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生産システム論の再構成 ──労働研究と経営研究の統合に向けての試論──

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(1)

──労働研究と経営研究の統合に向けての試論──

齋 藤 毅

(社会学研究科産業関係学専攻博士課程後期)

1.はじめに

2.チームコンセプト論から知的熟練論へ──労働研究アプローチの意義──

2. 1.チームコンセプトをめぐる議論の弱点 2. 2.知的熟練論の方法論

3.「知的熟練論批判」の批判的検討──経営研究の不在──

3. 1.熊沢誠による知的熟練論批判──労働者の合意形成──

3. 2.野村正實による知的熟練論批判──生産性への貢献度──

4.知的熟練論の再構築──経営研究との統合アプローチ──

4. 1.職場からの接近──生産管理の解明──

4. 2.マネジメントからの接近──能率管理の解明──

5.おわりに

1.は じ め に

1980年代以降,製造業を中心に日本経済が国際的な地位を確立し,なかで も世界的に注目されたのは日本自動車企業の生産性の高さにあった。特に欧米 では,日本車メーカーの競争力の源泉である日本的生産システムへの関心が高 まった。アメリカでは,MITがこれを「リーン(無駄のない)生産方式」と 命名し,大規模な調査を通じて,この生産方式を採用する日本の工場が品質と 生産性の両面において優れていること,ならびにその競争力の源泉が労働者の 柔軟な働き方に基づく職場の協力体制(「チームコンセプト」と呼称)にある ことを明らかにした(Womack et al.[1990])。一方,日本では,このチームコ ンセプト論とは全く異なる研究方法をもって,日本企業の競争力について独自

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(2)

の論の展開をなし得たのが,小池和男の知的熟練論であった(小池・猪木編

[1987],小池[1991],小池編[2001]等)。

このうち後者の知的熟練論は,生産職場の技能形成の特性に焦点を当て,日 本企業の生産性の高さを論理的に説明できる有効なアプローチを提示し,わが 国の競争力にかんするその後の研究に大きな影響を与えてきた。しかし,生産 現場の技能だけから日本の生産性優位を説明するのは無理があるのではない か,というこの理論の根幹を揺るがす重大な論点が提起されて,行き詰まりを みせる(代表的な批判論者として野村[1993, 2001])。知的熟練論がどうして こうした限界に至ったのか。このことを知的熟練論の方法に注目して吟味して みると,この理論が職場の技能を規定しているマネジメント(経営管理)を研 究の視野に入れていないことにその根本的な原因があると考えられる。

以上のように,1980年代にいたるまで日本の製造企業は国際市場において 極めて高い競争力を発揮し,その経営手法の国際比較優位が世界的に注目され てきた。一方,日本車メーカーの国際市場への台頭を契機に1980年代から米 国自動車産業のビッグスリーは,日本にキャッチアップすべく日本型生産シス テムの導入を試みてはきたものの,必ずしもその努力は実を結んでいない(藤 本[2004])。2008年秋からのアメリカ発の世界的金融危機を契機に,アメリ カのビッグスリーがいずれも破綻寸前に追い込まれているのは,このことを象 徴している。

それでは,日本型生産システムはどうして海外への移植が困難なのか,日本 の経営方式が持つ強みの普遍性と特殊性とはどのように理解すべきなのか。こ れら日本の経営に関する本質的部分の理解が長期にわたり未解決のままに残さ れている。この点にかかわって,1990年代以降の日本のバブル崩壊後,手の ひらを返したように日本の経営の脆弱さが指摘され,アメリカ型経営手法に追 随すべきであるという極論が幅を利かせることになる。このように,日本の競 争力分析は,景気変動の波に翻弄されながら,その評価は揺れ動いてきた。つ まり,日本企業の競争力についての本質的理解が不十分であったためである。

本稿の目的は日本製造業の強みの本質をものづくりの現場に焦点を当てて解き

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(3)

明かしてきた労働研究の方法論を再検討し,この方法的吟味を通じて日本企業 の競争力を分析するにあたってのフレームワークの再構築を試みることにあ る。

本稿ではまず,方法論に注目した既存文献レビューを通じて,小池和男の知 的熟練論をはじめとする労働研究が日本の競争力を現場そのものに焦点を当て て分析してきたことの意義と限界を探る。次に,その限界を克服するために は,この研究の方法上の強みをマネジメントの研究に活かすこと,つまり労働 研究と経営研究を接合させることの重要性を指摘する。最後に,この統合アプ ローチによって,トータルな日本の経営方式の強みを説明しうることを提示す る。当然のことながら,日本の経営の特徴については経営学の領域で多様な研 究の蓄積がなされてきた。したがって,本稿は労働研究の研究成果を経営学に つなぐための試論として位置づけられる。

2.チームコンセプト論から知的熟練論へ

──労働研究アプローチの意義──

日本の製造業の国際競争力に関する研究は,労働研究のみならず,経営学の 分野をはじめ多数存在するが,バブル崩壊後の視点に立って日本製造業の強み を改めて明らかにした研究の代表は藤本隆宏による技術論的アプローチである

(藤本[2004])。

藤本の技術論的アプローチは,従来の経営学における日本の経営に関する研 究が生産技術そのものに言及することなく論じられていたのに対し,日本製造 業の競争優位の源泉を生産技術の技術特性と現場の組織能力との適合性という 視点からとらえ直したことは日本型生産システムの研究に新たな地平をきり開 くものである。

ただし,藤本は日本型生産システムの強みの本質を特定の生産技術特性に適 合できる組織能力に求めたものの,その組織能力がどのように形成されるの か,そのメカニズムを十全に解明しているわけではない(藤本[2004],p.

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113)(1)。それを明らかにするには組織能力の源泉である生産現場の研究が不可 欠である。

藤本が説く「組織能力」にかかわって,日本の競争力を生産現場の「技能」

そのものに焦点をあてて解き明かそうとした研究分野として労働研究アプロー チをあげることができる。

労働研究の分野では,1980年代以降の日本製造企業の競争力はどのように 記述され分析されてきたのか。その方法論に注目して研究を跡づけてみると,

およそ次の二つに分類することができる。ひとつはMITの研究(Womack et al.[1990])に代表されるチームコンセプト論であり,もうひとつは,これと は全く別の認識方法に基づいて独自の論を展開した小池和男の知的熟練論であ る(小池・猪木編[1987],小池[1991],小池編[2001]等)。勿論,両者は 日本の競争上の優位を生産現場の技能に求める点では共通する。しかし,技能 それ自体の認識の仕方において双方は大きく異なる。チームコンセプト論で は,日本車メーカーの競争力の源泉が労働者の柔軟な働き方に基づく職場のチ ームワークにあると指摘する(Womack et al.[1990], p. 124)。しかし,それ以 上立ち入って技能の実態的記述がなされておらず,技能の理解が抽象論にとど まっている。そのため,技能と生産性の関係が具体的にどのようなプロセスで 関連しているのかが不明瞭であるという欠陥があった。

これに対して小池和男の知的熟練論は,[図表1]の澆に示すとおり,技能 はライン作業内部の「問題と変化への対処」能力である,と着眼点を明確に打 ち出すことにより,限られた狭い範囲ではあるが技能それ自体の内実に迫るだ

図表1 知的熟練論の方法的見地 定常業務

(ふだんの作業)

非定常業務

(ふんだんとちがった作業)

生産ライン外

(off-line)

漓QCサークル,提案制度,

改善活動。

生産ライン内

(on-line)

滷標準作業。 澆「問題と変化への対応」

(「知的熟練」の発揮)。

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けでなく,技能とその生産性の関係をきわめて明快に説明している。つまり,

方法論的にみて,小池和男の熟練研究の意義は,工場労働の一部に着目した限 定的な理解でありながら,日本企業の競争力をこれまでになく論理的に解き明 かしている点にある(2)

以下この節では,まず,上に述べたチームコンセプト論をとりあげ,この理 論の方法に注目した検討をおこなう。この考察を通じて,チームコンセプト論 には方法論の不在という,社会科学にとって致命的な欠陥があったことを指摘 する。次に,そこで確認されるチームコンセプト論の弱点を,小池和男の知的 熟練論はどのようにして克服しているかを示す。本節ではこれら二つの課題に 取り組むことにより,企業の競争力分析において労働研究がいかに有効なアプ ローチであるかを示す。なお,この節では労働研究アプローチの意義を中心に 言及し,その限界については次節で扱う。

1. 1.チームコンセプトをめぐる議論の弱点

まず,日本製造業の国際競争力の源泉に関する代表的な理解の仕方のひとつ であるチームコンセプト・アプローチを取り上げ,このアプローチを方法的に 吟味したい。

そもそも日本の製造業は本当に強かったのか。また,仮に製造業が強かった にしても,何がどれほど強かったのか。これらの点についてまず確認しておき たい。

日本製造業の国際競争力に関する比較調査研究としてMIT主催の国際自動 車共同研究プログラム(IMVP)の報告書(ウォマック他[1990])がある。こ の調査研究では,日本製造業の国際競争力の特質とその要因について生産面,

開発面,購買面の三つの側面からトータルな説明がなされているが,本稿では 生産面に限定して説明する。なぜなら,労働研究がこれまで研究の中心にして きたのが生産面であるためである。生産面における日本の強みの実態につい て,この報告書では,自動車の最終組立ラインにおける物的な労働生産性の国 際比較により,総じて,日本の自動車メーカーの生産性が高いことが指摘され

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(6)

ている。具体的に調査結果をみてみよう。

調査対象は自動車の最終組立ラインにおける生産性と品質の実績平均の三地 域比較(日本・米国・欧州)である。その地域別の実績は次のとおりであっ た。

ここで確認されるべきは,生産性と品質の同時達成が困難であった欧米の自 動車メーカーにたいし,日本車メーカーは生産性と品質の各方面において競争 優位を示している点にある。また,北米進出日系工場が地元米国工場を凌いで 日本工場に匹敵するほどの競争力を示しているのは,日本企業のもつ何らかの 要因が影響していると考えられる。

従来まで欧米の自動車メーカーで主流だった大量生産システムの下では,画 一化された製品を大量生産することで低価格を実現することが重視され,故障 率や欠陥率など品質面の重視はコスト面を犠牲にするものとみなされ,一側面 の優先は他の側面を疎かにするという常識が浸透してきた。しかし,その両立 が実現可能であることを日本の自動車メーカーが国際市場における競争優位を 確立することで世界に示したのである。ここに日本企業の国際競争力の特質が あった。

図表1−1 生産性(1台あたりの投入労働時間)の平均

日本 米国 欧州 北米進出日系企業 労働時間平均(時間) 16.8 24.9 35.5 20.9 日本を100とした指数 100 148 211 124 出典:IMVP(International Motor Vehicle Program)の1989年調査結果の抜粋(Womack

et al(1990)pp−107・図3−3より作成

図表1−2 品質(100台あたりの欠陥数)の平均

日本 米国 欧州 北米進出日系企業 欠陥数 52.1 78.4 76.4 57.4 日本を100とした指数 100 150 147 105 出典:同上報告書pp−107・図3−3より作成

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日本の国際競争力を支える要因は何だったのか。米国のMIT主催の大規模 な調査により明らかにされた日本製造業の国際的な競争優位の要因は,リーン な(無駄のない)生産体制とその運営を支える生産職場(チーム)の技能であ った。このうち,まずリーンな生産体制から説明する。具体的に,工程レイア ウトにおける日本工場と米国工場の比較調査の結果をみてみよう。

米国工場では在庫の山積みや巨大な手直しスペースが存在するのに対し,日 本工場では在庫や手直しスペースが切り詰められてコンパクトな工程レイアウ トが導入されている。工程レイアウトにおける日本工場の特徴が余分な在庫や 手直しスペースの排除にあることから「リーン(無駄のない)生産方式」(同 書,p. 129)と呼ばれる。

これまでの米国工場では余分な在庫や手直しスペースの存在は,専門職員が 設備故障や不良品の発生などの生産問題に対処するための猶予時間を提供する 安全ネットの役割をはたし,安定的な生産を可能にする一因であった。だがし かし,日本工場のリーン生産方式ではこの安全ネットが排除されている。生産 問題への対応の緊急性が増し安定的な生産が困難になると予想されるにもかか

図表1−3 在庫時間の平均

日本 米国 北米進出日系企業

在庫時間の平均(日・時間)0.2日(4.8時間) 2.9日(69.6時間) 1.6日(38.4時間)

日本を100とした指数 100 1450 800 出典:IMVP(International Motor Vehicle Program)の1989年調査結果の抜粋(Womack

et al(1990)pp−116・図3−7より作成

図表1−4 組立部の面積に対する比率の平均

(最終工程の不良品手直しスペースの広さ)

日本 米国 北米進出日系企業

組立部面積に対する

比率の平均 4.1% 12.9% 4.9%

日本を100とした指数 100 315 120 出典:同上報告書pp−116・図3−7より作成

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わらず,日本工場では生産問題への迅速な対応が恒常的に実現されている。何 故か。そこで注目されたのが直接生産労働者の技能であった。

ウォマック他の説明によれば,「工場内で,いつどこでどんな問題が起きて も,解決能力のある従業員全員が手を貸すために走る。というわけで,リーン な工場の真髄はダイナミックなチームワークにある。」という( 同 書 ,p . 124)。つまり,伝統的な米国工場における過剰分業体制下では生産管理上の問 題解決活動などの思考的業務は専門職員に独占され,生産労働者は定型的な繰 り返し作業に従事するだけであったのに対して,リーン生産方式の下では,思 考的業務の権限が労働者にも委譲されており,生産管理上の問題解決活動に労 働者の協力がある分だけ現場(チーム)の生産問題への対応力が向上し,リー ンな生産体制であっても安定的な生産が可能になっているというのである。ま た,労働者に委ねられる権限は,この(現状維持的)管理の権限だけでなく,

自分たちの作業場環境を自分たちが作業し易いように改変できる改善の権限も 含まれるという。このように現場の管理・改善といった思考的な業務が,生産 労働者を巻き込んでチーム構成員全員によって取り組まれていることをさし て,日本のリーン生産方式はチームコンセプトとして理解された。

しかし,米国ではチームコンセプトに関する評価はかならずしも一致してい るわけではない。上で紹介したようにリーン生産方式の下では生産労働者が伝 統的な米国経営の過剰分業体制下における単純労働から解放され,思考的業務 を担う点で職場の自律性の拡大を強調する肯定的な見方がある一方で,逆に,

リーン生産方式の下では伝統的な米国工場に比べて組合規制が後退し,それに 伴う経営権の貫徹により労働条件が貧しくなっていることから,「ストレスに よる管理」であると主張する批判的な見方もある(Parker & Slaughter[1994])。

批判派のパーカー=スローターは,リーンな生産体制の安定的な運営の実現 が可能になっている理由を次のようにとらえる。在庫や手直しスペースが切り 詰められた生産体制の下では,ある一つの工程での作業ミスがシステム全体を 破綻させてしまうために,上述したように生産問題への対応に緊急性が増すだ けでなく,労働者が日常的に携わる定型業務の遂行においても作業ミスをしな

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いようにプレッシャーがかかることから,労働者は恒常的にストレスを負うこ とになる。それにもかかわらず,労働者個々人が服従せざるを得ないのは組合 規制が後退しているためであり,労働者が経営主導で決定されるストレスの多 い作業要請を引き受けてしまっているからこそリーン生産体制は成立している と批判的に理解する。

ここで,パーカーたち批判派による工場労働の認識方法を立ち入って理解す るために,直接生産労働者の労働内容について彼らはどのように論じているか について確認しておこう。パーカーたちは,例えば労働者がふだん携わる標準 作業の決定・改訂(改善)の手続きをとりあげて,次のように主張する。チー ムコンセプトの肯定派は標準の決定・改訂の権限が現場(チーム)に委譲され ていることを根拠にしてチームコンセプトを積極的に評価する。しかし,パー カーたち批判派の観察結果によれば,権限が与えられているのは現場監督層ま でであり,生産労働者の発言権は乏しい点は伝統的な米国工場と変わりない。

むしろ問題なのは,組合規制の後退の下では標準作業の決定が経営主導で行わ れていることである。すなわち,経営主導で設定される標準作業は生産効率や 品質等の経営の目的達成の視点が重視されるあまり,作業者各人の身体的特性 を踏まえた作業方法を設定する等の,人間工学的な視点が弱く,それゆえ労働 者は多大な労働負荷を強いられるということである。

以上のように批判派は,組合規制の後退に伴う職場への経営権の拡大に注目 して,労働条件を貧しくするものとしてチームコンプトを懐疑的に理解する。

米国において,チームコンセプトに関する評価や解釈が肯定派と批判派に分 かれたのはどうしてなのか。このことを両者の方法論に注目して検討してみる と,いずれも工場労働のどこに着目してそうした解釈や意見を表明しているの かがはっきりしない点に欠陥があると考えられる。前掲の[図表1]に即して 説明すれば,批判派は作業スピードが生産ラインに規定される滷の標準作業に 注目した意見であり,他方肯定派は,生産ライン外の業務である漓の提案,

QC,改善活動についての意見であると推察される。しかし,両者はいずれ も,自説が拠って立つ分析の観点を明確に示さずに,個人的意見の表明のみに

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終始している。実証的な社会科学にとって重要なのは現実を分析する際の着眼 点を明確に打ち出し,事実に即して意見を表明することである。肯定的意見で あれ,批判的意見であれ,それが職場の業務全体の特定の側面を強調したもの であるならば,客観的事実の裏づけをともなった意見の表明ができるはずであ る。いかにしたら対象の客観的な分析が可能であるかが重要である。つまり,

工場労働の客観的分析のための方法論が問われているのである。

このようにチームコンセプトというアプローチは対象を分析する際の方法意 識が希薄であり,経験科学としての致命的な欠陥があることがわかった。それ では,どのような方法をもって工場労働の実態に迫ればよいのか。以下では,

明確な方法意識をもって実証分析に臨んだと目される小池和男の知的熟練論を 検討したい。

1. 2.知的熟練論の方法論

前項では,日本企業の競争力を生産現場の技能に焦点をあてて解き明かそう とした代表的な研究のひとつであるチームコンセプト論を取り上げ,この理論 を方法的に吟味した。その結果,チームコンセプト論には製造現場の技能を観 察する際の分析視角が明確でない,という方法上の欠陥があることが判明し た。この項では,小池和男の知的熟練論を取り上げ,前項と同様にこの理論の 方法に注目した検討をおこなう。ここでの考察の焦点は,上に指摘したチーム コンセプト論の弱点を知的熟練論がいかに克服しているか,その方法上の工夫 を確認することである。この方法的吟味を通じて,知的熟練論の方法的意義,

すなわち労働研究アプローチの有効性が導き出されると考える。

これまで小池和男の知的熟練論では,どのように工場労働,ならびに企業の 競争力は分析されてきたのか。この点について小池の代表的著作を振り返り検 討してみると,知的熟練論の方法は次の二つの段階を踏んで展開してきたと考 えられる。第1段階は(ア)配置・昇進の仕組みに注目した国際比較研究であ り,第2段階は(イ)工場労働全体の特定の側面である「問題と変化への対 応」(=知的熟練の発揮)に着眼した研究がそれである。前者は組織内部のル

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ールに着目した制度論アプローチであり,後者は明確な分析視角を備えた職場 の直接観察アプローチである。以下では,上記(ア)(イ)それぞれのアプロ ーチはいかなるものであるのか,小池の代表的著作に即してその方法的特徴を 明らかにする。この方法論に注目した文献レビューを通じて知的熟練論の意義 と限界を探りたい。

(1)知的熟練論の形成過程 −制度論アプローチと直接観察アプローチ−

日本が欧米へのキャッチアップをめざしていた1960年代まで,終身雇用と 年功制に特徴づけられる「日本的雇用慣行」は,雇用の流動化や変化への対応 を阻害し,硬直性をもたらすものであるという論調が支配的であった。しか し,1970年代以降,製造業を中心に日本企業が国際市場で圧倒的な競争力を 発揮することをみるにつけて,日本の雇用慣行に関する従来の理解の仕方はそ の妥当性が疑われるようになった。そうした時代状況のなかで,小池和男は組 織内部の諸制度のひとつである「配置・昇進のルール」に注目した日米の国際 比較調査をおこない,この比較研究を通じて日本の経営の強みについて新たな 理解の仕方を提起した。彼の代表的著作『職場の労働組合と参加−労資関係の 日米比較−』はその成果である。

小池のこの著作の観察結果によれば,アメリカの生産職場には特有の「先任 権制度(セニョリティ)」が存在しており,この制度のために勤続順のレイオ フ(一時解雇)回避傾向が散在していること,ならびに勤続が配置・昇進にも 関係しているという。小池はこれらの事実発見に基づいて次の二点を指摘し た。第1の主張は,労働者の企業内長期定着傾向(雇用の保障)に関わるもの であり,この傾向はアメリカにも存在しており,日本特有のものではないこ と。第2の主張は年功制に関するものであり,アメリカの職場では配置・昇進 の決定が年功的性格をもつ「マギレのないルール」に規制されており,それが 職場の硬直性をもたらしている。これ対して,日本の雇用慣行の特徴は,そう した厳格なルールを欠いた,柔軟で,やや平等主義的な配置と移動の慣行にあ るということである。以上の小池の主張をまとめれば次のようになる。日本の

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雇用慣行は,硬直性を強調する通念とは逆に,むしろ幅広く,ひんぱんでかつ 柔軟な職場内および工場内の移動に特徴づけられる。したがって,職場の配置 慣行等が比較的柔軟であることが,欧米に対する日本の生産性優位をもたらし ているというのである。

以上が小池の著作『職場の労働組合と参加』における主張である。この著作 の意義は,配置・昇進の仕組みを軸とする国際比較調査をおこない,この調査 での事実認識にもとづいて日本の経営の強みについて新たな理解の仕方を提起 し,論証なしに日本の経営の硬直性を主張する当時の通説にたいして問題提起 をおこなった点にある。つまり,配置・昇進のルールという,組織内部の諸制 度の一部に着眼した限定的な理解でありながら,日本の経営の効率性や特異性 について論理的に説明し得た点にその意義があったと考える。これが上記

(ア)の制度論アプローチの内容である。

小池の方法論はここからさらに,(イ)の職場の直接観察アプローチへと展 開する。上に述べた著作『職場の労働組合と参加』では,配置・昇進のルール を軸とする日米比較調査にもとづいて,日本の生産性優位を説明した。しか し,職場の柔軟な配置転換等が日本の生産性を支えていると言っても,そうし た労働者の柔軟な働き方は具体的にどのようにして生産性にするのかについて は明確でない。小池は労働者の働き方と生産性の関係を突き詰めて考えた。こ うした問題関心に基づいて小池が独自に見出した分析の観点が,生産ライン内 での「問題と変化への対応」である。その成果は彼のもうひとつの代表的著作

『人材形成の国際比較−東南アジアと日本−』に収められている。この著作を 通じて小池は,製造現場の技能は「問題と変化への対処」能力であると規定す ることにより,技能とその生産性の関係を立ち入って解明できるようにした。

すなわち,生産の「異常」があった場合,問題が発生したその場で(on the spot)対処できるかどうかが生産効率に大きく響くため,この意味での技能,

つまり生産労働者の「問題への対処」能力が生産性を決するということであ る。

技能と生産性の関係にかんするこのような理解の仕方は独創的である。ここ

―156 ―

(13)

で「独創的」とは,日本企業の競争力を「生産ライン内部」(on-line‐活動)

に注目して解き明かしているという意味においてである。先述のチームコンセ プト論等の先行研究と関連づけてこの小池の方法的見地がいかに独創的である かを示せば次のように整理できる。前掲の[図表1]の漓〜澆に即して説明し よう。従来,日本自動車メーカーの競争力を生産現場に焦点を当てて解明しよ うとした研究の多くは,漓の提案制度,QCサークル,改善活動にみられるよ うに,「生産ラインの外での問題処理活動」(off-line- problem solving)に注目 して説明する傾向が目立ち,生産ライン内の仕事それ自体についてはほとんど 配慮が払われてこなかった。もちろん労働強化の説明のなかで生産ライン内部 を取り上げる研究は存在するが,そこではライン作業が経営によって標準化さ れた定型業務として理解されるため,ライン作業が「量」として把握されるこ とはあっても,「質」的に把握されることはなかった。滷の「標準作業」がそ れである。これに対して小池による技能のとらえ方の特徴は,澆の「問題と変 化への対応」に着眼した点にある。すなわち,(i)分析の対象を「生産ライン 内の」(on-line-)活動だけに限定していること,ならびに(ii)ライン作業を とりあげるにしても,ライン上での「問題や変化への対処」活動(on-line- prob- lem solving)という小池独自の観点を見出すことにより,ライン作業を「質」

的側面からとらえ直していること,この二点に小池の観察点は特徴づけられる ということである。したがって,ライン作業に対する以上のような従来の研究 にはない捉え方をしているからこそ,「技能と生産性の関連」を突き詰めて理 解することが可能となっている。

だが,小池の工夫はこれにとどまらない。小池は「技能」それ自体を分析す るための指標を小池自身で編み出すことにより,個々の技能の「水準」(=熟 練度)を評価できるようにした。その指標とは,「問題と変化への対応」(=経 験の深さ)と「経験のはば」の二つである。まず「問題と変化への対応」とい う指標は,上述した「生産ライン内での問題や変化にたいして労働者がどのよ うに対応しているか」をさす。この対処の態様が明らかになれば,それを論拠 にして「技能の高さ」及び「その効果」(生産性への寄与)を推定できると言

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(14)

う。他方,今一つの「経験のはば」という指標は,その名称が示すとおり,職 場内の工程(職務)をどれだけ数多く経験したか,すなわち「キャリア」(職 務遍歴)を意味する。このキャリアは,上記制度論アプローチの箇所で述べた

「配置・昇進のルール」によって規定されるものであるから,技能が仕事に就 きながらの訓練によって培われるとするならば,「キャリア」の組み方=配置

・昇進の仕組みが生産性を決めるのだといえる。いいかえれば,「配置・昇進 のルール」によって高められた技能が,「知的熟練として発揮」されること

(=「問題と変化への対応」)を通じて工場の「生産性」に寄与するということ である。このようにして,小池は上記(ア)の制度論アプローチと(イ)の直 接観察アプローチを接合させている。

以上より,小池和男の知的熟練論の優れた点は次の2点に整理できる。第1 は,わが国の競争力の源泉を制度論アプローチによって解明したこと,すなわ ち組織内部の諸制度の一部である配置・昇進のルールに注目した限定的な理解 でありながらも日本の強みを論理的に解き明かしたことである。だが,小池は 競争力分析をこの制度論アプローチにとどめずに,このアプローチに加えて,

工場労働全体の一部である「問題と変化への対応」(=知的熟練の発揮)に着 眼した直接観察アプローチも併せて行うことで,技能と生産性の関係をより突 き詰めて理解できるようにした。この点に知的熟練論のもうひとつの優れた特 性を見出すことができる。

以上,知的熟練論を構成する二つのアプローチはいずれもが,それぞれに小 池独自の工夫が凝らされた個性的なアプローチであった。ここでさらに立ち入 って両者を吟味してみると,いずれのアプローチにも同じ1つの考え方が貫か れていることがわかる。一点突破的な競争力分析の仕方がそれである。すなわ ち,小池が終始こだわり続けてきたのは,職場の慣行であれ,工場労働であ れ,それら現実の一部に着目した限定的な理解でありながら,企業の競争力を 論理的かつ明快に説明し得る方法論を構築することにあったということであ る。したがって,小池がそうした関心を徹底的かつ継続的に重視してきたから こそ,知的熟練論という,優れた特性を備えた競争力分析の方法が生み出され

―158 ―

(15)

たのだと考えられる。

(2)経営研究の必要

ここまでに説明してきたように労働研究アプローチを代表する知的熟練論 は,日本企業のもつ効率性を現実の一部に注目して端的かつ論理的に解き明か す点にその方法上の優れた特性があった。しかし,この理論にはそうした方法 的意義があるにもかかわらず,次節で紹介するような批判を受けて行き詰まり をみせる。その根本的な原因は,知的熟練論が生産労働者の技能に関心を集中 させているものの,この技能のあり方を大きく規定している経営管理(マネジ メント)を考察の対象から除外していることにあると考えられる。ここで,経 営研究の不在という知的熟練論の欠陥とはどういうことなのかについて明確化 するために,上述した『職場の労働組合と参加』において日米間で配置慣行等 の違いを生んだ要因に関する小池の説明を立ち入って検討してみたい。

生産職場の効率性における日米間の格差を生む要因となった配置慣行等の違 いは何よって生じたのか。小池の説明によれば,その違いを生む根本的な要因 は「生産点の労資関係」にあると言う。

米国の生産職場を観察したところ,レイオフ(一時解雇)と異動の人選基準 が勤続年数という「マギレのない」ものにおかれ,勤続年数の長い生産労働者 ほど有利に扱われるという「まぎれのないルール(先任権制度)」が設けられ ている。たとえばある工場の収益が悪化し人員削減の必要が生じたばあい,レ イオフは勤続年数の若い生産労働者から順におこなわれる。したがって,アメ リカの労資関係の特色は,先任権制度に代表される労資の恣意のはさむ余地の ない明確なルール(「まぎれのないルール」)をつくることで,労資が対立的で ありながらも安定的な関係を維持する冷たい労資関係にある。

この「マギレのないルール」の存在は労資双方にとってどのような意味をも つのか。労働者にとっては,レイオフや異動の必要が生じた際に経営による恣 意的な人選決定の余地が排除された,差別のない平等な決定を確保でき,この 意味での合意ないし納得にもとづいて労働者は生産業務に従事できる。一方,

―159 ―

(16)

経営にとっては,製品市場の変化に合わせて人のやりくりを柔軟におこなうこ とができず,職場の生産効率に制約を受けることになる。したがって,米国の 経営は異動の決定に関する明確なルールによる制約がある分だけ技能形成が制 限されてしまう(3)

それに対して日本の職場の観察によると,レイオフや異動の決定において米 国のような「まぎれのないルール」に相当する公式のルールが見当たらない。

規制による制約がない分だけ日本の経営は柔軟に異動をおこなうことができ,

満足のいく職場の生産効率を確保できる。だが,経営の目的達成にとっては都 合のよい柔軟な異動が,異動の指示の引き受け手である労働者にとってはどの ような意味をもつのか。労働組合の後ろだてを背景にもつ規制がないために,

経営側が恣意的に異動を決定し,労働者はそれに仕方なしに服従している可能 性がある。しかし,小池の説明によれば,小池が観察した日本の職場では,労 使間の公式的な交渉や協約がなくとも,異動が労働者にとって納得のいく妥当 なものになっているという。ここでいう妥当な形で異動が決定されているとい うのは,「職場構成員の全員がだいたい同じような職務群を経験することにな っており」,この意味で「平等」な異動(キャリア)が確保されていることを さす。

このように日本の職場でも平等な異動が確保されていると小池は説明する。

しかし,日本では,米国の生産職場で平等な異動を可能にしている労資間での 公式的なルールが存在しないにもかかわらず,それに代わる具体的にどのよう なルールや仕掛けで職場における平等な異動慣行が実現しているのか。小池の 説明によれば,職場がもつ準自律的な機能に委ねれば自ずと上手くいくとい う。この職場の準自律的な機能とは,経営末端の管理者である職長が中心とな り,彼が経営からも労働組合からも影響を受けずに自律的な存在でありなが ら,職場にたいして経営と組合のそれぞれが担うはずであった機能を同時に満 たすという二重の役割を担うことをさす。ここでいう二重の役割とは,職場の 上部組織が課す職場単位の目標値を達成するという経営管理の機能と,職長の 決定に対する職場の労働者の不満を解消し合意を取りつけるという苦情処理の

―160 ―

(17)

機能である。したがって,この二重の役割を自律的にはたす職長によっておこ なわれる異動は,職場単位に課された目標値を満足するようにおこなわれなが らも,同時に異動の担い手である職場の労働者に納得的なものとなるというわ けである。

このように小池は日本の労資関係の特質が職場レベルの労資関係にこそある と主張し,その内容については,異動の決定を規制する明確なルールが欠如し ているが,それに代わって経営末端の管理者である職長が中心となって経営か らも組合からも自律的に労資の利害の調整役をにない,職場レベルの労資関係 を微妙なさじ加減でやりくりすることでバランスをはかる繊細な労資関係であ ると説明している。だが,この職長の自律的な働きの実態に関しては必ずしも 明確に説明されていない。経営側の目的達成につがる柔軟な異動と労働側にと って納得的な異動は,いかにして両立可能であるのかに関して確認する必要が ある。そもそも職場は経営から独立的な存在であり得るだろうか。つまり,小 池の知的熟練論の欠陥は,労働者の働き方がマネジメント(経営管理)との関 連で理解されていないことにある。

以上の話をまとめよう。職場の異動をマネジメントとの関連で理解するとは どういうことなのかを,小池の説明に対する次の二つの問題提起に即して明確 化する。第一の疑問は,経営側が組織末端の職場に権限を委譲さえすれば,職 場構成員たちはおのずと企業の目的達成に合致した働きをとり得るだろうかと いう点にある。経営は組織目的をより確実に実現するために,職場に権限を委 譲しつつも,何らかの影響活動も併せておこなっているはずであり,経営に対 するこうした理解を前提にすれば,職場の自律(ここでは職長による異動の運 用)は経営管理と関連づけて理解されなくてはならない。第二の疑問は,この ような経営側の影響活動を受けた職長によって実施される合理的な異動の決定 は,労働者個人から合意を取りつける契機があるのかという点にあり,したが って,異動の決定は経営の合意調達機能と関連づけて理解されなくてはならな い。

―161 ―

(18)

小括

この節では,労働研究アプローチの有効性を中心に吟味してきた。この研究 を代表する知的熟練論は,日本企業の競争力の源泉について組織内部の制度や 工場労働の一部に着目した限定的な理解でありながら論理的に解き明かす点 に,その方法上の優れた特性があることがわかった。しかし,知的熟練論はこ うした方法的強みがあるにもかかわらず,上述したように経営研究がないため に,生産現場の技能だけから日本企業の生産性優位を説明するには無理がある のではないかという批判を受けて行き詰まることになる。次節では,労働研究 アプローチを代表する知的熟練論がマネジメント研究の視点が欠落しているた めに,具体的にどのような批判を受けて限界に至ったかについて説明したい。

3.

「知的熟練論批判」の批判的検討

──経営研究の不在──

労働研究アプローチを代表する知的熟練論は,前節で指摘したように日本製 造業の国際競争力の源泉について優れたアプローチの仕方を提示したものの,

他方でのこの理論が経営研究(マネジメント)を考察の対象から除外している ために,以下で紹介するような批判を受けて行き詰まりをみせる。この節で は,知的熟練論批判をおこなった代表的な論者である熊沢誠[1977]と野村正 實[1993]をとりあげ,彼ら批判派の論述に即して知的熟練論の限界を明らか にしたい。しかし,上記の経営管理研究の不在という知的熟練論の欠陥は批判 派にも同様にあてはまるため,批判派の問題点も併せて確認する必要がある。

したがって,知的熟練論にせよ,その批判派にせよ,いずれも経営研究の不在 ゆえに労働研究が行き詰まったと考えられることから,労働研究アプローチの 限界を明らかにすることが本節の目的となる。

3. 1.熊沢誠による知的熟練論批判 −労働者の合意形成−

本節では,まず,知的熟練論には日本の労働者がなぜ経営に協力的であるの

―162 ―

(19)

かという労働者の合意形成に関する説明において不明確であるという問題点が あったことを指摘したい。

漓知的熟練論の問題点 −日本の合意調達様式の解明の必要−

前節で紹介した知的熟練論(小池[1977]『職場の労働組合と参加』)は,配 置・昇進のルールに関する日米の国際比較調査をおこない,その結果,日本の 経営の効率性を支える要因が「配置の柔構造」,すなわち柔軟な配置転換と労 働内容の絶え間ない変化にあることを明らかにした。それでは,どうして日本 の労働者はこの「柔構造」を引き受けているのか。この労働者の合意形成にか かわる論点について小池は次のように説明している。日本の生産職場では,米 国のような配置・昇進に関する厳格な組合規制を欠くものの,それに代わっ て,組合からも経営からも独立した「職場の労働者集団の準自律的規制」が存 在しており,この職場の準自律的規制の機能によって配置・昇進の柔構造が労 働者間で差別なく平等に運用されている。したがって,柔構造とはいえ,労働 者は納得してそれに適応しているのだと説明する(小池[1977])。しかし,イ ギリスの強靭な労働組合規制をよく知る熊沢誠によれば,組合規制の後退した 日本の職場における柔構造の運用は小池和男の言う「職場の準自律的規制」で はなく,経営が主導する能力基準の労働者間競争によってこなされているので はないかと反論する。そして,この「能力主義的選別」の結果,成功者と不成 功者という結果の不平等がもたらされていると指摘する。以上のように熊沢は 労働者の合意形成にかんする小池の説明に対して問題提起をおこなっている

(熊沢[1977])。

熊沢の指摘の優れた点は組合規制の後退した日本の職場では経営権が貫徹す るものの,だからといって労働者が経営に強制的に働かされているとは理解せ ずに,労働者の合意形成の日本的なあり様を突き詰めて理解しようとしている ことにある。ここでいう労働者の合意形成の日本的あり様とは,能力主義的選 別制度によって能力の個人差を処遇の格差に反映させることは,日本の労働者 のエトス(慣習)に適合的であるために,必ずしも経営の一方的な強制によっ

―163 ―

(20)

て働かされているわけではないことをさす。だが他方で熊沢は,この能力主義 的選別制度によってもたらされる結果の不平等という現実問題が組合や労働者 になおざりにされている点を問題視する。

このように熊沢は,知的熟練論が日本の競争力の源泉として注目した職場の 柔構造が日本の労働者の論理に適合的な能力主義的競争によって実現されてい ることを明らかにすることにより,知的熟練論が明確に説明しえなかった労働 者の合意形成についてより論理的な理解の仕方を提示している。

その後,熊沢誠は「能力の個人差にもとづく労働者間の選別を是」とする日 本の労働者特有の思想が,戦前から戦後の昭和40年代にかけて日本の労働者 が体験してきたどのような歴史的な事情のもとに形成されたのかを追求してい る(熊沢[1981])。以上より,熊沢理論の意義は,組合規制の後退にもかかわ らず,そのもとで働く労働者の合意形成のあり様を探求し続けたことにあった と考えられる。

滷熊沢説の問題点 −ノルマの経営的構造の解明の必要−

このように熊沢誠は,組合規制が後退した日本の生産職場においても,労働 者の合意形成の契機があるはずだとみなし,日本的な合意形成のあり様を探求 した。この点に熊沢理論の意義を見出すことができる。しかし,熊沢は日本の 労働者が納得して働いているとはいえ,働きすぎてしまうことを問題視するも のの,その論じ方に問題がある。ここで言う熊沢の欠陥とは,労働者の合意形 成を追求しているけれど,合意の契機を専ら「人事労務管理」(特に個人別査 定賃金)に求めるだけで,仕事量(ノルマ)それ自体の決定プロセス(=経営 管理)にまで立ち入って探求しようとはしなかったことである。この批判の意 味を了解してもらうために,熊沢[1997]の著作『能力主義と企業社会』をと りあげ,熊沢が働きすぎやノルマの問題をどのように論じているかについて紹 介しよう。仕事負担を重くする要因とそれに伴う従業員への作業負担につい て,熊沢がいくつかの事例を挙げて説明するなかから,以下の三つの事例を取 り上げて検討したい(同書,pp. 89−107)。

―164 ―

(21)

第一に,職場単位への目標設定について,既存の職場構成員の各人が最 大限に働くことを前提にした生産計画の設定であるために,従業員個人は 欠勤や有給休暇を取ると職場の仲間に迷惑がかかるために取りにくい,あ るいは作業ミスができないというピア・プレッシャーがかかる。

第二に,職場単位に設定された目標にたいして予算統制があり,達成で きなければサービス残業が増えるなど職場構成員への作業負担が増大する 一方で,それによって経営は予算計画の実現を必然化することができる。

第三に,日本の生産現場の効率性を支える一因である絶え間ない改善

(人員削減)は,削減された要員分の作業量を残りの要員で処理しなくて はならないために職務拡大(=作業負担の増大)をともなう可能性があ る。

これら三つの事例からわかる熊沢の働きすぎの問題に関する論じ方は,次の ように整理できる。職場や労働者個人へのノルマ(作業量)の設定は,経営主 導でおこなわれており,経営の目的達成が優先されるばかりで労働者への何ら 配慮なしに卒然と課されているということである。

このように経営が職場や労働者個人にたいして要請する業務量は多いにもか かわらず,労働者が引き受けているのは何故なのか。熊沢の説明によれば,人 事考課の情意考課によって勤務態度が問われるために,労働者は半ば「強制」

的に多大なノルマを引き受けざるを得ない。しかし同時に,そうした勤務態度 を含めた個人の能力差にもとづく選別にたいして肯定的な日本の労働者の論理 をふまえれば半ば「自発」的に多大なノルマが引き受けられているともいえ る,と説明する。この「『強制』された『自発性』」を誘引する情意考課の内容 は,チーム・ノルマへの寄与度,仲間に迷惑をかけない意味での協調性,欠勤 せずに残業を受け入れているかを問う規律性である。

この情意考課によって労働者が半ば自発的であるとはいえ働きすぎてしまう ことはたしかに問題である。しかし,熊沢は働きすぎの問題を論じるにあたっ て,そもそも職場や個人に配分される作業量それ自体がどのような手続きで決

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(22)

定されているのかについては明確化していない。この仕事の決定の側面におけ る労働者の合意形成の契機を考察するためには,経営による仕事の配分手続 き,すなわち経営管理(マネジメント)を分析することが不可欠である。しか し,熊沢の欠陥は,この意味での経営管理の研究が欠如している点にある。経 営による作業量の設定には一定の妥当性はないのだろうか。そもそも経営には 労働者から合意を調達する機能はないのだろうか。人事労務管理だけでなく,

経営管理の研究も併せて行うことで,経営による作業量の設定における妥当性 の有無を探り,そうした理解に基づいて働きすぎの問題を論じるべきである。

3. 2.野村正實による知的熟練論批判 −生産性への貢献度−

前項では知的熟練論が労働者の合意形成に関する説明が明確でないという問 題があることを指摘した。この項では,知的熟練論の問題はそれだけでなく労 働者の生産性への貢献度に関する説明においても不十分な点があったことを指 摘したい。

漓知的熟練論の問題点 −職場の分業を含めた競争力分析の必要−

従来まで知的熟練論をはじめとする労働研究は,日本製造業の国際競争力の 源泉を専ら直接生産労働者の技能に注目して説明してきた。しかし,海外での 調査経験をもつ野村正實の見解によれば,日本の生産職場における直接生産労 働者の技能は「知的」というよりはむしろ「低い」水準であり,それゆえその 生産性への貢献度は乏しいのではないかと指摘する。野村はそうした問題意識 に基づいて,直接生産労働者の生産性への貢献度を過度に評価する知的熟練論 等にたいして疑問を投げかけた(野村[1993 a])。

この知的熟練論の理論構成の根幹に関わる野村の批判は職場の分業の視点か らおこなわれ,その背景には海外での調査体験があった。知的熟練論によれ ば,日本企業の競争力を支える要因について,検査や設備保全などで異常が生 じた際の労働者の対処能力(知的熟練)に注目して説明している。すなわち,

設備故障などの思考を要する業務は,欧米の生産職場では一般的に技術者など

―166 ―

(23)

のホワイトカラーだけで処理されている(「分離方式」と呼ぶ)のに対して,

日本の職場ではホワイトカラーだけでなく直接生産労働者も含めて処理されて おり(「統合方式」と呼ぶ),したがって,この統合方式の下で,ライン作業内 で異常が発生したすぐその場で生産労働者が対処できることが,日本の製造現 場の競争力の源泉になっているといういことである。この説明から見出され る,知的熟練論が前提とする職場の構成員は直接生産労働者である「ブルーカ ラー」と技術者などの「ホワイトカラー」の2区分だけである。つまり,知的 熟練論はこの2区分の分業関係の理解にもとづいて直接生産労働者の異常への 対応力が日本製造業の生産性優位を支えていると説明している。しかし,野村 が海外でおこなった調査体験によれば,一般的に欧米の職場運営は知的熟練論 のいう2区分だけでなく製造部門とは別組織に所属する保全工や検査員などの 専門工を加えた3区分でおこなわれており,この3区分の分業関係を前提にす れば知的熟練論が注目する異常への対応業務は大部分を専門工が担い,それで も解決されない場合に技術者に頼むという順序で処理されている。こうした欧 米の職場の分業のあり方は,実は日本でも同様におこなわれており,したがっ て,異常への対応業務で中心的役割をはたす専門工が存在するにもかかわら ず,知的熟練論はそれを分析対象から除外して専ら直接生産労働者による異常 への対応だけに注目して日本の競争力を論じていると批判する(4)

野村が,専門工を含めた職場の分業の視点から直接生産労働者の生産性への 貢献度について行った分析結果はおよそ次のようであった。知的熟練論が着目 する直接生産労働者による設備故障への対応は,職場の分業の視点から観察し てみると,実は保全工などの専門工(ライン作業を補助する準直接生産労働 者)により大部分が担われており,直接生産労働者の関与は乏しい(同書,

pp. 20−23)。そのため,直接生産労働者の技能は専門工のレベルの技能を含ま

ず,短期間に習得できる簡単な課業を数多くこなすだけで,小池のいう知的熟 練というよりむしろほぼ低位の多能工ないしは単純労働にとどまると指摘する

(同書,pp. 30−31, p. 32, p. 33)。また,キャリアの視点をふまえて直接生産労 働者の長期的な昇進先である現場監督者の技能を観察してみても,管理能力は

―167 ―

(24)

高いものの,設備保全などの専門知識においては専門工の技能には及ばないと いう(同書,pp. 32−33)(5)。したがって,分業の視点から直接生産労働者の生 産性への貢献度をとらえ直せば,直接生産労働者の職場での役割はごく僅かに すぎないために生産性への貢献度は乏しいと結論づけられる。それゆえ知的熟 練論が直接生産労働者の働き方のみに焦点をあてて日本企業の競争力を説明す ることには限界があると指摘する(同書,p. 31)(6)

このように野村は,日本製造業の競争力の源泉に関して直接生産労働者の技 能だけに求める知的熟練論にたいして,職場の分業の視点からみれば無理があ ることを的確に指摘した。この点に野村説の意義があったと考えられる。

滷野村説の問題点 −分業の経営的決定メカニズムの解明の必要−

野村は職場の分業関係に注目して,生産現場の技能だけから日本企業の競争 力を説明するには限界があると,知的熟練論の根幹に関わる批判をおこなっ た。しかし,野村説の欠陥は,技能の水準をめぐる議論にとどまり,そもそも 職場の分業関係や技能を規定している経営管理の考察が欠如していることにあ ると考えられる。

4.知的熟練論の再構築

──経営研究との統合アプローチ──

第2節と第3節では,従来の労働研究の意義と限界を検討したが,本節では

「知的熟練論批判」以後の研究が,その限界をどのようにして克服しようとし たのかについて検討することにしたい。特に,経営管理の研究を,知的熟練論 の方法上の強みを活かすことで労働研究と接合させることが重要だと考える。

労働研究の限界を克服するにあたって,労働研究における知的熟練論の方法的 意義を踏まえつつ,その対極にある経営管理の研究を知的熟練論に融合させる ことができれば,日本の生産システムの強みをより一層明確に把握することが 日本企業の競争力の本質をより一層明確に把握することが可能になると考える

―168 ―

(25)

からである。したがって,労働研究と経営研究との統合アプローチによる知的 熟練論の再構築を試みることが本節の課題となる。

小池和男の知的熟練論は,前節でみたように労働者の合意形成だけでなく企 業の競争力の分析においても必ずしも十分なものではなかった。しかし,野村 正實たちによるそうした批判をもってしても小池の知的熟練論のもつ意義は失 われるわけではない。なぜなら,知的熟練論には欠陥を含むものの,他方では 本稿第2節で指摘したように,方法論的には独自の優れた特性があるからであ る。知的熟練論に対するこうした問題関心に基づいて,この理論を批判的に発 展させた研究がある。中村[1996]と石田他[1997]がその代表的な研究であ る。彼らはいずれも知的熟練論のもつ方法的強みを踏まえたうえで,この理論 の分析対象にこれまで含まれなかった管理システムの研究(経営研究)を統合 することによって,知的熟練論を批判的に発展させている。

以下,中村および石田による知的熟練論の再構築の試みを検討することを通 じて,日本の生産システムがもつ強みの源泉を解き明かす新たなアプローチと は何かを明らかにしたい。

4. 1.職場からの接近 −生産管理の解明−

まず,中村圭介の著作『日本の職場と生産システム』を取り上げ,中村によ る労働研究の再生の試みを検討したい。

漓労働研究再生の方法 −職場の直接観察アプローチの適用−

中村による労働研究再生の方法の特徴は,労働研究アプローチを代表する小 池の知的熟練論の限界を指摘しつつも,小池の優れた理論構成を踏襲したうえ で,この理論を批判的に発展させようとしたことにある。

中村は,小池の知的熟練論のもつ意義を次のように把握する。小池は労働現 場の丁寧な観察調査を通して,「そこから,変化と異常への対応という普段と は違った作業を発見した」。この点が小池理論の積極的な意義であると言う

(中村[1996],pp. 8−9)。すなわち,「職場の労働者が行っている作業には,

―169 ―

(26)

普段の作業と,異常と変化への対応という普段とは違った作業があり,(欧米 との比較で)日本の大企業では,多くの労働者が後者も行っていることを見出 し」,この,まさに「知的熟練」とよぶべき働き方が,日本企業の職場の効率 を支えている,と指摘した点に知的熟練論の意義があったというのである。中 村は,生産性に寄与する労働者の働き方がライン作業内部の「問題と変化への 対応」にあることを小池が発見し,独自の分析視角を明確に打ち出すことで,

日本製造業の生産システムの強みを論理的に解き明かした点を積極的に評価す る。

だが中村は,小池による生産ライン内部の労働者の働き方を論理的に解き明 かした分析視角を評価するものの,他方で,そうした労働者の働き方を招来す るものは,本来,生産管理業務の一部に含まれるものではないかと指摘する。

つまり,小池の言う現場労働者の「知的」な働き方は,本来,既往の生産量と 品質の水準を維持する意味での生産管理業務の一部に含まれるにもかかわら ず,生産管理との関連で労働現場が理解されてこなかったために労働者の積極 的な役割や生産性への貢献を誘引する要因の分析が曖昧となり,小池理論に対 する批判をよんだのではないかと指摘する。

この課題への中村の接近方法は,職務分析をもちいた職場の直接観察による ものであり,「変化と異常への対応」を生産管理上の具体的な業務に置き換え て直接観察ができるものにした。中村がおこなった「職務分析」の概要を示せ ばおよそ次の通りである。まず,「変化」への対応については新製品導入にと もなう「工程設計」業務(広義の生産管理業務)が,「異常」への対応につい ては既に達成した不良率や原価などの管理水準を維持する意味での「現状維持 管理」業務(狭義の生産管理業務)が,それぞれ取り上げられている。次に,

これらの高度な業務遂行における職場の分業関係から現場労働者の役割を特定 し,最後に,そこで特定される現場労働者の職務内容がどのように職場の生産 効率につながるのかを分析することを通じて,労働者の生産性への貢献内容を 確認している(7)

したがって,研究再生の方法における中村の特徴は,知的熟練論の概念構成

―170 ―

(27)

に対する意義を認めながら批判的検討も交えて踏襲し,そこに従来まで労働研 究が得意としてきた職場の直接観察法を採用することで,管理システムとの関 連を欠く知的熟練論を生産管理業務へと展開させたことにあった。

滷観察結果 −管理的業務における知的熟練の発揮と労働者のキャリア形成の 実態−

中村は,現場労働者による知的熟練の発揮と生産管理業務との相互連関の実 態を職場の直接観察を通して明らかにしていく。

中村は,丹念な職務分析を通して,次の点につき調査分析を実施している。

すなわち,製造部門の現場労働者が,工程設計業務(変化)と現状維持管理業 務(異常)とにどのように関わり,その関わり方がどのように生産管理の効率 性に寄与しているのか,また,各現場労働者が現在の役職(管理的業務担当)

につく以前までにどのような企業内の職務経験(キャリア)を歩んできたのか についての実態調査である。

中村による以上の職務分析から明らかになったことは次の三点に要約でき る。

第一に,現場労働者の役割は,分業関係の視点から特定すれば乏しいが,そ の僅かな役割の中身に注目すれば現場の知恵を活かしたそれなりの貢献が存在 する。

第二に,現場労働者の役割が管理的業務にまで展開されていることである。

観察結果によれば,現場労働者は,知的熟練論でいうメンテナンスや検査・調 整などの作業にとどまらず,工程設計業務のすべてのプロセスに参加し発言し ており,工程不具合の発見や作業マニュアルの作成にいたるまで行なってい る。

第三に,現場労働者のキャリア・ルートは,調整・検査工程の比較的易しい 職務から,徐々に管理的業務を含む高度な職務まで歩むように整備されてい る。

以上の観察結果にもとづけば,日本企業の国際競争力の源泉に関してどのよ

―171 ―

(28)

うに論理的な理解を導き出すことができるのか,次にこの点を検討することに したい。

澆 生産管理業務によるアプローチの意義と限界

中村は,管理システムとの関連を欠く小池の知的熟練論を生産管理業務と関 連づけて再構築を試みることを通して,日本製造業の国際競争力の源泉に関す る理解に新たな地平を切り開こうとした。知的熟練論の再構築に当たって,管 理システムの視点を導入したことは大いに評価されるべきである。したがっ て,中村による生産管理業務によるアプローチの意義は,職務分析を駆使して 小池の知的熟練論を野村の小池批判を取り込みつつ批判的に発展させたことに ある。

以上のように,中村による現場における職務分析を通した職場からのアプロ ーチは,日本製造業の強みを把握する方法論の再構築に貢献した。しかし,課 題は残る。中村により生産管理業務の遂行過程において現場的知識を動員する 実態が明らかになったものの,それを実現させる「管理」そのものの仕掛けの 内実が明らかにされていない。すなわち,欧米とは異なり,なぜ,現場労働者 が経営に協力的であるのかという合意形成(労使関係)に関わる問題であり,

もうひとつは,現場労働者による委譲された権限の遂行がなぜ組織目的に整合 的なものになり得るのかという方針管理(経営学の分野でいう「組織過程」)

に関わる問題である。

何故に現場労働者が管理的働きぶりをなすほど経営に協力的であるのか。中 村は現場労働者が管理的業務に関与して知的熟練を発揮している以上,何らか の納得や合意が不可欠であるという。では,現場労働者個人の合意はどのよう に得られるのか。中村は,直接的要因としては賃金制度を取り上げる。具体的 には職能資格別賃金が技能向上をうながし,この高められた知的熟練の発揮を 人事考課の刺激(査定)が促して生産性に結びつくと理解する。一方で,労働 者が協力的であることの根本的要因は労使関係にあるという。中村によれば,

現場労働者個人の納得如何は,彼らに直接影響を及ぼす領域である作業量,配

―172 ―

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