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韋應物 悼亡詩論(承前)江淹詩篇との関わり

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(1)

著者 黒田 真美子

出版者 法政大学文学部

雑誌名 法政大学文学部紀要

巻 66

ページ 1‑23

発行年 2013‑03

URL http://doi.org/10.15002/00008615

(2)

序 に代 え て 旧稿

・前 稿の 概要 大

唐帝 国の 根幹 を揺 るが した 安史 の乱

(

七 五五

〜七 六三) に よっ て︑ 十代 末の 韋應 物( 七三 五?

〜七 九〇

?) は「 右千 牛」 とい う玄 宗の 近衛 兵と して の特 権を 失っ た上

︑玄 宗の 蜀へ の扈 従を 認め られ なか った()

︒失 意の 彼は

︑長 安郊 外に 難を 避け たが

︑翌 天宝 十五 載( 七五 六) 八月

︑昭 応県

(

今 の西 安市 臨童 区) で︑ 彼と 同じ く北 朝系 名門 出自 の元 蘋( 七四

〇〜 七七 六) と成 婚す る()

︒ 爾来 二十 年︑ 元蘋 が亡 くな るま で︑ 二人 は共 に手 を携 えて

︑世 の荒 波を 乗り 越え てき た︒ その 妻を 亡く した 哀し みを 詠 ん だ 絶 唱 が

︑「 悼 亡 詩」 で あ る

︒ 以 上 の 経 緯 の 詳 細 は

︑ 拙 論 の 旧 稿

韋 應 物悼 亡 詩 論 序 説

十 九首 構 成 への 懐 疑

」(

以 下

︑「 序説」 と 略 す) () お よ び 前 稿「 韋 應 物 悼 亡 詩 論

潘 岳 の 哀 傷 作 品 と の 関 わ り()

に おい て 論じ た︒ 二 篇に おけ る その 他の 内 容に つい て

︑以 下に 概要 を記 し︑ 序に 代え るこ とと する

序 説」 で は

︑ ま ず 元 蘋 の 墓 誌 銘 な ど を 援 用 し

︑ 彼 女 の 兄 弟 や 元

(

七七 九〜 八三 一)

・ 柳宗 元( 七七 三

〜八 一九) との 姻 戚関 係() をも 含 めて

︑ 具体 的な 妻像 を明 らか にし た︒ 柔素

亮爲 表 柔 素 亮 に 表と 為り 禮章 夙所 該 礼 章 夙に 該す る所 仕公 不及 私 公 に仕 へて 私に 及ば ず 百事 委令 才 百 事 令才 に委 ぬ

(

一「 傷逝」 第 五・ 六聯) 儒

教的 婦徳 や教 養を 備え

︑書 道に も秀 でて いた 聡明 な妻 とし て︑ 韋應 物は 家事 育児 教育 万般 を任 せて いた とい い︑ 右の よう に悼 亡詩 第一 首に もそ の姿 が詠 まれ てい る︒ 次 い で

︑韋 應 物の 悼 亡 詩( 以 下︑「 韋 詩」 と略 す) が 従 来

︑十 九 首連 作と され てき たこ とへ の疑 義を 呈し た︒ 拙論 が底 本と する 四部 叢刊 所収 一

黒 田

真 美 子

江 淹 詩 篇 と の 関 わ り

韋 應 物 悼 亡 詩 論

(

承 前 )

(3)

韋 江州 集 など の 別集 通 行 本の 十 四部 居 によ る 体 裁は

︑ 北 宋・ 王 欽臣 に始 まる とさ れる()

︒今 とな って は断 定し 得な いも のの 十九 首連 作も

︑王 欽臣 によ って 再編 成さ れた 蓋然 性が 高い

︒そ の構 成は

︑四 季の 推移 を基 軸と して いる

︒し たが って 季節 感が 希薄 で︑「 寄贈」「

酬答」「

懐 思」「

雑 興」 など ほか の部 居に

︑よ りふ さわ しい 詩篇 が「 悼亡 詩」 から はず され て︑ 各部 居に 組み 入れ られ たの であ る︒ 時代 的に

韋 詩」 を継 ぐ元 の 悼 亡詩 三 十三 首 は

︑「 韋 詩」 の多 角 的 観点 か らの 形 式を 踏 襲 し︑ 同 一 の 詩 題も 見出 せる

︒そ れら をも 参考 にし なが ら検 証し た結 果︑ 新た に十 一 首 の「 悼 亡詩」 を 発見 提示 した()

︒ 前 稿で は︑ 右の 計三 十首 の「 韋詩」 を 対象 に︑ その 特質 を考 察し

︑つ ぎ の三 点 を指 摘 した

︒ 一

︑「 序」

で 記し た 妻像 に 加え て

︑ 夫と 趣 味愛 好 を同 じ くし

︑ 玄 宗薨 去 後 の過 酷 な状 況 を共 に「 手を 携 へ て」「

提 携し て」 乗り 越え てき たと いう 共感 が詠 まれ てお り︑ 対等 に近 い関 係性 が伺 われ るこ と︒ 二︑ 今( 悲) と昔

(

喜) の 対比 が多 く用 いら れて いる が︑ その 対比 が︑ 空間 移動 を伴 って いる こと

︒三

︑空 間移 動を 伴う 今昔 の往 還 によ っ て構 築 さ れる 詩 境は

︑ ノ スタ ル ジ ック な 時空 で ある こ と

︒「 韋 詩」 の今 昔は

︑断 絶し た対 比で はな く︑ 昔と 同じ 道を 歩み なが ら︑ 昔の 世 界に 入 り︑ 空 間 的回 帰 を果 た して い る︒「 旧 居」「

故 第」「

旧宅」

など を し ば し ば 再訪 す る 空 間 移 動 は

︑nostos(

家 に 帰 る) の 擬 似 行 為 であ り

︑ それ は 本来 の 場所 へ の「 帰 郷」

︑ 換言 す れ ば根 源 的ト ポ スへ の 回 帰 を めざ すノ スタ ルジ ック な世 界と いえ よう

︒ 次い で西 晋・ 潘岳

(

二四 七〜 三〇

〇) の「 悼亡 詩」(

以下

︑「 潘詩」 と 略 す) と の 比較 を 行っ た

︒ 悼亡 詩 の流 れ の中 で

︑「 韋詩」

︑従 前 六首

の詩 篇() と 比べ て質 量と もに 突出 して いる のは なぜ かと いう 命題 を考 察す る際

︑嚆 矢に 位置 づけ られ る「 潘詩」 と の比 較は

︑不 可欠 であ る︒ その 結 果︑ 韋 應 物は

︑「 潘 詩」 の 詩語 や モ チー フ を踏 襲 し︑ そ れ によ っ て詩 境 を広 め る一 方

︑「 潘詩」

の 朝廷 へ の出 仕 によ る 悲 傷 の 克服 と いう 現実 的モ チー フ(「

心を 投じ て朝 命に 遵 はん とし

/涕 を揮 ひて 強ひ て車 に就 く」 第三 首第 十六 聯な ど) を︑ 明確 に拒 否し てい るこ とを 証し た︒ これ は「 韋詩」 の 特質 が︑ 過去 への 回帰 に執 着す るノ スタ ルジ ック な時 空で ある こと の傍 証に もな る︒ さ らに 潘岳 の「 悼亡 賦」「

哀永 逝文」「

寡婦 賦」 とい う「 悼亡 詩」 とは 異 なる ジ ャン ル の 哀傷 作 品と の 関 わり を 分析 し た︒「 韋 詩」 の新 し さと して

︑ 妻 像の 描出

子ど もを 詠う

夢 今 昔 の対 比 のモ チー フが 挙げ られ るが

︑そ れら は「 悼亡 詩」 では なく

︑ジ ャン ルを 異に する 右の 哀傷 作品 を模 擬す るこ とに よっ て︑ 生み 出さ れて いた

︒韋 應物 は︑ 悼亡 詩と いう ジャ ンル に拘 るこ と無 く︑ 詩語

・発 想・ 構成

・句 中の 構造 を模 擬し たの であ る︒ 彼の この 営為 は︑ 実は 潘岳 自身 が哀 傷諸 作の 中で 試み て いた

︒ 死 によ る 別離 と いう 同 一 主題 の 諸作 品 のア ナ ロ ジー と 緊密 性を 論証 した 上で

︑そ の点 こそ が「 韋詩」 と「 潘 詩」 との 本質 的関 わり であ るこ とを 明ら かに した

︒こ の模 擬性 ゆえ に︑ 韋應 物は 潘岳 との 価値 観の 相違 や「 寡婦 賦」 の性 差( 夫を 悼む こと と妻 を悼 むこ と) をも 対照 化し て動 的に 関わ らせ

︑そ れら の触 媒に よっ て︑ 詩境 を深 め広 め得 たの であ る︒ ここ に「 韋詩」 の 多様 性を 生み 出し た動 因の 一つ を見 出せ ると 論じ た︒ 以 上の 序 およ び前 稿の 成果 を踏 まえ て︑ 本稿 では

︑南 朝宋 斉梁 とい

文 学 部 紀 要 第 六 十 六 号

(4)

う混 乱期 を生 きぬ いた 江淹

(

字 は文 通︑ 四四 四〜 五〇 五) の「 悼室 人」 十首

(

以 下︑「 江詩」 と 略す) と の比 較を 行う

︒「 江詩」 は

︑従 前六 首の 中 で

︑ 時 代 的 に も 内容 的 に も「 潘 詩」 を 継 ぐ 看 過 し 得 な い作 で あ り

悼 亡詩」

の 流れ の 中の

韋 詩」 を 孝 覈す る 上で

︑ 欠 くべ か らざ る 意味 を有 して いる から であ る︒ 第

一章

江 淹「 悼 室 人」 と の 関わ り( 一)

佳 人」 につ いて 第一 節

悼室 人」 先行 研究 概略 江 淹 作 品 の先 行 研 究 は︑ 大 略 を ま とめ れ ば

①「 別 賦」「

恨 賦」 など の 叙 情的 感 傷 的作 品 研 究

②「 雑 体 詩 三十 首」「

效 阮 公詩 十 五 首」 など の擬 古( 模擬) 的 作品 研究

︑③ 道教 道家 を中 心と した 思想 的作 品研 究の ほ かに

④ 所謂

江 淹才 尽( 五色 の 筆の 郭 璞へ の 返却)」

故 事() の 究 明に 大 別さ れ る︒ 近 年

︑郭 璞( 二七 六

〜三 二 四) と の 関連 か ら︑ 山 海 経 受容 の研 究も 加え られ た()

︒ こ の中 で悼 亡詩 は︑

①叙 情的 感傷 的作 品の 部類 に入 るが

︑専 論と して は寥 寥た る状 況で

︑管 見の 限り

︑旧 拙論

江 淹の 悼亡 詩に つい て」 が唯 一 のも の であ る()

︒ そこ で は︑「 江 詩」 の成 立 時期 に つい て

︑ 劉宋

・ 元徽 四年

(

四 七六

︑江 淹三 十三 歳) の頃 と推 定し た()

︒ 江淹 は二 十代 後半 の大 半を 建平 王劉 景素 に仕 えた が︑ 三十 代に 入る や︑ 王を 諷諫 して 不興 を買 い︑ 元徽 二年

(

四 七四) 八

︑九 月頃

︑建 安呉 興( 福建 省浦 城県) に 左遷 され る︒ 旅立 つ直 前

︑生 後一 年に 満 たな い次 子江 を 亡く し︑ 妻劉 氏も

そ の後 を追 うよ うに 逝去 した

︒服 喪中 は作 詩を しな いこ と︑ また 四季 が 詠 み込 まれ てい るこ とか ら︑ 悼亡 詩作 成は

︑逝 去後

︑一 年余 り後 のこ と と 推定 され るの であ る︒ また

潘詩」 と の比 較を

︑① 季節 とそ の推 移表 現︑

②悲 哀表 現の 二つ の観 点か ら考 察し た︒ その 結果

︑① では

︑両 詩と もに 季節 を自 然描 写に よ って 表 現す る が

︑「 潘 詩」 は︑ 鳥 花 草木 な ど 自然 の 景物 の 具体 的 様 態 を 詠わ ず()

︑山 水の 美は 表現 され ない

︒そ の季 節表 現は

︑自 然の 美し い空 間よ りも 変化 推移 する 時間 相の 表象 とい う意 味に 比重 が置 かれ てい るの であ る︒ それ は︑ 第一 首春 から 第三 首冬 へと 季節 がめ ぐり

︑さ らに 春へ と 循環 す る円 環 運動 を 内 在さ せ てい る

︒ 一方

︑「 江 詩」 は

︑ 後述 す るよ う に︑ 南 国 の光 と 色に 溢 れ た山 水 や︑「 適 々 見る

葉 の蕭 条 たる を

/已 に復 た花 菴

たり」(

第 二首)「

引き て寂 寥を 知り

/蛾 飛び て幽 陰を 測 る」(

第 六 首) な ど 視覚 聴 覚に 訴 え る景 物 を各 季 節中

︑ 具 体的 に 詠 ん で いる

︒ そ れら は

︑ 第一 首 冒頭 の「 佳人

永へ に 暮れ り」(

後述)

とい う「 はじ まり」 か ら第 八首 末句

徒 らに 見る 四 時虧 くる

(

去 る) を」 とい う「 おわ り」 の巨 視的 時 間に 挟 まれ て︑ 完結 し た世 界に なっ て いる

︒ 両 詩に は此 の如 き対 照的 な相 違が 認め られ た︒ それ は地 理的

(

北の 洛陽 と南 の呉 興) およ び時 代的 相違

(

西 晋と 山水 詩が 盛ん にな った 南朝 宋以 降) に起 因し てい よう

② 悲 哀 表現 に つい て は

︑「 潘 詩」 は︑ 自 ら の悲 哀 を肯 定 せ ず︑ 朝 廷 へ の出 仕を 強 いて

︑悲 哀を 克服 しよ う とす る︒ 悲哀 表現 も抑 制 され て いる

︒ それ に対 して

江 詩」 は︑ 末尾 に必 ず悲 哀を 表現 し︑ あり のま まの 悲し みを 表白 して いる

︒さ らに 最後 の第 十首 で妻 を仙 界に 登場 させ

︑悲 哀の 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)

(5)

止揚 を試 みる

︒「 潘 詩」 が現 実志 向で ある のに 対し て︑「 江 詩」 は︑ 夢幻 志向 と評 せよ う︒ ま た悼 亡詩 に関 する 初の 専著 であ る胡 旭 悼亡 詩史 は

︑第 一章 先唐 悼亡 詩第 五節 にお いて

江 詩」 を論 じ︑ その 特色 を︑ 以下 の三 点に まと め る()

︒ 一

︑「 潘詩」

の 三首 に 比し て

︑ 十首 構 成と い う 多角 的 観点 か ら︑ バ ラン ス よく 時 空 を構 築 展開 し てい る

︒ 二︑ 代 表 作「 恨 賦」「

別 賦」 と 同様 の「 賦法」 を 用い て「 鋪陳」 を 尽く して いる

︒三

︑春 夏秋 冬各 季節 に二 首ず つ配 当し

︑各 首内 部も 厳然 たる 秩序 を形 成し

︑緻 密な 結構 を有 して いる

︒い ずれ も首 肯し うる 指摘 であ り︑ 詳し くは

︑必 要に 応じ て適 宜参 照す る︒ 以 上「 江詩」 に 関す る先 行研 究の 概略 を述 べた が︑ つぎ に︑ 新た な知 見を 加え なが ら︑「 江詩」 と「 韋 詩」 との 関わ りに 論及 する

︒ 第二 節

佳人」

に つい て 韋 應物 の悼 亡詩 と江 淹の それ との 関わ りに つい て︑ 結論 から 先に いえ ば︑ 両詩 の共 通項 とし ては

︑つ ぎの 四点 が挙 げら れる

︒一

︑亡 き妻 を︑

佳人」 と 称す るこ と︒ 二︑ 夏の 歌が ある こと

︒三

︑今

(

悲) と 昔( 歓) の 対比 が 見ら れ るこ と

︒ 四︑「 潘 詩」 の 出 仕に よ る悲 哀 の 克服 と い う 現実 的モ チー フが 拒絶 され てい るこ と︒ 三︑ 四に 関し ては

︑す でに 前 稿 及び

江詩」 の 旧拙 論で 指摘 した ので

︑本 論で は簡 潔に 記す こと にし て︑ 第一 章で 一︑ 第二 章で 二を 中心 に論 ずる こと にす る︒ 韋 應 物 が

︑ 亡 き妻 を い か に 呼 称 し て い る か は

︑ つ ぎ の と お り であ る

(

漢 数字 は

︑ 注(

)7

に掲 げ た「 韋 詩」 通 し 番 号︑

○ 囲み 算 用 数字 は

︑ 第

何 句か を表 す︒ 以下

︑同 じ)

室 中人」(

一③)

︑「 其人」(

⑮)

︑「 佳 人」(

⑦︑ 二十

⑪)

︑「 之 子」

(

十二

②)

︑「 人」(

十三

③) そ れ に 対し て

︑「 江 詩」 では

︑ 亡 妻は 一 貫し て「 佳人」

と 称さ れ てい る︒

韋詩」

は︑「 江詩」 と異 なり

︑同 一 時期 に作 詩さ れ た連 作 詩で は なく

︑ 数も 三十 一首 とい う約 三倍 の多 さで ある ため

︑右 のよ うに 多様 な表 現に なる のは

︑当 然で あ る︒ た だ「 室中 人」 は

︑や はり

江詩」 の「 悼 室人」 を想 起さ せる し︑「 佳人」 を 二カ 所に 用い てい るの は︑「 江 詩」 を踏 まえ て いる と 見な せ よう

︒ 一 方︑「 之 子」 は「 潘 詩」 が 用 いて い る︒ 本 章で は︑ 韋應 物が どの よう な意 味を こめ て「 佳人」 を 用い てい るか

︑「 之 子」 と の 比 較 も含 め て 考 察 し た い

︒ そ の た めに は

︑ まず

江 詩」 に お ける

佳人」 を 審究 すべ きで あろ う︒

江 詩」 に「 佳 人」 は

︑ 計 三カ 所( 第一 首 初句

︑ 第 九首 第 五句

︑ 第 十 首 第三 句) で 用い られ てい る︒ まず 第一 首︑ 春の 歌に 見え る︒ 佳人

永暮 矣 佳 人 永へ に暮 れた り 隠憂 遂歴 茲 隠 憂 遂に 茲

に 歴

る 寶燭 夜無 華 宝 燭 夜 華無 く 金鏡 晝恆 微 金 鏡 昼 恒に 微か なり と

冒頭 に 置か れ て︑ 妻 の 死の 永 遠 を 告 げ︑ そ の 悲痛 愁 苦の ま ま

︑今 に至 った と述 べる

︒第 二聯 では

︑昼 夜対 を用 いて

︑そ の不 在を 光輝 の喪

文 学 部 紀 要 第 六 十 六 号

(6)

失に 譬え て表 現す る︒ こ のよ うに 江淹 は妻 を「 佳人」 と 称し

︑第 一首 冒頭 に置 いて

︑江 淹悼 亡詩 の象 徴と いう べき 詩語 とし てい る︒ その イメ ージ は︑ 人口 に膾 炙す る「 古よ り 佳人 は 多く 命 薄 し」(

北 宋

・蘇 軾) と い う 儚い 美 女と し て 捉 え られ るで あろ う︒ 当時 の士 大夫 階級 が︑ 自身 の妻 を対 象に 作詩 する こ と は例 外 的 であ り

︑ 悼 亡 ゆえ に 許 容さ れ たと 考 え られ る

︒ そう し た 風 潮の 中で

︑江 淹は

︑臆 面も 無く

︑自 身の 妻を

︑な ぜ「 佳 人」 と称 した ので あろ うか

︒実 際︑ 潘岳 は「 之子」 と いう 美称 を含 まな い簡 素な 指示 代名 詞で 表し

︑他 の六 朝悼 亡詩 では

︑妻 を表 す詩 語す ら用 いて いな いの であ る︒

佳 人」 は右 の 通 り︑ 薄 命 の美 女 のイ メ ージ が 強 い語 彙 では あ る が︑ 以下 のよ うに それ だけ では ない 多義 性を 有し てい る︒

①神 女︑

②未 婚の 美 人︑

③ 既 婚の 美 人( 妻)

④宮 女

・歌 姫( 娼妓) ()

と いう 女 性の み なら ず

︑ 清・ 趙 翼が

︑「 男子 稱 佳人」(

餘 叢 考 巻 四 二) と 記 すよ う に︑ 男性 をも 指す

︒⑤ 賢臣

︑⑥ 主君

(

臣 下が 称す)

︑⑦ 良き 友人

︑⑧ 美男 子︑

⑨美 徳美 行 の男 子︑

⑩夫

(

妻 が称 す) など で ある

︒男 性を 意 味す る のは

︑ 派生 的︑ 比喩 的場 合 であ り︑ 拙論 の 主題 とも はず れ るの で

︑詳 細は 省く

︒ た だ初 出︑ また 主要 な用 例は

︑十 種す べて 魏晋 まで に出 そろ って おり

︑ 江 淹の 時 代 にお い て︑「 佳 人」 と い う 語は

︑ す でに 右 の多 義 を包 摂 し て い たの であ る︒ 十種 の中 で︑ 拙論 との 関わ りか らい えば

︑③ 既婚 の美 人に つい て一 言 す べ き で あろ う

︒ そ の 用 例 は

︑ 例 え ば

︑ 西 晋

・ 張 華「 情 詩」 五 首 其一

(

文 選 巻二 九) であ る︒ 夫の 遠地 公務 のた めに 独居 を守 る妻 の代 作で

北方 に佳 人有 り/ 端坐 して 鳴琴 を鼓 す」 と詠 み始 め︑「 君 子( わが 夫) は時 役を 尋ぬ」 と 述べ て︑ その 寂し さを 一人 称で 訴え る︒ すな わち この 妻の 夫は

︑張 華自 身で はな い︒ また 劉宋

・顔 延之

秋 胡詩」(

文選 巻 二一) は

︑所 謂秋 胡説 話に 基づ く作() であ り︑ 田野 で桑 摘み する

窈 窕た る」「

佳 人」 は小 役 人 秋胡 の 妻で

︑ 作 者顔 延 之の 妻 では な い︒ こ の よう に「 佳人」 は 美人 の妻 をも 意味 し︑ その 要素 は江 淹の

佳 人」 採用 に幾 許か の影 響を 与え たで あろ う︒ だが

︑詩 人自 身の 妻を

佳 人」 と詠 んだ のは

︑江 淹の 悼亡 詩が 嚆矢 であ る()

江 詩」 第一 首 の「 佳 人」 には

︑ 具 体的 な 姿は 詠 まれ ず

︑ そこ に 籠め られ た意 図は

︑判 然と しな い︒ その 姿は

︑第 二首 以下 でも 見え ず︑ わず かに 第六 首秋 の歌 の第 二・ 三聯 で︑ つぎ のよ うに 詠わ れる 程度 であ る︒ 流黄

夕不 織 流 黄 夕べ に織 らず 寧聞 梭杼 音 寧 ぞ梭

の 音を 聞か んや 凉靄 漂 座 凉 靄 虚座 に漂 い 清香 盪空 琴 清 香 空琴 に盪

ぐ 第

六首 の第 一聯 は「 窓塵 歳 時阻

しく

/閨 蕪 日夜 深し」 と 妻亡 き家 室は

︑日 ごと 夜ご とに 荒れ 果 てて い く様 を哀 しむ

︒次 いで 右 の第 二 聯は

︑ 夕暮 れに なっ ても

︑萌 黄色 の絹 を織 る機 の音 は響 かず

︑ひ んや りと 薄ら 寒い 夕靄 の中

︑座 る者 のい ない 席の そば に置 かれ た琴 から 残り 香が たち のぼ る ばか り

︒全 十篇 を通 じ て︑ 生前 の妻 の 姿( 機 を織 り

︑琴 を奏 でる) が偲 ばれ るの は︑ ここ だけ であ る︒ その 姿は

︑士 大夫 階級 の妻 とし てご 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)

(7)

く一 般的 であ り︑ 特筆 すべ きこ とは 見当 たら ない

︒そ れに 比し て前 述の

韋 詩」 の 妻 像が 具 体的 で 新 しい と され る 所以 で も ある

︒ そ れが 突 如︑ 変 容す るの は︑ 最後 の第 九・ 十首 にお いて であ る︒ 第九 首の

佳人」 は

︑巫 山の 女 と対 比し て︑ 詠わ れる

︒ 女

色 麗 神 女 色

た り 乃出 巫山 乃 ち巫 山の

に 出づ 逶 羅袂 下 逶 た り 羅

の下 日 望所 思 日 を

りて 思ふ 所を 望む 佳人 獨不 然 佳 人 独り 然ら ず 戸 絶錦 戸 に 錦

絶ゆ 感此 増嬋 娟 此 れに 感じ て増 々嬋

た り 屑屑 涕自 滋 屑 屑と して 涕 自ら 滋

し 清光 澹且 減 清 光 澹

く 且つ 減じ 低意 守空 帷 低 意 空帷 を守 る 第

一聯 から

︑宋 玉「 高唐 賦」(

文 選 巻一 九) に詠 われ る巫 山の 神女 が 登場 す る︒ 第 二 聯で は

︑「 高 唐 賦」 の 詩 句(「

け るこ と 姫 の 袂 を 揚 げ日 を

り て思 ふ所 を望 むが 若し」)

をそ のま ま用 いて

︑ 女が

︑ゆ るゆ ると 長く 垂れ る薄 絹の 袂を 挙げ て日 差し を遮 り︑ 恋し い人 を待 ち望 む姿 を描 出 する

︒一 方︑「 佳人」 の妻 は

︑「 神 女」 とは 反対 に 姿を 見 せず

︑ 詩人 の断 ち切 れぬ 思 いは い や増 すば かり

︒は らは ら と落 ち る涙 も拭 わず

︑ 沈 む心 のま ま︑ がら んと した 部屋 でい つま でも 哀し みに 耽る ので ある

この よう に「 女」

は︑ 長い 袂の ある 薄絹 の衣 をま とい

︑容 色は 見目 うる わし いと

︑美 貌を 直截 に表 現さ れて いる

︒そ れに 対し て「 佳人」 の 形 容 は

︑ 刺 繍 入 りの 錦 の 靴(「

錦」)

だけ で あ る

︒ だ が 姿 を 現 さ な い

佳人」 へ の思 い は︑ かえ って 一 層切 な く尽 き るこ とが ない

︒「 佳人」 は︑

女」

よ り も美 貌 を抑 制 さ れて は いる が

︑ それ に 匹 敵す る 魅力 あ る存 在と して 対置 され てい るの であ る︒ 後 に 引 用す る よう に

︑ 第十 首 では

︑「 佳 人」 へ の 思い が さ らに 募 り︑

二 妃瀟 湘 に 麗し

/ 一有 れ ば 乍ち 一 無し

︒ 佳 人は 雲 気 を承 け

/此 の 幽 都 に 下る 無か れ」(

第 一・ 二聯) と 願望 を交 えて

︑「 佳人」 は 遂に 神女 と化 す︒ 詩人 の空 想の 中で

霊 輿」 に乗 り︑「 金淵 の側」「

碧山 の隅」 と いう 夢幻 の仙 界を 遊行 する ので ある

︒ こ の イ メー ジ の淵 源 は

︑ 楚 辭 に遡 る

︒ 江淹 は 旧 拙論 で も指 摘 した よう に 楚辭 の 詩語 や詩 句を 数多 く用 いて いる() が︑ 右の

二 妃」 すな わ ち「 九 歌」 湘君

・ 湘夫 人 が登 場 して い るか ら で ある

︒ 楚 辭 の 中に

佳 人」 は 三 カ所 に 見え る() が︑ そ の 中の 一 つに

湘 夫人」

が 含ま れ る︒ 彼女 こそ 江淹 の意 図す る「 佳人」 の 原型 とい えよ う︒

湘 夫 人」 は「 帝 子北 渚 に降 る

/目

と し て( 遙 か 遠く に 霞ん で) 予を 愁へ しむ」 と 哀調 を帯 びて 詠い 始め られ るが

︑中 程に

︑湘 夫人 を指 すと 考え られ る「 佳人」 が 見え る︒ 聞佳

人兮 召予

佳人 の予 を召 すと 聞き 將騰 駕兮 偕逝

将に 騰駕 して 偕

に 逝か んと す

文 学 部 紀 要 第 六 十 六 号

(8)

「 湘 夫人」 は

︑「 湘君」 と 並ぶ

︑湘 水の 神女 であ る︒ 後漢

・王 逸の 注に よ って

︑ 堯 の二 人 の娘

︑ 舜 の「 二 妃」 と さ れる こ と が多 い が︑「 天 帝の 二女」「

洞 庭山 神( 洞庭 湖中 の島 にあ る山 の神)」

はた また

湘 山神 夫妻

(

湘君 が夫 で湘 夫人 が妻)」

など

︑異 論も 数多 ある()

︒今

︑そ の検 証は さて お き︑「 湘 夫人」

で ある

佳 人」 は

︑ 後世 の 注解 に よ って

︑ 比喩 と し て

⑥ 主君 を指 すと いう も ある が︑ 第一 義的 には

︑① の 女を 意味 して い よ う︒ 江淹 が用 いた

佳人」 の 語に は︑ 湘夫 人を 原型 とす る神 女の 要素 が含 まれ てお り︑ それ ゆえ に「 巫山 の 女」 との 対置 が可 能だ った ので あ る︒ 神 女 であ る「 湘夫 人」 の 要 素 とし て は︑ 水 神 であ る こと

︑「 眇眇 とし て」 明確 な像 を結 ばな いこ とに 留意 して おき たい

︒さ すれ ばそ こに は神 秘性 が内 在し

︑も はや 生者 では ない 妻を 異界 の存 在と して 表す こと も可 能と なろ う︒ ここ に自 身の 妻を

佳 人」 と称 す可 き根 拠の 一つ が看 取さ れる

︒だ が︑「 九歌」「

湘夫 人」 には

︑北 の彼 方に 降臨 した 事実 だけ が記 され

︑夫 人の 具体 的な 描写 は︑ 皆無 であ る︒

①の

神 女」 像が 具象 化さ れる のは

︑魏

・曹 植「 洛神 賦」(

文 選 巻十 九) にお いて であ る︒ 都 洛陽 から 任地 への 帰途

︑洛 水の ほと りで 休ん でい た曹 植の 前に 姿を 現し た神 女に つい て︑ 御者 に語 ると いう 枠組 みの 作で ある

︒前 半は

︑そ の美 を直 喩(「

其の 形や

︑翩 たる こと 驚鴻 の若 く︑ 婉た るこ と龍 の若 し」 な ど) や 暗 喩(「

榮 は秋 菊 よ りも 曜 き︑ 華 は 春松 よ り茂 る」 など)

を駆 使し

︑容 貌(「

丹唇」「

皓歯」「

明 眸」 など)

・ 形態

・身 のこ なし

・衣 類・ 靴・ 装飾 品に 至る まで

︑逐 一溢 れん ばか りの 形容 詞を 対句 で列 挙し

︑ま さに 鋪陳 を極 めて 表現 する

︒ 詩 経「 衛 風」 碩人 以来 の美 人の 形容() の集 大成 とい えよ う︒ すっ かり 心を 奪わ れた 曹植 は︑ 彼女 に近 づい て︑ 想い

の 丈を な んと か 伝 えよ う とす る

︒「 微波 に 託 して 辞 を通 ず

︒ 玉佩 を 解い て以 て之 を要 す」 と︒ これ に続 く詩 句に

佳 人」 が見 える

︒ 嗟佳

人之 信脩

佳人 の信 脩な る 羌習 禮而 明詩

礼に 習ひ て詩 に明 らか なり 詠

嘆 の 言葉 か ら始 ま る「 神 女 の誠 な る素 晴 らし さ(「

信脩」)

︑「 習 禮」「

明詩」 と 詠う が︑ 唐・ 李善 注は

︑前 者を

立 徳」

︑後 者を

言 辞を 善 くす」

の 意味 と する

︒「 佳 人」 は

︑ ただ 美 しい だ けで は な く︑ こ こ に 至 って

︑婦 徳と 教養 を兼 備す る要 素が 付加 され たの であ る︒ だが これ で は まる で儒 教的 賢女 の体 現で あり

︑「 神女」 の イメ ージ とは 齟齬 があ る︒ なぜ かよ うに 現実 的要 素が 表さ れた のか

︒そ れは 李善 の題 下注 から 明ら か であ る

︒「 洛神」

は序 文 中︑「

(

古 代 伝 説上 の 帝王 伏 羲の 娘)」

と 称さ れて いる が︑ 実際 は︑ 曹植 の兄 文帝 曹丕 の妻 甄

を指 すと いう

︒曹 植の 思い 人で あっ た彼 女は

︑曹 操に よっ て曹 丕に 与え られ

︑挙 げ句 の果 てに

︑郭 皇后 の讒 言に よっ て死 を賜 った

︒曹 植は

︑洛 陽で その 死を 告げ ら れ︑ 帰 路

︑彼 女 を 偲ん で この 賦 を詠 ん だと い う

︒す な わち

︑「 洛 神」 は︑ 思い 人の 死後 の理 想化 され た存 在だ った ので ある

︒そ のた め韋 應物 の妻 の墓 誌銘 にも ある よう な現 実的 要素 が混 入し たの であ る︒ だが そこ にこ そ︑ 江淹 が悼 亡詩 に「 佳人」 を 用い た所 以が 求め られ よう

︒ な おこ の悲 劇と 作品 の知 名度 は高 く︑ 江淹 の知 ると ころ であ ろう こと は 容易 に 類推 し う るが

︑ つ ぎの 作 から そ れ を明 確 に立 証 でき る

︒「 詠美 人 春遊」(

巻 四︑ 五 古四 韻) にお い て︑ 彼 は 江南 二 月の 春

︑ 花見 を し て 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)

(9)

いる 美人 をつ ぎの よう に詠 む( 第三

・四 聯)

︒ 白雪

凝瓊 貌 白 雪 瓊貌 に凝 り 明珠 點絳 唇 明 珠 絳唇 に点 ず 行人 咸息 駕 行 人 咸

駕を 息め 爭擬 洛川 神 争 ひ擬 す 洛川 の神 に 第

三聯 の美 人の 形容 は︑ まさ に「 洛神 の賦」 を 彷彿 とさ せ︑ 第四 聯に 至っ ては 言う まで も無 い︒ 以 上の よう に︑ 江淹 が亡 き妻 を「 佳人」 と 称し たの は︑ 美し き神 女と いう イメ ー ジの 奥に

︑生 前︑ 婦徳

︑教 養を 具備 した 亡者 とい う認 識が あっ た︒ すな わち 愛妻 の死 後の 理想 化さ れた 存在 とい う意 味を 有し たが ゆえ に︑ 江淹 は︑ 自ら の妻 を︑ 臆面 も無 く「 佳人」 と 称し 得た ので ある

︒そ の結 果「 今」 しか なか った 悼亡 詩の 世界 に︑ 今の 時空 を超 える 夢幻 の神 仙界 とい う新 たな る時 空が

︑導 入さ れた ので ある

︒ さ て 韋 應物 は

︑ 前述 の 如く

︑「 佳 人」 を 二 カ所 に 用い て い る︒ ま ず 春 の 歌︑ 七「 對 芳樹」 () を 挙げ よう

︒ 迢迢

芳園 樹 迢 迢た り 芳園 の樹 列映 清池 曲 列 ねて 清池 の曲 に映 す 對此 傷人 心 此 に対 して 人心 を傷 まし む 還如 故時 緑 還 た故 時の 緑の 如し 風條 灑餘 靄 風 條 余靄 を灑 らし

露 葉承 新旭

露葉 新 旭を 承く 佳 人不 再攀

佳人 再 びは 攀ぢ ざる も 下 有往 来躅

下に 往来 の躅

有り 屈

曲す る清 らか な池 のほ とり に︑ 芳し い花 の咲 く並 木が 果て しな く連 なり

︑水 面に 緑を 映し てい る︒ 春風 に揺 れる 枝が

︑消 えか かる 朝靄 を払 い流 し︑ 葉の 上の 露が

︑み ずみ ずし い朝 日を 受け て︑ 光り 輝く

︒ 第 一・ 三聯 で詠 われ る景 色は

︑唐 代を 代表 する 自然 詩人 の面 目躍 如た る美 しさ であ るが

︑詩 人は 悲傷 感を 抱い たま ま佇 む︒ なぜ なら

︑そ の緑 は︑ 二人 で愛 でた とき のあ の美 しさ と同 じだ から

︒妻 はも はや 二度 と訪 れる こと はな いと 重 々承 知 して はい るけ れ ど︑ この 芳樹 の 下で

同 に賞」 した

(

⑨) 姿は

︑脳 裡に 焼き 付い てい る︒ こ こで なぜ

佳 人」 が用 いら れて いる のか

︒そ れは

︑無 論︑ 先に 挙げ た③ 美人 の妻 とい う美 称ゆ えで ある が︑ 単に それ だけ では ない

︒神 女に つき もの の芳 香() を 描い てい るこ と︑ 水辺 が背 景に なっ てい るこ と︑ そし て「 佳人」 の 面影 を偲 びは すれ ども

︑そ の姿 は見 えな いと いう 否定 的表 現に なっ てい るこ と︑ この 三点 から 先述 の「 湘夫 人」 を想 起さ せ︑ さら に同 じく 水神 の洛 神の イメ ージ へと 敷衍 して いく

︒そ れを 可能 にす るの は︑「 江詩」 が 用い た「 佳人」 と いう 詩語 の触 媒作 用と いえ よう

佳 人」 が用 いら れて いる もう 一カ 所︑ 二十

扶 風精 舎の 旧居 に過 り︑ 朝 宗

・ 巨 川 兄弟 に 簡 す」 は︑ 新 婚 時 代の 夫 妻 が 安 史 の 乱 を 避 け た扶 風

(

陝 西省 鳳 翔府)

の 旧居 を 二 十年 ぶ りに 再 訪し

︑ 妻 の 兄弟() に 寄せ た 作で あ る︒ 昔

︑ 身 を寄 せ てい た 精舎 は

︑ 高い 樹 木に 蔽 われ

︑「 年 深く し て陳

文 学 部 紀 要 第 六 十 六 号

(10)

迹を 念ひ

/此 に べば 独り

たり」(

第 二聯)

︑ 昔の こと を思 えば

︑独 り哀 しみ がこ み上 げて くる と表 白す る︒ 次い で古 い建 物は

︑あ ちこ ち改 築さ れ︑ 竹藪 も鬱 蒼と 群が り茂 って いる と詠 んだ 後︑ 第五

・六 聯は

︑ 栖止 事如 昨 栖 止 事は 昨の 如し 芳時 去已 空 芳 時去 りて 已 に空 し 佳人 亦携 手 佳 人 亦た 手を 携ふ るも 再往 今不 同 再 び往 きて 今同 じか らず と時 の経 過の 速や かさ と今 昔の 対比 によ る喪 失感 が吐 露さ れて いる

︒ こ こ で「 佳 人」 を用 い た理 由 は

︑「 神 女」 のイ メ ージ と いう よ り も︑

今 昔の 対 比」 に あ ると 考 え られ よ う︒ 悼 亡 詩に お いて

︑ そ れを 初 め て 導 入し たの は「 江 詩」 第二 首で あり

︑「 江 詩」 を象 徴す る詩 語が

佳 人」 だか らで ある

江 詩」 第二 首は

︑前 半︑ 草花 が茂 り︑「 春 風」 が「 帳」 を揺 らし

︑軒 先で は燕 がか すめ 飛ぶ とい う春 たけ なわ の景 物を 描く

︒そ の後

︑第 三・ 四聯 は︑ 垂涕 視去 景 涕 を垂 れて 去景 を視 摧() 心 向徂 物 心 を摧

きて 徂物 に向 かふ 今悲 輙流 涕 今 の悲 しみ に輙 ち流 涕し 昔歡 常飄 忽 昔 の歓 びは 常に 飄忽 たり と詠 んで

︑か つて は妻 とと も に愛 で た景 色や 妻の ゆ かり の 品を 眺め ては

︑ は らは ら と涙 を 流す

︒ こ の「 去 景」「

徂 物」 は「 韋 詩」 の「 芳時 去 る」

故時 の緑」 と 同じ 発想 の表 現で

︑「 今の 悲し み」 を表 出し てい る︒ した がっ て︑ 韋應 物が 当該 詩に おい て今 昔の 対比 を詠 う際

︑恐 らく

江 詩」

を 想起 し てい た の であ ろ う︒ そ の 結果

︑「 江 詩」 の シ ンボ ル とい う べ き

佳人」 を 用い たの であ る︒ 前 稿 で 挙げ た「 韋 詩」 の「 昔 出 喜還 家

/今 還 獨傷 意」(

三「 出 還」 第 一 聯) な ど の詩 句 も︑「 江 詩」 の今 昔 対を 彷 彿と さ せる

︒ そ こで 論 じた よ うに

︑「 韋 詩」 の 特 質は 今 昔の 対 比 によ る ノス タ ル ジッ ク な時 空 であ るが

︑そ れは

江 詩」 の今 昔対 を祖 述す るこ とで 形成 され たの であ る︒ 当該 詩に おい て韋 應物 が「 江詩」 の 象徴 とも いう べき

佳 人」 とい う詩 語を 用い てい るこ とが

︑そ の関 わり を明 確に 物語 って いよ う︒

韋 詩」 は︑ 先述 の如 く︑「 佳 人」 のほ かに

︑「 之 子」 をも 用い てい る︒

之子」 は 潘岳 の第 一首 第二 聯に 見え る︒「 荏 苒と して 冬春 謝

/寒 暑忽 ち流 易す

︑之 の子 窮泉 に帰 らば

/重 壤 永へ に幽 隔す」 と 巨視 的季 節の 移ろ いに 続け て︑「 之子」 す なわ ち妻 の死 の永 遠を 詠い 始め るの であ る︒ 現 存伝 本 の潘 岳 の 全詩 賦 にお い て()

︑「 之 子」 の用 例 は︑ 悼 亡 詩の こ の 箇 所 だけ であ る︒

之 子」 は 詩経「

桃夭」 の「 桃 の夭 夭た る 灼灼 たる 其の 華/ 之の 子 于

に 帰

ぐ 其 の 室家 に 宜し か らん」

を 持ち 出 す まで も なく

︑ 詩 経 に 頻出 す る詩 語 であ る

︒「 桃夭」

で は︑ 未 婚 の美 女 を指 す が︑ 後 漢

・鄭 玄は

︑こ の語 に対 して 逐一

是 の子」 と 注す

︒す なわ ち指 示代 名詞 の意 味と なり

︑そ れゆ え文 脈に よっ て指 示す る対 象は

︑女 性に 限定 され ず()

︑ 詩 人に 身 近な 親 し むべ き 存在 と 解 され て いる

︒「 佳 人」 の 寓 意性 に 比し て︑ シン プル な詩 語と いえ よう

︒ 韋 應物 は︑「 之子」 を 十二

端 居感 懷」 第一 聯で

︑つ ぎの よう に詠 む︒ 韋

應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)

(11)

沈沈 積素 抱 沈 沈と して 素抱 を積 み 婉婉 屬之 子 婉 婉た るは 之の 子に 属す 永日 獨無 言 永 日 独り 言無 く 忽驚 振衣 起 忽 ち驚 き衣 を振 ひて 起つ 方如 在幃 室 方 に幃 室に 在る が如 きも 復悟 永終 已 復 た悟 る 永へ に終 に已 むを 畳

語 対 で始 ま る夏 の 歌 であ る

︒「 素 抱」 は︑ 本 来

︑ 超俗 の 抱負 を 意 味 す るが

︑こ こで は︑ 陶敏 等の 注の よう に「 憂 思」 と解 され

︑初 句は

︑そ れ がま す ます 深 ま るさ ま を詠 ん で いる

︒「 婉婉」

︑ しと や かな 美 し さ を 意味 し︑ それ はま さに

之の 子」 我が 妻の こと だと 歯切 れ良 く断 定す る︒ 夏の 日長 の昼 下が り︑ 語る 相手 もな く︑ 服喪 の白 い帳 が垂 れ下 がる 部屋 で 妻 の 死の 永遠 を つく づく 悟ら され る︒ ここ には

︑「 婉 婉た る」

之子」 以 外に 妻に 関す る表 現は 見当 たら ない

︒ ま た 韋 應物 は

︑ 全詩 篇 中︑「 之 子」 を ほ か に三 例 用い て い る()

︑ それ らは

︑「 寄 贈」(

巻 二・ 三)「

酬答」(

巻五) 詩 で︑ いず れも 寄贈 や応 酬の 相手

(

︑従 兄弟 や友 人の 男性 など) を 指す

︒す なわ ち指 示代 名詞 の働 きで あり

︑「 佳 人」 とは 異な り︑「 之 子」 自身 には

︑何 の寓 意も 認め られ ない

︒「 潘 詩」 に倣 って

︑妻 その 人を シン プル に指 示す るの であ る︒ 以 上 の よう に

︑ 同じ く 亡妻 を 称し て いな が ら︑「 之 子」 と「 佳 人」 と いう 二語 は︑ 極め て対 蹠的 詩語 とい えよ う︒ これ は先 述の 如く

︑潘 江両 詩の 北と 南の 地理 的相 違︑ 西晋 と南 朝斉 梁と いう 時代 的相 違に 起因 する 現実 志向 と 神仙 志向

︑聊 か 図式 的 では ある が︑ そ れが

之 子」 と「 佳人」

とい う詩 語に 各々 シン ボラ イズ され てい ると 解せ よう

︒ 韋 應物 は

︑両 者を それ に ふさ わし い文 脈 に用 い てい るが

︑殊 に「 佳人」 は︑ その 多義 性を 触媒 にす るこ とで

︑神 女の イメ ージ をひ そや かに 内在 さ せた

︒「 高雅 閑 澹」(

白 居 易)

︑「 澄 澹精 緻」(

司 空 圖) と 評 され る

︑高 遠 淡白 な 韋 應物 詩 には

︑ 聊 か違 和 感の あ る 美称 で はあ る

︒ 詩 経 に基 づく 簡古 とい うべ き「 之子」 の ほう が︑ より ふさ わし い詩 語と 考え られ よう

︒だ が「 江詩」 の「 佳 人」 を踏 まえ るこ とに よっ て︑ そこ には 幽艶 な芳 香が 秘め られ るこ とに なっ たの であ る︒ ま たそ の象 徴性 は︑「 江詩」 と の継 承関 係を 明確 に物 語り

︑「 韋詩」 の 特質 であ る今 昔 往還 とい う時 空拡 大の 拠っ て来 たる とこ ろが 明ら かに なっ た とい えよ う︒ 第

二章

江 淹「 悼 室 人」 と の 関わ り( 二) 夏 の歌 につ いて 先

に悼 亡詩 にお ける 韋應 物と 江淹 の共 通点 とし て︑ とも に夏 の歌 を詠 じて いる こと を挙 げた

︒だ が以 下に 見る よう に︑ 両篇 は︑ まっ たく 対照 的内 容で ある

︒ そ もそ も季 節の 推移 に悲 哀の 情を 託す とい う発 想は

︑古 くは 楚 辭

(「

九辯」 など) にそ の 萌芽 が 見ら れ るが

︑降 って は

︑高 橋 和巳

潘 岳論」 の指 摘す る如 く「 人間 の事 象 を︑ 自然 の代 謝 との 相應 に依 り て歌 う のは

︑ 西晋 諸詩 人に 共通 する 方法」 () な ので ある

︒そ の一 例と して

潘 詩」 が挙 げ られ る

︒「 江詩」

のこ の 構 成も

︑ やは り「 潘詩」

を 祖述 す ると 考 えら

文 学 部 紀 要 第 六 十 六 号

(12)

れよ う︒ ただ

潘 詩」 は︑ 三首 構成 で︑ 夏の 歌を 欠い てい る︒ それ に対 して

江 詩」 第三

・四 首は

︑夏 の自 然を 色鮮 やか に詠 んで

︑印 象的 であ る︒ 夏雲

多雑 色 夏 雲 雑色 多し 紅光 鑠 鮮 紅 光 鑠 き て

た り 苒弱 屏風 草 苒

た り 屏風 草 潭 曲池 蓮 潭

た り 曲池 の蓮 黛葉 鑑深 水 黛 葉 深水 に鑑 り 丹華 香碧 烟 丹 華 碧烟 に香 し

(

第三 首第 一・ 二・ 三聯) 憂

悲を 晴ら そう と外 に出 かけ た詩 人の 眼に 南国 の「 紅光」 が 眩し く輝 く︒ 碧天 に浮 かぶ 雲は

︑時 によ り︑ 所を 変え て多 様な 色に 染ま る︒ 仰角 で歌 われ る第 一聯 に対 して

︑第 二・ 三聯 は︑ 俯角 の身 近な 景物 を詠 む︒ 水辺 に勢 いよ く茂 る「 屏風 草( ミズ アオ イ)」

︑ゆ らゆ ら漂 うあ でや かな 蓮の 花︒ 句頭 の双 声語 がそ の様 態を リズ ミカ ルに 表現 する

︒濃 緑の 葉陰 が深 さを 湛え る水 面に 色濃 く映 り︑ 碧の 靄の なか に朧 に浮 かぶ あか い花 が馥 郁た る香 りを 放つ

︒視 覚と 嗅覚 が︑ 涼や かな 水面 の揺 動感 に揺 さぶ られ

︑天 も地 も︑ 南国 の豊 かな 光と 色で 染め 上げ られ てい る︒ 第 四首 には

︑果 てし なく 広が る真 白い 砂浜 と︑ 鋭く そそ り立 つ峯 の上 に かぶ さ る よう に かか る 雄 大な 虹(「

素沙

広岸 を 匝

り/

雄虹

尖峯 に冠 たり」 第 三聯) が 描か れて いる

︒悼 亡詩 であ るこ とを 忘れ させ るよ

うな

︑色 彩豊 かな 自然 描写 であ るが

︑こ の景 の後 に続 くの は︑ それ でも 癒 やさ れ ず︑「 命 は 知る

悲 しみ は 絶え ず

/恒 に 海 に注 ぐ 泉の 如 き を」

(

第三 首第 五聯) と いう 尽き るこ との ない 悲哀 であ る︒「 江 詩」 の特 色と し て︑ 夏 の 歌 に 顕 著な 自 然描 写 と 溢れ ん ばか り の悲 哀 表 現が 挙 げら れよ う︒ 一 方

︑「 潘詩」

の 後の 沈 約

・ 信

・薛 徳 音の 諸 作 は︑ い ず れも 秋 の 歌 の み() であ る︒ した がっ て「 江詩」 の 夏 の歌 を も含 む四 時代 謝を 継 承し た のは

︑「 韋 詩」 で あっ た

︒ すな わ ち「 韋 詩」 の「 江 詩」 と の関 わり の一 つは

︑ 夏 の歌 と いえ よう

︒「 韋詩」 の それ は︑ 十一

夏 日」

︑ 十 二「 端 居 感懐」

︑ 三十

子 規啼」

の三 首 であ る

︒ だが

自 然詩 人」 と 称 され る 韋應 物 で あり な がら

︑ こ の三 首 に は︑「 江 詩」 の よ うに 鮮 や か な 色彩 は認 めら れず

︑「 夏日」(

五古 四韻) に は︑ 自然 描写 は一 句も 見当 たら ない

︒ 已謂

心苦 傷 已 に謂 ふ 心 苦 だ 傷む と 如何 日方 永 如 何ぞ 日 方 に永 き 無人 不晝 寢 人 の昼 寝せ ざる 無く 獨坐 山中 静 独 り坐 して 山 中静 かな り 悟澹 將遣 慮 澹 を悟 りて 将に 慮を 遣 ら んと し 學空 庶遺 境 空 を学 びて 境を 遺

る るを 庶

ふ 積俗 易爲 侵 積 俗 侵さ れ易 く 愁來 復難 整 愁 ひ来 りて 復 た整 へ難 し 韋

應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)

一 一

(13)

前 半で は︑ 一見

︑傷 心の 詩人 が眠 るこ とも でき ず︑ 夏の 昼の 長さ をも て あ ま す か の よ うに 独 り つ く ね ん と 坐 し て い る 姿を 思 い 浮 か べ る が

山 中の 独 坐」 は

︑ 単 にそ れ だけ で はな い

︒ 王維 の「 独坐 す 幽篁 裏

/琴 を 弾じ て 復た 長 嘯す」(「

竹 里館」)

を 想起 す るま で もな く

︑ 世俗 の 喧噪 とは 異な る「 別乾 坤」 で︑ 己の 悲哀 に向 き合 い︑ 止揚 せん とす る詩 人の 姿 であ る

︒ より 具 体的 に いえ ば

︑「 獨坐」

︑つ ぎ のよ う に

︑仏 教 的意 味を 有し てい る︒ 韋應 物四 十代 後半

︑ 州時 代の 師友

︑恒 と いう 僧() に 寄せ る詩

(「

寄 師」 巻 三︑ 五絶) に 見え る︒ 林院

生夜 色 林 院に 夜 色生 じ 西廊 上紗 燈 西 廊に 紗 燈上 る 時憶 長松 下 時 に憶 ふ 長松 の下 獨坐 一山 僧 独 坐す 一 山僧 林

の中 の寺 院が 夜の 帳に 包ま れる と︑ 恒 のい る西 斎院 に薄 絹を 張っ た行 灯が 灯さ れる

︒詩 人は その 朧な 光を 遠く で眺 めな がら

︑長 く伸 びた 松の 下で 独り 座禅 を 組む 恒 の姿 を 思い 浮 かべ て いる

︒す なわ ち「 獨坐」 は 座 禅 をも 意 味 す る()

︒ そ れ ゆ え

︑ こ の 第 四 句は

︑ 後半 の「 澹を 悟 り」

空を 学ぶ」 と いう 仏教 的解 脱を 求め るこ とへ の詠 い興 しと もい えよ う︒ 韋 應物 と仏 教と の関 わり の詳 細は

︑稿 を改 めざ るを 得な いが

︑皮 相的 にい えば

︑彼 の数 回に わた る閑 居先 の多 くが 寺院 であ るこ と()

︑「 霊厳 寺」

開元 精舎」「

慈恩 精舎」「

瑯 寺」 な ど( 巻七

遊 覧」) 寺 院へ の遊 行が 少な くな いこ とや

︑右 の恒 な ど仏 僧と の交 友を 詠 う数 多 い詩 篇() か らも

明ら かで ある

︒こ こに 見え る「 空」 とい う詩 語は

︑王 維同 様︑ 韋応 物も 頻 度高 く( 全唐 詩 索引

韋 応物 巻 に拠 れ ば︑ 一 一

〇例)

用 いて お り︑ 悼 亡 詩 の 中で も

︑ 当 該 例 を 除 い て 九 例 が数 え ら れ る()

︒「 空 房」「

空 齋」

空宇」 と いう 空間 を形 容す る用 例や

空 しく 存す」「

空し く涙 垂る」 な ど副 詞と して 用い られ

︑い ずれ も妻 の逝 去に よる 喪失 感を 表し てい る︒ だ が当 該 例は

︑ 一 般的 に

︑ 般若 心 経 の 語 であ る「 色 即 是 空︑ 空 即是 色」 とし て 知ら れ る「 空」

︑ 中観 派 の祖

︑ 龍 樹が

中 論 で 説い た よう に「 自性

(

何 物に も依 存せ ず自 立し

︑変 化す るこ とな く同 一性 を保 つ実 体)」

の対 立概 念で あり

︑そ れら は無 いと する

無 自性」

︑「 無所 得」「

無 執着」 () と 考え られ よう

︒韋 應物 が果 たし てこ の「 空」 をい かな る概 念で 捉え てい たか は︑ これ だけ では 判然 とし ない

︒だ が「 空」 が単 なる

存 在 が無 い」 とい う こ とで は なく

︑「 す べて の もの は 固 有の 本 体= 自 性を 有 して い るの で は ない」「

一 切は 空」 と い う 考え に よっ て

︑ 妻の 喪 失 と い う悲 傷の 救い を求 めよ うと した こと は︑ 明白 であ る︒ そこ には

︑恐 ら く「 死」 とは 何か とい う問 題意 識を も抱 えて いた ので はな いか

︒元 来の 仏教 への 関心 に加 えて

︑妻 の逝 去と いう 現実 が︑ 彼を して

︑よ り深 く求 道へ と導 いた であ ろう こと は︑ 容易 に推 察で きよ う︒ しか しそ れで もや はり

愁 い」 は克 服で きな い︒ その 悲哀 の深 さが 内省 と葛 藤の 心境 を吐 露す るこ とに よっ て︑ 表白 され るの であ る︒ 一 方︑ 江淹 は︑ 如何 にし て悲 哀と 向き 合っ たの だろ うか

︒そ れは

︑最 後の 第十 首に おい て看 取で きる

︒ 二妃

麗瀟 湘 二 妃 瀟湘 に麗 し

文 学 部 紀 要 第 六 十 六 号

一 二

(14)

一有 乍一 無 一 有ら ば一 乍ち 無し 佳人 承雲 気 佳 人 雲気 を承 け 無下 此幽 都 此 の幽 都に 下る 無か れ 當追 帝女 迹 当 に帝 女() の 迹を 追ひ 出入 泛靈 輿 出 入す るに 霊輿 を泛 ぶべ し 奄映 金淵 側 金 淵の 側に 奄映 し 遊豫 碧山 隅 碧 山の 隅に 遊豫 す 曖然 時將 罷 曖 然と して 時将 に罷 れん とし 臨風 返故 居 風 に臨 んで 故居 に返 らん

瀟 湘」 に現 れた

二 妃」 とは

︑先 述の 如く

︑ 楚辭 九 歌に 歌わ れる 湘 君・ 湘 夫人 で あ る︒「 佳 人」 す な わ ち妻 劉 氏も

︑ 薄 暗い 冥 界に 下 る こ と なく

︑黄 金の 漣が 煌め く川 の淵 や︑ 碧に 輝く 山際 とい う美 しい 仙境 に 姿 を現 して 楽し むの だ︒ そし て日 が暮 れな ずみ 暮色 が深 まる と︑ 風に 向 か いそ の流 れに 乗っ て︑ 我が 家に 帰っ てく るだ ろう

︑い や︑ 帰っ てき て ほ しい と願 望を 籠め てい る︒ この よう に︑ 江淹 は︑ 死後 の妻 を夢 幻の 仙境 に出 現さ せて

︑悲 哀を 止 揚 して い る︒ 旧 拙 論で も 記 した よ うに

︑ 楚辭

の 詩語 詩 句を 用 い()

︑南 国の 風土 に根 ざし た 幻想 性 を基 盤に して

︒飛 躍を 承 知で い えば

︑そ れは

︑ 一種 の道 教的 神仙 世界 に通 じて いく だろ う︒ 第一 章第 一節 の江 淹の 先行 研究

③で も記 した よう に︑ 江淹 の思 想的 傾向 は︑ 儒釋 道三 教い ずれ も見 出せ るが

︑中 心に なる のは

︑道 教道 家思 想と され る︒ 蕭合 姿 江淹 及其 作 品研 究 は江 淹 研究

︑ 初 の専 著 であ り

︑「 江 詩」 は︑ 第 三 章「 江 淹詩

歌 研究」

3「 愛 情 詩」 中

︑「 哀情 類」 に収 め られ る が︑ 氏 も

︑道 教 的傾 向 を 指 摘 し︑ そ れに 属 す る 作 品 と し て︑「 訪 道 經」「

贈 煉 丹 和殷 長 史」

丹砂 可學 賦」「

無 為論」「

與 交友 論隠 書」 など を列 挙す る()

︒ 右 の 如 く︑「 韋 詩」 の 夏 の歌 は

江 詩」 とは 極 めて 対 照的 な 作品 にな って いる

︒し かし なが ら︑ ここ に「 潘詩」 の 現実 性を 措定 すれ ば︑ 両 詩の 共 通性 が 浮上 す る

︒す な わち

︑「 江 詩」 と「 韋詩」

︑共 に 現実 とは 異な る次 元で

︑妻 の死 の悲 哀を 止揚 すべ く模 索す るの であ る︒ 依拠 する 思想 は異 なり

︑そ の深 度も 差違 があ るに して も︑ 二人 は「 感傷 の純 粋さ とそ れに 表裏 する 無思 想性」(

高 橋和 巳「 潘岳 論」) () と 評さ れる 潘岳 とは 一線 を画 して

︑現 実的 な官 務へ の復 帰志 向を 拒絶 した ので ある

︒ 以 上 の よう に

︑ 二人 の 夏 の 歌 は

︑「 潘 詩」 と 比 較す る こと に よっ て

︑ 共通 性 を見 い 出し 得 た︒ 換 言 すれ ば

︑「 韋詩」

が潘 岳 の 現実 性

︑無 思 想性 と は 異な る 次元 の 詩境 を 獲 得し た のは

︑「 江 詩」 の 存 在が 関 与し てい たか らで はな いだ ろう か︒

韋 詩」 と「 江詩」 と の関 わり は︑「 潘 詩」 との それ に比 して

︑さ ほど 顕著 では なく

︑従 来︑ 全く 論及 され なか った

︒だ が︑ 右の 考察 から も明 らか なよ う に「 江詩」 が与 え た影 響 は︑ 決し て小 さ くは ない とい え よう

︒ 第

三章

江 掩「 雜 體 詩」 と の 関わ り

寂 寞」 につ いて 江

淹は

模 擬に 善し」(

・鍾 詩品)

と評 され

︑代 表作 とし て︑

雜 體三 十 首」 が 挙 げら れ る︒ 管 見 の限 り

︑ 六朝 時 代に は

︑ 他詩 人 の同 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)

一 三

参照

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