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第3章 幼児の造形活動における動機づけの現状と課題

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第 3 章

幼児の造形活動における動機づけの現状と課題

第2章では、保育者と子どもとの間に生じるずれの修正過程として幼児造形実践の歴 史的変遷をたどった。教師主導の保育から子どもを主体とした保育への転換には、「動機 づけ」への着目が一役を担っているということが分かった。そこで第3章では、動機づ けの中でも保育者の指導言とほめ言葉に焦点を絞り、現在の動機づけの現状と課題を探 ることにする。

第1節 倉橋惣三の動機づけ理論

明治期初期の頃は教師主導の画一的・注入主義的な指導によりによる活動で保育者と 子どもとの間に生じるずれは大きかったと思われる。しかし、明治後期に入ると、恩物 解体によっていかにそのものを作らせるかといった考え方から、どうすれば子どもたち が楽しくつくれるかを考えようとする実践の試みが始まった。ずれに気付いた時期とい える。大正期に入ると、恩物解体はさらに進み日本独自の幼児教育の形が模索されるよ うになった。同時に、ずれの原因を追及し修正する方法を模索する様々な実践が行われ た。この中心人物が倉橋惣三であった。倉橋は、昭和期に入ると子どもの〝心持ち″1) に寄り添う(おとなのするように~がしたい)(何に興味があるか)ことを大切にする誘 導保育をさらに浸透させていった。

倉橋の唱道する誘導保育こそが子どもの動機に着目したものであり、それを上手く活 用する方法として間接的指導をあげている。間接的指導とは、「先生が言葉で直接的に子 どもに『ああしなさい、こうしなさい』という形で語りかけるのではなくて、つまり先 生が言葉だけで語るのではなくて、先生が語りたい言葉を『物』の中に込めなさい、『物

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の背後に隠しなさい』ということなのである」2)としている。

倉橋は間接的指導について「鯉のぼり」の事例を挙げて説明している。鯉のぼりが初 めて揚がった日の登園時、子どもたちはどのようにして鯉のぼりと出会うのかを、幼稚 園の門のちかくの通路に立って、登園してくる子どもたちの反応を観察した経験をもと に、「鯉のぼり」という主題を構成するまでの過程が記述されている。

母親が指さしながら「鯉のぼりだ!」と言うと、子どもが「あっ!」と驚きの声をあ げたり、「はやく、はやく。鯉のぼりが立ててある!」と大声で教え合っている子どもの 姿が観察されている。これらの反応をふまえた上で、「先生、鯉のぼりがあったよ」など と報告する子どもには、「そう、どこにあったの」と問い返したり、子ども同士が「鯉の ぼりがあったんだって」などと話し合っている場面から次の行動を予想したりし、鯉の ぼりのぬり絵や、画用紙などを準備しておくといったように、保育者が子どもたちにど のような言葉を投げかけるのか、またその後の展開がどうなるのかなどを想定しておく のである。

しかし、実際の現場では子どもたちがすぐさまかけよって「鯉のぼりだ」、「先生見て 見て」と興奮したように教えてくれる姿を見ると保育者は「はい、それでは鯉のぼりを 描いてみましょう」とすぐに描画活動へと進んでしまいがちいなるが、倉橋は子どもの 興味、関心、意欲に配慮しながら子どもたちが自然と描きたくなるように「鯉のぼり」

という教材に出会わせているといえる。

つまり、保育者が直接「鯉のぼりを描きましょう」という言葉によって動機づけるの ではなく、保育者と子どもとの間に「物」を介在させる、「物」に語らせる間接的指導が 倉橋の動機づけであると捉える。

しかし、平成期になると「主体的」といった言葉がひとり歩きしだしたことで、昭和

(戦前)までの流れは途絶えてしまった印象を受ける。戦後から平成までの幼児教育の 流れを桒原昭徳は次のように述べている。

「主体的な活動を促す」とは、教育者が、どのような働きかけ方をすることなの

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か、どのような保育方法をとることなのか。また「遊びを通した指導」とは、どの ような構造をもっているのか。戦後の幼稚園教育要領の改定のたびに倉橋惣三の幼 児教育論が取り沙汰されてきた。(中略)しかし、教育の世界で倉橋の名前が頻繁に 語られはするが、倉橋の幼児教育の思想と、それに基づいた教育方法が正しく把握 されていないように思える3)

桒原は、主体的な活動を促す保育の重要性が指摘されるたびに倉橋の名前が挙げられ はするものの、実際の保育現場ではどう展開していくかの方法が確立されていないこと を指摘する。前章でも確認したように、子ども主体の保育の重要性についての認識はあ っても、実際には商業誌のマニュアル通りに、結果としての作品の出来栄えを重視した 造形指導が広く行われている。子どもの動機づけをいかに工夫するかということよりも、

効率的な指示・指導が用いられているとも思われる。

そこで本章では、幼児造形における動機づけの現状と課題を探っていく。その中でも 保育者の指導言とほめ言葉に着目しながら分析、考察を試みる。

第2節 幼児の造形活動における指導言のあり方について

活動中の教師の指導言は発問、説明、指示の3つに大別できる。この3つの違いにつ いて大西忠治は次のように述べている。発問は、「問いを発して、答えを得るのを本質と している。答えるために子どもは、考えねばならない。だから、それは子どもの思考へ の働きかけだといえる」4)。それに対して指示は、「命じて、(あるいは、行動すべき内容 を示して)行動させることを本質としている」5)。そして説明は、「発問と指示の中間で ある。説明は思考活動の前提となる問題、課題を提示し、行動の前提となる行動の手順、

行動の目的、行動の諸条件をあきらかにするということである」6)

この大西の指導言の定義をふまえたうえで、保育者は造形活動の中で発問、指示、説 明をどのように用いているのか、それぞれの保育者がどういった認識を持っているのか、

この点に着目しながら造形活動における保育者の動機づけの捉え方についての現状を考

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84 察する。

考察にあたっては、下に示す4人の保育者による造形活動をビデオに撮影し、逐語録 を作成する。それをもとに指示、説明、発問についての分析を行う。

1 、実践事例1 幼児の造形活動における指導言のあり方について (1) 考察

調査の対象は以下の通りである。

○日時: 2歳児クラス 2010年11月29日 10時30分~11時30分 3歳児クラス 2010年 11月24日 10時30分~11時30分

4歳児クラス 2010年11月30日 10時30分~11時30分

○場所:兵庫県E学園幼稚園

○対象児:2歳児 12人 3歳児 21人

4歳児 T保育士 21人 4歳児 M保育士 21人

○題目: 2歳児 O保育士「貝殻をつくろう」

3歳児 K保育士「お花をつくろう」

4歳児 T保育士「鳥をつくろう」

4歳児 M保育士「看板づくりをしよう」

① O保育士

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O保育士の活動「貝殻をつくろう」での子どもたちの作品を図3-1~3-4に示す。O保 育士が行った活動内容は、お皿を貝殻に見立てて絵具で模様をつけていくといったもの である。まず、「そう、貝殻、先生考えてきてって言ったの考えてきてくれた?」の O 保育士の質問に子どもたちが「うん」と答えたことから、O保育士は発問や詳しい説明 を省き、キラキラ絵の具を手で押して模様を描くようにだけ伝え、お皿を取りに来て椅 子に座るよう指示を出した。子どもたちが戸惑ったのは、キラキラ絵の具の出し方であ る。2 歳児の子どもたちが力いっぱい押しても絵の具が出てこないため、子どもたちか らは次々と「出ない」、「できない」、「かたい」などの声が上がった。そこでO保育士が、

お皿にキラキラ絵の具を出して取りやすくすると、手で模様を付け始める子どももいた。

手につくのが嫌な子どもにはスプーンを出したりしていると、子どもたちは落ち着いて 取り組み始めた様子だった。O 保育士によると子どもたちがチューブの絵の具をどの程 度出せるのか、どのようにすれば子どもたちが「おもしろそう」、「楽しい」と思ってく れるのかをもっと考えておくべきだった、手立ての大切さを痛感したとの感想を述べて おり、子どもの姿を把握できていなかった。気になった点は、O 保育士はこの活動で子 どもたちに貝殻の模様を表現させたかったが、子どもたちは「たまごごはん」や「カレ ー」など違うものを作った点である。O 保育士は、活動の最初に子どもたちに「貝殻、

先生考えてきてって言ったの考えてきてくれた」と尋ねている。それに対して子どもた ちは「うん」と答えた。そこでO保育士がキラキラの絵の具を見せると一斉にO保育士

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のもとに近寄ってきた。O保育士は出し方を説明し、「わからなかったら聞いてね」と指 示したのちすぐに活動にとりかかった。子どもたちは最初はチューブを絞って出してい たがそのうち手でぐちゃぐちゃにしたり棒で線を描いたりし始め、中には置いてあった 貝殻をお皿の上にのせて貝殻に色を付け始めた子どももいた。O 保育士は思わず「それ は見本だからダメ」と言ったので、諦めたようだった。そのうち子どもたちは自分の作 った作品を「たまごごはん」や「カレー」と言い出した。O保育士は「え?カレー?」

と苦笑いをしていた。貝殻を子どもたちに提示した理由は貝殻に見立ててほしいという 思いからであるが、子どもたちにとって貝殻はあくまで料理を盛るお皿だったのだろう。

ここにお皿を貝殻に見立ててキラキラした貝殻を作ってほしいという保育者の思いとお 皿の上に盛り付ける料理を作ろうとする子どもの思いにずれが生じている。ずれが生じ た原因は今から何をやるのかが発問によって子どもたちの中に印象づけられていなかっ た点にあると考えられる。

② K保育士

K保育士のクラスは、お皿を使って花をつくるという活動である。図3-5~3-8は、K 保育士の活動「お花をつくろう」での子どもたちの作品である。表 3-1 を見てみると、

「みんなは造形展で階段の所に飾り付けるために、何をつくってるんだった?」の質問 に子どもたちが「お花」と答え、次に「じゃあ、季節は?」の質問に子どもが「春」と 返し、「春になったら何がいる?」の質問には「虫、ちょうちょ、蜂、かえる」と答え、

次に「春を何に乗って見に行った?」の質問には「気球」と子どもたちから答えが返っ てきている。上の文章のように、この活動の先には造形展という園行事が控えていた。

このやりとりを見ていると、K保育士の質問に子どもたちが答え、その中で都合のよ い答えだけを拾ってまた質問するといった形式になっており、ここに思考を促す余地が ないためこの問いは発問ではなく、ただの質問であるといえる。このやりとりの後、K 保育士は「今日はちょうちょを作ったからお花を作りたいと思います」と半ばK保育士 が一方的に誘導していき、活動内容の提案をするといった印象がぬぐえない。逐語録を

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見ると、K 保育士の活動では「今日はちょうちょを作ったからお花を作りたいと思いま す」の言葉が活動の中心になると思われるが、これが発問になるかというと、この言葉 には子どもたちが思考する要素が含まれていない。今からすることを説明しているに過 ぎないともいえる。また、この言葉を「花をつくりなさい」と言い換えれば指示にもな る。つまり、「今日は○○をしたいと思います」という言葉は、強制の形をとらずに子ど もを動かすための、保育者にとって都合のよい言葉といえるのかもしれない。

子どもへの発問は、その中に今日は何をするのか、なぜするのか、「おもしろそう」と いった意欲を掻きたてる要素が包含されており、しかもそれが子どもに伝わっているか どうかが問題となる。

これらの観点からみると、この言葉が発問であるとするならば非常に弱い発問である し、説明だとするとこの後K保育士はボンドの説明、ハサミの説明、花のつくり方の説

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明(紹介)をしているため、この活動は説明ばかりの活動内容だということになる。指 示であるならば、先ほどの表3-1の流れからみると「今日はちょうちょを作ったからお 花を作りたいと思います」の指示は初めからすでにやることが決まっている印象を受け るため、強引で適切な指示ではないと考えられる。

K 保育士の特徴としては、導入は主に説明をし、活動が始まるとその途中で特定の子 どもの作品をとりあげて「見て、○○ちゃんはね・・・こんなふうにしたよ」などと、

紹介のかたちをとりながら、他の子どもたちへ、取り上げた作品を手本にして制作する ように指示していることである。これは、逆に導入場面で説明ばかりで思考を促すよう な発問がなかったからこそ子どもたちの発想を拡げるために行わざるを得なかったと考 えることもできる。

また、O 保育士だけではなくK 保育士の活動でも同じような場面があった。お花をつ くる活動だったが、K保育士が子どもたちに何の花かと問うと、「バラ系」、「チューリッ プ」などと花の名前を言った子どももいたが、「タイガーマスク」や「ショコラ」、「うさ ぎ」、「新幹線」といった花に全く関係のない反応が返ってきたことである。子どもが考 えたのだからそれはそれでおもしろいという考え方もあるが、そうであるならば教材が 花である必要はない。K 保育士のクラスは、言うことをよく聞いて座って活動ができて いるように感じる。しかし、子どもの作った作品を見てみると、何を作るのかK保育士 の指示が浸透していないことがわかる。つまり、子どもたちは、保育者の指示通りに深 く考えることなく作るといった姿勢が身についてしまっている。そして、大げさにみん なの前でほめることで子どもたちをコントロール(管理)しているといえないだろうか。

③ T保育士

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T 保育士が行った活動は、鳥の巣の中にいた小鳥を想像してつくろうという内容のも のである。図3-9~3-12 はその時の子どもたちの作品である。T保育士は、まず導入の 最初に園外保育に行ったときに見つけた鳥の巣を子どもたちに見せた後、この巣の中に 入っていた鳥はどんな色をしていたか、どんな羽根をしていたか、どんな大きさだった のか、遠くまで飛ぶために何を付けているか、高い所を飛んでいるか、低い所を飛んで いるかなどの質問をしている。そして、この後に「ここに入ってた小鳥さんどんなだっ たかな?」と発問を投げかけている。T保育士の発問までの表3-2逐語録を見てみると、

T保育士から子どもたちにたくさんの質問を投げかけている。もちろん、T保育士自身 はこの巣の中にどんな鳥が入っていたかを想像させたかったのであろうが、T 保育士か ら質問をし、その質問に子どもたちが答え、T 保育士はその答えを拾ってつなげていく わけでもなく、次の質問に移っていく。この様子からT保育士の一方的な質問である印 象を受ける。そのため「ここに入ってた小鳥さんどんなだったかな?」の一番核となる

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発問が他の質問によって消されてしまっている。また、T 保育士は「ここに入ってた小 鳥さんどんなだったかな?」と子どもたちに考えさせる発問をしたが、その後、紙皿を 配り、それを半分に折らせ、半分に折らせた紙皿が何に見えるかを子どもたちに尋ねた 後、この紙皿にどんなものをつけるかなどの、付け方の説明をしている。そして、「心の 中でどんなんにしようか考えて」と作りたい作品をイメージさせるところまでが導入で の過程となっているのである。発問を投げかけてから活動に入るまでの時間が9分、他 の保育士は発問を投げかけてから3分以内に活動に入っている。他の保育士の場合は、

手順の説明がなかったので子どもの気持ちが集中し活動に入ることができたが、保育士 の場合は子どもがすでにやりたいという意欲が高まっているのにそこから説明を入れる ことで子どもたちの気持ちをそいでしまったのではないだろうか。

中でも、T 保育士の中では紙皿は鳥であるのに、それをあえて子どもたちに「何に見 える?」という質問することがはたして適切であったのだろうか。紙皿を半分に折った ものが何に見えるかの質問に子どもたちからは「スイカ」、「にじ」、「ケーキ」といった ように T 保育士が描いていた鳥のイメージからは遠い答えが返ってきてしまっている。

こうなれば保育者が無理矢理今日の活動の主旨に戻すしかなくなってくる。それならば、

紙皿を半分に折った後に「これを鳥にしたいんだけど、どうすればいいかな?」の発問 の方が適切だったのではないだろうか。T 保育士の中では鳥なので羽根をたくさんつけ てほしかったが、羽根がたくさん用意されているにもかかわらず、足を付けたり口ばし を付けたりする子どもが多かったため、T 保育士は目の前の子どもが自分のイメージか ら離れていく様子を見てあせったのではないかと考えられる。そのためT保育士が投げ かける言葉に「白い所がなくなるくらいにして」という言葉が多数使われている。これ らのことから、子どもたちに考えさせ、イメージをふくらませるような指導をしたいと 思いつつも目の前の子どもと自分のイメージがずれていくと保育者がこうしてほしいと いう思いが強くなり、指導が管理になってしまっていることがわかる。

④ M保育士

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M 保育士が行った活動は、初めてのグループ活動で、「おちばいちば」の絵本より、

ごちそう屋さん、スカート屋さん、ケーキ屋さんをつくっており、今回はお店屋さんの 看板をつくる活動である。図 3-13 はその時の作品である。M 保育士は、発問をしてか ら活動に入るまでの時間が1分と短い。発問も「どんな看板つくったら行きたいって思 うかな」と考えさせるものになっている。そのために、この発問によって自分が考えた ものを描きたい、作りたいという気持ちがお互いにぶつかり合って「ここに貼ったらダ メ」、「見えない」、「せっかく描いたのに」といった発言が見られた。M保育士は、その ような自分の意見を主張し合う子どもたちの様子に耳を傾けながらどうすればみんなの 考えを一つの看板にまとめることができるか苦労していた。例えば、看板に付けようと 思って作っていた飾りをなかなか付けに行くことができない子どもに対して M 保育士 は「○○ちゃんがさ、こんなかわいい看板つくったんだけどさ、どうする?」とみんな に聞いてあげたり、ある子どもが描いた絵の上に他の子どもが紙を貼ろうとして喧嘩に なっていると、M保育士は「○○ちゃんがね、さっき描いたやつ消えちゃうよって」、「ど うする?」と子どもたちにたずね、子どもたちが考えた結果、紙は最後に貼ろうという ことになった。このようなやりとりが発展していくと、ある子どもが部屋に飾ってあっ たものを指してM保育士に「これ、どうやって作るの?」とたずねるなど、自分で作ろ うとする姿もみられた。これは、絵本の中にあった光景を真似てつくっているものでは なく、自分が考えてつくったオリジナルの看板ということになる。子どもが自発的に動 いているといえる。

このように、発問が適切で、説明も少ないことから、子どもたちには発問内容の印象 が強く残り、後の活動にもよい影響が出てきたのではないだろうか。

しかし、発問が良く、説明が少ないからといって必ずしも子どもたちの心の中に残る とは限らない。教材と発問が上手くかみ合っていなければならないのである。ただしM 保育士も他の保育士と同様に、いちょうの葉っぱ、 どんぐり、木の実、まつぼっくりな どがあるという説明を行っているが、これは子どもたちが取りに来ればわかることであ

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り、もう始める雰囲気になっているのにあえてそこに材料の説明は必要なかったのでは ないか、むしろ早く始めたい子どもの気持ちにストップをかけているように思われる。

子どもたちに考える方向が示され、十分に意欲づけられておれば、冗長な説明は不要と いえる。

(3) まとめ

以上の考察から、指導言の傾向を次のようにまとめることができる。

① 適切な指導言を用いることができず、子どもの反応が当初の思いとずれてしまう 場合

② 保育者の指導言が発問として機能せず、質問や指示、説明に終始してしまってい る場合

③ 子どもの活動をコントロールするために指示的な指導言を用いている場合

④ 指導言が発問として機能し、子どもを能動的に活動させている場合

以上の4点の場合に分類することができる。いずれの保育士も作らせたい作品のイメ ージが既にあり、そこに子どもの活動を向かわせようとするために指導言を用いている が、当然、保育者の発する言と子どもの反応との間にはずれが生じる。それに気づいて はいるがさらに不適切な指導言を重ねていく場合と半ば強引に子どもの活動をコントロ ールしようとする場合に分かれている。一方、Mは子ども自身に考えさせるための言を 工夫して用いている。これらは保育者の造形活動に対する考え方の違いであるともいえ る。結果としての作品の出来栄えを重視するのか、表現の過程における子どもの主体的 な追及を尊重するのかの違いである。またそのことは指導言の捉え方、なかでも発問の 用い方の違いとなって表れている。

「発問は子どもの思考への働きかけ」というように、保育者の投げかけた問いに子ど もが考え、自分なりの答えを見付けていこうとするものでなければならない。しかし、

今回の調査では発問が見られない活動もあるが、発問がなくても活動は進行している。

そこでは子どもたち自身が自ら考えることなく、保育者の指示通りに活動しているにす

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ぎない。幼稚園教育要領「表現」の領域には「感じたことや考えたことを自分なりに表 現することを通して豊かな感性や表現する力を養い創造性を豊かにする」7)とある。つま り子どもが保育者の言われた通りにするのではなく、自分なりの表現を見付けていくこ とが造形活動の目的なのである。このように、受け身ではなく自らがやりたいからする 内発的な力を育てるのが本来の指導なのである。もし、それを子どもに委ねてしまった り保育者が強制的にやらせるとこの目的は達成されず、保育者が子どもの自発的な活動 を阻害していることになるのである。

保育者の指導言は、発問、指示、説明にわけられるが、これらはいずれも教材を子ど もたちの中で明確にしていくものであり、子どもが自分なりに感じたことや考えたこと を表現するという目的を達成させていくためには欠かせないものである。しかしこの 3 つは明確に分けることができない。M保育士の実践でいうと「どんな看板つくったら行 きたいって思うかな」という言葉には発問と指示の2つの役割が含まれている。発問と は教材を見えるようにしていくものと先ほども述べたが、そのためには発問と指示の 2 つの役割を兼ねた指導言が必要となる。できるだけ少ない言葉で子どもたちに訴えかけ る発問が有効だからである。また効果的な発問によって指示や説明が生きてくるのであ る。3つの指導言のどれが欠けても活動は成立せず、3つが効果的に使われる必要がある が、実際には、作品のイメージに近づけるために、ともすれば発問を省略し、効率の良 い指示や説明を重ねてしまいがちになることが問題といえる。

また、子どもの思いからずれた発問、指示、説明が多く用いられていることも問題で ある。このことによって子どもたちの意欲を低下させてしまっているといっても過言で はない。絵の具の使い方から説明し、小さく描かないで画用紙いっぱいに大きく描くこ と、そしてクレヨンで描いた上から絵具を塗るとはじき絵のようになるなどの描き方を 紹介する、といった展開がしばしばみられるが、絵の具の使い方についての説明は必要 としても画用紙いっぱいに大きく描くことは説明ではなく保育者の「こうしてほしい」

という意図である。また、クレヨンの上から絵の具で塗るとはじき絵のようになるとい

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う説明は「こんな描き方をしてもいいからね」と言いつつも、実は保育者自身の「そう してほしい」という思いが込められている。つまり、保育者はわかりやすく丁寧に説明 しようとしているが、「~しなさい」といった命令的な口調ではないにしても「こうする ように」といった保育者の指示が隠されており、このような保育者の指導言が子どもの 意欲を低下させる原因となっているのではないだろうか。保育者によってはこういった 認識がなく、無意識のうちに子どもの意欲を低下させてしまっている場合も考えられる。

教育は目的活動である。しかし、保育者はいざ活動に入るとこの活動の目的は何であ ったかを忘れがちになり、作品の出来栄えばかりが気になってしまう。それは、子ども たちの作った作品が自分自身の評価につながるからである。今回調査の対象授業は作品 展をひかえての造形活動であったが、作品展のための作品づくりである印象がぬぐえな い。なぜなら、造形活動というのは普段の幼児の姿を見てどんなことに興味を持ってい るかを観察し、そこから教材を選定し、発問を考えるが、これらがすべて省かれている と考えられるからである。例えば、O、K 保育士に「なぜ、このお皿を使ったのか」と 尋ねると、「このお皿がたくさん余っていたから」という答えが返ってきた。つまり、こ のお皿ありきで活動を設定したため、そこには幼児の姿から教材を何にすればよいかと 考える過程が欠落してしまっている。

つまり、現在の造形活動の形態としては教師主導で進めていく明治初期とよく似た形 で行われている場合が多く、指示や説明が中心となり発問が用いられておらず、動機づ けが機能しているとは言い難い状況にあるといえる。

一方、今回の調査では子どもたちの行動や作品に対してオーバーにほめようとする保 育者の姿が頻繁に見られた。とにかくほめることで子どもたちとのずれを修正し、子ど もたちの動機を高めようとしているように見受けられた。一般に、子どもをほめて励ま すことは奨励されており、とりわけ幼児教育の場ではほめ言葉が多用されているように 思われる。

そこで、上に挙げた4つの実践をほめ言葉に着目して見直し、ほめ言葉による動機づ

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95 けについて考察してみたい。

第4節 動機づけにおけるほめ言葉の現状と課題 1、ほめ言葉について

一般的に内発的動機を喚起するために「ほめる」ことが有効とされているが、『教育美 術』(2009年)にも、次のようなコメントが紹介されている。

「上手、下手ではなく、子どもらしく伸び伸びと個性あふれる表現を重視し、すごいね、

こんな描き方もあるのだね、この色きれいね、の様に子どもたちが更に意欲的に描ける ような言葉がけをするように努めている」8)

このように、ほめることばによって子どもたちの意欲を高めていこうとする考え方は、

保育現場においても重要な役割を果たしているといえる。

では、なぜほめるのだろうか。佐藤幸司は次のように述べている。

「ほめられることによって、自分に自信をもつことができるようになり、その積み重ね が自分を好きになり、自分に誇りを持って取り組むことができる」9)

このようにほめられることで自尊感情が育っていくという考え方は、教育現場にも家庭 教育にも広く浸透している。これはほめることが前提にあり、ほめることで活動への取 り組み態度もよくなるという考え方である。

一方で、ほめる教育を批判する考えもある。伊藤進は『ほめるな』の中で、ほめるこ との弊害を次のように指摘している10)

① ほめる教育は条件付けの手法にのっとったテクニックであることから、指示にした がってしか動けない受動的な人間をつくり出してしまう危険性がある。

② ほめる教育はまわりからの評価の目ばかりを気にして生きる人間をつくり出してし まう可能性が大きい。

③ ほめる教育は、ほめることを心理的報酬としてモティベーションを引き出そうとす る育て方であるために、生きていくうえできわめて大事な意味をもつ内発的動機づ

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96 けまでこわしてしまうおそれがある。

④ ほめる教育におけるほめるという行為は、自然にほめるということとは質的に異な る意図的な行為、意図的なコミュニケーションのとり方であること、それがさまざま な弊害をもたらすことになる。

造形活動の場で考えてみると、保育者が一定の作品を取り上げてほめることで、他の 子どもがその真似をし、全体の作品傾向が偏ってしまったり、ほめたことでそれ以上の 努力をしなくなったりする光景を目の当たりにすることがある。それらの姿を見ると、

ほめることで本当に活動は活性化したのか、活動内容は充実したのだろうかといった疑 問を禁じ得ない。

これらのことから考えると、保育者は内発的動機づけが大切であるとしているにもか かわらず、ほめる言葉を必要以上に用いることで保育者自らが子どもの中にある内発的 動機づけの芽を摘んでしまっている可能性がある。

そこで、幼児の造形活動における保育者のほめ言葉の問題点と、内発的な動機づけを 促す有効なほめ言葉を導出したい。

2、ほめ言葉の考察 (1) 考察

保育者のほめ言葉が子どもたちにどのような影響を与えているのかを考察する。4人 の保育者による造形活動をビデオに撮影し、逐語録を作成し、それをもとにほめ言葉の 分析を行う。考察対象とする授業は前節で取り上げた4つの授業である

(84頁参照)。

表3-3を見ると、ほめる言葉の回数はK保育士が65回、T保育士が46回、M保育 士が28回、O保育士が21回で、一番ほめる回数が多いK保育士と、一番少ないO保育

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士とでは44回の差があり、保育者によってほめる言葉の回数には大きな差がみられた。

特に、K 保育士は展開場面で子どもたちが作品をつくっている最中に少し大げさな動作 で「かわいいー」や、子どもの作品を見たときに「キャー」と喜んだり、驚いたり、拍 手をしたりしていた。しかし、ほめる言葉の多かったK保育士やT保育士のクラスも、

また必ずしもそうではなかったO 保育士や M保育士のクラスでも、子どもたちは活動 に集中していたのである。O保育士の場合は、「みんなだけ特別にこのキラキラした絵の 具を使います」と言って、キラキラの絵の具を見せたり、K先生は各テーブルごとに青、

ピンク、赤など色分けしたビーズや色画用紙、おはながみなどの材料が置かれていたり、

M、T 保育士は、前の机の上に紅葉やイチョウ、木の枝、羽根、毛糸、布など沢山の材 料が用意されていた。このような環境から、子どもたちの中では、「何が始まるのかな?」、

「おもしろそう」、「作りたいな」といった内発的な動機づけがすでに働いていたと考え られる。この内発的動機づけについて伊藤進は『ほめるな』の中で「内発的動機づけと は、それをするのがおもしろいから、好きだから、興味があるからそれによってよろこ びや満足感が得られるからするんだという場合で、本人にとって活動そのものに価値が ある」11)と説明しており、ニックネームで「アモーレ情熱」とも呼んでいる。この言葉 を象徴する出来事があった。それは、M先生のクラスの看板づくりの活動の中で、M保 育士があるグループの看板を見て「あっ、楽しそう、お店に入りたくなりそう」、「あっ、

これどんぐりだ、どんぐりがたくさんある」と、少し大きめの声でほめると、その看板 を作っていたOが「うるさい」とつぶやく場面である。Oのグループはそれぞれが看板 づくりに集中して取り組んでおり、Oの言葉は、今やっているので少し静かにしてほし いという思いから発せられた言葉であると推察される。

伊藤進は、アモーレ情熱が働いている場合の注意点を次のように述べている。「本人が アモーレ情熱にもとづいてやっていることに対しては、なるべくほめたりしないように する」12)。そして、「大事なアモーレ情熱をはぐくむためには大人があまり介入しないほ うがいい」13)。もし、今回の実践の結果から見ると、保育者が誇張したほめ言葉が必ず

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しも活動の集中につながるとは一概に言えないと考えられる。

なぜ保育者はあえてその場の空気を遮ってまで子どもたちをほめようとするのだろう か。表3-3を見ると、子どもたちが作品を持ってくる評価の場面でのほめる言葉の割合 が多いというのはわかるが、回数だけを見るとどの先生も展開場面でほめる言葉が非常 に多く用いられている。ほめる言葉の種類を見ると、O 先生は「上手」7 回、「きれい」

3 回、の言葉が上位にきている。K 先生は「かわいい」16回、「見て、みんな○○君の はこんな・・・」と、ある子どもの作品を取り上げてみんなに見せるといったほめ言葉 が7回、その他には「上手」4回「すごい」4回、「オシャレ」3回と続いている。T先 生の上位のほめ言葉は「すごい」8回、「なるほど」6回、「素敵」3回で、M先生は「か わいいね」が8回で一番多く、「おもしろいね」、「いいね」が2回となっている。全体を 見ると「かわいい」、「上手」、「すごい」などの短い言葉が上位を占めている。特に、K、

M先生は「かわいい」の言葉が16回、8回と多かった。これは、保育者の心から出てく る自然な気持ちの表れともいえるが、ほめることで活動に対する子どもたちの動機を高 めたいとする保育者の意図があるとも考えられる。

一方、M 先生は、「この段ボールチョキチョキ切ってこんなかわいいの作ってるよ、

みんなも真似できるかな、葉っぱがあるとおちばいちばって感じですごくかわいくなっ たね」と話しかけている、この言葉からは、「おちばいちば」の絵本の中の絵と同じよう な作品になるために紅葉やイチョウや、木の枝などをたくさん使ってほしいとするM先 生の思いがうかがえる。

T 先生は「葉っぱがいっぱいついてるね」や「とーくまで飛べる鳥みたい」とほめて いる。この言葉からは、先生の思い描く鳥はたくさん羽根がついていると考えられる。

そのことは「白いところがないくらいだよ」といった言葉からもうかがうことができる。

「飛べそう」といった言葉には、葉っぱや毛糸などを白い所がなくなるくらいにたくさ ん付けて欲しいとする意図が隠れているのではないだろうか。また、このようなほめ言 葉はある一定の子どもに集中していることもわかった。このようなことから、子どもの

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意欲を高めたいとする意図以外にも、保育者の理想とする作品をつくらせようとする気 持ちも含まれていると考えられる。

K先生の花をつくる活動の中でK先生は「見て、みんな○○君がこんなのをつくって るよ」とある子どもの作品を取り上げてみんなに見せるという投げかけを7回用いてい るが、図3-14のY ちゃんの作品を取り上げた時に「見てみて、Yちゃんお皿からはみ 出しているお花考えたんだって、こうやってお皿からはみ出してもいいからね、よく考 えたね」とYちゃんの作品をほめた。すると、それまでお皿からはみ出している子ども は一人もいなかったが、図 3-15~図 3-20のように一斉に子どもたちがお皿からはみ出 した花びらを貼り始めた。これらの写真をよく見てみると、保育者の意図が理解できた 子どもの作品は周りに花びらを何枚も付けているが、それが理解できなかった子は無意 味に花びらを数枚付けただけに終わっている。ここには、とりあえず先生が言ったから 付けておこうとした子どもたちの心情がうかがえる。このように、先生がある子どもの 作品を取り上げてほめることで、子どもたちはそれを見て同じことをしようとするので ある。子どもたちの中でそうすることでほめられる、認めてもらえるといった感情が働 いているからであると考えられる。

図3-14「花」 図3-15「花」 図3-16「花」

図3-18「花」 図3-19「花」 図3-20「花」

このように、保育者が意図を含んだほめ言葉を投げかけることはかえって子どもたちの

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内発的な動機をそこなっているのではないだろうか。

しかし、ほめる言葉の中でも「かわいい」や「上手」、「すごい」などとは異なるタイプ の子どもたちの反応を引き出す言葉が見出せた。「先生のお家にも咲かないかな」、「お店 に入りたくなるね」、「とーくまで飛べる鳥みたい」の言葉である。この言葉の後には子 どもが一瞬考えた後、え?何?と保育者の顔を見る場面が見られた。中でもM先生の活 動では「お店に入りたくなるね」の言葉に子どもたちが沈黙した後、「このお店も入りた くなる?」と聞き返している子どもの姿があった。

このような比喩的な言葉は、作品の持つ豊かさや、その子なりのこだわりを子どもに 気付かせたり、作品の世界に入り込ませる要素があるのではないだろうか。

しかし、表3-8のほめ言葉の傾向を見てみると、「先生のお家にも咲かないかな」、「お 店に入りたくなるね」、「とーくまで飛べる鳥みたい」といった方向性を自分で見出すた めの比喩的な言葉が少なく、直接的な言葉に集中している。比喩的な表現を上手く利用 していくことで、子ども自身がほめられるための作品ではなく、作りたい作品を自分で 見出していく作品づくりができると考える。

(2) まとめ

各場面でのほめ言葉の傾向を表 3-8にまとめた。これを見るとほめ言葉は、様々な種 類に分類することができる。

①まず一つ目は、上手、きれい、かわいい、すごい、オシャレ、おもしろいね、パチ パチ(手をたたく)などの言葉で、子どもにとってはほめられていることがすぐわ かる言葉であるが、何をほめられているのかわからない抽象的なほめ言葉といえる。

②二つ目は、ある子どもの作品を取り上げ、「みんな見て、○○ちゃんがこんなの作っ てるよ」と、作品の良い所を紹介する言葉である。この言葉には、たくさんの作品 を紹介することで、相乗効果で活動が広がっていってほしいというねらいが含まれ ていると考えられ、対象がほめている子ども以外の子どもたちになっている。

③三つ目は、上手に色が出てるね、きれいに貼れたね、作品などを指して具体的にど

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こが上手なのか、きれいのかをほめているものである。これは、ほめている子ども に対して具体的にどの部分がよいのかを示している。

これらの①~③までの言葉を直接的という枠組みに設定した。直接的とは、対象に具体 的に働きかけることである。ほめられていることが子どもたちにはすぐわかるため、子 どもの意欲を高めるために用いられている言葉、または保育者の理想の作品に近づける ための言葉ともいえる。

④ 四つ目は、「葉っぱがいっぱい付いてるね」や、「色んな色が出てるね」など、保 育者が作品を見てその事実を述べているもので、主観的な判断を入れない言葉で ある。事実を述べているだけだが、保育者の言葉のニュアンスによって子どもた ちが受け取る度合いが違ってくると考えられる。

⑤五つ目は、「できたね」、「なるほど」といった言葉で、作品をつくる過程で考えたこと、

やってきたことに対して「ここは悩んでたけれど、こういうふうにしたんだね」、「こ こは苦労してた所だけど、できたんだね」と、子ども自身、作品に共感する気持ちが 含まれている。この言葉も、保育者の言葉のニュアンスによって子どもの受け止め方 が違ってくる。これらの④、⑤の言葉を間接的という枠組みに設定した。間接的とは、

ほめられていることを子どもたちに遠回しに示すことで、子どもの作品や考えを認め、

受け入れる言葉である。

⑥六つ目は、「お店に入りたくなるね」や「遠くまで飛べる鳥みたい」などのように、保 育者が比喩的な表現を使って子どもをほめている言葉である。このほめ言葉は子ども たちに考えさせる含みをもたせている。これらの言葉を比喩的という枠組みに設定し た。比喩的な言葉とは、思考を促したり、気付かせたり、または自分の中で新しい発 見があったりする。それが今後の作品づくりのヒントにつながっているとも考えられ る。

活動全体を見ると、導入でのほめ言葉が極端に 9と少なく、展開場面に最も多い。そ の言葉の傾向は、子どもたちの作った作品に対してそのままほめる直接的な言葉が圧倒

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102 的に多く用いられている。

しかし、比喩的な言葉は数えるほどしか種類がない。このことから、子どもたちが作 った作品を受け入れ、認めようとする傾向はみられるが、保育者自身もどのようなほめ 言葉がよいのか、どうすれば子どもたちが自分のイメージしている作品を表現すること につながっていくのか模索しているとみえる。

ただ、「すごい」、「上手」や、「見て、○○くんのは・・・」などの直接的なほめ言葉 は「自分もできるんだ」といった自信を持たせることにつながるが、かえって取り組ん でいた子どもの手を止めさせている。また、保育者がほめた点について自分もそうしよ うと修正したりする子どもたちの反応が見られたりすることから、直接的なほめ言葉は、

子どもたちの内発的な意欲をそぐだけでなく、先生にほめられたいからするといった外 発的な動機づけを招いていると考えられる。このように、外発的動機を持つことは、「表 現」活動において「自分なりに考えたことを表現して楽しむ」といった目的が達成でき ず、造形活動自体が模倣することだけに終わってしまう危険性もはらんでいる。

「ほめる教育」では、少しでもほめるところがないか探してほめるようにするとある。

しかし、これは小さなことも評価の対象にするということであり、ほめられる作品をつ くろうとする危険性もあることを忘れてはならない。

以上のことから考えると、ほめ言葉とはただ意欲を持たせるためのものではなく、方 向性を自分で見出すために保育者がきっかけを与えるものであるとも考えられる。つま り、比喩的な言葉によって子どもたちを刺激しながらその活動の過程で誇張しすぎない、

子どもの思いに寄り添う形でのほめ言葉を投げかけながら、自分なりの作品を生み出せ る所まで導く。このようなほめ言葉の種類を増やしていくよう保育者が意識する必要が ある。

(3) 課題

今回の実験では、保育者が用いているほめ言葉には、Ⅰ意欲を持たせる、Ⅱ保育者の 理想の作品に近づける、Ⅲ認める・受け入れる、Ⅳ考え気付かせるといった要素が含ま

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れていることが明らかになったが、導入でのほめ言葉は、4人中3人の保育者が0であ ったことを考えると、あくまでも導入段階では、保育者は作る作品の説明に集中してい ると考えられる。保育者には導入場面での提示の段階で子どもたちが興味を示し、取り 組むことを前提としているのかもしれない。

しかし、導入段階で興味を示さず活動に参加しない子どもはどうなるのだろうか。「ほ める教育」での少しでも良い所を見つけてほめることも、取り組み出さなければほめる ことができない。このように考えると、直接的に子どもに対して「上手ね」、「すごいね」

の言葉だけで活動に意欲を持たせるのではなく、比喩的な表現を使って子どもたちを考 えさせたり、子どもたちが発言した言葉を繰り返して言ってみたり間接的に子ども自身 の考えを認めていくような動機づけが、ある段階だけに偏らず導入段階から終末段階に 至るまで連続的に用いられる必要があるのではないだろうか。

そこで4章では、導入段階から終末段階までの3段階の動機づけを考えることで、子 どもの主体性を促す活動展開のあり方について検討したい。

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104 註)

1)倉橋惣三『育ての心(上)』、フレーベル館、1976年、p.30

2)桒原昭徳『間接教育の構造-倉橋惣三の幼児教育方法-』、ぎょうせい、1994年、p.171

3)同書、p.1

4)大西忠治、『現代教育科学』30巻7号、明治図書、1987年、p.106

5)同書、p.106 6)同書、p.106

7)文部科学省『幼稚園教育要領解説』、フレーベル館、2008年、p.158

8)西村貞一『美術教育』第70巻第8号 財団法人教育美術復興会、2009年、p.10

9)佐藤幸司『プロの教師のすごいほめ方・しかり方』、学陽書房、2010年、p.13

10)伊藤進『ほめるな』、講談社、2005年、p4

11)同書、p.60

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105 12)同書、p.89

13)同書、p.89

第 4 章

活動の連続性をもたせるための動機づけを意図した実践

3 章では、保育の現場における保育者と子どもの意識のずれについて、保育者が用い る指導言、とりわけ褒め言葉を取り上げ、考察した。ずれを生み出す保育者の指導言と、

ずれを修正するための有効な指導言とを見出すことができた。また、ずれを修正する指 導言は子どもの動機付けとして機能すること、そして動機づけは導入段階はもちろん、

活動全体を通して様々な場面で有効に機能させる必要があるという課題を確認した。そ

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こで4章では、まず、内発的動機付けについて述べたうえで、内発的動機付けに着目し た授業実践例の考察を行う。続いて導入段階から終末段階にかけて活動全体を通した連 続的な動機づけのあり方について検討する。

第1節 幼児の造形活動における動機づけ 1、内発的動機づけと外発的動機づけ

「動機づけとは、行動を起こさせ、一定の目標に方向づける内的過程をいう」1)。「子ど もが物事に取り組もうとする時、学習が目標になっている内発的動機づけと、学習が手 段になっている外発的動機づけとの2つに大きく分けることができる。」2)

まず、内発的動機づけについて桜井茂男は内発的な学習意欲の源として、他者受容感、

自己決定感、有能感を挙げており、更に内発的な学習意欲の現れが知的好奇心であると 述べている。以下、他者受容感、自己決定、有能感、知的好奇心の4点について、幼児 の造形表現に即して見てゆく。

①他者受容感

これは、認めてもらいたいであるとか、自分の存在を受け入れて欲しいという欲求の ことである。太田肇は、「大多数の人は、他人からの承認を求め、承認欲求に強く動機づ けられている」3)する。そして、その「他人からの承認が自己効力感の重要な構成要素で ある」4)とも述べている。「自己効力感を得ようとすることは、人間にとっていわば本能 に近いもの」5)であることから、「承認も人間にとって必要不可欠なもの」6)であるとい える。

幼児の造形表現に即して言うと、自分の作っているもの(作ったもの)をそのまま認 め、受け入れてくれる他者の存在が、子どもの活動への意欲を高めるということになる。

保護者や保育者が子どもの作品に対して批判的な姿勢をとっている場合、造形表現への 苦手意識を持つことは多い。自分の表現を認めてほしいという子どもの思いに応えてい こうとする保育者の姿勢が子どもたちを活動へと意欲づけると考えられる。

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107

②自己決定

桜井茂男は「自己決定とは、自分のことは(好んで)自分で決めているんだ、という 気持ちのことである」7)としている。「自分のことを意識するしないにかかわらず、わた したちは最終的には物事を自分で決めている。しかし、人から言われて仕方なく物事を 始めるのと、自分から積極的に自己決定して物事を始めるのとでは大きな違いがある」

8)と述べている。

エドワード・L・デシは、「彼らが生き生きと興味をもち、責任感をもって課題に挑戦 する選択権を与えることが自律である」9)と、自律という言葉を使って説明している。

これまでの章でも見てきたように、保育者が活動の方向性をあらかじめ決めてしまっ たうえで、子どもを強引に引っ張っていこうとする指導が、子どもの意欲を削いだり、

作品見本をただなぞるだけの活動に終わらせてしまっている場合がある。子ども自らが 作りたいもののイメージを持ち、自分で材料や方法を選択しながら活動しているという 気持ちを持てるような状況を設定することが望まれる。

③有能感、効力感

「有能感とは、自分は勉強ができるんだ、自分はやろうと思えば勉強ができるんだ、

という気持ち」10)であり、「効力感とは自分が努力すれば環境や自分自身に好ましい変化 を生じさせうるという自信をもち、しかも生き生きと環境に働きかけ、充実した生活を 送っている状態である」11)としている。これを造形活動でいうと、「これなら私も作れそ う」であるとか、少し難しそうな作品でも自分ならできるんだという気持ちを持って取 り組もうとする状態であるといえる。

このような有能感、効力感はいきなり得られるものではない。「効力感は、ただ自分の 努力によって好ましい変化をひきおこすことができたというだけでは伸びていくもので はない。これこそ自分のしたいことだと思える活動や達成を選び、そこでの自己向上が 実感されてはじめて真の効力感は獲得される」12)といっており、有能感、効力感を得る ためには自分は受け入れてもらえているといった承認欲求が満たされ、その安心感から

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子どもは環境に自分で働きかけようとする。そして、その中で物事を自分の意志で決定 していく自己決定がなされてこそはじめて得られるものであるということだと捉える。

ただし、自己決定といっても、保育者が設定した枠組みの中で子どもたちに選択させる といったことでは意味がない。自分の意志で選んだのだと思える選択ができるようにし なければならない。また、目標を達成することだけに満足してはならない。「本人が自己 向上心を実感しうるもの」13)であり、その「自己向上が本人にとって価値ある好ましい ものである内的な充実感がないと成功が外的な報酬になってしまう」14)からである。

④知的好奇心

「知的好奇心とは、いろいろなものに興味を持ち、興味を持ったことに関連する情報 を集める行動傾向のことである」15)。これは、内発的な学習意欲の源である他者受容感、

自己決定、有能感に支えられた内発的な学習意欲の現れである。そして、知的好奇心→

達成(最後まで自分の力でやり抜こうとする行動傾向)→挑戦(自分が現在できる課題 よりも少し難しい課題に挑戦しようとする行動傾向)と内発的な学習意欲は発展してい くのである。

波田野誼余夫は、「人間は退屈を嫌い、知的好奇心をみたすべく常に情報を求めている 存在である」16)と述べているが、それは①②③で述べた要素が満たされてこそ発揮でき るものなのである。

子どもの遊びや造形活動において知的好奇心は、「どうなっているのだろう」「おかし いな」などといった知的な葛藤として現れる。筆者の観察した次のようなケースがある。

材料コーナーにおいてあるザラザラとした質感を持つ紙に触れた子どもが、手の感触の 面白さから「カメの甲羅みたい」とつぶやき、亀を作ることを思いついたのである。亀 を触った経験が想起され、亀を作ろうという意欲が膨らみ、園で飼育している亀を見に 行ったり、図鑑や絵本で調べたりなどをしながら、紙の亀を作っていったのである。ザ ラザラの紙の感触を見逃さず、「何かに似ているな」という疑問から知的好奇心が誘発さ れ、自発的な造形活動に発展していったケースである。ここでは亀を作ることを自分で

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思いついたという点では自己決定が、また保育者がその自由な活動を受け止めたことか ら承認欲求が充足されており、有能感をもって製作を進めてくことができている。この ような自発的な目的活動を支える内的過程が内発的動機づけである。

一方で、外発的動機づけとは「ある目的のための『手段』として活動を行うようなや る気で、ニンジンをぶら下げられて走るやる気」17)とも鹿毛雅治は表現している。この 外発的動機づけには「いったん報酬の提供が打ち切られれば、そのやる気は失われる。

やる気を保つためには報酬を与え続けなければならない」18)と欠点を指摘している。ま た、デシはこのことに加え、「人がいったん報酬に関心を向けると、報酬を獲得するため の手っ取り早い最短のやり方を選ぶ」19)と指摘している。

筆者の経験では、次のような出来事がある。子どもたちの描いた絵を「すごいね」と ほめているうちに、子どもが喜ぶので次第に大げさにほめるようになっていった。その うち、子どもたちから「先生、すごいねしか言わない」と言われたり、少し描いただけ でほめてもらいたくて何度も持ってくる子どもも現れ始めたのである。知らず知らずの うちに子どもたちに外発的な動機づけを行っていたといえるだろう。

2、内発的な動機づけを促すための指導言

前章では、保育者の指導言、中でも褒め言葉に着目しながら、授業の考察を行った。

そこで、子どもの動機づけを図るうえで有効な指導言や褒め言葉の概略をつかむことが できた。本項では、導入段階で子どもの内発的な動機付けを促す指導言について3つの 視点を設定し、次の節ではそれを生かした授業の考察を行う。

①意欲を高める

序章で取り上げた事例では、筆者が絵の具を水で溶いて授業の準備をしていると、自 然と子どもたちが集まってきて、その様子をじっと見ながら「私この色が大好き。」など と自分の経験や好みと関連づけて話かけてくる。そしてついには、「先生、この色どうや って作ったの?」や、「僕も手伝ったろか?」などと言い出している。事例では、そこで

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筆者が子どもの意欲を取り違えてしまうのだが、本来子どもたちは、新奇なものや興味・

関心を刺戟するものにふれると、知的好奇心を膨らませ、活動への意欲を高めていくも のである。

モンテッソーリは、「子どもは身のまわりのものを自分の手を使って、経験せずにはい られない。どこまでもつきぬ興味を示し、夢中で疲れを知らぬ一人の『行動する人間に なっている』」20) と述べている。

つまり、子どもは見たい、話したい、知りたい、やりたいなどの気持ちに満ちあふれ ており、自分が興味を持ち、心が奮い立つような何かを感じると、自分の手を使ってや ってみたいと思う存在であるといえる。心が奮い立つ気持ちが、今後の活動の展開を大 きく左右する要件になるといえる。

②必要性を与える

保育者が一通り活動内容の説明をし、「はい、じゃあ、描いていいよ」と言うと子ども たちが、「何するの?」、「何を描いていいかわからない」などとつぶやく様子をしばしば 目にする。このような反応に保育者は「さっき説明したのに聞いてなかったの?先生、

一回しか言わないよ」などと返している。

しかし、本当に子どもは聞いていなかったのだろうか。何のためにそれをするのか、

そのことをする必要性が感じられないために、自分が「こんなものを描きたい、作りた い」といった目的が見えないからではないだろうか。

モンテッソーリは、「3才の子供は、自分自身の目的のために、事物を扱わなければな らない」21)と述べている。自分自身がそれをやる必要がある、またはそれに魅力があり、

やりたいと思わなければ子どもは動かないということである。それは報酬を期待しての 行為とは異なる。例えばお母さんのために作ってあげようとか、困っている人を助けて あげよう、誰かに伝えたいといったことなども自分自身の必要性の中に含まれている。

何のためにそれをするのかという、活動に取り組むための必然性を与えることで、子 どもの中で作りたい物のイメージや活動の目的が鮮明化してくるのである。

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③想像を働かせる

これも序章で取り上げた事例であるが、保育者が絵を描く時に敷いたビニールシート を見て、保育者が何も言わなくても(保育者の意図とは別に)子どもたちは「海みたい、

海や」、「川かな?水たまりかな?池かな?」などと想像している。また、ペットボトル を持ってきて「これで何ができる?」と尋ねると、子どもたちからは「ロケット」、「飛 行船」、「電車」、「救急車」など、様々な意見が出てくる。このように、子どもはビニー ルシートやペットボトル一つからでも多様に想像を拡げることができるのである。

モンテッソーリは、「3~6 歳までの子どもは想像力が働き、目に見えないものも見え る」22)と子どもの想像力に言及し、次のように述べている。「子供はただばくぜんとアメ リカということばを聞いているのではなく、アメリカ大陸が描かれてある地球儀を見て、

具体的にはこんな所であろうと想像できると思ってまちがいない」23)と述べている。

例えば、保育者がしばしば用いる指導言であるが、「好きなものを作っていいよ」とい う働きかけでは、どのように考えればよいのか方向性が示されていない。つまり、子ど もたちにとってはこの提示の仕方は漠然としすぎていて想像を働かせにくいものである といえるだろう。また、「今日は、ひまわりの絵を描きます」の言葉では、何を描くのか ははっきりしているものの、ひまわりの絵に限定されているために、想像を働かせる余 地がなくなってしまっている。

つまり、子どもは想像力を働かせる存在であるとはいえ、ただ材料を置いておいて「好 きなものをつくっていいよ」という漠然とした言葉を投げ掛けたり、「今日はひまわりの 絵を描きます」と一方的に言葉で提示するよりも、「ペットボトルで・・・」や、「海の 中にいる・・・」などと、最小限度で適切な方法で、想像する範囲や方向性を示すこと で子どもの想像をより活性化できるといえる。

子どもは保育者のやっていることや、投げ掛ける言葉を一寸たりとも逃すことなく見 たり、聞いたりしている。そして、そこから自分の興味があるものはないか、熱中でき るものはないかと探し求め行動している。であるならば、このような導入段階における

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子どもの状態を理解した上で、あらかじめ保育者が用意しておく環境や投げ掛ける言葉 によって子どもたちの意欲を高め、そしてそれに取り組むための必要感を与え、想像力 が働くような提示をする。このことによって、保育者の設定した活動と子どもたちの意 欲との間のずれを最小限にとどめ、主体的な活動を保障することができるのではないだ ろうか。

第2節 内発的な動機づけを意図した言葉がけによる導入

前節で挙げた3つの要素に基づく保育者の言葉がけを適宜用いることによって、子ど もたちがどのような反応を返してくるのか、また活動がどう変化するか、2 つの実践を もとに考察する。

1、実践1(構想・結果・考察)

○題材:「一年生になったらどんな友達つくりたい?」

○日時:2009年2月10日

○対象児:5歳児

○ねらい:小学1年生になったことを想像して描く

○活動の流れ:

①「一年生になったら」の歌をうたう。

②歌詞について子どもたちと話し合う。

③「この友達はおもしろいこと考えているね、みんなは一年生になったらお友達と何 して遊びたい?」と尋ねる。

④「実はみんなが行く小学校の先生がみんなのこともっと知りたいって言ってた よ、教えてあげよう」と絵に描いて教えてあげることを提案する。

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図4-1「一緒にチョコレート屋を開きたい」 図 4-2「山に登ってみんなでお菓子を食べ

たい」

図4-3「ピアノが上手な友達が欲しい」 図4-4「大きなスイカをみんなで食べたい」

この実践は、幼稚園を卒園し「もうすぐ一年生になるんだ」と期待感を膨らませている 年長児が、小学校という言葉に興味を持っていることから、一年生になったときのこと を想像して描いてみようというものである。

●意欲を高める(①)

絵を描く前に、保育者は子どもたちと次のようなやりとりをした。「もうすぐ一年生だ ね。もうランドセルは買った?」と、一年生になるためにどんなものを揃えたのか、ま た小学校に入るとどんな教科があるのかについて話をした。この言葉は、子どもたちの 視線を保育者に集中させ、そこから子どもたちの意欲を高めていこうとするねらいがあ る。子どもたちは一年生という言葉に敏感に反応した。

そして、ピアノを弾き、「一年生になったら」の曲をみんなで歌った。保育者が「この 曲知ってる?」と尋ねると、「知ってる」、「家にあるCDで聞いたことある」など知って いる情報を伝えようとする。

参照

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