品詞分類の基準について : Jespersenの文法理論を 中心に
著者 信原 修
雑誌名 主流
号 26
ページ 22‑32
発行年 1964‑11‑15
権利 同志社英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016689
品詞分類の基準について
一‑Jespersenの 文 法 理 論 を 中 心 に 一 一
信 原 修
総ての言語現象は外形 (Form)とそれに対応する意味 (Meaning)との 二面を持っている.文法の仕事はまさにこの両者の対応関係の客観的究明 に存するのであるが,いまなお我々は言語の記述に必要且つ十分な成果を 上げ得ているとは言い難い.これは言語現象の中核をなすForm‑Meaning
の関係が本来もっている盗意性によるものであり,且つ時代と共に言語そ のものが変遷するために,言語の総、合的な処理に当たって分類基準が純粋 に科学的たりがたいことによるものである.
言語の分析に際しての分類基準は,言語のこの二面性の何れに着目して も自由であり,従って意味に基準を置く概念範曙(IdeationalまたはLog‑
ical category)もヲ形式に基準を置く形態範曙 (Formalcategory)も,共 に可能である.ただ如何なる分類によるにしても,その分類基準には一貫 性のあることが必要であり,同時にその分類結果には重複のないことが必 要である.従来の伝統文法に対する非難の多くはこの位相(Level)の混同 に向けられていた.言語記述の方法としての英文法の歴史は, E. A. Son‑
nenscheinの A Neω English Grammarに代表されるような,ラテン 文法を基礎としたこのような伝統文法規範の枠から出て,如何に科学的に 英語という特定言語そのものに即した記述をするかをめぐって展開されて 来たと言える.
従って言語の記述の基礎である品詞分類の決定には,第一に科学的純一 色一貫性が要求されるが,そのために我々は当該言語の構造全般につい
品詞分類の基準について 23 て「簡潔に記述する」という文法の大体を見失ってはならない.最も論理的 で水も漏らさぬ文法体系が仮りにあるとしても,それが必ずしも最良のも のと言い得ないことは,その方法が直観的9 経験的で理論に一貫性がなく,
しばしば意味と形式の二つの levelを混同したものと言われながらも9 い まなお命脈を保っている伝統文法の存在を見れば明らかである,伝統文法 は屈折語類 (Paradigmaticdass)と統語論的語類 (Syntacticclass) ,即 ち形態的機能 (Morphologicalfunction) と統語的機能 (Syntacticfunc‑ tion)の巧みで実用的な混滑に依拠し, 従って当然そこに論議もまた集中
して来たのである.即ち品調の分類に当たっては旧来の定義が一部意味に よるものであるにせよ,名詞,人称代名詞,動詞,及び形容詞,副詞の一 部などは語形によったものであり,その他の品詞は連語上の機能によるも ので9 しかもそれらが同一平面上に論じられているところに問題を有して いた.また例えば, The book on the desk is mine.のonthe deskが形 容詞句であるとするのも,実は ‑er,‑estという比較語尾をもっ形態的機能 によった「形容詞Jなる術語を統語的機能である句 (Phrase)に適用した
ものである.
我々は言語の記述に際しては9 当該言語の現実の生きた姿を如何に捉え るかに最も関心を払わねばならない.我々の観察の対象は,性 (Gender), 格 (Case),法 (Mood),時制 (Tense),態 CVoice吋〉などが総て語尾屈折 (InfJ.巴位xion〉 で示さオれs心 Lていた綜合的言語 (Synthetic Langu回1悶ag群'e) である O.E.ではな〈し'そのような語相互の関係が機能語 (Function
ばれる一連の語によつて示され,ほとんど InfIexionsによらなくなった 分析的言語 (AnalyticLanguage)であり9 時には語IJ買だけに頼る孤立語 (Isolating Language)にも近い Mod.E.であることへの認識が必要であ る.この認識の上に立脚して更に次の二点に注意する必要があると思われ る.
1) 英語がいまや AnalyticLanguageであり,また文法家の主観に多
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く依存する意味の多様性に照らして,外部形式(OuterForm)を分類基準 とすることが望ましいこと.
2) 言語の記述は当該言語に即した方法を採るべきであり,英語の記述 に当たってはラテン語文法やギリシャ語文法から独立し9 また英語を異国 語として学ぶ当該国民の言語的立場から記述されるべきこと.
今日のように変化して来た英語の万態を捉えるためには, Morphology とSyntaxというこつの異なった level(この摘では以下伝統文法に従っ た意味での形態論,統語論をそれぞれ指すことにする〉を如何に混同なく 適用し,重複を排し記述の一貫性を保っかに問題点が存ずるようである.
ここでは主として OttoJ espersenのW ord‑class (語類.一般に品詞と呼 ばれるもの〉と Rank(階)を中心に, Otto Funke及び C.C. Friesと の比較において述べてみたい.
Jespersenの文法理論は旧来の伝統文法に比べて斬新なものであった.彼 は先ず文法は LivingGrammarでなければならないとして Spok巴nLan‑
guageを重視し, 例証はその意味では必ずしも適当ではないにしても9
Free Expressionに展開される言語の変遷に注目した.この意味から彼は HearerとSpeak巴rの二つの立場から言語活動を捉えようとし,外部形式 (Outer form)から内面の意味 (Innermeaning)へ,即ち O→Iへ,ま たI→Oへの二つの方法による記述を試み,形式 (Form),棋念 (Notion) 及びその中間に位する機能 (Functioめという三つの領域を彼の文法理論 の中に区別した.そして中でも文法的概念を論理的概念と峻別してその範 噂を異ならしめ,事実と言語はその論理において必ずしも平行しないとい う厳然たる原理を文法理論の中に実証しようとした.言語処理においては,
彼自身も忠実でありえなかった, MorphologyとSyntaxの上述のような 新しい定義ふ言語を科学として究明しようとする彼の努力の表われに外 ならない.
Jesp巴rsenは先ず言語の観察に当って二つの異なった角度から分類を行
品詞分類の基準について 25 なった.語を単独に観察した W ord‑class (または Partof Speech)及び 連語(または統語〉関係において考察した三つの Rankがそれである.
(The Philosophy of Grammar, p. 107.以下 PG と略記する〉即ち Saussureの言う langue(Language)とparole(Speεch)の二つの世界に levelの異なる基準をそれぞれ当てて9 言語の記述を相補的に行なおうと したのである.しかし結果的には, Rankもlangueにおける考察となり,
また次に見るように Word‑classとRankというこつの異なるはずのlevel も必ずしも明確な基準をなしてはいないのである.
J巴spersenによれば Word‑classは実詞 (Substantives), 形容詞 (Ad‑
jectives),代名詞 (Pronouns)フ動詞(Verbs),及び不変化詞 (Particles) の五つの品詞に分類される.この分類基準は彼の Essentials of English Grammar (p. 69 ff.)に見られる各語類の inflexionのリストを見ても分
るようにタいわゆる Morphologicallevel即ち Formalcategoryによっ ているようであるが,実はこのことは P Gのどこにも明らかに定義され てはいない.上述の Essentialsには例語が列挙されているのみである.
しかも彼はこの Formalcategory によるらしいこの品詞分類に Syntax の面では至極右もなFunctionalcategoryを持ち込んで,語の分類のため には連語関係において単語を観察することの必要性を強調するのである.
(PG, p. 61; Essentials, p. 71)これでは折角彼自身が峻別しようとした 言語記述のごつの柱である Word‑classと Rankの意味が失くなってし まうことになりかねない.このような矛盾は彼が Formを語尾,接頭辞 などの語形のみならず,音調,語IJ民 形 式 語 (Form‑word)も含めた非常 に広義なものとして解釈している暖昧さに由来するものであると思われる.
この点 OttoFunkeが有名な ThreeRanks批判の論文で指摘する通り である (Funke,Otto, Jespersens Lehre von den Three Ranks, Englische Studien 60 Bd.中島文雄訳 iThreeRanks説批判J英語学ライブラリー,
p. 25). W ord‑classが彼の文法理論の三領域のこの Formの成果であるな
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らば, Formal categoryは Formalmodi五cation即ち Infl.exionを取り 扱う狭義のものにすべきである.そうでなければ彼が themost obvious test'であるとする Formの意義 (PG,p. 60)が薄れてしまうであろう.
彼の品詞決定の駿昧さはこれのみに止まらない. Jespersenは Substan tiveと Adjectiveの区別を明らかにするに当って,まず意味 (Meaning) の領域内にあって,概念の特殊性の原理を用いるのである. 彼 に よ る と SubstantiveとAdjectiveは共に qualities'を示し共通面が多くて見分
け難く,従ってこの二つの品詞を包括する Noun(Lat. nomeη〉なる語を 用いてもよいという (PG,p. 72).更に彼はこの二つの品詞を比較して,
Adjectiveは外延的 (extensive)であるのに対し Substantiveはより内包 的 (intensive,connotative)であり CPG,p. 75), You are a dear.が You are dωT.に比べてより親愛度が大きしまたはっきりしているのは,
Substantiveのもつ特殊性に由来する力強さのためだという (italicsは 筆者による)(PG, p. 77).ここでは文法は哲学または論理学の領域に入
り
, Notional categoryと Formal category とが混同している観を免れ ない.Verbが person,tense, voice, moodなど基づき,また Particleは no infl.exion'に基づくものであるといった Morphologicallevelに立っ て い て も 比 較(Comparison)という形式は adjectiveの意義が general signification'であるからということになり,形式と意味の混同という Jespersenの自家撞着が見られ,品詞分類の視点があいまいとなっている.
それを彼自身裏付けるかのごとく次のように述べている.
What has been attempted in this chapter is to五ndw hether or no there is anything in the nature of things or of our thinking that justi五esthe classi五cation…CPGp. 81)
Jespersenのこのようなあいまいさは,既存の定義を批判するのみで彼 自身の定義を示そうとしない態度にも起因している。例えばPronounsの 項においては Noreenの定義を批判したのち,数詞 (Numerals)はPro
品詞分類の基準について 27 nounの中で別個の細分類ぺsub‑class)として扱った方が適当であるとし,
また then,there, thence, when,ωhereなどの代名詞的副詞 (Pronominal Adverb)は Pronounの特長をもち,明らかに Pronounsから形成され たものだから Pronounに含めたいという (PG,p. 84 ffよ そ れ な ら ば 我 々は英語史の知識を借りなければ品詞の分類は不可能ということになるで あろう.これは明らかに文法は特定言語の言語事実によってその分析がな されるべきであり,従って如何に言うべきかを教える規範文法 (Prescrip司 tive Grammar) よりも, 実際の言語事実を記述してゆく記述文法 (De‑ scriptive Grammar)の方が蓮かに価値のあるものであるという彼の言説
(Essentials, p. 19; PG, p. 49)と相違するものである.しかも ]espersen は同じ PGの中で, He left there at two o'clock という例文 (PG,p. 101)において,この thereを たiftの Object と見て一次語 (Primary)
に用いられた Adverbとしているのである.
このように Jespersenの Word‑classの分類の基準は時に意味により9
時に形式によるといったあいまいなものだと言えるであろう.また既存の 耳慣れた術語を用いたことは多としても,定義を与えることなしいつの 聞にか伝統文法によるAdverb,Preposition, Conjunctionといった用語が 用いられている.これは要するに,品詞分類は,彼の言う grammatical instinct円 (PG,p. 62) によらなければ,不可能だということなのだろう か.
r
勘」に頼らねばならないような方法こそは科学的操作から排除されるべきである.
他方, Jespersenは SyntheticLanguageから AnalyticLanguage
へ
と変化しつつある英語の単語の区別に関し Word‑classのみでは記述し 尽せない3 言語の異なった面を,連語において生じる語相互の関係から捉 えようとした.即ち一次語 (Primary), 二次語 (Secondary), 三次語 (Tertiary)という三つの Rankを Word‑classと同価に且つ相補的に重 ね用いることにより9 語分類の記述を完からしめようとしたのである.連
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語関係において考察されたこの概念は,単に単語のみならず単語に準じた 機能上の単位をなすものすべて,即ち語群から文にまで適用される.これ はある点では確かに伝統文法で行なわれている用語の混乱を避け,言語記 述を便利にするに役立っている acanrton ballの cannonは nounで secondaryであると言えば,一応 Morphologyと Syntaxの二面から語 の部類を捉え得た観がある.旧来混同されていたこの二つの範轄を区別ぜ んとした Jespersenの試みは確かに一つの進歩であると言わねばならない.
しかしながら,彼の Word‑classの基準が暖昧であったように, Rankの 基本概念である連語関係における 'denne,' 'qualify ,''modify'といっ た用語,或いは function' といった術語の示す意味は,伝統文法ではか つて一度も定義されなかったし, Jespersenにおいても明らかにはされて いない.Bloomneldの定義 (Language,p. 194狂.)にみられる内心構造 (Endocentric Construction)をなす語群の修飾部 (Attribute)を指すとL、 った統語群(Syntacticconstruction)による説明がなされるまでは,1"修飾」
とは自明のこととして,主観に左右される,単に意味上の関係を示して来 たに過ぎないのである.従って Rankの概念は Jespersenの区別した文 法理論の三領域の一つである Functionの領域,つまり FormとNotion の出会う中間領域に立つものであると言っても, それは当然誤解を招き 易いものであった. Otto Funkeは, Function'なる概念を意味論的 (semasiologisch)また論理的(logisch)なものであると解釈しラ Jespersen の purelylogical" なる言 (ME. G吋 V0. 1II, p. 3)を受け容れなか ったのも Functionに対する異なった概念を互いに固執して,それぞれ 違った立場で論じ合っていたためであった.
Anton Martyを祖述したFunkeは,いわゆる Jespersenの言う Func‑
tionを 比 喰 的 内 部 言 語 形 式 仏gurliche innere Sprachform) に準拠す るものとして真の意味 (Bedeutung) と峻別し,これを Formの一部で あるとした.即ち Marty‑Fun1切によれば,言語表現の方法@手段に属す
品詞分類の基準について 29 るものすべて(音声的なものであっても概念的なものであっても〉を形式 CForm)と考えるのである.いわゆる通常意義 (UsuaIM回 ning)も臨時 意義(OccasionaIMeaning)を喚起するための一つの補助概念である場合 には,これも一つの言語形式と見倣すのである.つまり Funkeにあって は Jespersenの言う FormとFunctionは共に Formそのものであり,
従って formeI,grammatischなものは多義的であり,一義的機能を有す るとする Notionとの対立概念として捉えられていると思われるのに対し,
一方 Jespersenは,文法的概念である構造的意味 (StructuraIMeaning;
Function)が,論理的概念である真の意味 (Notion)を表わす様式を示す ために, Functionを Notionの中に包括して,これを Formに対立する ものと考えているように思われる.これが Jespersenが purelyIogical円 という言葉を Funkeの指摘によって functional円という言葉に訂正 した理由であろうが Funkeの考える文法領域においてこれを見るなら ば, Jespersenの 1司Tord.c1assもRankも共にFunkeの考える 'Form' を基準にした分類となってしまうのである. もともとあらゆる言語表現を,
白義表現 (Autosemantika)及び共義表現 (Synsemantika)の二つに分け,
言語単位の如何に拘らずそれ自体単独で意味を表象しうるか否かによって 分類しようとする意味論の立場とでは,初めから争う場が異なっており,
意見の一致は当然ありえないことと言わざるをえない.
このような立場の相違による意見の不一致は別としても, Jespersen自 身の Formと Functionに対する明確な定義とそれに基づく厳密な体系 が立てられねば,この種の混乱は避けられないであろう.既に述べたよう に, Formの中に語形のみならず、音調,語JI頂.形式語をも含める Jespersen の暖味な文法範曙の設定では,彼の言うように Formという文法領域か
ら vVord.c1assのみが抽出されるには, Funkeの指摘を待つまでもなく Formの示す概念が余りにも多義的で, Rankが何故 Functionを内容と する Syntactic categoryに属するのか不明になってしまうと思われる.
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しかしForm~FunctionごNotion という彼の図式は,HearerとSpeaker という一言語に対するこつの異なった approachの仕方を示すものであり,
それはまたJespersenの新しい定義に基づくMorphology(0→1)とSyntax (1→0)という考えに対応している.
これまで見てきたように,これら三つの文法的領域は互いに exclusive なものでなければならず,他方 MorphologyとSyntaxという二つの異 なった見方が同価に扱われる限りその混同や従属は許されない.何故なら この二つの見方は同価であってしかも相異なる基準に立ち,従ってこの二 つの levelによって分類された各々の結果には,必ずしも必要且つ十分な 相関関係があるとは期し難いからである.Jespersenがその設定の基準も なく用いている旧来のPreposion,Conjunction, 1nterjectionなどに Rank が適用できないのはこれらの分類が統語基準によるためでありラいわゆる Noun, Pronoun, Adjective, Adverbに限って適用されるのは,これらの 分類が形態基準及び形態基準と統語基準との混用による Word.classだか
らである.
また,もともと連接(Junction)において考察されたRankの考え方を9
そのままネクサス (Nexus)にも適用することには疑問がある.例えば I see a barking dogという文において Junctionによる abαrking dogが
(II+1)であることは分るとしても,その同じ機能によるという Rankが Nexus関係のこの文全体にも適用され 1seeαbarking dog (1 + II + 1)
と分析されるのは果して妥当であろうか.我々は語の位置という機能によ ってそれが行為の主体 (Actor)であるか目標物 (Goal)であるかの構造 的意味 (Structuralmeaning)を知るのだとすれば, Nexus関係に適用し たこの Rankの結果は実は StructuralMeaningを示すものではなく,
Word屯lassによる分析の結果と重複することになるであろう.
しかしながら, Jespersenの文法体系には上述のような levelの混用と いう不純性があるにしても,一言語の記述をより簡潔に便利に説明すると
品詞分類の基準について 31 いう点ではそれまでの伝統文法よりも優れたものであったと言えよう.ま た例えば stonewallのような統語の記述に当たって,強勢 (Stress),等 位置 (Coordination)などを用うべきことを唱えたり (PG,p. 94),また 形態として表わされた表現 o(Formalexpression)に基づく範噂のみを立 てるべきだとして,言語を語群として捉え,置き換え (Substitution)によ って観察しようとするなど (PG,p. 50 ff.), 今日の構造主義文法の萌芽 を見ることができる.
このような levelの混同を脱却し,また現代英語がその Inflexionをほ とんど消失し語相互間の関係によって示される実態に,より即し現実に立 脚しようとしたのがBloomfieldを祖とするアメリカ構造主義の文法家た ちであろう.構造言語学を応用した文法の最初の著者である Fri回 比 Bloomfieldの言語理論に基づいて現代英語のこのような分析性に着目し,
文中における語(群〕の占める位置という Funct10naI categoryの中で 彼のいわゆる三つの Test Frame (テスト用枠文〉によって語分類を行 なった.その結果4つの ClassWord (類語〉と15群の Function W ord
(機能語〕とを区別した.これは純然たる SyntacticleveIによる分類で あり,たとえ Class1 wordには‑s,Class 2 wordには ‑ed,或いは司ing といった形態上の特質が帰納されるとしても,例えば αblue旬eyedgirlに おけるblue‑eyedは Class3 wordに入るといったように,形態的特質は 一つの目安になるかも知れないが語類 (Word class)の所属を決定する条 件には必ずしもなりえない.これは分類の基準が異なっているからであり9
例えば Class1 wordは「人や物の名前」を表わすといったように Class Word には或る種の共通した類語の意味 (ClassMeaning)が帰納されるけ れども,それによってWordClassの帰属を決定できないのと同じである.
この点においては確かに伝統文法は勿論, Jespersenなどのいわゆる科学 文法 (ScientificGrammar)と称される文法に対しても一日の長があるが,
しかもなお atruck dri切f の truckが Class1 wordであったり (The
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St叩 ctureof English, p. 225),
A
burningfire is in thefinゆ'!aceのburning が Class2 wordであるとするのは(1るid.,p. 208),後が品詞 (Partsof Speech)と呼ぶ際には上述のような形態的特徴をもっClassWordのみを 意味している点から考えてみても, Friesにおいてすら,なお意識の底に 潜在的ないわゆる MorphologyとSyntaxの二つの levelの混同はあるように思われ.:f,.
さらに FunctionW ordsの15の群の分類基準の中にも,例えば Group N の要求 (R巴quest)を示す please(Ibid吋 p.103)などのように, Fun‑
ction Wordそれ自体は拡張自由発話 (ExpandedFree Utterance)に現 われるものといった機能によった区分に従いながら,その下位区分は意味 基準によっているのではないかと思われる節もある.しかしこれは彼の示 した三つの TestFrameが,果して英語という特定言語を記述する上に 必要かつ十分な言語環境を提供しているか否かによるであろう.
何れにしても彼が分類基準の厳正を期し,英語という特定言語の現実に 即して語の位置という Functionalcategoryからのみ分析し, levelの混 同を避けようとしたこの試案は9 不備な点を今後の課題として残しつつも さらに一歩を進めたものと言うべきであろう.これは或る意味で,分類基 準を言語の現実に即し Morphologyから Syntaxに変えた今日のラテン 文法的 Approachへの復帰と言えるかも知れない.