北 インドの音楽文献
― サ ンス クリッ トとペ ル シア 語 ―北田
信
1 カ シ ュ ミ ー ル に お け る 音 楽 融 合 北 イ ン ドの古 典 音楽 す なわ ち ヒ ン ドゥス ター ニー音楽 は、 イ ン ド音 楽 と ペ ル シア音 楽 を混合 して生 まれ た ス タイルで あ る。 ナー テ ヤ ・シャース ト ラな どに記 述 され るイ ン ド起 源 の音 楽伝 統 に、 ム ス リム1が イ ン ドに移 住 す る際 に持 ち込 んだ外 来 の音楽(中 央 ア ジア音楽 、 ア ラブ ・ペ ル シア音 楽 な ど)が 混合 されて 、 ヒ ン ドゥス ター ニー音 楽す な わち北 イ ン ド、 パ キス タ ン、バ ング ラデ シュ、 ア フガニ ス タ ンな どで演 奏 され る音楽 ス タイ ルが 形成 された 。 しか しイ ン ド音 楽 とペ ル シ ア音 楽2の 融合 が どの よ うな プ ロセス を経 て 起 こったの か、具 体 な こ とはそれ ほ どわか って い ない よ うで あ る。 この地 域 で は、 ヨー ロ ッパ と異 な り、音楽 の正 確 な記譜 法 は発達 しなか った 。 こ の 時代 に書 かれ た音 楽理論 書 は音 楽用語 集 の域 を超 えず 、私 た ちが これ を 利用 して 当時の音 楽 を復 元 して演奏 す る こ とは不 可 能で あ る。私 た ちの手 に残 され た唯一 の確 実 な資料 は、歌 の コ トバ の 部分 、す な わち歌 詞 のみで あ る3。そ こで 私 た ち にで きるこ とは とい えば、歌 詞 集成 に遺 された様 々 な詩歌 の韻律 をた よ りに、 あ るいは現在 まで 師匠 か ら弟子 へ 口伝 で受 け継 が れ て きた実際 の音 楽伝 統 を参考 に して、 当時 の音響 を想 像 して心 の中 で 鳴 ら して み るこ と ぐらいで あろ う。 こ とをさ らに困難 にす るのは、 サ ンス ク リ ッ ト文 学 には歴 史 的記述 が皆 無 に等 しか った、 とい うこ とで あ る。 王侯 の偉 業 を神 話 に なぞ らえて叙述 した御伽 話 以上 の もの を、サ ンス ク リッ トの作 者 たち は生み 出 さな かっ た。 執筆者紹介 きただ まこと●東方研究会研究員 イン ド古典学、アーユル ヴェーダ・2006 , The Body of the Musician: An Annotated Study of the Pindotpatti-prakarana of
Sarngadeva's Sangitaratnakara, Dissertation, Martin Luther University (Halle, Germany).博 士 論 文 、 マ ー テ ィ ン ・ル タ ー 大 学(ド イ ツ)提 出 。
・2006 、 「イ ン ド音 楽 とア ー ユ ル ヴ ェー ダ ー イ ン ド文 学 に お い て 身体 が 楽 器 に な ぞ ら え られ る こ と― 」、 雑 誌 『コ ッ ラ ニ』、18、6-18頁 。
南アジア研究第20号(2008年) その ため イ ン ドの古 典文 献学 にお い て年代特 定 、 ある文 献が 何時 ごろ書か れた か、 あ るいは、 あ る事件 が何 年 に勃 発 したか、 とい う問題 は常 に紛 糾 を極 め る。 ところが イ ン ドの周縁 部 に位 置す る カ シュ ミー ル には例外 的 に歴 史記 述 の伝 統 が あっ た4。15世 紀後 半 の シュ リー ヴ ァラ は、 この伝 統 を受 け継 いで 「ジ ャイ ナ ・ラー ジ ャタ ラ ンギ ニ ー」(Jainarajatarangini、以 下JRT と略)を 著 し、 カシ ュ ミー ルお いて ム ス リム支 配 が始 まっ た 頃の 出来 事5 を 同時代 人 と して 克 明 に記 録 した6。興 味深 いの は彼 が宮 廷 詩 人 ・音楽 家 であ った とい う こ とで ある。 その ため彼 は当時 の カ シュ ミー ルで行 われ て いた音 楽演奏 や 芸能 にか な り頻繁 に言 及 し、具体 的 な描写 を して い る。 シュ リー ヴ ァラが 仕 え た カ シ ュ ミー ルの 支 配者 ザ イ ン ・ア ル ・ア ー ビ デ ィー ンと彼 の 息子 た ち は ヒ ン ドゥ ・ムス リム の文化 融 合 政策 を進 めた 。 文化 融合 政 策の 一環 と して、 イ ン ド音楽 とペ ル シ ア音 楽 の フユー ジ ョンの ス タイルが 生み 出 され、盛 んに演奏 された 。宮廷 には異 国の音 楽家 が ス ル ター ンの庇 護 を求め て訪 れ、異 国 の楽器 が持 ち込 まれた 。 シュ リー ヴ ァラ はサ ンス ク リッ トの教 養 を積 んだ人 で あ ったが、 ペ ル シア語 に も通 じ、 イ ン ド音楽 ・ペ ル シア音 楽の両 方 を よ く演奏 で きた。た とえば、シュ リー ヴ ァ ラはス ル ター ンの宮廷 で異 国 の楽人 た ち と ともに異 国の楽 を合 唱 した。 こ の様 子 は、次 の よ うに記 され る。
JRT 1, 4, 35
anye 'pi japharanadya maya saha nrpagrag /
tauruskan duskaran ragan agayan vinaya samam //
<訳>[ハ イ ダ ル ・シ ャ ー]王 の 御 前 で 、 私 と0緒 に ジ ャ ー フ ァ ラ ー ナ7な ど の 他 の[楽 人]た ち も、 トル コの 難 しい 旋 法(raga)を 、 弦 楽 器(vina) で 伴[奏 し な が ら]歌 っ た 。 ア ラ ブ ・ペ ル シ ア ・ トル コ音 楽 の 旋 法 の 本 来 の 名 称 は 「マ カ ー ム 」 で あ る が ・ シ ュ リー ヴ ァ ラ は そ れ を イ ン ド音 楽 の 用 語 「ラ ー ガ 」 を用 い て 「ト ル コ の ラ ー ガ 」 と 呼 ん で い る 。 同 様 に 彼 は 弦 楽 器 を 「ヴ ィ ー ナ ー 」 と呼 ん で い る が 、 こ の 文 脈 で は イ ン ドの 楽 器 で は な く トル コ(中 央 ア ジ ア 、 ペ ル シ ア)の 弦 楽 器 を指 す 。 こ の よ う に シ ュ リー ヴ ァ ラ は外 来 の 音 楽 を サ ン ス ク リ ッ ト音 楽 理 論 の 枠 組 と用 語 で 把 え よ う と した 。
北 イ ン ドの音 楽文 献― サ ンス ク リッ トとペル シ ア語 ―
JRT 1, 4, 36
gitarn dvddasa-ragankam gayatam nah sabhantare /
prityaivaikyam ivapannas tantri-kanthotthitah svaraki
//
<和>ホ ー ル の中 で、12の ラー ガの特 徴 を もった歌 を歌 う我 らの 、喉 か ら発 声 され た楽音 と弦 楽器 か ら発す る楽 音 とが 、 まるで愛 しあ ってい るか の ように合 一 した。 この 「愛 しあ っ てい るかの ように合一 した」 とい う表現 は、弦楽 器 と人 間の歌 声 が よ く0致 した こ とを言 う8が、 同 時 にい ろい ろ な出 自の 音楽 家 が 集 まっ て融合 音楽 を生 み 出 した こ とを も灰 め か してい るの だ ろ う。 この ように、 若 く音 楽 に造 詣の深 い カ シュ ミー ルのス ル ター ンの も とに、 イ ン ド、ペ ル シア、 中央 ア ジアの音 楽家 が 一 同に会 し、多 文化 的 な音楽 交 流 の場 が 設 け られ た。 そ こで は イ ン ド ・ペ ル シアの音 楽 伝 統が 融合 され 、 新 た なス タイ ルが創 造 され てい た。 この時 代 の イ ン ドにお け る芸術 革新 を描 い たサ ンス ク リ ッ トの 文献 は 「ジ ャイナ ・ラー ジ ャ タラ ンギ ニー 」を除い ては皆 無 に等 しい。 従 って 「ジ ャ イナ ・ラー ジャ タラ ンギニ ー」 の音 楽 に関 す る記述 は イ ン ド音 楽発 展 史 を 辿 る研 究 に とって極 め て貴重 な資料 で あ る。 2 音 楽 家 た ち の 冒 険 イ ン ド音 楽 とペ ル シア音楽 の融合 の試み が行 われ たの は、 カシュ ミー ル が 最初 で はなか っ た9。 13世 紀 の ア ミー ル ・ホス ロ ウは ヒル ジー朝 をは じめ とす るデ リーの様 々 な支 配者 に仕 えた有 能 な政 治家 で あ り10、同時 に音 楽家 ・詩人11で もあ っ た。彼 の父 は 中央 アジ ア出身 の トル コ人の一 部族 長 、そ して母 はパ テ ィヤ ー リー の ヒ ン ドゥー教徒 で あ った12。彼 は イ ン ド音楽 ・ペ ル シア音楽 の 両方 に通 じ、両 者 を混合 させ て新 しい音楽 ス タイ ル を創 始 した とい われ る。彼 は今 日で もヒ ン ドゥス ター ニー(北 イ ン ド)音 楽 の創 始 者 の0人 、そ して 弦 楽器 シ ター ルの発 明者13と み な されて い る。 音楽 の分 野で ア ミール ・ホス ロ ウが行 った革 新 の具 体 的 な情 報 は17世 紀 の ペ ル シア語 の音 楽 理論 書 「リサ ー レエ ・ラー ガ ダルパ ナ」(Risale-i
南アジア研究第20号(2008年) Ragadarpana、 以下RRDと 略)に 具体 的 に記 され てい る14。 15世 紀 、 デ リー周 辺 で は イ ン ド ・ペ ル シ ア音楽 の混合 ス タイ ルが 盛 ん に行 わ れて い た、 とリサー レエ ・ラー ガ ダルパ ナ(P.186ff.)は 記す 。 こ の書 に 登場 す る音 楽家 の多 くは托 鉢僧(フ ァキー ル)あ るい は神 秘 主義 的 修 行者(ス ー フ ィー)で あ った 。そ うい った放 浪修 行者 の ひ と り、バ ハ ー ウ ッデ ィー ン ・バ ル ナ ー ヴ ィー は ドー アー ブ の 出身 で あ った が、25歳 か ら50歳 にか けて修 行 の た めデ カ ンに放 浪 し、そ こで イ ン ド古 典音 楽(サ ンギ ー ト)を 習 得 した 、 とい う15。15世 紀後 半、 カ シュ ミー ルの シュ リー ヴ ァラ とほぼ 同 じ時代 、 ジ ャウ ンプルの スル ター ン・フセ イ ン・シ ャルキ ー は、独 創 的 な歌 謡 ス タイル を発 明 した。 それ は イ ン ド古 典音 楽(サ ンギ ー ト)の 理論 か らは逸脱 してい た16が、 その美 の極 致 は筆 舌尽 くし難 か った とい う17。 冒 険精神 旺盛 な若 き芸術 家 た ちが 国境 を越 えて世 界 を放浪 し、互 い に交 流 し、実験 を重 ね 、そ して新 しい表現 法 を生 み出 して ゆ く。 この新 しい ス タイ ル はイ ン ド古典 音楽 の伝 統 に基づ い ては いたが 、芸術 家 の精神 の 自由 さ、 あ るいは奔 放 さ を映 し出す かの よ うに、 しば しば規 則 か らは逸脱 した。 3 音 楽 的 決 闘 しか しイ ン ド ・ペ ル シア とい う二つ の異 質 なス タイ ルの音 楽が 出会 っ た とき、 両者 が常 に友好 的 に歩 み寄 っ た とは限 らなか っ た。宮廷 で は歌合 戦 が催 され、音 楽家 た ちは歌 に よって火花 を散 らす よ うな決 闘 を行 った 。シュ リー ヴ ァラや ア ミー ル ・ボス ロ ウ も例外 で は な く、パ トロ ンの庇 護 を求 め て宮 廷 にや って きた外 来 の音楽 家 を手 ひ ど くや り込 め、 自らの利権 を守 ろ う と した。 シ ュ リー ヴ ァラ は 「ジ ャイナ ・ラー ジ ャ タラ ンギ ニー 」 に 自 らが体験 し た歌 合戦 の経 緯 を書 きとめて い る。一方 、 ア ミール ・ホ ス ロウが 闘 った歌 合戦 の記録 は後 世 の ペ ル シア語 の文 献 「リサ ー レエ ・ラ ー ガダ ルパ ナ」18 に詳細 に記 され てい る。 以下 にサ ンス ク リ ッ トの 「ジ ャイナ ・ラー ジ ャタラ ンギニ ー」 とペ ル シ ア語 の 「リサー レエ ・ラー ガダルパ ナ 」 に記 述 され る歌合 戦 の二つ の ケー ス を並べ て比 較検 討 してみ よ う。サ ンス ク リッ トとペ ル シ ア語 の文 献 のあ い だで は、 歌合 戦 の勝 敗 判 定の基 準 が 異 な って い る よ うだ.そ の差 異 に、
北イン ドの音楽文献―サンスクリッ トとペルシア語― ヒ ン ドゥー とム ス リムの美 意識 や価 値観 の違 い を端 的に読 み取 る こ とが 出 来 る。 4 シ ュ リ ー ヴ ァ ラ の 歌 合 戦 シ ュ リー ヴ ァラが ザ イ ン ・ア ル ・アー ビデ ィー ン王 の息子 ハサ ン …シ ャー (治世1472-1484)に 仕 えた 頃の こ とであ る。スル ター ン・ハ サ ン・シ ャー は まだ年若 く、非常 に遊ぶ のが 好 きで 、酒 池 肉林 の宴 を は り19、歌 舞音 曲 を愛 し、宮廷 に優 れ た詩 人 ・音 楽家 た ち をはべ らせ た。 あ る と き、 この若 きパ トロ ンについ ての ア ンブ ロシ アの よ うに甘 美 な噂 を聴 いて、歌 と詩の芸 術 に名声 を誇 るパ ヴ ァー ラカダナ とい う男 が異 国 よ りカ シュ ミー ルにや って くる。彼 は音楽 ホー ルで 自作 の歌 を歌 い 、 これ に 満足 した王 は金 を雨 の よ うに与 えた。 以下 に原 文 を引用 し訳す 。 JRT 3, 254
srutva digantarat kdrtim rajnah karnamrta-praddm / gita-kavya-kala-khyatah pavarakadano 'bhyagat //
<訳>[ハ サ ン ・シ ャ ー]王 に つ い て の 、 耳 に 甘 露 の よ う に 心 地 よ い 噂 を 聞 き 、 歌 と詩 の 芸 術20に 名 高 い パ ヴ ァー ラ カ ダ ナ が 異 国 よ り訪 れ た ・
JRT 3, 255
gayatah so 'nugitani svalctani sabhantare /
tusto mahipatis tasmai vyadhat kanakavarsanam //
<訳>ホ ー ル21で 自作 の 歌 曲(anugita)22を 歌 う[パ ヴ ァ ー ラ カ ダ ナ]に 満 足 し た 王 は彼 に 金 を 雨 の よ う に 与 え た 。
JRT 3, 256
prabandha-gita-caturah kadacit sa nrpagragah /
agdyata sarvalilakhyam prabandham desabhasaya //
<訳>彼 は 作 曲 さ れ た 歌 曲(prabandha)に 巧 み で あ り、 あ る と き王 の 御 前 に 進 み 出 て 「あ ら ゆ る戯 れ 」23と い う 名 の歌 曲 を地 方 語24で 歌 っ た 。
南アジア研究第20号(2008年)
anabhijriataya rajna prsto 'ham tasya laksanam /
tarnam bharatasastradeh sodaharanam abravam //
<訳>王 は[プ ラバ ン ダの定義 につ い て]知 らな か った ので 私 に問 うた。 私 はその(=プ ラバ ンダの)特 徴 を、す ばや くバ ラ タの[ナ ーテ ヤ]シ ャー ス トラ な どか ら例 を挙 げて説 明 した。
JRT 3, 258
pada-patha-svarais tais tu tala-ragair manoharam /
srutva
sadangam tam matto rajabhud uditagayah //
<訳>詩 の語句 を読 む声/楽 音 に よ り、 また ター ラ とラー ガに よ り魅 力 的 な6つ の 部分 よ りな る25それ(=プ ラバ ンダ)を 私 か ら聴 き、王 の心 は高 揚 した。
JRT 3, 259
tad-gitasyanga-vaikalyam
jnatva mam abravid idam /
gita-darpa-bhrta vadam, kurv anena sabhantare /
tathety ukte mandrajo dvayor vadam akarot //
<訳>[王 は]彼(=パ ヴ ァー ラ カ ダナ)の 歌 に欠 点が あ る こ とを知 り、 私 に次の よ うに言 った 。「歌 に 自惚 れ た この者 とホ ール にお い て/聴 衆 の 中で26、論争/歌 合 戦(vada)27を せ よ。」 「か しこま りま した」 と[私 が]答 える と、王 は両者(=私 とパ ヴ ァー ラ カ ダナ)に 論 争/歌 合 戦 をさせ た。 JRT 3, 260
sabhayam vihite vade gita-granthavalokanat /
srutva prabandhan mattah sa sascaryo 'gadano' bhavat //
<訳>ホ ー ルで/聴 衆 の前 で音 楽理 論書 を参 照 しなが ら論 争/歌 合 戦 が行 われ 、私 が 楽 曲(prabandha)を[歌 うの を]28聴 き、 彼(=パ ヴ ァー ラ カ ダナ)は 驚愕 し言葉 を失 った29。
JRT 3, 261
aho kasmiriko 'pidrk caturah sarva-sastra-vit /
ity uktvalingya mam tvam gurur ity abravit sphutam //
北 イ ン ドの音 楽 文献― サ ンス ク リ ッ トとペ ル シア 語― <訳>[パ ヴ ァ ー ラ カ ダ ナ は]「 あ あ 、 君 は カ シ ュ ミー ル 人 な の に 、 こ ん な に 巧 み で 、 す べ て の 学 問 に通 じて い る ね 」 と言 い な が ら私[の 肩]を 抱 き、 「君 は僕 の 先 生 だ!」 と は っ き り と言 っ た 。
JRT 3, 262
kauseyaka-paridhana-prasadananditasayam /
akaron mam nrpas tarnam tad-vada-ranjitah //
<訳>こ の論 争/歌 合 戦 に喜 ん だ王 は、す ぐさ ま私 に シル クの衣 を賜物 と して与 え、 私 の心 を喜 ばせ た。
JRT 3, 263
ghosall svotpatti-tosa gatiguna-caturah pivaranga turangah
sphitam yajriopavitam
kanaka-mani-citam dravyam anyac ca bhavyam /
vastroddyotds ca pota nija-vapusi dhrta vastra-yogah sabhogah
raja sri-hassanena prasabham iha mayi srivare kim na dattam //
<訳>い なな く声 高 らか な30、 自ず と生 まれ る満足 の[ご と き]31、 走 行 の資質 に優 れ た、全 身 の筋 肉が膨 れ上 が った駿 馬たち。 た くさんの ゴー ル ドと宝石 でず っ し りと重 い聖紐 、そ の ほかの素 晴 ら し い品 々。 [スル ター ンが]自 らの 身 に纏 う、織物 の壮 麗 さ に輝 く衣服 。[そ の衣服 は] [様 々 な色 合 いの]衣 を豪勢 に(sabhogah)重 ね て着 る こ と32[に よ り成 り立 って いた]。 ハ サ ン王が[私 の]断 るの を も聞 かず33、私 ・シ ュ リー ヴ ァラに なに を 与 え なか った だろ うか。 ここで論 争 の的 とな って いる のは プ ラバ ンダ と呼 ばれ る、前 もって作 曲 され た歌 曲の形 式 で あ る34。プ ラバ ンダは現在 の ドゥルパ ッ ドと呼 ばれ る 歌 曲の も とにな った35。サ ンス ク リ ッ トで書 かれ た音 楽理 論書 、 た とえ ば 13世 紀 の サ ンギ ー タ ・ラ トナ ー カ ラ36な どに、 こ の楽 曲 の形 式 が満 た さ な くては な らない条件 が 記載 されて いる。 外 国か らパ ヴ ァー ラカ ダナ とい う名 の詩 人 ・音 楽家 が や って きて カ シュ ミー ル の ス ル ター ンに取 り入 ろ う と した。 シュ リー ヴ ァラ は新 た な ラ イ ヴ ァルの 出現 を危ぶ み、 この外 人 音楽家 を批 判 して 「彼 の歌 う楽 曲 はサ ン
南アジァ研究第20号(2008年) ス ク リ ッ トの 音 楽理 論 書 の プ ラバ ンダ の規 定 を満 た して い ない 」 とス ル ター ンに訴 える。 その結 果行 わ れた歌合 戦 の勝敗 は、音 楽家 の演奏 が サ ン ス ク リッ トの音 楽理 論書 の規 定 を満 たすか どうか、 に よっ て判定 された 。 パ ヴ ァー ラカ ダナの 出 自は どこで あろ うか?JRT3 ,256に は彼 が 「地 方 語 」(desa-bhasaya)で 歌 った」と記 されて い る。JRTに お いて 「地 方語 」 はペ ル シア語 を指 す37。シ ュ リー ヴ ァラは別 の箇所 で カシ ュ ミール のス ル ター ンの庇 護 を求 めて た くさん の優 れた音 楽家 た ちが訪 れ た こ とを記 して い る。そ の 中の多 くは中央 ア ジア(ホ ラーサ ー ンな ど)出身 の者 た ちであ っ た38。こ う した こ とを参考 にす るな ら、パ ヴ ァー ラカ ダナ も中央 ア ジ ア出 身で あ った可 能性 が あ る39。た だ し、 この時代 に北 イ ン ドはす で にイス ラ ム化 が進 んで いた か ら、ペ ル シア語 を話す 者 が北 イ ン ドか ら来 た可 能性 も 否 定 で きな い。 パ ヴ ァー ラカ ダナが ペ ルシ ア語 で歌 った楽 曲 とは、 どの ような形式 の も の だっ たの だろ う?イ ン ド土着 の プ ラバ ンダ形式 を採 用 して 、歌詞 だけ はペ ル シア語 で歌 っ たのか40?そ れ と も、純粋 なペ ル シア音 楽 の形 式の 曲 を演奏 したの か? 10世 紀 か ら12世 紀 にかけ て41ド ゥルパ ド(dhruvapada,dhrupad)と い う、 ナ ーテ ヤ ・シ ャース トラや サ ンギー タ ・ラ トナー カ ラに規 定 され るプ ラバ ンダが変化 して生 まれ た新 しい歌 謡形 式 が 出現 した。13世 紀 の ア ミー ル ・ホス ロウ を始 め とす る北 イ ン ドの優 れ た音 楽家 たち は この ドゥルパ ッ ド形 式 に改 良 を加 え、洗 練 させ てい く42。ペ ル シ ア語 の 歌詞 が イ ン ド起 源 の歌 謡形 式 ドゥルパ ドで歌 われ る こ と もあ った のか もしれ な い。 私 の この推 測が 正 しい とすれ ば、 パ ヴ ァー ラカ ダナは北 イ ン ド出身 であ り、 当時 、北 イ ン ドで流 行 っ てい た ドゥルパ ドとい う新 しい ス タイル を演 奏 した、 と考 え られ る。 この新 しいス タイ ルは上 記 の通 り、古 い プ ラバ ン ダを基盤 に しつつ も、 そ れに改 変 を加 える こ とに よ り生 まれ た もので あ り、 当 然 の こ となが ら古 い プ ラバ ン ダの 規 定 か らは逸 脱 す る部 分 が あ った 。 シュ リー ヴ ァラは、 ま さにそ この ところ に噛 みつ い た。古 い伝 統 に加 え ら れ た改変 を彼 は 「改 良」 とは認 め なか った。 サ ンス ク リ ッ トの古典 理論 書 か ら逸脱 す る 「堕 落」 だ、 との判定 を下 した。 もち ろん これ は ライ ヴ ァル を陥 れる ための 計略 で あ り、 シュ リー ヴ ァラ が あ らゆ る改 変 に拒 絶 的態 度 を示 した わけで は なか った こ とを忘 れて はな る まい。 上 に言 及 したJRT1,4,35-36に 記 され て い る とお り、彼 自身 、
北 イ ン ドの音 楽 文献― サ ンス ク リ ッ トとペ ル シア 語― ムス リム の音 楽 家 とと もに仲 良 く合 奏 してい る。 他 方 、パ ヴ ァー ラ カダナが 中央 ア ジア 出身で 、純粋 なペ ル シア音 楽 を演 奏 したのだ とす る と、 シュ リー ヴ ァラは、 ペ ルシ ア歌 謡 の良 し悪 しの判 定 にサ ンス ク リ ッ トの音 楽理 論 を持 ち出す とい う、い ささか的外 れ で強 引 な 議論 を した こ とに なる43。 5ア ミ ー ル ・ボ ス ロ ウ の 歌 合 戦 次 にペ ル シ ア語 に よる音楽 文 献 『リサ ー レエ ・ラー ガ ダルパ ナ』44が述 べ る歌 合 戦の エ ピ ソー ドに移 ろ う。 この本 の著 者 フ ァキ ール ッラー は ムガ ル皇帝 アウ ラ ングゼー ブ に仕 えた人物 で 、本 の前半 で は 『マ ー ナ ・ク トゥー ハ ラ』45とい う16世 紀46に 書 か れ たサ ンス ク リ ッ トの 音 楽理 論 書 をペ ル シ ア語 に翻 訳 し、 さらに後半 で は フ ァキ ール ッラー 自身の オ リジナ ル な論 を展 開 してい る。前 半部 で も単 にサ ンス ク リ ッ トの翻訳 に終 始せ ず 、 フ ァ キー ル ッラー 自身 の音楽 につ い ての見解 を交 えて いる ので、 当時 の イ ン ド 音 楽 をムス リムが どう とらえて いたか を知 る には格好 の資料 で ある。 この書物 の第4章(pp.101-109)で は、 ア ミー ル ・ホス ロウ の歌合 戦 の エ ピ ソー ド47が物語 られ る。あ らま しは次の 通 りで ある。 ス ル ター ン ・ア ラー ウ ッデ ィー ン ・ヒル ジー に仕 え る音 楽家 ア ミール ・ ホス ロウの名 声 を聞 きつ けて 、バ ラモ ン音楽 家 ゴーパ ー ル は闘志 を燃 や し、 歌 に よる決 闘の挑 戦 を突 きつ け る。す る とア ミール ・ホス ロ ウは病気 を偽 っ て、 決 闘の約 束 の 日時 に遅 れ る。 しか た な くゴーパ ール は ひ と りで演奏 を 始 める。 実 はア ミー ル ・ホス ロ ウは王座 の下 に 隠れ、 ゴーパ ール の演奏 を 盗 み聴 い て いた。 それ か らア ミー ル ・ホス ロウ は何 食 わぬ顔 を して登 場 し、 今 聴 いた ばか りの ゴーパ ー ルの演 奏 を正確 に模 倣 して歌 ってみせ る。一杯 食 わ され た ゴーパ ール を尻 目に今 度 は、 自分 自身 が作 曲 した作 品 を歌 って 聞かせ 、聴 衆 を魅 了 す る。 シュ リー ヴ ァラの歌合 戦 とは正 反対 の シチ ュエ ー シ ョンであ る。 こ こで はイ ン ド人(バ ラモ ン)の 放 浪音 楽 家が 戦 い を挑 み 、外 人48の宮廷 音 楽家 が そ れ を迎 え撃 つ。 この ような シチ ュエ ー シ ョンにお いて、 ア ミー ル ・ホス ロ ウは 自分 を ど の ように認 識 し、生粋 の イ ン ド人 で ある ゴーパ ー ルに対 しど うい う立場 を とった だ ろ うか?そ れ は時折引 用 され る彼 自身の言 葉49に端 的 に表現 さ
南アジァ研究第20号(2008年)
れて い る。以下 に具 体例 を見 るこ とにす る。
バ ラモ ンの音 楽家 ゴーパ ール に歌 に よる決 闘 を申 し込 まれ る と、 ア ミー ル ・ホス ロ ウは謙遜 す るか の よ うに見 せ か けて、 次の ように言 う。
RRD pp. 106,1. 16-108,1. 3.
Man mughal am. az vilayat taze dmade, dar hindastan. 5.z naghme-i
in ja bi-qadr baray-i dil-khush kardan-i khud yad girifte. mithl-i shum
dast-afraz na karde am.
〈訳 〉 「私 は ム ガル人 で す。外 国 よ りヒ ン ドゥス ター ンに来 た ばか りの ほ や ほや です50。 この土 地 の楽 曲 を 自分 自身の心 を喜 ばせ るの に十分 なだ け 独 習 しま した。 あ なた の よ うな上 手 な演奏 は した こ とが あ りませ ん 」。 対 抗者 ゴーパ ール を油 断 させ る 目的 か ら発 した言葉 で あ る。ア ミー ル ・ ホ ス ロ ウの 父親 は 中央 ア ジア 出 身51だ った が、 彼 自身 は イ ン ドで 生 まれ 育 ったか ら、「外 国 か ら来た ばか りであ る」 とい う言 葉 は事 実 に反 す る52。 それ なの に ア ミール ・ホス ロウは 自 らを外 人 と呼 ぶ。 イ ン ドに来 て問 もな い外 国人 が、 イ ン ド音 楽 をプ ロの音 楽家 と してで は な く、趣 味 と して、模 倣 して楽 しんで い る。 彼 は 自分 の音 楽 を この ように性格 づ け た。 ゴーパ ー ルが 歌 い始 め る。彼 はイ ン ドに古 くか ら伝 わ るギ ー ト、マ ン53、 ス ラー ヴ ァル タニ ー とい う形式 の 歌 を披 露 した。 ア ミー ル ・ホス ロウ は、 これ らすべ て を最近 、習得 した54、と答 える。 ゴーパ ー ルが促 す と、ア ミー ル ・ホス ロウ は ゴーパ ールが歌 ったギ ー ト(な ど)の 歌 謡 に対 抗 す る もの として、カ ウルやバ ス ィー ト55など、当時 のデ リー の流行 歌 を歌 った 。 ゴー パ ー ル は驚愕 の海 に沈 んだ かの ようだ った。す る とア ミー ル ・ホス ロ ウは 次の ように言 う。 RRD P.108,1.9 ff.
Anche muta'arif ast khandam. Likin harche man az dhakavat-i tab`a ikhtirrät karde am, bi-shinvanam.
〈訳 〉 「よ く知 られ てい る/あ りふ れ た もの を[た った い ま]歌 い ま した 。 で も、私 の本 性 の鋭敏 さに よって発 明 ・創作 した もの を[今 か ら]な んで
北 イ ン ドの音 楽 文 献― サ ンス ク リッ トとペ ル シァ 語― こ うい って ア ミール ・ホス ロウは カ ウルやバ ス ィー トな どの流行 歌 を彼 自身が創 造 した新 しいス タ イルで歌 った56。ゴーパ ー ル と聴 衆 全員 は喜 び の ひ と時 を過 ご した。 ア ミール ・ホス ロ ウの、心 を奪 う ような音楽 の魔 術 に、聴衆 の 間か ら驚 嘆の声 が もれ た。 この歌 合戦 の勝 敗 の判定 におい て、 サ ンス ク リッ トの理 論書 の規 定 は も はや 持 ち出 され ない。 ホ ス ロウが よ りどころ とす る のは、相 手 の演奏 を一 度聴 い た ら忘 れ ない優 れ た音 感 と並外 れ た記憶 力 、そ して 生 まれ なが らに 持 って いた鋭敏 な知 性 であ った 。 この才 能 を生 か して かれ は革新 的 な歌 謡 ス タイ ルを創造 し、聴衆 もそれ を喜 んで受 け入 れ た。彼 は 自らを イ ン ド人 で はな く、外 国人 であ る、 と認識 し、 しか も職 業 的音楽 家 の家系 に生 まれ たわ けで もなか っ た。 彼 は 自分 の コンポ ジ シ ョンを 「本 性(tab'a)の 鋭 敏 さに よって新 た に創 造 した」 とい う。 ア ラ ビア語 のtab'aと は 「刻 印 され た もの、刷 り込 まれ た もの、本性 、資質 、性 質」 とい う意味 で あ る。 「そ れが鋭 敏 であ る」 とは、 自分 の才 能 の鋭敏 さに よって 、 自分 自身の個 性 の発露 と して 、 とい う よう な意味 であ ろ う。 この点 に関 して参考 にな るの は、 この物語 の語 り手 で あ るフ ァキー ル ッ ラーが 、 ゴーパ ール のバ ラモ ン的 ドグマ テ ィス ムス を痛 烈 に風刺 して いる こ とで ある。 い くつか のペ ル シア語 の慣用 的 な言 い 回 しが 的確 に わか らな いが 、 だいた い次 の よ うな意味 に なるか と思 う。
RRD p. 102,1. 17 ff.
Shustan-i qalib agar qalb zida amadi /
mardum-i db. shud-i pishrav-i asfiya //
Va in mathal-i mashhar misra'-i atiamqi guft o khari bavar kard.
Munasib-i tial-i in jam'rate dide shud. Harche brahmanan guyand,
qabal darand, hich 'aql rakar na farmayand. Bali agar 'aql mi-däshtand,
khuda parasti ra godhashte, but-parasti na mi-kardand.
<訳>(詩 節)「 もし[バ ラモ ンた ちの迷信 に従 って聖 地 の沐浴 池 で]身 体 を洗 うこ とに よ り心が きれい にな るの だっ た ら、水 に濡 れ た人 は聖者 達 の 導 師に なっ て しま うはず だ[が 実際 に はそ うで はない]」。
[上に挙 げた]詩 の有 名 な喩 え は、[バ ラモ ンた ちが]愚 か な こ とを語 り 愚か な こ とを信 じて い る[こ とにつ い て述べ てい る]。 この社 会(=イ ン
南アジア研究第20号(2008年) ド人社 会)の 状 況 に あて はめ て[次 の よ うなこ とが]観 察 され る57。これ に よって以 下 の こ とが観 察 され てい る。バ ラモ ンたちが 言 うこ とはす べ て [人々 の]承 認 を得 る。[彼 らは]い か な る理性 を も用 い ない。 げ に、 も し 彼 らが理性 を持 って い るな らば神へ の信 仰58を捨 て て偶像 崇 拝 を行 って は い ないだ ろ う」。 この コメ ン トは特 に音 楽 につ い てな され た もので はな く、バ ラモ ンの権 威主 義 を全 般 的 に批判 した もので あ るか ら、音楽 をめ ぐる考察 の引 き合 い に出す の は適 当 で はな いか も しれ な い。 が、 そ れ をあ えて 試 み るな らば、 こ こで は ドグマ テ ィス ムス に対 抗 す る物 と して理 性('aq1)に 言 及 され る。 ホス ロ ウの 「本 性の 鋭敏 さ に よる新 た な創 造 」 とは、 この 理 性('aq1)の 働 き、 と見 なす ことがで きる。 理 性('aql)と はす なわ ち森 羅万 象 を統 合す る原理 。 イス ラム神 学 あ る い はイス ラ ム 自然哲 学 で非常 に重 要 な概 念 で あ る。 これ はギ リシ ア語 古典 の理 性(vovs)の 訳語 で あ る59。 フ ァキー ル ッラーの記 述 に も、 はっ き りとで はない が、 ムス リム知 識 人 の持 つヘ レニ ズ ム的 な文化背 景 が うかが え る。例 え ばフ ァキー ル ッラー は イ ン ド音 楽 の旋 法(ラ ー ガ)論 を扱 った章 の末尾 に結語 と して、 イ ブ ン ・ ス ィー ナーが ギ リシア(ヘ レニズ ム)科 学 に基づ い て音階 を数 理 的 に分析 した研 究 に言 及す る。彼 の意識 の なか で は、 イ ン ド音 楽 とヘ レニ ズム の音 楽理 論 の 問に断絶 はなか った ようだ。彼(ム ス リム知 識 人)に とって の普 遍 的 ・客観 的 な理 論(す なわ ちヘ レニ ズ ムの数理 的音 階理 論)の 枠 組 みの 中に、 イ ン ド音楽 が す っぽ りと収 まって しまう、 とい う意識 であ るGO。 ア ミー ル ・ホス ロウ はムス リムの知 識人 と して の教 育 を受 け たが、 そ の 基 盤 は ギ リ シ ア の 学 問(ヒ ポ ク ラ テ ス、 プ ラ トン な ど)で あ っ た61。 Sarmadee1996に よれ ば ホ ス ロ ウ はヘ レニ ズ ム の 思想 家 た ち(hukama' -i rum)を 自分 の思想 的先 駆者 と見 なす。 さ らに ア ミール ・ホ ス ロウ は 自 ら の 詩 作 品 の な か で ペ ル シ ア 音 楽 の12旋 法(parad)に 言 及 す る62。 Sarmadee(p.1iii)に よれ ば、 ア ミール ・ホス ロ ウの 頃の イ ン ドで は、 し ば しば ギ リシ ア ・アラブ音 楽理 論や ペ ル シア音楽 理論 が用 い られ た とい う。 ただ しリサー レエ ・ラー ガダルパ ナ の音楽 理論 の具体 的な記述 その もの は、 イ ン ド土 着 の音楽 理論 の延 長上 にあ る。つ ま り、 イ ン ド音 楽 をヘ レニ ズ ムの普 遍音 楽 の枠組 み で捉 え る、 とい うア イデ ィア は、理念 的 な レヴ ェ
北イン ドの音楽文献―サンスク リッ トとペルシア語― ル にお い て は存在 したが 、実践 レヴ ェル に応 用 され るこ とはな か った。 ア ミー ル ・ホス ロ ウの時代 までは用 い られ てい た とい うギ リシア ・ア ラブ音 楽理 論 は、その後 の イ ン ド音楽 で は まった く姿 を消 して しま う。確 か に フ ァ キール ッラー はイ ブ ン ・ス ィーナ ーの数 学 的音 階理論 に言 及 す るが、 それ を実 際 に イ ン ド音 楽 の ラー ガの分析 に当て はめ て はい ない。 イ ン ド音楽 の 実践 レヴ ェルで の改革 は、 理論 とは無縁 な ところで起 こった よ うであ る63。 とは い え、 イ ン ドに移住 して きた外 国人や 、外 国人 とイ ン ド人 との混 血 人が 、北 イ ン ドの音楽 に新 しい気 風 を もた らした、 とい う ことに 間違 いな い0 6フ ァ キ ー ル ッ ラ-に と っ て の 「音 楽 」 そ し て 「音 楽 の 科 学 」 フ ァキ ール ッラー はイ ン ド音楽 を どの よ うな もの と して捉 えてい たの だ ろ うか?彼 は リサー レエ ・ラー ガダルパ ナ のあ ち こちで 、「音 楽 の科 学 」 (`ilm-i musiqi)と い う表現 を用 いて い る・ア ラ ビア語 の'ilmと い う語 は「知 識 ・科 学 」 を意 味す る。 「音 楽 の科 学 」 とい う表現 を フ ァキー ル ッラー は どの よ うな意味合 い で使 って い るか、以 下 に用例 を検 討 す る。 フ ァキー ル ッラー が 「音 楽 の科学 」 の理念 的 な基盤 と して念 頭 に置 いた の は、上 述 の よ うにサ ンス ク リッ トの音 楽理 論書 に記 述 され た音楽 理論 だ け で な く、 イブ ン ・ス ィーナ ーのヘ レニズ ム的数 理音 階論 な どで もあ った。 RRD p. 74 <訳>賢 人 た ちの知性 に[以 下 の こ とが]明 らか であ る。音 楽 の科 学('ilm-i mOsiqi)は 諸科 学 の うちで最 も難 しい。 イ ブ ン ・ス ィーナ ー(Pur-i Sina) は手 に入 れ られ るあ らゆ る科 学('ilm)を 学 び、「有能 な人(mard)で あ る」 と言 われ る64。しか し彼 が数 学(riyadi)に 手 を出 した と き∼そ れ(=数 学) の最 も大 きい部 分 は音楽 で あ る∼[自 分 の]能 力 が 及 ばな い こ とを認 め て 「科 学('ilm)で あ る」 と言 っ たGS。で も有 能 な人 であ る とい うの に?砂 漠 を呆 然 とそ して 渇 きなが ら66彷徨 う(砂)の0粒[で あ る私 に](=科 学 の 広 大 さに驚 嘆 す る凡 人 に過 ぎ ない 私 に)、 この微 妙 な/偉 大 な科 学 ('ilm-ishagarf)に つ いて 自分 か らな にか書 き表 そ う とい う、如何 な る勇 気 とどれほ どの力 が あ るだ ろ うか?そ れ に関 して[次 の よ うな]詩 節 が あ る。 「私 に もひ とつ知 ってい る こ とが あ る67。[すな わち]我 らは何 も知
南アジア研究第20号(2008年) らない とい うこ とを知 っ てい る」。68 最 後 の 「我 らは何 も知 って はい なか った とい うこ とが わか った 」 とい う 言 葉が ソ ク ラテスの 「不知 の知 」 に基づ い てい る こ とか らも分 か る とお り、 この箇所 で はヘ レニズ ム的 な文化背 景 が仄 めか され てい る。 しか し、 こう してヘ レニズ ム に言及 しなが らも、 フ ァキ ール ッラーは前 述 の ように、 イ ン ド音楽 の実 際 の分析 にヘ レニズ ム的 な手法 を用 い る こ と は なか った。こ こで 引用 した箇 所 で も、彼 はた だ単 に「音楽 はイ ブ ン・ス ィー ナー ほ どの天才 で も手 に負 え ないほ ど深淵 で あ る」 とい う ような 旨を述べ る にす ぎない 。 7理 論 ・知 識('ilm)と 実 践 ・実 践 的 技 術('amal) この ように、 フ ァキー ル ッラー は、 イ ン ド音楽 を実 際 に記述 す る際 に は もっ ぱ らイ ン ド土 着 の枠 組 み を採用 す る69。そ れ で は、 フ ァキー ル ッラ ー の 書物 は、 それ まで の ヒ ン ドゥーの著者 たち に よって書 かれ た イ ン ド音 楽 理 論書 の受 け売 りにす ぎない のか?そ うで はない 。従 来の イ ン ド音 楽理 論 書 を踏襲 した記述 に混 じって、 時折 、 フ ァキー ル ッラー 自身 の コメ ン ト が 混 じってい る こ とが あ る。 特 に、従 来 の音楽 理論 書 の記述 が現 行 のイ ン ド音楽 の実 情 と食 い違 って い る場 合 、 コメ ン トを差 し挟 む必 要 を感 じた よ うで あ る。 これ らの部分 か ら、彼 自身の イ ン ド音楽 に対 す る視点 が どこに あ ったか 、 とい う ことを読 み取 る こ とが で きる。 フ ァキー ル ッラーの 時代 に は'イ ン ドの音 楽理論 書 に伝 え られ る音 楽 理 論 と実践 のあ い だ に乖 離 が生 じて いた。 「理 論 と実 践 の乖 離 」 とい う問題 をフ ァキー ル ッラー は'ilm「 知識 」 と`amal「 実践 」 とい う二 つの対 抗 す る概 念 を用 い て論 じて い る70。音楽 の歴 史 的 な変化 に よ り、実 際 の演奏 が 、 過去 の 理論書 の規 定 か ら外 れ てい る、 とい う観察 をす る。 「理 論 と実践 の乖 離 」の 問題 は、 サ ンス ク リッ トの音 楽理 論書 にお いて は ほ とん ど意 識化 され て論 じ られ る こ とが なか っ た。確 か に13世 紀 の イ ン ド音 楽理 論書 サ ンギ ー タ ・ラ トナー カ ラ(サ ンス ク リ ッ ト)に お い て は、 laksan aとlaksyaと い う用 語 が 「理 論 」 と 「実 践 」 に相 当す る意 味で用 い られ てい る71。 しか し、サ ンギ ー タ ・ラ トナ ー カ ラにお いて は、理 論 と実 践 の乖 離が 歴史 的変 化 と連 関す る、 とい うこ とは 問題 に され て いな い。歴
北 イ ン ドの音 楽 文献 ― サ ンス ク リ ッ トとペ ル シァ 語― 史 的 な 変 遷 を扱 う 問 題 意 識 ・発 想 は 、 サ ンス ク リ ッ トの 文 献 に は存 在 し な か っ た 。 フ ァキ ー ル ッ ラ ー が 、 こ の よ う な 新 し い 視 点 を 取 る こ と が 出 来 た の は 、 お そ ら く、 彼 が ム ス リム 知 識 人 と し て 、 歴 史 的 意 識 を持 ち72、 か つ イ ン ド 以 外 の 思 考 法 の 存 在 を 知 っ て い た か ら だ 、 と推 測 す る 。 以 下 に 該 当 箇 所 を 訳 出 す る 。 RRD p.182,11.1-10 <訳>[ア ク バ ル の 時 代 に 書 か れ た 音 楽 理 論 書 ラ ー ガ ・サ ー ガ ラ に は]た くさ ん の ラ ー ガ73が マ ー ナ ・ク ト ゥー ハ ラ74と は 異 な っ て 記 述 さ れ て い る 。 し か し 、 マ ー ナ ・ク トゥ ー ハ ラ か ら ラ ー ガ ・サ ー ガ ラ ま で[の 間]に は 、 非 常 な 食 い 違 い が あ る 。 なぜ な ら、 そ の 頃(=マ ー ナ ・ク ト ゥー ハ ラ が 書 か れ た 頃)は ナ ー ヤ カ75(=芸 術 家 と し て の 声 楽 家)た ち が[ま だ]い た か ら だ 。 そ して 今 の 時 代 の 多 くの 歌 手 た ち の 誰 も知 識('ilm)の 点 で ラ ー ジ ャ ー ・マ ー ナ76の 時 代 の ナ ー ヤ カ た ち に は 及 ば な か っ た 。 彼 ら は 実 践 (6amal)に 関 す る 記 述[の 際 の]確 立 さ れ た 決 ま り に 従 っ て 記 述 した77。 こ れ が 証 拠 の 一 つ で あ る78。 二 つ 目[の 証 拠]は 、 ア クバ ル 皇 帝 の 時 代 の 歌 手 た ち は 多 くの 場 合 ア タ ー イ ー('atai)79で あ っ た 。 ウ ス タ ー ドた ち の 決 ま り/定 義 で は 、 知 識('ilm)が な く て 実 践 的 技 術('ama1)を 持 つ も の は 誰 で もア タ ー イ ー と 呼 ば れ る 、 と い う こ とで あ る 。 RRD p.184, 1. 5 ff. <訳>か つ て の ナ ー ヤ カ た ち は椅 子 に 座 る の を 常 と して い た 。 ビー ン80(弦 楽 器)を 弾 く器 楽 演 奏 者 と ム リ ダ ン ガ(太 鼓)の[奏 者 た ち]は 彼 ら(=ナ ー ヤ カ た ち)の 後 ろ に 座 ら さ れ た 。[ナ ー ヤ カ た ち は]音 楽 の 本(kitab-i Sangit)を 読 み 上 げ た 。[そ の 際]音 階 の サ イ ク ル(sur-avart)と ター ラ、 そ の 他 の 箇 所 を ナ ー ヤ カ た ち は 読 み 上 げ な が ら、 弟 子 た ち に レ ッス ン を 行 っ た 。 そ して 同 じ こ と を 下 行 音 列(ア ヴ ァロ ー ハ)に よ る 実 演 で デ モ ン ス ト レー トし た81。 多 少[理 論 書 を]読 ん だ こ と の あ る 、 こ の(=現 在 の)社 会[の 人 々] は 実 践('ama1)を 伴 わ な い 知 識('ilm)を 持 っ て い る 。[彼 ら は]本 に 書 い て あ る こ と を読 ん で は い る が 、賢 い ナ ー ヤ カ(nayaki ku)と い う もの は 、 知 識('ilm)を 実 践('amal)に ま で 持 っ て く る こ と(=実 際 に 演 奏 して
南アジア研究第20号(2008年) 見せ るこ と)が で き、 それ で誰 か を指導 す る こ とがで きるの であ る。 その 証拠 に、 も しこの よ うに本 を読 む こ とに よ りナ ーヤ カ にな るの な ら、読 む もの は皆 、 ナ ー ヤ カ にな る はず で あ ろ う(が,実 際 に はそ うで は な い)。 ま さに この ことに よって こそ 、ナ ーヤ カ(芸 術家)と は呼 ばれずパ ンデ ィ タ(学 者 、パ ンデ ィ ッ ト)と 呼 ばれ る[人 々が い るので あ る]。 これ らの記述 か ら、 フ ァキー ル ッラーの 時代 に は、理 論 と実践 の 問に乖 離 が生 じてい るの に、昔 の音 楽理 論書 の規 定が 理想 とされ、 また規定 を遵 守 しよ う とい う努力 が な されて いた こ とが わ か る。 ここで参 照 され たの は ldtab-isangit「サ ンギー トの本 」 とあ るの で、 イ ン ドの音楽 理論 書 であ り、 ア ラブ ・ペ ルシ ア音 楽 の もので は なか った とわか る。 けれ ども実際 に は音 楽 理論 書 の知識 が 無い 職人 的音 楽家 が多 く存在 してい た。
8 まとめ
本 稿 で は、サ ンス ク リ ッ トとペ ル シア語 で書 かれ た文献 に見 られ る、歌 合戦 に関す る記述 を比 較検 討 した 。サ ンス ク リ ッ トの文献(ジ ャイナ ・ラー ジ ャ タラ ンギ ニ ーJRT)の 場 合 、音 楽 の評 価 の基 準 は第 一 に、 音楽 が 理 論書 の規 定 にそ ぐうか ど うか 、で あ り、音楽 家 の独創 性 はあ ま り重 視 され なか った。 た とえ ばサ ンギー タ ・ラ トナー カ ラな どの音楽 理論 書 に言 及 さ れ る個 人名 はバ ラタや ナー ラ ダな どの太古 の聖 人 たちで あ って、 著者 と同 時代 の優 れた音 楽家 の伝 記が 語 られ る こ とが ない。 ところが ペ ル シア語 に よるイ ン ド音 楽理 論書(リ サ ー レエ ・ラー ガ ダル パ ナRRD)に お い て は様 相 を異 に してい て、 そ こで は著 者 と同 時代 あ る い はまだ記 億に新 しい 時代 の音楽 家 た ちの伝 記 が大 きな部分 を占め てい る。 確 か に、古 来 イ ン ドに伝 わる音楽 理論 に も敬意 が払 われ、 また 、そ こか ら の逸脱 が 時 には批判 され る こと もあ る ものの 、大体 にお い て、個 々人 の行 っ た独 創 的 な発 明 は賞 賛 され てい る。 ア ミール ・ホス ロ ウの エ ピ ソー ドは、 そ の よ うな歴 史 に実在 した個人 を代 表 して い る ように思 われ る。彼 は過 去 の伝 統 を遵守 したゆ え にで はな く、 む しろ過 去 の伝 統 を越 え、 過去 の価 値 を相 対化 す る こ と、 そ して彼 自身 の個性 を発揮 す るこ とに よ り評価 されて い る。 こうい った個性 の重 視 や歴史 的時 間感 覚 の導入 は、 ムス リム知識 人 の教北 イ ン ドの音 楽 文献― サ ンス ク リ ッ トとペ ル シァ 語― 養 、 す な わ ち 当 時 の 東 西 の 知 の す べ て を 融 合 す る よ う な 広 大 な 知 識 と 視 点 82 、 に よ っ て 可 能 に な っ た と こ ろ が 大 き い と 考 え る 。 そ れ で は イ ス ラ ム に お い て 「個 人 」 と い う 概 念 は0体 ど の よ う に 位 置 づ け ら れ る の か 、 そ し て そ れ は 例 え ば ル ネ サ ン ス 以 降 の ヨ ー ロ ッ パ に 出 現 す る 「個 人 」 と 、 ど の よ う に 類 似 あ る い は 対 立 す る の か 、 た い へ ん 興 味 深 い 問 題 で あ る が 、 筆 者 の 能 力 を 越 え て し ま う の で 、 こ こ で 筆 を お く こ と に す る 。 註 1 し ば し ば 「ム ス リム」 と して一 口 に くくら れ る が 、実 際 に は この 外 来 集 団 は 雑 多 な 民 族 か ら な り、そ の 中 に は か な りの 数 の 非 ム ス リム(ユ ダヤ 人 、アル メ ニ ア人 そ の 他)が 混 じって い た 。 2 こ こ で は 便 宜 上、イ ラ ン 本 国 の 音 楽 と 中 央 ア ジ ア で 演 奏 され る音 楽 を ま と め て 「ペ ル シ ア 音 楽 」と 呼 ぶ こ と に す る 。 3 こ れ に 対 し南 イ ン ドの カル ナ ー タ カ 音 楽 に お い て は 楽 譜 資 料 が 存 在 す る(井 上 貴 子 先 生 の 御 教 示 に よ る)。 4 イ ン ド人(ヒ ン ドゥー)の 歴 史 認 識 に つ い て はSlaje[2005A:1ff]を 参 照 。カ ルハ ナ が 著 し た 歴 史 書 『ラ ー ジ ャ タラ ン ギ ニ ー 』は 、彼 の 死 後 、別 の 著 者 た ち(ジ ョー ナ ラー ジ ャ、シュ リー ヴ ァ ラ、シ ュ カな ど)の 手 に よって 書 き継 が れ て ゆ く。この 伝 統 は1892年 ま で 続 い た[Slaje2005A: 10-12. Slaje 2005B: 379]。 5 こ の 時 代 を 記 述 す る ペ ル シ ア 語 の 歴 史 書 は 、ジ ョー ナ ラ ー ジ ャ著 、シュ リー ヴ ァラ 著 の サ ンス ク リ ッ トの 歴 史 書 か ら の 翻 訳 で あ る 。従 って一 次 資 料 として の 重 要 性 は 、サ ンス ク リッ トの 原 作 の ほ う に あ る こ とを、忘 れ て は な ら な い[Slaje 2005A:13-15,Ibid.:17note74]。 こ の こ とに 関 す る分 析 が 現 代 カ シュ ミー ル の 政 治 情 勢 を 考 察 す る際 に重 要 とな る可 能 性 に つ い て はSlaje 2005A[pp.25-27]を 参 照 せ よ。 6 書 名Jainarajataranginiは 「ザ イ ンの 王 た ち の 波 」す な わ ち 「ス ル ター ン ・ザ イ ン ・ア ル ・ア ー ビ デ ィー ン の 列 王 伝 」を 意 味 す る 。Jainaは ス ル ター ンの 名Zainを サ ンス ク リッ ト式 に音 写 し た もの で あ る 。[Slaje2005B:380note8]シ ュ リー ヴ ァラ が 見 聞 し た 同 時 代 史(1458/59-1486)を 記 述 す る[Slaje2005A:12]。 7 原 語 は 不 明。dafir 'victorious,conqueror'と い った 語 を推 定 で き る。 8 この 表 現 は ナ ー テ ヤ ・シ ャ ース トラ28 ,12を 踏 ま えて い る 。そ れ に よれ ば、声 ・楽 音(ス ワラ)を 生 み 出 す こ と に 関 して 、弦 楽 器 の 構 造 と人 体 の 構 造 は 同 一 で あ る が 、方 向 が 逆 に な って い る 。 弦 楽 器 で は 下方 に な る ほ ど 高 音 が 出 る が 、人 体 に お い て は 逆 で あ る 、とい う。 9 Slaje[2005A:5note17]に よれ ば カ シュ ミー ル が ム ス リム の 支 配 下 に 入 っ た の は 北 イ ン ドの 他 の 地 域 よ りも遅 く、1320-39年 頃 で あ る 。 10 [デ ー ヴ ァ1994:24] 11 ア ミー ル ・ホ ス ロ ウ の 伝 記 お よ び ペ ル シ ア 語 詩 人 として の 業 績 に つ い て は'Aqil[1997]を 参 照 せ よ。 12 ['Aqi1 ,1997:11]
南アジア研究第20号(2008年) 13 た だ しア ミー ル ・ホ ス ロ ウ が シ ター ル の 発 明 者 で あ る と い う伝 説 の 信 愚 性 は 希 薄 で あ る [Miner 1997: 17]。 14 同 書[Sarmadeeed .,1996:60-63]参 照 。イ ン ド音 楽 の ラ ー ガ に近 似 す る 構 造 を持 つ ペ ル シ ア音 楽 の マ カー ム を選 び 、両 者 を混 合 した 。 15 RRD: 188. 16 RRD:192 ,1.20.muvafiq-i-sangit na bud「 サ ン ギ ー トに合 致 して い な か っ た」。 17 RRD: 192. 18 アクバ ル 会 典 の イ ン ド音 楽 を 扱 っ た 章 に は 歌 合 戦 自体 の 記 録 は な い が 、ア ミー ル ・ホ ス ロ ウ が サ ー ミ トとタ ター ル とい う名 の2人 の 弟 子 を 連 れ て い た こ と、カ ウ ル と タ ラ ー ナ ー とい う新 しい 楽 曲 形 式 を 発 明 した こ とが 述 べ られ る[A'in-iAkbari1993:266]。 こ の 章 の 構 成 は リサ ー レ エ ・ラ ー ガ ダル パ ナ に よく似 て い る が 、非 常 に 簡 略 化 さ れ て い る 。 19 JRT 3
, 252: ityadi samsam kurvan o nrpatir navayauvanah / lilamitraih samam tabhyo madya-patramagahata.「 な ど と[3人 の 歌 姫 の]賛 美 を し な が ら、青 春 真 っ盛 りの 王 は 遊 び 仲 間 と一 緒 に 彼 女 た ち[=3人 の 歌 姫]か ら酒 の 器 を[受 け 取 り][そ れ に]溺 れ た 。」詩 節 の 後 半 は 意 味 が よ くわ か ら な い 。tabhyoをAblativeと して こ の よ う に 訳 して み た が 、無 理 が あ る 。Dativeと して 「遊 び 仲 間 と0緒 に 彼 女 た ち に 酒 の 器 を 」と解 釈 した 場 合 、agahata「 耽 溺 し た 、溺 れ た 、飛 込 ん だ」が 文 脈 に そ ぐ わ な い 。もしtabhyoが 破 格 的 にtabhirの 意 味 で 用 い られ て い る と考 え て 良 い な ら 、 「遊 び 仲 間 た ち[お よ び]彼 女 た ち と と もに 、酒 の 器 に(/酒 の 池 に)溺 れ た 」と都 合 よ く解 釈 で き るが 、妥 当 性 は 保 証 で きな い 。JRTに は 破 格 的 な 表 現 が 散 見 され る が 、研 究 は まだ な され て い な い 。も しtabhyoとmadyapatram(Accusative)を 破 格 的 な 並 列 表 現 で あ る と考 えて 良 い な ら、 「遊 び 仲 間 た ち と ともに 、彼 女 た ち に[そ して]酒 の 器 に 、 溺 れ た」 と な るが 、 こ れ に も保 証 は な い 。Shrikant Kau1校 訂 版 に は ヴ ァ リア ン トしてagayata
「歌 っ た」が あ るが 、意 味 を成 さな い 。 20 あ るい は 「歌 と詩 と諸 技 芸 」 。 21 sabhaは 催 事 場(ホ ー ル)と 聴 衆 の ど ち ら を も意 味 す る 。 「王 宮 の 、歌 の 演 奏 に 適 した 空 間 」で あ ろ う。 22 anugitaが 具 体 的 に どん な 形 式 の 歌 を指 す の か 不 明 。 23 あ る い は プ ラバ ンダ(作 曲 され た 楽 曲)の 下 位 区 分 と して サ ル ヴ ァ ・リー ラー とい う タイプ が あ っ た ・とい うこ とか?サ ンギ ー タ・ラトナー カラ4,227に は ・プ ラバ ンダの 下 位 区 分arya-prabandha の タイ プの 一 つ としてlilaが 挙 が って い る 。
24 「地 方 語 」(desa -bhasa)と は ペ ル シ ア 語 の こ と で あ る[Slaje 2005A:7note30] 。 25 Sangitaratnakara 4
, 12cd: an.gani sat tasya svaras ca birudam padam /12/ tenakah pata-talauca prabandha-purusasya te //「そ の 、プ ラバ ン ダ[と い う]人[体]に は 六 つ の 部 分 が あ り、そ れ らは 楽 音 、ビ ル ダ 語 句 、テ ー ナ カ 、パ ー タと リズ ム(タ ー ラ)で あ る」 。プ ラバ ン ダ を 人 体 に な ぞ ら え た 。人 体 に 六 つ の 部 分(両 手 両 足 ・胴 体 ・頭)が あ る の と 同 様 に 、プ ラバ ン ダ も 六 つ の 部 分 か ら構 成 され る 。ビ ル ダ とパ ー タは 両 方 とも何 らか の 手 の 動 きを 示 す が 、具 体 的 に 何 を指 す の か 不 明 。手 で 節 を とる こ と か?カ ッリナ ー タ注 に よ れ ば 、太 鼓 を手 の ひ らで 叩 く よ う な 動 き 、とい うが そ の 真 意 は よ く分 か ら な い 。テ ー ナ カ は 同 注 に よ れ ば 語 句(パ ダ)と 違 い 、意 味 を持 た な い が 、吉 祥 な る音 、だ とい う。現 代 の イ ン ド古 典 歌 謡 で もタ ー、ナ ー な ど、意 味 を 持 た な い シ ラ ブ ル で 歌 う こ とが あ る が 、そ うい っ た もの だ ろ うか?
北 イ ン ドの音 楽 文献 ― サ ンス ク リ ッ トとペ ル シア 語― 26 同 じ語 句 の 訳 として 複 数 の 可 能 性 が あ る 場 合、両 方 を下 線 で マ ー ク し た 。 27 vadaは 通 常 は 「論 争 」 を 意 味 す る。こ こ で は 「歌 合 戦 」と訳 した が 、む し ろ 「音 楽 理 論 書 に記 載 さ れ る 、プ ラバ ン ダ とい う楽 曲 形 式 に つ い て の 定 義 を め ぐっ た 論 争 」が 、本 来 の 意 味 に 近 い か も しれ な い 。 28 直 訳 は 「私 か らプ ラバ ン ダ を聴 き」。 「私 か ら音 楽 理 論 書 の プ ラバ ンダの 定 義 を 聴 き」と も解 釈 で き るが 、もち ろ ん定 義 を説 明 す る だ け で な く実 際 に歌 っ て デ モ ンス トレ ー トした の で あ ろ う。 29 音 楽 理 論 書 を参 照 し な が ら、プ ラバ ンダ の 定 義 に 実 際 の 演 奏 を照 会 して、正 し く歌 わ れ た か ど うか 吟 味 した 。こ れ を踏 ま え る とvadaは 「議 論 」で あ ろ う。言 葉 を失 った 「彼 」が パ ヴ ァー ラカ ダナ な の か ス ル ター ンな の か は っ き りし な い 。た だ しス ル ター ンは す で に258詩 節 で シ ュ リー ヴ ァ ラ の プ ラバ ンダ 演 奏 と定 義 に つ い て の 講 釈 を 聴 い て 感 動 して い た の だ か ら、ま た こ こで 再 び 、初 め て 聴 い た か の よう に 驚 愕 し言 葉 を 失 うの は 矛 盾 が あ る 。さ ら に 次 の261詩 節 で 「君 は カ シュ ミー ル人[の くせ に]こ ん な に 巧 み で 」と い う カ シュ ミー ル人 を い さ さか 蔑 ん だ 表 現 が 、カ シュ ミー ル の ス ル ター ンの 口 か ら 出 た と は 考 え に くい 。以 上 の よ うな 理 由 か ら 「彼 」 は パ ヴ ァー ラ カ ダナ だ と判 断 す る。 30 ghosahは 名 詞 「声 た ち 」 「叫 び 声 た ち 」で あ る が 、そ れ で は 意 味 を な さな い 。不 可 解 な 表 現 で あ る 。一 語 か らな る 変 則 的 なパ フヴ リー ヒ複 合 語 で あ り、turangahに 性 数 格 の 一 致 を して い る と解 釈 してsa-ghosah「 叫 び 声 を持 った 」とい う意 味 で とっ た 。あ る い は 同 格 「叫 び 声[そ の も の で あ る よう な]馬 た ち 」とい うこ とで あ ろ うか?あ る い はghosa-は 語 根ghus-"makesound" "
cry, proclaim aloud"か ら派 生 した 形 容 詞(=ghosaka-)で あ る か も しれ な い が 、辞 書 に は 形 容 詞 と して の 用 法 は な い 。な お 語 根ghus-に は"to be beautiful, brilliant"と い う意 味 も あ る 。 31 あ る い は 「自 ら の 生 ま れ(_血 統)に 満 足 す る」す な わ ち 「血 統 の 良 い 」。
32 vastra-yogah「 衣 の 組 み 合 わ せ 」こ こで は 「重 ね 衣 」 と訳 して み た が 、 「上 下 の 衣 を 合 わ せ た一 式 」 とい う意 味 の 可 能 性 も あ る.
33 prasabham「 無 理 や り、力 つ くで 」。iha「 ここ で」 こ こ、す な わ ち王 の 宮 廷 に お い て、あ るい は 、 この 歌 合 戦 の 場 に お い て。
34 Widdess1995: 404 .A iiterary or musical composition.In particular, vocal compositions in raga and tala, with texts in Sanskrit or vemacular[…].
35 Nijenhuis 1974: 82-84 .
36 脚 注26参 照 。Sangitaratnakara 4章(prabandha-adhyaya)全 体 は プ ラバ ンダ の 下 位 区 分 とそ の 具 体 例 を 挙 げ る。
37 JRTに 言 及 され るmleccha , mausula, parasi/desa, hindusthana-vacな ど の 言 語 名 称 とそ の 正 確 な 意 味 内 容 に つ い て はSlaje[2005A:7-8]を 参 照 せ よ。Siajeはhindusthana-vacをdie fur "d
as Land der Hindus"-hier Kaschmir-"[charakteristische] Sprache"で あ る と解 釈 す る 。 38 JRT 1 , 4, 32. 39 しか し 、パ ヴ ァー ラ カ ダ ナ とい う名 前 が ペ ル シ ア 語 の ど の よう な 語 形 に 相 当 す る の か 、私 は 突 き止 め る こ とが 出 来 な か っ た 。 40 今 日の パ キ ス タ ンや ア フ ガ ニ ス タ ンで は、ペ ル シ ア 語 の 歌 詞 を ヒ ン ドゥス タ ー ニ ー 音 楽 の ラ ー ガ とター ラ に あ わ せ て 演 奏 す る こ と が あ る 。ア ミー ル ・ホ ス ロ ウ は 、カ ッワ ー リー とい うム ス リム音 楽 の 歌 謡 形 式 を、古 典 音 楽 の ジ ャ ンル として 確 立 し た とい わ れ る 。[Nijenhuis 1974:67-86] 41 ドゥルパ ドの 最 古 の 資 料 は 古 ベ ン ガ ル 語(新 期 イ ン ド・アー リア 語 東 部 方 言 の 古 形)に よ るチ ャ
南アジア研究第20号(2008年) ル ヤ ーパ ダ で あ る[Prajnananda 1996:71-77]。 チ ャル ヤ ー パ ダ の 成 立 年 代 が10∼12世 紀 と 大 まか に 推 定 され て い る[Kvaerne 1986:5-7]。 こ の 曖 昧 な 推 定 年 代 に も とつ い て、 ドゥル パ ド 形 式 が 出 現 した 年 代 も、同 じ 頃 あ る い は そ れ よ り少 しく早 い 年 代 とされ る 。 42 Nijenhuis 1974: 83 43 Siajeの 私 信 に よれ ば、シ ュ リー ヴ ァ ラ の ラ ー ジ ャタ ラ ンギ ニ ー の ペ ル シ ア 語 訳 「バ ハ レス タ ー ン ・エ ・シ ャ ー ヒ ー」に は こ の エ ピ ソ ー ドは 記 さ れ な い 、と い う こ とで あ る 。ハ サ ン ・シ ャ ー が 宮 廷 に多 くの 音 楽 家 を抱 えて い た 、とい う こ とだ け が 記 され て い る とい う。ム ス リム の 歴 史 家 は 、 ス ル ター ンが 酒 飲 み で あ っ た 、あ るい は 音 楽 に 耽 溺 し た 、とい う よう な こ と を描 くの を、あ ま り 好 まな か っ た ようだ 。 た だ し・ペ ル シ ア 語 の 史 書 が 常 にJRTに 劣 って い る わ け で は な い 。火 薬 の カ シ ュ ミー ル へ の 輸 入 の 時 期 を め ぐっ て、JRTの 記 述 が ペ ル シ ア 語 の 史 書 と補 い 合 う 、とい う例 が あ る[slaje 2005A:39-42]。 JRTの 時 代 に 既 に今 日の ヒ ン ドゥー ・ム ス リム に 類 似 し た 対 立 概 念 が 存 在 して い た こ と につ い て はSlaje[2005A:6ff]参 照 。 44 「ラ ー ガ ダ ル パ ナ」は 実 際 に は 「ラ ー グ ダ ルパ ン」 と現 代 語 風 に 発 音 され て い た 可 能 性 が 強 い が 、こ こで は便 宜 的 にサ ンス ク リ ッ ト式 の 発 音 を 記 す 。 45 現 代 語 式 の 発 音 は マ ー ン ・ク トゥ ーハ ル 46 英 訳 者 に よる解 説(Sarmad
ee, intro, liv.)を 参 照 され た い 。 47 こ の 逸 話 は よく知 られ た もの ら しい[田 森1991 :105-106]。 残 念 な が ら 田 森 は そ の 出 典 を挙 げ て い な い 。 48 外 人 とイ ン ド人 の ハ ー フ 。第2節 を参 照 。 49 正 確 に 言 え ば 、こ の 書 物 の 著 者 フ ァキ ー ル ッラ ー(17世 紀)が 、物 語 の 登 場 人 物 ア ミー ル ・ホ ス ロ ウ に 言 わ し め て い る台 詞 。もち ろ ん これ らの 台 詞 が フ ァキ ー ル ッ ラー の 創 作 にす ぎ な い 可 能 性 は あ る 。 50 tazeはtaziの 誤 読 で あ る可 能 性 もあ る
。こ の 場 合az vilayat-i tazi amade「 中 央 ア ジ ア の 国 よ り 来 ま し た」と訳 せ る。 51 'Aqil[1997:11]に よれ ばKash 。 52あ る い は 「私 は 、外 国 か ら ヒ ン ドゥス ター ン に 来 た ば か りの ム ガ ル人 に 属 す る」 とい う意 味 で あ ろ うか? 53 glt , man, suravartani.RRDpp.92-97に よ れ ば、こ れ ら三 つ の 歌 謡 形 式 は次 の 通 りで あ る 。 git(=gita)は 神 や 王 を称 え る 歌 で 、surajprakas(=suryaprakasa)「 太 陽 の 光 」、sarbatobhadr (=sarvatobhadra)「 全 て に とって 良 い 」candrprakas(candraprakasa)「 月 の 光 」の 三 種 類 が あ る 。残 る 二 つ は 、サ ンス ク リ ッ トの 音 楽 理 論 書 に 規 定 さ れ るマ ー ル ガ ・サ ン ギ ー タ(純 正 音 楽)の 流 れ を汲 むtasanifat-imargi純 正 歌 謡)の 二 つ の 形 式 で あ る 。こ の ジ ャンル は フ ァキ ー ル ッラ ー の 時 代 に は 廃 れ 、デ カ ン地 方 に の み 残 って い た 。マ ンは 自慢 を テ ー マ とす る(?)歌 、 そ して ス ラー ヴ ァル タニ ー と は タ ー ・ナ ー ・テ ィ ッリー な ど の 意 味 の な い 音 節 に よ りな る 歌 の こ とで あ る とい う。 54 RRDp
.108:in-ra man moddatist baste am.直 訳 は 「私 は 最 近 こ れ を結 ん だ 」。こ れ らの 形 式 の 歌 を 記 憶 に定 着 させ た 、あ る い は これ らの 形 式 に 従 って 作 曲 した 、とい う意 味 に 取 れ る 。 55 qaul
北 イ ン ドの音 楽文 献 ― サ ンス ク リ ッ トとペ ル シア 語―
ル 、ナ ク シュ ニ ガ ー ル 、バ ス ィー ト、テ ィ ラ ッ ラ ー ナ 、ソー ヒ ラな ど と呼 ば れ て い る。そ れ ら の 進 行 法(ravish)は ア ミー ル ・ホ ス ロ ウ が 用 い[始 め]た もの で あ る」。
56 直 訳 「上 に 述 べ た 自 分 の ナ グメ とタサ ー ニ ー フ」。 これ に先 行 す る 章 に 、ホス ロ ウ が さ ま ざ ま な イ ン ド土 着 の ラ ー ガ に 、そ れ と構 造 が 似 て い るペ ル シ アの 旋 律 を混 合 して 新 た な ラ ー ガ を発 明 した こ と(pp.44-45,60-61)、 そ して、デ リー の 流 行 歌(qaui, taranah, khyal, naqshnigar, basit, tilallanah, sohila)に お い て 新 た な 展 開 法(ravish)を 発 明 した こ と(pp.100-101)が 述 べ られ て お り、そ の こ とを 指 して い る 。
57 あ る い はmunasib-i hal-i in jama'ate-idide「[上 の 有 名 な 喩 え は]こ の 社 会 に見 られ る 状 況 に
あ て は まる」。この 場 合shudの 意 味 を取 りに くい 。
58 英 訳 者Sarmadeeの 解 釈 に 従 わ ずkhuda-parastiを 複 合 語 と とる 。
59 「ア クル 」に 関 して は、次 の も の を 参 照 され た い 。大 塚 和 夫 ほ か 、2002、 『岩 波 イ ス ラ ー ム辞 典 』、岩 波 書 店 、10-11頁 。井 筒 俊 彦 、1991、 『イ ス ラー ム思 想 史 』、中 公 文 庫 、233-234頁 。 60 後 続 の 第6節 を 参 照 せ よ 。
61 ホ ス ロ ウ の マ スナ ヴ ィー 体 に よる 詩 作 品 「ハ シ ュ ト・ベ ヘ シ ュ ト」の一 節hikmat-ash dad az bas afzuni/malk-i buqrati va falatuni//「[師 モ ウ ラー ナ ー ・シェ ハ ー ブ ッデ ィー ン]は ヒ ッポ ク ラ
テス の[医 学]と プ ラ ー トー ンの[哲 学]を マ ス タ ー して お り、実 に 豊 富 な[知 識 源]か ら 彼(= ホ ス ロ ウ)に 智 慧 を与 え た」 を参 照 。 この 詩 節 は'Aqil[1997:17]に 引 用 され て い る 。 ム ス リム 知 識 人 の 思 考 的 枠 組 み が 、ギ リ シ ャ ・ヘ レニ ズ ム の 伝 統 を 踏 ま え た もの で あ っ た こ とに つ い て は 、榊[2008:253 ff.]を 参 照 せ よ。 62 Sarmadee(=Fa(lirullah 1996) , xlviの 議 論 を参 照 せ よ。 63 Rau 1986は 、イ ン ドの 科 学 技 術 が 、サ ンス ク リ ットの 得 意 で な い下 層 の人 々 に よって 発 展 させ ら れ た 、と主 張 す る 。
64 har 'ilm ke rasidi amukhti va gufti: mard hast .
65 i'teraf be 'ajz namude guft:'ilmhast .イ ブ ン ・ス ィー ナ ー ほ どの 賢 者 に とっ て も音 楽 と い う学 問 は 難 しい 、とい う意 味 に とれ る 。
66 himanに はthirsty
, mad, insane, enamouredと い う意 味 が あ る か ら 「狂 お し く彷 徨 う」と も訳 せ る 。
67 テ キス トをdar an musra'bashad ke man ham cizi danamと 訂 正 す る 。
「私 に も わ か る こ とが た だ ひ と つ あ る 。す な わ ち 、私 は な に も知 って は い な い 、とい うこ と は 、私 に もわ か る」 とい うよう な 意 味 に解 釈 す る。 68こ の 箇 所 のSarmadeeの 訳 は、非 常 に 不 完 全 で あ る。多 くの 表 現 を 彼 自 身 理 解 して い な い よう で あ り、ま った く訳 出 して い な い 部 分 も あ る 。 G9た とえ ば 第5章(p .132fDで は 、ナ ー ヤ カ(ヒ ー ロー)、 ナ ー イ カ ー(ヒ ロ イ ン)、 サ キ ー(取 り持 ち 役)と い った イ ン ドの 伝 統 的 な 恋 愛 詩 の 分 類 法 が 記 述 され る 。 70 'ilmと'amalは 対 概 念 と して イス ラム 科 学 文 献 で 用 い られ る もの の よ うで あ る 。た とえ ば アー ユ ル ヴ ェ ー ダ とユ ー ナ ー ニ ー 医 学 の 混 交 を記 述 した ペ ル シ ア 語 の 医 学 文 献Tuhfah-eKhani(= Tuhfe-i Khani),PP.3fも 医 学 の 理 論 と実 践 とい う意 味 で 、この 対 語 が 用 い られ る 。た だ し、こ こ で は 理 論 を 実 践 して い く、とい う通 常 の 意 味 で 用 い られ て い て 、両 者 の 乖 離 は 論 じ ら れ な い 。 71 岡 崎 康 浩 先 生 の コメ ン トに よる 。laksana , laksyaと は 文 字 通 りに は そ れ ぞ れ 「定 義 」 「定 義 さ
南アジア研究第20号(2008年) れ る対 象 」 を 意 味 す る 。理 論 上 は 甲 と 想 定 し う る が 、実 践 上 は 乙 が 用 い ら れ る とい う場 合 、laksan aとlaksyaの 差 異 と して 記 述 され る そ うで あ る 。 72 ム ス リム知 識 人 に は イ ブ ン ・ハ ル ドゥー ン著 『歴 史 序 説 』 な どの 歴 史 学 の 伝 統 が あ る 。 73 北 イ ン ドの 現 代 語 の 発 音 は 「ラ ー グ」 に 近 い が 、日本 で は 「ラー ガ」が 定 着 して い る の で 、こち ら を用 い る 。 74 マ ー ナ ・ク トゥー ハ ラ は 、14世 紀 末-15世 紀 初 頭 に グ ワ リ オ ー ル の 支 配 者 ラ ー ジ ャ ー ・マ ー ン の も とで 著 され た サ ンス ク リ ッ トの 音 楽 理 論 書 で あ る 。フ ァキ ー ル ッラ ー の 音 楽 理 論 者 の 前 半 は この 書 物 の ペ ル シ ア 語 へ の 翻 案 とな って い る 。 75 サ ンス ク リ ッ トの 舞 踊 学 の 用 語 で あ る こ とを 考 慮 して 、 「ナ ー ヤ ク」 とは せ ず に サ ンス ク リ ッ トの 読 み を とっ た 。 76 ラー ジ ャ ー ・マ ー ナ(マ ー ン)に つ い て はSarmadee1996( =RRD) ,lvi-lixを 参 照 せ よ。 77 anha muvaffq-i qarardad -i qalami be'amal avarde nivishte and .こ の 表 現 は 難 解 で あ る 。英
訳 者SarmadeeはThey had written in accordance with their 'ilm reduced into 'amalと 意 訳 す る。別 の 解 釈 の 可 能 性 は 「実 践 に 関 して 書 か れ て(qalam avarde)確 立/承 認(さ れ る)に 価 す る もの が 書 か れ た」。
78 yak dalil-iin.SarmadeeはThis is only one of the arguments."と 訳 す る。 79 'ataiの訳 語 と してSteingassの ペ ル シ ア 語 辞 典 に はgifted
, endowed with good parts, a self- taught manと い う訳 語 が 挙 が って い る 。
80 =ヴ ィー ナ ー 。
81 va hame ra be fi'l-i avaroh mi-namudand . 82 た だ し北 イ ン ド音 楽 の 発 展 に は 、知 識 人 の み で は な く、様 々な 階 層 の 者 が 関 わ って い た 。い ず れ に せ よ異 質 の 要 素 が 加 わ る こ とに よ って、イ ン ド音 楽 が 活 性 化 し た、とい え る。 参 照 文 献 一 次 文 献
JRT = Rajatarangini of Srivara and Suka. Ed. by Srikanth Kaul. Hoshiapur: Vishveshvaranand Institute. 1966.
RRD = Tarjuma-i-Manakutahala & Risala-i-Ragadarpan a by Faqirullah. Ed. and annotated by Shahab Sarmadee. Delhi: Indira Gandhi National Centre for the Arts and Motilal Banarsidas. 1996.
The 5.'in-i Akbari (A Gazetteer and Administrative Manuel of Akbar's Empire and Part History of India) by Abu'l-Fazl 'Allami. Vol. - I translated into English by H. Blochmann, edited by D.C. Phillott. Vol. -II & III. Translated into English by H.S. Jarrett. Corrected and further annotated by Jadu Nath Sarkar. Reprint Edition. Calcutta:
The Asiatic Society 1993.
Sangitaratnakara of Sarngadeva. Sanskrit and English Translation with Comments and Notes by R.K. Shringy & Prem Lata Sharma. Chapter I . Vol. I . New Delhi: Munshiram Manoharlal Publishers. 1999.