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20 

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(1)

埼玉県北西部における酪農地域の形成と特色

著者

斎藤 功

雑誌名

筑波大学人文地理学研究

12

ページ

25- 43

発行年

1988- 03- 25

(2)

RUセTS@

埼玉県北西部における酪農地域の形成と特色

I は じ め に

E 搾乳業者と掛燥の開始

II-1 搾乳業の展開

II-2 酪! 迭の開始と乳製品会社の進:11:¥

E 東京集乳│塑の拡大と乳業施設の変化

理- 1 現製品工場の機能変化

11l- 2 乳業資本の進出

11l- 3 グーラー・ステーションの族11=-と集乳

i

主│

町 jーセ

1 V - 1 セゥ￟jャ

l V- 2 多強育自在農の進展 l V- 3 操業景観の変化

V 乳業施設と集乳│ 習の最近の変化

VI む す び

I はじめに

埼 玉 県 北 西 部 を , か つ て 筆 者 は 東 京 集 乳 │ 還 に お け る 機 能 的 酪 農 地 域 の 第

IIJm

;

貯 に 相 当 し , 集 乳 量 の 少 な い 数 多 く の ク ー ラ ー ・ ス テ ー ジ ョ ン の 存 在 に よ っ て 特 色 づ け ら れ る と こ ろ と し た り . この性格は

大苦都

i

日: 市東

7

京京の近郊と遠郊のに中

i

れ る も の で で 、 あ ろ う . し か し そ の 実 態 は 十 分 解 明 し え な か っ た . そ こ で , 本 稿 で は , 埼 玉 県 北 西 部 を

事 例 に 酪 農 の 展 開 過 程 を 検 討 し , 東 京 集 乳 鶴 へ の 編 入 に よ る 多 頭 酪 農 の 進 展 な ど , 椅 玉 県 北 西 こ お

け る 酪 農 地 域 の 形 成 と 特 色 を 切 ら か に す る こ と を 目 的 と し た .

と こ ろ で , 埼 玉 県 の 酪 農 は , 戦 前 み る べ き も の が な く , 戦 時 中 乳 牛 が 増 加 し 戦 後 一 時 減 少 し た

が , 冬 場 の 館 料 を 確 保 す る サ イ ロ の 普 及 お よ び 政 府 に よ る 館 料 の 配 給 制 に よ っ て 発 達 し 東 京 を 臨 む

千 葉 ・ 埼 玉 ・ 神 奈 川 と い う 環 東 京 酪 農 地 帝 を な す 新 興 酪 農 県 に な っ た と い わ れ た2) こ の よ う な 戦 後

における埼玉県の酪農の発展は,東京を中心とする近郊酪; 農と遠郊酪農との仁

i

コ間距離的性格と地域の

自 然 的 ・ 社 会 的 的 条 件 が 絡 み あ っ て 可 能 に な っ た も の で あ ろ う . な お , 研 究 対 象 と し た 埼 玉 県 北 西 部

は , 大 里 郡 , 児 玉 郡 ( 本 庄 市 を 含 む ), 北 埼 玉

1

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( 行EEI

!

r

'i) , 北 足 立 郡 ( 吹 上 町 ) の 一 部 を 含 む 範

!

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j

1

であるが,研究の中心は,大里郡においた. 大里郡はかつて! 日大型,男会, JII需羅,榛沢の4郡 か ら な

り,昭和

8

年 熊 谷 市 , 昭 和

2

9

年 深 谷 市 が 独 立 し た .

五 搾 乳 業 者 と 艶 農 の 開 蛤

11- 1

搾 乳 業 の 展 開

埼 玉 県 北 西 部 に お け る 搾 乳 業 の 始 ま り は , 同 県 統 計 書 : に よ る と 明 治

1

8

( 1

8

8

5

)

年 の こ と で , 大 里

郡 熊 谷 宿 に

1

1

頭の乳牛が飼育され,

5

7

石 の 牛 乳 が 搾 乳 さ れ た と 記 録 さ れ て い る . こ れ は , 熊 谷 宿 本 1 l1J

で 、 搾 乳 業 を 始 め た 鯨 井 牛 乳 売 場 で 、 あ る . し か し こ れ は 明 治

1

3

( 1

8

8

0

)

年 搾 乳 業 を 営 ん で い た 浦 和

(3)

ち,熊谷1I1

J

でj託・

i

閏・砂糖を販売していた{ 柄引! こ治助はF 明 治 初 年 の 蚕 種 の 種 紙ilt命I=l:

l

に 事 業 をMlば し た

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次 郎 の 所 で 見 習 い し た 後 , 短

f

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であるとし、ぅ3) 搾 乳 し た 牛 乳 は , 天 秤 で か つ い で5里四方,鴻巣,松1 - 1 -1 ,小)11, 寄 居 , 深 谷 と 売 り

歩いた.

明治23年( 1890)年 に は こ れ に 加 え 熊 谷HIJの 愛 生 社 , 忍I! Jl の 成 女 場 , 行EH牧 場 が あ っ た . こ のI'M'],

111需羅郡三ケ尻( 混熊谷市) にあった搾乳業者は統計上消失しているが, 1900年 の 広 告 に は 三 ケ 尻 の 河

N Q Qi jセ

ているが,行間牧場は記載されていない. しかし, この行E l 3 牧場は,明治20年 搾 乳 業 を 開 業 し た 森 牧

場 で あ り , 現 在 ま で 営 業 を 続 け て い る 森 乳 業 株 式 会 社 の 前 身 で あ る . こ の こ と は , 当 時 の 統 計 の 精 度

の 低 さ を 示 す と と も に , そ れ を 実 態 調 査 で 補 強 し な け れ ば な ら な い こ と を 示 唆 す る も の で あ ろ う .

明治28年 ( 1895) 年には,熊谷町に鯨進社( 鯨井) , 愛生舎, 厚 生 舎 の3つが,深谷Il l

Jv

こ愛生舎分 舎,忍I lJ

J

の 森 牧 場 , 南 河 原 村 の 今 村 牧 場 お よ ひ ‘ 八 基 村 の 松 村 舎 ( 精 乳 軒 ) の 全 部 で7つ の 搾 乳 業 者 が

存 在 し た . こ の う ち , 精 乳

!

i

汗 の 創 業 者 松 村 喜 代 一 の 父 , 浅 二 郎 氏 は 向 者!I>の 渋 沢 栄 ー が 箱 根 の1JiJ 石原で、

行 っ て い た 牧 場 の 東 京 出 張 所 で あ っ た 耕 牧 舎 に 協 力 し て い た の で , 乳 牛 の 飼 育 ・ 搾 乳 に 未 知 と い う わ

け で は な か っ た . ま た , 同 氏 は 本 地 域 に 朝 鮮 牛 を 最 初 に 導 入 し た 人 で 、 も あ る と い う4) この明治28年

の搾乳業者を規模別にみると,忍I l l

J

ーの森牧場の搾乳高89石 ( 乳 牛38頭 ) を 最 高 に , 熊 谷 町 の 愛 生 舎47

( 12), 鯨 進 社39 ( 10), 厚 生 舎23 (6 ) , 深 谷U1J

¥ iii

3 0 0

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セゥゥ@ 1 fボ

数乳

手U!二JlJi数 ( 内乳業者)

1数

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乳LI 二郎数 (Jt芸家その他)

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f良家 そ の 他

J令:乳業者

1910 1920 193:0 19tj ( )

第1霞 搾乳業者・農家その他の乳牛間育頭数の推移

資料: 埼玉県統計書

の 愛 生 舎 分 合21 ( 8 ) と 続 き , 村 松 舎18 ( 5 ,)

今 村 牧 場14 ( 4 ) の1)損 で あ っ た . 忍 、 藤 の 士 族 で , 先 生 を 止 め て , 東 京 の 搾 乳 業 者 ・ 長 養 軒 で

修 業 を し , 明 治20年 搾 乳 業 を 開 始 し た 森 牧 場 の

i

司年12月 の 搾 乳 高 は7石9斗 で , 販 売 高 は6石

3斗2 チ

i

ーであったのので, 上 記 の 搾 乳 高 は ほ ぼ

妥当な数値といえよう. 一般に, 11ヨ域下IllJや 中 山道の宿場I l l ] ーには当時,製糸業が発達していた

ので,搾乳業者は都市部で、規模が大きくなる傾

向 が あ り , 一 頭 あ た り の 搾 乳 量 は2. 3---3. 9石 で

あ っ た . な お , 向 統 計 書 か ら 名 前 の わ か る 最 後

の 年1898年には, こ れ に 加 え 熊 谷11 I ] の精業舎,

大 里 郡 朕 沢 村 の 衛 生 合 , 妻 沼 村 の 長 寿 軒 ( 大 谷

I セff N

以 後1900年 か ら1940年 ま で5年 ご と に の 大 型

TZゥャセカ ェA Z

(4)

る . そ れ に よ る と , 搾 乳 業 者 は1920年を除き, 10戸

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-J

J

,二 1930年 か ら20戸 以 上 と な っ て い る . こ れ ら

の な か に は , 児 玉 の 大 友 牧 場 , 堂 監 の 橋 本 牧 場 で 搾 乳 夫 見 習 し 、 を し た 後 , 明 戸 の 沼 尻 で 搾 乳 業 を 開 始

した大沢牛乳もある. しかも, 1933j"

1

:

三市政をしいた熊谷市のそれが, 1935年9 ,1940年

11

軒 と な っ

て い る の で , 搾 乳 業 者 は 都 市 部 で 増 加lしたものとおもわれる. また, ---11司二当たりの乳牛頭数が,第1 次 世 界 大 戦 に よ る 好 景 気Jの 年 で あ る19日 年 の20. 2頭から│昭和恐慌の1930年 の6. 15頭 と い う よ う に 大 き

く 変 動 し て い る の は , 牛 乳 需 要 が 景 気 に 左 右 さ れ や す い こ と を 示 す も の で あ ろ う . な お , 第1次 世 界

大 戦 後 の 好 景 気 の 大 正8年 ( 1919) 年 に 大 里 郡 の 搾 乳 業 者10人 に よ っ て 武 蔵 畜 産 株 式 会 社 が 組 織 さ れ

た . こ れ は , 松 村 喜 代 一 を 社 長 に 専 務 河 EEI乾 を 中 心 と す る も の で あ っ た が , 昭 和5年 ( 1930) 年 頃 解

散した. しかし,

r

日 本 牛 乳 史j の 付 録 全 国 乳 業 者 名 簿 に よ る と1933年 当 時 , 武 蔵 畜 産 株 式 会 社 の 本 社 は 藤 沢 村 に あ り , 支 所 が

l

司村瀬i JJ,上野台および妻沼I l 日ーにあった. なお,解散後も武蔵畜産の名前

A QS ャセ

なお, 1935年前後熊谷の搾乳業者は,

l

f

筒 井 良 子 ( 鯨 進 社 ) , 小 暮 常 三 郎 ( 愛 生 舎 ) , 大 沢 松 蔵 ( 精

義ilif ) , IlI J [臼満( 精乳軒) , 藤 井 新 吉 ( 旭 軒 ) , 新 井 チ ヨ , 内 倉 信 二 , 新 井 芳 三 郎 で あ っ た の . これ

エャセij QYTQ N 1行 !王1, 熊谷地方では, 翠 年10社 に よ っ て 熊 谷 の 大 沢 乳 業 を 共 同 処 理 場 と しj 7,) 熊 谷 合 同 欽 用 牛 乳 を 処 理 し た か ら で あ る . こ れ ら の う ち , 戦 後 の1961年 ま で 営 業 し て い た 搾 乳 業 者 の ミ ノ レ ク プ ラ ン ト は , 鯨

井 乳 業 , 大 沢 乳 工 業 , 埼 玉 保 証 ミ ノ レ ク プ ラ ン ト の3軒 の み で あ っ た . つ ま り , 搾 乳 業 者 は 牛 乳 販 売j古

に な っ た 一 軒 を 除 き 第 二 次 世 界 大 戦 の 深 化 に よ る 飼 料 不 足 の た め , 牧 場 で 飼 育 し て い た 乳 牛 を 手 放 さ

ざ る を え ず , そ の 多 く は 戦 後 転 業 し た の で 、 あ る . こ の 事 情 は , 熊 谷 以 外 で も 共 通 す る 現 象 で , 同 其l j 21

軒 の う ち1961年 ま で ; 営 業 し て い た 搾 乳 業 者 系 の ミ ノ レ ク プ ラ ン ト は , 羽 生 の 森 牛 乳 , 松 屋 牛 乳

JlL

大 沢

ミ ノ レ ク プ ラ ン ト , 豊 里 村 の 訟 村 精 乳 軒 と 明 乳 軒 ( 橋 本 ) , 妾 溶I!lJの 大 谷 牛 乳 , 深 谷 市 の 大 沢 牛 乳 と 武 蔵畜産,寄居I l

JJ

の大沢牛乳と吉田牛乳, )I1本 村 の 保 生 舎 の

1

1

軒 の 約 半 数 で あ っ た わ .

1

I

-

2

, 酪 農 の

I

lr

3

始 と 乳 製 品 会 社 の 進 出

搾 乳 業 者 以 外 で 飴 農 を 開 始 し た の は , 大 里 郡 桜 沢 村 の 松 崎 孝 了 等 で あ る . す な わ ち ,

i

昭 和10年1

月1日 大 里 郡 寄 居 町 桜 沢 山 ノ

i

授 の 部 落 新 年 会 に 於 て 松1)時 現 組 合 長 の 提 案 で 酪 農 業 が 問 題 と し て 検 討 さ れ た . 其 の13寺の共鳴者

8

人 で 、 先 ず 静 岡 の 田 方 郡 を 視 察 に 出 か け た . 了 } 支 , 森 永 の 三 島 工 場 に 厄 介 に な

れ た の で , 視 察 の 結 果 酪 農 を や る こ と に 決 意 を し す く 乳 牛

8

頭 を 注 文 し て 来 た . そ れ が , 昭 和10年4

月 の 事 で あ るj 9) . 松1時孝了は,1 森 永 製 菓 の 社 長 松li時半三郎の甥に当たり, 同 氏 の 「 帰 郷 に 際 し , 生 ま れ 故 郷 の 桜 沢 村 に 乳 牛 飼 育 を 奨 め た の で あ る . ・ ・ ・ 最 初 は 実 に 二 , 三 頭 か ら 始 め たj l O)という. こ の 松 崎 孝 了 等 の 努 力 の 結 果 , 昭 和

1

1

年 に は 酪 農 家 が15戸 と な り , 大 里 郡 西 部 酪 農 販 売 購 買 利 用 組 合 が

組 織 さ れ た . こ の 組 合 が 大 豆 西 部 と い う の は , 前 述 の 武 蔵 畜 産 を 構 成 し て い た 搾 乳 業 者 等 に よ っ て 大

里 北 部 搾 乳 組 合 連 合 会 が 組 織 さ れ て い た か ら で あ る .

一 方 , 森 永 製 薬 は こ の 地 域 の 酪 農 の 発 展 を 予 測 し 1937年5月 埼 玉 県 深 谷 ( 幡 羅 村 原 の 郷 ) に 進 出

(5)

j特 質 利 用 組 合 の 事 務 所 で あ り , ほ ぼ 大 里 郡 の 中 心 で あ っ た . 酪 農 は , そ の 後 大 里 郡 か ら 児 玉 , 秩 父 , 比企郡にまで波及した.

1939

年のl酪 農 調 整 法 に よ り 前 述 の

2

組 合 が 合 併 し 大 工

iL

比 企 , 秩 父

l

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l

)

を 範

1

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とする保証支任埼玉酪農販売購買利用組合に改組され,事務所も寄居! 日

T

に移った. そこは,

I

可年森

永乳業が乳製品工場として設立した埼玉工場で、あった

埼 玉 総 農 産 業 組 合 の 乳 量 も

1936

年 の 日 量

4

.

7

石から

1942

年の

30

石,

1943

年の

50

石 へ と 増 大 し た . こ

[ セュ

)1

1

等 の 搾 乳 業 者 に 貸 し 出 す 制 度 が , 寄 居 付 近 に も 存 在 し た と い う か ら11),酪農を始める受けU 1Jが 準 備されていたことを意味する. すなわち,

1935

( 昭和

1

0

)

2

戸 の 農 家 そ の 他 に よ っ て お 頭 飼 育 さ れ QYTP VT RPS H QQセQ AI . こ れ は , 戸 数 で 埼 玉 県

4 7 %

, 頭 数 で

5 0 %

を 占 め る も の で あ っ た .

本 地 域 の 牛 乳 は 当 初 東 京 の 森 永 牛 乳 滝 ノ 川 工 場 , つ い で 森 永 乳 業 埼 玉 工 場 へ 集 荷 さ れ , 乳 製 品 や カ

ゼ イ ン に 処 理 さ れ た . し か し 埼 玉 酪 農 産 業 組 合 に 加 入 し な か っ た 利 根 川 流 域 の 搾 乳 業 者 や 酪 農 家 は

牛乳を新橋にあった中沢乳業, さ ら に 武 蔵 小 金 井 の 和 光 堂 に 送 っ た と い う . 和 光 堂 に は

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:

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500

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9

牛 乳 を ト ラ ッ ク で 送 っ た が , そ れ 以 外 の 所 へ は 高 崎 市j!が 利 用 さ れ た . し か し 戦 時 統 制 に よ り 本 地 域

の 牛 乳 は , 東 京 の 東 京 乳 業 株 式 会 社 に 送 ら れ る よ う に な っ た . 東 京 乳 業 株 式 会 社 は , 東 京 市 乳 界 の 乳

業 会 社 の 現 物

I

f

l

,資で

1942

10

月創立された統制会社で、ある12)が , 実 際 に は 牛 乳 は 明 治 乳 業 の 両 国 工 場

に 送 ら れ た と い う . 一 方 , 児 玉 地 区 の 酪 農 家 は 埼 玉 酪 農 の 設 立 に 際 し 児 玉 郡 吉 産 組 合 に 加 入 し , 牛 乳

を 本 庄 の 集 乳 所 か ら 熊 谷 の 大 沢 乳 工 に 高11時総を利用して送ったとし、う13)

こ の よ う に 農 家 で 飼 育 し た 手 は こ か ら 搾 乳 し た 牛 乳 を 市 乳 ( い わ ゆ る 農 乳 ) と し て 販 売 す る た め に

は,

I

共 同 搾 乳 所 」 で 搾 乳 し な け れ ば な ら な か っ た . 酪 農 の 普 及 と と も に 主 要 な 集 落 に 共 陀 搾 乳 所 が 設

置され,熊谷,深谷等の! 択の近くに牛乳をl愉 送 す る 拠 点 と し て の 集 乳 所 が 設

i

置された. このことは,

戦前に共向搾乳所・集乳所・ミノレクプラントという機能的酪農地域が形成されていたことを意味する

ものであろう.

ま た , 農 家 の な か に は

1941

年 か ら 乳 牛 を 飼 育 し た と い う 人 が 多 く み う け ら れ る . こ れ は , 埼 玉 酪 農 =

や森永乳業,和光堂,

I

日 武 蔵 音 産 株 式 会 社 の 人 々 が 積 極(1守に農家に酪農を奨励した結果で、あろう. 農家 に 導 入 さ れ た 乳 牛 は

E

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方 ば か り で な く , 湧 州 ( 千 葉 県 安 房 郡 ) , 北 海 道 , 岩 手 県 , 石 川 県 の も の が 多

かったという. ともあれ,戦時中に戦後の酪農のJ 1;

i

砲な発展が準備されたといえよう.

かくて,終戦時に1=

1

7

石まで、下がった埼玉酪農産業組合の乳量は昭和

20

年 の う ち に

30

石 ま で 回 復

し た と い う . 生 産 さ れ た 牛 乳 は 森 永 乳 業 寄 居 工 場 で 煉 乳 ・ 粉 乳 に 加 工 さ れ た .

1948

年 の 農 業 協 同 組 合

法 の 制 定 に よ り 埼 玉 酪 農 産 業 組 合 は , 事 務 所 を 森 永 乳 業 の 寄 居 工 場 に 置 い た ま ま 埼 玉 酪 農 業 協 同 組 合

に改組され,酪農の発展の中心的役割を果たした. それは,

1949

年においても,

I

県下で最も乳止! この

多いのは寄居町- で

188

頭 を 数 え , そ の

1

1 m村の

152

頭の折原村,

130

頭 の 野 上 村 等 は , 役 牛 よ り 手

L

L:

I

二の方

(6)

直 東京集手

L

密 の 拡 大 と 現 業 施 設 の 変 化

11l - 1 乳製

1

5

1

工 場 の 機 能 変 化

終戦時に!: :i 量

7

石 ま で 低 下 し た 埼 玉 酪 農 産 業 組 合 の 乳 量 は

1945

i

=1三のうちに

3

0

石 ま で 回 復 し た こ と に

みられるように,埼玉酪農産業組合の範! 在! で、ある大里,比企,秩父郡では酪農が順調に回復した. ま

た, QYTX QセM|I セx

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本 地 域 の 酪 農 家 は , 述 の よ う に 第 二 次 世 界 大 戦 中 の 戦 時 統 制 に よ り 東 京 乳 業 に 牛 乳 を 出 荷 す る こ

とによって東京集乳閣と関係を有していた.

1949

年の統制解除によって森永乳業は埼玉酪農業協! 弓組

合 と 取 引 を 再 開 し た . す な わ ち , 森 永 乳 業 埼 玉 工 場 は

1949

年 統 制 会 社 で あ る 東 京 乳 業 か ら 森 永 乳 業 が

[ jセA N

1957

年 ま で 浅手しで煉乳,粉乳,バター等の乳製品を製造していた. さらに,

1953

i : j 三森永乳業が群馬県木j / 時 IHJにあ

った竹下乳業の木[ i I 奇集乳

P

9

i-

を買収した際,その施設をこの工場の管理下においたので, この工場の機

能範

i

羽は埼玉・群馬両県に及んでし、た. しかし,

1957

年 東 京 工 場 の 操 業 開 始 と と も に

1958

年 埼 玉 工 場

は崎玉事業所となった. つまり, この森永乳業のj奇 玉 工 場 は , 前 述 の よ う に 当 初 よ り 東 京 に お け る 牛

乳需要の多寡をにらんだ調整工場としての機能を持っていたので、あるが, ,東京工場の完成後まもな

く,埼玉工場はその処理を止め, 東京工場へ送乳のコーノレド・スーションとなったJ 15)のである. こ

の こ と は , ま た 本 地 域 が 本 格 的 に 東 京 集 乳 簡 に 編 入 さ れ た こ と を 意 味 す る も の で あ る .

一 方 農 地 改 革 等 の 諸 改 革 に よ り ; 農 家 の な か に 乳 牛 飼 育 の 機 運 が 醸 成 さ れ3 酪; 農が急速に普及し

た. その結果,埼玉酪農業協同組合の集乳量は,

1952

年 臼 量

1

0

0

石 を 達 成 し た . し か し , 酪 農 協 の 機 能

範 聞 が 広 く な り , 地 域 の 笑 状 に あ っ た き め 細 か な 指 導 が 行 き 届 か な い 面 が あ ら わ れ た た め , 組 合 員 の

分裂が生じた. つまり,

1952

年比企郡の酪農民は全土七酪農業協同組合を組織し,明治乳業の市乳工場

に 牛 乳 の 直 送 を 開 始 し た . ま た ,

1960

年 西 秩 父 酪 農 業 協 同 組 合 , 東 秩 父 酪 農 業 協 同 組 合 が 独 立 し た

が,後者は秩父郡市酪農業協同組合に吸収された. しかし, この分離は,話し合いであったので、両酪

農 業 協 同 組 合 と も 引 き 続 き 森 永 乳 業 に 牛 乳 を 出 荷 し て い る .

この寄居工場に加え3 本 地 域 の 乳 製 品 工 場 と し て 熊 谷 市 の 大 沢 乳 工 株 式 会 社 が 存 在 し た . こ の 会 社

は,行

E

H

市荒木で大沢ミノレクプラントを経営していた大沢久三郎の弟,大沢芳松によって設立された

もので, ¥司氏が熊谷駅での駅弁の販売権を持っていた関係から,戦後熊谷駅ばかりでなく東京の御徒

IIIJ, 秋 葉 原 駅 に 牛 乳 販 売 を 設 け る な ど 積 極 的 に 市 乳 事 業 を 拡 大 し , 東 京 工 場 と 同 出 張 所 を 台 東 区 御

徒 IlfJvこ持っていたお) また,この会主

U i

,ペニシリン等も製造していた. しかし,飲用牛乳の需要と

供 給 の ア ン パ ラ ン ス を 解 消 す る た め 新 し い 煉 乳 , 粉 乳 の 加 工 設 備 を 導 入 し た こ と が , 経 営 不 振 を も た

ら し

1957

年 雪 印 乳 業 に 買 収 さ れ て し ま う . な お , 吹 上 Il!Jの大沢牛乳は, この大沢乳工の飲用牛乳を 販売していた酪農家で、あったが,大沢乳工の閉鎖にともないミルクプラントを新たに設置したもので

(7)

}

-

2

乳業資本の進出

埼 玉 酪 農 業 協 同 組 合 と 森 永 乳 業 が 牛 乳 取 引 を 再 開 し た 後 も , 東 京 乳 業 は 本 地 域 と 牛 乳 取 引 を 実 施 し

たい意向であった. そこで,崎三i三酪農業協同組合の範閣内の比企郡に働きかけ, 1949年10月牛乳取引

N ェ セサJN

父 ・ 大 里 郡 に 働 き か け 埼 玉 酪 農 業 協 同 組 合 の 集 乳 地 盤 を 切 崩 し , 後 年 の 全 秩 酪 農 業 協 同 組 合 , 北 武 蔵

酪 農 業 協 同 組 合 を 掌 中 に し た . 東 京 乳 業 は1950年 明 治 乳 業 に 吸 収 さ れ た の で , 明 治 乳 業 は 埼 玉 酪 農 業

協 同 組 合 の 範 臨 に 確 囲 た る 地 盤 を 築 く こ と が で き た の で あ る .

さ ら に , 明 治 乳 業 は 熊 谷 の 大 沢 乳 工 に 関 連 し て 木 地 域 に 進 出 し た . つ ま り , 児 玉 郡 酪 農 業 協 同 組 合

はその前進である児玉郡畜産組合の嘆から大沢乳工と取引を行っていたのであるが,

I

大 沢 乳 工 業 の

乳代不払¥: 、は当組合の致命傷となり組合員はよく時局を認識し新役員と一致協力真の協同精神を発揮

し 組 合 の 存 続 発 展 並 び に 各 自 の 福 利 増 進 の 為 に 努 力 し た る 結 果 組 合 事 業 の 大 宗 た る 生 乳 の 販 売 を 東

[イ セiN X QS

京送手しを実現したJ 17)と大手乳業資本との取引成立を喜んでいる. また, 同組合は乳代不払し、など酪

農民の不安を解消するため, 1955年 か ら 本 庄 で 牛 乳 の 処 理 ・ 販 売 ( 壕 装 〉 を 開 始 し た . な お , 全 体 と

して! 弓酪農業協同組合の牛乳の出荷先は両国工場から鳥山工場, 1956年 か ら 戸 田 橋 工 場 へ と 変 わ っ

た. さらに, 1958年 児 玉 郡 酪 農 業 協 同 組 合 か ら 分 離 独 立 し た 木j主 酪 農 業 協 同 組 合 も 児 玉 郡 酪 協 か ら そ の市乳施設を引き継いだので, j曇 装 事 業 を 行 い つ つ , 明 治 乳 業 と の 牛 乳 取 り 引 き を 続 け て い る . か く て , 明 治 乳 業 は ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン を 設 立 し て 酪 農 業 協 同 組 合 の 組 織 そ の も の を 掌 中 に し , 比 企

・秩父・大里・児玉郡をその集乳地盤とすることができたのである.

また, 1949年 都 幾 川 村 に 埼 玉 酪 農 業 協 同 組 合 の 明 党 集 乳 所 が 設 立 さ れ つ つ あ っ た 頃 , 東 京 で 市 乳 事

業 を 行 っ て い た 西 多 摩 酪 農 業 協 同 組 合 が 原 乳 獲 得 の た め1950年進出した. この麟農協は, 1956年協問

乳 業 株 式 会 社 と 事 業 提 携 し た の で , 協 同 乳 業 は 八 高 酪 農 業 協 同 組 合 と 牛 乳 取 り 引 き を 行 う こ と に な っ

た. 同社が櫛引! ? 自拓にクーラー・ステーションを設立して牛乳取り引きを開始したのは1958年のこと

である.

一 方 , 東 京 保 証 牛 乳 が 改 組 さ れ た 東 京 第 一 牛 乳 が1958年 深 谷 地 区 に 進 出 し た . こ の 株 式 会 社 は1958

1

1

月 雪 印 牛 乳 に な っ た の で , 雪 印 乳 業 も 木 地 域 に 進 出 し た . そ れ が 本 格 化 し た の は , 雪 印 乳 業 が

1962年6月 熊 谷 市 乳 工 場 を 新 築 し て か ら で あ る . こ の 工 場 は , 昭 和 「 三 十 二 年 一 月 十 四 日 大 沢 乳 工 株

式 会 社 よ り 買 収 し た 熊 谷 工 場 の 設 備 は , 三 十 四 年 度 市 乳 七 千 本 ( 一 時 間 ) , バ タ ー チ ャ ン 五 百 ポ ン ド

二基であったが,三十六年五月市乳需要の増大から市乳設備を九千本ラインに入れ替え処理能力を; 増

強 , 十 月 に は 関 東 地 域 の 余 乳 処 理 問 題 か ら バ タ ー チ ャ ン 五 百 ポ ン ド ー 慕 を 増 設 し 調 整 工 場 の 役 割 を

果たした. ついで,東京工場を仁1=1心 と す る 衛 星 工 場 の ー っ と し て , 急 拠 工 場 の 増 強 を 計 闘 し た が3 す

でに建物が老巧化していたため, 一億二千八百万円を投じて新築することとなり, 三十七年・・・乳

設備九千本ーライ γ の ほ か , 一 万 二 千 本 ー ラ イ ン を 増 設9 ・・・六月三十日竣工, 同日生産開始した.

この結果,新工場は事務所も兼ね第一工場とし, ,日工場を第二工場として煉乳・バターの製造工場に

(8)

以l二 の よ う に 木 地 域 に は 森 永 乳 業 , 明 治 乳 業 , 協 同 乳 業 , 雪 印 乳 業 が そ れ ぞ れ ,

1937

i

l

,三 1949年3

1949:;=1,三 1953:;' 1三に進出した. この大手乳業資本の進出形態は,前述のよう乳製品工場を設立して│ 酪農

の 育 成 を 計 っ た も の , 経 営 危 機 に 離 し て 断 農 業 協 同 組 合 を 引 き 継 ぐ も の お よ び 、 地 元 乳 業 会 社 を 直 接 買

収するものが存在した. また,埼玉酪; 農業協同組合の内紛や不

JiiU

に つ け こ み , 新 し い 酪 農 業 協 同 組 合

を 組 織 さ せ る 形 態 も あ っ た . こ の 場 合 , そ の 鮪 ; 農 業 協 同 組 合 の 拠 点 と し て ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン の

設 立 を 不 可 欠 の も の と す る . 前 記 の も の に 加 え , 明 治 乳 業 の 集 乳 地 盤 に 進 出 し た 森 永 乳 業 の 児 玉 ク ー

ラー・ステージョン( 児玉南部酪農業協同組合) , 森 永 乳 業 の 集 乳 地 盤 内 に 進 出 し た@)3治 乳 業 の 大

g

_g

クーラー・ステーション( 北武蔵酪農業協同組合) , Qセャァ

よ び 小 岩 井 乳 業 用 土 第l ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン が そ の 事 例 と い え る .

]]l

-

3

ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン の 族 生 と 集 乳 留

以 上 の よ う に 進 出 の 形 態 は 呉 な る が , 本 地 域 に は 酪 ; 農 の 発 展 に と も な い 主 要 な 乳 業 会 社 が 進 出 す る

N QYUT iセ HI

ェ ャセ ゥヲj p

. 大! 立集乳所を拠点に篠11TI たる集乳基盤を築いていたことが窺われる19)

木 地 域 に 進 出 し た 各 乳 業 資 本 は , 集 乳 路 線 の 合 理 化 を は か り , 酪 農 家 の 使 宜 を 考 慮 し , 取 り 引 き 相

手 の 酪 操 業 協 同 組 合 の 支 所 形 態 の ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン を 設 立 さ せ た . 森 示 乳 業 と 取 り 引 き し て い

る 埼 玉 酪 農 業 協 同 組 合 は , か つ て 森 永 乳 業 寄 居 工 場 で 、 あ る 寄 居 ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン を は じ め , 本

地 域 内 だ け で も 深 谷 , 新 会 , 藤 沢 , 榛 沢 , 花

I

s

I

, 黒13:1, 本i畠,武)1

1

)

11木 , 富

i

乱 用 ゴ 二 , 桜 沢 , 美 里 の14ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン を ほ ぼIEl 村 単 位 で 設 立 し た の は そ の 最 た る も の で あ る . 同 様 に 児 玉 郡 酪

; 農業協同組合の秩平クーラー・ステーション,児玉南部酪農業協同組合の高羽JIクーラー・ステーショ

ン, j喬 北 酪 農 業 協 同 組 合 の ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン も そ の 例 で あ る ( 第1表).

こ の 支 所 形 態 の ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン に は , 東 京 集 乳 閣 に お け る 酪 農 の 第 彊 地 帯 を 特 徴 づ け る 牛

乳 織 を 井 戸 水 で 単 純 に 冷 去11するト《ロップ・クーラーを設置した集乳所で、はなく,乳質の低下を防く、、た

め) 5'C f t J 後まで牛乳を冷却するパノレク・クーラーを設置した集乳所である. 乳質の改善を目指した

こ の 支 所 形 態 の ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン の 設 立 は , 複 合 経 営 の 酪 農 家 に よ っ て で は な く , 牛 乳 を 主 要

な現金収入湯! とする地域で必要とされた. し た が っ て , そ の 設 立 は , 本 地 域 に お け る 多 頭 育 酪 農 の 進

援 し た1960年 前 後 と い え よ う20)

ここで, 1967年 当 時 の 埼 玉 県 北 西 部 の 集 乳 悶 の 状 況 を み よ う ( 第2図). そ れ に よ る と , 当 時 の 状

況 を 反 映 し 木 地 域 に 加 須 市 の 旭 乳 業3 埼 玉 市 乳 が 東 部 に3 全秩酪農協( 明治系) , 秩 父 郡 酪 農 協 が 進

出 し て い た こ と が 判 る . ま た3 埼 玉 酪 農 協 の 範

1

m

は本地域外の比企郡をもその機能範! 司とするので,

│頚の範閤に入らない. しかし, ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン の 集 乳 臨 は 大 き く 2つ に 分 類 さ れ る . す な わ

ち, 11ヨ 児 玉 郡 の 集 乳 簡 は , 本 庄 酪 農 業 協

i

可 組 合 , 児 玉 郡j酪 農 業 協 同 組 合 に 代 表 さ れ る よ う に 集 乳 量 も

ゥ iujセ N S S a

(9)

第1表 : 乳 業 施 設 の 機 能 と 集 乳 量 の 仕 向 先

乳 業 施 設 名 │日 理

l

送 乳 先 ! 現 状 ギ キ

1 s掠井乳業 熊 谷 市 ミノレタフラント 1,985kg 目立チ│ ニ:乳業 iセi Sュ 7, 597kg

2 森 手し 業 行IIlifi ミノレグプラント 8,307 森乳業 自己処理 18,000

3 松村乳業 盟1 J

U

守 ミノレグプラント 305 松 村 乳 業 iセャ ii 2, 709

4 吉 111 乳業 寄J ¥i ]iIl!T ミ/ レタフ。ラン!、 53 tセゥ@ 11l 手し業 iセA iセャ@ ゥゥPセ@

5 大沢牛乳 !次上市 ミノレグフラント 2,064 大 沢 乳 業 iセi jャ ii 2,400

6 森・寄: }苦事業所 セセZwKi iA t@ C. S. 4,218 i奇3::: . 大型 森 ・ 多 摩 工 場 59,405

7 十五 沢 / /

C. S. 3,269 ノ/ / / ぷ!1 セZ↓A■@

8 )有 土 I I

C. S. 1, 220 ! ! / 1 間 y員

9 美 立1 美 里 村 C. S ,1278 11 / 1 iセイャ@ Hl

10 花 l選l :{EI盟村 C. S 5, 557 1/ 1/

1m

m

11 富 j王! 寄: }苦IHJ C .S 1, 337 1/ 1/ 閉鎖

12 黒 111 千五

i

顎jす C. S 1,399 11 1/ ! 荊鍔i

13 )I! 司王 11 C . S 3,070 / / 1/ イセZA@

m

14 Hをき 沢 深 谷 市 C . S 3,867 I 1 11

野J jii'i

15

i

t

c

)'1 11 C. S 981 I 1 1I 同一! j;'ii

16 本 iiヨ主ヨl

川 本 村 C. S 1,425 / 1 11

閉鎖

17 榛 尺? 阿 部IllT C. S. 4,541 1/ ノ/

I!f-l セZョ@ 18 訟を 、ノ1;コー

深 谷 市 C. S. 6,021 I 1 I 1

閉鎖

19 新

z

;

ι b 、」 盗 塁 村 C .S ,1 660 / 1 11

! なJ: Hi 20 荒 )11 花│歪│村 C. S. 3,446 大 里 郎 農 協 I 1

21, 257

21 本 セャャャ|@ 岡 部 村 C. S. 5, 773 / 1 1/ iセGセ@

f点

22 児 玉 児 玉11I} C. S. 2, 937 児 玉 南 部 森 - 新 宿 工 場 5, 128

23 高 将1[ 11

C .S 889 酪 段 │ お ノ/

閉鎖

24 村i )11 ネIjiJll

i

寸 C. S 3, 442 / 1 / /

閉鎖

25 .YE 玉 児 玉 町 C. S. ・ 市 乳 17,081 セjis 明 戸 田 橋 工 場 32, 467

26 セJ@ 平 / 1

C. S 3,749 11 1/ QセQ@

$ 員

27 本 j王 本 庄 市 C . S ・rli 手L 9,691 本 庄 酪 農 協 / 1 22,422

28 大 里 深 谷 市 C .S 9,605 北 武j誌面151お iリ] ・東京工場 15, 210

9 雪 熊 谷 工 場

i

町市乳乳製品

l

16,358

l

雪印叶自己処理│ 問鎖

30 t奇 北 ρ C‘ S. ・ 市 乳 5,117 j有 北 酪 農 協 雪・

i

i

之容工場 26, 693

31 櫛 挽 開 拓 │深谷市

I

c. s

2, 546 │ 側 側 協 │ 協 附 寄 工 場 │ 山32

32

m

土 第 一 │寄居町

I

c

. s

3, 571

i

寄 附 5, 986

キ1967年5- 8月 の 平 均 料 1985年 日 平 均 集 乳 童

ミノレグプラY ト: 市事L. 学 校 牛 乳 の 処 理 ・ 販 売 C. S. : グ ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン 森 : 森 永 乳 業 i明 : 明 治 乳 業 雪 : 雪 印 乳 業 協 : 協 同 乳 業 小 岩 井 : 小 岩 井 乳 業 埼 玉 県 畜 産 諜 資 料 お よ び 開 き 取 り に よ る .

も っ て い た . こ れ は , 群 馬 県 東 南 部21)や4埼 玉 県 の 秩 父 地 方 に 共 通 す る も の で あ り , 東 京 集 乳

l

惑 に お け る 酪 農 地 域 の 第 盟 地 帯 を 特 徴 づ け る も の で あ る .

(10)

第2密 埼 玉 県 北 西 部 の 集 乳 箆 ( 1967王子) 註 : 数 字 は 第1表?こ同じ

埼 玉 県 畜 産 課 資 料 お よ び 開 き 取 り に よ る

牛乳を10分 以 内 で 持 ち 込 め る 範 密 , つ ま り そ れ が 置 か れ た 集 落 の 隣 の 集 落 ま で の ほ ぼ 旧 村 の 範 囲 で あ

り. しばし: ま一つの集落内で完結している場合もある. この両者の中間形態といえるのが,北武蔵酪

農 業 協 同 組 合 の よ う に 埼 玉 酪 操 業 協 同 組 合 の 集 乳 地 盤 内 に あ り な が ら ? 森 永 乳 業 以 外 に 出 荷 す る ク ー

ラー・ステーションであろう. なお,搾乳業者系譜のミノレクプラントは,農業集落の任意酪農組合や

俗人と取り引きしているのが多い. つまり,熊谷以東の搾乳業者系譜のミノレクプラントに供給する東

京集乳│ 習の第l 地 域 に 近 似 し た 擬 第1地 域 が 存 在 す る と い え よ う .

したがって, ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン の 有 無 , そ の 集 乳 鶴 と 集 乳 量 か ら , 第

2

図 に は 東 か ら 東 京 集

乳 閣 に お け る 機 能 的 酪 農 地 域 の 擬 第 [ 地 域 , つ い で 酪 農 の 第

E

地帯に相当する! 日大里郡, さらに第1 l I

地砧: に相当する1:E1児玉郡が) 1良次配列するといえよう.

W 東 京 集 乳 歯 へ の 編 入 と 多 頭 膏 酪 農 の 進 展

I V- 1

酪 農 の 普 及 と 地 域 差

ここで, 1950年から1980年 ま で10年 ご と の 沼 市 町 村 別 乳 牛 飼 養 農 家 率 の 変 化 を み よ う ( 第3f 玄l ) .

1950年においては寄居町& の折原・寄居の2 0 %以上を最高に,月j土が1 0 %を 越 え る . こ れ は , 前 述 の ご と く 森 永 乳 業 埼 玉 工 場 と 崎 玉 酪 農 業 協 同 組 合 の 影 響 が 大 き い こ と を 意 味 す る . し か し , 新 会 を 始 め と

す る 利 根 川 流 域 に1 0 %前後の地区がみられるものの,水EI 3 地帯の乳牛飼養農家率は一般に低かった.

(11)

%

HZZ[Z[Z[Z[Z[Z[I}MPNY A Y NUNPMYNY セエッNoMQYNY RP YNY

F: 深 谷 K: 熊 谷 Y若干Ji!i

第3図 ! 日市 i町村丹JI乳 牛 飼 安 農 家 率 の 変 化

資料: 世界農林業センサス, 1950, 1960, 1970, 1980

となり,花! 翠・本郷も

2 0 %

,藤沢・武) , ,・三尻も

1 0 %

を越え,いわば! 日荒川扇状地の畑作地帯では煎

] 支部から扇端部へ同心門的に減少する傾向がみられた. 水EEl 地帯でも上昇がみられたが, とくに科線

)

'

l

に 沿 う 新 会 の

41. 5%

を 最 高 に 中 瀬 で も

2 0 %

を越え, 自 然 堤 防 上 の 八 基 ・ 明 戸 ・ 男 沼 で も

1 0 %

を 凌 鴛

し た . こ こ で は , 利 根 川 の 河 川 敷 き を 活 用 し ず ム い わ ゆ る 河 川 酪 農 業 が 行 わ れ て い た の で あ る . す な

わち, このイす近の酪農家による河川敷き利用は「繋綿慣行

1 2 m

,一日

2

@

繋 替 で , 約 一 週 間 で 元 の 場

所に帰るやり方が一般である. ぃ・一頭当

2. 5

反の草地, U セャャ ei セ ]. fJ

12

間利用J 22)と い う 集 約 的 な も の で あ っ た の で , 耕 地 面 積 の 少 な さ を 十 分 補 う も の で あ っ た .

1970

年 な る と 毎 日 労 働 を 必 要 と す る 酪 農 家 は 兼 業 家 の 進 展 と あ い ま っ て 大 き く 減 少 し た . す な わ

ち,農業の専「

4

牛ニ飼養農家率は

1950

年の; 状日伏C態態、までで、戻つ

7

たこといえるだろう. しかし,残存した酪農家は, 乳 仰 の 低 迷

を乳量を多くすることによって酪農に専「引七したので,乳牛頭数の減少はみられなかった.

1980

年は,

こ の 振 る い 分 け が 一 層 進 展 し た 結 果 と い え る だ ろ う . す な わ ち , 酪 農 家 率 が

1 0 %

を 越 え た の は

F

I

=J 土の

みとなり, UE AiI TQ ヲャャjセ エ N S

な っ た 地 区

5

1

%

以 下 の 地 区 が

17

となり,

1950

年 よ り 後 退 し た と い え る . 地 域 的 に み る と 畑 作 地 帯

(12)

現 在 , 新 会 な ど 利 根 川 河 川 敷 き の 酪 農 家 は,j.J文 牧 密 度 を 勘 案 し 一 定 の 間 隔 を も っ て 立 地 し て し 、 る よ う におもオつれる.

1

JI

J

述のように,し、ずれのfl i l HJ i寸 で も 乳 牛 館 用 農 家 率 は

1950

年 か ら

1960

年まで、上昇するが,

1960

年 か ら

1965

年 に か け て 熊 谷 市 や 妻 沼111]・ の よ う な 都 市 部 や 水

E

H

地 帯 で は 減 少 し た . し か し , 寄 居 , 何 者slllJな ど の 荒 川 扇 状 地 の 対

llfp

j

也 市 で は

1965

年 ま で 増 加 し , そ れ 以 後 減 少 す る . つ ま り , 乳 牛 飼 養 農 家 率 は 都

ャ QYVU QYWUセQ QP QQQ ュ[ QYXU

わ づ か で 、 あ っ た . 乳 牛 飼 養 農 家 率 の 減 少 は , 農 家 一 戸 当 た り 飼 育 頭 数 の 増 大 と な っ て あ ら わ れ た . す

な わ ち , 多 頭 育 酪 農 は と く に

1970

年 か ら

1980

年 の

1

1

司 に 進 展 し た と い え る .

そこで,以下,埼玉酪農業協同組合のf J f

t

iliI

I

お よ び 櫛 引 き 開 妬 を 事 例 に 多 頭 化 酪 農 の 進 展 過 程 と 農 業

景 観 の 変 化 を み よ う .

日/ - 2 多 頭 育 飴 農 の 進 展

a ) 多 頭 育 酪 農 の 進 展 と 多 頭 育 奨 励 金

九一!ン) &- - &- d 'I'-.'{ut附 (A )

1--20. 000

1)

-(人)

。- <>- 0手Li il¥i (B )

酔. .. ..乳牛飼養焼隙 (C )

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刻附 ( 1) )

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3 0 + 1 5 0

1,000

1950 1955 1960 1965 1970 1975 J 980 i告85

第4図 埼玉酪操業協同組合の酷農家数・生産乳量・平均乳牛飼育頭数の推移

(13)

こ こ で , 埼 玉 離 農 業 協 同 組 合 の 資 料 に よ り 多 頭 育 酪 農 の 進 展 の 状 況 を み よ う . 前 述 の よ う に 組 合 員

数 はp 乳 業 資 本 の 進 出 に よ り 組 合 の 分 裂 で 変 動 し た が , 第4図に示したように, 1956年の2,832人を 最高に減少した. とくに, 1959年 か ら1961年の2年 間 に 秩 父 地 区 の 組 合 員 の 分 離 も あ り , 組 合 員 数 は

大幅に減少し, 1,000人を割り込んだ. さらに, 1965年 に は500人を訓り, 1984年 に は203人となった.

QYUV iセ W 185トンから1966年の18,321トンへと3 多 少 の 変 動 は あ る

が , ほ ぼ 一 貫 し て 増 大 し て き た の で , 一 戸 当 た つ の 飼 育 頭 数 も 増 大 し た . す な わ ち , 昭 和20年 代 に は

1頭 代 で あ っ た 一 戸 当 た り の 乳 牛 頭 数 は 昭 和30年 代 に 代 , 昭 和40年 代 に10頭 代 , 昭 和50年 代 に20

頭 代 に 増 大 し , 多 頭 育 酪j長を達成した.

こ の よ う な 多 頭 育 酪 農 を 達 成 し た 背 景 に は , 埼 玉 酪 農 業 協 同 組 合 の 百 石 会 と 森 永 乳 業 の 多 頭 育 奨 励

金があった. すなわち, 1956年 埼 玉 酪 農 業 協 同 組 合 は 年 間 百 石 の 牛 乳 を 生 産 す る 酪 農 家 に 対 し , 百 石

以 上 を 生 産 し た 分 に

1

,..__,

2

割 り の 乳 量 奨 励 金 を 支 払 う こ と を 決 定 し た . こ の

i

ヨ擦を達成するためには 乳牛4,..__,5頭 を 飼 育 し 飼 料 対 立 を 拡 大 す る 必 要 が あ っ た . 翌 年 こ れ に 加 え , 支 部 を 対 象 と し た 団 体

3

1

2

も設定した. これが, 1959年 か ら 実 施 さ れ た 森 永 乳 業 の 「 多 頭 奨 励 金 制 度 」 と な っ て 結 実 し た の で あ

る . す な わ ち , 森 永 乳 業 の 多 頭 飼 育 奨 励 金 制 度 は 「 年17J]乳 量100石 以 上 一 升 に つ き3ITj, 200石

tJ J

こか

4円, 300: : 1=1' 以上グ 5円, 400石以上汐 8 ぬ と い う よ う に 上 下 薄 型 に 支 払 わ れ た . し た が っ て ,

酪 農 家 は こ の 多 頭 育 奨 励 金 の 獲 得 を 目 指 し て 乳 牛 の 多 頭 飼 育 に 励 ん だ の で あ る .

し か し こ の よ う な 多 頭 育 奨 励 金 を 得 る こ と が で き ず , 儲 農 か ら 撤 退 す る 複 合 経 営 農 家 が 多 く あ っ

た . つ ま り , 第

41

玄! のように酪農家が大幅に減少したのは,牛乳生産量の増大につれ,乳業メーカー

の 購 入 す る 乳 質 検 査 が 厳 し く な っ て き た か ら で あ る . す な わ ち , 牛 乳 の 乳 量 は 当 初 脂 肪 率 , 細 菌 数 の

み で あ っ た が , 残 留 農 薬 や 抗 生 物 質 に も 及 ん だ . そ れ に は , 優 れ た 畜 舎3 搾 乳 ・ 冷 却 設 備 な ど をi岳部j す る 必 要 が あ る が , そ れ は 多 頭 育 酪 農 家 で な い と 無 理 で あ っ た . こ の よ う な こ と が 重 な 札 そ れ ら を

設 備 す る こ と が で き た 前 農 家 だ け が 多 頭 育 酪 農 の 達 成 が 可 能 で あ っ た . そ こ で , 以 下 本 地 域 で も1985

年 の 一 戸 当 た り の 乳 牛 飼 養 規 模 が37. 3頭と最も多い花園村, iセュ

過 程 を 分 析 し よ う .

b ) 酪 農 家 の 多 頭 育 化 過 程

ェ ュセ ャQi j ]I QQi j QYTVMQYTW RTR

る . 乳 牛 は , 生 産 性 の 低 い 洪 積 台 地 の11豆 懸 地 に 堆 胞 を 投 入 す る た め 比 較 的 平 く か ら 飼 育 さ れ て き た

たとへば, 1946年 入 植 し た 満 州 開 拓 国 の 引 揚 者 で あ るT 氏 は , 当 初 大 変 ・ 小 変 ・ サ ツ マ イ モ な ど を 栽

培する殺寂; 農業を行っていたが, 1949年 に 用 土 第1農 協 よ り 融 資 を 受 け , 酪 農 を 開 始 し た .

:

1

11l 地に投 入 す る 堆JJ巴生産を目的としたこの酪農経営は,地力を徐々に向上させ, 1952年 に4 - 5頭飼育となり ス イ カ や 〆 イ コ ン と い っ た 野 菜 と の 複 合 経 営 を 実 現 さ せ た . こ の 野 菜 の 代 金 を 乳 牛 の 導 入 資 金 に 充 て

るなどして酪農経営の充実に努め, 1963年 に は25頭, 1970年 に は35頭 の 乳 牛 を 飼 育 す る 多 頭 育 酪 農 を

実 現 し た . こ の よ う に 比 較 的 早 く か ら 酪 農 の 規 模 j広大をなしえたのは,当主が家苦Hこ習熟していたこ

(14)

乳 牛 の 多 頭 育 化 に つ れ3 当初配分の1. 5haの 耕 地 に は カ ブ ・ エ ン 変 ・ ト ウ モ ロ コ シ ・ ク ロ ー パ ー ・ イ タ リ ア ン ラ イ グ ラ ス な ど の 牧 草 が 栽 培 さ れ る よ う に な っ た . 乳 牛 の 多 頭 飼 育 に 伴 っ て 乳 業 施 設 も 充

実 し て き た . す な わ ち

i

出;農専}:I'j畜舎には搾乳機からパイプラインミノレカーへ, ユ ニ ッ ト ク ー ラ ー か

ら パ ノ レ ク ク ー ラ ー へ と い う よ う な 乳 業 施 設 の 高 度 化 が 見 ら れ る よ う に な っ た 均 . か く て

1983

年現在,

t VUtijエ TPセjャ QPU 1:::1量

850- 950k9

の 牛 乳 を 協 伺 乳 業 に 出 荷 す る 専 業 酪 農 家 と な っ た26) こ の 乳 量 は か つ て の 酪 農 の 踏 ん な 農 業 集 落 の そ れ に 相 当 す る . し た が っ て , バ ノ レ ク ク ー ラ ー を 備 え た 多 頭 育 酷 農 家 の 存 在 は , 酪 農 家 率 が 著 し く 減 少 し た も の の , 乳 業 会 社 に と っ て

集 乳 経 費 を 削 減 し な が ら 同 等 以 上 の 乳 量 を 確 保 で 、 き る 結 果 と な っ た .

一ブ方], 手乳L凶

4

牛ユの多

E

耳耳頭D足}[育化につれj濃燦釦j厚享飼

1

ギ料料ぢ司斗│卜Pばカか、りでで、なくし,

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京羽柱粗j主笠11飼来和料料'-'1ヰ│卜今をも

i

j

(

単 す る よ うになつた. す な わ 、ちらア粗鰐料は, 白当作地に栽

1

j培告する牧 1干官草iに力瓦加[口│氏え,

2. 0 l

加1a

α

の{借古昔

d

地也で

、o‘ 等が7農襲是協,業者を通じて購入される.

3

さらに年

I

'M

]

に 消 費 さ れ る 稲 葉 の 購 入 量 は , 水EEI 面 積 に 換 算 し

セRPィ N ょ っ 広 域 の 農 業 資 源 を 活 月

3

し て 始 め て 可

N iᅵセ iセi

在 に 較 べ て 必 然 的 に 酪 農 家 本 を 低 下 さ せ る も の で あ ろ う

l

V

-

3

農 業 景 観 の 変 化

多 頭 育 酪 農 の 進 展 は , 土 地 利 用 に 反 映 さ れ る の で 景 観 的 に も 確 認 さ れ る . 第

5

図 は , 前 述 の 酪 農 家

を 含 む

1

9

7

0

: 9

三( (l ) と

1983

年 (

b

) に お け る 冬 季 の 土 地 利 用 状 況 を 示 し た も の で あ る .

1970

年 の 土 地 利 用

図 で は ダ イ コ ン 作 の

i

跡 地 と 大 ・ 小 麦 の 前 作 は ダ イ コ ン で あ っ た

1

1U が目立った. それは,櫛挽開拓が沢 庵 漬 け の 産 地 , 間 部IUJvこ 隣 接 し て い る た め 契 約 栽 培 等 で 、 ダ イ コ ン が 栽 培 さ れ て い た か ら で あ る . さ ら

に, イタリプン・ライグラス,ニにン表, カフーが栽培されているのはp 住宅・音合・乳牛なとーの農業景

観 に よ っ て 酪 農 家 と 確 認 さ れ た . 桑 は 花j茎! 村の土地利月

3

に み ら れ る よ う に 乏 水 性 台 地 を 特 色 づ け る も の で あ る が , 養 蚕 の 専 業 形 態 と 複 合 形 態 が 認 め ら れ た ,

1970

年 に お い て は 酪 農 ・ 養 蚕 ・ 苗 木 ・ 養 鶏 な

ど へ の 専 門 化 傾 向 が み ら れ る 一 方 , 複 合 経 営 的 要 素 が 残 存 し て い た . す な わ ち , 一 般 に

i

窪 田 を 有 す る

農 家 は 麦3 桑 , ダ イ コ ン を 栽 培 し て い る 者 が 多 か っ た .

1983

年 の 土 地 利 用

i

習におし、ては酪農家の規模拡大および酪農家から乳牛! [ l =犠のJJと育に変化した事例

が認められた. また, 11直木・

セZZャ] ア I

M ゥシ iセャ]| N

・ 養 豚 ・ 庭 木 栽 培 に 企 業 的 経 営 が み ら れ る . な か で も , 酪 農 ・ 養 鶏 等 に

は離農者のまとまった耕地を購入し, こ こ で 企 業 化 を は か っ た 東 京 な ど か ら の 移 住 者 も あ る . こ の こ

とが,長鋭的にも農業経営への専門化を印象づ、けた27) し か し

1983

年においても夕、、イコンを栽培し

た 野 菜 農 家 が み と め ら れ た が , そ の 多 く は , 兼 業 農 家 で あ っ た .

iセ A R N

そ れ に よ る と 複 合 経 営 か ら 単 一 経 営 へ の 専 門 化 傾 向 が 認 め ら れ る . こ れ は , 穀 物 十 野 菜 十 養 蚕 農 家

( 12戸 ) お よ び 野 業 ÷ 穀 物 栽 培 農 家 ( S IセスN

(15)

j、変

図 桑

i麹

脇 工 ン 支

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髄農家

圃古

j合 公 共 地 設 [ 二] 家市の巡動場

第5 国 1i i1' i 引開拓の土地中

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変 化 現地調査より ( Sai t o et al, 1983)

(16)

第2表 土地利用からみた農業経営の変化

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V + T V + F

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S + T D M D + M P

穀 物 十 野 菜 十 そ の 他1 1 1

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穀 物 (c) +野菜 肝菜( V )

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提蚕(S ) 防 接( D) J J長十野菜 捷鶏 (p )

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主主: F :'i!]'l料栽rfl;. mZ ゥ h iiセ

れよう. ャ↓ BャセG 1970年 か ら1983年の│間に他木が2戸から11戸 へ 増 加 し た の に 対 し は4戸 か ら 皆 無 と な っ た . 一 方 , 酪 農 は10戸から11戸 へ , 養 鶏 が3戸から4戸 へ , 肉 牛 )J巴育4戸 と 漸

増 額

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なにあった. ζ れ ら の こ と は , 木 地 域 の 農 業 が 養 蚕 の 衰 退 に よ る 野 菜 ・ 植 木 栽 培 の 発 展 お よ び 畜

Jtr

.

i

の 停 滞 に よ っ て 特 色 づ け ら れ る こ と を 意 味 す る も の で あ ろ う .

し か し 畜 産 は 戸 数 が 停 滞 的 で あ っ て も 前 述 の よ う に 地 域 全 体 に お け る 酪 農 家 率 の 著 し い 減 少 と 較

べ れ ば , 酪 農 は 臨 ん で あ る と い え よ う . 乳 製 品 の 自 由 化 と い う 外 圧 の に

h

で ¥ 木 地 域 の 酪 農 家 が

l

司- 経 営 内 に お い て 規 模 拡 大 を 達 成 し て き た こ と は , 土 地 利 用 や 操 業 景 観 か ら も 確 認 さ れ た .

V 手

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施 業 設 と 集 乳 箇 の 最 近 の 変 化

以 上 の よ う に197011:三頃の乳業施設とクーラー・ステーションの集乳! 習の様相は,その後大きく様変 わ り し た . す な わ ち , 第1 表 の 現 況 の 欄 に 示 し た よ う に 支 所 形 態 の ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン の 閉 鎖 が

あげられる. 酪農家カか、ら集乳所までで、の; 搬般入 i時1時寺間の短綜と

4

牛ニ乳の1JiE貯A

. ステ一シヨンは,多頭育酪農の進展とともにその機能を失ったので、ある. すなわち,乳牛の多頭飼

育 に と もな い 酪農家 は, 乳質を { 呆 ち,牛乳 の搬入 時間をさらに短縮するためド ロップ クーラー やユニ

ッ ト ク ー ラ ー を 設 置 す る よ う に な っ た . こ の ド ロ ッ プ ク ー ラ ー や ユ ニ ッ ト ク ー ラ ー は , 東 京 集 乳 簡 に

お け る 機 能 的 酪 農 地 域 の 第

m

地 帯 の 部 落 集 乳 所 に 設 置 さ れ て い た も の で あ る . つ ま り3 木 地 域 に お け

る 多 頭 育 農 家 の 存 在 は3 第

m

地 帯 の 部 落 集 乳 所 に 相 当 す る こ と を 意 味 す る . し た が っ て , 酪 農 業 協 同

組合は多頭育酪農家の庭先まで集乳しうる小型タンクローリーを導入しなけ‘ ればならなくなった.

こ の よ う な 酪 農 家 に お け る ド ロ ッ プ ク ー ラ ー の 設 置 と 小 型 タ ン ク ロ ー リ ー の 使 用 は 支 所 形 態 の ク ー

ラー・ステーションの存在を不必要とした. しかし,東京集乳│習における酪農の第

i

地 帯 の よ う に 直

(17)

セイエャ NI

された.

1985

年 か ら 寄 居 IllJの ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン に 一 本 化 さ れ た . す な わ ち , 形 態 的 に は 東 京 集

乳 閣 に お け る 第 路 地 帯 の 集 乳 方 法 と 同 じ に な っ た が , 多 頭 育 酪 農 家 で は ユ ニ ッ ト ク ー ラ ー を 設 置 す る

ようになったので, 1=1二

'I

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也予告の性格を維持しているといえょっ.

ま た , 一 元 集 荷 多 元 販 売 を 促 進 し た 「 不 足 払 い 法 」 の 施 行 に よ り , 酪 農 業 協 同 組 合 の 牛 乳 の 出 荷 先

に 若 干 の 変 化 が 生 じ た . す な わ ち , 酪 農 業 協 同 組 合 と 乳 業 メ ー カ ー と の 牛 乳 取 引 が 指 定 生 産 者 団 体 で

ある埼玉県経済農業協同組合連合会を通じて行われるようになったため,

m

乳 原 料 の 確 保 に し の ぎ を

削 る 必 要 が な く な っ た か ら で あ る . こ の こ と は 雪 印 乳 業 の 熊 谷 工 場 の 閉 鎖3 搾 乳 業 系 譜 の 森 乳 業 の 成

長にみられる. 雪印乳業は, より牛乳需要の多い東京に近接した干

i

!

乳工場ーで、の集中さ

i

ミ産方式を採用し

た の で , 雪 印 乳 業 全 体 の 企 業 戦111きのなかで, このに│二

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1

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距 離 に あ る 熊 谷 工 場 の メ リ ッ ト を 失 い , 操 業 を

中 止 し た の で あ る . 一 方 , 行EEI 市 周 辺 の 酪 農 家 や 任 意 団 体 の 酪 農 組 合 に

f

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乳 原 料 を 依 拠 し て き た 森 乳

業は,牛乳が過剰な今! ミ1, 埼 玉 県 ば か り で な く 他 県 の 指 定 生 産 者 団 体 か ら も 必 要 乳 量 を 供 給 さ れ る の でp 学 校 牛 乳 を 中 心 に 業 績 を 伸 ば し ス ー パ ー と の 契 約 で 関 東 以 外 ま で 版 路 を 広 げ , 興 真 牛 乳 に 近 い

搾 乳 業 系 議 の ミ ル ク プ ラ ン ト に 成 長 す る こ と が で き た の で あ る .

VI む す び

埼 玉 県 北 西 部 に お け る 酪 農 の 展 開 過 程 を 乳 業 資 本 と の 関 係 で 分 析 し た 結 果 , つ ぎ の こ と が 明 ら か に

ずょっナニ.

1

.

乳 牛 を 飼 育 し , 搾 乳 , 牛 乳 の 処 理 ・ 販 売 を 行 う 搾 乳 業 は

1875

年 ( 明 治

8)

年 , 熊 谷 出 で 始 ま っ

た. その後,搾乳業者は東京と向様,二l二族3 イ111石原や1'1¥1津 牧 場 の 関 係 者 お よ び 搾 乳 夫 を 通 じ , 熊 谷 ・ 深谷のl日宿場 fllJ ,1

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1

1主主 FHI Jを 中 心 に 小 都 市 ま で 波 及 し た .

2

.

搾 乳 業 者 は , 群 馬 県 の 赤 紙 牧 社 , 本

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て 武 蔵 畜 産 株 式 会 社 を 組 織 し た が , 解 散 し た . ま た , 搾 乳 業 者 は 酪 農 調 整 法 に よ る 戦 時 統 制 に よ っ て

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給 制 に よ り 搾 乳 業 者 の 乳

4

二 は 農 家 に 放 出 さ れ た り , 軍 隊 に 徴 用 さ れ た り し た の で ¥ 搾 乳 業 者 の 半 数 は 戦 後 牛 乳 販 売 広 に 転 身 し た り 牛 乳 産 業 か ら 撤 退 し た り し た .

3

.

酪 農 は 害j 苦Il I

J

の松崎孝了等によって始められた. 飴; 農の普及につれ搾乳業者の団体で、ある大型北

部搾乳組合連合会に対し大阜商古11酪農産業組合が組織された. この産業主

1

1

合は組合員の増加! とともに

大里郡酪農販売購買利用組合, t奇ヨ調布農販売 jV4-賀 利 用 組 合 に 改 組 さ れ , 戦 後 埼 玉 酪 農 業 協 同 組 合 と な

り? 本地域の酪; 農の発展の仁

i

コ心的な役割

l

を 果 た し た . 戦 後 , 酪 農 は , 農 家 に 複 合 経 営 の 一 日

1

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として

普及した. とくに,

1950

年 か ら

1960

年 ま で 乳 牛 乳 飼 養 率 は 水 出 地

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で も 上 昇 し た . と く に ほi荒 川 扇 状

地 の 洪 積 台 地 で 高 く , つ い で 利 根 川 の 河 川 敷 き を 活 用 し た 河 )11i当初基地域で、高まった. また,乳牛飼養 農家率は知i作 酪 農 で は

1965

年 ま で 増 加 し た が3 水

1

1

1

酪 農 で は 時 期 減 少 し た と い う よ う に3 洪積台地女

1

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作 酪 農J

7

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琵酪農および河

)1

1

酪農地帯で異なるという酪; 農展

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の地域性が認められた.

(18)

谷 集 乳 所 か ら 牛 乳 を 東 京 に ) 去 っ て い た 牛 乳 の 残 乳 を 処

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I n す る も の で あ っ た . 農 乳 の 市 乳 化 に と も な い

農村に:; 11と

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は , 東 京 の 牛 乳 統 制 会 社 東 京 乳 業 に 送 ら れ た . 戦 後 森 永 乳 業 東 京 工 場 の 操 業 に { 半 し 、 埼 玉 酪 農 業 協 同 組

合 のfriIT I担 は 東 京 集 乳 倒 に 本 絡 的 に 編 入 さ れ た . 一 方 ) iセ Gj

1950

年地元乳業会社の経営不服に伴し、進出し,

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酪 農 業 協 同 組 合 と 取 り 引 き を 開 始 し た . 一 方 , 雪 印 乳 業v土 地 元 乳 業 会 社 を 貿 収 す る 形 で 資 本 進 出 し た . つ ま り , 東 京 集 乳 簡 の 拡 大 と と も に 大 手 乳 業 資 木 に よ る 酪 農 地 域 の 分 割 ( 酪 農 業 協 同 組 合 の 分 裂 ) が 進 行 し た の で あ る .

5

.

東 京 集 乳 歯 へ の 編 入 に よ り 酪 農 業 に 分 解 が 生 じ た . つ ま り , 酪 農 に 専 門 化 す る 農 家 群 と 酪j長 か ら 撤 退 す る 農 家 群 と で あ る . そ の 結 果 は 多 頭 育 酪 農 へ の 発 展 と 乳 牛 飼 養 農 家 率 の 著 し い 減 少 と な っ て 現

れ た . 多

n

J l 育 際 農 の 進 展 ー は 組 合 員 の 便 宜 を 配 慮 し , 酪 農 業 協 同 組 合 の 支 所 形 態 の ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン を 族 生 さ せ た . こ の 支 所 形 態 の ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン の 絞 生 こ そ 1ケ 所 当 た り の 集 乳 量 が 少

な く , 集 乳 域 の 小 さ な 集 乳

l

惑 か ら な る 東 京 集 乳 圏 に お け る 酪 農 地 域 の 第

E

地 帯 ; の 特 色 を 示 す も の で あ っ た . し か し , 酪 農 家 に ユ ニ ッ ト ク ー ラ ー を 設 置 さ せ た 専 業 酪 農 の 出 現 は , 施 設 ・ 乳 量 の 点 か ら 酪 農

の 第

I

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地 帯 の 部 溶 集 乳 所 に 相 当 す る た め , 酪 農 家 の 相 対 的 減 少 お よ ひ 、 酪 農 業 協 同 組 合 の ベ ビ ー ロ ー リ

ー の 使 用 と 相 ま っ て 支 所 形 態 の ク ー ラ ー ・ ス テ ー シ ョ ン の 存 続 を 不 必 要 に し た . な お , 専 業 酪 農 の 進

展 司 は 土 地 利 用 や 農 業 景 観 か ら も 確 認 さ れ た .

謝 辞

本稿の資料収集にあたりj奇宝探燥林部畜産訪し埼玉部農業協同組合を

+

1

心とする専門農協の方々および多く

A ゥ ャ QセQ N

しj二げる. 最後に3 本研究の一部に昭和61 ・62年度文部省利学研究費一般研究C ( No. 61580199, 代 表 斎 藤 功) の一部を住用した.

註- 参考文献

1) 斎 藤 功 ( 1971) : 東京集乳閣における脱農地域 の空間病造. 地理学評論) 44, 271 セRXS@

2) 村本達郎 ( J 950) : 埼玉県の酪農業. 新j也JIIL 4( 3

・4・5),TYセUVN@

3) 鯨計二乳業有限会社 ( 1975) : 創業百年記念-1 0 0Soj二

のあゆみー. 鯨共二乳業有線会社 12P目

4) 松村牛乳の社長松本! 喜一氏からの開き取りによる

( 1968: . i三).

5) 大沢俊吉 ( 1987) : 森乳業九十五年史. 森乳業株 式会社 152 p.

6) -1-河一三 ( 1934) 大1'1::本牛乳史. 牛乳新聞社,

485 p. 附乳業者名鑑, 189 p. 1¥I:j全! 翠乳業者名鑑,

192 p.

7) 大沢 ( 1987) : 前掲 5) ,P107.

8) 全国飲用牛乳協会 ( 1962) : 全国牛乳処理業者名

鑑, TSセTUN@

9) 崎

::E

酪農業協同組合 ( 1966) :j育酪30年のあゆみ,

6p.

10) 森永製菓株式会社 ( 1964) ・「松│ 時半三郎」森永製 英株式会社, p. 239.

11) 森永乳業埼玉事業所の! 日高氏からの聞き取りによ る ( 1968守三9月301: 1). なお, 貸牛は群馬県東南部

や 水 戸 市 ( 栗 原j倖七郎 ( 1962) : 自信; 農の形成過程に おける乳牛賃借制. 農村研究, 17, SYセU QNI 認められた.

12) 斎 藤 功 ( 1987) Z iセi N

地理学研究, XI , URセUVN@

(19)

部農業産業組合の役員,埼玉県高産訪日隊員を歴任し,

セi￧ A ェ QQ

HQYXWセ↓ T RP 日)

14) 村 本 ( 1950) : 前掲2),p. 54.

15) 森 永 乳 業 五 十 年 史 編 纂 委 員 会 ( 1965) :

r

森 永 乳 業 五 十 年 史J 森氷乳業株式会社, p. 376.

16) 日 本 乳 製 品 協 会 ( 1953) ・日本乳業年慌, 1953年

J i瓦 227 ]).

17) 児 玉 郡 断 農 業 協 同 組 合 ( 1968) :20年 の あ ゆ みp

p. 2.

18) 雪 印 乳 業 史 編 纂 委 員 会 ( 1969) ・「雪印乳業史,第

3巻」雪印乳業株式会社, p. 62.

19) 埼 支 県 ( 1955) ・ 県 下 に お け る 「 牛 乳 流 通J セ iセセi す る 調 査 52] )

20) 斎 藤 功 ( 1987) : 東京集乳壁lの 拡 大 過 程 . 人 文 地理学研究, ) 江 39r-./65. とくに第 6 図参照.

RQI HQYVXI jゥAセ

j或の形成一一一東京集乳

i

霊! の拡大に関連して一一一. 地 理学評論, 41, 623...._.,640.

22) 関東京i J -I 操業試験場操業経営部 ( 1958) ・ 河 川 敷

利 用 地

:H

r

の掛燥化に! 認する調査字

1

2

7

1

7

.

操 業 経 営 部 研 究資料節目号, j). 15.

23) 埼 玉 献 農 業 協 同 組 合 ( 1985) :j均三[ 郎農ー五十年! と. 埼玉酪農業協同組合, ] ) . 211.

24) こ の よ う な 専 業 前 段 は , 東 京 よ り の 柄}lliliで 進 ん でいた. 農 林 省1益事試験場農業経営部 ( 1970) :農

ャセ ゥN [ゥャゥN 23j). およ び 斎 藤 功 ( 1983) : 東京都市! 習における近郊酪農 の展開と特色. 人文地理学研究, VlI, SYMVUN ュセN

25) 乳 業 施 設 の 充 実 に 実 証1'1 ' ']研究は,粥池俊夫( 1884)

: 洪積台地の戦後間j宅 地 に お け る 自 立 酪 農 経 営 の 成 立悲慌. ュセ |

34, 149- 176

RVI ェ iセャセゥ E!31:!:1六 郎 氏 か ら の 聞 き 取 り に よ る (1970:9三, 1983年2月)

27) Sai to, ,.1 Shi busawa, f,・Ki kuchi, T. and Mar u・

y ama, H. (1983) : The changes of l and use and

f ar mi ng t ypes inthe Kushi bi ki recl amat i on settl e輔

ment, nor t hwest er n part of Sai t ama Pref ect ure.

Ann. Rep., Inst. Geosci ., Uni v. Tsukuba, 9, 20,. - . . J25.

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-pr i ze, appear ed i n K u ma g a y a t own i n 1875.

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sashi Chi k us an (li vest ock) , to s uppl y f r esh mi l k a nd r ai ze dai r y c ows ¥vi t h non- l act at i on i n t he

mount ai n past ur es i n 1920' s.

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