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99 日本写真学会誌 2018 年 81 巻 2 号:99–107 1. はじめに Fig. 1 に,動画産業(劇場映画と家庭用・放送業務用の小 型映画)の創成とそれらの電子化・デジタル化への移行に関 する大きな流れを示した.湿板写真時代の 1860 年に万能の 科学者 Herschel は,動画で子孫に記録を残す「瞬間写真」 の提案を行った.彼の提案を実現させるのに必要な技術は, 撮像の高感度化と感光体の高速交換であった.「Eastman Kodak」EK 社の創設者 Eastman は,アマチュア写真家から 写真乾板会社を起業したが,乾板事業はすでに価格競争に 陥っていた.彼は感光材料の連続製造による競争優位性を意 図して,ロールフィルムによる製造とそれを用いた写真の大 衆化を目指した.そして Herschel の提案から 50 年後の 1910 年頃には,アマチュア写真用のロールフィルムの転用 から始まった映画産業が伸長し,映画フィルムは EK 社の経 営を支える主要な事業に成長していた.さらに火災の懸念の ない酢酸セルロースの不燃性フィルムを採用した小型映画 は,8 mm フィルムが 1930 年代から家庭用動画として,16 *

平成 29 年 12 月 4 日受付・受理 Received and accepted 4th, December 2017 千葉大学大学院融合理工学府

〒 263-8522 千葉県千葉市稲毛区弥生町 1-33

Chiba University Graduate School of Science and Engineering 1-33, Yayoi-cho, Inage-ku, Chiba-City, Chiba, 263-8522 Japan

本報告の内容は,2017 年画像関連学会連合会秋季大会(於:京都工芸繊維大学,12 月 2 日)にて発表した.

解 説

写真産業の技術革新史 その 4

-動画産業の創成とその電子化・デジタル化

History of Technical Innovations in the Photographic Industry(4) - Creation of the Motion Picture Industry and its Digitization -

高 田 俊 二

Shunji T

akada 要 旨 動画記録への挑戦は,1860 年の Herschel の夢物語の提案から始まったと言える.そして,その提案から 50 年後の 1910 年頃には,セルロイドフィルムを支持体とした映画用ロールフィルムは,Eastman Kodak 社の経営を支える事業にまで 成長した.安全に扱える酢酸セルロースの不燃性フィルムを用いた小型映画は,8 mm フィルムが 1930 年代から家庭用 として,16 mm フィルムが 1950 年代から放送取材用として,世の中に浸透して行った.動画記録の電子化は,1970 年代 に撮像管カメラとビデオテープレコーダーをケーブルで繋いだ ENG と呼ばれるテレビのニュース取材から始まった.そ して 1980 年代に,カメラとレコーダーを一体化した家庭用カムコーダーが登場し,CCD 固体撮像素子が採用され,小型・ 軽量化が達成された.最後尾となった映画のオールデジタル化は,配給・上映のビジネスモデルを確立させるのに手間取っ た.しかし,2005 年のデジタル化標準 DCI を機に加速され,Herschel 提案から 150 年後の 2010 年代前半に移行がほぼ 完了した.

Abstract It is thought that a challenge to movie recording began with the Herschel’s proposal of 1860. And after 50 years from

that proposal around 1910, movie roll films with celluloid base grew to a business supporting Eastman Kodak compa-ny's management. Small format movies using safe incombustible cellulose acetate film had penetrated the world as 8 mm film for home use from the 1930's and 16 mm film for broadcasting from the 1950's. Electronic small movie re-cording began with television news coverage called ENG by connecting the imaging tube camera and the video tape recorder with a cable in the 1970's. In the 1980’s, a compact and lightweight household camcorder that integrated a camera and a recorder appeared, and a CCD solid-state imaging device was adopted. The digitization of theatrical movie became the last to take time to establish a business model of distribution and screening. However, it was accel-erated by the standardization of DCI in 2005 and almost completed in the first half of the 2010’s after 150 years from Herschel’s proposal.

キーワード:写真産業技術史,動画産業,小型映画,写真ロールフィルム,ビデオカメラ

Key words:  History of photographic industry, Industry of motion picture, Small format movie, Photographic roll film, Video

camera

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mm フィルムが 1950 年代からニュース取材の放送業務用動 画として世の中に浸透して行った.

動画の電子化は,即時性を最優先するテレビのニュース取 材において,肩乗せ型の撮像管カメラと「ソニー」社製の民 生用ビデオテープレコーダー VTR「U-マチック」をケー ブルで繋いだ ENG(Electronic News Gathering)で 1970 年 代から始まった.撮像管から固体撮像素子 CCD(Charge Coupled Device)への移行は,1985 年民生品で小型軽量化 を 追 求 し た カ メ ラ・VTR 一 体 型 カ ム コ ー ダ の ソ ニ ー 「CCD-V8」でおこった.早くからテレシネ編集でフィルム とデジタルが共存していた映画のオールデジタル化は,撮影・ 編集・配給・上映のすべての部門で技術と経済性が成立つ必 要があり,結果として最後尾となった.2005 年のデジタル 化の標準 DCI(Digital Cinema Initiatives)を契機に移行が 本格化し,Herschel の提案から 150 年後の 2010 年代前半に 映画産業のデジタル化がほぼ完了した. フィルム時代には,撮影・記録・表示のすべては,撮影感 材とその現像およびプリント処理に依存していた.デジタル 時代には,CCD・CMOS 固体撮像素子による映像取得,磁 気記録(テープ・HDD)・光記録ディスク・半導体メモリに よる録画,および液晶・有機 EL ディスプレイによる映像表 示と,動画の要素技術は機能分離していった.そのため,そ れぞれの要素で性能と経済性を成り立たせるシステムデザイ ンが重要となった.一方,撮像システムはデジタル化で,静 止画と動画の共通化が進み,さらに民生用と業務用の境界が 不鮮明となり,統合化が着実に進んでいる. 2. フィルム動画産業の創成 「写真産業の技術革新史 その 2」1)で,万能の学者 John F. W. Herschel 卿(1792-1871)の「瞬間写真」の提案を紹介し た.彼は晩年の 1860 年に雑誌「Photographic News」に寄 稿した.その要旨は,「私の提案は夢と思われるかも知れま せん.それは動く景色,例えば戦争・公式行事などを三次元 的に記録して子孫に残すことです.基本要請は二つで,第一 に早打ち(snap-shot)が出来ること,第二に感光板の迅速 交換です.立体カメラを据え,だまし眼鏡を使うと残像で絵 が動いて見えます.カラー化も可能です.いつの日か,課題 が解決されると信じています」.1860 年はコロジオン湿版写 真の時代であった.写真撮影するには,カメラ・レンズ・三 脚・ガラス板・薬品類に加えて携帯暗室が必要であり,その 場でコロジオンを塗ったガラス板を硝酸銀水溶液に浸漬させ 感光材料を作製し,長時間露光した後その場で現像する必要 があった.従って,Herschel の提案は今日からみれば先見 性はあったが,当時の技術レベルでは全くの夢物語であった. 第一の要請は,ゼラチン乳剤の出現とその増感法の発見によ る高感度化で,第二の要請は,高効率生産を目指した EK 社 の連続製造によるロールフィルムの登場によって達成されて 行った. 2.1 Eastman のロールフィルム連続製造2) George Eastman(1854-1932)は専門的な教育を受けずに, イギリスの雑誌「British. J. Photo.」などの記事を参考に実 験を重ね,アマチュア写真家から写真乾板会社を 1881 年起 業した.しかし乾板は程なく価格競争の時代に入ったので, Eastman は生産技術と特許戦略による事業の立直しを模索 した.そして,ロールフィルム支持体上への連続塗布で,高 効率生産を目指した.1888 年,紙支持体の「アメリカンフィ ルム」と「ブレストカメラ」を発売し,有名なコピー「You Press the Button – We Do the Rest」で写真の大衆化を訴求 した.しかし支持体が不透明な紙だったので,支持体から感 光層を剥す Stripping とそれをガラス板に mount する煩雑な ネガ板の作成工程を必要とした. 発売の年の秋,Eastman はロチェスター大学化学科から 入社した Henry M. Reichenbach にセルロイドフィルムの研 究を命じていた.翌 1889 年,Reichenbach は「メチルアルコー ルにニトロセルロースと樟脳を溶かし,これにフーゼル油, 酢酸アルミを加えガラス板に流し,溶剤を蒸発させる」製法 を確立させ,4 月に特許申請し,Goodwin の 2 年前の先願特 許を回避するため樟脳の量規定などの修正を行い,12 月に 米国特許 USP-417,202 として認可された.具体的な製法は, 「バッチ方式で,長いテーブルの上に幅 3.5 フィート,長さ 50 フィートのガラス板を置く.その上にニトロセルロース 液を入れたホッパーを移動させて膜を作り,スプレッダーを 移動させて厚みを調節し,一晩放置して蒸発乾燥させる.翌 朝,臭化銀ゼラチン乳剤を塗布し,乾燥してからガラス板か ら剥し,ロール幅に切断しスプールに巻く」である.セルロ イドフィルムになって売れ行きは増大し,そのためロチェス ター郊外に新工場「Kodak Park」を 1891 年新設した.その 際,セルロイド製造用のガラス板机は 200 フィートとなり, これを 12 台並べた.これでも追いつけず,1892 年からさら に 2 倍の規模に拡張した.そして株式分割により資本金を 5 倍とし,社名を「Eastman Dry Plate and Film」社から EK 社に変更した.

1887 年牧師だった Hannibal Williston Goodwin(1822-1900) は,定年退職時にセルロイドフィルムの将来性を見越して特 許出願した.Goodwin は化学の知識と出願の経験が乏しく, Fig. 1  動画産業(劇場映画と家庭用・放送業務用小型映画)の創成 とその電子化・デジタル化への大きな流れ 14 / 22 一般写真 劇場映画 家庭映画 放送取材 1840 1870 1900 1930 1960 1990 撮像管 35 mm フィルム 撮像素子 8 mm フィルム 16 mm Herschel 瞬間写真 Kodak 映画フィルム デジタルシネマ カムコーダ 写真学会81_2/解説_高田.念2.indd 100 2018/05/14 13:38

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高田俊二  写真産業の技術革新史 その 4 -動画産業の創成とその電子化・デジタル化- 101 広い請求項と曖昧な記述で出願したため却下され続けたが,

11 年後の 1898 年に USP-610,861 として認可された.彼は実 用性実証のため,「Goodwin Film & Camera」社を作ったが, 交通事故に遭い完成を見ずに死亡した.1901 年老舗の「An-thony」社(その後「Ansco」社)は Goodwin 社の株式を購 入し,その翌年 EK 社を特許侵害で告訴した.反トラスト法 の影響が強かった時代で,1913 年に特許侵害が認められ, Goodwin が「発明の開拓者」とされ,EK 社は Ansco 社と Goodwin 遺族に賠償金を支払うこととなった.

ボストンの写真家 Thomas Henry Blair(1855-1919)は, Eastman と同様に写真の大衆化を目指して「ブレア・カメラ」 社を起業した.彼は長巻のセルロイドフィルムの製造を「セ ルロイド・マニファクチュアリング」社に依頼し,その上に 感光乳剤を塗布して 1891 年にロールフィルムとして発売し た.セルロイド社は,ニトロセルロースの調製液を回転ドラ ムに流し,それを剥して長尺フィルムにする連続方式で生産 していた. Eastman は紙支持体からセルロイドフィルムへの切換え で,連続製造からバッチ方式に一旦後退させたが,1890 年 代の中頃マサチューセッツ工科大学出身の機械技術者 Dar-ragh de Lancey と共に,セルロイドフィルムの製膜と乳剤 塗布を一貫して連続製造する方式への回帰を図った.そのた め に は,1896 年 に 公 告 さ れ た「Blair-Waterman 特 許 」 (USP-588,790)が必要で,EK 社は特許保有の Blair の「ア メリカン・カメラ」社を 1898 年に,その翌年「ブレア・カ メラ」社を買収した.大きな回転ドラムにニトロセルロース の溶液を塗り,一回転させてから剥ぎ取り,剥ぎ取ったフィ ルムを乾燥ゾーンに連続して送った.そして,さらにフロアー の異なる暗室にフィルムを送り,乳剤を塗布する方式であっ た.1899 年この方式で「Kodak Park」での生産が始まった. この生産方式の変更で揮発性の高い調製液が必要となり, Reichenbach の配合から逸脱し Goodwin 特許を侵害する原 因となった. 2.2 映画フィルム産業の創成2) 「写真産業の技術革新史 その 2」1)で,映画産業のあけぼ の期の先人の業績を紹介した.一人はイギリス移民の写真家 Muybridge で,多数台の湿板カメラで走る競走馬の連続写 真を撮り,そのシルエット像を短い動画として 1880 年頃上 映し,パリの生理学者 Marey やアメリカの映画の父 Edison に大きな刺激を与えた.もう一人はエジソン研究所の Dick-son で,映画フィルムの規格となった 35 mm フィルムの 「Kinetoscop(覗き眼鏡)」を開発した.エジソン研究所は, Eastman や Blair にロールフィルムを注文し,1893 年のシ カゴ万国博覧会に出品し,1894 年専用のパーラーを開設し た.フランスの映画の父の Limiere 兄弟はスクリーンに投映 する「Cinematograph」を開発し,1895 年特許申請とする と共に,商業的な上映をパリで行った.1896 年頃から覗き 眼鏡の人気は下降線を辿りはじめ,同様にスクリーン映画も 同じ物が繰り返し上映されるので,20 世紀に入ると落ち目 になって行った. 映画がアメリカで復活したのは 1905 年前後からであった. 映画が復活した理由は,①映写機の入手が容易になった,② 長編映画など作品が豊富になった,③安い入場料の映画専用 劇場が急増したなどである.新しい産業が定着するためには, 技術だけでなく,業界が活性化するビジネスモデルが必要で あった.低価格の「五セント劇場」は,1907 年に 5000 軒, 1910 年に 10000 軒に増加した.また映画製作者から購入し て興業主に貸出す映画交換所は,1902 年に設立され 1907 年 には 125〜150 軒に増えた.そして映画フィルムの製造に, イギリスの「オースチン・エドワード」社,ベルギーの「ゲ バルト」社,フランスおよび北米の「リュミエール」社が挑 んだものの,品質と価格で EK 社には太刀打ちできなかった. Fig. 2 は,EK 社の映画フィルムと一般写真用フィルムの 1900 年前後の売上高の推移を示している.EK 社がセルロイ ドの支持体を厚くして,破断しにくい映画用フィルムを発売 したのは 1896 年であり,セルロイドフィルムをバッチ方式 からドラム連続成膜方式に切り替えたのは 1899 年であった. そして 1910 年頃には,フィルム成膜および乳剤塗布の一貫 連続の高効率生産を武器に,世界的に優位に立ち映画フィル ム市場の 90%以上を押さえた.市場支配した理由に対して Eastman は,「他社が同様なフィルムを作れないからでなく, 毎日同じフィルムを作ることが出来ないからである.それが 出来る者が業界を支配する」と,信頼性の高い安定品質が重 要であることを述べている. ここで,「なぜ,EK 社が映画フィルム市場を独占支配で きたのか?」を考えてみたい.低迷していた乾板事業から脱 するため,ロールフィルムの連続製造に活路を求めた.そし て,化学あるいは機械技術者を採用し,特許取得のため企業 買収を行って機械化を推進した.しかし,写真感光材料の製 造の場合,機械化と同時に泥臭い製造ノウハウの蓄積による 根気強い改良が必須である.普通の経営者は,この仮説と試 行実験による時間のかかる取組みを理解することが難しい

Fig. 2  Eastman Kodak 社の 1900 年前後の映画フィルムと一般用写 真フィルムの売上高の推移 15 / 22 ぼう 0 0.5 1 1.5 2 2.5 3 3.5 4 4.5 フ ィ ル ム 売 上 高 ( ド ル ) 百 万 年 Eastman Kodak 社のロールフィルム売上高 黒棒:映画フィルム 白棒:一般用写真フィルム Fig. 2 写真学会81_2/解説_高田.念2.indd 101 2018/05/14 13:38

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が,Eastman はそれが安定な品質維持に不可欠なアプロー チであることを熟知していた.アプローチの一端は,ガラス 支持体からセルロイドフィルムへの切替えの際,乳剤層と支 持体の湿熱伸縮性の違いから生ずるカール問題に垣間見るこ とが出来る.フィルムが湾曲するカールを直すには,裏面に ゼラチン層を塗布してバランスさせる必要がある.しかし, バック面付きフィルムを低湿で扱うと,静電気の放電による スタチックマーク(カブリ)が発生し易い.その対策の帯電 防止は,裏面のゼラチン層に硝酸塩などの水溶性無機塩を添 加して,電気伝導度が高めることである.しかし,水溶性無 機塩は吸湿性であるため,ロールに巻き込んだ状態で乳剤層 の含水量が高くなり,長期保存で感度低下が起リ易い.この ように一つ一つは小さな現象でも,バランス良く制御して解 決することが求められる.EK 社はこのような製造の諸問題 を地道に解決し,ノウハウを蓄積することによって,安定製 造に結びつけ優位性を確保して行ったと考えられる. 2.3 映画フィルム産業のその後 その後 1930 年代に,トーキー映画が本格化すると共に, 色素転染法(Dye inbibition process)による「Technicolor」 と呼ばれたカラー映画が登場した.Technicolor は光をプリ ズム分解して 3 原色に対応する 3 枚の黒白ネガを作り,それ ぞれのポジ画像からウォッシュオフレリーフ法によってマト リックスを作り,染色したマトリックス上の染料を転染して 上映プリントを作成する方式であり,多くのプリントを作成 するのに適していた3).3 色分解カメラは大きかったので, 反転現像カラーフィルムの「Kodachrome」(1935 年発売) あるいは「Ektachrome」(1946 年発売)を撮影用に用い, これを色分解して転染法でプリント作成する方式に変わっ た.1950 年 EK 社は,その後のカラー映画システムのスタ ンダードとなったネガ・ポジ方式の「Eastman color negative film」と「Eastman color print film」を商品化した.油溶性 オイルにカプラーを乳化分散したオイルプロテクトカプラー と色再現のためのオートマスクのカラードカプラーを採用し たカラーフィルムであった. 「富士写真フイルム」社は,「大日本セルロイド」社の創設 者森田茂吉が映画フィルムの国産化を旗印に,1934 年写真 事業を独立させた会社である.そして,1948 年外型反転方 式のカラーフィルムを発売し,それを用いて 1951 年日本映 画史に残る総天然色映画「カルメン故郷に帰る」が製作され た.しかし,世界に通じる EK 型のネガ・ポジ方式のフィル ムを出荷したのは,1970 年前後である.具体的には,1968 年の 35 mm ポジフィルム「タイプ 8819」および 1969 年の 露光指数 EI(Exposure Index,感度に相当)100 の「タイプ 8515」とその改良品の「タイプ 8516」であった.その後, 1980 年に世界に先駆けて EI 250 の高感度ネガフィルム「フ ジカラー A250」(1981 年度のアカデミー科学技術賞)や更 なる高感度フィルムの EI 500 をラインナップした.さらに, 高精細デジタル映像を忠実にフィルムに出力する「ETER-NA-RDI」が 2009 年度に,アーカイブフィルム「デジタル セパレーション用黒白レコーディングフィルム ETER-NA-RDS」が 2011 年度にアカデミー科学技術賞に選定され, 映画分野で技術的な存在感を示した. しかしオールデジタル化の趨勢は止められず,2012 年 1 月に EK 社は経営破綻し,同年 9 月に富士フイルムはデジタ ルアーカイブフィルムなどを除き映画フィルム事業からの撤 退を発表した.そして,ウォルト・ディズニーら主要映画会 社 6 社は,アメリカ文化の象徴である映画フィルムの製造が 続けられるように,2015 年に再上場したコダック社とフィ ルム供給契約を結んだ4) 2.4 小型映画(家庭用・放送業務用)への展開5) フランスの「パテ」社が,1921 年に興業済みの映画を家 庭で鑑賞できる 9.5 mm フィルム映写機に続き,1923 年に手 回し撮影機を発売したことから小型映画の製作が始まった. 同じ 1923 年 EK 社も,16 mm の不燃性フィルムの映写機 「Koda-scope」と撮影機「Cine-kodak」を発表した.そして, 1932 年 に EK 社 は「Cine-Kodak 8」 を, さ ら に 1965 年 に EK 社は「スーパー 8」,富士フイルムは「シングル 8」の 8 mm フィルムシステムを発表した. 日本では戦後に経済が安定すると,家庭用小型映画が普及 し始めた.1955 年に「エルモ」社が国産初の 8 mm 撮影機 を発売し,その翌年月刊誌「小型映画」(玄光社)が創刊され, 8 mm ブームが始まった.8 mm シネカメラの販売台数のピー クは 1977 年の 161 万台であるが,ビデオカメラがやがて出 現するという影によって 1980 年頃から新製品数が急激に減 少し,1982 年「小型映画」は休刊となった6).Fig. 3 には,「キ ヤノン」社の家庭用動画カメラの新製品の機種数を示してい る.1950 年代後半から始まった 8 mm シネカメラは,1980 〜1985 の間に撮像管カメラへ,さらに CCD を搭載した 8 mm ビデオカメラに移行したことが分かる. 「ミースの写真技術史」5)によれば,EK 社の家庭用小型映 Fig. 3  キヤノン社の家庭用動画カメラの新製品数 8 ミリフィルムカメラ⇒撮像管ビデオカメラ⇒ CCD8 ミリビ デオカメラ⇒デジタルビデオカメラ 16 / 22 0 5 10 15 20 25 30 35 新 製 品 機 種 数 発売年 家庭用動画カメラの新製品機種数(キヤノン社) 8ミリフィルム 撮像管ビデオ CCD8ミリ デジタルビデオ Fig. 3 写真学会81_2/解説_高田.念2.indd 102 2018/05/14 13:38

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高田俊二  写真産業の技術革新史 その 4 -動画産業の創成とその電子化・デジタル化- 103 画の開発は,発火事故対策を第一優先にする Eastman の方 針に従い,不燃性の酢酸セルロースフィルムを前提とした. 酢酸セルロース化は当初フィルム強度に問題があったが,製 造法と可塑剤の改良が重ねられ,二酢酸セルロース DAC (Diacetylcellulose)が,さらに良好な溶剤のメチレンクロラ イドが見出され三酢酸セルロース TAC(Triacetylcellulose) が,家庭用小型映画に採用された.酢酸セルロース化により セルロイドフィルムの使用量は減少し,1951 年に EK 社の 硝酸セルロースの製造設備は解体された. EK 社でラッテンフィルター部門の責任者だった John G. Capstaff は,家庭用小型映画に関心を持ち開発を続けた結果, 1923 年に 16 mm フィルムの「Cine-Kodak」を発売した.劇 場用映画は 2 本のフィルムを使うネガ・ポジ方式であったが, 家庭用はコスト低減のためフィルム 1 本の反転処理方式を採 用した.これは,「①第一現像で感光粒子をネガ現像する, ②現像された粒子を漂白し除去する,③残存した未感光粒子 をベタ露光でカブリを生じさせる,④第二現像でカブリ粒子 を現像しポジ映像を作る」である.この方式の欠点は撮影の 露光ラチチュードが狭いことであったが,EK の工場内でカ ブリを生じさせるベタ露光の光量を適切に調整することに よって一定の品質を保った.1932 年の「Cine-Kodak 8」(の ちに「ダブル 8」と呼ばれる)では,画質改良により画面サ イズを縦横 1/2(面積 1/4)に縮小させた.しかし,コスト が概ねフィルム長に比例するので,コストを抑えるため 16 mm フィルムに画面を 2 列に配置する方式が採用された. 家庭用 8 mm 動画のエポックメイキングは,1965 年のコ ダック「スーパー 8」と富士フイルム「シングル 8」であった. 富士フイルムが女優のテレビコマーシャルを「マガジン・ポ ン・私にも写せます」と流したように,8 mm フィルムのマ ガジンをカメラにセットしボタンを押せば誰でもホームムー ビーが撮影できることを訴求し,家庭用動画の大衆化を図っ た.コダックは TAC ベースのコダクロームとエクターク ロームを,富士は厚みを 2/3 に薄くしたポリエチレンテレフ タレート PET ベースのフジクロームを発売した.石油化学 工業の発展に伴い,寸度安定性とフィルム強度から,種々の 石油系支持体が検討されたが,大きな需要が将来的に見込め た PET がコスト的に有利になると判断された.富士フイル ムは,「東洋レーヨン」(現,東レ)との技術契約を結び, 1962 年に PET ベース工場を建設し,リスフィルム,X レイ フィルム,8 mm フィルムの順に PET 化が進められた. 日本で 1953 年に黒白テレビ放送が開始された初期の時代 はすべて生放送で,ニュースやドキュメンタリーには映画の 16 mm 黒白フィルムが使用された.ネガフィルムで撮影し ポジフィルムにプリントする方式だったが,ニュース取材か ら放送まで一刻を争うので迅速処理が要求された.富士フイ ルムは,1959 年迅速処理に対応したテレビニュース用の 16 mm 黒白ネガフィルム「RP」(タングステン感度 64)を発 売した.1960 年からカラーテレビ放送が始まり,1968 年に 16 mm カラーリバーサル TV フィルム「RT100」(感度 100) を,1974 年に高温迅速処理が可能で当時世界最高感度の「RT 400」(感度 400)を発売した.これらフィルムは,業界のオ ピニオンリーダーであった英国 BBC 放送に採用され,欧州 各国の放送局に広まり輸出量を急伸させた.そして,さらに 1978 年感度 500 で増感現像を施すと 2 倍増感が出来る「RT 500」を発売した. 富士フイルムの放送取材用カラーリバーサルフィルムの新 製品ラッシュは,高感度化と迅速処理性で,世界市場を席巻 したいと言う意図を持っていた.しかし,米国の放送局 CBS が開発した肩乗せカメラと VTR を組合わせた ENG (Electronic News Gathering)が,撮影機材が大きく重いに も関わらず即時性を最重視するニュース取材分野を瞬く間に 変革させた.この電子化による市場の急変が,富士フイルム のカラーリバーサル開発陣に大きなショックを与えた.富士 フイルムが,1980 年代初頭からデジタルカメラの開発に着 手し,1988 年に「東芝」社との共同で世界初のデジタルカ メラ試作機「DS-1P」(国立科学博物館の未来技術遺産 71 号) を,1989 年デジタルカメラの初の製品(未来技術遺産 124 号, 富士:「DS-100」,東芝:「IMC-100」)を出した本当の原動力 はここにあったと思われる** 3. 動画産業の電子化とデジタル化 3.1 放送業務用ニュース取材ENG7) 1960 年代撮像管カメラもビデオ記録 VTR システムも巨大 であったので,ニュース取材には機動性の高い 16 mm フィ ルムカメラが用いられていた.しかし,フィルムシステムは 撮影済みフィルムの回収,現像および編集に多くの時間を要 し,ニュースの速報性に対して致命的な問題を抱えていた. 具体的には,ベトナム戦争の取材では,アメリカのテレビ局 は戦地で撮影したフィルムを東京まで空輸し現像した後,通 信衛星で電送していた. 1971 年ソニー社は,3/4 インチのカセットテープを使用し たカラー VTR「U- マチック」を民生用として発表し,据置 型に加え電池駆動のポータブルタイプも提供した.アメリカ のテレビ放送局 CBS は,業務用の肩乗せ型撮像管カメラと 「U- マチック」をケーブルで繋ぎ,独自の取材法を編み出し ていた.そして 1974 年頃,CBS は「もっと軽くて便利で, 少なくとも 16 mm フィルムと同等画質の放送局用 U- マチッ クが欲しい」とソニー社に要望した.その結果,1976 年に 放送局用の 1 インチ 1.5 ヘッド方式の U- マチック「Broad-casting Video BV シリーズ」が誕生し,この取材法を ENG (Electronic News Gathering)と名付けた.そして ENG の 導入で,放送局のオペレーションコストが下がり,フィルム 取材から ENG への移行が急速に進んだ.日本製(ソニー・ 池上通信・日本ビクター)の ENG 機材が海外では次々採用 されたが,日本の取材現場は撮像管カメラや VTR の電子機 ** カラーリバーサルの開発責任者であった上田博造(後に副社長, 本学会の元会長)は,1980 年初頭に撮像素子の研究をスタート させ,1990 年に CCD 製造ラインを持つデジタルカメラの製造 会社富士フイルムマイクロデバイス社を設立した. 写真学会81_2/解説_高田.念2.indd 103 2018/05/14 13:38

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材の使用に難色を示し普及が遅れた. ENG 取材で楽になったが,それでも「より小型・軽量で 使いやすく,人手を減らせるシステムが欲しい」という声に 対して,ソニーは 1981 年家庭用と同じ 1/2 インチサイズの ビデオカセットを使用した放送局用カメラ一体化 VTR 「BVW-1」を NAB ショーで発表した.放送用ニュース取材 で起った激変は,民生分野を想定した基盤技術の Seeds が すでに存在していたところに,放送局から性能・小型軽量・ 価格の Needs 仕様が明確に示されたために起ったと考えら れる.しかし民生用途は,市場が要求する小型軽量化および 価格帯を満たすため更なる技術開発が必要であり,約 10 年 の時を要した*** 3.2 家庭用ビデオカメラ9) 家庭用ビデオカメラは日本企業の開発競争の歴史といえ る.Table 1 に,国立科学博物館のビデオカメラの重要科学 技術史資料から家庭用ビデオカメラの主要な製品をピック アップした.1974 年に世界初の家庭用のビデオカメラとし て,東芝から 1 インチビジコンの撮像管を用いた小型カラー カメラ「IK-12」(録画部は別売)が発売された.東芝は 1970 年代初めから 2 管式の業務用カメラを販売していた. 家庭用には低価格化のため単管式を採用したが,この方式を 多くの電気およびカメラメーカーが追従した.広告では,「女 性でも片手で撮れる軽さ,2.6 Kg」と謳っているが,カメラ だけでも三脚に載せるか報道カメラマンのように肩に担いで 撮影する必要があり,結局この方式は家庭へは浸透しなかっ た. 1980 年代に入り,ビデオカメラ分野に 2 つの小型軽量化 のための新技術が導入された.一つは,撮像管から固体撮像 素子への切り替えであり,もう一つはカメラと録画装置の一 体化である.固体撮像素子を最初に採用したのは,1981 年 の「日立製作所」の「VK-C1000」であり,MOS 型撮像素子 が使用された(CCD は,1982 年の「日本電気」の「TC-100」, 1983 年のソニーの「CCD-G5」で採用された).一方 VTR 一 体型の最初の商品は,1983 年「SMF トリニコン」撮像管カ メラ部とβ方式の録画部のソニーの「ベータムービー BMC-100」であり,その重量は 2.48 Kg であった. 当然ケーブル不要の一体型への期待は大きかったが,普及 型の VTR はカセットサイズがすでに規格で決まっており, 小型化には限界があった.8 mm 方式の統一規格が設定され, 1985 年ソニーから 8 mm 方式の小型 VTR と 25 万画素 CCD カメラを一体化した「CCD-V8」が製品化され,重量は 1.97 Kg に減少した.続いて 1989 年に,パスポートサイズとし て小型化を訴求した 790 g の 8 mm ビデオ「CCD-TR55」が 登場し,これを機に家庭用ビデオカメラの本格的な普及が始 まった.同じ年東芝からは,NTSC 方式の解像度を満す 42 万画素 CCD の高画質ビデオカメラ「AI-XS1」が製品化され, 多画素競争も一段落した.その後は使い勝手の競争となり, オートフォーカス AF・オートホワイトバランス AWB・手 ぶれ防止・液晶ビュアー・顔認識などの機能が付与されていっ た.2000 年代になると,デジタルテレビの普及でビデオカ メラもデジタル化と HDTV 化が急速に進んだ.録画の記録 メディアも DV 方式 VTR だけでなく,DVD,HDD,メモリー カードと多様化した. 3.3 デジタルシネマ 「デジタルシネマコンソーシアム」(DCCJ)の活動報告に よれば,「2001 年に発足した DCCJ は,4K の SHD(Super High Definition,4096 x 2160)映像技術を,映画の三大革命 である無声映画,トーキー映画,カラー映画に続く,デジタ ルシネマの実現を目標に活動してきたが,我が国の映画館は ほぼ 100%がデジタル化された」と述べ,15 年間の活動を終 了させた10).Fig. 4 は,2005 年に DCI(Digital Cinema

Ini-tiative)の標準化が発表された以降の国内スクリーン数(一 般館スクリーンとシネコンスクリーン)およびデジタルスク リーン数の推移を示している.10 年間,一般館スクリーン 数の減少とシネコンスクリーンの増加で,トータルスクリー ン数はほぼ一定数を保ってきたが,デジタルスクリーン数は 2009 年以降急激に立ち上がり近年 100%に漸近していること が分かる11) Fig. 5 には,映画制作の流れを示している12).フィルム時 代には,撮影した後に編集によってマスターネガを作製した. *** 1977 年米国ポラロイド社は,インスタント写真の技術を応用 したホームムービー「Polavision」を発売した.同社の Land 社長の友人であったソニー会長の盛田昭夫は発売前にそのデモ を見せられ,「信じがたい科学の進歩だ.でも,もう遅すぎる」 とコメントしたそうだ.盛田は小型ビデオカメラの到来をすで に予見していたと考えられる8) Table 1  ビデオカメラの重要科学技術史資料(国立科学博物館) 制作年・登録番号・製品名称・(撮像・録画)仕様・制作者 制作年 No. 製品名称 撮像 録画 製造会社 1974 年 156 単管式ビデオカメラ IK-12 撮像管 別売り 東芝 1981 年 155 固体ビデオカメラ VK-C1000 MOS 別売り 日立 1983 年 160 VTR 一体型ビデオカメラ BMC-100 撮像管 β方式 ソニー 1985 年 161 8 ミリビデオカメラ CCD-V8 CCD 8 mm ソニー 1989 年 162 パスポートサイズ CCD-TR55 CCD 8 mm ソニー 1992 年 167 液晶ビデオカメラ VL-HL1 CCD Hi-8 シャープ 1995 年 164 デジタルビデオカメラ DCR-VX1000 3CCD DV ソニー 写真学会81_2/解説_高田.念2.indd 104 2018/05/14 13:38

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高田俊二  写真産業の技術革新史 その 4 -動画産業の創成とその電子化・デジタル化- 105 マスターネガは貴重なので,インターメディエイトフィルム を用いて数十本の複製ネガを作製する(具体的には,マスター ネガからマスターポジを,さらにマスターポジを焼付け複製 ネガフィルムとする).複製ネガを用いてポジフィルムに焼 付けるが,大作の場合 5000〜7000 本の上映用のポジフィル ムが作製された. フィルムからのデジタル化は,1993 年に発表されたシネ オンシステムのように,1 ライン当り 4096 画素(4K レベル の解像度)でスキャンしてデジタルデータに変換した. HDCAM のデジタルカメラで撮影した場合も,デジタルデー タからデジタルマスターを製作し,そこからデジタルイン ターミディエイトフィルムで複製ネガフィルムを作製する. 以下同様にポジフィルムに焼付けて配給・上映するのが従来 の流れであった.従って撮影および編集の領域では,フィル ム撮影に対してもデジタル撮影に対してもいずれにも対応で きるシステムが確立していた. デジタルシネマは,映画の制作-配給-上映のすべての工 程をデジタルデータの形式で実行することであり,理論的に はマスターと同一の高品質映像を,低コストで配給・上映で きることが期待された.しかし,デジタルシネマの標準規格 が存在しなかったこと,従来の映写機をデジタルプロジェク ターと暗号化映画コンテンツの再生装置に置換える初期の導 入コストのため,配給と上映の中・下流ではデジタル化のメ リットを享受することができなかった13).しかし 2005 年 DCI の標準化が合意された以降,Fig. 4 のようにスクリーン のデジタル化が急速に進んだ.Fig. 6 には,カラーフィルム の世界需要と最後まで映画分野のリーダーであったコダック 社の映画用フィルムの出荷量の推移を示した14).カラーフィ ルムの総需は,2000 年をピークにその後急速に減少したが, 映画フィルムはより長く使用され続けたことが分かる.結果 として,映画産業の確立からそのデジタルへの移行には,約 100 年の年月を要したことになる. 4. おわりに フィルム時代,撮影・記録・表示のすべて工程が感光材料 とその処理に依存していたが,デジタル化により,撮像素子 による映像取得・記録メディアによる録画,ディスプレイに よる映像表示と要素技術が機能分離した.そしてデジタル製 品の開発には,撮像素子・録画装置・表示装置の各要素の性 能とコストが満足できるシステム設計が必須となった.Ta-ble 2 には,ソニー社のカムコーダーを例に単板式と三板式 に分けて,撮像素子と録画装置および重量を纏めている.単 板式は,撮像素子を撮像管⇒CCD⇒CMOS の順に,録画方 式をβ⇒8 mm⇒DV⇒HDV⇒メモリと進化させ,性能向上 と共に小型軽量化を達成した.Fig. 7 には,動画用 CCD イ メージセンサの仕様を示した.初期は画素数向上に,中期は チップの小型化に,後期は再び画素数に技術を配分しており, Fig. 5  映画制作(撮影・編集・配給上映)の流れ図 フィルムシネマおよびデジタルシネマの共存 18 / 22 HDCAM ネガフィルム 撮影 編集 デジタルスキャン マスターネガ デジタルマスター インターメディエイトフィルム 配給 上映 ポジフィルム DLP Fig. 5 Fig. 6  フィルムの世界総需要・出荷量の推移(相対値) 白棒:一般用カラーフィルムの世界需要 黒棒:コダック社の映画フィルムの出荷量 19 / 22 0 20 40 60 80 100 120 19 93 19 94 19 95 19 96 19 97 19 98 19 99 20 00 20 01 20 02 20 03 20 04 20 05 20 06 20 07 20 08 20 09 20 10 20 11 20 12 20 13 20 14 フ ィ ル ム 数 量 ( 相 対 値 ) 年 カラーフィルム世界総需要 コダック映画フィルム出荷量 Fig. 6 Fig. 4  国内のデジタル映画スクリーン数の推移(☆印) 白棒は一般館スクリーン数, 黒棒はシネコンスクリーン数 17 / 22 0 500 1000 1500 2000 2500 3000 3500 4000 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 国 内 ス ク リ ー ン 数 年 デジタルスクリーン シネコンスクリーン 一般館スクリーン Fig. 4 写真学会81_2/解説_高田.念2.indd 105 2018/05/14 13:38

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動画カメラに求められた特徴が現れている.フラッグシップ の三板式は,1995 年デジタルカムコーダー「DCR-VX1000」 以降,ハイエンドの民生機とローエンドの業務用機の境界が 曖昧になってきている.さらに静止画用だったデジタルカメ ラも,CMOS イメージセンサによる読出し速度の高速化と 半導体メモリの大容量化で,高品質動画の撮影が可能となっ た.そして静止画カメラと動画カメラのテリトリーが不鮮明 になっており,結果的に撮影システムの統合が現実に近づい ている. 動画産業を創成したフィルム支持体は新事業の創成にも貢 献した.その例が,液晶ディスプレイ LCD 用の光学フィル ムである.1987 年頃,三酢酸セルロース TAC フィルムの製 造量は 2.2 万トンで,偏光板保護用はわずか 500 トンであり, ほとんど写真フィルムメーカーで生産されていた15).21 世 紀に入ると,写真フィルム支持体としての需要は急降下した が,LCD の用途が拡大しかつ LCD の大面積化が急速に進ん だため,2007 年頃には TAC の生産量はかつての数倍の規模 に増大した.LCD の開発が日本企業を中心に展開されたこ と,および光学的に均一で無欠陥のフィルムを広幅で高速生 産する技術****によって,富士フイルムとコニカミノルタ が世界の市場を独占した.2007 年前後に,富士フイルムは 熊本に,コニカミノルタは神戸に新工場を建設した.この写 真技術の転用による光学フィルムのビジネスは,両社が写真 フィルムから脱皮するための第二の創業の活動に対して大き な経営的な原資となった. 1860 年の湿板時代に「社会の出来事を映像で記録し,子 孫に残す」という Herschel の夢物語から,1900 年初頭にセ ルロイドフィルムの映画産業が,20 世紀中盤に酢酸セルロー スフィルムの小型映画産業が創成された.映像取得の電子化 は 1970 年代のテレビニュース取材から始まり,家庭用ビデ オカメラ,劇場用デジタルシネマの順にフィルムからデジタ ルに置き換えられていった.そして,現在は「いつでも・ど こでも・誰でも,ユビキタス画像・映像の時代」になり,画 像・映像情報の氾濫が起っている.今後,この分野の産業創 成は,眼を持った人工頭脳として,安全(例,自動運転)・ 安心(セキュリティ)・健康(画像診断)・快適(ロボット) 分野で大きな期待が持たれている.以前のレビューで今後の 技術開発に関して,「写真で培った基盤技術の深耕と新しい 領域への展開」16)として述べたが,さらに「画像・映像の高 付加価値化とその価値評価法」が重要な課題になったと考え る. 謝 辞 有益な助言とコメントを頂いた,東京工芸大学山田勝実教 授および千葉大学久下謙一教授および元富士フイルム(株) の大関勝久博士に,感謝の意を表します. **** 第 58 回大河内記念賞,“ 偏光板保護フィルム「フジタック」 の高品質・高効率生産技術の開発 ”(2011)および第 5 回も のづくり日本大賞内閣総理大臣賞,“ 液晶ディスプレイの世 界的普及を支えた光学フィルムの高度生産プロセスの開発 ” (2013)で表彰されている. Fig. 7  ビデオカメラの CCD イメージセンサの標準仕様の推移 縦軸:画素数(万画素),横軸:チップサイズ(インチ) 20 / 22 0 10 20 30 40 50 60 70 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 画 素 数 ( 万 画 素 ) チップサイズ(インチ) 1983 1987 1990 1993 2000 2/3 1/2 1/3 1/4 Fig. 7 Table 2  ソニー社製カムコーダ(単板式と三板式)の仕様 発売年・製品名・撮像素子・録画方式・重量 ソニー製品 撮像素子 録画 重量 1983 BMC-100 VTR 一体型 撮像管 トリニコン β方式 2.48 Kg 1985 CCD-V8 8 mm ビデオ CCD 2/3 インチ:25 万画素 8 mm 1.97 Kg 1989 CCD-TR900 小型軽量化 CCD 1/3 インチ:41 万画素 8 mm 0.79 Kg 2005 HDR-HC1 ハイビジョン CMOS 1/3 インチ:297 万画素 HDV 0.68 Kg 2010 NEX-VG10 メモリ CMOS APC-C サイズ メモリ 0.62 Kg 1992 CCD-VX1 フラッグシップ 3CCD 1/3 インチ:41 万画素 Hi-8 1.5 Kg 1995 DCR-VX1000 DV 規格 3CCD 1/3 インチ:41 万画素 DV 1.4 Kg 2004 HDR-FX1 ハイビジョン 3CCD 1/3 インチ:112 万画素 HDV 2.0 Kg 2010 HDR-AX2000 メモリ 3CMOS 1/3 インチ:297 万画素 メモリ 2.1 Kg

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高田俊二  写真産業の技術革新史 その 4 -動画産業の創成とその電子化・デジタル化- 107

参 考 文 献

1) 高田俊二,“写真産業の技術革新史-その 2,乳剤高感度化技 術と写真・映像の大衆化”,日本本写真学会誌,Shunji TAKADA, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn., 78, 23-31 (2015).

2) Reese V. Jinkins(中岡哲郎ら訳),“フィルムとカメラの世界 史- 技 術 革 新 と 企 業(Image and Enterprize-Technology and the American Photographic Industry 1839 to 1925)”,平凡 社,東京,1998. 3) 坂井端雄,“写真工学の基礎(銀塩写真編)6.5 映画用カラーフィ ルム”,日本写真学会編,コロナ社,東京,1978, p.488-500. 4) “コダック,ハリウッドの大手スタジオと映画用フィルム供給 に つ い て 最 終 合 意”,http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/corp/ news/2015/0216.shtml (2015 年 2 月 16 日).

5) C.E. Kenneth Mees, D. Sc., F.R.S. (是松 忍訳)“ミース博士 が語った-写真技術史の研究開発物語(From Dry Plate to Ektachrome Film-A Story of Photographic Research)”,講 談社ビジネスパートナー,東京(2013). 6) 飯 田 定 信,“8 mm フ ィ ル ム の 歴 史”「 小 型 映 画 技 術 史 」, 2011.11.02 http://www.kogataeiga.jpn.org/kogataeiga/kogataeigacontent7. html#000007. 7) “第 3 章 鞄にポンッ!パスポートサイズ”,Sony History https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/ SonyHistory/2-03.html. 8) 高田俊二,“写真産業の技術革新史 その 3-「写真のその場 可視化」と画像コミュニケーション”,日本写真学会誌, Shunji TAKADA, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn., 79, 76-86 (2016). 9) 竹村裕夫,“ビデオカメラ技術の系統化”,技術の系統化調査報 告第 18 集,111-208,国立科学博物館,東京 (2013). 10) 青山友紀,巻頭言 “DCCJ の終了に当たって”,デジタルシネマ・ コンソーシアム,ニュースレター第 18 号-最終号-,2-6 (2016). 11) 映画産業マーケット(株式会社シネブリッジ),http://www. cine-bridge.com/data/. 12) 大関勝久,“映画産業における写真感光材料技術-デジタル技 術との融合-”,日本写真学会誌,Katsuhisa OHZEKI, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn., 71, 400-409(2008).

13) 曽根岡昭直,“デジタルシネマの現状と今後のビジネス開発”, NTT 技術ジャーナル,18, 42-46 (2006),http://www.ntt.co. jp/journal/0604/files/jn200604042.pdf.

14) “斜陽映画フィルムにハリウッドが救済の手-コダック”(The Wall Street Journal)

http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304180804580062 551749334306, 2014.07.31.

15) 三田文夫,“TAC フィルムの歴史について(三酢酸セルロー スフィルム)”,http://goju.jp/school/, 2008.11.26.

16) 高田俊二,“日本写真学会のあけぼの-大阪有志の会「寫眞科 學會」の会報”,日本写真学会誌,Shunji TAKADA, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn., 79, 328-336 (2016).

Fig. 2  Eastman Kodak 社の 1900 年前後の映画フィルムと一般用写 真フィルムの売上高の推移 15 / 22ぼう 00.511.522.533.544.5フィルム売上高(ドル)百万 年Eastman Kodak 社のロールフィルム売上高黒棒:映画フィルム白棒:一般用写真フィルム Fig

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