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駅西省影戯調査報告

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駅西省影戯調査報告

はじめに

A 駅西東路分布地区 A.1碗碗腔(駅西末路) A.2 老腔

B 駅西中西部(駅西西路) B.1長安道情 B.2 阿宮腰 B.3 弦板腔

B.4 千陽灯蓋頭碗碗腔 B.5 秦腔

C 隣西南部

C.1商洛道情皮影

C.2 安廉道情皮影(安康・旬陽) C.3 漠調二算皮影

C.4 洋県灯影腔

はじめに一影戯から駅西省をみる

院西省は早くから多くの王朝の都があったこともあ り、地方戯として表舞台に登場することの多い秦腔のほ か、迷胡(眉戸)腔・弦板腔・阿宮腰・道情など多くの

「唱腔(旋律の特徴による流派の別)」が残されている。

民間の芸能として把握しようとしても、 「人戯(人が舞 台に立つ劇)」のほか、人形を用いる木偶戯・影戯、簡 単な楽器を用いるだけの語り物など様々な様相を呈し、

「唱腔」自体の変遷の他に、人の交流、上演形態の交流 が数百年来に渡ってみられ、最終的には、目の前で上演 している「班」の上演史を正確に跡付ける作業を積み重 ねるしかない。

分布が複雑なうえ、一つ一つの芸能の把握も十分にな されておらず、芸人と連絡を取るのも不自由な状態であ るが、このたび西安在住の楊飛・李淑文夫妻のご助力を 得て、 「影戯」の形態をとる芸能という視点から調査す

ることができた(1)。

駅西省の影戯を概観するには、西安(唐の都長安)を 中心に、東西南北に「末路」 ・ 「西路」 ・ 「北路」影戯の存 在をイメージすると捉えやすい。といっても、北は、厳 しい黄土地帯、南の漠中・安康地区は揚子江につながる 漠江流域で、東西両路は黄河に繋がる清水流域である。

南北については東西両路との交流という視点が必要であ ろう。四川大学の江玉祥教授の分類(2)によれば、いずれ も「秦晋影系」となる。

「駅西束路皮影戯」は、華県・華陰県のある澗南地区 を中心に河南省西部から山西省南部にかけて分布し、

独特の風格のある彫りの繊細な人形(3)を用いる。 「唱

中国影戯研究

稲 葉 明 子

図1 駅西省華県張洪氏蔵駅西菓路人形

腔」は清代に「秦晋影系」全体に影響を与えた「碗碗腔」

で、上演は農閑期の連夜の続き物の他、一晩中にもわた る息の長いものもある。解放前後から有名な華県の播京 楽の光芸班、魂家班などが、後にフランス・ドイツ・日 本などに招碑されたことから、現在世界的に最も有名で、

これがために「駅西末路」という呼び名は特別な意味を もつようになった。これに対する上記「西路」・ 「北路」

の発想であるが、実際には各地にそれぞれの傾向のある 影戯が存在しているのであって、人形・ 「唱腔」を一に する芸として通用する呼び名は「末路」のみである。 「院 西東路」の分布地区にも、消南地区には「碗碗腔」の前 に存在したと位置づけられる「老腔」や、 「道情」を用 いる影班がある。

そのようなわけで「隣西西路」の呼び名は西安より西 の影戯という程度の意味であるが、楊飛氏によれば用い る人形がやや大きく素朴な風格があることが、ある種の 共通要素になっているという。 「唱腔」は様々であるが、

影戯上演としては現在は振るわない地区が多く、扶風・

岐山周辺では人形を操る「纂手」を、後に紹介する王雲 飛氏一人が事実上掛け持ちしているということも「西路」

と括る根拠としてもよいだろう。しかし、西安から西の この地区は従来は王朝時代の最も豊かな文化地区であ り、富平には上流階級に好まれたという阿官腔が、礼泉 には大変手の込んだ工程を経て制作する「灰皮影」 (4)と いう人形が存在した。

以下、二〇〇五年夏までに実現した調査地点の影戯の 唱腔を、主に先行資料を用いてまとめ、各調査対象ごと に以下のように記載する。

上演ビデオ資料:(日付 ビデオ番号)地点 演目名、出演者情報(5) インタビュー資料:(日付 氏名)内容

(2)

A 駅西東路分布地区 A.1碗硫腔(駅西末路)

「駅西東路」については上に述べたのと紹介が多いこ とから、収集資料のみ示す。

A.1.1駅西省筆県光芸班

(20010803 AQ06/AQ07)隣西省華県播家

「狼虎略」 「戟紙堵(白玉細)」

「殺差官(謝堵環)」 「拷船(博浪沙)」 (唱)播京楽・

呂崇徳(答手)劉正宏(板胡)劉華(二弦)劉東旭(級 台)劉建平

(20040824 BLIO/BMOl/BM02)駅西省華県皮影保護輿 発展壁産業開発座談会

「大審『珊瑚塔』」 「殺差官『女巡按』

(主演)播京楽(答子羊)劉正宏・貌金全 A.1.2 駅西省華県親家班

(20010802 AQ06/AQ07)駅西省華県我家

「珊瑚塔大審(包公劇)」 「借水」

(前声)貌振業(纂手)貌金権(板胡)楊新録 (二弦)劉正娃(二胡)親放前

A. 1.3 孫家相民間芸術皮影社(臨撞孫登宏) (20040823 BJOl/BJ02/BJ05)臨撞零口鎮孫家相

「刀努韓天化」 「借水贈飯『金碗奴』より」

「樟船『樽浪沙』より」

「武松血機凝鴛奪模」

(前手)孫馨宏(答子手)張田娃 (女演貞)孫影霞

(硬弦)趨安寧(後念)孫束建 (碗碗)孫小平(板胡)孫小棒 A.2 老腔

もとの名を「拍叔腔」といい拍子木のリズムからの命 名であったが、のち乾隆時期に出現した「碗碗腔」 (当 時は「時腔」と呼ばれた)と区別するために「老腔」と 呼ばれるようになった。もとは華陰と連関地域に分布、

新中国成立後少しずつ華県・沼南から河南・寧夏などの 地に広がった。 「老腔」の「世家(芸を代々伝える家)」

張泉(全)生によれば、明末活初には草陰県泉店村に は一人が唱い数人が「暫腔(合唱)」する説書形態があ り、乾隆初年に張夢児(孟児)がこれを基礎に「老腔皮 影」の基礎を築いたという。 (駅西省戯劇志・劇種p.107 ほか)0

A.2. 1草陰願双泉村張喜民皮影社

(20040730 BGIO/BHOl/BH02)

華陰願双泉村張家

「開公温酒斬章雄」 「重文秀花園幽思」 「神亭嶺」

(操琴主演)張喜民(板胡)李根賢 (高音板胡)張韓民(人形操作)張捨民

(操作助手)張衛束(拝後台)張四季

(20040730 草陰張菩民) 「老腔」の芸は解放前までは家 伝で、活動範囲は、華陰県・華県・沼南・韓城などほぼ 華陰県周辺だった。

「老腔」では、人形操作をする「答手」と「唱」がはっ きり分かれ「唱」は一人で担当する。張氏の父は「寮 手」を担当していたが、張氏自身は「唱」に興味をもち、

1963年に十四歳で学び始め、十五歳には舞台を任され た。本戯は上演すると四時間ほどの長さで、七十種類あ まりの演目がある。上演の際には、すべて暗記して臨む。

「善事(婚礼や出生)」 「白事(葬式・法事)」とも上演 する。周辺では道教・仏教などの信者はむしろ少なく、

地域ごとに独自の葬礼をもち、亡くなった次の日の晩か ら劇を呼ぶという。

B 駅西中西部(駅西西路)

駅西省中西部を影戯の視点から見るならば、西部宝鶏 市方面には「秦腔」の班が圧倒的に多く、関中・西安周 辺には「道情」 ・ 「阿宮腔」 ・ 「弦板腔」が特記される。 『中 国戯曲志・院西巻』、 『駅西省戯劇志』に採録されたのは ここまでであるが、西の千陽県には「灯蓋頭腔」が存在 L.^‑.

B.1長安道情

「関中道情」ともいい、関中各地と安康・商洛地区に 分布する。伝統的な唱い方として、卓を囲んでの座唱、

広場着席形態、影戯上演の三種類がある。みなもとは唐 代の「道曲十「道調」にあり(唐・雀令欽『教坊記・

序』)、 (元)燕南芝庵『唱論』に「三教所唱、各有所尚。

道家唱情、僧家唱性、儒家唱理」とある。 (中略)宋代 に「漁鼓」と「簡板」が楽器に加わり(明郎瑛『七修類 稿』)、明に入ると様々な地方戯曲劇種の出現により様々 な要素を吸収した。所謂"‑経二詞三通情"は「道情戯」

発展の各段階を反映しているだろう。乾隆期には関中地 区に「道情戯」専門の班が現れ、閑中に商売に来ていた 頼世魁が安康にもちかえって頼泉班をつくり, 「安康道 情」を形成した。 (中略)嘉慶のころ臨撞県行者村の道 情芸人「白米虫」が商県の小磨溝の王彦傑の祖先に伝 え(6)、 「長安道情」は商洛地方に伝わった。 (『駅西省戯 劇志』西安市巻・志略・劇種p.147)

B.1.1臨淫県道情皮影班社(巳散) (20040802 音声資料:録音稲葉)

臨撞県回回郷

「劉彦昌(笑音慢板、間破、芙音代板)」

「孫悟空三調芭蕉扇(突音慢板)」

「(間板) (花音正板) (猪八戒唱丑角花音正板)」

(清唱)産学林

20040802 産学林) 1949年生まれ。中学のとき学校に 来た「道情皮影」の「漁鼓」の響きの虜になり、 1962年、

劇種保存のための道情皮影劇社の募集に応じて学び始 め、 1964年には一人前になった。文化大革命の時には活

‑272‑

(3)

動を停止、脚本は文化局(当時は文教局)に提出し、人 形は全て自ら県城に出向いて焼却させられた(7) 1973年 に復活し、大隊に所属して上演活動を行ったが資金がな くて解散、 1978年に半農半業皮影として復活したものの 七、八年でだめになった。 1962年の段階には既に保存を 唱えられた芸である。自分が理解しているのは、 『西遊 記』の一部だけで、 1964年以降は機会があっても「革命 戯」や新作を演じさせられた1978年には頭目も変わり、

芸の存続は困難だった。

手元には文化大革命のときにかろうじて残った、師匠 の李世忠の演目カードがある。百年以上前のものであろ う。本戯は六十種あり、一種が十数折から成る。本来す べて口伝だが、参加した当時から簡譜を見て旋律を学ん

だ。手元には1970年代のガリ版刷り脚本が残る。

上演時には、一人で「唱」を担当し、 「番手」は別で ある。「迷胡(唱腔の名。「眉戸」とも書く)」にも「弦 板(B.3弦板腔)」にも後継者がいるが、 「長安道情」だ

けいないのが心残りである。

B.2 阿宮腔

老芸人の段天換の回想によれば、 「阿宮腰」は嘉慶・

道光年間に礼泉から潤北一帯に伝わった。早期の「皮影 阿宮腰」の「唱腔」は「秦腔」で、演目は『箔推相秦』 『玉 瓶贈金』 『祥麟鏡』 『四賢冊』等、多くは官房と富豪の家 での上演だった。 「秦腔」の「唱腔」はガサツで騒がしく、

そうした人々の趣味に合わないため、芸人達は「唱調」

の末尾に「過頭子」を加え、 「過工小調」を芸人達は「過 工」と簡称した。 (1963年『駅西省文化局阿宮腰調査資 料』)嘉慶・道光年間に礼泉県が飢鐘に逢って影戯芸人 の一部が富平一帯に移住し、道光中期には富平県曹村郷 西頭陳壁子陳相公(陳展中)が「阿官腔」芸人を集めて 班を作って、同治・光緒年間には流行地区は更に広がっ た。中華民国十八年、駅西省では三年間の大草魅があり、

著名な芸人が相次いで亡くなって、段天換一人がかろう じて解放まで活動を持ちこたえた。新中国成立後、富平

edn

県人民政府は劇種保存のため富平県阿宮腔民楽皮影社を つくり、 1958年には秦腔の三劇団を富平県阿宮劇団と改 組した。 (『中国戯曲志・隣西巻』 p.112)

「阿宮腰」の源流には二つの言い方がある。ひとつは 秦代阿房宮の歌女が唱った曲調が変化したというもの、

もうひとつは唱腔が「過」することから「過工」の名が あるというものである。主な弦楽器は二弦、月琴、梅調 板胡である。 (中略)阿宮腔の人形は西路の形態で、造 形は大きく、彫りは細かく、全景が多く特景は特徴的で ある。 (中略)解放後、著名な段天襖は「新民皮影社」 (級 に「群衆皮影社」に改名)を作った(1986年12月「阿 官皮影簡介」 2004年8月劇団贈)

B.2.1阿宮腰皮影復活上演

富平県政府により残された「阿宮腰」は、現在人戯 の活動を残し、皮影戯は十五年前に活動を止めて、 「世 家」の老芸人段明侠も息子夫婦のいる湖南省に引退して

いた。 2004年8月に陶磁器の国際見本市が富平で開かれ るのに合わせて若い劇団員を十日間で養成し、かつての

「司鼓(主なリズムを司る打楽器担当)」楊瑞侠とともに 復活上演が実現した。 『長坂披』が伝統演目で、 『断橋』

は本来の伝統演目ではないが、 「阿宮腔」の各種旋律が 出現するという。

(20040826 BM03/BM04/BM05)富平県老城

「鶴輿亀(8)」 (主演)黄亜娠・楊瑞侠・段存弟

「断橋」 (主演)楊瑞侠・黄亜娩

「長坂妓」 (主演)楊瑞侠・段明侠

(20040826 段明侠) 1955年、十八才のときに参加した。

叔父の段天換は五十才過ぎで、 「茶事」を勤めていた。

班員の五名は付近の農民だった。上演は一ケ月に二十日 ほど、紅事・白事・廟会で、夜八時ごろから四・五時間 上演する。

自事では『祭霊』 『放飯』などの折子戯を行い、結婚 や「過満月(出生一ケ月の祝い)」といった紅事では、 『花 亭相会』 『劉備招親』などの演目を演じる。廟会は神に 奉じるものなので『出五関斬劉将』といった関公もの、

『天官賜福』 『薬王撒母』 『劉海撤銭』 『孫思遡給皇帝看病』

などを演じる。

かつての演目としては『玉瓶贈金』 『雀去病揮連子』 『七 箭書』 『涯河営』 『四賢冊』など六十ほどの「大本戯」が あり、特に上演回数の多いのは『長坂妓(零去病撰連子)』

『四賀冊』 『玉瓶贈金』である。また、 『尿勇午招親』と いう俗に言うフンコロガシのような虫の物語もあり、子 供達に人気だった。

活動範囲は、富平、蒲城、三原、淫陽、耀県、同州な どで、 「小推車(荷車)」を押して行った。

解放前には、ほかの「唱腔」を含めて周辺にいくつか.

の班があった。 「阿宮腰」の班は全部で三つあり、 「喬娃」、

「三元」、 「換子娃」と呼ばれていた。 「換子娃」、即ち段 天換の師匠は胡宝成という人物である。

段明侠氏が主に活動したころには「老戯(伝統演目)」

は上演できず、 『杜絶山』 『紅灯記』といった「新戯(釈 中国以降の演目)」を上演した。 1970年代に解放され、

その時に「様板戯(見本戯の意。主に文化大革命の頃に 推奨された演目)」の人形は捨てた。

古い人形は「西路」の礼泉と同じく、一尺五寸(約 50cm)ほどとやや大ぶりだったが、 1984年には更に拡 大し、縦1.5m横4mのスクリーンを用いた。人形の動 作の特徴も西路のものである。

B.3 弦板腔

「板板腔」ともいう。乾県・礼泉・興平・成陽・永寿・

扶風・武功・周至一帯に流行し、長く皮影戯の形態を とってきた。もとは乾県と礼泉・威陽・興平の民間説唱 で、初期のころは左手で「宋宋子」を揺らし右手で「結 千(蜂板子)」をもつ説唱形式だった。一人で唱うもの もあれば、一人もしくは数人で応答応唱する形式があり、

「蓮花落」や「数来宝」に似る。乾隆年間に自前の「土 三弦」と「土二弦」といった弦楽器を加え、 「民歌」 ・ 「/ト

(4)

調」、更に関中の「道情」も吸収した。 (1962年『駅西省 文化局弦板腔調査資料』)影戯班としての活動は乾隆末 年から嘉慶にさかのぼり、威陽等の地に四大皮影班社が あった。 (中略)道光・威豊年間には礼泉県の王文及と 王彦凱が、 「喝板」を作り出し、 「板艦体」と「曲牌体」(9)

を融合した形にして、 「大開板」 「三倍‑」などの旋律が でき、このとき二朝を加えて「蜂」を改良した。以後全 盛期を迎え、班は六十以上にもなったが、清末民国より 社会的混乱のため衰落し、中華民国の末年には礼泉県の 王天徳班、劉建礼班と、興平県の孟文秀班のみとなった。

(『中国戯曲志・院西巻』劇種p.110)

1800年前後に「道情」と一緒に上演していたが、後に

「弦板腔」だけで上演し独特の劇種となった。乾県馬連 郷の老芸人都正餐の回想によれば、もとの人形は作りが 租く、着色しておらず、形もやや大型で、人々は皮影戯 を「四人忙」と呼んでいた。芸人の歌謡に"‑柄大事四 箇人、縄子四条橡四根"とあり、スクリーン前で人形を 扱いながら唱うのを「前手」、後ろの楽隊の三人を「後手」

という。 (駅西省戯劇志・威陽市巻p.54) B.3.1劉景皮影社と史徳皮影劇団

(20040731 BH03/BH04/BH05/BH06)

礼泉願史徳鋲王都村劉家

劉景皮影社と史徳皮影劇団の共催

「鶏爪山」 「昏剛皮膚」 「夜明珠」

(前手)劉景/劉建娃/任天福 (司鼓兼三弦)遭謙(二弦)胡永春 (板胡)周布西(箔子)郭増強

(二胡)胡小娘(女演貞)劉文侠/馬春拝 (邦線兼節子)劉影

(20040731割景・遭謙等)最もよく使うのが「正板」、

次が「花音正板」。 「二六」は失われた。 「苦喉」、 「尖板」

など唱を交えて解説してもらったが、別稿に改めたい。

(20040731楊飛氏神) 「弦板腔」は礼泉史徳鎮や主都鏡 では「小戯寓子」(10)と呼ばれ、七・八班があるが、現在 は劉景皮影社がよく上演活動をしている。

B. 4 干場灯蓋頭碗碗腔

「灯豊頭碗碗腔」は、またの名を「灯豊子」 「碗碗腔」 「千 陽碗」といい、皮影戯である(ll)打楽器の中に「灯蓋頭」

を用いることによる。二・三百年前に千陽県南秦鎮南秦 村におこり、周辺の鳳期・宝鶏・障巨県と甘粛省霊台・平 涼一帯に流伝した。清末以来徐々に盛んになり、 1934年 ころの全盛期には千陽県内に二十以上の皮影班社があっ て、多くは斉宝魁班、沙奴娃班、挑元一班のように班主 の姓名を冠し、世襲であった。 1958年、千隈合県、院県 人民劇団が『金碗鍍』を舞台化し、 1959年には甘粛省霊 台県に灯蓋頭碗碗腔劇団が成立したが、文革開始の後活 動を停止した1978年、千陽県文化館は業余灯蓋頭碗碗 腔上演隊(12)を組織し、 『審壇子』を舞台にのせた。 2003 年、県文化館は救済的発掘保存活動として、芸人を訪問 し、資料を集めて復活上演を行った。 (千陽県文化館『灯

蓋頭碗碗腔音楽』 )

B.4.1千陽県灯蓋頭碗碗腔上演隊(己散)

(20040804 千陽県南寮鎮朝陽村成宝玲60歳)丁度中学 卒業のころ「灯蓋頭碗碗腔」で人戯による舞台が企画さ れ(1958年)参加。十分学びきらないうちに洋琴担当に 変わった。当時の師匠は皆高齢のため亡くなった。

20040804 音声資料)

慢板「努紅灯」異音慢叔転二六板

『遇良橋』より「七仙女送子」 (唱)成宝玲 B.4.2 扶風県の李唆乾、李忠良

(20040805 BI02/BIO8/BI09)

扶風民間芸術演出公司(灯蓋頭碗碗腔皮影)

「朝堂議事」 「点兵」 「両国交戟」 (以上『常遇春撰連子』

より) 「全家封(選段)」

(挑線)王雲飛・李海寧(前手)李唆乾

(板胡)李宗虎(笛子)斉鎖銀(灯碗稀)李忠良 (団長)席嘉虎

20040805 李唆乾、李忠良)この日は李唆乾が「司 鼓」を、李忠良が「灯碗環」を担当。李忠良の父、李有 才は有名な西府の老芸人だった。その幼名を「満児」と いい、扶風地区で「満児娃戯が来た」と言えば知らない 者は無い。 「満児娃戯」のころは、 「司鼓」にあたる「前 手(13)」を李有才、 「挑線」を王四、 「鈎弦」を挑大、 「吹 笛」を社主傑、 「打板」を李生玉という構成だった。李 忠良氏は七歳で影戯を学び始め、父とともに岐山、察家 坂、林由などで活動した。扶風地区には民国時代民間に 十ほどの皮影班と三つの木偶班があったが、みな秦腔で、

代々灯遵頭碗椀を伝えてきたのは、李家だけである。も ともとは六十以上の本戯があったが、現在伝えているのは 二十五・六種である。

B.5 秦腔

影戯のみならず紹介の多い「唱腔」のため省略。

B.5.1秦腔皮影

千陽には今も民間の影戯の活動がみられるらしいが、

噂をききつけて現地に赴いたところ、 「秦腔」だったの で、撮影のみ行い詳しいインタビューを行わなかった。

(20040804 BHIO/BIOl/BI03/BI04)

駅西省千陽願「香蓮配」詳細不明 B.5.2 岐山の王雲飛

「末路」でもみられることであるが、現在皮影戯の上 演には「第手(人形の操り手)」が不足しているため、 「西 路」の岐山・扶風地区では様々な班が上演の際に王雲飛 氏を招く。上述B.4.2の「灯蓋頭碗碗」でも、唱い手は

「灯蓋頭碗碗」であるが、王氏が「答手」を務め、扶風 民間芸術演出公司も、常に「灯蓋頭碗碗」のみを上演し ているのではなく、様々な民間芸術活動を行っている。

(20040805 王雲飛)中国工芸美術専業委員会会員の王

274‑

(5)

雲飛、字を明君は、西暦1941年生まれ、駅西省岐山県 薙川鎮何家相の人である。曽祖父の王慶、祖父の王振彩、

王静栄、王寧氏らは明清年間に「楽盛班」を創業した。

父の王志発は祖業を伝承し、 「新芸社」に改めた。明君 は九歳で「新芸社」に入って父に学び、皮影世家として 六代目となる。 (「民間絶話、皮影芸人、王雲飛芸術簡介」) 父や祖父の時代には「弦板」、 「碗碗」も演じ、現在は「秦 腔」を演じる。廟会・紅事・自事に上演する。演目は、

紅事は『龍風量祥(劉備招親)』 『願麟送子』 『五福臨門』

『王母娘娘』などの「折子戯(長編のうちの一部分)」で、

施主の姓にちなんで演目を決めたりする。廟会は死んだ 英雄の物語が多く、 『端午節』 『閑雲長』 『岳飛』 『薬王』

など。活動範囲は岐山・鳳期・宝鶏・甘粛に至る。礼 泉・興平・乾県・永寿に分布する「西路」の人形は、も

ともと一尺二寸の大きさがあり、かつては「灰皮影」も あった。岐山の皮影は「西路」と「東路皮影」の両方の 影響をうけて、独特の風格を持つ。

C 映西南部

西安から南、秦嶺山脈の只中の商洛地区、並びに漠水、

即ち長江流域に属する漠中・安康地区を訪ねた。漠中は

「植えたものなら何でも育つ」という豊かな土地である が、内陸交通の不便さが近代物資の流通を阻害し、経済 的に困難な地区でもある。安康は湖北省に近く豊かな印 象をうけるが、 「神会(廟の神々の縁日)」などの民間の 活動が盛んになりつつあるという。

C.1商洛道情皮影

明崇禎年間に白米虫が訪れて「道情」を演じたと言わ れるが、 1956年の駅西省皮影戯会演において、専門家達 は商洛道情が駅西道情の始祖であると考証した。 (『商洛 文史資料』)清同治七(1868)年に洛南桑嶺の張天泰が 興した皮影班は四代続き、霊口・先山・保安・石門・商 県に皮影戯班があった。 (中略)伝統的上演形式は、多 く座しての活唱と広場着席形式および皮影戯である。通 常は昼に木偶で秦腔を演じ、夜は皮影で道情を演じる。

(駅西省戯劇志・商洛地区巻・志略・劇種p.51商洛道情) 商州文化館の楊女士によれば、所謂「商洛道情」は 地元では「dimozi (地歴子か)」と言われ、 「道情」と称 されたのは比較的新しいとのこと。同地区の「花鼓」、

「jinbanxi」などとともに、本来山間部に分布した芸能が、

たまたま「漁鼓十「簡板」を用いたことから関中の「道 情」と結び付けられたのかもしれない。

C.I. 1商州磨溝廟村皮影復活上演 (20050908 BWO7/BWO8/BWO9/BWIO)

「異水河」 (西遊記より)

「町塀歪老婆」 (上演の最後に添える滑稽戯) (欄門)王建良:44) (14)

(上手場・吹笛・漁鼓・簡板)張文強(78) (敵羅・大紋)楊啓金(85)

(板胡)苑文哲(55)帝明学(72)

(主唱 shui子(水子か))王淑云(48女) (箱管)王庚申 51

(20050907 王建良)四十四才。 1978年に「欄門」を学 び始め、一年で独立。しかし、二十五年前には上演が立 ち行かなくなり、以来初めての復活上演となる。 「欄門」

が全ての歌詞台詞を担当し、一旬一旬暗記する必要があ る。 「本戯」は二十ほどあり、ひとつが三時間から四・

五時間ほどの読みきりである。師匠は磨溝廟村七組の王 彦傑で、 1986年に六十九才で逝去。大師匠の王治銀は 箱(人形セット)を持っていたが、王彦傑は兼業芸人で、

上演のたびに「箱」を借りていた。師匠が活動した解放 前には、付近に七つの皮影班があり、商州・洛南・丹鳳 から遠くは消南地区まで呼ばれることがあった。上演は

「紅事」イ白事」と宗教活動で、 「紅事」では『九煙山』 『双 鳳頭』 『天仙配』 『牛郎織女』など、 「白事」では『下南 堂』などの悲劇を演じるが、 「自事」の場合には主人公 が死ぬ場面を演じてはならないという決まりがある。他 に、 「敬神」という宗教活動があり、菩薩・火神・土地・

娘娘・薬王などが「許願(願掛け)」の内容によって選 ばれる。 『天官賜福』は「紅事」の前に二十分から一四十 分くらい演じる。

昼は「木偶」を「秦腔」で演じ、夜は「皮影」を「道情」

で演じる。上演に際しては必ず先に「荘王爺(木製の小 さな人形)」に香をたむけ、 「表」を焼いて拝する。影戯 芸人の間には、唐の開祖李世民が最初に「陰間(死者の 世界)」から影戯人形をこの世にもたらしたという言い 伝えがあるが、この「荘王爺」の由来については定かで ない。

(20050908 楊啓金)もとは「吹笛」であったが、高齢 のため本日は「敵羅」を担当。十四才から皮影班に参加。

当時は小韓略に七つ、この磨溝廟村にも三つの班があり、

影戯は「/ト戯」 「牛皮灯影子」、木偶は「douhulozi」と 呼ばれていた。 「紅事」 「自事」の際に上演があるので、

七・八日に一度あることもあれば、一カ月見られないこ ともあった。農業をしながらの兼業班であるが、十日ほ どの農繁期以外は上演が可能で、一年のうち半分は家に、

半分は出港、三カ月間家に帰らないこともあった。外境 での上演では、社交に通じた「聯系人(連絡係)」がいて、

評判を聞きつけた近隣の人の依頼を順次うけつけ、長い 周遊となる。旧時は豊かな施主は複数の班を招き、 「対 台戯」といって芸を競わせることもあった。 「本戯」を 演じつつも、戦闘シーンに「十八変化」(15)を盛り込むな

どして観客をひきつける工夫をした。

C.2 安康道情

俗に「道情皮影戯」 「牛皮灯影子」といい、関中と言 葉の近い安康・旬陽県北部に流行した。駅西の四つの

「道情」の一つで、建国後「駅南道情」と呼ばれるよう になった。芸人の口述によると、明末清初、安康・旬陽 には道情皮影班社の活動があったという。明崇禎年間 に白米虫という芸人が「道情」を関中から商県にもちこ み(16)、後に商洛地域から安康にもたされた。乾隆二十五

(6)

年前後には頼世魁が関中に「道情戯」を持ち帰って皮影 班を起こし、かつ文士に「道情戯」三百余種を記録整理 させた。嘉慶・道光年間には、安康一帯の道情戯は既に かなりの規模があり、 (中略)威豊・同治年間には大量 に安康城内(街なか)に流入して、とりわけ一年に一度 の秋の「土地会」はにぎわったという。光緒二十年前後、

安康の芸人楊天才が初めて「噴晒(チャルメラ)」を伴 奏にとりいれ、民国初年に「秦腔」の班が安康で上演す ると、楊天長・李栄福などが「秦腔」の「板胡」を加えて、

音楽的表現力を豊かにした。 (『隣西省戯劇志』安康地区 巻・志略・劇種p.55)

多く皮影の形式で上演され、安康・旬陽で盛んで、

白河・平利・紫陽・ (中略)に分布する。伝統劇目は 千二百余りあり、多くは歴史故事と民間故事で、神仙道 化を題材とする劇は多くない。演目の特徴は「本戯」が 多く「折戯」が少ない点で、 「連台本(続き物)」 『粉赦楼』

『文天祥』等は十数日演じることができる。 (中略)音楽 唱腔は「板式変化体」である。 (『中国戯曲志・院西巻』

劇種p. 103駅南道情)

安康地区にはこのほか、 「八歩景」という影戯があり、

豊富な演目が存在した。 (『駅西省戯劇志』安康地区巻・

志略・劇種p.61)

同じく「道情」と言っても、 「駅北道情」は「曲牌連 曲体」なのに対し、関中・商洛・安康は「板式変化体」

である。更には、この「安康道情」は「簡叔」を用いず、

演目も道教関係ではなく長編の歴史故事・民間故事であ る。 「道情」というよりは、民間の説唱が「道情」の用 いる「漁鼓」を取り入れた故の呼称ではないかという推 測をしている。ひとつひとつのサンプルを慎重に検討し

ていく必要があるだろう。

C.2.1旬陽展園村皮影班子 (20050905 BW06清唱資料)

「祭雷峰塔(状元祭塔)」

(主唱)羅龍軍(37)封唱)羅龍林(39) (泣線)彰治禄(38) (吹笛)彰治方(32) (20050905 羅龍軍・羅龍林・彰治禄・彰治方)

上演時には、 「欄門」が人形操作と「主唱」を務め、

残りが「暫腔(唱和)」する。唱詞を暗記しているのは「欄 門」で"上至玉皇大帝 下至黍民百姓"とばかりに一人 で全ての役を演じる。 「欄門」の他に、掠主弦が皮弦・

大羅・鎌、 「吹笛」が小羅・小錠・唄晒、 「鼓」が漁鼓・

板鼓・大鼓・板子 shuizi (水子か)を操る。旬陽展園 村周辺にはもともと劉明声・李興徳・李家才の三つの班 があった。文革を経て七十八年に上演を再開した李興徳 と李家才班に八十年代に参加して芸を学び、展園村皮影 班子として1991年から活動を開始した四名は、ともに

三十代である。本戯は七・八十種あり、一つが三時間余 りで、 『勢紅灯(唐朝馬三宝征越)』 『康鯉王瀞蘇州』 『三 山関』 『三盗宝』 『五女聞荊州』 『鋤美案』等、師匠の唱 うものは基本的に全て暗記している。以前は農繁期の十 日ほどを除けば上演は多く、旬陽・白河・湖北の云渓・

など連続して四十日も外遊することもあったが、最近は 需要が減った。上演は「還願(願ほどき)」が多い。 「許 願(願掛け)」は各々廟などで行うが、 「還願」のときに は特に影戯が奉納される。というのも、唐の李世民が聖 旨によって影戯を「還願戯」と封じたという伝説があり、

上演の冒頭に天官・大神・大将の登場する演目を十数分 演じる。 「新房安龍(建て前)」や病気平癒は「大神戯」で、

天官・八仙・福禄寿三星ら二十数体が現れ、規模の小さ い「小袖戯」では「中人仙」 ・ 「下人仙」といった神が八 から十現れる。

C.2.2 安康横森連班

(20040807 BI03/BI04/BI08/BIIO)

安康市漠江之夜活動

「香蓮配」

(摘門)楊森連(鼓手)劉良華

(主弦)唐□根(笛子)王□海(梯子)李龍茂

20040807 楊森連)人形操作と「主唱」を兼ねる「欄 門」を担当。七十六才。代々の影戯世家で、七、八才で 学び始め、十二才で主演を務めるようになった。文化大 革命の時には活動を停止し、七十九年に回復した。安康 地区では、七・八の安康「道情」班が今も活動している。

安康には皮影ではなく数人で道服を着て道教故事を語る

「説唱」があり、料金をとらない。 「八歩景」については

"正道情催二黄、八歩景是胡嚢嚢"という言い方がある。

(上演前のためあまり詳しくインタビューできなかった。) (20040807 安康文化館館長)文化館は地区の芸人の活 動を把握し、愛好者と連絡をとりあう。数年前に「地方 民間芸術集」として皮影資料を編んだが、経費の関係で 出版していない。駅西省民間芸術槍救保護工程により 十五年前に五年の時間をかけて初稿はできているが、決 定稿はできていない。農村では各県鋲の文化駅を通じて 具体的に活動を行う。農村では嫁とりの善事や老人の逝 去の際などに上演し、あまりにも活動が多い。都市部の 社区では、 2002年に民間芸術表演を開き、 2005年に向 けて準備している。われわれの「社区(行政単位)」は 省政府により「駅西省先進文化県」に指定されている。

20040808 列車で同席した漠陰蒲渓鋲の人)安康地区 では「敬神」活動が回復しつつある。八月五日には漠陰 澗池鋲で廟の修復を祝う上演を見た。神廟落成の時には、

ふつう「大戯(人が演じるもの)」ではなく「小戯(皮 影戯や木偶戯)」を招く。

C.3 漢調二等皮影

漠水流域に起こった「二第」で、これを「人戯」で用 いるのが漠劇である。

(20050904 BV08‑10/BW01‑03) 漠陰蒲渓鎮両合崖廟

「黄河神」 「万仙陣」 「朱仙陣」 「収七怪」 「反翼州」 「上 島蕃山」 「霞萌関」 「撞開陳」 「五森掃天(竃司)」 「十 絶陣」

(欄門)李興金(74主唱・人形操作)

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(7)

(鼓師)李培家(80) (二胡)江忠林(50)李有仁(67) (組織)蒋孝碗(72)

20050904 李興金)民国三十二年に、九才で学び始め た。実父が漠劇団で鼓師を務めていたが、自分は1956 年に亡くなった韓進文という「欄門」の師匠に学んだ。

当時漢陰には十幾つの影戯班があり、全て「漠調」だっ た。一年に二百から三百の上演があり、専業で収入もよ かった。昼も上演するが、夜が多い。上演は九割までが 施主の家で演じる「打保戯」と呼ばれる「福貴戯」と、

「還願」丁許願」 ・ 「廟会(廟の縁日)」で、 「紅事」 「白事」

では上演しない。 「福貴戯」は当時家々から招かれ、一 年に何度も招く家もあって、漠陰・安康・紫陽・石泉・

漠中などを少しずつ演じながら周遊した。現在は病気平 癒、子供の大学受験などの「還願」が多い。現在も山岳 部には二つ班があるが、おそらく都市部に出稼ぎにでて 上演活動はしていないであろう。本戯は『封神演義』 『西 遊記』 『(啓)丁山征西』などの長編が多く、基本的に口 伝である。解放後新しい演目も演じたが、それは漠劇の 脚本を見て行った。 1965年から1979年まで活動は停止。

現在上演の機会は極めて少ないが、この蒲渓鎮両合崖廟 の「廟会」では毎回演じている。

C.4 洋県灯影腔

『中国戯曲志・隣西巻』、 『隣西省戯劇志』とも紹介が みられない。分布地区は、駅西省南部の漠中に属するが、

影戯はその中でも洋県を中心に分布するという。

C.4.1洋願皮影劇団

人形は「院西西路」とやや似た特徴をもち、大振りな 作りは「駅西西路」の変化する前の姿を想像させる。 「唱 腔」の大きな特徴は「千陽灯蓋頭碗碗腔」と同じ「灯蓋 頭」を楽器として用いることで、旋律について詳しく聞 くと複雑な体系を持つことがわかった。また、洋県はか って川北灯影の存在した四川省にも近く、 「灯影」とい う名の共通点も気にかかる。様々な意味でより詳しい調 査が待たれる。

(2004 BI05/BI06/BI07)洋輝貫渓鎮平渓三組

「奉旨征香(月育剣)」

「巽秦郎洞廷湖早把命喪(洞廷湖)」

「争親(秦段争親)」

(司鼓・唱手兼泣二胡)何宝安(38) (董子手)薙居安(笛子・板司)王克彦

(琴師)何家忠(主唱)黄芳(付築子手)未霊俄 (20040808 何宝安・黄芳夫妻)洋県にはいくつか「影 箱(班の意)」があり、上演の内容はほぼ同じである が、皆高齢で、現在活動しているのはこの班だけである。

十八になる息子がいるが、先行きを考えて継承させてい ない。上演は廟の敬神儀式や農閑期で、一年に十数回で ある。旧正月の第‑日目には必ず県の文化館で上演す る。上演活動は遠くて漠中、普段は付近の山奥で、演者 一人あたり三十元ほどと高収入とは言えないが、大変歓 迎される。 「本戯」は六十以上あり、一つの「本戯」は

三時間余りで上演できて、全て「唱本」がある。 「清水 板」という簡単な拍子をとる清唱が多く、そこに様々な 唱調が現れる。最も多くの唱調が現れるのは、 『劉全進 瓜』である。

20050902 漠中:鳩樹永)長年洋県文化館で現地の芸 能研究を行ってきた。現在も活動を続ける何宝安夫妻は 八十年代に影戯を志し、自分(鳩樹永氏)が老芸人を紹 介し古い「箱(人形セット)」を購入して組織した。

(20050904 楊飛)何宝安班は何度か廃業を考え、古い 人形は自分(偵飛氏)が購入し、活動再開の際には新し い人形を提供した。

おわりに

二〇〇四年八月二十四日から二十五日の二日間、華県 では華県皮影保護輿発展墜産業開発座談会が開かれ、 「駅 西東路」皮影の保護と発展について現地政府・研究者・

産業界の人士が集まり、芸人を交えて華県皮影の今後を 討議した。筆者も「我対民間芸術活動的看法」として意 見を表明した。有名な「駅西東路」であっても、上演の 機会は減り、最も若い妻健合も三十八才である。未曾有 の社会変革の最中にある中国で、これまで通りの芸の存 続は不可能であり、消滅を前提とした保護と記録が必要 であると述べた。

広州中山大学中文系では、非物質文化研究センターを 設立し、特に隣西省の影戯に重点をおいてフィールド調 査を行うことになったという。また、四川省成都博物院 も皮影博物館を組織し、全国の人形を収集して研究の基 礎を作ろうとしている。しかし、芸は去ろうとし、訪な う人は限られている。今後はこうした機関・研究者・地 方政府など様々な立場の人と連携して、調査研究の情報 交換と効果的な協力関係の構築を意識していく必要があ るだろう。その意味で本稿では、収集した映像資料を列 挙し、資料の把握と情報交換の便に供したい。

人形・唱本等、芸人達が使うものは、彼らの手に残さ れるべきである。そこで筆者の調査では、人形も唱本も、

その場で撮影しデジタル収集することにしている。デジ タル資料であれば複製して共有することも容易である。

末尾に、各調査地でデジタル収集した唱本、ならびに手 に入りにくい図書の一覧を示す。

注(1)楊飛・李淑文夫妻は駅西省民間芸術劇院で長年にわ たり文芸活動に従事し、楊飛氏は民間芸術研究と 文芸活動の脚本を手がけ、李淑文民は民間芸術を制 作の立場から研究し、自ら影戯人形制作の師匠でも ある。いずれも既に退職したが、これまでの民間芸 術研究により培った各地の芸人とのネットワークを 頼って、最近は国内外の研究者が隣西省の民間芸術 について数えを請うて特に多く訪れるようになった という。 2004年度は楊飛氏の「本命年(年男)」、現 地では連日の過酷な調査となるが、天命と心得て各 地の芸の把握に協力したいとおっしゃってくださった。

(2)江玉祥『中国影戯』 1991四川人民出版社

(3)影戯でスクリーンに映し出す人形は、材質、呼び名

(8)

とも様々である。 「影人」 「影子」などと呼ぶ地区も あるが、楊飛氏は「皮影娃娃」と言い、駅西省各地 を共に取材した際、常にこれで通じていた。 「娃娃」

という語菜について、楊氏の他隣西省の人の使用例 を観察したところ、子供や小さい物に広く用いるが、

たまたまコンピュータに現れたペ・ヨンジュン(韓 国の俳優)の画像を見ても「這個娃娃是誰?」と言っ ていた。本稿では日本語の「人形」で統一する。

(4)大変繊細な彫刻と色彩が施された精品である。皮を なめす際、普通は水に浸すことで毛をとるが、この 工程で石灰で包み発酵させるという。しかし、具体 的な加工方法は道光年間には失われ、現在は骨董と

してのみ存在する。

(5)撮影時の稲葉の整理用DVテープ番号である。今後 編集作業を行ったとしても、撮影時の単位は一次資 料として意味をもつと考える。

(6) 「白米虫」の記録は、 『駅西省戯劇志』西安市巻と安 康市巻では記述が異なる。しかし、商洛地方に最後 まで残った王彦傑班の愛弟子達がこの事実を語らな いことから、時期については伝説として捉えたよう がよいであろう。

(7)文化大革命の時には、沼南の著名な皮影芸人謝徳龍 が反抗し、殺害されている。

(8)もとは湖南省木偶皮影劇団の演目で、鶴と亀の動き を写実的に影戯を用いて示す。 「動物戯」と呼ばれ、

子供や外国人など複雑な歌詞のわからない者でも楽 しめる演目として各地の影戯劇団が模倣している。

(9) 「板式変化体」と「曲牌連曲体」。単純な曲調でリズ ムが変化する構成を「版式変化体」、長短句から成 る「曲牌」が連なる構成を「曲牌連曲体」という。

10 「/ト戯」は影戯・木偶の総称として各地でよく用い rrni.

ll 「説唱」の「西府碗碗腰」とも違い、影戯独白の「唱 腔」であるという。

(12) 「業余」とは、業務の余暇時間の意味。本業のある 者が愛好団体として活動を行う劇団を「業余」劇団

という。

13 「灯蓋頭碗碗腔」では、主なリズムをとる「司鼓」

にあたる打楽器担当者が「唱」を担当し、 「前手」

と呼ばれる。最も重要な役である。

(14)本来は「摘門」が漁鼓・簡板等を扱い、人形を扱う

「要答手」の役が別に必要だが、西安に出稼ぎに行っ て不在のため、当日は急速「欄門」が「簾手」を担当、

漁鼓・簡板等は「上手場」が兼ねた。

(15)武芸とともに法術を競い、昆虫に化けたり、更に強 い虫や鳥に化けたり、様々な変化をすること。

(16)注6参照。

番号16906002 「中国の各地文化館・文化駅の役割一地域民 間芸能の把握・伝承ならびに現代文化活動」研究成果の一 部である。

参考書目

江玉祥1991 『中国影戯』四川人民出版社 江玉祥1999 『中国影戯輿民俗』淑馨出版社

稲葉明子2003中国影戯調査報告『演劇研究センター紀 要』 I pp.157‑162 早稲田大学21世紀COEプログラ ム(演劇の総合的研究と演劇学の確立))

尚、本稿は平成16年度科学研究費補助金(奨励研究)課題

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(10)

Al.1華県碗碗腔:滞京楽、演奏するのは月琴

A2.1華陰老腔:舞台裏

B2. 1富平阿宮腔:皮影復活上演

B4.2 扶風:灯妻頭

‑280‑

Al.3 臨蓮碗碗腔:手前が碗碗

Bl.1長安道情:70年代脚本

B2. 1楊飛氏と段明侠氏

B5. 1千陽:秦腔影戯上演風景

(11)

Cl.1商洛道情:往時と同じ移動法

Cl.1商洛道情:漁鼓と簡板

C2.2 旬陽道情:清喝

C4.1洋県灯影腔:大振りな人形

Cl. 1商洛遊惰:蓋中央の梁を背に荘王爺

C2. 1安康道情:中央抱えるのが漁鼓

C3. 1漢陰漢調二第:土地廟に向かう舞台

C4.1洋県灯影腔:灯蓋頭

参照

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