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Jessica Fay, Wordsworth’s Monastic Inheritance: Poetry, Place, and the Sense of Community

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Academic year: 2021

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そのフライキャッチャー・ノートブックの究極的なテーマが観想であることを 指摘する。 本書は、コウルリッジ研究において、これまで本格的に論じられることのな かった「観想」に焦点を当て、それを様々な角度から論じ、コウルリッジ研究 に新たな地平線を切り開いたと言えるかもしれない。しかもそれぞれの章を構 成する論考が、どれも高い水準のもので、読みごたえがあり、学術的価値の高 い論集である。人間の知識の対象になりうるもので、自然な意識の向こう側に ある対象に関心を抱くような「哲学的な意識」(『文学的自叙伝』第 12 章)を持っ た読者―コウルリッジの比喩を借りれば、「アルプスの向こう側」に興味を抱 く人―にとっては、大いに知的刺激を与えてくれる一冊である。 (中央大学教授)

Jessica Fay

Wordsworth’s Monastic Inheritance: Poetry, Place, and

the Sense of Community

(Oxford: Oxford University Press, 2018. 216 x 138 mm. xiv + 238 pp.)

川 朗 子

本書は、『リルストンの白鹿』(The White Doe of Rylstone, 1807 年作、1815 年出版)、『逍遥』(The Excursion, 1814 年出版)、『教会史素描』(Ecclesiastic Sketches, 1822 年出版)、『桜草の茂み』(The Tuft of Primroses, 1808 年作)、 『 墓 碑 銘 論 』(Essays upon Epitaphs, 1810 年 作 )、『 シ ン ト ラ 協 定 に 関 し て 』 (Concerning the Convention of Cintra, 1808 年作)等、これまで十分には注目

されてこなかったワーズワス中期の作品に焦点を当て、修道院文化への関心と いう観点から多角的に論じた意欲作である。これらの作品に加え、第 3 章を中 心に、手紙、歴史書、地誌、宗教書等、広範な関連資料を丁寧に読み込み、作 品受容の状況、詩人の伝記的背景、英国内外の政治・社会・文化状況等と照ら し合わせ、新しい作風を模索していた中年期(1806–1822 年)に当たるワーズ ワスの精神史を、丁寧に読み解いている。

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本書のタイトルからは、ワーズワスの宗教観、あるいはその詩作品に見ら れる宗教的姿勢を読み解く本と思えるかもしれない。確かに、ローマ・カト リックに対する一見相矛盾する態度、ユニテリアニズムに対する批判的態度、 クェーカー派への共感等、ワーズワスの宗教観を丁寧に押さえている面もある。 しかし本書の関心の比重はむしろ副題「詩、場所、共同体感覚」の方に置かれ ており、「修道院的なるもの」はこの三つの要素を繋ぐものとして意味を持つ。 即ち、詩学や場所と共同体との関わりについてのワーズワスの考え方の変遷に、 教会史、共住修道院制(coenobitism)、修道院廃墟のある風景がいかに関わっ ているのかということを、本書は っている。 修道院の廃墟と言えば、ピクチャレスク観光の花形であり、風景画の人気の モチーフでもあった。ワーズワス自身、旅行の際に数々の修道院廃墟を訪れて いる。しかし、風景のなかの廃墟に対し、ワーズワスは単に目を喜ばすという 意味でのピクチャレスク的な関心を持っていたわけではない。「ワーズワスは 風景のなかの古い建物に付随する個人的あるいは地域共同体の歴史」に深い関 心を寄せていた(15)とフェイは指摘し、ワーズワスの興味は時間が風景に与 える影響、それによって支えられる共同体意識にあったとする。「廃墟は地域 文化の重要な要素であり、祖先との繋がりを意識させ、幾世代にもわたる共同 体感覚を生み出し、それによって、その土地への愛着を産む」(80)。廃墟のあ る風景に刻み込まれた修道院の文化史・社会史への関心が、ワーズワスの詩の テーマや詩学の変化にいかに表れているかを るのが、この本の狙いである。 ワーズワスの場所の感覚は往々にして時間意識と結び付けられているが、初 期作品においては、個人的な経験、記憶が、ある特定の場所に賦与する意味に 関心の中心があった。詩人の孤独な魂が外界との交流を通してその詩的精神を 成長させる出来事に焦点が当てられていた。しかし後期になると、次第に孤独 な個人よりも共同体の記憶への関心が高まっていく。題材も、土地に纏わる伝 説、伝承、地域の歴史、記念碑、地誌や、国全体の社会的、政治的事象等へと 変化していく。その変化に当たって重要なのが 1806 ∼1822 年であったとフェ イは指摘する。いわゆる「黄金の十年」が終わるが書評家からの評価はまだ低 く、詩集の売れ行きも悪かった時期にあたり、ワーズワスはこの頃、自分の作 品が理解されるためには新しい審美眼/感受性(taste / sensibility)を創出せねば ならないと考え、作品の新しい方向性を模索していた。そうした時期にワーズ ワスが関心を寄せていたのが、イングランド北部の修道院制度やクェーカー派

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の歴史、地方の地理や歴史、古事等を扱う書物であった、とフェイは指摘する。 これらの書物がワーズワスに「イングランド北部の地理的・文化的景観が、い かに修道院の設立と解体とによって形成されてきたか」(11)ということに気づ かせ、特定の土地への愛着、過去と現在を繋ぐ共同体、修道院的隠伿(monastic retreat)、国民の宗教的統一といったテーマに取り組ませたのだとする。他方、 修道院生活の黙想・内省的態度は、「沈黙(silence)」「静寂(quietness)」「孤独 と共同体」というテーマのみならず、ワーズワスの詩学にも影響を与えている と言う。 とりわけ重要なのが「沈黙 」「静寂」といった伴語であり、これらは多角的 に論じられている。『リルストンの白鹿』の分析を通して、ワーズワスがいか にして読者の審美眼もしくは感受性を育てようとしたかを考察する第 1 章では、 ヒロインのエミリーが黙って苦悩に耐える様子に焦点を当て、白鹿の無言のま なざしに慰めのメッセージを読み取る彼女を、理想の読者像と捉えている。そ して、派手なアクションや分かりやすいプロットを避け、読者に共感、思考、 解釈を促すような暗示的で「無口な」物語を提供することで、ワーズワスは読 者にエミリーと同じような読書態度を取らせようとしているとする。第 2 章で は、クェーカー派たちの沈黙の共有という慣習へのワーズワスの関心が取り上 げられ、自然風景とも静寂を分かち合おうとする彼らの態度は、ワーズワスの 「賢い受動(wise passiveness)」に通じると論ずる。彼らは黙って土を耕す農耕 を黙想の手段とするが、それはコルオートンのヴォーモント邸におけるワーズ ワスの庭造りの実践に生かされる。常緑樹に囲まれた冬の庭は修道院的空間で もあり、黙想に相応しいとする。一方『教会史素描』等を扱う第 5 章において は、修道院の廃墟が持つ静寂・沈黙が、過去と現在とを繋ぐ精神的共同体とい うものを意識させる場として機能していると論じている。第 4 章では『逍遥』 における雄弁な沈黙について考察する。四人の主要登場人物のなかで一番雄弁 な旅商人が最も雄弁になるのは、ふと黙り込む時であり、その沈黙が仲間に共 有された時だという指摘は秀逸だ。彼らは沈黙のなか自然界に対して耳を澄ま すが、それは同時に自らの内面に耳を澄ますことであり、宗教的な黙想に近い 瞬間である。そうした黙想のなかでしか信仰は生まれてこないとしている。 旅商人の雄弁の主たる目的は孤独者の魂を救うことにある。生きる希望を失 い、世の中に懐疑的になって、奥まった谷に引き籠る孤独者に、旅商人は谷を 出て人と交わることを勧める。ここでフェイが持ち出すのが「修道院的隠伿」

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という考え方だ。ここでの「修道院的」とは「共住修道院制的」と同義である。 これはイングランド北部で勢力を持っていたベネディクト会、シトー会の中心 的教義であり、世俗からは距離を取りつつも孤独な隠伿ではなく共同生活を営 み、社会に対する奉仕を重視するものである。旅商人の助言はセノビティズム の奨励とも言える。隠伿はしても共同体との繋がりを保つことが勧められてい るのだ。 ここで興味深いのは、孤独者の暮らすブリー・ターン(Blea Tarn)のある谷 間には、実はヨークシャーにあるシトー会系バイランド(Byland)修道院付属の 小修道院(cell)があったという指摘である(154)。これは、ジョセフ・ニコルソ ン(Joseph Nicholson)、リチャード・バーン(Richard Burn)による『ウェスト モアランド州、カンバーランド州の歴史古事』(History and Antiquities of the Counties of Westmorland and Cumberland, 1777 年)に記されていることであ り、ワーズワスもこれを 1796 年と 1806 年に読んでいるという。孤独者の庵 (cell)をこの小修道院の跡地に据えることで、ワーズワスは「悩みや苦痛から の逃避」(『逍遥』第 3 巻 390 行)としての牧歌的隠伿とは異なる信仰に支えら れた修道院的隠伿を、より高次なものとして提示しているとフェイは推察する (158)。実際には第 3 巻の時点で、孤独者は自らの隠伿がこの理想に届いてい ないことを自覚している。フェイはそれを信仰の欠如によるものとし、孤独者 の救済の可能性、修道院的隠伿という理想に届く可能性については、慎重に口 を閉ざす。けれども、セノビティズムを実践していたシトー会の小修道院の跡 地に孤独者が居を構えているということには、もっと大きな意味を見出しても いいではないか。ここに孤独者の救済のヒントがあるのではないかと思う。 評者にとって本書から得た一番の収穫は、湖水地方とヨークシャーとのこ のような隠れた繋がりに気づかされた点にある。ワーズワスは『湖水地方案 内』(Guide through the District of the Lakes, 1835 年版)の冒頭部で、ヨーク シャーを抜けて湖水地方へ至るには三つのルートがあるとし、ヨークシャーに ある様々な観光名所―滝や洞窟、断崖等の自然名所に加え、ファウンティン ズ(Fountain s)修道院、ジャーボー(Jervaux)修道院、カークストール(Kirkstall) 修道院、ボルトン(Bolton)修道院といった建築物の遺構を紹介する。なぜ湖水 地方への旅行案内書にヨークシャーの名所、しかも修道院の廃墟を紹介するの か疑問であったが、本書を読んでその が解けた気がする。ワーズワスはイン グランド北部全体を、文化的、宗教的に一つのまとまりのある地域として認識

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していたのだ。その理由としては、むろん姻戚関係による、ヨークシャー地域 に対する個人的な思い入れもあるだろう。しかしそれ以上に、アングロ・サク ソン史、とりわけそのキリスト教史に対する関心が、ワーズワスの郷土愛(local attachment)の対象を広げることに影響を与えている、とフェイは指摘する。 100 以上のソネットから成る『教会史素描』執筆を通し、キリスト教発展史 にとってのイングランド北部の重要性を認識したワーズワスは、ペナイン山脈 を挟んで西は湖水地方まで、東はノーサンバーランドに至る地域は、かつての ノーサンブリア王国の宗教文化の影響下にあり、文化的・歴史的なまとまりが あることを再認識したのだという(172)。例えばグラスミアの教区教会は、ノー サンブリア国王オズワルドが創設したものである。また、イングランド北部に おける東西の宗教的・文化的繋がりは、聖カスバートと聖ハーバートの友情と いう伝説に象徴的に現れており、その深い絆に対してはワーズワスも「聖ハー バート島に建つ隠者の庵へ寄せる碑文」( Inscription for the Spot Where the Hermitage Stood on St. Herbert s Island )を捧げている。湖水地方へ来る旅行 者が、まずヨークシャーにおいて、ボルトンやファウンティンズ等のシトー会 修道院の廃墟を訪れていたならば、過去の文化、社会、宗教のありようを情緒 的に現在に伝えてくるこれらの遺構を見て、湖水地方を含むイングランド北部 の風景、その文化的、社会的、宗教的アイデンティティがどのような基盤の上 に形成されてきたのかということに、思いを馳せることになるだろう。ワーズ ワスは湖水地方へ来る旅行者にそういう心構えを求めていたと言ったら、言い 過ぎだろうか。少なくとも、ワーズワスにとっての「場所の感覚」を論じる際、 湖水地方のみでなく、もう少し広くイングランド北部全体に目を配っていくこ との必要性に、気づかせてくれる本である。 (神戸市外国語大学教授)

参照

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