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博士論文審査要旨

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      2009年12月22日       博士論文審査要旨

申請者:  福井  庸子(早稲田大学教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学)       早稲田大学非常勤講師

論文題目:  わが国における博物館成立過程の研究― 展示空間の教育的特質 ― 申請学位:博士(教育学)

主査:  早稲田大学    教育・総合科学学術院 教授  博士(教育学)  小林敦子 副査:  早稲田大学    教育・総合科学学術院 教授  博士(教育学)  前田耕司 副査:  早稲田大学    教育・総合科学学術院 教授  博士(教育学)  矢口徹也 副査:  日本体育大学  体育学部教授             上田幸夫

1.本論文の目的

  本論文の目的は、わが国における博物館の成立過程を実証的かつ構造的に解明し、江戸 中期以降に見られるようになった展示空間の教育的特質を明らかにするとともに、明治維 新以降の近代化に伴って、こうした教育的特質がどのように変容したのかを歴史的に究明 することにある。

  本論文が考察の対象としている時期は、博物館の萌芽的な形態、つまり、物を収集し、

人々の目に触れるように一定の場所に置く、という一連の活動が展開された江戸中期の175 0年代頃から、現在の博物館が確立し社会教育機関として位置付けられる明治末期の1900年 頃までである。

  博物館を収集、保存、展示の機関として位置づけると、博物館が日本において誕生した のは、明治以降といえる。しかしながら、江戸中期以降、物を収集して広く一般に公開す る物産会や見世物、開帳といった展示に類似した活動が都市部を中心に、顕著な広がりを みせていた。

  近世から近代までの博物館の成立過程を全体的に捉えるために、本論文では分析の枠組 みとして、「展示空間」というキーワードを用いている。「博物館」という概念は、近代 以降に輸入された博物館建築や施設を想起させるため、江戸時代に当てはめて考察するの は無理がある。だが、江戸中期にはすでに、物産会のように収集した物を展示し、それら を見ながら人々が相互に関わりあうという営為が盛んに行われており、本論文ではこうし た活動の場、及び場が果たす動的機能を合わせて展示空間と名付けた。これは近代以降の 博物館にも認められるものであり、展示空間という視点を用いることで、初めて近世と近 代とをつないで両者を一つの線上で検討することが可能になったと言えよう。

  本論文の課題を具体的にあげるならば、以下の2点が指摘できる。第1に、江戸時代の 展示空間の教育性を明らかにしようとしていることである。著者は、物産会といった展示 空間では、物を介在した出品者と見学者の交流や議論といった相互行為を通して、ダイナ ミックな教育的営みが展開されていたと論じ、当時の人々が何を期待してこうした展示空

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間を創出したのか、そこでの学びはどのようなものだったのかについて検討を試みている。

  第2に、近代博物館が確立していく過程において、展示空間の教育的特質が変容してい くプロセスを解明しようとしていることである。明治以降の展示空間、つまり博物館や博 覧会は政府主導で組織化、制度化されていく。これは政府が国家統合や殖産興業といった 緊急課題の解決の手立てとして展示空間に期待を寄せたことに起因する。その結果、博物 館や博覧会では、近世の展示空間に認められた自由な発想や人々の関係を構築してゆく試 みはその回路を閉ざされ、国家によって規定された観念を受容する場へと展示空間は転換 していく。

  こうした変容の過程を、本論文では、博覧会、博物館の開催主旨や展示品の収集方法、

秩序化されてゆく展示動線の検討を通じて、実証的に解き明かしていくことを企図してい る。

  これまで、博物館学、博物館教育学の中核となるべき博物館史は、椎名仙卓の研究(代表 的な著作として『日本博物館発達史』や『日本博物館成立史』)があるものの概説に留まり、

より踏み込んだ研究の必要性が指摘されてきた。また、博物館成立史に関する先行研究は、

幕末から明治以降にかけての特定の博覧会、展覧会、博物館の取り組みや、博物館の設立 に携わった人物の教育観や経験の考察に偏ってきた。

  しかし、わが国の博物館は、江戸時代における価値観の変化、本草学から博物学への系 譜に見られる自然の見方の転換、さらに近世から近代にかけての大きな社会変動など、さ まざまな状況が関係し合って徐々に博物館としての形態を整えていったのである。その意 味で博物館の成立過程に関わる実態を踏まえての構造的な研究は、博物館学や社会教育の 分野において残された課題であった。

  したがって、本論文は博物館の成立を促した思想的源泉や社会的要因を、複雑に交錯し あう時代相を含めて考察し、近世から近代にかけての展示空間における教育的特質の変容 過程を、実証的かつ構造的に探究することを課題として設定している。

   2.本論文の構成

  本論文が対象としたのは1750年代頃から1900年代初頭であるが、大きく分けての2つの 軸から構成されている。第1は江戸時代中期から幕末にかけての時期であり、第2は明治 維新以降の近代国家建設に向けての時期である。

  第1の軸は2つの部分に分けて論じられているが、その1は物産会が勃興した1750年代 前後であり(第1章、第2章)、その2は日本人が初めて西欧の博覧会や博物館を見聞し、

その仕組みや思想を理解しようとした1850年代から1860年代である(第3章)。

  第2の軸も2つの部分に分かれている。その1は明治の幕開けとともに民衆を中心に展 開されてきた展示空間が国家によって掌握されるようになり、性格も本質的な変化を遂げ た1870年代から1890年代である(第4章、第5章)。その2は博物館が社会教育機関として 位置付けられた1900年代初頭である(第6章)。

  論文全体の構成は以下の通りである。

序論

1.本研究の課題

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2.展示空間の位置づけ 3.本研究の意義

4.先行研究と本研究の位置 5.本研究の構成

本論

第1章  開かれた語りの場としての物産会―物産会の開催とその思想的背景―

第1節  本草学の転換―名物学的方法から実証的方法へ―

第2節  物産会の開催とその思想

第3節  物産会を支える知のネットワーク

第2章  聖・俗としての展示空間 第1節  近世における展示空間の特質 第2節  開帳・出開帳の展示空間の実際 第3節  見世物の展示空間の実際 第4節  物産会の展示空間の実際 第5節  抵抗の場としての展示空間

第3章  西欧博物館・博覧会の経験−1850年代から60年代を中心に―

第1節  近世における展示空間の認識―「博物」の語源と近世における意味―

第2節  自然と人事の分化―西洋博物学の移入―

第3節  幕末における海外使節団の博物館・博覧会の見聞

第4章  近代博物館の始動−展示空間の祝祭から嚮動へ−

第1節  町田久成と田中芳男の博物館像

第2節  規格化された展示活動―文部省主催博覧会の開催―

第3節  博物館・博覧会と国内産業の充実−内国勧業博覧会の開催―

第4節  博物館と博覧会の分化

第5章  博覧会における展示空間の秩序化と民衆の受容  第1節  近世的展示空間と近代的展示空間のあいだ

第2節  近代的展示空間の創出

第3節  展示空間における娯楽と教育の齟齬

第6章  社会教育機関としての博物館の誕生 第1節  棚橋源太郎の博物館教育観

第2節  娯楽の質的変化と博物館の社会教育行政への編入

第3節  社会教育機関としての博物館の誕生―東京教育博物館における教育実践−

第4節  博物館における教育とは何か―学芸員の専門性をめぐる議論のなかでの問い―

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結論

3.各章の概要

第1章  開かれた語りの場としての物産会―物産会の開催とその思想的背景―

  第1章では、近世における展示空間の勃興の背景について検討している。江戸時代中期 以降、都市部を中心に物産会や見世物、開帳等の展示空間が数多く作られた。本章では特 に本草学者や医師、町人、武士等によって開催された物産会(薬物に関する自然科学の展 示、本草会や薬品会とも呼称される)に焦点を当て、本草学者たちがなぜ1700年代初頭ま で一般的だった文献による研究に満足せず、物産会という場を作ったのか、その動機につ いて考察した。具体的には貝原益軒や平賀源内といった本草学者、さらに物産会に深く関 与した人々の物の見方について検証している。主な内容は次の3点である。

  第1は、1700年代から1750年代における本草学の質的な変化について論じている。この 時期、本草学は秩序の下に構成された自然という朱子学的な自然観に依拠した物の見方か ら、自然をありのままに見ようとする実証的な物の見方へと大きく転換した。平賀源内を はじめ多くの知識人たちは徐々に、朱子学が提唱する秩序を自然研究によって証明するの ではなく、人間と人間を取り巻く世界を自分なりの目線で解釈するようになる。そして、

この過程で彼らの重要な学習の場となったのが物産会という展示空間だった。著者は、本 草学者等の知識人の自然に対する実証的な物の見方が、物産会を創出する直接的な契機と なったことを解き明かしている。

  第2は、物産会の教育性が究明されていることである。本章では、当時のチラシや目録、

日記など一次資料を精緻に分析することで、物産会の趣旨や収集、選別の方法、展示の品 目等について具体的に明らかにしている。その結果、職業や身分に関係なく誰でも物産会 に出品できたこと、出品者が展示物について見学者に説明するだけではなく、見学者が物 の用途や意味について疑問を投げかけており、会場での議論によって物の価値や意味は決 定されていた、という事実を浮かび上がらせることに成功している。

  なお、物の価値は、必ずしも科学的に証明される必要はなく、物に関連した言い伝えや 収集者の思い入れなど、民俗や個人的な側面からも判断されている。こうしたことから、

著者は物産会が秩序を提示する場ではなく、議論することで多様な物の見方を許容する学 びの場であったと述べる。

  第3は、物産会を支える知のネットワークの存在である。本章では、物産会やそれに関 連した活動について記されている個人の日記、学習会の記録などの検討を通じて、本草学 者以外にも多種多様な人々が物産会と関係を持っていたこと、さらに全国各地に物産会に 関連した学びの場が存在していたことを明らかにしている。

第2章  聖・俗としての展示空間

  第2章では、近世における展示空間が実際にどのようなものだったのかを具体的に検討 している。なお本章では、物産会に加えて1700年代半ばより隆盛を極めた見世物や開帳も 検証の対象としている。これは当時の見世物や開帳が、奇術や軽業ばかりでなく、動物、

植物、鉱物の展示や、さらには時計など科学技術の紹介など物産会と類似した点を有して いたことによる。

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  展示会場が設営された場所の特徴や展示品の内容、展示の動線、見学者の反応などを分 析した結果、本章では展示空間が、身分制度や既成の価値観を取り払った祝祭的な空間と して機能していたことを解明している。当時の資料を見ていく中で著者は、展示空間にお いて民衆が日々の生活のなかで去来する思いを赤裸々に表現し、時として権威を暗に批判 する姿が確認できたとする。

  さらに神社の境内やその周辺など聖と俗が交差する場所、身分に関係なく人々が一堂に 会する雑多な空間、虚・実が入り乱れた展示内容など、近世の展示空間は民衆の思いを忌 憚なく表現できる場として機能していたことを論じている。

第3章  西欧博物館・博覧会の経験−1850年代から60年代を中心に―

  第3章では、1850年代から1860年代における西欧博物館、博覧会の見聞とその理解の諸 相に焦点をあてて分析している。その際、第1に西欧博物学の受容の過程、第2に海外派 遣使節団の西欧博物館、博覧会の見聞について検討がなされている。

  まず第1に著者は、西欧の博物学が日本にいつ紹介されたのか、また、どのように受容 されたのかについて論じている。博物学を取り上げたのは、田中芳男や伊藤圭介らをはじ め明治以降の博物館創設の中心的役割を担った人物の大部分が博物学を専門としていたこ と、資料の分類をはじめ博物館活動の基礎に博物学の考え方があったことによる。

  博物学は、もともと動物、植物、鉱物について種類、性質、産状などを調査、記載する 学問であったが、19世紀にスウェーデンの博物学者リンネ(Carl von Linne)によって、

客観的な事実として自然を把握していこうとする学問的な姿勢に裏打ちされた生物分類学 の基礎が作られ、一層の発展を遂げた。こうした西欧博物学は19世紀半ばに日本に紹介さ れるわけだが、これは、物と生活を密接に結びつけて考える傾向の強かった日本人に強烈 な衝撃を与えた。

  特に物と人とを結びつけることで、人々の多様な語りを引き出していた近世の展示空間 に与えた影響は大きかったと著者は指摘する。展示空間が西欧博物学の考え方に影響を受 けて実際に変容していくのは明治以降だが、変容の素地は既に19世紀初頭から半ば頃にあ ったことが本章では考察されている。

  第2に、1860年代に派遣された海外使節団の欧米博物館、博覧会についての検討がなさ れている。1860年代、日本は計5回の海外使節団を欧米に派遣した。西欧の博覧会や博物館 の展示空間と、それまで彼らが親しんできた近世の展示空間―物産会や見世物、開帳―の 間には、著しい相違があった。その違いは次の2点にまとめることができる。

  まずは空間構成の違いである。近世において展示のために用意された建築物は、寺社前 や空地に作られた仮小屋などで、簡素な造りのものが大部分であった。それに対して西欧 の博物館や博覧会場は重厚感ある建物の場合が多い。著者はこうした相違点が双方の目的 の違いから生じていると述べている。物産会や見世物、開帳は物の価値を含めて議論する ところにその目的があった。したがって建物や空間内部に重々しい雰囲気を作り出す必要 はない。しかし西欧の博物館や博覧会は、自国の先進性を自国民や他国に伝えるという重 要な任務を背負っていたために、国家の威信を強調した重厚な装いを施す必要があったの である。

  次は物の見方の違いである。近世における展示空間では、物の真偽、価値、意味を討論

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のなかで決定していく営みが目指されていた。しかし西欧の博物館、博覧会場の展示品は、

物の個性が取り除かれ、全てが均質な空間に置かれることによって、新しさや美しさなど 一目で判断できる特質だけが強調されていたと著者は述べている。当初は西欧の展示空間 に違和感を抱いていた日本人も、物の優劣を一目で理解することが富国の第一歩であるこ とを理解するにつれて、西欧の展示空間の考え方や手法を急速に受容していくようになる。

また、この時期の日本人の理解が明治以降の博物館設立の基盤となっていくと本章では論 じている。

第4章  近代博物館の始動−展示空間の祝祭から嚮動へ−

  第4章では、明治期の社会情勢や思想的側面から、物産会や見世物、開帳といった展示 空間が博物館、博覧会へと転換していく過程を跡付けている。

  明治以降、展示空間は政府主導で組織化、制度化され、博物館や博覧会に姿を変える。

当時の日本は国家統合や国内産業の振興など多様な課題を抱えており、これを乗り越える ためには、国民の自発的な努力が必要不可欠であった。そこで政府は、民衆の自主の精神 を涵養する場として展示空間に注目するようになる。近世の展示空間を既に経験している 民衆の側にとっても、新たな展示空間は受け入れやすいものであった。

  しかし、政府の目的意識から推測できるように、新しく創出された博物館や博覧会と、

近世における展示空間の性格は全く異なっていた。結果的に明治以降に確立された博物館 や博覧会では、近世の展示空間に認められた自由な発想や人々の関係を構築していく試み はその回路を閉ざされ、国家によって規定された観念を受容する場として機能するように なる。

  この過程を本章では、博覧会、博物館の開催の趣旨や展示品の収集の方法、展示の動線 の検証を通じて実証的に取り上げて解き明かしている。見学者が展示を通して理解すべき ことは政府によって事前に決定していたために、近世の展示空間のように展示品を誰もが 出品できる仕組みは否定され、収集品は主催者側によって厳密に審査されるようになる。

もはや見学者にとって新たな展示空間は、既成の価値観や秩序をも含めて議論する場では なくなったと著者は指摘している。

第5章  博覧会における展示空間の秩序化と民衆の受容 

  第5章では、明治期における展示空間の具体的な状況を、文部省主催博覧会や内国勧業 博覧会を取り上げて検証し、民衆が新たな展示空間をどのように受け取っていったのかに ついて考察を加えている。

  国家的課題に対処する役割を期待された明治期の展示空間においては、見学者が無理な く主催者側の意図を理解できるように、出品物の収集や展示の動線など、多方面にわたっ て細心の注意を払った企画が開催されていく。また民衆が進んで展示会場に足を運ぶよう に、名古屋城の鯱や噴水の設置など、人々の関心を惹く仕掛けが多数用意されるといった、

娯楽的な要素も付加されたと著者は指摘している。

  こうした経過を経て人々は次第に近世における展示空間とは全く異なる物の見方をする ようになる。すなわち展示品の価値や意味を、自分自身を基準にはかるのではなく、これ を国家が提供する「恩恵」物として理解するようになったのである。展示空間とは見学者

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にとって自由な語らいの場、語らいをとおして価値や意味を自らが作り上げていく場では なく、完成した観念を受容する場へと変容したことが本章では論じられている。

第6章  社会教育機関としての博物館の誕生

  第6章では、1900年代初頭すなわち社会教育機関として博物館が位置付けられるまでを 取り上げている。具体的には博物館が社会教育行政に組み込まれた要因、わが国の「博物 館の父」と呼ばれる棚橋源太郎の博物館教育観、および博物館教育をめぐる学芸員の考え 方について検討している。

  明治期、博物館は人々の注目を集めるには至っていなかった。というのも時々の課題に 臨機応変に対応するには、臨時の展示を行う博覧会の方が適していたためで、明治期を通 して展示空間の主流は博覧会にあったといえる。

  だが明治末期の1900年代初頭、博覧会が次第に娯楽的色合いを強くするにしたがって、

政府は教育的機能を担うものとしての博物館に注目するようになる。折しも社会階層の分 化が広がり、国民の思想教化が重要課題として浮上した時期であったため、博物館はこう した課題に対応する機関、すなわち社会教育機関として期待され行政的に位置づけられる ようになった。本章では、通俗教育調査委員会における議論や、東京教育博物館の明治末 期から大正期にかけての変化を分析している。

  加えて棚橋源太郎をはじめ、当時の博物館学芸員たちが、博物館教育についてどのよう に考えていたのか、博物館学芸員の講習会の記録や棚橋源太郎の著作から検討した。その 結果、博物館は1900年代初頭に社会教育機関として位置づけられたものの、その教育的な 意味については十分に議論し尽くされていなかったこと、そのため博物館に関する議論の 大部分が技術的側面に偏っていたことを著者は論じている。

結論

  本論文では博物館の成立過程を究明するため、物産会や開帳、見世物といった展示空間 が都市部を中心に創出され顕著な広がりをみせた1750年代から、博物館が社会教育機関と して位置づけられた1900年代初頭までを論じてきた。

  全体を通して著者は、江戸時代と明治以降の展示空間の間には全く異なる方向性の教育 的な特質があったことを明らかにしている。江戸時代の展示空間を一言でまとめるならば、

物を通して人々が自由に議論していく試みであり、物と物、物と人、人と人との間に新し い関係を築いていこうとする活動であったとする。また、身分や規範意識が絡まりあう日 常性から個人を解放させる空間、言わば祝祭性を帯びた空間を作り出すことによって、日 常の関係性を超えた自由な言論空間が創出されていたことを、本論文は展示空間の分析を 通して立証している。

  それに対して、明治以降の展示空間とは国家統合のプロセスの中で、物の展示を通して 国家の規定する価値観へと人々を導いていこうとうする試みであったことを明らかにして いる。ここでは国家統制の下で、展示のコンセプト、展示品の収集、配置の全てが政府や 専門家によって決定されており、展示空間も秩序正しいものへと変容した。娯楽について も江戸時代のように物について様々に議論する楽しさではなく、文字通り人の心を楽しま せ慰めるためのものへと変化していく。博物館、博覧会が創設される過程において、近世

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の展示空間に見られた世の中の秩序や行動規範等を問い返そうとするダイナミックな活動 は失われたと、著者は結論づけている。

  これまで博物館成立史においては、近世の展示空間の教育性についての実証的な検証が ほとんど無いままに、江戸時代における展示空間と明治以降の博物館、博覧会の連続性が 指摘されてきた。しかし本論文では、歴史的に見て展示空間に全く方向性の異なる二つの 教育的特質―民衆自身の主体的な学びと国家主導による学び―があることを明らかにして いく。そして近世の展示空間のあり方は、現代の博物館における教育的意味を改めて問い 返す契機であると著者は結んでいる。

4.総評

  本論文の目的は、わが国における博物館の成立過程を実証的かつ構造的に解明し、近世 にみられた展示空間の教育的特質を明らかにするとともに、明治維新以降の近代化の流れ の中でそうした場が制度化されるに従い、教育的特質がどのような変容を遂げたのかを歴 史的に究明することにある。

  本論文は、博物館の萌芽的形態が生まれた1750年代から、博物館が社会教育機関として 位置付けられ、現在の博物館の原型が形づくられた1900年代初頭までを視野に入れて、日 本の博物館史をダイナミックに解き明かしている。

  日本においては、博物館数は多いものの博物館研究は諸外国に比べると発展の途上にあ る。特に博物館学、博物館教育学の中核となるべき博物館史や博物館成立過程の研究は、

実証的な研究の必要性が指摘されてきたにも拘わらず、これまで十分に取り組まれてこな かった。その意味で本研究の博物館史、特に博物館教育史に占める意義は大きなものがあ る。

  以下、本論文の成果を具体的に挙げていきたい。

(1)江戸時代を含めて博物館成立史を実証的、構造的に描き出した研究

  博物館を収集、保存、展示の機関として位置づけると、博物館が誕生したのは、明治以 降である。しかしながら、博物館の萌芽的な形態、すなわち物を収集し人々の目に触れる よう一定の場所に置くという行為は、すでに江戸時代中期の1750年代以降に登場している。

  従来の研究は、物を収集・保存し、これを展示する「施設」として博物館を捉えていた ため、明治以降西欧の博物館が輸入され、近代日本で確立していく過程について論じてき たものがほとんどである。また、近代博物館の前史として江戸時代を含めて論じた研究は あったものの、概論に留まり、あるいは制度史に力点が置かれたものであった。

  本研究では展示空間という視点を設定することで近世と近代とをつなぎ、博物館の成立 過程を1750年代から1900年代まで一貫して捉えることが可能となっている。その点、本論 文は創意性に満ちたものであり評価に値しよう。

  また先行研究では、近世の見世物・開帳は、あまり注意が払われてこなかった。本論文 では見世物や開帳を展示空間として取り上げており、これは博物館史研究で初めての試み である。

  近世社会における博物館の胚胎過程を描き、江戸時代まで遡及して日本の博物館成立史 を実証的、構造的に解明しようとした点は、本論文の特筆すべき所と言えよう。

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(2)江戸時代の展示空間における教育的営為の解明

  展示空間とは、収集した物が並べられている特定の場、及びそれらを見ながら人々が相 互に関わりあう動的活動が見られる場を指しており、学校教育で言えば教室およびそこで の教育活動に相当する。しかし博物館教育に関わる先行研究は、博物館の教育活動に携わ った人物の教育観に偏る傾向があった。一方で具体的な展示空間を取り上げ実証的に解き 明かす作業は、博物館教育研究の根幹と考えられるにも拘わらず蓄積が不十分であり、博 物館研究という観点からは、ほとんど検討されてこなかった。

  本研究では、特に物産会に焦点を当て、物を収集・展示し、展示空間の中で人々が物を 観察しながら、物の価値を自由に対等に議論する、そうした一連のプロセスを解明した。 

 物を通じて事実を語るというのは、博物館教育の本質であり原点であるが、著者は、これ を究明し、その結果、江戸時代の展示空間は、単に国家の威信を示すものとしての近代博 物館の前史ではなく、博物館教育から見た場合に大きな可能性を秘めていたことを明らか にしている。江戸時代の展示空間における教育的営為を解明した本論文は、博物館教育学 研究として意義がある。また近年、近世社会への再注目がなされているが、本研究はそう した流れに位置づくものであろう。

  ちなみに本論文では展示に関連する活動(呼びかけ、収集、選別、保存、展示、展示会 場での様子)を明らかにするため、従来は使用されてこなかった第一次資料を使用してい る。たとえば、近世の展示会場の様子を記した物産会会場の平面図やチラシ、錦絵などで あるが、資料の扱いは慎重で的確である。

  このように本論文は民衆の学習を掘り起こし、民衆の生活世界における学びの姿をリア ル描き出しており、江戸時代を視野に入れた社会教育史研究としても興味深い論考となっ ている。

(3)近世における自然認識の変容への言及

  本論文では、1750年代に物産会という展示空間が創出された要因について解明するなか で、本草学者を中心とした人々の自然のとらえ方の変化について言及している。

  江戸中期の徳川吉宗(1684−1751年)の治世以前においては、自然は秩序をもって存在 するという朱子学的な自然観が主流であった。しかしながら、それ以降は本草学の発展に よって、従来の自然観への疑問が出され、自分たちの目線で自然をありのままに見ようと する実証的な見方が広まった時代である。

  著者は、本草学者の自然の理解の仕方が、より実証的なものへと変化したことで、自然 や物に対する興味が生じ、物産会が誕生したと述べている。先行研究では物産会勃興の背 景までを含めて論述した研究は存在していない。また本論文では、自然に対するまなざし の変化を含めて物産会に論及しており、特筆すべきであろう。

  このように著者は、本草学、博物学といった分野で行われてきた研究を、教育学的な視 点で幅広く再検討した。さらに江戸中後期における科学的なものの見方といった近代化の 胚胎過程を描き、近代化過程の因子を西欧ではなく日本近世の中で解明しようとした点や、

江戸中後期の知識人の自然認識のあり方を視野に入れて論じようとした点は意欲的であり 評価すべきであろう。

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(4)明治以降の博物館における「教育」的特質の変容過程の究明 

  本論文では、江戸時代と明治以降における展示空間とを比較検討することで、時代によ るダイナミックな変化を明らかにしており、明治以降の博物館の「教育」的な特質を描き 出している。近世における展示空間の思想および実態を把握した上で、近代以降の博物館 を考察しているため、共通点及び相違点が明確に論じられている。

  近世の展示空間において、民衆は自由な空間における積極的な議論を通じて物の価値を 発見していった。しかし近代以降の博物館においては、展示品の価値は事前に確定してい た。見学者は物を観察することを通じて、価値を適切に読み取ることが期待されており、

展示空間は国家イデオロギー教育の場へと変容したことが論及されている。明治国家のナ ショナリズムの潮流下においては、国家が決定した物の価値を民衆が学んでいく国家主導 の学びが展開され、民衆は客体として位置づけられていくのであった。

  このように近世の展示空間に見られた教育的性格と、近代以降に志向された「教育」と は異質なものであり、著者はこうした教育的営為の変容のプロセスを、具体的かつ実証的 に解き明かしている。この視点は社会教育史そのものを再検討することにもつながり、今 後の発展が期待される。

  本論文は優れた研究成果が認められる一方で、若干の課題が残されている。今後の研究 の発展を含め、希望を記したい。第1に、江戸中後期における経済および教育の発展と物 産会の広がりとの関係性の解明である。物産会の開催には、貨幣経済の浸透や庶民の経済 的な基盤の形成、消費の拡大といった要因が考えられる。また江戸中後期における民衆の 教育レベルの向上や大衆的な知的好奇心の広がりも物産会と関係があったと類推される。

今後、より精緻に時代のダイナミズムとの連関を解明する必要があろう。

  第2に、西欧の博物館の成立過程や、同じ社会教育機関としての日本の図書館の成立過 程との比較である。これらの比較研究を通して、わが国における博物館成立過程の固有の 問題や博物館の特徴をさらに明確に見いだすことが可能になるのではなかろうか。

  こうした課題を残しながらも、本論文は博物館史研究や社会教育史に新たなる知見や視 座を提供しており、その独創性は高く評価すべきであろう。以上の諸点から総合的に判断 して、審査員全員一致して、本論文が「博士(教育学)」の授与に値するものであるとい う結論に達したので、ここに報告する。

       以上

参照

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