ても 新大 使の 着任 後、 併せ て相 談す るこ と にし たい

﹂と 付け 加え た。 この 発言 は、

﹁請 求権 と経 済協 力は 別で あり

、経 済協 力は 国交 正常 化以 後﹂ とい う韓 国 政府 の従 来の 方針 の修 正を 示唆 した とも 取れ るも ので あり

、伊 関ア ジア 局長 は早 速、

﹁韓 国政 府は 国交 正常 化前 で も日 本よ りの 経済 援助 をう ける 用意 があ るの か﹂ と質 した

。こ れに 対し

、文 参事 官は

、﹁ その 点は 駐日 代表 部と し ては 不明 なの で新 大使 着任 後、 確か めら れた い﹂ と答 える にと どま った

。朴 正熙 軍事 政権 は、 成立 から 二か 月も 経 たな いう ちに

、す でに 経済 協力 方式 を含 め、 請求 権問 題の 政治 妥結 を急 ぐ姿 勢を 明ら かに した ので ある

。 現に

、韓 国軍 事政 権は この 時点 です でに

、請 求権 の総 額を 含め

、対 日交 渉の 具体 案づ くり に着 手し てい た。 外務 部は

、一 九六 一年 七月 八日

、﹁ 韓日 会談 に対 する 政府 の基 本方 針﹂ を作 成し

、朴 正熙 が議 長を 務め る軍 部の 国家 再 建最 高会 議に 上申 した

。そ の中 で、 請求 権問 題に つい ては

、韓 国政 府の 取る べき 方針 とし て、 以下 の五 つの 項目 を 提示

( )

した

72

(5)

この

文書 は、 基本 的に

、韓 国民 主党 政権 の下

、一 九六

〇年 一〇 月頃 に作 成さ れた 基本 方針 文書 と全 く同 じも ので あり

、た だ空 欄に なっ てい た請 求権 の金 額や 船舶 のト ン数 の部 分に

、具 体的 な数 字を 書き 込ん だ形 とな って

( )

いる

73

つま り、 朴正 熙軍 事政 権は

、日 韓会 談の 妥結 を急 ぐ立 場か ら、 以前 の民 主党 政権 によ る基 本方 針と 枠組 みを その ま ま踏 襲し

、請 求権 の要 求額 の確 定に 踏み 込ん だの であ った

。 こう した 基本 方針 の下

、外 務部 は、 七月 一二 日、 より 詳細 な内 容を 定め た政 府方 針案 を作 成し

、国 家再 建最 高会 議に 提出

( )

した

。そ の中 で、

﹁一 般財 産請 求権

﹂に つい ては

、以 下の 三つ の選 択肢 が示 され た。

74

(6)

( )

75

また

、韓 国政 府が 主張 して きた

﹁対 日八 項目 要求

﹂を 以上 の三 つの 基準 でそ れぞ れ計 算し た結 果、 請求 権総 額と して

、第 一案 では

﹁一 九億 三千 万ド ル﹂

、第 二案 では

﹁一 二億 一千 万ド ル﹂

、第 三案 では

﹁五 億ド ル﹂ とい う金 額を 提案

( )

した

76

つま り、 第一 案は

、﹁ 賠償 的な 性格 のも の﹂ は含 まず

、﹁ 主に 私法 上の 債務 弁済 的な 性格

﹂を もつ 請求 権で あり

、 交渉 にお ける 韓国 側の 要求 の最 大値 とい うべ きも ので あっ た。 第二 案は

、そ の最 大値 から

、日 本の 在韓 財産 の没 収 分を 考慮 する よう 求め た米 国国 務省 の覚 書を 勘案 し、

﹁法 律的 根拠 及び 数字 上の 証憑 資料 が微 弱な もの

﹂を 除い た もの であ り、 いわ ば交 渉過 程に おけ る段 階的 な妥 協案 とい って よい

。そ して

、こ の妥 協案 にも 失敗 した 場合 の最 低 ライ ンが 第三 案で あり

、そ れは

﹁客 観的 な妥 当性 のあ る請 求権 を総 合﹂ する が、

﹁政 治的 な考 慮﹂ によ って 確定 さ れ、

﹁最 後ま で固 守す べき

﹂金 額で ある とさ れた

。こ の﹁ 政府 方針

﹂は

、七 月八 日の

﹁基 本方 針﹂ で示 され た﹁ 最 高一 九億 ドル

、最 低五 億ド ル﹂ とい う指 針に 基づ き、 さら に交 渉案 を三 段階 に分 け、 中間 案と して

﹁一 二億 一千 万 ドル

﹂を 設定 した もの であ った

。最 低額 は﹁ 基本 方針

﹂で 示さ れた

﹁五 億ド ル﹂ のま まだ が、 最高 額は

﹁一 九億 三 千万 ドル

﹂に 若干 変更 され てい る。 韓国 側の 韓日 会談 外交 文書 を詳 細に 検討 した 張博 珍の 指摘 どお り、 請求 権に 関す る朴 正熙 軍事 政権 の交 渉方 針 は、 その 総額 の面 でも

、以 前の 民主 党政 権期 との 強い 連続 性を 示し てい る。 上記 の第 一案 は、 従来 から の﹁ 対日 八 項目 要求

﹂を 土台 にし たも ので あっ たが

、張 博珍 の計 算に よる と、 李承 晩政 権か ら張 勉政 権に 至る まで

、そ の総 額 はお およ そ一 九億 ドル から 二四 億ド ルの 線で 推移 して

( )

いた

。李 承晩 政権 期の 一九 四九 年九 月、 韓国 政府 が作 成し た

77

(7)

﹁対 日賠 償要 求調 書﹂ の総 額は 約二 四億 ドル に上 り、 その 後、 韓国 がサ ンフ ラン シス コ講 和条 約の 当事 者か ら除 外 され た結 果、

﹁対 日賠 償要 求﹂ は﹁ 対日 請求 権﹂ に名 目が 変わ り、 一九 五一 年二 月、 第一 次日 韓会 談の 時に

﹁対 日 八項 目要 求﹂ とし て提 出さ れた

。一 九五 七年 初め の時 点で の韓 国政 府の リス トに よる と、 その 総額 は約 二三 億ド ル と推 算さ れた

。張 勉政 権期 に入 って から も、 こう した 方針 は基 本的 に維 持さ れた よう であ り、 前述 のと おり

、一 九 六一 年初 めに 作成 され た﹁ 韓国 請求 権委 員会

韓国 側の 基本 政策

﹂で は、

﹁韓 国側 が想 定し た請 求権 総額

﹂ は﹁ 二四 億ド ル﹂ とさ

( )

れた

。第 一案 の﹁ 一九 億三 千万 ドル

﹂は

、基 本的 にこ うし た一 連の 方針 を踏 襲し たも のと い

78

えよ う。 以上 のよ うな 賠償 もし くは 請求 権の 最大 値と とも に、 交渉 妥結 のた めの 現実 的な

﹁最 低ラ イン

﹂も 並行 して 検討 され た。 李承 晩政 権期 には

、一 九五 九年 一月 二九 日付 の訓 令で

、日 本に 対す る請 求権 要求 の総 額が 約一 九億 三千 万 ドル とな って いる が、 これ は﹁ Al te rn at iv eA

﹂で あり

、﹁ 最終 妥協 ライ ン﹂ であ る﹁ Al te rn at iv eC

﹂は 別途 の金 額 が指 示さ

( )

れた

。そ の具 体的 な数 字を 含ん だ付 属資 料は 公開 外交 文書 に含 まれ てお らず

、そ の金 額を 確認 する こと は

79

でき ない が、 張博 珍は

、李 承晩 政権 期に 駐日 大使 とし て日 韓交 渉に 携わ った 柳泰 夏や 金裕 澤の 証言 をも とに

、﹁ 三

~四 億ド ル以 上﹂ が李 承晩 政権 期の 最低 ライ ンで あっ た可 能性 を指 摘し て

( )

いる

。張 勉政 権期 には

、前 述の

﹁韓 国側

80

の基 本政 策﹂ で、

﹁日 本の 対フ ィリ ピン 賠償 総額 八億 ドル より 少な くな らな いよ うに 努力 すべ き﹂ とし

、﹁ 六億 ドル の経 済援 助を 受け 入れ る場 合、 純請 求権 で最 低二 億な いし 三億 ドル は確 保す べき

﹂と の方 針を 打ち 出し た。 李承 晩 政権 期や 張勉 政権 期に おい ても

、実 際に 獲得 可能 な請 求権 の金 額は 数億 ドル 規模 であ ると いう 認識 をも って いた 可 能性 があ る。 ここ で問 題な のは

、﹁ 政治 的な 考慮 を加 味﹂ して 決定 され た﹁ 最低 ライ ン﹂ の﹁ 五億 ドル

がど のよ う な根 拠や 背景 によ るも のな のか とい う点 であ る。 上で 検討 した よう に、 最高 額の 第一 案が いく つか の先 行文 書の 数

(8)

字に 近似 して おり

、そ れら を参 考に した 可能 性が ある のに 対し て、 最低 ライ ンの

﹁五 億ド ル﹂ に直 接つ なが るよ う な先 行例 は、 公開 され た韓 国側 外交 文書 の中 には 見当 たら ない

。﹁ 五億 ドル

﹂と いう 数字 と明 確に 一致 する 唯一 の 例は

、前 述の よう に、 一九 六一 年五 月、 自民 党議 員団 の訪 韓の 際、 随行 した 伊関 佑二 郎ア ジア 局長 を中 心に

、日 韓 の政 府要 人の 間で

﹁五 億ド ル﹂ 線で の妥 結を めぐ るや りと りが あっ たと いう 事実 であ る。 民主 党政 権期 の非 公式 折 衝が

、上 記の

﹁基 本方 針﹂ が作 成さ れた 一九 六一 年七 月の 時点 です でに 朴正 熙軍 事政 権に 引き 継が れた こと を示 す 文書 はな く、 金龍 周の 証言 でも

、そ の事 実が 裵義 煥に 伝え られ たの は﹁ 一九 六二 年以 降﹂ とい うこ とに なっ てい る。 しか し、

﹁五 億ド ル﹂ とい う数 字に つい て、 それ 以外 の根 拠や 背景 は確 認で きず

、今 のと ころ

、六 一年 五月 の 伊関 局長 を中 心と した 日韓 折衝 との 何ら かの 関連 性を 推測 する しか

( )

ない

81

以上 のよ うに

、朴 正熙 軍事 政権 は、 政権 成立 早々 から

、日 韓会 談の 早期 妥結 を図 る方 針を 決め

、韓 国側 にと って 最大 の懸 案で あっ た請 求権 問題 につ いて

、﹁ 政治 的解 決﹂ をめ ざす 方針 を早 々と 確定 した

。も し﹁ 最低 ライ ン﹂ と して 想定 され た﹁ 五億 ドル

﹂が 以前 の民 主党 政権 期の 日韓 折衝 を踏 まえ たも のだ とす れば

、そ れは

、政 治決 着の 実 現可 能性 に重 点を 置い た選 択だ った とい えよ う。 つま り、 すで に張 勉・ 民主 党政 権期 に一 定の

﹁合 意﹂

が あっ た金 額な らば

、日 韓会 談の 短期 決着 は十 分可 能に なる ので ある

( )

64

( )

( 65 )

6

5 97

3 55

( 66 )

67

6

8 27

4 92

(9)

( ) 使

調 使 68

6

1 10 0 50 6

使

( )

使

6 59 7 35 7 69

19 61

V .1 7- 8

72 3. 1J A 19 61

7 20

C 1- 00 05 -0 3 01 32

~0 13 3 ( )

70

MT -0 97 8

1 96 0. 9. 6- 7

72 4. 32 JA

8 46

C -0 00 9- 21

0 05 2~ 53

( )

71

NE AT O

退

6

5 97

3 70

( )

19 61

V .1 7- 8

72 72 0 C1 -0 00 5- 03

0 01 5~ 00 18

( )

1 96 0. 10 -6 1. 5 73

7 23 .1 JA

7 13

C 1- 00 04 -0 8 01 73

~0 17 5

参照

関連したドキュメント

 金正恩体制発足後、初の外相会談も実施された。金正恩第一書記の親書を持参した李洙 墉(リ・スヨン)外相が、 9 月 30 日から 11

日林誌では、内閣府や学術会議の掲げるオープンサイエンスの推進に資するため、日林誌の論 文 PDF を公開している J-STAGE

の見解では、1997 年の京都議定書に盛り込まれた削減目標は不公平な ものだったという。日経によると、交渉が行われた 1997 年時点で

東京都公文書館所蔵「地方官会議々決書並筆記  

「新老人運動」 の趣旨を韓国に紹介し, 日本の 「新老人 の会」 会員と, 韓国の高齢者が協力して活動を進めるこ とは, 日韓両国民の友好親善に寄与するところがきわめ

(公財) 日本修学旅行協会 (公社) 日本青年会議所 (公社) 日本観光振興協会 (公社) 日本環境教育フォーラム

二月八日に運営委員会と人権小委員会の会合にかけられたが︑両者の間に基本的な見解の対立がある

◆は KAAT Dance Series 2019. 開催予定日 会場 公演名