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文 堀 イギリスの統治構造の特質についての一考・察

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(1)

イ ギ リ ス の 統 治 構 造 の 特 質 に つ い て の 一 考 ・察

堀 田 文

士 口  

(一)の(ロ)(つ h(・支)

(ロ∩o<Φ圃σqo{=9)

ヨーロッパ大陸のみならず︑全世界に大きな貢献をなしたロモン・ローの伝統をもつイギリスの統治構造(切.三聲

8器馨臨露)の特質について述べるのが︑本稿の目的である︒しばしばイギリスの統治構造は柔軟性(聞一Φ区一σ離搾楓)を

もっているといわれている︒このことが法的にどのような意味をもっているかを特に論及してみたい︒ジェニソグス

(1)は︑イギリスの統治構造の特質について︑次のように記述している︒

﹁大ブリテソ島は︑書かれた統治構造をもっていない︒近代国家の多様な機能の行使のために必要な諸制度は必要

イギリスの統治構造の特質についての一考察七三

(2)

神奈川法学

に応じて確立されてぎた︒即時的要求に間に合うように︑この諸制度が形成され︑より幅広く︑そして時には異なっ

た機能を行使するために適応されてきた︒時代によって︑政治的経済的諸環境は改革を要求する︒ここに発明と改革

のたゆまぬ過程と改善された諸権力の分配がある︒建物はたゆまず付け加えられ︑つぎ合わされ︑そして部分的に再

建され︑世紀ごとに新しくなっていく︒それは決して根底から破壊されるのでなく︑また新しい礎の上に再建される

のでもない︒もし統治構造が紙切れで諸制度を規定しているのでなく︑むしろ諸制度そのものから成立っているので

あるとすれば︑イギリスの統治構造は︑作られたものでなく︑成長してきたものである︒﹂

なぜイギリスの統治構造が大きな断絶をもつことなく︑ゆっくり発展してぎたかについて︑フランスの政治学者で

あり︑公法学者であるデュヴェルジェ(竃巴8U薯葭αq8は適切に次のように指摘している︒

﹁︽島国の民族はより自由(一騨ぎ.箒)な傾向がある﹀とモンテスキュはいっている︒︽海は島国を大ローマ帝国

から分離し︑そして暴君がそこにおいては勢力をもつ可能性がなく︑征服者は海によって阻止され︑島に住む人は征

服によって包囲されることなく︑かれらはより容易に自分たちの法を保持している︾︒島国であることは・大ブリテ

ン島に対し︑二〇世紀まで常備軍なしで済ませることを許していた︒一方フランスは自国の防衛に備えるためにシャ

ルル七世(69﹃蕾≦)以来︑常備軍を設置することを強いられている︒大王国(一Φ︒︒αq錘邑Φωα¢H身雲9①)において

は︑(常備軍という)抵抗できない圧迫の手段が剥奪されたので︑イギリスの君主は絶対権(ω80︒・<︒一﹃菩︒︒︒εを確

立することができなかった︒この立日心味において︑君主のこの試みは不成功におわり︑そして議会制の発展を促進させ

たのである︒この反対に︑常備軍はフランス国王が一六一四年のエタ・ジェネロ(一Φω閏U什9什の(}伽コひ﹃鋤=﹀ハ)を厄介払いす

ることを許し︑そして国王に抑制と制限なしに支配させることを可能にしたのである︒﹂

(3)

国際紛争特に戦争に︑イギリスが巻き込まれなかったことによって︑長い間かかって成長してきたイギリス法の伝

統を維持できたところに他国にみられない統治構造の力強さがある︒

イギリス法の発展は国王裁判所を中心に行なわれたので︑大陸法系にみられる行政権または行政裁判という言葉

は︑イギリス法の言葉ではない︒このことは︑はじめは国王が全ての権力を握っていたが次第にその大部分が国会︑

内閣︑裁判所の手に移っていった事実と︑法的には︑今もなお国王が大権を留保している事実から知ることができ

よう︒歴史のなかにおける国王の概念を法的側面からみれば︑それはよくいわれる国家の概念よりも具体的かつ現実

的なものであることも理解できよう︒そして︑国会︑内閣︑裁判所の手の届かない権力すなわち大権を法的に国王が

もっているから︑国王が主権者であることには︑昔と同様今も何の変更もない︒﹁議会における国王﹂(閤ぎσqぎ評﹃〒

智ヨΦ馨)は︑統治構造において国王が最高位の役職にあることを示している︒

中世以来イングランドの国王は臣下の諸自由と諸権利を守る義務を負っていたので︑大陸におけるような暴君には

容易になれなかった︒この歴史的事実を認識することが︑ある程度イギリスの統治構造の神秘性を法的にさぐる手掛

りになろう︒またこの統治構造は﹁統治構造の法﹂(捗ゲΦ}働≦Oh什げ①60"ω叶助峠¢仲一〇コ)と﹁統治構造の慣行﹂(窪Φ8コ<①緊圃︒鵠

︒暁8蕊葺9δ昌)に分類できる︒しかし︑﹁統治構造の法﹂という表現は遅くなって用いられるようになったのである︒

たとえぽ一七六五‑六九年に出版された有名なイギリス法釈義において︑ブラックストーン(ぐ﹃.じd回餌6腎自ロ峠O昌①)は﹁統

治構造の法﹂に関する項目を無視しているようにみえる︒イングランドは︑統治が基づくべき法原理を厳粛に宜言して

いるが︑﹁正式な統治構造﹂︑すなわち︑﹁書かれた統治構造﹂をもっていない︒一イギリス人は﹃正式に書かれた統治構

造﹄(一勲60コo自一伸嘗﹂け}O口体O﹁一榊郎Φ{O同監口Φ一一①)をもっていない︒そこでは危険がないので︑かれらは︑それをもつことを望まな

イギリスの統治構造の特質についての一考察七五

(4)

神奈川法学七六

いのである︒調和の追求のため︑柔軟な方法(9ωヨ︒窪&霧ω︒εδ︒︒)によって全てのことを解決しなければならない

というテーマの中に︑法の厳格性(貯憎お器母費紆o騨)を導入する傾向のある全ての手段に合致した書かれた統治構

(3)

(一動OO仲¢"OOO=もo仲一﹂仲一〇Φ一一Φ)(9ω

δ,qΦωぴqΦ﹃器2ρ)

(4)

(αqo)(偉・︒︒)

(5)

(9Φω<2Φh一すΦ)(什げΦ一①Oh [")

(一①αqω什讐)

!

((甲Φ︾ゴP一¢噌)(¢dhαq︒︒)(Φ

>3(﹂♪OOhし∩叶け一Φ8什)

(6)イギリスのこの中世社会の法構造が近代社会の発展に大いに貢献し︑このことが︑イギリス社会の継続と伝統を守

ってきたといっても決して過言ではない︒またイギリスの民主制(血Φ∋06墨畠)も︑統治構造と同様に︑中世の法の伝

統に基づいてゆっくりと成長してきたのである︒

(5)

イギリスの統治構造の特質を形造っている﹁国会主権﹂﹁法の支配﹂﹁慣行﹂は︑歴史の中で互いに関係をもちなが

ら確立したのであるが故に︑決してそれぞれが独立して存在しているのではない︒ここにイギリスの統治構造の基調

(ぎ葦o齢①)がある︒この基調は後に述べるイギリスの統治構造の柔軟性をささえるものといいかえてもよいであろう︒

前に述べたフランス人のイギリスの統治構造に関する見方を参考にしながら︑その特質を中心に記述してみよう︒

(1)7αqρ食ρ9Φ8εoPμ卜︒"7︒︒

(2)8u2αqω6帥︒δα韓δερΦ

(3)9σω8α︒︒ω

(4)b.︒︒ω

(5)︒︒ら︒

(6)

調

調(p︒︒︒oo

o簿o)o∩'o=し自二o8ohαqHG︒も︒9.

()()

七七

(6)

神奈川法学七八

(H=﹃ΦOhH騨α)

(oΦHも︒)

(けΦ9什ー一コO一Φh)

︒﹂

lOε什δOOhαQOω.

二 統 治 構 造 の 柔 軟 性 に つ い て

ローマの統治構造が旧世界(︒冠芝︒.εに作用したように︑イギリスの統治構造は新世界(器ξ藝︒二鳥)に大きな影

響をもたらした︒プライスはこの二つの統治構造が不断の研究に価するものであることを指摘している︒なぜなら︑

大陸法系に属する統治構造と︑コモン・ロi系に属する統治構造がもつ法的︑制度的︑歴史的意義は異なるからであ

(1)る︒プライスはヨーロッパの君主制とイングランドの君主制を比較して次のように述べている︒

﹁一四世紀におけるヨーロッパのいくつかの君主制は︑統治構造の一般原則では︑イングランドの君主制と類似

し︑どちらも同じ豊かで自由な発展に対する期待のようなものをもっていた︒前者(旧世界)においてローマだけが︑

他の君主制を破壊し︑あるいは吸収して存続した︒後者(新世界)においてはイングランドの君主制が一八世紀の末期

(7)

において幅広くその中にも力強さのある制度に成長した︒この制度は︑公の秩序(喜ぎ匿)と個々の市民の自由(酔7︒h.①Φ二︒ヨ︒=昌α一く一α=鋤一︒三N①コ)とを確保し︑そしてその制度に基いて・市崇意見を発表するデ﹂とができ・また国家の政策の進展に影響を与︑兄る.﹂ともできたのである︒(しかし)他の全ての君主制は独裁君主制になりさがったり︑あるいはかなり粗末な︑未発屡まま(の状態)にとどまっていた︒だから・ナポレオン征服の激発がおさまっ

た後になって︑ヨー・ッパ大陸の諸民禁畠な統治構造の璽皿を試み始めた時・彼らは・イングランドの統治構造の中提うべき︑最もふさわしい模範(ヨo鋤巴)寛つけ出し︑彼ら自身のあるいくつかの状態に・その原理を適用することをねらったのである︒﹂

イングランドの統治構造をささえる法制度のあるものが諸外国の統治構造の模範になった意味において・イングラ

ンドは︑自由な統治構造の生みの親なのである︒

大陸法系の統治構造と.モン.・素の統治構造の分類が︑どのようにしたら可能であるかということについて・

伝統的な分類は﹁書かれている法﹂(≦・葺Φ三睾)と︑﹁書かれていない法﹂(§藝Φ・9の区別によそいる・し

かし︑.﹂の区別は余りにも形式的すぎて︑実質的な相異を示し得ないし︑その上・私たちに何の尺度も与えてくれな

い︒﹁なぜなら︑現在私たちが知る.﹂とができるように全ての書かれた統治構造(ぐ刈﹃同叶酢Φ昌OO口ω叶#⊆峠一〇コ)においても書

かれていない慣例の要素があり︑またそれがなければならないからであり︑芳いわゆる書かれていない統治構造

(⊆昌≦.簾.コ6︒コ・︒憂¢鉱︒⇒)においては︑実際に拘束力あるものとして慣習や先例の欝かれた記録を扱う傾向が強いから

である︒そしてこの傾向は︑慣習から始まった書かれていない統治構造は︑常にいくつかの制定法を含んでいるので

あるが︑この記録を書かれていない統治構造に付け加えるのでなく︑正式に制定された法とほとんど等価値なものに

イギリスの統治構造の特質についての一考察七九

(8)

神奈川法学八〇

(2)するのである︒﹂

また・イソグランドの統治構造は︑人工的な成長でなく︑むしろ自然的な成長の結果である︒それ故︑その形式と

内容は非均斉的である︒それは︑異なった日付をもち︑先例に基いたルールを確認するための制定法や協定をもって

いるが・全て同じ権威を有するとみなされている︒他の統治構造は︑ヨ日心識的技巧の作口巴(♂くO吋評oりO{∩O口O一〇̀ω曽同什)な

のである︒統一国家を築くために︑理路整然とした制定法をもつことが︑近代国家にとって必要になった︒国家と国

民・国家と国家との関係をいかに定めるかξいて︑よく熟慮された成果が︑.あ統治構造なのである︒.あ二つの

タイプをプライスは旧.新(↓冨9α彗ロ誤ΦZΦ≦)と呼んでいる︒全ての古代.中世の統治構造は︑前者に属すけれ

ども︑他方ほとんどの近代的統治構造は後者に属する︒

三の区別は・おおまかに︑イソグランドとアメリヵにおけるコモン.・主制定法の間に引かれる区別︑あるい

は・ローマにおいて慣習法(一霧)と制定法(一Φ×)の間に引かれた区別と一致するので︑私たちは︑これらのタイプを

(ooOo)L(・︒一¢什︒.9・︒)

記述でき・Lしかしながら・﹁コモン・〒の統治構造﹂と︑需定法の統纏造Lの境界線がど.﹂にあるかは明白

ではない︒なぜなら・アメリヵにおいては︑コモン・ローの影響を強く受けているし︑イングランドにおいては︑ロ

ーマ法の継受の問題が︑最近特にあるからである︒

﹁コモン・ロー・タイプの統治構造をもつ国々においては︑制定法は︑以前の慣例を宣き口したり︑修正したり︑あ

るいは廃止するために成立する︒そして︑それは︑コモソ・ローの格量ロの部分︑事によっては大部分にとって代り︑

また・その後・その後継者となるので︑ついには︑二︑三の偉大な制定法において卓越したルールを見つけ出すことが

(9)

できる︒他方︑制定法の統治構造は︑解釈によって発展され︑判決によってわくがつけられ︑そして慣習によって拡

大され︑あるいは︑ゆがめられるようになるので︑時がたつにつれて︑その原文がもはや︑その十分な効果を表わす

(4)ことができなくなる︒﹂

コモン・ロー・タイプに属する統治構造において︑統治構造の法が︑制定法タイプで存在しようが︑あるいは︑慣

習を定義し︑また慣習と一致する記録された判決タイプで存在しようが︑制定法に抵触しない隈り︑全く同じ国土の

法のレベルに置かれる︒

﹁このような統治構造は︑通常法を作成するのと同じ権威から生じる︒そして︑それは︑通常法と同じ方法によっ

て公布されたり︑あるいは︑取消されたりする︒このような場合︑﹃統治構造﹄は前に述べた意味と︑国土の政治制

度の形式と配置を決定するために︑多くの国土の制定法と慣習が意味する以上のことは表わしていないのである︒そ

して︑(現在みられるように)いかなる個別法(霧団冨益2一母鍔毛)が政治的統治構造の部分であるかということはし

(5)ばしば困難をともなう︒﹂

(6)続いて制定法の統治構造について次のように述べている︒﹁より新しい︑または︑制定法の部類に属する他の統治

構造のほとんどは︑それが律する国土の他の諸法律の上に存する︒このような統治構造が1ーパ体化された文書(あるい

はいくっかの文書)は︑他の諸法律が生ずる源と異なる源から生じ︑異なった方法によって廃止され︑かつ上位の効力

(留℃Φユo﹃h︒﹃8)をもたらすのである︒それは︑通常の立法部の権威でなく︑むしろ︑あるより高いまたは特別に権

限を与えられた人あるいは機関によって制定される︒この文書が変更され得る場合は︑それが︑このような権威︑ま

たは︑専門の人または機関によってのみ変.更できるだけである︒この文書のいかなる規定も通常法と抵触する揚合︑

イギリスの統治構造の特質についての一考察八一

(10)

神奈川法学八二

この文書が効力をもち︑通常法は道を譲らなければならない︒﹂コモン・ローの伝統をもっている国家においては︑統

治構造も通常法も︑同じ国会と同じ立法手続によって制定され得るので︑全ての法は︑同じレベルにあり︑かつ同じ

効力をもつのである︒イングランドは︑ただ全ての市民と全ての場所に効力をもたらすことのできる国会制定法を確

立する唯一の立法部の権威すなわち国会をもっているのみである︒従って︑統治構造の法と呼ばれている法は︑通常

法の内容とは異なっているが︑しかし︑それは異なった効力をもっていない︒プライスは︑これについて実例をあげ

(7)て︑次のように述べている︒

﹁このような法をまとめてイギリスの統治構造と呼ぶのであるが︑それは︑いかなる時でも︑他の法律と同じように

通常の立法部の権威によって変更できるものなのである︒マンチェスターからリヴァプールまでの鉄道を敷設するた

めの制定法と︑全ての主婦にまで選挙権を拡大するため︑あるいはアイルランドにおけるプロテスタント監督教会

(夢ΦΨ9Φω訂三智一ω8℃巴9霞9)の国教制を廃止するための制定法との問には︑形式の点においても︑または権威の

程度においても何の差異もないのである︒﹂このようにコモン・ローの統治構造は︑通常の立法手続によって少しず

つ変化しているのであるから︑止まることを知らない︒これに対し︑制定法の統治構造は︑特別の立法手続によらな

ければ︑変更できないので︑容易にそれが変化できるようにはみえないのである︒プライスはこれらを..竃︒<ヨαq.︑鉛鼠︑.曽馨三︒蔓︑あるいは絹ξQ︑.睾臼.ω9箆霞o曙ω什巴一一N8︑"と名づけている︒この二つの統治構造の性質について︑みご

(8)とな表現で彼は次のようにいい表わしている︒﹁ある者が液体の成分を変えようと望む時︑彼はある他の液体をつぐ

か︑あるいは液体の中で固体を溶解してから︑その混合物をふるのである︒しかし固体の成分を変えようと欲する者

は︑最初にそれを溶解するか︑またはガス状にしてからまぜ合せるか︑あるいは︑(普通の場合のように)他の物質を抽

(11)

出するのである︒﹂

ここで一言しておかなければならないことは︑コモン・ローの統治構造は︑液体のような性質をもっているのであ

るが︑それは︑名誉革命以後確立した﹁法の支配﹂﹁国会主権﹂の特徴を保持しながら︑変化しているということで

ある︒その上︑この統治構造は基本的と呼べないようなより小さな規定をもち︑また︑明白に統治構造の法と呼べな

いものをももっている︒イングランドにおいては︑統治に関する権力と市民の諸自山︑諸権利を定義するための基本

法(h=鵠鳥9§Φ﹃F齢㊤一一"類)は存在しないのである︒冊私たちが︑今︑連合王国の統治構造と呼ぶものは︑人の記憶の中に

伝・尺られた︑または書かれて記録された先例のかたまりであり︑法律家と政治家の傍論(︒裏興脅ε葛のかたまり

(oωεもα)(αqΦ︒・)(§αq)

らのほとんど全てのものは︑先例と慣習を前提とし︑かつ先例と慣習とがまぜ合わさってでき︑そして︑それらは全

て判決と政治的習慣の寄生的成長(勺鋤.帥︒︒叶ぎσqお毛窪)によっておおわれているところのかなり小さな細部の事柄を含

んでいる制定法︑公法と同様に私法にも関係している制定法ーをともなう統治方法に関する信念のかたまりなの

である︒これから離れて制定法はほとんど動かないであろうし︑あるいは︑少なくとも制定法が実際あるものから︑

(9)その作用は全く異なるであろう︒﹂このような点からみて︑特にイングランドの統治構造は︑政治的経済的法的背景

を考慮に入れ︑それを歴史の中で制度的に位置づけない限り︑正しく理解できないように思われる︒

事物(事柄)がある以上︑それを記述する名辞がなければならない︒人間は理解したことをできるだけ正確に他人

に伝︑兄なければならない任務をもっている︒事物と名辞とどちらが真実に近いかといえば︑それはもちろん事物であ

る︒これに関連して︑プライスは畏ある言葉で次のようにいって馳・﹁あなたがたは・丘が平原のどの点まで続

(12)

神奈川法学八四

いているかを確定できないけれども︑丘は丘であり︑平原は平原である︒﹂と︒これと同様に︑よりあいまいな号口葉

である統治構造の精神(9三什︒=冨9易葺&8)︑統治構造の原理(℃門一鵠︒昼Φ︒=,ΦO︒コω葺信二︒ロ)の名辞を誤りなく

把握するためには︑歴史的制度的に検討することが必要なのである︒

統治構造を分類するためのリストを作成する困難さは︑各国が異なった歴史と法制度をもっているが故に︑画一的

にそれを分析できないところに存するのである︒

﹁たとえば・イギリスの制定法のリストには内閣に関しては何もないし︑貴族院と庶民院の関係については全く何

もない︒外交問題に関する庶民院の統制︑国王の取るべぎ義務︑あるいはあるヶ⁝スにおいて国王が国会制定法を無

視できることが可能な権利︑国王の大臣の助言の項目について︑何の光も与・兄られていない︒しかし︑制定法はイギ  レ

リスの統治構造を作り上げる明白で最も扱いやすい資料の部分を形造っている︒﹂ここにみられるように︑イギリス

の統治構造は︑慣行とそれを確定する制定法にささえられているのである︒

柔軟性のある統治構造は︑未開社会の状態に最初に生まれるものである︒なぜなら法の第一の源である慣習から生

じるこの統治構造は︑普通の政治的社会が用いることのできる︑最も簡単で明確なタイプに属するからである︒法に

よって紅織化された政治的社会は︑確認された諸機関と明確な諸権利を確立することによって恒久的な制度を築き上

ずることができる︒イソグランドはまさしくこのカテゴリーに属する︒ヘンリー六世治世の下で︑主席裁判官であった の 

フォテスキュは︑イソグランドの統治構造の主な枠組が︑すでに明白に描き出されていると次のように指摘している︒

﹁この段階に達した時(統治構造の主要なライソが描かれうるようになった時‑筆者註)︑時には︑この統治構造のルー

ル・あるいはその中にあるものに対し︑効力と恒久性の例外的地位を与えられるよう努力した︒このようなルール

(13)

は︑特別な尊厳をもつ文書に具体化されるようになり︑またそれが宣誓によって守られるようになったのである︒﹂

コモン.ローの統治構造のために提案された..霊①近三①霞瞑ロ置︑.という言葉は︑統治構造がもつべき堅実性(Q∩O一一匹騨図)

と恒久性( ℃ΦHヨ鋤コΦコ6Φ)を保障することなく︑ただ不安定のみをもたらしているようにみえる︒この統治構造は絶え

まのない変化の状態(麟︒︒痘80h℃①趨卑碁=ごメ)にあり︑決して︑停止しないので︑この感が一層強くなる︒通常の

立法の権威と手続によって制定されたり︑変更され得る柔軟性のある統治構造は︑度々︑大きな変化に服し︑その上

容易に国会制定法を廃止できるので︑この統治構造は︑公の秩序と私的権利の保護に十分な保障を与えていないよう

にみえる︒しかし決してそうではないのである︒なぜなら︑イギリスにおける過去の法の伝統はぬぐいさることがで

きないのであり︑過去の記憶は未来を形成する資料であり︑エネルギーであるからである︒

プライスのいうように︑ある者の性格は︑毎日無意識的に彼がなす行為︑彼のいだく思想︑彼のもつ感動によつ

て︑変化するのであるが︑しかし人格の基本的な要素には途く変化がないと同じなのである︒

統治構造の法は通常法と同様に自由自在に制定され︑変更され︑あるいは廃止され得る︒この意味における主権の

(13)概念について︑プライスは次のように説明している︒

﹁主権の行使(9①賃糞︒奮︒h子①の︒<⑦﹃蝕αq口℃︒≦臼)は国会にゆだねられている︒そして場合によっては︑国会が

かつて(一八八三年四月九日)爆薬法(団×覧︒・︒一<Φ>8が議暫規則の停止している状態で︑二︑三時間内に.庶民院を通

過し︑ただちに貴族院も通過し︑翌日国王の同意を受けた場合のように︑時には特別な敏速性で行動するのである︒

完全な法形式をもった統治構造の最も神聖なルールと原理(マグナ・カルタ︑権利章典︑王位継承法)も爆薬法が通過し

たのと同じ位すばやく廃止することができるのである︒﹂

イギリスの統治構造の特質についての一考察八五

(14)

神奈川法学八六

しかしながら︑そうすることは︑イギリスにとっては輝かしい法の歴史をくつがえすことを意味するので︑不可能

のようにみえる︒イングラソドにおいて︑広範囲にわたる変化をなしとげた法的権利義務が長く存続し︑そして濫用

されなかった事実は︑国会の権力行使に際して︑国会を慎重にし︑かつ節度あるものにしたのである︒現在において

は特に︑イギリスの統治者は︑めったに権力を濫用しそうにないことも︑国会の運営をスムーズにする原因になって

(14)いるようにみえる︒

(15)国会主権をもつイギリスの統治構造の長所の理由についてプライスは次のように述べている︒﹁より深い理由は︑

次の事実に見い出すことができる︒すなわち︑法︑先例そして慣習のかたまりの形式から生じた統治構造は︑一般市

民が︑この統治構造を読むよりも︑彼らの心にとってより神秘的であるが故に︑より尊厳的であるばかりでなく︑一

般市民にとって︑彼らの思いのまま︑または勝手になると感じられないものなのである︒一般市民が理解できる文書

に具体化され︑起草され︑そして彼らの投票によって制定された統治構造は︑古さ︑または神秘さの要素は何ももっ

ていない︒これは︑国民主権(o︒︒<Φ器おコ蔓o断需oユΦ)から生じ︑彼らに対し︑より意気を高くするもの以外に何も暗

示していない︒遠くそしてかなり神秘的な源が統治構造に与えている尊厳は︑これが王室と共になしたと同様

に︑古代世界と中世世界において︑宗教的結社(話嵩伽qδ猛9・コ︒切o島糞・二8紛)によって高められてきた︒ギリシアとイタリ

アにおける都市の守護神(夢Φ什巳︒樹員脅三霧ohgo臨身)は︑最も古い法を見守っていたのである︒中世国家におい

て︑国家の秩序は神の意志の現れ(碧Φ尊﹃Φ盗︒コ︒=9≦出一〇hO&)にみられたのである︒これらの所感は︑近代世

界から追放されたけれども︑古い統治構造が進歩的発展の長い過程であり︑またやや俗化した言葉を用いれば︑進化

の長い過程を表わす事実は︑想像的あるいは哲学的精神(冒9ひ︒,陣轟二く①霞喜ぎ︒・o℃三︒騨一三ヨ︒︒)に基く要請をその過程

(15)

に求めるのである︒L

国会主権あるいは国民の諸自由と諸権利の原理は︑イギリスの統治構造において︑法制度︑政治制度の長い伝統

に根を深くおろしている︒このことを簡単に観念的に考えることは︑イギリスの統治構造を誤って理解する危険性を

ともなう︒柔軟性のある統治構造は硬直性のある統治構造に比べて伸縮性がある︒そして︑この統治構造は︑緊急

事態に対処するために︑統治構造の構成要素を破壊することなしに︑統治構造が拡大されたり︑または曲げられ得

る︒﹁というのは︑自動車が通るために︑一方の外側の枝が押されるように︑緊急事態がすぎ去った後では︑それ

(統治構造i筆者註)は︑その古い形態にもどるということである︒まさしくこの形態は固苦しく定められていない

ので︑蒔的な変化は重大な変化に感じられない・確立した秩序を尊重する感情は・動揺しないので舞・﹂

中世のギリシアとイタリアの都市は︑隣国によっておびやかされる時はいつでも︑独裁者にその防衛をまかせた︒

しかし︑その危険がなくなってからも︑独裁者が︑絶対的権力を保持し続けたのである︒平和の時でも︑戦争の時で

も︑独裁者が常に強力な権力をもつことによって統治構造は破壊され︑ついに︑統治構造はもとの状態に回復できな

いようになる︒しかし︑﹁私たちイギリス人はこのような独裁者を任命しなかった︒なぜなら︑幸にも後になって実

質的(﹁⑦巴)よりも︑むしろ名目的(昌︒忌欝帥一)な行政部の恒久的首長をイギリス人はもち︑そして古代世界の都市国家

が恐れなければならなかった危険にめったにさらされなかったので敵馴ごと・イギ呉の国王は・〒︒ッパ大陸

の国王のような非常権(︒図茸8a圃轟曙℃o≦Φ﹃)を与えられなかったのであるが︑しかし︑国王大権をもっている︒この

あいまいな大権は︑庶民院の意思に反して効力をもつことはできない︒しかし国会が確立した制定法よりも︑法的に

は︑国王大権が有する影響力は大きいものである︒この国王大権は︑実際上︑国会制定法や慣行によって縮小されて

イギリスの統治構造の特質についての一考察八七

(16)

神奈川法学八八

きた︒﹁国内で起り得る無秩序を抑圧する緊急手段は︑国王の法的権限をこえ︑海外での軍事作戦は︑慣習で確立した国王の通常の自由裁量権と権能をこえているといってもよいであろう︒﹂国王は︑現在もなお万一の場A口にしか行

使できない国王大権を法的には保持している︒

イギリスの統治構造のもつ柔軟性は︑革命を防ぐことができるか︑という質問に対し︑社会の継続性に基いた改良

の可能性を歴史的に証明しているようにみえる︒硬直性のある統治構造(空αq箆o︒口︒︒捧亡二︒.)を変更するためには︑

特別の立法手続によらなけれぽならない︒もしこの統治構造を変更したい国民が多数いたとしても︑これが実現する

ためには︑国家を揺り動かす政治闘争と︑この統治構造の敵意を換起する運動によらなければ︑不可能である︒そし

て︑もしこの統治構造を変更したい勢力が大きくなればなる程︑過去の伝統︑改良を保持することさ︑兄︑破壊される

であろう︒しかしながら﹁より容易にかつ敏速に変更でき︑そして常によりしっかりと融合し︑かつ結合力のある構

造をもっている柔軟性のある統治構造は︑破壊することなく︑曲げることができ︑民衆の要求に答えるような方法で

修正することができること︑個々の論争で争っている一つの勢力の服従1この服従は︑いかなる法︑または他の正

式な文薯に具体化されていないけれども︑従われるであろう先例として認められた服従によって革命からのがれ

ることができるので麟・﹂たとえば・かつて貴族院で主張されていた金銭法案(暮⇒書量を変更しうる権利の消

滅は・この;の例で豹・そして・驚くべき努力なし続治構造を変更し得る国会主権の要請は︑革命党(§身

︒h器<︒葺ざコ)をより非暴力的にすること︑抵抗党(餌竃二︽()P¢・︒巨留9)をより少ないがん固さにすることであり︑

このことによって議会の自由な発展がイギリスにおいて可能になったのである︒イギリスの統治構造は変化の継続の

歴史的成果である︒革命時の権利章典(ゆ已︒{差ぴq7芭または一八三二年の選挙改正法(閑瓜︒§>9)でさ・兄︑過去

(17)

における制度を実質的なものにするための保障を与えているだけである︒この意味において︑いつも統治構造は︑同

じもののようにみえるのである︒イソグラソドの統治構造をテユダー王朝の君主制から︑今日の金権主義(℃ご8自蓉︾︑)

と呼ばれるようなものに変えさせたものは︑国王大権の制限と︑選挙権の拡大の過程であると︑プライスは指摘して

い(華この二つの過程は比較的ゆっくりであるが・同じ方向に進行していた︒イギリスの統治構造が少しずつ改良さ

れることが許されたことは︑中世の法構造にささえられた国会の権力の成長によっている︒そして︑このことはジェ

ームズニ世が国を支配するのをやめてから︑イングランドは︑事実統治構造が根底から揺り動かされるような経験

を︑幸運にも︑もたなかったことにもよっている︒

後になって︑庶民院が内閣の手に委ねられ︑そして党機関の権限が非常に強くなったので︑各内閣の首長は︑一種

の独裁者のようにみえるようになった︒しかし︑彼は︑名目的には庶民院から︑実質的には︑選挙民から彼の権限は

引き出されているのであるから︑法制度上︑決して独裁者になり得ないのである︒

柔軟性のある統治構造が破壊される原因は︑革命によって従来の法制度を維持することが不可能になるか︑あるい

は︑それが硬直性のある統治構造になるかの二つがある︒柔軟性のある統治構造を危険なく運用するためには︑法

的︑政治的︑哲学的︑宗教的知識が要請され︑その知識を人々が︑毎日の生活の中で試さなければならない︒

﹁スイスの森の諸州のような小さな共同社会においては︑慣習に対する愛慕心を見出し得るのである︒なぜなら︑

そこにおいては︑伝統が国民生活に移り変わり︑古びた形式の維持は︑地方の誇りに関する事柄であるからである︒

しかし︑大きな国家においては︑ただ教育のある者が長い歴史と共にある複雑な制度の調整を理解することができ︑

バカ この制度の作用に従うことができ︑そして︑その法原理を適用できるだけである︒﹂小さな国であるスイスと同様に︑

イギリスの統治構造の特質についての一考察八九

参照

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